2022年4月28日木曜日

出会い

 北軽井沢の春はこれから。昨日までのんびりと一人暮らしを楽しんでいた。木々の葉はまだやっと最初の芽吹きが始まったばかり。気温は結構高かったけれど、乾燥していて気持ちが良い。庭に太陽の光が降り注いで明るい。新緑の頃には薄緑の海に漂うような美しい風景が出現する。その頃から徐々に湿度が高くなる。

のんびりとと言ったけれど本当の目的は勉学に勤しむことだった。5月30日にベートーヴェンのソナタを一曲演奏する予定。初期の作品で私は今まで彈いたことがなく、これがなかなか難しい。譜面は易しい。なにが難しいかというと、この年令で新しく譜読みをすると中々覚えられない。反射神経が衰えているところへ視力の低下が追い打ちをかける。若い頃に弾いておけばよかった。とにかく早く覚えてしまわないと。

欲張って、遅々として進まないハリー・ポッターにラストスパートをかけて最後まで読み切ろうという計画もあった。これも視力の衰えで大変つらいことになってきた。行がかわるとどこにつながるのかわからなくなる。ぐにゃぐにゃとうねって見える紙面。今最後の大詰めに差し掛かり、いよいよクライマックスなのに目が霞んで来ると先に進めない。

毎朝目が覚めると植木鋏を持って庭に出て、大きな木の下にモヤモヤ生えている細かい枝をチョキチョキ。これが際限なくなると腰が痛くなるまでやめられなくなる。それから散歩、ぐるっと森を一回り。今は歌の下手なうぐいすが懸命にリハーサルの真っ最中。口笛で練習に付き合う。うぐいすはおや?自分より下手な歌に困惑して歌うのをやめてしまう。帰ってきて朝食。ベランダにキャンプ用の椅子を出してコーヒーを飲むのは至福のひととき。

時々友人が訪ねてきて一緒にランチ。そうこうしているうちに買い物や食事の支度などで日が暮れていく。森が真っ暗になってシャッターを閉めると、さあ、いよいよ読書や譜読みの時間。しかしこの頃になると目はますます霞み、楽譜はダンスをするおたまじゃくしの群れになる。それなら午前中に済ませてしまえばいいものを、テレビもない生活だから長い夜に室内ですることがない。それならここで練習すればいいという理屈。たとえ真夜中でもヴァイオリンが弾けるほど周囲に人がいない。

追分に住むKさんはヴィオラ奏者。市場に買い物に行って、そこにあるレストランでランチを食べようと一緒にでかけた。私は庭仕事に夢中なので、水仙と雪柳を買った。これで庭が少し賑やかになる。以前の持ち主であったノンちゃんはなんでも自然のままにするのが好きで、庭は木も草も伸び放題、私も自然派ではあるけれど、あまりに手入れをしていなかったせいで立ち枯れの枝が風で落ちたりしてやや危険になってきた。これを機に少し手入れを始めたらのめり込んでしまった。Kさんは女性の中では背も高い、腕っぷしも強いからよく手伝ってくれる。今回も春先の強風で根本から倒れた木が他の木に寄りかかって危険な状態になっているのをノコギリで裁断、二人で力を合わせて地面に横たえた。

レストランで食事を済ませたあと、以前から気になっていたお店に行こうと車を走らせた。それは高速の碓氷軽井沢インターそば、コントラバスの看板が立っている店。はてな、これは一体なに?その辺を走っていると私の猫がいつも気分悪くなって泣きわめくので、一刻もはやく家にたどり着きたい。それで毎回通り過ぎてしまうのだ。でも今は猫は家で一人お留守番。チャンス!

