2019年10月28日月曜日

nekotama事件に遭遇

ようやく足が動くようになって、近所の公園の散歩を再開した。
一昨日は、公園の近くまで来て歩けなくなり一休み。
昨日は公園の半ばまで来て一休みという風に、徐々に歩度を伸ばす。

今朝は歩き始めてみるとかなり調子が良いから全周休み無しで行けると思っていたら、そうはいかなかった。
途中で警察に捕まって写真まで撮られて足止めされた。
どうしよう、こんなところを近所の人に見られたら。

公園の手前の道路に白い車が停まっていた。
屋根に赤色灯が置いてあるから警察車両らしい。
もう少し先に行くと、今度は警察のバイクも置いてある。
なにかあったのかな?

公園内に入ると前方に警察官がおじさんを捕まえて話し込んでいる。
そのおじさんが行ってしまうと、所在なさげにあたりを見回す警察官。
その脇をすり抜けると、少し先の用水路の橋の上に別の警察官と私服の人がいた。
私服の人は空き缶の指紋を採っているような感じ(テレ朝の科捜研の女を見ているから知っているのだ)で作業をしている。
立ち止まって見ていたら最初に出会った警察官が来て、しばらくお時間良いですか?と訊かれた。
別に用事もないから話を聞くと、用水路の脇の遊歩道にある藤棚で事は起きたらしい。

今朝通報がありまして、藤棚にネクタイを・・・
全身鳥肌がたった。
足跡や指紋などのあった場所の証拠写真撮影に立ち会っていただけないでしょうか、という依頼。
私は深くものを考えない性格だから、なぜそのようなことに立会人が必要なのか訊きもせず承諾した。
必要があって頼んできたのだから、協力するのは吝かではない。
証拠品を指さしてくれればいいという。

簡単に言うわりには名前、住所、年齢まで訊かれるはめになった。
仕方がない。
好奇心が猫を殺すというけれど、私もまんまと好奇心につかまった。
覗きに行くなど彼らにとってはカモネギ。

現場の藤棚の下のベンチにビニール袋に入ったネクタイ。
これを2本使って、でも亡くなってはいませんと説明された。
どんな事情があるかしらないけれど、その人の心の闇を思うと気の毒でたまらない。
こんなところで、1人暗闇で、家族や友人たちにお別れを言ったかもしれない。
どれほど辛いことがあったのか。
泣きそうになった。
死んではダメ、命と引換えにできるほどの事は一つもないのだから。

手袋とマスクを渡され、それらを身に着けて撮影開始。
だんだん通行人が多くなって、近所の人にこんなところを見られたら「やっぱりね、あのひと前から怪しいと思っていたのよ」と言われかねない。
最後に立ち会ったというサインをしてようやく開放された。

実は去年、私はある事件の犯人逮捕に立ち会ったことがあった。
近所の交差点でパトカーが5,6台、警察官が10数人の大捕物。
私は警察の車に乗っていたけれど、そのときも近所の人は見ていたと思う。
私が怪しい人間だということはあまねく知れ渡っているかも。
なんだか事件を呼ぶ女になってきたなあ。
一度あることは2度ある、2度あることは3度ある、次の写真撮影はなんだろう。
















2019年10月27日日曜日

可哀想なパパゲーノ

黄色い新車は、パパゲーノ・ノートという名前になった。
ヴォルフガング・アマデウスにしたかったけれど、前のシルフィーよりも小型で真っ黄色だから、パパゲーノのほうがお似合い。
パパゲーノは早速タイヤのホイールをこすられてギザギザになったから、早くもスタッドレスを履かせてしまった。
誰がこすったかは言うまでもない。

なぜギザギザになったかと言うと、前回北軽井沢から戻ったのが夕暮れ時。
家の近くの多摩堤に来たときには、あたりは真っ暗だった。
赤信号で停まって青になったから発進したら、ゴリゴリと音がした。
しまった!縁石に近寄りすぎていたらしい。
でも警告音は鳴らない。
縁石は近くてもこんなものでは反応しないらしい。

家に帰って駐車場の蛍光灯の明かりで見ると、どこにも傷はない。
良かったと思っていたら翌朝、お日様の光で見るとホイールのヘリが僅かだが傷になっていた。
このギザギザで、万一タイヤが擦れて傷になるといけないと思ったから、日産マンに電話した。
私の行動に慣れっこの彼は少しも驚かないけれど、やはり面白いとは思っていないことがわかる。
少し早いけれど、今までシルフィーが履いていたミシュランのスタッドレスに履き替えた。
タイヤのサイズはノート君には少し大きめ。
それでも問題はないらしい。

お客様は神様と言うけれど、こんな神様は必要ないと思っているに違いない。
北軽井沢では庭に置いてあるので枯れ葉がつもり、タイヤは泥だらけ。
それがタイヤ交換で洗車をしてくれたらしく、ピッカピカになって戻ってきた。
パパゲーノはお風呂に入れてもらえたのね。
日産のメカニックスの温情。

この頃の異常気象で、車もたくさん被害に会っている。
只今思案中なのは、対人・対物保険は最大限かけているけれど、その他に車両保険をかけるかどうか。
今まで10台ほどの車を乗りつぶしてきた。
文字通り潰すというような乗り方だったので、満身創痍の歴代車たち。
最初のカローラなどは、走行距離10万キロ超えて左側のドアがとれかけてきたので、やっと手放した。
ボディーの傷などは気にしないけれど、車そのものが使えなくなると困る。
今回の台風で、水の中にプカプカ浮かんでいる車の映像を見ると、やはり想定外の事故には備えないといけないかと悩むところ。

私自身は見かけによらず臆病で慎重だから自損事故は起こさないと思うけれど、この思い上がりが間違いのもとになるかもしれない。
そろそろ脳内もシワ、シミだらけ。
自分の知性がどの程度のレベルなのかの判断も怪しくなってきた。
知性に病垂れが付いて、痴性となっているかも。
それは生まれつきだから治しようがない。
それでも昨日の健康診断では、医師がしきりに感心していた。
私が絶世の美女だから・・・と言うわけではない。
薬は一切飲んでいない、足腰しっかり(本当はよろよろ)、まだ仕事をしている等が彼女の感動の元。
丈夫な体と歯をくれた両親に感謝!

わたしの性格が慎重というのはこういうこと。
今回の台風後に北軽井沢に行くことに決めていた。
エアコン設置の電気屋さんとも約束があって行かなければと思っていたけれど、はるか遠くに大雨の雲が停滞していると聞いて、出かけるのを諦めた。
諦めたら秋晴れの気持ち良い日が2日くらい続いた。
ああ、こんなときに行かない手はないと思ったけれど、やはり昨日は土砂降りの雨災害。
ちょうど帰る予定日、豪雨に遭わないで良かった。
スキーもそんなわけで、無理しないでやってきた。
4日間滑るなら中日は休む。
夕方まで滑らない。
一番良いコンディションの時間にしか滑らない。
滑るのは早い方でかなり飛ばすけれど、周りに人がいればゆっくり進む。
だから今まで怪我をしたことがない。
自慢をしているとうっかりということもあるから、このへんでやめておきますが。
数えたらスキー歴56年、休んだ年はない。
びっくりだわよ。













2019年10月26日土曜日

涼しくなると

気温が下がると元気になるのはいつものことだけれど、今年ほどそれを実感したことはない。
ようやく心身ともに回復の兆しで、今朝はようやく近所の公園を一周することができた。
たくさんの犬達が集まって会議中のところに出くわした。
大型のシェパード、ラブラドール、中型の芝犬やビーグル、その他多くはチワワなどの小型犬。
およそ20頭ほどもいるかも。
中に私お気に入りのジャックラッセルテリアの姿も。

私はいつか犬を飼うのが夢だったので、中でもジャックラッセルが可愛くて第一候補に挙げていた。
ところが誰に訊いてもあの犬種はダメと言うではないか。
どうしてかと言うと、運動量の多さに加え知能犯であること、言うことをきかない頑固さがあることなどが老人向きではないのだそうで。
だいたいテリアは猟犬だから、力がある、足が速い。
これは聞いただけで、犬に引きずられて転倒しながらもお腹の脂肪のおかげで怪我もせず泣き叫ぶ自分の姿が目に浮かぶ。

犬の集団に近づいて、隙きあらば飼い主の手から離れて駆け寄ってくる犬に触りたいと思っているのだけれど、そうは中々うまくいかない。
飼い主も不審な人物を警戒して、犬のリードをしっかりと握り直す。
最近は公園内でも苦情が出るのかどうか、犬を離す人はめったにいない。
事故が怖いというのはよく分かるけれど、寂しい。
以前はラブラドールの仲良しがいて、飼い主の目を盗んで会話していたのに。

公園内では植樹祭が行われていた。
狭い上に木が多い公園でこれ以上植えてどうすると思ったけれど、どうせ又切ってしまうのだろうとバカバカしい。
我が家の前を流れる川の両サイドは草が茂り、季節が変わると鴨が来るけれど、子育て最中なのに、役所から草刈りが来て坊主にしてしまう。
最近鴨もこの川には寄り付かない。
卵を孵すこともできやしないと、鴨は怒っている。
鯉の姿も消えた。
上流の川岸に遊歩道を作ったり、なんだかんだとチマチマ手を入れる。
そのためにせっかく植えた菖蒲を引き抜いたり、川をせき止めたり、見てくればかりよくするから、生き物は居なくなる。
やるなら生き物のお邪魔のない季節にしたらどうかしら。
工事を見た姉が「あらあら、鴨が子育てできないわね」と言っていた。
鴨だけではなく、人間も子育てが難しいから少子化になる。

