2015年3月31日火曜日

情報網

お通夜で出会った人が「昨日お宅でお花見だったんでしょう」と言う。
彼女は某オーケストラの大黒柱となって活躍しているヴァイオリニスト。
え!なんで知ってるの?
「さっきまで**さんと一緒だったの。」
お花見に参加した「古典」のメンバーの名前が挙がった。
あなおそろしや、情報網。
こうやって、あっという間に情報が拡散するのが音楽界。
網の目のように人脈がつながって居る。

私の元生徒からメールがきた。
その人のご主人と私は同じ誕生日。
合同誕生会をしませんか?と。
そのご夫婦の子供さんが今年小学校に上がるので、ヴァイオリンを習わせたいという。

家が少し離れているのと交通の便が良くないので、先生は近所の方がいいのでは?と言ったら、近所の音楽教室を探してきた。
そこの先生が某オーケストラのKさん夫妻で、私とKさんの奥さんとは弦楽アンサンブルでよくご一緒した。
腕が良いだけではなく、凄い美人、おまけにハイソなお育ちの素敵な人。
ご主人の方も何回かお目にかかっている。
その頃私をとても可愛がって下さったチェリストのTさんの知り合いで、その関係で私と彼女のご縁が出来た。
その後Tさんはお歳を召して籠もってしまわれたので、Kさんとも疎遠になっていたのに、こんなところで自分の生徒がお世話になるとは。
こんな風に音楽の世界は、広いようで狭い。
なんでも筒抜けになっていく。

先日オーケストラを退団して悠々自適になったヴィオラのKさん、ヒマでヒマで退屈だから遊んでと言う。

夏の軽井沢のバーベキュー大会には、彼女の別荘も近いのでホテルに泊まらないでうちに来て、とのありがたいお誘い。
今年も八ヶ岳音楽祭に参加するが、その時にも泊まりに来てと言ってくれた。
ところが、その時は清里のHさんの山荘と北軽井沢のノンちゃんのうちに泊めてもらっていたので、日程を延ばさないと全部のうちに泊ることが出来ない。
本当に贅沢なはなし。
あちこち渡り歩いているうちに、又人脈が次々に生まれる。
それにつれて私の行動は、このブログからも皆に筒抜けになっていく。
最近は仕事が少なくなった分、遊びの計画がどんどん増えていくのが、恐ろしい位の勢いなのだ。

その上、7月は志賀高原に蛍を見に行こうと「雪雀連」の女子会が陰謀を企てている。
こりゃ、疲れるわけだわ。

そのうち、花見の時に食べたアイスバイン(Eisbein)の残りの骨で私が美味しいスープをこしらえたなんていう情報も、嗅ぎつかれるのでしょうね。
あ、自分で吹聴しているのか。
殆どの場合、そうなんですけど。













2015年3月30日月曜日

願わくば花のもとにて

かつての同僚が亡くなって、今日はお通夜。
窓から見える桜は昨日にもまして咲き誇っている。
木によって咲く早さが違うので、我が家の目の前の桜は8分咲き。
明日、明後日には満開となりそう。
他の木はすでに満開のものもある。

亡くなった方の奥さんと私は、とても仲が良かった。
私は早々にオーケストラをやめてしまったけれど、彼女は頑張って勤めていた。
私たちはよくデュエットをしたり、カルテットのコンサートをしたり、ずっと一緒に弾いていた。
私がオーケストラをやめてもしばらくは、時々共演していたけれど、お互い違う道を進んでいったから段々疎遠になってしまった。
それでも何年か前、彼女がオーケストラを退職した直後に、一緒に食事とお喋りを楽しんだ。
彼女のお祝い事にも呼んでもらった。

彼とはあまり話しをした記憶もないけれど、新婚時代のお宅にお邪魔した記憶がある。
ご馳走になったのは牡蠣ごはん。
つまらない事はちゃんと覚えている。
亡くなったご主人は寡黙で、日本の城を愛するような人だったから、若くてもク*ジジイ(これは奥さんもそう言っていたのですよ)などと、あだ名で呼ばれていた。

祭壇の写真はビールのジョッキを片手に、クソ真面目で、それでも楽しげなお顔。
どこか外国で撮ったものらしい。
まさかこんなに早く逝ってしまうなんて・・・

心の底に花冷えの様な澱がよどんでいて、桜の色も心なしか薄くなったような気がする。

たまさぶろうも逝ってしまった。
すごく寂しい。

愛猫の 手向けとなりて 桜咲く   ねこたま






2015年3月29日日曜日

お花見

毎年3月最後の日曜日か4月最初の日曜日に、我が家の花見大会が催される。
花は二の次で、勿論目当ては酒盛り。
酒の匂いに釣られ鼻の利く連中が、三々五々訪れる。
昼過ぎから深夜までの大宴会となる。

お酒が目当てと言っても、やはり今年のようにドンピシャリと開花時期に当たるとラッキー!と思う。
我が家はお花見には絶好のロケーション。
桜並木のある川沿いにあるので、2階に上がると眼下は花の川。
花が終って新緑になる頃も美しい。

メンバーはいつもの「雪雀連」
練馬や西東京などの遠方からも、浮かれながらやってくる。
全く能天気な連中ながら、本業では世間様から尊敬されているような。
多士済々、それぞれ一家をなしているから恐ろしい。
どう見たって皆、落語家の万年二つ目みたいな巫山戯た輩なのに。
それが本業は真打ちってところが、なんだかなあ。

なんでもかんでも冗談にしてしまうので、真面目な時はあるのかしらと訝っている。
会長の山田氏などは、ニッセイ劇場のありがたい賞を受賞した時にも、挨拶は冗談ばっかりだったから、ダメだこりゃ、一生治らないと思った。
行い澄ましてじっとしていれば仏像と間違えられて、お布施の一つや二つ、もらえるかもしれないのに。
雑魚である私たちもわんさか参加して、授賞式は笑いに包まれ、厳粛であるべき授賞式をひっかきまわしてしまった。

今日は15人ほど「古典」のメンバーも2人合流した。
途中少し雨が降ったけれど穏やかな曇り空の下、桜を楽しんだ。
次々にお腹のよじれる話しや日本歌曲の「早春賦」なども出て、マンネリながら恒例のお花見は終った。

終ってだんだん人が帰ってしまうのが寂しい。
だからいつも、いっぺんに帰らないでねとお願いしている。
急にガランとしてしまうと気が抜けてしまうので、毎度最後まで付き合ってくれるのが、一番遠くから来る人達3人。
今日も最後まで付き合ってくれて、楽しそうに帰って行った。

追記ですが、昨日の文化会館小ホールの音響の感想。
改装工事は耐震性についての工事だったらしい。
音響に関する工事はしていないから、私が喜んで良くなったと浮かれたのは気のせいだったらしい。
でも確かに、いつもより音が良く響いたという感想が、沢山寄せられている。
こちらの気合いが入っていたからなのか、客席が満員だったからなのか、とにかくいつもよりもずっと弾きやすかったのは確か。
気のせいがずっと続いていてくれると、良いのですが。
次回も良い音がでますように。


















