2017年8月28日月曜日

ジェラール・フィリップ

ネットで調べ物をしていたら、ジェラール・フィリップの写真に出会った。
今はもう名前すら思い出すこともなかったのに、若い頃には大好きだったことを思い出した。
彼の写真がこちら。
完璧な美男子ですなあ。
私はこういうのに目がありませんで。
筋肉マッチョは敬遠です。
物静かな物腰と声。
憂愁を帯びた表情。あまり表情を替えないのが美男子の美男子たるところ。
思うに、昔の映画スターは本当にスターとして高みにいて、ファンを熱狂させた。
いったいどういう生活をしているのか、そもそも生活感がないので、ものを食べてトイレなんかいくのかしら。
ほとんど人間扱いをしていない。
だからすごく憧れも強く、スクリーンの上だけの存在として夢の中で会うというような感じだった。

映画「赤と黒」の中で冷血な青年を演じた時には、だから、少しショックを受けた。
女を翻弄する優男。
それでもこの美貌では許してしまう。
うーん、でも翻弄されてみたい・・・とオバンは考えるのであります。
久しぶりに昔の恋人に会ったようで胸がときめきます。うふふ。

夏の終わり

日テレの24時間テレビが終わると、急に秋の気配。
今年も楽しく仕事をさせていただいた。
この現場で出会う人達と来年も又会えるだろうか?という気持ちが最近特に著しい。
そして毎年夏の疲れがどっと出るのも、この時期。

今年の夏は北軽井沢ミュージック・ホールでのフェスティヴァル参加があって、準備に追われていささか疲労がたまり、天候が悪く思うような音が出せなかったのがけっこうショックで、回復には時間がかかりそう。
そのままの状態で秋のシーズンに突入すると、9月のコンサートは憂鬱なことになりそうなので、心の洗濯をしなければと思うものの、なにをしたら良いのやら・・・
私としては珍しく心細い日々を送っている。

嬉しいことは11月半ば、モーツァルトのディヴェルティメントK.563が弾けること。
弦楽三重奏曲の長い難しい曲ではあるけれど、私には懐かしい思い出のいっぱい詰まった曲でもある。
ヴァイオリニストの故外山滋さんと一緒に弾いたことがある。
その時私はヴィオラを担当。
彼が「nekotamaさん、そこの音は2小節目で少し高めにとってください」とおっしゃるから「でも、私は3小節間同じ音を伸ばしているのですが」というと「うん、でもね2小節目は和音が変わるからその和音の音程にして」と言われる。
それまで私は同じ音を伸ばしているのだからこちらにほかが合わせるべきと思っていたけれど、そうか和音で変えなければいけないのかと、学んだ瞬間。
弦楽器のアンサンブルの奥の深さはこういうところにある。
だから難しいし、だからとてつもなく面白い。

それから私がヴァイオリンで鳩山寛さんのヴィオラでも弾いた。
鳩山さんはヴィオラも名手だった。
どこからか安い中国製のヴィオラを手に入れてきて「これが良く鳴るんだよ」とおっしゃってゴーゴーと鳴らしていた。
ハトカンさんの手にかかると、こんな楽器でも否応なしに彼の音になってしまうのが面白い。
モーツァルト自身もこの曲が好きで、ヴィオラを弾いたという。
長くて難しく地味なこの曲はコンサートでもあまり弾かれることがないけれど、私はずっと弾きたくてウズウズしていた。
この秋にヴィオラの名手Hさんと弾けるというので、その間のコンサートの練習を飛ばして
音を拾っていたら、色々懐かしさがこみ上げてきた。

体も脳も疲れているので、只今大スランプ突入。
指が思うように回らない。
特に右手がおかしい。
以前はなんでもなくできたスピッカートができない。
何処かに力が入っていると思うのに、原因がつかめない。
おそらく体の何処かに変化が現れていると思うのだけれど・・・
骨の変形とか立った時の重心のとり方とか。
例えばスポーツの選手が陥るものと同じ。
ほんのすこし肩がぶれているとか、足が前に出すぎているとか、その程度で走れなくなる、打てなくなる。
私もたぶんほんの些細なことが原因だと思う。

