2012年4月30日月曜日

今日だけの優等生

今日は三鷹市芸術文化センターで、先日我が家まで合わせに来てくださった方の晴れの舞台。御年78歳、歴史学者・・・特に日本の戦後史がご専門だそうで、息子さんはプロのヴィオラ奏者。歴史の先生はまだ現役で大学で教えていらっしゃるとか。私たちの78歳に対するイメージよりもずっと若く頭脳は現役バリバリ。先日その方の先生であるFUMIKOさんに注意されたことは、数日ですっかり治っていた。これは驚くべきこと。私などは先生に言われたことは教室を3歩出ると頭からすっぽりぬけてしまう。私のボウイングの先生がいつも私に向かっておっしゃるには「アンタこの部屋から出ると今言ったこと全部忘れるでしょう。アッハッハッハ」いつも大笑いなさる。全部お見通し。世の中には頭のいい人は沢山いる。でも、その上素直に人の言うことが聞けるのはまれで、そういう人は本当に上手くなるのが早い。自分の専門外の事をするのは優雅な趣味と思われるかもしれないが、これで中々芯の疲れることなのです。特に楽器のように練習に多くの時間を割かなければいけないものは、非常に根気がいる。楽器を習いに来る人が、家で練習しなくても上手くなれると思ってくる人が多いのは驚きで、子供に習わせる親御さんにもそういう人がいる。「こんなに難しいとは思いませんでした」と言う。 (場面が変わって)スイミングプールで一人クロールの練習をしていたら話しかけてきた人がいた。息継ぎが上手く出来ないと言う。私が「私も初めは息継ぎが上手くいかなくてずいぶん練習しました」というとびっくりして「練習したんですか?」と言う。今度はこちらが仰天!練習しないですぐに出来たらお魚さんよ、あなた。しかもその人は水泳教室にはいっているとのこと。先生の言うこと聞いているのかしら。そんなわけで、今日はすっかり良くなったアイネ・クライネ・ナハトムジークがステージに流れ、喝采を受けた。弾き終わった「弓がプルプルしてしまいました」とおっしゃるけれど、音はちゃんとしていたから大丈夫。私もいつまでも学ぶ心を忘れないようにと、柄にもなく優等生的な気持ちになったけれど・・・パソコンの前を離れたら・・・3歩いたら・・・アッハッハッハ。先生の嬉しそうな高笑いが聞こえてくる。

2012年4月29日日曜日

絵を買う

英語のレッスンの後、画家の高木紀子・風見規文展へ。高木さんはおなじみFUMIKOさんの親友。ギャラリーでのパーティーでFUMIKOさんのヴィオラ演奏もある。それを聴く目的もあって、ピアニストのSさんと共に出かけた。ギャラリーは狭くてあっという間に人で一杯になってしまう。高木さんの絵を見るのが目的だからもう一人の方の絵は後回しになる。ちょっと見た感じとてもほのぼのした良い絵だけど、まずは高木画伯の方へ。金箔を張ってそれを落としていく?聞いてもわからないけれど、本当にすてき。特に一番下にあった紫を基調にした人の顔の絵にひきつけられた。中でも一番小さいのだけど、エジプト人のような濃い彫の深い顔。小さいから私にも手が届くお値段だし。その隣の絵もとてもいい。どちらにしようか考えてまずヴィオラ演奏を聴くことにした。入って行くとFUMIKOさんが弾いている。マニッシュな茶色のパンツスーツ姿。背が高くスタイル抜群なので何を着ても似合うけれど、アンティークな時計などが置いてあるこの場の雰囲気にぴったり。狭いので部屋の奥に行くと彼女の背中が見えた。なんと、スーツだと思ったのは前だけで、後ろは背中までVカットのドレスだった。ホー、どこで見つけるのだろうか。いつもファッショナブルで素敵に着こなせるのがうらやましい。ワインを頂いてしばらくお話をして、また絵に戻る。やはり一番最初に気に入ったものに帰っていくようで、紫の顔をいただくことにした。すると、Sさんも私がさんざん迷ったその隣の絵をお買い上げ。二人で時々交換して飾ろうと言うことに話がまとまった。そして背後には風見さんの絵がある。じっくり見ると、なんともユーモラスなフレスコ?画で、特に気に入ったのは売約済となっている。すみっこにカラスの顔の絵があって、どうも気になる。見ているとご本人がカラスが大好きだと言う。カラスの好きな私と意見が一致したところで、それも買うことにした。2枚の絵がこの展覧会が終わった後に届く。うち中ガラクタだらけなので、それを少しかたずけて、画廊風に壁いっぱい絵を飾れば、すごく豊かな気持ちになれるでしょう。ささやかな楽しみ。

4巻完読

ハリー・ポッターを原書で読み始めてから幾年月、大げさでなく初めはほんの数ページ読むのがやっと。アメリカ人の先生にならっていたので、先生もイギリスの事はよくわからないと言うし、おざなりなレッスンだったので中々前進しなかった。やはりイギリス人の先生がいいと思ったので、東京交響楽団のヴァイオリン奏者、大和田ルースさんを紹介していただいた。初めはアメリカ英語とイギリス英語の発音の違いに戸惑って、せっかく身に着けたアメリカ英語の発音をことごとく直されて、読む方は一向に進まなかった。しかも本の内容は卷を追うごとに難しくなっていく。最近とみに目は悪くなると言う悪条件が重なって、800ページ近い4巻の途中で何回も挫折しそうになった。それでもルースさんの生真面目さと優しさがそれを何度も救ってくれた。そもそも英語が特に好きというわけでもでない。なんども言っているように、中学時代まともに勉強したことはない。私は日本語が大好きで、万葉集や平家物語などは特に好き。中学生の時には百人一首を全部覚えてしまったくらいだから、日本語こそ世界に優れた言語であるという偏見を抱いていた。長じて、もちろん日本語は素晴らしいけれど、どこの国の言葉もその国の人にとっては宝物であると気が付いたのはずいぶん遅かった。考えればもったいないことをしたものだ。頭の柔らかいうちに数種類の言語を身に付けておけばよかったと思っている。学生時代、第二外国語はイタリア語を選んだ。なぜかというと、その年に講座が創設されたのでやさしいに違いないと言う不届きな下心から。しかも試験に遅刻。教授にお願いして教授室の掃除をする代わりに追試をしてもらった。ひどい生徒だったのに、掃除がきいたのか優をもらう奇跡が起きた。ずいぶん後、その時の教科書が出てきたのでパラパラとめくってみると、意外にも立派に訳がついていたのに我ながら驚いた。今はもう数を数えることもできないし、アルファベットも途中で怪しくなる。今なぜこんなことをしているのか不思議だけど、やはり日本語が好きと言うのは語学が好きなのかもしれない。若いころには考えもしなかった。語学の才能は全くないと思っていたけれど、才能と言うのは興味と同じことなのかもしれない。ヴァイオリンも才能があったわけではなく、ひたすら興味があったから。英語が好きと言うよりもハリー・ポッターが面白かったから。中間点を過ぎて改めて作者の頭の良さに感動する。すべての伏線が最後にぴったりと合うのだと思うとワクワクするものがある。この調子で行けばボケる前に最後の卷にたどり着けるかも・・・かな?ルースさんに見放されなければ、たぶん。