2015年3月28日土曜日

文化会館小ホールはご機嫌

古典音楽協会第150回定期演奏会。
テレマン「ドンキホーテ」
バストン「リコーダー協奏曲」
ヴィヴァルデイ「2つのヴァイオリンの協奏曲」
ジェミニアー二「ラ・フォリア」
バッハ「ブランデンブルグ協奏曲5番」

東京文化会館小ホールは満席で、立ち見が出ようかというほどの盛況だった。
聴いて下さった方々、ありがとうございました。
年々、お客様が増えていくのは本当に嬉しい。
今回もこれほどの入場者数になるとは思わなかったけれど、文化会館の改装のために会場が使えず、定期演奏会を1年休んだことが影響しているらしい。
毎回来て下さる方が殆どだから、休みが入るとなにか物足りなくなるようだ。
やっとコンサートが聴けるというので、どっと来て下さったのかもしれない。
私たちも改装なった小ホールの舞台に立つのは楽しみでもあった。

どこを改装したのか詳しくはわからないけれど、ステージ床の素材が変わったかな?
音が前より鮮明に纏まって聞こえる。
弾いていてとても気持ちが良い。
客席で聴いていた人からも、随分音が良くなったとの指摘があった。
世界中の演奏家がこのステージに立つのだから、日本の代表的なコンサートホールとしては、改良に改良を加えていかざるを得ない。
最近のこのステージは本当に良くなった。
どこの会場も、リハーサルの時に良く響いてもお客さんが入ると途端にデッドになるのが普通なのだが、今回はそうしたことを感じなかった。
こちらの気持ちの問題なのか、それとも計算されたことなのか、
どのように改装したのか、詳しく聞いてみたい。
すごく興味がある。

文化会館が出来たばかりの頃は、小ホールのステージと言えば音が悪いので弾きにくいとの評判だった。
途中でステージの高さを調節して少しマシになった。
その後も何回か改装され、今では飛躍的に音響効果も良くなり、このホールを使用出来るのは幸運なことだと思う。
厳しい審査があって、このホールの予約をとるのは中々厳しいから、毎回使えるのは有りがたいことだと思っている。

今日はコンサートマスターの角道さんとチェンバロの佐藤さん、2人の喜寿を祝うコンサートでもあった。
2人ともウッソーと言いたくなるほど元気で、音も豊かで指もよく回る。
プログラム前半の中藤・中嶋組のコレッリ「ラ・フォリア」新谷・石橋組のヴィヴァルデイ「2つのヴァイオリンの協奏曲」もそれぞれ素晴らしいソロを聴かせてもらえた。
年齢を超えた若々しい人達と共演できて、幸せだった。

こんなに年を取らない人達は、中世だったら魔女の疑いをかけられたかも。
君たち、あんまり上手く弾くと黒猫の仲間だと思われるぞ!



















2015年3月27日金曜日

出来そこない

昨夜から拡大眼鏡を探していた。
いつもパソコンの画面を見るときに使用している。
だからパソコン周辺にゴロゴロ置いてあるのが、見当たらない。
パソコンのモニターは大画面。
玄関を入ってきた人がギョッとするくらい大きい。
文字も当然大きいけれど、なぜかパソコンを見る時だけ拡大鏡を使う。
ちょうど焦点が合うのだ。

その拡大鏡を探し回っていたけれど、どこにもない。
まさかちゃんとケースにしまうなどということはあり得ないと思っていたけれど、念のためケースを開けてみた。
あった!
なーんだ、私って実は整頓好き?
いや、そんなことはない。
なんでも思いつきで行動するから、ケースにしまったのは偶々。

これは元々の性格らしく、決して年をとったからこうなったわけではない。
思いがけない所から、思いがけない物が現れる。
ハンカチが溜ってしまって小抽出がぎゅうぎゅうになっていたので、全部取り出して整理したら、前から探していた下着が出てきた。
なんでこんなところに?

時々鍵が冷蔵庫で寝て居たり。

イチゴのヘタを取っていると、いつの間にか本体を捨ててヘタをお皿に載せている。

子供の時からボンヤリした性格で、空っぽのランドセルで小学校に行く、宿題は家に帰れば出たことを忘れる。
だから学校の私の忘れ物グラフは、ダントツ棒が長かった。
夏休みの宿題すらやらない。
1ヶ月に1週間は必ず休む。

親はどうしていたかというと、殆どそう言う事に興味を示さないから、私は野放図に伸び伸び怠け放題。
優秀な兄達への教育は熱心だったけれど、出来損ないの末っ子が何をしているかなど、とんと知らないから、私は一日中縁側に寝転がって雲を見てぼんやりしていた。
それで今でもボンヤリしていると、言い訳。

世の中の人がしっかりしているのは驚くほどで、旅行に行くと、きちんと整頓されたスーツケースから衣類などを取り出す。
私は人に見られないように、こそこそ隅っこでグチャグチャの荷物を広げると、あらまあ、ホテルはすぐに自宅のように散らかって、あっという間に住み心地良くなる。

先日、生徒さんの室内楽の合わせに付いて来た先生が、私のレッスン室を眺め回して「ここも随分居心地良くなってきたわね」と宣う。
音楽以外の私物が浸食し始めていて、アイロンが置いてあったり、ソックスが転がっていたり。
「少し散らかっていた方が、気持ちが安まるのよね」とありがたいお言葉。
そういえば昔、自宅にオーケストラの若い者がしょっちゅう出入りしていた。
そのなかの1人が部屋を見回して「このうちって居心地良いなあ」としみじみ言ったことがある。
今どころではない、すさまじい散らかりようだったのに。

レッスン室は人が来る時はなんとか整頓。
ある有名な先生は、レッスン室の中があまりにも酷く、譜面台に行くのにどうやって行こうかと苦労するそうだ・・・ほれ、そういう人もいるのよと言い訳。

他人のことはいいの、自分さえちゃんとすれば。

他の先生は泥棒が入った時、警察が「こりゃー酷い」と言ったけれど、普段のままだったと言うはなし。

いいの、他人のことは。

ある先生は階段にキャベツが・・・












2015年3月26日木曜日

山を越える

以前作った眼鏡が合わなくなってきたので、作り直すことにした。

お店の人は大袈裟なと思ったかも知れないけれど、譜面台と楽譜を持参して距離を決める。
いくら説明しても実際できあがると、大抵読書用の距離になっている。
譜面台を置いてその前に座って距離を測ってもらおうとすると、どんどん譜面台を寄せてくる。
何回も説明しているのにどうして分からないのか、今まで行った眼鏡やさんでは大抵そうするので、腹が立つ。
いっそのこと店でヴァイオリンを弾いてしまおうかと思ったくらいで、それはまあ、恥ずかしいからやめて、何とか納得してもらうまでが大変。
なんで分からないのだろうか。
今回も口を酸っぱくして、80㎝と距離を決めて帰ってきたのに、見事に50㎝の焦点になっていた。
これでは譜面を見るには、近すぎる。
作り直してもらったが、なんだか信用出来ない。
しばらく様子見ということになった。

