2012年12月31日月曜日

ノラの新しいベッド

明日はもう新年。うちの猫たちはぬくぬくと暖かい家で飽食状態なのに、ノラは物置で1人寂しく寝ている。だから今日はノラに新しいベッドをプレゼントした。今年のノラは一日中暖かいヒーターのついたベッドで寝ているのだから、去年までいた別のノラよりずっと恵まれている。去年のノラはミッケと仲良くていつも一緒にいた。ところが今年のノラのチャアは気むずかしくて、頭の悪いミッケはお気に召さなかったようだ。元々ノラではなく何かの事情で飼い主と離れてしまったらしく、頭も育ちも良さそうで結構気位も高く、ちゃらちゃらしたミッケがまとわりつくのがうるさかったようで、しきりに唸って追い返していたので、ミッケは元の飼い主か新しい飼い主の元へ行ってしまった。寂しかろうと話相手に行ってもいっこうになつかない。孤独を好む猛獣としての矜持を保っているようだ。毛色は薄い茶に黒っぽい縞模様。今まで会ったどんな猫でも私になつかない猫はいなかったのに、あっぱれ。孤独を好み人にへつらわず、ふうん、こんな猫もいるのだ。これが猫族の本来の姿かもしれない。ついに大掃除は間に合わず、相変わらず汚い家で正月を迎えるので、せめてノラの家はきれいにしてあげよう。ペットショップで一番安い猫ベッドを買い込んだ。物置の中の段ボールを取り出し新しいふかふかのベッドを入れてやったけれど、どうやらお気に召さないようで、というか、何でも新しくなると警戒するようで、しばらくして行ってみたら入っていない。猫って全く気難しい。

さて、こんなウダウダしたブログを今年一年読んでくださった皆様、ありがとうございました。来年が良い年になりますように心から祈っております。

2012年12月30日日曜日

今年もあと2日

生協に暮れとお正月用に予約した食品を取りに出かけた。私は毎年おせちなども作らないから、気は心、年越しそば、お餅、伊達巻きなどほんの数種類。3年くらい前までは暮れのこの時期、仕事に追われていたのが、今やすっかり暇になったので作ってもいいのだが、やりつけないことは億劫でいけない。兄嫁が気が向くとお煮染めなどを届けてくれるので、それでお茶を濁している。それに縁起物というものの、おせち料理はあまりおいしいとは思わない。日本人の知恵が詰まった食物だとは思うが、これだけ世の中に物があふれ、正月でもデパートもコンビニも営業しているから、必要に迫られない。それでも子供の頃からお正月は特別という習慣が身についているので、ほんの少しはそれらしくしたいということもあって、毎年形ばかりの数種類が食卓に並ぶ。それも一回だけ。子供の頃には母が作ったおせちを3が日中食べていたものだけど。生協から約5キロほどのところにハンサムな友人がいる。車なら10分ほど。お餅やお蕎麦をお裾分けしに寄って、近くのコーヒー店でおしゃべりを楽しんだ。頭が良く話がおもしろく、顔を見ているのもいいけど、なによりも手がきれい。きれいな手を鑑賞しながら他愛のないおしゃべりをして帰ってきたら、もう3時を回っている。さて、正月早々弾かねばならないマーラーの「第5番」これがなかなか難しい。特に1楽章の中の2ページほど、CDを聴くとものすごい早さ。こんなに早く弾けと言われても無理というもの。猛烈な勢いで練習して、たったの2ページに1時間もかかってしまった。それでもまだ満足いかないので、また明日に持ち越しとなった。全部で40ページ、気の遠くなるような作業が続く。それほど難しくない部分もあるが、そう思っているととんでもない落とし穴があって、意表を突く音が飛びだしてくる。油断も隙もない。ジャングルで猛獣を追っているようなもの。猛獣だと思うとウサギだったり、猫だと思うと虎だったり。おもしろくて時間の経つのを忘れてしまう。

2012年12月29日土曜日

ささやかな忘年会

音楽教室「ルフォスタ」の一番初期から習いに来ていたTさん。建築士。女だてらにヘルメットかぶって現場監督もやるというかっこよさ。お酒も強い。ヴァイオリンは・・・・滅多にレッスンに来られないのでまあまあ。なぜか気が合って一緒にスキーに行ったりお酒を飲んだりしていたが、あまりにもレッスンに来られないので気の毒で、月謝だけ振り込んでいる存在では、「まるで私はあなたに養われているようね」というと、「いいんです」ときっぱり言う。去年オーナーの小田部さんが亡くなって、私もそろそろ引き時と思ったので、土曜日のレッスンをやめることにした。そのときに彼女は退会した。そのあと事情が変わって、私は未だに講師を務めている。27日夜、ふと思いついて彼女と久しぶりに会いたいと思ったので連絡すると、二つ返事で会いに来てくれた。もう一人同世代の生徒と、レッスンが終わってもうろうろしていた女性と3人を連れて夜の渋谷に繰り出した。教室近くのイタリアン。スパークリングワインで乾杯してから、赤ワインのボトルを頼んだ。Tさんは酒豪で、かつて我が家でおじさん2人相手に、3人で一升瓶を2本ペロリと平らげた伝説がある。酔いつぶれた若い男性を連れ帰ってもらったことも。博多に出張してマンションの建設に当たっていたときも、毎晩飲んでいたそうだ。それで4人で赤ワインのボトルを2本頼んだ。軽く空けると思ったらボトル半分残ってしまった。あらまあ、珍しい。一人は電車の時間の都合で早めに帰宅したから、残りは3人で飲むことになったので、仕方がないか。楽しく会話をして、料理もとてもおいしかったし、すっかり満足して引き上げた。次の日のメールで、Tさんはどうやって帰ったか記憶がないという。そんなに酔っている風でもなかったのに。むちゃくちゃに飲んで騒いでいた頃はみんな若かったのだなあと、改めて思った。私の家に大勢生徒たちが集まって、飲んだり食べたり弾いたり、よくやったものだけど。来年はアンサンブルのメンバーが我が家に集まって新年会をするという。そのときにも是非行きたいと言ってくれた。待ってますよ、必ずきてね!

2012年12月26日水曜日

沖縄へ

以前私のブログを読んでコメントをしてくださったニャーシルさんからメールが来た。ニャーシルさんが持っていたお父様の形見の御本を鳩山寛さんに送ったところ、それがご縁となって1月に沖縄に行かれるとのこと。野次馬の私はさっそく便乗して沖縄に行こうと思い立った。1月の半ば、彼女は鳩山家を訪問するそうで、私はその予定日当日だけしかあいていない。それで当日朝羽田から飛んで、日帰りもしくは次の日の午前中に帰ってこなければならない。その旨伝えると「そんな、沖縄日帰りでは勿体ない」と言われた。それもそうだわ、せっかく沖縄に行くなら数日は滞在しないとつまらない。でも沖縄はもう何回も、あるいは十何回も行っているから、島中くまなく巡っている。しかし、どうせなら久しぶりに潜ってみたい。それなら・・・と、すぐ気が変わってもう少し待つことにした。ニャーシルさんにお目にかかりたいけれど、せっかく鳩山家を訪問されて、私がはとかんさんと
長々と話をしても迷惑にちがいない。鳩山さんはかなりのご高齢だから、急に人が一度に押しかけるより、少しずつ間を空けて行った方がいいかもしれない。そんなことを考えた。ニャーシルさんが鳩山さんの音は小津安二郎の映画「東京物語」の音楽しか聞いたことがないので、なにかほかにないかとのお尋ね。昔のテープをごそごそ探したら、私が一緒に弾いているものしかない。私の音を聞かせていいものかどうかチェックしたら、音程の悪いところがあって、これはお聞かせ出来ない。しかし、鳩山さんの音はやはりすごい。鳩山さんはどちらかというとなりふり構わなかったのと、人に偉そうな態度を一切とらないし、楽器も安物のケースに放り込んで手提げ袋かなんかにウイスキーの小瓶を入れて持っていたりするので、周りからはあまり偉い人と思われなかったようだ。でも、知る人ぞ知る名手だった。今、その音を聞くとああ、こんな方とよく一緒に弾かせていただいたものだと、感慨深い。コンサートを本当に楽しんでいたので録音にも無頓着で、CDなども出していないのが残念といえる。私の知らないところにあるかどうか。あったら是非聞かせていただきたい。ブログがご縁でのすてきな出会いが間もなく実現するかと思うと、わくわくします。

2012年12月25日火曜日

きれいになるのはおあずけ。

昨日寒い第九を弾いたせいか、はたまた今年の演奏予定が全部終了して気が緩んだせいか、昨夜からまた咳がひどくなった。今日はお肌の手入れに美容外科に行く予定だったのをキャンセルして、家にこもることにした。久しぶりの休日でお天気もいいし、元気ならどこかへ出かけたいところなのに、おとなしくしていなければならないのはつまらない。しかし、眠くて元気がない。やはりいつも緊張してわさわさと働いているのが性にあっているらしい。それにお肌の手入れをしても、若い頃のように見違えるように効果が出る訳ではないから、砂漠でひしゃくで水をまくようなもの。これはある人がわたしのあまりの物覚えの悪さに、かんしゃくを起こして言った台詞だけど。ふふふ。少し片付けをしていたら、若い頃の写真が出てきた。まあ、お肌ピカピカお目々キラキラ、ふうん、こんな頃もあったんだ。その頃お目にかかりたかったですね、皆さん。さっき、自分の後ろ姿の写った動画を見ていたら、髪はボサボサ、ちょっと写る横顔にはシワがくっきり。最近のデジタル機器は情け容赦がない。なにもこんなにリアルに写さなくてもいいのに。つれづれなるままに、昨日テレビを見ていたら、自分の体型に自信が持てずに整形した人と、ものすごくおデブさんなのに自信満々、実際男性にすごくもてる人が登場。体型に自信がないという人は私なんかより数段きれいだと思うけれど、気持ちが暗いのでなにかしょぼくれて見える。私みたいに開き直って、ウエルシュコーギーだって足が短くてかわいいと思う人がいるのだから、私だってかわいいと思ってくれる人がいるはずと考えればいい。母は私の鼻を見て「こういう低い鼻は人とうまくやっていけるんだから」と慰めてくれた。その点姉妹は情け容赦なくて「大人になったら隆鼻術をしないとお嫁にいけないよ」などと言われてきた。しかし、どちらを選択するかで大いに違う。私は母の言葉を信じた。母親は偉大!娘の人生を導いてくれる。人間気の持ちよう。今日お肌の手入れに行ったってあまり変わらないなら、ずっと行かなくてもかわらないかも。治療費を払ったつもりで、おいしいもの食べちゃおう。

2012年12月24日月曜日

第九は寒い

毎年恒例のしもたかフィルの第九。道行く人たちに聴かせるために演奏会場の小学校のアリーナの窓を全開にしてしまう、ものすごく寒い演奏会。聴く人たちも寒い戸外で震えながら聴く。しもたかフィルは私たちの友人東さんご夫妻が主宰するアマチュアオーケストラで、下高井戸と近隣の人たち、東さんのお弟子さんや友人が集まっている。メンバーはうらやましいほどたくさんいる。あまりにも寒いのでソリストの歌手たちはドレスの上に毛皮のショールなど掛けているが、弦楽器奏者はそうはいかない。私はウールのタートルネックにもう一枚セーターを着込んでいった。一番風の良く入る窓際だったから、もろ冷たい風に吹かれる。手はかじかみ、弓を持っていられなくなる。気がつくと生徒にやってはいけないと注意するような弓の持ち方をしていた。指が突っ張ってがちがちになる。普段こんな持ち方をしているのを見ると注意していたのに、自分がそんな持ち方しかできなくなるとは思いもよらなかった。隣は東響時代の先輩Yさん。同じく東さんとは仕事仲間で、わたしの古い知り合いだから、久しぶりに会うと懐かしい人の名前が出て、昔話に花が咲く。助かるのは聴く人も弾く人も寒いから4楽章の一部カットバージョンで短く終わること。そうでなければ一杯ひっかけるかなにかしないと凍死する。今日は昼間の本番でまだ暖かい方だから良かったけれど、去年は日が落ちてからだったから、もっと寒かった。実際の気温はもちろん、暗いと余計寒々する。昨夜から今朝まで咳き込みが激しくて、風邪がぶり返したかとおもったのに、こんな寒いところでも本番には咳が出ない。これが本当に不思議。吉行和子さんという女優さんがいる。ひどい喘息でふだんは激しく発作が絶えないのに、ステージに立つと出ないということを、読んだか聞いたかしたことがある。だから周囲からは怠け病だといわれるそうだ。これがどんな脳の働きによるのか知りたい。それがわかれば咳は自己コントロールできるのではないか。そんな研究をしている人はいないのだろうか。とにかく元気で来年もこの寒い第九が弾けるとうれしい(???)とは思っている。

2012年12月23日日曜日

新しいコピー機

パソコンはWindows8に替り、コピー機が不調なので新しい機械を入れることにした。いつものパソコンの師匠のHさんが朝早くからやってきて、八面六臂の働き。パソコンの画面はすっかり変わってとても見やすく、速度も速い。字も大きくなって目の悪い(平たくいえば老眼の)私にはとてもありがたい。猫小屋にヒーターを入れるために駐車場にコンセントをつけてもらうように工務店に頼んでいたのに、まだ来てくれない。それもベランダから防水コードを垂らし、ちょうど猫のすみかの物置に届くことがわかったので、そこに犬猫用のヒーターを差し込むことで、今までの湯たんぽを暖めては運ぶ苦労から解放された。このヒーターも彼が探してくれたもので、はじめはチャアとミッケと二匹にと2個買っておいたものが、ミッケは新しいご主人を見つけたか、前の飼い主の元に返ったかで、このところ現れない。元気だというのは時々遠くにちらっと見かけるのでわかっている。それで一個はパソコン用の足温器にすることにした。これがほのかに暖かく気持ちが良い。そうこうしているうちに新しいコピー機が届いた。大きな箱から現れたのは黒いがっしりとした機械。先日まで使っていたのは白くて平たいものだったから急に存在感がまして、部屋の主のようになったが、大きさとしては前のとほとんど変わらない。しかもその価格の安さと、機能の充実したことには驚いた。以前のものはA4とB4と2種類の用紙が使用できる。それだけで相当高かったものがその半値以下でファックス、スキャナー、コピー、写真のプリントなどの機能を備えている。技術の進化は日進月歩。こんな便利になって使いこなせるだろうか。初期設定をしてもらえると思っていたら今日の師匠は厳しく、私に自分で設定するようにという。まず、取説を読むようにと。取説はあれは日本語で書いていないものだと思っているので拒否しても許してもらえないので、いやいや読み始めた。ふんふん、読んでみるとまあまあ日本語だ。ああでもでもないこうでもないとやっていくうちに何とかコピーができるところまではこぎ着けた。あとのパソコンとの連動は師匠でないとできないからお任せ。これからは少し取説になれないといけないとは思うけれど、もう少し普通の日本語で書いてもらいたい。しかし、我が師匠などはこれがなんでわからないのか理解できないらしい。理系の人の頭にはコードやスイッチやなにかが詰まっているに違いない。

2012年12月22日土曜日

ロンドントリオ小田原公演

昨日まで痛かったのど、ひっきりなしに出る咳と戦っていたのに、今朝すべてピタリと治まった。不思議なことなのだが、本番に向けて体調が良くなるのがいつものことで、少しくらいの風邪なら治ってしまう。それほど緊張が高いと言うことなのかもしれないが、とにかく体調はすこぶる良い。さすがこの道数十年のベテラン、プロ根性を見せたと思っていたら、そのあとがいけない。肝心のステージでは心臓バクバクで時々迷子になると、それと察してトーマスがすかさずフォローしてくれる。すぐ這い上がれるのがやはり古狸、古狐、古猫の類だから。しかし、練習はやった回数だけの効果はある。比較的難しい所はクリアするのに、易しいところでミスをする。今日も帰ってからフィギュアスケートを見ていたけれど、練習の時と本番はかくも違うものかとため息が出た。今日のミスは数え間違え。古狸になると脳みそも古くなっているから、時々ポカをやる。そのミスを聴衆に悟られないようにしないといけない。去年のDVDを見た人が、ミスをすると私は舌を出す癖があると言ったそうだ。それはやめてねと美智子さんに注意されたので、今年はやっていないと思うけれど、自信はない。
曲目は東京文化会館でのコンサートとほとんど同じだが、パッサカリアがなくなって碓井志帆さんのヴァイオリンソロになった。朝からかなりの雨が降っていたけれど、本番にはすっかりあがったので一安心。客席はほぼ埋まって非常にエキサイティングなコンサートとなった。圧巻はトーマスのチェロ。彼はヨーロッパでの活動もチェロと指揮と両方なので、曲の隅々まで熟知している。それで私が迷子になるとすぐに助け船を出せると言うわけ。ずいぶん助けられた。すっかり弱気になって、もう来年は弾けないかもしれないと思っていたけれど、トーマスがとても美しい演奏だったと言ってくれたので、どうしようかなー。ほら、喉元過ぎれば熱さを忘れる。お世辞にきまってるのに。

2012年12月21日金曜日

2日目のリハーサル

風邪が流行っている。今年のロンドンアンサンブルのメンバーは来日したとたんピアニストの美智子さんが高熱を出した。何日かして彼らを電車に乗せるために宿泊場所に迎えに行った。いつも愛想のいいトーマスがすっかり無口になっている。朝が早くて眠いのだろうとその時には思っていた。あとで訊いたら喉が痛かったそうで、15日のサロンコンサートの時にはフラフラだったようだ。真っ赤な顔をして弾いているから暖房が暑いのかと思って、わざわざ切ってしまったら、寒気がしていたそうで、かわいそうなことをした。それでも素晴らしい演奏をしていたので、そんなに悪いとは思わなかった。そのあとは小田原で集合した時に私が気管支炎で咳き込み、トーマスもまだ咳が残っていた。ところがそれだけでなく、小田原でヴァイオリンを演奏する志帆さんがやはり風邪。そしてフルートのリチャードも体の節々が痛いと言いだした。明日のコンサートを控えて全員風邪にたたられている。たぶんずっと一緒にいたので次々に移ったのだろう。先にイギリスへ帰ったヴァイオリンのタマーシュとヴィオラのジェニファは仲良く幸せだったから風邪の神も遠慮したようで、二人がイギリスで寝込んでいないよう祈っている。今咳止めを飲んでいるのでやたらに眠い。小田原は最初は車で行くつもりだったけれど、尋常ではない眠気に安全を考えて電車で行くことにした。この2日間本当によく寝ている。餌の時間が来ても起きないから、たまさぶろうがお腹を空かして癇癪を起して泣きわめいている。トイレを掃除しろとうるさい。猫だからってなんでも人にやらせず、トイレくらい自分で掃除してほしいものだ。かあさんは忙しくて具合が悪いのだから。

小田原へリハーサルに

電車賃をケチって湘南新宿ラインの特快で小田原まで行こうと思った。その電車だと最寄駅から直通で楽な上に料金も安い。新幹線ならもっと早いけれど、乗り替えが2回あるし料金も高い。いつもなにかと浪費癖があるから、たまには経済の事も考えようと考えたのが運のつき。駅に行ったら埼玉方面で信号の安全点検とやらで11分遅れるという。小田原方面に行く人は次に来る電車で戸塚で東海道線に乗り換えると早く着くようなことをアナウンスするから、次に来た横須賀線に乗った。何のことはない、戸塚に着いたら目の前で小田原行きの電車のドアが閉まって、取り残された。そして遅れは益々広がって、次に来た熱海行きの鈍行で行く羽目になってしまった。私が時々柄にもなくお金のことを考えると上手くいったためしがない。結局帰りは新幹線で楽々帰ってきた。便利さを覚えてしまうとちょっとした事にもガマンガできなくなってしまう。若いころ京都、大阪など8時間くらいかけて行っていたことを思えば小田原までたった2,30分で行けるのは驚異的なのに。小田原の市役所に隣接する会場でのコンサートは私にとっては昨年に続いて2回目。他の大きい新しい会場はこの時期とるのが難しいらしい。地元の毎年決まったイベントなどで使うので、空きが無いそうだ。今日のリハーサルは6時半から始まって、ロンドンアンサンブルの人たちはすでに東京や各地で演奏してきたから馴れているが、途中参加の私には全部初めて。チェロのトーマスが今日は練習をしなくてもいいと言う曲も、私は弾きたいと言って結局全部通してもらった。彼は風邪をひいていて具合が悪い。でも私も風邪で咳が出るけれど、とにかく全貌を知っておかないと心配だから、無理やり練習をしてもらった。明日は新幹線で行こう。湘南新宿ラインは私が乗るといつでも事故やなにかで遅れる。私に恨みでもあるのかしら、まったくもう。

2012年12月19日水曜日

ノラが行方不明

昨日の夜までは確かにいた。帰ってきて車を駐車するのをじっと見ていたから。いつも朝の冷えに備えて、なるべく夜遅く湯たんぽを温めてあげるようにしているけれど、昨日は風邪気味なので早めに10時ころ湯たんぽを取り替えに行った。その時餌もおいてきた。今朝早く冷えた湯たんぽを変えてあげようと物置に向かって声を掛けたら、いつもならのそりと出てくるのが出てこない。さては寝坊しているのかと覗いたらいない。しかも寝た形跡もない。餌は・・・餌の容器ごとない。そんな馬鹿な。昨日確かに餌の入れ物にカリカリを入れておいたのに。餌が無くなっているのならほかの猫が食べたかもしれないけれど、容器まではなくならない。人の手が加わったかもしれない。とにかく今朝の餌を置いてきた。しばらくして行ってみると、餌が半分になっていた。誰かが食べている。でも、うちのチャアではないかもしれない。時々巨大なこのあたりのボス猫が徘徊していることがある。声をかけても返事がない。あしたから小田原通いだから、十分に世話をしてあげられないかもしれない。その間に近所の家に迷惑がかかると困るから、所在を確かめておかないと気が気ではない。困ったなあ。早く手なずけて家に入れようと思っているのに、中々寄ってこない。先日手の届くところにお尻があったから、さっと触ると逃げて行った。ちょっと早まったかも。もう少し油断するようになるまで待てばよかった。それからは又警戒して近寄ってこない。これだけ長い間世話しているのに心を開かないのは、どこかでよほど嫌な目にあったにちがいない。うち猫のナツメなんぞはひょいと抱えたらしっかりとつかまってきて、2キロくらいの道のりをだっこされてうちに来た。その間嬉しそうににゃあにゃあ鳴きながら。単純で無邪気で、こういう性格が幸せになる秘訣かもしれない。

2012年12月18日火曜日

ケアハウスのクリスマスコンサート

時々訪問コンサートをしている府中のケアハウス。毎回ピアノのSさん、ヴィオラのFUMIKOさんと3人で演奏してきた。辣腕マレージャーはFUMIKOさんの親友Tさん。このケアハウスは玉川上水をどんどん遡って行くと、雑木林や並木のある気持ちの良い環境にあって、建物は広い庭に面して建っている。春は桜、秋は紅葉、冬は雑木林が落葉して陽射しの気持ち良い環境にある。春に行った時には桜がまだ咲いていなくて「桜はまだかいなコンサート」になってしまった。今回は「紅葉は済んじゃったコンサート」又は「落葉コンサート」しかし、落葉はいかにも身に沁みるので、「済んじゃった」または「正月待ち」とでもしておこう。いつもお世話になっている3人にささやかなクリスマスプレゼンを持って出かけた。他の人たちからもプレゼントを戴いた。傑作なのは「ねこまた焼酎」石鹸で出来た巨大な鯛など。演奏は初めのうちは順調だったのに、途中でケアハウスに住み着いた猫が聴衆に交じって聞き耳をたてはじめたころから気が散っておかしくなり、「ケーゲルシュタットトリオ」は時々迷子になってしまった。そこは長年この仕事やっている古狸だから、うやむやのうちに又わからないように戻ったり、すまし顔で何事もなかったように終わったけれど冷や汗タラリ。白い大きな猫は今年の春に、このケアハウスに迷いこんできたらしい。まったく猫って一番居心地のいい場所を見つける天才なんだわ。私は昨日の練習までは多少疲れが溜まっていたものの、さほど調子は悪くなかったのに、夜に入ってから咳がひどくなってしまった。今朝ケアハウスに行く前に行きつけの耳鼻科で診てもらって薬の処方箋をもらった。なんだかやたらに眠い。時々風邪をひくのは体の調整だそうだから悪いことではないらしい。今年のコンサートはあと1回、小田原のロンドンアンサンブルのコンサートを残すのみ。ほんの数年前まではこの先連日休む間もなく、大晦日の11時45分まで働いていたなんて、なんだか遠い昔の事のような気がする。

2012年12月17日月曜日

久しぶりのカレー付き練習

ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラの編成でよくトリオを演奏している。ふつうはピアノトリオはヴィオラでなくチェロだから、出来る曲はそう多くない。それでもチェロをヴィオラパートに編曲して出版しているものもあり、ブラームスやベートーヴェン、モーツァルトなどはかなりヴィオラでも演奏できる。そしてこのトリオの厳しい掟としては、私の家で練習するときは駅からカレー屋さんに直行、3人でカレーを食べてから練習をするので、今日も掟にしたがって12時にカレーランチが始まった。このカレー屋さんはインドかスリランカかその辺の人がやっているので、いわゆる日本のカレーとはちょっと違うけれど、大変おいしく、ランチタイムは大賑わい。近所の主婦やママとも達が大集合してかしましい。私たち3人も心置きなくかしましくしゃべってから家にたどり着くと、手土産に頂いたどら焼きをパクついた。どら焼き好きで有名なFUMIKOさんは度々自分のブログでどら焼き好きを表明しているので、あちらこちらから頂戴するらしい。今日はおすそ分けに頂いたものを、餡の種類を巡っての醜い争いをしながら美味しくいただいた。練習曲目はモーツァルト「ケーゲルシュタットトリオ」「ヴァイオリンヴィオラのためのシンフォニーコンチェルタンテ」そして各々のソロの小品等々。今回はそう肩ひじ張ったコンサートではないものの、やはり人前で弾くとなると真剣に練習しないといけない。練習は厳しくても、そのあとのお茶タイムが楽しい。こうして仕事をリタイア(したつもりはないけれど、仕事はたまにしか来ない)した後も演奏出来て、一緒に合わせてくれる仲間がいて本当に良かった。当分カレー屋さんにも行けるようにこのアンサンブルが続きますように。

