2013年12月31日火曜日

ゆっくりするつもりだったのに

忙しかった1年が暮れてゆく。
なんだか今年はバタバタと忙しかった。
自分の歳を考えてそろそろ優雅に生活しようと思っていたのに、理想にはほど遠かった。
元々結構人見知りで(だれ?吹き出した人は)でも、これは本当なんです。
子供の頃はお客様にご挨拶が出来なくて母によく叱られた。
「こんにちは」の一言なのに、それが出ない。
他の部屋に隠れて出て行かなかった。
今では誰とでも気さくに話しが出来るようになったのは、たぶんフリーで仕事をしてきたお陰だと思う。
仕事に行けば全然知らない人ともうまくやっていかないといけないので、自然に社交的になっていったようだ。
それと基本的には人が好き、好奇心が強い。
それでたいそう面白い人生になった。
仕事が減ってひまになったと思ったら周りから勉強をするように仕向けられて、せっせとヴァイオリンを弾いているので、まだ指は良く動く。
友達はありがたい。
気が付けばまだまだ人前で演奏することが続いている。
そろそろヴァイオリンを弾くのも教えるのもやめて遊ぼうと思っていたけれど、どうやらそれはまだ先のことになりそうで、ナマケモノなんだか勤勉なんだかわからない自分がいる。
常に周りから助けてもらえる強運の持ち主らしく、いつも手を差し伸べてくれる人達がいる。
みなさん、ありがとう!
それでは良いお年をお迎えください。


















2013年12月30日月曜日

周りに合せられない人たち

年越し蕎麦とお餅を買いに生協に行った。
私が会員となっているところは車で約40分くらいかかる。
なぜそんなに遠くまで行っているのかというと、以前乗馬をやっていたとき、そのクラブの近くに生協があったから。
乗馬の帰り道そこに寄って買い物をして帰るのがいつものことだった。
クラブの近くに仕事仲間のコーラスさんがいて、そこのお肉が美味しいのでぜひ食べてみてと勧められた。
本当に美味しいお肉が買えるのですぐに会員になって以来、乗馬をやめてからも月に1回だけはお米をとりに行く。
お米も年間予約で無農薬米が買える。
その生協の姉妹店は我が家の近くにもあるけれど、富士山が見える道を少し遠出が出来るのと、近くに住んでいる人に会っておしゃべりができるのが嬉しくて未だにそこに通っている。
今日も往きは真っ白な富士山を眺めてごきげんなドライブ。
都会は今の時期ガラガラになるから、車の交通量も少ない。
ところが、こんな時に決まって居るのが、周りの車の動きに合せられない人がいて走りにくいことこの上ない。
なぜなのかわからないが、ど真ん中を他の車の迷惑も顧り見ず、ヨタヨタ走る。
いったい右に行きたいのか左に行きたいのか、判断できない。
周り中がイライラしているのがわかるので、なるべくそっと抜き去ろうとしているのに、抜かれるのはいやみたいで急に早く走ったり・・・
ウイークデイには皆同じような動きをして、混雑していてもそれなりにスムーズに走れるのに、休日で空いていてもこんな車が1台いるだけで動きがギクシャクする。
アンサンブルをやっているときにもこんな経験は良くある。
人の音を全く聴いていなかったり、テンポが違ったり。
さすがに私の友人達はそんな人はいないけれど、他で勘違いしている人はいて、合わないと人のせいにする。
そういう人が運転するとこうだろうなあと思う。
今年もおだやかに暮れて、そんなことで目くじらたてるとせっかくの良い気分が台無しになるから、気にしない!気にしない!

















2013年12月29日日曜日

忘年コンサート

「雪雀連」の恒例の忘年コンサートが会場の都合でこんな歳の瀬になってしまった。
今年はそんなわけで出席出来る人が少ない。
昨日までスキー場にいたのに、時間が余るからと言って沢山弾いて欲しいといわれた。
ひどいじゃないの、会費払ってそんなに沢山弾くなんて。
ギャラなしなのに・・・・
えっと、私ってプロじゃなかった?
いくら文句を言っても幹事のアオちゃんは「わはは」と笑うばかり。
馬耳東風、のれんに腕押しとはこのこと。
今朝、動かない指をむりやり動かしたら、古い腱鞘炎が疼く。
だましだまし動かしては休みしているうちに、暖まってきてだいぶ調子が出てきた。
昨日までスキー場で一緒だったOさんから泣きのメールが入る。
「指が回らなーい!」
これは遊びだからいいかと思っても根が真面目だから、せっせと練習する。
会場は新宿3丁目のライブハウス。
去年までの会場が今年は使えなくなったので、11月頃探しに行って気にいったものの、空きがなくて今日になった。
5時集合でリハーサルのはずが、続々とお客さんは揃ってしまい練習を全部聴かれて拍手までもらってしまった。
ピアニストはいつものメンバーが欠席のため、Oさん1人。
全部の伴奏とソロと、1人何役もこなす。
Hさんのソプラノ、男性が1人シューマン「詩人の恋」を歌い、私のヴァイオリンとKさんのヴィオラ。
Kさんは現役オーケストラプレーヤーで、古い付き合い。
よく一緒にスキーもしたのだが、オーケストラが忙しくてたまにしか会えなかった。
今年定年を迎えて再雇用契約、要するに嘱託の形で弾いている。
久しぶりにデュエットをしてもらった。
ガクタイはいい加減な生活をしているけれど、いざ楽器に関してはものすごく真面目なので、Kさんは初めて合せる曲だというので食事もせずにじっと譜面を見ている。
私は会場に入ったとたん、ビールを飲んでいるというのに。
2時間ほどでバラエティーに富んだプログラム終了。
最後に紹介された私たちの名前が「ノーギャラシスターズ」
この店は料理も飲み物も少なめで、物足りない人達がもう一度飲み直すために新宿の雑踏に出ると、どこの店も入る余地が無い。
一体どこからこんな沢山の人が出て来るのかと思うくらいの混みかたで、道の人をかき分けて歩く。
やっと確保した居酒屋の片隅で今年の〆の酒盛りをした。
ビールは発泡酒みたいな味だし、突き出しのゴマ和えは甘すぎる。
サラダは私でももう少しマシに盛りつけるほどひどい店なのに、どの部屋も大勢の人でいっぱいになっている。
五月蠅い、汚い、料理は不味い、何拍子も揃っているのにこうして新宿に店が出せるのも不思議。
ただ一つ取り柄は安いこと。
昨日までの奥志賀での優雅な生活はあっという間に消し飛んでしまった。



















2013年12月27日金曜日

遊びもたいへん

奥志賀から戻りました。
初日は快晴無風新雪、最高のスキー日和り。
のんびりと遅めの列車で行ったので、宿の奥志賀高原グランフェニックスホテルに到着したのは午後2時を回っていた。
目の前のゲレンデからリフトに乗り、足慣らしに短い初心者コースを一滑り。
2本目はもう一つ上のリフトまで乗ってから初心者用の迂回路を選んで下まで。
3本目はエキスパートコースを一気降り。
そこでリフトの営業もお終いになったので終了。
ホテルのバーに行くとすでに今回のメンバー、「雪雀連」の山田会長、同年配のSさんと彼の会社関係のKさん(女性)がカクテルを楽しんでいた。
私の連れはピアニストのOさん。
5人で食前のカクテルをいただいて、前面の大きなガラス窓からライトアップされた雪景色を見ていると、全く日常生活を忘れてしまう。
会長は毎度おなじみ「ギムレット」Oさんは「マティー二」私は「マルガリータ」
実は苦い思い出があって、ずいぶん古い話だけれどメキシコに行った時、『太陽のピラミッド』と言われるティオティワカンに上ろうという前にこの「マルガリータ」の口当たりの良さに油断して飲み過ぎて腰を抜かした。
ピラミッドを目の前にして上れなくなってしまったのだった。
その話をしながら飲んで、さて食事。
イタリアンレストランで又白ワインを少し飲んでいたら、気分が悪くなってしまった。
この数日なにかと忙しく、寝不足も続いていたために疲れもたまっていたらしい。
またしても「マルガリータ」にやられてしまった。
太陽のピラミッドの呪いかしら。
それでも次の朝もさんさんと太陽が照って、絶好のコンディション、今日は焼け額山に行くと会長が言うので起床したものの、体が重い。暴飲暴食がたたっている。
約束の時間に間に合わず、ゲレンデに出てみると他の3人は影も形もない。
Oさんと2人で後を追って出かけた。奥志賀ゲレンデから焼け額ゲレンデまでは途中廊下があって、しばらく歩かなくてはいけない。
これがきつい!
緩い登り坂のあと少し下りがあって、又緩い登りと言うように決して勾配のある坂ではないのに、下りも勾配が無いので滑ることができない。
結局全部スケーティングか手で漕ぐことになる。
体力の無い私は滑るのはいいけれど、こんなことですっかり消耗してしまう。
焼け額ゲレンデに着いても仲間の姿は無く、仕方が無いので2人で昼食を食べて奥志賀に戻ることにした。
ところがそこで今度はOさんが気分が悪くなってしまった。
彼女は北海道育ちでスキーは非常に上手い。
その彼女が突然滑れなくなってしまった。
後ろにいたはずが姿が見えないので待っていると、おそろしくふらふらといつもの彼女の颯爽とした滑りとはほど遠く、今にも倒れそうになっている。
顔色は土気色。
これは一大事なので救助を呼ぼうかと思っていたけれど、なんとかプリンスホテルまで降りたので、レストランで一休みした。
Oさんは滑れる状態では無いので、各ゲレンデを巡回しているシャトルバスに乗ろうと思ったが今出たばかりだという。
レストランの人に事情を話してタクシーを呼ぼうとしたら、タクシーはスキー場内ではひろえないという決まりだという。
結局その人が私たちのホテルに電話をしてくれて、迎えの車が来て無事帰ることが出来た。
色々な症状から、どうやらOさんは高山病ではないかと皆が言う。
私もチベットに行ったとき高山病に罹ったけれど、呼吸ができずチアノーゼ状態になって、ひどく気分が悪い。
Oさんの顔色もその時の私の顔色そっくりだったし、下に降りてきたらすっかり症状が治まったので、本当にそうだったかもしれない。
とりあえず無事で良かった。
初めの予定では、今朝、湯田中行きのバスで長野原に出て、長野電鉄で小布施で下車、そこで遊ぼうと言っていたが、雪も激しくなってきたのでおとなしく帰ることにした。
Oさんも私も遊ぶ前には片付けなければいけない用事が沢山あって、疲労がたまった状態で出かけることになる。
Oさんは私よりも10才くらい年下だけれど、12月半ばのロンドンアンサンブルのコンサートのために奔走してくれたので、疲労がたまっていたらしい。
そして明日は忘年会コンサートで出席者が少ないから、一緒に沢山弾かないといけない。
遊ぶのもそろそろ命がけとなってきたのがおかしいけれど、それでもおとなしくしていられる自信はない。




















2013年12月25日水曜日

猫が歌うジングルベル



    サンタさんは来ましたか?
 残念ですがうちは煙突がなくて・・・・
   靴下には穴があいているしにゃ~
  

2013年12月24日火曜日

犬は喜び庭かけまわり



やはり雪はワンちゃんの方がよく似合う。

2013年12月23日月曜日

猫はこたつで丸くならにゃい



猫は寒がりかと思っていたら、こんな子もいるのですね。
で、私も雪が恋しくなって、25日から志賀高原に行って
参ります。     皆様もよいクリスマスを!

2013年12月22日日曜日

クラシックパーティー

音楽教室「ルフォスタ」の今年最後のクラシックパーティーが世田谷のスタジオで開かれた。
クラシックパーティーとは、教室のクラシックの生徒たちが気楽に参加出来る家庭的なコンサートで、外部の参加者も大歓迎。
今日は今年最後のパーティーというので、参加者が多い。
時間内に終るかどうか気がもめたが、結果としては早めに終った。
会場に行ってみるとまだ人はまばらだが、制限があるので開始時間ぴったりに始まった。
いつも予想外に時間が延びるのは、セッティングが遅いから。
私はそういう立場ではないから普段は手を出さないが、今日みたいな日に伸び伸びになるといけないと思ったから、ステージマネージャーを自己任命して動き始めた。
要するに次の出演者の使う譜面台、椅子に座るか立って演奏するか、人数は何人かを把握しておいて最小限で済む手順を考えればいい。
わかる人がやるのが効率的だが、いつもはスタッフがやるから手出しはしない。
譜面台の向きや椅子の間隔などは、楽器を弾かない人にはピンとこないと思う。
チューニングにもたつく人がいると、楽器を取り上げてさっさとチューニングしてしまう。
そんなわけで、余計なお世話だと思ったけれど、たぶん今までで一番スピーディーな進行となった。
後の方の出番の人が来てみると、思いがけず自分の出番が迫っていて慌てたりしている。
今年も生徒達は皆すごく努力をして、仲間同士で切磋琢磨して実力をつけてきた。
忙しい仕事の合間を縫ってレッスンに駆けつけ、出張や残業で休みがちになるのに頑張っている。
えらいなあ。
すぐにさぼる口実を見つけては、遊びに出かける私とは大違い。
負うた子に教えられるとはこのこと。
























2013年12月21日土曜日

鎌倉霊園

今日は昨日と打って変わり、上天気。
快晴、無風、気温も高い。
今日は先日無くなった姉の納骨があり、鎌倉霊園の高台にあるお墓に行くので今日の日差しがありがたい。
お坊さんの読経とお話を聴いてから、姉の連れ合いが先に入って待っているお墓まで車で上った。
そこでお坊さんのご指導でお参りをしてからお墓の蓋を開けると、中に義兄の骨壺が入っているのが見えた。
二つの骨壺を並べると、仲の良かった2人がやっと一緒になれて、特に義兄は姉を溺愛していたから嬉しくて、壺の中でお得意の「ベサメムーチョ」を歌って居るのではないかと皆で笑い合った。
姉夫婦は高齢だったから誰もが諦めのつく年であったけれど、やはり失った私達は悲しみがわく。
少し泣き笑いだった。
無事に納骨が済むと兄弟と親族がしばらくその場を去りがたく、なんとなく景色を眺めたり、周りのお墓を見たりしている。
今日は墓のある場所から真っ白な富士山が見えた。
左手には「あれは相模湾かね?」兄が指さす方には、陽を浴びて金色に輝く海が神々しいまでに美しく見える。
生まれたときから兄弟姉妹の中でも特別な存在だった姉は、死んでからも美しい景色に囲まれて贅沢に、優しい連れ合いと2人でここに眠る。
兄弟は皆僻みもせずに、そんなものと思って居た。
姉の子供達も物静かに母親の死を受け入れて、和やかに会食も済んで帰途に就いた。
12才まで姉にだっこされて寝ていた私には、姉というより母のような存在だった。
姉の1番上の息子である甥は、姉の我儘に振り回されて今まで独身だったけれど、これから嫁を見つけようと叔母である私たち姉妹は張り切っている。
この次集まるのは**の結婚式だね、と声が上がる。
姉への最大の供養は私たちがいつでも仲良くすることだと、甥が最後の挨拶で言っていた。
目に見えないほどだが軽い障害があって生れた甥が、立派にこんな挨拶をして頼もしくなっているのも嬉しいことだった。
姉のお眼鏡に叶わず、ずっと無視され続けていた姪の連れ合いが、初めて私たちの話しに笑顔で加わってきた。
今までは姉がいると、ひっそりと部屋の片隅で無言で、それでも家族の集まりには出てくれる律儀な人なので、気の毒に思っていた。
本当に姉の我儘には誰彼と無く振り回されたが、それでも皆の「おねえちゃま」は家族の宝物。




















2013年12月20日金曜日

箱根は晴れのち雪

昨日朝、箱根に行くので、ロンドンアンサンブルのメンバーと東名高速の東京インターで待ち合わせ。
美智子さんとリチャードは私が途中で拾って、トーマスは他の人が送ってくれることになっていたのに、待てど暮らせど来ない。
その前の数日、彼は良く働いた自分へのご褒美としてお台場の高級ホテルに泊まっていた。
そこのチェックアウトが混み合っていて時間がかかり、遅れたという。
絵美さんは小田原駅で待ち合わせることにした。
少し遅れるという連絡をしたが、高速は順調に走れてほんの少しの遅れで到着した。
揃って昼食をとりコーヒーを楽しんでから、小さい車に荷物と楽器と人とギュウギュウ詰めで箱根に向かう。
箱根の入り口にある会員制の素敵なホテルが彼らの2日間の宿泊所になる。
夜は宮ノ下駅のそばのお店で、そこのご主人の作る美味しい料理を頂いて、ほろ酔い機嫌でホテルに帰った。
さすがに風がおそろしく冷たい。
各々好き勝手に過ごして眠りに就いた。
今朝は日差しが明るく良い天気となった。
豪華な朝食のあとはゆっくりとコーヒータイムを楽しむ。
イギリス人は散歩が好きだから5人揃って芦ノ湖まで出かけ、旧東海道の杉並木を通って関所跡へ。
昨日の雪が道の両脇にかなり残っている。
近くの小さなお店で寄せ木のからくり細工を見て少し買い物。
その間リチャードが行方知れずになったり、トーマスが細工の箱を開けようと悪戦苦闘したり楽しんでいたのだが、小田原に行く時間が迫った。
箱根の山道の途中で降ってきたのは細かい雪。
練習場所の小田原「けやきホール」まで彼らを送り、来年の再会を約束して私はそこでお別れした。
帰りの高速に乗っても真っ黒な雲が空を覆っていて、どんよりとした嫌な天気模様がずっと続いた。
天変地異が起きないうちに帰宅しようと思って昼食は摂らずじまいだったので、ふらふらする。
帰宅したら駐車場のノラが一声「ニャー」と挨拶をした。





















2013年12月19日木曜日

ドキドキ

昨日箱根町は沢山雪が降ったようだ。
今朝のニュースでは雪景色を見せていたので、これはもう車は無理と思った。
小田原公演でヴァイオリンを弾く志帆さんの家に電話して状況を訊いてみたら、こちらは大丈夫ですと言うから、とりあえず小田原まで車で行こう。
その先は着いてから考えようと思っていたら又電話。
今度は箱根に同行する絵美さんからで、宿泊先のホテルに訊いたら雪は積もっていないというのでほっとした。
心配だったので、訊いてもらうようにお願いしてあったけれど「大変残念でした、雪だらけです」という返事が来ると思っていたから予想に反したので嬉しい。
昨日の夜は私にしては珍しく寝付きが悪かった。
意外と心配性なので、箱根の山道にかかる辺りで急に雪が積もっていてスリップしたらどうしようとか、ギブアップしたところでタクシーが捕まらなかったら大荷物持って歩くのかなと、バカなことばかり考えて居たら、寝付くのに10分くらいかかった。
入寝するのに30分とか1時間とかかかるという人が多いのに、私の場合通常は10秒弱。ほとんど瞬時。
なにか脳に欠陥があるのではと思える程のスピードなので、一種の病気ではないかと考えて居る。
なにかで読んだのは寝付きが早すぎるのも、あまりいいことではないらしい。
友人達と旅行しても、ベッドで横になって話していると話の途中で寝てしまうらしく、返事がないから寝たのがわかったと、よく言われる。
それほど心配だったけれど今日はこれで安心して出かけられる。
私はどうやら「晴れ女」らしい。
決して「腫れ女」では・・・なくはないかにゃ?うにゃ。






