2015年1月31日土曜日

譜めくり

昨夜遅く、仕事から帰るのを待ち受けていたように、ロンドンアンサンブルのピアニスト美智子さんから電話がかかってきた。
彼女は彼女のお兄様のリサイタルの伴奏をするためにまだ日本に残っていて、今日がその当日。
ところが昨夜になって本番の譜めくりをしてくれる人が高熱を出してしまったそうで、急遽替りの人を探していた。
演し物はシューベルト「冬の旅」独唱は松村高夫氏。

美智子さんの兄上の松村高夫氏は現在慶應義塾大学の名誉教授で、専攻はイギリス社会史および日本支配下の植民地社会史。
美智子さんが幼少の頃、このお兄様に影響されて音楽の道に進むことになったというのが、私と音楽の関わりに似ている。
私の兄も電子工学が専攻だったが、子供の頃、兄がヴァイオリンを弾いていたことに影響されて、私がいまだに下手くそなヴァイオリンを弾いて居るという悲惨な状況でいるわけで。

それはさておいて、高夫さんは四年前からシューマン、ヴォルフなどの曲をリサイタルで歌ってきた。
そして今年は究極のリート「冬の旅」
長くて暗くて、絶望のどん底にも時々僅かな希望を持ちながら、人生を旅する若者の心を歌った名曲だが、長くて内容の深さもあって、これを歌うのはおそろしく難しい。
私は子供の頃からドイツリートが好きな変わり者だったから、
毎日の様に聞いたのはフィッシャー・ディスカウのレコードだった。
伴奏はジェラルド・ムーア。
この伴奏も大好きだった。

美智子さんの用件は、私に譜めくりのピンチヒッターをお願いできないかという問い合わせだった。
時間は空いているけれど、心配なのは目が悪くなっていること。
手の表面の水分がひからびてきているので、紙をめくるのに苦労すること。
譜めくりは連続している演奏の間に素早くしなければならないから、少しでももたつくと演奏に差し障る。
最大の難関はチビだから、楽譜に手が届くかどうか。
「だから三重苦なのよ」と言ったら高夫さんは「ヘレン・ケラーですなあ」と言ったので笑った。
譜読みの早さは昔取った杵柄。
スコアリーディングも得意な方だから、ヴァイオリンを弾くよりはましかもしれない。
それで三重苦にも拘わらず、お引き受けすることにした。
何と言っても「冬の旅」では断れない。

高夫さんはひどい風邪をひいてやっと治ったばかりなので、まだ喉は本調子ではないという。
リハーサルは私の譜めくりのためにやったようなもので、美智子さんから細かい注文が出る。
ここはこの音が終ってからめくってとか、ここは早めにめくらないと次のページが大変だからとか。
譜めくりと一口に言うけれど、音楽に合わせてめくらないと、弾くほうはとても困る。
次のページが難しいから早くめくらないといけないのに、ゆっくりとめくられるとタイイングが悪くて音が出せない場合も多い。

オーケストラで弦楽器は、2人一組で同じ楽譜を見る。
客席から遠い方に座っている人が譜めくりの係となる。
譜めくりをしない人のほうが上位なので、めくるのは入団したての新人であったりすると、タイミングが悪くて弾けなくなることもある。
非常に大切な役割なのだ。

大事な楽譜用眼鏡と濡れたハンカチ、それに九㎝のハイヒール。
これでなんとか三重苦が回避できればいいのだが。
リハーサルが終り緊張して本番を迎えた。
濡れたハンカチはスーパーマーケットでレジ袋を開くときに使う濡れたスポンジの代わり。
めくる前に指をぬらして紙をキャッチする。

一曲目「お休み」が始まった。
風邪の後で喉の調子が悪にもかかわらず、松村氏の第一声は、音程も決まり見事だった。
一曲目はほぼ完璧。
アマチュアではあるけれど、言葉の明確さ、ニュアンスのすばらしさはそんじょそこらのプロの歌い手を越えていた。
これは美智子さんの夫である、フルーティストのリチャードの特訓のたまものでもあるらしい。
後半はややお疲れで音程が下がったけれど、言葉を伝えようとする気持ちがひしひしと感じられた。
それに見事なのは妹の美智子さん。
彼女は勿論、ロンドンでピアニストとして活躍しているから、当然ではあるけれど。
ところがリートの伴奏は特別で、ピアニストの力量を問うのには最適といえる。
今日の伴奏を聴いて、ほとほと感心した。うまい!

そして三重苦にもかかわらず、譜めくりもなんとかやってのけた。
でも疲れた。
帰宅して白ワインをちびちびと飲みながら、気がついたら居眠りしてた。
ヴァイオリニストとしては売れなくなってきているから、フメクリストとして今後の人生を暮らしていこうかと・・・だめかしらねえ。

終った時に早すぎる拍手があって、私の以前の投稿「樫本大進」の最後の部分のようなことがあって、ほんとうにがっかりした。早トチリの拍手はそろそろやめて下さいね。





































2015年1月27日火曜日

水もしたたる

お風呂で体洗った後に使ったバスタオルはどうする?
そう訊かれたから、1回使ったらすぐに洗濯機に入れると答えたら、皆から一斉攻撃を受けた。
えー!異常に潔癖症。
一寸待って、潔癖という言葉は私にはほど遠いものだと思っていたから、びっくりした。
家の中は目も当てられないくらい散らかっている。

それじゃあ、掃除機は毎日かける?
うん、ほとんど毎日かける。でもそれは自分のためではなくて、猫の中の1匹がダストアレルギーだから。

すると又、えー!それも潔癖すぎる。

潔癖と言われたのは、ほぼ生まれて初めて。

頭は毎日シャンプーするの?
夏は毎日、時には一日2回、冬は1日おき。
そう答えると、洗いすぎと宣う。
お風呂は毎日、石鹸は使わずお湯に浸かるだけだけど、湯船に入る。
それは酷いとの皆の意見。
うーん、そうかなあ、自分できれい好きなんて思ったこともないし、実際部屋はゴミの山。
だからといって、皆の家はうちより汚いなんてあり得ないと思う。

最近余りにも日本人が清潔を好むので、弊害やアレルギーが起きていると聞く。
テレビコマーシャルで、家に入ったとたんスプレーで消毒されているのを見ると、これは変だと思っていた。
他人の家で鼻をクンクンいわせて匂いを嗅いだり、洗剤の香りの高さを強調したり・・・すごく下品に感じる。

香りは呼吸している限り、入ってきてしまう。
避けることの出来ない刺激は、ある人にとっては良くても、それを苦痛と思うひともいる。
だからやたらに香りをまき散らすのは、どんなものか。