2012年12月16日日曜日

クラシックパーティー

音楽教室「ルフォスタ」が数か月に一度開催するのが、サロンで演奏するミニコンサート。参加は内外自由で教室の生徒に限らず参加できる。外部からネットで申し込むことも出来る。会費も安い。パーティーと言うから飲み物やお菓子も用意されている。今日は中井の「パパゲーノ」が会場になった。みな上手い下手も、老いも若きも区別なく、自分の弾きたい曲を持ち寄って弾く。いきなりその場で伴奏をつけてもらえる。前もって伴奏合わせをしたい人は、申し込めば合わせてもらえる。だから発表会の前は度胸試しともなるし、一度の本番は練習の何倍もの勉強になるので、私は曲が出来上がっていようといまいと、生徒に出てもらいたいと思っている。そこでボロボロになってしまうと、どれほど練習が不足しているかがよくわかる。一度や二度上手く弾けても本番に上手くいくと言うことはほとんど絶望的。かなりの頻度で良く弾けても、まだまだ。練習120%くらいの出来でも、本番は90%くらいと思った方がいい。たまに、ほんとに稀に、練習の時にできなかったことが出来たりすることがあるが、それは何かの間違いと思った方がいい。練習量は必ず本番で露見する。私なぞはどれだけつかえずに弾けようと、心配でたまらない。繰返し繰返し何回でも弾いて弾いて弾きまくって、ようやく本番に臨む頃には疲れ切ってしまう。今日は私の元の生徒や、教室の生徒、自宅の方で教えている生徒が参加してくれた。それぞれ頑張って弾いたので、今年の良い締めくくりとなった。弦楽アンサンブルのメンバーも来ていて、なにやらいつの間に「来年の新年会は先生の家ですることになりました」だと。なにい、勝手に決めるな、家主に無断で。でも久々に我が家で飲み食いしながら楽器を弾き、合奏を楽しむ、ミニクラシックパーティーが実現するのか。実はクラシックパーティーは我が家のこのどんちゃん騒ぎが端緒なのだ。教室のほうは飲みながら弾いたりしないし、初見で弾いたりもしない。うちのはハチャメチャで、酔っぱらっていようと初見でどんどん合奏させる。今音大生の元生徒は、あれで楽譜を読むのが早くなったと言ってくれる。それに音楽、合奏の楽しさを覚えたと言う。音楽の喜びはこんなところから入っていけばいい。

ダブル山田

雨模様の昨日土曜日、南青山の素晴らしいマンションの一室で、ロンドンアンサンブルのプライベートなコンサートが行われた。仕掛け人はこの豪華な部屋の住人の山田さん。ご本人の許可なく実名を出すのはいかがなものかと思われるけれど、お名前を出さないとこの題名が意味不明になるので、お許しいただきたい。今を去るウン十年前、ヤマハホールでピアノの発表会があって、先生は笈田光吉さん、日本のピアノ界で初めてドイツに留学したと言う方で、その生徒であったお嬢さんが山田さん。子供たちがステージに出渋っていると「はい、いってらっしゃい」と優しく背中を押してくれたお兄さんがいた。そのお兄さんの名前も山田さん。そう、わが「雪雀連」の会長の山田宏さんだった。このnekotamaが縁となって山田さん同士が再会した話しは、すでにお読みいただけたでしょうか?そこから私とつながり、そしてロンドンアンサンブルのコンサートにと発展し、とても贅沢なコンサートが実現した。集まったのは山田さん・・・・宏さんと区別するためにY子さんとしよう・・・・のお父様とご近所、お仲間、そして私の友人や生徒たちなど、約40人。クリスマスカラーの赤と緑でセンス良く飾り付けられた部屋で、彼らの演奏を間近に聴き、見ることの出来た人たちは心から演奏を楽しんでいた。演奏の後はケイタリングのプロがご馳走を運んで会食。それぞれのテーブルに演奏者が混じって話が弾んでいた。演奏者たちはどんなときにも全力投球で、マンションの部屋だから少し音を控えめにと言うY子さんの要望もおしまいにはかき消えて、ステージさながらの演奏になった。今回使ったピアノが実は山田さん同士を結びつけることになったポイントで、ピアノが古くなってメンテナンスを頼みたいので調律師を捜していたY子さんは、かつて背中を押してくれた調律師さんを思い出し、ぜひあの方にやってもらいたいと言うので探していたらしい。巡り合ってみて驚いたことに、このピアノの調律の記録の中に山田宏さんの名前があったそうだ。蜘蛛の糸を手繰るようにした結果が今回のコンサートになり、縁と言うものの不思議さに感動した。ウオールナット(というのか)の美しいピアノは中身も全部新しくなり、これから第二の人生を生きて何十年も音を響かせていく。Y子さんは今チェロを習っているけれど、せっかくのピアノも毎日弾いてもらいたいと願っている。弾いてこそ楽器は生きていけるのだから。

2012年12月14日金曜日

うちはボロボロ

築15年経過。私の家はろくに手入れも掃除もされない可哀想なうちで、駐車場の柱が破けている。破けるとはいったいどんな状態かと言うと、配管と建物の柱が一緒になっていて、その管を見苦しいので隠すように板で囲い、その上から塗料が吹きつけられている。その板が破けてみるまではわからなかったが、安っぽいベニヤみたいな薄い板。そこに白い塗料が盛り上がっていて、すごく頑丈そうに見えたのに、どこかの悪がきが蹴飛ばしたら、あっけなくひびが入ってしまった。ひびは日々拡大して(座布団ください)剥がれ落ち、中の配管が丸見え。ここを建てた工務店に連絡しても電話に誰も出ない。会社に行ってみると薄暗くひと気が無い。帰ろうと思ったら中から社長がフラッと出てきた。話をすると今奥さんが大変な状態で毎日病院通いとのこと。でも、会社なら従業員がいて電話の応対くらい出来そうなものといぶかしく思ったが、気の毒なので話だけして帰った。直しに行きますよと言うので待っていたら、ひと月たっても音沙汰がない。もう一度会社に行くとすっかり電気も消えている。周りに尋ねるともう営業していないとの事だった。なんで、そう言わないのだろうか。魂の抜けたような社長の顔を思い浮かべた。倒産?仕方がないから別の会社に連絡。見積もりにやってきたのにそれからまたひと月連絡がない。ま、いいか。家がぼろなのは平気だから。お隣やお向かいはほんのちょっとしたことでも工務店の人が来て、いつもピカピカ。それに引き替え我が家は可哀想。いつかきれいにしてあげるからね。でも野良猫が今駐車場に住み着いているから、工事をするとおびえてしまう。春になるまで待ってもいいかな。他にも野良猫用のヒーターを使うためのコンセントの設置とか、物置の取り替え、外壁の防水など頼んであるのに、一向に音沙汰なし。師走にこんな半端仕事はできないと放り投げられているに違いない。お正月も汚いままで迎えるのか。柱の破けた家にバンパーのグニャリと潰れた車。汚い物置。野良猫の餌の残りに、落ち葉の吹き溜まり。しかし、なんか落ち着くなあ、こういうのって。

2012年12月13日木曜日

ロンドンアンサンブル東京公演

上野、東京文化会館小ホール
フルート、ピッコロ、尺八、アルトフルート、バリトン、編曲 
                リチャード・スタッグ
ピアノ            松村美智子
ヴァイオリン        タマーシュ・アンドラーシュ
ヴィオラ           ジェニファ・ディアー
チェロ            トーマス・キャロル

モーツァルトの「フルート四重奏」を皮切りにエルガー「チェロコンチェルト」マーラー「ピアノ四重奏」
休憩後はリチャードの尺八で「一二三」ハルヴォルセン「パッサカリア」バルトーク「ルーマニア民族舞曲」ホルスト「惑星」より「木星」最後にスメタナ「我が祖国」より「高き城」「モルダウ」「シャーカル」
盛り沢山なプログラムだったが最後まで飽きさせないのは、彼らの高いアンサンブルの力。ずば抜けた技術と豊かな音楽性は賞賛に値する。一人一人の技術の確かさのお蔭で心から楽しめるコンサートになった。この数日彼らと共に過ごしたが、素朴で明るい、そして少しシャイな人柄、何をしてもとても感謝されて、そんなに大したことしていないのにと、こちらが恐縮したほどだった。最後まで聴衆をひきつけ、満員の聴衆から大きな拍手を受けてアンコールに演奏したのはエルガーの曲を2曲。特に最後はお国の誇りともいえる「威風堂々」だった。これは途中からリチャードお得意の歌が入って、バリトンの深みのある声が会場に響いてやんやの喝采を浴びた。私たちもついつられて歌いはじめ、手拍子が会場から沸き上がった。シャイな英国人と同じくシャイな日本人にしたら、すてきな盛り上がり方だった。特筆すべきは我らが「古典」の新谷絵美さんがこのたび文化会館で打楽器奏者としてデビューしたこと。「木星」の中にタンバリンのソロがあって、それを受け持った。彼女はピアノの譜めくりを務める合間にタンバリンを叩くように言われて緊張していたが、そのリズム感の良さが発揮された。初めて私の家で合わせた時、彼らからパーフェクトの声が揚がったほど。大きな人たちの後ろに控えて叩いている姿が可愛いくて、ついそちらばかりを見てしまった。小田原では私のヴィオラがこのバランスを壊さないようにしなければいけない。荷が重いけど、がんばります。

2012年12月12日水曜日

弓の重さ

多摩川沿いに車を走らせていると、きれいな富士山が見えた。このところ好天続きで冷たい風が心地よい。私は暑いのが嫌いで、スキーをするせいか冬が大好き。久しぶりに荻窪方面のピアニストのSさんの家に行く。府中のケアハウスでの演奏のためのリハーサル。モーツァルトの「ケーゲルシュタット」ベートーヴェン「ロマンス」モーツァルト「シンフォニーコンチェルタンテ」等々。ヴィオリストのFUMIKOさんのお誘いで始まったこのコンサートも定例になりつつある。寝たきりや半分眠っているような人もいる中で、ニコニコと楽しそうに聴いてくれるひとを見ると、こちらも嬉しくなる。いずれ自分もそうなるだろうと思うと、人が来て音楽を聞かせてくれたら、どんなにうれしいかと思うとやめられない。人間の最後まで残る感覚は聴覚だと言うことをよく聞く。私たちの演奏を毎回とても喜んでもらえる(らしい)ので、それと二人の気持ち良い仲間といっしょに演奏できる喜びと合わせて、自分が演奏できなくなるまでは、この訪問は続けたいと思っている。今ロンドンアンサンブル小田原公演のための練習で数日ヴィオラを弾いていたので、ひさしぶりに持ったヴァイオリンの弓の軽さにとまどっている。弓の重さが違うので微妙なバランスが中々とれない。若いころには一つの演奏会でヴァイオリン、ヴィオラを使い分けて弾くことは難なくできた。今となってはそのわずかな重さの違いに対応できるようになるのに時間がかかるようになった。面白いことにはヴァイオリンからヴィオラに移行するのは比較的簡単だが、ヴィオラを弾いた後でヴァイオリンを弾くのが難しい。ヴィオラを弾くときには腕の重みをどっしりと弓にかける。そしてヴァイオリンに移ろうとすると、つい、重みをかけすぎてしまう。いかに力加減を調節することが難しいか、思い知らされる。反対にヴィオラを響かせるのは相当な力がいる。ただでさえ小柄な私が大きなヴィオラを顎にはさんで、奮闘する姿は見ものですぞ。ご覧になりたい方はどうぞ、小田原まで来てください。一見の価値あり。

2012年12月11日火曜日

小沢昭一さんの訃報

時はバブルの頃、フリーの私は結構な売れっ子で、都内を車で走り回っていた。私たちの仕事はあまり早い時間には始まらないから、大抵は午後から移動が始まる。運転しながら必ず聞いていたのがTBSのラジオ番組で、目的は道路交通情報だったけれど、その間の番組も楽しく聞いていた。子供電話相談室と言うのがあって(今でもあるかな?)それが終わると「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という番組になる。この番組は1万回を超える長寿番組となった。わずか15分ほどの短い一人トークの面白かったこと!ちょっとたそがれたおじさんのつぶやき。語りの間合いや声の変化など、さすがと思える名人芸だった。多彩な話題とすこしエッチな中年男性の本音がこの上なくユーモラスで、運転しながらコロコロと笑い転げていた。そうか、亡くなったのか。東京新聞の記事には(博覧強記、多芸多才に人脈の厚さが加わり、小沢節を完成させた)とある。小沢さんは80を超えたころ「残り時間は一生懸命でないことをやりたい」又「やりたいことはありません。すべてが道楽の人生でしたから」と言ったそうだ。これこそ小沢さんの真骨頂。放送大学で一時期「日本の芸能」という講座を持ったが、その時も大学の授業と言うよりは、バナナ売りの口上を登場させたりして、面白い番組をみているかのようだった。しかめつらしく構えるのがいやだったのだろう。勘三郎の死は大きなショックだが、それにもまして小沢昭一の死は私にとっては悲しい。決して飾らず気取らず、自分の業績はひけらかさないで飄々と生き抜いた、小沢さん、いや、先生(私は彼の講座を受講したので)のご冥福をお祈りします。

2012年12月9日日曜日

早くも忘年会

文教シビックで音楽教室の室内楽の練習を終えて、いつもならそそくさと帰ってくるのに、今日は生徒たちと近くのお好み焼き屋さんで忘年会となった。練習は月一だから、今日でこのアンサンブルは今年の練習おさめとなる。総勢13人、鉄板のあるテーブルを囲んで大いに盛り上がった。ここのお好み焼き屋さんは36年続く金太郎と言うお店で、全国に300店舗あるうちの元祖がここであるとは、ご主人のご自慢の弁。成程、他のお好み焼きと比べ味が格別良い。そして生まれて初めてもんじゃ焼きと言うものを食べた。よくテレビの映像でドロッとしたきたならしい混ぜ物を焼いて食べるのを見ているので、あまりもんじゃにたいする印象は良くなかったが、ここのは見た目も味もとても良いので、やみ付きになりそう。弦楽アンサンブルは元私の生徒だった後藤さんが始めたもので、彼の熱意で10年、今ではメンバーも揃い、とても人柄のよい人ばかりが集まって成長してきた。初めは生徒の自主運営に任せていたけれど、その内教室が介入して教師が指導するようになって、始めのうちは私に「この世の物とは思えない音」とくそみそにけなされながらも頑張ってきた。どこのグループでも人手が足りなくて悩みの種であるヴィオラとチェロが充実している、贅沢なアンサンブルとなった。子供の時から楽器を弾いている人もいれば、仕事をリタイアしてから始めた人もいて、それぞれの出来る範囲で楽しみ、練習が終わると毎度酒盛りをしているらしい。練習でどんなにしごかれても皆ニコニコしているのは、そのあとの楽しみに期待しているからだわね。みんなの秘密がこれで露呈したのだ。よし、来年からはもっと厳しくしよう。あとのビールがもっと美味しくなるように。

閑散

ロンドンアンサンブルの人たちの練習は我が家で3日間行われ、その間、彼らの送り迎えや食事の世話、あげくに恋人に電話するための携帯のプリペイドカードの入手など、大忙し。私は去年一日だけ一緒に弾いただけのことなのに、いつの間にかどうしてお世話をする羽目になってしまったのかよくわからないが、これが美智子さんの力なのだ。周りの人たちにお願いする風でもなく、電話で延々としゃべっているうちに色々なことを承知させられてしまう。昨日長崎に向けて出発する彼らを羽田まで送って、そのあと、疲れ果てて昼寝はおろか、夜もぐっすり寝てしまった。今回我が家の近くのマンションのゲストルームを彼らのために提供してくれた信子さんと「どうして私たちがこんなにお世話することになってしまったのでしょうね」と言って笑いあった。でも、ロンドンに行った時には美智子・リチャード夫妻には10日間大変お世話になったので、ほんの少しの恩返し。彼らは私たちが彼らの家に泊まっている間、ピアノの練習もパソコンでの編曲作業も不自由したのだから。巨体がゴロゴロいた一昨日までと打って変わった、ひっそりとしている部屋で久しぶりに自分の練習ができた。これから小田原の公演に向けてヴィオラを練習する間にも、時々ヴァイオリンのご用もあって体が混乱している。去年よりはヴィオラも良く鳴るのは弦の選定を変えたからで、去年の今頃痛みと左足のしびれに泣かされた股関節の故障も治った。コンディションはまあまあだけど、リチャードの編曲のヴィオラパートが去年より格段に難しくなったので、譜面と格闘している。今すっかり静まり返ったレッスン室は早く練習しなさいとせっついてくるけれど、ゾウさんのような巨体とにぎやかな笑い、鳴り響く音のなくなった後は寂しく気が抜けてしまった。大勢いた子供たちが家を出て行って残されてしまった親のような気分。いればうるさいけれど、いなければさびしい。ガクタイ(と私たちは言う)は言葉が違っても楽器さえ持てば全く違和感がない。単純で朗らかで美味しい物が好きで、もちろんきれいな異性が好きで、こよなく音楽を愛する共通項を持っているから。

2012年12月6日木曜日

おお、忙しい

今朝は2日と同じ家庭コンサート第2弾。大森のYさん宅にて。プログラムは同じだけど、その日のコンディションによって、微妙に出来が変わる。今日は一回目よりも少し集中力がなかった。2回目になると欲が出てきて無心に弾けないのはどうしてだろう。ちょっと、消化不良気味な演奏になってしまった。しかも終了したのが13時なのに、私はロンドンアンサンブルのメンバーに13時に宿泊先に迎えに行くと言ってしまった。がーん!彼らはマンションのゲストルームに泊っていて、連絡するにはそこのマンションの住人に電話すればいいことになっていた。しかし、今日はその住人が出かけたので、連絡の取りようがない。仕方がないから待たせてしまおう。13時40分頃到着。待ちかねていた彼らはお腹が空いているらしい。私のうちに来てから、なにか食べたいと言うのでお弁当を買ってくることになった。彼らは練習があるから私が買ってくると申し出て、大急ぎでデパ地下へ。鳥のからあげとおこわを買い込んで、うちにあったキャベツをザクザク切って付け合せてあげると、美味しいと言って気持ちが良いほどムシャムシャ食べてくれた。イギリスではあまり生野菜を食べる習慣がないらしい。日本のキャベツは甘くておいしいと言って喜んでいる。ひとにものを食べさせるのが大好きな私はこうなると張り切ってしまう。明日のランチも用意するわよと、余計な世話を買って出る。明日はうちの近所の総菜屋さんのコロッケが美味しいから、キャベツと一緒に出してあげよう。夕方から音楽教室の仕事があって出かけた。だから今日は送って行ってあげられないから又明日ねと言って出かけようとすると、おっと、忘れ物。取りに戻って又バイバイして、又忘れ物。大事なメガネを忘れたけれど、もう戻りたくないからその辺にあった拡大鏡を掴んで出かけた。昨日も今日も忙しかったなあ。素敵な音が聴けるし、彼らはとても良い人たちなので嬉しい忙しさではあるけれど。

2012年12月5日水曜日

ロンドンアンサンブル練習開始

今朝日本に到着したばかりだと言うのに、彼らはもう練習を始めた。宿泊先のマンションから車で我が家まで10分位。いっしょにお寿司を食べてから、彼らは仮眠を取った後集合した。私のレッスン室はやわながら一応防音は施してあるので、楽器の音が外に漏れることは稀だけど、なんと、壁を突き抜けて外にかすかに聞こえるのには驚いた。明らかにチェロの音がすごい。やはり床を伝って建物中に回るからだと思うけれど、今まで家に来たチェリストでこんなに凄い音がする人は初めて。ヴァイオリンのタマーシュも腹の底から出るような音を出す。彼らの血が持っている音のような気がするのは、ひがみだろうか。

2012年12月4日火曜日

風邪をひく前は

日曜日のコンサートが意外とハードだったらしく、昨日はどっと疲れが出たので、いつもの中国整体で体をほぐしてもらった。この先生が中国では外科医だったので、体の構造を知り尽くしている。とても的確で心地よい治療が受けられる。最後にはぐっすり寝てしまうのがいつものことで、昨日も目が醒めるともう夕飯時。さてうちに帰って食事の支度をと思っても、億劫でいけない。目に付いたのは安い多国籍料理屋さん。中国、韓国料理、どちらとも言えないお店で、チゲ味噌なるものがある、どんなものか食べたことが無いので興味がわいた。寒い雨が降っているし、温まりそう。メニューをみたら餃子セットがあって、餃子もこの頃食べていなかったので、それを注文した。チゲ味噌はキムチなどの入った味噌鍋にラーメンが入ったもの。ラーメンだとはおもわなかったから、ご飯も注文するところだった。それをムシャムシャ平らげ、餃子もバリバリと食べてなんだか今日は食事が進むなあと思った。実は昼間中国人の友達と6年ぶりに再会して、ファミレスでお肉を沢山たべたのに、またこの食欲。これは怪しい。いつもはかなり食事も粗食でいるので、こんなに食べる時にはなにかあるに違いない。今朝起きたら体中がむくんでいて、顔が真ん丸になっていた。頭が重い。目がふさがっている。ああ、やっぱり!風邪の前兆。私はとても元気なのに、体はあまり丈夫ではない。子供の時からなんやかやと病気をし続けている。それでどんな時にはどこが悪いと言うことが大体わかる。これは腎機能の低下にちがいない。そして鼻がムズムズするのは言うまでもない。風邪をひきかけている。風邪をひく前はいつも以上に食欲が亢進するのはなぜなのか。体が自衛本能で体力をつけなければと身構えるのか。それとも食べ過ぎた結果、体の機能がにぶくなって風邪をひくのか。因果関係はわからないが、とにかく私は風邪をひくまえにやたらに物を食べる。それもいつもは食べないもの、例えば、フライドチキンとかハンバーガーとか、普段食事として食べないものがやたらに食べたくなったら、これはもう風邪ひきの前兆。日ごろ野菜を沢山摂るのに、こんな時には肉食系になってお肉しか食べなくなる。これは一体どういうことなのでしょうね?

2012年12月2日日曜日

家庭コンサート

馬込のYさん宅にて。Yさんは私の古いアンサンブルの仲間でピアニスト。今から何年前になることか・・・鳩山寛さんのグループで弾いたり、ローラ・ボべスコの前で演奏させてもらったりと、よくお付き合いしていた。最近はしばらく会っていなかったけれど、ある日電話がかかってきて懐かしい声を聞いた。それはYさんの実家のご両親が無くなって家が空き家になっているので、そこでコンサートをしたいのだけど弾いてもらえないか、という依頼だった。お母様が生前、このうちをなにか文化的なことに使ってほしいとおっしゃっていたそうで、その御遺志を継いでのことだった。それはとても素敵なことなので二つ返事でOKしたものの、このところオーケストラの練習やロンドンアンサンブルの来日を控えてヴィオラを弾いたりするので、はたして演奏の方が上手くいくだろうかと心配ではあった。お客さまは一度に沢山入りきらないので二日に分けて、今日と6日に決まった。初めはベートーヴェンの「ソナタ8番」後はクリスマスシーズンと言うことでシューベルトとグノーの「アヴェマリア」など小品を揃え、締めくくりは「チャルダッシュ」目の前に聴衆がいるのは結構緊張するもので、それでも熱心に聞いて頂いて、非常に楽しいコンサートとなった。そのあとはお客様たちとランチをご馳走になった。それがYさんの妹さんと2人の御嬢さんの手料理。と言っても普通の家庭料理ではない。本格的なものでメニューを紹介すると
食前酒はイチゴのカクテル
ビーツのムースゆずの香り
ほたてとあまおうイチゴのマリネサラダ
北海道産ブロッコリーのポタージュ
サーモンの低温料理ベーコンクリームと共に
ごはんと菊花のお椀
モンブランのクレープ
コーヒー
音楽の話よりも熱心になってしまうのは、音楽家はみな食いしん坊だから。特に低温料理と言うのを初めて食べたけれど、生でも食べられるような新鮮なサーモンを砂糖と塩をまぶし寝かせ、そのあとハーブのオイルに漬け込み、42,3度の低温の油で揚げるのだそうだ。ほとんど生のように見えて生ではない。本当に美味しかった。しかも時間もゆっくりかけていただけるし、庭を眺めながら自宅にいるような雰囲気でいられる。コンサートを聴いた後にゆっくりとするランチ。これは弾く側でなく、ぜひ聴衆の側に回りたい。

2012年11月30日金曜日

ギャラリーパーティー

今日はアート狂いの「雪雀連アートで遊ぼう展」のギャラリーパーティー。このグループには凄腕の料理上手がいて、プロ級の料理が食べられる。一人は故岡本忠成氏の奥様のさとこさん。彼女は御菓子造りの名人で、元々プロとして作っていた人。もう一人は織物作家の小形さん。うちのお花見の時も、いつも素晴らしい料理を持ってきてくれる。今日もカナッペの材料をすべてひとりで作って、持ってきてくれた。それを皆で手分けしてパンに塗って彩もきれいな大皿が3皿。それとさとこさんの手作りのマドレーヌと揚げた野菜、カレーを皮で包んで揚げたサモサなど。私はデパ地下でサラダを買ってごまかす。お酒の係りも私。ワインやビール、日本酒を酒屋から届けてもらった。グループのメンバーはそれぞれバリバリと仕事をしているだけあって、その手際の良さには目を見張る。2時に集まって準備を始め、3時半にはすっかり完了。4時前からパーティーが始まった。昨日までの閑古鳥が鳴いていたギャラリーは一転してにぎわって、私の絵の指導をしてくれた高木画伯、FUMIKOさん、ピアニストのSさん、音楽教室の生徒も来てくれた。思いがけないつながりで懐かしい顔もちらほら。小形さんの織物はいつも好評で、今回も作品の多くのマフラーがメンバーのクビに納まって、皆嬉しそうに帰っていった。私も一枚お買い上げ。赤に微妙な黒や青が混じっている素敵な物をゲット。初めから狙っていたのでうれしい。明日で作品展はおしまい。このグループのメンバーはとにかく良く遊ぶ。遊びとスキーの合間に仕事をしている。その仕事も高齢にもかかわらず第一線で活躍している人が多い。会長の山田さんは81歳でも、重い調律の道具を入れたカバンを持って、連日飛び回っている。私と言えば、人生遊びだけ。なぜならヴァイオリンを弾くのもずっと遊んでいたような気がする。楽しくて楽しくて緊張はするけれど、つらいなんて思ったことは一度もないもの。

2012年11月29日木曜日

室町ギャラリーの住所が違っています。

先日ご案内した「雪雀連アートで遊ぼう」展の室町ギャラリーの住所が違っておりました。今日行った人が迷っていかれなかったそうです。もし、今までにそういう方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。お詫びに一献差し上げますので、明日のパーティーにぜひいらっしゃってください。本当の住所は
中央区日本橋室町1-13-10松崎ビル1階です。

日本橋三越のライオンを背中にしてまっすぐお進みください。2本目の細い道を右に行くとすぐに右側にあります。目立たないビルなので気を付けてごらんください。そのあたり一帯が大工事中で目印は全てなくなっています。明日16時からパーティーです。ご参加お待ちしております。

