2022年9月30日金曜日

ハア~!

古典音楽協会第 162回定期演奏会は昨夜、東京文化会館小ホールで開催された。

今回のプログラムはよく古典で取り上げられるものばかりで耳に馴染み深いものばかりだった。私は毎度お馴染みのヴィヴァルディのヴァイオリンコンチェルト「アモローゾ(愛)」のソロを受け持った。この曲は私にとって3回か4回か弾かせてもらったもので、もはやすっかり手になじんでいると思ったら、今回はなんだか変。急に手からするりと抜けて、指使いが思い出せない。練習初日、今まで見ていた楽譜が急に見覚えのないものとなった。なぜか急に認知機能が衰えたか、視力に障害ができたか、内心慌てふためくも素知らぬ顔で練習を済ませたものの恐怖がこみ上げる。

なんでなんで?今まで数回のコンサートでも間違えることはほとんどなかったのに。そして考え抜いた末、もしや先日の野良猫蚤騒動に原因があるかもと思い至った。9月はじめに野良から蚤を移されて酷い痒さに悩まされた。スネが腫れ上がりちょっとしたアナフィラキシー反応ではと疑われるほど。病院で薬をもらった。そのうちの一つは痒い箇所に塗る外用薬。もう一つは内服薬のかゆみ止め。その薬が猛烈に効いて私は7日間、日中の殆どをうたた寝で過ごし、夜はいくらでも眠れるという状態になった。

それでも痒いよりはマシなので服用を続けた。結果、7日間で小康状態になって服用をやめることができたけれど、それでもうっかり発疹の痕に触るだけで痒さがぶり返す。その間目がさめるとお腹は普通に空くので食べる。運動なしで食べた結果、あっという間に2キロも体重が増えてしまった。これはいかん。体重が増えれば膝が痛くなる。歩くのもしんどい。歩かなければ体はどんどん重くなる。

定期演奏会の1週間ほど前、さて、今度の衣装はどれにするかなと思って手持ちのドレスをとっかえひっかえすると、つい数ヶ月前には着ることができたドレスが着られない。ジッパーがしまらない。やっと着ても腕周りがきつい等々。どうしよう困った。しかも靴まできつい。靴は今まではヒールのものを履いていたけれど安定を欠くのでウエッジヒールのほうが安心できる。

そこで趣味のネット商品見つけ。やっと見つけたのは金色のサンダルで、普通サンダルは底はラバーなどが多いけれど、それでは非常にカジュアルすぎる。避暑地ではないのだから。やっと全部金色のかわいいものを見つけた。幸い22センチサイズのものが見つかった。

そう、私の靴のサイズは22センチ。子供用でない22センチは探すのが難しい。たまたまやっと数足残っているメーカーを見つけて注文すると翌日に届いた。これで靴は安心。ところがドレスはたとえ気に入ったものを見つけても裾上げしたり演奏に差し障りのないドレスを見つけるのが難しい。今からではもう遅い。手持ちの中から見つけないといけない。

弦楽器、特にヴァイオリン、ヴィオラは姿勢が左右全く違うので弾きやすいデザインが見つけにくい。特に私のように小柄だと必ず裾は切らないといけない。左肩に花などの装飾品はつけられない。スパンコール、ビーズなどの類は音がビリついたり構えたときに触ると楽器が傷つくおそれもある。腕が上がりやすくないと運弓に差し支えるなど難しい条件がいる。

これでもかと出てくる変わった衣装たち。以前は決まった専門店で買っていたドレスもこの頃はネットで探すことが多くなった。特にヨーロッパものは面白いデザインが多く、取り寄せてみると、とんでもなく胸が空いていたりウエストはあくまでも細く、でもバストは詰め物でもしない限りカパカパだったり体型の違いを思い知らされる。それでも私は面白いデザインが好きで着る着ないはともかく買ってしまったりする。買ったけれどあまりにもガバガバで困っていたものが出てきた。きれいなブルーとネイビーの鱗様の模様でゆったりとしたプリーツ、透けた袖が揺れると美しい。

着てみると貫頭衣かアッパッパーみたいだなこれは。そこをなんとか工夫してあちらをつまみ、こちらを絞りと自分で着ながら縫い付ける。やっと少し細身にしてこれを着ることにした。着心地はすこぶる快い。どこも締め付けられずシルク独特の肌触り。軽くて演奏がし易い。もう年だから多少変わっていてもお許しいただこう。

私の服装は実に評判が悪い。普段はTシャツにパンツだからさほど変わった感じはないかもしれない。けれど以前仕事場でよく会っていたピアノ奏者Kさんから「nekotamaさんはいつも変わったもの着るよね」としょっちゅう言われていた。ある日都内で雪が降ったのであまりの嬉しさに毛皮のビーバー風の帽子、赤、青、黄色の三原色のスノウパーカー、足元は薄紫のスノウシューズ履いてNHKに行ったことがあった。変わった服装の人で満ち溢れているこの業界ですらよほど変わって見えたらしく楽屋口の守衛さんが私を上から下まで目を丸くして見ていた。その時もKさんはここぞとばかり「変わってる」を連発していた。

いいのいいの他人の目は。それでもさすがに定期演奏会の日は私でさえワンピースとおとなしいロウヒールの靴を着用。髪の毛は前日美容院へ行ってブロンドからシルバーヘアに。

今回特に緊張が続いた。前述のとおり体調がいまいち。たぶん薬による後遺症の頭のふらつき、記憶力の後退、見ている音符の意味がわからないことも。一体自分に何が起きているのかしら。今から演奏者の交代はできない。果たして本番で立ち往生はしないだろうか。様々な最悪の事態を想定した。最後にはステージで倒れるかもと思った。