私は潔癖症とはお世辞にも言えないけれど、人並以上に汗かきなのでどうしても着替える回数が多くなる。
1度着た服は脱ぐとすでに、汗でしっとりしている。
そうしたらもう、2度と着たいとは思わないでしょう。
今日もこの冬の最中なのに、外出から帰ったらシャツは汗びっしょり。
スカートとコート以外の物は帰宅すると即、洗濯機へ放り込む。
水も滴るいい女とは私のことよ。

中には、汗がかけなくて苦しんでいる人もいる。
友人の1人が、夏は地獄だと言っていた。
熱が体内にこもってしまうので、ひどく苦しいらしい。
それも気の毒だけれど、私の様に汗っかきは、例えば綿ローンや薄手の絹のような上等な薄物を着る事が出来ない。
あっという間に背中は汗がしみて、皮膚に張り付いてくる。
外からは色が変わって見える。
夏に着るシャツの材質も色も、限られてしまうのだ。
特に背中がラジエーターの役目をしているらしく、他と比べて汗の量が多い。
大寒だというのに汗をかいているのは、地球温暖化のせい?
それとも私が変なのかしら?














2015年1月26日月曜日

澁谷を徘徊

今日も又、恒例になった松本のコンサートで一緒に弾いた仲間達の飲み会があって、あってというか、幹事は私なんですが。
コンサートミストレスの北川さんを囲んでの飲み会。
北川さんは現役バリバリで、精力的にリサイタルを開いている。
なんたって、お姉さんの名ピアニスト北川暁子さんがついているから、難しいソナタも思うがまま。
羨ましい。

今日澁谷の居酒屋に集まったのは、(元)美女たち5人。
仕事に追われた若い頃と比べ、大分楽になってきて、集まる日程を決めるのも簡単になった。
以前なら、5人のスケジュールを合わせるのは大事だったけれど、この頃は、この日はどう?と言うと、はーい、と嬉しそうに返事が返ってきて、ずいぶん楽になった。

私の様に子供がいないので好き勝手してるのもいれば、後妻に入って苦労した人もいる。
病気もそれぞれ大病を体験し、手術や放射線治療などを乗り越えてきているのに、おそろしく皆元気。
ビックリするほど、肝っ魂が座っている。
たいそうな病気でもいたずらに恐れないから、治りも早い。
ある年、一人のメンバーが連絡が取れず心配していたら、ガンの治療をしていたという。
ケロッとして元気な姿を見せたら、長かった髪の毛がすっきりと短くなり、痩せて前より綺麗になっていた。
かなり悪性のガンだったのに、治療の時に余りにも動じなかったので、医療関係の方ですか?と医師から訊かれたそうだ。
今は病気の気配も見せない。

賑やかに飲みかつ食べ、健啖家揃いなので次々と料理は消えて無くなる。
なにが良いかと言うと、時間がきちんとしている。
酔っぱらっても時間が分かっていて、スッキリとお開きとなる。
集合するときも必ず定時に集まる。
この辺はオーケストラで培われた。
オーケストラでは遅刻は猛烈に恥ずべきことで、めったに遅刻する人はいない。
あれだけの大人数が揃わなければ音が出せない。
だから皆必死で雨が降ろうが雷が鳴ろうが、電車のストライキの時だって、ちゃんと集まる。
とにかく現場にいないと仕事にならないから、それはもう神経質になる。

何年か前に関東地方に大雪が降った時のこと。
うちは川崎市なんですが、その日ゴミ収集車が来なかったことがあった。
烏が思うままにゴミをついばみ、白い雪の上にミカンの皮などが散らばり、悲惨な状態になった。
お役人達は雪の日に滑ると危ないから、危険なことは回避しようという魂胆だったのか。
民間の業者なら、どんなことをしても収集しにくるものを、役所仕事とはこのことだとあきれかえった。
たぶん苦情が殺到したとみえて、その後はそんなことはなくなったけれど。
なんの保証も無くフリーで仕事をしている私たちのような立場から見ると、安泰な雇用の上に胡座をかいていられる公務員は、もっとしっかり仕事をしてもらいたい。

おや、今日は悪酔いしているのかしら?
なんだか愚痴っぽくなってしまった。
せっかく楽しく飲んできたのに。
うーん、ゴミのことなんか思い出した私が悪い。


















2015年1月25日日曜日

生野祥雲齋

テレビの「なんでも鑑定団」を見ていたら、竹細工の出品があった。
華道の先生をしていた出品者の父親が、お金に困っていた竹細工士にお金を貸してあげたところ、その感謝の気持ちで自作の竹細工の籠をを持ってきたという説明があった。
その制作者はその後とても有名になって、人間国宝になった。
名前は生野祥雲齋。

もらったというその籠は見事な細工で、他の作品の紹介もあったけれど、思わず鳥肌がたった。
こんなに繊細で美しい細工が竹で出来るなんて、思いも寄らなかった。
実物を見たいと思った。

竹をあのように美しく細工しようと思うのは、日本人だけかも知れない。
初めての受賞作品は、余りにも細工が見事で竹を殺してしまっていると、批評されたらしい。
その後修行を積んで、竹を生かした作品を造り続け、晩年の作品は、竹には殆ど手を加えず、色も塗らず、そのままの姿で花入れが作られていた。
その花器の切り口が、えも言われぬ美しさ。
竹の命を人間の手で殺してしまうことに罪を感じ、それにも拘わらず竹の命を昇華させて、芸術作品にする。
こんな素晴らしい細工を今初めて知って、ほんとうに感動した。

たった1本の竹の筒。
それで、これほどの作品が出来るとは思わなかった。
天賦の才能と血のにじむような努力が見える。
竹は命を全うしたと言える。

晩年の作品の簡素な美しさを見た時、アイザックスターンのことを急に思い出した。
おそらく日本に来た最後だったかと思うけれど、ピアノトリオでのコンサートだった。
かつての艶っぽいヴァイオリニストが、すっかり好々爺然として静かに座っていた。
その演奏は全ての飾りを取り払って、とてもシンプルになっていたけれど、共演の若いチェリストヨーヨー・マを遙かに超えた存在となって心を打たれた。
大きな大きなもの凄い存在感。














2015年1月23日金曜日

虚脱状態

張り切って「寝床コンサート」を終ったら、虚脱状態になった。
刺激が強すぎたか。
ストラビンスキー「兵士」は、変拍子が面白かった。
次々に拍子が変わるので、油断も隙もない。
網の目のように組み合わさっているリズムと不協和音の楽譜を繙いていくと、きちんと形が見えてくる面白さはパズルを解くようで、頭の体操としては楽しく、しかもかなりハードだった。
不協和音の中から旋律が浮かび上がってくると「おや、そんなところに隠れていらっしゃいましたか。早く出ていらっしゃい」と言いたくなるが、フィンガリングが複雑で中々上手く弾けない。
不協和音の中から、旋律線を出すのに苦労した。
こういうの好きだなあ。