2012年4月27日金曜日

危うい出会い

車で狭い路地から抜け出ようとしたら自転車の女性が来たので、道を譲ろうとして止まった。彼女はその狭い路地に入るから先に出るようにと手ぶりで教えるから、すっと前に出た。右側から真っ赤な車が来ているのはわかっていたけれど、まだまだ距離があるからそのまま左折しようとすると、いきなりその車はスピードを上げてきた。でも私はもう道に出ているのだから当然そのまま走って行くと、いきなり追い越しをかけてきてクラクションを激しく鳴らす。なんだ、高級車のベンツではないか。私も気が強いからそのまま突っ走る。そして赤信号で止まるとやおら後ろの車からおっさんが降りてきた。おや、ベンツに乗るにしては品のないなどと思っていたら、私の可愛いヴォルフガング・アマデウス・シルフィの窓ガラスをバンバンと叩く。「ハイ?」窓を開けると「なんで停まんねえんだよお」おや、ベンツに乗るお方がそのような口のきき方をしてはいけません。でも危険そうだったからとりあえず「すみませ-ん」「あぶねえじゃねえか。馬鹿か!」と言うから「はい、馬鹿です」と言うとそのあとおっさんはどう出ていいかわからなくなったらしく、おとなしく自分の車に帰って行った。だいたい、ここは追い越し禁止だし、高級車に乗る人がそのように「ケ○の穴」が小さくてはやくざ社会でも出世はできないだろうと気の毒になる。「はい、馬鹿です」と言った後に「あなたと同じなの」と言いたかったのはグッと我慢した。それを言っていたらぼこぼこにされそうだけど、幸いなことに目の前が警察署だから言いつけてやろうと思って警察に入って行ったら、猛スピードで逃げていった。それでもあの窓ガラスの叩き方は強くて、さぞやお手々が痛かったろうと気の毒に思う。男の人はケチなことをするものではない。まして高級車に乗ったらもう少しお行儀よくしてもらいたい。それにここは追い越し禁止。私は彼が交通違反をするのを未然に防いだのだから感謝してもらわなければ。

2012年4月26日木曜日

すてきな出会い

昨日ヴィオラのFUMIKOさんに伴われてお見えになった方は78歳のお弟子さん。モーツァルトのアイネ クライネ ナハトムジークを発表会で弾くための練習。たいそう社会的地位も高い方であるのに、年若いFUMIKOさんや(彼女より多少古い)私の言うこともなんとかしてマスターしようと努力する姿勢には感動を覚える。一つことに打ち込んできた人は自分の分野でない事に対して非常に謙虚であることが多い。中途半端に物知りだったりすると知識だけで相手をバカにする人もいる。自分の分野をきわめて来た人にとって、それがどれだけの時間と努力を必要とするものか良く判っている。他の分野の人に対しても尊敬の念を惜しまない。大人の音楽の専門外の人たちに教えることは私たちも大変得るものが大きい。技術に関しては歳の差は関係がない。私はもはや年下の人たちの演奏にはかなわないことが多い。それでもこの年になってようやく音楽がわかってきたこともある。だからどちらが優れているとはいいがたいけれど、この世界、どれほど技術があるかで決まるから、そういう意味では負けているのだけれど、コンサートに行って若く技術の高い人の演奏を聴いても、あまり感動はしない。むしろ引退寸前で最後の日本訪問したスークや、若くバリバリのヨーヨーマの傍らで穏やかに弾いていたアイザック・スターンの演奏が素晴らしかったことなど思い出す。人間の存在感はいかにその人の内容に依るものか、改めて考えさせられた。いつも教えに行っている音楽教室「ルフォスタ」もほとんど大人で、生き生きと中高年人生を楽しんでいる人たちに会えるのは本当に楽しみ。小さい子が嫌がるのを無理に教え込んで、コンクールだの音大受験だのさせるのは、どうも私の性には合っていないようだ。人間そのものに興味があるので、科学や人類学などを専攻した方がよかったかもしれない。それでも一日中楽器を弾いていてもなにも咎められない今の生活がやはり一番。だって、他の人から見たら遊んでいるようにしか見えないでしょう。私の母がいつもそう言っていたから。下手くそでも音楽家の端くれにいられる幸せは、遊びが仕事にも人生にもなること。やめられないですねえ。

2012年4月24日火曜日

ピアニストをはしご

よっぱらったお父さんが「うーい、もう一軒いこうよ。」なんて誘い合って行くのがはしご。わたしは飲み屋ならぬピアニストの家をはしごして合わせてもらって、今日は些か疲れた。午前中、南荻窪のOさんとリヒャルト・シュトラウスのソナタを、終わって二人で連れ立って次のピアニストSさんの待つファミレスに行って3人でランチ。終わるとOさんは自宅に戻り、今度は関町のSさんの家へ。そこでベートーヴェンのクロイツェルソナタを合わせた。最近のらりくらりと楽をしていたので、これはかなりきつい。シュトラウスはかつて一度演奏したことはあるものの、それからかなり時間が経過しているので、記憶が怪しくなっている。Oさんは楽譜を見ないで引き受けたものの、練習を読み初めてあまりにも音が覚えにくいので大変だと言っている。ふたりでヨタヨタ弾き始める。でもなんたって曲が面白いので、どんどん楽しくなる。ゆっくりと合わせ始めると、自分がどれほどいい加減な人間であるか良くわかる。3連音符と16分音符の違いなどをきちんとしていないことを指摘され、感情にまかせてやたら伸び縮みしすぎているのも、相手がいるとよくわかる。2時間ほどしてなんとか一楽章は通った。それだけでヘトヘト。クロイツェルはすこし前から合わせ始めているので、特に合わないと言うわけではないけれど、あまりにも曲のスケールが違う。高い山に立ちはだかられているような気持ちになる。ベートーヴェンは一番苦手で今までなるべく避けてきた。幸いSさんが引きずっていってくれるので、ようやく苦手意識が少なくなってきた。でも、まだまだ。人間の出来がやわなので、硬質なものはどうも性に合わない。シュトラウスのような華やかで官能的なもののほうが弾きやすい。臆面もなく蕩けられるのは音楽の上だけで、実生活ではそうはいかない。そのギャップを楽しめるのもいい。しかし、クロイツェルはやはりヴァイオリンソナタの頂点に立つものと言える。技術的にどうこうではないが、その奥の深さ、大きさに圧倒される。この曲をいつか手中に納められる日はくるのだろうか。まだまだピアニストに引きずって行ってもらわないと、その日は来ない。とうぶんピアニストのはしごは続きそうだ。