2013年12月18日水曜日

雪の便り

今日は予報に依れば雪になるとか。
いつもの年だと嬉しい知らせなのに、今日は憂鬱。
これからロンドンアンサンブルが公演のために小田原に行くのだが、その前の一日を箱根で遊ぼうということになり、私が運転して連れて行くことになっている。
私は雪道の経験は一切ない。
今まで雪がハラリとでも降ろうものなら、運転を放棄していた。
彼らも楽器も並ではないので、万一つるりと滑ったらと考えると身震いがする。
はじめから雪だったら絶対に運転しないと言ってあるから、もし明日も雪なら、電車で行ってもらおうと思っている。
それでも箱根は車が無いとあちこち回るのは不便だし、楽器が保管できる場所が確保できないとトーマスは大きなチェロを背負って歩くことになる。
一昨年、箱根に遊びに行ったときにも、チェロの保管場所が見つからないので、トーマスはいつでもチェロを背に地獄谷で温泉卵を食べたりしていた。
それがかわいそうだからなるべく車で行けるように祈っている。
今回ばかりは雪は少しご遠慮をと思うのに、来週は志賀高原に初滑りに行くので、今度は雪が無いと困る。
自分の都合で良くも悪くもなるのは雪に失礼かしら。
タイヤは2日前に日産に行って雪用に履き替えてある。
最近ポールにトランク付近をぶつけて、トランクの蓋が閉まりにくくなってしまったので、ハンマーで叩いてへこみを直してとお願いしたら、場所が悪くて元のようにならないという。
「そろそろ運転も考えものね」と言ったら、いつもの日産マンが「沢山運転しているという証拠ですから、多少の傷へこみはなんのことありません」と言う。
なるほど上手く受け答えするものだ。
ナンバーワンセールスマンのそつの無いこと。
彼の良いところは車はピカピカにきれいに乗るよりも、楽しく乗って欲しいという考えなので多少の傷は気にしないでくれる。
自分でもレースやバイクをやっているので、車の命は走りにあるという考えだから、やたらに直しましょうと言わない。
かすり傷にはちょっと塗料を塗ってくれる。
先日はバンパーの大きな凹みを出しておいてくれた。
1年半以上放っておいたので、当分私が修理する気が無いことを察したらしい。












2013年12月17日火曜日

トレーニングウエア

最近筋トレをやっているのでウエアをどうするか考えた。
今まではスエットパンツに普通のTシャツをきていたのだが、汗をかくと濡れて張り付くので気持ちが悪い。
この世界全く知らないので、一体何処に何を買いにいけばいいのかわからない。
トレーナーが教えてくれたアンダーアーマーというブランドがあるというので、澁谷のお店までいってみた。
店内は明るくていかにもカラフルなトレーニング用シューズやウエアが並んでいる。
どこでもそうだけど、若い人が多い。
女性用は地下にあるので階段を降りていくと、フィッティングルームに入っている客に色々アドバイスをする店員がいる。
初めてなので何をどうそろえて良いかわからない。
それでいつもの人任せの態勢に入った。
わからないからコーディネイトしてもらう事にしたら、若い店員さんが張り切って選んでくれたのが、ピンクの長袖のアンダー、その上に黒い半袖Tシャツ、脇にピンクのストライプの入ったレギンス、そしてレギンスの上からチャコールグレイの短パンを穿くという、今風のスタイル。
今日その格好でトレーニングに行って「店員さん達から『かわいい!』って言われました」と言ったらトレーナーが「40才過ぎると皆さんどんどん地味になって、スエットパンツなんかを着るんですよね」と言うではないか。
普段も私はどちらかと言えば「若作り」だから、こういう格好も違和感がないけれど、普通は中々勇気がいるらしい。
私の家の前を通る人で、いつもキラキラしたロングスカートスタイルの女性がいる。眼鏡までキラキラ。
初めて見た時はなにこれと吃驚した。
昼間なのにその服装は無いでしょうと思ったけれど、頬紅を真っ赤に塗ってアクセサリーを目一杯付けてヨロヨロ歩くと、なにか余計年をとっているように見えて痛々しく感じた。
最近は慣れてしまったけれど。
だから私も痛々しく感じられてしまうのかなと思ったけれど、構うものか、思わば思え、どうせ奇人変人のたぐいに分類されていると思うので楽しく運動してきた。
この次はあのポップなシューズを手に入れよう。











2013年12月16日月曜日

オケ仲間

一時代前のオーケストラを今に繋ぐために頑張ってきた仲間達7人が、新宿のビアレストランに集合。
この仲間達と、古き良き時代とまでは言わないけれど、今のオケマンたちのようにサラリーマン化していなくて、薄給で遅配で恐ろしく忙しい今で言うブラック企業を楽しく盛り上げてきた。
世間的に見るとひどく苦労しているように見えたかも知れないが、何れ劣らぬ脳天気揃いだったから毎日笑いに包まれていた。
なにが面白いったって、ただただ、そこに居る人達を見ているだけで面白い。
今日も話題に上った故中木十郎さんはハンサムでダンディーでヒゲを生やし、前立てに刺繍のある真っ白な皮のコートにウエスタンブーツ、そしてなぜかトランペットを新聞紙で包んで小脇に抱え、さっそうと歩いてきた。
なぜ新聞紙?ときいたらケースが重いからと答えた。
それがすごく様になっていて、彼がするとそんなことまですべてが格好が良い。
クラリネットの故北爪さんは普段はハンサムですごく温厚な紳士なのに、一旦車のハンドルを握ると豹変する。
おそろしいスピード狂で年中警察に捕まっているのに、懲りもせず飛ばしまくっていた。
しかも運転している間は様々な罵詈雑言を周りの車に浴びせ、あきれて見ているとそれに気が付いて照れくさそうにエヘヘと首をすくめていた。
皆は親しみと尊敬を込めてズメ先生と呼んでいた。
芸大のえらい先生なのに少しも尊大な所がなく、新人のパーカッショニストがうまく行かず落ち込んでいると「今日、俺どっかうまくできたとこあるかなあ?」などととぼけて見せて、それとなく慰めてくれたそうだ。
故チンネンさんはやんごとなきお家柄なのに、初めてお目にかかった時には、キャラメルの紙一枚でお尻を拭く方法を伝授されて、度肝を抜かれた。
当時は(今も?)皆自分では言わないけれど吃驚するような家柄の良い人たちがいたので、人目も気にせずどんなことにも拘らないようなところがあった。
彼のお父様などは、帝国ホテルの調度品でも気に入ると自宅に持ち帰らせて、あとで執事がお支払いに行ったとか。
そんな人達と庶民である我々が全く対等に居られるのが音楽の世界で、一般社会の通念だったら信じられないようなお付き合いをしていた。
今はサムライ達は故人となって全体に常識的なメンバーとなってしまったが、私たちの先輩の頃にはあきれかえるようなエピソードが山のようにある。
私もしょっちゅう悪戯をしていたけれど、それを面白がったおじさん達にはずいぶん可愛がられたものだった。
今日一緒に居た仲間のうち最長老のSさんは記憶力も並外れていて、面白い話を次から次に出してくる。
皆でそれを本にしたらどうかと勧めているいるので、ご本人がその気になってくれたらお手伝いしたいと思っている。




























2013年12月14日土曜日

伝承ホールにて

今夜は「ロンドンアンサンブル」の澁谷公演。
チケットが売れすぎて早く行かないと席が取れないかも知れないと言うので、40分も前に行ってチケットをゲット。
その時点でもう行列が出来ていたから並ぼうかどうか迷ったけれど、40分も並んだら足が痛くなってしまうのでそこら辺を探索することにした。
ここに来るのは初めてなので物珍しいけれど、なんかねえ、無難と言えば無難な面白みの無い建物。
そしてコンサートが始まって最初にピアノの音が鳴ったとき、鼻が詰まったような音がしたのにはびっくりした。
美智子さんはすごく上手いピアニストだから、いつもは絶対こんな音はしない。
せっかくコンサート会場を作るなら、もう少しグレードの高いピアノを選んで出来ればフルコンがいい。
会場が小さいからと言って中途半端な物を入れるから、こんな音がしてしまうのだから。
予算の都合を言うなら、他の部分をワンランクおとせばいい。
見てくれがこの程度でも、もしすごく良いピアノが入っていたら「ほう」と言って感心されるでしょうに。
楽器のことはさておいて、会場は超満席。
ぎりぎりに来た私の知人は瀬戸際で入れてもらえたけれど、子供連れの人が入るようなブースに押し込められていた。
客席の後ろにガラス張りの隔離された部屋があって、音はスピーカーで出て来るらしい。
休憩時間に訪問すると、気楽で中々快適ですと言っていた。
私の通路を挟んで隣のエリアに居る人が、曲が始まっているのに話をやめないので、にらんでやった。
それでもやめないから「シー」っと言って唇に指をあてたらやっとやめたのだが、ずっとこちらを見ている。
おしゃべりはやめたものの、次はプログラムをカサカサいわせて身を乗り出したり、とにかく落ち着きがない。
クラシックのコンサートだからと言ってやたらに緊張して、緊張の余り咳き込んだりするのもどうかと思うけれど、1曲ずつが短いのだからその間くらいじっとしていられないものかしら。
子供じゃあるまいし。
いつもながら4人の息の合った楽しい演奏だったのに、そのおっさんのせいでわずかに残念だった。
気が散ってはいたけれど、十分楽しかったから、ま、いいか。
それにしてもヴァイオリンが絶妙なピアニシモで弾いているときにプログラムを落とす人って・・・殺意を覚える。
それとまだ余韻が消えないうちに拍手するひと・・・心の中で「死刑だ!」と叫んでいる怖いおばさんがいることを知っていただきたい。




















行方不明続出

このところ人の出入りが多くてピアノの上にあった物をかたづけ、その後一段落して必要な物を探すと色々見つからない。
これが我が家の七不思議で、この部屋からは一歩も出てないはずのものが見当たらない。
まずはハサミ。
先日使って元の場所に戻そうとしたときになにか障害があって戻せなかったので、ここに置けば絶対見つかると思う所に置いたはずが・・・覚えて居ない。
その時には覚えておけると思ったということは、さほどかけ離れた場所ではないはず。
昨日から血眼で探している。
それからある人に楽譜を送るつもりでコピーしたものを封筒に入れて、さて郵便局に行こうと思ったら・・・ない。
ピアノの上にあったのだから楽譜に紛れているとは思うけれど見当たらない。
うちではあまりお米が減らなくて、生協から契約米が届くとだぶついてしまう。
先月分をしまう場所が無くて、しばらく車に積んであった。
荷物の出入りが多いのでそれをどこかにしまった・・・はず。
ところが、そのお米の隠し場所がわからなくなってしまった。
車にはここ数日沢山の荷物が積みおろしされたから、トランクが空っぽなのはわかっている。
今朝兄からお米が届いたし、他所からも頂いたので失くなっても困りはしないが、どこかで劣化してしまうと勿体ない。
人が出入りするとかたづけるのが面倒で、ついどこかへまとめて放り込むのが全ての元凶。
普段から整理整頓しておけば何と言うことはないのに。
それが出来るのは頭の中が整理されている人で、私は脳みその半分は手前味噌だから、最もだめなのが整頓すること。
でも我が家に来た人達がよく言ってくれたのは「このうちは居心地がいいなあ」だった。
なぜかというと散らかっているからだそうだ。
はい、これこそ手前味噌でしたね。






















2013年12月13日金曜日

タマーシュ・アンドラーシュのレッスン

イギリス、ロイヤルフィルのサブコンサートマスターのタマーシュ・アンドラーシュが「ロンドンアンサンブル」のメンバーとして毎年来日している。
去年かつての私の教え子S子が、彼にレッスンをしてもらった。
その時はコンサート前の忙しい時でバタバタとしていたので、私はレッスンに立ち会えなかった。
それで今年はタマーシュに私の家に来てもらってレッスンを受けることにした。
S子は私が最初の6年間ほど教え、その後私が「この人」と見込んだY先生にお願いして6年間師事し、音大に入ってオーケストラプレーヤーを目指している。
初めは皆ソリストを夢見るものなのに、彼女は初めからオーケストラを目標にしていた。
今オーケストラに入るのは至難の業になっている。
空いた席が無い上に、募集すると30~40倍という狭き門がまっていて、おいそれとは入れない。
それならいっそソリストになるまで頑張ればと思うが、彼女の夢は最初からオーケストラで弾くことで、気持ちにぶれがない。
タマーシュは非常に温厚で良い人だが、一旦ヴァイオリンを持つと情熱の迸る素晴らしい演奏をする。
知的でありながら持って生まれたハンガリーの血が歌い出す。
演奏も素晴らしいが教え方も理論的で誠実なのだ。
S子はのみ込みが早く楽譜の初見にも強い。
かつて我が家で、無理を承知で初見曲をバンバン弾かせた効果があったようだ。
今日の曲はプロコフィエフ「協奏曲1番」
一ヶ月で譜読みは出来て結構様になっていたけれど、やはり言われることは音楽の構成力が弱いということ。
表情のつけ方が浅いというか、全体がのっぺりしていて表情が変わらない。
タマーシュの助言は
自分がオーケストラとの関係でどんな役割なのか知ること。
気持ちの切り替えが少なすぎる、はっきりと聞き手にわかる様に表情を変えなさい。
そして、楽譜を眺めてアナリーゼすること等々いわれる。

S子の技術はかなり高水準なのでそれは心配ない。
まだ若いから無理も無いが、なにもかも力で弾きすぎる。
タマーシュがお手本で弾いてきかせてくれると、曲が全く違う様相を見せて生き生きしてくる。
それに答えて彼女も素早く反応して、最後にはとても良くなった。
子供の頃から私が彼女に問いかけたのは、この曲を、あるいはこの部分を貴女はどのように感じ、どのように弾きたいのかということ。
それに対し彼女は「わかんなーい」可愛らしく答えた。
「時々すごく悲しくて、わーんって泣きたくなるようなことがあるでしょう?」と言えばニコニコして「なーい」
こんな風に弾いてみたらとサンプルを出すこともたまにはあったけれど、それでは考える力が無くなってしまうので、しかもだんだん私そっくりになってきたので、それはやめた。
そして今相変わらずそのことをタマーシュにも指摘されて、子供の時から一緒だねと笑ってしまった。
それでも彼の質問にちゃんと答えているのをみると、成長したなあと目を細めてしまう。
親ばかならぬ教師ばかです。
レッスンの後はメンバー全員集まって、私のまずい料理でワインを飲むと、ガクタイ丸出しの彼らは陽気に騒いで帰っていった。
中でもタマーシュは黙々と危険な料理を美味しそうに食べてくれた。
お腹こわしてないといいけど。
































2013年12月12日木曜日

オレオレ詐欺だあ

電話がかかってきた。
受話器を取ると「あ、**のおばあちゃん?」という声が。
確かに私の姓で私はおばあちゃんだけど、そんな風に私を呼ぶ人は誰も居ない。
「俺、今日むさこ(武蔵小杉)の方に仕事でいくんだけどさあ」
誰だろう。親戚の誰彼を思い浮かべても、こんな口の利き方をするヤツは思いつかない。
私の家は東横線沿線ではあるが(むさこ)ではないし・・・・
甥と声が似ているけれど、仕事場は横浜だし・・・・
「どなた様?」と訊いたらいきなり電話が切れた。
そこでやっと気が付いたのは「オレオレ詐欺」
いつもオレオレ詐欺のことを耳にすると、うちにかかってきたら少しからかってやろうと思っていたのに、いざ本当になるととっさに出来ないものなのだ。
よし、この次はしばらくお相手をしてみよう。
大体こんなチンピラ風の口の利き方ではうちの親族とはみとめないから、詐欺をしようと思ったら勉強して出直してらっしゃいと、お尻を蹴飛ばしたくなる。
日がな一日他人様をだまして美味い汁を吸おうとこんなことばかりやっていて、むなしくならないのだろうか。
しかも、年老いた人達がだまされてどれほど悲しいか、孫や子供のためと必死で貯めたお金を出した後どんなに困るか、親戚中から怒られて小さくなっているお年寄りの姿が想像できないのか。
バカモノどもが!貧しくともまっとうに生きればどれほど
清々しい気持ちでいられるか考えてみなさい。
初めはおもしろがっていたけれど、だんだん腹が立ってきた。
でも、引っかかる方も自分の子供や孫達の声を聞き分けられないのが不思議だなあ。
ちょっとした言い回しや、声のトーンでわかりそうなものなのにと思うのですが。








2013年12月10日火曜日

疑ぐり深い

今日の天気は不気味だった。
雷、雹、突発的な強風。
夕方買い物に出て信号待ちをしていたら、暗くてよく見えないけれど地面に黒いものが横たわっている。
おやと思って近づいてよく見ると年配の女性がが倒れていた。
驚いて「どうされましたか」と訊くと「風が吹いて転んだら立てなくなって」と言うので慌てて起こそうとした。
私もドッコイドッコイの年齢だから、両手を持って起こそうと思ってもそう簡単には起こせない。
周りを見ると自転車に乗った男の人が来たので助けを求めた。
するとその人ともう1人の男性が助けてくれて、ようやく女性は立ち上がった。
その頃には野次馬が10人ほど周りに集まって、中でもやかましいオバはんが「あそこのマンションの人よね、そうでしょう?
さっき往きがけにもあったわよね」と何回も言っている。
なぜか得意げな口調。
なんの役にも立たないのに、騒ぐだけのこんな人はよくいる。
さっき助けてくれた男の人が抱きかかえるようにして連れて行ったので「お願いします」と声をかけた。
でもその人は初めから一言も口をきかないし、女性に家の所在も訊かないので少し怪しんでしまった。
無言で連れて行くので、大丈夫かしら、変な人では無いでしょうね、途中で貴重品を持って行かれたりしないだろうか・・・
疑い深いのは私の性格で、それなら最後まで付いて行けばいいのにそれをしないで後で後悔する。
今ちょっと心配して、やはり私も付いて行けば良かったと思っている。
私もああなるのは決して遠い将来ではないから、こんな時助けてもらってもきっと拒否するだろう。
可愛くない年寄りだから。
ただ風に吹かれただけで倒れるようにはなりたくないので、今はせっせと筋トレをしている。
近所のジムに週一回通って、けっこうハードなプログラムをこなす。
元々運動はスキー以外は全く苦手で、家に居れば日がな一日パソコンでゲームかヴァイオリンを弾いているか、この二つのことしかやらない。
ウオーキングも最近は殆どせず、専ら筋トレをしているのだけれど、これはたいそう気に入っている。
トレーナーが付いていて、ちゃんとした運動をさせてもらえるので、今までいかにムダに運動してきたかよくわかる。
鍛えたい筋肉をまんべんなく動かしていくのだが、負荷のかけ方が自己流だと少しも効き目がなかった。
正しい姿勢で目的の成果を上げるように指導してもらえる。
なぜこんなことを始めたかというと、やはり転んだ人の様にならないため、ずっときちんとした姿勢が保てるようにインナーマスルを鍛えるため。
年をとると皆運動をやめてしまう。
今更と思うのでしょうが、年をとったら意識的に運動をして筋肉をつけていかないと、風で転ぶようになってしまう。
それに1番の効果は、汗をかくと気分が爽快になること。
みなさんもおためしあれ。



























2013年12月9日月曜日

足裏みがき。

あるとき友人とプールサイドにいると、その人が「わー、きれいな足の裏ね」と言ってくれたことがあった。
その頃は私は「自分の体の中ではここが1番きれいなの」と自慢するほどすべすべの足裏をしていた。
つるりんと桜色をしていて、我ながら中々だと思って居た。
ところがその後、外反母趾から来るゆがみで重心がずれていたからか、左足に魚の目ができてしまった。
魚の目というのは気持ちの悪い物で、核があってその周りが硬い皮膚になってしまう。
薬をつけてようやく治りかけたのに、注意書きに書いてある無理に核をはがさないと言うのを無視した。
薬でふにゃふにゃした周りの皮膚をむりやり剥がしたら天罰覿面、そのあと化膿して異常に硬い角質となってしまった。
ちょうど500円玉くらいの範囲が角質に覆われて、他の生き物がとりついたようで気持ちが悪い。
電動の角質削りやお風呂で軽石を使ったりしても手に負えない。
私の唯一きれいな所がなくなってしまった。
最近ネットで見つけたのが1時間薬液に足をつけておくと、1週間後に角質が剥がれてくるという物。
半信半疑で買ってみたら、なんと効き目は抜群。
これで使うのは2回目。
5~6日目位から足の裏がものすごい勢いで剥けてきた。
あれほど手に負えなかったカチカチの角質が、今はもう殆ど剥けてスベスベが戻ってきた。ばんざーい!
恐るべしネットの力。
最近エステで背中を見せていたら、エステティシャンが「ほんっとにきれいな背中ですね」と褒めてくれた。
他人様に見せられないところばかりきれいでも、肝心の1番表にある顔が残念だとねえ。世の中上手くいかない。
顔は母が「かわいい」と世界でただ1人褒めてくれていた。
不細工で不憫な娘に、悲しい思いをさせないように言ってくれたのだが、姉妹はそうはいかない。
先日亡くなった姉などは私を膝に載せてズケズケと「あんたはね、大きくなったら整形で鼻を高くしなさい。そうすればお嫁にいけるから」なんてはっきり言ってくれたものだった。
美人だった姉も寄る年波で、魔女みたいになってしまった。
私はいつまでもきれいなおばあちゃんでいたいから、もう少し頑張って足裏を磨いておこうとおもっている。
せめて裏だけでも。