眼鏡は楽譜用を2つ持っている。
万一ひとつが壊れた時、スペアがなければ仕事にならない。
楽譜用は仕事を沢山していたときには、すごく良いレンズを使っていた。
一枚5万円なり!
薄いガラスで、視界が明るくなってくっきりと見える。
ところがフレーム無しのガラスだから、ちょっとした衝撃、例えば譜面台の縁にちょっと当たった時などに、パリンと割れてしまう。
あ~あ、5万円!
仕方がないのですぐに次を作ってもらって、待っている間はプラスチックの安物で我慢。
できあがると、世界が輝いて見えるほどの明るさ。
そして、パリン。
あ~あ、5万円!
何回壊したことか。
今はその眼鏡はケースに入れっぱなし。使うことはない。
片方のレンズが割れたまま。
使っていたらその分働かなくてはいけなくなる。
この次実現出来るかどうか分からないけれど、自分自身でプロデュースしたコンサートをもう一度やってみたいと思っている。
その時には新しい明るいレンズを入れてもらおう。
曲目はもちろんモーツァルト「ディヴェルティメント17番」
早く実現しないと、弾けなくなっちまう。

眼鏡のことを書くつもりではなかった。
ちょうど去年から今年にかけて、体の変わり目というような様々なことが起きてきた。
関節が硬くなる、関節炎になる、目が急激に悪くなる、手の平の水分がなくなって、色々差し障りが出る。
今までも何年か毎に、体の変わり目を体験してきた。
その都度、ああ、年取ったなあと思うけれど、演奏することに差し障るような重大なことはあまり起きなかった。

周りの人を見ても、「古典」のコンマス角道さん。
数年前に「僕はもうソロはやめますから、今度は皆さんでやってください」と言ってしばらくソロを弾かない時期があった。
たぶんその時期は体や心の変わり目だったのでは、と推察する。
その後、ここ2年位前から又お元気になって、今度の定期演奏会では「ブランデンブルグ協奏曲5番」のソロを弾く。
彼は喜寿だから、これは凄い!
一山越えたことで、復活した。

私は今、心も体も疲労感が強い。
それでも、弾くのをやめたらそこでお終いになってしまうので力を振り絞っているけれど、本当のところ、世間ではもう悠々自適の年齢で楽しく世界一周旅行などしているはずなのにと、時々さぼり心が顔を出す。
ちょっとした小品を弾くのも、以前よりも沢山練習をしないといけなくなった。
この山を越えれば、大草原が広がっているのかしら。
速く乗り越えたい。

大草原なんて書いたら、モンゴルの草原で馬に乗りたくなってしまった。
























2015年3月24日火曜日

小田原行は断念

前回の東響同窓会も欠席したので今回こそと張り切っていたものの、やはり体がまだ本調子でない。
27日の古典音楽協会の定期演奏会を控えているので、ここで体調崩したら皆に迷惑がかかるから、やっとの思いで小田原行は諦めた。

東響時代、苦しい経済状態だったオーケストラの再建に、家族同様に力を合わせてきた人達。
本当に仲が良かった。
演奏旅行もボロ車に人と楽器を満載して、高速も無い時代、安ホテルを渡り歩き、どさ回りと称しての旅。
時には野宿。
これは東響の暗黒時代。
やっと経営が安定したとき、私は戦列を離れた。

今どきの若い人だったら、こんなバカな仕事はしない。
私たちは貧しいのが当たり前の時代だったから、そんなことは平気だった。
今の時代にこんなことをやれと言ったら、皆そっぽを向く。
3Kというけれど、まさしくそれ。
それでも、当時の苦労は未だに私のキャリアに役に立っている。

どんな曲が来ようとも、一応弾いた事はある。
たいての事は知っている。
どんな下手くそなソリストにも合わせられる。
変な指揮者が来ても驚かない。
あははは・・お腹がよじれるほど酷いキャリアだなあ。

思えば本当に悲惨な経験が多すぎたけれど、お陰でフリーになってから存分に良い目を見せてもらった。

どさくさまぎれにやっつけ仕事はお手の物。
初見はえらく利く。
だから出来るひとだと思われて、わんさか仕事が来た。
本当は七転八倒、神経すり減らしていたけれど。

今ゆったりと生活が送れるようになって何が一番嬉しいかというと、ゆっくり譜読みをしてじっくり曲に向き合えるようになったこと。
今まで弾いた曲も見直して見ると、日々新しい発見がある。
作曲者の顔が見えてくる。
曲の形が鮮明に浮かんで来る。
幸せな豊かな時間が過ごせる。

昔の仲間と思い出話をすると、全部お笑いぐさになって、今まで苦労なんかしたことはないように思えてくる。
それに、当時は本当に苦労だなんてこれっぽっちも思わなかった。
毎日笑っていた。
今思い出すと、あんなこと良くやってきたと思うけれど、当時はそれが楽しくてしかたがなかった。
天性の陽性なのだ。

この仲間達があってこそ、あんなに笑っていられたのだから、人生、人との出会いがいかに大事かが良くわかる。
こんな年齢になっても(30才は越えたと言うことです)まだバカが言える仲間は大事にしないと。
バカが言えなくなると私は、無口になってしまう。
いつもは六口なんですが。

それで今日は残念ながら、おうちで寝ております。














たまさぶろうは今ニューヨーク?

目が醒めると知人の家で寝て居た。
その家の飼い犬が私の所へ寄ってきた。
ああ、このうちに随分長いこと滞在していたのだっけ。
そろそろおいとましないと。
外に出ると、そこはニューヨークだった。
今日帰国するので、ニューヨークの街で買い物をしよう。
洗練された街並みが見える。
急に場面が変わってカフェテリアのような場所でくつろいでいると、たまさぶろうが来た。
あら、たまさぶろう、一緒に来たのかしら。
飛行機は動物は手荷物扱い。
可哀相だから一緒に客室に乗れないかどうか、訊いてみよう。
じっと目をみつめてくるたまさぶろう。
そこで本当に目が醒めた。
ひたすら悲しい。

このブログは、たまさぶろうが私の悪口を書くために始めた。
たまの陰にかくれて言いたい放題言おうというつもりだったけれど、ネットで個人情報が拡散する恐ろしさを目の当たりにして、だんだんぼかしがはいるようになった。
それでつまらなくなったという人もいる。
個人名はもとより場所などもあまり詳しくは書けないから、説明が上手くいかないことも多い。
それでも、事件の犯人などの特定をするネットユーザーたちの実力は、恐ろしいものがある。
犯人の顔はもちろん、家族までネットで晒されて、家庭は崩壊してしまう。
幸い私の犯罪はスピード違反で免停になったくらいで、他はお日様の下、まっとうに生きている(つもり)

今考えるとたまは寂しかった。
私は朝食が終るとすぐにレッスン室に閉じ籠もり、昼食の1時間、夕食の1時間を除いて、あとは寝るときだけしか猫部屋(居間)には戻らない。
いつも猫部屋の玄関で私を待っているたまが居た。

寝るときは私のベッドの定位置で、しっかりと縋り付いていかにも満足そうに喉を鳴らしていた、たま。
腰が抜けてベッドにも中々上れなくなっても、最後まで力を振り絞って上ってきた。
もう少し一緒に居てやればよかった。
あれもこれも、いつも死なれてから後悔の種は尽きない。
私には仕事や友人や色々楽しみもあったけれど、たまには私がいのちだったのだ。
最後はベッドに入るのも嫌がって、ベッドの下で息を引き取った。
ブログを読んですぐお花を届けてくださった方がいて、その場所にずっとお供えしてある。

私も女々しい。
こういうときにしか女らしくなれないのが、私の人生を悲惨にしている(苦笑)

たま、ニューヨークから戻っていらっしゃい!





















