2016年12月31日土曜日

大みそか

ついに今年も残すところ数時間。
仕事も放りだしてゆっくりしようという企ては、たまに成功、半分以上失敗。
徐々に隠遁生活に向けて体と心を慣らしていくつもり。
いくつになっても元気、まだまだ若い者には負けないなんて頑張るおじいさんを見て居ると、なんか偉いなあと思う反面、ついご苦労さんと言いたくなる。
例えば三浦敬三さんみたいな稀有のエネルギーの持ち主は尊敬に値するけれど、ごく普通の人なら年をとっても若いものに負けないなんてことはありえない。

どんどんディミニュエンドしていくのが肝心なのだ。
私は少し引退するのが早すぎたかもしれないけれど、頑張ってまだ仕事場でのしていたら、一つ席が空くのを待っている人に悪いからさっさと身を退くことにした。
もう気が済むまで働いたし。

今年は本当に面白いことが多くて、愉快に過ごすことができたのは、周りの方たちのおかげと感謝している。
仕事をやめて毎日が日曜日になって、ぼけてしまう人もいるようだけれど、幸い私たちのやっていることは体力気力共に重労働。
ボケは生まれつきなので、これ以悪化しないように最低限のレベルを維持しながら生きていこうと思っている。

お正月には家族団らん楽しむ人たちで溢れているけれど、私は子供も孫もいないから猫と静かな生活。
忘年会で使い切れなかった食品が、山のように余っているから買い物の必要もない。
野良猫捕獲作戦でもたてようかと思っている。
外は寒いと必死に訴えるノラのふうちゃん。
それなら家にお入りと言うと、フウと言っておこる。
なんとかできないかと頭が痛い。
来年もノラたちが、のんきに過ごせる世の中でありますようにと、祈らずにはいられない。

私は来年もいくつかのコンサートの企画があって、しぶとく生き延びているけれど、自分の思いのためにだけ演奏するのがこんなに楽しいとは思いもかけない幸せを感じている。
根っからのワーカホリックで仕事大好き、現役時代は人の多い仕事場に行くと生き生きとしていたけれど、それ以上に自分の心と向き合うことがほんとうに穏やかな豊かさをもたらしてくれる。

来年と言ってもただ明日になるだけのはなし、元旦からキーキーと不気味な音を出すことを許してもらわないと。
特にプロコフィエフは変わった曲で不協和音も多いから、あら、あの人ついに音程までいけなくなったかと思われるかもしれない。
オクターブが合っていないじゃない!
そうなんです、プロコフィエフは愉快な人で、まともにオクターブでは進行しない。
オクターブも半音違いのオクターブなどを濫用。
ついでにアクセントも濫用。
楽譜通りに弾くと、とても変わった弾き方に聞こえる。
それがとても効果的で魅力的な作品となっている。
幸い御近所は皆さんお里帰りや旅行でいなくなると思うので、気兼ねなく音出しができる。

喪中につき年始のご挨拶は控えさせていただきますが、皆さまどうぞ良いお年をお迎えください。
これを読んでくださっている方たちのご多幸をお祈りします。






















2016年12月30日金曜日

お蕎麦の鉢合わせ

上の階にすんでいる奥さんはお料理上手。
時々煮物などをいただく。
北軽井沢で嬬恋のキャベツを買ってお土産にさしあげたら、ロールキャベツになって戻ってきた。
材料が行くと返ってくるのはお料理。
今朝もお肉の羊羹というものをいただいた。
元は関西の人なので、薄味でおいしい。

私は関東育ちだけれど、味が濃いのは苦手なのでうれしい。
今年も残るのは後一日。
昨日頼んでおいたお蕎麦が届いたから、これは上の階に届けよう
と思っていたけれど、一歩先んじられた。
今朝ピンポーン!
おや、又何かおいしものが・・・ドアを開けると先ほどの羊羹と、もう一つ手になにか持った奥さんが立っていた。
ああ、やっぱり。それはおそばだった。

先月東北のチェロフェスタで出会った方から、りんごとおそばをいただいた。
それを大晦日の年越しそばにしようと思っていて忘れてしまい、間違えて生協にも頼んでしまった。
そのうえ今日もいただいて、おそばが家の中を闊歩している。
おそばは冷凍しておけばちょっとお昼などに食べられて重宝。

今朝出かけようとして探し物をしていたら、重たい箱をパソコン付近に落としてしまった。
落としたときにはなんでもなかった。
パソコンにはぶつからなかったから大丈夫。
しかし、その後、カーテンを動かしたらふっとモニターが消えて、それきりつかない。

幸い二重三重の安全策がとられていて、3番目のノートパソコンで今書き込み中。
以前使っていたものを再度使えるように設定してもらって書き込んでいるけれど、キーボードの当たりが柔らかくて音もしない。
どれにも長所ありで、古いからといって馬鹿にしたものではない。
こんなに恵まれた環境でやっている人は珍しいと思うけれど、使う人が私なので、猫に小判。
毎度師匠の落胆する顔を見ていると、もうやめたほうがいいのではと時々思う。
すまない!不肖の弟子で。

それにしてもこんな古いノートパソコンでこんなに速度が速いのは・・・
陰で努力している人が、または泣いている人がいるのです。

お正月のスキーは結局行かないことにした。
1月半ばに演奏を頼まれて、なにを弾こうかと思ったらちょうどプロコフィエフの「ソナタ2番」を合わせていたので、それにしようということになった。
かなり技術的にも難しいから、半月で4楽章まで仕上げるのは、、練習が必要。
それで今回はスキーよりもやはりヴァイオリンが大事となった。

足首が痛いのも理由のひとつだけれど、痛みは我慢できる。
ただ、滑っている最中に痛みのためにバランスを崩して怪我をしたら、年齢からいっても直るのに、時間がかかる。
若いころのようにはいかない。
足だけならまだしも、手を怪我したらと思うと、今回はやめておいたほうが良いと結論を出した。
まだシーズンは始まったばかり。
来月もあるから、今無理して行くことはない。
なにごとも流されるままに生きている。
私を猫に似ているという人は多い。
この性格だからか?








2016年12月27日火曜日

三浦敬三さん

お正月は毎年志賀高原へスキーに行く。
しかし少し前から足首が痛む。
特に一日の初め、ベッドから出る瞬間、ズキリ。
立ち上がる時に右足に力が入らない。
それで今年のスキーはどうしようかと迷っていた。

あの重たいブーツを履いたらどうなるか心配で履いてみた。
ところがこれが滅法具合がよろしい。
暖かいし足首が固定されて痛みが引く。

101歳まで現役のプロスキーヤーだった三浦敬三さん。

1904年生まれ~2006年

その現役ぶりは素晴らしい。

70歳  エベレスト滑降
77歳  キリマンジャロ頂上噴火口内滑降
81歳  シャモニーからツェルマットまで90キロ踏破
88歳  フランスとスイスを跨る氷河地帯100キロ完全踏破
90歳  モンブラン山系のバレーブランシュ氷河5回目の滑降
99歳  同じくバレーブランシュ氷河6回目滑降
100歳 アメリカ スノーバードで親子孫曾孫4代での滑降

この敬三さんはトレーニングのため、いつもスキーブーツを履き、歩くときは足首に重りを付けて歩いていたらしい。
100歳越えても一人暮らし。
玄米と圧力鍋で煮た魚を骨まで食べたという。

家の中をブーツを履いて歩いていたら、思い出した。

私は敬三さんにお会いしたことがある。
2002年に廃業した船橋の人工スキー場ザウスへ行ったときのこと。

着替えをして、ひと滑り前のコーヒーを一杯。
隣のテーブルに白髪で、目の覚めるようなブルーのウエアの人がいた。
若者ばかりのその施設で目立っていたので、思わず声をかけた。
「お元気でいらっしゃいますね」
「ええ、まあ」
少し苦笑い。

私はその時敬三さんのお顔を存じ上げなかったので、そんな高名な方とはつゆ知らず、気軽に声ををかけてしまった。
「ではまたゲレンデで」とあいさつをして、ゆっくりリフトに乗っていると、先ほどの人が颯爽と滑り降りていく。
目を疑った。
これは只物ではない。
たいていの人はリフトを降りて頂上で立ち止まり、斜面を覗く。
降りるコースを確かめてから滑り始める。
けれど、その方はリフトを降りるや否や、恐ろしいスピードで降りて行ってしまった。
ひらりひらりと、ほかの誰よりも軽やかに。


とんでもない人に声をかけてしまったようだ。
後にその話をスキーの先生にすると「それ敬三さんだよ」先生は笑いながら言った。
悔しい、もう少しお話を伺っておけばよかった。
私はチャンスを逃す名人なのだ。
ザウスが廃業する少し前だったから2000年前後とすると、その時彼は90歳代?

