2019年3月29日金曜日

おはぎとミルフィーユ、餃子にホタテご飯、それからまだまだ・・・

長い眠りからやっと覚めたので、都内某所マンションの一室で、そこのお宅のチワワのすみれこちゃんの誕生日祝いに馳せ参じた。
その子は、ブリーダーからこのお宅に引き取られてすぐに脳炎を発症。
ちいさな身体で必死に生きている。
獣医師から半年持たないと言われたのに、今年5才の誕生日を迎えた。
痛みなどは無いらしいのだけれど、痙攣や脚の引きつりなどの症状が出て様々な治療の結果、今まで生き永らえてきた。
こんな小さな体の中に住み着くとは憎き炎症め。
飼い主のY子さんの必死の介護が功を奏して、ご機嫌よく食欲も旺盛だが、今はいつなんどき何が起こるかわからない状態。

誕生日の昨日、10人ほどのすみれこちゃんファンが集まって元気でありますようにと祈って、誕生日のお祝いをした。
去年軽井沢で彼女と一緒に過ごしたときは見た目どこにも異常はなかったけれど、今回はあきらかに後ろ足が突っ張っている。
それでも、可愛がってくれる人たちの間を元気に走り回っているのが健気で愛おしい。
獣医さんに言われた寿命を遥かに凌駕したお祝いということで納得するしかないけれど、ひたすら愛される存在としてこの世に送り込まれたのだと思う。

お祝いにすみれの花をと探したけれど、通り道の花屋さんのどこにもすみれは置いていない。
結局マンションのすぐそばの花屋でやっと数本の珍しい品種のすみれを見つけた。
すみれこちゃんは集まった人たちの中を走り回ったり、膝に抱っこされたり、人気者は忙しい。

オードーブルを用意してくれたのは出張シェフの川嶋健二さん。
kennji.kawashima.568(Facebook)
もと銀座アスターで料理長を務め、その後独立して今大評判だという。
ローストビーフやアワビなどに、独自にアレンジした美味しい!ソースが添えられて、ワインや紹興酒などを飲みながら、会話に花が咲いた。
特にもと日本航空のパイロットだったF氏の体験談は、抱腹絶倒、世の中にこんな面白いことはめったにないのに彼の身の回りには度々起こるようなのだ。
ずるい、面白さ独り占めは!!!

そしてヴァイオリンを弾いてくれたのは、美智子・Hさん.
いつもファッショナブルで見た目、聞く耳を楽しませてくれた。
彼女とイグノーベル賞展を見に後楽園のギャラリーまで行った時の話を、ここに投稿したことがある。
月面歩行の感覚を体験できるコーナーでは、装置が作動するには体重と身長の基準があった。
私は体重は不足なしだけれど規定の身長に届かず、彼女は身長はクリアしたけれど体重が不足していて、ふたりともがっかりだった。
これでわかるように私はぽっちゃりチビで彼女はモデル体型。

川嶋シェフのオードーブルの後は、家政婦さんの手作りの料理。
ホタテごはん、焼きそば麻婆豆腐かけ、餃子などなど。
そして圧巻は誕生祝いのミルフィーユ。
これも家政婦さんの作品。
ハラハラと軽い皮の美味しさったら!
しかもおはぎのお土産付きで。
私は珍しくご飯を沢山頂いてお腹いっぱいで、もうなにも入らないとわめいていたのに、ああ、それなのに・・・その後おはぎをペロリ。
そして2個頂いて帰るという強欲ぶりで、世間から後ろ指さされる生活をしております。







2019年3月26日火曜日

眠り猫は幸せな猫

昨日は東京文化会館で「古典音楽協会」の定期演奏会。
ここでお知らせしようと思っていたけれど、私の身辺はあまりにゴタゴタ続きで書く気力もなかった。

文化会館のリハーサル室は人気で、中々とれない。
それで今回はずいぶん前に1回、先々週1回、それだけで本番という恐ろしいスケージュールとなった。
ただでさえ物忘れが激しい年代の私達に、これは酷なはなし。