少しやる気が出てきたところで、久しぶりに健康診断を受けに行った。
ほんとうのところ検診はもう受けないで、病気になったらそのまま人生終わりにしようと思っていた。
けれど、頭がおかしくなってから(もう、手遅れ?)人の迷惑になるのはいけないので、そこだけは抑えておこうと思った。
母はほとんどうるさいことは言わなかったけれど、唯一「人に迷惑をかけてはいけない」といいきかされた。
私は、だいたい人は生きているだけで他人の迷惑なので、それは実行不可能だと思ったけれど黙っていた。

ひどい雨の日、こんな日なら病院なんか誰も行かないかと思ったらそうはいかない、相変わらず老人がロビーに溢れていた。
調子に乗って胃の内視鏡検査の予約をとってしまった。
そうしたら急に血圧が上がって、自分がいかに意気地なしであるかを思い知らされた。
子供の頃から空威張り、内弁慶。
ああいやだ、口から機械を飲み込むなんて。























2019年10月24日木曜日

奥州市チェロフェスタ

本当は今頃北軽井沢の秋を堪能しているはずだった。
木々が色づいて木の葉がチラチラと散り始め、空が広くなっていく。
森の一番魅力的なこの季節、あちらにいない手はない。

森はいつでも美しい。
けれど、私はヴァイオリンを弾くという厄介な性癖があって、11月3日の奥州市でのチェロフェスタに出演するために調子を整えないといけない。
このチェロのお祭りはチェリスト舘野英司氏が中心となって、奥州市のゴーシュたちが一堂に会するという恒例の行事。
私はこの2年ほどは参加できなかったけれど、久しぶりに行ってみようかと思った。
それで台風接近のニュースがあるので、帰ってこられないといけないと思って北軽井沢には行かないことにした。

3年前、いつもこのフェスタに一緒に行ってくれた同級生のFさんが亡くなった。
彼女はどんなに具合が悪くても他人にさとられないように元気そうにしている。
思えば彼女が一緒に行ってくれた3年間、かなり体調は悪かったと思う。
それをおくびにも出さないで、楽しそうにお酒も飲んだし演奏もしっかりしていた。
どんなときにも弱音を吐かない彼女の最後は見事だった。
友人たちの誰にも知らせはなかったけれど、私は妹さんと知り合いだったところから情報が漏れて、病院に駆けつけたときには彼女に会う事ができた。
ピンクのパジャマを着て顔もきれいにして、とても元気そうだった。
病室に入っていくと「やだー、どうして来たの?だれにも言うなって言ったのに」と彼女らしい反応。
嬉しそうに話をしてくれたので、安心して帰った。
でもそれを待っていたかのようにその夜容態の急変の電話があった。

あっという間に逝ってしまった。
本当に毅然とした生き方だった。
彼女の生き様は凛々しかった。
東京フィルハーモニー交響楽団を退団後は、私ともフリーのオーケストラで時々会うことができた。
彼女はセカンドヴァイオリンのトップとして、落ちないので有名だった。
落ちるというのは楽譜を見失って、どこを弾いているのかわからなくなること。
そういうことはあまりないけれど、新曲になると慣れないのでわからなくなることもある。
彼女だけはそういうことが無いので、弦楽器全体からの信頼が厚かった。

ある時日本人の新作のオペラを上演していた。
長い休みの後セカンドヴァイオリンが先に出て、その後数小節でファーストヴァイオリンが出るというところで、彼女は標的にされた。
私達は彼女の動向をじっと見ていた。
彼女が弾き始めたところから数え始める。
1小節、2小節、3・・・
舞台稽古でそれに気づいた彼女が叫んだ。
「やめてー、みんな見ないでー」どっと笑いが起きたけれど、結局本番も彼女に頼ってしまった。

その人はもう居ないけれど、今回、私が教えていた元生徒のKちゃんから誘われた。
彼女のご主人が舘野氏のお弟子さん。
今回私は彼女とショスタコーヴィッチのデュオを弾く。
生徒と弾けるというのは本当に嬉しい。
それとシベリウスのピアノトリオを、ピアノ関田さん、チェロ舘野さんと一緒に弾く。
シベリウスのトリオは初めてその存在を知ったけれど、多分彼の若い頃の作品だと思う。
爽やかな、よく纏まった曲だけれど、おや?と思ったのは、なにか日本的な情緒があって、とても理解しやすい。

最近の私のコンディションから言うと、もう少し楽器を鳴らしておかないとヤバイ!と言うので、湿度の多い北軽井沢で過ごすのを諦めた。
本当は今回電気屋さんに来てもらって、エアコンの設置をする予定だった。
楽器のために除湿をしないといけない。
今年夏のフェスティバルのときに湿気にやられて、私の楽器は上板が剥がれた。
弦楽器には最悪の環境なのだ。
予定していたエアコン設置は11月に延期して、とりあえず奥州市のチェロの祭典に行ってきます。

























2019年10月23日水曜日

食物の力

去年から今年にかけて色々あって食事をおろそかにしていた。
生活のリズムが乱れ、睡眠は気ままに、運動はほとんどしなくなった。
その結果はひどいものだった。

まず筋肉の衰えが顕著で足元がふらつく。
よく転ぶようになって、友人たちの心配のもととなった。
急激に髪の毛が白くなったらしい。
美容院でグレーに近い色にしてもらっても、2週間すると金髪になってしまう。
記憶は遥か彼方に飛んで行ってしまい、昨日聞いたことも覚えていない。
楽譜が読めなくなる。
ヴァイオリンが重く感じるようになって、30分も立っていられない。
その結果は腕の筋肉の痛みや、音が出なくなるなどのもはや末期的な症状となった。

引退の文字がどんどん大きくなった。
そうだよね、15年前にこれが最後と言って自主コンサートをやってから、ダラダラとこんな年まで弾いてきたのだから。
そろそろやめても誰にも叱られない。
もう良いよ、よくやったと褒めてもらいたいくらい。
誰もが私のやることを心配そうに見ている。
スーパーのレジさんから、見知らぬ電車の乗客まで。

少し重いものを持ったり財布からお金を取り出したりすると、本当に親切に扱われるから本当に年を取ったのだと思う。
特に足首の痛みがあるから歩くのをやめていたら、脳みそまで歩くのをやめたらしい。
食事は実に簡素で、作るのが面倒だからフリーズドライの食品を愛用。
結果、作る時間は大幅に短縮。
5分もあればお湯が沸いて食べられる。
5分もあれば食べ終わる。
食事の楽しさなんてこれっぽっちもなくなった。
それでも基礎的な栄養は摂れて、生きていける。

夏の異常な暑さが終わり涼しくなった。
北軽井沢の家の環境も整って、来年、猛暑が来ても乗り切れる準備はできた。
すべてが一段落したけれど、ヴァイオリンを弾く時間は相変わらず少ない。
集中力が続かない。
楽器を持って立っているだけで筋肉が疲れる。
ヴァイオリンを弾くのってこんなに大変でしたっけ?

涼しさとともに食事にたいする欲求がでてきた。
久しぶりで自分で調理して、料理の面白さを思い出す。
野菜も食べ始めると、かつて大好きだったことを思い出す。
果物を摂るようになった。
だんだん、食生活が改善されてきた。

それにつれて、ヴァイオリンを弾く時間が長くなった。
立っていても疲れない。
20分くらいしかもたなかった練習が40分、1時間、そして2時間。
やっとすべてのペースが戻ってきたらしい。
まだまだ油断は禁物。
歳のせいにしていた足のふらつきも、だいぶ良くなった。

食べ物の持つ力は偉大。
バカにしてはいけない、ちゃんととれば力になる。
摂食障害と睡眠障害がセットだった。
片方が改善されると、もう片方が喜ぶ。
今日は久しぶりに2時間の練習。
どうやら自分が戻ってきたようだ。
1年半もかかったうつ状態からの脱却。
鬱といっても元々陽気な性格だから、単に怠けたいのを病気に仕立てただけ。

それでも異常なだるさややる気の無さは、やはり病気一歩手前だったと思う。
今日は久しぶりにプログラム用の写真を撮りに行った。
以前撮ったそれ用のものは、髪の毛がベリーショートで黒く、今の私は大分様変わりしている。
ステージに出ていったら別人と思われそうなので。

今までは渋谷のスタジオで撮ってもらっていたけれど、なくなったらしい。
先日近くを通ったら、看板がなくなっていたから。
ネットで探していたら、なんと我が家からたったの3分くらいのところに写真館が見つかった。
予約をして指定の時間に入っていったら「七五三ですか?」と言われた・・・
というのは冗談。

以前買ったのに着られないドレスがある。
なぜかと言うと、細身過ぎてお腹が目立つ、着物のような袖で楽器を弾くには適さない。
それではなぜ買ったかと言うと、きれいなグレイッシュピンクの厚手の絹で、ドレープが素敵に出る。
これを着るには「多少」ダイエットが必要。
単に体重が減るだけでなく、お腹が引っ込まないといけない。
とすると永久に着られないのではと思って、クローゼットに吊るしっぱなし。

写真は上半身のみで楽器を持つとお腹は全く目立たない。
せめて写真の中だけでも着たい。
それに最近の私の髪色はほとんど金髪。
ピンクと髪の色がとても映える。
撮ってもらうとやはりドレスと髪の色がよく合う。
写真を撮っただけで、もうやる気が出てきた。
ほんの1ヶ月ほどの食事の改善は、生きる力とやる気を呼び覚ましてくれた。
着られないと思っていたドレスも、ここで役に立った。

