2015年3月23日月曜日

小田原へ

明日小田原へ行く予定。
東京交響楽団時代の仲間であった先輩のSさんを囲んで、飲もうという魂胆で。
Sさんは元東響の打楽器奏者で現在小田原在住。
途中で人生の路線を変更して、計理士だか会計士だか税理士だか・・・どうでもいいけれど、すごく頭が良くないと出来ないお仕事に就いている。
何事にも造詣が深く、お話しを聞くのはこの上なく面白い。
物静かに、にこやかに、旧東響時代の古いエピソードを披露する。
これを書き取っておいたら一冊本が出来るなあと思いながら聞いている。
聞いた傍から忘れるので、何回同じ事を聞いても飽きない。
いや、別にSさんが同じ事を繰り返すという意味ではありません。
こちらの問題なのですよ。
お歳は召していてもさすがガクタイ、帰宅時間はちゃんと分かっていてグダグダしない。
時間を守る事に関してはオケマンほど、厳格な連中はいないと思う。
なんたって、その時間にその場所にいて、絶対に音を出さなければいけないのだから、遅刻は一生の恥と心得る。
時には猛者がいて、ステージで眠ったりすることもあったらしいけれど、まあ、絶対と言って良いほど時間は守る。

さてわざわざ小田原へと言うのは、足腰が弱ってきたSさんに東京まで来てもらうのはこちらも心配だし、それならまだ少しは歩ける我々が行こうではないかと、話しがまとまったから。

Yahooの路線案内を見る。
うちは東急線だから横浜にでて・・・それから東海道で・・・出ない。
横浜からわざわざ新横浜に行って、新幹線に乗れと?
横浜発にしてもわざわざ新横浜に行くような案内ばかり。
何じゃこれは。
新幹線なら多少速いものの、乗り換えの手間や時間のロスと料金を考えたら、東海道で行く方が良いにきまっている。
武蔵小杉から湘南ラインにのれば一直線のはずが、それも出ない。
小一時間かかるけれど、乗ったら居眠りしていても着くのと、一々混んだ通路を通ってイライラするのとどちらが良いか。
乗り換えの少ない順に設定しても、武蔵小杉から一直線の案内は出なかった。
私の様に物知りでなければ武蔵小杉から小田原まで一気に行けることは知らないだろう、えへん。
へ?皆知ってるって?おやまあ。
それではYahooが知らないだけなのだ。
だって武蔵小杉ー小田原で検索したら、なんと!成田エクスプレスで横浜へ出るようにと指示された。

どこのバカがこんな短距離で、高い料金のエクスプレスに乗るものですか。
しかも横浜から新横浜へ出て新幹線に乗れと。
最後に料金の安い順にしたらやっと出た。
しかも湘南新宿ラインは東海道線よりも速く、小田原に着く。
ははーん、料金の高い順に並べてあるのか。
知らなければ、この高い料金の列車に乗ってしまう=JRは儲かるという方程式が成り立つ。
誰がこんな路線案内作っているのか知りたい。
よほど無駄金使いたいか、面倒くさいことが好きな人か、素直に横浜から真っ直ぐ小田原へ行かせてよ、Yahooさん。

貧乏でナマケモノだから、あすは武蔵小杉から究極の不精路線、乗り換え無しで行く事にした。

私だってお金持ちならタクシーで新横浜へ行って、新幹線に乗るさ・・・ブツブツブツブツ


























2015年3月22日日曜日

体調を崩す

たまさぶろうの死を冷静に受け止めたはずなのに、心よりも体にショックが表れた。
たまを霊園に送ってすぐに、急激に体調が崩れた。
風邪か気管支炎か肺炎かわからないけれど、激しい咳と高熱が続いた。
たぶん2,3日あまり眠れなかったせいだと思う。

今日はヴァイオリニストのレジス・パスキエのコンサートに、行く予定だった。
マチネーだからコンサートが終ってから友人と一杯という楽しい予定だったのに、さすがにこの咳ではコンサートには行かれない。
泣く泣く断念した。
パスキエは才気溢れる非常に軽やかな演奏をする。
私の大好きなヴァイオリニストで、今日のプログラムもラヴェル、プーランク、ルクーのソナタ。
洗練されたという言葉が彼にはピッタリ当てはまる。
残念でたまらない。

人が熱で苦しんでいるのに友人からは、スキーのやり過ぎよと、情け容赦ないメールが送られてきた。
それはそうかもしれない。

今年はもう3回もスキーに行った。
それでもあまり疲れないようにと、一応セーブして過剰な運動は避けたつもりだけれど、やはり年をとっていることを忘れていい気になって遊びすぎたかしら。

疲れが溜って、それが治らないうちに次の事をして、毎度のことながらなんでもやり過ぎる。
お調子者だから、楽しい仲間といるとつい、はしゃいでしまう。
薬と睡眠のお陰でやっと咳も治まってきた。

まだまだ完治とは言えないが、27日の古典音楽協会の定期演奏会は大丈夫だと思う。
今回私はソロがなくて、良かった。
ソロがあったら、今頃焦りまくっていたと思う。
それでも、ソロがあったら、もしかしたら病気になることはなかったかも。
緊張で風邪をひく暇もないので、そういう時は病気にならないのが不思議。
人の体は精神の現れ。
面白いことに、どんなに熱があってもコンサートのステージに立つと、治ってしまう。
何十年間、体調の良いときも悪いときも、演奏を続けてきた。
それでも長い月日の中で、どうしてもだめという時が2回ほどあった。
一回は高熱が出て、歩く事も出来ないとき。
もう一回は演奏旅行先で肝炎を発症した時。
釜石の診療所で私の症状を見てくれた医師が、命にかかわるからすぐ帰るようにと言ってくれた。
コンサートの日程はまだ残っていたけれど、ひとりとぼとぼと釜石から帰った。
途中でどうしても歩けなくなり、仙台で一泊、ようやく自宅にたどり着いた。

あの時の釜石の診療所はどうなったのか、心配している。
津波に襲われてしまったのかどうか。
あの時の先生は命の恩人、ご無事でいらっしゃるだろうか。
お陰で私はまだ元気で生きていられる。






















2015年3月21日土曜日

車輪?

オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きてから、もう20年になるそうだ。
光陰矢のごとし。

20年前のその時「雪雀連」はロッキー山脈を滑っていた。
広大な雪山、澄み渡る空気、夜はステーキハウスでと、目一杯楽しんでいた。
そして3月21日、遊びのメンバーの中に参加出来ず日本に残った人がいて、かれの誕生日だから国際電話でお祝いを言おうということになった。
ホテルの電話の前に数人が集まって、とりまとめ役の青ちゃんが誕生日のご挨拶。
ところが「え!え!」となにか様子おかしい。

「なんか日比谷線で車輪がどうのこうの言ってるけど、脱線事故でもあったかな?」
電話を替わると「オレの数台前の電車でなんかあって、沢山人が亡くなったみたいだよ」とこれもワケのわからない話し。
まだ詳しい事情がわからなくて、本人もどう言ったらいいのか戸惑っているようだ。
誕生日の本人も職場が日比谷だから、毎日日比谷線に乗る。
事故に遭った電車のほんの10分くらい後に、乗っていたようだ。

電話を切ってから皆で考えるが、なんのことやらさっぱりわからない。

日比谷線の車輪がどうしたって?
後で、あちらのテレビを見た人が、日本で大変な事件がおきたようだと言うけれど、英語が堪能でないからなんのことやらさっぱりわからない。

帰国すると日本中大騒ぎになっていた。
車輪でなくてサリン。
不届き者らが毒ガスを発生させて、沢山の人が犠牲となった。
この後様々な事件が起きて、教祖は今死刑囚として刑務所の中にいる。
しかし宗教の名を借りたこの様な卑劣な事件は、本当に許しがたい。
薄汚い鈍感そうな教祖のために、優秀で純粋な人々が人の道を外してしまった。
一目見て、気持ちが悪いとしか言いようのないあの風貌。
選挙に出たり歌や踊りを見せたり、どうみたってダサさが前面に出ていて、人の心に響くもののかけらすらない男。
どうして皆だまされたのか。
不思議でならない。
あの上九一色村の隠し部屋を見ただけで分かる、教祖の自分だけ逃れようとする卑怯さ、気の小ささ。
これで教祖と言えるのか。

今でも信者が居ると言うけれど、本人を目の前にしたら、なにか感じるものがあるのだろうか?
人間最低これだけは、やっていけないことがある。
どれほど尊敬する人が言っても「人殺し」例えポアと言葉をかえようと、それが被害者にとって救いとなると言われても、やってはいけないことくらいわかりそうなものなのに。
加害者は自分の死刑の執行の時に、これで救われると涙を流すのだろうか。
案外そうだったりしたら、すごく怖い。











2015年3月20日金曜日

たまは旅に出ました



去年からもうダメだと思う日が続いて、獣医さんに何回もお世話になった、たまさぶろう。
毛並みはボソボソになり、食欲も落ちて、私は彼の好みのフードを探してアチコチの通販やペットフード店を巡り歩いた。
今年に入ってから元気が戻って、大きな声で鳴くし目の輝きもしっかりしてきて、この分なら当分安心していられる。
もしかしたら後2、3年は大丈夫。

先日私がスキーに行く前には玉三郎は元気で、いつもなら私が不在の間心配なので、獣医さんで点滴をしてもらう。
今回はその心配は全くなさそうだったので、なにもしないで出かけた。

帰宅したときにはすごく喜んでくれて、エサにも口をつけていたけれど、翌日からは全く食べなくなってしまった。
頻繁にトイレに通う。
元々5,6年前に検査をした時に、腎機能の4分の3はだめになっていると言われ、すごくショックを受けた。
それでも時々具合が悪くなると獣医さんで治療してもらえば、又元気になっていた。

三日程前、足腰がふらついてトイレの縁が乗り越えられなくなって、外で用を足すようになった。
それでトイレの周りにシートを敷いて、好きなように出来るようにしたけれど、昨日はそこまで行く気力もなくなった。

一昨日、横浜市の荏田付近に大きなスーパーを見つけた。
そこには大量の缶詰やドライフード、それにジェル状のもの、あるいは寝たきりのワンちゃん用のオムツまで売っていた。
これからはここに来れば必要な物が手に入るとひと安心。
ひとまずはペースト状になったフードを買う。
筒状の包装で、先を少し切るとそこから中身が出て来る。
これなら抱っこして与えられる。

でもそれすらほんの少ししか食べない。
食べるというより、口に入ってしまった分だけ嫌々なめるという具合。
水すら飲まなくなってしまった。
こんなに早く悪化するとは思わなかったので、獣医さんに行くかどうか、決心がつかない。
前の猫たちもそうだったけれど、治療しすぎて可哀相なことをした経験が何回もある。
口から物を食べなくなったら、そこで治療はやめよう思っていた。
それでも飼い主としては、食べなくなっても一縷の望みを捨てきれない。
どこで治療をやめるのかの決心は、中々つくものではない。

今日仕事から帰ったら微かに呼吸をしていたので、明日までは大丈夫と思っていたのに、22時、気がついたら息をしていなかった。
私が帰るのを待っていてくれたのかもしれない。

昨日昼頃名前を呼んだら、この3日程声も出なかったのに、大きな声で1度だけ鳴いた。
あれは私に最後の挨拶をしてくれたのだと、さっき思い出した。

たまは良い子だ。













2015年3月18日水曜日

なんてかわいい!



可愛すぎる~。
ジャイアントパンダは外見が可愛いけれど、けっこう獰猛なんですって。
レッサーパンダは人なつこそうで、私はこちらのパンダの方が好き。
数年前の年賀状の絵柄をレッサーパンダにしたら、反響が大きくて「今年は何年?」なんて言われた。
その当時二足歩行をするレッサーパンダが話題になっていたので、その写真を使わせてもらった。
二本足で立つのはレッサーパンダでは珍しくもなさそう。
こんな猫だって居るのだから。








2015年3月16日月曜日

古典音楽協会第150回記念演奏会

 3月27日(金)19時開演 東京文化会館小ホール

           プログラム

テレマン    組曲ト長調「ドン・キホーテ」
バストン    リコーダー協奏曲第1番ト長調
           Rc.片岡正美
ヴィヴァルディ 2つのヴァイオリンの協奏曲ニ短調 Op.3-11
                       Vn.新谷絵美 石橋敦子 Vc.前田善彦
ジェミニアー二 合奏協奏曲ニ短調「ラ・フォリア」
        Vn.中藤節子 中嶋斉子 Vc.重松正昭

        ~二人の喜寿を感謝して~
J・S・バッハ  ブランデンブルク協奏曲第5番ニ長調
        Vn.角道 徹 Cem.佐藤征子
          特別出演Fl.大澤明子