私の記憶は怪しいので、もう少し前としてもザウスができたのが1993年だそうだから、80歳代後半。

スキーブーツを履いていると痛みもなくなるから、予定通りスキーに出かけることにした。
ええ、敬三さんに比べれば私はまだひよっこですから。




















2016年12月26日月曜日

忘年会

今年の忘年会コンサートは会場を借りずに、わが家のレッスン室で行うことにした。
去年まで使っていた貸しホールは、終わってからの宴会をする美味しい焼き鳥屋さんが引っ越してしまったので、断念した。
幹事の青ちゃんがいろいろ貸しホールを当たってくれたけれど、適当なところがない。
雪雀連のメンバーもだいぶ少なくなってきたから、狭いけどうちでもいいよと言ったら、賛成してくれた。
人数が限られてしまうので、沢山の方に声をかけられなかったのが少し残念なところだった。

会場が広い時には、私の生徒たちも楽器持参で来てくれた。
今回はそんなわけで生徒たちも来ないで、ほとんど身内だけの集まりとなった。
弦楽器での演奏はロッシー二の「ソナタ」2番と3番。
これは陽気でわくわくするような、いかにもロッシーニ。
彼は美食が過ぎて体を壊して死んでしまうような人だから、音楽も楽しい。
編成が変わっていて、ヴァイオリンが2本、チェロとコントラバスが1本ずつ。
この2曲にはヴィオラが入っていない。
チェロがいないのでチェロパートをヴィオラに書き直して、今回はヴァイオリン2、ヴィオラ1、コントラバス1という編成になった。

チェロパートをヴィオラ記号になおすのは簡単なことだけれど、楽譜を手で書くのは思いのほか面倒くさい。
ヴィオラはアルト記号、チェロはバス記号とテノール記号。
ヴァイオリンはト音記号。
書いているうちにだんだん混乱してきて、はて、いま何記号で書いているのかしら?と手が止まる。
書くのに忙しくて、そのうえお通夜とお葬式と飲み会と続いたために、肝心の練習ができない。
レベルとしてはそれほど難しいわけではないけれど、人前で弾くとなると、むらむらと職業意識がわいてくるのでいい加減なことはしたくないと思っているものの、練習不足は否めない。
その他ソプラノの歌が数曲。
今回はいつも聴いているだけの人たちにも参加してもらおうと、日本の歌を用意した。
私たちはほんとうに弾くのが好きで、聴いているだけではつまらない。
だから今回はお客さんも引きずりこんでしまおうという魂胆。


コンサート後の宴会の準備。
一度にできないから、数日前からそれとなく準備が始まる。
今回はラムステーキをご馳走しようと、ラムを少しずつ買い漁って冷凍しておいた。
それにソーセージを何種類か、ザワークラウトの大瓶とピクルスも用意。
ミートパイ、北海道鮭のパイ包み、カニの巻きずし。
タコのカルパッチョ。
これにサラダを添えてできあがり。
メンバーが鶏の丸焼きを作ってくれて、楽しみにしていたら、すご~くおいしかった。

おなかに詰め物をして焼くので、私はその詰め物狙い。
鶏の出汁がしみ込んで、鶏肉よりもこちらの方がおいしいので。
そのほか皆持ち寄ってくれる煮物やお菓子など。
いつも食べすぎて翌日後悔するけれど、夜中近くまで飲みかつ食べ、話が尽きない。
上の階に住む人は階下がうるさくて気の毒なのでご招待したら、お墓参りで出かけるそうでしきりに残念がっていた。

結局全部で20名ほど。
ワインが数本、日本酒一升、甕入りの焼酎が一つ。
皆、ずい分飲めなくなってきた。
以前は資源ごみ回収日に、あまりの酒瓶の多さに恥ずかしかったくらい飲んだのに。































2016年12月25日日曜日

しっかりして!

auショップに携帯の名義変更と解約にでかけた。
その際に受付がもたつかないように、電話番号などをメモしていった。
電話番号や手続きの種類を間違えないようにと、何回も見直した。

10時の開店と同時に入店。
しかし、店内は対応が遅く、だれも反応してこない。
やっと一人若い男性店員がきて、なんだか頓珍漢だけれど、応対してくれた。

私がメモを渡すと、ろくすっぽ見ない。
キャッシュカードを見せろというから「なんのため?」と訊いたら「確認です」
でもさっき免許証で確認とれたでしょう。
何回も同じことを言う。
その時点で絶望的になってきた。

このお店は私の最寄り駅の商店街にあって、一番家から近いからそこを利用していた。
最近そこでひどく腹が立ったのは、たった30秒くらいでできる作業に1時間10分待たされたこと。
順番から言えばしかたがないと言われるかもしれないけれど、最初に応対した女性は、私の携帯の故障が簡単な作業で直ることがわかっていた。
その時彼女は「お時間ありますか?」と聞いてきたので「ええ、まあ」と言ったのでその場でできることを後回しにされたのだった。
私は修理に時間がかかると思っていたので、割り込みはいけないとおとなしく待っていた。
その時にさっさと作業してくれていれば、30秒くらいで終わったこと。
それなのに、臨機応変に出来ず、客を長々とまたせる方を選んだ。

あまりに待たされて店長さんに、どうしてこのように待たなければいけないのかと切れまくって、慌てた店長がおん自ら作業してくれた。
携帯の後ろのふたを開ける。電池を取り出す、チップを引き出しもう一度入れなおす、電池を戻す、ふたを閉める。
え!そんなに簡単になおるの?
それを教えてくれたなら自分でやったのに。

そして今回もこの人大丈夫?と思える男性。
私が渡したメモを見て黙ってこの作業を進めれば簡単にできるのに、余計なことばかり言うので、短気な私の尻尾はだんだん毛ば立って膨らんできた。
今にもふうーっとうなりそうになる。
挙句の果てに、間違えて、名義変更の分を解約してしまったのだった。

番号を印字した部分を指さしながら「この番号でお間違えございませんか?」というから、私は電話番号のチェックをした。
私も悪いけれど、番号については間違えではないから、サインをして手続き完了。
そこで彼の言葉にハッとした。
「これで解約ができました」
「はい?ちょっと待って、それは解約でなくて名義変更でしょう。メモをちゃんと見て!すぐに解約を解除して」
なぜか彼はメモの一番下に書いてある番号から、手続きを始めたのだった。
普通、一番上から始めるでしょう。
まさかそんなことをするとは思わなかった。

店長がウロウロと彼の周りを心配そうにうろついている。
店長さんは私が前回怒ったものだから、怖くて手が出せないのかもしれない。

男性は真っ赤になって、店長にお伺い。
「今、やったことだからすぐに取り消せるでしょう?すぐにできるかどうか確かめて」と怒り心頭の私。
そのあと「なぜメモを見ないの?ここに書いてあるとおりやってください!」
だんだん語調がきつくなる。
「私も確かめないでサインしたのが悪かったけど」と彼をフォローするつもりで言ったら、ニヤッとしてウンウンとうなずいたのには呆れてしまった。
冗談じゃない、私はまさかメモと違う手続きをしているとは思わなかったので。

「なんのためにメモを持ってきたと思うの!」
こういう時私はけんかをして居る時の野良猫になる。
爪が出る。
このお店はどうしてこんなスタッフばかりなの?