2013年12月8日日曜日

小田部ひろのさんの夢を見た

今年は私の出番はないけれど、いつもこの時期にロンドンアンサンブルの小田原公演に参加していたので、そろそろだなあという気になっていたせいか小田原にいかなくてはという夢を見た。
しかし乗り物がない。
すると誰かがこれに乗っていけと言って、スーツケース大の透明な乗り物を持ってきてくれた。
上ががま口のように開いて、下にキャスターがついている。
エンジンがないからこれでは何日もかかってしまうと呆然としていたら、暗い食堂の様なところに長いテーブルが置いてあって、
そこに小田部さんがこちらを見てニコニコしている。
そこだけ明るくて、キラキラと輝くような微笑は生前そのまま。
エキゾチックな美貌の持ち主で、多くの人を魅了してきた。
向かい合わせに座って話をしようとしたところで、大音声で鳴くたまさぶろうにじゃまされた。
目が醒めるとたまさぶろうと2匹の猫が、めしよこせコールをかしましく喚いていた。
せっかく会えたのに少し話がしたかった。
私が彼女の夢を見たのはこれが初めて。
20年ほど前に彼女が音楽教室「ルフォスタ」を始める時も一緒だった。喧嘩しながらもずっと一緒だった。
西湘フィルを立ち上げる時に様々な困難があって、その都度相談やら演奏に参加していたこともだいぶ前になってしまった。
私は最近はトレーナーもやめて演奏会の時にエキストラで参加するだけになってしまったので、彼女はなにか私に言いたいことがあるのではないかと思った。
もう少し協力して下さいとかなんとか。
もう私はどんどん活動範囲を狭めているところで、体力・気力共に衰えを感じているから、これ以上の活動はむり。
それとも早くこちらに来て一緒に演奏しましょうよと誘われているのかなとも考えた。
又一緒にアンサンブルをしましょうね、小田部さん。
西湘フィルは頑張っているようだし、着々と実績を積み重ねていますよ。
最近人の生き死ににはあまり感情的にならなくなってきているのに、小田部さんを思い出す時だけはいつも涙が溢れる。
あれほど生きたがっていたのに。
自分で作ってしまうほど、オーケストラをやりたかったのに。
なにか事があると少し鼻にかかった声で「これどうしたらいいでしょうか」って相談にきてくれた。
私を頼りにしてたから、私もできるだけ相談に乗るようにしていた。あまり役に立たなかったけれど。
なにを言いにきたのかなあ。話がしたい。

















2013年12月7日土曜日

モーツアルトもびっくり



3匹のスフィンクスたちが途中までは完璧に曲にあっているのに、途中で反逆者が出て終ってしまうのは、いかにも猫らしい。

雀百まで踊り忘れず

昨日に弾き続きR・シュトラウスの「ソナタ」をOさん邸で弾いてきた。
今日はOさんの生徒さんの勉強会で音大出身の人達だろうから、もうプロとして活躍している人もいると思うので、とてもうまい。
演奏中なので無断でOさんの居間に入り込み、楽器を出して練習を始めた。
昨日よりは楽器も鳴っているようだ。曲の初っぱなの所を繰り返し練習した。
なんと言っても1番怖いのは曲の立ち上がり。
これが上手くいかないとその後しばらく引きずってしまうので、これをなんとか上手くいかせたい。
ある時、レーピンのリサイタルで1曲目がこの曲だった。
あの天才が見事に音程を外したのが、この曲の初めの部分。
信じられない思いでショックを受けた。
彼のような超一流の演奏家でもそんなことがあるとは・・・・
勘違いをしたか、緊張で指が滑ったのか。
ただ、その後は見事な演奏で、1番難しい最後のピアノとの掛け合いも完璧だった。
今日の私たちはかなり集中力があって、なんとか難しい部分も切り抜けて、まあまあの出来かな?
自分で言うと嘘っぽくなるけれど、弾いていて十分楽しめたし、なにがあってもなんとかつじつま合わせが出来て、特にOさんは音色がこの曲にあっていると思うので、シュトラウスらしさが出せたと思う。
この難曲に付き合わせて時々悪かったかしらと思ったが、どんな風に歌っても上手くカバーしてもらえる様になって、本当に楽しく演奏出来たことは大きな収穫と言える。
まだまだ私たちいけるかな?
毎年、もう来年は弾けないだろうと思いながら早くもたいそうな年となってしまったのに、こんなに挑戦が続くとは思いも寄らなかった。
しかし多少しんどいことは確か。
それを上回る喜びがあるので、未だにやめられないのは「業」ですかね。赤い靴を履いちまったね。




















2013年12月6日金曜日

今年最後の「弾く会」

数年前から始まったピアニスト3人ヴィオラ・ヴァイオリン各1人、最近はソプラノも加わっての勉強会も今年は今日で最後、来年からも継続する約束をして今日は忘年会のはずが忙しい人も居るので来年の新年会に持ち越された。
今日は喉を痛めてしばらく歌うのをひかえていたソプラノのMさんも日本歌曲を歌った。
かつてオペラで数々のプリマドンナを務めた彼女が本気になったのは訳があって、介護施設に入っている彼女のお母様が彼女の歌を聴きたがっているというので、来年に入ったら私たちでおしかけて演奏するから。
彼女の歌の伴奏をする他に、ピアノソロ、弦楽器のソロを交えてのプログラムになる。
いつもケアハウスでやっているボランティアと同じ。
私の母は私がヴァイオリンを弾くことを生涯反対していたから(堅気の仕事では無いと思っていた)ついに一度もコンサートには来てもらえなかった。
一度くらい聴いてくれてもよさそうなものなのに、母の心中では楽器を弾いて職業になるなんてことは絶対に認められなかったようだ。
死ぬ間際まで「もうヴァイオリンはやめなさい」と言っていたから、本当にやくざモノだと思っていたに違いない。
だから娘の歌を楽しみにしてくれるお母さんなんて、私から見たら後光がさして見える。
そのくせ私の母は女学生時代にかのハイフェッツを聴きに行ったことがあると自慢していた。
あるいは、私の練習を聴いていて、これは到底モノにはならないと思ったからかも知れない。
まさかハイフェッツと比べたりしていないでしょうね。
今日はピアニストのOさんの家が会場。
Oさんの家は広くて素敵な調度品に溢れているが、住む人も減ってしまったので減築することになった。
今年の夏はその工事が入っていてOさんは忙しかったにもかかわらず、私の希望のR・シュトラウス「ソナタ」に付き合わされてヘトヘトになっていた。
やっと工事が終ったところで今日の会となった。
明日も又、Oさんの古くからのお弟子さん達が集まっての勉強会でシュトラウスを弾くことになっている。
シュトラウスの若き日の作品だから未熟な点もあるかと思うが、私はこの情熱の赴くままにたっぷりと歌うことのできる作品が、なによりも好き。
ヴァイオリンの技術の粋をあつめ、かつ世紀末の爛熟した和声を表現し始めたシュトラウスに感謝したい。
あまりの弾きにくさにピアニストのOさんはこの曲を嫌っていたけれど、いつの間にか文句を言わなくなった。
やれやれ、やっとこの曲の良さがわかってくれたのか・・・それとも諦めたのか・・・・

















2013年12月4日水曜日

ロンドンアンサンブルがやってきた。


毎年この季節のロンドンから来日している「ロンドンアンサンブル」は元BBCオーケストラのフルート奏者のリチャード、その奥さんのピアニストの美智子さん、ヴァイオリンはハンガリー人の名手タマーシュ、そしてチェロは今ヨーロッパでチェリストとしても指揮者としても大活躍のトーマスの4人。
去年と一昨年はヴィオラが入っていたのだが、今年はヴィオラ抜きの編成なのでタマーシュの奥さんのジェ二ファは来ない。
従って私もジェニファが帰ったあと、ジェニファの代りに小田原公演だけ弾いていたヴィオラのご用がなくなってしまった。
今朝トーマスから成田に着いたと電話があった。
そこから成田エクスプレスで我が家の近くの駅まで到着したのを拾って、彼の宿泊先のマンションまで送って行った。
彼は元気いっぱいで、今年1年間でベートーヴェンのシンフォニー全曲の指揮をしたとか、第九が素晴らしかったとか、この次はチャイコフスキー5番とブラームス4番を指揮するとかすごく生き生きと話すのでこちらもうれしくなってしまう。
日本は日差しが明るくて気持ちがいいと大喜びしている。
今頃の季節のイギリスはとても寒くて暗いそうで、この日本の気持ちの良い季節に彼らが来て嬉しそうにしているのを見るのを、毎年楽しみにしている。
明日は我が家のレッスン室で彼らが練習し、家主である私は澁谷へ仕事で行ってしまうので練習が聴けないのが残念だけれど、コンサート会場で初めて聴く方が新鮮でいいかもしれない。
お気が向かれましたら彼らの演奏を聴いてあげてください。
とても楽しいコンサートですから。










2013年12月3日火曜日

ぬくぬくにゃ~その2,同じ画像です。

前回の「ぬくぬくにゃ~」の画像が見えなかった
     という方がいらっしゃったので改めて
         写真を揚げてみました。
      前回見えなかった方はこちらでどうぞ。


2013年12月1日日曜日

ぬくぬくにゃ~

早すぎる忘年会

12月に入ったところで音楽教室の弦楽アンサンブルの指導にでかけたら、今日は今年最後の練習なので忘年会をします、と言われた。
ひえっ!ぼ、忘年会?もう?
少し早すぎるのではと思ったけれど、今日終ると仕事の都合でしばらく四国に行ってしまう人も居るので、歓送会を兼ねて行うというので参加することにした。
数ヶ月で戻って来るそうだから悲しいという訳ではないけれど、少し寂しくなる。
後楽園駅のすぐそばにあるもんじゃ焼きのお店が毎年の馴染み。
講師は何人か交代で指導しているのに、宴会があるのはなぜか私の番の時。
そういう巡り合わせなのか、教室の事務が気をきかせてそうするのかわからないが、愉しく飲んできた。
私も周りから若い若いとおだてられているけれど、実は尻尾が9本もある古い化け猫なのでかなり体力は落ちている。
色々な仕事も今年限りにしようかなあなんて考えて居るが、なんだかんだ言っても若い人達と遊ぶのが好き。
特にこの弦楽アンサンブルのメンバーは陽気で一生懸命なところがいい。
練習中ぎゅうぎゅう私に絞られて、いい加減嫌になるかと思うと次回も喜々として集まってくる。
練習が終ると毎回連れだって飲みに行くそうなので、それで皆の仲がいいのかしら。
ただでさえ最近のもの忘れが激しいのに、忘年会をしてしまったらこのさき12月いっぱいの事はすべて忘れてしまいそう。
もう一度忘年会をしようと言うことで、それを回避するように計ってみたけれど、そのことすら忘れそう。
来年はどんな年になるかなんて、忘年会をやったお陰でもう考えてしまった。






















2013年11月29日金曜日

数学と音楽

先日のnekotamaの「かけ算の順序」にコメントをいただいたサイトに行ってみた。
読んでみるとなるほど、図で説明されると納得!
割算について考えれば、順序が重要なのが良くわかる。
いやー、今までそんなこと考えてみたこともなかったから、とても興味深く拝見した。

数学は畑違いのように見えて、実は音楽とは深い関連がある。
先日うちのピアノの調律に見えた山田宏さんからも、深遠なお話を伺った。
どんな事かというと間違えるといけないから、後ほどちゃんと聞いてまとめてお話しますが、音の唸りについて非常に精密な計算が必要であるということ。
サイン、コサインが必要になると言われてびっくり。
単に経験からくる耳での調律かと思ったら、とんでもない。
きちんと計算をするのだそうだ。
私たちヴァイオリン弾きは純正調と言って、その調特有の音の関係で動いてゆく。
ところが一つの純正調でピアノを調律すると、どうしても余ってしまう音?が出てくる。(この辺が曖昧で、ではヴァイオリンはといわれると???)要するに唸りが生じてしまう(らしい)
だから私たちヴァイオリン族はピアノの音階については、なんとなく曖昧に聞こえてしまう。
このへんの説明も後で山田さんに詳しく聞いておきますが、それでピアノの場合オクターブを12等分してその余った音(唸り)を吸収してしまわないといけない。
と、まあ、こんなことで、サイン・コサインが必要になるらしい。
長年のお付き合いだけれど、山田さんの口から数学が出て来るとは思っていなかったから、ほんとに驚いた。
純正調のヴァイオリンと平均律のピアノはほんとうはハモらないはずなのだが、双方の歩み寄りで美しい響きが得られる。
ところが「音程の悪いヴァイオリン」そして「音程の悪いピアノ」が一緒に弾くと耐えがたい事になる。
ピアノの音程が悪いなんてと思われるかも知れないが、音程の悪いピアニストっているんですよ。
調律は合っていてもとんでもなく叩きまくって音を殺してしまうようなピアニストは、どうやっても響きを作ることが出来ない。
私はそういうピアニストを「音程が悪い」と言う。

学生時代、私の1番得意な科目は数学だった。
今はもう数学分野は全く忘れ果ててしまっているけれど、時々自分の脳みそが数学の時と同じ働きをしていると思う事がある。
それは楽譜の初見の時とか、どんなやり方でこの曲を弾き続けていくかと考える時。
いままでの経験から得た知識を弾きながら次々と繰り出して、それをどのようにつないで行くか、もの凄いスピードで考えているときには「ああ、数学もどきやってる」と思う。
弾いているところよりも少し先の音符を見ながら、曲の構成を次々に組み立てていくのは、ものすごく愉しい。
















ノラさまご入居

今日は冷え込んだ日本列島。
朝餌を持って行くとのそりと物置からノラが現れた。
そろそろ寒くなるのでと準備して、物置にヒーター付きの新居をご用意してさしあげたのに、一向に入る様子をみせなかったノラも、ついにあまりの寒さに音を上げたと見える。
うちの駐車場では不埒な輩が時々悪戯をするのと、ノラのために半開きになった物置からものが消えるので、カメラをつけてもらった。
ノラの様子と物盗りの現場が見えればと思っていたけれど、物置の中身はあらかたなくなっているので専らノラ専用になった。
盗みのためか猫の様子を見たいためかはわからないが、時々物置が人に覗かれているのがわかる。
ドアがいつもと違う幅で開いていたり、閉まらないようにしているのに閉まっていたり、中の物が動いていたり。
もっとも我が家では楽譜が歩く、鍵が家出するなどの物が移動するのは日常茶飯事。
だから物置のなかでの移動は物自身の意思かもしれない。
そのようなことが多いので、先日監視カメラをつけるついでに半開きのドアにもチェーンの鍵をとりつけてもらった。
その後この物置に誰かが触った形跡はないから、効果があったと思える。
それからは毎日しょっちゅうカメラの画像を覗いていたが、ノラが寝ているのは見たことが無かった。
夜中や明け方にたいそう冷えるから、さすがにノラも暖かい寝床に入っているかと期待して見ているのに、いない。
赤外線カメラだから暗くてもはっきり写るし、むしろ暗い時の方が見えやすい。
あまりにも汚れて居るからと言って、掃除をしたのがいけなかったのかも知れない。
ちょうど良いくらいに雑然としている方が、猫には(私も)居心地いいのかも。
むだなことになったかと思ったけれど、やっと今朝中から出てきた。

ノラさま、ようこそ。マンション・シェッドに。
お気楽に一冬お過ごしくださいませ。














2013年11月28日木曜日

かわいい!


    表彰される警察犬が緊張の余り調教師さんに
取りすがっている画像見つけました。
調教師の顔とこのワンさんの顔似ていませんか?

2013年11月27日水曜日

閑古鳥

日本橋の画廊で開催している「雪雀連」のアート展。当番で午前中画廊で待機。
一人お客様が見えて、入って来るなり私の絵を見て笑っている。
「あら、これ自画像ですって」
なぜ笑ったのかが知りたかったら見に来てください。
私は意図していた反応をもらって満足。
その方はもう1人のお当番Iさんのお知り合いだそうで、もう77才になるそうだがスタスタと元気に歩かれる。
聞けば護身術や水泳をたしなまれるとか。
特に水泳は50才ころから始めて、今でも毎週4日間くらいは泳いでいるそうで、お顔の色もつやつや。
生き生きと話す様は、少女の様な雰囲気を持っている。
護身術を習った時の話をきいた。
刃物を持った人が自分をめがけて来たら、相手の肩を見る。
刺す寸前に肩が動くからそれを見たら、相手の正面を外れて横を向く。すると刃物男は的が居なくなってしまうので勢いでたたらを踏むから、その後ろに回って相手の膝の後ろを蹴る。
膝関節を後ろから蹴られると転ぶ。
倒れた相手の腕に全体重をかけてのれば50㎏くらいの重さになるので、いくら力持ちでも手が上がらなくなるので、そこで刃物を蹴飛ばし助けを求める・・・
とこんな事を身振り手振りを交えて説明された。
こんな小柄で痩せた人が果してそんなに上手く出来るものかとは思うけれど、絶対ただでは済まさないという気迫があって、とても頼もしい。
私なら「にゃあ~」と言ってうずくまるか固まるかして、刺す対象を失った男が転んで怪我をする幸運を祈るしか無い。
その方が帰ってしまい、もう1人のお当番のIさんも急ぎの用事で居なくなってしまうと後は1人でお留守番。
退屈だから外を見ていたら表の看板を眺めている男性がいた。
精一杯可愛らしくクビを傾けてニコッと笑いかけたら、ギョッとしたらしくとっとと逃げられた。
若かりし頃ならこれで呼び込めたのに、交通違反して白バイに捕まっても許してもらえ、普通券でグリーン車に乗っていても叱られなかったのに・・・隣の席の人からコーヒーやミカンがもらえたのに・・・
さっきの男性はとって食われると思ったのだろう。
それにしてもヒマだな~

ごらんになりたい方は11月20日のnekotamaにご案内が載っていますのでどうぞ。























2013年11月26日火曜日

左側通行右ハンドル・右側通行左ハンドル

時々ヨーロッパでもレンタカーを借りて運転する。
一昨年はイギリスだったので日本と同じ右ハンドル左側通行、その前はドイツ・オーストリア・イタリアなどで左ハンドル・右側通行で運転してきた。

今ユーロトラックのゲームを大画面で楽しんでいるが、これも右側通行・左ハンドル、しかも本物と同じように車体が重く発進がのろい。良く出来たゲームが楽しめる。
そこで前回投稿の「かけ算」のことに戻るが、通行とハンドルが逆になっているのも「日本人の脳」と関係あるのだろうか。
もっとも日本はイギリスをまねしたのかもしれないから、イギリスとヨーロッパのハンドルの違いはどうしてなのか、今度ロンドンアンサンブルの人達に会ったら聴いてみようと思う。
イギリスがそうなので元イギリス領のオーストラリア、ニュージーランドも左側通行らしい。
イギリスから出た人たちなのにアメリカは右側通行。
移住した頃には自動車がなかった(?)から?
それでも人種は同じなのになぜ違ってしまったのか。
とすると脳には関係なくどのような条件で左右別れたのかは謎。
アメリカから返還された頃の沖縄に行ったら、バスのドライバーがぼやいていた。
ついこの間まで右側通行だったのに、日本国になったら左側通行になって、事故が多発している、と。
世界で統一してくれれば日本から遊びに行った人達が気軽に運転できるのに。
私はふだんから何事にもこだわらないから、右でも左でも一向にかまわない。
その国に行ってしまえばハンドルを握った直後に馴れてしまう。
だからヴィオラもヴァイオリンも楽器さえ持ってしまえば、なんのことなくその楽器の頭に切り替わる。
次の日目が醒めたら猫になっていたとしても、すぐに猫になりきれると思う。
でも蛇だったらどうしよう。気持ち悪くて自分の姿が見える度にきゃあきゃあ騒ぐにちがいない。












2013年11月25日月曜日

かけ算の順序

なにかと世間をお騒がせの週刊文春の中に福岡伸一博士の連載記事があって毎週面白く拝読してるが、今週号は「かけ算の順序」について。

小学校で「6人に4個ずつミカンを配ると、ミカンは何個必要ですか」という問題に「6×4」=24個と回答すると、答えは○だが、式は×にされる。
かけ算とは「ひとつ分の数」(例題の場合、一人当たりのミカンの数)×「いくつ分」(人数)によって「全部の数」を求める操作であり、この順序をきちんと理解させることが必要である。
日本の「教師用指導書」にはかけ算の順序を教えるように明記されている。矢野健太郎、森毅なども順序重視派。