迎えた当日、数日前からすべての薬は飲用せず。目のかすみにはブルーベリーの濃縮液、コーヒーなどのカフェインを断ち、腸の状態を整えるためにヨーグルト多め、野菜中心の食事を摂ったのに、それでもお腹は調子悪い。本番が心配という私史上最悪のコンディションだった。

結果としては、今まで何回も同じ曲を聞いてくれた人から、今までのうちで一番良かったとお褒めを頂いた。本人の必死さが伝わったかな。自分としては納得いかないけれど、こういうことはままあるもので、せっかく褒めていただいたので素直に喜ぶことにした。こうやって私の周辺の人は私を育ててくれる。

そこで思い出したのはある指揮者の話。本番でつい力みすぎてウエストのベルトが切れるという事件勃発。ステージでズボンが落ちては末代までの恥だから必死でベルトを抑えてなんとか演奏を終えると万雷の拍手。オーケストラのメンバーは指揮者が必死の形相でお腹を抑えながら棒を振っている。理由はわからなくともその迫力は鬼気迫るものがあったらしい。メンバーも全力で演奏をして、結果、今までになかったほどの名演になったという。ベルトが切れて名演ができるなら私もベルトを切ろうかなと、だんだん他力本願になるnekotama。もはや太りすぎてウエストがないくせにねえ。










2022年9月18日日曜日

伸びる人たち

 小田部ひろのさんという人がいた。クラリネット奏者で音楽教室「ルフォスタ」の創立者だった。その小田部さんとジャズのサキソフォン奏者の大友さんと私がたった3人で始めた音楽教室だった。すぐに教師は5人になったけれど生徒は3人だけ。この先果たして入会する人いるのかどうか危ぶまれたが心配は無用だった。あっという間に生徒も教師も増えて、そこから試行錯誤を重ねた。

生徒は増えて私は食事をする時間がないくらい、朝から夜までレッスンで楽しく過ごしていた。しかし好事魔多し、小田部さんはその後亡くなった。私の悲しみは今でも癒えていない。ユーモアと明るさに誰もが惹きつけられた人だった。喧嘩もたくさんしたけれどいつも彼女と一緒に教室のこと、アマチュアオーケストラの立ち上げなどで奔走したことを懐かしく思い出す。

小田部さんが残した音楽教室の発表会が伝承ホールで行われた。コロナ禍で生徒も減少したけれど、特別熱心な生徒たちは意気盛ん、聴いていると毎年の成長が目覚ましい。特にこの教室は大人のための教室「おじさんたちのオアシス」を作りたいという小田部さんの理想が花開いている。

競争社会に疲れた大人たちが来るとホッとするような教室を目指していたので、はじめのうちは何でも緩かった。発表会のステージでもみなさんあまりお上手ではなく、途中で苦笑いやおしゃべりをしたり客席も笑いに包まれることが多かった。年月が経つとだんだんオアシス的傾向が競争に代わっていった。私にとってはそれは寂しかった。おとなになってから楽器を始めた人が何を求めているかというと、ここに来ればホッと息がつけて緊張がほぐれる空間がほしいのだと思っていたから。

だから特に楽器の演奏がうまくなりたい人には真面目に向き合い、癒やしを求めてくる人には話し相手となり、レッスンだかカウンセリングだかわからなくなることもあった。年に数回しか来ない人も20年近く在籍してくれた。月謝がもったいないわよというと「いいんです」と言ってお酒の席で会うことのほうが多かったり。

そのうちだんだん教室の中に向上心盛んなグループができ始め、それが全体に波及して演奏技術はどんどん上がっていった。やはり人は競争心旺盛なものなのだと改めて思う。競争しているつもりはないかもしれないが、他人を見てその努力に巻き込まれていくらしい。

毎年一回発表会を聴いていると彼らの進歩はめざましく感じる。一般社会でそれこそ寝る間もないほどの仕事をこなして、いったいいつ楽器の練習をしているのだろうか?それでも確実にうまくなっている。それは、わかるような気がする。

私が超多忙なオーケストラで働いていた頃、私の先生が漏らした言葉。「時間がたくさんある生徒よりもあなた達のような忙しい合間に練習する人のほうがうまくなるのよね。時間がないから集中するのね」なるほど、それか!

私の所属した貧乏オーケストラは超多忙、寝る間も惜しまないと練習なんてできない。私の場合、朝チェリストが迎えに来てくれて自宅を出るのが午前6時、7時に室内楽の練習を始める。9時に終わってすぐオーケストラの練習所に向かう、10時にオーケストラの練習開始、午後も夜もというときもある。もっと厳しかったのは午前の練習が終わると演奏会場で午後1時からゲネプロ、午後7時本番なんて日もあった。だから室内楽の練習を午前7時に始めると、夜に本番のある日は14時間拘束されることになる。もっとすごかったのは本番が終わってから練習するとき。営業の終わった不動産会社の部屋を借りて夜中に練習する。周りは畑で音出しは大丈夫。夜明けまで弾いて朝帰りなんて。そんなスケジュールを良くもこなしたと思う。好きでなきゃできない。

結局オアシスはのんびりしたい人はのんびりと、技術の向上に励みたい人はせっせと、それでいいのだ。ただしお互いに相手のことをバカにしないこと。あんなにせかせかしなくても、とか、あんなに怠けているから下手なんだ、とか言わないこと。他人のことをとやかく言わないというのが鉄則でしょう。