店に入ると中はいかにもマニアらしいオーディオセット。「あれ真空管の器械じゃない?」とKさん。大きな木製のスピーカーから柔らかい心地よい音が程よい音量で流れていた。壁にはコントラバスを弾いている男性の写真、どうやらここのご主人の若かりし頃のものとみた。雨模様の静かな午後に常連客らしい人が入れ替わっては訪れる。どうやら人気のスポットであるらしい。

客足が途絶えた頃、Kさんがご主人に話しかけた。ドイツのオーケストラでコントラバスを弾いておられたんですってね。彼女はフェイスブックで見たらしい。そこから話は一気に展開して、実はどうも私にとっては初対面ではないらしいと言うこともわかった。マスクでよくわからなかったけれど、なんとなく見覚えがあった。あちらは私に見覚えが無いらしい。それはそうだ、こんなに年老いてしまってはわかるわけがない。かつてのバンビちゃんは今はゾンビちゃん。あちらはそれほど変わっていない。

話してみると私が在籍していたちょうどその頃、オーケストラにエキストラとして演奏しに来ていたという。知り合いの名前が出るたびに、ああ、そうそう、え!あの人亡くなったの?あの人は今この近所で暮らしているよ等々、話は尽きない。この店や軽井沢の公共施設などでは時々演奏もする。ぜひ今度ご一緒に。必ず連絡くださいなど賑やかに話し合っているうちに奥さまも加わり、近所の人らしい女性たちも混じってすっかり打ち解けてしまった。

私達は世界中どこへ行っても音楽という共通語で話ができる。楽器を持ったら国籍も国境も消える。年齢差、性別も気にならない。こんな世界で生きてこられた幸せをかみしめる。









2022年4月21日木曜日

チャイコフスキー・コンクール除名?

 軽井沢の大賀ホール。私が北軽井沢を訪問するようになってから度々コンサートをここでという話が持ち上がっていた。それでもモノグサな私は面倒で自分から動くことはなかった。今回ピアニストのグループから話があって、一人10分くらいの持ち時間で曲を持ち寄って遊ぼうという。軽井沢在住の人達、アマチュアの人たちがよくこういうことで使っている。立派なホールだけれど、人口が少ない避暑地なので比較的空きがあって予約が取りやすいらしい。

5月30日いかが?という問い合わせ。もちろん空いているけれど、10分というとすごく短い曲しか弾けないし1ヶ月で仕上げるとなると、あまり難しい曲は選べない。他にカルテットとクインテットを組んでいるのでそちらの練習もある。蜃気楼を見に行かなければならないし、遊びに差し支えないようにしないと。幸い魚津市の蜃気楼予報は、まだ立派な蜃気楼の通知はない。

今日の蜃気楼通信でもランクDの蜃気楼の予報。予報聞いて飛んでいっても到着時にはかき消えているかも。6月上旬が蜃気楼の期限らしいから、5月の連休に出なければ私はコンサートの準備で動けない。5月が終わって6月になれば自由がきくからそこが勝負。

つい数日前までロシア・ウクライナの戦争のニュースで持ちきりだった。ところが、やあ!お久しぶり、安倍前首相が久しぶりにテレビ画面に現れ日本の防衛費の増額を訴え始めた。ハハ~ン!毎日の戦争報道はここに持っていくための伏線だったのか。本当に戦争好きなお人と見た。しかし男性が戦争好きなのはテリトリーを守ろうという本能的なものなのか。私にはわからない。何よりも平和であることが人類の望みだと思っているので。戦争やって何が面白い。たくさんの孤児たちと未亡人を残し都市は破壊され、恨みつらみだけが残り惨憺たることなのに。

いまやロシア憎しが世界中に蔓延している。なんと、チャイコフスキー・コンクールが国際世界コンクール世界連盟から除名される決定がくだされたと聞いて呆然とした。誰が悪いってプーチンが悪い。なぜ権威も歴史もあるコンクールに影響が及ぶのか。ロシアは今回のウクライナ進攻で世界中から非難されているのはもっともだけれど、すべてを否定するような現状は魔女狩りに近い。ロシアの国民は日本でもヘイトの憂き目にあっているという。かつて第二次世界大戦で日本が演じた愚行を考える。これも歴史の通過点なのかと思う。

ロシアの文化が世界に与えた影響は大きい。世界的な文学者、作曲家、演奏家、バレリーナなどすぐに何人もの名前が浮かび上がる。この文化まで否定するのかと思うと暗澹たる思いがする。日本的な考えからは少し理解できないようなズンと肝に響くような暗さ、重さがある。それも彼らの魅力になっている。私がまだ小学生か中学生であったころ、ロシアのレニングラード・フィルやドン・コサック合唱団、レオニード・コーガンなどの演奏を聞いて、そのパワーに圧倒された。小学6年生の夏休み、私はドストエフスキーの「罪と罰」を読んで感動に打ち震えた。その後も「カラマーゾフの兄弟」を読んでロシア文学にのめり込んだ。トルストイの「アンナ・カレーニナ」「クロイツェル・ソナタ」と立て続け。こうしてみるとあの頃はずいぶんロシアかぶれだったのかもしれない。