とまあこういうことなのです。

ところが福岡博士は現在ロックフェラー大学に赴任中。
同僚のアメリカ人とのディスカッションの中で、日本では
3×6とすべき計算を彼は6×3と書いたのであれ?と思った。
そこで「どうして3×6」としないのか聞いたところ「だって3つずつ6班なら six groups of three 6×3、6つずつ3班なら3×6、three groups of sixだもの」

かけ算の順序とは、結局言語の問題に過ぎなかったことに福岡博士は気が付いた。
ひとつぶんの数(X)が何個(Y)あるか考えるのが日本流。
英語では Y groups of X の順序で書く。ただそれだけの事である と。

面白いですね。こんなところにも言語の違いが反映するとは。
日本人の脳はしばしば欧米人の脳と反対に作用することが多いようだ。たとえば虫の声を聞くのは世界中でも日本人だけ、それは日本人が母音にたいして特殊な反応をするから。(だそうだ)
他の国ではこういう事が無いのは、日本人が母音に対し特殊な反応ををする。
日本では母音が単独で意味を持つが、他の言語では子音主体、母音だけで意味を持つことはない・・・とか。(角田忠信「日本人の脳」より)
なるほど。
吾、医、卯、絵、尾など母音だけで意味を持つことは多い。

このことを今の日本の指導者達がどう受け止めるのかきいてみたい。すべて言語の違いで片付けるのも無理があるかも知れないが、少なくとも計算の順序がどうので×をつけるのはいかがなものかしら。
こんな些細な事で子供達が数学嫌いにならないものだろうか。
アメリカへ行った日本人の子供達は戸惑うに違いない。
ところで言語の違いがどうして生まれたか。日本語だけなぜ特殊なのか。それが日本人の脳の特殊性から発したのか。
日本人の脳だけどうして違うのか。
日本人の脳が特殊なので他に類を見ない日本語ができあがったのか
鶏と卵になりそう。

問題を作るとき「6人に4個ずつ」と書かないで、「4個ずつのミカンを6人に」と書いてあげれば分かり易いのにと思いますが。


















2013年11月24日日曜日

アントワン・タメスティ ~ ヴィオラの魅力

ヴィオラ奏者のタメスティは1979年生まれ。
ユーリ・バシュメットの次世代ソリストで、トッパンホールの響きに良く似合うと思って聴きに行った。
トッパンホールは、私がとてもお世話になったチェリストの塚原翠さんが設計の段階から関わっていて、開館する前から会場を見せてもらったりコンサートが始まるとご招待頂いたりしていたので親近感を覚えるのと、会場内の作りや響きが抜群なので特に好きなホールなのだ。
ピアノはマルクス・ハドゥラ。

シューベルト 「アルペジオーネソナタ」
シューマン  「おとぎの絵本」
ドビュッシー 「亜麻色の髪の乙女」
武満徹    「鳥が道に降りてきた」
ヒンデミット 「ヴィオラソナタ」

ヴィオラ好きにはたまらないプログラムで、今日もピアニストのSさん姉妹と一緒。
アルペジオーネソナタの始まりはピアノから。
これが鳥肌ものの弱音から始まった。
繊細で決して出しゃばらず、それでいて大きな存在感のある素晴らしいピアニストだった。
始めのうちは例によって弦楽器は響かない。
コンサート直前の会場練習はお客さんが入っていないので残響が沢山あるけれど、本番になって人が入ると響きは少なくなる。
ピアノの場合楽器自体が響くのでさほど差はないと思うが、弦楽器の場合会場の助けを借りないと音が伸びない。
それで会場の残響が変わるだけで、始めのうちは四苦八苦する。
今日も最弱音で出たヴィオラは耳をそばだてないと聞こえないくらいだった。
どうしてもヴァシュメットと比べてしまうので不利だとは思うが、彼の音色はヴァシュメットのように甘くは無い。
まるで新しいヴァイオリンを弾いているようだと思っていたが、ストラディバリウスだそうだ。
休憩後はさすがに良く鳴ってきて、聴衆も熱狂的に拍手をおくっていた。
音色は好き好きだが、音楽性としてはバシュメットに匹敵するのではないかと思われる。独特のリズム感。
シューベルトの前奏部分のピアノが鳴りはじめるやいなや、弾いていない彼も内心で歌っているのがよくわかった。
ヴィオラを構えると、ピアノと渾然一体となって溶け合って作り出す音楽の艶やさ!

ヴィオラはいいなあ。
私はずっとヴィオラ弾きになりたくて、一時期ヴィオラでの仕事の方が多かった。
ある年、本邦初演を頼まれて引き受けた新曲がめっぽう難しく、来る日も来る日も猛練習して腰を痛めてしまった。
人一倍小柄な私が大きな楽器を弾くのだから猛烈に体に負担がかかって、その時点でヴィオラ奏者になるのは諦めたという経緯がある。
それでも去年・一昨年とロンドンアンサンブルと共演させてもらって、時々はヴィオラを弾く事を楽しんでいる。
ヴィオラの音は独特の深みがあって、弾いても聴いても気持ちが良い。
ヒンデミットのソナタを聴いていたら弾きたくなったので、楽譜を取り寄せてみようと思った。

終演後はそば屋で日本酒という「通」のSさん姉妹と、私はノンアルコールビールを飲みながら愉しく夕飯を食べて帰宅した。

























2013年11月20日水曜日

第2回アートで遊ぼう展

スキーの仲間は多士済々、職業はまちまちでもアート系が多い。
人形作家、絵本作家、織物作家、映画制作者等々。
そこに怪しげな音楽家もちらほら混じっているので、年末近くなるとコンサートや展覧会を催す。
自己顕示欲が強いというよりもお巫山戯が過ぎるとでも言うか、とにかくおもしろがって不真面目に生きるのがグループの目的である。
私の育った家もそうだったけれど、なにか真面目になってことを進めると脇からちょっかいを出されて全部冗談になってしまう。
それでクソ真面目な人がこのグループに入ってきても、腹を立てて出ていってしまう。
かと思うと生涯の殆どを石部金吉さんで来た人が、急にグレてすっかりメンバーに溶け込んでしまったりもする。
超の付くほど堅物だったNさんは初めてこのグループの山スキーに参加した時、初っぱなで切り株に衝突して脇腹を怪我した。
すると会長の山田さんは「Nさん、痛いのは脇腹だけですね?手足は大丈夫?じゃあ運転して下さい」
情け容赦も無く運転手にしてしまった。
山スキーではリフトも無いところを滑るので、一人が犠牲になって頂上まで皆を運び、そのまま車を下まで回して滑り降りてくる人達を拾い、又頂上へ・・・と言うことを繰り返す。
そのため、運転をする人は滑らないで我慢しなければならない。
幸運(?)にも怪我が脇腹だったNさんは滑れないから、運転手の仕事をさせられた。
初回からひどい目にあって、もうこの人はこのグループには来ないと思っていたら、とんでもない。愉しそうに運転手に甘んじて、その後は最も熱心なメンバーとなった。
落語の世界みたいなグループだから、アート展と言ってもロクでもないものが多い。
あるジャンルで一流の人もいるから、まともな作品もあるけれど、私の様に絵を描くのは小学校以来という猛者(?)もいけしゃあしゃあと出品する。
去年は絵の先生に絵の具も筆も全部貸してもらって、半日かけて書き上げたのが猫の絵。
今年は先生が忙しくて見てもらえないので、絵の具も何も無いから画用紙に鉛筆で「自画像」を描き上げた。
譜面台を二つ並べ、片方は楽譜を、もう片方には画用紙を載せてヴァイオリンを弾く。
飽きるとすらすらと鉛筆を走らせて絵を描く。
又ヴァイオリンに戻る。又絵を描く。
あっという間に一丁上がりで、私としては去年のより傑作だと思っている。
今まで授業以外で絵は描いたことが無いので、これが私にとっては二作目となる。    
生涯に二作しかないから、私の死後値段がぐんと上がるに違いない。

どうですか、どなたか。今買えば投資になりますよ。
とりあえず気が向いたらご覧下さい。
巫山戯てばかりでは無くて有名な人形作家の作品や絵本の原画などもありますので銀ぶらのついでにお立ち寄り下さい。



           







































2013年11月19日火曜日

思考回路

我が家はもの凄く散らかっている。
だからきれいに整頓したいのだが、一体どうやったら良いのかがわからない。
時々パソコン師匠のHさんがメンテナンスの時に道具類をかたづけているのに、しばらくするとグチャグチャ。
それを見ると彼は猛烈に腹が立つらしい。
全部すぐに取り出せるようにきちんと整理していっても、次に来たら何が何処にあるかさっぱりわからない。
「あれはどこへしまいましたか」と聞かれると生意気な生徒は「私はさわっていないわ」などとほざくので、それでは誰がやったかと言うことになる。
そりゃあ私に決まっているのだけど、認めるのは癪だから多少は反抗してみるがムダな抵抗。
今日もノラ猫の部屋である物置のドアに鍵をつけたり、ノラの様子を見るためのカメラの配線を直したり、パソコンの部屋の照明を変えたり八面六臂の活躍をするH氏の傍らで、ボーっと見ていたら悪いと思ってちょっと手を出すと、逆に叱られる。
私がやるとなんでもグチャグチャになるし、不器用で何をやってもきちんといかない。
だいたい頭の中でなにをどうするという見取り図が描けない。
Hさんは仕事は前もって頭の中できっちり設計が出来てくるから、その手際の良いこと、休み無く体も手も動く。
ついでに口も動くから私はビシバシ叱られる。
時々泣きたくなる。にゃうーん!
理系の人の頭の中はきっとパソコンの配線のようになっているのだと思う。
私の頭の配線は所々途切れていたり、混線したり。
手順を頭の中だけで描けるのはすごい。
私は昔から実際にやってみないとわからない。
H氏は今日も私がグチャグチャにした道具箱の中身をあっという間にきちんと整理して帰って行った。
子供の頃からの性格かと思ったらそうでは無いというので驚いた。コンピュータを始めてからだという。
コンピュータが普及し始める前から先駆者的に扱っていたがその頃の器械は今ほど簡単では無く、ほんの少しのミスが致命的になることも多く些細なこともゆるがせに出来なかったそうで、それが今の几帳面さにつながったらしい。
そのお陰で私もいっぱしのパソコンマニアみたいに立派な器械と快適な空間を与えられている。
それでこの程度の文章を書いているのでは申し訳ない。














2013年11月17日日曜日

関東学院大学管弦楽部第9回定期演奏会

関東学院大学のオーケストラが発足したのが2003年、初めはシンフォニーが出来るのかしらと思えるような少人数だったのに、あっという間に大オーケストラとなった。
毎年のようにお手伝いに行っているが、今年はもう私たちの出る幕は無いのではと思える程のプルト数が揃っていた。
ファーストヴァイオリンが10プルト、私はエキストラだから最後列の10プルトに座ったが、指揮者は遙かかなた、大きな学生達が前に居るので小柄な安東先生は時々雲隠れ。
管楽器も良く吹いていたけれど、弦楽器も去年よりも一段と音程が良くなって、ハーモニーが出来るようになっている。
これは指導する先生達と生徒達の努力が実を結んだといえる。今日のプログラムは全部チャイコフスキーで、「白鳥の湖」から「ワルツ」「ピアノ協奏曲第1番」「交響曲第5番」アンコールは「くるみ割り人形」から「トレパック」
チャイコフスキーは曲も良く知られているし、オーケストレーションが上手いから管楽器も弦楽器も弾いていて愉しい。
学生やアマチュアオケはともするとマニアックな一部メンバーが小難しい曲を演奏したがるが、本当のところ、こういう選曲の方が賢いと思う。
演奏する方も聴く方も愉しいし、やたら難しい曲を未消化のままステージに出すのは聴いて下さる人達に失礼であると思う。
チャイコフスキーはその点非常に弾きやすく、人の心をとらえるツボを心得ている。
学生オケはメンバーが毎年入れ替わるので、1年生などは楽器の持ち方から始める人も多い。そんなわけで今年のプログラムは秀逸だったとも言える。
それにしてもこの学校の生徒達の礼儀正しさ、明るさには毎度感心させられる。
就職率が非常に高いと聞いて、さもありなんと思う。
4年生達は最後の定期演奏会を終えて涙をこぼしている。
ああ、青春だねえ。
















2013年11月16日土曜日

泣いたり笑ったり

姉の葬儀があって兄弟が皆集まった。
家族葬だから姉の3人の子供達とそのいとこ達、姉の娘婿のお母さんとその家族。
ほんとうにわずかな人数で簡素だったが、和やかに(葬式にふさわしい言葉では無いが)執り行われた。
姉もかなり高齢まで生きたし、最後まで元気で人の手を煩わせる事無く生きられたのは幸せだったと思う。
私の家系はどちらかというと陽気なうちだから、兄弟が揃うと冗談ばかり言い合う。
たとえ葬式でも女どもはおしゃべりに余念が無い。
それでも姉の死は悲しいので、泣くかと思うと笑ったり、笑っているうちに涙がこぼれたりでたいそう忙しい。
今日は午後から仕事も入っていたのでヴァイオリンを持って出かけた。
昨日まで全くそんな気持ちはなかったのに、姉には子供の頃へたくそな練習をさんざん聞かせたのだから、今日は罪滅ぼしに少しはいい音をきかせたい・・・急に思いついた。
楽器も持って行くことだから一曲だけ姉のために弾こう。
時間より少し前に着いたのでヴァイオリンを出して皆が来る前に祭壇の前で「タイースの瞑想曲」を弾いていたら、急にこみ上げるものがあって涙がこぼれた。
式場の人が「タイースの瞑想曲ですね。実はBGMでその曲をかけようと思っていたのです。お花を入れるときに弾いて頂けないでしょうか」と訊いてきてので、もう一度弾く事にした。
納棺の時に私だけ先にお花を入れてヴァイオリンを弾く。
「瞑想曲」とヘンデルの「ラルゴ」
終ってから姉の子供達に感謝された。
次兄が言うには、私が背中にヴァイオリンを背負って合掌していたら、ヴァイオリンのケースからさあっと光が迸ったのを見たらしい。
皆が「きっと姉が感謝してくれたのだ」と言うから、子供の時より少しはましな音を聴いて喜んでもらえたのだろうか。
次兄は数学者だから理屈に合わないことは信じない方で、その兄が見たというのは不思議な気がする。
とにかく順番だから、この先兄や姉達が逝った時にも私はヴァイオリンを弾かないと不公平になる。
私の時は誰が演奏してくれるのかしら。
姉の死は悲しいけれど兄弟が集まって賑やかにしているとマーラーの「巨人」を思い出す。
巨人が死んで森の動物たちが集まって嘆き悲しんでいるが、その内に愉しくなってワイワイ騒ぎ出すというあの音楽。
葬送行進曲から突然田舎の楽隊風になって・・・私が大好きなあの場面が重なり合ってしまった。




















2013年11月14日木曜日

賢い馬さん



自分だけで無く他の馬小屋の鍵も開けてあげる。
頭良いですね。
でもお隣の馬小屋だけ開けてあげないのはなぜ?

2013年11月13日水曜日

ノラの部屋を覗く

ノラのチャアは毎日三回餌を食べに来る。
ノラの分際で贅沢者なのだ。最近はすっかり太ってお腹がタポンとしてきた。そのくせ一向に警戒心を解かない。
人差し指を出すとクンクンと少しだけ匂いを嗅ぐが、決して触れさせようとはしない。
いよいよ寒くなってきたから寝床の心配をし始めた。
去年はうちの駐車場にある壊れた物置の戸を少しだけ開けて、通り道を作って奥に寝床をこしらえた。
そこでなんとか一冬無事に過ごしたのだが、物置を覗いて中の物を盗んでいく輩がいて脅かされるらしく、時々寒風に凍えながらどこかで寝ていたようだ。
今年は先月から物置に新しいベッドを入れて置いたのに、一向に入る様子が無い。
どこかに新しい寝床が見つかったのか、親切な人が家に入れてくれているのかわからないが、餌は毎回モリモリと食べるから飼い猫に昇格したとは考えられない。
駐車場は時々怪しからぬいたずらをする人がいて、先だっては自転車の空気が抜かれてネジが盗まれていた。
そんなわけでノラにとって安住の地とはいかないようだ。
それでも朝ごはんを持って行くと、ノソリと物置から出てくることもあるので、たまには使っているようなので、一体誰が侵入してくるのか知りたいと思った。
そこで監視カメラをつけてみることにした。
幸いそういうことに興味を持ってくれる友人H氏がいる。
お願いしてみると、早速安いカメラを探して取り付けてもらえることになった。
設置場所は物置の中。ノラの様子と泥棒が入った時に顔が写る。
この物置は近所の商店街の人に貸していたのだが、その人が引っ越して行った後覗いたら、荷物がまだ残っていた。
ゴルフセット等だから下手に棄てられない。
それでももう2年以上経ったので、中身を引っ張り出してゴミとして出すことにした。
中は砂利や埃がたまって惨憺たる有様だった。
それを雑巾で拭いてなんとか上っ面だけきれいにした。
段ボールに猫ベッドを入れて置いたので、きれいになった部屋にいそいそとノラが入ると思ったらそうはいかない。
さっきから度々覗くのにまだ入った形跡はない。
ノラにしてみればいつも汚くて居心地が良かったのに、なんで急にきれいに片づいたのか納得がいかず、警戒心をつのらせているにちがいない。しかも棚の上に変な黒い物が置いてある。
これは怪しいと思ったかどうか。
掃除が全くダメなこの私が、せっせと雑巾がけしたのになんてことなの。
カメラはパソコンにつながっているからゲームの途中などで手を休めて、ノラ小屋の様子がわかる。
赤外線(?)カメラだから暗くても驚くほど鮮明に見える。
ただ一つ・・・このカメラも盗まれるのではないかと心配している。
ひとの家に入り込んで物をかすめ取る様な人だったら、カメラなんて上等の獲物にちがいない。
盗んで居る最中には電源も切られているだろうから、カメラも写らないというわけで、そうならないことを切に祈っている。
せめてノラが冬を越すまではカメラも無事でありますように。



























2013年11月10日日曜日

館野泉フェスティバル

ピアノ 館野泉
指揮 野津如弘 コンサートマスター ヤンネ館野
管弦楽 ラ・テンペスタ室内管弦楽団
東京オペラシティー コンサートホール

ノルドグレン:左手のためのピアノ協奏曲
池辺晋一郎:ピアノ協奏曲~左手のために
グリーグ:ホルベアの時代から
吉松隆:左手のためのピアノ協奏曲

館野泉さんは病気で右手にマヒが残ったけれど、動く方の左手を使って演奏活動をしている。
彼のために多くの作曲家が左手だけで弾けるピアノ曲を作曲した。演奏を聴くと両手で弾くのと遜色ないほど、豊かな表現力に圧倒される。
管弦楽はフィンランドの弦楽器奏者と日本の管楽器奏者の共演で、弦楽器の音は独特の透明感を持ち、決して派手な表現に走らず知性的な演奏となっている。
弦楽器の音は不思議に国によって違う。北には北の、西には西の音がする。特にヨーロッパが東西に別れていた頃の東の弦楽器は落ち着いた渋さがあった。
今はそれほどの目立った差は少なくなったが、以前(東西ベルリンがあった頃の)聞いた東ベルリン歌劇場オーケストラのシューベルト「グレート」は未だに耳に残っているほどの素晴らしい響きがした。
ラ・テンペスタの響きはそういった北ヨーロッパの景色を彷彿させるような落ち着きと、内に秘めた強さが感じられる。
音は非常にピュアで、特にヴィオラが素晴らしかった。
その中に溶け込んでピアニスト館野泉さんの音は、あるときは溶け込み、あるときは浮上し自由に駆け巡る。
なんと左手の自在な動きであることか!
右手が不自由なことも忘れてしまうほどの圧倒的な音量。
お若い頃は神経質そうな感じがしたけれど、今は音の世界で遊んでいるかのような自由さと明るさを感じる。
年を重ね、病気を克服されて得た境地であるのかもしれない。
美智子皇后のご来席があって、遠くからであったけれどお元気なお姿を拝見して嬉しかった。