若さは強い、今上達街道まっしぐらの教室の生徒たちは、かつての私の姿かもしれない。







2022年9月17日土曜日

かゆい・ゆかい

 文字を入れ替えただけで天と地ほどの差が出る。やっと痒い生活が終わった。痒くない生活がこれほど愉快とは。かわいそうな野良たちは家に入れてもらえず秋が深まって朝夕肌寒い日々、心細い思いをしているに違いない。メス野良は普段はクールでお澄ましやさん、それが一生懸命すり寄ってくる。けれどやっと手に入れた平和を壊されてはいけないから私は逃げ回っている。彼女にしてみたらなんで?と。

もう一つ解決は楽器のこと。私の楽器は御年300歳をこえている。うちの猫は猫年齢で100歳ほど、人間の年齢なら二十歳くらいに。でも楽器は本当の年齢だからよくぞここまでご無事で生きながらえてくださったと感謝したい。しかしこの年寄りが気難しくて時々手に負えなくなる。若くて健康な楽器はバリバリと働いてくれるから多少の天候の差、気温や湿度にもコンディションがそれほど崩れることはないけれど、古い楽器は低気圧が近づくとひどくご機嫌斜め、まるで人間みたいなのだ。時々若くて働き盛りの楽器に代えることも考えていたけれど、古さゆえの味わい捨てがたく四苦八苦していた。

私のとんでもないミスで楽器のコマを倒してしまったことがあった。コマは無惨に真っ二つ、楽器本体にヒビが入らなかったのが不幸中の幸いだった。次の日から仕事で地方へ行くので、真っ青になってすぐ近所の弦楽器工房に走った。コマを付けて点検をすると幸い楽器はなんとか無傷だった。とりあえず音は出る。

旅から戻って同じ楽器工房で本格的な調整をしてもらいしばらく使っていたらなんかおかしい。コンディションがどんどん下がってくる。見てもらってもどこも悪くないと言われるしこれはおかしい。それであちらこちら訊き回って紹介してもらった別の工房へ行くと、コマの削り方がなってなかったらしい。コマは楽器に合わせて職人さんが削る。ここが腕の見せどころ、あの小さなコマにその楽器の人生を左右するほどの魂が込められる。

まもなく古典音楽協会の定期演奏会、私はヴィヴァルディの協奏曲「アモローゾ(愛)」のソロを演奏することになっているけれど、楽器の鳴りがいまいち。先日弦を替えたときにコマの位置がわずかにずれたらしい。自分でしばらく調節してみたけれど、どうも低弦の鳴りが悪い。かすかに芯に鳴らない部分がある。気にしなければ終わってしまいそうなほんの僅かな響きの差。パスタのアルデンテみたいに芯に硬さが残る。これはプロに頼むしかない。

ここ数年通い出した弦楽器工房のTさんという若いマイスターはオタクという人種に属する。職人さんはだれでもそうだけど、仕事が好きで好きで仕方がないのだ。予約するとき「休日だけど構わない?」と訊くと「そのほうがいいです」と答える。家族がうちにいる日は工房にこもりっきりだそうなので。だからといって人間嫌いではなさそうで、楽器の話になると夢中になって詳しく説明してくれる。ただ人間より楽器が好きだというだけの世にいう変人なのだ。

彼の調整で音の芯はきれいに無くなった。ほんのかすかなズレだけど私にはコマを動かす勇気がなくてここ数日ウジウジと悩んでいたのだ。そして私がコマを割ってしまった話をすると「ああ」かすかに非難の声が混じっているため息を漏らした。以前私の楽器にはフランス製の古いコマがついていた。それを聞いた彼は「実はうちに古いコマがありますが、ふさわしい楽器につけたいと思って保存してあるのです」滅多な楽器ではつけてやらないぞという気持ちが声に表れていた。

そこをなんとかと粘って今年の暮にコマを取り替えることになった。大事そうにケースから取り出した3枚のコマを矯めつ眇めつ、木目や色合いから木の硬さや全体のバランスを調べ、そこから音の鳴り方を想像する。中でも良さそうな一枚を選んでもらい今年中に削ってもらうことになった。私の年齢からいってあと数年しか使わないと思うけれど、次にこの楽器を使う人に最高のコンディションで渡したい。

私の楽器は顎当てに近い部分にパフリングの浮きが見える。パフリングというのはヴァイオリンの胴体をぐるりと一周する2本の黒い線のこと。これは書いたのではなく細い木を曲げて埋め込んである。膠で接着してあるので膠が剥がれたりすると音が悪くなったりビリついたりする原因になる。そこが気になる。汗の染み込みやすいところなので長年の冷や汗がパフリングを浮かしているのだ。まだ剥がれが出ていないので今のところそっとしておくことになった。しかしそれも数年後には修理が必要になるかも。

「レッド・ヴァイオリン」という映画があった。製作者の妻が亡くなった日に完成された名器がその後様々な人の手にわたる。それぞれの国で運命に翻弄されながら、やがてオークションで巧妙に偽物とすり替えられてある男のものとなる。レッド・ヴァイオリンとはその色が赤いから。赤い色の秘密は製作者の妻が亡くなったことと関係があるという少しえぐい筋書き。

300年の間に私の楽器は誰の手でどのように暮らしていたのだろうか。彼自身は東洋の小さなおばあさんの家に来るとは夢にも思わなかったに違いない。次は誰の手で鳴らされるのかしら。楽器は個人が所有しても決してその人だけのものではない。何代にも亘り受け継がれる文化財なのだから本当に大事にしないといけない。コレクターが金庫にしまっておく存在でもない。鳴らしてこそ楽器が生きるのだから。