2012年4月22日日曜日

逃げ道

コンサートや練習やなんだかんだと沢山の曲をおさらいしなくてはならなくて、今楽譜が山のように積まれている。それのどれから優先して練習しないといけないのか、私の萎れた脳みそは理解できない。大体好きな曲から弾く癖がついているから、いつも弾き始めるのは決まっている。どちらかというと人間が軽いので(体重は別として)早くて弓を飛ばすものとか、たっぷり歌えるのとか、いかにもヴァイオリンでございといった曲が好きで、ベートーヴェンのように内面の濃い曲は苦手。ピアニストの友人に引っ張られて最近ベートーヴェンを連続して合わせているので、ようやく様になってきたかなと思う。それでもいつも壁が立ちはだかってゆく手を遮られているようだ。楽譜の山を見ているうちに急に昨日から全く関係ない曲を練習し始めた。なにか難しいことに直面すると逃げたくなる本能が働いているらしい。パガニーニのヴァイオリンコンチェルトの2楽章をクライスラーが編曲して小品にまとめた「ラ・カンパネラ」リストがピアノ用に書き直してよく弾かれる。ピアノの曲だと思っている人が多いようだけれど、元はれっきとしたヴァイオリン曲。実はこの曲、音楽教室の発表会で講師演奏で弾いて大失敗した曲でもある。こういうヒラヒラした曲は軽い気持ちで弾けるので、絶対あがらないと思っていたら見事にあがってしまった。その前日オーケストラのコンミスをやって、オケの中に一曲ソロがあった。それはさほど難しくはないものの、オケの中のソロと言うのはもっとも緊張する。私としては最大限そちらに集中して、それはまあまあ上手くいった。その次の日が発表会。たぶん緊張がかなり残っていたのだろうと思うけれど、弾き始めたら手が硬くなって弓がとばない。おや、おかしいぞと思っていたら、そのあとはもうガチガチでようやく弾き終えた。生徒さんから「先生お疲れでしたね」と言われてしまった。不甲斐ない。そのうちリベンジと思ってピアノの上に置いてある。ベートーヴェン、ブラームス、シューベルトなどを横目に昨日からそれを弾いている。技術的には難しくても気分的には楽しいから、弓をパラパラ飛ばして楽しんでいる。後ろめたい。今はこれを弾いている場合じゃないでしょう。でもほかの曲は厳めしくて気分が乗らないのだ。今日だけゆるして! 厳めしくって(イカ飯食って)こんな変換がでるかと思ったら出なかった。パソコンはふざけないのだ。

2012年4月21日土曜日

又々ダイエット

人生何十回目のダイエット。ある日鏡にわが身を映して愕然とした。タラリと冷や汗が出る。な、なんだこのお腹は!今を去る2か月前、ネットで見つけたラクトフェリンの広告を見て早速注文。愛用し始めて一ヶ月半頃から効き目が表れて、心なしかウエスト周りが緩くなってきた。それで油断したのが悲劇の始まり。好きなだけ甘い物や油ものを食べ続けたので、この体たらくとなった。内臓脂肪が減ったかもしれないけど、皮下脂肪は増加している。知人がダイエットを始めると言うので、私もお付き合いすることにした。そもそも太り始めの原因は去年の秋に遡る。左足のしびれがひどく歩けない状態が2か月ほど続いた。その上足首も具合が悪くなり、立っているのも座っているのもつらい状態が数か月。そのくせ、コンサートがあるとそれらの症状は一時的に良くなって、立って弾くことが出来る。なんなんでしょうね、これは。ハイヒールも履ける。そのくせ次の日からはまた歩けない。柔道の整体などに通ってようやく治ったので、体重を減らさねばと探し当てたのが、前述のラクトフェリン。たしかにそれまでの食事ならそのまま痩せたかもしれない。でも、飲んでいることで油断するのは禁物。思いっきり好きなものを食べて、しかも運動をしない。それで2キロほど体重が増えてしまった。今年の冬は寒く、すっかりウオーキングの習慣も失くしてしまった。もともと体を動かすのが好きではないので、強い意志がないと続けられない。去年の前半までは毎日歩いていた。ところがやるとなると、やりすぎるという困った性格なのでひざを痛め、その影響で股関節や足首も痛めたと思われる。今日からまたウオーキングを再開しようと歩き始めた。ほどほどにと自分に言い聞かせながら。それでも初日にしては歩きすぎ。疲れた。半分にしておくつもりが、どうしても自分をコントロールできない。知人が太ったのは私にも原因があって、甘い物などをどっさり送っりしたせいでそうなってしまったので、自分が一緒にダイエットしなければ申し訳ないと言う思いもある。人と一緒にやっていると思えば少しは頑張るでしょう。この結果はお楽しみに。挫折か成功か!

2012年4月20日金曜日

間もなく完読

今日はハリー・ポッターの原書講読日。イギリス人のルースさんに教わりながら読んでいる。只今4巻のフィナーレに差し掛かったところ。もう後2回で読み切れると思う。英語が好きなわけではない。日本語だっておぼつかないものを、敢えて英語を今更勉強する気もないけれど、仕事場でハーピストが辞書なしで原書を読んでいるのを見て、軽い気持ちで読み始めた。ところが、もうすっかり中学時代に覚えたものなどは頭からすっぽりと抜けていて、辞書を引くこと1ページに10単語あまり。初めの一番易しい卷でさえもそうだったので、進むうちにどんどん難しくなっていくために、辞書を引く回数も増えていった。初めは分厚い辞書を引いていたけれど、これはたまらんというので電子辞書に変えてみた。普通の辞書だと単語を引くついでに、あちらこちら例文などを読んでいるうちに当初の目的を忘れて読みふけってしまうので、時間がかかってしまう。作者のローリングさんは非常に頭の良いひとで、巻を追うごとにだんだん単語や言い回しを難しくしていく。読んでいるうちに子供が成長していくのに合わせているのではないかと思われる。全7巻のうちの今読んでいる4巻は特別分厚く、800ページ近い。いつから読み始めたかも忘れるくらい長いことかかって一歩一歩進んでいるけれど、最終巻にたどり着くまでに、私はボケてしまいそう。よその国の言葉はほんとうに理解できないことが多くて、私がほんの些細なことに引っかかって質問すると、ルースさんはびっくりするみたい。私たちも日本語で普段何気なくつかっていても、いざ説明しようとすると困るように、彼女も度々答えに窮して宿題を持ち帰っている。時々イギリスにいるお母様に相談しているみたいで「母はこう言っている」と答えが返ってくる。ある時はどうしても納得できないのでさんざんメールでやりとりして、一か月後にハッと回答がわかったりすることもあった。英語自体が特に好きなわけではないが、謎ときみたいな面白さを楽しんでいる。メールは彼女は英語で、私は日本語で、漢字もどんどん使ってやりとりしているのがおかしい。

2012年4月18日水曜日

うひょう。



さっき怪しい箱が届いた。中からにゃあにゃあと声がする。大勢の猫が詰まっているらしい・・・というのは嘘だけど、友人のHさんからのプレゼント。そして、一番上に置いてあったのがこの目つきの悪いデブ猫のポストカード。どうもこれは私をイメージして置いたようだ。少し遅めのバースデイプレゼント。あとからあとから出てくるわ出てくるわ。まるで中原中也の詩みたい。都会の昼下がりにビルから昼食を摂りに出てくるサラリーマンを詠ったあの有名な詩を思い出してしまった。人相(にゃん相)の悪い木彫りの猫、数々絵葉書、小物入れ、手ぬぐい、ハンカチ、シールだのストラップだの、物凄い数。これが一斉に鳴いたらさぞうるさかろうと思うほどの数。幸い皆無言で助かった。もしかしたら夜中に誰もいないとき、この猫どもは遊んでいるかもしれない。それでなければ、あんなに楽譜が見当たらなくなることはない・・・いや、単に私がだらしないだけです。ハイ。