こういうときにあまり真面目でない性格が幸い(?)してパニックにはならないけれど、以前は練習を重ねると自然解消したものが、その位のことでは収まらない。
あと半月で2つのコンサートがある。
その一つはバッハのブランデンブルク協奏曲4番のソロパートを弾く。
春先まではとても快調に早いパッセージも弾けたのに、この夏にはもう弾けない。
おやおや、がっかり。

でも人生にはがっかりすることがたくさんありすぎて、もう慣れっこかな。
そろそろたくさんのものを捨てなければいけない時期に差し掛かっている。
最近身内や友人が次々に亡くなって、私の秋の季節(本当は冬だったりして)が足早にやってきた。
それらを全部受け入れて、なお楽しめる才能が私にあることを感謝。
地面に落ちたどんぐりを拾う楽しみもあるということ。
そうだ、私はリスになろう!!!






















2017年8月20日日曜日

大富豪になれるのはいつ?

北軽井沢の過酷な条件でのコンサートも面白い体験だった。
私の楽器は古いので、すぐに環境の影響を受けてしまう。
あまりにも何回も調弦をしたために弦がダメージを受けて、家に帰ったら切れてしまった。
それでも本番直前に切れなくてよかったと、運の強さを自賛しているしだい。
この弦は替えてからまだ1ヶ月も経っていない。
弦の値段はとても高くて、貧乏音楽家には痛い。

その上、家のリフォームをするためにもっと痛いことになった。
私は2つの貸し部屋のオーナー。
音楽家などというと聞こえは良くても経済的には不安定極まりないので、私の親が心配して作ってくれた。
ところがこの貸し部屋の一つが今月空いた。
先日まで住んでいたひとはとても綺麗に使ってくれたので、このままリフォームせずに次の借り手を探そうと思っていたけれど、築20年ともなるとなんとなく古くさい感じが否めない。
それで思い切ってキッチンからなにから全部交換することに。

先日駐車場のリフォームのときに施工してくれた業者さんがとても良い仕事をしてくれたので、もう一度お願いすることにした。

昨日雷雨の中を来てくれた二人の男性。
すでに電源は切れているので私の部屋からコードで電源を繋いだ。
なんだか停電のときにろうそくを点けているような雰囲気。
子供の頃はろうそくが点くと、手で狐を作ったりして影絵を楽しんだ。

最近は隣の街が大発展して地価も賃貸料も高騰しているけれど、こちらはショボくなってしまって高い賃料では中々借り手がつかない。
それを魅力的な部屋で借り手を探そうというわけで、壁の色や襖の雰囲気を変えて現代的にしてというのが業者さんの提案。
色々な案を出されてあれもこれもと欲張ったら、とんでもない金額になった。
2年前、もう一部屋の方をリフォームして一年分の家賃収入が消えた。
やっとそちらが償却できたら又こちらにかかる。
今回はもっと高額になる。

貸し部屋業は資産運用として宣伝されているようだけれど、どうしてどうしてそんな甘いものではございません。
特に私は借りる人たちが気持ちよく住んでもらいたいという気持ちが強いので、細部まで拘ってリフォームしてしまう。
けっきょく趣味で貸しているようなことになる。
大きなマンションならいざしらず、小さな貸し部屋は管理からなにから自分でやらないといけない。
幸い今まで入ってくれた人たちは大変良い人達ばかり。
気持ちの良い集合住宅で、いろいろな事情でここを出て行く人たちも、とても別れを惜しんでくれる。
桜が咲くと、なつかしくて来ちゃいましたと言って遊びに来る人もいる。

今回はシステムキッチンの交換と壁紙の張替えで、かなりの思い切ったリフォーム。
床も張り替えるし、クローゼットを新しく作ることにした。
おかしいのは業者さんが私の提案をことごとく蹴ること。
これはどうでしょうと言うと「駄目です」即座に拒否される。
なんで自分の家なのに思い通りにならないのか・・・
しかし相手はその道のプロだから、そこは素直に言うことを聞くことにした。
出来上がりがとても楽しみでワクワク。
私は音楽家の他に職業を選択するとしたら、建築もありかなと思っている。
人が集まってくる家は、幸せが何倍にもなる。
次の人が楽しんでくれることを祈ってはいるけれど・・・又貧乏に😿トホホ。



