痒みが去って楽器は快調、弾き手はもうヨレヨレながら頑張ります。

古典音楽協会第162回定期演奏会

9月29日(木)午後7時開演 東京文化会館小ホール 

聴いてくださると嬉しいです。



2022年9月16日金曜日

かゆいはなしだから読まないほうがいいかも

動物を飼っていない人たちは 今回の私の猫蚤騒動を読んで気持ち悪いと思ったでしょう?でも犬でも猫でも飼った経験があれば、たいていこのような目に一度はあっていると思う。

猫の首に滴下した薬が効いたのはどうやらメスの野良とうちの老猫、もう一匹のデブオス野良はいまだに盛大に痒がっているから効いていないらしい。効かないとなると次の手段を考えないといけない。今年の春まで2匹の野良は寒い日には家に入れていたので、それほどひどい状態ではなかった。オス猫もこざっぱりとして可愛かった。

オス野良は毛が密集していて薬を滴下するときに地肌まで届かない。この薬は肌から猫に染み込んでその血を吸った蚤がやられるという筋書きになっているから、毛が邪魔して流れ落ちてしまえば効能は期待できない。メス野良は地肌に滴下できたのでたぶん効果が出ていると思う。猫にも毛深いのとそうでないのといると発見したのが今回の成果。なんの役にも立たない研究発表でした。

首輪自体がノミ取り薬でできている強力なのもあるけれど、それをつけると本体の猫が弱ってしまう。それで首輪を数個に切ってそれを他の紐などで首に巻く。それでも相当強いらしい。でも今回は背に腹は変えられず、オス野良にはその首輪をつけてもらおうと思っている。

まだ飼育の知識が浅かった頃、4匹の猫たち全員にノミ取り首輪をつけた。数日すると猫たちが首をたれてうずくまってしまったので大慌てだったことがあった。獣医さんが1本の首輪を切分けて首に巻いてくれて猫たちはやっと元気を取り戻した。今回は栄養状態が良く大きなデブさんだから、1本でも大丈夫かも。それは獣医師と相談。

メス野良はそろそろ涼しくなったので家に入れてもらえるのではないかと期待しているらしい。けれど彼女を入れると巨大ノミ猫も一緒についてくるのでまだ許可していない。このメス猫は非常に賢く何をやってはいけないかを人の表情からすぐに読み取る。可哀想だけれどまだベランダでダンボール生活、寒くなる前に考えてあげないと。

家の中は盛大に煙を炊いて消毒、こちらがやられてしまわないかと思ったけれどまだ生きております。早くも効果は出て、やっと平和な日々が帰ってきた。もう1回燻せば完璧になりそうで本当にホッとした。私の噛まれて腫れていた足もだいぶ良くなってきた。飲み薬の作用で眠り続けていたので体重が増えてしまった。これからダイエット、やっと落とした体重は、戻りは超スピード。しかも太り始めると食欲が抑えられなくなるのが不思議なのだ。

蚤みたいに小さな虫に振り回されていると、もっと小さなウイルスに振り回されたここ数年のことに思いが及ぶ。結局人間は少しも強くないのだ。ウイルスと人の免疫細胞が戦っているだけで人間自体はなすすべもなくハラハラして戦いの行方を追って怯えているだけ。情けないけれどそれが人間の手の及ばないところ。研究者たちだっていきなり現れた病気の解明は一筋縄ではいかない。時間がかかる。最近やっと治療薬ができたのでコロナ禍も終りが近づいてきた(かもしれない)とWHOから発表があったばかり。コロナそのものが終わるのではなくて人類との共存が始まったというべきだから、完全に危険が去ったわけではない。

人間は大きい人のほうが強い、あるいは強そうに見える。しかし危険は相手の大きさとは関係ないようだ。今はウイルスが一番えらい。そのためには人間は惜しみない努力をする。私達もワクチンを4回も打たなくてはいけなかった。挙句の果ては蚤に負けてしまう。私は今までものすごい数の猫と一緒に暮らしてきたのに今回のように蚤に負けたことはなかった。これはコロナワクチンのために体質が変わったとかは考えられない?単に年取っただけ?




2022年9月13日火曜日

老音楽家のつぶやき

 3匹の猫たちの首筋には蚤よけの薬が滴下され、部屋は強力な煙で燻されてやれやれ、これで平和が戻ると思っていたけれど、どっこいそうは問屋が卸さない。

夕方野良たちの餌やりで可愛い顔してゴロにゃんされてつい頭を撫でたばかりにまた私の腕に数か所の噛まれたあとができてしまった。ノミ取り薬は猫の肩甲骨の間の地肌に液体を滴下する。野良のオスは滴下したときに地肌が見えないほど毛が密集しているので薬がうまく効いていないらしく、しきりと後ろ足で顎を掻いている。メスは涼しい顔でお澄ししているから効き始めたのかもしれない。

私の最大の欠点は物事すべて詰めが甘いこと。最後まできっちりと見届けてから結論を出すという姿勢がないので結果があやふや。かわいいからと言ってつい手を出してまた蚤に食われてしまった。それでも一番ひどかったスネの炎症は治まった。赤く腫れていたのが鎮静してきた。このままなおってくれればうれしい。