写真はクリックすると拡大されます。拡大するとド迫力です。

2012年4月17日火曜日

今朝

三毛と白黒が現れた。無事だった。少し安堵。でも、ノラは来ない。ノラや、どこに行ってしまったの?雄猫はふと姿を消すものだとは分かっている。いつも猫のいる家庭で育っているので、ネコのことは良く知っているはずなのに、雄猫の考えはよくわからない。あくまでも繁殖が彼らの生きている目的ならば、メスを求めて放浪するのもやむを得ない。深く考えるのはよそうと思っていても、つい考えてしまう。どうぞ、無事でいてくれますように。野良猫にとって安楽な暮らしは堕落だと彼らは考えているかもしれない。長年のノラ生活で養われた警戒心はすさまじいものがあって、半年にわたり親切にしてきた私に対してさえも絶対に気を許さない。でも親愛の情はあるようで、私が後ろを向いた隙にそっと手を出して私のパンツの裾を触っていたりする。こんな警戒心の強いノラがまんまと人間に捕まるわけはないと思うけれど、人間は邪悪なものを生み出す天才だから、捕獲するための器具も様々工夫されているに違いない。雄猫にはメス猫のフェロモンが付いた捕獲器などが使用されるのではないだろうか。マタタビのように猫を腑抜けにするものもある。三毛と白黒は飼い猫のようだし、メス猫でもあるからひっかからない。ノラのように強烈にメスを求めている猫にとっては、一瞬警戒心も忘れるような方法があるに違いない。それに引っかかったらひとたまりもない。ノラには独特のオーラがあって、なりはみすぼらしいけれど男性的な魅力は感じられた。炯々とした目や、何かを求める時の必死の様子には心打たれるものがあった。そこいら辺の腑抜けたもやし兄ちゃんたちにお見せしたいくらい。でもしょせん猫は猫だから、ひとには勝てない。昔飼っていたニブという雄猫に共通するものがある。ニブは貧相な鼻炎の猫で、うちの駐車場で息も絶え絶えなのを保護したけれど、今まで飼ったねこの白眉。うちに来た人たちは彼を見ると感動して「すごい猫だ」「立派ですねえ」「悟りを開いた高僧のようね」などと表現してくれた。外見は痩せて貧弱で鼻炎で、ただのきたない猫に見える。でも彼の行動は素晴らしかった。新しい猫が来ると彼は黙って受け入れる。決して脅すようなことはしない。しかもうちの猫が外で危険な目に遭うと、体を張って守ろうとする。犬とでも一戦を辞さない。どんな猫でも彼の前ではひざを曲げた。(猫のひざって?)巨大猫のゴンベエが尊敬してやまないのがニブだった。体の大きさはニブの3倍くらい。でも、食事はニブが食べ終わらなければ決して口を付けない。これってすごいことだと思う。ノラも共通したところがあって、きっと次の保護者が可愛がってくれるだろう。百閒先生のように泣くのはやめよう。

2012年4月16日月曜日

ノラや。

内田百閒先生の「ノラや」という小説?エッセイ?がある。自宅で飼っていたノラという飼い猫が行方知れずになって、百閒先生は知人に電話をしまくって号泣するはなし。うちのノラは金曜日のお昼頃見たのが最後になった。そのあと三毛と白黒は時々餌をねだりに来ていたけれど、それも今日はぱったり姿を見せなくなってしまい、外猫が全部どこかへ消えてしまった。事故や悪意のある仕打ちなどでいなくなったのでなければいいのだが。新しくもっと良い餌場が出来たとは考えにくい。もしかしたら捕獲されてしまったか、私の留守の間に意地悪されたか。駐車場に大きめの石が2個おちているのが気になった。ぶつけられたのだろうか。それでも、しばらくしてお腹が空けばこっそり戻ってくるはずなのが一向に戻らないところを見ると、やはり相当なアクシデントがあったのかもしれない。今日で丸3日になる。ノラはとても一生懸命な猫で、うちの駐車場に居付くようになるまでは毎日私にアピールしに来ていた。居付かれては困るから始めのうちは餌をやらないようにしていたのに、毎日毎日ベランダに来ては必死に訴えかける姿に根負けして面倒を見るようになった。いつでも頑張っていて、しかもほかの猫にも寛容で、実に善いヤツなので私も可愛がっていた。たぶんそのお人よし(お猫よし?)のところでいつでも上手くいかなくなるのでは?今回も沢山猫が集まってきたので、目立ってターゲットになってしまったかもしれない。心配しても仕方がないが、ノラが新しい場所で安楽に暮らしていることを祈っている。もし意地の悪いことをされてだとしたらと思うと、胸がズキズキ痛む。今回はまだ一縷の望みを捨てきれないので、もう少し待ってみよう。でも、こんなに急に猫が沢山いなくなるなんて、なにか邪悪な人の行為を感じないわけにはいかない。ノラに新しいガールフレンドが出来て引っ越したのなら、そういうことなら嬉しいのだが・・・

2012年4月15日日曜日

消えたノラ

ここ2日ほどノラが姿を見せない。罠にかかって捉えられ保護センターと言う名のアウシュビッツに連れて行かれたのではないか、近所の猫嫌いに毒餌を食べさせられたのではないか等々心配は尽きない。今朝ノラの大敵の巨大白猫が現れた。そのせいでノラは家に近付けなかったのだろう。たぶん、命はあると思うのでもう少し様子をみることにしよう。一昨日の朝出かける時にノラの大好物のフランクフルトソーセージを一本与えて、そのあとうんともすんとも言ってこないから、どこかでじっと鳴りを潜めているようだ。窓を開けて「ノーちゃん」と呼ばわると、隣の猫嫌いのおっさんが雨戸をガラガラ音をたてて開け始めた。ガタピシガタピシわざと大きな音をたてていらだちを表現している。毎朝お経が聞こえてくるから仏教徒であるらしいが、生き物すべてに優しいのが仏教の教え。なのに、子育て中の母猫をひどく邪険に追い払ったりするのは、いくら猫嫌いでも許せない。先年トルコで見た風景。海に向かって緩やかに下って行く道のそこここに猫が寝ていて、大きな髭を蓄えた男たちが猫の頭をそっと撫でで通り過ぎて行く。一人や二人ではなく沢山の人がそうやって歩いている。たいてい男の人なのが面白い。日本だったら女子学生あたりが「きゃあ、可愛い」とか言って騒いで猫が逃げてしまうけど。トルコの猫は悠々と誰が通ろうと寝ている。町にしっくりと溶け込んで置物のようだ。あれはターッキッシュバンという種類のねこだったのかどうか、ちゃんと見てくればよかった。外国に行って思うのは、動物たちが人を恐れていない。カナダではリスやアライグマでさえ人が通ってもせっせと自分の仕事をやっていた。人の方もごく自然に傍を通り過ぎていく。インドなどはなおさらのこと。牛や犬はもとより、サルがいても皆平然としている。日本だったら捕獲騒ぎになるところなのに。猿だって人が何もしなければひっかきはしない。ローマのコッロセウムの猫はあいにく見損なったが、野外劇場で猫がオペラのステージを悠々と横切って、その日一番の拍手を浴びたとか、オペラの最中にステージで寝てしまったとか、逸話は沢山ある。そういう時に日本だったら追い払われて、あげくに捕獲されてしまうのだろう。ノラが無事でいますように。