2017年8月18日金曜日

疲労困憊雨ザアザア


14日昼間、くにたちの会でモーツァルトヴァイオリン・ソナタホ短調を弾いて、そのまま会場から車で追分に向かった。
夕方ヴィオラ奏者のkさんの家に到着。
5匹の猫とKさんと先に到着していたIさんに迎えられて、賑やかな一夜を過ごした。
食事が済むとソファでウトウト。
目が覚めるとKさんが笑っている。
猫達が代わる代わる私の顔に鼻を近付けて、なにか詮索していたようだ。

夜11時頃、練習しようとKさんが言い出した。
こんな夜更けに大丈夫かと訊くと自信たっぷりに大丈夫と言うけれど、家の間が離れていてもこんなに静かなところでは音は遠くまで届く。
住人が良いと言うのだから良いことにして、それから練習をした。
得体の知れない音がすると言って通報されないだろうか?
その日は一日中雨ふり。
結局2時就寝。

次の日も雨。
ゆっくり昼過ぎまで猫達と過ごしたり練習したり。
夕方私の居候先のノンちゃんの家に到着。
Kさんの家には私達と入れ替わりに、コントラバスのHさんと彼女のお嬢さんが泊まることになった。
ノンちゃんたちは人形、織物、油絵の展覧会「三人展」をルオムの森で開催するので準備に忙しい。
初日を明日に控えて搬入のため出かけている。
留守宅に忍び込んで間もなく、三人展のディスプレイを手伝っていた人たちが帰宅して、早速食卓を囲む。

ここの家の主、織物作家のOさん、油絵のFさん、人形作家のノンちゃん、それに有名作家の秘書だったRさんは最近織物を始めたという。
展示会のディスプレーには機動力を発揮。
高いところに登るのも厭わないらしい。
もうお一方は北海道の人で、大きな毛ガニを私たちにごちそうしてくれた。
彼女はブレヒトの戯曲だけを上演する劇団に所属していて、Oさんの織物の先生でもあるという。
家主のOさんの交友履歴の華やかさは、知るにつれて驚異的な広がりを見せる。
Oさんは元雑誌の編集長で名インタビュアーだったことから、たくさんの作家に信頼を寄せられていたらしい。

ニャンニャン言いながら毛カニにむしゃぶりついていると自然に無口になる。

夜もふけてお腹も一杯で、庭伝いにねぐらに戻ってグッスリといきたいところだったけれど、夜中に激しい雨音で目がさめる。
もう何日雨の日が続いているのだろうか。
朝は小降りになったものの、雨はやまない。

次の日11時ころ、ノンちゃんの家に集合した音楽隊。
家主さんは三人展の初日なので、お客様達をお迎えに外出しているのを良いことに、キーキーガーガー早速賑やかに練習が始まった。
この家は天井が高く、とても良い響きがする。
自分の音ですら良い音に聞こえる。
午後4時すぎ、北軽井沢ミュージック・ホールで会場練習をさせてもらうように話が付いていたので出かけた。

その頃には雨が小止みになっていたけれど、ホールの庭に面した方のシャッターを開け放してあるので、ものすごい湿気が中に入ってくる。
楽器はすでに涙目で鼻声。
弦はどんどん下がる。
調弦しようとしても糸巻きが湿気で膨らんで、うまく回らない。
弓の毛はあっという間にペタペタに緩んでしまう。
音を出してみるとそれほどダメージはなさそうだけれど、やはり室内のエアコンの効いた部屋で弾くのとはわけが違う。
練習の間はそれでも雨は止んでくれた。
覚悟はしていたものの、これほど雨が続くとは思わなかったからショックは大きい。
強力な晴れ女を自認する私の自信も揺らいでしまう。
その晩はそれぞれの宿泊所に散っていった。

