2016年12月14日水曜日

義姉の葬儀

キリスト教の家に生まれ育った義姉がお経で見送られるというのは、義姉自身も義姉の兄弟も複雑な思いがあったと思うけれど、それを生前から受け入れることにためらいがなかったらしいという事は、私の姉から聞いた。
「私は両方のお墓に入れるのよ」と言っていたそうだ。
周りの状況を、穏やかにあるがままに受け入れるような人だった。

お通夜とお葬式と、義姉のコーラスや華道の仲間、そして地域の友人たちが集まって見送ってくれた。
特にかわいがっていた一番最初の子供、娘のH美が終始泣きながら知人にあいさつをしては慰められていた。
H美は両方の親戚からもたいそう可愛がられていて、どちらに行ってもよしよしと慰められ背中をさすられる。
特に義姉の妹さんにべったりと張り付いて、猫のようだった。
祭壇の両側の親族席から向かい側を見ると、H美は目が腫れ上がって顔がひどいことになっているので、可哀想でもあり可笑しくもあり。
「おやおや、お岩さん」なんて怪しからんことを心の中でつぶやいた。
いつもはぱっちりお目々のきょとんとした豆狸風。
私の家系はみんな狸顔。
それが瞼が開かないくらい泣きはらしたものだから、せっかくの愛嬌のある顔が台無し。
それに加え、お焼香の人たちがタイミングが合わず、親族にお辞儀をするときにお互いに反対側からするものだから、最後に自分たち同士でお辞儀しあう形となって、それも可笑しい。

心から悲しんでいるはずなのに、お葬式には常に可笑しさが付きまとうのが、私の心の闇なのだ。
前夜のお通夜、当日の葬儀は市内のうら寂しい葬祭場で行われ、そこへたどり着くまでも大変なのに、大勢の人が参列した。
駅からバスやタクシーで、寂しいコンビナートの近くまで行かなければならない。
これでは参列の人たちの負担が大きすぎる。
そういうところでないと近隣住民から開設に苦情が殺到するのだそうで、その近辺まで行くとこの世の果てみたいな気がする。
一足先に、あの世を見せてくれるような。

お通夜の時に、初めて義姉の妹さんとお話をした。
私、兄の一番下の妹ですと自己紹介をすると「ああ、**ちゃんね、姉がいつも**ちゃん**ちゃんと話していましたよ」と言う。
**ちゃんはわたしの家庭内のニックネーム。
それをきいて又涙がじんわり。
H美はママはいつもニコニコしていて、その顔しか見たことがないという。
大家族に嫁いで、さぞ大変だったと思うけれど、私もそういう顔しか思い出せない。
コーラスをやっていたから声が小さいわけではないと思うけれど、いつもゆっくりと静かな声で話す。
ぺちゃくちゃと我勝ちに話す私の姉妹たちの話を聴きながら、フフッと笑って会話に参加してくる。

葬儀は長くて寒くて大変だった。
葬祭場での葬儀が終わると、納骨、初七日まで一気にやってしまうのが昨今の葬儀事情らしい。
その間お坊さんはお経を一心に唱え続ける。

朝10時からの葬儀の時、二人の僧のうちの高齢の方が声が出ない。
若いお坊さんがそれをフォローして大声で経を唱えていた。
そのうち高齢の僧侶が段々調子を出してきて、朗々と唱え始めると、さすがに年季が入っているだけのことはある。
どんどんありがたくなってくる。
やはりお経も、ベテランの方が良い。
木魚のたたき方も若者は力任せ。
ああ、手首の力抜けばいいのになんて、余計なことを考える。

葬祭場の一連の流れが終わると、その後はお寺へ行って初七日、納骨などで午後も遅くなって、初めてお膳が出た。
ここまでで、もうくたくた。
わたしはもうぶうぶう文句。
お腹が空いたの疲れたの、長すぎるだの。
その中で兄の孫の男の子、小学校四年生が終始キリッと姿勢を崩さず、大声も立てず、あの年の男の子とは思えないふるまいに、私は形無しだった。
最後まで背筋を伸ばし、合掌していた姿が頼もしかった。
次世代の、我が一族の跡取りとなる自覚かもしれない。
今どき家の価値はもう崩れ去っているけれど、奇人変人を数多く輩出した我が家の家系図に、ひとり傑物が加わるかもしれないと思う。

義姉に世話になったお礼をしたかったけれど、私にはろくな取柄はない。
結局、お経で送られた義姉にせめてもの気持ちとして、始まる前に「アベマリア」を献花の時に「ホーム・スイート・ホーム変奏曲」を演奏して兄からも姪からも喜んでもらえた。
義姉の妹さんからも、お礼を言われた。
お義姉さん、長いことありがとう。













































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