2012年4月14日土曜日

あっという間に

昨日までほぼ満開状態でいてくれた桜も、今朝からの無情の雨に会ってほとんど散ってしまった。花の裏に隠れていた柔らかい緑色の若葉が表に現れて、間もなく初夏が来ることを告げている。今年の冬は長く暗く寒々としたものだった。この灰色の季節が終わっても果たして明るい日本は取り戻せるのだろうか。大震災のあとで露呈した政治と東電の悪しき関係や経済の破たんなどが若者たちに影を投げかける。京都で起きた車の暴走事件も果たしててんかんという病気のせいだったのかどうか疑問も浮かぶ。あるいは、闇を突き破りたいと言う衝動のためだったのではないかとの見方もできるかもしれない。私が珍しく暗い気分になっているのも、先日の若い娘さんの事件が尾を引いているから。彼女が小さいころに会ったきりだったのが、去年久しぶりに成人した姿を見て、これでお母さんも一安心したのではと思っていたのに。親の気持ちを慮ることも出来ないほど追いつめられていたのか。周りの人が気が付かなかったのかとよく言うけれど、人の気持ちは本当によくわからない。誰でもその人を必要とする人が必ずいると思う。絶対誰かに愛されているものだと思って、その人を悲しませることだけはしないように生きて行かないといけない。もう亡くなったけれど両親が、もし私が死んだらどんなに悲しむことか。今は天国にいるから「早くこちらにおいで」と言っているかもしれないけれど。まだ私は行きませんよ。だって、まだまだ弾いていない曲はいっぱいあるし、もう少しいい音が出せるようになりたいし、なによりも猫たちが悲しむからね。人間は・・・うーん・・・悲しんでくれる人はいるかなあ?

2012年4月13日金曜日

今日も満開

満開になってから強い風が吹かなかったので、家の前の桜並木は健在。さすがに散り初めた花弁が地面にいっぱい敷き詰めたようになっている中で、相変わらずノラが目やにをつけた情けない顔で餌の催促。ガールフレンドの三毛と便乗して餌を横取りしようと虎視眈々狙っている白黒を取り巻きにして、この辺に定住してしまった。ノラは平均寿命が短い。ほとんどのノラは7年くらいだと聞く。もう見た目かなりの歳だから後長くはないと思うと不憫で、普通猫にやってはいけないと言うものでも欲しがればやってしまう。残りわずかな命に健康で味気ないニャン生を送るか、贅沢してああ、おいしかったと言って死ぬか・・・どちらが良いかと言うと、私なら後者だから。うち猫たちは同じような缶詰めやカリカリを不味そうに食べている。ノラは鶏肉やウインナーソーセージなどをモリモリ食べる。安い缶詰めなどは「ケッ」と言って見向きもしない。お金が尽きる前にお隠れになっていただかないと、我が家の経済が破綻する。でも、健気に生きている姿を見るといつまでも元気でいてほしい。スキーから帰ってようやく疲れが出てきたらしく、やたらと眠い。ショートスリーパーで日頃5時間睡眠の私も、昨夜は8時間くらい眠っている。今日は北川靖子さんのリサイタルで野方文化会館まで出かける。いつもはお姉さまの暁子さんと一緒だけれど、今日のピアニストは平野義子さん。お名前の文字から私たちは(ぎいこさん)と呼んでいる。北川さんとは長い付き合いだから彼女のコンサートはずいぶん聞かせてもらったけれど、年を追うごとに上手くなっていくのは私の友人たちの共通の偉いところ。その中で私はもう息も絶え絶えで、時々楽器を持ち上げるのもつらいことがある。新譜を読むのもおっくうになる。練習時間も最近短くなったような気がする。今日のコンサートが刺激となって明日からの練習につながればいいと思っている。とにかく今年の前半は、目いっぱい練習しないと間に合わないくらいのプログラムが用意されているのに、練習が遅々として進んでいない。満開の桜が散って行くように私ももうギリギリの線に来ているようだ。歳がどうのと言うよりも体力や気力の限界かもしれない。友人たちは上昇しているけれど、私はゆるやかに下降線を描いて山を下り始めてている。どうせならスカイダイビングのようにパーッと降りたいものだけど・・・。

2012年4月12日木曜日

花の命

雪景色から一転桜吹雪。家の前の桜並木は今満開で、花のトンネルとなっている。桜の花にはなにか浮世離れしたところがあって、一瞬境界線状をさまようことがある。この世ならぬ狂気の美しさのようなものを感じる。これが花が散って若葉の頃には掻き消えてしまう。日本人の桜好きは、人の心に棲みつく暗闇の対象として桜をとらえているからではないだろうか。昨日雪山から帰ったら知人の御嬢さんの自殺の報が入っていた。30社近く受けた就職活動が上手くいかずことごとく失敗に終わり、自分を否定されたと思ったのではないかという。しかし、受けた会社が必ずしも彼女に向いているかどうかは疑問だから、あきらめずにほかの業種の会社も受けてみればよかったのではないかと思うのは、他人事だからと言われても返す言葉もない。でも、どうして。会社に所属しなくては仕事はできないものだろうか。かくいうこの私はもう何十年もの間フリーと言う名の厳しい社会に身を置いてきた。フリーと言っても決して自由ではない。いつでも待機状態。仕事を頂かなければ収入はその日から途絶える。保険や年金の社会保証もすべて自分自身で加入し、ボーナスもなければ有給休暇もない。とにかく働くために現場に行かなければ収入はないし、呼ばれなければ仕事もない。病気でも約束なら行かなければならない。そんな状態でようやく生活をしてきたけれど、一度もその状態を悔いたことはなかった。仕事がなくなるとこれは自分の技術が足りないのだからと、ヒマな時間を勉強にあててきた。それが次の仕事に生かされると言う綱渡りだけど、緊張と感激に満ちた生活をとても楽しんできた。この御嬢さんも会社に就職するだけが仕事ではないと考えられたら命を絶つことはなかったのではないか。今真っ盛りの桜の花のような年頃なのに本当に痛ましい。どんな思いで命を絶ったのかと思うとかわいそうでかわいそうで言葉もない。会社に入らなくてもお金は稼げるのに。これから手に技術をつけるための勉強をすれば、何年後かにそれが役に立つだろうに。これも桜の季節の底冷えのする精神状態のためなのか、わからないけれど残された親御さんの悲しみはいかばかりかと思うと、暗澹たる気持ちになる。