オーケストラに入団した頃、アルヴィド・ヤンソンス(マリス・ヤンソンスの父)の指揮で緊張に震えながら弾いたことも。明るいブルーの目、高い鼻、輝く銀髪、まるでハリー・ポッターのダンブルドアのような風貌だった。モスクワバレエやボリショイバレエ団の仕事もあった。日本のバレエ団に比べ、圧倒的な技術の高さ、豪華な衣装、装置に驚かされた。プロコフィエフは私の特に好きな作曲家で、リサイタルの曲目に彼のソナタを弾いたこともあった。

今ロシア憎しといってすべてを否定するのはおかしい。なぜこうなるのか理解に苦しむ。この駄文を読んでくださる人たちはこのようなことはないと思うけれど、ヘイトコメントが様々なサイトにあふれているという。悲しい。一人の殿のご乱心から始まった戦争でロシア国民全体を否定するのはただのヒステリーです。







2022年4月12日火曜日

優柔不断

 今日は夜明けとともに北軽井沢に向けて出発する予定だった。荷物は昨夜のうちに車に積み込んであった。あとは猫とヴァイオリンと私が乗って出発するばかりになっていたのに・・・

天気予報は台風の接近。明日まではお天気が良いけれど水曜日以後は崩れる予報。急に気持ちが萎えてくる。若い頃は土砂降りもそれなりに楽しめた。けれど今は手が水に濡れるだけで身震いする。すっかり安穏な生活になれてしまって、障害物を乗り越える気力がない。どうしようかと考えているうちに時間がたちノラ二匹登場。部屋に入ってくるなりゴロンと横になり「ささ、早くなで給え」と。撫でられる猫はともかく、撫でる人間は癒される。そうこうしているうちに予定の時間は過ぎ去り、今日もまたドヨンと過ごすことになりそうな。

北軽井沢に行こうと思ったのはテレビのない生活を求めてのこと。見なければすむことなのにと言うなかれ。これが見てしまうのよ。ぼんやり見ているうちに眠くなり、椅子でうたた寝。しばらくするとお腹が空いて食べればまた眠くなるの繰り返し。一日はあっという間に過ぎて「あ~あ、今日もまたなんにもしなかった」

私にはまだすることがたくさんある。ハリー・ポッターはやっと大詰めにたどり着いたのに、遅々として先に進まない。最後の気力を振り絞って読み始めると、弱った視力が頭痛となってすぐに気力が失せる。最近結成したカルテットのメンバーは姥桜4人組。緊張感がない。長年仕事で活躍してきた人たちだから楽譜を読むのも音を合わせるのもお手のもの。なんとなく出来上がってしまう。本当はそこから先が追求の場なのに、マアマアこの辺でいいんじゃない?になってしまう。若い頃の私は追求が激しすぎて、10間年続いていた弦楽四重奏団をぶち壊してしまった苦い経験から、すぐに妥協してしまうようになった。

もう一組はピアノ五重奏。シューベルトの有名な「ます」は普通のピアノ五重奏曲と編成が違う。一般的にはピアノ、ヴァイオリン2人、ヴィオラ、チェロという組み合わせ。しかし「ます」はピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス。それと同じ組み合わせで知られているのは、ゲッツという作曲家の五重奏曲。

その二曲を弾こうという話が出て、今はなんのあてもなく練習に集まっているけれど、そのうち出来上がってくると生き物に聴かせようという気持ちが頭をもたげてくる。どこかでご披露するかも。こちらも姥桜軍団。もっとも姥桜とは「女盛りを過ぎてもなお色香を失わない女性」のことを言う。この中の何人が姥桜に値するかはなんとも言えない。そもそも私に女盛りなんてあったかしら?男勝りなら多少。

ハリー・ポッターの続きを読んでなんとしても今年中には終わらせたい。頑張れば数ヶ月ですむのだけれど最近頑張れない。カルテットもクインテットもパート譜の練習がおろそかになっている。それでテレビのない山の中に行けばたぶん英語も練習もはかどるに違いないと考えたのだけれど、まず出かける用意をするのがしんどい。山の家は先日水と電気を通してもらって開けたばかり。食料品や調味料など古くなったものは容赦なく処分。