1週間ほど前にいつもコンサートに来てくれる人にチケットを郵送した。只今どこに行ったかわからない郵便物の中にその人へ届くはずの手紙が入っていたらしく、私の問い合わせに「いつもならそろそろ来るのにまだ来ていません」と言う。もう3週間にもなろうというのにもはや絶望的かもしれない。そしていつもチケットが届くとすぐに連絡してくるその人から、私の送ったチケットが届いたという報告がない。またこちらから問い合わせのメッセージを送った。まだ返信がないけれど、もしこれでチケットが届かないとなったら郵便物の遅配は恐ろしく根が深いということになる。郵便局の中で何が起こっているのだろうか。

この問題が起きた同じ頃、元生徒から結婚報告のはがきが届いた。けれど彼女が結婚したのは5月末、切手の消印を見ても日付が見えないのでわからないけれど、3ヶ月以上前の結婚報告が今頃というのもおかしい。問い合わせのメールを出したらアドレスが変わってしまったらしく送信できなかった。住所がわかるのでなんとか連絡をとって問題究明しようと思っている。

いろいろ問題が起きているのでくさくさしていたけれど、久しぶりに友人と食事をしたので少し気が晴れた。私の家の最寄り駅で夕方待ち合わせ。私の友人たちはとにかくせっかち。約束の時間に絶対遅れることはない。だから少し余裕を持って家を出ることにしたのに階段を降りると野良が二匹、愛らしい笑顔で見上げていた。しまった見つかったか。そそくさと猫たちのお食事のしたく。はい、どうぞと言ってさっさとその場を離れようと思ったけれど、最大の愛嬌を振りまいてくる野良カップルについついほだされて頭をなでてしまった。

それで私の方は約束の時間通りの到着となったけれど、友人Aさんはすでに到着していて大きく両手を振って満面の笑顔でむかえてくれた。話は尽きない。食事も美味しい。ものを食べるとき誰かと一緒だとこんなにも味が違うものかと思う。私が一人になってしまったとき、味気ない食事はものの5分ほどですんでしまった。これではいけないと思ってプライムビデオで食事の光景が見られるものを探して、それを見て食事をするようになった。最適だったのが「孤独のグルメ」

背の高い非常に痩せた男優さんが黙々と大量の料理を平らげる、ただそれだけのことなのにそれを見ながら食べるとずいぶん食事が楽しくなった。テレビの料理番組は色々セリフが入るので「これ、無理に美味しいって言ってるんじゃない?」と疑ったりするけれど、この人は本当に美味しそうに食べる。痩せた顔の顎の動きがもう止まらないというようで、食べ終わったときの満足そうな顔を見るとこちらも嬉しくなってしまう。それを見るようになってから私はずいぶんゆっくりと食べられるようになった。

Aさんも最近ご家族をなくして一人暮らしになってしまった。「誰かと一緒に食べると本当においしいわね」二人で何回も言い合う。ほんの少しワインを飲んでほろ酔いで商店街を歩いてお別れ。すぐにメールがきてまた一緒にお食事しましょうね。こういう友人がいればこの世は楽しい。

一人暮らしも楽しいけれど、たまに人とあって食事をするだけで心が休まる。これはとても大事なことだと思う。とりとめのないおしゃべりはいつの間にかストレスを開放してくれる。

そして今私と友人たちはしょっちゅう言い合っている。「楽器を弾いていて本当に良かった」と。晩年になっても楽器を弾く仲間たちがいて一緒に演奏できてこんな幸せなことはない。学生時代、練習が辛いこともあった、仕事で緊張のあまり弓が震えることは数知れず、ステージに上る前の緊張感と言ったら・・・友人の一人が言った言葉が忘れられない。「断頭台に登る気持ちだったわ」

出演が決まって本番までの間の心の準備が大変だった。夜中に目が覚めて暗闇の中で最悪の事態を想像する。このときが一番つらい。学生時代レッスンがうまくいかなくて先生や友人に言われた一言で天国から地獄へ。自分が情けない。ヴァイオリンなんかやっていなければどんなに呑気に生きられるか、もうやめようか・・・とは思わなかったけれど、それに近い気分のときもあった。その苦労が今私達にこんなに幸せをもたらしてくれるなんて。想像もできなかった。

自分は楽器なんて弾けないから幸せにはなれないと言っているそこのアナタ!これから始めればいいじゃない。楽器を買う余裕なんてないわと言っているそちらの方!リコーダー1本でも立派な楽器。奥が深くヴァイオリンと同じくらい表現力もあります。フランス・ブリュッヘンというリコーダー奏者がいる。私はいつも彼のCDを聴いて眠りに就いた。

ぜひ音楽に親しんでいただきたい。













2022年9月11日日曜日

くさくさしていたけれど

 何事もうまくいかず腐っていたけれど一つ良いことがありました。今朝仕事に出ようというその間際にメールが届いた。友人のAさんから久しぶりに。

そのメールを受けてすぐに返信メールの作成をしていたけれど、出発時間が来てしまって後で電話しようと思っているうちにけろりと忘れてしまった。仕事が終わって豊洲駅のエレベーターに乗ったら着信ベルが鳴った。「あなた、大丈夫?」

最近はメールに返信しないと心配されるようになったのだと妙なことで感心した。私から返事がないので何かあったのではないかと心配していたらしい。心配してくれる人がいるというのは本当にありがたいことで、彼女は最近身近な人を失ったので私のことも他人事ではなかったらしい。しかもご家族がなくなったことで実家の大きな家を処分してマンションに移り住んだその場所が私の家からも近く、なにかとつるむのには便利だと喜びあった。