私が最初に携帯を買った時のお店はすごかった。
あっという間に滞りなく手続が終わり、私はオレンジ色のかわいい携帯を手に入れた。
そこは普通のお店とは全く違って、小気味よく無駄のない、お世辞も言わない、ただ必要なことを迅速にこなす完全なプロ意識だけがあった。

こんな店にはその後お目にかかっていない。




























自転車は好きだけど

私は手の力が信じられないほどない。
瓶の蓋やペットボトルすら開けられないことがある。

タイヤに空気が入っていないので、このところ自転車に乗ることができなかった。
空気を入れればいいじゃないと思うかもしれないけれど、タイヤの空気入れ口に空気入れの先端の洗濯ばさみみたいなものをはめ込んで固定する、それだけのことが力がなくてできない。
普通の人にとっては信じられないことらしく、知人が呆れながら空気入れ口を別のバルブに取り換えてくれた。
それは空気が戻ってこないようになっているバルブだそうで、ついでに空気もいれてもらって、ほんとに世話が焼けると嘆かれた。
働いている人の姿を私はごろごろと喉を鳴らして見ているだけだから、腹が立つらしい。
猫の手以下。

前日の風と雨が嘘のように晴れてたある日、やっと空気が入った自転車で買い物に出かけた。

スーパーの駐輪場に停まっている自転車の前かごと後ろの荷台に一人ずつ、二人の子供が座っていた。
親の姿は見えない。
なんてことを!
自転車は危なっかしく立っている。
万一何かの力が加わったら、あっけなく倒れてしまう。
二人の子供はおとなしく座っているけれど、ちょっとしたことで興奮して暴れたら事故になる。
頭を打ったら致命傷になりかねない。

この後は何回も書いたけれど…

以前車の列を横切って飛び出した母親の映像を見たことがある。
子供を前のチャイルドシートに乗せて車の間から顔を出したその時、左後ろから来た車にはねられ自転車は横転、子供は投げ出され轢かれて死んで、親がパニックを起こしていた。
これはとんでもない事故で、車にはなんの罪もない。
数車線もある大きな道路で横断禁止。
しかも道路わきはフェンスがあって、侵入できないようになっている。
たぶん信号機のあるところから、侵入したものと思える。
まさか横断してくる自転車がいようとは、後ろから来るドライバーは想像もしなかったと思う。
そこを渡るのも悪いし、子供を前に乗せるのも悪い。
しかも安全を確認しないで飛び出した母親は、彼女の軽率な行為で一人の子供と、ドライバーの将来まで奪った。
もちろん母親自身も罪の意識でボロボロになると思う。

お母さんたちは本当に怖いもの知らず。
一旦停止の道路を左右も見ずに横断する。
間一髪の場面を何度も見ている。
轢いてしまえば全部ドライバーが悪いことになるけれど、理不尽なことだと思う。
私も飛び出されて急ブレーキを踏んだ時「子供さんを殺す気?」とどなってしまったことがあった。
買い物が床に散乱し、卵が割れた。

自転車も免許制にするか、講習を受けないと自転車が買えないようにしないと。
自転車は左側通行だというのも知らない人がいて、前からくる自転車をよけるために左によると、相手も右に寄ってきて鉢合わせ。
左に寄ってくださいと大声で叫ぶこともある。
外国人の自転車が正面から来たので「Left!」と叫んだら「OK!」と言って、颯爽と左によけたことがある。
お母さんたちは「左側を走ってください」というとにらんでいく。

子供がいれば時間が足りないくらい忙しいことはよくわかる。
でも、ほんの5分でも時間に余裕を見て家を出れば、一旦停止を止まったり、少し遠回りの信号機を渡れる。
子供のいないひとにはわからないと言われるかもしれないけれど、私たちは仕事のためには時間的な余裕を十分にとる。
たとえ前日遅くなって睡眠が足りなくても早起きもするし、時間に遅れないために少なくとも30分や1時間は余裕を見て行動する。
子供の命を守るなら、10分くらいの余裕はなんでもないと思うけれど、いかがでしょうか?

今朝自転車に乗ったらふいに、自転車の荷台にいた子供を思い出したので。

私は自転車で近所の坂道を下るのが好き。
風を切ってだんだんスピードが上がって、対向車や人がいなければノンブレーキで一気に落ちる。
こういうカミナリ族(古い!)も困ったことで。

お正月は毎年志賀高原でスキー。
そこでスピードを堪能することに。
しかし毎年運動神経は鈍くなるばかりで、一昨年は夕暮れの急斜面でスキーが雪だまりに刺さって、宿に帰れないかと思った。
あまり人が入らない斜面なので圧雪も不十分、こぶだらけだったので転んでしまった。
足が妙な角度に曲がっているので、無理に引き抜くと捻挫をする。
そんな時間に急斜面に入ってくる人は滅多にいなくて、たまに来た人に声ををかけても滑ることに精一杯で気がついてもらえない。
日は暮れる、腹も減る、野宿?と思った時にやっと板を引き抜いてもらえた。
いつまでも若いつもりでいると、こういう目にあう。

その時考えていたのは「ああ、夕飯に間に合わない」だった。
いやはやなんとも・・・


































2016年12月24日土曜日

新潟火災

風の強い日、よりによって強風の日に、鍋をコンロにかけたまま店を離れたという中華料理屋の店主。
あまりにも無防備、思慮のなさに唖然とした。
うっかり者の私でさえ、鍋に油が入っていたら、そこを離れるときに火にかけっぱなしはありえない。
電話がかかってきたら、まず火を止めてから電話に出る。
テレビを見ることもしない。
ひたすら鍋を見つめる。

そのくらい一般人でも気を遣うものなのに、プロの料理人がそんなことをしたばかりに、こんな大火になってしまった。
クリスマスプレゼントにわくわくしている子供たちの夢を奪ってしまった。
お正月を向かえる準備をしてたであろう人たちの幸せを奪ってしまった。
幸い死者は出ていないようだけれど、これから寒さに向かって家を失ったひとたちは、つらい新年を迎えることとなる。
気の毒すぎて言葉も出ない。

そして今、この店主を非難している私といえば、お風呂のお湯を出しっぱなしにしていた。
いつもならお風呂にお湯を入れる間、そばで音を聞いているのだけれど、今日はちょっと隣の部屋へ物を取りに行って、そのまま居ついてしまった。
途中でハッと気が付いて慌てて戻ったら、お湯があふれてざあざあこぼれていた。
他人のことは言えない。
もし自分が火を出してしまったら、もうその土地には住めない。
火元の責任は問われないと聞いたことがあるけれど、自分も全財産を失ってしまったら弁償もできないので、類焼した家は全く手の施しようがない。
その人たちはどうするのだろう。

私は自分が危険人物だと知っているから、そういうことのないようにコンロはIHヒーターに変えて、鍋が沸騰したら時間を見計らってタイマーをセットする。
これで鍋を焦がすことも、ヤカンを真っ黒にすることもなくなった。
タイマー無しのガスコンロを使っていた時はいつも不安で、仕事に出かけた先や途中の電車の中でとか、急にガスの火をとめたかどうか不安になり、近所の姉に電話をして見に行ってもらったことがたびたびあった。
いつも必ず消えていたけれど、これから先は安全とは確信できない。
気になったときにはたいてい安全。
でもほかのことに気をとられていて、火のことに気が回らない時は危険な確率が多い。
タイマー作戦は、自分がキッチンにいるときでも必ずタイマーを使うことで、危険を回避できるようになった。

たった一人の不注意が沢山の人を不幸にしてしまった。
それでも誰でも、いつ自分が加害者になるかわからない。
火事は恐ろしい。
地震防災訓練の時に体験したのは、震度7の揺れ。
それはまあ、けっこうな恐怖だったけれど、もっと怖かったのは、煙の充満しているトンネルを歩かされた時。
訓練だから絶対安全とわかっていても、足が前に進まなかった。
火元の店主も今地獄にいると思う。
自業自得とは言え気の毒でならない。

義援金を送っても、これがまた果たしてちゃんと被災者にわたるかどうかわからないという。
無力感に襲われる。

















2016年12月22日木曜日

海馬

タツノオトシゴに似ているのでシーホース、海馬というらしい。
記憶の中枢。
その海馬が、私の場合、まだ子供なのかもしれない。

記憶力の悪さは生まれつき。
特に人の顔は覚えられない。
同じくらいの年代であまり特徴のない顔の人は、誰が誰やらわからない。
学校を卒業して何年目かに行った同窓会で「あらー、懐かしい、お元気?」と言われて、「ええ、元気よ」と答えたまでは良かったけれど、はて??誰??
「あら、覚えてないのね」と言われてしまった。
そこで上手く芝居をして、ほかの人にこっそり聞けばいいものを、不審な気持ちが顔に出ていたらしい。
ばか正直というか、裏表がないというか、取り繕うことができない。
たいていはしばらくすると思い出す。
けれど、最近はその「しばらく」が永遠に続くようになってしまった。