それでも本番の集中力はものすごく、バラバラになっていたブランデンブルク協奏曲も、ばっちり決めて、ブラボーを頂いた。
火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、本番前のゲネプロでうまく行かなかったところもクリアできたのは、無駄に年を重ねてはいないという証かも。

私は今年に入ってからもなにかともの思うことが多くて、ヴァイオリンに集中できない。
みるみるうちに楽器が鳴らなくなる、腕が動かなくなるといったもろもろの問題を抱えていたので、このまま朽ち果てるのかと思っていた。
しかし、やるからには絶対最良の状態で弾きたいから、様々な工夫をした。
右手の皮膚が水気を失い、弓がもてなくなる。
やはり適度な湿り気がないと、弓を持っても安定しない。
つるつる滑って弓を落としそうになる。
スーパーのレジ袋が開かないのと同じ。

それで考えて、100円ショップに売っている網目になった滑り止めを、弓の持ち手に巻いてみた。
これが正解!
弓は滑らなくなって手指にすっぽり収まった。
これで右手は以前のように、弓を軽く持って柔らかく弾けるようになった。
左手は保湿あるのみ。
ワセリンやハンドクリームを常備。
しかし、粘り気のあるクリームは指板をべとつかせるのでよろしくない。
アマゾンからいろいろなハンドクリームを取り寄せてみた。
かろうじて納得のいくものがあったので、いつもケースに入れておく。
寝る前にオリーブオイルの化粧水をたっぷり塗っておくと、具合が良い。

今年上四半期のコンサートのスケジュールは昨日で終了した。
そこで緊張が解けたのと、相続問題でずっと睡眠がとれていなかったので、今朝は寝坊。
昼食をとったらその後爆睡、目がさめたのが午後5時ころだった。
上の階の奥さんがお惣菜を持ってきてくれて、やっと目が覚めた。
ドアから顔を出したら「風邪ひきました?おつかれ?」
よほどひどい顔をしていたようだ。

このところ疲れが出て、時々寝だめをする。
よく睡眠について専門家が言うことは、毎日必ず6~7時間の睡眠、昼寝は20分まで、休日の寝だめは身体に良くない・・・と。
人は眠るために生きているのではない。
毎日決まりきったスケジュールならいざしらず、日々の状態が違うので睡眠時間が違って当たり前でしょう。
人は生きるために眠るのだから。
私は日頃、昼寝も寝だめもしない。
それでも疲れたら素直に寝ればいい。

1週間働き詰めでやっと終末に寝だめをする幸せを、とやかく言わないで!
毎日決まりきったことをして何が面白い?
毎日受ける刺激が違うのに、同じ時間眠らないといけない?
獲物を前にしたライオンが、7時間眠らないといけないなんて言って狩りを諦める?

私は眠らないときは2時間3時間睡眠もざら、毎日ほとんど5時間睡眠。
それでも元気で、この数年病気もしない。
前夜2時間しか寝ていないと言って、本番前に神経質になる人がいた。
気にしたってしなくったって、2時間だろうとなんであろうと演奏はしないといけない。
それなら気にするだけ無駄!と言ったら納得してくれた。

でも時々眠り続けるのも好き。
ぬくぬくと布団に潜って猫のように丸くなって、これができるときは無上に幸せなときなのだ。
毎度のことながら、学者先生!他人の睡眠を管理しないで・・・と言いたい。

あんなに眠ったのに、又眠くなった。
みなさんおやすみなさい。






























2019年3月22日金曜日

姉の卒業式

私の姉は明日、大学の卒業式に出る。
随分前から専科履修生として通っていた放送大学。
好きな科目だけ楽しみながら履修していたら、大学側からせっかくだから卒業したらどうかと勧められた。
それでも迷っていたので私が後ろからプッシュ。