現代音楽は古典に比べて様々な試みがされているけれど、ベートーヴェンや特にバッハ、モーツァルトなどは中々越えられない。
人の心の中には、様式美にとらわれる感情が強いからかもしれない。
でも古典だって当時は現代音楽。
私の好きなエマニュエル・バッハは、今でも素晴らしく斬新さを感じる。
当時の人々が、熱狂したというのも頷ける。
大バッハよりも人気があったらしい。

慣れ親しんだ秩序から脱却するのは、けっこう難しい。
変拍子は、絶えず反射神経を研ぎ澄ませておかないと、間違える。
うっかりすると、あっと言う間に落ちる。
1度落ちると這い上がるのが難しい。
ストラビンスキーを弾いている間は、雀を捕らえようとして緊張している猫的状態だった。

ストラビン・・・・スキー
スキーも同じで、斜面の状況、雪質が刻一刻変わる。
気温や風の向きや、様々な気象条件で、あっという間に変化するゲレンデの状態が面白い。
私はやはり、常に変化しているものが好きなようだ。
易しそうなゲレンデであっても、雪の下に氷が隠れていたり、コブが突然現れたり、状況に依って滑り方を変える。
そういう面白さ、それとスピード感。
音楽との共通点は沢山ある。
自分の好きなものをむりやり結びつけて、これにてお開き。

















2015年1月20日火曜日

講習会

講習会というと音楽の?と思われるかもしれない。
今日は自動車の講習会。
実は私は尻尾が9本もある猫だから、この講習を受けないと免許の書き換えが出来ないのですよ。
何歳とか深く追求しないでね。

自動車学校に行ってみたら、周りはじいさんばっかり。
ま、それはしょうがないけれど、自分も婆さんであることを思い知らされた。
ちょっと緊張する。
不適性の診断下されたらどうしよう。

最初に説明が行われて、1番目の検査はPCゲームだった。
進行方向に信号があって、青の点灯ではアクセルをゆるめず、そのまま進む。
黄色でアクセルを離し、すぐアクセルを踏む。
赤ならアクセルを離しブレーキを踏んで、すぐにアクセルを踏む。
次は左右の矢印が出たら、その方向にハンドルを切る。
時々停まれの赤い三角の標識が出たら、アクセルを離し、又すぐアクセルを踏む。
これは家でもユーロトラックなどのゲームをしていたから、お手のもの。

その後は視力と動体視力と視野の検査。
眼科で使うような器械を使う。

それが終ると、自動車学校内のコースを使っての実車テスト。
3人一組で1台の車を交代で運転、教官が助手席で診断する。
これがけっこう緊張して、免許を取った何十年も前のことを思い出した。
方向転換の場面で教官が「大丈夫ですね」と言うから「大丈夫です」と答えた時に、私の口調がずいぶん偉そうだったな、などと反省しながら無事終了。

結果は同世代では優れているけれど、一時停止の位置が少し前に出すぎると指摘された。
私が免許を取得した頃は、どの車にも三角窓がついていた。
若い人達は、この三角窓を見たことがないかもしれない。
今、まだこの窓がある車はあるのかしら。
たぶん皆無だと思うけれど。
その三角窓のセンターピラーのところに目視で白線を合わせると、丁度停止線で停まると教わった。
今日もその感じで停めたのだが・・・空間認識が甘くなっているかも知れない。

私の順番が一番初めだったので、様子が分からずやたらに丁寧に運転したら、反応は非常に早いが、時々慎重になりすぎて遅れることがあると指摘された。
畜生!(あらま、ごめんあそばせ)
この次には上手く出来るさ。

講習の終わりに教官が「では、又お目にかかりましょう」と言うと「そのころ俺はもう死んでるよ」という人がいた。
そういうことを言うから、年寄りは嫌がられるのだ。
たいてい言うのは、じいさん。
婆さん達は自分が死ぬなんて思いもしない。
これが男女の幸福度の違いにつながるのだ。

でも最近それは、よく考える。
世の中には可哀相な犬や猫が沢山いて、救いの手を待っている。
ネットなどで見て、私がもう少し若かったら飼ってあげられるのに、今からではその子達を最後まで見てあげられないかもしれないと思うと、飼う事が出来ない。
今まで何十匹となく捨て猫を保護したから、もう神様もこのへんで許して下さると思う。
それで、たまさぶろうが最後の猫になるかな?

猫が居なくなったら私は糸の切れた凧になって、世界中を旅して回ろうと思っている。



































2015年1月19日月曜日

やっと寝床コンサート

去年から切磋琢磨の「兵士の物語」
切磋琢磨してもどうしても完璧にはいかないけれど、とにかく人前で弾いてしまおうというので実現した「寝床コンサート
「雪雀連」メンバー並びに出演者の知り合い、元生徒などが集まった。

我が家のレッスン室が意外と広いことを発見した。
イスが25脚、並べてもまだ余裕があるということは、食べ物の乗ったテーブルがなければ30人はいけるということなのだ。
もっと荷物を片づければ後5人くらいはなんとかなる。
「寝床コンサート」をこれからも出来るかも知れない。
落語家を招いて家庭寄席なんかもいいかもね。
これはギャラが発生するから、会費を頂かないとだめかもしれないが。

今日のは無料。
お土産はありませんが、一献さしあげるので、我慢して聴いて頂く。
演奏はまあまあ、上手くいったと思う。
怪我をした指も、本番に合わせたかのように、痛みが消えた。
やはり人前で弾くのはとても良いことで、練習だけダラダラやっていたときとは全く違う。
大きなホールで弾くのと、我が家での演奏とではリラックス度が違っても本番は本番。
いざとなるとちゃんとまとまるものだと、自画自賛。
弾いていてとても楽しかった。

もっと楽しかったのは、終ってから。
「雪雀連」の名物男の青ちゃんとクラリネットのUさんが、初対面なのに意気投合、落語談義がはじまった。
2人ともやたら落語に詳しい。
ちょっと席を外していたら、いつの間にか2人で5代目古今亭今輔の話をしているので、おや?と思った。
私の印象では、U先生は超まじめな堅物だったのだが・・・
おやまあ、落語好きが集まってしまったか。