以前はAさんと昔の仲間達が毎月のように女子会をしていた。残念なことに、その中心的な存在のKさんという人が2年ほど前になくなってしまったので女子会は休会。Kさんがなくなったショックで言い出す人もなく未だに会わないでいたけれど、ジリジリと再開の兆しが見えてきた。まずは二人で食事でもしましょうということで明日、悪巧みのために会うことになった。

Aさんは優秀なヴィオリストで私は彼女の音楽が大好きだった。アンサンブルの能力が高く、ステージ上では肝心なところでヴィオラを見ると必ず彼女はこちらをみている。お互いに「そうよね」と頷き合って先に進む。楽器で会話できる仲間なのだ。「最近ヴィオラに萌えてるのよ」とAさん。「忙しくなってきたわ」とも。

私たちは老後にこんなに素敵な時を過ごすことができるのなら、今まで楽器の訓練に使った膨大な時間と労力も無駄ではなかったと言える。今日もまた薬が効いて眠い。食っちゃ寝を繰り返しているので再近体重もジワリと増えた。結構苦労してなんとか保っていたのに今朝体重計に乗ると増えていた。これはいかん、なんとか食い止めないと大台に乗ってしまう。

体重増加の原因は夜中に目がさめるともう眠れない。これはまずいと豆乳を温めて飲む。するとまたすぐに眠れるのだ。本来なら寝たいときに寝て起きていたければ眠らなくてもいいところなのだが、人間社会で生きていこうと思ったら社会と時間を合わせないといけない。これが不眠の原因ではと思っている。一日何時間寝て入眠は夜中前になんて学者先生たちがおっしゃるので、それに合わない睡眠パターンを持った人は罪の意識を持つ。眠らなければいけないなんて誰が決めた?でも夜中に起きているとどうしても物音を立てる。集合住宅の悲しさは夜中に洗濯ができないこと。洗濯ができるほど壁の厚いマンションに住みたい。

私はとても短い睡眠時間で長年やってきたけれど最近は(特に今は)長時間眠るようになってきた。このまま行けば365日眠り続けていられるようになってそのまま永遠に目が覚めなくなるだけのはなし。

イギリスのエリザベス女王のご逝去(崩御と言うべき?)は私にとってもショックだった。外国の見知らぬ女王様というイメージではなく、子供の頃からの憧れの存在だった。よくノートの隅っこに女王のお顔を描いた。子供心になんて素敵な方だろうと思っていた。私の書く似顔絵はとてもよく似ていたと思う。はっきりした美しい目鼻立ち、意志の強そうな口元、どんな場面でもどれほどお年を召されてもなお美しかった。むしろ晩年の笑顔は慈愛に満ちていてとてもチャーミングだった。

ニュースで亡くなられた事を知ったときには本当にショックで涙が出た。これほど顔や立ち居振る舞いにはっきりとした意思を見せていた方を他には知らない。存在そのものが言葉であるような稀有な存在だった。憧れの存在がまた一つ虹の彼方に消えていった。

どこの国も同じように覇権を争うときには残酷だったと思う。宗教も同じで布教のためにずいぶん手荒なことをしてきたと思う。イギリスはたくさんの植民地を持ちそれらの国々から略奪をして財を蓄えた。私がインドに行ったときに見たものは、インドの王宮の壁にはもとは宝石が埋め込まれていた跡の穴が沢山空いていた。イギリス人が壁から宝石を持ち去ったのだという。それが今の王家の財産というのだから本当は世界から非難される存在かもしれない。プーチンを責められない。年月がそれを浄化してしまう。残るのは尊敬と憧憬。時間が悪行を消し去って強いものは強さで正義と言われるようになる。面白いですね。そうやって財を成せばなすほど罪は深いのにね。









2022年9月9日金曜日

災難続き

 今年の春頃から様々なトラブルが続いていて天性の楽観的な私ですら落ち込むことが多くなった。先年からの足の故障はようやく以前の状態に戻ったものの、大好きなスキーを数年本格的にできなかったので足前が著しく落ちたに違いない。怖くてなかなか積極的にできなくなってしまった。

妙高のゲレンデの初級者コースを恐る恐る降りたのが今年の春先、たったそれだけ。情けない。つい2年前まではヨーロッパ最高峰のゲレンデを滑っていたなんて夢だったのかしらと自分をつねりたくなる。

その後も様々な良からぬことが押し寄せてくる。最近起こった出来事は、郵便物の紛失事件。いつも送られてくる郵便物が届かない。コンサートのチラシが入っていたはず。送り主は普段絶対に間違えることのない人だから、あまりにも変なので郵便局に問い合わせると調査するので1週間待ってほしいと言われた。その1週間後電話するともう1週間待って下さい。もうすぐその約束の日がくる。果たして?送り主は郵便局に紛失物捜索願を出したそうなのでまもなく結論が出るかもしれない。昨日郵便局の人が来て調査を継続していますからと言ってくれたけれど、もうすぐコンサートが終わってしまう。

それ以前から時々変な現象が起こるようになった。私は公共料金などは今まで決して滞納することはなかった。それなのに税金の督促状が来たときには本当にびっくりした。その後もう一度督促状が。それも心当たりはない。一度だけなら自分のミスと思えるけれど、なんかおかしい。

支払通知が来ると私はまずそれをすぐにバッグに入れる。そうしておけば必ず忘れることはない。けれど支払通知が来た記憶もない。郵便物が何週間も来ないときもあった。いくら老人であっても郵便がこんなに来ないというのはおかしい。まして私はかなり交際範囲が広いからこれは異常な事態だと思う。郵便局の怠慢とは思いたくないから・・と、すると、郵便受けから抜き取られた?それで税金の自動振込の登録をしていないものを自動振込にすることにした。今頃?と思うでしょうがなんとなく税金はきちんと払っているという確信がほしいのでそうしていなかった。電気やガスなどは初めから自動引落にしているけれど。

