2019年8月29日木曜日

東京ベートーヴェンカルテット

東京文化会館小ホールにて。

モーツァルト:弦楽四重奏曲 第13番 K.173
ショスタコービッチ:弦楽四重奏曲 第14番 Op.142
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第15番 Op.132

ヴァイオリン 塗矢真弥 水村浩司
ヴィオラ   中川裕美子
チェロ    奈切敏郎

チェロの奈切りさんとは旧知の間柄。
数年前、私達のピアノとヴァイオリンのデュオ・リサイタルのときに、賛助出演でブラームスのトリオを弾いていただいた。

このカルテットは1971年に結成されたと言うから、再来年には半世紀越えの老舗となる。
チェロの奈切さんが結成した「奈切弦楽四重奏団」として活動を開始。
その後「ベートーヴェンカルテット」と名前を改める。
ただし、海外にベートーヴェンカルテットがすでに存在したので、頭に「東京」と付けているそうなのだ。
長年の活動で、メンバーも少しずつ変わって、今回のメンバーで聞くのは私は初めてだったけれど、実に良いハーモニーを聴かせてくれた。
特にショスタコーヴィッチが楽しかった。

ベートーヴェンOp.132は後期の作品。
私がこの曲を最後に弾いたのは、今から40年も前。
その時私は大病を患って1ヶ月半の入院の後だったから、まさにこの曲の「病の癒えた者の神への聖なる感謝の歌」の表題が身にしみた。
そしてこの部分である3楽章の見事なハーモニーが、この弦楽四重奏団が絶好調である証となった。
祈りの様な演奏に涙が零れそうだった。

素晴らしいメンバーの今後の演奏を楽しみにしている。









黒沼ユリ子さん

最近足首の痛みもあることだし、特に急ぎの用事もないので、めったに街をぶらつくこともなくなった。
それに転んだりふらついたりするので、危険でもあるし。

ハリーポッターを相変わらず読み続け、今日は池袋までレッスンを受けに行った。
夜は上野の東京文化会館までコンサートを聴きに行く。
時間が3時間空いた。
なにをする予定もなく、久しぶりに池袋の西武デパート周辺をぶらぶら。
面白そうな本を見つけたり、家具や布団など、北軽井沢の冬に備えての下見をしたり。
足首がすぐに痛くなった。
ここ数日あまり外出をしなかったから小康状態だったのに・・と少し気落ち。
やはりあまり活動をしてはいけないのだ、すでに私は若くないのだ。
最近、いつも疲れていて居眠りが出る。
だから無理は禁物。

それにしても駅の雑踏はいつ来ても歩きにくい。
どうして日本はこんなに歩きにくいのだろうか。
時々海外に行くと、どんなに沢山の人がいても、これほど歩きにくいことはない。
ロンドンでもニューヨークでも、沢山の人がいて、しかも皆足が速い。
ニューヨークでは、のそのそ歩いている人は1人もいなかった。
私は早足で歩くほうだから驚きはしなかったけれど、たとえ早足でも日本のように歩きにくいことはない。

足首をかばって歩いていたけれど、上野駅に到着する頃になって気が付いた。
足首の痛みが消えている。
しかも体がぐらつかない。
なんだか頭が冴え冴えとしている。
しかもあるきかたが早くなっている。
ここ最近ゆっくり歩いていたのに、いつの間にか以前の速度になっていた。

大事にしすぎて眠っていた神経が目を覚ましたらしい。
上野駅でヴァイオリニストの黒沼ユリ子さんの本を見つけた。
私よりも年上だから、まだ日本の音楽界は発展途上。
8才からヴァイオリンを始めたのは私と同じだけれど、私との決定的違いは、家族ぐるみで彼女をヴァイオリニストに育て上げたこと。
良い指導者に恵まれ家族の後押しがあったこと。

私は家族から爪弾き。
母からはいい加減ヴァイオリンをやめなさい。
これは母が亡くなる直前まで言われた。
長兄は良き理解者だったけれど、次兄からは音がうるさくて勉強ができないと嘆かれた。
最初についた先生は近所のお兄さん。
姉の友達で少しヴァイオリンをやっていたと言うだけの人。
このへんで出発点がそもそも大違いだった。
しかもその後先生もいなくなり、2年間は空白だった。
よくぞこんなことでヴァイオリンを生業にできるようになったものだと、自分を憐れんでいる。

私のことはさておき、黒沼さんは家族と指導者に恵まれ、本人の負けん気もあって、その後目覚ましい活躍。
チェコやメキシコで活動していた。
そのメキシコで音楽院「アカデミア・ユリコ・クロヌマ」を起ち上げたのち、協力者と思っていたメキシコの弁護士に裏切られて音楽院は解散の危機にさらされた。
家の代金を払い終わった頃、家主が家を抵当に入れて借金を返さず、その場合家はお金を貸した人のものになってしまうという契約だった。

その後彼女は借金をしてアカデミアの活動を続けた。
アカデミアの活動は軌道にのって、生徒は増え続けた。
彼女のミスは契約書の定款を読まなかったことにあった。
その後彼女は定款を全て読み、その呆れた内容に驚いた。
表では彼女を芸術監督と持ち上げながら、投票権も発言権も認めない、家が抵当に入っていたのも知らせなかったのは前任の弁護士。
この後、定款の書き直しをたのんだ弁護士が彼女の親しい友人になり、彼女がメキシコから勲章を授与されたときには自宅でお祝いのパーティーをしてくれるほどになった。

「悪いことは良いことのためにしかやってこない」というメキシコのことわざがあるという。
これは私も良くわかる。
悪い事というのはあまり遭遇しないけれど、時には胃がキリキリすることも。
そんなときには自分に言い聞かせる。
なんでも始まれば終わる!
元気を出そう。
終わった時の清々しさ。
どれだけ自分が様々な人から助けられているかの感謝の気持ちの再確認。