私は子供の頃から落語が好きで、今でも「孝行糖」の口上をすっかり覚えている。
志ん生の「火焔太鼓」なんかは、何回聴いても飽きない。

落語も真打ちと若手では雲泥の差がある。
それは「間」
若手の噺は、とにかく先に進んでしまって、聞き手が笑おうと思うタイミングが保てない。
志ん生などは、えーと言ったきり、話し出さないのでどっとくる。
そこの計算が実に上手い。
そして笑いをとってから「まだな~んにも言っちゃあいませんが」と、ここで又どっと湧く。
もう笑いのツボをおさえているから、そこからはなにを話しても面白い。
若手はその「間」をとることができない。
とにかく噺を進めようとして空回りしているのを見ると、可哀相になる。
客が笑う前に先にいってしまうから、どんどんつまらなくなって自滅。
演奏もそれは一緒で、フレーズ毎にきちんと終ってから先に行かないと、ただただ「早くてお上手」で終ってしまう演奏が実に多い。
特に学校出たての若者は指は良く回る、しかし聴いていて面白く無いのは、フレーズが立体的に浮き出してこないから。
ひとつの箇所が納得できてから次の段階に進まないと、ほんとうに音楽がつまらなくなる。
私自身、若い頃は早く弾きたくて、勢いに任せてかっ飛ばしていたものだった。
最近は、客席に向かって話しかけるように弾こうと思っている。
そうすると、たしかに手応えが違う。
客席から肯定のオーラが出て来ると、弾いていて楽しい。

今日の「兵士」も変拍子の連続だったのに、少しもそんな風に聞こえなかったと、お褒めの言葉?を頂いた。
練習を積んだので、お互いに良く分かって、危険な箇所もあったけれど、慌てることはなかった。
練習に沢山付き合って頂いた、お2人に感謝!
室内楽って、こう言っちゃあなんだけど、聴いているより弾いている方が何倍も楽しい。
浄瑠璃を語りたがる大家さんの気持ちが、良くわかる。





















2015年1月17日土曜日

すったもんだ

明日18日午後2時、nekotama家でストラビンスキー「兵士の物語」が漸く日の目を見ます。

去年、音楽教室の新年会で、ピアノのkさん、クラリネットのUさんと何かアンサンブルをしようと盛り上がり「兵士の物語」が浮上、その後練習を始めてみたものの中々本番に載せる機会がなく、いたずらに練習のみ1年が経ってしまった。
その間ずっと練習していたわけではなく、時々思い出したように集まったが、なんだか意気が上がらない。
しばらくブランクが続いたけれど、このままいつまでも練習のみの状態では締まらないことこの上ないから、どんな機会でも良いから本番に持ち込もうというので、狭いけれど我が家のレッスン室を提供しようと言うことになった。

名付けて「寝床コンサート」
落語の「寝床」・・・大家が店子に無理矢理、浄瑠璃をきかせる・・・をもじって。
私にはわんさと遊び友達がいる。
スキーの仲間の「雪雀連」
その連中に来てもらって、20分ほど耳を塞いでいれば悪夢は過ぎ去るし、その後一献差し上げるからと脅迫。

この曲、全編通して変拍子と不協和音の連続。
曲の内容は
休暇でふるさとに帰る兵士が、途中で出会った老人にだまされて、金儲けの方法を書いた本と自分のヴァイオリンを交換する。
この老人は悪魔が化けた者だった。
老人の家に招待されて三日間泊まるのだが、それは実は3年だった。
ようやく故郷に帰ると、婚約者はすでに他の男と結婚していた。
兵士は「金のなる」本を元に商売で成功をおさめ、金持ちになるが心は満たされない。
女商人を装った悪魔が現れ、ヴァイオリンを売りつける。
兵士は旅に出る。
噂で王女が病に伏せっていて、その病気を治した者は王女と結婚できるという。
城に軍医を騙って入り込み、王女の前でヴァイオリンを弾く。
王女は目覚めて踊り出す。
悪魔が初めて悪魔の姿で現れ、2人の周りを踊り狂う。
悪魔は、国境を越えれば2人は破滅すると脅す。
構わず王女を連れて兵士は国境を越えて、悪魔の手に落ちる。

ロシアの民話を元にしている。

この曲本来は七重奏曲。
打楽器のスネア、トランペットなどの金管、クラリネットなどの木管、ヴァイオリンなど。
面白いのは、弦楽器、木管楽器、金管楽器それぞれの高音と低音の楽器を用いていること。
ヴァイオリン、コントラバスと言う様に。

私たちが弾くのはピアノ、クラリネット、ヴァイオリンのトリオの編成になっている。
長さも七重奏の半分くらい。

最後の追い込みの練習が昨日のはずだった。
ところが開始寸前、クラリネットのUさんからメールが入った。
実家のお父様が倒れて、群馬まで帰るとのこと。
ピアノのkさんと2人、呆然となった。

本番に向けて気分が上り坂だったので、急にそれを遮られると行き場を失ったパワーが反対側に回り込んでくる。
気が抜けたようになって、2人でお茶を飲んでお終いになった。
珍しく私も無口になり、他の曲を弾こうかと話し合っても、いつもの勢いが戻らない。
楽譜は明日のために段ボールに詰め込んで、急になにがどこにあるかはわからない。
なにを弾こうかも頭にあがらない。
困った。
いっそのこと、音楽無しの宴会にしてしまおうか。

その後Uさんから再びメールが届いた。
お父様は小康状態となってお家に戻ったそうで、明日の本番は決行となった。
丁度指の怪我もあって、これは演奏して生き恥を晒すなという啓示かとも思ったけれど、演奏のお許しが出たようだ。

指もあと一日あればたぶん大丈夫。

雪雀連メンバーのみにお知らせしたけれど、聴きたいと思われる方はご連絡下さい。
部屋が狭いので、あまり多人数だと入りきれなくなる可能性もあり、イスも足りないかもしれないけど、なんとかなるでしょう。






















2015年1月16日金曜日

ケアリーヴ

製薬会社の回し者じゃないけれど。

昨日怪我をしたのは左手人差し指の先端。
ヴァイオリンの指番号で言うと、1の指。
最も多く使う指だと思うので、さすがの私も少し心配して、日曜日のミニコンサートは演奏無しの宴会だけになってしまうかもと思った。

これは致命的な怪我だけど、幸いなことに指の突端でなく中心から僅かにずれていた。
それでもかなりの出血と痛みがあって、怪我した直後にバンドエイドを巻いて弾いてみたら、あっという間に二重に巻いた絆創膏の外まで真っ赤になった。
ただ、あと間が二日あるからなんとかなるさと、呑気に構えていたけれど、夜になっても痛い。
コンサートから帰ったら知人から電話があって、ケアリーヴという絆創膏があるから試してみたらと言うので、今朝早速薬局に飛んで行った。
この絆創膏は指の先端用というのがある。
薬剤師に怪我を見せて、ここに貼るんですけどと言ったら、それを出してくれた。