それで醤油、油、マヨネーズやケチャップなども新しいものを補充するので買い物の量も半端ない。家を手に入れてからもうすでに3年以上になる。衣類やタオルなどももう少し補充しないといけない。小さい家に収納ができる限度があるからあまりたくさんのものはおいておけないから、その都度自宅から運んでくる。それが結構しんどい。かと言ってせっかくの簡素な山の家にものが溢れかえっていたら本末転倒、なんのために辺鄙なところを選んだのかわからなくなる。

結局今日の北軽行きはもう少し先に伸ばすことにした。今回なるべく早く行きたいのは、あわよくばパルコール嬬恋スキー場に雪があれば滑れるかと思ったので。たった1回先日滑ったのは手応えを確かめたいからで、これなら少し練習すれば戻れるという確信を得られた。どこかで滑りたいと思ったので八甲田行のお誘いに乗ったら、新幹線が動かない。動かなくても乗り継ぎで行けるらしいけれど、最近はあまり無理に動くと疲れてしまう。それでも行った猛者がいて、彼女はどこへでもどんなときにでも行けるという稀有な人だから心配いらない。いやみったらしく「八甲田は気温が高いから熱中症に注意してください」とメールを出そうかと思った。

森の中の小さな家の元の持ち主はノンちゃん、未だに表札は彼女の名字になっている。そろそろ私の名前に変えようと思うけれど、未だにのんちゃんの家というイメージが拭えない。彼女とご主人が二人で理想の生活を送った可愛い家の壁は、木の板で葺かれている。外見はミノムシ。だからそれにふさわしい森の木々とも調和するような表札がほしい。去年画家のTさんに相談すると、ある陶芸家を紹介された。さっそくメールを出した。こういう事情で陶板の表札がほしいのでご相談したいというと、中々お忙しいらしくインスタグラムやストアで見ていただきたいという返事だった。工房を訪問して注文できないかというとたいそう曖昧なご返事。結局何一つはっきりした手応えが無く、これは迷惑なのかな?と思い断念した。

先日自宅近所で陶芸教室を見つけた。非常に自由に制作させてくれるらしいと評判を聞いたので、それなら自分で作ってみようかと思う。さっそく訪問と思ったけれど、自分にそんな事できるのだろうかと半ば面倒くさい。手先が器用な人がいたら代わりに作って欲しい。先日北軽井沢の家を建てた工務店に行ったら、そこの知り合いの方が作ったふくろうの木彫りをくださった。せっかく頂いたのだからこれを組み込むことができないかと考えると、なんだか面倒臭い。それでこの家はまだのんちゃんの持ち物のように見える。こうして月日は流れ結局表札ができないままに私は死んでいくのかも。優柔不断、無知蒙昧、これぞ私の本質。








2022年4月10日日曜日

蜃気楼

暖かさが暑さに変わってきたら、蜃気楼がみたくなった。

今から15年以上前のこと、富山県の呉羽 で仕事があって数年通った。呉羽には桐朋学園のオーケストラアカデミーが富山県の後援で開校していた。優れたオーケストラプレーヤーを育てるために海外の指揮者やプレーヤーが招かれて、学生たちと一緒にプレーをする。言葉でいうより名プレーヤーと一緒に演奏することがどれだけ素晴らしいことか、私はたくさんの名人たちと演奏する機会を得たために、どれだけ彼らから学んだことか。一人で練習していたのでは到底他の人に追いつくことはできなかったと思う。そんな私が学生たちのためにお手伝いに行くという仕事を得て私自身大変に勉強になった。

おばけが出ると評判の学生寮は、そう言われてみれば曇天のみぞれ混じりの富山の初冬では本当のように思えた。くれは製糸につれてこられた女工たちの悲惨な環境がどの程度であるかはわからないけれど、明治の初期には農村の貧しい女性は口減らしのために工場や廓に売られていったのは事実と思う。過労や栄養不足で体を壊し若くして亡くなる人もいたに違いない。