海馬くんがついに成長しなかったみたいで、特に最近は著しく記憶が低下している。

ブログに書きたいことは山ほどある。
あ、これを書こうと日に何回も思うけれど、いざ、パソコンに向かうと、それがなんだったかすっぽりと抜け落ちている。
その都度記録しておけばいいのだが、これは忘れないぞという過信が常にあってサボるから、結局忘れてしまう。
キーボードに手を置いたまましばらく考えるけれど、忘れるくらいだから、なに、大したことじゃないと思ってあきらめる。
以前は毎日のように投稿していたのが、最近は週に1日か2日。

数日前のテレビで、海馬を元気にするための物質があるというから喜んで見ていたけれど、なんだかよくわからないうちに終わってしまった。
筋肉量に影響されるらしく、ウオーキングがとても良いですよという月並みな結論で、騙された感が強い。
そのウオーキングを毎日欠かさない私がこの体たらくでは、真実味に欠ける。

幼少のころはミステリーにはまっていて、ミステリー作家になりたかった。
アガサ・クリスティーのような素敵なミステリー作家に。
なぜあきらめたかというと、自分には断片的な面白いことは思い浮かぶのに、それを構成して一つの作品に構築する能力が欠けていることを、すぐに悟ったから。

そのうえ海馬くんが貧弱となると、最初に書いたことと最後の結末がたぶん一致しなくなるだろうと思う。
トリックもへったくれもなくなる。
膨大な長編作品を読むと、よく途中で人物が入れ替わったりしないものだと感心する。

「ハリー・ポッター」の作者のローリングさん。
緻密な構成に圧倒されながら読んでいる。
これは原書で読むからこそわかったことで、日本語で読んでいたらおそらくストーリーを追って読み飛ばしていたと思う。
例えば前の章で起きた出来事人物などが、巧みに次の章に生かされている。
ほとんど読み飛ばしてしまう程度のさりげなさで挿入されている。
それも彼女のすごいところ。
それが分かる私もすごい!と思うでしょうが、たいていは先生のルースさんの記憶のおかげ。

つたない英語力で単語の一言一句をおろそかにしようものなら、前後の意味が通じなくなるから、本当にゆっくりと地を這うように進む。
すると、彼女の言葉の響きに対する異常なまでの執着心がわかってきた。
至る所で韻を踏んでいる。
ルースさんも音楽家だから、すぐに気が付く。
声を出して読むのも重要。

章の始まりと終わりに同じ言葉が隠されていたり、これはたぶん英語で読まないとわからない。
そんなわけで、私にとってハリー・ポッターは生まれてこの方、隅々までちゃんと読んだ初めての本になりそう。
ここでも海馬くんは眠っていて、すぐ前のページで辞書を引いたばかりの単語を何回も引くはめになる。
それこそ何回、何十回も同じ単語を。
脳の萎縮はまだ見られないそうだが、萎縮していないだけで中身はスカスカだったりして。

たった一つだけ覚えられるのが数列。
すぐに覚えられて、さかさまからも言える。
認知症のテストは受けたことはないけれど、数列だけはできても、日付や年号はどうしても覚えられない。
これは若いころからだから、なんらかの理由があると思うけれど、テストでは、まず、年号日付で引っかかるはず。

今朝も車を運転しながら、あ、これ今日のブログの題材にと思ったことがあった。
メモっておこうと思ったけれど、運転中。
これは忘れないと思っていたのに、いまパソコンの前に座ったらどうしても思い出せない。
ほんとにまったくもう!




























2016年12月21日水曜日

ノラベッド争奪戦

わが家に餌をねだりに来るシロリンとチャイロン。
名前の通り白猫と茶トラ。

うちの駐車場には今一匹のアメリカンショートヘアが住み付いていいる。
これがヘタレで、少しもなつかない。
もう何か月も毎日朝夕ごはんをやっているのに、いまだにちゃんと姿をみせない。
元々家猫だったと思われるのが何かの事情でノラになったようだ。

そういう猫はかわいそう。
シロリンのようにふてぶてしくなく、オドオドと周りをうかがって、せっかく作ってあげたベッドを朝方の寒い時間にシロリンに奪われてしまう。
冷たいコンクリートの床で、体の毛を膨らませて寒さに耐えている。
かわいそうだから家に入れてあげようとしても、触ることもできないのでどうしたものか。

一時期餌と暖かい電気行火入りの住居を確保したことで、だいぶ慣れてきたと思ったのに、シロリンにベッドを強奪されて、又いじけている。
シロリンはいたってお猫良しで悪気はないけれど、体力もありこのあたりのボスだから、いうことを聞かないわけにはいかない。

以前来ていたミッケはついに姿を見せなくなった。
最後の方は食欲もなく、餌を前にしても口もつけない。
最後に初めてお腹を見せて、私の前でゴロンと横になった。
何年も毎日食事をさせて、一切手が出せなかったのに、その時には頭を撫でさせてくれた。
最後にあいさつにきたのかもしれない。
それでも猫は不思議なもので、死んだと思ってもある日突然かえってくることがある。

以前家の玄関前で、パンダちゃんという白黒模様のノラに餌をやっていた時の事。
毎日来ていたのが、ある時期、突然姿を消した。
その猫は近所でもモテモテ男で、その猫の子供と思われる猫が沢山いた。
顔は不細工、ちょっと寅さんに似た小さい目。
体はがに股のがっしりとしたガテン系。
猫の世界ではこういうのがモテるらしい。
毎日餌を用意して待っていたのに、ぱったり姿を見せなくなった。
もう死んでしまったのかしらと思っていたら、また1年ほど経ったときに急に姿を現した。

それから毎日玄関先に来ては餌を食べていく。
そしてある日、通りかかった人が「あら、この子」と声を上げた。
「この子はうちでずっと餌を食べていたのよ。最近来なくなったと思ったらこんなところでもらっていたのね」
聞けばわが家の前を流れる川の対岸の家。
ちょうど向かい合わせのお宅だった。

猫はこんな風にテリトリーを変える。
何かの事情でそこに住めなくなると、ほかの餌場を確保する。
大変世渡り上手なのだ。
今居るアメリカンショートヘアのふうちゃんは、そんな才覚はない。
きっと家猫で風来坊生活は初めてと思われる。
それが何らかの事情・・・迷子になったか、捨てられたか・・・でノラになったから、いま苦労しているらしい。
それは本にゃんから聞いたわけではないので何とも言えないけれど、察するところ。
早くなついてくれれば暖かい部屋と十分な食事が待っているというのに、かわいそうだなあと思う。

シロリンはすっかり私に馴れて「君、僕を撫でたまえ」と言わんばかりに体を横にしてすり寄ってくる。
それでもノラの習性でいつ何時牙をむくかもしれない。
以前は顔中傷だらけ、耳が引きちぎれんばかりに血だらけということが多かったのに、最近いやに身ぎれいに真っ白になっているから、もしかしたら飼い主が見つかったのかもしれない。
早くなつけばうちの子にしてあげたのに。
ミッケが生きていて、ある日また姿を現さないだろうかと、一縷の望みは捨てきれない。

















2016年12月16日金曜日

間違いメール

英語のメールが届いた。
外国人の友人もいるからさほど驚きはしないが、内容を読むと理解不能。
羽田まで送ってくれてありがとうとか、トゥラウザーをもらって嬉しいとか、新しい自分のヘアカットがどうので、エレガントなトゥラウザーと一緒になると・・・
途方に暮れた。
男性にトゥラウザーを贈るとなると、よほど親しい間柄。

差出人は確かにイギリスの知人。
しばらく考えてハハ~ン!人違いだな。
彼の奥さんは日本人。
彼女のお姉さん、つまり義理のお姉さんに私と同じ名前の女性がいる。
Dear の後が私と同じ名前だから、差出人は私のアドレスに間違えて出したに違いない。
全くおっちょこちょいなんだから。
私も書いてあるのが自分の名前だから、自分宛てだと疑わなかった。

彼は以前我が家を訪問した時、前日来たにもかかわらず家の前を通り越して迷子になってしまった。
私が自転車でそこいらじゅう走り回って探して、捕獲してきたことがあった。
本当の受取人と思われる人に電話して、確かめた。
「羽田に送っていきました?ズボンを贈りました?」
やはり彼女が本当の受取人だった。
メールを印刷して送ることにした。

今日は朝起きたときに、生徒が来る日だなと思った。
朝食が終わると、レッスン室に掃除機をかけて教則本を揃えて待っていたけれど、中々現れない。
変だなあ。
いつも階段を勢いよく登ってくる元気な人なのに、足音が聞こえない。
具合でも悪いのかしら、仕事が忙しすぎてダウンしていないだろうか。
30分待ってメールした。

今日はレッスンの日ではなかったかしら?と。
返信がない。
仕事はお休みのはずだから、疲れて風邪でもひいて寝込んでいるのではないだろうか。
すっかり諦めてひょいとカレンダーを見たら、彼女が来るのは明日だった。
アワワ!すぐに追伸を送った。
ごめん間違えて。
びっくりしたでしょう?