その夜もザアザア降り。
夜中に雷も鳴ったそうだ。
夜中に目が醒めると、心配で目が冴えてしまう。
それでも途中で、なんとでもなれと開き直って本番当日を迎えた。

本番の日はどんより薄曇り。
会場に着くとすでに客席のセットが終わっていた。
フェスティヴァル実行委員の人たちが暗い顔で、こちらで売り出したチケットは一枚も売れませんでしたという。
すごく申し訳なさそうな態度なので、大丈夫ですよと慰めた。
客席は60席くらいあるけれど、私の読みでは30名は来ると見た。
東京から私の関係者だけで10人ほど、現地の人からの問い合わせが3人。
北軽井沢の住人たちの関係者が10~20人。
私以外のメンバーの友人たちが数人。
いつもなら知人達にお知らせを出すけれど、今回は当日お客様に出すプログラムの作成などで大変忙しかった。
それで雪雀連以外の人には全くお知らせできなかったけれど、初回は高望みしないほうがいいかもしれないと思っていた。
しかし、思いがけず弦楽合奏を指導している人が二人東京から駆けつけてくれたし、その人達が現地でもう一人お客さんをゲット!
機動力あるなあ。

慌ただし前日の練習のダメ押しを終えて、ノンちゃんの家でカレーライスのランチをいただく。
カレーはお隣のOさんの作。
料理の名人のカレーは素晴らしい出来栄えで、皆猫に鰹節状態でおかわりをした。

本番前に続々と車と人が集まり始めて、客席が埋まっていく。
最終的には60数名の入場者があった。
長野原町の町長さんまで見えて、来年もよろしくとのご挨拶。
来年、私はまだヴァイオリンが弾けるだろうか?
もう、すでに崖っぷちなので。
そして雨は降らず薄曇りで時々弱い陽がさす。
やはり私の晴れ女の威力はまだ有効なようで。

演奏は・・・私は楽譜の段違いをやらかして、迷子に。
他の人達が右往左往しているのに澄まして自分は悪くないことをアピール。
このへんが古狸の小ずるさ。
でも、一番前に座っていた人にはバレていたみたい。

それでもアンコールのスコット・ジョプリンのラグタイムメドレーが始まると、最前列でいかにも楽しそうに踊る子がいて、私達もすっかり愉快になった。
演奏は概ね好評だったらしく、おいしいビールが飲めそうな気分。

ホール隣のレストランに雪雀連が集まって打ち上げをした。
ビールは運転するので飲めないので、ノンアルコールのビールで乾杯。
いつもの気の置けない仲間たちとの夜を楽しんだ。

いつも思うのは、演奏会には裏で働いてくれる人たちの存在がどれほど大きいかということ。
今回は現地のホールを存続するために努力しているボランティアがいなければ実現しなかったわけで、宣伝用のパンフレットやチラシの制作、古く設備も整っていない会場ながらきちんと調律されたピアノ、当日の受付の手際良さなど、すっかりお世話になった。
この人々のためにも、演奏の輪が広がっていくことを期待している。
この由緒ありながらボロい(失礼!)ホールが少しずつ良くなって行きますように、音楽家のみなさん、ちからを貸してくだされば幸いです。

大きなキャベツを車に載せて帰宅。
その他白ナス、とうもろこし、トマトなど野菜がおいしい。































2017年8月13日日曜日

森の家へ

まるで自分の家のように自由に使わせてもらっている、北軽井沢の森の中の一軒家。
壁も屋根も木の皮で葺いてあり築10年ほどで色が変わって、すっかり木立に溶け込んでいる。
木の皮は日が経つにつれて湿度のせいで膨らんで、しっかりしてくるらしい。
天然ものは本当に良くできている。
外見は小さなミノムシみたいな家も、中に入るとかなり広くて驚く。
ここの持ち主ノンちゃんの理想の家だから、細部に亘ってこだわりの仕様。
暖炉前のラグにいたるまでノンちゃんの手造り。
古い布を裂いて編み上げたそうで。

明日は国立で開かれる小さなコンサートで、モーツァルトを弾かせてもらう。
11月のコンサートに弾く予定の曲で、とにかく人前で何回も々弾いておくのが一番の勉強になる。
国立音大のオーケストラのOBが集まって毎年愉快な会を開いている。
はじめのうちは冗談で弾いていたのが、最近は皆真面目になってしまった。
人間はなにか追求し始めると、だんだん集中度がまして冗談ではいられなくなるらしい。
終演後は近所の料理やさんの「天政」で宴会があるけれど、私は弾き終わったら即、北軽井沢に向けて出発する予定。
17日の北軽井沢ミュージック・ホールフェスティヴァルに参加する。