ミッケのお父さん

迷い猫チャアといつも一緒に餌を食べにくる三毛猫のミッケ。耳の先が切れているから不妊手術もすんでいるようだし、毛並みもとてもきれいなので、どこかの飼い猫だとは思っていたけれど、態度が野良猫っぽいので不思議に思っていた。夜中、近所の目を気にしながらこっそりと温めたカイロを持って駐車場に行くと、不審な人影が・・・。思わず身構えると振り向いた顔は気のよさそうな優しげな男性だった。「あのう、ここに来ている三毛猫ですが、2年くらい前からじゃないですか」「そうですね、去年ここに住み着いたノラと一緒によく来ていました」「実は家で飼っていた猫なんですよ」その人はボソボソと語り始めた。「3匹生まれて後の二匹はもらわれて、一匹だけ残ったので家から出さずに飼っていたけれど、毎朝茶トラのノラが来て誘うんです。(あ、それうちのノラだ)あんまり出たがるからつい出してやったら、はじめのうちは夕方になると戻ってきたので安心していたのです。でも、友達がいなくてさびしいからかと思って、他に2匹の猫を飼いはじめたら折り合いが悪くなって、そのうち帰ってこなくなったんです。茶トラのノラと楽しそうに仲良くしているのを時々見かけるので元気なんだと思っていました。たまには帰って来るので家にいれても又すぐに出て行ってしまうんです。前は私の布団で娘と一緒に寝ていたのに。そのうちほんとに帰ってこなくなったので交通事故にでも遭ったかと思っていました。ここで見つけた時は呼ぶと足元にまとわりついてきたんです。でも、体にさわるとフーッと威嚇するようになって、そのうち近寄っても逃げてしまうようになって。よほどどこかでいじめられでもしたんでしょう。」その人はしばらく猫小屋の暗闇を見つめてさびしそうに帰っていった。しかし、体にさわると怒るからと言って諦めないで、自分の猫なら無理にでもだっこして連れ帰ってくれればいいのにと、私は腹立たしい。なんで私が夜中に寒さに震えながらカイロの交換せにゃならんの。たぶん三毛はそんな飼い主を見限ったのだろう。だって、だんだん私には接近しはじめたから。うちの猫がもう一匹増えるのも時間の問題かもしれない。お父さん、しっかりしてね。

2012年11月28日水曜日

ニッセイバックステージ賞授賞式

昨日は雪雀連会長の山田宏氏が受賞したバックステージ賞の授賞式と記念パーティーが行われた。日生劇場のステージの上に受賞者も招待者も集まって、和気あいあいの式典となった。一人は舞扇の製作一筋、今年83歳の福井四郎氏。もう一人が我が山田会長。山田会長は東京下町育ち。福井氏は京都の人。対照的なお二人ではあるけれど、お二人に共通なのは若々しさ。そしていつも初心を忘れない謙虚さ。福井さんのスピーチで「まだまだ自分は満足はいかないので、これからも精進したい」というようなことをおっしゃっていたのが印象的だった。常套句であるかもしれないけれど、誠実そうなその風貌から本心での言葉と聞こえた。はんなりとした京都弁の福井さんとは対照的に、歯切れのいい江戸っ子口調で話す山田会長は、話術の天才でもあるので、会場は何回もどっと沸いた。大喜びで笑っているのは「雪雀連」のメンバーが主だと思うけれど、そのなかで文化庁から派遣されたお役人のいかにもお義理と言ったスピーチのつまらなさにはがっかりする。かれらは誰が受賞しようとまったく関係ないとは思うけれど、受賞の喜びを少しでも分かち合えないかと思う。自分は上から言われたから来てやっているので・・・的な態度はがっかり。ユーモアもウイットもない言葉は文化庁の文化の程度が低いことを表していないだろうか。いやしくも文化と名の付く仕事をしているなら、言葉も態度もそれなりのセンスがあってもいいものを。山田会長の経歴を見ると、普段は偉いおじさんくらいに思っていたけれど、名ピアニスト達の調律をしているのだ。ルビンシュタインなどという名前が出てきたのには腰を抜かしそうになった。ピアノの神様だあ。すごい!会長がいるだけで皆心が和み、演奏する前の緊張が和らぐのではないか、そういう人なのです。そのあとの祝賀パーティーには狭いお店に85人ほどひしめき合って、私たちの演奏する弦楽四重奏から始まった。挨拶も最小限であとは大いに語り合って、いつもの「雪雀連」のお祝いはお開きとなった。おめでとうございます。山田さん。

2012年11月26日月曜日

ギャラリーは閑古鳥

いよいよ雪雀連のメンバーによる作品展が始まった。今日の午後は私がギャラリーに詰める当番だったので、雨の中、よろよろと出かけた。冷たい雨はだんだん強くなって、世の中真っ暗みたいな嫌なお天気。こんな寒い日にわざわざ見に来て頂くのは恐縮だけど、物好きな身内がいて「はい、差し入れ」なんか言ってあったかいコーヒーなどが運ばれてこないかなあと妄想していたけれど、あいにく誰も来ない。そうだよね。素晴らしい作品がならんでいるならいざ知らず、私の猫の絵がいるようでは。でもね、搬入に立ち合わなかったので知らなかったが、保坂純子さんの素晴らしい人形が真っ先に目に飛び込んできた。買えば何十万もする大御所の力作が異彩を放っていた。その隣は童話作家の田畑精一さんの絵本の原画。彼の作品の「おしいれのぼうけん」は数多くの根強いファンがいるという。又隣にはNHKのマスコットキャラクターのどーも君がある。これは安彦よしこさんの作品。息子の岳ちゃんは生まれた時からの生粋の「雪雀連」っ子。真正面に展示されているのはアニメ映画の監督、故岡本忠成氏の油絵。だんだん下がって私の描いた白猫の絵。みなさん褒めてくれるが、私は絵を見る目があるから、やっつけ仕事はすぐ見抜く。これは時間をかけないで適当に描いた見本のような作品。色はきれいだから、ぱっと見にはインパクトがあるけれど、よく見れば基本の音階も弾けないでパガニーニを弾くようなもの。以後、絵を描くのはご遠慮しよう。それにしても退屈。閉店30分前頃、一人の男性が入ってきた。飛んで行ってお出迎え。しかし、その人は恐縮した様子で「あのう、何々画廊はどこでしょうか」なに!道を訊きに?誰がしるもんか、と思ったら一緒の当番のさとやんが親切に教えてあげている。お礼に一回り見るくらいの事はさせようと「どうぞ、ご覧になって行ってください」と招き入れようとしたら、「いやあ、もうすぐお終いで、今日はパーティーがあるので」と言ってそそくさと出て行ってしまった。けち!一回りしたって1分とかからないのに。

2012年11月25日日曜日

怠け者のすすめ

去年の今頃、私はひどい股関節痛に伴う足のしびれや歩行困難に悩まされていた。ちょうどロンドンアンサンブルが例年通り日本に来て、その送り迎えや練習のお世話をするはずが、立っていることも座っているのも苦痛だった。その間演奏する時も立てないと思って、椅子を用意してもらったこともあった。結局はうまくしたもので、本番になると火事場の馬鹿力が働いて立って弾けるとういう奇跡が起きる。そのほかの時には、寝ていても足のしびれが起きて大変つらかった。なぜそのようなことになったのか。様々な健康法が人口に膾炙しているが、中でもウオーキングは誰でもが推奨する。1日1万歩は歩くようにしなければならない・・・。所が私の年齢では、もはや1万歩は過剰な運動であるようだ。私の友人が律儀に毎日行った結果体調を崩した。私も去年体力作りのために歩きすぎて、前述の股関節痛になってしまった。治るのに半年ほどかかってしまい、その間の不自由だったこと。そして歩くのをやめ、ろくに運動をしなくなった昨今、非常に調子がいい。まず、ひざの痛みが消え、腰痛が治り、もちろん股関節は完治、体も柔らかさを取り戻した。なんであんなに頑張ったのか。より良い演奏をしたいがためだったけれど、逆に疲労が蓄積して、それでもなお頑張ったためだと深く反省して、それ以来したくない運動はしないことにしている。最近テレビでは様々な健康法が紹介され、何をどのくらい食べて、なにを呑んで、どんな運動をして・・・・。あーあ、大変。それより自分が気の付いた時にほんの少し運動した方が良い。義務で行うとその間つまらない時間を消費しなければばらばい、最近すっかり運動もやめ、ウオーキングもやめ、重い荷物も持たないようにしている。

関東学院大学管弦楽団定期演奏会

第8回目の定期演奏会。
ベートーヴェン「コリオラン序曲」
ビゼー「カルメン」より  
ブラームス「交響曲第1番
指揮 は安東先生、メゾソプラノ独唱は安東先生の奥様

去年トレーナーの新谷先生から、今度ブラームスの1番だからお願いしますねと言われた時には、えっ、本当にやるの?と驚いたけれど、今日は学生たちの底力を見せつけられた思いがする。なぜかと言えば、関東学院のオーケストラは出来てからまだ日が浅い、ようやく8年目になったばかり。そして今回のコンサートミストレスはヴァイオリンを初めて2年目のおじょうさん。あのソロを弾くのは並大抵ではない。大勢の中で美しく豊かに歌い上げるのは、プロのコンマスでも相当なプレッシャーとなる。大丈夫なのだろうか。しかし1年間コツコツと積み上げた練習が花開いて、立派にやり遂げた学生たちに拍手を送りたい。何よりもここの学校に来て学生たちの礼儀正しさ、明るさと誠実さに感心する。校風なのかもしれないし、特にオーケストラに限ったことではないのかもしれない。穏やかで思いやりのある人たちは社会に出てもきっとうまく周りと協調していけると思う。それがオーケストラに生かされている。特に飛び抜けて上手いと言うわけでなくても全体がまとまることが重要だから。一年に一回、ここの学生たちに会うのが楽しみになっている。来年はチャイコフスキーの5番だそうで、もう私も心配はしない。きっと又熱演を聴かせてくれるに違いない。惜しいことにこちらがどんどん年を取って指が回らなくなることだけが心配の種です。

2012年11月23日金曜日

してやったり

かつて長いこと帝国ホテルの結婚式の披露宴で演奏する仕事をしていた。どの宴会も退屈で長ったらしく、新郎新婦そっちのけの政略結婚のような感じがしていたので、実は今日の披露宴も、もしかしたらそうなるかと危惧していた。友人の息子さんの披露宴。友人は先日イギリス旅行を一緒に楽しんだ美里さん。ご主人はある種の家元というか、江戸時代から同じ職種を代々受け継いでいる家系なので、その息子さんもいずれはその家業を継ぐことになる。結婚の披露と後継者としての息子さんを紹介する意味合いもあるパーティーだから、招待客も政財界の人が多い。なんと350人を超えるゲストが集まった。そんなわけでどちらかと言うと長いスピーチとか、新郎新婦に全く関係のない話が延々続くことを予想していたのが、うれしいことに予想ははずれた。始めのうちに元総理大臣が挨拶を済ますと、あとは余計なスピーチもパフォーマンスもなくて、テーブルに同席した人たちとゆっくりお話とお食事が出来るよう配慮されていた。食事は本当に美味しかったけれど、帝国ホテル一番のお勧めのローストビーフはあまりにもコクがありすぎて、粗食に馴れた舌には負担が大きすぎた。口に入れるととろけるような食感は逸品と言えるのだが、もういけません。半分以上残してしまった。恨めしい、これ以上こんな上等なものは胃がうけつけない。涙を呑んでお皿を下げてもらった。デザートの頃に新郎とその友人たちが演奏を始めた。彼らは慶応のワグネルソサエティーの卒業生で私の元生徒も交えて弦楽合奏を披露した。慶応のオーケストラは実に上手い。そのなかでも新郎はソリストとしてブルッフのコンチェルトを弾いたくらいの腕前を持っている。先日美里さんから昔の写真をもらった。それは新郎が赤ちゃんの時に私が抱っこしているもの。その赤ちゃんがこんなに立派になって警視庁のサツ周りをする新聞記者として活躍している。新婦はJRの幹部候補生として現場研修の最中で、なんと中央線の女性運転手をしているそうだ。一度その勇姿を見てみたい。和気あいあいのうちにお開きとなって、ほのぼのとした気分で帰ってきた。大騒ぎだった私のドレスも、今日のためにがべさんというアクセサリー製作者に作ってもらったネックレスも大好評。周囲のいわゆるフォーマルドレスの美しいけれど没個性的な中で、森英恵のドレスをちょん切ったものと、安いけれどオリジナルのアクセサリーで、してやったりだね。

2012年11月20日火曜日

充電式カイロ

うちのパソコンの変換は本当に変。「じゅうでんしき」と入れたら普通なら「充電式」と出るでしょうが。それが「充電指揮」と出た。いちいちとんでもない変換と付き合うので、すっかり忍耐強くなりました(うそ。ますます短気になっている)
さて、野良猫たちの寒さ対策に去年までは電子レンジで暖めるカイロを使っていた。袋の中身はジェルで、それを暖めるとしばらくは暖かいけれど、せいぜい5時間も持てばいいほう。寒い物置ではたぶん3時間くらいで冷えてしまうと思う。いろいろ探していたら、充電指揮の(ほら、又)カイロと言うのを見つけた。電子レンジで暖めるものは、去年袋が破れて熱くなったジェルがこぼれ、足を大やけどしたので、今年は違うものをと思って早速購入。(「ちがう」を変換したら「地がう」だって。どんな意味?)しかし、これは全くの役立たずだった。要するに充電して暖めるのは中に入れたお水だったのだ。お湯が寒い戸外で暖かいのはせいぜい1時間保ったらいいほう。タオルにくるんでもすぐ冷たくなってしまう。冷たくなるのは気温にあわせてどんどん冷えるから、3,4時間後に行って見ると、もう役に立たない。裏の方がかすかに暖かいだけ。だからジェル方式の物の下に入れて両方で暖めあえば少しは長持ちするかと思っているが、それだってどれほどのものか。逆にジェルの熱を奪ってしまうかもしれない。充電指揮(ほら、これだ)のストーブがあれば良いと思って探したけれど、それは見当たらない。結局石油ストーブが一番いいけれど、人気のないところでは火事の心配があるから、それもだめ。野良猫は警戒心が強くて人に馴れないから、うちに入れられない。又悩みが増える冬になってしまった。それにしても充電指揮というのはどんな指揮なのかしら。途中でへたばった指揮者に充電すると又元気に指揮をはじめるとか・・・。ロボットか!

2012年11月18日日曜日

しもたかフィル定期演奏会

シューベルト「ロザムンデ」
ヘンデル「水上の音楽」
ベートーヴェン「シンフォニー7番」


ヴィオリストの東義直氏率いるところの下高井戸の住人で結成されたしもたかフィル。地元の小学校を拠点にして、練習やコンサートをやってきた。そして毎年一回、代々木のオリンピック記念青少年ホールでの定期演奏会が開催される。それにしてもアマチュアといえども、オーケストラを運営することは並大抵のことではない。演奏のことはもとより、楽譜、練習場所の確保、主に地元の小学校であってもいろいろ気を使うことが多いと思う。団員の確保や連絡、費用のことなど、それを請け負っているのが奥様のの志保さん。すべてのことを楽しそうにこなしていく。「こういうことが好きなんです」と笑いながら、どんなことにも笑顔を絶やさない。すぐに飽きてしまう私などは到底できるものではない。彼女は優れたヴァイオリン奏者なのに、ここでは裏方に徹している。その代わりお弟子さんを育てて、演奏に加わらせている。10歳くらいのかわいいお嬢さんが堂々とベートーヴェンのシンフォニーを弾く。大人はとてもかなわない。全部頭の中に入っているらしく、少しも間違えない。冷静沈着、将来が楽しみです。そうかと思うとリタイア後の楽しみに悠々と弾く人や、音大の学生さんが勉強のためになど、さまざまであるけれど、皆心から楽しんで弾いているのがうらやましい。広いホールにお客さんが少ないのが残念だけど、初めて行ったころに比べ、格段の進歩。初めは人数もいない、技術も足りない、がちゃがちゃだったものがどんどん良くなっていく。これがアマチュアオケを育てる楽しみなのだろう。今日の水上の音楽は普通ホルンが吹くところをトロンボーンで吹いたり、アマチュアならでのメンバーの不足を補って、自由に演奏できるのが強み。ピアニストがティンパニをたたいていた。私もヴァイオリンが弾けなくなったらいす運びでもしよう。東さんのおおらかな性格が反映して、明るいいいオーケストラになっている。

2012年11月17日土曜日

又々野良猫

駐車場に野良猫が棲みついた。今度はメスが二匹。一匹は去年居なくなってしまったノラの友猫の三毛。名前はミッケ、これは私の命名だけど。そして最近棲みついたのはちゃの、またはちゃあ。近所の電信柱に尋ね猫の張り紙がしてあって、その猫にそっくりなので飼い主に連絡したところ、違うねこだったので飼い主も私もがっかりしたと言ういきさつがある。おびえて車の下から出てこないので中々確認ができず、その人は3日間も通ってきてやっと猫違いだと言うことが判明した。いなくなってたった4ヶ月しか経っていないので、もし本猫なら飼い主を忘れはしないから寄ってこないのは違うとは思ったが、あきらめきれない飼い主はせっせと通ってきた。きれいなスーツ姿なのに、ストッキングが破けるのも気にせず、ひざをついて車の下を覗き込んでいた。一度だけはっきりと陽ざしの中で確認して、やっと諦めた。その時の呼び名が「ちゃの」だったから、そのまま名前をいただいた。初めからノラではなかったようで、引っ越しでおいて行かれたか、何かの拍子に帰り道がわからなくなったか事情は様々とは思うが、可愛がられていたものが急に世間に放り出されたらさぞ辛かろうと、同情してしまう。この冬の寒さが応えるのではないかと心配して、充電式の湯たんぽを購入した。ミッケとちゃの二匹分で二つ。ちゃのは初め、ミッケがそばに寄るのを嫌がっていたけれど、この朝晩の冷え込みでようやく二匹でいる方が暖かいと思ったらしく、最近は物置に入れてある猫用ベッドで仲良く寝ているようだ。朝ご飯を持って行って声をかけると二匹でのそりとでてくる。ミッケは根っからのノラらしい。絶対に人に馴れない。ちゃのはこの頃では私を見ると尻尾を立てるようになった。そろそろ手なずけてうちに入れれば心配が少なくてすむのに。悩みの種は尽きない。

2012年11月15日木曜日

マーラー 交響曲5番

来年の出演依頼の曲の中にマーラーの5番があって、しばらくぶりにCDを聴いていたらふと蘇った記憶。そうだ、この曲は私がオーケストラを退団する最後のステージで弾いた曲だった。長い曲だから途中でトイレに行きたくなるといけないと言って、水絶ちをしたっけ。なんて色気のないことまで思い出した。しかし、聴いているうちにさらに思い出した。最後の拍手が消えて、さて、袖に戻ろうと後ろを振り返ったら、後ろのメンバーがみんな私のために泣いていた。私は団の運営に不満があって、それでやめると啖呵を切ったからサバサバした気持ちだったのに、若い人たちが泣いて惜しんでくれた。それを見たらどっとこみあげるものがあって、袖に引っ込んだら大きな花束を渡されて、女の子たちがワッと泣いたのには、こちらも参った。泣いてやめる気などさらさらなかったのに、悔しいかな泣いてしまった。それを思い出してしまったら、CDが鳴っている間中うるうるした。マーラーは最高。いつ聞いても胸が熱くなる。そして5番のアダージオは映画「ベニスに死す」で使われた。あの美しくも奇怪な映画は忘れられない。醜く化粧が剥げて老醜をさらした主人公が死ぬ場面が目の当たりに蘇る。しかし、それにしても長い。アダージオ以外は途中から聴いたら何楽章だか・・・判る人にはわかるけど、私は自信がない。3楽章が3拍子だからわかるとしても、こう言ったらマーラーフリークに叱られる。指揮者の故朝比奈隆氏はマーラーが大好きで、練習の時に練習番号Gからと言うときには必ず「グスタフのGから」とおっしゃった。もちろんグスタフ・マーラーの名前の頭文字。練習の前は約一時間様々なお話をしてからやっと音出し。その間じっと楽器を抱えて神妙に聴いていなければならない。早く弾きたいのにーと内心イラついたが、今思うともっとちゃんとお話を聞いておけばよかった。今ではもう遅いけれど。聞いているふりをしてひそかに指練習をしたり、ごめんなさい朝比奈先生。晩年は手がどうしても遅くなって、皆がそれに合わせて遅くなると「僕を見ないでよー。どんどん弾いて」とおっしゃったのを懐かしく思い出す。マーラーが愛されるのは、心の琴線を情け容赦なくかき回す、これでもかと言うほどの情熱、もう勘弁してほしいと思うほどの感情の嵐。そして天国のような静謐。ああ、うれしい。この曲が又弾ける。

2012年11月14日水曜日

虎馬

子供の頃は絵を描くのが好きで、よく描いていた。それが小学校6年生の時のある同級生のせいで、ぱったり描かなくなってしまったのには理由がある。夏休みの宿題のお絵かき、提出したのはうちにあったやかんの絵。子供にしては渋い色合いで、陰も細い筆で細かくつけて、ちょっと見には日本画のような質感。全体がモノトーンでまとめてある、そんな絵だった。まあ、子供らしくないと言えばそうなのだが、本人が子供らしいところの全くない子供だったから、どうしようもない。それが先生の目に留まって教室に張り出された。父兄参観の日、同級生の母親がそれを見て言ったそうだ。「あれは絶対に大人が描いた絵だから、きっとおかあさんが描いたのよ」と。その同級生が意地悪そうな顔をして「うちのお母さんがそういってたわよ」と言った。うちの親は6人兄弟の末っ子の私には無関心で、学校の成績がどうであれ健康で幸せそうにしていればいいと言う人たちだったから、夏休みの宿題をしてもしなくても構わないと言うおおらかさだった。だからお絵かきを手伝おうという気などさらさらない。できなければ出さなくていいよなどと平気で言うくらい。その時私はむっとして「絶対に手伝ってもらってない。全部自分で描いたのよ」と主張したらその子はねちねちとした口調で「いいのよ、手伝ってもらったって、かまわないのよ。」濡れ衣とはまさにこのこと。いまだにその子の顔と声を思い出してむっとする。何回も弁解をしてもその調子だったから、それ以来そのことがトラウマとなって絵を描くのはきらいになってしまった。やっと呪縛が解けて今回の展覧会の出品となった。やっと大人になったのか、それともそれ以前の子供の昔に帰ったのか、自分でもわからないけれど。

2012年11月13日火曜日

雪雀連カルテット

雪雀連には私の音楽仲間もいつの間にか参加するようになったので、いざと言うときにカルテットが組める。今回の山田会長のバックステージ賞の受賞記念パーティーに演奏することになって、今日楽器を持って集まった。山田会長はとりわけモーツァルトがお好きなので、すべてモーツァルトのカルテットと歌で組んで、練習は軽く済ませると、不思議なことにあっという間に我が家が宴会場になってしまった。なんのことはない、私が仕組んだのだけど。女性が多いからワインをほんの一本開けて、あらかじめ用意してあったつまみの大皿を囲んで楽しい語らい。こうやって毎日日記のように投稿していると、いかに自分が人生楽しんでいるか良くわかる。長年の友人と音楽に囲まれた幸せな毎日・・・・と思うでしょう?ところがなんです、この先地獄のような二か月が待ち構えているのです。あちらこちらに仕分けされて出番を待っている楽譜たち。オーケストラの曲が10曲。しかもブラームス、マーラーなどの手ごわい曲が。そして、ロンドンアンサンブルのヴィオラパートが滅法難しい。その上あと2回、ソロやらトリオやらが目白押し。怠け者の私はその楽譜の山を見ては悶絶しそうになる。優先順位をつけて練習しはじめても、はたしてこれをさらいきれるのか、間に合うのか。しかし、いつも終わってみれば、難しかったけど楽しかったなあ、と思う。特に新しい曲で難しければ難しいほど、舌なめずりをして手にツバをつけ、ヨッシャという気になるのは一種の病気かもしれない。しかし、もう若くはない。ほどほどにしておかないと今にひどいしっぺ返しが来て体が病気にならないようにしようと思っているのだが、中々これがねえ、やめられないのです。

2012年11月12日月曜日

小田部ひろのさんを偲んで

世田谷のOさんの家に集まった。命日の10月21日に少し遅れたけれど、十数人午後からちらほらと自分の都合の良い時間に来ては奥様の手料理を戴いてお酒を飲んだ。こんなことが小田部さんは大好きだった。いつも老若男女を問わず小田部さんの周りに人がいて、楽しい輪ができあがる・・・そんな人だった。溢れるようにアイディアがわいて、そのたびに少し鼻にかかったような声で「ねえ、先生こんなことはできるかしら」と相談を持ちかけられた。それがルフォスタの立ち上げだったり、西湘フィルの創立だったり、ここ一番と言うときに引っ張り出されて「しょうがないわねえ」とぼやきながらも、つい手伝ってしまわされるようなところが彼女にはあった。美しくチャーミングで頭が良くて少し頑固で、私とは本気で喧嘩をしたのに、どちらからも訣別という選択は出なかった。私もこんなによく喧嘩をしたのは彼女以外にはいない。ぶつかり合いながらも、ガンの末期になって足が痛い彼女を渋谷の教室に迎えに行ったり、息を引き取る間際枕元で旅立ちを見送ったり・・・。本気で喧嘩できたからこその身近な存在だった。ガンの痛みに耐えながら一緒に旅に出て、カッパドキアで熱気球に乗って並んで夜明けの空を見ながら「天国ってこんなところかしら」と話し合った、その天国へ行ってしまった小田部さん。すでに7年くらい前に乳がんの手術をした時に、リンパ節への転移が見られ、でも腕が上がらなくなってクラリネットが吹けなくなってはいけないと言って切除を拒んだ。覚悟の上での選択だった。ずっと死と向かい合いながら、私とほかの2人くらいしか、そのことを知らなかった。最後まで楽観的で、最後の最後まで人のために奔走して、まだまだ彼女の存在は私たちの中で消えてはいない。皆でお酒を飲みながら笑って語り合っている傍で、何時も座って一緒に笑っているような気がする。

2012年11月11日日曜日

雪雀連アート狂い

(室町ギャラリーの住所が違っています。本当の住所は中央区日本橋室町1-13-10松崎ビル1階です。ごめんなさい。それとあたり一帯大工事中で、目印が全部なくなっています。三越日本橋店のライオンを背中にしてまっすぐお進みください。2本目の道を右折すると右側にあります。目立たないビルなのでお気を付けください。)

元々はスキーと麻雀をこよなく愛する人たちの集まりだった雪雀連は、だんだんその幅を広げ始めて、毎年の忘年会コンサートは大盛況。会場にこだまする阿鼻叫喚は耳も目もそむけたくなるような・・・そんなことは無くて、毎年みなさん腕や喉をあげていく。今年はついに美術の世界にまで、どかどかと土足で乗り込もうと言うことになった。もっとも、メンバーの大半は舞台や映画、美術の世界の人たちだから、私のような素人は少ない。なんでも首を突っ込みたくなるので、これは一人指を咥えて見ているのは癪だからと私も参加の名乗りを上げた。しかし参加表明してから、さて、困った。本当に小学校以来絵は描いていない。中学では美術は専攻した記憶もない。絵具もキャンバスも、一番困ったのは技術もない。そこでヴィオラ奏者のFUMIKOさんの親友Nさんに一日先生になってもらうようにお願いした。Nさんは美術の先生で作品も多く、何よりもその絵が私は好きだから。10月のある日、御宅にお邪魔して延々6時間、このおしゃべりな私がすっかり無口になって制作にいそしんだ。絵筆の使い方や色の混ぜ方、重ねて行く方法など細かく教わりながら、やっと描きあげた。額も自分で選んで注文してもらった。薄緑と金色の額に納まった作品を見ると、見違えるように思える。馬子にも衣装とはよく言ったものだ。そして、このド素人の私の画壇デビューが銀座ですぞ。もうこの先描く気力もないから、生涯にたった一枚描いた天才女流画家の作品は、その死後高値を呼ぶことでしょう。チンパンジーの絵だって売れるご時世なのだから。買っておいて損はありません。どなたかいかがでしょうか。とにかくおいでになるならパーティーにあわせていらっしゃいませ。お待ちしております。