とにかく外に出るように努力しよう。
今まで何度も乗り切ってきた自分を信じようと思う。
動かなければ棒に当たれない。
私は犬ではなくて猫ですが。






















噂はそよ風のように

ロッシーニの歌劇「セビリアの理髪師」
「噂はそよ風のように」というアリアみたいに、私の怪我は誰もが周知のことになったようだ。
小さな郵便物が届いた。
持つととても軽い。
差出人を見ると旧友からのものだった。
はて?なにかしら。
中には束になったプラスティック製のなにか。
取り出したら色とりどりのストロー、それも極太の。

一体私に何をしろというのかしら?
電話をしたらなかなか出ない。
2回めでやっと出たと思ったら、オフロに入っていたという。
早い午後の時間「こんな時間にお風呂に入れるなんてなんて幸せなのかしらと思っていたの」と宣う。
サザエさんの漫画にあったっけ。
サザエさんのお母さんが電話で話している。
「お元気そうなお姿が目に浮かびますわ」
「あら、へんね、電話が切れちゃった」
相手の奥さんはお風呂から慌てて出て、バスタオル一枚巻いて対話していた。

それね?と言ったら、「そう、一糸まとわないで」と言う。
想像したら気分が・・・
私はいつも一糸乱れないと言おうとして、一糸まとわないと言い間違えないか恐怖なんですが。
ストローについては私の怪我を知ったからだそうで、自分が口の周りを怪我したときに、ストローが役にたったからという。
なんにも食べられないでしょう?ストローなら怪我のところに触らないで飲めるから。だそうで。
知らないのね、私が怪我した直後にハムを食べていたのを。
噛もうと思ったら噛み合わせが悪くなっていてアゴがカクカクしたので諦めたけど。

歯がぐらつくかと思ったら、カクカクは2日ばかりで治った。
一糸まとわぬ人の言うことには、歯は多少ぐらついても歯茎がちゃんと調節して元の位置に戻ることができるのだそうで、人体の不思議に驚嘆する。
とにかくお互い気を付けましょうと当たり障りなく締めくくった。
実は私が次の日からちゃんと肉も食べているなんて言ったらがっかりされそうだけど、ここに書いたらすぐに情報が伝わってしまうかも。
噂は野火のようにどんどん広がっていく。
そのうち、私は転んでもただ起きず、拾った一枚の宝くじで億万長者になったなんてことになっているかもしれない。

せっかくストローを頂いたから、石鹸水を作ってシャボン玉を飛ばそう。
バブルの頃、私達はさんざん稼がせて頂いた。
あの良き時代よ、もう一度なんて。















2019年8月26日月曜日

カールおじさん

♫それにつけてもおやつはカール♫
これ覚えている人は中々の骨董品ですぞ。
お菓子のテレビコマーシャルで、麦わら帽に口の周り中ひげをはやしたおじさんのアニメ。
そんな顔に私もなりました。

北軽井沢ミュージックフェスティヴァルの会場から車に向かう途中、小さな3段の階段があった。
2段目まで降りると誰かが話しかけてきたので、後ろを振り返った。
会話をして振り向いて再び降りようと足を出したら、空中遊泳してしまった。

今まで沢山の遊びをしてきた。
馬に乗ったりスキーをしたり。
スキューバダイビングにも凝っていた。
ひとが「後は空ですね」と言うから、高いところは苦手なの、だからスカイダイビングはやらない」と言っていた。
そうしたらミニスカイダイビングみたいなことで、落ちて地面に激突!
なぜか鼻を打たないで顎から落ちた。

なぜ鼻を打たないかと言うと・・・
まあそこはご想像におまかせ。
口の中が切れて、今治りかけているけれど、これは中々しんどい。
柔らかいものを食べるとなにか物足りないから、ヨーグルトなどは蜂蜜で甘くして満足感を得ているので、食べない割に太ったのが癪にさわる。

私の美貌はますます冴えて、紫いろからだんだん黄色くなっていく怪我の跡。
アイシャドウならぬアゴシャドウ。
今年は鼻の下、唇のすぐ下、そしてアゴと3段に色を塗り分けるのが最新流行。
自然の色だから、ナチュラルメイクをモットーとする貴女にピッタリですよ。

ところが、この秘密情報が何処から漏れたか、思いがけないところからメールが来る。
情報網がこれほど張り巡らされているかと思うと恐ろしい。
私のプライバシーはダダ漏れのようだ。
みんな、本当に心配してくれるのだけれど、当の本人はケロリとしている。
転び馴れているというか、反省がないというか。

ところがメールをくれた人は、最近腕を骨折したらしい。
それはおおごとだあ。
他人にお見舞いのメール打っている場合ではない。
お気をつけください。

幼少時に住んでいた家は門を出たその先は、ゆるく長いスロープが続いていた。
そこを三輪車で思いっきりかっ飛ばしたら、最後の着地点手前でこけた。
低い土手の左側に転がり落ちた。
両膝にかすり傷。
たぶん5,6歳のとき。
放置子だったから親兄弟誰も見ていなかった。
怪我をしても誰もかまってなんかくれないから、泣かない子だった。
膝の傷に自分で赤チンかなにか塗っておしまい。
当時はバンドエイドのような便利な物はなかった。
化膿して膿が出てしまえば治る。
子供ながらに怪我の治癒経過は会得していたわけで、今どきの子供なら大騒ぎするところだが、親も気が付かない。

掘りごたつを飛び越えようとしたら見事に飛びそこね頭に大きなコブができたときは、たまたま来合わせていた伯母が生米を噛み砕いてコブに塗ってくれた。
なんか原始時代の治療みたいと思ったけれど、口やかましい伯母だったから黙っていた。
なぜ掘りごたつを飛ぼうとしたのかは思い出せない。
怖いけれど私達をとても可愛がってくれた伯母だから、猿の曲芸でも見せようと思ったのかも。

馬に乗ってモンゴルの大草原を走るというのは、私の長年の夢だった。
夢がかなった時、私は乗馬初心者。
やっと駆け足が出せたので参加したら、他の人はみな200~1000鞍のっている強者だった。
説明すると、鞍の単位は乗馬クラブでのトレーニングの回数。
私はほんの30鞍ほど。
他に富士のふもとの牧場で木曽駒に数回乗って、トレーニングをしただけ。
それが不届きにも参加したので、足手まといもいいとこ。
スキーなら、一級の団体で初心者が一緒に滑るようなもの。