北軽井沢の「ルオムの森」というキャンプ場で一昨年・昨年とサロンコンサートを開催したけれど、今回はフェスティヴァルの方で弾くことになった。
公的な催し物なので、プログラムの原稿の間違いとか厳しいチェックをしなければならないので、けっこう大変だった。
いつもはいい加減なことを言って、適当に曲を並べて面白くやっていたのがそうもいかない。
きちんとしないとせっかくスタッフがボランティアで手伝ってくれるのに、不真面目と取られかねない。
もともと私は気まぐれ。
きちきちと決めてしっかりと弾くと言うのは苦手な方なのだ。
興が乗ってきたらすぐに変更してしまう。
時々本番でボウイングを急に換えてみたり、左手の指使いを試してみたり。
会場と自分のコンディションによって、変えることが多い。
それはたいてい失敗の元だけれど、時にはうまくいくこともある。

本番というのは決めたことをそのまま弾くと言うよりは、その時の気分で変えても良いのではと思っている。
そういうのを嫌う人が殆どだけれど、それでも気がついて目が合うと笑って合わせてくれる人もいる。
アンサンブルの上手い人と弾くと、嬉しくなる。

天気予報によると17日は沖縄、北海道を除いて雨。
雨が降ったら最悪なことになる。
ミュージック・ホールは片側のシャッターを開けるとすぐに庭。
全く外にいるのと同じ条件になる。
弦楽器にとってこんなひどいコンディションはない。
たぶん弦が伸び切って音程が定まらず、弓に張ってある馬の尻尾はどんどん緩んでしまうでしょう。
胴体は木だから湿気があると振動せず、音は伸びない。
最悪の事態を考えている。

それでも私は晴れ女。
以前参加した松原湖のコンサートでも強力な晴れ女が二人揃った。
ヴィオラのFUMIKOさんと私。
二人いるから絶対晴れると思っていたけれど、一向に雨がやまない。
諦めていたら、本番の間だけお陽さまが顔を出した。

今回晴れ女は私一人かな?
とにかく鼻詰まりの音で北軽井沢の人たちをがっかりさせたくない。
というより自分がいちばんがっかりする。
東京からも雪雀連が駆けつけてくれる。
なんとか良いお天気でありますように。
期待を込めて明日出発します。
















2017年8月10日木曜日

今年のランナーは?

毎年楽しみにしているのが日テレ24時間テレビ。
見るのがじゃなくて、仕事をするのが。
まず2週間くらい前に、練習用と本番用に使う曲の録音。
スタジオに入ると毎度お馴染みの顔が並ぶ。

一様に皆年を取ってきたのは、この番組が始まって40年という長い年月が過ぎているから。
スタジオミュージシャンといえば皆、中々のカッコイイ連中。
折角良い大学に入ったのに好きが嵩じて道を踏み外し、親を泣かせたに違いない連中なのだ。
バブルの頃はそれはもう仕事が有り余って、毎日お財布がパンパンに膨れるほどの稼ぎ。
良いクルマに乗り、さぞや女性に持てたと思われる。

バブルが弾けて大物歌手たちも経済的に引き締めが始まって、バックに付いているバンドの人数が減り、シンセサイザーとドラム、ギターだけなんてことになり生活は逼迫したはずなのに、相変わらず高いクルマに乗る不思議な人種。
一般社会の職種の人達とは比べ物にならないくらい若くみえる。
見える・・けれど、残酷なことに年月は平等に流れて、若く見えても若くはない。
昨日も颯爽と前を歩いていた人がスタジオの段差でつまずいてよろけたのを見て、あらら、あなたもやはりね。
心の中で同情する。

そう言っている私も、最近笑うことが減った。
以前のシワは笑いじわ、今のシワは加齢しわ。
シワよせなら手を叩こ!叩かないでこまねいている。
昨日はそういうわけでスタジオになんと8時間くらい居た。
殆どの仕事を放り投げたけれど、この番組は懐かしいメンバーが集まるので、嬉しく働かせてもらう。