2013年11月9日土曜日

姉の訃報

姉が亡くなった。
私の13歳上の長姉は、6人の兄弟の中でも母親がわりに私の面倒をみてくれていた。子育てで忙しい母に代わって遠足の付き添いや学校行事などにも行ってくれたし、中学校に入るまでは添い寝されていた。
姉は初めての子供というので両親から蝶よ花よと育てられ、家族のアルバムには姉の写真が圧倒的に多い。
私の写真は集合写真がたった一枚、それも母に抱かれて反っくり返っていたので、顔半分が兄弟の陰になっているものだけ。
それに引きかえ姉は、お宮参り、小学校入学、就職時など節目毎に写真やさんが撮ったと思える写真が沢山あった。
しかも若い頃は女優さんのようにきれいだったので、撮るほうもさぞ張り合いがあったことだろう。
私はこの姉の影響が強く、読書家だった姉の本を片っ端から読んで、小学生のうちに世界の名作と呼ばれるような作品を大量に読破していた。
姉からのクリスマスや誕生日のプレゼントはいつも本だった。
その姉が結婚したハンサムで優しい義兄は、酔っ払うと「べサメムーチョ」や「愛の賛歌」などを歌って姉に捧げていた。
すごく仲の良い夫婦だったが、義兄は10年ほど前に他界して、姉は息子と暮らしていた。
更年期には精神が不安定になり兄弟で心配していたが、それもようやく落ち着いてきた頃心臓を痛めて入院、外出も運動もせず美味しい物に目がなかったことが原因のようだ。
不摂生のため晩年は美貌が失われ魔女みたいになったけれど、生涯誰からもお姫様状態で扱われたので大人になっても我儘ぶりは目に余るほどで、治療した医師も手を焼いていた。
それでも心根の優しい頭の良い姉だから、兄弟たちからはおねえちゃまと呼ばれ慕われていた。
なんでもおねえちゃまが1番、次が長兄、その次が末っ子の私で、間にいる兄弟達は狭間にいる悲哀を嘆いていたけれど、本当に仲の良い6人兄弟だった。
両親からも夫からも惜しみない愛情を受けて育ち、子供にも恵まれて幸せな生涯を閉じた姉。
贅沢な人だったから、犬も血統書付きの秋田犬などを飼って甘やかし過ぎてダメ犬にして、次の犬もダメにして・・・・たぶん自分が両親から甘やかされたようにして、次々とダメ犬を製造する名人だった。(そのわりには、子供達はまともに育っている)
きっと今頃はあの犬たちが尻尾を振って迎えてくれているし、義兄は姉に会えるのがうれしくて『ベサメムーチョ』を熱唱していると思う。












2013年11月6日水曜日

ホワイトライオン

1_1
すごくきれいなライオンさんの画像みつけました。
真っ白だと危険な動物だと思えなくなりますね。

同窓会

今までほとんど出たことのない同窓会に出席しようと思ったのは、中学から一緒のМさんからの誘いだった。
私が入学した中学はいわゆる良妻賢母を育てることをモットーとした女子高だった。
そんな規格にはまったくはまらない私は入学した途端しまった!と思った。校風にまったく合わせられない、礼儀作法、裁縫などの授業があって、それはまったく退屈でこんな学校にはいられないと思っていた。
そのまま大学まで行くのは苦痛だけれど、ほかになんの考えもなかったから仕方無く登校していたようなものだった。
その時別のクラスだったけれど、私がヴァイオリンをやっていると聞きつけてやってきたのがМさん。国立音大に付属高校があるので受けてみない?と言われてなんの考えもなく一緒に受験したら合格してしまった。
親はあわてたけれど私はつまらない中学校とおさらばできるので大喜び。それからの高校生活はまさに水を得た魚、今までの暗い学校生活から打って変わって、世の中が急に明るくなって、それ以来私はすっかりネアカになった。
そのМさんから今回の同窓会に誘われたので、たまには行ってみるかと腰を上げたが、言いだしっぺのМさんは出られなくなってしまった。
今日一関の駅に集合した一行はバスで中尊寺に向かう。そこで管主さまのご講話を聴くことができた。
次は毛越寺。紅葉は毎年今頃が見どころだそうで、楓もだけれど、満天星つつじの葉の紅葉は燃えるように赤く、目を楽しませてくれた。
なぜ一関でクラス会になったかというと、声楽科のT子さんが今回宿泊するホテルの経営者だという。
いろいろ書類はもらったのに、取説と一緒で私は読んでこなかった。
みんなを駅で待っている間やっと目を通してみると、なるほどそういうことだったのかと納得した。駅前にももう一つ彼女のホテルがあるが、今回は中尊寺に近いほうの立派なホテルに泊まることになった。
彼女がお付き合いのあるのおかげで管主さまのお話も聞けたし、特別のエリアにも入れたし、夕食も信じられないほどの料理が出て、二次会もホテルのロビーわきの一室を占拠させてもらった。
総勢15人の私たちに沢山のホテルマンがついてくれて、なんだかもったいないような気がする。
こんな世界もあるんだなあと日頃の貧しい生活と比べて夢見る気持ちだったが、ここまでになるまでの彼女の努力たるや並大抵ではなかったようだと、言葉の端々から感じられた。
事業に成功してウイーンフィルの演奏家を招いて中尊寺の能楽堂でコンサートを開くなど、様々な音楽活動をしているという。
東日本大震災の時にホテルの調度品や食器類などに多額の被害を受けたので、大変だったとのこと。
町中でも商店のガラスが大きくひび割れて、傾いている家がまだ見受けられた。こんなことが昔話になるのはいつのことだろうか。
まだまだ東北は大変な荷物を背負って生きていかねばならない。
私たちはそれを決して忘れはしない。










2013年11月4日月曜日

東北の秋

明日から高校の同窓会で平泉などをバスで旅行する予定なのだが、私は一足お先に一関に来てしまった。
それというのも今日、奥州市文化会館で新潟と奥州市のアマチュアチェリストたちの合同演奏会がある。
指導者は舘野英司さん。私の古い知り合いで、今年松原湖のコンサートでドボルザークのピアノ五重奏曲を一緒に演奏した。
そしてメンバーの中に私の教え子のkさんのご主人がいて、私が指導している弦楽アンサンブルのメンバーでもある。kさんも一緒にこちらに来ている。そんなわけで牛にひかれて・・・じゃないけど水沢江刺までのこのこ来てしまったというわけ。
前日kさんから東北は寒いですとメールがきたので、さあ大変。
荷物は前の日に送ってしまって、薄いダウンジャケットがスーツケースに入っているが、それでは駄目かなあ。
厚手のジャケットを取り出した。でも、これでは東北に着く前に汗びっしょりになりそうだ。寒かったら重ね着すればいいと思い、厚手のジャケットはおいていくことにした。
それで正解だった。到着した水沢江刺は上天気で、駅前はすでに紅葉した木々が迎えてくれたが暖かい。会場にはバスで向かう。
20名弱のメンバーだが、チェロのように大きな楽器だとかなりの存在感があるが、始まった時にはなにやら頼りなげな音がした。
これだけたくさんのチェロなのに、音はこれだけ?みたいな。
無理もない、いつも一緒に弾いているわけではなく、ほんの2日くらいの練習だったらしい。
ところが進むにつれてどんどん響きが充実してきた。
すごいすごい!小川が集合して大きな川になるように皆が一体となって、思わず涙ぐみそうになった。
東北がんばれ!楽天も優勝して東北はどんどん回復していく。
終わって皆さんとお別れして私は一人一関に向かった。
タクシーで水沢駅に行くと東北本線が事故で止まっていたので、すぐに新幹線の方に回ってもらった。乗車券だけで振替輸送をしてもらい一関に着いたのは夕方5時頃。
夕食を食べようと街に出てもお店はあまりなく、町は閑散としている。
震災のせいかまたは元々静かな町なのかはわからないが、ちょっとお酒が飲めて美味しい魚が食べられるようなところが中々みつからない。何回も駅前をぐるぐる回ってやっと見つけたのは静かな小料理屋さん。
ウニとサンマの刺身を頼んで熱燗を頼んだ。
やはり夜になると少し肌寒いので温かいお酒がすごくおいしい。
ご飯とイカ納豆、キムチ、お吸い物、ウフフ美味しそうでしょう?
本当においしかった。特にウニはたっぷりあって、750円!
サンマも東京ではこんな新鮮なものにはお目にかかれない。
しっかりとした身で味も濃い。これだから旅はやめられない。
明日から高校の同窓生と合流して中尊寺や毛越寺を巡ることになっている。大勢も良し、一人旅も良し。
















2013年11月3日日曜日

退役軍用犬子猫にメロメロ



そのうち猫の下僕にされるのに。気をつけて、ワンちゃん。
        犬はお人(犬)良しだから。
 でもこんな可愛い子猫を見たら、私もメロメロだなあ。

2013年11月1日金曜日

自転車こわい

「そんなことすると警察に捕まっちゃうよ」「なんで?」「無灯火はいけないんだからね」自転車に乗った母親と息子の会話。
そう言いながらおかあさんはスイスイと一時停止を停まらずに横切って、優先道路の自転車とあやうく接触するところだった。

先日自宅付近でのこと。
車を運転していたら、横道から目の前をかなりのスピードで自転車が飛び出してきた。
急ブレーキを踏んで停まったけれど、助手席に乗せてあった買い物が床にころがって惨憺たる有様となった。
にも関わらず前と後ろに子供を乗せたママチャリは平然と車の前を横切ろうとする。思わず怒鳴ってしまった。
「あなた、子供を殺す気!」
(私子供居るし~いそがしいし~だから~そちらが停まってくれるのはあたりまえじゃない)内心の声が聞こえる。
子供を乗せた自転車の無神経さ、殆ど信じられない。母親は時間に追われてというけれど、なんでも5分くらい余裕をみればいいことなのだから。
私は自分でも自転車に乗るが、車の運転もするので必ず交通法規は守る事にしている。
一時停止も左側通行も守る。無灯火は絶対しない。
これは前にも書いたけれど、数年前に飛び出し事故をもらってしまった。
私は広い道を自転車で走っていた。と、急に見通しの悪い細い路地から自転車が飛び出してきた。しかも大きな道に対して真横に出てきたものだから、私の自転車とぶつかることは必至。
そのとき私の脳みそはものすごい勢いで働いた。
ぶつかるまでのほんの一瞬で、後ろから車の来ないことを確認。だから私はどちらに倒れても大丈夫。
だけど前かごにある荷物がこわれないようにするには、左に倒れるっきゃ無い。
しかもこの自転車に真横からやられたらすっ飛んでしまう。
スピードを上げて前に出よう。
そして鈍いおばさんの乗った自転車は、私の自転車の後輪にぶつかって転倒した。
私は猫のように自転車だけ倒れて、無事に着地したので怪我はなかった。
その人は地面に転がって呻いていたけれど、情け容赦も無い私は「なんで飛び出すの。もし私が車だったらあなた死んでたわよ」ビシバシ叱責する。
動けないおばさんは私が起こした自転車につかまって立とうとする。自転車がぐらつくから立てるわけないじゃないの。
「危ないから端に寄って」と、ガミガミ言う。
ズルズル体を引きずっておばさんは端に寄り、情けない声で足が痛いというので、家を訊くと近所だという。
携帯で家族に電話して迎えにきてもらうことにした。
その人の飛び出してきた道路は人がすれ違うのがやっとと言うほどの狭い道で、大きな道に出る手前には止まれという文字と、靴跡の絵が描いてある小学校の通学路。
周りに家と大きな木があって、見通しが悪い。
そこをすごい勢いで飛び出すなんて、命知らずにも程がある。
「いいわね、迎えが来るまでじっとしていらしゃいね」言い捨てて返ってきたけれど、腹が立つ。
もし自分が車を運転していたらと思うとぞっとする。
特に子供を乗せたおかあさんが雨の日に傘を差して、携帯片手にかっ飛ばしているのを見ると、目が・・・になる。













2013年10月30日水曜日

街角の第九

先ほどネットで見つけた「第九」パフォーマンス。しゃれたハプニングに喝采!どぎつい「どっきりカメラ」などでなく、こういうどっきりなら大歓迎。
最初にコインを入れた少女は、もし純粋に通行人なら、一生記憶にのこる光景だったと思う。演出かも知れないが、なんとも格好良い動画ですね。音はどうなんだろうなんて野暮な追求はしないで楽しもう。
ハプニングではないけれど、先日お手伝いに言った「しもたかフィル」毎年恒例の「第九」は下高井戸駅そば、松沢小学校の半地下の教室の窓を開け放って演奏される。
お客さんは通行人。座って聞けるよう、窓の外に多少椅子の用意はあるものの、歩いていると(おや?どこから第九が聞こえてくるのかな)と思って立ち止まって聞いてもらうのもよし、座って震えながら聴くのもあり。
常連さん達は始まる30分くらい前からご苦労さんにも椅子を確保している。
寒風吹きすさぶ道の脇に膝掛け持参で始まりを待っている。
暖かい晴れた日なら、ひなたぼっこを兼ねてのどかに第九を聴くのもしゃれている。
演奏する方は、ヒートテックの下着に黒い衣装で膝掛け、指の出る手袋などで防寒するものの、演奏時間になって窓が開くと、おお、寒い!弓が風を切ってますます冷たくなる。
それでも覚悟を決めてしまえば30分くらいどうということはない。もちろん全曲でなく抜粋だから、クライマックスのいいとこどりとなる。
歌のソリスト達は胸や肩が大きく開いたドレスで平然と歌っている。かなり脂肪の助けを借りているとは思えるけれど、見あげた根性には感心する。
今年も12月の最後の日曜日、下高井戸商店街で怪しげな音が足元から聞こえてきたら、私たちの冷や汗と鼻水の結晶だと思って下さい。







それは1枚のコインからはじまった。海外ではおなじみのストリートパフォーマンスは、小銭を入れることでその芸を披露してくれる。ある少女が、コントラバスを持ったパフォーマーの用意したシルクハットにコインを入れた時、奇跡は起こった。

パリ管弦楽団カルテット

『フォーレ』『ラヴェル』『ドビュッシー』
これはもうフランス物の定番を並べた、涎の出そうなプログラム。白寿ホールにて。
人に頼んでチケットを買ってもらっていたので座席が前から2番目。しかも端っこ。
いっしょに行った友人のNさんと「わー最悪」と言っていたのだが、このホールはステージが低くて音響が良く、前のほうでも臨場感溢れる感じで中々面白かった。
それでも後半は後ろの席に移って聴くと、やはりカルテットとしては纏まって聞こえる。
横幅が狭く縦長の会場なので、1番後ろの席は少し音が遠く聞こえるのが残念な気がする。
音響はすごく考えて作られているのだが、どの会場でも完璧にという訳にはいかない。その会場毎の音響のスポットを知っておくと、次にチケットを買う時に役に立つと思う。
さてパリ管メンバーお家芸のフランスものとなれば、掌の中にすっぽりと入るほどこなれた曲だと思う。
曲のどの部分も完璧なハーモニー、洗練された表現、音の良い意味での軽さ、絶妙のピアニシモ。
聴いていて不意に「ヴェルヴェットのような夜の闇」という言葉が浮かんできた。なんだか訳がわからないけれど、詩的にちょっと想像してみて下さい。
ぬばたまの漆黒の闇夜。シーンとした中に神秘的ななにかが現れては消える。光だったり神々しいものだったり。
フランス音楽というと理性よりも感性に傾くと考えられがちだが、どうして、ラヴェルなどは恐ろしく理性的。計算され尽くした組み立てだから、感情にまかせて弾くことは出来ない。
器械のように歯車がかみ合っていないと、ラヴェルの音は出ない。私も何回か『カルテット』も『ピアノトリオ』も演奏したが、自分で演奏してみて初めて曲の仕組みを知ったときに、びっくりするほど理性的なまるで数学のようなものだと思った。
それなのになんと豊かな色彩感が出るのだろうか。
天才だからといってかたづけてしまおう。
凡才は黙って楽譜に忠実に音を拾い、何とかして美しい音を出せるよう頑張っていくしかない。それにしても今日の演奏のような音、いつか出してみたいなあ。

























2013年10月29日火曜日

ヨーグルト製造器

ひょんなことでお付き合いが始まったブログ主さんの最近の記事を見ていたら、ヨーグルトの製造器の話が載っていた。おっ、これは良さそう。早速Amazonにアクセス。器械は来たのに肝心のヨーグルトの種がこない。そうだ、牛乳も買わねば。
1時期、カスピ海ヨーグルトの種が回ってきて、仲間内で作っていたことがあった。
1番初めにリタイアしたのは、勿論、わ、た、し。
さもありなん。みなさんそう思ったでしょう?
家に新鮮な種が来るとはじめのうちはいいが、そのうちに猫の毛やその他雑菌が混じって中々風味のある物体と化してしまう。
なにやらごろごろダマが出来て、酸っぱくなってきたら捨ててしまうから長続きしない。
以前仕事仲間の若い男性達と女性についての馬鹿話をしていた。
年上はどうのこうの言うから「どう?私みたいな熟女は」と訊いたら、その中の一人が「熟成はいいけど腐敗はいやです」ときた。
なな、なんということを。お主、命が惜しくないのか。
あはは、でも1番うけていたのは私なんです。
そんな風に若者達と丁々発止やり合っているのが、元気の素。
これでヨーグルトを作って腸内清掃をしたら、もっと元気になってしまう。もっとも内視鏡で見ても私の腸は超きれい。
ほら、腐敗なんかしていないよ。熟成だよ。
種菌が届かないから器械を取り出して眺めていたら、いつの間にか取扱説明書が消えた。
我が家恒例の物のお引っ越しが始まったらしい。
記憶の糸をたどっていくと、ハタと気が付いた。
昨日は確かにテーブルの上に取説が乗って居るのを見た。
パラパラとめくって、ふーん、納豆もできるんだ~、やってみようかなんて、うそっぽいことを考えていた。
その後杳として行方がわからない。
そう言えば昨日のゴミ収集はミックスペーパーだった。きっと、テーブルの上にあった紙類すべて、ざっとまとめて棄ててしまったに違いない。
あらら、どうしよう。しかし、待てよ!いつもパソコンの師匠がネットで取説出して来るじゃないか。きっと入っているに違いない。そして見つけて一安心。使う前から波瀾万丈。
奇しくも「ヨーグルティア」の記事をみつけたブログの主さんからのコメント「nekotamaさんはセットしたのもわすれてしまうのでは」というご指摘。半ば的中しましたよ。
そのうち器械の中で得体の知れない物体が繁殖しないよう祈るのみです。














2013年10月28日月曜日

しもたか音楽祭


しもたかオーケストラのお手伝いに行った。
「古典音楽協会」で一緒に弾いているヴィオラの東さんは下高井戸の住人。奥様はヴァイオリニスト。
あるとき東さんから「弾きにきてよお」と誘われて練習はかんべんしてもらって、本番の日だけ手伝いに行くようになった。
初めはハイエナの遠吠え(どんな声なのかな?)みたいだったガチャガチャオーケストラが、最近すごく良くなってきた。
以前は間違えても全体がひどかったから目立たなかったのに、最近は周りがちゃんと弾くようになったので油断できない。
「へー、それでプロ?」なんて思われたらいけないから、結構真面目に練習していく。
東夫人の通称「しっぽ」さんがすべてのマネージメントを行っている。とても優秀なヴァイオリニストなのに弾かないで人の面倒を見ているから「勿体ない」と言ったら「私こういうことするのが好きなんです」と言って嬉しそうに飛び回っている。
ふーん、私は人の面倒なんかみたくないのに面倒見たい人もいて、世の中上手くいっているのだと妙に関心した。
地域に根付いた音楽の場を作るために始めたオーケストラはもう9年目とか。
下高井戸駅すぐそばの松沢小学校を会場とした「しもたか音楽祭」が昨日賑やかに開催された。
小学校に行ってみると、地元の学生達のジャズバンド、フラメンコの踊りなども学校の前の広場で始まっていた。
アマチュアオーケストラのメンバーは多くがこの小学校の10分圏内に住んでいるらしい。
音楽人口の多さは、さすが世田谷区。
中でも小学校6年生のモモちゃんは天才少女で、ハチャトリアンの「仮面舞踏会」のコンサートミストレスをつとめた。
組曲の中にゆっくりとした美しいヴァイオリンソロがある。
それを小さな楽器で堂々と歌い上げた。
将来はジャズヴァイオリニストになるのが夢だという。
おじいさまは有名なジャズ奏者で、小さい頃からジャズを聴いて育ったのでは必然とは思う。
大人に混じってブラームスのシンフォニーなども立派に・・・というか、1番上手に弾いているのではないかと思う。
冷静沈着、周りの音もしっかり聴いている。
将来はジャズかクラシックか、どちらにしても活躍するにちがいない。
6時開演、途中で芸大生たちのカルテットも挟んで2時間20分、近隣の人達がじっと聴いている。子供達も楽しんでいる。
すごいなあ、自分たちでオーケストラを作っちゃうなんて。
地域社会に溶け込んで、芸術家でござい的な思い上がった風もなく、ご本人達は優秀な音楽家であるのにアマチュアや子供達と同じラインの目線でいられて・・・中々出来るものではありませんね。