そんな校内も朝日が登るとガラッと様子が変わる。午前の練習が終わるとメンバーたちは大急ぎで他の建物の非常階段を駆け上った。するとそこには正面に真っ白な立山連峰がすっくと立っている。それが見たくて殆どの人が休み時間をそこで過ごし、指揮者も生徒も私達のようないわゆるトラ(エキストラ)たちも、ほれぼれと山を眺めていた。心に染み入る思い出。いつまでも忘れられない。

ある時、シェーンベルク「浄夜」を演奏するのでお声がかかった。行ってみるとミュンヘン・フィルのコンマス、ベルリン・フィルのチェロとコントラバス、ハンガリー国立のヴィオラなどのメンバーの中に放り込まれた。私はどちらかというとヨーロッパ人の中で弾くのは自分のためにも嬉しいことなので物怖じしない。そのときはヴィオラのトップの席に座ることになった。ミュンヘンのコンマスはジェントルマンで私に向かって言うには「音はとても素晴らしい!しかし遅れる」

ヴィオラはヴァイオリンより少し大きいので多少音の立ち上がりが遅れるかもしれない。それはわかっていたのだけれど、顎が外れそうな大きな楽器は早めに弓を動かしても一瞬発声が鈍い。もちろん名手が名器を持てばそんなことはない。タイミングの問題だから遅れるのを見越して早めに弓を動かせばいいのだから。しかし「浄夜」はシェーンベルクが12音階を使っての初期の作品で私も初めてだったので、気後れがしていたことは間違いない。ベルリンの有名なチェリストが私に「そこは僕と一緒だから合わせよう」といってくれる。有名なひげのコンバス奏者も私に合図をおくってくれる。多分私はジュニアオーケストラ所属の小学生に見えたに違いない。てなことはないけれど、優しい大人?たちは、まず私の音を褒めてくれる、でもその後に「遅れる」が必ずついてくる。

発音が遅れるのだからタイミングが遅いのはよく分かる。けれどヴァイオリンのタイミングがどうしても顔をだす。同じ動きでもヴァイオリンのほうが発音が早い。毎回注意されて同情してくれたセカンドヴァイオリンのトップ奏者はジュリアード音楽院の留学生。夜になると彼女の部屋でご飯をごちそうしてくれた。結局私は練習すればするほど手が硬直して遅れてしまうことになった。

一日休日があった。私は地元富山の知人に電話をした。すると彼はちょうど今頃ならもしかすると蜃気楼が出るかもしれない。車で魚津の海に連れて行ってくれた。数時間海を眺めて過ごし、気分がすっかり良くなったところで次の日は本番。私はリラックスして早かろうが遅かろうがままよ!本番になるとくそ度胸。その分ヨーロッパの名手たちがこころなしか緊張して見えた。終わって私はミュンヘンのボスに向かって下手クソな英語で「私がうまく弾けなくてごめんなさい」と言ったつもり。でも後で考えると「うまく弾けなくてお気の毒ね」といったような気がして頭を抱えた。本当のところどういったのか記憶にございません。

そして最近無性に富山のことを思い出す。美味しいお寿司、真っ白な立山、氷見で演奏した小学校、木造の素晴らしい音響の講堂をコンクリート作りにするというから、私たちは口々に校長に訴えた。こんないい音のする講堂は壊さないでほしいと。その後どうしたかしら。

今日送られてきた画像。海を見に連れて行ってくれた人からのメールに添付されていた。


これは魚津ではないらしい。左隅に釣り人が写っているのが見えますか?

上の方の建物が蜃気楼、釣り人は実際の人。

こんなにはっきり見えるのならぜひ見に行きたいので魚津市の蜃気楼予報サイトにメール希望登録をしておいた。

これなら、もしかしたら今年は蜃気楼が見られるかも。素晴らしいことに北軽井沢から車で3時間弱。

最近老いてきたらつくづく思う。人生って蜃気楼のようなものだなあと。儚く美しく懐かしく、のぞみはいつも手が届かないところにあると。



2022年4月7日木曜日

東北新幹線そろそろ開通

 私の今週の予定としては八甲田にスキーをしに行くつもりだった。泊まりは酸ヶ湯温泉。しかし地震の影響で東北新幹線が動いていないことを知って、今回は諦めた。旅にハプニングはつきもの。それを楽しみながら行く人もいる。乗り換えたり遠回りしたり。それはそれで楽しいことは確か。