2019年10月21日月曜日

銀座の紅茶

雪雀連のメンバーは大分亡くなったり、リタイアしたりで、生き残りはごく僅かになってしまった。
その残党は時々イベントがあると、痛む膝を抱えながら集まってくる。
最盛期には70名もの人数を誇った。
お正月の天元台に集まるスキーヤーの数が40人くらいもいて、雑魚寝の座敷には人が溢れ、私は度々押し入れで寝たものだった。
麻雀やる人、お酒を飲む人、喋る人、それぞれ勝手気ままに振る舞いながらも和気あいあい。
このクラブのおかげでどれほど楽しい人生が送れたことか。

メンバーの1人のHさんがコーラスに狂っていて、二つのグループを掛け持ち。
私達は彼女の所属するアマチュアコーラスのコンサートを聴いてからお酒を飲みに行くのが習慣となった。
ごく最近は浜離宮朝日ホールでのコンサート。
いいなあ、コーラスはメンバーの人数が多いから、こんな良い会場で歌える。

混声合唱団フェヴリエ第4回演奏会
                      指揮 島本啓太郎

*動物たちのコラール 第一集 作詞:宮沢邦子 作曲:萩原英彦
  小さいアヒルの祈り ちょうの祈り  のみの祈り
        小鳥の祈り     オウムの祈り

*カンタータ「土の歌」より「大地讃頌」作詞:大木惇夫 作曲:佐藤 眞

*大中恩作曲「混声合唱曲集」
   いぬのおまわりさん他全8曲

*混声合唱組曲「筑後川」 作詞:丸山豊 作曲:団伊玖磨
    1みなかみ Ⅱダムにて Ⅲ銀の魚 Ⅳ川の祭り Ⅴ河口

この合唱団の演奏会は前回も聴かせてもらったけれど、2年ぶりに聴くとその進歩がめざましく、かつて私が感じた欠点が改善されていた。
特に男声がきれい。
胴間声を張り上げる人がいない、女声も喉を固く詰める発声が少なくなってきた。
長く伸ばすと必ず音程が下がったのもなくなっていた。
最後の団伊玖磨さんの筑後川は圧巻だった。

このコーラスグループの今後が楽しみ。
今回楽しめたのは発声がはっきりしていて歌詞がよく聞き取れたからだと思う。
特に大中恩さんの曲は、ユーモアがあって明るくて素敵!

休日の昼下がり、雪雀連の残党5人でコーラスを聴いてから、東銀座の街角の新しげなインド料理店でビールを飲んですごした。
軽やかな休日。
食事を終えて駅まで行く途中に紅茶のお店発見。

私はずっとコーヒー党だった。
中々紅茶の美味しいお店が見つからなかったので、今までは諦めていた。
けれど、そのお店は明らかに上等な匂いがする。
店の中に入った途端に、良い香りが鼻をくすぐる。
そこは紅茶を飲ませる店ではなく、茶葉を売る店だった。

私は普段嗅覚障害でほとんど匂いがわからないのに、その店で紅茶の香りの違いが嗅ぎ分けられたのには驚いた。
特にアッサムのミルクティーが好きなので、何種類か出してもらって素朴な感じのする葉に決めた。
恐る恐る値段を訊くと、上等な日本茶の値段を少し上回るくらい。
うちで1人で飲むのだから少なくて良い。
50グラムだけパックしてもらった。
今朝、その紅茶を淹れた。
なぜか嗅覚障害はその時だけ治るようで、本当に良い匂い。
私がわがままで、自分の好きな匂いだけ嗅げるのかもしれないけれど、これ私の七不思議の一つ。
猫の生臭い匂いもわかるのだから。
















フクロウ喫茶?

近隣の街に所用があって商店街を歩いていた。
少し歩き疲れたので本屋で立ち読みしたりして足を休めていた。
ちょうど昼ごはんの時間、よく流行っているラーメン屋にでも寄ろうか。
覗いてみると中々の盛況で椅子が空いていないから諦めた。

そして見つけたのはなにを売るのかよくわからない店。
OWL TEAと書いてある。
漢字で耳猫鷹茶店(文字の順番が違うかも)
はい?この家はなに。
紅茶の販売か飲ませるのか、中を覗いてみた。
ガランとしたスペース。
コンクリートの床が寒々しく広がっていて、その広さに合わないテーブルと椅子の数。
店の真ん中が大きく空いている。
隅っこに二つのテーブルセット、そこに女子高生らしい二人連れが居るだけ。

入っていっても誰も出迎えがない。
いったい・・・
OWLはハリー・ポッターによく出てくる単語だからよくわかる。
訳すとフクロウ。
するとここがよく聞くフクロウ喫茶なのかしら。
でもフクロウらしい鳥は見当たらない。
壁にフクロウだかミミズクだかのデッサンが数枚、額に入って飾られているだけ。
耳猫鷹って、フクロウではなくてミミズクでは?

わけが分からないでカウンターに行って中を覗く。
このカウンターがやたらと高くて、私は首から上が出るだけ。
相手から見たら生首が置いてあるように見えそう。
カウンターにメニューが置いてあっても見えないくらい。
しばらくすると奥からきれいな女性が顔を出した。
ここはフクロウ喫茶じゃないの?
最初の質問をすると、ふくろう?なに?と返ってきた。
発音で外国人だということがわかった。

それから後はちんぷんかんぷん。
お互いに相手の言うことがわからない。
雇われ店員が外国人でも、普通は店長らしき人で日本語のわかる人がいるものなのだが。
見回すと他にそのような人もなく、結局ここにフクロウはいないこと、飲み物にはタピオカが入ってないから頼まないといけないことだけはわかった。
タピオカは興味ないから飲み物だけ頼んで、椅子に腰掛けた。
店内を見回すと、店の中央はおおらかに空いている。
店の面積に対して、テーブル数が少なすぎる。
買うだけの余裕がなかったのか、それともこれから発展していくのか。

やっと飲み物が届いた。
店員さんは太いストローで飲み物の蓋を突き刺そうと努力するのだが、刺さらない。
何回もやってようやく通る。
それにしても太すぎるストローで、ありったけの力で吸い上げないと液体が登ってこない。
そうか、ここはタピオカのお店なんだ。
太いストローでようやく納得した。
ストローが太いので、穴を半分唇で塞ぐと吸う力が少なくて済むことを発見。

店員の名札を見ると、女性の名前は劉さん。
中国人?
大きなガランとしたお店を言葉のわからない人に任せて、商売ができるのかしら。
全く日本語がわからないようだし、これでは廃業まで時間の問題。
時々通る人が覗いていくけれど、誰も新しい客は入ってこない。
ここは最近めざましく発展している商店街の一角。
これだけの広さなら、さぞお家賃も高いと見た。
中国人の商売上手は世界的にも有名だから、いつかは超はやりの店になるかもしれない。
劉さんが早く日本語を話せるようになって、お客さんが一杯入るといいけれど、そうなると日本人の店には脅威だなあ。

私には数人の中国人の知人がいる。
みなさん、とても頭が良くて素敵な人達だけれど、考え方が日本人とは根本的に違う。
自分の利害に敏感で、手のひら返しも悪びれずにやる。
それが悪いことではないという価値観だから。
日本人は義理人情、自分のことは後回しで外に良い顔をみせる。
けれど他の国の人達は、まず自分。
根本的な考えの違いで、どちらが良いとか悪いとかの批判はできない。
お互いの利害が一致すれば、本当に仲良くできる。
一歩そこを外れるといきなり手のひらを返されるのさえ我慢できれば、素敵な隣人でいられる。

そんなことを考えながら座っているといきなりBGM。
なんと森進一の「おふくろさん」と来た。
いやいや、あのね、今の日本でおふくろさんはどうもね。
タピオカ、女子高生、ふくろう、おふくろさん・・・ミスマッチの連続に、この場にもっともミスマッチなオババは考えた。
中国人のおおらかさは世代も流行も3000年の時空を超えて、滔々と流れているのよ。
少し残念だけれど、文明発祥の国への尊敬は変わらない。
世代の差なんて良いじゃないの。
3000年に比べれば50年なんて短い短い。














2019年10月16日水曜日

台風の余波

我が家の近隣の駅が水没して連日テレビで報道。
まだまだ台風お見舞いのメールが来るけれど、なんとドイツにいる友人夫妻からもメールをいただいた。
外国にまで報道が?とおもったけれど、日本人だから日本に友人、親戚もいることだし、知っているのは不思議ではないかと。
皆さん私だけでなく猫のことまで心配してくださるので、うちの子は猫冥利につきます。
ありがとうございます。
人付き合いの悪い猫で、誰も彼女を見たことはないのに。

うちに居たら、民生委員という人が訪れた。
独居老人の調査だそうで、今回のような災害が起きたときに助けを必要とするかなどの質問。
そのために実情を把握しておかないといけないということで。
ついに私も世間からお世話になるときが来たかと思った。
自分的には最後まで人の手を借りずすっきりと生きたいと思うけれど、実際足腰立たなくなるのは時間の問題。
それなのにどんどん手を広げているのだから、人生の収拾がつかない。
でも北軽井沢の家を建てたとき、ノンちゃんは78歳だった。
それから10年、ノンちゃんはあの家で幸せに暮らした。
今の私はその頃のノンちゃんよりも若い!