それでも次の日には駆け足で走り、馴れてきた頃落馬。
生意気にも走りながらよそ見して他の人に話しかけていたら、大きなネズミ(タラバカン)の穴に馬が足をすくわれた。
気をつけていれば馬が足をすくわれたときに、手綱を引いて体勢を立て直せるのに。
ヘルメットのひさしが地面に激突してサングラスで目頭周辺を切った。
すぐに腫れてきてその日に食べるはずのビフテキ用の肉で顔を冷やしたけれど、顔半分が腫れてお岩さん。
それから比べれば今回の怪我なんぞは軽い軽い。












2019年8月21日水曜日

雷様と共演

私はずっと晴れ女だった。
それまで降り続いていた雨が、本番になるとピタっと収まるという奇跡の人だった。
しかし、私の運は尽きたらしい。
昨日は北軽井沢コンサートホールフェスティヴァルに出演。
メンバーに新たに若手(?)二人加わり、ピアニストは諸隈まりさんをお迎え。
モーツァルトのピアノ協奏曲があのトタン屋根のホールに響き渡った。

本番前は時折穏やかな雨が降るくらいだったのが、始まるととんでもない土砂降りとなった。
さすが自然派の私達も参るほどの吹き込み方で、シャッターを半分おろしてもらった。
ときおり雷までなった。
穏やかな私はいつも晴天に恵まれる。
でも今回は3人の新人がいるから、そのうちの誰かが雷まで呼んだらしい。
犯人は誰だ!

それでもコンサートは粛々と進む。
プログラムにモーツアルトが多いのは、楽器の編成が少なく、それでもどんな大編成のオーケストラも凌ぐ魅力ある作品をと思うと、それはモーツァルトしかない。
ピアノ1台でもオーケストラでも、モーツァルト効果は世界中の人から愛される。

リハーサルのときは時々雨がやんだり降ったりを繰り返していた。
会場もどこもかしこも湿度マックス。
楽器は絞りたいほど濡れて、調弦に四苦八苦する。
弦を張るためのペグが全く動かなくなった。
弓の毛もいつの間にか伸び切ってしまう。
しかも雨が降るとトタン屋根に当たってやかましい。
やっとやんだと思うと、その途端セミの大合唱が始まる。

初めてこのホールに登場したヴァイオリンのメゲちゃんが「外と同じ」とつぶやく。
だから言ったでしょう、びっくりしなさんなって。
この悪条件にも関わらずパワー全開のゆかりちゃんの檄が飛ぶ。
ピアニストのまりさんはどんなときのもおおらかにニコニコ。

本番は流石に緊張と思いがけない落とし穴の連続だったけれど、聴いてくださった方たちからは盛大な拍手を頂いた。
しかし、客入りはいまいち。
平日のお盆明け、新学期の始まり(このへんは早いらしい)ときては、集客はままならない。
これほどのメンバーと練習量とには見合わない入りだけれど、東京から仲間が沢山来てくれた。
その人達をノンちゃんの家に集めて打ち上げをすることにした。

前もってホール近くのハコニワ食堂に注文、料理を大皿に盛ってもらうことにした。
骨付きの大きなハムと冷蔵庫にありったけのチーズなど、食べられるものは食い尽くす。
前夜、軽井沢のY子さんが美味しい花豆のおこわを届けてくれたので、それも評判が良い。
しかし、宴会に参加できなかったのが、この私。

終演後、車に荷物を積むために会場脇の階段を降りようとして踏み外した。
なぜか顔から落下。
なぜか鼻は無事で顎と口を怪我。
歯に当たった口の中が切れた。
左の顎を強打したので私は耳をやられては困ると、瞬間的に考えた。
考えたのはそれだけ。
起き上がると、鼻の下と口から血がでていた。
しかし、私は猫!
にゃんパラレと起き上がってみると、打撲以外の怪我はなく手足は無事。

周りが大騒ぎしているけれど、本人はケロリとしている。
騒ぎ過ぎだよ、君たち。
そのお陰で私は行きたくないと頑張ったけれど病院へ連れて行かれてしまった。
救急病院は草津に近い山中。
ヴィオラのイモアン運転の猫運搬車に乗せられて行った先の病院には、当直の若い女性医師がいた。
生真面目でまるで十代の少女のように化粧っ気がない。
症状を訊かれても申し訳ないけれど、大した怪我ではない。

手足を伸ばすー問題なし。
頭は?ー痛くない。
目の検査ー問題なし。
気絶は?ーするもんですか。
顎は?ー少し痛いけれど・・・

顎の骨が骨折しているといけないからCTをとりましょう。
でも今は医師がいないので、何時にできるかわかりません、どうしますか?
もちろん待っていられない、今家で宴会の最中なので。
私は大丈夫なのにまわりが行けというから来たので、早く帰らないと皆さん帰ってしまうから。
真っ暗な山の中を帰宅すると、人数が減っていた。

イモアンは空きっ腹を抱えて付き合ってくれたけれど、自宅に待機している猫が心配だからと言って帰ってしまった。
私はなにか食べたくても口の中を切っているので、流動物しか入らない。
唇が腫れてきた。

女性医師は生真面目で冗談が通じない。
看護婦が私の冗談に笑ってくれるのに、顎の骨が折れていたら顎を切開して金属の板を入れてつなぎますとか説明する。
でも、それだけ喋れれば心配ないでしょうと言って、放免された。

怪我をしてもうろたえないのは、子供の頃からのこと。
親の目が届かないので少しの怪我では報告もしなかった。
自分で傷口を洗い、怪我の症状が変化するのを観察した。
それで大抵の怪我は最終的には治るもの、大げさな治療はいらないとの結論に達していた。
人の体は素晴らしい自然治癒力を持っている。
今回も周りが大騒ぎするので、それにびっくりしたくらいだから。

コンサートは下準備が大変。
ステージに立ってしまえばまな板の鯉だけれど、準備段階ですっかり疲れてしまう。
早朝浅間に別れを告げて猫が泣いて待っている家に帰った。
昼中爆睡した。
猫はニコニコ!


























