私の家は子沢山の貧乏な家庭だったけれど、両親とも教育にお金を惜しむことなく、好きなことをやらせてくれた。
ただ、この姉だけは兄弟の中でも素直な性格で、大学進学を望んだら母から4番目から下の子は高校まで、と言われたらしい。
たぶんその頃は6人兄弟全員が学校に通っていたので、家計は火の車だったのではないかと思う。
兄二人は大学院まで行ったから、もう破綻寸前だったかもしれない。
母の悲鳴が聞こえてきそうな状態だったのだのだろう。

そう言われて姉は大学進学を諦めて就職した。
その後、もうひとりの姉は知らん顔して大学へ。
その後、生意気な末っ子もお金のかかる音大付属高校から音大へ。
その時点で騙されたと歯ぎしりしたけれど、後の祭り。

姉は学内でのIQテストで一番だったそうで、勉強が好きで、私を捕まえては平家物語を暗唱させたり、百人一首をおぼえさせたりしていた。
姉は子育てが終わったので通信制の放送大学へ行った。
私も40歳代から放送大学へ通って卒業したけれど、やはり卒業したことで達成感があった。
それで姉にもカルチャーセンターみたいな使い方でなく、ちゃんと単位をとって卒業したら?と強く勧めた。
姉はそこまでする気もなかったけれど、私や大学からの後押しで卒業にこぎつけた。
今81才。
髪の毛はもう真っ白で、こんな人が卒業式にでたらみんなびっくり?
いや、そこが放送大学の良いところで、元気な年寄りがわんさかいる。
しかも経験豊富で、講師もタジタジになる。

私は仕事が忙しく、中々スクーリングもテストもうけられない状態が続いて、卒業に10年かかった。
卒業式にも出られなかった。
姉はのんびりやっていたのでもっとかかったらしいけれど、流石に卒業証書が送られてきたときは嬉しそうだった。
ケーキと花を持ってお祝いに行ったら、喜んでくれた。
私も後輩!ができて嬉しかった。

明日はNHKホールで卒業式、その後祝賀会は新宿のホテルで行われる。
姉一人では足元がおぼつかないから、私は付添で参加する。
自分が出られなかった卒業式を体験する意味でも。

小学校、中学校時代、家にお金が無くて、私は袖の擦り切れた姉のお下がりの制服を着て、手の取れかかった古いカバンを持って、それでも一切恥ずかしいと思ったことはない。
母の苦労とありあまる愛情が、私達を自分の道に邁進できる力を与えてくれたから。
そんな状態でもやりたいことをやらせてくれた両親に感謝している。
私が大学に行く頃には兄が働き始めて、母もやっと一息つけたと思う。

姉の卒業は私にとっても本当に嬉しい。
それがなんの役に立つのかは本人次第。
姉は最近とても元気そう。











イチローの引退

日本で最後のステージを終えてイチローが引退した。
少し涙を浮かべたような潤んだ目で、いつものように淡々と心境を話す。
一番感謝したいのは妻と飼犬の一弓と話す。

野球に興味がないというか、スポーツの試合を見ることは殆どない。
たまにサッカーの試合をテレビで見ることもあったけれど、例の「ドーハの悲劇」以来見たくなくなった。
ヨッシャ!と思ったら、試合終了直前の敵側のゴール。
無言で立ち上がってさっさと寝てしまった。
こんなにムッとしたことはない。

だいたい、球を転がしたり打ったり投げたりするような遊びの延長にあるものに、一喜一憂することはバカバカしい。
それを見て、自分がさもやっているかのようにはしゃぐ見物人たちもなんだかなあ。
彼らからしたら楽器をこすって音を出して、音が良いのわるいの、音程が高いの低いの、テンポが早いの遅いの言っている我々のほうがよほど理解不能なのだろう。
どの世界でも命がけの人がいる。
一瞬音がひっくり返って、ベルリンフィルに入れなかったので自殺したトロンボーン奏者がいたっけ。