集合住宅に住んでいるから郵便受けを誰かがさわっていても怪しまれることはないかもしれない。郵便受けは数字の組み合わせでロックされる機能はついているけれど私は面倒だから施錠しない。時々ものが盗まれることがあって玄関に防犯カメラがついている。先日リフォーム業者に郵便受けの相談をしていたとき、彼が発見したのはそのカメラがとんでもない方角に曲がっていたこと。これでは入り口が映りませんよねと背の高い業者さんは手で入り口が映るように直してくれた。誰がこんな風に曲げてしまったのか。

それでも郵便受けは普通こんなものなのでどうしたらいいかなあと彼は考え込んでいた。ドアを二重にするとか色々考えても結論が出ない。そのうち今度は迷惑電話がかかってくるようになった。非常に変な声なので音声を変える装置で喋っているようだ。妙にハオリングする機械的な感じなのでそうだと思う。友人たちなら携帯にかけてくるけれど、未だに固定電話が主な通話手段の人たちがいるので撤去できないのだ。

迷惑電話が続いた頃着信音が鳴ったので恐ろしい声で「もしもし」と言ったら相手は音楽関係のマネージャー、失礼しましたと謝って今の状況を説明したらいろいろアドバイスをされた。こういうとき私は妙に張り切って色々やって逆にトラブルを引き起こす。ゴミ問題で近隣とのバトルを長年やってきた。その御蔭でずいぶん敵を作ったに違いない。ゴミ捨て場はやっと常識の範囲内に管理されるようになった。ここまで20年以上かかりましたよ。私が戦わなかったらいまだに通りすがりの人達がジロジロと見ていく汚いゴミ捨て場でいたと思うと、嫌われてもよかったと思っている。

最近地域猫の考えが普及してきて、野良猫の餌やりも見過ごしてもらえるようになったばかりか時々餌をおいていく人がいて、これは大いに迷惑。餌をやるのはいいけれど後片付けまでしてくれる人はいない。餌の食べ残しの放置は野良同士の喧嘩のもとになるし、カラスが跋扈するもととなる。これだけはやめてほしい。

その猫たちから蚤をうつされて情けない有様で困っている。かわいいのにあの痒さを考えるとすり寄ってこられてもつい避けてしまう。敏感な野良はなんとなくよそよそしくなった。のらや!そうではないのよ。わかって頂戴。獣医さんに相談しに行こう、と思っていたけれど、強烈なかゆみ止めの薬が効いていて遅い午後まで目が覚めない。これが生活を乱している。迷惑電話の相談にも行っていない。警察へ行くのか区役所に行くのかよくわからないけれど、調べようと思っているのに眠すぎて動けない。毎日確実に15.6時間は眠っている。こんなに寝てだいじょうぶなものか実験しているみたい。

寝すぎてもいいことはなさそうで、ずっと目が霞んでいる。やっと白内障になったかと思ったけれど、どうやらこれは眠り過ぎのために目の筋肉が緩みすぎているのではないだろうか。眠り過ぎというより薬のせいかも。こんなに強い薬を飲まないといけないくらいかゆみは我慢出来ないものなのだ。痛みのほうがまだまし。

今日は住まいにバルサンをたいた。駐車場には蚤、ダニ退治のスプレーを。長年猫を飼っているけれど、こんな風になったのは初めて。原因を考えたら今年の異常な暑さが影響しているのではないかと思う。いつもは猫を拾ってくると家に入れる前に動物病院で蚤の薬を注射してもらう。家から出なければそれで一生蚤にくわれることはない。

野良にはブラシをかけておけば普通それほどひどいことにはならないから、駐車場でせっせとブラッシングをした。とにかく明日は必ず動物病院へ行って相談しよう。けれどそれも今飲んでいる薬の効き目次第。朝起きられるかどうか。

昨夜、ここまで書いて眠くて寝てしまった。今日はやっと睡眠時間が短くなって、午前中に動物病院へ。猫の首の後ろに垂らして蚤やダニを駆除する薬を買ってきた。首の後ろの毛をかき分けて肌に触れるように垂らすと1ヶ月くらいは蚤が防げる。これを2匹の野良とうちの猫の分買ったら1万円札が飛んだ。猫を飼うのも楽じゃない。

ネットで買物をしたら怪しいサイトだったらしい。ショップからのメールについてGmailから黄色い警戒文書が送られてきた。フィッシングを報告という警告文。慌てて銀行に行って調べたけれど、金銭的にはなにも被害は見当たらない。銀行員もわけが分からないようだ。とするとどこに行けばこれがどういうことなのかわかるのかわからない。この文章もわけわからんでしょう。

たぶん私のカードの情報が盗まれたのかも。銀行で聞いたらカードは保険がかかっていると言うけれど、この先なにか大変なトラブルに巻き込まれるかもしれないから、件のメールは手つかずのままそっと残してある。うっかりリンクをクリックしないようにそっとしてある。

同じショップから商品が保管してあるというメールが次にきたけれど見れば見るほど怪しい。住所がわかっているのにどうして配達しない?SAGAWAとなっていて営業所に連絡するようにと・・・。怖くて誰が連絡できますか。絶対にあの佐川急便ではない。ちなみに保管されている追跡番号は佐川急便の追跡番号には当てはまらない。ということで警察にでも行ってこようかと思っている。幸い私は地元警察署の知能犯を扱う捜査関係者に知り合いがいるのだ。以前ある事件に関わったことがあるので。

蚤には食われ、郵便物はなくなり、怪しい電話に怪しいショップ、カードのフィッシング、これでもかと災難が降りかかる。もうやだ!