飛行機で行くことは最初から選択肢の一つだったけれど、宿に問い合わせるとなんだかとても無駄に動かないといけない。それは旅行の面白さというよりは本当に無駄。

酸ヶ湯温泉に行くには新幹線で青森に行って、そこから宿の送迎バスで約1時間。飛行機だと青森空港から青森駅に行き、そこから宿の送迎バス。結局飛行機を使っても時間がかかるというわけ。空港からタクシーという手もあるけれど、宿の人はタクシー代が高いから青森駅に来るようにと。それなら飛行機は一見早そうなのに時間とお金の浪費になる。すごく辺鄙なのはわかるけれど、それだから秘湯の環境が保たれるというのでもあるけれど、片道だけで家から9時間近くかかるのでは少し考えてしまう。

夏であれば空港でレンタカーを借りるてもあるけれど、今年の大雪、まして新幹線が動かなければ車の通行が困難なときには代替え手段がない。体力がみなぎっている若者の頃ならおもしろがって一日かけて行くけれど、もはやロートル、ヘロヘロなのよ私は。というわけで八甲田行は諦め、連日テレビの不健康な日々になった。

そして一番の疑問はなんでこんなに連日ウクライナの報道ばかり?もちろん第3次世界大戦にも繋がりかねない重大な戦争ではあるけれど、今まで他国の戦争にこんなにテレビが時間をさいたことはあるだろうか。

ロシア人はどうやら我々の神経の何倍もの図太さを持っているようだ。オリンピックのドーピング問題など、明らかに政治的な介入のようだし、それがバレてもしれっとはぐらかせる。そしてウクライナの国土の荒廃もウクライナの自作自演だという真っ赤なウソも平気で言える。日本人のように肝っ玉が座らず、ミスを恐れてばかりいる国民性とは大違い。

あの辺りの国々は常にロシアの脅威に晒されてきた。今回ほどひどい例はあまりなかったにしても、テレビが異常にウクライナ問題に時間をさくのが解せない。日本国内のニュースと言えば火事のニュースがやたらと多い。住宅が燃えている画像は見てもなんの役にも立たない。車が車道に突っ込んでいる。これも毎日のように。コロナ報道はいまやおざなり、淡々と感染者数が伝えられる。今までコメンテーターとして毎日出演されていた先生方はこのごろ顔をみない。さて、政治は?というとなにも聞こえてこない。これ、変じゃないですか?

ウクライナのニュースは何回も同じ画像が流れたり。時間の無駄。その分日本の国会議員さんたちはなにをなさっておられるのか。働いてない?そんなことないでしょう。だったらそのニュースや事件は当然報道されるべきなのに、外国の戦争のニュースを繰り返し流すのがどうも意図的に思える。そうこうしているうちにいつの間にか日本の憲法改正なんてことになってしまったら空恐ろしい。

テレビは最近信用が置けない。安倍前首相の不祥事問題はいまだ解決していそうもないのに、一体どうなっているのか一般庶民には知られていない。意図的に隠蔽されているとしか思えない。聞くところによれば、安倍さんはお友達のプーチン氏をウラジミールと呼ぶ仲だそうで、彼が北方領土をロシア側に差し上げてしまったのだそうだ。北方領土はもう日本に戻っては来ない。そんなに仲良しならロシアに行って「ウラジミール君、あれを日本に戻しておくれ。ウクライナの戦争をやめておくれ」と言っておくれでないだろうか。北方領土のお陰で日本は易々とロシアの射程距離に入っているではないか。鉄砲玉が届くくらいの距離なのだ。

安倍さん、ご自分のお友達ばかり大切にしないで日本国民を大切にしてください。それともう二度と国政に携わってほしくない。日本を腑抜けにしたのはあなたです。そんな人を選んだ国民も目を覚ましてほしい。

と、まあ、家でテレビを見ているとどんどん暗くなってくる。東北新幹線は20日に全線開通するそうで15日まで滞在予定だった酸ヶ湯温泉は結局キャンセル。その間たまっていた英語の勉強とかカルテットとクインテットの譜読みとか、することは山のようにあるけれど、気持ちは揚がらない。どこかで迫害に苦しんでいる人たちがいることが心を重くしている。