最近の私は毎日が日曜日。
それでもまだ毎日色々予定があるから、日程を間違えることは少ない。
以前はフリーで仕事をしていたから、時間にはとても神経質だし。
他人にも自分にも厳しい。
それがこんな風に間違えるようになるとは、情けない。
送った時間が午前中だったから生徒は仕事中で、メールを見たのはお昼休み時間。
今メール見ましたと、ランチタイムに返信が来た。
又一つ弱みを握られてしまった。
先生の権威形無し。

間違いメールの送信者と私は性格がよく似ていると、彼の奥さんから言われる。
どこが似ているかと言うと、天然のところですって。
失礼ね、プンプンと言いたいところだけれど、今日はやはり似ているのかなあと少し自信喪失。

YOU'VE GOT MAILという映画があった。
インターネットで知り合った男女が、メールのやりとりだけでお互いに惹かれ合うというストーリー。
実は近所の書店同士の商売敵なのに、二人はそのことを知らないというアメリカのコメディー映画。
1998年公開というから19年も前。
いまでこそ出会い系サイトなんてあるけれど、まだメールが珍しかった頃、中々斬新なストーリーだと思った。
今では世界中知り合いになれて、とんでもない事件が起きることもある。
今回はたまたま知り合いだから良かったけれど、そうでなければ、私は彼にトゥラウザーを贈ったと言われれば、そんな気もするなんて思ったかも。
ついに私も自分がやったことを忘れたかと。



























2016年12月15日木曜日

小田原で誕生祝い

前日葬式、翌日誕生会。
この歳になると生死は境目がなくなってきて、どちらでも良くなる。
小田原在住の、オーケストラの旧い仲間のSさんがお誕生日だというので、えっさえっさと小田原まで出かけた。
全部で8人の元同僚たち。
Sさんは元パーカッション奏者だったから、4人がパーカッション、その他はいろいろ。
年齢も千差万別・・・というほどの人数ではないけれど、私がオーケストラに入った時にはSさんはベテランだったから、おとうさんみたいな存在だった。

とにかく博識で、オーケストラの歴史を語らせれば一冊の本が書けると思うので、私たちは会うたびにお願いしていたけど、その気もないらしい。
私は大家族出身だから人見知りもなく、年齢に関係なく誰とも仲良くなれたせいで、ずいぶん年上や年下の人たちとも付き合えた。
特にSさん一派には可愛がられて、年齢を超越したお付き合いが続いた。
Sさんの奥様お嬢さん息子さんとも一緒に遊んでもらっていたけれど、お嬢さんのN子さんと私はほぼ15歳(あるいは20歳)ほど年齢の差があると思う。
このへんははっきりしない。
私は当時もう大人だったけれど、彼女は10歳あるいは8歳くらいだったと思う。

今回の誕生会は、N子さんが会場を設定、小田原駅で待ち合わせた。
まさかと思っていたら、あちらから私を見つけてくれた。
「少しも変わっていなくて」と言うけれど、私はすっかりおばあさん。
でも不思議なことに、子供だった頃の彼女しか知らないのに、私もすぐにわかった。
「少し小さくなったのね」と言われる。
でもね、私が小さいのは元々。
あなたが大きくなったのよ。
きびきびとした、素敵な女性に成長していた。

ガクタイという人種は、ほとんどこだわりのない人が多い。
時空もすぐに超え、年齢差も性別にも無頓着。
彼女はガクタイではなくまっとうな生活をしているらしいけれど、本当にお父さんっ子だから、その素質は十分。
そのお父さんのSさんは、パーカッション奏者として活躍していたけれど、頭の良さが幸いして計理士の勉強をして、その後は計理士としてオーケストラの経営や運営に携わっていたと思う。
その辺は私は良くわからない。
だいたい会計士と計理士の区別がつかないから、もしかしたら会計士かもしれない。

小田原駅前のビアホールで乾杯。
話に花が咲いていたら隣の部屋の忘年会が盛り上がって、お互いの声が聞こえないくらいになった。
覗いてみると、個室の中ではダンスやカラオケをやっている。
うるさいなあと思ったけれど「私たちも昔はああだったのよね」と、私と年の近いWさんがつぶやいた。
そうね、あの勢いはどこへ行ってしまったのかしらねえ。
若いころの私たちは特に感受性が強く、天国から地獄へ、ジェットコースターのように毎日スリリングに気分が変わった。
可笑しいことは笑いが止まらない、怒ればテーブルひっくり返す・・・ことはなかったけれど、悲しいと大泣きに泣く。

こういう職業だから感情が激しいのは許していただくとしても、いたずらもひどくてよく叱られた。
そんなことも良い思い出。
「私がこの人を、お父さんに選んで産まれてきたの」というN子さんの言葉が感動的だった。
酔っぱらった父親を連れて帰る娘。
楽しそうに会話をする親子の姿を走り出した電車の窓からみていると、しみじみ羨ましいと思った。
私の父は威張っていたから、こんな風に連れだって歩いたことはなかった。
でも、もしかすると父はそれを望んでいたかもしれない。
母が子供たち全員を自分の羽の下にかくまってしまったので、父は家庭内ではいつも孤独だった。
それで母に威張っていたのだと思う。
時代も時代だったということもある。
今ならきっと話し合えたのにと、残念に思う。

私は父にとても可愛がられたという記憶があるけれど、それでも一緒にお酒を飲むわけにはいかなかった。
失くしてから思う親の気持ち・・・年を経ないとわからないことが沢山ある。
最近になって気が付いたことも、ちょっと手遅れとなってしまった。




































2016年12月14日水曜日

義姉の葬儀

キリスト教の家に生まれ育った義姉がお経で見送られるというのは、義姉自身も義姉の兄弟も複雑な思いがあったと思うけれど、それを生前から受け入れることにためらいがなかったらしいという事は、私の姉から聞いた。
「私は両方のお墓に入れるのよ」と言っていたそうだ。
周りの状況を、穏やかにあるがままに受け入れるような人だった。

お通夜とお葬式と、義姉のコーラスや華道の仲間、そして地域の友人たちが集まって見送ってくれた。
特にかわいがっていた一番最初の子供、娘のH美が終始泣きながら知人にあいさつをしては慰められていた。
H美は両方の親戚からもたいそう可愛がられていて、どちらに行ってもよしよしと慰められ背中をさすられる。
特に義姉の妹さんにべったりと張り付いて、猫のようだった。
祭壇の両側の親族席から向かい側を見ると、H美は目が腫れ上がって顔がひどいことになっているので、可哀想でもあり可笑しくもあり。
「おやおや、お岩さん」なんて怪しからんことを心の中でつぶやいた。
いつもはぱっちりお目々のきょとんとした豆狸風。
私の家系はみんな狸顔。
それが瞼が開かないくらい泣きはらしたものだから、せっかくの愛嬌のある顔が台無し。
それに加え、お焼香の人たちがタイミングが合わず、親族にお辞儀をするときにお互いに反対側からするものだから、最後に自分たち同士でお辞儀しあう形となって、それも可笑しい。

心から悲しんでいるはずなのに、お葬式には常に可笑しさが付きまとうのが、私の心の闇なのだ。
前夜のお通夜、当日の葬儀は市内のうら寂しい葬祭場で行われ、そこへたどり着くまでも大変なのに、大勢の人が参列した。
駅からバスやタクシーで、寂しいコンビナートの近くまで行かなければならない。
これでは参列の人たちの負担が大きすぎる。
そういうところでないと近隣住民から開設に苦情が殺到するのだそうで、その近辺まで行くとこの世の果てみたいな気がする。
一足先に、あの世を見せてくれるような。