民生委員は定期的な訪問を希望するかと訊いてきたので、思わずいらないと答えてしまった。
それはしないでほしい、うちはセコムが毎日安否確認してくれるからだいじょうぶと。
失礼なことを言ってしまったけれど、穏やかに淡々と受け流してくれた。
こういう人たちの訪問を心待ちにしている人たちもたくさんいると思う。
私に構わず、そういう人たちのところへ行ってあげてください。

ある時、古いアパートのそばを歩いていたら、錆びついた階段の上からゴミ袋を投げ落としている人がいた。
ゴミ袋は軽いようで、転がり落ちてもかすかな音がするだけ。
なにをしているの?と声をかけたら「今日はゴミの日だから捨てるの」と。
でも近くのゴミ捨て場にはゴミがない。
「本当に今日なの?手伝いましょうか」と言って階段を上がった。
そこには、いっぱいゴミの詰まった大きな袋が。
家の中にもまだあるようだ。
透けて見えるその袋の中は、レトルト食品の箱、インスタントラーメンなどの袋など。
それっきり。
胸を突かれた。
一人暮らしの古いアパートで年金生活をすると、ここの家賃がだいたいこのくらいで、食べていくにはこのようなものだけになるのは仕方がないとしても・・・
それにしても。

その日はこのへんのゴミ収集の日ではなさそう。
それで、収集しているところに車で持っていくことにした。
ゴミ袋で車は一杯になった。
やっと収集日の場所を見つけて捨ててきた。

とても貧しいと思っていた一人暮らしのおばあさんが亡くなってみたら、畳の下から数億円のお札が見つかったなんて聞くこともあるけれど、そんな事は稀。

私も去年から今年にかけてレトルト、インスタント食品のお世話になった。
それは作るのが面倒、食べるのも面倒だったから。
最近やっと気を取り直して自分で料理をするようになった。
やはり下手は下手なりに、美味しい。
すると色々工夫してみたり、元々料理は好きだから楽しい。
一人暮らしは材料が余ったりして不経済。
それで手っ取り早くレトルトにとなるのは仕方ないとしても、そればかりで栄養的にも食の楽しさにもいけないのでは。

群馬県在住の友人からも台風見舞いのメール。
彼女の実家は河川敷でゴルフ場を経営している。
私は中学生の頃、そのゴルフ場で時々ゴルフをさせてもらった。
そこが今度の台風で大被害を被ったようだ。

そう言えばその頃にも、台風でそのゴルフ場が被害にあった。
あれはもう半世紀以上も前だった。
今回の台風は数十年に一度の災害というのは本当だったみたい。
河川敷だから時には軽い被水害は時々あるかもしれないけれど、今回はその比ではないらしい。

近頃想定外が多すぎる。
まあまあ治まったなんて呑気なことを言う政治家がいるけれど。































2019年10月13日日曜日

無事ですよ

いろいろなところから無事かえ?とメールやらなんやら。
はい、だいじょうぶ、家の前の川はちゃんとコントロールされているから。

夜中に流石に心配で窓を開けて覗いたら、始めは水位が上がっていったのが、暴風雨のさなかには少しだけ水位が下がっていた。
川の底の更に下に巨大な管が埋められていて、そこを増水した水が通っていくらしい。
どこかのバルブかなにかを開けてくれたか、自分でコントロールできる仕組みなのかはわからない。

この川というか用水路は、私が子供の頃には毎年氾濫した。
川沿いの家は洪水が起こるたびに、畳を上げたり家具を外に出したり大変だった。
私の実家は土盛りがしてあって、毎年周りが水没すると避難所になっていた。
水の中にぽつんと一軒家みたいに浮かんで、そこに近隣の人たちがボートでやってきた。
近所のおばさんたちがうちの大釜で炊いたご飯でおにぎりを作る。
握りながらの噂話。
支給された救援物資の毛布を、誰それさんは2枚取っていたとか・・・
おにぎりを何回も取りに来て、とか・・・
そんなこと言わなくてもと、無事な身の私は考えた。
近所の市営住宅の人たちは、1階が水に浸かって気の毒なのにと。

たしかにそういうときにずるく立ち回る人がいるかもしれない。
当時は戦後で国民が皆貧しいときだったから、我が家でもたくさんのお米を消費するのは生活に響く。
けれど、私の父が無類のお人好しで、そんなときも母の無言の圧力をものともせず大盤振る舞いする。
母は自分の子供達で手一杯なのに、父のせいで更に家計が苦しくなることをいつも嘆いていた。
母はそのためにえらく苦労したと思う。
それで子どもたちは全員母の味方となった。
私は随分父から可愛がられていたけれど、それでも母にベッタリで、父は寂しかったと思う。

情けは人のためならず、父は亡くなるまで近所の人たちから慕われていた。
地域に街頭を設置したり、家の前の雨水管などのことも父も奔走したのかも。
いつも水かさが増すと近所の人からなんとかしてと言われる。
うちは消防でも警察でもないのに。
それでも夜カッパを着て、何処かへでかけていった。
それでうまく持ち上げられて、地域のためにお金を使う。
先祖代々の資産はおかげでほとんど失くなってしまった。
その陰には母の涙と恨みがあることを本人は知ってか知らずか、いい気なものだった。
96歳で自宅のソファでテレビを見ながら大往生、眠るように逝った。

昨日川の水を見て考えた。
父は家族には良くなかったけれど、地域のために尽くしたので偉かったのかな。
男の人は大きなことを考える。
家族単位でなく社会全体のことを。
誰か1人は理解してあげないと父が可哀想。

昨日夜中に停電している地域の人から、車の中でスマホに充電しているとショートメールがきた。
お母さんが軽い認知症。
停電で暗いから母が機嫌悪くて困っていると。
言い聞かせてもわからないので、今夜は眠れそうもない、と。
ああ、こういう問題も起きてくるのか。
介護の苦労は計り知れない。

今朝は台風一過、凄まじい嵐が通り過ぎると明るい空が広がる。
私の激動の日々は過ぎたようだ。
色々あったけれど、気を取り直して生きていこう。
体はすっかり疲れてしまったけれど、気分は小学生。
ちょっと戻りすぎ?
そのうち幼稚園児になるから、皆さんよろしく!









自然の反乱

一夜明け、晴天。
これからまだ北の方の人たちは恐怖の経験をするかもしれない。
テレビの画面に映る惨状を見ると、これから寒さに向かう北国の人達の家が水に浸かり、体も濡れて震えている様子が目に浮かぶ。

日本は自然も政治もこれからどうなるのか、不安でいっぱいになる。
憲法改正を主張する人は、今考えなければいけないのは自国民の安全だけだと思うのに、ご自分の主義を実現するのに余念がない。
消費税が上がって、そのために不景気になるそうなのだ。
なんとかして税金を搾り取りたいらしい。
今回の自然災害で新しく家を建てなければならない人たちからも10%の消費税を取るの?
国民は踏んだり蹴ったり。
私はこのブログには政治や宗教のことは書かないつもりだったけれど、今回は怒りが爆発する。

安倍さん。
貴方はいつも安全な場所で生きている。
今回だって、水に浸かるような家には居ない。
真っ先に救われる立場にいる。
後の人たちが水に浸かっていようが関係ないでしょう。
年金が減る、年金の受け取りが遅れる、年金を弄んで破綻させた役人は誰一人罰を受けない。
貴方が戦争に向けて準備をしているのは誰もが感じている。
自衛隊法が改正されてアメリカに媚びて、彼らが戦場に送られるのは我慢できない。
原発の問題、森友の問題、都合が悪いときはマスコミの操作してまで隠し通す。
芸能人の離婚問題を何日にも亘って大騒ぎするマスコミが、そのような問題をすぐに報道しなくなる不思議さ。

ご自分の名前を後世に残したければ、自らがノーベル平和賞を受けられるような業績を残していただきたい。
あの下品などこぞの大統領に媚びへつらう貴方の姿を、私達は見たくない。
貴方の顔つきは日に日に悪くなる。
どうぞ長い目でこの国の平和を考えていただきたい。
あれほどの犠牲を払って手に入れた世界に誇る平和憲法。
それを自分の名を後世に残すために改正する?冗談じゃない。
日本が戦争をしないと言うから、近隣の国も攻撃してこない。
これで日本が脅威となれば彼らは攻撃してくるかもしれない。

アメリカの顔色伺う貴方の卑屈な姿は本当に下品。
もう、うんざり!
それなのにまだ彼に票をいれる人がいるのが不思議なのだ。

今回の日本列島をなめるように進んだ大型台風は、この国のあり方に警報を鳴らしているように感じた。
まだ真冬でなくてよかった。
少しは救われた気がする。
まだ間に合う。
憲法は改正してはいけない。








2019年10月12日土曜日

川が溢れそう

毎年川岸に桜が咲き、お花見で目を楽しませてもらっているけれど、いつもは水量の少ない家の前の川の水位がどんどん上がる。
これまでに経験したことのないような災害が迫っているという。
私の住まいは2階だけれど、車庫は下の階。
前の川が氾濫したら、せっかく買ったばかりの私のアマデウス・ノートは水に浸かってしまう。
保険の契約のときに日産マンに言われた。
今まで車両保険はかけた事が無いので今回もかけないと言ったら、今までの常識で考えられないような災害が起こりうる可能性があるからつけたほうが良いですよと。

なんだか実際にそんな感じになってきて、今すごく後悔している。
つけていれば心配も少ないけれど、今はドキドキなのだ。
こういう心配のために保険会社は儲かっているのだ。
もし、車が水に浸かってしまったらすべておじゃんになる。
古今亭志ん生の「火焔太鼓」の落ち「おまえさん、半鐘はいけないよ、おじゃんになるから」じゃないけど。