粘着部がTの字になっていて、怪我した指を上からくるっと巻けるようになっている。
貼ってみたら、すこぶる具合が良い。
貼ったままヴァイオリンを弾いてみた。
痛みもなく1の指が押さえられる。
ただ音は雑音が入って良くはないが、曲がストラビンスキーの「兵士の物語」だから、そんなものだと思ってもらえばいい。
テープの巻き方によって、少しは雑音が入らないように工夫ができそう。
あと丸二日あるので、その頃には怪我も治ると思いたいけれど、かなりの深手だったので新しい表皮が生えてくるのは望めない。
当日ほんとうは絆創膏無しで弾きたいところだけれど、どうしてもダメなら貼ったままで弾くかも知れない。

なんだか最近怪我が多い。
これも加齢による?
子供の頃はしょっちゅう怪我をしていた。
今のように良い薬や絆創膏も無い時代だったし、親が子供の怪我などに無関心だったから、消毒もろくにしない。
私も怪我は自然に治るまで、我慢しないとけないと思っていた。
今の子供だったら、すぐに病院に行くくらいの結構な怪我でも、自分でじっと我慢していた。
親はあまりに忙しすぎて、6人兄弟の末っ子の怪我なんかには気がつかなかったと思う。
泣きもせず訴えもせず、化膿していく怪我の状態をじっと観察して、考えたら変な子供だった。
今回のように怪我をしてもあまり動揺しないのは、その頃の我慢の体験があるから。
思えばいつも些細な事で切れまくっているのに、変なところで我慢強い。
肉体的なダメージには強いけれど、精神的な打撃には弱い。
心も体のようにタフだといいのに。













2015年1月15日木曜日

樫本大進コンサート

今日は1日オフ、頭のてっぺんの白髪が目立つので美容院に予約を入れた。
明日の樫本大進のコンサートの前に行くか、今日にしようか迷ったけれど、後の時間を気にせずにゆっくり出来るから今日の内にと思って出かけた。
美容院の前のパン屋さんで買い物をして、家に帰る電車の中で携帯を見たら友人から「今日はコンサートの前に食事する?」とメールが入っていた。
ん、今日?
コンサートは明日でしょうが。
だって今日は14日じゃないの。
午後から、日曜日のコンサートの練習をするつもりだし。

家に帰ってカレンダーを見たら、見事に間違えていた。
今日は15日だ、ひえ~。
動揺して、買ってきた堅いフランスパンを切っていたら、左手の人差し指まで一緒にカットしてしまった。
血が出るし痛いし、練習は取りやめ。

どうして1日飛んでしまったのだろうか。
どうしても納得いかない。
この日はこれをしたでしょう?
次の日はあれをどうして・・・火曜日には、えーと。
なんて考えていたらやっと空白の1日を発見。
メールもらって良かった。
そうでなかったら、聞き逃すところだった。
いよいよ私も怪しくなってきた。

ヴァイオリン 樫本大進
ピアノ    エリック・ル・サージュ

フォーレ「ソナタ」
プーランク「ソナタ」
フォーレ「ロマンス」
フランク「ソナタ」      サントリーホール

フランスものばかりのプロで、ピアニストはフランス人。
昨日テレビニュースで言っていた、京都の交通標識に悪戯をしたアーティストもフランス人。
彼の名はクレ・アブラーム。
アナウンサーがその名前に氏を付けるものだから、アブラーム氏。
さんと言えばいいのに。
それとも著名な芸術家なのかしら。
油虫油虫って、なにを言っているのかと思った。

戯言を言っていると大進さんに悪いからこのへんで。

そう言えば私はまだプーランクの「ソナタ」を弾いた事がない。
楽譜は何年も前からピアノの上で待機中。
上から他の楽譜に押し潰されて、さぞ苦しいことだろう。
そろそろ練習してあげないといけない。

さて演奏はピアニッシモで始まった。
ピアノのメロディーが微かに聞こえ初め、そこにヴァイオリンが郷愁を感じさせる美しい旋律で絡んでくる。
もうそこから、別世界が始まった。
まだ若い頃の樫本さんの演奏を初めて聴いた時、なんてスケールが大きいのかと感心したけれど、ただ大きいだけでなく、繊細きわまるガラス細工のような面も、今回堪能した。
サントリーホールの上手側のサイド席。
ちょうど正面に演奏者の顔が見える位置だったので、右手の動きや表情も見えて楽しかった。
ヴァイオリンもピアノも、蕩けるような美しい音色。
ピアニシモになると会場中が息を潜めて、まるで深海の底に居るような深みに降りていく。
曲が終って静まりかえる瞬間が好き。
その後で拍手がわき起こる。

かつての日本の聴衆は拍手が下手で、演奏が終った途端知ったかぶりの拍手をする輩がいた。
シーンと静まりかえって余韻を楽しんでいるときに、タイミング悪い拍手をされると、殺意を覚えたものだった。
最近はそういうマナーの悪い人は居なくなって、ほんとうに嬉しい。
もう20年くらい、あるいはもっと前だけど、ペーター・シュライヤーの「冬の旅」を聴いた時、絶望の淵に沈む悲しい旅人の歌が終らないうちに「ブラボー」が出たことがあって、しかもそれが終わりから2番めの曲で、早とちりのその赤っ恥男が傍に居たら、頭から水をかけてやりたいと思った。
そのお陰で、コンサートの思い出はめちゃくちゃ。
今でも思い出すと腹が立つ。

今日は皇后美智子様もご来臨された。
ため息が出るほど美しい方だった。


























2015年1月13日火曜日

ピーカン

「スキーはどうでした?」と訊かれて「もう、最高!低気圧が来てるというから吹雪を覚悟していたのにピーカンで」
「そのピーカンという言葉の語源知ってますか?」
これは今朝の知人との会話。

日本語俗語辞書にはこう書いてあった。

ピーカンとは快晴のことで、もともと映画業界が撮影時に使っていた言葉である。ピーカンの語源は快晴の空がタバコのピース缶の色に似ていたという説、快晴の日はカメラのピント合わせが多少曖昧でも完全に合うことから『ントが全』を略したとする説、単純に太陽の光が「ピーンと届いてカンカン照り」を略したという説など様々だが正確なことはわかっていない。

知人曰く

ピーカンとはピンカートンのこと。
オペラ「蝶々夫人」のピンカートンから派生。
そう言えばアリアに「ある晴れた日に」があったっけ。

Wikipediaには



ほう、これは面白い。
いつもスキー場で何気なく使っている言葉。
わあ、今日はピーカンだ。
日焼けしないようにしなくちゃ。なんて。

語源はともかく、最初に使った人がなにを考えたのか、それがどんな風に伝播していったかを考えるのも面白い。
今、テレビなどの影響で業界用語が一般の人にも使われているけれど、私はあまり好きではない。
こう言う言葉は現場での隠語としてあるべきで、表に出てしまうと急に安っぽくなる。
隠語はその世界でひっそりとしているから面白いのであって、お日様に晒すものではないと思っている。