2019年8月18日日曜日

夜討ち朝駆け

せかせかした生活は相変わらずのこと。
北軽井沢のコンサートへは明日夕方出発。
都内で音楽教室のアンサンブルの指導が終わるのが17時。
そこから上野に向かい、コンサートの共演者を拾って一路北軽井沢へ車を走らせる。
夜のドライブは暗いから大変かと思うけれど、一概にそうとも言えない。
山道では対向車のヘッドライトが見えるから、カーブの具合や車の来ることがわかって逆に楽なこともある。
ただし、山道で一番つらいのは霧。
濃霧の中で道路の白線を頼りにひたすら車を走らせる心細さ。
それでも運転が好き。

目的地に着くのはたぶん21時ころ。
都会での21時はまだ宵の口だけれど、山の中の21時は本当に真っ暗なのだ。
家のドアにたどり着くまで、ほとんど足元も見えない。

夜空がきれいだと思うでしょう?
ところがギッチョンチョン、見えないんだな、これが。
木々がすくすくと伸びて、葉が空を覆い隠してしまうから星がよく見えない。
いつでも、昼間でもなんとなく暗い。
暗いのは嫌ではないかと思われるかもしれないけれど、空気が清浄で全ての色が柔らかく調和していて、それはそれはきれいなのだ。
自宅にいると喉がイガイガして咳が出るのに、あちらに行くとピタリと治まる。

山を降りるときには都内が混まないうちに到着したいので、朝3時とか、目が覚めたら出発することにしている。
先日も朝4時ころ出発。
玄関の灯りだけで後は真っ暗な森。
しばらく佇んで周りを見ていた。
私は臆病な方で、けっこうお化けが怖い。
それでは鏡が見られないでしょう?とお腹のなかで言わなかった?
言ったでしょう、あなた。

早朝出発した時の森の様子はとても穏やかで深い眠りに就いているようだった。
少しも怖くない、少なくとも都会の暗闇のほうがよほど怖い。
走り出すと少しずつ明るくなっていくのもうれしい。

今回はコンサートでバタバタするし、宿泊する人もいるので、猫はお留守番。
迷ったけれど、私以外の人には全く懐かない猫なので、そちらのストレスのほうが置いていかれるよりも辛いと思うので3日間ほど孤独に暮らしてもらう。
餌や水、トイレの世話だけすればなんとかなるのが猫。
そのかわり、帰宅したときに猛烈に怒られるのを覚悟しないといけないけれど。
犬はそうはいかない。
毎日決まった時間散歩させたりけっこう世話が大変らしい。

森の中の一軒家で暮らすとなると、番犬としていぬを飼うことも考えている。
私が気に入っているのはジャックラッセルテリア。
顔が少しだけ長くて筋肉質の短めの手足。
なんとも愛嬌があって、ずっと前から飼うならあの犬種と思っていた。
ところがそのことを人に話すと皆反対する。
なんでかと思ったら、とても活発で運動量が多いこと。
性格が頑固なこと、力が強いなど、本当は美点なのに高齢者には扱いが大変ということで、反対されるらしい。

数日前にも長毛のジャックラッセルテリアを連れていた人がいたので、話を訊いてみたらやはり皆の言う通り、とても扱いにくいと言う。
そうかなあ、でも、もし犬を飼うならこの種類がいいなあ。
ただでさえ足が痛いのに、活発な犬を飼うのは自殺行為かもしれないけれど、一度だけでも犬と暮らしたい。
しかも私の年齢では子犬から飼うのは無理というもの。
犬が先に死んで私が後を追うというパターンでないと、残された犬が可哀想。
施設からもらうにしても年齢制限に引っかる。

雑木林の中で犬と一緒に暮らすのは夢。
夢見るとたいていの事が現実になる私としては、どこかで私と同年齢くらいの犬と遭遇するかもしれない。
それでも猫の束縛の無さと自分自身の自由を捨てる気にはなれないので、やはり犬は無理かなあ。
今日も散歩途中の犬を触らせてもらってうっぷんを晴らすのであった。

犬のいない森のなかの生活は明日からたったの3日間。
犬はいなくとも、大きな二足歩行の動物が3頭、我が家に宿泊する。
小さい家にひしめきあってドタドタとにぎやかに暮らすことになる。
コンサートが終わればそそくさと戻る。
なんで夏の暑さを避けるための家から、暑さマックスの都会に戻らないといけないのか、私は理解できない。
しかもその後も秋にならないとゆっくり滞在できない、なんでなの?

そりゃあ、お前さん自分で好き好んでやってるんだろう(天の声)










































2019年8月17日土曜日

北軽井沢ミュージックホールフェスティヴァル

20日(火曜日)14時開演 北軽井沢ミュージック・ホール
雪雀連アンサンブル夏のコンサートを開催します。
軽井沢、追分、佐久などお近くの方はどうぞ聴きにいらしてくださいませ。

         プログラム
  モーツァルト:ディヴェルティメントK.136
ヴァイオリン二重奏とヴィオラ
  モーツァルト:ドン・ジョバンニより
   「ツェルリーナとドン・ジョバンニの二重唱」
                ベートーヴェン編曲
  ドヴォルザーク:我が母の教え給いし歌
ヴィオラとコントラバス二重奏
  ヘンデル:アダージオとアレグロ
           ここで休憩
  モーツァルト:ピアノ協奏曲イ長調K.414
ヴァイオリン二重奏
 ショスタコーヴィッチ:
    2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品
コントラバス独奏
 クーセヴィツキー:小さなワルツ
     エルガー:愛の挨拶
ヴィヴァルディ:4つのヴァイオリンの協奏曲

ヴァラエティーに富んだプログラムでしょう?
いつものメンバーが目の手術のために出られなくなり、急遽予定変更。
最初に私が考えていたプログラムは大幅に変更されたのと、昔の仲間が参加してくれることになって、いつもより人数が多くなったこともあって一層にぎやかになりました。

浅間の噴火はいまのところ激化していないらしいので、当日までおとなしくしてもらえると良いなと思っています。
あとは当日のお天気次第、表同然のステージなので雨でも降ると楽器が鼻つまり。
トタン屋根の雨だれの音が・・これも伴奏のうちだと思えばなんのことないです。
コンディションは良くないけれど、かつては桐朋学園のオーケストラがここで練習や杮落しをしたことを考えれば、ご一興かも。

ここにある2台のピアノのうち1台を修理するための募金運動が行われています。
詳しくは群馬県長野原町役場にお問い合わせください。
0279-82-2244
web@town.naganohara.gunma.jp

雪雀連アンサンブルのメンバーは、バリバリの現役時代を過ごして定年を迎えた世代。
私は定年も定年にしようという世代。
まだまだ若いもんにゃ・・・・・・負けます!
絶対若いほうが上手い!
でも音楽はそれだけじゃないですよね?ね、ね、ね?