お通夜の時に、初めて義姉の妹さんとお話をした。
私、兄の一番下の妹ですと自己紹介をすると「ああ、**ちゃんね、姉がいつも**ちゃん**ちゃんと話していましたよ」と言う。
**ちゃんはわたしの家庭内のニックネーム。
それをきいて又涙がじんわり。
H美はママはいつもニコニコしていて、その顔しか見たことがないという。
大家族に嫁いで、さぞ大変だったと思うけれど、私もそういう顔しか思い出せない。
コーラスをやっていたから声が小さいわけではないと思うけれど、いつもゆっくりと静かな声で話す。
ぺちゃくちゃと我勝ちに話す私の姉妹たちの話を聴きながら、フフッと笑って会話に参加してくる。

葬儀は長くて寒くて大変だった。
葬祭場での葬儀が終わると、納骨、初七日まで一気にやってしまうのが昨今の葬儀事情らしい。
その間お坊さんはお経を一心に唱え続ける。

朝10時からの葬儀の時、二人の僧のうちの高齢の方が声が出ない。
若いお坊さんがそれをフォローして大声で経を唱えていた。
そのうち高齢の僧侶が段々調子を出してきて、朗々と唱え始めると、さすがに年季が入っているだけのことはある。
どんどんありがたくなってくる。
やはりお経も、ベテランの方が良い。
木魚のたたき方も若者は力任せ。
ああ、手首の力抜けばいいのになんて、余計なことを考える。

葬祭場の一連の流れが終わると、その後はお寺へ行って初七日、納骨などで午後も遅くなって、初めてお膳が出た。
ここまでで、もうくたくた。
わたしはもうぶうぶう文句。
お腹が空いたの疲れたの、長すぎるだの。
その中で兄の孫の男の子、小学校四年生が終始キリッと姿勢を崩さず、大声も立てず、あの年の男の子とは思えないふるまいに、私は形無しだった。
最後まで背筋を伸ばし、合掌していた姿が頼もしかった。
次世代の、我が一族の跡取りとなる自覚かもしれない。
今どき家の価値はもう崩れ去っているけれど、奇人変人を数多く輩出した我が家の家系図に、ひとり傑物が加わるかもしれないと思う。

義姉に世話になったお礼をしたかったけれど、私にはろくな取柄はない。
結局、お経で送られた義姉にせめてもの気持ちとして、始まる前に「アベマリア」を献花の時に「ホーム・スイート・ホーム変奏曲」を演奏して兄からも姪からも喜んでもらえた。
義姉の妹さんからも、お礼を言われた。
お義姉さん、長いことありがとう。













































2016年12月9日金曜日

お義姉さん

今朝兄から電話があって、奥さんが亡くなったと聞いた。
思いがけない訃報にひどくショックを受けた。

私の両親、私たち子供6人、私の姉夫婦とその子供2人、その中に嫁いできた。
よほどの勇気がなければ、そんな大家族に交われない。
全部で13人。
今まで私は最高人数が11人だと思っていたけれど、こうして数えてみると義姉をまぜて13人もいたのだった。
姉夫婦の子供のうち一人は軽い脳性麻痺で、言葉が遅かった。
その子をすごく可愛がってくれて、私たちがその子を叱ったりすると、必ずフォローしていた。

義姉のお父さんは教会の牧師さん。
我が家は先祖代々の仏教。
キリスト教徒なのに、仏前で手をあわせ、お墓参りも法事もきちんと参加してくれた。

兄は母の溺愛する長男だったから、結婚したら一波乱あるかと思ったけれど、それも無く平安だった。
母は非常に賢くて(身びいき?)兄がお嫁さんをもらったとたん、サッと兄から手を引いたのは、それは見事だった。
一切口を出さず、義姉を立て、彼女の作った料理を褒めて・・まあ、時々私たちに愚痴をこぼすことはあったけれど、義姉の前ではオクビにもださない。
多少波風は立ったかもしれないけれど、私たちには知らされなかった。

父は結婚に反対していて、小さな教会の牧師の娘というのが気に喰わなかったようだ。
それを母がなんとか3年ほどかけて取り持って、やっと結婚に漕ぎつけたという経緯がある。
結婚を反対する舅がいて、小姑がわんさかいて、猫も鳥もいて、それはもう大変な覚悟をして入ってきたと思う。
私たちは意地悪するつもりがなくても、緊張していると思いがけない言葉に傷つくことはあったと思う。
まして我が家では冗談が先行するから、どこまでが冗談でどこまでが本気かわからない変な家風があった。
他の家では通用しないようなきつい冗談もあったと思う。
私たちは、お義姉さんにはそんなことは言わなかったとは思うけれど、自信はない。

年始やお盆などで兄弟が集まると、黙って料理を作りお酒の用意をして、長男の嫁の立場を通した。
大皿に一杯のお煮しめやてんぷらなど、料理やさんの物かと思えるほどの見事な出来栄えの料理が並んだ。
「おねえさんのお煮しめは本当にきれいで美味しいわよね」と私たちは毎年ほめるのが行事のようだったけれど、これは本心からだった。
3人の子供が独立して兄と二人、仲良く暮らしていた。
毎年母の命日近くになると、私たち姉妹を家に呼んでごちそうしてくれた。
兄とは本当に仲が良く、面倒見の良い兄は足が悪くなった義姉をとても大切にして料理や家事をせっせとやっていたから、義姉はとても幸せそうだったのがせめてもの慰め。

穏やかで優しい人、長年そうおもっていたけれど、ある日ちょっと意外な面をみてしまった。
それは近所で火事があったとき。
近所の印刷工場が燃えて、私は早速見に行った。
するとそこに義姉がいて「nekotamaちゃん、こっちのほうが良く見えるわよ。いらっしゃい」手招きされた。
エーッ、あなた信心深いキリスト教徒でしょう?
もちろんこの火事で人身事故はなく、工場もすぐ新しく前より大きく再建されたけれど、ちょっと意外だったのが義姉の野次馬根性。

いやだ、そんなこと書かないでよ~、と今頃義姉は照れているかもしれない。

喪中ハガキの印刷を注文したら、実感がわいてきて、とても悲しい。











































2016年12月8日木曜日

自動運転

2020年には自動運転の車が一般道を走ることを、目指しているという。
私が生まれた時期は、本当に幸運な人生の始まりだったと思う。
戦後、国民全部が貧しかったので、私の家が貧しくてもさほど気に留めることもなく、教育も今のように管理されていなくて伸び伸びと成長した。
大家族だったから人手が足りていて、保育園に預けられることもなく、幼稚園すら行かなかった。
子供の嫌いな子供だったから、これもラッキー。
学校は休みがちだったけれど、兄姉たちが見てくれていたから、困ることはなかった。
大学を卒業して仕事を始めてしばらくしたら、高度成長期。

11年間オーケストラでみっちり修業した。
この時は怠け者のこの私も、寝食を忘れて頑張った。
好きなことならいくらでも頑張れる。

その後フリーになって、世はまさにバブルの時代。
仕事は降るようにあって、スタジオからスタジオへと、飛び回って稼いでいた。
数日仕事をすれば、お財布は二つ折りにできないほど膨れ上がった。
まだギャラが振り込みになる前の頃。
段々仕事が減ってきたころでも、レギュラーの仕事が常にあったので困ることはなかった。

そして本当に厳しい時代、生演奏がシンセサイザーにとってかわられて、スタジオの録音技術が発達したために、以前より演奏者の人数も要求されない時代がやってきた。
それでもテレビの仕事はステージが多かったから、映像的に人数は減らされない。
そこに、かかわっていたのもラッキー。
大みそかの長い仕事は、毎年のボーナスみたいなものだった。

放送が週3、4本くらいあったころから段々減らされて、とうとう1本になったころ、私は仕事を辞めた。
その直後、それまでそれらの仕事を回してもらっていた事務所も、他の事務所に変わったと聞いた。
一番良い時期を駆け抜けてきたわけで、今もし自分が仕事適齢期だったら、本当に苦労したと思う。
たいして美人でもない、才能もない自分が果たして仕事をやっていられたかどうかわからない。
欲を言えば、もう少し早く地下鉄や鉄道路線が今のように整備されていてくれたらなあと思うけど、それは欲が深すぎるかも。
地方に仕事に行くときは、おそろしく遠回りで何回も乗り換えがあって、本当に大変だった。
最近はほとんど乗り換えなしで行ける。
これだけはとても残念なことだけれど、そのおかげで足腰が衰えなかったのかもしれない。