オーケストラに入った時、急にそういう言葉を覚えて面白がって使ったりしたけれど、やはり現場でのやりとりのためだけに使うから粋なのであって、生半可に使われたら野暮ったくなる。
いまどき、寿司やで「むらさき」なんて言う人はいないけれど、少し前まではよく聞いた。
「むらさき」「あがり」なんて言う言葉は今聞いたら知ったかぶりがあ、なんてバカにされそうな気がする。
普通に「おしょうゆ」「おちゃ」と言ったほうが良いと思うけど、いかがでしょうか。

それでもかなり一般に定着して、例えば囲碁の世界での「一目置く」とか「布石」とかはもうすっかり普通に使われている。
言葉は生き物。
(読み返してみて、これは隠語とは言わないかと思った。こういうのはなんていうのかしら)

ところで、このページ。
コピーした部分の文字が大きいのはわかるけど、私が入力した字も途中まで大きくて、その先はいつもの文字になっているのが不思議。
しかも灰色の陰までついていて。













2015年1月12日月曜日

好きなようにお弾き!

生徒が発表会で弾いたグラズノフ「ヴァイオリン協奏曲」
聞いている内に、私がこの曲を学内試験で弾いた時のことを思い出した。
たしか大学3年生の時のこと。

なぜこの曲を選んだのかは良く覚えていない。
たぶん先生の選択だったと思うけれど、当時の私はまだ、こんな濃い曲を弾く迄にはなっていなかったのだと思う。
心が成熟していなかったし、技術も未熟だったしで、冒頭の部分をどう表現して良いのかが分からない。

当時使っていた楽器はフレンチのミルモン。
音は非常に出しやすくて良い楽器ではあったけれど、やや音色の幅がない。
イタリアンに比べると物足りない。
とても品のある良い音色だが、強さや鋭さが欠けていた。
しかも演奏する側が未熟で、いわゆる綺麗な音しか出せない。
音は綺麗だけど・・・・うーん、と言われるのが常。
ロシアの極寒の大地が生み出した暗い情熱など、持ち合わせていなかった。
冒頭の弾き方がどうしてもわからない。

悩んだ末に先生に「この部分はどのように弾いたらいいでしょうか」と訊ねたら「お嬢ちゃん、好きなようにお弾き」と答えが返ってきた。
唖然としたけれど、よし!それでは好き勝手に弾くさと思うがままに弾いた。
先生は当時まだ若くて、シゲティに師事したという新進気鋭のヴァイオリニスト。
後に東京芸大の教授になった方だったけれど、ちょっとお姉がかっていて、言葉も嫋やかだった。

ある日レッスン中、蜂が1匹飛び込んできて飛び回った。
どうやら私の音を、お仲間だと思ったらしい。
先生は怖がって、教室の片隅に固まっている。
そこで私は天窓近くに止まっていた蜂を追い払おうと、壁に沿って置いてあったテーブルに登り、スリッパを振り回す。
その間、先生は「やめなさい、お嬢ちゃん、刺されたらどうするの」と叫ぶ。
なんだかこの図は変だなあと思いながら、ようやく蜂を追いだしてテーブルから降りると「バカだねえ、この子は。危ないでしょう」と叱られた。
じゃあ、あんたが追い払えよ・・・とは言わなかったけれど、可笑しくて笑い転げた。

その先生の最大の長所は、やり方を押しつけなかったこと。
大抵の先生は事細かに、自分の奏法を押しつける。
そうされたら束縛を嫌う猫族の私は、きっとヴァイオリンが嫌いになっていたと思う。
事細かに言われると、我が強いので反発するか、スポイルされて自分で考える事をやめてしまったか、いずれにしても自分で考えることを余儀なくされて、今の自分があるように思える。
いわゆる優等生達は先生の言いつけをキッチリ守るから、試験の点数が高い。
私の場合、先生はなんにも教えないから、自分で四苦八苦。
学生ではまだ、自分で考えると言っても限界がある。
当然試験の成績はあまり良くない代わりに、自分で考え作っていくことをたっぷりやらされた。
そのことで、かなり先生を恨んだりもした。
しかしそのお陰で、学校を出た途端私は羽ばたいた。
自分でドンドン進んでいけるから、新しい曲にもわけなく入っていける。

というわけで、今はその先生にすごく感謝している。
学生時代は、なにを訊いても「好きなようにお弾き」だったけれど、その先生のCDを最近聴いたら、なんとまあ、私の原点ここにありというほど、私の弾きたいような演奏だった。
これはビックリ。
口で言わないで、ちゃんと演奏で教えて下さっていたのだ。


















2015年1月11日日曜日

半べそ

手袋を片方失くした。
臙脂に近い茶色で皮の質も良く、すごく気に入っていたので、思いっきりへこんでしまった。
実は今朝手袋を選ぶときに、これをはめていったらなくすかもと、チラッと思ったのだった。
とにかくおっちょこちょいで、家中を捜し物をして歩いているけれど、それでも意外と失せ物はないほうなのに。

今朝はふとそんな事を思ったのがいけなかったらしい。
元生徒が発表会で弾くので聞いて欲しいというから、のこのことお台場まで出かけた。
音大の大学院に受かって頑張って、とても良く弾いていたので、一安心。
曲はグラズノフ「ヴァイオリン協奏曲」
私も大学3年生の時にこの曲を試験で弾いたので、懐かしく当時を思い出した。
しかし、今この曲を弾けと言われても、弾けないかも知れない。
なんで若い頃はあんなにも易々と指が動いたのだろうか、それとも、自分では弾けたつもりになっていただけなのか、その辺は分からない。

それで帰り道に駅の改札で手袋を片方外して、パスモを出したのまでは覚えている。
その後のことが思い出せないから、たぶんそこで落としたのだろう。
その時も落とすといけないからと思って、ちゃんとバッグにしまったはずなのに。

その後、澁谷の教室に英語の先生に来て頂いて「ハリー・ポッター」の講読をする予定だった。
時間が余っていたのでおそば屋さんで昼食、その後、カフェで英語の予習をした。
教室に入って、手袋がないことに気がついた。
血相変えてカフェと蕎麦屋に飛んで行ったけれど、両店とも見当たらなかった。
私はあまり物に執着しない質なのに、この手袋は諦めきれないほどのお気に入り。
ほんとうにがっかりした。