2013年10月26日土曜日

なるほど

日記のつもりで始めたこのブログが、よもやこんなに読んで下さる方が出来るとは思わなかったので、つれずれなるまゝに、ひぐらし硯に向かひて(キーボードを叩いて)思いついたことをツラツラと書き放題。
他人様が読み易いことを想定もせず書きまくっていたら、ありがたいご指摘があった。
読みにくいから改行をしてほしいと。
初めて指摘されてびっくり、なるほど、目が行を追っていくのも改行がないと同じ行を2度読んでしまったり、飛ばしたり、読みにくい。
目から鱗とはこのことですなあ。
それで改行をしてみると、ほんとだほんとだあ、読みやすい。
自分で時々あのときはどうだったかな等と読み返しているのに、ちっとも気が付かなかった。
いやあ、今まで無理して読んで下さっていたみなさま、申し訳ないことをいたしました。
最近は読む方々を意識して、あまり暴言は吐かないようにしてはいるけれど、根が傍若無人のノラねこ気質。
中々洗練されたものにはなりません。
他の人達のブログをのぞくと、まあ、きれいなこと!
写真どっさり、ファッショナブルで話題も豊富、ご自身も美人で素敵なお友達が沢山いて大活躍。
私もお友達はみんな素敵だけれど、私自身はいうなれば田舎のおばさん風。田舎のおばさんごめんなさい、もののたとえです。
顔写真など到底載せられないので悪しからず。
かわりに時々可愛い動物の写真でごまかす。
度々言うけれど根が大無精者、自分でたまさぶろうその他、うちの猫どもを写真に撮って載せればいいものを、それもめんどくさいからネットで見つけたものを引っ張り出してくる。
こんな変な場所へようこそ。
変な言い回しや言葉の間違いなど、ご指摘くださるとありがたいです。


















貧乏自慢

今朝テレビで大分の伊勢エビを紹介していたので、思い出したこと。
スポンサーが降りてしまって自主運営になったかつてのマイオーケストラ、経営は苦しく給料も遅配続きのそんな中でも、メンバーは陽気で目一杯生活を楽しんでいた。
演奏旅行には車で行った。何人かで分乗すれば経費も安くつく。
野宿すればホテル代が節約出来る。
そんなこともあったし、なによりも車が大好きな私は運転したくてウズウズしていた。
初めて演奏旅行に車組と一緒に出かけたのは免許取り立ての頃で、母親が心配して「絶対に箱根は運転してはだめ」と言われたのに、箱根の山道にさしかかるとハンドルを握った。
そう、今みたいに高速道路は日本のほんの一部にしか無かった時代の話です。東名が出来る以前の話。
山道が面白くて面白くて、ハンドルを手放さないくらいだった。
甲府、新潟、富山、金沢、長野、松本、滋賀、京都、大阪、神戸、倉敷、岡山、広島、山口、九州に回って博多、熊本、宮崎・・・そこで走っていると目に付いたのが伊勢エビの看板。
伊勢エビかあ、関係ないなあと思っていたら、別の車から伊勢エビ食べたいと言ってきた。
今のように携帯もないころ、車同士のコンタクトは手信号。
止まれの合図で数台の車が一斉に停まった。
一体いくらくらいで食べられるのだろうか。
出てきたお店の人と交渉して一匹8000円で交渉成立した。
ちょうど人数が8人だったから一人1000円。
当時としてはかなりのお値段だったけれど、ちょっとした贅沢をたまには味わいたい。
座敷に上がって待っていると、まず、刺身が・・・・
思ったより小さい。人数分の8切れに切ってあったものをありがたく口に入れると、かすかに甘くぷりっとした感触はあっという間に喉の奥に消えてしまった。
そのあと殻を味噌汁にしてもらってご飯と一緒にいただいた。
皆食べ終わっても少し無口で、味はいかが?と訊いたら「うーん、ちょっと甘かったけど良くわからなかった」という返事が聞こえた。
若くて貧しくて、疲労困憊しながら苦労したオーケストラは、今立派に経営が再建されている。
演奏旅行は九州から四国に回り、その後名古屋、静岡、浜松、沼津、小田原・・・毎年回っていたので初代カローラはボロボロになってしまった。左のドアが取れかけて(これ大袈裟で無く)満身創痍、気の強い私は九州の山道で真夜中に、スカGと抜きつ抜かれつ競争したりするので、たまったものではなかった。
本当に面白かったなあ、貧乏までも面白かった。
今なら少し奮発すれば丸ごと食べられるけれど、忘れられない伊勢エビはあの時の一切なのです。






















2013年10月23日水曜日

ドレスの色合せ

ここ最近、春と秋に訪れて入居者に演奏を聴いてもらっているケアハウスを訪問した。メンバーはいつものヴィオリストのFUMIKOさん、ピアニストのSさん、私と、マネージャーとしてTさんの4人。
今日のプログラムはバッハの「無伴奏組曲」やショパンの「マズルカ」など、耳に優しい曲を選んで演奏時間は約45分、お話を入れても1時間ほどの構成。時々訪問すると多少顔ぶれも変わっているが、前回も聴きましたと言う人もいて、少しずつこのミニコンサートが定着してきたことを感じる。
ところで、今回の3人のドレスは見事に色が同じになったのが驚き。私はお気に入りのシャンパンゴールド、なんとFUMIKOさんも材質がほんの少し違うけれど色は全く同じ、Sさんは織りが入った生地でやはり色は殆ど同じ。楽屋に入ってそれぞれドレスを出した時、あまりの偶然にびっくりした。秋らしい色にしましょうということで、何色とは打ち合わせていなかったのに。年中この3人でつるんで演奏しているので、周波数が合ってきてしまったらしい。
「古典音楽協会」のコンサートの時もドレスの色合わせはほとんど簡単な打ち合わせだけ。例えばそのコンサートのソリストが何色を着るのかだけ訊いておく。ソリストと色がかぶったり色調があまりにも違わないように、それぞれが自分の判断でドレスを決めるのだが、色がとてもよく合っているといつもお客様に褒められる。時には無精して誰も何も言わないこともある。それでも不思議なことに当日会場に行くと、まるで打ち合わせたかのようにまとまることが多い。
ドレス合わせの様に演奏も長く同じメンバーで続けていくことが大事だというわけだが、それぞれ仕事場も楽器も違うので定着するのは難しい。幸い私は長いお付き合いが出来る人達が周りに沢山いて、本当に幸運だと思っている。皆優しいから、そのうち私が惚けて、繰り返しを何回やったかわからなくなったり、違う曲を弾いたりしても怒らない・・・いや、これは怒るかな?。とにかく皆さん末永いお付き合いをお願いしたい。










2013年10月22日火曜日

心配になりませんか?

forgifs.com

この猫さんの行った先に
暖炉はあるの?
火が燃えていたらどうする。
このまま煙突に逆さまに
入ったままだと大変!
さぞ煤が良くとれるでしょうね。
猫さんの無事を祈ります。
全く猫ってどうしてこんなに
好奇心が強いのかしら。

2013年10月20日日曜日

気を遣うひと

なんでもブログに書いてしまうので時々人に迷惑かける。2日前の投稿で八ヶ岳の疲れが今頃来て・・・みたいなことを書いたら、主宰者側から気を遣われてしまった。八ヶ岳だけでなくこのところ忙しかったから、その前後の複合疲労なんですけど。つい、八ヶ岳のと書いたのは私のミス。八ヶ岳音楽祭はすごく面白かったし、ちょっとしたハプニングがあっていつもより呑気にしていられなかったことはあったけれど、私は十分楽しんで又来年に呼んで頂けるなら行きたいと思っている。そうだよね、この仕事で疲れたって書かれたらそりゃあびっくりするよね。そんなわけで、関係者様ごめんなさい。本当にいつまでも成長できない原始人なので、お許しを!私は若い頃はそうでもなかったけれど、他人が自分に言ったことを最近はとんと気にかけない。なぜかというとあまりにも人の言い草を気にかけると自分も物が言えなくなってしまうから。もうこの年で何かを変えようと思っても変えられないし、言いたいことは言う。聞いたことは馬耳東風をきめこむという、非常に都合の良い生き方をしている。若い頃は感受性が強すぎるくらいでいちいち悩んだほうだが、そんなことをしてもなんの建設的な方向にむかわないことがよくわかってきた。人は自分の生き方は正当だと思っている。だから人からなにか言われれば気の弱い人はくよくよ悩む。自分が間違っているのかしらって。傍観者側から見ると、言った人のことを「あんなこと言って、自分はどうなのよ、あなたが悪いからそうなるのよ」と言いたくなる。どちらにしても気にかけないのが1番。聞くべきことは聞くけど、枝葉のことで悩むことはない。最近は攻められたらにゃあと言って耳をかくことにしている。猫をご覧なさい、みんなそうだから。これを読んで腹を立てた方は私の被害者です。








巨大モニター

私の目の疲れを心配して巨大なモニターを用意してくれたのはいつものパソコン名人。荷物が届いて開けてびっくり!テレビにもなる。というか、テレビ画面がパソコンにも使えるらしい。今までも普通よりも少し大きめだったモニターなのに、それの対角線の2倍の大きさだそうで、狭いパソコンスペースにすっぽりと収まっている。価格も高いものなのに上手くキャンペーンやポイントなどを組み合わせての購入なので、普通よりもずっと安く手に入った。使い始めの時にはちょっとこれ大きすぎてどうかしらね、等と言っていたのに数日もするともう馴れてしまう。時々今までの習慣でつい眼鏡をかけてしまうけれど、気が付いて眼鏡を外しても良く見える。なによりも目の疲れが断然違う。難を言えばキーボードが見えにくいが、毎日の様にブログの更新をしているうちに、見なくてもある程度打つことが出来るようになっていた。今のところ眼鏡無しで行けるのがうれしい。世の中にはこの様に買い物を上手く出来る人もいるし、私のように思いつきで買って、いつもろくでもない物を高く買ってしまう馬鹿者もいる。脳みその緻密さがちがうらしいから、仕方が無いけど。今までは朝目が醒めると目の奥がジーンと痛いことがよくあった。前の日に酷使されすぎた目がぶつぶつ文句を言う。目ヤニがでていることもあった。それがすっかり治って、今は目覚めもすっきり。これで当分目は安泰。大きい画面はゲームなども迫力がある。ありすぎて今まで端から端までいっぺんに見られたものが顔を動かさないと見えないのが難と言えば難。名人はこのモニターを買う時も、視点がどの位の距離で焦点が合うかなどとメールで質問してきて、それを参考に考え抜いて決めてくれたらしい。テレビで使うには絵の鮮明さが優先するけれど、今回はパソコンで使うので字が鮮明であることを優先にして決めたと言う。なんでも慎重にする人は私のように大雑把で考え無しに行動するのが不思議で仕方がないらしい。日常の家事なども本当にへたくそなのに楽しそうに生きていられるのが謎なのでしょう。そのかわり傍からは、家中グチャグチャなのはだらしない人と思われても仕方が無い。なんたって脳みその中が同じようにグチャグチャなんだから。













2013年10月19日土曜日

勿体ない

ああ、勿体ない。プラハ国立歌劇場の「魔笛」聞き逃した。八ヶ岳から帰ってさほど疲れているとは思わなかったのに、今頃遅ればせながらと言って「お疲れ様」がやってきてダウン!せっかく買ってあった「魔笛」のチケット。夕方出かけようと思って支度をしても、どうしても腰が上がらない。別に体重増えたわけではなく、カーナビ用に会場の住所を調べてさて、と思ってもどうしても出かけられない。ゾクゾクする。ふわふわする。モーツアルトなら1番好きなのが「魔笛」チケット発売日に張り切って買ったのに。時間も迫っているので代わりの人に行ってもらうにも、チケットが渡せない。どうにかしてと思ってももう遅い。勿体ない。涙をのんで断念した。出かけて具合が悪くなったら次の日に差し支える。お休みならいいけれど、朝から夜まで約束が詰まっている。全部キャンセルはとうてい無理だから「魔笛」を諦めて夕飯が済むと横になった。そのまま翌朝まで眠った。約11時間。うわー、目が醒めたら体がグニャグニャになっていた。お陰ですっかり回復していたので昨日は元気に全部の約束は果たし、夜は杉並公会堂で藤沢俊樹さんのコンサートを聴いた。他の出演者は長谷川晶子さん、矢田啓介さん。長谷川さんとは先日青森で「岬のクフィー」の上演でご一緒した。前半は3人のチェリストの共演で、ボッケリー二やヘンデルの重奏。チェロは低音から高音まで音域が広く、それぞれの音がえもいわれぬ魅力的な音がする。たっぷりと楽しませてもらったが、特に1部の最後のポッパー「レクイエム」は素晴らしかった。ポッパーというとテクニカルな軽く明るい曲が多いものだと思っていたけれど、このような余韻嫋嫋とした曲を初めて聴いた。2部は藤沢さんのソロでアルビノー二「アダージオ」ポッパー「ハンガリアン狂詩曲」など。毎年藤沢さんのコンサートを聴いているけれど、年を重ねる毎に音が充実してくる。今年は特に音が豊かになっていた。手を(お酒も?)抜かない人生・・そんな気がする。











2013年10月16日水曜日

休日はおしゃべりで

10年に一度といわれる大型台風が過ぎ去った今朝、246号線を西に向かって走ると雲の切れ目から群青色の山々が顔を出している。太古から人々はこの様な山を見て美しいと感じ、神々が住むと崇め、歌に詠んできたことが身近に感じられる。私は人に言わせれば非常に原始的人間であるそうで、感性、行動ともに信じられないほど単純であるという。だから山を見ると神が感じられるのはそのためかとも思う。
この数日は非常に緊張し、人との出会いや旧友との親交、そして演奏の楽しみを満喫して来た。そしてそれらが過ぎ去った今日は、それにふさわしい嵐の後の青空、穏やかな日差し、気の合う友人とのおしゃべりがなによりも楽しい。話題も知識も豊富な人と数時間お茶とおしゃべりを楽しんで、この数日の緊張をほぐし次なる仕事にとりかかる心の準備が出来た。それにしても昨日の台風は風雨ともに列島に甚大な被害をもたらしたというのに、私は台風が来たことを全く知らない。昨夜は11時頃就寝。そのときにはやや強い風が吹いていたものの、雨はそれほど強くなく、今朝目が醒めた時にはすでに過ぎ去っていた。よほど熟睡していたとみえて一切台風の音はきこえなかった。
他人は私を晴れ女だと言う。よく言われる。考えてみると大事な局面であまりひどい目に遭ったことはない。たいていイベントの時には晴れる。自分では指摘されるまで考えた事もなかった。今回八ヶ岳に行っている間天候に恵まれた。帰りの日も渋滞はあったものの、雨はふらなかった。以前年間30回契約の旅の仕事を2つのグループでシェアしていたので、15回を私たちのグループでやることになっていた。たいてい飛行機で行かなければならない程の遠距離だったから、天候には非常に気を遣った。出発間際まで天気予報とにらめっこ。天候によっては飛行機を新幹線に変更しないといけない。2,3日前からすごく心配だったが、幸い私たちのグループは何事もなかった。ところがもう一方のグループは、その都度台風や災害に巻き込まれ大変な苦労をしていた。あるときは台風が後ろから迫って来る中をレンタカーを借りて夜通し走って逃げるなんてすごい事もあったらしい。注意して見ているとそのグループは殆ど悪天候に恵まれ(?)ていた。それはそのグループでも笑い話となって、気性の激しい人ばかりだからねと自嘲していた。こちらのグループが決して穏やかな人ばかりではなかったにせよ、少なくとも私は晴れ女でいられた。アラスカでは、それまで何週間待っても見られなかったオーロラを私が行った日だけ見られたこともあった。それにしては宝くじはあたらない。もっとも今まで一回しか買ったことはないけれど。くじ引き、福引き、ジャンケン、どれも駄目。穏やかに暮らす運命なのかも。















2013年10月15日火曜日

八ヶ岳音楽祭フィナーレ

山梨県北杜市高根町にある八ヶ岳やまびこホールは小さいながら音響の優れたホールで、今回もステージからこぼれそうなほどのオーケストラとコーラスが入って音楽祭の最後を飾った。9月から断続的にコンサートが続いていて、ブラスアンサンブルやオペラ、ピアノコンサートなどがあって、そのしんがりがオーケストラ。音楽監督は元東フィルメンバーの細洞さんで、奥様は私の同級生というご縁で参加するようになった。これだけの大規模な音楽祭のとりまとめ役はどれほど大変なことか想像もつかない。去年は「うちに泊まって」とお誘いを真に受けてボラ家に泊めていただいて、そのときに「しまった」と思った。こんな忙しい時に泊まり客などいたら本当に迷惑なのに、のほほんと泊まる図々しさ。我ながらあきれた。それで今回はオケの宿舎の方へ前日から泊まることにして、それでもお二人は夕飯に誘ってくれる。もうれつ忙しい最中なのに。なんでも他の人がやってくれるからと奥さんは言うけれど、人を動かすのも並大抵の事ではない。内助の功もどれだけ大変なことか。しかも二人とも一緒に演奏するのだ。都内から移住してのんびり畑でも・・・と思っていたらしい。やはり音楽から離れてはいけない運命ですねえ。当日朝もたっぷりゲネプロをやって本番はつかれて私自身はミスが多かったけれど、若い人達はさすがに元気で、私が偉そうに注意したことは殆ど直して一所懸命弾く姿にはホロリとする。良い子達だなあ。
お別れは慌ただしく電車の時間に間に合うように帰る人を小淵沢駅に送って、聴きにきてくれた小淵沢の友人の家にお邪魔した。
彼女はかつての仕事仲間で一緒によく地方に旅をした。仕事が終ると一緒に飲みにいったりも。そして今は小淵沢に小さなお店を出している。そのお店を出すときも土地探しや大掃除なんかも参加(手伝いではない)して一緒に遊んだ仲で、猫同志でもある。オーケストラを聴いて涙が出たと言ってもらえて嬉しかった。そろそろ渋滞も収まったかなと思える頃帰途についたが、どうして、中々しぶとい渋滞は収まらず帰宅はやっと午前様すれすれとなってしまった。充実した3日間だったが、もう体力の限界かもしれないと思える。来年は・・・うーん、出来るかなあ。








オーケストラは軍隊

3日間清里付近の自然村で学生さながらのオケ練。朝から夜まで弾いたのなんのって、最近こんなハードな練習もめずらしい。特に今回はヴィオラを弾いたので楽器が重い。しかし、弾いた事に依る疲れは殆どなく、目からくる疲労とそれに伴う集中力の低下が大敵だった。指揮者の飯守泰次郎氏は初めに練習場に入って来られたときにはお年相応にみえたのに、練習が進むにつれてみるみるうちに若返っていく。お顔はつやつや、目は輝きを帯びて内面から精気が迸ってくる。疲れをしらない迫力に圧倒されて、やはり長年世界で活躍されたパワーを見せつけられた。それに引き替えプレーヤーは疲れが蓄積されて、こちらから見るとヴァイオリンの人達の目は充血し、一様に顔の色がくすんで見えた。無理もない。長年ハードな練習を何十年も続けてきた人達にとっても、オーケストラで弾くのは傍で見るよりずっと大変なのだ。まず楽譜を二人で見るということ自体が我々の年齢になるととても辛い。視力の低下やゆがみ、かすみなど真っ正面から楽譜を見るのとは条件がまったく違う。私はオーケストラの譜面をもらうと練習するときに、右寄り左寄り、両方を試して楽譜の見え方をチェックする。仕事場に行ってから座る場所がわかるので、内側に座るか外側に座るかわからないからなのだ。そして音の量の圧倒的な違い。オーケストラは指揮者に合せながらもお互いに聴き合って合せていかなければいけない。そのために非常に耳をそばだてる。同じセクション同士聞き合って合せるのはもちろんのこと、今どこがどんなことを演奏しているのか聞いていないと暴走する。経験を積んでいない若い人達は弾くのは上手いけれど、自分が弾くことに夢中になって、他の音を聴かないので自分の役割がわからない。若いすてきなお嬢さんもせっかく管楽器が美しいメロディーをかなでているのをかき消す勢いで弾いている。お上手なのはわかったから他の音を聞きましょうね。練習は朝から夜9時過ぎまで続いた。誰一人文句は言わない。皆が素晴らしい音を出すためという目標に向かっているから。軍隊の訓練のようにコンサートマスターと指揮者の言うことは絶対に守らなければならない。体力の限界を超えていようとなんだろうと、私語もせずに我慢強く練習をする。食事の時間と合間の15分間の休憩だけで一日楽器を弾く生活はもう過去になっていたはずなのに、こんな目に遭うとは。しかし、本当に幸せなことなのかもしれない。まだ演奏が出来てシンフォニーが弾けて。特にブラームスの2番は牧歌的なホルンの美しいメロディー、最後のトロンボーンの勇壮な響きなど胸がいっぱいになって涙が出そうになる。ヴィオラにもたっぷりすてきな旋律を用意してくれている。これだけ弾いても肩も凝らず腰も痛くならず・・・ざんねんなのは目がかすむこと。白内障の手術をした人が「世の中変わった」ほど良くなったと言うので私もしたいと言ったら、医者が白内障でもない人の手術はできないと言う。それもそうだけど。