2012年4月10日火曜日

本日は晴天なり

今日は昨日とうって変わって無風、雲一つ無い晴天。青というより黒く見えるくらいの青空。夜中に圧雪されて凍ったものだからキャタピラーの跡が筋になっていてカチンカチン。その上を滑ると板が振動して全身マッサージされたようにブルブルする。朝一番自分のシュプールを真っ先にゲレンデに描くという野望は朝寝坊のお陰で潰えたけれど、ほとんどマイゲレンデでほんの数十人で天元台を独占する贅沢を味わった。スケートリンク状のアイスバーンも昼近くには表面が緩んで楽になった。今まで永年スキーをしてきたけれど、滅多にお目にかかることが無い好条件。普段不精もので2、3回もリフトに乗ればすぐにやめてしまうのが今日は欲深にも目一杯滑った。好天に誘われて下から登ってきた人たちも泊まりはしないというので、今夜も宿泊客は私たち5人のみ。明日からは一人もいなくなるらしい。週末には賑やかになって欲しいと思う。余計なお世話だけど。

2012年4月9日月曜日

寂しい

天元台に来ています。今朝米沢駅からタクシーでロープウェイの乗り場まで来ると、強風でロープウェイが動くかどうか分からないという。こんなに穏やかなのに?と思っていたら「山頂の吹き流しを見てご覧なさい。真横に流れているでしょう」いわれた。下でこの程度でも、山頂は荒れているらしい。なんとか動かしてもらえたけれど、泊まり客は私たちだけだという。おや、貸し切りですか。宿泊はここで一番大きなアルブ天元台。毎年お正月に来ていたけれど、かつては40人近いメンバーの参加があった。みんな家族や友達を連れてきて、各々麻雀をしたりスキーをしたり、お酒を飲んだり勝手に楽しんでいたものだった。今年はウィークデイという事もあって、参加者は私を含めて5人。しかも、ホテルの宿泊客も他にいないので、ゲレンデも整備されていない。今日は強風だから仕方がないが、夜圧雪車が出ていたので、明日はちゃんとリフトも動かしてもらえると思う。食堂もいつもならスクールの学生などでうるさいくらいなのに、静かすぎて寂しい。外は雪景色。他に営業しているホテルもないようだ。やはりスキー場はもう少し賑やかなほうがいいなあ。夕
飯は米沢牛のすき焼きで、これ以上食べられないというほど食べた後で、サービスの焼きおにぎりまでペロリと食べてしまった。確実に2キロは太って帰ることになりそう。今日1日乗り物に乗った以外なんにもしていないから、カロリーはそっくり体脂肪となる。明日は過激に滑らないと体にたっぷりお土産をつけて帰ることになる。といってもスキーはあまり体力使わないから、ダイエット効果は望めない。脂肪が付くのはすぐだけど、付いた脂肪をとるのは大変なんだなあ。帰ってからダイエット研究をしないと。

2012年4月8日日曜日

ご縁

今日音楽教室のアンサンブルの指導に行ったら、見学者が一人みえていた。初対面のごあいさつの後思いがけないことが話題となった。その方が10歳前後の頃、ピアノの発表会でステージの袖で出るのを渋っていたら、はい、いってらっしゃいと背中を押してくれた人がいたそうで、それがどうやら我が「雪雀連」の山田会長ではないかというお話だった。調律師を捜していて、子供の頃の思い出にあったうろ覚えの名前を検索していたら、なんと、このnekotamaにたどり着いたという。明日から山田会長率いるグループのスキーツアーに行くので、訊いておきましょうと言ってお別れしたけれど、なんというご縁なのかと不思議でならない。確かめてみて本当にそうなら、このやくざなブログも少しは人様のお役に立ったと言うことになる。そうであってほしいな。ご縁と言えば、あるとき中央高速を山梨方面から帰ってきたときのこと。調布のインターで降りてすぐに、いつも右折する交差点をなぜか間違えて行き過ぎてしまったことがあった。いままで一度も間違えたこともないし、その日特にぼんやりしていたわけでもないのに間違えたので、方角はわかっているからすぐに次の道を曲がった。いままで一度も通ったことのない道だった。信号があって黄色になったばかり。赤に変わる寸前、行ってしまおうかどうしようか迷ったけれど、その日に限ってがらにもなく止まった。横断歩道を人がわたり始めたので見ると、あら、知りあいのヴィオラ奏者が2人。窓を開けて呼ぶと向こうもビックリしている。車を停めてどうしてこんなところにいるのか聞くと、ヴィオラ奏者のIさんが入院していてそのお見舞いの帰りだと言う。ほら後ろ見てごらん、言われて振り返るとIさんが病院の屋上で二人を見送っていて、私も驚いたけれどむこうもビックリしてのけぞっている。Iさんはよく仕事でも室内楽もご一緒するけれど、まさか入院しているとは思いもよらなかった。私がいつも間違えたことのない道を間違えた、そしていつもは赤に変わる寸前に信号をすり抜けて停まることは珍しいこと、しかもちょうどそこに知り合いが渡ったことなど考えると、偶然にそういうことがあるのだなあと不思議な気がする。お蔭で私はIさんのお見舞いをすることができた。メロドラマなどで、道の向こうとこちらですれ違ったりするシチュエーションなどあるはずがないさなんて思っていたけれど、その時から信じるようになった。これもご縁の一つ。

裏返しのソックス

ソックスを履こうと思ったら片方が裏返しになっていた。戻そうと思ったけれど、まてよ!もし私がその辺で殺人事件の被害者になって転がっていたら、名探偵が現れて「なぜ、ソックスが片方だけ裏返しなのか?」考えるかもしれない。それで、あえてなおさずにそのまま履くことにした。なんかもぞもぞした感じで右足だけ足触りが変だけど、一人でニヤニヤ。妄想しながら靴を履いた。本当に馬鹿だなあ、自分でも感心するくらい変な人だなあと思いつつ、何事もなく帰ってこられることを前提に考えているのだから、これも一種のお遊び。遊びの要素は生活の中でいくらでもある。真面目な人はそれのどこがおもしろいのか理解できないに違いない。育った環境が悪かった。大家族の中で一番歳下だから、さんざんいじくり回されてすっかりひねこびれた上に、我が家はほとんど冗談しか言わない家だったので、真面目なことを言うと冷やかされるのがおちだった。育ちが悪かったから世間に出ると、どうもほかの人たちと歯車が合わない。まともな人にいつも家でやっているように冗談半分で話すとなぜか怒られる。ははーん、これはおかしいぞ、うちはやっぱり変なのだ、と気が付いたのは大人になってから。でも、幸いにほかにも冗談しか言わない変な人の沢山いる音楽の世界に行けたから、ほんとに助かっている。クソ真面目な銀行員なんかになっていたら、今頃死んでたわ。銀行員が悪いのではなく、こちらが変なひとなのだけど。さて、今家に帰って何事もなくソックスは脱がれてしまった。うちに居る時は真冬でも靴下を履かないことが多い。いわゆるババシャツも着ない。超薄着なので重ね着をするとゴロゴロした感じがして着心地が悪い。周りから「やせ我慢しないでちゃんとシャツを着なさい」と言われてしぶしぶ着ても、数日経つとすぐ着なくなってしまう。本質は野生人。だけど本物の野生のように研ぎ澄まされた感性は持ち合わせていないのが残念なところ。半分家畜化された狼と山猫の混血あたりですかね。裏返しのソックスは無駄に終わったけれど、無駄になってよかった。これが本当に名探偵を悩ませて居たら、今頃この投稿も出来なかったから。