最初のうちは久々の再会でお喋りが弾む。
久々といってもそれは仕事をやめた私だけ。
他の人達はまだ現役だから普段から一緒に仕事をしている(ようだ)
何曲か録音してだんだんお腹が減ってきて口数が少なくなると、スタジオ内には倦怠感と疲労感が充満してくる。
昔のスタジオは喫煙可だったから、イヤホンボックスのそばに必ず灰皿が置かれていた。
ミュージシャンたちはお構いなしにタバコを吸うので、スタジオ内はモウモウたる煙が充満した。
深夜に及ぶ録音ともなるとロンドンの霧もかくやと思われるほどの状態だった。
今はありがたいことに禁煙だからそんなことはない。
昨日聞いた話。
いつでもサングラスをしている人がいて、その人がロンドン状態になったスタジオで「電気暗くない?」と言ったという話を聞いて笑った。
「別に暗くないよ、っていうかサングラス取ったら」と言われていたとかなんとか。

そろそろ疲れが溜まってお家に帰りたいと思い始めたころ、ある曲を、書いてある楽譜の4度上の調で弾いて欲しいと言われる。
脳も疲れているし目もよく見えない。
それなのに4度上?
例えばドの音が書いてあったらファの音を出さないといけない。
そんなこと無理と思ったら周りはみんな平然と弾いている。
しかたなく私も珍しく文句を言わず弾いた。
もう皆すごいんだから。

こういうことは10年ほど前にやっていた仕事ではしょっちゅうだった。
まだ脳みそも目も良かったし。
声が出にくいから半音下げろの1音下げろのと平然と言ってくる歌手がいた。
毎回必ずというほど言うから、最初から低いキーにしておけばいいのにとお腹のなかで文句を言うけれど顔には出さず、澄ました顔で弾いているけれど頭の中は大混乱。
えーっと、シだからド、ミだからファ、シャープだからナチュラルなんて。
しかし、こういうのはパズルのようで面白い。

さて24時間テレビのマラソンランナーは誰なのかまだ聞いていない。
あんな過酷なことをしたら、その後の後遺症が心配。
誰がくるのか楽しみと心配が半々。
普段鍛錬している人でも百キロは大変だと思うのに、イモトアヤコみたいな華奢な女子が走ったときは本気で心配した。
でも彼女はやってのけた。
こんなことができるものなんですかね。
私は3キロでも無理。



















2017年8月4日金曜日

合理性

車の定期点検をしてもらっている間に、私の担当者と話をしていた。
最近自動運転やハイブリッド車など、車の仕様も様々。
けっこう年をくっている私も、こういう世の中では新しいシステムの車を購入することを検討しないといけなくなってきた。
車がほとんど自分だけの物だったころ・・・整備まで自分でできるような・・・本当に車は面白かった。
もちろん私は整備はできなかったけれど、プラグやオイルの交換、タイヤも自分で換えたこともあった。
オーケストラでホルンを吹いていた人は、休日はいつも自車の整備をやっていた。
ホルンを吹くと「良いご趣味ですね」と言われた。
近所の人は彼は整備士だと思っていたらしい。

今は素人が絶対手を出せないようになっている。
というより整備士もパーツをブロックごとに変えるだけの作業だとか。
だから若い人は自分の力を試すこともできない・・・らしい。

私が免許をとったころ、女性で運転する人は僅か。
まさか明治時代ではないですよ。
もちろん昭和生まれでも女性のドライバーは少なく、まして九州などに行くと「よう走りますなあ」などと言われたものだった。
当時は横浜ナンバー。
「ほう、横浜からですか」と信号待ちで並んだ車から声をかけられたりも。
その時の車は真っ赤なカローラ。
美人とは言い難いが若いからまあまあ可愛子ちゃん。
ハンドル握ってニコニコしていればおじさまたちはいつでも道を譲ってくれたし、白バイに捕まっても許してもらえた良き時代だった。

そのカローラは10万キロは軽く超える走行距離。
最後は左側のドアが取れかけて今にも落ちそうだったくらいボロボロ。
手放すときは泣いた。
今日担当の日産マンが同じようなことを話してくれた。