2013年10月11日金曜日

一騒動

明日から八ヶ岳音楽祭のオケの練習が始まる。私はせっかちで心配性だから、たいていの仕事は前の日の夕方までに到着するようにしている。当日出かけて渋滞したりすると、必要以上にはらはらして疲れてしまう性格なのだ。今夜宿泊先に到着して現地の人達と夕飯を一緒に食べるか、一人でゆっくりどこかで食事して夜に宿に入るか、その辺はまだ決めていない。午前中練習を終えて携帯を見たら音楽監督からの着信記録があった。もう2時間以上前の着信なので慌てて電話すると、ヴィオラに一人欠員が出来たので、何とかならないかという話だった。最初の練習は明日午後。今からでは間に合う人はいそうもない。だからといって当日だけ来て通し稽古と本番というのもよろしくないという。それはそうだけど、今日探してどうにかなるかしら?心当たりの数人は全員都合が悪い。しばらく考えていて、そうだ、あの人は?と思いついた。私の同級生でヴァイオリン奏者だがヴィオラも達者なFさん。初見も強いし、間違えないので有名な人だった。みんなが彼女を見ていて頼りにしていた。私たちの年代はそろそろヒマになってきているので、もしかしたら空いているかも知れない。電話をしてみると、いきなりの話で心の準備ができていなかったから初めはちょっとためらっていたけれど、困っていることを話したら快く引き受けてくれた。たまたま、本番の次の日に青木湖に遊びに行くそうなので、近い(?)からいいんじゃない?などとプッシュして、ついに承諾してもらった。本当に助かった。こんな間際に頼まれてさぞ迷惑だったと思うけれど、私と会えるというのですごく喜んでくれて、私も頼りになる人が来てくれるので心底ホッとした。彼女はこれから大忙しで準備に取りかかるのだろう。幸い今年の曲目はブラームスの2番のシンフォニーとモーツアルト「魔笛」の序曲なので、今までにも演奏経験があるはず。もう一曲モーツアルトの「戴冠ミサ」にはヴィオラが編成にないので、他の人達が汗かいて練習しているときに遊んでいられる。八ヶ岳を見ながらお散歩なんてすてきだなあ。しかも他人が苦労しているときに。うひひ。初めての曲や、おそろしく難しい新曲などだと苦労するが、オケの定番とも言える曲だから初見ではないと思う。それもラッキー。さてそろそろ出発します。中央高速はこんな晴れた日には本当に気持ちがいい。










2013年10月9日水曜日

今年もロンドンアンサンブル

1988年から毎年来日しているロンドンアンサンブル公演です。初めて聴いたときにアンサンブルの楽しさに感激しました。私は去年、一昨年と小田原公演でヴィオラで参加しましたが、今年の編成はヴィオラ無しで残念ですが、聴衆として楽しみたいと思っています。メンバーはソリストとして、指揮者としてヨーロッパで大活躍している人達です。
             

2013年10月8日火曜日

私の手は猫の手

私のパソコンの環境はプロ並みの道具が揃っているのに、スキルが小学生並みというアンバランスさ。最近目がいよいよ見えにくくなって文字の大きさが足りないと嘆いたら、なんと!今日届いたモニターは縦55センチ幅90センチ、普通インチで言うのかな?とにかくばかデカの大画面。これならもう見えないとは言えないだろうと、設置者のパソコン名人の言い分で、箱から出てきたときは驚きのあまり絶句するくらいだった。しかも画面があまりにもきれいで迫力満点。ユーロトラックシミュレーションもフライトゲームも背景の景色も実物のように見える。それにしてもこんな大きいモニター持っている人など、よほどのマニアと見なされてもおかしくない。うちに入ってきてこれを見た人はぎょっとすると思う。あれ、この人って実は相当の遣い手?と思われそうだが、それは目のためだけであって、実は普段はメールとこのブログ、そして2,3人のブログを渡り歩く、ツイッターを覗く、facebookにお邪魔して、後は2チャンネルを読んで、少しゲームをしてちまちま遊んでそれでお終い。だから今までの大きさでも十分だったけれど、この先どんどん目が悪くなってくるから、どうせ使うならこの大きさなら当分使えるという名人の計らいで実現した。これならもう十年くらいは持ちそうで、その頃になればもうパソコンがなんであるか理解もできないくらい耄碌していると思う。設置している名人のお手伝いをしようと私が動く度にトラブルが起きる。明けてはいけない箱を開けたり、道具の在処がわからなかったり、邪魔ばかりしていたら最後には動かないで!働くな!手をだすな!と叱られるのでじっとしているしかない。その間に作業はどんどん進んでアッという間に終了した。手際の良さ、動きのスムーズな名人にいつも感心する。自宅で全ての手順を組み立ててくるらしい。だから私が余計な事をすると手順が狂ってしまう。私なら来る途中で手順もどんどん頭から抜け落ちて、到着時にはあれ、なにしにきたんでしょうとなりそう。組み立てられてフライトゲームで大画面を飛行した時には感激して大騒ぎ。でも、作業の合間に名人は中腰がたたって腰が痛くなったと嘆く。本当に役に立たない助手のせいですみません。すこしでも手助け出来ればと動いたことがお邪魔することになってしまった。本当に私の手は猫の手。なんの役にも立たない。








2013年10月6日日曜日

グリーンピール

根っから無精だからお化粧がへたで面倒くさい。スッピンでいられるなにか良い方法はないものか考えた。色々苦労したけれど、今回はグリーンピールなるものに挑戦することにした。どうするのかというと植物から抽出したハーブを顔に刷り込んでいくトリートメント。ハーブの尖った粒子が毛穴に入ってその力で代謝を促していくという、訳のわからないことなのだが、エステティシャンがとても信用出来るひとなので、おまかせすることにした。毛穴に尖った植物の粒子を入れるのだから、当然痛い。顔が腫れるし赤くなる。だからいつでも出来るわけではない。仕事が立て込んでいると難しい。今がチャンス!「痛いですよ」さんざん脅かされる。「後は腫れますよ。私の姉は我慢できないと言ってます」おいおい、商売っ気ないなあ。当日は台風が近づいているのでひどい雨。ずぶ濡れになって、惨めな気分で、緊張もするし、もうやめようかと思うけれど、ここでやめたら女が廃る。ベッドに横になるとまな板の鯉。ええい、どうにでもしておくれ。土壇場の開き直りが早いので世間では私は度胸があるということになっているが、実際はものすごく心配性の小心者。しかし、覚悟は出来た。「それではハーブを入れていきます」ドキン!でも、思ったほど痛くもない。なーんだ、これしきのことか。帰りの電車で男の人に顔を見られた。ん、もうきれいになったのかな?家に帰って鏡を見たら、真っ赤になったテラテラした顔が映っていた。これでは見られるはずだわ。
それからが地獄の始まりだった。痛いしかゆいし3時間おきにクリームをすり込まなければならないし。水で濡らしてはいけないので顔は洗えない。専用の化粧水で拭くだけ。洗髪も出来ないから水を使わないシャンプーを使ったら髪がごわごわになって気持ち悪い。あわてて近所の美容室で洗ってもらった。そして5日経つと、もう一度ケアに行く事になっている。今日は4日目で、もう腫れも赤みも引いて、かゆくもない。肌が乾燥して表皮がむけ始めている。そういえば先日の足の角質をとる薬が効いてきて、今朝見てびっくり。足裏がボロボロになって皮がむける。顔も同じように剥けてくるのかな。この次お目にかかるときには一皮剥けたいい女になっていますからね。










2013年10月5日土曜日

やっと音が戻ってきた。

今年の夏は熱中症になったり、暑さに弱い私はいささかまいってしまった。コンサートが続いて難しい曲を練習しすぎたり、まるで若いときと同じように動いていたら、疲れ果ててどんどん音が出なくなっていった。それでも仕事の曲はこなさないといけないから無理に練習していたら、今まで痛くなったこともないような腕の一部が痛くなり、だんだん動かなくなってしまった。「古典」の本番の3日くらい前は最悪の事態になった。本番間近で練習をサボるのは非常にこわい。以前マラソンの野口みずき選手がレースで失速したことがあった。それをテレビで知って「ああ、走りすぎたな」と思った。気持ちが痛いほどわかる。本番の前に練習をセーブするのはなかなか出来ない。怖いからなのだ。「古典」の3日前から弾くのをやめることにしたけれど、本番の前日は練習が入っていたので、どうしても弾かなければならない。その日は午前中も一切楽器にふれないでいた。本番間近でこんな事態となるとは。朝起きると腕と指が腫れ上がっていた。いままで経験したこともないことだったから、そこでやっと「ああ、年をとってしまったな」と実感した。いままでどんなに沢山弾いてもこんな事になったことはなかった。学生時代は一日中練習しても、次の日にはケロッとしていたっけ。それにつけても、三浦雄一郎さんはすごい。あの御年で筋肉量を増やしていったのだから。一部の週刊誌で大名登山とか揶揄されていたが、それだけの人材と資金を動かせること自体がすごいし、登頂に成功したことは誰にでも出来ることではない。悪口言う前に自分で上ってみたら?と言いたい。脆弱な私はもうヘトヘトだったけれど、この数日でようやく復活してきた。「古典」の本番は無難にこなしはしたが、音は伸びていなかったと思う。終ってから1週間、今朝音を出したらやっと本来の自分の音がし始めた。まだ本当に伸びていかないが、腕の痛みも軽くなっている。まだしばらく弾けるかな?ヴァイオリンを弾かなくなったら一体私はなにをすればいいの?脂の乗っていた頃は早くこんなことやめて楽をしたいと思っていたのに、いざ先が見えてくるとジタバタする。人の未練の種は尽きない。








2013年10月4日金曜日

悪ふざけ

両親兄弟そろって巫山戯てばかりいる家庭に育たったから、まともな社会に出てから苦労した。うっかり初対面の人に冗談を言っていやな顔をされたのは数知れず。真面目とか勤勉などの美徳をよしとせず、いかに上手く冗談を言うか、はぐらかしがうまいかどうかなど、吉本興業の家庭版みたいで、うっかりまともに答えるとバカにされるようなへんてこりんな家庭だった。小さいときに刷り込まれたくせは中々治るものではない。大人になってもそれで、だいぶ仕事も友達も減ったのではないかと思っている。奇人変人の多いガクタイ稼業だったから、周りもみんな変だったお陰で私もなんとか生き延びられてきた。それでも最大の失敗は忘れた頃にやってきた。
この話度々書いているので、もうご存じかもしれない。一時期オーケストラを離れて芸能界に片足突っ込んでいたために、オケの仕事を再開した時は会う人皆20年ぶりだった。皆さん懐かしがってくれて、又すんなりとオケの仕事に復帰した頃、再会したコンサートマスターはIさん。昔話をしていたら、こんなことを言い出した。かつてバレエ「白鳥の湖」では、あの有名なヴァイオリンソロを弾くとき、コンサートマスターはそこだけ立ち上がって演奏した時期があった。今でもそうなのかしら。さて、話の続き。「(白鳥の)ソロを弾いていたら『Iさん、立って弾いて下さい』って言われたんですよ。僕立っていたのに」Iさんは男性にしてはとても小柄で、私より少し背が高いくらいだった。私は大笑いして「あら、そんな失礼なこと誰が言ったんですか」すると小柄なコンサートマスターはじっと私の目をみて、やおら私の鼻に人差し指を突き立てて言った。「貴女ですよ」言った方はとっくに忘れているのに、言われた方はずっと根に持っていたとみえる。そのあともIさんは仕事に誘ってくれたりしたから、本気で怒っているわけではなさそうだと思うのはこちらの都合良い解釈かも。
このブログでも時々悪ふざけをして、物事を面白くしようと企むことがある。すると余計なことは書かない方が良いといち早くチェックが入るから、削除。よせばいいのに、削除したことなども書く。すると又余計なことは・・・つい、子供の頃のおふざけ体質がねえ。親のしつけなんです。





2013年10月3日木曜日

食欲の四季・鮭の親子丼

昼食は近頃レトルトのカレーで済ませていたから、ほっと一息ついている昨日今日はお昼ご飯も少しは手をかけようと思った。冷蔵庫に入っている物を物色、イクラの醤油漬けを取り出した。2,3日前生イクラを買ってきてお醤油とお酒に漬けておいたのをすっかり忘れていたのだった。そうだ、鮭の親子丼にしよう。以前、札幌卸売市場で食べた朝ご飯。鮭の親子丼を思い出した。今までずいぶん各地を旅行して、その土地の美味しい物を食べ歩いてきたが、この鮭の親子丼は猫だったら「うにゃうにゃうにゃあ~」と唸りながら食べるほど美味しかった。焼いた鮭をほぐしてイクラと一緒にご飯にのせて食べる。それだけのシンプルなものながら、忘れられない味となって私の胃袋に住み着いている。一緒に行った人達はイクラ丼をたのんだ。たしかにイクラが贅沢に乗っているので豪華に見えるが、イクラなぞはいくらなんでもそう沢山食べたいとは思わない。一人だけ親子丼にしたのが正解で、皆のうらやましげな視線を浴びてムフムフと食べていた。でもついに視線に負けて少しずつお裾分けをしたら、自分の分が少なくなってしまった。大家族で育ったからなんでも分け合って食べるという気持ちは強い。そうでなければ、誰が人にあんな美味しい物を分けてあげるものか。だいたい味は想像出来るでしょう。たっぷりと脂の乗った分厚い鮭を香ばしく焼いたものとイクラ。イクラだけよりも絶対美味しいに決まってる。はじめから皆もそれにすればよかったのに。大いに損をした気持ちになった。いつもは気前が良い方だけど、食べ物の恨みは恐ろしい。facebookを覗いていると四六時中食べ物のことばかり書いているひとがいる。先日のタイトルは「食欲の秋」すかさずコメントをつけた。「貴女は(食欲の秋)ではなく(食欲の四季)でしょう」






2013年10月2日水曜日

まったり

コンサートの山場を越えてここ2,3日ゆっくりできるので、筋トレに行ったりエステに行ったり。この瞬間が味わいたくてきつい仕事をやっているのではないかと思うほど、幸せな時間を過ごしている。コンサートの前は本当にきつい。朝、目が醒めた時とか眠る前には心臓がカチカチと音をたてる。眠る前といっても瞬間入眠の特技が邪魔して殆ど起きていることは出来ないのだが、それでも数秒はドキドキする。入眠があまりにも早いのは問題があるらしい。枕に頭がついた瞬間寝入るなど、これも立派な睡眠障害なのかもしれない。このところのコンサート続きで、疲労困憊したらしく、今日はヴァイオリンをケースから出したままソファーでぐっすりと眠ってしまった。こと楽器に関してはすごく神経質で、自分が手に持っている時以外は必ずケースにキチンとしまうのがいつものこと。今日みたいにケースを開けっ放しで放っておくことはまずない。突発的な事故でもあったら、すぐに抱えて逃げられるようにと思っているから必ずケースに入れるのは、自分の性格からしてあり得ないくらい用心深い。目が醒めて開けっ放しのケースを見てぞっとした。普段昼寝はしないのでまさか眠ってしまうとは思わず、ソファーに横になったのがなんと2時間も寝てしまうとは・・・。よほど疲れていたと見える。ほんの少しの息抜きの後は、ドカドカと送られてくる楽譜を見てため息。そろそろ譜読みを始めないと間に合わないぞという警告が頭の中を駆け巡る。ブラームス「シンフォニー」2曲、モーツアルト、チャイコフスキー「シンフォニーほか」3曲、ハチャトリアンなどがこの秋の仕事の曲目。そのほかには毎度おなじみケアハウスでのボランティアのために数曲のソロ、12月に友人と弾くR・シュトラウスの「ソナタ」これが今秋のメニュー。これが終るといよいよスキーシーズン到来となる。12月の奥志賀が滑り初め。わーい!白銀は招く♫早くも次の遊びに焦点が合ってしまっている。ほんとに猫はしょうがない。

うにゃーん


 指しゃぶりはやめなさい。もう子供じゃにゃいんだから。
 うーん、もう、かわいいっ!

2013年10月1日火曜日

好奇心が猫を・・・

殺す。好奇心に駆られて猫が事件に巻き込まれる。以前アガサ・クリスティーのミステリーを読んでいたらこんなフレーズがあった。好奇心というものは人類の文明の発展に最大の貢献をしている。でなければ、アメリカ大陸の発見や、蒸気機関車の発明もなかったことで、いまだに好奇心が人類を突き動かしている。月に到達すればすぐにもっと先にとなる。一体どこまで行けば気が済むのだろうか。好奇心の強さでは私も相当なものだけれど、全く自分自身の範囲にとどまるから、世間に貢献はしない。旅行もへんぴな所が好きで中国のウイグル自治区、チベット、インド、モンゴルなんて言うとやはり少し変人の部類かもしれない。最近ネットで見かけた物が欲しくなった。見つけたのは足の裏の角質をはがす薬。人類の範囲から一気にスケールが小さくなってしまって申し訳ないけれど、一体これは何かと好奇心が疼いた。写真が出ている。足が書いてある毒々しいパッケージ。毒虫のような黒とオレンジの色彩。説明が書いてある。足を薬の入った液体に1時間ほど漬けて洗い流す。すると5~7日後に角質がボロボロはがれ落ちてくるそうなのだ。うー、こわっ!要するにジワジワと薬が効いて皮膚を溶かしていくに違いない。なにか先日の殺人事件のニュースを思い出す。ホスト同士の金銭トラブルで殺された人が薬で溶かされ、下水道に流された話があって、なんておぞましいと思った。それの足版だわね、これは。でも足裏のケアは面倒くさい。面白いと言っちゃあなんだけど、これなら簡単かも知れない。やはり好奇心には負けた。届いたので今朝早速試してみた。足がすっぽり入る靴状の袋の中にヒタヒタと液体が入っている。それを履いて1時間。パソコンで遊んでいればすぐに過ぎてしまう。結果、足はかすかに赤くなって、なにやらホカホカする。さて、これから1週間後、私の足はどうなるのか。乞うご期待!