今テレビで見ていたら、群馬県の嬬恋村まで大雨特別警報が出ているそうなのだ。
嬬恋村と言えばノンちゃんの家のすぐ近く。
結局北軽井沢から帰ってきてもあちらに居ても、同じだったようだ。
今回あちらには楽器を持参しなかった。
あちらに居て自宅にある楽器のことを心配するより、自宅でヴァイオリンを弾いていたほうが良い。
それだけは良かった。

しかし、よく報道されるのは、近所を見に行って転んで病院へ搬送とか、田んぼの様子を見に行って用水路に落ちて死亡したとか聞くけれど、なぜそんなときに外へ出るのかわからない。
見ると被害が少なくなるなら一生懸命見に行くけれど、そうでなければ絶対外には出ない。
特に高齢者に被害者が多い。
家族は高齢者を外に出さないように注意しないといけない。

今朝野良猫に餌を持っていったら、彼らは賢い。
いつもの待機場所には人っ子一人、猫っ子いっぴきの姿もなかった。
うちの猫は朝からずっと押入れに引きこもって出てこない。
テレビも見ないのに、なんで状況がわかるのか。
もし川が氾濫したら、彼らは当分餌にありつけない。
今頃お腹をすかせていると思うと、可哀想になる。

渋谷の友人から電話がきた。
大丈夫?というから大丈夫じゃない、怖いと言ってしばらく話していた。
北海道の姪が、家の前の川は氾濫しない?と言うから、気にせずお酒飲んで寝るっきゃないと答えておいた。
私が止められるわけではない。
北海道には台風がこれから行くのだから、そちらこそ気をつけて。
メールが届く。
心配してくれる人たちは私の頼りなさを知っている。
特に最近体も心も弱っているから慰めてくれる。
しかし、優しくされるより、こういうときに積年の恨みを晴らそうといじめてくる人がいるほうが、私は元気になるのだ。

相模川ダムの放水が始まるらしい。
これで又二次災害になる可能性も。
スマホがけたたましく警戒音を出している。
避難所には行く必要はないのでヴァイオリンを弾いたりしているけれど、心中は穏やかではない。
傍から見たらこんなときに呑気に音楽なんてと言われそうだけれど、こういう時にこそ音楽なのだ。
子供の頃は雷が怖くて、遠くで雷鳴がすると、いつも練習を始めたものだった。
ヴァイオリンを弾いていれば雷も怖くはない。
精神安定剤の代わりに練習をするので一石二鳥。

猫もまた、心配事があるときに毛を撫でると、動悸が収まる。
猫とヴァイオリンは私にとって、強力な癒やしのグッズ。









2019年10月11日金曜日

台風の恐怖

穏やかな楽しい時を過ごしてきた今週。
台風が来るから早く帰ろうと北軽井沢からかえってきたけれど、帰らないほうが良かったかもしれない。
どちらに転ぶかは運次第。
猫にこれから北軽井沢に帰ろうかと言うと、呑気にお腹が空いたと返事が返ってきた。
夕方、近所のデパートの電気やさんに行ったら、すでに懐中電灯や電池で点く電灯はすべて売り切れていた。

スマホを目一杯充電しておいて、懐中電灯が見つからないときに使えると思うけれど、ずっと使っていればスマホも消えてしまう。
それで単三電池をたくさん買い込んできた。
悔やまれることは北軽井沢に電池式のランタンと強力な懐中電灯を置いてきたしまったこと。
持ち帰ろうかと思ったけれど、まさかこんなすごい台風が来るとは思わないから。
あそこにはテレビが無いので、情報が入らない。

すべての充電で動く機器をを今のうちに充電して、灯りを確保しようか。
でも最近の台風での停電を見ると、復旧にえらく時間がかかっている。
多少のことでは暗闇を回避できないかも。

怖い!
普段呑気にしているけれど、最近のはげしい気象状況からみると安心はしていられない。
たった1人で暗闇に耐えるのは耐え難い。
気を紛らわすために本を読んだりスマホをいじったりしても、いつまで電源がもつかはわからない。
猫はいいなあ、暗闇でも字が読める。
いや、読めないけれど見える。
字が読めたら読みきかせてほしい。
いつもトイレの始末させられて、こんなときにも役立たない猫。

いつもは怖いことも無いような生活をしているので、テレビの情報を見れば見るほど怖い。
想像を絶する凄まじさらしいので。
関東地方は台風に関してはほぼ安全地帯だったのに、先日の千葉県の惨事を見ると、我が家の付近も決して安全ではないようだ。

子供の頃、自宅の庭の大きな杉が台風で倒れたことがあった。
その無残な姿が脳裏に浮かぶ。
泣きたくなるほど怖い!怖い!怖い!
これだけ騒いでおけば台風が少しは気を使ってくれるかもしれない。

いやだなあ、暗闇で何日も過ごすのは。
千葉県の人たちはダブルパンチ。
やっと停電が解除したと思ったら又停電なんてことにならないといいけれど。
こんな時、ろうそくは役に立つ。
原始的なもののほうが結局自然の脅威には強いのかも。
3・11の時、我が家の階段にろうそくを置いたことを思い出す。

とにかく2日間、我慢の子になっておとなしくしていよう。
















バーベキューと米寿のお祝い

前日までは時々雨がちらつくこともあったけれど、おおむね天気は晴れ。
しかし、今朝は違った。
私が北軽井沢に来るようになってから一番の好天気。

朝4時。
目が覚めると4人のお客さんのために朝食の準備を始めた。
キャベツを細かく切る、トマトを洗う、卵を溶いてオムレツの準備、下ごしらえができたところで玄関を開けて外を覗くと、木の葉の間から輝かしい光が見える。
木の葉がびっしりと空を覆っているから、チラチラと宝石箱を開けたようだ。
快晴のいちにちの始まりだった。

もうたまらない。
表へ飛び出した。
風もなく暖かい。
見慣れた森の景色がなんと美しいことか。
足は相変わらず痛いけれど、いつもよりは軽い気がする。
散歩を終わって家に戻ると、コーヒーを沸かし、自分用には紅茶を淹れて客人が起きてくるのを待った。

今日はノンちゃんのバーベキューの日。
彼女が大好きだったこの家で、バーベキューをするために集まるのは雪雀連の飲兵衛たちとお隣さん2人の総勢9人。
私達は会長山田さんのおかげでどれほど楽しい時間を過ごしたかを考えると、その感謝を形にしたいと、バーベキューとともに会長の米寿のお祝いをすることにした。

そして山田さんのお嬢さんのMちゃんの運転する車が到着した。
ノンちゃんの大好きだった庭の大木のもとに集まって、ノンちゃんを偲んで献花をした。
それが済んで乾杯。
1時間も前から用意していたバーベキューコンロの備長炭がそろそろいかがですか?と赤い顔をして言う。
おまえさん、もう飲んだのかえ?

今回、本当に頼もしい助っ人がいて、保険会社勤務のNさん。
背が高く力もある彼女はレガッタの一員だそうで、頭の回転が早く運転が上手とくれば、今回の功労者として表彰したいけれど、賞品はありがとうの一言だけ。

大きな車にキャンプ用品を満載してきて、さっさとセットしてくれた。
私だったらとても不可能だった。
庭にシートが敷かれ、小さなテーブルと椅子、食器類など、あっという間にそこはノンちゃん食堂。
雪雀連はどんなときでも誰かしらその道の達人が揃っている。

肉を焼く係は飲兵衛のあおちゃん。
飲んでなのか火が熱くてなのか赤い顔して焼いていると、お隣の料理の達人が炭の置き方についてうんちくを傾ける・・・とまあ、なかなかの賑わい。

肉は量といい種類の豊富さといい、前日行った肉屋の店員さんの計算がどんぴしゃりあたった。
餅は餅屋、肉は肉屋とまあ、その道の人が言うことを聞いておけばハズレはない。

私がこの地を訪れるようになってから最高の気候。
暑くも寒くもなく抜けるような青空、無風。
ほぼ肉を食べ尽くしたところで休憩。
この休憩がセレモニーの時間になった。

生クリームのケーキの代わりに用意してあったバウムクーヘンをお祝いに贈呈。
そして88本のと言いたいところが無理なので8の字をしたろうそくを2本立てて火をつける。
山田さんは思いがけない展開に驚いている。
火を吹き消してから御礼の言葉。
誕生日が過ぎても誰もお祝いしてくれないと思っていたら、まさかこんなところでしてくれるとはと、本当に嬉しそうだった。
本来なら大きな会場で大勢の人に集まってもらってお祝いするべきところだけれど、こんな素敵な誕生祝いはまたとない。
森の中の誕生会、リスの家族みたいじゃないですか。

リスの親分とお嬢さんのMちゃんが帰ってから、私達は近くの浅間大滝まででかけた。
私はいつもここに来てもすぐ帰るというパターンだったので、今回初めてこの滝を見た。
なんとなんと素晴らしく豪快な滝で、観光客の姿が無いのが不思議。
クマ注意の看板がリアルに感じられる。
それから武蔵川温泉にいって、私はお風呂で滑って肘を強打したけれどかすり傷のみ。
今年はよく転ぶ。
転んでも大きな怪我をしないのが特技なのは、猫だから?

そう言えば、猫は初めての大勢のお客さんに怯えて、日中はクローゼットのカーテンに隠れっぱなし。
夜中に寝室を歩き回っていた。
見ていると隣のベッドに寝ている人の上をズシズシと歩いて顔を覗き込む。
おや?飼い主とは違うなあ、ちらっとこちらを見る。
あら、やだ、人違い?

