2016年12月6日火曜日

整理整頓

整理出来ない人の頂点にいるnekotamaとしては、どんなありがたいお言葉をいただいてもできない。
今朝のネットニュースで、衣類などはいつか着るかもと言うのはだめで、着ないものは捨てると・・・おっしゃる通り。
何回そうして臍を噛んだことか。
一大決心して捨てると、私の場合必ず後で、ああ、捨てなければ良かったという事になる。

鍵は決まった場所に置く。
これもおっしゃる通り。
でもね、うちの鍵は放浪癖があるのですよ。
毎日遊びに出て何日も帰ってこない。
だからと言って旅先から便りも寄越さない。
フウテンの寅さんよりも、もっと不精もの。
時々思いがけない場所からひょっこり顔を見せる。
例えば冷蔵庫、洗濯機の中など。
そりゃあ、できる人はできる。
これは生まれつきとしか言いようがない。
ヴァイオリンだって同じような年から始めて同じような訓練をしたって、世界的名手になる人もいるし、どんなことをしてもヴィヴァルディ―のA mollがやっとという人もいる。

書類は必要なものと必要でないものを分ける。
大きさによってファイルすると便利。
ごもっともです。

本当に人には向き不向きがあって、不向きの代表は私。
これでも子供のころは本棚の本をきちんと並べるのが日課だったけれど、自分が好きなことしかしないから、他はぐちゃぐちゃ。
大家族だったので家事分担はおおよそ決まっていた。
私は雨戸の開けたて、玄関の掃除、炊飯係。
子だくさんの母が苦労しているのを見て、自然と習慣化した。
兄達はお掃除、片付け、大掃除の時などは良く働いていた。
下の兄は畳の下に敷いてある古新聞を読みだすと、動かなくなる欠点はあったけれど、それでも障子張りなどもやっていた。
上の兄は祖母の介護に役立った。
男の子は偉かった。
それに比べ姉たちと私は、専らおしゃべり。
手は出さず口を出す。
このまま大人になってしまった。

知人にすごく頭の切れる人がいる。
血だらけだろうって?いや、その切れるではないです。
まず、段ボールの箱を用意する。
ぐちゃぐちゃの書類を一目見て、これは必要、これは不要とあっと言う間に分けていく。
それは神業としか思えない。
どうしてできるのかは、まだ解明されていない。
私は目を丸くして傍観しているだけ。
私は必要な書類かどうか、一々考えて、訳がわからなくなると、とりあえず仕舞っておけばなくさないという考えだから、一向に引き出しが空かない。

昨日一念発起、引き出しを開けてみたら、いやなものを見つけてしまった。
地震保険の継続のために大枚払えと言う、保険会社からの通知。
その額たるや・・・
あ~あ、又お金が\\\\ひらひらと飛んで行く。
お金だけは整理しなくても、お上が整理してくれるのだ。
だから預金はスカスカで、気持ちいいことこの上ない。

それで考えた。
強制的に古い衣類などを引き取る税務署のようなものが、できればいいのに。
3年以上クローゼットにつるしておいて一度も袖を通さないと、強制的に収集車が持っていく。
それを難民や困っている人に分けてあげるとか。

ときめかない物は捨てなさいと、どこぞの人が言っているけれど、衣類などはときめかないと買わないわけで、全部気に入ったから買ったわけで、そう言う人はどうするとときめかなくなるのか教えてほしい。
私は時々クローゼットを開けて中を眺める。
変な服がずらりと吊るしてあって、中には一度も手を通していないものも多い。
それでもその服を見つけて買ったときのときめきは、覚えている。
面白いデザインが好きだから、似合う似合わないにかかわらず買ってしまう。
絵を買うのと同じような心境。
結局あまりにも奇抜で、どうしようもないものもある。

例えば大きなマント。
これはスペインの女流デザイナーの作品。
小柄な私が羽織ると、踝までの長さ。
重いし使い勝手が悪い。
マントだから腕が寒い。
これに合わせた真っ赤な長手袋も用意してあるけれど、あまりにも使いにくく、電車で出かけるときには駅の階段で躓くに決まっている。
かと言って、車で行くにはこんな厚手の長コートはかえって不便。
というわけで、一回も着ることなくクローゼットの主になっている。
時々家で着て楽しんでいる。
だからと言って捨てる気には断じてならない。
困った。















































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