人は勝手なもので自分の興味の範囲でしか他人を評価できない。
そんな私でもイチローは特別な存在だった。
決して体格が良いわけでも輝かしいパフォーマンスもない。
門外漢の私でもわかるのは、あのバッティングのすごさ。
よく見ていると、バットはボールを的確に飛ばしたい方向にそっと運んでいるようなのだ。
打つのではなく運ぶという言葉がぴったりくる。
本当はものすごい速さで球をヒットしているはずなのに、そこの部分だけはスローモーションを見ているかのように見える。
計算され尽くした動きと力の無駄の無さ。
日本いや世界の野球選手の中で抜きん出ていると思う。
ほんとうのところ、私は大谷翔平くんのファンだけれど。
ほんとうのところ、ほかの選手のことは知らないのだけれど。

イチロー引退のニュースを見ていたら、自分のオーケストラ最後の舞台を思い出した。
世界のイチローとは比べようもないと思うけれど。
たぶんマーラーの8番だったと思うけれど、最後のステージが終わって自分では涙なしに引っ込むつもりだった。

ステージを去るつもりで後ろを振り返ったら、普通なら後ろの人達の背中が見えるはずなのに、皆こちらを向いている。
ん!なんで。
見ると後ろの人達が泣いていて、私に駆け寄って来て花束を渡された。
まったく予期していなかったので、そこで私はどっと崩れてしまった。
不意打ちはやめてよ。
わかっていればにこやかにしていられるのに。
後はグズグズ。もうやだ!

その時花束を渡してくれた人たちの中の若手と(今は若いとは・・・)夏に一緒に弾けることになった。

それから20年間、オーケストラの仕事は一切断ってきた。
ところがある日後輩から、そろそろオーケストラのお仕事やってみません?
引き受けたのはどうした心境だったのか。
やはり好きだったから。
引退後の初仕事は、R・シュトラウスの「英雄の生涯」で、若い人たちが集まる某オーケストラだった。

呑気に練習場に行ったらコンマスの後ろの席で、一箇所ソリ(ソロの複数)もあるという大変な場所だった。
それでもずいぶん前に一回弾いたことがあったとは言え、初見であんな難しい曲を弾けたのは若かったから。
今なら、1ヶ月も前から緊張で大変。
それからずいぶんオーケストラも弾いていたけれど、目が悪くなって本当に引退した。
その時も周囲はもっとできるでしょうとか、考え直せとか言ってきたけれど、もう限界ですのにゃと言って断った。

今後のイチローさんも、野球に戻るのでしょう。
どんな形でも野球から離れることはできないと思う。
彼なら何をやらせても一流になるとは思うけれど、コアが野球だから生涯離れられないでしょう。
考えてみると、好きなことを一生貫かれる幸せ者といえる。
まだ40台?
これから前途洋々、羨ましい。




















2019年3月21日木曜日

相続事件騒ぎ、その後

義理の弟の嫁さんから私に連絡があって、私の印鑑証明がほしい、と。
何故か私が義弟の相続人に加えられているのだそうで。
そんなはずはない。
まず本人が亡くなった時点で、奥さんと子供さんにぜんぶ相続されているはずなのに。
そして残念なことに義弟が亡くなって数カ月後に娘さんも亡くなった。
その先は奥さんがすべて受け継ぐのではないかと思うのは、素人考えなのかな?
それでもまだ義弟の親戚に財産が行くのはあんまりなことではないか。
奥さんは結局義弟の家からまだ抜け出していないということ?
家中心の日本の考え方は、とてつもなく嫁に不利にできている。

とにかく私に相続権は無いはずだと言ったら、義弟嫁さんが司法書士に連絡。
そして今日やっと私にその司法書士から電話が来たので、私には相続権は無いと思うことを伝えた。
そして司法書士のYさんが、私の考え違いでしたと認めた。
こんなことで仕事やっていられるのなら、法律はいらない。
しかし、その間嫁さんはいらない手続きのために、あちこちに電話したり頭下げに行ったり大変な時間を浪費しているのだ。

私は呑気すぎる税理士のために、はらはらどきどき。
この数ヶ月の修羅場はとんでもなくストレスだった。
体調を崩し、眠れない日々が続いた。
夜中に目が覚めると考え込んでしまい、もう眠れなくなる。
それで夜中に起きて本を読んだりお茶を飲んだり。

私は素人だから司法書士Yさんの言うことのほうが法律的に正しいかもしれないけれど、どう考えても私に相続権があるのはおかしい。
自分のことで精一杯なのに、それに加えて他人の相続の心配までするなんて。
もうたくさん!