次の朝、朝食後に八ッ場ダムまででかけた。
このダムは工事が途中中断されて、出来上がる頃にはもう必要でなくなるとかいう話も聞くけれど、壮大な税金の無駄使いにならないためになんとかしてほしい。
私はもう少し逗留するつもりだったのが、前日の電話で台風のため女子会の延期の知らせ、更にひどい台風だから早く帰っていらっしゃいとの言葉で、帰宅を早めることにした。
もしかしたら北軽井沢にいたほうが良いのかもしれないけれど、日曜日に仕事があるので帰れなくなると困る。

ノンちゃんホテルの客は皆ニコニコして帰っていった。
・・・と思ったら、私が後片付けをしてから高速に乗って、いつもはまっすぐに帰るところを珍しく横川のサービスエリアに寄ったら、なんだか見慣れた顔が!
おやおや、縁路は続くーよー、どーこまーでもー、ですか。




















2019年10月8日火曜日

佐久平のコスモス

軽井沢のY子さんにバーベキュー用の買い出しに付き合ってもらう。
北軽井沢から白糸の滝を抜けて軽井沢まではあっと言う間。
朝食をお気に入り軽井沢のエロイーズカフェでとった。
Y子さんの友人のTさんも同行して3人で3種類のメニューとサラダ。
フレンチトースト、野菜たっぷりのキーマカレー、ふわふわのオムレツ。
アボカド入りのサラダ。
どれも美味しかったけれど、感激はオムレツ。

卵はメレンゲのような食感に中身のベーコン、じゃがいも(皮付き)がカリカリで、いつ行っても行列ができるのもうなずけるおいしさ。
ワンちゃんがいるので他のお客さんに迷惑にならないように、私達は隔離された場所に座る。
ここが庭が見渡せる特別席。
木々はもう秋の気配で柔らかな色調となって、夏の疲れを癒やしてくれる。
避暑客が去ってもまだにぎやかなのが軽井沢。
それでも街に静けさが戻って、一番良いのは今頃の季節かもしれない。

のんびりと朝食を終えても、もうワンコースいけるかもと健啖家の私達。
ボリュームはたっぷりなのにあとを引くほど美味しかった。

そこからは佐久に向けてのドライブが始まった。
Y子さんは名ドライバー。
大きな高級車がびゅんびゅん走る。
以前彼女の車の後ろに従いていったら、白糸の滝の曲がりくねった山道をガンガン登っていった。
私のオンボロシルフィーはそれでも健気に走る。
取り残されまいと必死で走ったら「あおり運転なさいませんでしたか?」
言葉は丁寧だがこわい!

目的はバーベキュー用の肉を調達するために評判の良いお肉やさんへ。
追分からサンラインへ曲がり、ひたすら走る。
しばらくすると眼下に佐久平の景色が広がる。
日本の山はなだらかで美しい。
まわりの植物もいかにも秋めいて、郷愁を誘う。
秋といえばコスモス。
所々に群生している。
なにを主張するでもなくひっそりとしているのに抜群の存在感がある。
生まれてはじめて九洲に行った時、鄙びた駅のホームにコスモスが咲いていたのをよく覚えている。

お肉の前にぶどう園によって摘みたてのぶどうをゲットすることに。
ぶどう棚のあるビニールハウスは、かつて行ったシルクロードの街ウルムチを思い出させた。
中国の中で、私の印象に最も残っている美しいエキゾチックな街だった。
その街は中国政府から弾圧を受けていると聞いて、悲しい気分になった。
今はどうしているのだろうか。

試食用のぶどうは本当に新鮮で甘く、次々に手がでる。
そこでも食い意地を存分に発揮する3人。
ワンちゃんは外に繋がれてつまらなそうにこちらを見ている。
ぶどうではつまらないと思っているようで、おとなしい。
悪いわね、人間は雑食動物だからなんでも食べて。

往路を戻る形で肉のお店へ。
店員さんが親切に対応してくれる。
10人ほどでバーベキューをやりたいのでと言うと、手慣れたもので、色々組み合わせてくれて簡単に買い物は済んだ。

そこからチーズのお店によって、カフェでマスカルポーネチーズのシュークリームとアッサムティーをたのんだ。
シュークリームは中のクリームの個性が強いので、皮のほうも対抗してかなりコクがある。
これはこれでとても素晴らしいけれど、私は安い100円くらいのシュークリームのほうが身の丈にあっているようだ。
紅茶のほうは素敵に美味しかった。

あとは北軽井沢の農園直売所に行って野菜を調達すれば良い。
朝採れたてのとうもろこしやキャベツなど、信じられないくらい新鮮で安い。
都会の野菜がどれほどたらい回しされて古くなってから店頭に並ぶかということがよくわかる。

あとは仲間がぞろぞろと集ってくるのを待つばかり。
雪雀連の会長の山田さんは今年米寿。
そのお祝いも兼ねてのバーべキューだから、どうぞ雷様達お手柔らかに。
降らないで鳴らないで。




































2019年10月6日日曜日

ノンちゃんのバーベキュー

私が受け継いだノンちゃんの家は、北軽井沢の森の中。
庭の真ん中に大木が枝を広げ、この木がノンちゃんのお気に入りだった。
寝室は1階もロフトも寝ながらこの木が眺められるようになっている。
真夜中目が覚めて外を見ると、くろぐろと空いっぱいに枝が広がっていて、せっかくの星空が見えないくらい。
木の葉の隙間からかろうじて光るものを見つける。
もっともたいていお天気が悪くて晴れる日はあまりないから、枝がなくても星が見えることは少ない。
湿度が多いから塩などをちょっと外に出しておくと、すぐに固まってしまう。

そう聞くとジメジメしたいやな印象だけれど、そんな事はなくて、私がここを気に入ったのは心を洗われるような滴る緑。
窓から見えるのは木だけ。
柔らかい薄緑色の海の中に漂っているような印象の森に囲まれて、時の経つのを忘れる。

ノンちゃんは去年の夏、突然亡くなってしまった。
本当なら今年も一緒にこの木々を眺めているはずだったのに。
彼女はこの家を建てた時、親しい仲間たちと庭でバーベキューをしたいと思った。
最初にバーベキューをやったときは、まだ私達はもう少し若かった。
庭で大騒ぎして楽しく過ごしたけれど、ノンちゃんはその時にはかなり高齢だったから、1人では準備ができない。
それで毎年のように「私バーベキューをしたいの。nekotamaさんやってくれない?」と言い続けていた。
私もぜひやってあげたかったけれど、まだ仕事が忙しく、時々遊びに行ってもせいぜい2泊しかできない。
とても準備や後片付けはできない。
それで毎年引き伸ばしていた。

やっと時間の余裕ができたら、ノンちゃんはもういない。
孝行をしたいときに親はなし、とよく言うけれど本当のこと。

ノンちゃんがいなくなってからでは仕方がないけれど、私の気が済まないから皆さんに北軽井沢まで来てもらうことにした。
次の水曜日、仕事を休んだり忙しいのでとんぼ返りだったりの仲間たちが集まることになった。
よくまあ、こんなところまでようこそ。
バーベキューの道具はアマゾンで買った。
意外と安いのでよかった。

肉は評判の良いお店があるというので、そこで調達することに。
野菜はこの辺お手の物。
なんたって嬬恋のキャベツって有名でしょう。
お隣さんがおつまみの用意をしてくれるらしいので、お願いした。

当日は雪雀連の会長とお嬢さん、体調が良ければ奥様も一緒に見えるという。
東京からは数人が来てノンちゃんの家に泊まる。
布団足りるかなあ。
それよりも猫がパニックになりそう。
でも慣らさないといけない。
後はお天気が良いことを祈るのみ。

この家を人が集まる拠点にしたい。
志賀高原や草津方面にもすぐに行ける。
浅間は直ぐ側で大きく見える。
嬬恋のキャベツはおいしい。
水は絶え間なく溢れ流れている。
山なので天候の変動が激しいのは魅力でもあり、困ることでもある。

温泉が至るところにあるし、おしゃれなカフェもここ数年で増えてきた。
良いホテルもある。
軽井沢のようにセレブが集まるわけでは無いが、沢山の文化人がここを愛し住んでいる。
大学村もある。
最近はとんでもない気候変動があるけれど、浅間山の噴火以外の心配事はない。
もっとも、それが一番怖いかも!
気温が低く山はなだらかで崖崩れしそうもない。
山の上なので洪水の心配はサラサラない。

交通が不便な分、静けさと穏やかさがある。
良いところです。
田舎暮らしに憧れてではない。
体力もないのに畑仕事なんてできる?
虫も嫌いだし。
近所の直売所で、新鮮で安い野菜が買えるのに自分で働く必要はない。
澄んだ水と美味しい空気のために行くのだから。
人間に最も必要なものがここにはある。































黄色い車

ノンちゃんのバーベキューのために昼過ぎ自宅を出発した。
うちの猫姫様はもうすっかり車に慣れて、走り出してもにゃんともすんとも言わない。
どうやら北軽井沢がお気に入りらしく、到着するとさっさと自分の定位置のわたしのベッドの真ん中を占拠する。

今日は新しいクルマ、日産ノートで初の長距離運転。
取説を見ない私は数年かかってやっといろいろな機能をマスターする。
そんなことしないで最初からちゃんと説明書読めばいいのにとお思いでしょうが、そうはいかない。
最初のページを開くと、まず目が拒否する。
頭も悪くなる。
日本語が理解できなくなるとまあ、拒絶反応の大安売り。