パソコンや携帯が一般の家庭に普及し始めた頃、強力なサポーターに出会ったのもラッキー。
大変な器械音痴の私が、こんなにネットの世界を楽しめるとは思いもよらなかった。
今や完璧に整備された器械に囲まれて、頭の弱い私が器械にバカにされながら毎日電脳生活を満喫している。
足腰が弱ってきたころに通信販売が日常的になったのも、ラッキー。
重たいものを買いに出かけなくても済んでしまう。

さて自動運転の話に戻ると、私は今まで無事故だったけれど、いつまでも幸運とは限らない。
自分で言うのもなんですが、運転にはとても向いていると思う。
あまりパニックを起こさない性格だし、見かけによらず非常に用心深いから。
怒りっぽいけれど、我を忘れるようなことはない。
動体視力も良い(良かったと言うべきかも)し、視力は1.0で眼鏡なしで問題なし。
反射神経も音楽家だから良いはず。
老眼が進んでいるけれど、それは楽譜や読書のような細かい作業がだめなのであって、日常生活にはなんの支障もない。

それでも、今後の運転はどうするか考慮中だったけれど、自動運転の車が出れば、願ったりかなったり。
自損事故は諦めても、人身事故だけはなんとしても起こしたくない。
そんなことがあれば、今までの幸せな人生がすべておじゃんになる。
ちょうど運転が怪しくなるであろうその時に、自動運転が実現するなんて、素晴らしい。

今はとても元気で、うちの放浪癖のある鍵がどこかへ行ってしまうだけで、他の生活は何の支障もない。
安穏に暮らしている。
今後は介護ロボットがより精度を増して、人から介護されずに最後まで一人で自分の身のまわりのことができる時代になりそう。
だから、介護の心配もしていない。

世の中の進行状態が、まるで私の年代に合わせて進んでくれているような・・・自己中の自惚れ。
両親が戦中戦後苦労してくれて、私が人生の終盤に入るころには若い人たちが苦労して、なんだか申し訳ない気がする。

感謝の気持ちだけで生きていられるなんて、これを幸運と言わないでなんというか。



























2016年12月7日水曜日

体脂肪

私はとにかく小柄だから、横幅がそれほど太いわけではないのに、デブだと思われがち。
横と縦の比率から言えば、デブには違いないのだと思うけれど、ブッティックなどで11号ですか?なんて言われると憤然として、いいえ、9号か7号よと言う。
それでも言われるだけのことはあって、体脂肪率がなんと体の3分の1を占める。
その体脂肪の大半がお腹周りに集中。
豆狸、槌の子、ペンギン体型。
それさえなければ、たぶん女子標準の20から25パーセントくらいにおさまると思う。

過日85歳の男性が前立腺がんの手術をした。
その後お小水がとまらなくなる怪現象にみまわれたそうで、これはいかんと始めたのが、内臓引き上げ運動。
その運動を毎日100回やったら、効果ありで、健康に戻ったという。
今はもう大丈夫なんだよと嬉しそうに言うから、これは私のお腹周りに効くのではないかとひらめいた。

そこで今から2週間ほど前から、私も始めてみた。
そして早くも効果が出始めた。
体重、体脂肪率、骨量、筋肉量、代謝量、身体年齢などが出るようなタニタの体重計はデジタル表示なので、ほんの数グラムの差まで出る。
これに乗って一喜一憂。
ほんの100グラムの差でも、減ると嬉しく増えるとがっかりする。
毎朝計測している。
この数日、体脂肪が0.4ほど減った。
なんだ、たったそれだけ?と思うかもしれないけれど、今まで絶対に減ったことがなかったので、これは画期的なこと。
そのかわり骨量もほんのわずか減ったのが気になるけれど。
ところが今朝体重計に乗ったら、狙いすましたかのようにエラーの連続で、電池が弱ってきたらしい。

骨量、血管の柔軟性などはいつでも、15歳ほど若い数値が出る。
これはあくまでも数値の上のおはなしだから、ちゃんと年相応に老化は進んでいる。
例えば、正座が苦しい。
立ち上がれない等々。
膝も痛い。
物忘れは・・・おっと、これは天性のもの。

最近高齢ドライバーの事故のニュースが多い。
以前からも沢山あったと思うし、本当のところを言えば、若者の事故の方がずっと多いと思う。
それを高齢者に限って声高に毎日ニュースで取り上げるのは、なんでかな?
なにかそれを言って高齢ドライバーに負担を多くもたせようという力が働いているのかなと、勘繰りたくなる。
車が売れないこの頃、新しい市場となる自動ブレーキ車の市場開拓?

自動ブレーキの車のことはすでに3年ほど前から検討しているけれど、結局まだ万全ではないので見送っている。
試乗もしたけれど、自分の足でブレーキを踏んでしまって、果たしてマシンが反応したのか自分の方が早かったのかはよくわからない。
しかも高速での効き目は悪いという。

ようするに若者も高齢者も自分の力を過信しないで、落ち着いて運転することに尽きると思う。
それと私は毎日ではないにしても、運転を忘れないようによく乗っている。
長距離も走る。
どれだけ走ればどのくらい疲れるか、夜間の視力は大丈夫かなどの自分の力を把握してゆったりと走れば、まだ大丈夫と言うのが自己診断。
これが正しいかどうかは、傍目で判断してもらわないとわからないけれど、最近の旅行で同乗者たちが口を揃えて、適切なタイミングと言ってくれた。
そう言わないと私がむくれて、ドライバーを務めてくれなくなるかもしれないので、お世辞かとも思うけれど。
いつもはひどいイラちなのに、車のハンドルを握ったとたん、気持ちがズシリと落ち着く。
本当に運転が好きなので、中々車とは別れがたい。
将来田舎暮らしをするかもしれないので、その時に車がちゃんと運転できるようにしておきたい。

ところで体脂肪のはなしはどこへ?
車に乗らず歩けばいいのではという落ちがついたところで、おあとがよろしいようで。


































2016年12月6日火曜日

整理整頓

整理出来ない人の頂点にいるnekotamaとしては、どんなありがたいお言葉をいただいてもできない。
今朝のネットニュースで、衣類などはいつか着るかもと言うのはだめで、着ないものは捨てると・・・おっしゃる通り。
何回そうして臍を噛んだことか。
一大決心して捨てると、私の場合必ず後で、ああ、捨てなければ良かったという事になる。

鍵は決まった場所に置く。
これもおっしゃる通り。
でもね、うちの鍵は放浪癖があるのですよ。
毎日遊びに出て何日も帰ってこない。
だからと言って旅先から便りも寄越さない。
フウテンの寅さんよりも、もっと不精もの。
時々思いがけない場所からひょっこり顔を見せる。
例えば冷蔵庫、洗濯機の中など。
そりゃあ、できる人はできる。
これは生まれつきとしか言いようがない。
ヴァイオリンだって同じような年から始めて同じような訓練をしたって、世界的名手になる人もいるし、どんなことをしてもヴィヴァルディ―のA mollがやっとという人もいる。

書類は必要なものと必要でないものを分ける。
大きさによってファイルすると便利。
ごもっともです。

本当に人には向き不向きがあって、不向きの代表は私。
これでも子供のころは本棚の本をきちんと並べるのが日課だったけれど、自分が好きなことしかしないから、他はぐちゃぐちゃ。
大家族だったので家事分担はおおよそ決まっていた。
私は雨戸の開けたて、玄関の掃除、炊飯係。
子だくさんの母が苦労しているのを見て、自然と習慣化した。
兄達はお掃除、片付け、大掃除の時などは良く働いていた。
下の兄は畳の下に敷いてある古新聞を読みだすと、動かなくなる欠点はあったけれど、それでも障子張りなどもやっていた。
上の兄は祖母の介護に役立った。
男の子は偉かった。
それに比べ姉たちと私は、専らおしゃべり。
手は出さず口を出す。
このまま大人になってしまった。