2012年11月10日土曜日

自家製フォーマルドレス

知人の披露宴に出るためにドレス探しに余念がなかったが、ついに見つからず。10月に入ってから数軒のデパートや専門店を回っても、どれも気に入らない。だいたいフォーマルドレスなるもの、どこへ行ってもほとんど変わり映えしない。もっと個性的なものをと思って、ブランド物のコーナーにも行ってみるが、すべて気に入らない。そもそも披露宴に禁忌はあるのかと売り場のベテラン店員に訊いたら、座ってひざが隠れる丈、露出を少なく、それ以外は有りませんとのこと。それならもっと奇抜でも構わないかと、有名デザイナーの店を覗いてもめぼしい物は無い。そのくせ、普段コンサートに行くときなどによさそうなものが目につくと必ず買ってしまうので、だんだん家計も逼迫してきた。今回なんの気なしに買ったベルベットの上着。これに薄物のスカートを組み合わせてみたらどうかしら。はるか昔の森英恵のドレスが押し入れに眠っている。太ったので着られなくなったのだ。上半身はベルベットの黒、スカートは絹の黒地に鮮やかなブルーで大きく染めてある大胆な物。それを手に取って眺めているうちにアイディアがわいた。やおら鋏を取り出してジョキジョキとスカートを切り離す。ロング丈だからかなりの長さがあるので、ウエスト部分をベルベットでパイピングして、そこに肩ひもをつけてワンピースにしてしまった。床上30センチくらいのカワイらしいワンピースの出来あがり。そのウエスト付近を幅広のカラーゴムバンドでシェイプする。その上からベルベットの上着を羽織ると、なんと、ステキな個性的な衣装となった。スカートは上質のものだから、ブルーの色も鮮やか。これならハイソな奥様方のお金のかかった衣装にも負けないほどのインパクトがある。見栄をはりに行くのかと自問自答したら答えは「その通り」。みすぼらしい思いをするのはいや。それに合わせてシルバーとシャンパンゴールドのコンビのハイヒールを買う。さてネックレスは・・これもどこへ行っても面白くない。なら作ってもらおう・・と言うわけで注文して、只今制作中。フォーマルウエア一着分で靴とアクセサリーを買っても沢山おつりがくる。私はなんてつつましいのかしら。でも、その前にさんざん買い物をしたのを思い出すと、ギャーッと叫びだしたくなる。

2012年11月9日金曜日

岩崎淑 Music in Style

ピアニストの岩崎淑さんはの主宰するシリーズは36回目。今夜は「バリトンと室内楽の夕べ」と題して東京文化会館小ホールで開催。バリトンの河野克典さん、若手のヴァイオリニストの島田真千子さん、チェロの堀沙也香さんとの共演だった。
シューベルトの歌曲 楽に寄す 鱒など。
ベートーヴェンはアデライーデ 君を愛すなど。
それからスコットランド民謡集

私は故フィッシャー・ディスカーの大ファンだった。子供の頃から毎日学校から帰るとまずモーツァルトのシンフォニー40番を聴く。それが終わるとマーラーの「なき子を忍ぶ歌」を聴くのが習慣だった。フィッシャー・ディスカウは私にとっては音楽の神様。訃報を聞いた時には、心底がっかりした。モーツァルトの歌曲はヴンダ―リッヒを良く聴いていた。とにかく歌が好きで、とりわけこの二人には惚れ込んでいたから、車の運転時にもテープを回していた。もちろんベートーヴェンの歌曲も好きだったから、今日のプログラムはほとんどが私がいつも聴いていた曲ばかり。

後半は委嘱作品の青山政憲作曲「夢幻歌」-夢の中の設計図ー谷川俊太郎詩            
ベートーヴェンのピアノトリオ10番
同じベートーヴェン「連作歌曲集」

バリトンの高橋さんは素晴らしい歌手で声の出し方、音程の正確さ、どこも非のつけようがないけれど、フィッシャー・ディスカーとどこが違うのか考えた。殆ど完璧なのに何かが違う。そして気が付いたのは、日本人の発音はやはり少し浅いのではないかと思った。声にもっと夾雑物が混じってもいいのではないか。日本語の発音は平明で、少し深みが足りない。むしろ東北弁などの方があちらの発音に近いのではないか。青山作品は非常に美しく、絵で言えば水彩画と水墨画を行ったり来たりするような。現実と夢の交差したいつまでもその中に浸っていたいような、不思議な魅力をたたえていた。ヴァイオリンとチェロの二人のこの曲に対する集中も見事だった。

今日のコンサートに誘ってくれたのは東京ゾりステンで一緒に弾いていた吉川さん。彼女はイタリアと日本を行き来して演奏をしている。パワフルでチャーミングな女性で、私とはながーいお付き合い。会場に行く前にイタリアンレストランで軽くワインを飲んで、おしゃべりをして楽しんだ。

今日の淑さんの衣装の素敵だったこと!ローズピンクで、たぶんイタリアのシエナのデザイナーのものらしい。どうしてヨーロッパのデザインはこんなに素敵なのかしら。デコルテのカットの粋なこと。そして何よりも素晴らしいアンサンブルのセンス。本当に楽しいの一言に尽きるコンサートだった。

2012年11月7日水曜日

ジュリアーノ・カルミニョーラ リサイタル

トッパンホール、ピアノフォルテは矢野泰世、全部モーツァルトプロ。                                                 最近少し心が傷ついて、ほんのかすり傷だと思っていたら、日を追うごとに傷口が深くなってしまった。しばらくすると胃のあたりにどす黒い塊のように悲しさがトグロをまいて居座って、毎日涙目で過ごしていたら何が幸いするかわからないもので、お蔭でドライアイが治った。「人間万事塞翁が馬」ですねえ。元気のないのを心配した友人が今日のコンサートの前に食事しようよと誘ってくれて、そのあとは至福のモーツァルトプロ。モーツァルトは最高のお医者さんでした。カルミニョーラは長身のため、ヴァイオリンがおもちゃのように見えるほど。バロックヴァイオリンを用いての演奏。初めのうちは力みもあるし、会場も音に反応していない部分もあったけれど、2部に入ると会場もヴァイオリンもピアノフォルテも混然一体。モダン楽器では出せない柔らかい音色、それなのに切れの良い音の立ち上がり、。何よりも見事なピアノフォルテとのアンサンブル。難しいパッセージを目にもとまらぬ速さで弾いてのけた。現代のピアノではキーが少し重くなるのかしら。こんな速さで弾けるのはキーが軽いから?よく知らないがお見事でした。始めのうちはこんなに力むならモダン楽器で弾けばいいのにと悪口を言ったが、力みが抜けると古楽器の良さが前面に出てきて、あのちょっと湿ったたような、それでいて余韻の残る音が魅力的だった。            しばらく休んでいたら皆さんからメールを戴いたり、アクセス数も何人もあって励まされました。又書きたいこともありますので今後ともご愛読よろしくお願いします。たった1週間ほど休んでいただけなのに、心配してくださった皆様ありがとうございました。

2012年10月30日火曜日

しばらく休業

すこし疲れています。
別にどこが悪いと言うのではありませんが秋ですねえ。しばらく休業させていただきます。気が向いたら時々覗いてみてください。再開しているかもしれませんので。では、皆様もお元気で、又お目にかかりましょう。

2012年10月27日土曜日

徳永二男さんのこと

そういえば徳永さんの音を客席で聴くのは初めての事だと気が付いた。いつも、練習場やステージ上でしか聞いたことが無かったから。彼は当時の楽壇史上最年少でオーケストラのコンサートマスターになったけれど、その頃はまだ無邪気でやんちゃで、皆から「つん坊」「つんちゃん」と呼ばれていた。冬の寒いさなかでもセーターにコート無しで、まあ、なんて元気なことと思っていた。ひとたびヴァイオリンを手にすれば、耳の良さで周りを震え上がらせるほどの貫録を示したけれど、普段は卓球の上手い遊び盛りの若者だった。笑顔がチャーミングで、どちらかと言えばシャイな性格を少し突っ張った態度でカバーしているようだった。お父様の英才教育は語り草だった。二人の息子さんを日本のトップ奏者に仕立て上げるには並々ならぬご苦労もおありだったと思う。学校のすぐ近くに住居があって、授業終了の合図が聞こえると家まで何分で帰らなければいけないと決まっていたそうで、本人も大変だったとは思うけれど、それを毎日厳しく指導する親の方はもっと大変。東響からN響に移って、お兄様のチェロ奏者兼一郎さんと共に、文字通り日本のオーケストラの最高峰のトップに兄弟そろって並んだ。あるときホールの楽屋口に外車で乗り付けたから「ヴァイオリンを弾いて、こんな素敵な車に乗れていいわね」というと「いやいや、皆さんとは苦労が違う」と言ったのを覚えている。本当に苦労したのだと思うけれど、素直で心底優しい性格が、まっすぐな道を歩ませてくれたのだと思う。東響をやめる時、皆が引き留めようとノートに寄せ書きをしたことがあった。それを手渡された彼は自分の上着の胸に大事そうにしまって何も言わず、それを上から撫でさすっているのを見て、涙がこぼれた。東響のアメリカ公演にゲストでチェロのトップを務めたお兄様が「つんちゃんはなんでこんな面白いオーケストラやめるのかな?」と言ったそうだ。その頃の東響は貧乏だったけれど素晴らしく活気に満ちていたし、団員同士仲が良かった。その後N響に移ってからはめったにお顔を拝見することも少なくなっていたが、最近ほかの人のコンサート会場でばったりお目にかかることが何回かあった。私も時間の余裕が出来てコンサートに行く機会が増えたので、こうして初めて客席で彼の音が聴けて感無量だった。

2012年10月26日金曜日

徳永二男の挑戦

タイトルは10年間10回に亘る連続リサイタルに挑戦する徳永二男さんのコンサート。紀尾井ホール。ベートーヴェン「ソナタ5番・春」フランク「ソナタ」ブラームス「ソナタ2番」リヒャルト・シュトラウス「ソナタ」ピアノはショパンの連続演奏で有名な横山幸雄氏。徳永さんは東京交響楽団に10年ほどコンサートマスターとして演奏していた。ちょうど私の一年後に入団し、私が退団するすぐ前にやめたので、私が在籍していた間はずっと一緒だった。20歳になる前にすでにコンマスとして活躍していた。お父様の厳しい指導を受けて、お兄様のN響のチェロのトップ、徳永兼一郎さんと共に若手のスター奏者であった。私は長い間、彼のすぐ後ろの席か隣で弾かせてもらった。ある日隣に座った時、どうも音質が合わないので横目で観察すると、ビブラートが全く違うことに気が付いた。一生懸命真似をするとだんだん音質も音程も合ってきた。こうして色々学ばせてもらうことが多かった。そのずば抜けたテクニックは驚異的だったが、愛読書はプレイボーイ、ドイツの留学先から団に葉書をよこした時には皆で「おい、あいつ字が書けるんだ!」などと冗談を言うほど勉強はしていないように見せていたけれど、どうしてどうして、大変頭の良い上に努力家であることを皆知っていた。あるとき玉突きをして遊んだことがあって、私はすこしやったことがあるので一本目は勝った。よほど悔しかったらしく「ちょっと待って」と言ってしばらくビリヤード台に目を落として考え込んでいた。「よし、やろう」と言って始めた2本目は私の完敗。なにしろボウイングがいいから、かなわない。今日もほれぼれとするボウイングは昔のまま。特にリヒャルト・シュトラウスは圧巻で、彼のためにかかれた曲のような気がするくらい。ピアニストも名人だから、易々と弾ける曲のように超難曲を弾いてのけていた。特に素晴らしかったのは2楽章。溶けてしまいそうな柔らかい音色は彼の真骨頂。堪能してきました。

2012年10月24日水曜日

譜読み

ロンドンアンサンブル小田原公演で使用する楽譜がネットで送られてきた。印刷、製本が終わって、さて一回弾いて見るか。去年は私の体調不良で楽器を鳴らすのもままならない状況だったので、今年は体調管理をしっかりしないといけない。体調を崩すとてきめんに音が出なくなる。声楽家の体と一緒で楽器と体が一体だから。楽譜を読むことにはさほど苦労したことはない。しかし、ヴィオラは大きい。鳴らすのが大変。私は150センチに満たない小柄な体型で、今年は去年より4キロ近くやせたので、なんとか筋力をつけないと。そう思いながら、だらだらと運動もせずに過ごしている。まったく猫的性格は死ぬまで治りそうもない。幸い昨日は雨風が強く、家に篭りっ放しだったので、練習にはもってこいの一日だった。初めからざっと通して見る。難しいところのチェック。指使いを考え、音の出にくいところをマークする。音符の間違いを見つけ、これはいかがなものかと思われるような編曲箇所を見つけて直してもらう。そんな作業をしていると、すでにわくわくしてくる。これが全員集まって弾いたときにどんな音がするのだろうか。私の音はチェロの巨漢のトーマスの音にかき消されてしまうかもしれないけれど、だからと言って間違えたり音程をはずせばすぐに音がにごるから、おろそかにはできない。ヴァイオリンを始めた最初のころから、音が重なって響くことが好きだったので、今思えば室内楽奏者になることが生きる目的だったような気がする。楽器を始めたのが遅かったし、しかも親は将来音楽の道に進めようなんて金輪際思わない人たちだったから、最初は遊びの延長。音大に入っても、普通の大学に入りなおして就職しようかなと思っていたのに、結局この道に来てしまった。人間は自分で道を決めているようで、実は生まれたときから決められた道を歩いているような気がする。なんの滞りもなくこの道に来られたのは、幸運なことだと思っている。でも幸運になるためには、その前に面倒な練習が待っているだ。このコンサートの前にいくつかの仕事があって、それらの譜読みも大変。でも呆け防止となりそうでありがたい。

2012年10月23日火曜日

ロンドントリオ小田原公演

12月の小田原です。ちょっとお知らせまで。ヴァイオリンの碓井志帆さんとロンドンアンサンブルのメンバーからピアノ、フルートでトリオを組んだところへチェロ、そして私が演奏に加わります。東京でのメンバーのヴィオラのジェニファが一足先に帰るので、私が大きなヴィオラで悪戦苦闘します。小田急沿線の方、横浜方面の方はこちらにも足をお運びください。















ロンドンアンサンブル東京公演

このアンサンブルは1988年初来日以来、毎年日本でコンサートを開いています。いずれ劣らぬ名人揃いで、アンサンブルのうまさには定評があります。まだ先の12月のことですが、そろそろお知らせまで。ヴァイオリンのタマーシュはハンガリー出身の名手、今年のバルトークはお家芸。イギリスのコンサートで超絶的な速さで演奏したそうです。チェロのトーマスは今イギリスはじめヨーロッパで大活躍の若手チェリスト。最近は指揮者としても超売れっ子です。エルガーのチェロコンチェルトは圧倒的な上手さを見せてくれるでしょう。ぜひ東京文化会館小ホールにお越しくださいませ。

2012年10月22日月曜日

不愉快ななAflac

保険の見直しをしませんかと電話があったのは、10月の初めころ。保険にはほぼ完ぺきに入っていると思っていたのでいつもは断るのだが、なんとなく対応しているうちに、それでは見直しをしてみようと言う気になった。数日後勧誘員がきてあれこれ話していると、アフラックの保険を勧められた。病歴があっても大丈夫と言う話だった。私は7年ほど前に乳がんの手術をした時ガン保険に入っていたので助かったことがあって、それなら審査をうけてみようと話がまとまった。ところが、それからが不快なのだが、審査を受ける前に一年分の保険料を払えと言う。なぜ?と言ってもそういうことになっているのでと一点張り。ここまで話が進んでしまったから仕方がないかと振り込みをした。そして10日ほどたってようやく審査結果が届いて、不合格。なぜかと言うと私は過去に沢山病気をしているから。しかも結構大病だったが、野生動物的な治り方で今は全てクリアしている。現在全くの健康体で、生活習慣病も一切ない。ガンも極々初期だったので、ほんのわずかの傷しか残っていない。それも良く見ないと全くわからないくらいのかすかな傷痕。放射線も薬も抗がん剤も必要としなかった。定期検診も今のところ再発は見つかっていない。アフラックがさんざんテレビで宣伝している、過去の病気に関係なく入れると言うのは嘘ですよ、皆さん。そういって審査を通さないで、もうワンステップ保険料の高い保険を勧めるという手口。しかも保険料を前払いさせておいて、さんざん待たせてから払い戻し。その間アフラックには全国からどんどん振り込みがあるわけだから、たいそうな金額になるでしょう。それをどうするのかしら。こんなことが許可されることなのか。そのあともう少し審査が緩くて保険料の高い保険の勧誘があって、ははーん、この手口でみんなだまされるのかと納得した。病歴がないひとなど少ないでしょう。しかも、病歴があってもと謳っておきながら、現在全く健康体の人を騙すような手口。もう一度いうけれど、テレビの宣伝は嘘ですよ。

2012年10月21日日曜日

東京音楽大学弦楽アンサンブル演奏会

曲目はモーツァルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」テレマン「ヴィオラコンチェルト」メンデルスゾーン「弦楽8重奏」コンサートマスターは齋藤真知亜氏、ヴィオラのトップとソリストは店村眞積氏という豪華なメンバーだった。2年生から4年生までの選抜メンバーで、ヴァイオリンは20人ほど、その中にかつての教え子も緊張した面持ちで座っていた。幕開けはエキサイティングだった。客席と奏者がシーンと静まるまで、かなり長い間待ってから、急に始まった。その見事な集中力はコンマスのパフォーマンスによるもので、はつらつとしたモーツァルトがステージを走り回っているような、そんな素晴らしさだった。とても学生オケとは思えない出来栄えだった。ただし、ゆっくりの楽章で多少傷が出た。音程と音のずれが気になった。ほんの僅かだけれど、古狸の耳はちゃんととらえている。ゆっくりの曲ほど難しいのは肝に銘じてもらわないと。コンチェルトはチェロの活躍が心地よかった。指揮者なしでソリストにさりげなくつけて行くのは、高度なアンサンブルの力を必要とする。それもステージではヴァイオリンからも遠く、音の時間差が生じてしまうのをうまくカバーしていた。最後のメンデルスゾーンは、ヴァイオリンが左右に分かれて座ったために、時々時間差が出たのが惜しい。でも、これほど学生のアンサンブルが上手いことは、指導者とコンサートマスターの力もさることながら、学生たちの水準が私たちの時代よりもはるかに上がってきていることを感じさせられた。この中から世界に羽ばたく音楽家が何人か出ることだろう。未来に羽ばたいていく若者に、老いてゆく私の心の傷がどれだけ癒されることか。

うれしい招待

ニッセイ・バックステージ大賞の授賞式への招待に続いて、もう一つうれしい招待。かつての教え子が今、東京音大の2年生。その子が学内で弦楽アンサンブルのメンバーに選ばれ、演奏会があるので聞いてくださいというので、昨夜出かけた。2年生から4年生までの選抜に入ることが出来たのは非常に幸運で、齋藤真知亜氏がコンサートマスター、ヴィオラの店村眞積氏がヴィオラのトップでソリストという豪華なメンバーの中で、白くて小さな顔が緊張しているのがいとおしい。彼女がうちにやってきたのは小学校1年生頃だった。それまで関西方面にいてヴァイオリンを始めたばかりだった。お父さんの転勤で関東に移り、私のところへレッスンに通うようになった。ところが見るとひどい姿勢とボウイング。とんでもない形をしているのに、曲は初歩ながら上手く弾いている。とにかくヴァイオリンニストになりたいと言うので、まず姿勢から直すつらい作業が始まった。私が考えたのは音楽とアンサンブルの楽しさを教えることだった。基礎さえしっかりしていれば、曲造りの細かいところは大人になってからやればいい。とにかくヴァイオリンを嫌いにさせてはいけないから、粗削りでも我慢して、色々な曲に挑んでもらった。小学校5年生でメンデルスゾーンの協奏曲やラロのスペイン交響曲を弾くくらいまでになった。そのうえ、月に一回うちに生徒たちを集めて、出された曲を初見で次々に合わせて行くことをやらせたので、初見力と人の音を聴く力が身についてきた。音階だけは子供だからと言って妥協しないで、カール・フレッシュの教本をとことん弾かせた。その結果、ハ長調だけで一年もかかって、生徒も親も、そして私もうんざりした。中学生になると私が以前から尊敬していたヴァイオリニストにレッスンをしてもらうようになって、ますます練習に励んでいった。つらい受験の結果第一志望はだめだったけれど、東京音大に入ったのはむしろ幸運だったと言える。憧れの先生に師事できて、今素敵に充実した毎日を送っているとか。この子の夢は私の夢でもある。着実に歩いて行き、本当に良い音楽家になってほしいと祈っている。

2012年10月20日土曜日

ニッセイ・バックステージ賞

日生劇場が平成7年に創設したバックステージ賞。舞台芸術を裏で支える人たちに授与される。その栄えある賞の受賞者になんと!わが「雪雀連」の山田宏会長が選ばれた。人形つくりのノンちゃんこと保坂純子さんに続いての「雪雀連」から2他人目の快挙。山田さんは私たちのスキークラブの会長として、年間のスキー、宴会、音楽会などを企画して、皆を楽しませることに心を砕いている。その時の顔はおおらかで、物事にこだわらない、何が起きても泰然自若。そんなお顔を常に拝見しているけれど、ことピアノ調律になると日本の調律界の大御所として、コンサート会場の調律、後進の指導などで81歳になった今でも、忙しい毎日を送っておられる。その間隙をぬって・・・というか・・・間隙を作っては、日本のみならず、海外までスキーに出かける元気さは、だれもかなわない。少年時代、おじ様が日本のピアニストで初めてドイツに留学された方で、山田少年もピアニストを夢見て練習をしていたところ、戦争でピアニストの夢は断たれてしまった。長じて何をしようかという段になって、やはりピアノに関する仕事として調律師の道を選んだという。今でもうちのピアノを調律して、最後の調整の段階で音階を弾くのがが聞こえてくると、その音の美しさに聞き惚れる。力の抜けた純粋な音。そのセンスが優れた調律師として認められ、多くの人から指名されているのも納得できる。スキーの腕(足)前は、これもすごい。力まずにスッと滑るので、それほどのスピードとは思えないのに、従いて行くのは大変。あるとき某有名大学のスキークラブでならしたという人が初参加したことがあって、彼は腕に自信があるから猛然と飛び出した。ところがアラスカでのことだからコースが長い。途中で息切れして止まっているその傍らを、会長が「お先ー」とか何とか言って、スーっと滑って行く。それ以来、その人は会長に一目置いている。今日授賞式の招待状がニッセイから届いた。嬉しい反面、さて、そんな晴れがましい場所に私ごとき野次馬が出てもいいのだろうか。何よりも「着て行くものがない」大急ぎで服を探さないと。結婚式もそうだけど、いい口実が又みつかったわい。

「奏鳴曲」 藤沢俊樹チェロ名曲の楽しみ

チェロの藤沢さんとは長いお付き合い。「古典音楽協会」でずっと一緒だったが、彼のリサイタルと「古典」の定期の日程が度々重なってしまい、出演出来ないことに責任を感じて「古典」をやめてしまった。けれど、その後も時々は顔を合わせることがあって、コンサートの案内が来るのを楽しみにしていた。 ピアノは高橋恭子さん。 ベートーヴェン「ソナタ4番」 ボッケリーニ「ソナタ7番」 ショパン「ソナタ」 ポッパー 「コンサートポロネーズ」 今日のプログラムは「奏鳴曲」と言うタイトルの通り、ソナタが主役。ピアノの高橋さんとは何回も共演しているので息もぴったり。聞いていて破たんがない。常に一緒に歩んでいる感じが見える。ソナタはチェロだけのあるいはピアノだけのソロでもなければ、伴奏でもない。常に対等の立場でものを言う。時に陰に回り、時に表に立つことはあっても、二人の奏者がお互いに音楽を主張しながらも、相手の立場も尊重するという、まさに室内楽の醍醐味がそこにある。藤沢さんは待ちきれずに音楽が先へ先へと進んでいくのを、ピアノの高橋さんが悠然と受け止める。藤沢さんの指は本当に良く回る。早いパッセージをなんなく弾いてのける。そこに高橋さんも同じように乗ってくる。二人とも難しい曲をまるで易しい曲のように弾き進んでいく。最後のポッパーになった時には、チェロ自身が朗々と鳴りだして、気持ち良くコンサートは終わった。けれど、惜しいことに後ろの席に子供が2人。プログラムをカサカサ言わせたり、ペットボトルを落としたり、親がそばにいて注意もしない。あーあ!