前に乗っていたシルフィーはそれはもうよく言うことをきく車だった。
山道を登る時、ブイーンとエンジン音を立てながらどの車よりも健気に走る。
自分の手足のように思えた。
しかしそのボディーには無数の傷があって、洗ってもらえるのは定期的な整備に出したときだけ。
持ち主は電柱やポールにすり寄るのが得意で、しかもかすり傷は意に介さない。
エンジンとブレーキと足回りがちゃんとしていればいいでしょうとほざく。
可哀想なシルフィーはそれでも素晴らしい走りをした。
足元はミシュランのタイヤを履かせてもらい、とても10年も使われたとは思えない走りを見せた。

持ち主としては後10年乗りたかった。
それで運転をやめようと思っていた。
しかし、たぶん車屋さんと政府の陰謀だと思うけれど、高齢者の事故を毎日ニュースで流されると、だんだん自信がなくなってきた。
やはり自分でもどこかにこのままではいけないという意識があるから、それに付け込まれて洗脳された。

シルフィーを買ったときから日産の担当者が、毎年のように新しい車の宣伝をしかけてきた。
それを毎年のらりくらりとかわし、とうとう10年持ちこたえた。
ここで新しくしないとシルフィーは後もって5年。
次はもう新車を買うのはもったいない。
けれど、運転技術がどんどん衰えていくのに、更に高齢になってから中古車では危険かもしれない。
というわけでやっと替える決心をした。

黄色いボディに黒いルーフ。
シルフィーより一回り小さい。
色は日産マンが勝手にきめていた。
色は?と言ったら「黄色になりました」
あるいはこの色が売れなくて残っていたとか?ではないとは思うけれど、この年になって初めて雪道に挑戦しようと思うから、目立つ色のほうがいいとは言っておいたので、そうなったようだ。
普段は4駆ではないけれど、必要なときは車が勝手に判断して4駆になるそうだ。
ブレーキを踏まなくてもモードを変えることによって、エンジンブレーキがかかるようになっているらしい。
今日は初めて山道の下りで使ってみた。
他の車は度々ブレーキを踏むのに、アクセルから足を離すだけで急激なブレーキがかかる。
マニュアル車のエンジンブレーキとおなじように。
このエンジンブレーキ様の装置は実に素晴らしい。

北軽井沢に行く途中に急な下り坂があって、しかも距離が長い。
そこに差しかかると急加速するから、度々ブレーキを踏む。
それが煩わしかった。
中軽井沢から北軽井沢に向けての急な上りや下りの連続が、これで随分楽になった。

ドライブレコーダーが備されているのはうれしいけれど、これで独り言や他の車に向けて悪態がつけなくなった。
まだ再生していないけれど、見たら随分恥ずかしいと思う。
他の車に「このへったくそー、もたもたするなー」とかはもう言えなくなった。
動き始めて時間が経過すると「そろそろ休憩しませんか?」と女性の声で言うから「まったく余計なことを!」と毒づいていたのも、もちろん入っている。
うわー、ストレスたまりそう。

新しい車でも運転そのものはすぐに慣れる。
けれど新しい装置は斬新で、どのボタンがどれに対応するのかはまだ全然わからない。
途中で野菜を買うために農園直売所によって車を降りようとしたら、しきりに警告音が鳴る。
あら、どうして?
無理にロックしようとすると大騒ぎ。
しかたがないからそのまま放置して野菜を買って車に戻った。
エンジンをかけようとしたら、なあんだ、エンジンを切らないでロックしようとしていたのだ。
ハイブリッドカーだからエンジン音がしないので、気が付かなかった。
これからどんなことをしでかすことやら。
























2019年10月5日土曜日

サプリメントの恐怖

つい数日前に終わった古典音楽協会でのソロは、自分の中では大失敗!
本当に思うようにはいかなかったけれど、皆さんは親切だから叱られない。
それがますます落ち込む原因なんだけど。
自分でもあまり良くなかったのがわかっている場合、同情されていると思うと、あまり気分は良くない。
それでも心からという表情で褒めてくださる方も・・・いやはや皆さん芝居がお上手。

なんで今回調子が良くなかったのかと原因を考えた。
さんざん考えた結果、思い当たったのが最近飲み始めたサプリメントだった。
夏の暑さに滅法弱い私は、9月は毎年死んだようになる。
だるさとか胃腸の不調とか、憂鬱な気分とかに悩まされる。
それで、ソロがあるのだから少し元気になりたいと思って始めたのが、某社のサプリメント。
糖質をカットして体力増進、免疫力アップをうたった宣伝に乗せられた。

糖質カットならもしかしたら痩せられるかもしれない。
今回細身のドレスを着るので、痩せてお腹が目立たなくなったらすてき!
そんなわけで本番2週間ほど前から、服用を始めた。
飲んで30分ほどで身震いするような感覚に襲われた。
よく寒いとか怖いとかではなく、興奮は体内から突き上げてくるような変な浮揚感があった。
その後体温が上がったようで皮膚表面を触ると熱い。

その夜から私は急にロングスリーパーになった。
いつもより睡眠が長く、目が覚めてもその後食事をすると耐え難い睡魔に襲われる。
そしてまたぐっすり。
よほど夏の疲れが激しかったのだと思った。
睡眠時間が長くなると、寝ても寝ても寝たりない。
一番顕著だったのは頭痛。
私は頭痛持ちではないし、高血圧でもない。
だからこれは脳内に軽い出血とかなにかがあるのかもしれない。
そう思っても、その頃はとても暑かったのと忙しかったので、病院で検査を受けることも忘れていた。

そうやって迎えた当日、目が霞んでよく見えない。
その日も長時間眠った。
こんなに寝ても頭痛が治らない。
台風が発生していると言うので、低気圧のせいかとも思った。
それにしても少し変だから演奏はやめる・・なんてことは絶対できない。
今までの練習や皆の協力のことを考えたら、ステージで倒れればそれでお客様は納得すると思うけれど。

ええい、ままよ!
コンサートマスターに今日私は超絶目が見えませんので、失礼なことがあるかもしれませんと予めお断りした。
思えばそんなことを言わなければよかった。
彼の立場から言えば、本当に不安だったと思うのに。
プログラムが進んで自分のソロの番になると、かすかな震えが体に感じられる。
手に力が入らないので、音が響かない。
なんとか弾きおおせたけれど、テンポがおそすぎてしまらないことに。

少し落ち込んだけれど、長年に渡る演奏活動の中ではときにそんな日もあることだから、次は頑張ろうと気を取り直す。
原因を色々考えて、思い当たったのがサプリメント。
やめてみたら、さっそくショートスリーパーに戻った。
そして体の震えも頭痛もなくなった。
視力はそろそろメガネを変えないといけないと思うほど悪くなっていたのでさほど変化はなかったけれど。

ばかだなあ。
体力が人一倍ないのに、強い作用のあるサプリを飲んだら効きすぎることくらい予想できなかったのか。
急に眠りが長くなるのは不自然、その理由を考えなかったのか。
本番までの体調管理は本当に大変。
演奏も体力・精神的にも頂点に持っていかないといけない。
そうでないと沢山の聴衆の前で自信をもって弾くことはできない。
今回の失敗は、長年の経験を活かしきれなかったことにある。
突然変なものが体に入ってきたら、体はとまどうに決まっている。
せめて使用量を半分にしておけばよかったのに。

今朝試しにもう一度サプリメントを飲むと、30分ほど後にかすかに震えと体温上昇が始まった。
世間的に認められている会社の薬だし、悪いというほどの作用ではないかもしれないけれど、楽器の演奏のように集中力を要求されるときには、作用が強く出過ぎるのかもしれない。

唯一の救いは、優れた職人の手で楽器が調整されていたこと。
梅雨から夏にかけて湿度のため表板に剥がれが生じていた私の楽器が、若い職人さんのおかげで見違えるように鳴るようになった。
おかげでいつも音だけは褒められる。
それは私の腕ではなく、楽器職人さんの腕なのに。
ただし、私の楽器のように気難しい楽器は鳴らすのも一苦労なのですよ。
と、最後にひとこと言い訳させて。




















2019年10月4日金曜日

独居老人

いまや一人暮らしを堪能している身なので、万一に備えてセコムのセキュリティーを使っている。
防犯、火災報知などの他に、在宅なのに12時間人の動きが無いときには電話がかかって安否を確認してくれる。
どのように安否の確認をするかと言うと、動くものに対するセンサーが部屋を監視。
この時間の長さはそれぞれ設定することが可能。
電話に対応がない場合、警備員が駆け付ける。
孤独死した老女を発見。
とまあ、こういった仕組み。
ちなみに猫は小さすぎてセンサーには反応しないらしい。
私も小さいからもう少し縮むと反応しなくなるかも。
ああ、はいはい、横幅あるから大丈夫なのね。

もうおわかりかと思うけれど、こういうことが苦手な私は度々ヘマをしでかす。
これは私じゃないけれど・・・
去年私がニューヨーク旅行を楽しんでいた間、どうやら大騒ぎがあったらしい。
留守中、猫さんは近所の姉とうちの部屋の上の階の人に面倒を見てもらうことにした。
それぞれに部屋の鍵と安全装置の鍵と渡して呑気に旅している間に、警備員が駆け付ける騒ぎになったらしい。
帰国したら警備会社から知らせが届いていて、騒動を知った。

その後も度々、早朝に電話がかかってくる。
早朝の電話というのは本当に心臓に悪い。
そのような時間の電話は、近親者の一大事とか、とんでもない出来事でかかってくることが多い。
真っ先に高齢の兄と姉のことが頭に浮かぶ。
飛び起きて電話に出ると「ご無事ですか?」と。
は、なにが?
ああ、私のこと?
電話に出るくらいだから無事に決まってるじゃん・・とは言わない。
ああ、すみません、又やりましたか。