     

2019年8月15日木曜日

今年も、くにたちの会

毎年8月14日と決まっているくにたち音大出身者によるくにたちの会。
ヴィオラ奏者の滝沢さんが中心になって始まった。
その滝沢さんが数年前に亡くなって、あとを継いだのがK子ちゃん。
私よりだいぶ年下の優秀なヴァイオリン奏者。

滝沢さんが亡くなってから少しずつ人数が減ったのはしかたないけれど、最近は若い人たちも参加してくれるようになってきているから、又平均年齢が下がるかもしれない。
今日もそんなことで参加者は少なめだったから持ち時間がゆったりもらえて、私とピアニストのSさんは、9月にコンサートで弾く予定のブラームスのソナタを出すことにした。
彼女とはもう何回目になることか、毎年ここで弾かせてもらってから本番に臨めるので大変ありがたい。

台風が九州方面に近づいているので、雨模様。
この国は本当によく雨が降る。
楽器は相変わらず鼻つまり状態だけれど、それは我慢するしかない。
Sさんは少し元気がない。
飼い犬のクーちゃんが食事を摂らないので、心ここにあらず。
もう2日もなにも食べていないという。
動物病院はお盆休みでどこも空いていないのでと、本当に心配そう。
ペットといえども数年前にご主人を失くした彼女にとっては大事な家族なのだ。

コンサートの始めは、いつも九州から駆け付けるKさん中心の弦楽四重奏。
彼は現役時代はヴィオラ奏者だったが、この会ではいつもファーストヴァイオリンを受け持つ。
年をとってヴィオラでは楽器が重いという理由で。

ヴィオラジョークというネットで出回っているサイトがある。
海外のヴィオラ奏者が自虐的にヴィオラのことを語る。

例えば
ヴィオラとヴァイオリンの違いは?
ヴィオラのほうが長く燃える。とか、ヴィオラのケースのほうが棺桶に似ているとか。

材料が同じものなので、ヴィオラの方が大きい分重くなる。
四六時中持ち上げていなければならないヴァイオリンとヴィオラは、年を取ると楽器を構えるのがつらくなる。
それでヴィオラ奏者はより軽いヴァイオリンを演奏し始める。
ヴィオラ奏者は子供の時からヴィオラを弾いていたわけではなく、幼少時にはヴァイオリンから始める。
途中で自分の好みや教師からの勧めなどで、ヴィオラに転向するので、元に戻ればいいだけなのだ。
ヴィオラは体の華奢な日本人にはかなり大きく感じる楽器なので、そういうひとを何人も見てきた。

創始者の滝沢さんがヴィオラ奏者だったからこの会は、最初の頃のメンバーはほとんどヴィオラ奏者だった。
主にヴィオラのアンサンブルで埋め尽くされていた。
そこに私のようなヴァイオリンやチェロ弾きなどが加わり、弦楽アンサンブルになり、ピアノ伴奏でソロを弾く人が出始た。
徐々に後輩が加わるようになったけれど、今の若者は本当に上手い。
昔とは土台が違うから、音の出し方に無理がない。
これは羨ましい。

終演後は毎年おなじみの「天政」で飲み会。
しかしただの飲み会ではなくて、ここでも楽器を出して即製のメンバーでカルテットなどを演奏するのが楽しい。
「天政」のご主人はずっとこのワガママを許してくれていた。
毎年この日だけは貸し切り。
何をしても何時でも良いという、最大級のご厚意を頂いていることに感謝。
この時間こそが「くにたちの会」の真骨頂と言える。

私たちは学生時代、学食の奥の席を占領して管楽器の友人とアンサンブルをしていた。
くにたちのおおらかな気質は学生だけでなく食堂のおばちゃんにまで及んでいたので、それを咎められることはなかった。
楽譜を広げて初見で合わせたり、管楽器と弦楽器の呼吸の違いについての議論をしたり。
教室のレッスンでよりも、そこでの語らいで、多くのことを学んだように思える。

来年はオリンピックの年で、交通手段にも制約が出そうなので日を変えるという。
しかし毎年8月14日と決まっていたから、他の日に変わっても14日に来てしまうのではないかと心配している。
来年こそ、認知能力に問題があるかないか、世間様にバレる恐怖の年になるかもしれない。

帰宅してSさんに電話すると、クーちゃんが少し餌を食べたと言うので、声が明るい。
ああ、良かった。
























2019年8月11日日曜日

心太

1ヶ月前にもなるかと思うけれど、右足首を捻挫した。
それ自体はほんの少しひねったくらいだから、大事ではなかったのに、私の天の邪鬼な根性が災いして一向に良くならない。
痛いにも関わらずウオーキングをやめなかった。
筋肉が落ちるといけない、その方が治りが遅くなると言うような勝手な理屈で、せっせと歩いていたら、足首に水が溜まるようになって足が痺れる。
痛みもひどくなるし北軽井沢の家の片付けで階段を何回も上り下りしていたら、根性だけではどうしようもなくなって、足首が妙に太くなってしまった。
これはもう足首を安静にしないといけないと、やっと気が付いた。

それにこのところの暑さ!
尋常ではない。
外に出たらたちまち焼豚になってしまう。
誰かが美味しいと言って食べてくれるなら往生のしがいもあるけれど、毒がありそうだといってカラスにも野良猫にも敬遠されて野垂れ死ぬなら、生きてきた甲斐もない。