2012年10月17日水曜日

浪費

元々お金は有ってもなくてもあまり頓着しないほうだった。あれば使うしなければ使わないから、借金をしてでも使おうという人の気持ちがわからない。貯めようと言う気も、その才能もない。いったい今自分の貯金がどのくらいあるかもチェックしないほうだから、ある日、いきなり底をついても不思議はないけれど、そこはやはりこれだけ長く生きていればダメなようでいてしっかりしている・・・?と自分では思っている。傍から見れば非常に危なっかしいことだと思う。フォーマルウエアを捜しに出歩いていると、肝心のドレスは見つからず、今まで気にしたこともなかった流行のものや、可愛らしい帽子などが目に付きだした。一昨日はセーターとタートルネックのシャツとネックレスの三点セット、そしてもう一枚ブラウスを買った。今日はカシュクールのワンピースを買った。可愛い帽子も欲しかったけれど、やっとの思いで踏みとどまった。この先フォーマルドレスが見つかるまで、どれだけ買い物をしてしまうか恐ろしい。私たちの金銭感覚は世間の人たちから見ると、とんでもなく外れていると思う。服など買うときにはバーゲンを狙ったり、あまり高価なものは見なかったことにするけれど、こと楽器となるとそうはいかない。現に私はそろそろリタイアするころになって理想的な楽器と出会ってしまったので、老後の蓄えは全て楽器に使ってしまった。その上に親からの相続でかなり莫大な住宅ローンを背負わされたお蔭で、いまだに貯金らしいものもない。おれおれ詐欺から電話があっても「無い物は無い!」と啖呵が切れるほど。今まで何人かの占い師に占ってもらったことがあるが、いつでもどの人も口を揃えて言うことは「非常に幸運に恵まれていますがお金持ちにはなりません。でも、必要なものは必ず手に入ります」どうしてみなさん同じことを言うのか。やはり私の本当の運なのかしら。一人くらいは「いまに宝くじが当たってお金持ちになります」とか将来に希望を持たせてくれないかなあ。しかし、宝くじを買うのは私の中では最大の浪費という気持ちがある。どうせ当たるわけがないから。でも買わなきゃ当たらない。ジレンマです。

2012年10月16日火曜日

鳩山さんからの便り

鳩山さんと電話でお話をしたら、早速沖縄からお手紙をいただいた。大きな流れるような字体は相変わらずで、記憶力の確かさも抜群。私が鳩山さんのコンサートに出演するようになったのは東京交響楽団入団して間もなくだったけれど、その後、毎年行われるようになった室内楽コンサートは1978年虎ノ門ホールか皮きりだったそうだ。その第一回コンサートに私は最近再会したピアニストのYさんと一緒に出演していることが書いてあった。その後舞台は文化会館小ホールに移り、新春コンサートと銘打って毎年行われた。私はその頃スキーに夢中で、お正月は天元台で強風にあおられながらのスキーを恒例にしていたために、鳩山さんは「今年もスキーかね。たまには出てください」と毎年お電話をくださった。時々スキーを諦めてコンサートに参加させて頂いたけれど、最後の参加は、プロコフィエフの「ソナタ」を弾かせて頂いた。その時誘ってくれたピアニストの言葉は「そろそろはとかんさんもお歳だから、この辺で出ておいたほうが・・・」私もそれもそうだと思っての出演だった。でも、それからも毎年コンサートは沖縄に移住なさるまで続けられた。沖縄に移住して沖縄芸大の先生として若い人たちとの交流があった。足は弱ったものの、ヴァイオリンを弾くほうはまだまだお元気で、お手紙には「私も来年90歳になります」とあった。今回このブログにコメントしてくださった方のお蔭で、懐かしい思い出に出会うことが出来た。私が免許取り立ての頃道に迷って、高田の馬場から大久保まで行くのに山手線を反対回りするコースでほうほうの体でたどり着いたことなども、よほど印象的だったのか思い出に書いてある。そんなドジばっかりの私を何十年も使っていただいて、今思えば恐れ多いことだった。若さゆえに怖いもの知らずでご一緒させていただいたのが、今となっては素晴らしい財産となっている。その頃次々アンサンブルをさせて頂いたものだから今、どんな曲が出てきても殆ど経験済みなのは、本当に強みと言える。そのかわり、その分寝る暇が少なかったのは仕方がなかった。その名残か、今でもあまり睡眠は長くない。

2012年10月15日月曜日

フォーマルウェア

11月に友人の息子さんが結婚することになって、ご招待を受けた。大変ありがたいし、息子さんも赤ちゃんの時から知っているので駆けつける気持ちはおおいにあるけれど、着て行く物がない。間際に慌てないようにと、ここ何年も足を踏み入れたことのないデパートに行ってみた。友人が良いと言ったので、京王デパートのフォーマルウェア売り場を覗いた。だが、しかし・・・なんてつまらん服ばかり。最初に行ったのは高級そうな売り場。品の良いベテランの店員が応対してくれた。最近葬式ばかり行くので、結婚式のような華やかな場所にふさわしいのはどんなものかと試着しても、いまひとつピンとこない。薄物、レース、コサージュ、パールのアクセサリー、すべて似合わない。私は原始的な目鼻立ちなので、個性の強いデザインでないと、本当につまらないおばさんになってしまう。いつもたらんたらんと普段着のままデパートにも行くので、店員は私が選ぶ強烈な服を見て驚くらしい。試着してみると、それが意外と似合うのに又ビックリするようだ。強烈なと言うのはフォーマルドレスには禁物らしく、いずれも、なんとも没個性的。すっかり飽きてしまって、次にもう少し安めのカラーフォーマルドレスの売り場に行ってみた。どうもピンとこない。最後に試着してみたシンプルなデザインのワンピースが一番よかったけれど、それを着て帝国ホテルのお式に出るのは、なんとも貧相でいけない。結局ドレスはあきらめて、他の売り場で目に着いた普段着用のセーターやブラウスを買って帰ってきた。なるほど、デパートに行くと素敵なものが沢山あって、御洒落心に火が点く。いつも通販か、近所の商店街の安売りで間に合わせていたのを反省。もう少しおしゃれをしよう。本来はおしゃれ好きな方だから若いころはかなり気をつけていたけれど、最近さっぱりだったなあと改めて思う。女がおしゃれを忘れてはお終いさ。先日、業界きってのおしゃれさんのFUMIKOさんから聞いた話。仕事場で同じ楽器の女性から「結婚したのにどうしておしゃれをするんですか」と言われたとか。ひえー!おしゃれって結婚するためにするの?美意識の問題でしょうが。

2012年10月14日日曜日

拡大鏡

いわゆる老眼で、ものが見えにくくなって、本を読むのが億劫になってきた。それで、今ハリー・ポッターのレッスンは一時休講となっている。先生のルースさんが残念そうに、早く一緒に読みたいとメールをくれたけれど、どうしようもない。メガネは読書用、楽譜用とちゃんと合わせて作ったのがあるのに具合が悪い。先日絵を描きにいったらなんと私のために(だけではないかもしれないが)拡大鏡が用意されていた。自分の眼鏡の上からもかけられる大ぶりのもので、かけて見ると世界が広がって見える。絵を描くときの細かい部分も楽に見える。これは良いと思ったので早速眼鏡屋さんに行って買ってきた。眼鏡屋さんによれば、自分の眼鏡の上からかけた方が良いと言うのだが、そうすると、かえってぼやけてしまう。裸眼にそれだけで十分。しばらく放っておいたハリー・ポッターのページを繰ってみる。見える見える!ところがしばらく・・と言ってもほんの2か月ほどなのに、発音が怪しくなっている。リズムがつかめない。意味はもうすっかり頭から抜け落ちてしまい、復帰するには休んだ時間の倍はかかりそう。継続は力とはよく言ったもので、休んでは元も子もなくなるから早く復帰しようと思ったのもつかの間、なんだか億劫。また辞書を引いてコツコツ意味を考えてと思ったら、もう気力がないことに気が付いた。そんなことでどうする!あと2巻残して挫折するなんて。でも、今読んでいる5巻も私の英語力をはるかに超えて難しい。作者は頭のいい人で、1巻進む毎に少しずつ語彙が増え、言い回しが難しくなって、長くなっていくように書いている。しかもルースさんはだんだんレッスンのスピードを上げて行く。これから伸び盛りの若い人ならそれでいいが、どんどん衰退していく私にはとてもつらくて、時々レッスンの途中で、もう無理と言ってやめてしまうことも多い。とにかく目が疲れて頭が痛くなってしまうので。でもここでやめたら女が廃る。拡大鏡かけて、いざ出陣としよう。やれやれ、最近パソコンの具合が悪くて泣きの涙なのに、この上話せもしない英語に苦しめられるなんて。何を好き好んで人生を難しくしているのか、自分でもよくわからない。

2012年10月12日金曜日

鳩山寛氏続編

先日このブログにコメントがあった。私が以前鳩山さんについて投稿をしたのを読んでくださった方からです。私も知らなかったハトカンさんのことを知り、興味深く読んだ。昔住んでいらした目黒の御宅には、住居のほかに空手道場があって、お父様が空手をなさるとは聞いていた。大きな藤棚があって、その木の下でお酒を飲んだりハトカンさんのお話を聞いたり、楽器を持って行ってアンサンブルを楽しんだものです。今日お目にかかる方は、ハトカンさんのアンサンブルのコンサートに度々出演なさったピアニストで、そこで知り合った方々とは鳩山さんが沖縄に移住なさった今も、よく一緒にアンサンブルを楽しんでいる。私の音楽活動の初めから一番お世話になったのが鳩山さんで、いわば、私の恩人と言うべき方。沖縄に足を向けては寝られない。

山元操 さんの写真をご覧ください

山元操 さんからのメッセージ:
私が描いた猫の絵です。猫種はターキッシュアンゴ。
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2012年10月10日水曜日

顔いろいろ

上の絵はFUMIKO作品。私が悪戦苦闘して絵を描いているところを見ながら、サラサラとイメージ画風に私の顔を描いてくれた。私に似ていると言うより、私の若いころの雰囲気がそっくり。猫をかぶっているところだそうだ。下は高木紀子画伯の作品展で非常に気に入って、今は我が家にかざってある、たぶん、エジプト人の顔。金箔がはってあるので、光線具合や角度で様々な表情が見えるのが面白い。

絵を描く

11月に開催される我が「雪雀連」の作品展に出品するために、小学校以来はじめてのお絵描きに挑戦することになった。「雪雀連」は多芸な人が揃っていて、絵を描くのが専門の人もいるけれど、そのほかに舞台映画関係の裏方、表方等が揃っている。その人たちも何らかの形で今まで絵を描いている人が多いので、おそらくど素人は私だけと言う恐ろしい状態。それでも、人が面白がっているものを指をくわえて見ているのは我慢できないから、私もこの際出品することになった。ところが絵の世界はそれこそ右も左もわからない。絵具やキャンバスや、描くためのスキルの持ち合わせもない。そこで専門家のご指導を仰ごうと思った次第。幸い、FUMIKOさんの親友に紀子さんという美術の専門家がいるので、ワインを餌に教えていただくことになった。今日は東急沿線の瀟洒なお宅にお邪魔して、一日中絵を描くことに没頭した。非常に集中力のいる作業だと言うことが判明。いつもヴァイオリンの練習は、ずいぶん良く練習したなと思っても、ほんの15分しか経っていなかったり、すぐにほかのことに気を取られて遊びながらやっている。ところが今日は昼食を摂る時間ももったいないと思うほど、没頭してしまった。朝10時から午後4時半頃まで、寸暇を惜しんでの作業が続いて、私はもとより先生の紀子さんの消耗も激しかった。紀子さんは個展や作品展でいつも素敵な作品を出品しているので、私も2点彼女の絵を持っている。非常に個性豊かで色彩の美しい作品は、我が家のレッスン室の壁にかざられている。その絵が好きなので私も教えてもらうならこの人にと思っていた。今日の絵具はアクリル絵の具・・というのかな?速乾性があるので、すぐに上塗りが出来る。失敗しても修正がきくというので私にはもってこいの絵具。パソコンからダウンロードした猫の写真をお手本に必死のことで一点仕上げた。これでやっと出品作ができたので、後からやってきたピアニストのSさんも合流して、夕飯を食べに街に出て、鱈腹食べて、愉快に飲んで、本来こちらが目的だったかのような気分で遊んできた。あんなに集中するとは思っていなかったので、本当に楽しかった。やみつきになりそう。

2012年10月9日火曜日

八ヶ岳音楽祭について

八ヶ岳音楽祭は今年6回目を迎える。音楽監督の細洞寛さんは元東京フィルハーモニー交響楽団のトロンボーン奏者だった。夏の松原湖のコンサートに奥様の秀子さんと一緒に聴きに来てくださって、その折に今回の音楽祭の出場を依頼された。特にヴィオラ奏者が不足しているのでヴィオラを弾いて欲しいと言われ、二つ返事で引き受けたのはトップが梯さんと聞いたから。梯さんは元東京都交響楽団、NHK交響楽団の団員として活躍。私たちの愉快な仲間の一人だけれど、柔らかい音色と豊かな歌心が最大の魅力なので、いつも彼のヴィオラには聞き惚れてしまう。その上酔っぱらうと増々愉快になって、抱腹絶倒のパフォーマンスが見られる。今回は息子さんの高名なピアニスト、剛さんがご一緒に来られてコンサートを開くので宿舎が別になったため、飲み会参加はなし。残念でした。今回集まったメンバーは細洞氏の関係上東フィルの人が多いけれど、そのほかにも読売交響楽団や、珍しい所ではベルリンドイツオペラのメンバーだったパーカッション、京都市交響楽団、大阪、群馬交響楽団などからも参加者があり、コンサートマスターは九州交響楽団のコンサートマスター近藤薫氏。まだ若く将来を嘱望されている優秀なヴァイオリニスト。指揮者は円光寺雅彦氏。これだけ長い間この業界で仕事をしていると、さすがに初対面の方は少ないけれど、お目にかかったことはあるのに会話をしたことが無かった人とも、初めてお話が出来たことも嬉しかった。今年の音楽祭は9月にオペラ「蝶々夫人」の抜粋を、今回「ドイツレクイエム」でもソロを歌われたソプラノの二宮咲子さんが歌われ、その圧倒的な声量が評判を呼んでいた。そのあと木管後5重奏のコンサート、そして今回のオーケストラと合唱。まだ始められて6年目。日本を代表する音楽祭になることを期待している。来年は飯守泰次郎氏の指揮でモーツァルト「戴冠ミサ」ブラームス「交響曲2番」だそうだ。皆さんと再会を約束して、あっという間の4日間が終わってしまって、そこはかとなくさみしい。

2012年10月8日月曜日

八ヶ岳音楽祭3

八ヶ岳音楽祭の出番が終わった。今日はリストの[レ、プレリュード]とブラームスの[ドイツレクイエム]重たいビオラを支えての長時間の練習はきつい。しかし本番は始まってしまえば本気になるから、楽器の重さも感じなくなった。木をふんだんに使った小さいけれど音響の良い会場は、音を出す喜びを与えてくれる。まるで学生時代の合宿のように同じ屋根の下に、一緒に寝泊まりして一緒に食事をして、一緒にしゃべったり飲んだり、楽しい時間はすぐに過ぎてしまった。合唱もオケも最大の出来栄えだった。これだけの短い練習で、大変難しい曲が仕上ったのは予想以上だった。毎年参加しているベテランが多いのが、何よりの勝因だと思う。八ヶ岳付近は気候も良い。そして文化的な土地柄なので、音楽家が沢山暮らしている。人材に事欠かない。以前こちらの方に住みたくて、ずいぶん土地探しをしたけれど、結局私に気力がなくなってしまったので、計画は頓挫した。もう少し若い頃だったら出来たかもしれない。今回会った 人達が越していらっしゃいと言う。毎日山を見て暮らすのは理想だけど、家を探したりするのは大変。やはり、時々来て楽しむのが、精一杯かな。さて、これから3連休の最後の日の渋滞に向かって車を走らせる。少々しんどいが、うちの猫と野良猫が首を長くして待っている。

2012年10月6日土曜日

八ヶ岳音楽祭2

朝目が覚めると目の前に富士山が見えた。右側には甲斐駒ヶ岳、今日は少し曇り。飼い犬の小豆ちゃんと戯れてあさごはん。新鮮な野菜が美味しい。午後から三々五々メンバーが集まって、あちこちから再会を喜ぶ人達の笑い声があがる。曲目はブラームス[ドイツレクイエム]リスト[レ、プレリュード]今回はヴィオラで頼まれた。練習が進むにつれ、楽器が重く感じられる。とにかくゆっくりのテンポの曲が多いのでしんどい。やはりヴィオラはヴァイオリンに比べて、体への負担が大きい。まして私のように小柄だと楽器を弾いているのか、楽器に弾かされているのか、よくわからなくなる。何時間か弾いていると朦朧としてくる。我慢の足りない私が真っ先に騒ぎ始める。[ああ、もうダメ。疲れた]とかなんとか。途中夕飯を挟んで夜も練習。練習後飲み会があって美味しい地ビールをいただく。その頃には睡魔に襲われ、この記事の作成の最中に自分のイビキを聞いてビックリした。

2012年10月5日金曜日

八ヶ岳音楽祭

八ヶ岳音楽祭に参加するために高根町の友人の家に来ている。明日から始まるリハーサルのために出発は明日朝でも良かったけど、世の中は三連休。大変混雑が予想されるのでで、今日のうちに来てしまった。友人は私の同級生。ご主人は今回の音楽祭の総監督の細洞さん。元東京フィルのトロンボーン奏者。リタイア後北杜市に移住、この地で音楽活動をしている。総監督となると数百人の面倒を見なければならない。食事の間もひっきりなしに電話がなる。次々に問題が出てくるらしく、対応に追われていた。私も一時期、このへんに住みたいと思ったことがあって、よく候補地を見に行ったものだった。そのうち、気力がなくなってしまった。でも、ここに来てみると見ると、山が見えるところに住みたいと、心から思う。素晴らしい景色と文化的な生活。いいなあ。さて明日から誰に会えるのか楽しみです。

迷い猫

前から気になっていた電柱に貼られたチラシ。自宅からいなくなってしまった猫を捜しているらしい。この一週間くらい前に私の家の駐車場に餌を食べに来るようになった猫がいる。おや、と思うほど似ているので飼い主に電話してみた。聞けば4か月前に引っ越しの準備をしていたら、姿を消してしまったらしい。電話の向こうで必死の声がする。捜しても見当たらずその次の日に引っ越しをしてしまったと言う。何回も自宅付近に戻って探したけれど、いまだに見つからないというので、見に来てもらうことにした。その間にもいなくならないようになんとか引き止めていられるかどうか。その日飼い主のSさんは仕事を終えて、夜9時ころやってきた。猫は車の下にもぐっているので、毛の色も良く見えない。でも自分の猫にそっくりだと言う。名前を呼ぶと反応がある。しかも車の下でお腹をみせてゴロンとした。もう数日間餌をやっているのに、私にはそんなことをしたことがない。これは脈があるかもしれない。その日は確認できなくて、朝明るい日差しの中で見ればわかるから又来ると言ってSさんは戻って行った。次の日は私は出かけてしまって、その間又Sさんが見に来ていたようだ。電話があって、本当によく似ているけれど、4か月で元の飼い主を忘れてしまうだろうかと、もっともな質問を受けた。赤ちゃんならともかく、2歳だった子なので、それはあり得ない。以前餌をやっていたのを途中事情があって中断した野良猫が、数年後に死に際に会いに来てくれたこともあるので、実際に猫の記憶は長いことを体験済だから。次の朝餌でおびき寄せてやっと車の下から這い出してきた猫をみて、はっきりと違うと確認された。本当にそっくりだけど、もう少し色が薄いらしい。Sさんも私も気落ちしてしまった。その子は明らかに飼い猫だったことがわかるけど、ノラになってどのくらい経つかわからないが、すっかり警戒心が強くなってしまっている。中々人の手の届く範囲にはこないから、保護することもできない。しばらく様子見だが、これから寒くなるからどうしよう。悩みの種は尽きない。

2012年10月4日木曜日

お絵かき

昨日のnekotamaを読んだFUMIKOさんからのご指摘。「新しい飼い主を見つけたのではなくて、その情報を拡散しただけです」拡散とは読んで字のごとし、広げる?どうやってやったのと言ったら「この次お絵かきの時にね」と言われた。「お絵かき」というのは私が作品展に出品するので大変なことになっている話。わが「雪雀連」は多芸多才のメンバーが目白押し。もちろんプロの画家も童話作家、人形作家、映画製作者などもいるので、今度そのメンバーが銀座の画廊で展覧会をすることになった。そこでなんでもしゃしゃりでる私は一人で指をくわえて見ているのはしゃくだから、小学校以来初めて絵筆をとることになった。画材の事もわからない、筆ももっていない、だいたい絵具は何を使うのかもわからない。描くものは決まっている「ねこがいかん!」という猫サイトの中の写真「ターキッシュアンゴラ」の貴婦人のような猫がモデルになる。そこで頼みの綱はFUMIKOさんの親友のN子さん。彼女は本職の画家で学校の美術の先生。頼み込んでご指導をあおぐことになった。それが今月半ば。すでにギャラリーがピアニストのSさん、FUMIKOさんとそろってしまった。私が初めて絵筆をとる歴史的瞬間が見たいらしい。しかもそれを肴に一杯飲もうと言う魂胆も見え透いている。そもそもなにが面白くて人の下手くそなお絵かきを見たいのか、たんなる物好きとしか思えない。見ていなさいよ、二人とも。大傑作をものにしてあっといわせてあげるから。この人たちは、でも、陰でこんなことを言っているらしい。私がろくにヴァイオリンも練習しないで絵をかいたりして遊んでばかりいるのはけしからん。もっとヴァイオリンの練習をさせよう・・・なんて。

2012年10月2日火曜日

ドッグトレーナー

昨日パスキエのコンサートの帰り道、FUMIKOさんを途中駅まで送って行った車中での話。吠え癖のある犬が殺処分にされそうなのをネットワークで救ったという。犬の声ががうるさいからと言って、なんと飼い主が保健所に持ち込んだのだそうだ。はらわたが煮えくり返るではありませんか。SOSの書き込みを見たFUMIKOさんが、その付近の住人達に呼びかけて、新しい飼い主をみつけたという。そんな話を聞くと涙が出そうになる。訓練をしないで猫かわいがりすれば、当然駄犬になるのは目に見えている。先ほどパソコンの受信メールをチェックしていたら、ドッグトレーナーの講座の広告が目についた。一瞬私も受けてみようかと思った。訓練もせず、犬をダメにする飼い主がごまんといる。人間の子供だって虐待を受けるのだから、買ってきた犬は品物同然と思っている人は沢山いると思う。気に入らないから保健所に持って行って、他人に殺させる。なんというひどいことか!最初から犬を飼う資格なんてない。どうして飼うのか不思議。私は病気の猫ばかり拾ってくるから、治療費も餌代も沢山かかるけれど、一度だってその子たちをすてようなんて思ったことはない。犬も大好きだけど、うちでは犬を飼う環境にないから、飼うことを諦めている。そこでドッグトレーナーの訓練を受ければ、それを仕事にしなくても可哀想な犬を救うことが出来るかもしれないと、ふと思った。さて、今私の家の駐車場にノラが3匹。そのうちの1匹が、電柱に貼られていた迷い猫のチラシの写真ににそっくりなので、飼い主に電話してみた。飼い主が確認に来ているが、車の下から出てこないので手間取っている。本当にその子だといいのに。暗いので確認はできなかったが、朝、明るい光のなかで見ればわかるから、出直して来てもらうことにした。こんなにも動物を大事にする人がいる一方、平然と殺す人もいる。人間は残酷な生き物だなあ。

2012年10月1日月曜日

レジス・パスキエ コンサート

トッパンホールにて。ピアノはリディア・ビジャーク ラヴェル「ソナタ(遺作)」 フランク「ソナタ」 エネスク「ソナタ(ルーマニア民族風)」 ラヴェル「ツィガーヌ」 しなやかな右手、軽々と動く左手。名人芸をこれでもかと聴かされて、あまりの音の素晴らしさにおどろかされた。レイチェル・コリー・ダルバのコンサートの時には名器ストラディバリウスの音に圧倒されたけれど、今回はグァルネリ・デル・ジェス。その音をなんと表現したらいいのだろうか。私には言葉もない。しかもダルバとの決定的な違いは円熟度。たぶんパスキエは彼女の2倍以上の年齢だと思うが、瑞々しさの上にも熟成された音楽は、心ゆくまでの豊潤な時を私たちに味あわせてくれた。めったにないほどの豊かさ(こういう表現を使っていいならば)この上なくセクシー。あまりの官能的な音に心が溶けてしまいそうだった。彼にとってヴァイオリンで表現できないものはなにもないのでは?すでに体の一部なってしまっているとしか思えないヴァイオリンからは、自由自在に音楽が輝き出てくる。近来味わった中でも最上のコンサートとなった。今日の音に恋をしてしまった私は、この呪縛から解き放たれるのはいつになるか。こんなに喜びを味あわせてくれたデル・ジェスに感謝!名器と名人が出会って初めて本来の音が出る。テクニックも音楽性も素晴らしいと思っていたダルバも、年月を経て熟成された音楽の重みにはやはり勝てない。とにかくうれしいひと時だった。

台風

昨日の台風はかなり激しかった。夜中に目が醒めると、時々突風で家がぐらぐら揺れた。今朝ここ神奈川県某所は燦々と陽が輝いて、何事もなかったように野良猫が餌を食べに来ている。今朝は珍しくテレビを見ていて思ったのは、なんでこんなに情報が溢れている時代に、うろうろディズニーランドなどに出かけて帰れなくなるのだろうか。スマートフォンなどで瞬時に交通情報などわかるのに、しかも台風が来ることはずっと前からわかっていたのに。家族連れの映像では、子供が突風で滑って車道まで転がり出ていた。あぶない!こんな日にどんな事情にせよ、子供をあの風雨の中で歩かせるとは。沖縄では磯釣りをしていた人が波にさらわれた。その頃沖縄は暴風圏内にあったはず。そんな時に危険な海の傍に行くこと自体が信じられない。のんきなのか体力に自信があるのか知らないが、毎回災害の情報を見て疑問に思う。仕事で出かける人は気の毒。私もかつて全国を飛び回って仕事をしていたころ、台風にはずいぶん泣かされた。羽田で飛行機が飛ぶか飛ばないか、手に汗を握って待機したものだった。たとえ飛行機が遭難しようと、仕事場に向かっていたと言うことは認めてもらえるだろうと思いながら。必ず決められた時間に現場に到着しなければいけない過酷な仕事だった。元来仕事と言うのはそういうものだと叩きこまれていたから、なにも不思議に思わなかったけれど、今こうしてゆったりと世間を眺められるようになると、ずいぶん危険なこともあったに違いないと思う。ただし、今でも仕事となったら、どんなに雨風が吹いても這ってでも行くにちがいない。

2012年9月30日日曜日

発表会

昨日は音楽教室「ルフォスタ」の年一回のクラシック部門の発表会。会場の都合で午後3時からしか使えないので、生徒数を絞って40組、グループもあったから総勢60人くらいは出演したと思う。その間自分の生徒の演奏を聴いたり伴奏に回ったりと大忙し。クラシックのヴァイオリンの教師は3人、ヴィオラ1人、チェロ2人、以前は私がヴァイオリンとヴィオラの教師も兼ねていたが、最近おなじみFUMIKOさんが教師陣に加わったので、今年は彼女が伴奏に参加してくれるものと思っていたら、あてがはずれて今年も私がヴィオラを弾く羽目になってしまった。その上なんだかんだトラブルがあって、私の生徒のうちの一人のピアノ伴奏まですることになった。ピアノは学校を卒業して以来、練習もしていない。ふりかかった災難に青くなりながら昨日午前中いっぱい練習をして、本番は緊張しながらなんとか終わった。毎年頑張っているメンバーは確実に上手くなっている。今年私の生徒が頑張ってサンサーンス「序奏とロンドカプリチオーソ」を弾いた。彼は会社から帰ると家族が寝静まってから真夜中に気が遠くなるほど練習したと言う。見事な出来栄え。もう一人はラロ「スペイン交響曲」に挑戦した。彼女もひどく癖のある弾き方だったのが努力して直し、音も豊かにリズムもしっかりとしてきた。仕事は国際的で、韓国へ出張が続いて度々レッスンも休まなければならなかった。それでもこのような大曲に挑戦してのけた。2人に共通するのは性格の素直さ。人を受け入れる懐の大きさ。どんな仕事をするにしても一番大切なことかもしれない。負うた子に教えられるとはこのこと。生徒に教えられながら私たちは成長していく。終了したのは20時30分。もし全員参加となると、朝11時から始めてこの時間に終わる。伴奏者はヘトヘト、スタッフもクタクタとなる。演奏した生徒たちはレベルの差があっても、みな一様に満足している。大学生の息子を持つ専業主婦が「私でも脚光をあびられるのですね」と感無量だった。誰だってステージに立てばもう大スター。でも本当はそこに至るまでの努力こそが宝石なのだ。