というわけで、私の心配事はまだ続く。

心配ばかりしていても始まらないから、日常の仕事はこなしているけれど集中できない。
今、ヴァイオリンのヴィブラートの改良を目指して、毎日練習している。
ところがこの数ヶ月サボっていたバチが当たって、筋肉が固くなってしまった。
以前よりも明らかに音量、音質ともに悪化している。
歳のせいにすれば楽だけれど、そうはいかない。
これからまだ、しばらくは演奏家として生きていくつもりだから。

今年夏には北軽井沢でのコンサート。
ピアニストのOさんが目の手術を受けるため、今年は欠席。
そこで、弦楽器中心のプログラムでヴァイオリン奏者を増やし、今までとは違ったプログラムを考えている。
今年は優秀なヴァイオリン奏者が新たに2人参加してくれるのでぜんぶで4人、私は専ら企画構成に精が出せる。
今まで全ての企画を私一人で背負っていたため、演奏に集中できないことも多々あった。

当日のチケット申込みなどにも対応していたし。
それで雑用と演奏が分散されれば、もう少し楽になるかも。
秋には古典音楽協会のコンサートでソロを弾かせてもらう。
11月には又々クロイツェル・ソナタの注文が。
あとひと踏ん張りできれば、思い残すことなく演奏家廃業できる・・・かも。
いやいや、雀百まで踊り忘れず。
これは前世からの因縁、業、病気で、やめられない。

ほかにすることもないし。
孫でもいればよかったのにと、いつも子供がいないことを悔やんでいる。
占う人に「あなたは仕事か子供かどちらかなのよ」と言われたことがあった。
本当のところ、どちらが良かたのかと思うと、うーん、難しい。





















2019年3月9日土曜日

呑気なおじさん

遺産相続の件も最後の段階に入ったかと思われたのに、新しく依頼した司法書士に「まだまだこれからです」と言われて頭真っ白!
最初に頼んだ税理士は呑気に「遺産相続分割協議書」なるものを作ればそれでもう終わるようなことを言っていたので、必死で実印を集めた。
ところが集め終わって銀行に行ったら、書類が足りないと言われて司法書士をたのむはめになった。

このひとが穏やかで頭が良いので、やっと頼れるひとに巡り会えたようだ。
その前にたのんだ税理士は「ま、ゆっくりやりましょう」と言う。
でも、もう印鑑証明の期限(6ヶ月)も切れそう。
それが切れると又取り直しになる。
1人2人なら良いけれど、8人もいると大変。
相続人の中にも呑気なひとがいて、中々書類が集まらず、やきもきした。

戸籍の確認が大変なことがよくわかった。
とにかく過去に遡って姻戚関係がはっきりしないと、もっと先まで書類を取り寄せないといけない。
だから遺産分割協議書を作る前にこの作業をしないと、新しく相続人がでてきたときに最初からやり直しになる。
手続きが前後しているのだ。

どうも話が簡単すぎると思っていたけれど、今のところ新たな相続人は見つかっていないからセーフかもしれない。
流石に心配だったらしく、最初の税理士から電話がかかってきた。
「どんな具合?」
私は「なんだかすごく大変そうよ。これで、もし新しい相続人が見つかったらどうなるの?」と訊いたら「そりゃ、困るなあ」のんびり言うから、あまりのことに笑うしかない。