2012年4月7日土曜日

めちゃくちゃ

もう何をいつどこで弾くのか頭の中はごちゃごちゃ。今とりあえず合わせがあるのはチヒャルト・シュトラウス「ソナタ」ベートーヴェン「クロイツェルソナタ」これは来月の「定例弾く会」に。そのあと5月にはベートーヴェン「スプリングソナタ」ブラームス「ソナタ2番」けやきホールでのリハーサル。本番は6月立川市民ホールで弾くのでその合わせに入らないと。その後ブラームス「ピアノトリオ1番」とモーツアルト「ピアノトリオ4番」シューベルト「ます」が控えていて。これは7月のピアニストたちのコンサートのための練習エキストラとして。夏の松原湖ではヴィオラとの二重奏モーツアルト「デュオ」かヘンデル「パッサカリア」シューベルト「ます」。もしかしてドヴォルザークの「ドゥムキー」も。8月14日はプロコフィエフの「ソナタ2番」を国立さくらホールで。そこまで息もつけないほどの名曲ラッシュで、さばききれるのかどうか体力・集中力がもつかどうか自分でもわからない。仕事が少なくなった分勉強するようにとの天の声と思って頑張ります。音楽漬けの毎日はこれ以上ない幸せだけど、これはちょっと手に余る。どんと積まれた楽譜は荷の重さと平行してだんだん増えてくる。だからと言って以前より沢山練習するかというと、そうもいかない。あまりやりすぎて手を壊すことを何度も繰り返している。若いころは壊れても比較的回復は早かったが、今壊すと取り返しがつかないことになるかもしれないので、慎重に手や肩と相談しながら進んでいく。それに天性の怠け者なので、なにか大変なことをやっていると、他の事がしたくなる。それで・・・来週は天元台に春スキーをしにちょっと行って参ります。スキーでもしてリフレッシュしないと神経衰弱になりそうでというのは口実で、ただの遊び好き。実はヴァイオリンを弾くのも、息をするのも、私にとっては生きること自体が遊びなのだ。その遊びを精一杯すると、はたから褒めてもらえるのが不思議なことですね。

2012年4月6日金曜日

強烈な新入生

月例「弾く会」に突如新人参入。新人と言っても人間が新しいわけではなく、私たち同様に熟しているけれど初参加という意味だけど。しかも、そのパワーときたら物凄い。顔も体も大柄で華やかで、声も大きく・・・オペラに出演したらさぞ見栄え、聴き栄えするだろうと思われる歌姫。楽器奏者と歌の人とは根本的に違った人種と言っていい。それほど何もかも違うので、その面白さときたらもうハチャメチャ。あっという間に雰囲気が変わってなんだか今日はずっと笑って終わったような気がする。私が弾いたのはベートーヴェンの三重奏「街の歌」本来はピアノ、ヴァイオリン、チェロまたはヴァイオリンの代わりにクラリネットが演奏することもある。でも今日はチェロの代わりにヴィオラが加わって、すごく楽しい演奏になった。今日の私の出番はそれだけで後は聴き手に回る。ショパンのノクターン、シューベルトの四手連弾。とても優しい美しい曲で、一人で弾くよりも音が広がって耳にとても心地よ良い。もちろん弾き手が上手いからなので、これが下手くそ2人だったら、増幅された汚い音に苦しまされるところだった。そして初参加の歌手の登場。なんだかんだと言い訳たらたらしたけれど、歌ってみれば声量も豊か。歌には私たちは本当に学ぶことが多い。呼吸のとりかた、ニュアンスの付け方など、楽器は歌と同じようにしなければいけないのに、えてしてメカニックにこだわってそれらを忘れることが多い。今日は控えめに賛美歌を数曲歌ったけれど、次回からはどんどん慣れてきてオペラのアリアなどを聞かせてくれることを期待している。それにしても贅沢な空間をたったの6人で共有するのは、ひと月一度の楽しみ。今日の真打はショパンのチェロソナタをヴィオラようにアレンジしたものをヴィオラのFさんピアノのNさんのコンビで見事に演奏した。これは今まで聞いたあらゆるソナタの中でも類をみないほどの超難物だと思う。譜めくりをしてみて驚いた。私は楽譜を読むことには結構自信があって、スコアなどもわりと楽に縦線を捕まえることができる。オーケストラのスコアもそんなに苦労しないでよめることが多い。しかし、このショパンは今まで見たどんな曲よりも難解だと思う。今日の演奏は本当にすごかった。二人に脱帽。そのあとは毎回昼食会になる。ここでも新人パワーがすごくて、ずっと笑い続けていた。歌のひとには本当に勝てない。

2012年4月4日水曜日

みさおとふくまる




伊原美代子著「みさおとふくまる」写真集   リトルモア

今日頂いた写真集の写真があまりにも良いのでお知らせしたいと思います。
著作権があるので転載してもいいかどうかわかりませんが、不都合がありましたらご連絡ください。
こんなやさしい顔の方は私と同じ名前の、みさおさん。FUMIKOさんが見つけてこれは絶対に私にと思ったそうです。私はこんないいお顔にはなれませんが、ネコと一緒の時だけは、もしかしたら優しい顔をしているかもしれませんね。ここに掲載したのはほんの一部です。

嵐が過ぎて

昨日の春の嵐は物凄かった。この嵐が来るのを桜は知っていたのではないか?まだ咲かなかったのはそのため?今日は何食わぬ顔で陽光の中で咲き始めている。植物は強い。なにがあっても逃げることの出来ない植物は危険を避けるため、種族を残すための腹黒い戦略を多々持っている。時々気持ちのいい木立のなかにいても、そのことを考えると少し薄気味の悪い思いに囚われるのは考え過ぎだろうか。毎年桜が咲き始めると、背中がぞくぞくするような寒気を感じる。ひどい時には桜が咲いている間は熱を出して寝込んでいる年もあった。ちょうど寒さから暖かさに対応するための体の適応が遅いのかもしれない。きょうも少しだるく、寒気がする。誕生日前後は特に体調不良になる。おぎゃあと生まれてきたときに母親の胎内から外へ出て「うー、なんて寒いんだ」と震え上がったことだろう。きっと、その時の記憶が残っているに違いない。とはいえ、今日はうかうかしてはいられない。午前中はトリオの練習。午後からは6月のコンサートに向けての初練習。ブラームスのソナタ2番。あのブラームスにしては珍しく幸せ感に満ちたこのソナタは私の一番のお気に入り。ピアニストは遠方から来るので昨日でなくて本当に良かった。今日の明るい陽射しの中で弾くにふさわしい曲だし、昨日だったら気が滅入ってしまっただろう。でも、昨日は私にとってはとてもいい日だった。一日家に籠りっきりだったけれど、誕生日のお祝いのメールや電話を沢山いただいて、なんだか沢山の人とつながっている安心感があって幸せだった。子供の時からわりと雨の日が好きだった。それは体育の授業がとても苦手で、雨が降れば自習時間になって本を読める、それが一番うれしかった。そんな不活発な子供が今スキーを楽しんだり海外に出かけたりするようになった。だから親は子供が今どうであってもあまり将来を心配しない方がいいかもしれない。体育が嫌いだったのは主に瞬発力のいる跳び箱、筋力がいる鉄棒など、私に決定的にかけているものをやらされたからだと思う。それと集団行動が大嫌いだったので、マスゲームなどは死ぬほど嫌だった。運動会の入場行進などもアレルギー反応が起きた。北朝鮮に生まれなくてよかったと思うのはそこのところ。将軍様が亡くなって集団で泣かなければならないとしたら…思っただけでも鳥肌がたつ。