2012年9月28日金曜日

古典定期はいつも満員

昨日も聴きに来てくださった方々ありがとうございます。夕方から雨の予報にも拘わらず客席はほぼ埋まり、こんなにも沢山の方にサポートされているのだと思うと嬉しくなる。最近「古典」のメンバーもすっかり年を取った。当たり前ともいえるけど、来年は創立60周年。コンサートマスターの角道さんは約半世紀以上在籍。そのほかのメンバーもみな数十年も一緒に演奏している。メンバーの平均年齢はそのために非常に高いので、目が悪くなったり指が曲がったり、枚挙にいとまはないが、とにかくこんなにメンバーが変わらない合奏団は珍しいと言える。ヴィオラは時々世代交代するが、数年前から参加の東さんも初めは「自分はどこのグループでも3年くらいしかもたない」と言っていたけれど、早くも延長記録を伸ばしている。私は皆さんよりもだいぶ後から参加だったけれど、沢山コンチェルトのソロを弾かせてもらった。今回は中でも角道さんに次ぐ古狸(本人には内緒ね)の新谷絵美さんのソロ。感動しました。関節炎で指が痛いと言いながら、豊かな温かみのある音で朗々と歌い上げた。歳を重ねないと出てこないものがある。沢山の経験や喜怒哀楽を経て深みを増した音楽は、若者のスポーツのような演奏では味わえない。こんな地味な演奏会に誰が来るかとおもうけれど、それなりに皆さんの心に沁みていくようなら続けていてよかったと思う。ずっと通ってくださる方も沢山いて、その方たちから次の方に受け継がれて、席を取るのが大変と言う声まで聞こえてくる。この中のメンバーが一人でもやめたら「古典」はおしまいにすると角道さんの半ば脅迫的な言葉で、目がかすんで本番が恐ろしいのに、まだやめられない。年々緊張度が増してくる。楽譜が良く見えない、反射神経が鈍ってきたなどの悪条件が重なって、自分が信用できなくなっているから。

2012年9月26日水曜日

ジュリちゃん

イギリスでペット用のおもちゃや服を作っているお店があった。ヴィオラのFUMIKOさんの愛犬ジュリちゃんへのお土産に、羊のぬいぐるみを買った。ワンちゃんが喜んで遊ぶらしい。今日は小平のケアハウスでの演奏会で一緒だったので、少し遅れてお土産にと手渡したら後でメールが来て、なんと可哀想に飼い主がジュリちゃんから取り上げて自分のものにしたらしい。というのも、FUMIKOさんがビークル犬のぬいぐるみをジュリちゃんに与えたところ、喉を食い破ってしまったという経緯があるから無理もない。でも、私はジュリちゃんにあげたのになあ。

2012年9月24日月曜日

古典音楽協会定期演奏会

私たちの音楽会にぜひいらっしゃってください。今週の木曜日です。毎回沢山のお客様が来てくださいます。本当に感謝しております。ホームページはこちらから。

2012年9月23日日曜日

ピンチヒッター

昨夜夕飯にいつも飲んでいるノンアルコールのビールを切らしていたので、アルコール度数の低いビールを飲むことにした。最近アルコールを飲まなくなっていたから思いがけないほど酔ってしまって、そのままベッドへ入って眠ってしまった。携帯の着信音が耳元で喧しくなるので目が醒めた。ちょうど21時ころ。まったくもう、誰から?人が早寝すると決まって電話がかかってくるのだから。電話の向こうからは切迫した感じの声がする。今週の土曜日は音楽教室「ルフォスタ」の発表会で、今日が伴奏合わせの日。電話の要件は、ピアノ伴奏者のうちの一人が急病で倒れたので他の人を頼めないかと言う。前日に言われて間に合うピアニストなんてそうそういない。ほとんどの曲を初見で弾かなければいけないから、初見がきいて合わせるのも上手い人でないと。そこで先日イギリスに一緒に行った美里さんに電話をした。ところが今日は美里さんの先生を囲むお食事会があるという。そこを何とかと苦し紛れに頼むと、会食を早めに切り上げて来てくれると言う。持つべきものは友。そして本番は今週土曜日。それも生徒のレッスンを都合をつけて変えてくれると言う。本当に後光が差します、美里さん。「あなたの頼みならきかないわけ行かないじゃない」おいおい、泣かせないで。とにかく今日の音合わせは無事終了した。ただ一人だけ、とてもテンポの揺れる人がいて、その人だけはさすがの美里さんもお手上げ。それは私の生徒だから、私がその人の伴奏を弾くはめになってしまった。人前でピアノを弾くのは何十年ぶりか。ピアノは日頃弾いていないからきっと緊張するだろうなあ。困った困った。一週間ピアノを練習しなければ。今回はヴィオラの先生が出演しないので、私がヴィオラを弾く。馴れないヴィオラとピアノ。生徒よりも緊張するのは私かもしれない。

モーツァルトとベートーヴェン、漱石と百閒

久しぶりにモーツァルトのピアノトリオを弾いたら、ベートーヴェンとのあまりの違いにびっくり。最近はベートーヴェン好きの友人に引きずられて苦手なベートーヴェンを連続して弾いていた。やっとベートーヴェンに馴れてきて悪くないと思えるようになってきたのに、モーツァルトを弾いたらベートーヴェンはかすんでしまった。なんという生き生きとした音楽!命が迸る。感情がさく裂する。本物の天才。神様の申し子。それだけに演奏するのは難しい。一瞬の油断が命取りとなる。彼の頭の中で出来あがった音楽は推敲の必要もなく、そのまま五線紙に書き写すだけだったと聞く。無駄がない。一つの訂正もないらしい。そして、漱石の「吾輩は猫である」のもじりである内田百閒の「贋作吾輩は猫である」を読むと、漱石との差は歴然。百閒は好きな作家の上位に位置するが、こうしてみると、やはりモーツァルトとベートーヴェンと同じくらい違う。漱石の「猫」の研ぎ澄まされたユーモアやウイットは百閒先生には荷が重い。百閒の「猫」はそれなりに面白いけれど、大勢出てきてワイワイ騒いでいるだけ。やはり天才と準天才の違い。凡人の私が偉そうに言うのもおこがましいが、この差を埋めるのは不可能に違いない。ベートーヴェンの偉業は音楽史上に燦然と輝いても、もし私が明日をも知れぬ命となった時聴きたいのはモーツァルト。子供の頃、学校から家に戻って最初に聴くのはモーツァルトの「交響曲40番」だった。毎日聴いても何年聴いても飽きない。8年前、自分自身の音楽活動に一区切りをつけるために催したコンサートも、モーツァルトの長大な「ディヴェルティメント17番」を選んだ。「うれしそうに弾いていたね」というのが大半の批評。そう、本当に楽しかったのです。

2012年9月22日土曜日

おしゃべり撃退装置

毎年ユーモアのある科学研究に贈られるイグノーベル賞。今年も日本人が受賞したそうな。名つけて「スピーチ・ジャマー」妨害を意味する英語のジャムと日本語の邪魔を掛けて命名。開発したのは産業技術総合研究所の栗原一貴さんと科学技術振興機構の塚田浩二さん。話している人の声をマイクで拾い約0・2秒後に指向性のあるマイクで本人に送り返すと、なぜか上手くしゃべれなくなるそうで、スピーカーからの声は30メートル先まで届くと言う。私の楽しみはおしゃべり。聞くのも話すのも大好き。気があった人となら一日中でも喋っていられる。それをもし妨害されたら、いやだなあ。でも中には詰まらないことをくどくど々喋る人もいるから、そういう時に使いたくなるかもしれない。昔仕事仲間によくしゃべるおじさんがいて「シャベリウス」とあだ名がついていた。もちろん「シベリウス」のもじり。でも私はそんなにうるさいと感じたことはなかった。おしゃべりは脳みその体操。自分の中でまとめて発信し、人の言葉を聞いて反応して、又送り返す。かなり高度な脳体操だと思うけど。ところでイグノーベル賞はこのところずっと日本人が受賞している。2011年10月4日2010年11月24日のこのブログを参照してみてください。ちなみに去年は「わさび警報装置」一昨年は「粘菌の研究」その頃11月24日のnekotamaを読み返すと短くまとまっている。最近のこのブログはやたらに長くなってきた。脳みそが壊れて文章もおしゃべりになってきたかな。反省!今日はだからここまで。

日焼け止め

今年はどうしたことか、一向に涼しくならない。私は体の99%が水で出来ているから、毎日大汗をかいている。私のカルテット演奏初体験は高校2年の学内演奏会、演し物はハイドン「ひばり」今のように学校には冷房など完備されていなかったから、夏の暑い日(たぶん夏休みに入る直前の演奏会だったと思う)、汗が腿を伝わってスウーっと流れ落ちたのを鮮明に覚えている。若いころは汗は体の下の方にかいて、それからだんだんに上に上がってくるそうだ。今はもう上の方に汗が集中している。更年期にもなると、顔はほてり汗が流れ落ち、せっかく塗り込めたシミなどはあっという間に露出して、みるも無残な状態になる。それならいっそのこと化粧などやめちまえというので、ほとんど化粧水もつけないでいたら、それが正解だったらしい。時々病院で肌のケアを受けているが、そこでの指導が化粧品を一切つけないことというのだから。大体化粧品売り場に行くと、途方に暮れるほどの化粧品がならんでいて、しかもおしゃれなビンに小さな薄い字で説明書きがあって、私の目にはそれは字であるのか模様であるのかはっきりと映らない。一体これはなに?どんなときに使えばいいの?顔に使うの?などと一度では到底わからない。思いがけなく長居をしていると、たいてい店員が用もないのにやってきて、そこいら辺をかたずけるふりをし始める。万引きおばさんと思うらしい。それで店員のやっていることをじっと見ていると、本当になんの役にも立たないことをやっている。同じ商品を並べ替えたり、列を直すのにいちいちとりだして同じところに戻したり、ははあ、ご苦労さん。いったいなにをしているの?と一度聞いてみたい。私が唯一使うのは日焼け止め。これはもう必需品で、病院でピーリングをしたあとじかに紫外線に当たると大変なことになる。いまだにやっているスポーツがスキーだから、雪焼け防止にも。化粧品売り場に行って日焼け止めひとつ買うのもそういったわけで大変だから、イギリスに行く前に通販で注文したことがある。なるべく肌によさそうなものをと思って注文して届いたものは予想していた物よりも大きかった。忙しかったのでそのままポーチに突っ込んで旅行に出てしまった。使ってみるといやにぬるぬるしている。外出時にはその上から薄くファンデーションをつける。なにか使い心地が腑に落ちない。4日間ほど使ってから不審に思ってよくよく見ると、なんと洗顔用の石鹸だった。そんなわけでイギリスに居る間日焼け止めなしで過ごさなければならなくなった。美容外来より粗忽な性格を矯正する病院に行った方がいいようだ。

2012年9月20日木曜日

墓参り

昨日モーちゃんを探しに墓地に行ったおかげで、お彼岸であることを思い出した。今朝早く開いているスーパーにお花を買いに行って、先祖のいる近所のお寺へ出かけた。お寺のど真ん中に大きな銀杏の木がある。その真下に私の先祖が集まっていて、私の両親が一番の新参者。なんせ癖のあることで語り草になっていたような変わり者揃いの先祖たちだから、うちの父親などはその中で小さくなっているに違いない。父親は超のつくお人好しで、ご先祖様にいただいたたくさんの資産もあらかた使い切ってしまったので、私たちにはほとんどなにも残っていない。そのかわり私たち兄弟は、遺産を巡る醜い争いも避けられて仲よくやっていられると、まあ、こう思わないと。父が経済観念のある人だったら、今頃私はストラディバリウスを買っていたかもしれない。それで毎日楽器に馬鹿にされて泣いていたことだろう。それが避けられて、まあ、幸せだったと思わないと。などと考えていると突然脇から男の人が現れて「**太郎おじさんにお線香をあげさせてください」と言う。「ありがとうございます。どちらさまでいらっしゃいますか」と聞くと「今、町会長をやっているものです。お父様には大変お世話になりました」父は戦後の物のない時代に人が困っているのが見過ごせなく、自分の会社は部下に丸投げして人のために奔走するような人だったから、家族からの評判は今一。うちには食い詰めた人たちが居候したり、裏庭にテントを張って暮らしていたりで、てんやわんや。犬や猫やウサギ、アヒル、小鳥、鶏など動物もいっぱい。私はにぎやかな少女時代を過ごしてきた。しかし大家族の中では一人一人の子供に対する関心は希薄だから、孤独を愛する心も養われて、それが楽器を弾くことにも役に立っているかもしれない。今自分があるのはこのどうしようもない父親と、愛情過多の母親と、人をおもちゃのようにいじくりまわして可愛がってくれた兄姉たち。その愛情がどっと集中するはけ口としての動物たちの存在。動物ならぐれたりしない。甘やかしてもだめにならないところが偉い。モーちゃんのおかげで墓参りができた。猫の恩返しかも。

2012年9月19日水曜日

モーちゃん還る

今日はモヤを捜して一日落ち着かない日だった。午前中外出した後、1時間くらい近所を捜し回った。時間切れとなって又外出。4時ころ帰宅。今日は昨日よりも遠くに行ってしまった可能性があるので、範囲を広げてみた。しかし、いない。お寺や墓地などは野良猫の巣窟だから、そのあたりを重点的に探す。墓参者が多い。ああ、そうか、秋のお彼岸なのだ。すっかり忘れていた。「モーちゃん」を連呼しながら歩き回って、犬に吠えられたり、人から不審そうに見られたりするけれど構っちゃいられない。自宅の周りでも大きな声で呼んでみる。返事はなく、毎日餌をねだりに来るノラが顔を出す。ヴァイオリンの練習が終わって夕飯前にもう一度、今度はさらに範囲を広げ、隣の町内まで歩き回った。いない。家に戻って、押し入れをくまなく捜し、布団やタオルの間を探る。その頃にはもう涙声。みあたらない。何回も階段を昇り降りして、そのたびに階段下のガラクタの間を覗いていたのに、ウンともスンとも返事がない。けれど、ほんのかすかなカサッという音が聞こえた。おや?今の音は!「モーちゃん!」呼びかけると涼しい顔でニャアと現れた。まったくもう。どれほど心配したことか。今日未明の激しい雷雨に驚いて、とんでもない所まで逃げて行ったのかと思った。昨夜も出たり入ったり、側を何回も通っているのだから、ちょっと返事くらいできそうなものなのに。モヤは不思議猫で、姿や気配を消してしまうことがしょっちゅうある。1日か2日くらい絶食して、気が済むまで一人でいるようだ。飛び抜けて頭が良く、性格も明るい。しかも、人の心が読める。落ち込めば必ず優しく付き添ってくれる。愛情深い性格なのだ。時々こうして人騒がせな行動をとるけれど、私の宝物。モーちゃんが見つかったので今日のビール(ノンアルコール)は一段と美味しかった。

消えたモーちゃん

モーちゃんことモヤちゃんは私の守り猫。気分が悪かったり落ち込んでいたりすると必ずそばにいて、手を差し伸べてくれる。昨日から姿が見えない。それこそ猫の額ほどの狭い我が家には、それほど隠れるところはない。しかしモーちゃんは雲隠れの天才で、一度などは箪笥の抽斗をあけっぱなしにしておいたら、その裏側に入っていた。そうとは知らずに抽斗を収めてしまい、しばらくしてかすかな鳴き声が箪笥の裏から聞こえてきた。あわてて抽斗を引っ張り出すと、箪笥の裏板と抽斗のわずかな隙間に閉じ込められているのが見つかった。だから今回もあまり気にもしていなかった。気が向いたらそのうち出てくるものと思った。昨日実は気になることがあった。私の家は住居エリアとレッスン室が階段の踊り場を挟んで向い合せになっている。そこを行き来していたとき、物音がしたのでレッスン室のドアを開けて住居を見ると、そちら側のドアが開いていた。ドアのストッパーが壊れたのをそのままにしてあったので、しっかり閉めないとドアが開けっ放しになってしまう。閉め方が悪かったらしく半開き状態になっていた。いつもならしばらくレッスン室にこもるときには住居のほうには鍵をかける。さいきんこの辺でも空き巣が多いから用心のために。でも、我が家はコソ泥が入ったとしても「先客がいたのですね。失礼しました」と泥棒が言って出ていくと思われるほどの散らかりようだし、盗みたくなるようなめぼしい物はなんにもない。だから多少不用心になっていた。ところが、それから杳としてモヤの行方が分からない。未明に猫の鳴き声がして、目が覚めた。まだ真っ暗な中を近所を一回り。いない。夜が明けて一回り。いない。もしかして家にいるかと探しているのに、うんともすんとも返事がない。うちのドアが万一あいていても、建物に入るためのドアが閉まっていれば猫の力では開かないから、外へは出られないはず。でも、だれか人が来たのでびっくりして、その人が開けたドアから出て行った可能性もある。もう、心臓はドキドキ、目は涙目になっている。モヤちゃん早く出てこないとかあさんは病気になってしまうよ。

2012年9月18日火曜日

食べ過ぎ

昨日コンサートの打ち上げで食べ過ぎた。最近アルコールも控えているし、食べる量がぐんと減ったので大分痩せたのに、すっかり元の木阿弥。これで又弾みがついて馬鹿食いしないようにと思いながら、目の前に次々出される料理には打ち勝てず、食べ終わってから後悔しても、もう遅い。脂っこいものを食べすぎたうえ、ジントニックの甘さに騙されつい飲みすぎて少々気分が悪くなった。なんとか冷静さを保って家に帰ると酔いは醒めて、やっと気分が良くなった。一度やってみたいのが「昨日はどうやって家に帰ったのか覚えていない」ということ。私は飲んでいても必ずここでストップという瞬間があって、いままで酔いつぶれたことはない。そこを超えればきっと忘我の世界に行けるとは思うけれど、恐ろしくてそんなことはできない。とてもおとなしげな人が「昨日の事は全然覚えてないわ」などと平気でおっしゃる。ふーん、勇気ある人!どんなときにも我を忘れることが無いと言うのは、考えてみるといささかつまらない。大体ガクタイ(音楽家)でこういう性格は大成しない。自己破滅型の人が往々にして芸術の世界で良い仕事をして、破滅して死んでいく。生きているうちは厄介者の扱いだったのが、死ぬと急に賞賛され、全然売れなかった仕事が評価されて、生き残った家族がぼろもうけをするという仕組み。虎は死して皮を残す。私は皮どころか髭一本残らないに違いない。残るのは楽器のみ。そのうち関東も大地震に襲われるそうだから、自分の命は失っても、楽器だけは生き延びさせてあげたい。なんといっても世界の文化財なんだから。ヴァイオリンも300年近く生きてきて、ここ日本で壊されてしまったら、さぞ無念に思うにちがいない。私の楽器はそれほどの名品でもないけれど、それでもこれから何代にもわたって弾き継がれていってほしい。今の所有者は私であっても私だけのものではない。だから次世代は日本ではなく地震のない国の人の手に渡ってほしい。と、まあ・・・食べ過ぎからどうしてこんな話になったのかしら、はて?

2012年9月17日月曜日

街の歌

今年3回目のベートーヴェンピアノ三重奏曲「街の歌」代々木上原のムジカーザ、こじんまりとしたホールは小さなコンサートにぴったり。今年は街の歌を3回弾いた。初めは桜の咲く頃、ボランティアでケアハウスのお年寄の前で弾いて、たいそう喜んでいただいた。そして夏に松原湖のコンサートで、ピアニストもチェリストも初顔合わせの違うメンバーでの演奏。相手が若かったのでテンポも速く生きがよかった。そして今日は長年一緒に弾いている同級生のSさんと、チェリストのこれもSさんと。Sさんお二人の顔合わせは初めて。相手が違うとこれほど感じが変わるかと思うくらい、それぞれの演奏家の特徴が浮き彫りにされる。今日はSさんのお弟子さんで音大卒業後プロとして活躍している若きピアニストたちのジョイントコンサートだったから、皆さん大曲を引っ提げての緊張した雰囲気での演奏だった。非常にレベルが高く、会場が響きすぎるのを上手くコントロールして、ステキなコンサートになった。そのトリを務めさせていただいたのだが、やはり何回弾いてもベートーヴェンは緊張する。この曲はベートーヴェンの中でも、明るく愛らしくて私はとても好きな曲なのだが、相変わらずむずかしい。さすがに3回も弾くと馴れそうなものだが、いつ弾いても緊張には変わりない。今日はピアニストもチェリストも私とは長年一緒に演奏している人たちだから、むずかしさに変わりなくても相手への信頼度が違うので、本当に楽しんで弾いた。アンサンブルは長年一緒に続けて行くことが肝心だと思う。いくら名手がそろっても、練習が足りていないとすぐばれる。以前テレビでメンデルスゾーンの8重奏曲を見ていた。その頃の一番旬の人たちだったにも拘わらず、あきらかにやっつけ仕事。いかにも上手そうに弾いてはいるのだが、ちっとも感動しなかったのを鮮明に覚えている。名人級が揃っていても人の耳はごまかされない。愚直に不器用に続けて行くことが一番肝心なことではないか。

2012年9月16日日曜日

旧友からの電話

今朝かかってきた電話はもう20年以上会っていなかった人から。優秀なピアニストで音大の先生を長く勤めていたけれど、最近はやっと少し自分の時間が持てるようになったので、又ご一緒にどうですかとのお誘い。皆働き盛りの時には子育てや親の介護が重なって、特に女性は中々演奏までは手が回らない。それでもじっと我慢をしながら勉強を絶やさなかった人たちは、今ここで花が開く。その間子育てや親の介護と言う隠れ蓑に甘んじて怠けていた人は、もう再起は不能となる。そういう忍耐派の中の一人である彼女とは、ずいぶん色々な曲を共演した。ローラ・ボべスコの前でブラームスのソナタを演奏したのが最後だったかしら。彼女は離婚して女の子を一人で育てていたけれど、縁があって再婚して幸せな家庭を築いている。その前夫との離婚の原因がおかしい。最初のご主人は某有名国立大学出身。それだけが取り柄のつまらない男だったそうで、その上に鬼姑がいて彼女をいびったそうだ。子供が出来た時に、彼の出身校以外の血が流れる子供は嫌だと言ったそうだ。彼女もそのお父様も一流国立大学出身なのに。その言葉で絶望した彼女は、子供が生まれるとすぐに家を出て実家に戻り、子育てしながら大学で教え演奏もするという大変な毎日。その頃によく一緒に演奏をした。なぜかコンサートの前日に子供が熱をだすのよと、よく言っていた。彼女の緊張が子供にも伝わってしまうのだろう。しばらくして再婚した後は、年賀状のやり取りだけとなった。再婚相手にも子供がいて、子育てが大変だったと思う。そして今朝、弾んだ声で、小さなコンサートですが又一緒にできないかしらと言ってきた。いつまでも覚えてくださってありがとう。私は心からお礼を言った。ピアニストの友人がたくさんいて、様々な曲が弾けるのは本当に楽しい。そのかわり、次々と追いまくられて忙しくなるのは仕方のないことで、これは嬉しい悲鳴。怠け者の私に神様がくださった試練と考えて、老骨に鞭打っていかねば。ヒーヒー!

2012年9月13日木曜日

あんまり可愛いので。

「ねこがいかん!」(neko.ijk.com)から失敬してきました。

2012年9月12日水曜日

腰痛

イギリスでワーゲンのゴルフを借りていたけれど、運転席のシートが上手くフィットしなくて腰痛になってしまった。このところ腰の具合がいいので、すぐ治るものとたかをくくっていたが、帰国してからも良くはならなかった。こういうこともあろうかと、帰ってすぐにいつもの整体師のところへ行った。中国気功の先生は中国で外科医をしていただけあって、体の仕組みや関節の動きなどを熟知しているから、いつも非常に心地よい治療を受けることが出来る。そこへ行けば一度で治るものと信じていた。でも、治らなかった。次の週に行くと、まだ治らないと聞いて先生の様子が変わった。いつもは穏やかでソフト押しかたなので、治療が始まるとすぐグッスリと眠ってしまう。ところがその時は全身の力を込めて押してくる。ただ、絶対に痛いようには押さないのだが、もう少しで痛くなる寸前で止める。見事な力の入れ方で恐ろしいほどの集中力で治療してくれた。終わった時にはいつものように穏やかに「今日は強く押したから、だるくなると思います。ゆっくり休んでください」と言われた。今朝目が醒めると全身がだるい。いつものようにはすぐにベッドから離れられない。ノロノロと起きてシャワーを浴びても目が醒めない。ああ、来たかと思って、今日が休みの日なのをありがたいと思った。朝食を食べてから昼過ぎまでウダウダしていたら、その頃から急に元気になってきた。ヴァイオリンの音もいつもより冴えているようだ。思わず日頃の練習不足を取り戻そうと頑張ってしまった。そのあげく、急に掃除がしたくなった。家事の中で何が嫌かって、掃除が一番苦手。それなのに、急に台所のシンクを洗いはじめたら、もう止まらない。床も掃除機をかけた後、雑巾がけ。信じられない!この私が掃除を楽しむなんて。やりつけないからすぐにへたばったけれど、珍しいことがあったので間もなく天変地異がおきませんように。

2012年9月11日火曜日

ものの値段

暑い暑いとメール送ったら、去年、一昨年の方が暑かったと言うデータがありますと、軽く一蹴された。ただ暑いと言うことに対してすぐに調べてから返事が来るのでグウの音も出ない。ぐう!猫たちは毛皮をそこいらじゅうに脱ぎ捨てている。時々間違えてほかの猫の毛皮を着てしまって、頭はたまさぶろう、胴体の毛皮はもーちゃんだったりして・・・なんてことは嘘だけど。こんなシュールな妄想をするほど暑い。調べると言えば「たまトラ」というのは隠れた調査機関みたいなサイトだけれど、私に必要な情報が満載されている。パソコンはこの頃大変安くなって、良い機種が出ているらしい。投稿者がそれを人に勧めたら、量販店で同じような機種と見えるのものを買って、こちらの方が安かったという人がいたらしい。調べてみると、実は使っている部品の質が違うというような記事があった。細かい所までは素人ではわからない。専門家がみれば部品の良しあしもわかるというもの。でも、それも、1ヶ月くらいすればすぐに変わってしまうという恐ろしいスピードで世の中は動いているようだ。調べても調べても新しい物が出てきて、対応も大変ではないか。でも、調査が好きな人は楽しみに新しいものを待っているのだと思う。そんな人から見れば、300年も前の楽器で化石のような音楽を奏でている私たちはシーラカンスのように思えるに違いない。ところで、ヴァイオリンも初心者が訳も分からずに楽器屋さんに飛び込みで買ってきてしまうことが多い。「半額でいいというので」とか「見た目がきれいだった」とか「信用できる人から譲ってもらいました」とか。あとでほかの複数の楽器屋さんに鑑定してもらうと3分の1の値段を言われてがっかりする人をよく見かける。半額で良いと言うのは、最初の値段が高過ぎるから。楽器の世界は怖い。くれぐれも気を付けてと口を酸っぱくして頼むのに、自分でわかっているつもりでいる人は言うことをきかない。それこそ使っている部品が違う。なんといっても作った人の技術が違う。なんでこんなに違うのかと思えるくらい違うので、値段も数万円から数十億円までの開きがある。私には楽器の値段の差などとうていわからない。だから生徒が楽器を買うときには、複数の楽器屋さんに見てもらうようにアドバイスをしている。楽器屋さんはどこでも同じように値段をつけるから、平均して妥当な値段がわかる。知り合いの楽器屋さんにたのむと、みなさん快く見てくださるのがありがたい。物の値段はやはり専門家にお願いするのが一番。納得してから買ってほしい。それでも楽器は音が気に入って買ったなら、値段については騙されたと言うことはできない。以前、そのことで裁判になったことがあった。値段はもちろん数千万円の世界。でも、騙されたと言って提訴した方の負け。それを買う時点で納得して買ったのだから。