それに加えて又事件発生。
8年ほど前に亡くなった義理の弟がいる。
その義弟嫁から相続の書類の依頼があった。
おかしいな、私には義弟からの相続権はないはずなのに。
もし私に相続権があるなら、義弟嫁にもこちらの相続権があるはずなのだ。
そうなれば最初からやり直しになる。
戦々恐々、司法書士に尋ねると、それはないと思いますと言う返事。
しかも8年も前の相続のことがまだ終わらないとはどういうこと?
訊いたら役所のミスではないかと言う。
とりあえず役所に自転車を飛ばして、印鑑証明ゲット。
なんでこうなるの。
私のいつ果てるかもわからない相続手続きのおかげで、胃潰瘍になりそう。

せっかく作ったマイナンバーはこういう時に役に立たないものなのかしら。
すべての個人情報が入っているなら、それでなんでも確認できるのでは?
それはとても嫌なことだけれど、私達には情報を盗まれるだけでなんのメリットもない。

ここ半年で私の環境はガラリと変わった。
少しは社会人らしく、常識を持てということなのか。
だんだん役所通いも板についてきたぞ。
私の姪は私に似ずしっかり者で、相続のときはちゃんと自分で本を読んで自分でやったそうなのだ。
ほう!偉いものだ。
叔母を反面教師としてよく育った。
その姪だって、こんなに係累が多い相続では音を上げると思うけれど。






















2019年3月6日水曜日

子供のいない人の遺産相続

私には残念ながら子供がいない。
いや、一人女の子がいるけれど、毛深くてひげまで生えているので、世間様には見せられニャイのだ。
しかもしっぽが生えているから服が着られず、ヌードで生活しているいわば裸族。
裸族のわりには毛深いので露出度は低い。
夏の暑い日にまで同じ服装でいるから、時々この毛皮はそろそろ脱いだら?と言ってファスナーの在り処を探しても、見つからない。
ファスナーを探すためにお腹を触ったりすると、妙にくねくねして喜ぶのがいささか気味悪い。
ファスナーもないのに、一体どうやってあの毛皮のコートを着たのだろうか。

今日も又、私は役所めぐり。
遺産分割協議書というものに相続人と見られる親族の署名と実印をもらったので、やれやれ、これで凍結されている亡夫の銀行口座が使えると思ったら、そのさきが大変なことがわかった。
協議書の他に、相続人それぞれの戸籍や現住所、子供の有無、亡くなった子供の有無、司法書士への委任状やら、何代も前に遡って関係を調べないといけない。
中には、聞いたこともない名前の、たぶんもう亡くなっている人の名前が見つかったり。

うちに子供がいないので、相続人はぜんぶで9人になった。
子供のいない人の相続権を有するのは、亡くなった人の兄弟姉妹、兄弟が亡くなっているとその子どもたち。
全国にバラバラに散らばって住んでいる。
最初に印鑑証明書を集めた時に、義兄は脚がわるいと聞いていたから遅くなるのは予測したけれど、結局全員のものが集まるまで2ヶ月以上かかった。
その間私は胃が痛くなる思いで、毎日過ごしていた。

もう一つの書類は戸籍謄本。
自分の本籍地がわからないという大変呑気な人がいて、私はそれを追跡するために、その人の居住区の役所や出生地に電話した。
なんとか所在を突き止めたけれど、このへんでもう精根尽き果てた。
遺産協議分割書さえあればだいじょうぶと言う税理士に乗せられて、書類集めが後手に回った。
今ごろになって後で相続人がでてくることがあるんだよね、とか、亡くなった兄弟に子供がいないことを証明しないといけないとか、法定相続人の両親に遡って、ほかに子供がいないことを証明しないと、とか。
聞くだけでゾッとする。