2012年4月3日火曜日

今日は誕生日

今日は本当の誕生日。本当のと役所に届けた嘘のと二つあって、お役所用は3月31日。こんなこと書くと逮捕されそうだけど、犯人は母親でもうとっくに亡くなっているから時効成立。6人もの子供を育てた母親は、6人目の私の時はもう子育てうんざりだったに違いない。ちょうど新入学の境界線で産まれた私は無理やり3月生まれと言うことにして、小学校にねじ込まれてしまった。おかげで一年早く入れられた方としては、最年少で苦労したと思う。このいきさつは何度も書いているからご承知のとおり。そんなわけで小学低学年ではめそめそしていたのが、4年生になると体力も追いついたとみえて、がぜんガキ大将になっていった。それ以来ずーっとガキ大将。気が強いというより我が強い性格だから、自分のやりたいことがはっきりしていて、末っ子ということも相まってやりたいことのみやってきた人生。母はなんにも助けてくれなかったけれど、なんにも反対もしなかったおかげで好きな音楽の道を進めたのもラッキーだった。母にとって上の3人までは教育したけれど、後の3人はいてもいなくてもよかったみたいで、それは愛情がなかったというより疲れてしまったと言う方が当たっていると思う。末っ子だったお蔭で兄弟からはありあまるほどのちょっかいが出されて早熟なこどもだったのが、今はほとんどその頃から成長していない子供っぽいおばさんに留まっている。もう子供帰りが始まってもいい年頃だし、これからも天真爛漫に生きられたら幸せな老後になろうというもの。幸い今のところ周りの人たちから助けられて、なんの不自由もない。誕生日は別にうれしいと言うことがなくても、なにか一区切りつく。考えると恐ろしいほど年をとっていて、自分が若いころにはこの年の人はすごく年寄と思っていたのに、自分がなってみると全然以前と変わりない。なんにも変らず煩悩のさなかにいるのが情けない。しかし悟りを開いたらつまらないだろうな。泣いたり笑ったり、それが面白いのだから。

2012年4月2日月曜日

文字化け投稿は削除

面白いからと言ってとってあった文字化け投稿は、見ているうちにだんだん気味悪くなってきたので削除しました。せっかく頂いたコメントも消えてしまってすみません。さて、大お花見大会から一夜明けて、空いた酒瓶が20本ほど、だれがこんなに飲んだのかしら。80歳を超える人が何人もいてですよ。あきれた年寄たち。去年のお花見は震災の後だったのでさすがにみな意気消沈していて7本くらいだったので、やはり年取ったなあと感無量だったのに、今年のこの勢いはどうしたことか。まず、山田会長が術後の経過がよく、非常に元気なのに喜んでいる効果だと思う。「雪雀連」は山田会長がいなくてはなりたたない。後継者候補のナンバーワンは会長のお孫さんの翔君。気配りや回転の速さ、頭の良さ、気後れしないなどすべての後継者としての性格を持ち合わせているんのだが、惜しいことに彼はまだ小学生。彼が次期会長になる頃には私たちはこの世にいないか、生きていても足腰が立たなくなっている。今回の手術の話を聞いた時、メンバーは一様にこれで「雪雀連」もおしまいだと思って、暗澹たる気持ちになった。あの会長の事だから立派にガンに打ち勝ってくるに違いないとは確信しているが、80歳過ぎて手術してガンは治っても、もうスキーは無理に違いないと誰もが思っていたのに、今年で最後だ最後だと毎年言いながら必ず行っているニュージーランドに今年も行くのだそうだ。あっぱれなご老人たち。世界中どこのスキー場に行ってもリフト券がただ同然なので、行くにちがいない。山田会長は志賀高原のスキー場でリフト券を買うとき、年齢を証明できるものはありますかと言われ、とっさに帽子を脱いで頭を見せ「これでどうでしょうか」と言って売り場の女の子を爆笑させたりする茶目っ気を持っている。その元気さが今年もメンバーを奮い立たせ、昨日も様々なイベントの計画が持ち上がった。メンバーの中には絵描きも多い。毎年展覧会を開くメンバーが5,6人。陶芸家、人形作家、絵本作家、映画製作に携わる人たちも数人。その人たちを中心に「雪雀連展覧会」を開くことになって画廊も抑えられた。今年11月、私は小学校以来絵を描いたこともないけれど、パステル画に初挑戦することにした。軽井沢に別荘のある人形作家ののんちゃんと、絵本作家のこんちゃんご夫婦が軽井沢で制作に入るときに遊びに行ってパステルをもらって練習するつもりでいるので、乞うご期待ですぞ。

2012年4月1日日曜日

花のないお花見大会

毎年恒例の「雪雀連」のお花見大会。今年は昨年から想定外の連鎖で、ついに桜は咲かなかった。と言っても、かすかに家の前の木に開花とまでは言えないがほころびている数輪があって、それを見てみなさん喜んでいる。花はあってもなくても、毎年元気な姿を見られればそれでいい。特に会長の山田さんは昨年9月に前立腺ガンの手術をうけて放射線治療が終わったばかりというのに顔色も良く、もう張り切って今年度の遊びの計画を建てている。御年80歳。怪物としか言いようがない。一時期中断していた5月の八幡平の山スーキーを再開し、夏のニュージーランドも行くと言う。その前には軽井沢のバーベキュー大会もある。他のメンバーは全部参加するわけではないが、会長は全て行くわけだから、体力も財力も並みはずれていないとできない。知力もそれらを上回る。何よりもその記憶力の確かさ、計画性にはほとほと感心する。全ての計画を立て、宿と人の手配から交通の便を調べ、参加者の調整をする。これを一人でやってのけ、皆に知らせる。並大抵の事ではできない。今日も今後の計画について皆さんの意見を聞いてメモをとっていたけれど、ふだんはメモを取らないことすらあって、それでも間違いなくことが進む。メンバーはみなそれぞれが忙しい人たちだから時々参加を急に取りやめたり急に参加したり、途中で帰ったりいろいろ勝手に行動しても嫌な顔ひとつせずに、旨く対処する。仕事もまだ現役。「雪雀連」は私よりだいぶ年上の人が多いけれど、ほとんどが現役。だからこちらもまだ当分うだうだしてはいられない。お花見の時は皆なにか一品もってきてくれる。腕自慢が多いから今日もテーブルに乗り切らないほどの料理が並んで、お酒もよくこれだけ飲むと思うくらい空き瓶がゴロゴロ並ぶ。良く食べ良くしゃべり、帰りたい人は静かに抜けていき、まだ居たい人は遅くまでいる。いつまでも名残はつきない。皆帰ってしまうとちょっとさびしいのは毎年のことだけど、去年は特にさびしかった。あの震災の後で命のはかなさを感じて、見送る方も帰る方も別れがたかった。今年はすこし気持ちも落ち着いて和やかにお別れした。