長い歴史を誇る「古典音楽協会」は日本最古のバロック音楽の演奏団体です。
私も先程計算してみたら、なんと32年間もの間ここで弾いています。
殆どのメンバーは、私よりも10年20年も前からのメンバーです。
メンバーの入れ替えが少ないと言うことは合奏団にとって非常に有意義なことで、ツーと言えばカーという具合にインスピレーションを共有出来るのです。
私は猫族なので好き勝手にしたい方です。
今までどんな団体に所属しても、すぐいやになる。
ところが「古典」だけは、すっかり居座ってしまいました。

さて、今回はコンサートマスターの角道さん、チェンバロの佐藤さんお二人が喜寿、しかも150回記念という重ねての記念すべきコンサートです。

      どうぞご来聴くださいませ。
        お待ちしております。







       

2015年3月15日日曜日

フィンランド人の名前



日本では普通なのに、よその国に行くととんでもない意味を持つ名前がある。
勿論その逆も沢山あるけれど、余りにも面白いので保存していた記事がこれ
とても失礼だとは思うけれど、笑ってしまう。

私の姪は一時期、語学留学でフィンランドに行っていた。
でもこんな話しは聞いたことがなかった。

「フィンランド語は猫の言葉」という本を読んだのは、姪がフィンランドに留学した前後。
著者は稲垣美晴さん。1952年生まれ。
現在猫の言葉社という出版社を設立、代表取締役。

彼女は東京芸術大学(美術)の学生だった。
卒業論文にフィンランドの美術史をテーマに選ぶ。
ヘルシンキ大学に入学して、アクセリ・ガッレン=カレッラについて論文を書いた。

彼女のフィンランド語の勉強は、辞書も本もないところから始まった。
その辺の事情は杉田玄白「蘭学事始」になぞらえて冒頭の「芬学(ふんがく)事始」の章に書かれている。
サラッと書いてあるけれど、想像を絶する大変さではなかったかと思う。
しかし苦労は何気なく書き飛ばし、時には爆笑するほど面白いので、一読をお勧めしたい。

なぜフィンランド語は猫の言葉かというと、フィンランド人が会話しているときの相づちが「ニーン」なのだそうだ。
会話を聞いていると、ニーン・ニーン・ニーンと相づちがはいるので、まるで猫の鳴き声のようらしい。

フィンランド人の殆どは、夏、湖の傍の夏の家で過ごす。
夕方にはコッコと呼ばれるたき火を焚く。
たき火がコッコ、全てがココ、疑問詞はコ、あつめるがコータ。
それらを組み合わせると、フィンランド語は鶏の言葉になる。
「ココー ココーン ココ コッコ」
「ココ コッココ?」
「ココ コッコ」

私は英語のハリー・ポッターでさえも読むのに四苦八苦。
よく思うのは、語学も才能がなければ、ものにならないということ。
ちゃんと出来るのに完璧に言おうと思って話せなくなってしまう人、全然まともでない発音でも何でもしゃべれる人。
発音・文法はどうあれ、その国に住み着いて立派に暮らして居る人など様々。

稲垣さんはとてつもなく努力されたのは勿論、外国語に秀でるための才能が・・・例えば飽くなき好奇心とか、人見知りをしないとか、どんな窮地に陥ってもユーモアで乗り切れるとか、そして並外れた頭脳、そういう素質の持ち合わせが沢山あったのでしょう。

最近「猫の言葉」を読み返してお腹を抱えて笑ったので、ご紹介いたします。





















2015年3月14日土曜日

原始的生活

洗濯機が壊れた。
決定的に壊れたのでは無くて、たぶんどこかにゴミが溜っていたりするレベル。
取説を読むと、注水口が詰まっているらしいけれど、注水口を眺めてもどうやって外して良いかも分からない。
たぶん注水口のゴミを取り除けば良いレベルの故障なので、替えるのはもったいない。
そのうち修理に来てもらおうと思って、ほったらかしにしてスキーに出かけた。

帰って来たら不自由この上ない。
いつもなら、もうこんな旧い器械はいやだと一気に買い換えるところだが、今回は事情があっておいそれとは買えない。
持ちアパートの貸部屋が空いて、大々的にリフォームすることにした。
築19年だから、キッチンのリフォームもすることにして見積もりを出してもらったら、あらまあ、大変!こんなにかかるの?
それでも私がもう少し年をとると、こういうことも面倒になるから今のうちにやってしまおう。
それで沢山のお金が、羽を生やして飛んでゆくことになった。
しばらく洗濯機は買えない。
ゴミ詰まりをとるだけでいいのに、それも出来ない。
リフォームの業者が来るから、だれかに頼んでみよう。

それでも洗濯は毎日しなければいけないから、コインランドリーにでも行くかと思ったけれど、お風呂に入っているときに手で洗ってみた。
これがけっこう楽しい。
まず洗面台にお湯を張って洗剤を入れて、洗濯物を浸けておく。
体が温まったころ、ちょっともみ洗いをして又知らんふり。
時々お湯ですすぐ。
又湯船でゆっくり、時々すすぐ。
これを繰り返す。

最後に湯船に全部入れて、どしゃどしゃかき回す。
湯船の縁に洗濯物を載せて、しばらく水切り。
ポタポタ垂れなくなったら、洗濯機で脱水。
脱水機能が壊れていなかったので、助かった。

結果としては器械で洗うより、こざっぱりと洗い上がる。
これは収穫だった。

昔、洗濯機が家庭に普及していなかった頃、私たちの母親はこうやって手で洗っていた。
6人もの育ち盛りの子供達の泥だらけの衣類を、しかも当時は湯沸かし器なんか無くて、冬はさぞ辛かったでしょうに。
当時の人にとってみれば当然のことだったかもしれないけれど、母は偉かったとしみじみ思う。

私の父は戦後、洗濯機の開発をしていたようで、私が子供の頃、うちの廊下でゴトンゴトンと音がして実験していた。
それが製品化できたのかどうかは知らない。
その後は家電ではなく、電車の車輌を手がけていたようだった。
戦前、戦中にやっていた発明の仕事で、戦後のどさくさを一生懸命乗り切ろうと模索していたのだと思う。
両親は苦労しても、私たちはのほほんと幸せに育った。

















2015年3月12日木曜日

野猿公園

志賀高原でたっぷりスキーの基礎練習をして、いささか疲れた。
今回はレッスンを受けるのは2人。
一人はO先生のクラスのNさん、それと私。
私は元々O先生のクラスの生徒ではなく「雪雀連」の一員としてグループでレッスンを受けていた。
Nさんが一人で受けるはずだったレッスンに、スケジュールの関係で今回特別に入れてもらったのだが・・・