というわけで、家の中で無聊をかこつことが多かった。
考えることは3度の食事のみ。
運動をしないからと言って1食抜かすなんて耐えられない。
昨日の昼間は友人と音合せをしていたので、久しぶりにランチの美味しいイタリアンに行った。
美味しくて量が少ないイメージだったのに、厨房のスタッフが変わったらしい。
ものすごくボリュームが有るのにはびっくりした。
昭和生まれにつき食べ物を残すことはめったになく完食。

夜はその代わり豆腐だけにしたのに、今朝の体重計は故障していたらしく、1キロ増加。
いや、そんなはずはないと思って再度挑戦するが、あえなく撃沈。
体重が増えるときは、ある日突然くる。
毎日変わらないからと油断していると、えっ!あっ!えっ!となる。
それが今朝だった。

朝食は毎日ほぼ変わらず。
豆乳をベースにした野菜と果物のスムージー、トースト1枚、卵かハムなどの肉類、紅茶かコーヒー。
昼からがダイエットの勝負。
昼食代わりに心太を食べることにした。
とりあえずたんぱく質だけでも補給と、骨付きラム肉を一つ追加
夕飯はよもぎ豆腐というものを買ってあるので、それ1丁にしよう。

高校時代、同級生の別荘が千葉の海辺にあって、10日ほど滞在させてもらった。
小さなボストンバッグに着替えと水着を詰めて「千葉の海に行きま~す」と家を出た。
母はふーんと言った表情で、誰の家に、いつまで、何処に?とか一切訊かない。
今のように携帯などなかったのに、いざというときどうやって連絡しようとか考えてもいないようだった。
それはとても自由で良かったけれど、もう少し心配してくれてもと物足りない。

海辺での毎日はとても楽しかった。
毎日泳いで夜はおしゃべりに花が咲いて。
私達が学校の側でよく食べた心太の話をしていたら、友人のおばさまが話に入ってきた。
「心太?それはまた鄙びたものを食べるのねえ」
私は鄙びたがわからず「萎びた?」と聞き返す。
「萎びたではなくてね、鄙びたっていうのは田舎風と言う意味なのよ」
ほう、鄙びたとは、なにか優雅な響きではないか。
言葉を一つ覚えた。

あ、それで心太のこと。
昼食を抜こうと思って心太を食べたけれど、やはり食事ではなくおやつという感じだったので、脳が覚えなかったみたい。
昼食時間をしばらく過ぎた頃、お昼ごはんどうしようかな、あまりお腹も空いてないけど軽くお蕎麦でも食べようか。
インスタントのどん兵衛を取り出して賞味期限を確かめた。
もうすぐ期限切れだからこれにしよう。
食べながらはたと気がついた。
お腹が空いていないわけだわ、さっき心太食べたのだから。
ダイエットのせいで1食余計に食べちゃった。

なにか今日宅急便が届くはずと思っていたら、佐川急便さんからの電話。
お届けの荷物が時間内に配達できないので、申し訳ないですがお待ち下さい。
宅配のお蕎麦が届くのは今日だった。
しかも昼食に食べようと午前中指定にしたのに、さっきどん兵衛食べて損したなあ。
蕎麦や心太みたいなツルツルしたものばかり食べていたら、スーパーで思いっきり大きなステーキ肉を買ってしまった。
じつは私肉食獣、猫ですから。



































ノラ猫食堂閉店のお知らせ

我が家の駐車場で営業していた食堂「ノーラ」
連日常連客で賑わっていた。
つい最近の7月までは毎日5匹のお客様。
朝食と時々夕食を食べに来ていた。

かわいい白黒ちゃん、縞猫2匹、やさぐれたボスねこ、大人だと思うけれど、本当にちっちゃいチビちゃんも。
最初はボスねこ以外の猫たちで仲良く分け合って食べていたのを、じっと外から見ていたボス。
仏心でお裾分けすると、おずおず遠慮しながら食べていたのに・・・

私に一番なついていた白黒のメス猫が気に入らなかったらしい。
だんだん威嚇するようになった。
私の目の届くところではしない。
やはり悪いことだと思っているのだろう。
私が餌を置いてその場を去ると、とたんにギャア!という悲鳴が上がるようになった。
ボスが白黒をいじめている。
押っ取り刀(箒)で駆けつけてボスを追い払う。
どうやらこれが逆効果だったらしい。
いじめは日に日にエスカレートした。

今年の梅雨は本当に雨が多かった。
ボスねこに目をつけられた白黒が情けない声で鳴いている。
声の出どころを探すと、斜め向かいの家のベランダにうずくまって悲しそうにこちらを見ている白黒。
ボスがいないことを確かめて降りておいでと言うと、突然どこからともなく矢のようにベランダに駆け上ったボスねこ。
白黒は必死に逃げたけれど、ギャア~と長い悲鳴が上がった。
それ以来、白黒は来なくなってしまった。
毎日毎日、可哀想な白黒の行方を探したけれど、2度と会えなかった。

私はボスを出入り禁止にした。
他の猫たちが餌を食べていると、僕も良い?みたいに可愛らしい顔でアイコンタクトをしてくる。
もう許さない。
箒で追い払う。
他の子たちが食べ終わるまでしっかりと見張りをするようになった。

ボスが来なければ他の猫たちは沢山餌を食べられる。
毎日縞猫とチビちゃんはもりもり食べてお腹はぽっこり。
ふう、美味かった!
それ以来残った子達は餌も残すようになった。
チビちゃんが夕方駐車場にいたので、いつもは朝しかやらない餌のサービスをした。
次の朝、チビは餌を食べなかっただけでなく、なにか恨めしそうにこちらを見ていた。
あら?あんなにガツガツしていたのに、どうしたのかな。

次の日もチビは餌を食べない。
そしてぱったり来なくなった。
残ったのは縞猫。
チビの分ももらえてご機嫌かと思っていたら、その子も来なくなった。
たぶんどんどん食べられる量が増えて、でも毎日メニューは同じ。
飽きてしまったのかも。