2022年9月5日月曜日

ネコノミー症候群

 明日台風が沖縄に接近というニュースが流れた日、こちらも雨が強くなり始めていた。

うちの野良はカップルでいつも現れる。オスの方は半分飼い猫らしく、天候が荒れるとどこかへさっさと避難してしまうけれど、メス野良はたいていうちの駐車場にいる。夜になって雨が強まってきたので様子を見に駐車場に行くと、心細げに一人で佇んでいる。思わず抱き上げて「大丈夫だからここでじっとしていなさい」と言い聞かせてしばらく抱っこしていた。

次の日、腕のそこここに赤い斑点ができているのに気がついた。触ると急に痒くなった。そこからが悪夢の始まり、赤みは範囲痒みともにどんどん広がってきた。ついには皮膚が盛り上がって一つの島状態にまで。ここでこれはおお事だと気がついた。その日は木曜日、大抵の病院は休日。金曜日になると私は北軽井沢に出かけないといけない、病院へ行く暇はない。

土曜日からは生徒たちが集まって、毎年恒例になった合宿が始まる。これは夏の楽しみの一つで、北軽井沢の狭い我が家に集まって彈いたり飲んだり。でもここ数年のコロナのせいで結局都内の会場で練習するだけに終わったりしていた。今年は幸い北軽井沢ミュージックホールが借りられてやっと広いところで練習ができることになった。それでみんな張り切っていたのだけれど、家族の介護など諸般の事情もあり参加者は私をいれても8人となった。

一日前に北軽井沢入りをした私は準備に忙しく、痒さも然程でなかったのでまだ病院へ行くという気持ちはなかった。ときが経てば自然に治癒するものだと思っていたので。ところが最初のうちは手首のあたりに数か所、赤みのある斑点があっただけなのに斑点同士がくっついて大きな島になり始め、すこしでも掻いてしまうとその後猛烈に痒くなって、どんどん範囲も広がってきた。これはいかん。

しかし楽しみにしている合宿はやめるわけにはいかない。それに私はほぼ原始人だからこの程度の虫害にめげていては現代まで生き残れるはずはないと信じてじっと我慢。その結果両腕の斑点はそれ同士が合流して大きな島となり、赤みもますます増えて痒みも甚だしい。仕方がないから北軽井沢の旧駅舎のあるあたりのストアで薬を購入した。それでなんとか痒みを抑えていた。

合宿の曲はドボルザーク「セレナーデ」の2、3楽章。ゆったりとしたメヌエットと早い「スケルツオ」非常に魅力的な組み合わせで、最近メキメキと腕をあげ始めた彼らだったらなんということないと思っていたけれど、やはり難物だったようでバラケ放題。うーん、喚き散らすのはいただけないから優雅にいきたいところ。それでも2,3回繰り返していくうちにだんだん様になっていった。このアンサンブルもずいぶん年月を重ねた。始めのうちは音を重ねる意味すらわからなかったようでひどい音がした。私に「この世のものとは思えない」と悪態をつかれながらじっと我慢して継続した結果、いまやいっぱしのアンサンブルに成長したようだ。何よりも他の人の音が聞けるのが良い。それとメンバーが定着しているのが一番の上達ポイント。

メンバーが定着していると言うことはお互いを尊重しているということ。アマチュアだからそれぞれの楽器の演奏のレベルはまちまち。経験も知識もバラバラながらそれぞれの知恵と力量を寄せ合って助け合い、一つの世界を作り上げていく。これがアンサンブルの極意なのだ。自分が少しでも相手より弾けるからと言って思い上がるような輩は一人もいない。

ドボルザークの「セレナーデ」を弾きたいと言われたときは無理だと思った。他の指導の先生たちからも無理だと言われたと聞く。月1回の練習、メンバーそれぞれ働き盛りの年齢、育児真っ盛り、優秀な人材が揃っているので職場では要職に就いているに違いない。とすると自分の練習に割ける時間はわずか。それでも殆どの人達がやめずに長年楽しそうに参加している。これが一番肝心なところで、いくら楽器をひくのがうまくてもコミュニケーション能力に欠けていては継続は難しい。結局音楽も人なり、となる。これからもう一回の練習で次は発表会本番!幸運を祈る。

彼らが都内へと帰ったあと私はひとり残って練習に没頭するはずだった。そのために週末までスケジュールを空けておいた。練習用の楽譜を数冊とハリー・ポッターの原書を持参。けれど腕と足の痒みが消えず、次の日に帰宅することにした。そのまま軽井沢の病院へ行くことも考えたけれど、継続的な治療になるなら自宅付近の病院のほうがいいと思ったので。

帰宅したその日の午後、家近くの病院へ。非常に評判がよく女医さんだというのも選択の理由。ネット予約の際に自分の症状を詳しく書いておいたのですぐに塗り薬と飲み薬を処方してもらえた。その飲み薬と言ったら・・・夕食後飲んでそのまま眠りに眠った。次の日の午前11時目が覚めたときには異次元の世界にいるかと思った。起き上がれない。立つこともできない。しばらくしてようやくベッドを離れても足がふらつく。数時間後やっと薬効が切れたらしく正常に戻ったけれど、こんな薬を飲んだら絶対に車の運転は無理だと思った。