長野駅で合流、先生の車でゲレンデに向かう途中で、Nさんの携帯に着信があった。
話している様子がただ事ではない。
かなり走ってからNさんが、実はお兄さんの奥さんが亡くなったそうでと言い出した。
ご家族からの電話だった。
それは大変!すぐ引き返そうと言うと、ホテルにはすでに荷物も送ってあるし、ここまで来てしまったからいそいで帰らなくても良いと言われたそうで、ひとまず今晩一晩は泊まって明朝帰ることになった。
その日は午後まだ早い時間にホテルに到着。
とりあえず私と先生はゲレンデへ。Nさんはホテルで気持ちを落ち着かせようと、荷物を送り返したり、キャンセル料金を支払ったりして過ごした。

強烈な低気圧が北海道付近に居座っているため、東北から北は大荒れ天気だったようで、ゲレンデも風が強く凍えるような寒さ。
その中で鬼教官とマンツーマンでのレッスンは、忍の一字。
立っているだけで叱られるという、口やかましさ。
一滑り毎に厳しい注意が飛んでくる。
リフトを降りるときもよっこらしょと腰を曲げて降りれば、容赦なく叱られる。
それでもいつものレッスンよりは集中出来たので、多少の成果は上がったようだ。
その夜は、珍しく食事も残すほど疲労困憊。

次の日Nさんは朝食後すぐ出発していったから、全くのプライベートレッスンとなってしまった。
その日も猛烈な寒気が襲ってきて、午後になるとがくんと気温が下がったところで終了。
これ以上は無理といって、やめてもらった。

今朝窓の外を見ると、前日ほどでは無いけれど風もあるし気温も低い。
いつもあまり疲れすぎないように程々でやめることにしているから、今日はもう帰りますと言ってレッスンは終了した。
明日からは「雪雀連」の方のレッスンが始まるので、先生はひき続きホテルに滞在する。
Nさんはずっと滞在する予定だったので、私が帰っても先生は独りぼっちにならないはずが、彼女が帰ってしまったので、今夜は先生1人。
しかもホテルの泊まり客も先生1人だそうで、あの寂しい白樺に囲まれたホテルでシクシク泣いては居ないかと心配している。
長年立山で仕事をしてきた山男だから、そんなことはないとは思うけれど、案外人は見かけによらないから。

先生は今日教える予定だった私にも逃げられてすっかりヒマになり、することないから長野駅まで送るよと言ってくれた。
バスに乗って行くのも悪くないけれど、それは個人の車の方が時間も気にせず楽に行ける。
お言葉に甘えて送って頂くことにした。

長野に向かって山を下りる。
今年は積雪量が半端でなく、雪の壁が左右に立ちはだかっている。
この数日もまだ降り続けて居るから、今年はまだまだ雪には不自由しないで滑れそうだ。

神林温泉付近に差し掛かった時、私は野猿公園でサルが見たいと言ってみた。
いつもはバスだからこんな途中で降りてしまうと、次のバスが来るまで待たなくてはならない。
車なら駐車場に停めてそこから1.5キロ。
帰りも車ならすぐに出発できる。
こんな時でないと見るチャンスはない。
先生も他に用事も無いからと言って、山を登り始めた。

緩い上り坂だが、ぬかるんでいたり凍っていたり、歩きにくいうえによく滑る。
私は機能性よりもデザインと色で物を選ぶから、私の靴は面白いように滑る。
一応外見は登山靴、その実体はオシャレなアウトドア風シューズ。
足首の上まで紐を結ばないで折り返すと、中からチェックの裏が見えるという、お気に入り。
しかもスエードの綺麗な黄色で、汚れがものすごく目立つ。
ああ、もったいない。
歩く度に先生の叱責が飛ぶ。
頭下げるな、背筋を伸ばせ!
頭下げると足首が緩まないから転ぶぞ!
ああ、うるさい。

歩き続けて、やっとサルが浸かっている温泉にたどり着いた。
本当に気持ちよさそうに幸せそうなサルども。
見物人が群がって目の前にカメラを構えても、悠然と毛繕いをしたり、ウトウト居眠りをしている。
これは外国人も喜ぶわけだわ。

さて、下り坂。これが怖い。
やっと目の前に駐車場が見えてきて階段の最後の段を降りてヤレヤレと思ったら、すってーん。
泥だらけの水に尻餅をついた。
トイレで汚れをぬぐいながら1人で笑った。
いつも生徒に言っていることを思い出したから。
発表会などで、曲の難しい箇所を過ぎたところで油断して間違える子が多い。
最後まで気を抜かないようにと、いつも注意をする。
人に言うことが、ブーメランのように自分に戻って来るとは。

いつもバスに乗ると、サル目当てに神林温泉で降りる外国人客が沢山いる。
いつかはサルが温泉に入っているところが見たいと思っていたけれど、中々見る機会がなかった。
口やかましくても、じつは先生はとっても良い人なのだ。
































2015年3月10日火曜日

邪魔されクッキング

おかしい動画見つけました。



さて、今日から志賀高原へ。
風が強くて吹雪みたいです。
スキー日和とはいかないかもしれませんね。
温泉でゆっくりするのも悪くないので、行ってきます。

2015年3月9日月曜日

ミシュランのタイヤ男の変遷

bibendum私の大好きなミシュランのタイヤ男。
今の彼はとても可愛いけれど、最初はちょっと不気味な感じだったらしい。
なんでも初めのうちは作者の緊張のせいか、尖った感じのキャラクターが多い。
暫くすると何となく角が取れて、丸みを帯びてくる。
漫画のサザエさんなども初期の絵を見ると、なんとなく貧相なのだが、暫くすると段々ゆったりした感じになるところが面白い。
ミシュランのタイヤ男の変遷はこちらでどうぞ。

ミシュランのタイヤは1度しか使ったことがないけれど、路面に吸い付く様に走るのが心地よかった。
これほど違うものなのかと感心したけれど、なんせ貧乏音楽家につき車にお金をかけることができない。
多分今だったら、日本のメーカーのものも遜色ないかと思うけれど、どうなんでしょうね。

車に関しても日本の車と外車では根本的な考え方の違いがあるようで、1度兄のフォードを借りて成田まで走ったときに、高速運転になると車が路面にどんどん沈み込んで安定してくるのに驚いたことがあった。
その頃の国産車では味わったことのない走りだった。
私は兄と違って貧乏だから、良い車は買えない。
それでせめてタイヤをと思って、ミシュランに替えてみたというわけ。
傷だらけの安い車にピカピカのタイヤを付けているのを見た人が、そのギャップを笑っていたけれど。
人だって足元を見ると言うでしょう。
車だって足元が大事。






2015年3月8日日曜日

大食系女子

超多忙な若い女性Mさん。
早朝4時台に携帯にメールが入っていたから、途中で目が醒めてメールをしたのかと思ったら、なんと仕事がその時間まで終らなかったそうなのだ。
そしてやっと時間が取れるのでレッスンを受けたいと、言ってきた。
彼女はバリバリのキャリアウーマンだから、そんなに忙しい仕事で練習もままならないのに、レッスンを始めて15分くらい経過すると、見る見る良くなっていく。
恐ろしい吸収力。
そして食べるほうも恐ろしい吸収、消化力があるらしい。