私は普段の生活をする部屋の他に、仕事用にもうひとつ階段を挟んで向かい側の部屋を使っている。
そちらにも動くものに対するセンサーが入っている。
部屋を留守にするときに外出の設定にしておかないと当然部屋に人がいることになり、12時間以上動くものがないと倒れているとみなされる。
仕事部屋を外出設定にしておくのを度々忘れる。
たぶん警備会社のブラックリストに私の名前が載っているのではないかと思う。
そのうち本当に倒れても「またあのひとか。ほっとけ」となるかも。

ある時、お蕎麦を茹でるのに大量のお湯を大鍋で、その隣でヤカンにもお湯を沸かしていた。
湯気がもうもうと部屋中に充満したら「火事です!火事です!」
ものすごい勢いで警報が鳴り、すぐさま電話がかかってきた。
「どうしました?大丈夫ですか」
すみません、湯気が・・・悪いのは湯気なんです。
受話器に向かって頭を下げる。
しかし、この反応の速さには感心した。
これで「又あのひとか」がふえた。

警備会社には迷惑かけているけれど、心強い。
近所の家で以前よく警戒音が鳴っていたけれど、最近聞かない。
面倒くさくなって契約を解除したのだろうか。
私の家にはろくなものが無いから、泥棒さんは入るだけ時間のむだ。
ただ私が倒れたとき、長い間見つからないのは困る。
猫がお腹すかせるし。

最近になって、生まれて初めて一人暮らしをするようになった。
大家族でにぎやかに育った私は、本当に寂しい。
けれど、実に快適。
真夜中に目が覚めると、家族に気兼ねしてベッドの中で過ごすことが多かった。
そんなこともしなくていい。
さっさと起きて夜中に1人酒盛りしたり、煌々と電気を点けて体操したり。






2019年10月3日木曜日

手助け

サントリーホールのコンサートの前に六本木一丁目付近のカフェでお茶を飲んだ。
大きなテーブルの端っこに座っていたら、私の向かいに車椅子の男性が座った。
相当体が不自由らしく、車椅子をテーブルにまっすぐに向けるのも大変そうなのだ。
始めは手伝おうと思ったけれど、非常にしっかりした人のように見えたから、黙ってみていた。
むやみに手を出すのも良くないと思ったので。

やっと車椅子が収まって、店のスタッフがケーキとコーヒーを運んできた。
すると添えられたあったスプーンを手に持とうとしている。
見ると指は全て曲がってしまい、両手とも握った状態だから指の中にスプーンを入れるのも悪戦苦闘している。
私がなおも見ていたら、こちらをちらっと見た。
そこで声をかけようと思ったけれど、そういうことを喜ばない人のように見えたので、なおも黙っていた。
彼はまず、スプーンをかろうじて口に咥えた。
口からぶら下がったスプーンを自分の握られた指の隙間から押し込む。
何回も手順を踏んでやっとスプーンは彼の握りこぶしの中に入った。

これも何回も練習したのだろう。
うまいものだと感心して思わず拍手をしたくなった。
その人もしてやったりという表情。
そして今度はケーキの上にあった紙のデコレーションを取り除こうとした。
しかし、紙は薄くて小さいのでこういう繊細なものは無理なようなので、やっと手助けすることにした。
向かい側から手を伸ばして取り除くと「ご協力ありがとうございます」と明るい声でお礼を言われた。
なにかお手伝いしますか?と訊いたけれど返事はない。
「そのケーキ私が食べて差し上げましょうか?」と言われると思ったらしい。

それからケーキを食べコーヒーをストローで飲んでいた。
温かいコーヒなので熱くないか心配したけれど、少しずつ用心して飲んでいるから大丈夫と見た。

体の不自由なひとを見たらすぐに手を出したくなるけれど、ご本人が喜ぶかどうかわからないから様子を見ることにしている。
この人は自分でなんでも工夫して解決する性格の人と見たから、最小限の手助けしかしなかった。
多分リューマチとかそのような病気で手の骨が曲がってしまったのだろうと思う。
以前駅の改札口で白い杖のひとを見たから、お手伝いしましょうか?と声をかけて病院まで誘導したことがあった。
その人はなんだか少し見えているようで薄笑いを浮かべられて、それでもありがとうと言いながらさっさと病院に入っていったので、余計なことをしたらしい。

私は最近髪の毛を薄い色にしたら、電車で席を譲られ、店のレジでは一緒にお金を数えてくれて、買い物をカートに入れてくれてと、周り中が親切にしてくれるのがいささかうざい。
保護されすぎて緊張感がなくなるのが怖いから、なるべく親切にしないでほしいと思う可愛げのない年寄りなのだ。
本当に手助けがほしいときには大声で助けを求めるので、そのときはぜひ助けてください。
先日ホームセンターで買い物をしたらレジのお姉さんが「これはベッドパッドですよ」とか言うから「そんなこと知っとるわい」と言おうかと思った。
知らないものを買うわけないでしょう。
実に優しげに言うけれど、表情は冷たい。
気持ち悪いこと甚だしい。
デパートでもベッドスプレッドを物色していたら「これはベッドの上にかけるものです」
なんでわかりきったこといちいち言うの?
私はまさしくベッドスプレッドを買いたいのでここにいるわけで。
虫の居所が悪いと文句言うけれど、最近は穏やかになってきたからハイハイ。
でもその売場ではもう買わない。

多分管理者たちは、高齢者には噛んで含めるようにものを言うように店員を教育するのだろうけれど、それが高齢者をだめにすることに気付いておられないようだ。
本当にできない人には全面的に手を貸してもらいたい。
しかし、大部分の人は自立できているから、助ける必要はない。
這ってでも階段の上り下りできなくなったら、そのときはおんぶしていただきたい。

サントリーホールに入ったらさっきの車椅子の人がいた。
体が不自由でも、こうして1人で音楽を楽しみに来ることのできる人なのだ。















イ・ムジチ合奏団

チケットを頂いたのでサントリーホールへでかけた。

モーツァルト:ディヴェルティメント K136
ヘンデル:オペラ「ジュリオ・チェーザレ」から、この胸に息のある限り
     オペラ「セルセ」から、オンブラ・マイ・フ
テレマン:ディヴェルティメント TWV 50:23
モーツァルト:モテット「エクステラーテ・ユビラーテ(踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)K165
ヴィヴァルディ:ヴァイオリン協奏曲「四季」op.8

ソプラノ独唱: 天羽昭恵
ヴァイオリンソロ: アントニオ・アンセルミ

天羽さんは素晴らしいソプラノ歌手。
コロラトゥーラとリリックの声質を兼ね備え、海外のコンクール優勝や国内外の歌劇場でも高い評価を受けている。

そしてヴァイオリンのソリストは・・・
アンセルミ氏は急逝して代わりにマッシモ・スパダーノ氏が演奏することになった。

演奏に先立ってアンセルミ氏を偲んで「アヴェ・マリア」(そう聞こえたけれど本当は何という曲だったのかわからない)の演奏があった。
それが終わると、明るくモーツァルトが始まった。
素晴らしい速さ、軽々と弓が宙を舞う。
何よりも和音の美しさ!

代役というにしてはとんでもなく達者なスパダー氏。
目が回るほど指がよく回る。

私は今から30年ほど前、イ・ムジチのメンバーの、パスクワーレ・ペレグリーニ氏のソロで「四季」を弾いたことがあった。
私は指が早く動く方だけれど、さすがの私も追いつけないほどの速さだった。

今日の演奏も超特急。
考えてみればイタリア語のあの速さに合ったテンポなのだろう。

さてイ・ムジチとの出会いは、私が中学生の頃に遡る。
横浜の県立音楽堂は素晴らしい音響で有名だったけれど、会場が良いだけでなく明らかに音の出し方が違うと思ったのが、私の音質を探す旅の原点となった。
大学を卒業するときに先生から「仕事はどうするの?」と訊かれて「弦楽アンサンブルに入りたい」と言ったら「それじゃ食えないよ」
頭にはかつて聴いた、ローマ合奏団やイ・ムジチ合奏団の音が響いていた。
うーん、食っていかなきゃいけないのかあ、それでオーケストラに入ったらなんのことはない、もっと食っていけなかった。
それでも丸々太っていられたのは、親のおかげ。

最初にフェリックス・アーヨの演奏を聴いたときには、震えが来るほどだった。
時を経て、フェリックス・アーヨの弟子である日本人の女性と結婚したペレグリー二氏と思いがけなく同じステージに立てて、彼が帰国するときに空港まで車で送っていった。
車中で話しが纏まって、彼がかつて愛用した楽器「ガブリエリ」を譲り受けた。
そんなわけで、イ・ムジチは到底手の届かない存在でありながら、非常に親しみを覚える。

今日のアンコールとしてバッハの「アリア」が演奏された。
聴いているうちに、これは亡くなったアンセルミ氏に捧げる曲だと思ったら涙が出た。
弾き終わったメンバーが涙を拭っているのを見て、又涙。

アンコールの最後は日本の歌「赤とんぼ」
しかし、日本人の大好きな「四季」と「赤とんぼ」を並べて、なんだかここまですると嫌だなあという気分になる。
これさえ持っていけば、日本人は大喜びさ・・・みたいな。
もちろん日本側の要求だとは思うけれど。

昨日は女子会で素晴らしい和食をいただいた。
今日はイタリアの極上の音を聴いた。
夢心地で家に帰ると、猫は腹減ったとわめき、部屋は散らかり、明日の英語のレッスンの予習が全くできていない。
やれやれ、いきなり引きずり落とされたなあ。
消費税増税前に、猫の餌の買い置きをしようと思っていたのにすっかり忘れていた。
現実は厳しい!


















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