知人にすごく頭の切れる人がいる。
血だらけだろうって?いや、その切れるではないです。
まず、段ボールの箱を用意する。
ぐちゃぐちゃの書類を一目見て、これは必要、これは不要とあっと言う間に分けていく。
それは神業としか思えない。
どうしてできるのかは、まだ解明されていない。
私は目を丸くして傍観しているだけ。
私は必要な書類かどうか、一々考えて、訳がわからなくなると、とりあえず仕舞っておけばなくさないという考えだから、一向に引き出しが空かない。

昨日一念発起、引き出しを開けてみたら、いやなものを見つけてしまった。
地震保険の継続のために大枚払えと言う、保険会社からの通知。
その額たるや・・・
あ~あ、又お金が\\\\ひらひらと飛んで行く。
お金だけは整理しなくても、お上が整理してくれるのだ。
だから預金はスカスカで、気持ちいいことこの上ない。

それで考えた。
強制的に古い衣類などを引き取る税務署のようなものが、できればいいのに。
3年以上クローゼットにつるしておいて一度も袖を通さないと、強制的に収集車が持っていく。
それを難民や困っている人に分けてあげるとか。

ときめかない物は捨てなさいと、どこぞの人が言っているけれど、衣類などはときめかないと買わないわけで、全部気に入ったから買ったわけで、そう言う人はどうするとときめかなくなるのか教えてほしい。
私は時々クローゼットを開けて中を眺める。
変な服がずらりと吊るしてあって、中には一度も手を通していないものも多い。
それでもその服を見つけて買ったときのときめきは、覚えている。
面白いデザインが好きだから、似合う似合わないにかかわらず買ってしまう。
絵を買うのと同じような心境。
結局あまりにも奇抜で、どうしようもないものもある。

例えば大きなマント。
これはスペインの女流デザイナーの作品。
小柄な私が羽織ると、踝までの長さ。
重いし使い勝手が悪い。
マントだから腕が寒い。
これに合わせた真っ赤な長手袋も用意してあるけれど、あまりにも使いにくく、電車で出かけるときには駅の階段で躓くに決まっている。
かと言って、車で行くにはこんな厚手の長コートはかえって不便。
というわけで、一回も着ることなくクローゼットの主になっている。
時々家で着て楽しんでいる。
だからと言って捨てる気には断じてならない。
困った。















































2016年12月3日土曜日

小さい犬はよく吠える

最近仕事がひまだから、顔の手入れなどをしようかと、近所の皮膚科へ行った。
口のそばにプツンとできた突起物があって、最初はゴマ粒ほどだったのに、気にして引掻いたり引っ張ったりしていたら、段々大きくなってきた。
これは大変!
以前は北里大学病院の美容外科にお世話になっていたけれど、わざわざ電車に乗って行くのがどうも面倒くさい。
長年フットワークの軽さを誇ってきたけれど、いよいよ引きこもりに近くなってきた。
ネット世界ではヒキニートというのかしら?

数年前、あまりにも手入れしすぎて顔が赤らんで来てしまったので、一時中止。
3年くらい放っておいたら、ようやく回復してきたようで、そのかわり歳相応にカサカサしてきた。

干物になる前に少しは手入れをしなくてはと思っていたら、最近隣の町に美容皮膚科ができたらしい。
隣町は以前は工場が立ち並んでいて、寒々しい飲み屋、パチンコ屋などのある小汚い街だった。
工場群が移転して、その広大な空き地に高層ビルがニョキニョキ立ち並び、あっと言う間におしゃれな街に変身。
人口が数万単位で増えたというから驚いた。

駅のそばにはショッピングセンターが立ち並び、その中にクリニックのフロアができて、たいていの科はそこに行けば受診できる。
マッサージもネイルサロンもまつ毛のエクステも、そこで受けられるから便利この上ない。

ネットで皮膚科の概要を見るとコースも多くて、とにかく覗いてみようと出かけた。
午後は15時からというので5分ほど前に着くと、ドアは閉まっている。
たいていの医院は、受診の30分前には待合室に入れてもらえるのに。
しかたなくドアの前に立って待った。
中から見えるのだから、患者を座らせてくれてもいいじゃないかと、心の中でブツブツ文句を言う。
最近人間が穏やかになってきたから、実際文句を言うのはやめようと思った。
時間ぴったりにドアが開く。
そうすると、受診は15時には始められないことになる。
せめて10分くらい前には受付をはじめないと・・・ブツブツ

ところが受付嬢の態度の悪いこと。
マスクをしているのは仕方がないとしても、くぐもった声で暗い顔してものを言うから、気分が萎える。
およそ美容にかかわるのは気分的な要素も大事だから、顔がきれいなだけではだめで、明るいお出迎えが欲しいなあなんて、欲深く要求したくなる。

私の顔の突起物はかなり成長して、液体窒素でとりましょうと言われるけれど、私はレーザーでは?と訊いてみた。
治療費が高いからと拒否されて、液体窒素なるものを吹きつけられた。
冷たくて気持ちがいいことは良いけれど、吹き付けた後が赤くなってやけどのようになった。
しかも目に見えて効果は少ない。
だいぶ時間がかかりますと言われると、やはりレーザーでとった方がいいのではと思ったけれど乗りかかった船、もう少しやってみよう。
2回目、やはり効きめは遅い。
しかも火傷の跡が残りそうでそちらの方が心配なので、ついにレーザー治療に切り替えた。

今朝の予約は10時。
5分前にドアの前に立つと、やはり開いていない。
患者が来ていて中から見えるのだから、その時点で待合室に入れて座らせてくれればいいのに。
だいたい治療の予約が10時ということは、受け付けは少なくとも5分前にしないといけないでしょうが。
一歩譲って、受付は10時からでも、すぐに診察に入らないというのは解せない。

待たされた。
20分経ってたまりかねて、この後予定があるから早く始めてとごねる。
中でなにやらばたばたと用意している音がきこえる。
やっと呼ばれたので、ついに文句を言い始めた。
予約した時に所要時間を訊いたら、約1時間と言われたのでそのつもりでいた。
11時にここを出るわよ、間に合うの!と訊いたら、あたふたと診察室に駆け込んで報告している様子。
大丈夫ですと言う。
言わなければ、キャンセルして出てきてしまおうと思っていた。
当日キャンセルは3000円いただきますと書いてあったけれど、時間を守らないのはそっちでしょうと言って、電車賃を請求してみようと思っていた。
本当は自宅から徒歩で行ったので、靴の消耗費を請求しよう。
いわゆるモンスタークライアントですなあ。

やっと治療が始まった。
レーザーでの治療を望んだのに液体窒素でやけどの跡が残ったのは、わざわざシミを作ったようなものじゃない、と、ぶうぶう文句を言いながら、医師も大変だなあと半ば同情もする。
思ったように効果が出ないと、きっとクレームすごいのだろうな。
病気なら、やけどの跡も命を救うためとか言えるけれど、趣味で来ているのだから効果にはシビアになる。
本当のところ、自分の元の顔がたいしたことないのだから、お金をかけたって効果は薄いのは自覚しないといけない。

女性の医師はなんとか私を納得させようと、肩をさすったりして沈静化を図っていた。
すると、あの頭の高い受付嬢が、なんと遅れてもうしわけありませんでしたと謝ったではないか。
実は初日に受診カードをもらったときに、私の苗字が間違っていた。
それも指摘して直したけれど、ろくすっぽ謝らない。
患者の苗字を間違えるのは医療ミスのもとではないのと、さっそく私にちくちく嫌味を言われて、ブスッとしていたのが初診の時。
患者とり違えが起きたらどうする。
姑の嫁いびりみたいだけれど、どう考えても私が正しい。

この医院に来ると毎回怒っているから、すでにブラックリストに載っていると思う。
小さい犬ほどよく吠える。
私もよく吠えるので、いつでもトラブルが向こうからやってくる。
ちょと見、私が小柄でぱっとしない風采だから、少し馬鹿にされるのかもしれない。
それが急に吠えるので慌てふためいてしまうらしい。

帰りに院長先生自ら、明日もう一度来てくださいとお見送りされてしまって、こそばゆい。
態度変えすぎじゃない?
たぶんちょっと痴ほうの気のある穏やかなばあさんが来たので、レーザーなんてもったいないと考えたのだろう。
ところが私がものすごくせっかちでイラチなのが分かって、青くなっていたような。
小柄だから頭に血が昇るのが早い。
お隣の国の人同様よく吠えるけれど、根は猫だから、すぐにフニャフニャ。
これが画竜点睛を欠く所以。
こういう小物は出世できないね。