お子さんが生まれたときに買った車。
そのお嬢さんが大きくなって買い換えるとき、新しい車が届いた。
古い車と並んでいるのを見たとき、お嬢さんが突然ワッと泣き出したという。
それを聞いて、私もカローラが引き取られて行ったときに泣いたのを思い出して、目がうるうるした。

それからイギリスの排気ガス規制の話になった。
イギリスでは2040年から、ガソリン車とディーゼル車の販売を禁止するという。
フランスも同じ。
すべて電気自動車に移行するようだ。
今、日本ではまだ電気自動車用の充電器を見かけるのは少ない。
だから電気だけだと少し不安が残る。
ハイブリッド車はガソリンタンク40リットルの容量で、約800キロ走れるそうなのだ。
走りながら自力でモーターを回して充電するシステムだから燃費は非常に良いけれど、今までのガソリン車とは反対に、高速道路のような一定のスピードで走れる道の方が燃費が悪いという。
どういうこと?

これはフランスのはなし。
ル・マン24時間という有名な自動車レース。
コース内だけでなく一般道を猛スピードで走る。
そのル・マンで一般道に道に充電器を埋め込んで、その上を走ると車が充電できるようにするらしい。
そのための費用は参加者から集める。
車の方にもなにか機器を取り付けないといけない。
レースが終われば一般道だから、普段その道を通る人も充電できるという。
これを聴いてフランス人ってやはり頭良い!と思った。

ところで、イギリス、フランスの規制の記事に対する書き込みにこんなのがあった。
「その場で燃焼するか燃焼してから送電するかってことを考えると、送電ロスが大きいからガソリン車のままのほうがトータル的にクリーンなような気がします」

これを読むとなるほどと思うし、確かな知識のない私はよくわからないけれど、ヨーロッパ人の合理性がこんなところにも垣間見られると思った。

日本の発電は東電などが起こした電気をそのまま送る。
しかしヨーロッパでは蓄電するのが主流だそうで。
蓄電すると放電するロスとかもあるかもしれない。

担当の日産マンは元自動車レーサーだったので、車の話で盛り上がる。
私が「今の車の前に私が乗っていたのはなんでしたっけ」と聞いたら即座に「ローレルでした」と答えた。
本人が忘れているのに、他人が覚えているのは面白くないなあ。

整備工場で私の車のお腹を見せてもらった。
右前の部分に大きなかすり傷。
コインパーキングの段差で宙吊りになった時の傷。
その話は随分前に書いたから、探して見てください。

トランクの真ん中にポールをぶつけて中央が凹んだおかげで、テールランプが少し浮き上がっている。
それらを一々指摘されて、整備士としては全部直したいらしい。
全部却下して帰ってきた。
車はスニーカーと同じ。
エンジン、ブレーキ、タイヤがちゃんとしていれば、かすり傷など目ではない。

日産から歴代スカイラインの載った冊子が送られてきた。
私は初代スカイラインのことはよく覚えている。
まだほんの子供だったのに、新聞に載った写真を見て「なんて素敵な車なんだろう」と感激したのを覚えている。
父親が無類のクルマ好きの似たもの親子。

スカイラインがあまり売れなかったのには理由があった。
当時のレースでは参加車にレース用の特別な仕様をしてはいけないという規制があるにもかかわらず、他の車はこっそりと手を加えたのに対し、スカイラインはそれをしなかったので優勝できなかった。
何回もやっているうちにポルシェが出てきて、結局優勝が出来なかったので売れなくなってしまったと、日産マンの説明。
クソ真面目というか要領が悪いというか、それほど自信があったのかも。
中島飛行機の技術が生かされているとも。

ほう、ほう、それで?
話が尽きないけれど、整備が済んで車の乗り込む。
「シートベルトがね、ちょうど首のところに当たって怖いのよね、急ブレーキや衝突したときにベルトで頸動脈が切れるんじゃないかと思って」
「それではこれでどうでしょう」「あ、これで大丈夫」
シートベルトが上下に調節できるなんて、何年も乗っているのに知らなかった。
今時の車はすごい!というか、知らない私が超アホ。