2012年9月10日月曜日

ようやく落ち着いたたまさぶろう

10日余りの私の留守がたまさぶろうには堪えたらしい。帰ってきてからべったりと貼り付かれて参った。座ればひざに、ベッドでは体を密着させて、涎だらけの口が顔に迫ってくる。いやはや、参った。歳を取って寂しいのかやたらに甘えん坊になったのはここ2、3年くらい前から。彼も近所の団地で拾われてからほぼ20年近くなる。人間なら100歳に迫るほどの年齢。耳が遠くなったか、吠え声がけたたましい。腎臓の機能が約4分の3ほどダメになっていると言う。そのために尿の量が異常に多い。腰も少し弱ってベッドから飛び降りる時によろける。ベッドに上がってくるときは下でにゃあと鳴いて、引っ張り上げてくれるのを待っている。しかし、これは甘えているだけ。それが証拠には夜中に野生に帰った瞬間、テーブルから冷蔵庫へ、冷蔵庫から食器棚へとモモンガのように飛び移る。眼光すさまじく、野太い唸り声をあげる。これを見ているから、ベッドの下で引っ張り上げてと言って可愛い声で鳴くのには騙されない。あまりにもうるさいので引きずり上げると、見事な脱力体となって体がベッドの角度と同じになって上がってくる。この脱力が私にできれば、もっとヴァイオリンも良い音がするだろうに。とにかく1週間ほどは振り払っても蹴飛ばしても(本当は可哀想で蹴れないけど)にゃあにゃあ啼いて広くもない部屋中付きまとわれて、気が変になりそうだった。ようやく私の時差ボケが治ったころ、彼のストーカー行為も下火になった。それにしても暑い。もう9月の半ばに差しかかろうと言うのに。私の汗かきの肌にたまさぶろうの毛が貼り付いて、それはそれは気持ちが悪い。その上、あとの2匹の猫が喘息気味で、夜中にいびきがうるさい。地獄ですな。外には新たに野良猫2匹。こちらも朝晩えさよこせコール。猫に彩られて私の人生は苦労が絶えない。ま、自分で買って出た苦労と言えば言えなくもない。

2012年9月8日土曜日

すばらしいアニメーション

岡本忠成さんは20年前に亡くなったアニメーションの監督。わが「雪雀連」のメンバーでもあった。その作品はいまだに大勢の人を魅了してやまない。今日は大手町の日経ホールでの遺作映写会があったので出かけた。初めの作品は「あれはだれ?」毛糸の線だけを使って動物を表現。気の遠くなるような作業を重ねたに違いないこの作品は芸術祭優秀賞ほか複数の賞を受賞している。子供も大人も楽しめるのに、大人にしか本当に理解できないと言ったのは評論家のおかだえみこさん。途中登場してのおはなし。次は「おこんじょうるり」キツネのおこんが、いたこのおばあさんに受けた恩を、病気を治す不思議な力を持った浄瑠璃を語って恩返しする。しかし、結末は号泣するくらい可哀想。何回見ても哀れで哀れで泣いてしまう。今日も又泣いた。圧巻は宮澤賢治の作品をもとにした「注文の多い料理店」制作途中で岡本さんが亡くなったために、川本喜八郎がスタッフに加わり、5年の歳月をかけて制作されたという。冒頭の部分からすぐに意識の深層に入って行くような深みを感じる。色も人物も動物もすべてがまるで実際に存在するような、アニメの枠を超えた表現が素晴らしい。それは製作者の集中力がそのまま感じられる作品であるから。最後に「虹に向かって」深い谷川に隔てられた恋人同士が、橋を架けるために必死で働く姿を描いている。これらの作品のすべてが大変名誉ある賞をそれぞれ複数受けているのもうなずける。こんなに素晴らしいアニメがいまから20年以上前に完成されていたとは。会場には岡本さんの奥様さと子夫人。作品に登場する人形を作ったのんちゃんなど「雪雀会」でいつもお馴染みの方たちが顔をそろえていた。見終わってこれほど感銘を受けるアニメーションはほかにしらない。それは作る方も見る方にも、アニメは子供やオタクの物だと言う考えが根強いからではないか。本当に鑑賞に耐える大人のアニメがこれからも出てくることを願っている。これらの作品はDVDがあるけれど、やはり劇場で見るのが一番。次回もお知らせしますので、是非会場に足をお運びください。

航空券の謎

まだイギリス旅行の続きでしつこいのですが,3月にこの計画が浮上して航空券を予約した。超早割だから料金は一番安いと思っていた。そして予約して安心していたらどうやら料金を振り込むのをわすれていたらしい。それが判明したのは8月の初め。その日私は松原湖のコンサートのために出発しようとするところだった。そういえばイギリス行きの航空券がまだ届いていないなとふと思った。まだ少し日にちがあるからギリギリまで届かないだろうとたかをくくっていたけれど少し遅いなと思って、念のため航空会社に電話を入れると予約されていないと言う。たしかに3月にお申し込は頂きましたが、お振込みが無いのでキャンセル扱いにしましたと言う。冷や汗が流れた。同行者の美里さんがあれほど楽しみにしているのに、ここで万一航空券が取れなくて行かれなかったら一生恨まれる。泣きたい思いで何とかならないかと頼むと、まだ残席はあるので予約をし直すことが出来ると言う。それでも代金を3日以内に振り込まないと又キャンセル扱いになると言う。時間は4時過ぎているから金融機関はしまっている。しかも金曜日で連休の時だったから、もしEバンクに振り込んだとしても4日以上日がたってしまう。それ以上経っても払う意志があると言うことを電話で伝えれば猶予はしてもらえるそうなので、電話しまくってようやく1時間遅れで家を出た。ところが、それからが謎なのですが、料金が早割の時よりも安くなっていて、一人3710円もお得になる。一体これはどうしたの?多分満席にならないので料金を安くして売り出したのだろう。そうなると、もう少し待ってギリギリになってから買えば、もっと安くなったかもしれない。ずいぶん航空料金はいい加減なものだなあ。絶対あいているとわかれば、当日だってかまわない。もしかしたら半額くらいになりそうな。私たちはものすごく強運のコンビかもしれない。航空券は安くなる、それも私がミスをしたおかげで、プロムスのチケットは手に入る、それも売り切れのはずが料金が更に安くなって、お天気には恵まれ、なにもかも上手くいった。そのツケがいつかドーンと来ないことを祈っている。

2012年9月6日木曜日

肌荒れ

美容外科に行って、すっかり日焼けしてしまった肌のメンテナンス。担当のA先生と看護婦さんが同時に口を開いた。「旅行は行ったんですか?」イギリスに行く前にさんざん言いふらしていたので皆さん旅行の事はご存じ。肌の肌理を調べる機械ではそれほど荒れてはいなかったが、先生の目は肌荒れを見逃さない。実はロンドンに到着したその夜にすでに肌荒れが始まっていた。私の唇はよほどの熱が出た時でないとかさつかない。人間に水気が多いらしく、いつも肌の表面が水分でおおわれている。なめくじの親戚でもあるまいしと思うけど、塩をかけられたら体は半分くらいになってしまうと思う。それなのに、いきなり唇がカサカサになったので驚いた。上唇にひび割れができた。ワセリンを刷り込んでマスクをして寝たら、翌日は改善されていたけれど、旅行中はそうやって肌荒れを防いでいた。それでも晴天の日が多くて、しかも帽子をかぶると日本人だとわかって狙われやすいからかぶらないようにと言われた。ロンドンを離れてからはお目付け役がいないので帽子をかぶっていたけれど、ロンドンでは家主さんの言うことをきかないと放り出されると困るから、おとなしくハイハイと言うことを聞いていた。その結果がシミやそばかすになったら、スリに狙われてもかぶっておくべきだった。すこし日焼けして肌がかゆい。でも絶対に肌を強くこすってはいけない。そのためには化粧水もつけないという徹底したすっぴん主義の治療を受けているので、かゆくてもかけないのがもどかしい。それにしてもイギリス人が肌を日にさらすことを厭わないのには驚く。ぎらぎらした陽射しの中を、露出の多い服装で帽子もかぶらす傘も差さない。紫外線の害は気にもとめていないらしい。むしろ年間の日照時間の少なさを、ここで取り戻さないと病気になってしまうらしい。そういえば以前、友人のつれあいがドイツ人で、毎年夏休みに日本へ来ていた。日本の暑い夏が大好きだと言って、暑いさなか外出していた。その友人はあまりにも激しくヴァイオリンの音を追及しすぎて体を壊し、若くしてあの世に旅立ってしまった。彼の嘆きは見るに堪えないくらいで、それ以来彼は日本に来なくなった。今はどこの国で夏をむかえたのだろうか。

2012年9月4日火曜日

新しい体重計

なかなか健康の自己管理が出来ないので新しく体重計を買った。今度のは体重に加えて体脂肪量、内臓脂肪量、骨量、筋肉量、基礎代謝量なども出るようになっている。それで5000円ちょっとの値段。安い。イギリスに行く前に少しだけダイエットをしていて、たぶん旅行の間に食べ過ぎて体重が増えてしまうと思ったけれど、意外にも全くかわりなし。美智子さんの家での食事が良かったからバランスが保たれたらしい。それに良く動いたせいもある。この体重計によれば、すべて平均値内に納まっていて、しかも体の年齢は10歳若いと出た。おほん!とすると体年齢は25歳・・・てなわけないか。いままでの食生活と運動量をもう少し改善すれば更に数値が良くなるものと期待している。数に一喜一憂することもないけれど、自分の体を管理しようとすると、どうしても目で見える数値などに頼りがち。その結果ちょっとした病気のサインなども見逃してしまうのではという心配もある。私はとても元気なのに、結構三大疾病もやっているし、ガンの手術もしている。いわば病気の宝庫。いつも大事に至らないのは、子供の頃から病気がちだったために病気のサインを敏感に感じ取ることができるから。ガンになった時も何とも言えない違和感を感じた。気分が悪いとかどこかが痛いとかいうのではなくて、なにか悪い物が血の中を流れている、そう感じて検査を受けた結果、ごくごく初期のガンが見つかって事なきをえた。薬も抗がん剤も放射線治療もいっさいなし。健康診断の数値だけ見ればなにもかも標準値だったから、ガンは見つからなかったと思う。かならず年に一度健康診断を受けるようにはしているが、これはほんの目安に過ぎない。人間いつどんなときにも病気が待ち伏せしていると思っている。すこしだけ病弱だったお蔭で、病気といつもお友達。入院生活を楽しんだりできる。これも一種の健康法と言える。

2012年9月3日月曜日

時差ボケ

昨日は一日中眠っていた。寝ても寝ても又すぐに眠れる。普段睡眠は少ない方だけど時々ものすごく眠ってバランスをとっている。やはり昼夜逆転の生活はこたえたらしい。もう若くはない。以前なら外国から帰った翌日にはもう仕事をしていた。ちょうど目が醒めた時に美里さんから電話があった。張りのある声で生き生きと楽しそうに話す。やはり年齢が違うなあ。イギリスでも普段よりよほど長い時間寝たのに、それでも疲れが取れなかったようだ。美智子さんから「無事帰った?」と電話が来た。周りの皆さんが心配するようになってきたのは、そういう年になったのかと思う。自分ではぜんぜん年を取ったようには感じていないのに。おそるおそるヴァイオリンを手にした。どんなことになっているか心配だった。楽器は10日間も放っておかれたので涙声になっていた。腕は筋肉が落ちてしまったのか弓が貼りつかないけれど、まあまあ動きは悪くない。ヴィブラートもかかる。体を動かしていたから運動機能は落ちていないようだ。これから元に戻るのにはそう時間もかからないと思うので徐々にリハビリをしよう。海外にいていつも思うのは、日本の便利で安全なこと。よく日本人旅行者がスリやひったくりの被害にあうけれど、それも無理はない。日本ではハンドバッグをそこらに置いたり荷物から離れたりしても、取られることはまれだから。最近は私のうちのまわりにも外国人がふえたけれど、ロンドンは人種の坩堝。外国人だから犯罪を起こすと言うわけではないが、やはり移民してきて職がなければつい人様の物に手が出ることもある。それは犯罪であっても同情の余地はある。となると、言ってしまえば取られる方が間抜けと言うことになる。間抜けにならないように警戒して歩かないと外国は怖い。ロンドンできれいな格好をしているのは日本人だけだと美智子さんは言う。私は服装に構わないほうで普段着で行ったから、ヨーカ堂で買ったTシャツや商店街で買った安いパンツ姿なのに、それでもうーんとうなられた。日本人はきれい好きでおしゃれ。ブランド品も日常持っている。これは時差ボケならぬ安全ボケかもしれない。

2012年9月2日日曜日

イギリス旅行記11最後の晩餐

9番のバスには乗ったものの地下鉄駅にいけるかどうか。バスの中で路線図を見る美里さんにイギリス人の女性たちが話しかけてどっと笑っている。何かと思ったら「その路線図はどこで手に入れたのか」「日本で」「便利だからオークションにかけたい」そんなことだったらしい。途中で同じバスの黒人女性がいろいろ教えてくれて、駅にたどり着いた。ホテルリッツが目の前にある。夜も更けたしお腹もすいたのでリッツの前のイタリアンレストランで軽く食事をすることになった。軽くと思ってマッシュルームのスープを頼んだら巨大なボウルで出てきた。美智子さんの家の最寄駅で地下鉄を降りたのはもう夜中。バスに乗って美智子さんが言うクイーンズパークという停留所で降りようと思ったら、いつまでも行きつかない。そのうち見たこともない街に行ってしまった。これは違うと思ったのでバスを降りて引き返すことにした。夜中に外国の見知らぬ街で迷子になったとは。電話をすると違う名前を教えられた。美智子さんが間違えていたのだ。ようやく帰宅。すでに美智子さんのうちの食事はすんでいた。私たちを待っていたらしいがあまりに遅いので済ませてしまったと言う。最後の晩餐だったのにと言われて平身低頭する。こんな遅くなっては迷惑だと思ったのが裏目に出た。最後の夜は話も尽きない。かなり遅くなって就寝。今回は美智子さんの家での生活があったおかげで、健康に支障もなく安全に過ごすことが出来た。彼女の手料理がなかったら体調を崩していたに違いない。古い家なので水回りに多少不便はあったけれど、馴れてしまえば使いこなせていける。たとえばトイレやシャワーは前に使った人がいると、次に水やお湯が溜まるまで待たないといけないとか。それでも馴れてくると自分で工夫してうまくやって行けるようになる。ロンドンは危険な街で、特に日本人は狙われると言うので美智子・リチャード夫妻は大分心配していたらしい。それにラウンドアバウトという馴れない交通システムもあって、車が戻るまではひやひやしていたにちがいない。しかも私は英語が不得意ときているからなおさらのこと。しかしまりさんというおそろしく有能な女性と、天性の社交家の美里さんがいてくれたお蔭で、私はいつものようにゆったりと旅行させて頂いた。みなさんに感謝!

イギリス旅行記10ロイヤルアルバートホール

ロイヤルアルバートホールに行くには9番のバスに乗る。ところがほかの番号のバスはたくさん来るのに9番は見つからない。地図を逆さまにしたり横にしたりして眺めてもわからない。ほかのバスはどんどん来るのに。日本人の女性が声をかけてきた。一緒に探してくれたけど見つからないのでタクシーに乗ることにした。タクシーにのってすぐ、横を見ると9番のバスがいるではないか。まったくどこにかくれていたものやら。タクシーを降りるとホールの前は人でいっぱい。当日売りの立見席を買うひとや、当日戻ってきた指定券を狙う人などでごった返している。うろうろしていると向こうから男の人が手に二枚チケットを持ってやってきた。売ってもよいと言う。躍り上がりたいほどラッキーだと思ったけれど、待てよ!これ本物?財布からお金を出していたけれど、まだ手渡さない。そのうち男の人は美里さんの手からお金を取ろうとする。美里さんは離さない。チケットは私が握って離さない。苦笑して男性はこちらに来いと手招きする。私は指定券の列に並んでいる人が手に持っている券と比べると、どうやら本物らしい。立見席の入り口は空いていて、そこから入れと男性が言う。そこで初めてお金を支払った。余った券を売りたかったらしく、本当の値段より少し安くしてくれた。いわゆるダフ屋らしいその人はほかの人で大分儲けたのだろうか。とても親切だった。おかげで素晴らしいことに夢のプロムスの席が手に入った。演しものはイギリスの作曲家ハウエルズとエルガー。ハウエルズは息子を亡くした傷心から作曲したと言う「Hymnus Paradisi」ラテン語で意味不明だけれどたぶん天国に関係ある宗教曲。大勢のコーラスはロンドンフィル合唱団、ソプラノは ミア・レイソン テノールはアンドリュー・ケネディー 指揮 マーティン・ブレビアス オーケストラはBBC交響楽団。リチャードもこのオーケストラでフルートを吹いていたと思う。2曲目はエルガーの交響曲1番。プロムスは夏の気軽なコンサートではあるけれど、出演者は一流で、次のひはベルリンフィルが出演するそうだ。みな盛装したりせず、気軽にジーパンなどでも来られる。コーラスもソリストも、もちろんオーケストラも素晴らしく、まさか聴けると思わなかったので感激は頂点に。ホールは円形の日本の武道館みたいな造りなのに、音響は素晴らしい。立ち見の人たちはそれぞれ思い思いの格好で座ったり寝そべったりして聴いている。感激のコンサートが終了して表に出て、今度こそ9番のバスに乗った。

イギリス旅行記9

いつもは誰かしらお目付け役がいるけれど、初めて美里さんと二人で外出。駅まではリチャードが送ってくれた。ぜひロイヤルアルバートホールで夏のプロムナードコンサート「プロムス」を聞いてくるようにと言われる。訊いてこいと言われても早くからチケットは売り切れるし、当日は立見席しかないとなると腰を痛めている身にとってはつらい。美智子さんがヴィトンのお店に行って彼女のバッグの修理を頼んで欲しいと言う。バッグを預かって地下鉄にのった。目的地のボンドストリートの手前にウエストミンスター駅があって、途中下車。壮麗な寺院を眺めテムズ河を渡りロンドンアイに行ってみる。乗ろうと思ったらチケット売り場も乗降口も人であふれかえっている。諦めて近くのイタリアレストランで昼食。そして地下鉄でボンドストリートへ。ヴィトンのお店はピカピカで、ブランドものが好きな人にはさぞ垂涎ものの品が置いてあるのだと思うけど、あいにくとんと興味のない私には猫に小判。ずいぶん以前になるけれど、友人と銀座のヴィトンで待ち合わせをしたことがある。その時店内をぶらついていたらキーホルダーが目に留まった。ちょうど探していたので買ってみたら、やはりブランドと言うのはこういうものかと思わせるような質の良さに感心したことがある。私はすぐに使うから包装紙や紙袋は一切いらないと断ったら、一緒にいた友人がぜひもらってほしいと言うので頼んで持ってきてもらったことがある。それほどの価値があるらしい。ここロンドンのヴィトンもピカピカのフロアに大きな男の人が入り口で客を出迎えている。私などはつまみ出されるかと思ったら、同行の美里さんがいかにもお金持ち風なので、入ることを許されたようだ。修理の依頼は店の2階の一番奥の事務室のようなところにあって、品の良い女性が対応してくれる。私は英語は得意ではないので流暢な英語を話す美里さんの一人舞台。彼女は通常帝国ホテルで買い物や食事をするような人だから、こんな場面でも物おじしない。私はブランドに興味も縁もないから同じく物おじしない。目的を果たしてお土産を買いにボンドストリートからリージェントストリートと探し回るけれど、少し雨模様で中々いいお店も見つからず、少し意気消沈してきた。お茶を飲みながら相談。プロムスどうする?行ってもチケットはないでしょうね。でも、ロイヤルアルバートホールは見ておきましょうか。

イギリス旅行記8ロンドン

テムズ河岸でイギリス式のお茶を楽しむために美智子さんと美里さん、それに私の3人で出かけた。まりさんは私たちにとりつかれ、ガイド役をさせられてすっかりお疲れの様子。うちで寝ているそうだ。まずテムズ河の上流の支流、運転は相変わらず私がハンドルを握って離さない。対向車が来てもすれ違えないほど狭い山道を登って目的地の公園に着く。ナショナルトラストに指定されているクリヴデン。そこには優雅な離宮があって、どなたかのお妃様のお城だそうだ。こんな寂しい山の中でどんな暮らしをしていたのだろうか。華やかな庭園はあるものの、毎日パーティーでも開いていないと退屈でやりきれないだろう。それとも夏の間だけの避暑地だったのかしら。そんなことを考えながら、庭からテムズ河岸に降りて行った。燦々と降り注ぐ陽射しの中で、美智子さんが作ってくれたお弁当を食べながらとりとめもない話をしているうちに眠くなる。芝生に横になってふんふんと話を聞いているうちに、いつともなく眠ってしまった。目が醒めると少し陽が傾き始めている。テムズ河に沿って下り始める。途中上流から流れてきた支流同士が合流して一本の大きなテムズ河になる場所を眺めた。水流が合流するところは渦を巻いていて、鳴門海峡みたい。お魚がよく釣れるらしく釣り人もいる。目的のお茶は丘陵地帯が見渡せるホテルでとることになった。予約していなかったので、スコーンだけしか出せないと言う。でも、それで十分。毎度食べ過ぎているので、ここで正式のハイティーとなると荷が重い。英語の先生のルースさんに教わってきたクロップドクリームをたっぷり添えたスコーンとお茶を楽しんだ。美智子さんはアールグレイ、美里さんはダージリン、私はアッサム。暮れゆく丘陵を眺めているとさすがに肌寒くなってきた。庭に黒白まだらの猫がいる。急にたまさぶろうの事を思い出した。日が落ちる頃家に帰った。

2012年9月1日土曜日

イギリス旅行記7さようならコツウォルズ

マウント・プレゼント・ファームをチェックアウト。美智子さんがさっさとこのホテルを4泊も予約してしまったので、こんな何もない土地で5日間なにをしたらいいのかと戸惑っていたが、なにか生涯で一番贅沢をしたような気がする。こんなにぼんやり出来る日はもう来ないだろう。そのうちどこに居ても自分の頭がぼんやりしてくるまでは。毎朝「ねえ、今日どうする?」と聞き合いながら、それでもあっという間の5日間だった。ロンドンに帰る前にオックスフォードに立ち寄ることにした。広大な地域には古い石造りの建物が並び、全体が美術館のようだ。図書館はハリー・ポッターの撮影に使われたそうなので中を見たかったのだが、入場券が高いし、本の展示室にはツアーとしてしか入れないと言う。時間が決まっていて45分かかるそうだからあきらめた。受付の人が本は臭いと言って慰めてくれた。一番初めの礼拝堂のようなところだけは安い料金で入れてもらえる。入ってみると意外とこじんまりとしている。映画ではとても広いように感じたのは、カメラアングルのせいかもしれない。今日もまりさんはコーヒーショップで読書。若いのに二人のおばさんに付きまとわれてさぞお疲れなのでしょう。まりさんが美智子さんにこの期間泊めてほしいと言ったら美智子さんは「ちょうどいいわ」と言ったそうだ。それがこのガイド役だったのだ。「その意味が今わかりました」と静かな口調で辛辣に言うまりさん。あはは、すみませんねえ、こちらは渡りに船だった。そこからは一気にロンドンの美智子さんの家へ帰りつくとリチャードが出迎えてくれた。彼はとても心配していたのだろう。美智子さんの手料理は野菜もいっぱい。とても料理上手で美味しい。正直ほっとして、いつものようにバタンキューと寝てしまった。

イギリス旅行記6

今日も快晴。夜はすこし雨が降ったらしい。外に出ると又虹が見えた。ジリジリと肌を焼くような強い日差しなのに、こちらの人たちは誰も帽子をかぶったり傘をさしたりしない。日照期間が少ないので、当たれるだけ太陽にあたっておこうと思うらしい。私は必ず帽子をかぶる。帽子をかぶるのは日本人だけで、それでスリにねらわれるらしい。きょうの目的地は文豪シェークスピアの生まれ故郷。私はけっこう文学少女だったのに、シェークスピアは読んだことがない。これを機会に日本に戻ったらかじってみよう。最初はシェークスピアの奥さんのアン・ハザウエイの家へ行く。駐車場に入って行くと戻ってきた人がまだ時間の残っている自分の駐車券をくれた。入庫時間をみれば10分ほどで帰ってきている。なんだか見るものが無さそうな。本当に見るものがない。かわいらしい家にこじんまりとした庭。ごく普通の民家。それにお土産屋さんが付いているだけ。さっさと次の人に駐車券をあげて、シェークスピア誕生の地、ストラットフォード・アポン・エイボンに向かう。そこは今までで一番の大観光地だった。この期間はイギリスの3連休だったので、大そうな人出だった。生家は古い小さな建物で、近くには劇場とエイボン川がある。殆ど興味が無いので、劇場も家の横にある記念館もパス。途中でヴァイオリンを弾いている人がいる。私がじっとみていたら、ヴァイオリンを弾くのかと尋ねてきて楽器を渡された。ちょっと弾いてみて笑いあってバイバイ。川のほとりで朝食のスコーンにハムやジャムを挟んできたものを食べる。イギリスにはストラッドフォードと言う地名がいっぱいあるので、特にここをアポン・エイボンと言うのはエイボン川のあるシェークスピアの生誕地だからだそうだ。途中スーパーで野菜サラダを買ってきた。この辺の人たちは野菜を食べる習慣がないのだろうか。どこへいっても野菜不足になりがちなので、皆体調が悪くなってきた。特に若いまりさんは額に大きなニキビが出来て仕舞った。3人共久しぶりの生野菜をバリバリ食べた。なんだか体がすっきりしたような気がしないでもない。川岸には次々と犬を連れた人が通る。どの犬もしつけが行き届いているのに、意外にも人間の子供は期待外れに騒がしい。もっともこの期間イギリス人だけではないからかもしれない。そのあとウォーリック城へ。中世の色を濃く残していて、現在も伯爵一家が住んでいるそうだが、私は博物館や古い城が怖くて苦手。入場料も高いしやめようとは思ったけれど、城門まで来てしまったしついに入ってしまった。中は人人人。恐ろしい武器や甲冑が並んでいる。息が出来なくなりそうでほうほうの態で逃げ出した。その間まりさんは一人カフェで読書。賢い。