そんなわけでレッスンの後、ちょうどお腹も空いたから一緒にご飯食べようと澁谷の街に出た。
私がよく行く「まいど」というお店。
宮益坂上の交差点近くの路地の一角。
地下に降りていくと、大きなカウンターにコロッケやジャガイモ、燻製などの料理が大皿に盛りつけてあって、どれを食べても美味しい。
特に、タマネギを丸ごとゴロッと煮た物はお薦め。

私は仕事仲間の年下の男性達に敬遠されるほどの大食漢(女)で、
私と飲みに行くと、あまりに沢山食べるので、食費が嵩むというわけ。
それで彼女Mさんが私はすごく大食なんですというから、ひとつどのくらい食べるのか見てみようじゃないのという気もあって、
くだんのお店に連れて行った。
店に入るなり、カウンターの料理に驚喜するMさん。
これは食べさせ甲斐がありそうな。

まずはビール。突き出しは野菜サラダ。
野菜の上に揚げた春巻きの皮?の細切りが乗っていて、香ばしくて食感も良く美味しい。

ポテトのアンチョビソース。
クリームコロッケ。
長芋とタコの天ぷら。
タマネギ。
牡蠣のベーコン巻き。
燻製盛り合わせ。
たらこ入り焼きうどん。etc.

次から次と平らげる。
一緒にご飯を食べるなら、気持ち良く沢山食べるひとがいい。
以前旅行の同じツアー客の中に、何を食べても文句を言う人が居た。
味にケチを付けながら嫌そうに食べるなら、食べなきゃ良いのにと思う。
周りも不愉快になる。

若い彼女から見ると、こんなに沢山平然と平らげるおばさんは見た事がないらしい。
ビックリされた。
健康のためと言って、粗食、小食を旨とする人がいるけれど、私はほとんど我慢しない。
時々ステーキをぺろりと平らげる。
さすがに近年分量はかなり減ったものの、粗食で数年長生きするのと、食べたいだけ食べて満足して惚けるのとどちらがいいかと言えば、決っているでしょう。
健康に留意していないワケではないけれど、健康のために我慢して食べるのと、楽しく美味しく食べるのと、どちらが良いかと訊かれれば、そりゃ楽しい方が良いに決っている。

それでも家に居るときは、少食。
昼食はご飯茶碗半分のごはんと、スープのみ。
夕飯にはご飯は食べない。
そのかわり、大勢でワイワイ食べる時には一切気をつかわず、沢山楽しく頂く。
皆で飲んで居るときにまで、自分の食べ方を固持する人がいるけれど、そう言うときには黙っているのが礼儀。
人にわざわざ「これは体に良くないから僕は食べない」とかなんとか言わないこと。

前に書いたツアーの同行者。
中国のウイグル自治区に行ったのだが、あちらでは羊は主食。
毎回不味い臭いと言う。
そして最後に北京でホテルのごく普通の中華料理を見た時「これが本当の中華料理よね」と言う。
私は前からテーブルにセットされていたらしく乾ききった肉を見た時に、あらまあと思ったのだが、味よりも見た目が日本で普通に食べている物なので安心したらしい。
このツアーの中で、その時の食事が一番不味かったのだが、結局そういう人は旅行は無理なんじゃないかと思った。

私とMさんは上機嫌でお店を後にした。
食った食った!





















オペラ  マノン・レスコー

オペラ「マノン・レスコー」のゲネプロ(総稽古)のチケットがあるけどいかが?というお誘いを頂いた。
少し前までよく仕事場で会っていた、コーラスの裕美子さんから。
旅の仕事の時には、よく一緒に美味しい物を食べたり、観光地に行ったり、3人の女性コーラスさん達とはとても仲良くしてもらった。
素敵な思い出を沢山作ることが出来た、幸せな時期だった。

さて、「マノン」というからマスネー?と思っていたら、プッチーニの方だった。
詳細は新国立劇場ホームページをご覧下さい。

物語はろくでもない話し。
綺麗なだけで浮気者、贅沢好き、我儘な女性マノン。
マノンを巡る二人の男と、間を取り持つマノンの兄。
お金のために金持ちと暮らすが、それに飽き足らず若い男との真実の愛に生きようとするが、捕らえられ放逐されるマノン。
そのマノンを追って男は水夫となって同じ船に乗る。
最後は荒野で息絶えるマノン、それを悲しむ男。幕がおりる。
しょうもない女のしょうもないお話。
それをプッチーニは素晴らしいオペラに仕立て上げる。

どんな場面にも泣かせる音楽がこれでもかと響く。
歌手は勿論、オーケストラも素晴らしい音で、圧倒された。
終演後も音が頭の中で鳴り響いて、中々現実に戻れない。
コーヒーショップで、しばらく一人でボーッとしていた。

このオペラ、本当は2011年3月に上演予定だった。
歌手もオーケストラも真剣に練習を重ね、本番を待っていた時に、あの大震災が起きて、上演は中止。
出演者全員、心底がっかりしたそうだ。
それで、今回再演となったという経緯がある。

オーケストラには私の英語の先生のルースさんがいる。
今朝ハリー・ポッターのレッスンがスムーズにいって、予定時間よりも早めに済むと、ルースさんは本当に嬉しそうに「これで、練習ができる」と言って劇場に飛んで行った。
そんなに難しいのかと思っていたら、なるほど、これは難所と思える音が何回も出てきた。
しかし、見事な演奏だった。

昔、オペラで歌手が歌うときには、オーケストラは極力音を小さくして邪魔をしないように、指揮者は常にオケを抑えていたものだった。
今は殆どの場合、オケは充分に音を出す。
それを上回るほどの声量のある歌手が、輩出しているということなのだ。
それとオペラハウスの場合は、歌がよく響く様に音響の設定がされているのだと思う。
今回の主役は外国人だったけれど、日本人の歌手も発声が一昔前と比べて雲泥の差。
日本でこの様に素晴らしいオペラを聴くことが出来て、感無量だった。

それにしても、オペラの筋書きってなんでこんなに酷いのかしら。まあ、音楽が素晴らしいから筋はどうでもいいけれど、荒唐無稽なのに皆聴いて涙する。不思議な世界。
かつて、芥川也寸志さんという作曲家が「僕はオペラが嫌い。なんであんなつまらない事を言うのにあんな大袈裟な音楽が必要なのかわからない」とおっしゃっていたけれど、それを言ったらおしまい。
ただただ素直に涙を流せばいいのだ。
























2015年3月1日日曜日

お喋り猫さん



実は私が以前飼っていた、なおこちゃんという猫もお喋りでした。
言える言葉は3種類

お腹が空くと「ごはん」
外に出たいときには「おんも」
そして、なおこちゃんと呼ぶと「はい」とお返事。
私が近所へちょっと買い物に行くときには知らん顔。
仕事に出かけようとすると、必死で引き留める。
今ご飯食べたばかりなのにお腹が空いたフリをして、冷蔵庫を爪でひっかく。
なんで違いが分かったのか未だに謎です。