2017年8月3日木曜日

良き伴侶

新大久保のルーテル教会へ、コンサートを聴きに行った。
新アドニス弦楽四重奏団の20回目の定期演奏会。

     Violin 山中光 長岡秀子  
          Viola 小野 聡  CELLO  平野知種

プログラム
モーツァルト:弦楽四重奏曲 変ホ長調 K.428
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 ニ長調 作品18-3
ヤナーチェック:弦楽四重奏曲第1番 「クロイツェル・ソナタ」

本当に幸せな時を過ごした。
一人ひとりが名手ということもあるけれど、これほど上質な音が出せるというのは長きに亘って一緒に演奏してきたからだと思う。
ヤナーチェックは初めて聴いたけれど、どこが「クロイツェル・ソナタ」かはどうしてもわからなかった。
私はプログラムの曲目解説はまず読まない方だけれど、今回は帰宅してから読んでみた。
トルストイの小説「クロイツトェル・ソナタ」に霊感を受けたというので、はは~ん!
こんな印象だったのか。
その解説が面白いけれど、著作権があるからここに書くことができないのは残念。

会場ではたくさんの知人に出会った。
昔のオーケストラの仲間たち。
特に私が一時オーケストラの仕事を中断して、20年ほどの空白後復活したとき出会ったのがヴァイオリンのMさん。
彼女は優秀なヴァイオリニストであったけれど、親友を失って落ち込んでいる時期だった。
周りはうるさいおばさんばかり。
楽屋でもいつも一人でいたので話しかけてみると、とても頭の良い素敵な人だった。
私たちは並んで弾くことが多かった。

昨日久しぶりに出会ったら「nekotamaさんからは色々教えて頂きました」と言う。
もともと私は人に教えるのが好きではなく、特にオーケストラで一緒に弾く人は先輩後輩の区別なく同等だと思っているから、ほとんど教えようとは思わない。
まして、音楽の世界では若い人ほど上手い。
そんな優秀な人に、私ごときが教えることなどなにもない。
むしろ教わりたいくらいだから一体なんのことを言っているのかと思ったら、私が楽譜に指使いの番号を書かないということだった。

ヴァイオリンの左手の指は、人差し指が1,中指が2,薬指が3,小指が4。
ピアノは親指も使うから指番号は5まである。
楽譜に左手の指番号を書いている人が多いけれど、私は数字が書いてあると邪魔で、音符を塊ごとの絵として捉えていく。

スタジオで仕事をすると、たった一回の練習で本番なんてことはざらにある。
そのときに一々指のことは考えていたら、仕事にならない。
形で捉えてポジションを決めていかないと間に合わない。
スタジオミュージシャン達の初見は異常に早い。
オーケストラでは、大抵は早く楽譜を送ってもらってじっくりと譜読みをしてから練習に臨む。

その譜読みの段階で、難しいところは左手の指使いを考えて書き込んでいく。
そうすると弾けるようになってからも、音符を見ないで数字を見ながら弾くことになる。
弾けるようになったらすぐに消してほしい。
人それぞれ指使いの癖があって、他の人の数字が書き込まれていると一瞬迷うことも多い。
それで私は一緒に弾く人には、指使いを消すようにお願いしている。
十分に練習してあるのだから指使いはもう必要ないと思うので。

初めて私にそう言われたときにMさんはショックだったらしい。
でもその御蔭で譜読みが楽に早くできるようになりましたと言う。
人それぞれで、ある人の楽譜を見たらびっしりとニュアンスまで書き込んであって、色分けされていたのにはびっくり。
私が師事したある先生は書き込もうとすると「今ここで覚えなさい」と言って書き込ませてもらえなかった。
そんなことが人の役に立っていたのかと、唖然とした。
これはたんなる私の癖なのに。
役に立ったのではなく、彼女が役に立たせたのだと思った。
優秀な人はそうやって周りから吸収していくのだと感心した。

ファーストヴァイオリンの山中さんは、私がMさんと一緒に弾いていた時のコンサートマスターだった。
弓の元から先まで、一瞬たりとも気を抜かない素晴らしい演奏を、いつも二人で楽しみにしていた。
セカンドヴァイオリンの長岡さんは彼の奥様。
彼女と一緒に弾く時の山中さんは、普段よりもずっと生き生きしているように思える。
表情も明るい。
人生でも音楽上でも良き伴侶に巡り合って、この幸せ者が!この、この!