子供の頃はしょっちゅう手袋を落とした。
母の手編みの手袋やミトン。
あまり落とすので母が、手袋を紐で繋いで首に架けてくれた。
それでも落とすから、セーターの中に紐を通してかけるようにして、やっと落とさなくなった。
そのかわり手袋を外すと、セーターの袖口から手袋がぶら下がることになった。
あるときヴァイオリンのレッスンに行って、手袋を袖口からぶらぶらさせながら弾いていたら、先生がそれを見て笑い出した。
若い男の先生で、私はその先生のことは殆ど記憶に残っていないのだが、その時、おかしそうに笑いながら「これ、はずそうね」と言ってセーターから手袋を引き出してくれたことだけは、良く覚えている。
その先生の唯一の思い出。




















2015年1月9日金曜日

天才ピアニャスト オーケストラと共演




ヴァイオリニストの吉川朝子さんから転送されてきました。
彼女のパートナーのジョンにシャルル・デュトワから新年のグリーティングに送られてきたものだそうです。

1度動画が削除されてしまいましたが、もしその後見たいと思ったら「ピアノ猫ノラ」で検索できます。
ノラちゃんは世界的なピアニャストですから。

2015年1月7日水曜日

すき焼き

美味しそうな牛肉がやってきた。
木箱の中でおすまし顔のピンク色のお肉。
滅多にこんな上等な肉を口にしないから、食べると、きっと口が曲がるにちがいない。
暮れには美味しそうな長ネギを沢山戴いた。
ネギ類に限らず野菜大好きだから、それだけで豊かな気持ちになれるのに、その上こんなに上等な肉があるとなれば、すき焼きでしょう。
それ以外は思いつかない。

さてどうしようかと思ったが、思いっきりシンプルにネギと牛肉だけのすき焼き、それ以上なにもいらない。
普段なら白菜や茸類、焼き豆腐に白滝。
買ってこようと思ったけれど、今日はスッキリと二品だけで。

私は牛肉は、どちらかと言えば噛み応えのある赤身が好きで、牛肉よりもラム肉などが好き。
それでも、上等なお肉も年に1回くらいは食べて見たい。
ようこそ我が陋屋へ、牛肉さん。

お肉さん、たまには貴方にお目にかかりたかった。
いえいえ、いいですよ。いつまでもご滞在下さって。
そうですか、お急ぎですか。
え、なに?私が急いでるって?
そうなんです。私の口が貴方をお招きしたがっている。
あぐ!もぐもぐ。
最後にご飯にタレを絡めて、少しお焦げを作って、それが最高!
うふふ、今日も幸せだなあ。
てなわけでして。
ダイエットの夢は早くも潰えたようだ。

そして丁寧に包装された薄切り肉が顔を出すと、ウーン、すき焼きというよりもシャブシャブ肉のようだ。
しかし、気持ちはすでにすき焼きになっているから、えい、ままよ、すき焼きの割り下でシャブシャブするか。
まず牛脂を溶かして、それでネギを焼く。
そこに割り下を入れて、肉を一瞬煮てすぐに取り出す。
口の中で蕩けそうな肉と、甘みを帯びたネギの取り合わせは絶品なのだ。

すき焼きのやり方は千差万別。
そこの家庭の鍋奉行がいて仕切るので、鍋奉行の数だけ味が変わる。
今日はシャブシャブ用の肉だったので、割り下で肉を煮たけれど、すき焼き用だったなら、肉を焼いてから割り下を入れる。
臨機応変でどんなやり方でも、それぞれ美味しい。
ピンク色が少し残っているくらいの、素早い火通しが決め手。
又来てね牛肉さん。


静岡には、すき焼きのタレ味のガムがあるそうですよ。
http://schnajr.exblog.jp/   
「悪のりグルメ」












2015年1月6日火曜日

合わせ初め

4日間の山ごもりが終って、さあ、現実に逆戻り。
帰って来てから年賀状を書いたり、大掃除もしていないので少しだけ掃除をしたり、未払いのワイン料金を振り込んだり(すでに飲んでしまっている)等々の雑用山積なのに、今日から練習が始まる。
昨日午後帰宅、さっそくヴァイオリンを隠れ家から引っ張り出してこすってみたら、あらまあ、妙にうら悲しい音がする。
寒い暗いクローゼットの中で、お正月というのに弾いてもらえず、悲しい思いをしていた私のヴァイオリン。
毎年の事とは言え、こういう持ち主に出会ったのが運の尽き、次の持ち主が良いヴァイオリニストであることを切に願っている。

今回のスキーは好天と雪に恵まれて、新しいホテルのスタッフたちともすっかりなじんで、しかも食事は以前のシェフが残ってくれていたので、変わらず美味しい。
世代が変わって若い女性が2人、男性が2人、オーナー夫妻、料理担当の馴染み深いスタッフと少人数ながらホテル自体が小さいので十分手が足りている。
送迎も頻繁にしてもらえるし、私たちは古くからの馴染み客ということで非常に大切にしてもらえるから、以前と変わらず居心地は良い。
志賀高原はパウダースノウの素晴らしいスキー場でもあるけれど、四季折々の自然の自然が素晴らしいそうだ。
「そうだ」と言うのは冬しか行ったことがなく、オーナーの奥さんが「新緑の時は、それはもう綺麗なんですよ」と言う顔をみていたら、夢見るような表情で、それがどれほど美しいかが想像できる。
この次は雪のないときに行ってみようと思う。

新緑、夏は蛍が飛び交う、秋は全山燃えるような紅葉。
ため息が出そうな自然の美しさは、そこに住んでいる人でも魅了されてやまないらしい。
今年こそ蛍を見に行こう。

さて今日は「兵士の物語」のピアノとだけの合わせ。
クラリネットさんには隠れて、陰の練習をする。
ヴァイオリンとピアノで延々と弾く場所があって、そこだけ合わせましょうという約束を去年の内にしておいた。
その場所でスッタモンダしている間クラリネットは忍の一字、いつも固まっているから気の毒なので。

しかしヴァイオリンはスカスカした音しか出ない。
表現されているのは、ヴァイオリンを弾く兵士のまわりを飛び回る悪魔の踊りだから、凄味と軽さが出ないといけない。
そんなワケで今日はこんな事書いていないで練習練習。
















2015年1月3日土曜日

ベストコンディション

昨日はこれ以上ないほどのベストコンディション。
抜けるような青空、無風、パウダースノー。長年スキーをしている中でも滅多にない日和だった。
ただ、気温は到着時に−16度。暫く陽射しがあったのに午後4時ころ−12度。横手山山頂付近は猛烈に寒い。
午後からリフト7本滑って、冷えきったのでお開き。
暮からの疲れが出て、夕飯の最中に眠気に襲われて半睡状態となってデザートもパスして爆睡してしまった。
夜中に目が醒めてする事がないから、テレビを見ていたけれど、あまりにも程度の低い芸人たちのトークに悲しくなってしまった。彼らは製作者側のテレビ局の意向でこうなってしまうのでは?彼らが楽しんでいるように思えない。そんなことを気の毒に思いながら又眠りについた。
今朝−21度。それでも3人は滑りに出掛け、私はもちろん猫だからコタツで丸くなり、駅伝を鑑賞。駅伝は毎年思うのは、何か残酷だなあということで、一人のミスでタスキを繋げなくなったら、どれほど冷たい視線と非難にさらされ、自責の念にかられるかと思うと、もし自分が選手だったら、前日は眠れないと思う。