今回は法定遺産相続人の数は九人。
それは私が知っている亡夫の親族だけであって、ほかに知らない相続人がいないとも限らない。
亡夫の兄弟姉妹も本当の続柄であるという証明がいるから、その父親の12歳位まで遡った戸籍を調べるのが必要。
それから、私は子供がいないけれど、ほかの女性にうちの夫の子供がいることが無いとはいいきれない。
そうなると今まで苦労して集めた夫の兄弟の書類は、ぜんぶ無に帰す可能性もある。
だから、印鑑証明などを集める前に、法定相続人の調査から始めないといけない。
そしてこれですべて揃った時に、遺産分割協議書に実印をもらう・・・これが手順だけれど、私の依頼した税理士さんは、それをすっ飛ばしてまず協議書に実印を集めさせてしまったというわけ。
もちろん集めたのは私で、電話口で頭下げたりして頼み込んだ。
もし事実が違っていたら、又やり直し?
寒気がする。
印鑑証明書の期限は半年だから、半年以内に使わないと又取り直し。
税理士さんは実に呑気に言う。
まあ、ゆっくりやりましょうや。

それでおこがましくも、子供のいない人の遺産相続の手引きを伝授しようと思い立った。

1)法定相続人の特定
   知っている限りの主だった相続人の戸籍調べをする。
   地方などに散らばっている場合、その人の居住している
   地方の役所のホームページから委任状をプリント。
   電話をするとたいていは親切に教えてくれる。
   相続人に郵送して委任状と印鑑証明ををもらう。
   これを最初にやっておけば後が楽。
   委任状を手に入れたら、本人でなくてもご当地の役所に
   戸籍謄本などの請求が依頼できる。
   金融関係の数だけ手に入れておけば安心。
   必要な書類の請求書と手数料の印紙を入れて(これらは
   電話で訊ける)役所に郵送。

司法書士に頼むと調査してひとまとめにしてもらえるから、ここはプロに任せたほうが良い。
このひとまとめにしたものを「法定相続情報証明」と言う。
これがあればぜんぶの金融機関で通用する。
そのために委任状は不可欠。

2)相続人の印鑑証明書を本人に依頼して送ってもらう。
 これは委任状と一緒に送ってもらえばいい。

3)金融機関の口座を調べる。
   銀行口座の特定は所在すると思われる金融機関に行けば
   調べてもらえる。
   口座が漏れていると又出直しになるから、聞いて聞いて
   聞きまくる。

3)これらがぜんぶ出揃えば、遺産分割協議書に実印をもらう。

私は生まれてこの方、一切こういうことは知らなかった。
初めて相続の手続きに入った時、雲をつかむような話で呆然とした。
それで弁護士に依頼しようと思ったら、自分がやりますと名乗り出た税理士がいて、やれ助かったと思ったらそれがとんでもない人で、クライアントを残して杳として行方知らずとなった。
次の税理士はかなりの高齢で、呑気でとてもじゃないけど任せておけない。
それで今回司法書士に頼んでやっと少し前進。
私は呑気な税理士に感化されて、もう相続の最終段階に入ったと思っていたけれど、司法書士から「まだまだ、これからです」と言われて眼の前が真っ暗になった。
もう勘弁してほしい。

こんな難しい手続きになったのは、銀行の陰謀だと思う。
自分の銀行に頼めばぜんぶやります。
そのかわり手数料はこれだけと言うから、それだけの資産がない人からも同じ金額とるの?と訊いたら「そうです」

銀行を儲けさせるのは癪だから、なるべく自分でやっているけれど、この半年間地獄だった。
なにも知識も興味もないことに努力をしたくはないけれど、片手間でできるような生易しいものではない。
仕事にも精神衛生上にも悪影響ばかり。
一時期ヴァイオリンが全く弾けなくなった。
時間がないというより、ストレスがひどくて少し鬱状態になった。
私と鬱は結びつかないかもしれないけれど、私はこれでもとてもデリケートなのだ。
それでも、その間コンサートはちゃんとやってきた。
頑張るニャンnekotamaちゃん。

子供がいない人は早めに遺言書を作っておくほうが良い。
すべてnekotamaに遺すと書いて。
それがあれば話はもう少し簡単になる。
生活をシンプルにして、家具や係累をへらす。
それを寂しいと思うなら悟りが足らん!