イギリス旅行記5

目を醒ますと雨、それでも朝食をすます頃には小降りになってきた。今日はブロードウエーセンターにウールの買い物に行くことにした。外に出ると雨が上がって空に虹がかかっている。日本で見る虹は狭い空に半分くらいもうしわけなさそうにかかっている。ここでは虹が大きく空いっぱいに見える。本当に空が広い。なにも建造物や山がないから当たり前なのだが。どこまでもフィールドが広がって地球の丸さが実感できる。パッチワークのようにそれぞれ色の違う畑が丘から谷へと広がり、見事な景色となっている。若いころからヨーロッパの田舎道を車で走るのが夢だった。それが実現できるなんて!もうこの年では無理だと思っていたのに。オーケストラに入りたい夢も、モンゴルの大草原を馬に乗って疾走する夢もかなった。考えればなんて幸せなのか。今日は又私の運転で始まった。ウインカーとワイパーが自分の車と逆についているので、時々間違えるのも少なくなってきた。ここでは街の間がとても狭いので目的地にはすぐ着いてしまう。ここは羊毛が有名だそうで、ずいぶん期待して出かけてきたけれど、デザインもお値段も色合いもいまいちで、食指が動かない。結局自分用にウールのセーターを買ったら、イタリア製だった。バーゲンも終わって丁度品揃えも薄い時期だったらしく、全く購買意欲はわかない。途中で疲れてコーヒーを飲んでいたら、向かい側のお店に猫のぬいぐるみのようなティーポットカバーを見つけ、美智子さんへのお土産にすることにした。この辺は人家も多いから犬が沢山いる。それもどれもが立派な大きな犬ばかり。しかも穏やかでゆったりとしているのは良い環境で優しい飼い主に育てられているからだろう。夕食はスワンというパブでとることにした。ほかにもパブはあるのに、このお店だけは時間待ちの客が列をなしている。初めてイギリス名物「フィッシュ&チップス」を食べた。魚の揚げころもがパリッとしていてとても美味しい。ほかで見たものはパン粉がついていて油ぎっていたけれど、このお店のものは油の切れもいいし、ポテトもカリッとしながら中はふっくらしている。帰り道は又美里さんがぐるっと遠回りして帰った。彼女の趣味らしい。しかし本人はすこしめげている。こんな美しい道をさっさと帰るのは愚の骨頂。いくらでも遠回りして帰りたくなる。

イギリス旅行記4

早朝目が醒めたので外へ出てみた。もしかしたら昨日の黒犬がいるのではないかと思って探したが見当たらないので少しがっかりする。このあたりには動物は少ないと昨日女主人のヘレンが言っていた。本当に鳥の鳴き声もあまりしない。それは美しい輝くような朝だった。陽射しは強いが外気は冷たい。薄いダウンジャケットが役に立つ。庭にリンゴの木があって小さな実をつけていた。赤く熟しているものを取って食べてみようかと思ったが、これからこの辺の鳥やリスたちの餌になってくれると思うのでやめることにした。きっと朝食はたっぷりとあると思うので。ヘレンに会うと「いいお天気ね」と嬉しそうに言う。女性でもがっちりした体格に気取らない笑顔が好感がもてる。きっとたくましく子育てをして孫の面倒をみて、自然体で生きてきた人なのだろう。朝食はヨーグルト、ジュース、果物、ソーセージ、ハム、卵、パンはライ麦入り?そして彼女の焼いたスコーン。コーヒー、ミルク、紅茶もいくらでもお替わりできる。しっかりと頂いて今日一日に備える。今日はイングリッシュガーデンを見に行くことにした。山道や草原の中の細い道からは広々としたフィールドが見える。小麦が黄色く色付き、穀物を刈り取ったトラクターのわだちの跡が線状に残っている。ところどころ青く草が生え、それは見事な大きなパッチワークを広げているようだ。美里さんは北海道育ち。故郷の景色と似ていると言って感慨深げ。目的地のヒドコードガーデンに到着するころに少し雨模様となってきた。このガーデンはいくつもの庭園に分かれていて、それぞれに特色があるけれど、概ね自然のままのように見せている。いかにも作り上げたように見えるドイツなどの庭よりは、自然のままのように手を入れているのだろう。夏の終りなので花は少なかったけれど、他の庭に移るたびに趣が違うのが楽しい。昼食を食べようとブロードウエーセンターと言うところへ行き、美智子さんお勧めの中華料理レストランを探す。見つかったと思ったら時間外だったらしくしまっている。それでは昼食抜き。あまりにも沢山朝食を食べたのでお腹が空かない。次はコツウォルズのヴェニスと言われる川沿いの美しい街へ。川岸にはちみつ色の家が並んでいる美しい小さな町だが、観光化が激しくてすこしがっかり。でも寒くて産業も少ないこの辺では、観光で生きて行かないといけないのは仕方がない。結局夕食を早めにとることにしてスノウヒルズのパブに行くことにした。到着したのが開店15分前だったので、雨の中店の前で立って待つはめになった。目の前は教会とお墓、ナショナルトラストに指定されている地域で、こんな雨の寒い日にも時々車から人が降りて眺めて行く。すっかり体が冷えてしまったので、お店に入るなり温かい紅茶とブランデーを注文した。料理はエビのカクテル。すっかり温まりアルコールも入っているので、帰り道の運転は美里さんにしてもらうことに。行きはずいぶん簡単に来たのに帰りは山道をいつまでもクネクネ走る。ナビの助けを借りてようやくまだ薄明るいうちに帰り着いた。

イギリス旅行記3コツウォルズへ

レンタカーで配車されたのはワーゲンのゴルフ。ラッキー!ディーゼル車。燃費がかからない。走らせてみると車体が少し重い。日本の車はヘラヘラと軽く走るけれど、高速での安定がいまいち。ゴルフの高速での走りに期待しよう。ワイパーとウインカーが私の車と逆なので間違えやすいが、そのほかは問題なし。イギリスでは予約してあってもお目当ての車が用意されていないなどといい加減なところがあるらしい。でも今回はラッキーなことに望みどおりの車が手に入った。これで例のラウンドアバウトがうまくこなせればすべて解決。しかし、馴れないとこれが中々難しい。どうしても目的の方向に行けなくて、いつまでもグルグル回ってしまったなどという話も聞く。イギリスは日本と同じ左側走行だから、走り自体に不安はない。不安げに見送る美智子さん。これから5日間の田舎暮らしが始まるのは美里さん、まりさんと私。恐る恐る車を動かす。ヨーロッパで事故ったら大変だから慎重に進む。高速の入り口まではリチャードがバイクで先導してくれた。その先導の仕方が怖い。バイクを運転しながらひっきりなしにこちらを見る。ついてきているか、ちゃんと走っているかどうか心配なのだろう。でもこちらはそんな運転をしてひっくり返られでもして彼を私が轢いてしまったら・・・美智子さんの鬼の形相が目に浮かぶ。おお、こわ。やっとM40という高速の入り口付近でバイクとわかれ、高速に乗った。イギリスは監視カメラの国だそうで、速度制限もカメラや測定器で厳しくチェックされる。もし違反すると高額の罰金を支払わされる。相手が機械だから情け容赦はないらしい。慎重に速度を守って進む。途中寄るのはウインストン・チャーチルの居住していたブレナム宮殿。巨大な敷地の中に宮殿とローズガーデンや湖がある。その規模たるや、どれだけイギリスの貴族がお金持ちかがわかる。その芝生で美智子さんが持たせてくれたお弁当を頂く。少し雨模様。でも傘をさすほどでもない。こんな大きなお城で暮らすのはさぞ大変なことだろう。お掃除だって・・・と貧乏な私は考える。いったいどれだけの人手がいるかしら。何十人もの人が働いていたのだろうか。4時頃、暗くならないうちに目的地に到着しようと出発。イギリスの今頃は夜9時までは明るい。かろうじて明るいうちに宿の「マウンテン・プレゼント・ファーム」に到着して女主人と大きな黒犬の歓迎を受けた。人懐こい犬で、背中をを掻くとゴロンとお腹を出してひっくり返った。警戒心ゼロ。夕食は近くのパブに。ちょうどステーキのサービスデイだと言うのでステーキを頼んだ。しかし、出てきたのは300グラムほどの巨大な硬い肉。全員戦ってももうだめと言うまで噛んで噛んで噛みまくっても噛み切れない。これ以上食べたらお腹を壊すと思ったので、半分残してしまった。パブの看板猫は白黒、これもちょっと耳を掻いたらお腹を出してゴロンとする。コツウォルズでは警戒心はなくなるらしい。蜂蜜色のうちが点在するここでは、動物も見かけない。これから5日間、この静かな田舎でどうやって過ごそうかと、途方に暮れる3人だった。

イギリス旅行記2

朝5時、寝室のドアを開けて通りに出ると、冷たい清々しい空気が待っていた。今日はロンドン市の中心街で買い物をすることになった。美智子さんの元ピアノのお弟子さんのまりさんという御嬢さんが私たちを案内してくれることになった。彼女はイギリスで育ち、日本で高校、大学を出たのちまたイギリスの大学院で法律を学んだという才媛。だから言葉はネイティブ並み。ロンドン市内にも詳しい。日本でのお勤めであるプロジェクトが終わり、ご褒美の休暇でイギリスに来ていると言う。美智子さんの家の最寄駅はロンドオリンピックの会場の傍にある。その駅まではバスでもいけるが今回もリチャードが車で送ってくれた。ピカデリーサーカスでナショナルギャラリーに入ると、これでもかと名画が並んでいて、しかも無料なのには驚いた。日本でこんな名画が展示されていたら人の頭でろくに絵も見えないと思うのに、人も少なくゆったりと好きな絵が見られるのが嬉しい。こんなところからカルチャーショックがもう始まった。ヨーロッパは本当に文化を大切にする。日本は今経済力が弱り世界ランクからどんどん下がっているのは、経済だけに重さを置いたせいではないか。自国の文化をしっかり守って行けば、たとえ貧しくなっても尊敬される国でいられるのに・・・などと意見を言いながら回っていると、うれしいことに私の好きなターナーの絵が沢山あった。疲れたのでお茶を飲んでから、ボンドストリート、リージェントストリートなど回るが、私にはとんと縁のない高級なお店など興味がないので、チョコレートを買っておしまい。美智子さんが持たせてくれたおにぎりは地下鉄の中で食べる。普段電車の中で物を食べる人を白い目で見ていたけれど、旅の恥はかき捨てになってしまった。夕食は美智子さんの美味しいお料理。話も弾んで楽しい一夜となった。明日からはいよいよ長年の夢だったヨーロッパの田舎を車で回ることになる。今回は中でも人気の蜂蜜色の街コツウォルズが目的。本当は湖水地方や「ジェーン・エア」「嵐が丘」で有名なヒースの生える荒地なども見たかったのだが、リチャードのこんな時期にそんなところに行くのはクレイジーという意見で実現しなかった。二日間で3時間の睡眠と言うハードさだったので、あっという間に眠るのが自分でもわかるほどの速さで眠りに落ちた。

イギリス旅行記1

8月21日、同行の美里さんと成田へ。チェックイン、荷物を預け、出国審査を終えるとようやく機内へ。これから12時間の飛行が始まる。最近ヨーロッパを避けていたのは、あまりにも飛行時間が長いので辛いと言う気持ちがあったので。しかし去年カナダに行った時約11時間の飛行があまり苦にならなかったので、それではと言うことで重い腰を上げた。しかし、飛んでも飛んでも・・・やはり遠い。最近は国際線もサービスが低下しているから、ビデオもつまらない。映画もつまらない物ばかり。大きいスクリーンもない。今回は本を持ってこなかったので読み物もない。寝るっきゃない。でも、やはり興奮しているのか眠くはならない。とりとめもないおしゃべりも12時間は続かない。空港に着くと日本時間は夜中なのにさんさんと日が照っていた。出迎えのリチャードとはインフォメーションの傍のドラッグストア「ブーツ」で待ち合わせ。入国審査と荷物の受け取りに手間取って少し待たせてしまったようで、心配していたらしい。「み**?」心もとないような声が耳元で聞こえた。みるとリチャードがちょっと首をかしげて顔を覗き込んでいた。再会を喜び合い駐車料金を支払って出口に進むと「おお、料金カードを機械から取り出すのを忘れた」と言う。去年私の友人が来た時、彼は自分の車をどこに置いたかわからなくなって探し回ったと言う話を聞いていたから、今回はずいぶんすぐに車にたどり着いたと思ったけれど、やはり天然**は変わっていなかった。見かけはいかにも育ちの良いイギリス紳士なのに、そんなところがギャップがあって面白い。駐車場係りの好意でゲートを開けてもらって事なきを得た。初めは空港でレンタカーを借りるつもりでいたけれど、今回の家主の美智子さんが心配するので迎えに来てもらったが、やはりそれは正解だったようだ。イギリスの交差点はラウンドアバウトという仕組みになっていて、これはあとで述べるけれど馴れないと大変。あとでゆっくり考えれば非常に合理的で簡単なことなのだが、初めてだと一瞬の判断が出来ない。複雑に進行方向を変える時には道を知っていないと立ち往生しかねない。ようやく今回お世話になる美智子さんの家にたどり着いた。出迎えに出た彼女がハワイなどで着るようなムームー姿なのには驚いた。日本に比べてかなり気温は低い。それでもこのに三日は30度を超えたと言う。それでこんな恰好なのよと言うけれど、夕方になれば長袖でないと涼しいのに、彼女は夜中まで暑いと言ってそのまま。彼女の家はロンドン郊外の住宅地にあって、木々に囲まれ、庭には梨の木が実をつけている。リスがとりにくるそうだ。庭の先は広いフィールドで、夜中にリチャードが散歩していて職務質問にあったとか。泥棒や痴漢の心配もあるらしく、戸締りは厳重にしている。美智子さんはお料理上手で、美味しい夕飯をたらふく頂いて、イギリス旅行の注意をこんこんとされて、やっと眠りにつく。

2012年8月20日月曜日

イギリスへ

明日午前中に成田からロンドン、ヒースロー空港に向けて飛び立ちます。今回はまずロンドンの美智子・Richard Stagg夫妻の御宅に泊めてもらい、翌日コツウォルズに車で出発、そこで4泊、またロンドンに戻ってプロムナードコンサートや観光をたのしもうという計画。奥さんの美智子さんはピアニストで、ここ18年間、毎年日本にロンドンアンサンブルの一員として来日。去年私は一日だけヴィオラで参加して、それ以来非常に親しくさせていただいている。私の連れはやはりピアニストの美里さん。偶然にも美智子さんの音大の後輩にあたって、共通のお知り合いも沢山いるようだ。それからコツウォルズに行くときには、まりさんという若い御嬢さんが同行することになった。この方は美智子さんのピアノのお弟子さん。イギリスで育ち、一時日本に帰国して大学を卒業後、またイギリスで大学院に入ったと言う才媛。だからネイティブのように英語が出来る。その方が私たち心もとないおばさん二人に付き合ってくれるという願ったりかなったりの設定となった。美智子さんはたぶん私がヒョロヒョロと車を運転してあらぬ方向にいって、しかもろくすっぽ英語がしゃべれないのをずいぶん心配したと思う。その頃美智子さんは忙しくて私たちに付き合っている暇がない。そこでお弟子さんを説き伏せて同行させたに違いない。災難なのはまりさんで、どんな人たちと一緒に行かされるかもわからず、先生のおおせのままにお付き合いしてくださる。本当にいい御嬢さん。4日間果たして彼女が我慢してくれるかどうか。とにかく初めは美里さんと二人の弥次喜多道中のはずだったので、とんでもないことになっていたかもしれない。荷物は送って後は体一つで成田に行けばいい。これですっかり旅行が済んだ気分になる。あとは野となれ山となれ。行ってきます。時々はnekotamaに投稿するかもしれませんが、しばらくは休業させていただきます。今月末に帰りますので、またよろしくお願いします。

2012年8月19日日曜日

今年も先生の誕生会

毎年、かつて師事した中山朋子先生の誕生日を祝う会食がある。今年も恵比寿のガーデンプレイスの東天紅で開かれた。いつも10人以上の門下生が集まるのに、今年は急に親または本人の具合が悪くなった人が続出、6人になってしまった。東天紅は最上階にあって、東京タワーとスカイツリーがはるかかなたで並んで見える。今日は初秋のまだ強い日差しがまぶしい良いお天気だった。先生は私より10歳年上なのに、頭の切れはいまだ健在。足が悪いと言うのでちょうど通り道の私がお迎えに行った。私がぼんやり過ぎるのか、先生が気が付きすぎるのかはわからないけれど、道でも建物でもすぐに行き方をすばやく見つけられるのにはびっくり。エレヴェーターの場所とか曲がり角、レストラン街への入り口など、私が見つける前に「ほら、あっちよ」と急き立てられる。さすがに足の速さでは負けないけれど、頭の回転は完敗。全てに規格を超えた方だから、脳みそも大きいのかもしれない。「先生早い」というと「あなたがぼんやりなのよ」はっしとうちかえされる。この調子でレッスンをされるものだから、生徒たちからは大いに恐れられていた。ところが私の記憶では、私のレッスンでは先生は笑ってばかり。そのことを言うと「貴女はいろいろ練習してくるけど、なにも言うことも出来ないくらいひどくて笑うしかないのよ」と宣う。悪うございました。その代り私もずいぶんひどいことをずけずけと言わせて頂いたので、これでおあいこ。たとえば・・これも去年書いたけれど先生が「私は指の先の皮膚が薄いのよ」それに対して私「あら、全部顔の方に引っ張られちゃったのね」背中をどつかれながら大笑いしたのも懐かしい。足が悪い以外は去年よりもむしろお元気そうに見えるのが嬉しい。優秀な生徒を多数輩出した門下だけれど、時には私のような落ちこぼれもいて、その落ちこぼれをずいぶん可愛がってくださった。笑い甲斐のある生徒だったようだ。笑われてもめげないのが私の取り柄。そうすると取り柄というのはずいぶんいいかげんなものだなあ。

2012年8月18日土曜日

荷造り

そろそろイギリスへ出発する日が近付いたので、昨日から荷物を詰める作業に入った。私の持っている中で一番大きいスーツケースを開けると、なんと、去年カナダにスキーに行った時の出し忘れのヘルメットやスキーブーツなどがぞろぞろ出てきた。こんなところにいたのか、君たちは。窮屈で悪かったねえ。取り出してそこいら中に放り出し、予定の荷物を詰めると、思いのほか少ない。私が一番荷物が多くなるのは夏場で、ものすごい汗かきだから。汗さえかかなければ着た切り雀に徹していられる。あと2,3の物を詰めれば出来上がり。長年旅行に明け暮れていた割には荷造りが下手で、いつもパンパンに膨れ上がったスーツケースは、上に乗ってからでないと鍵がかからないくらいなのに、今回はガラガラ。いやな予感がする。なにかきっと忘れているに違いない。それでも文明国に行くので買い物ができるから心配はないだろう・・・と思っても現地に行くとなにかしら忘れていることが多い。数年前に天元台にスキーに行った時は、ソックスが一枚も入っていなくて、ババシャツがこれでもかと言うくらい入っていたことがあった。天元台は山の上だから買い物が出来なくて参った。忙しく荷造りをするとこんなことになるから今回はゆっくり準備しようと思ったけれど、ゆっくりやっても結果は同じことになるのが残念なところ。自分でもしっかりしているのかしていないのか、よくわからない。むしろ私より忙しかったのはパソコンの師匠のHさん。現地での電話のかけかた、日本から安く国際電話をかけるやりかた、レンタカーの調査等々、毎度お騒がせのクライアントのために様々な調査をしていただいた。以前持っていたGALAXYが少し私には大きいので最新の小さい物にして、これ一つで写真撮影からメール、スカイプなど全部網羅できる。その操作方法を動画にしてもらっても、送ってこられたことにも気が付かない。そのたびに彼は砂漠に柄杓で水撒いているようなものだと無力感に襲われるそうだ。すみません、できの悪い生徒で。ざるで出来た脳みその持ち主ですから。パスポートと国際免許証さえあればあとは野となれ山となれ、ヒースロー空港に迎えに来てくれるはずのリチャードと、ちゃんと出会えることを祈るのみ。

2012年8月17日金曜日

日本ならでは

子供の時からひどいウッカリヤだったけれど、年齢を重ねるうちにいよいよ磨きがかかってきた。メガネをかけていながらメガネを探すなんてのは序の口。2.3歩歩けばスッポリ記憶が抜け落ち、いったい何をするつもりだったか少しも思い出せない。よくこのブログに投稿しようとしていてもテーマを忘れるなんてことは日常茶飯事。さて、この数日やったウッカリは、もし日本以外の国だったら、おそらく無事ではなかったと思う。10日ほど前、仕事から帰って来て駅の駐輪場で料金を払った。財布を出して支払いを済ませ、前かごに財布を置いてゲートを出る前にチラッと思ったのは、財布をちゃんとバッグにしまわないとなくすぞと言うことだった。それもゲートを通った途端忘れてしまった。家に着いて自転車を所定の場所においた。そこは自宅車庫の一番端の人通りの多い道に面したところで、自転車は常に人目にさらされている。前かごのバッグを取り出し、家に入って寝てしまった。次の日は暑いから買い置きの食料で食事を済ませ、一切買い物をしなかったし、自転車も使わなかった。そしてまた一夜明けて、今日は買い物に・・・と思ってバッグを開けると財布が無い。さてどこへ置いたかしら。捜しても見当たらない。その時ふと記憶がよみがえってきた。自転車の前かごに財布を置いた時ちらっと考えたことを。思わず真っ青になった。最近カードで買い物をすると大そう気軽になんでも買ってしまう。それでなるべく現金で買うようにすれば、目の前でお金が消えて行くからあまり無駄遣いをしなくなると考えて、月初めにひと月分の生活費をまとめて財布に入れ、その範囲で買い物をしようと考えた。だから結構大枚のお札が入っていたのだった。ちまちまと銀行から下ろしているとやはり使った感じがせずに、思いがけず沢山使ってしまうこともあるので、この方法にした。それ以後その金額の範囲で買い物をするようになった。それは良かったのだけれど、失くした時は大損害。3日も経っているし、人目に付きやすい所だからもうとっくになくなっているに違いない。前かごを覗くと、あった。緑色の古びた財布がひっそりと籠の底にへばりついていた。単に人目が届かなかったのかもしれないが、もし、日本以外だったらおそらく財布は無事ではなかったと思う。かつてボリショイバレー団のツアーに同行していた時、道端のバス停付近でバレエダンサーの荷物がなくなったことがあって、彼女はオーケストラのヴァイオリン奏者が盗ったと言い張ったことがあった。結局その荷物は彼女の思い違いでホテルのロビーで保管されていた。彼女はあらぬ疑いをかけた人に謝ろうともしなかった。みな嫌な気分になったが、お国柄ということであきらめた。そんなことを思い出した。もし日本人だったら、傍にいたと言うだけで人を疑ったりしないでしょう。財布が目に入っても持っていこうとする人は少ないと思う。良い国だなあ、日本って。

2012年8月14日火曜日

同窓音楽会。

毎年8月14日、国立音楽大学の弦楽科有志の同窓会があって、それぞれ楽器を持ち寄って自分の好きな曲、アンサンブルなどを演奏してから飲み会に移る。国立駅の傍の小さなホールを借りて、今年もいつものメンバーが集まった。発起人は滝沢さん。毎年演奏とあいさつをしていたのが今年は姿が見えない。少し具合が悪いようなのでお宅で休養中と訊いて、ショックを受けた。彼を中心に集まった会だから、彼がいないとさびしい。それでも皆意欲的にプログラムを発表していく。初めはささやかで、いくぶんくだけたというか、ふざけた会だったのが、回を重ねて行くうちにだんだん真剣になっていって、いまや立派なプログラムがずらりと並ぶようになった。私も初めのうちは楽器を持ってぶらりと出かけ、だれか余った人がいたら組んでアンサンブルをぶっつけ本番で弾いたりしていた。そのうちピアノの芝さんとよくアンサンブルをするようになったので、彼女とデュエットを弾くようになった。この人は超真面目で練習をきちんとするから、練習嫌いの私もいやいやするようになった。面白いことに一度きちんと練習して出すと、次からは練習しないでは出せなくなる。今年は「クロイツェルソナタ」の予定だった。しかし、松原湖のコンサートが思いのほか内容が濃いものだったので、プロコフィエフの「ソナタ2番」に変更。それもだんだん縮小されて1楽章のみとなってしまった。参加者が増えて時間が制限されるのと、疲れがたまっていて全楽章は無理となった。演奏が終わると場所を「天政」という料理屋さんに変えて宴会が始まる。これがやはり演奏会の続きとなって、飲みながら食べながら、楽器を弾いて楽しむ。ほとんどみな病気のように音楽が好きなんだと、いつも思う。「天政」は先代の頃から音大生を応援して可愛がってくれた大恩のあるお店で、貧乏な学生たちに快く安くお酒を飲ませてくれた。いまでも2代目が私たちを毎年迎えて、お店を開けてくれる。ホールでは時間の都合で弾けなかった曲などを、ここでメンバーをつのって即興的にアンサンブルを楽しむ。私もモーツァルトの「狩り」を弾いて楽しんだ。又来年は何を弾こうかなあ。

2012年8月13日月曜日

松原湖名曲コンサート

毎日の練習を終えてやっと本番を迎えると言う日は、前日の雨も上がってきれいに晴れた。朝11時からゲネプロが始まった。30分ずつの持ち時間で、「鱒」にはすこし短いので要所要所をあたってお終い。でも中々よく仕上がっていると言う感触はある。初めて会ったメンバーもいる中で、まあまあではないだろうか。この曲は非常に難曲で、今まで何回も弾いているのに上手くいったと言えることは少ない。それに長いので体力もいる。今回のプログラムで4曲中3曲が私の出番になってしまった。ヴァイオリンが3人もいるのに、なぜか私の出番が多すぎる。弾くのは嬉しいけれど、負担は大きい。本番前にどのくらい聴きに来てくれる人がいるか心配だったけれど、ふたをあけると80人を超えたらしい。毎年会を重ねていると言うこのシリーズも最初は一列しかお客さんがいないこともあったそうで、それから比べたら今回は大盛況と言える。北杜市に住む私の友人や、軽井沢から、東京からと教室の生徒さんがきてくれた。本当にうれしい。休憩時間にお客様の応対をしていたら、品のあるご婦人が私に話しかけてきた。「私、角道の姉でございます」角道さんは古典音楽協会のコンサートマスター。何十年も私は角道さんのお隣で弾いている。こんなところでお姉さまにお目にかかるなんて、ビックリしたなー。聞けば佐久にお住まいだとか。東京に出られた時に「古典」のコンサートを聞いてくださったことがあるそうで、私の事も覚えていらしたようだ。演奏会は成功裡に終わって盛大な拍手とブラボーを頂いて、苦労した甲斐があったというもの。そして打ち上げで判明したのは、今回の出演者全員がすべてどこかでつながりがあって、友人が共通だったり、親御さんが知り合いだったり、それはもう大変なご縁でつながっていたことが判明した。音楽の世界は限られていて狭いと言っても、これほど網の目のようにつながっていようとは。驚きと喜びのうちにそれぞれお別れを言って解散した。少しワインを飲んだので、まだコテージに泊まると言うFUMIKOさんと高木さんのご厚意で、出発前に仮眠を取らせてもらうことにした。初めてジュリちゃんとご対面。私は犬から好かれるから、初対面に興奮して吠えられても平気。すぐに仲良しになってまあ、可愛いこと。首や背中を掻くとトロンとした目をして満足げ。猫もいいけどワンちゃん飼いたいなあ。渋滞も解消した夜道を順調に走って家に帰れば、たまさぶろうが狂喜乱舞。一晩中べったりとそばを離れない。うーん、世界でいちばんはたまさぶろうだね、やっぱり。