少し陽が出てきたので、午後から滑りに出掛けようと思ったけれど、だんだんあの重い靴を履くことを思うと面倒くさい。それでも私より一回り上の年齢の人たちがまだ元気で滑っているので、私もあと10年はいけるかなと思う。

大好きな志賀高原。ここに来ると生気を取り戻す。お天気と雪のコンディションの良い時にゆっくりと滑って、無理をしないことで長く続けていきたい。

ようやく重い腰をあげて午後から滑り始めた。
なるべく暖かい場所が良いので、丸池、サンバレーの辺りでゆっくり滑る。
その頃には風もない上天気になって、スキーの板の下で雪はキシキシと楽しげに音をたてる。
このへんは家族連れも多く、ゲレンデもさほど難しいコースはないので、何回もリフトに乗っては別のコースへ遊びに行く。

夕日を浴びて山々が赤く照り映え、夢のように美しい。
何回も飽きずに、その風景に見入った。

2015年1月2日金曜日

定宿

もう何十年にも亘って定宿にしている、石ノ湯ホテル
硯川、熊ノ湯を少し外れた石ノ湯に、ひっそりと建っている。
道がカーブしたところにあって、それこそ隠れ家的な目につかない外観。

かつて、理想のホテルを経営する夢を実現したい人達の手で、運営されていた。
オーナーは一番年上の女性、シェフは年輩の男性、フロントはそのお嫁さんの世代の女性、その息子夫婦と思えるカップルが送迎や掃除などを受け持っていた。
私は長い間、その人達は1家族だと思っていたけれど、実はたまたまそうなっただけで、全員他人だったのを知ってビックリした。

まるで我が家にいるようにくつろいでスキーを楽しませてもらっていたけれど、オーナーの女性が亡くなって、他の人達も高齢化して、ホテルは閉められることになった。
皆がっかりして、他のホテルに泊まってみたりもしたけれど、しっくりこない。
ところが、山岳ガイドであるOさんがこのホテルを引き継いで再開が決まって、皆大喜びした。
シェフはそのまま残ることになったので、美味しい味は変わらない。
余りにも慣れ親しんでしまったので、昔のいい加減なやり方が懐かしい。
以前は掃除さえ終っていれば、チェックイン時間前でも、部屋に入れてもらえた。
風邪をひいて部屋に籠もっていると、昼食を作ってくれる。
まるで自宅に居るようだった。
かなりアバウトになんでもやってもらえたけれど、これからはそうはいかない。

きちんとホテルとしての規則をまもらないといけない。
立派なホームページも出来た。
ホームページが出来たという知らせを戴いたので、早速アクセスしてみた。
http://ishinoyu-hotel.jp/

一カ所
館内案内のところに、白樺に過去荒れた・・・
過去?荒れた?  なんのこっちゃ。
あはは、囲まれたの間違い。
入力の時に「かこ」 次に Mを押さずにAだけになってしまったのに気づかず変換、訂正しないままアップしたので、こうなってしまったらしい。
さっそくメールして間違いを指摘したら、お恥ずかしいとの返信があったけれど、しばらくそのままになっていた。
今はちゃんと「囲まれた」になっている。
たぶん専門家が作成したのだと思うけれど、こんな私みたいな変換ミスをする人もいるのだと思って、おかしかった。

その話を「雪雀連」の山田会長にしたら「そうですか。過去は荒れていましたか。Oさんも苦労したんですよ。彼の過去になにがあったんでしょうねえ」
早速面白おかしく話をでっち上げる。
放っとけば妄想は限りなく広がって、小説ができあがる。

今日から石ノ湯ホテルの住人になって、スキーを楽しんできます。
どうやら低気圧が日本上空を覆っているようで、さぞ寒いことでしょうが。




















2015年1月1日木曜日

あけましておめでとうございます

昨年中は、拙い駄文を読んで下さってありがとうございました。
本年もよろしくお願いします。

大晦日は年越し蕎麦を食べる以外は、いつもと変わりなく過ぎて夜11時過ぎ、なにげなくテレビを点けた。
紅白歌合戦の終盤に差し掛かったところで、美輪明宏が愛の賛歌を熱唱していた。
まあ、なんと申しましょうか、スピリチュアルなとでも言いましょうか、ものすごいビブラートのかかった、音程はあってなきがごとしの・・・これでもいいのか。
何と言っても魂の世界にいる人だから、そんな現世の細かい事は気にしない。
映像は綺麗で、やはりただ者ではないことが画面からでも浮き上がってくる。
それに比べて、トリの嵐の薄っぺらなこと。
これが国民のトップアイドルって、なんだかねえ。

それにしても・・・
どの出演者の衣装も、派手なだけでみっともないほどのセンスのなさ。
ちんどん屋の集団がいるようで、こう言ったら、ちんどん屋さんに失礼かも。
自分だけ目立とうと思うから、全体としてはゴミ捨て場の様相。

その中で、片隅で寂しそうにしている、演歌歌手たちのほうが目立っていたのは、ごくオーソドックスだったから。
アカデミー賞のレッドカーペットを歩く時など、日本の女優さんの着こなしの下手さは目を覆いたくなる。

シンプル イズ ベストというのを忘れて妙に気張って、しかもモジモジとしているのがみっともない。
やはり日本人は着物ですなあ。
いつからnekotamaは国粋主義者になったかは覚えていないが、最近つくづく、そう思う。

ドイツの旅から帰って、皇居の前を車で通ったときのこと。
松の緑と皇居の静かな佇まいの美しさに、心打たれた。
繊細で瑞々しい日本の風景。
ドイツは全てが頑丈で規律が行き届いて、私の様なやわな人間には面白くない。
今やグローバルな時代で、日本人も海外に行くのは当たり前。
それでも日本の文化はやはり独特で、海外から戻るといつも美しさを再認識する。

こういう私が西洋の楽器で西洋音楽を弾いているので、こんなこと言うのもなんですが。

今、宅急便が届いて、新年早々働いているヤマトのお兄さん達、ご苦労様です。
便利な生活に胡座をかいて居るのが、申し訳ない。

話があちらこちらで、今年も好き勝手に書いていきます。
今年が災害のない穏やかな年になることを、祈っています。
皆様もお元気で、お過ごしください。

明日から志賀高原に行きます。
この寒いのに、なにを好き好んで・・・ですね。