こういうことは良くあるけれど、今夏休み。
たまたま学生さんが帰省していて、そのネコ好きのひとが猫に餌をやっているとか?
夏休みが過ぎると又来るかもしれない猫たち。
今までノラたちが気になって長い旅行に出るときは、ご近所さんとか上の階に住んでいる人に頼んででかけた。
ある時初めて頼んだ人が餌の後片付けをしなくて、帰宅したら我が家の駐車場は大騒ぎになっていた。
猫だけでなくカラスまで跋扈していたのには慌てた。
餌のことは頼んだけれど、後始末することまで言ってなかったので。

今朝もお客さんは行列していなかったので、ついに長年の営業を取りやめにすることにした。
すこし寂しいけれど、ホッとする気持ちもある。
ご近所の猫嫌いからは舌打ちされていたに違いない。
たまに行方不明になる子がいると、気持ちがざわつく。
もう関わるまいとおもうけれど、夏休みが終わったら何食わぬ顔して彼らが帰ってきやしないかとも。

長年のご愛顧ありがとうございました。
そんなわけで猫食堂「ノーラ」は閉店いたします。
猫の情報網はすごい。
今頃どこかの駐車場に集まった猫たちが、「ノーラ」はもうやってないよと言いふらしているかな?






















2019年8月8日木曜日

浅間さん噴火する

昨日は日テレの24時間テレビの音録りがあった。
今年の24時間テレビの会場はいつもの武道館が使えず、国技館となった。
国技館は武道館ほど広くないので、オケピのスペースがない。
お陰で私達はスタジオでの録音のみ、本番は居場所がなくてクビだそうで。
いつもなら現場で弾くはずの曲も録音してしまった。
もし又、広い会場が取れてオケピができるようなら、そのときは又お願いします、長生きしてくださいと、言われてしまった。
来年はどうかな?

久しぶりのスタジオの仕事で疲れたのかもしれない。
今朝目が覚めてさて!と思った途端、右目が突然万華鏡のようなキラキラした光に包まれた。
特に目の縁あたりが輝いている。
時々視界の隅っこに黒い影が出て、視界が狭くなる。
なにこれ!
そのうち左側も巻き込まれて右目ほどではないけれどキラキラ。
かすかに頭痛がする。
左目はかろうじて見えるけれど、光のベールを通して見える感じ。
左目はすぐに回復、右目はそんな状態が数分間続いた。

今日はハリー・ポッターを原書で読むレッスンの日で、慌てて先生にレッスンのキャンセルのメールを送った。
木曜日で休診のことが多いので心配したけれど、以前かかった眼科医院が開院しているのを確かめて、でかけた。
視力、緑内障、白内障、視野などの検査を一通り受けたけれど、どれも全く異常なし。
疑われるのは眼底出血や脳内出血。
それでも写真を見るときれいな血管がしっかりと写っていて、それらの心配もなさそう。

他に考えられるのは片頭痛だそうで、特に低気圧に影響されるとのこと。
まだ近くはないけれど今台風が近づいており、それに連日の暑さによる寝不足、疲労などが重なったと思われる。
そんな説明を聞いて安堵した。
今年の7月ころには、こういう症状の患者が続出したそうなのだ。

病院の帰り道、新しくできたラーメン屋さんが開店の時間でドアがあいたところ。
興味があったので入ってみた。
ラーメンは1年に1,2度食べるかどうかという程度のものだったけれど、看板の写真が美味しそうでついフラフラと。
まわりを見ると男性ばかり。
小ラーメンというのを頼んだのに、出てきたのは普通以上の盛り。
野菜が山盛り、チャーシューは超厚切り2枚。
濃厚なスープに太麺。

見ただけで到底食べきれないのがわかった。
食べても食べてもメンが減らない。
なにが「小」なんじゃ。
申し訳ないけれど、と言って半分以上残して店を出た。
若い男性たちは大ラーメンというのを頼んで、あっという間に平らげて出ていく。
その上、野菜の追加を頼んでいる人も。
私だって若い頃は男性に負けないくらい食べられたのに。

家に着いたらショートメールが届いた。
軽井沢に住んでいるみどりちゃんから。
浅間が噴火しているけど今、北軽井沢にいますか?
困ったことがあったら連絡ください、と。
みどりちゃんは雪雀連の会長の山田さんの娘さん。
今は自宅にいて無事だから安心してと返信。
自然の脅威におびえているようでは山には住めないし、噴火も予想していたものの、さっそくかよと思う。
生前のノンちゃんに噴火は大丈夫?と訊いたら、溶岩の通り道は山の向こうにあるからこちらは大丈夫と、のんきな返事だった。
ノンちゃんの家の庭にも溶岩がゴロゴロあるのに。
いずれにせよ、全く安心できる状態ではない。
コンサートの日に爆発しないといいけど。

都会は暑い、今頃の時期に北軽井沢はさぞ涼しく気持ち良いことだろうと思っていたけれど、浅間さんのご機嫌次第ではあちらも修羅場。
修羅場を好む性格とはいえ年も年だから、そろそろ平穏な人生を送らせていただきたい。
でもなにもかも自分の性格が蒔いた種だから、これから後期高齢者修羅場突入の運命かもしれない。
とにかくこの暑さ!誰かどうにかしてくれ~~~!

目の状態は驚くべき若さだそうで、目だけ若くても本当は年なんだから、たのみますよ。
私の周りの人達が白内障の手術をしたら、人生変わるほど良く見えるようになったと喜んでいたので期待していた白内障も全くなし。
見えないのは老眼鏡で補えばいいそうで、当分白内障の手術はできないらしい。
それに北軽井沢に滞在していると、視力が蘇る・・・気の所為?
軽井沢のみどりちゃんが、うちはそちらに比べたら都会だからと言うほどの森の中の家。
毎日暮せば老眼も治るかもしれない。
しかし、当分こちらに生活の基盤があるので、完全な移住ができないのが残念。

























2019年8月6日火曜日

クーラー壊れてクーラクラ

この軽快なリズムをお楽しみください。
はい、それでは皆さんご一緒に。
クーラー壊れてクーラクラ、クーラー壊れてクーラクラ、クーラー壊れ・・・・
あまりの暑さに頭が壊れたようです。

レッスン室のエアコンが突然冷風を出すのをやめて、私はパニックになった。
暑さのピークに、よりによってクーラーが効かなくなるなんて。
ずっと雨が続いたのでほとんどドライに設定して稼働していたけれど、やっと出番が来たというのにクーラーは不調。
時々部屋に入ってみると、ムオッと熱風が押し寄せる。
たまらない。

数人の生徒のためには兄の家の音楽室を借りたけれど、兄も自分のチェロを練習したいし、姪がピアノを教えているから、そうそう使うことはできない。
早く修理に来てもらいたかったけれど、この時期、ダイキンさんの予定も一杯で私の予定と合わず、やっと昨日来てもらうことができた。
今忙しいでしょう?と訊くと「はい、毎日たくさん回ります」

結局うちのエアコンはガス不足のみ、重大な機械の故障はなくてガスの補填だけで済んだ。
ずっと家のリフォームをしていて、ベランダの床の塗替えなどで室外機を動かしたので、それが原因のようだった。
そういうことがあると、事故が多いらしい。
思ったより早く再稼働ができて、これから自分の練習ができるというのに、体がなまっていて動かない。
夜でもクーラーを止めずに涼しく寝ているので寝不足は考えられないけれど、やはりこの暑さはじわじわと体調に影響しているようだ。

暑いさなか、昨日は亡夫の命日だった。
去年のことはほとんど思い出せない。
脳が思い出すのを拒否しているようなのだ。
去年の今頃、青天の霹靂で私の人生が変わった。
辛いとか悲しいとか感じる暇もないくらいだった。

1年経って、今頃、悲しみや寂しさが感じられるようになった。
先日会った友人に言われた。
「去年のあなたはこんなふうだったわよ」と、両肩をグイと揚げて肘を張って見せた。
そう、私は必死だった。
元々ひとを頼ることのない可愛げのない性格だから、自分で全て抱え込んでしまって、それはもう雲を掴むような事務処理もなんとか頑張って。

お墓参りに行って彼の隣に自分の名前が刻まれているのを見て、これで私のやれることは全部終わったかなと思うと、やっと泣けるようになった。
あとはここに入れば良いだけ。
全てが泡沫の夢の様な気がする。

オーケストラ時代、仲の良かったひとから電話があった。
その人のご主人は20年前の今日、亡くなった。
もうひとり仲の良かったトランペット奏者も今日が命日。
今頃亡夫と3人、あちらで楽しく遊んでいるに違いないと話した。
なにかというとつるんでいた仲間だから。
なにもほとんど同じ日に示し合わせたように逝かなくても・・・ねえ。
でも、こんな偶然があるのだなあと不思議に思う。














2019年8月2日金曜日

カラスもボロボロ

野良猫のうちの一匹が今朝は食欲不振。
いつもお腹をすかせて大騒ぎなのに、今朝は食べなかった。
ゴミを捨てに行ったら駐車場に羽毛がボサボサのカラスがぼんやり車止めに停まっている。
近くまで行っても逃げないで濁った目でこちらを見ている。
なにもかも薄汚れている。
カラスの濡れ羽色の真っ黒ではなく、艶のない羽が逆立って見るからに具合が悪そうだからどうした?と声をかけるが返事がない。

なにか食べ物をと思って、さて、猫の餌かそれともパンくずかなにかと考えた。
キッチンの引き出しを開けるとツナ缶がはいっていたから野良猫たちの食器に入れて持っていった。
そこへ北海道に住む私の姪が現れて、なにしてるの?と訊いてきた。
ほんとだ、なんだか元気ないね、逃げないし。

餌を置いて家に入った。
姪が帰ってすぐ電話があった。
ねえ、カラス餌食べてるよ、と。

よかったよかった。
これでカラスもしばらく元気になれるかも。
あまりに薄汚れて、私の大好きな真っ黒で精悍なカラスではないけれど。
賢くて家族思いのカラスを嫌うひとが多いのは残念なことだ。

遊び心もあるし、小さな数もわかるという。
なによりも地域の掃除屋さん。
動物や虫などの汚い残骸なども片付けてくれる。
木についた害虫だって食べてくれる。
姿が真っ黒で声がガアガアうるさくて、それで嫌われる。
カラスという美貌と美声を兼ね備えた名歌手もいたけれど。

最近You Tubeなどで、カラスの動画が出回っていて、多くのひとの認識が好感度になっていったのは喜ばしい。
動物も鳥も、人間より遥かに純粋。
東京都の元知事の石原さん、あなたのお陰でどれほどカラスが苦労していることか。
カラスがゴミを散らかしたりするのは、人間のゴミの捨て方に原因がある。
ゴミ一つまともに捨てられないひとが多すぎる。

明日朝、やさぐれカラスは来るだろうか。
かなり弱っているようだから来ないかもしれない。
そういえば、昨日川の土手で大きな猫がなにか威嚇していた。
もしかしたら病気のカラスが羽を休めていたのかもしれない。
あんなに弱っていてこれからまともに生きていけるのか。
猫もカラスも熱中症?

ここ数日の暑さは異常。
私は暑さには超絶弱い。
その代わり冬は薄着で、私を見た人たちが身震いするほど薄着なのだ。
夏も冬もアンダーなしで同じTシャツを着る。
寒くなると上に着るものが違ってくるだけ。
去年はセーターを着たのはスキー場でのみ。
滑るときはウールのシャツ一枚にヤッケのみ。
だからこの暑さは耐え難い。
昼夜問わずクーラー入れっぱなし。

それで余生を寒冷地と考えて北軽井沢に籠ろうかと思った。
けれど寒冷地の冬は力のないものには厳しい。
それでも豪雪地帯ではないし、管理事務所である程度の雪かきはしてもらえるようだから、なんとか越冬もできるかもしれない。
最近は宅配業者もいるし。
森に深々と雪が降る情景は神秘的で美しいと思う。

自動ブレーキ付きの四駆の自動車に替えることを検討中。

カラスはその後現れない。
どうしたかなあ、今頃どこかの草むらに横たわっていないだろうか。