2013年9月30日月曜日

八ヶ岳音楽祭

去年も参加した八ヶ岳音楽祭。
今年はブラームスのシンフォニーとモーツアルトのプログラムで楽しみにしている。指揮は飯守泰次郎氏。私は彼の指揮で弾いたのは1度、それもスマトラ沖大地震のチャリティーコンサートでワグナーの序曲を1曲弾いただけだから、今度はシンフォニーが弾けて大変楽しみにしている。八ヶ岳音楽祭は私の音大の先輩のトロンボーン奏者(元東フィルメンバー)の細洞(ほそぼら通称ボラさん)さんが芸術監督を務めている。ボラさんの奥様は私の同級生で元は東フィルでヴァイオリンを弾いていた。去年の松原湖のコンサートを聴きに来てくださって、そのときに音楽祭を手伝って欲しいと頼まれ、そのご縁で人数が足りないというのでヴィオラ奏者として参加するようになった。ボラ奥様もヴィオラを一緒に弾く。音楽祭にはボラさんの関係で東フィルのメンバーが沢山参加している。私は東フィルのメンバーではなかったけれど、狭いこの社会では顔見知りも多い。1度だけなぜかうちに遊びに来たファゴット奏者と思える人が居て、顔は覚えていなかったが沖縄出身の珍しいお名前を記憶していた。もしやと思って尋ねると、やはりその人だったり。去年のご縁で今年も松原湖にはボラ夫妻が率いる関係者大勢で聴きにきてくださった。古典の定期が終ったので、今日からヴィオラを弾き始める。





2013年9月29日日曜日

私は野生人

今日はすてきなお天気で、所用があって246号線を西に向かって走っていると、雲の間から青い山々が見えて、良い気分だった。コンサートが山場を超えて久しぶりの休日となったので、今日の用事の対象である友人Hさんと話すとりとめもないことが楽しい。Hさんは頭脳明晰、知的で博識で繊細だから大雑把な私とは全く対照的で、何事も理詰めでくる。謂わば私の陰のブレーン。私は直感型。いつも私の言う「野生の勘」がいかにあてにならないかをこんこんと諭されるのだが、今日という今日は「野生の勘」がモノを言った。246号線は休日の午前中の下り線が異常に混む。今日はどうしたわけかガラガラに空いていた。珍しいこともあるものだと思って、陸橋を越えるときもかなりのスピードを出していた。一つ超えて次の陸橋がすぐにあるのだが、そこで、これは下で警察が待っていたら格好の餌食だなあと思った。車の集団の先頭を走っていたから、真っ先に捕まってしまう。それで徐々にスピードを緩めて上り、下り始めてから下を見ると、ほらね!白っぽい塊が見える。パトカーと警官数人が待ち構えていた。警官がこちらを向いているから、もしかしたら旧悪がばれて止められるかなと思ったが、無事通過。うっふっふ。「野生の勘」の勝利じゃよ。うかつな性格なのに時々妙にこういう勘が働くことがある。かなり乱暴に運転するわりには、事故も逮捕もほとんどない。1度中央道でスピード違反で捕まった時には、助手席に娘ほどの若い女性が乗っていて、彼女とペチャクチャおしゃべりをしていたせいでパトカーに気が付かなかったことはあるけれど、そのほかでは滅多につかまっていない。いつでも何かおかしいなと気付くからなのだ。いつもHさんにこてんぱんにやられるのに、今日は一つだけやんわりお返しが出来たかな?違反話しでは自慢にもならなくてスイマセン。




2013年9月28日土曜日

「古典定期」満員御礼

昨日の定期演奏会には大勢の方々が来てくださいました。毎回、東京文化会館小ホールが満席になります。いつも聴いて下さる方々、ありがとうございます。こうして60周年の記念コンサートを無事に開催出来ましたのも、長年のお客様のサポートがあってのことと、御礼申し上げます。

さていつもながら緊張するのは、古典音楽だけのプログラムなので音が薄い。ちょっとしたミスも全体に影響してしまうから、常に氷の上を歩くような慎重さが要求される。不協和音などはあまり使われていないから音の響きが純粋で、和音が常に澄んでいないといけない。チェンバロの音はかそけきもので、協奏曲では最小限の音しかだせないので、ずっと忍の一字で弾くことが多い。特に今日演奏したエマニュエル・バッハのチェンバロ協奏曲は音の動きが当時としては斬新で、お父さんの大バッハよりも人気があったのだそうだ。当時斬新と言っても、今でも斬新に思えるほど音型が変わっている。今まで数回演奏したが、毎回音を確認してさらい直さないと間違える。非常に才気溢れるすてきな曲であることは間違いないのだが。
4つのヴァイオリンの協奏曲はソリスト4人が何回も集まって練習をしたのに、最後の練習日までがたがた意見がわかれて無事に行けるのかと危ぶんでいたが、ふたを開けてみればさすがに長いこと一緒に演奏した人達なので、結局本番が最高のできばえとなった。自画自賛となってしまうが、やはり長年の積み重ねが物を言ったということになる。一人一人はごく平均的な演奏家なので、華々しい活躍をして世界を股にかけるような人はいないかわり、穏やかに相手の意見を聞きなんとかまとめようという気持ちが一つになると、4人ではなくてその何倍にもパワーが出る。それがスター的な人もいないのに根強い人気を保っている「古典」の強みだと思う。聴いて下さった人達が一様に口をそろえて言うのは、そのことにつきる。リピーターが多い。中にはもう数十年に亘ってのお客様も。ほんとうにありがとうございます。








2013年9月27日金曜日

本番の朝

今日は「古典」定期演奏会の本番だけど、いつもと変わらず洗濯をしたり朝食の用意をしながら、ふと思い出したことがある。それは今を去るうん十年前、ピアノトリオを組んで活動していた時期があった。メンバーはピアニストのOさん、チェロは芸大オーケストラのMさんとヴァイオリンは私。私の頭文字はYだから、3人の頭文字をとってYMOトリオと名付けると、あの有名なYMO(イエローマジックオーケストラ)と間違えて人が来てくれるかもしれないと冗談をいっていたがそれはさておき、長い間演奏会を重ねていた。その本番の日、私が「今朝洗濯をしていたら・・・」と話し始めるとOさんが「えー!本番の日に洗濯?考えられない」と言ったので、こちらが驚いた。だって、それならいつやるの?Oさんは超セレブ。三田に住んで家政婦さんがいたから「家政婦は三田」なんてだじゃれ、すいません。彼女は本番の日でなくても洗濯なんてしないでしょうよ。私は貧乏ガクタイだから毎日本番があって、どの日が特別の日と言うわけではなかったから、掃除も洗濯もその合間をぬってしなければならない。特に午後から舞台練習の時には午前中が空くから、今日のように見事に秋晴れの日は絶好の洗濯日和になる。たまった洗濯をエイッと干して気持ち良く出かける。夢を壊して申し訳ないけれど、音楽家だって生活者なのです。チェロのMさんは手先が器用で自分の事はなんでも自分でやるひとだから、たぶん彼もなにかしら家事はこなしていたと思う。お嬢様育ちのOさんは、結婚したときも家事はしなくて良いという条件だったそうで、芸術だけに埋没していればいいのだ。その後お子さんが生まれてからは、そうもいかなくなったみたいだけど。私は今夜は遅くなるからノラと家猫とに食事を与えたり忙しい。先日Oさんとピアノ5重奏を一緒に弾く機会があって、本当に久しぶりにアンサンブルを楽しんだ。お互いに環境は違っても一緒に弾けば、何ともなく心が通じることが音楽の良さだとしみじみ思う。







2013年9月25日水曜日

古典音楽協会コンサート

間もなく(明後日です)
古典音楽協会の
創立60周年記念コンサートがあります。
ご来聴お待ちしております。

2013年9月24日火曜日

青森県民文化祭

昨日はNPO法人「音楽ネット青森」主宰による秋田県民文化祭のオープニングでミュージカルが上演された。
ミュージカル「岬のクフィ」は成田英明作、松下功作曲
指揮は作曲者の松下功氏。
背景の転換は映像のみの簡素な舞台だが、物語のわかり易さ、曲の美しさで成功している。楽譜が送られてきたとき、ちょっとややこしい音の動きが所々にあるので少々手こずったけれど、これは松下氏がそれぞれの楽器に難所を作ったのだという。全体としては響きとメロディーの美しい、よくまとまった感のある作品だと思う。一曲ずつ豊かな個性があって、リズムの面白さも心地よい。市民参加型のコンサートなので、本当なら地元の人達のみで構成したいところなのに、ヴァイオリンの先生が一人しかいないそうで、私たちが助っ人に行く前の練習はヴァイオリン1本でやっていたそうなのだ。年配者の多い登場人物が、練習ではあまりにものんびりしているので心配したけれど、本番になったらさすがにしゃんとして、非常に上手くいったと思う。朝、声が出なかった歌い手も午後には調整がきいて、それぞれ中々のできばえだった。よかった!
思いもかけず古い知り合いや、そのお弟子さんたちにも会えて、楽しい2日間を過ごした。打ち上げは失礼して、3人の人達と新青森駅でビールを飲んでお寿司をつまんだ。思っているより疲れていたらしく、ビールが回って新幹線の中では読んでいた本がパタリと落ち、しばらく眠ってしまった。もう少し滞在したかった。東北の人達は優しい。いつもぎすぎすしている自分と比べて穏やかで我慢強い。冬は厳しいかも知れないが、今頃は本当に気持ちが良い澄んだ空気を吸ってリフレッシュしてきた。



2013年9月22日日曜日

青森にて

明日青森文化会館で「岬のクフィ」というミュージカルが上演される。そのお手伝いに青森までやって来た。青森駅に着くと真っ青な空 清々しい空気。胸の奥まで吸い込んで、出かけるまでの疲労感はウソのように消えてしまった。松原湖のコンサートで数十年ぶりにいっしょに演奏をしたチェロの舘野さんの関係でお話しをいただいた。そして今日現地に着いてみれば、全くの初めての仕事なのになんとまあ、知り合いとその又知り合いだらけで、色々な人からご挨拶をいただいた。実は誰其れさんの知り合いですとか仕事仲間のお弟子さんだったり、昔の仕事仲間がいたりしてまるで昔からここに居るような居心地の良さ。今日は音合わせとゲネプロ、明日朝から音合わせと本番で、練習が終わったら皆でお寿司屋さんで少しお酒を飲んで解散した。私は自分でホテルの手配をしたので一人だけ会場の傍のホテル青森、他の人たちはまとめて現地の人に任せたので駅前のサンルート、車で送ってもらって一人だけ寂しく帰ったというのはウソで、猫的性格は一人が好き。ほろ酔いでニコニコ楽しくホテルで過ごしている。明日朝はタマサブロウに起こされる事なく朝寝が出来る幸せを満喫しよう。数年ぶりに青森駅に降り立ったらかなり街も変わっていて、駅傍の古びた食堂街がなくなっていた。そこにおいしいラーメン屋さんがあったのに。前にあった市場も見当たらず、最近はどこへ行ってもきれいになったのはいいけれど、どこへ行っても同じようになってしまって少し残念な気がする。前に来た時はいつ頃だったか、駅傍の市場でリンゴを大量に箱買いして自宅に送った。その2日後に家に大勢お客様がみえる予定だったので、みなさんにお土産にしようと思ったのだ。そしてお客様がみえた当日リンゴは届かなかった。到着が遅れてしまった。次の日届いた大量のリンゴをどうしよう。食べても食べても減らない。近所に配り、上の階の人に分かるように階段に置いて、お好きなだけ持って行ってくださいと貼り紙をしてもあまり減らない。最後にはスカスカになりそうなのでジャムにして、リンゴ責めにあったことを思い出す。

2013年9月21日土曜日

明日から青森

若い頃にはなんでもなかったような事も最近は疲労が激しい。今週の頭の2日間で発表回に連続付き合ったら、ヘトヘトになってしまった。初めの方は自分の生徒も出ていないので、演奏するだけ。2日目は生徒3人とアンサンブル一組の立ち会い、それと演奏2曲、それだけでずしりと来た。整体や筋トレ、美容院などで気分転換するも、両肩がゴリゴリ硬くなっている。ひたすら寝ないと治らないから、私にしては珍しく早寝・・・1日目はできた。2日目はやっぱり起きていたい。ぐずぐずとなにをするでもなく起きている。明日から青森でのミュージカルにお付き合いするので、風邪をひかないように今日こそは早寝を心がけようと思っている。とにかくベッドに横になれば眠ってしまうのだから、とっとと寝れば良いものを、起きてパソコンにしがみついている。なにが面白いというわけでもなく、ゲームをやったりメールを見たり、よそのブログのぞいたり、深夜に一人でケッケと笑っている姿を人に見られたくはない。性格的には一人でいるのが大好きだから立派に「ひきこもり」の素質は備えているが、仕事柄人とのお付き合いが多くてそれはそれで大好きで、という訳で青森で又新しい人達に会えるのが大変楽しみになっている。連絡役のSさんとは何度かメールのやりとりをしている。私が「にゃ~」などと巫山戯た返事を出してもめげずにメールをいただいている。まったく、どんな人がくるのかしら?とあきれているに違いない。これまた大好きな旅!しかも暑い関東を離れて東北へ。うひひ。二日でとんぼ返りはいかにも惜しいけれど、金曜日には「古典音楽協会」の定期があるから残念だけど、帰ってこよう。しかし、おそろしく疲れている。うーん。

2013年9月19日木曜日

暴力体質

柔道の指導者の暴行が後を絶たない。およそ他人を指導するのに暴力を行使しないと出来ないというのが解せない。ヴァイオリンに限らず楽器のレッスンは非常に厳しいけれど、私は先生から暴力を使われたこともないし、生徒に暴力を振るったこともない。懇切丁寧に説明と実演あるのみ。実演の方は時には生徒の方が上手くて恥をかくことはあっても、理論的に説明するのは得意だから自分自身もよく勉強する。口で言ってわからない事ってあるのかしら。わからなければ言い方が悪いか、指導者が良くわかっていないかなので、その辺をご本人が勉強しないといけない。生徒の手を持って指導することもあるが、最近はセクハラと言われるらしく男の先生は苦労しているらしい。夢中になると私も男性生徒の手をムンズとつかむ事もあるが、決していやらしいことは考えていない。男の先生もそうであると・・・信じたい。気合いを入れるためと称して、生徒に執拗にビンタする柔道の教師の映像が流れていた。そして暴力は禁止と言われてバットで体育館の壁を叩いているその教師の映像も見た。根っからの暴力体質と見える。要は自分のモヤモヤした鬱憤のはけ口が暴力となって現れる。人を指導するのに暴力を使わないと出来ない人には即刻やめてもらったらいい。どこがどう悪いのかわからないで叩かれるのは理不尽きわまる。なにを直せば良いのかわからないから、指導者につくのだから。技術を身につけるのにはしっかりした理論が頭に入っていればあとは反復練習。じっくりと練習することで根性がすわってくる。根性から入っても上手くはならないことを指導者たるもの、わからないといけない。殴ったらおしまい。

2013年9月18日水曜日

秋晴れ

爽やかな秋晴れとなった今日は友人のHさんの誕生日。お祝いにささやかなお茶会をしたのはドトールで。近くにイタリアントマトがあるのに、ダイエットに厳しいHさんだから、誕生日に付きもののケーキはなしで私はいささか欲求不満。こんな時だけは罪の意識なしに食べることの出来るケーキを期待して行ったのに。でも、これが皮切りとなって底なしの餓鬼道に落ちていくのだ。一旦自分に甘くすると、ずるずると坂道を転がり落ちる。まさか本人が食べないのに私だけ食べる事はできないから我慢我慢!帰り道ケーキ屋さんに寄ろうかなと不届きなことを考えたけれど、やっと我慢した。この世にはなんと我慢しなければならないことが多いのか。美味しい物やすてきな物がありすぎる。お金持ちだったらぜーんぶ手に入れて、豚の様にふとっていたことだろう。お金持ちじゃない今でも、子豚程度には太っているから。昨日から2日間オフになって、このところの働き過ぎの疲れがとれるはずだった。でも休みになると自分に甘い私はすぐに夜更かしが始まる。昨日整体でほぐしてもらったので早寝をすると決めていたのに、結局ずるずると起きていた。昨夜遅くメールが届いた。この次の土日に青森で参加するミュージカルの世話役の方から、ホテルや新幹線のことなど手配をしてくれるという内容だった。私はすでに自分で全部手配済み。「猫的性格だから自分でやりますのでご心配なく」と返信すると「猫的性格の方にお目にかかるのを楽しみにしております」との返信。
夜中になると私は魂が飛んで行ってしまうので、その又返信は「にゃ~」と一言。送ってから(あ、やってしまった)と思った。全く見ず知らずの人にいきなり「にゃ~」とメールされたらびっくりしてしまう。そういうことを考えもしないでいつもおふざけをする困った性格なのだ。その話を聞いたHさんはおもしろがって笑ってくれたけれど、青森の方が笑ってくれる人かどうか、からかわれたと思って気を悪くしていないといいけれど。




2013年9月17日火曜日

家中台風

一昨日と昨日と発表会が続いていささか疲れた。今朝たまさぶろうの執拗な「めしよこせ」コールにようやく目を覚ます。昨日京都などに重大な被害をもたらした台風一過、気持ちの良い秋晴れとなった。一昨日はわたしの同級生の生徒達の発表会。Sさんはいつもおなじみの仲間だが、私とは正反対の超優等生。だから音大の先生として優秀な生徒を沢山育て上げ、自身も多数のリサイタルをしていたから、当日もシューベルトの「3つの小品」を見事に模範演奏し、私たちをくわえてのモーツアルト「ピアノ4重奏」でしめくくり。20人ほどの生徒の演奏をずっと聴いていて、その後の演奏だから体力気力共にたいへんなことだと思う。私たちも会場練習が早い午後に終了後、本番までの空いている時間に別のピアニストの家に飛んでいって、次の日の音楽教室の発表会に出る人の練習に立ち会った。音楽教室には様々な人が来ているが、中でも実力がある人はとかく大曲を弾きたがる。伴奏者の教師達も大変で、生徒の注文に応えるべく努力している。それだけの実力者をそろえているけれど、本当に短い練習時間内でアンサンブルをしなければならないので、よほどの経験者でないとつとまらない。世の中に多数の曲があるから教師といえども未経験の曲は多々あるので、猛烈に勉強する、結果として先生が成長するという良い面もある。
昨日は台風の襲来を心配しながらの音楽教室「ルフォスタ」の発表会でクラシック部門の生徒がドキドキしながら、それでも懸命に演奏する姿にジーンとなりながら聴いていた。私の生徒は3人だけだったけれど、サンサーンス「ハバネラ」ブルッフ「ヴァイオリン協奏曲」などを熱演してくれた。皆仕事盛りで多忙な毎日を送っていて、レッスンに来るのもままならないのに、休日に涙ぐましい努力をしている。Sさんの生徒のように音大生やプロではないから技術はつたない。それでもいつも私は生徒達に教えられている。教えるときにそれをどのように言葉に置き換えるか考えると、自然に自分のためにもなっていることがわかる。終るとみんな一様に達成感に目を輝かせて、美味しいビールを一緒に飲む。今日は嵐のような数日の後の休日なので自宅の室内を見渡すと、部屋も嵐が過ぎたような具合になっている。そこここにドレスが放り出してあって、ステージ用の靴がころがり、楽譜が散乱。空気清浄機のフィルターには猫の毛がびっしり付いていた。掃除を怠けていたツケは大きい。やれやれ。


















2013年9月14日土曜日

ノラ猫の冬支度

うちのノラ猫「チャア」がこの頃姿を現さない。朝晩置く餌は消えているから誰かしら食べているようだけど、時々会うのは三毛猫の「ミッケ」だけ。うまくタイミングが合えばチャアも餌にありつけるけど、そうでないとミッケや他の猫に横取りされてしまう。チャアは去年からうちの駐車場に居着いて一冬過ごした。物置の戸を猫の幅だけ開けて、中に電気ヒーター入りのベッドをこしらえてあげた。それでも寒風が容赦なく吹き込むのと、近所のいたずら小僧が覗いたり脅したりするので、数日近寄れなかったりして苦労していたようだ。やっと春になって伸び伸びと外で暮らして居たのが又冬が近づいてきた。一昨年まで住み着いていた他のノラのために作った犬小屋を掃除して、今年はこちらに住むようにしてあげようと思っている。ノラは姿を消してしまったので、のたれ死にしたか新しい天地を求めて旅に出たのかはわからない。いちいち感傷的にならないようにしているけれど、未だにどうしているかと心配している。物置の陰においてあったノラのための犬小屋は上をビニールで覆ってしまったので、それを外してこれからベッドをいれて、すきま風が入らないように工夫したい。物置と違って雨が直接当たるので、電気ヒーターを入れる工夫もしなければならない。できればこんな苦労しないで家の中に入れたいのだが、ノラ生活が長くなったチャアは人の怖さを知ってしまって、私の手からほんの数㎝にまで近寄るようになっていたのに、なにかのきっかけで又近づいてこなくなった。だれかにいじめられたのかもしれない。人間不信は治らない。捨てられたかいじめられて家をでたのか、元は飼い猫とわかる。用心深いからノラとしても無事に生きていかれるのだが、もう丸1年も毎日餌をやって話しかけているのに、心開かない。この先どうするのかしら。それでも猫には未来のことを考える脳の仕組みがないそうだから、本ニャンは悲観しないのが救い。私は人間だから心配の種が尽きない。そうなると人間よりも猫のほうが幸せなのかもしれない。






2013年9月13日金曜日

今年のイグノーベル賞

「オペラで延命」にイグ・ノーベル医学賞 日本人、7年連続

2013.9.13 09:23 ノーベル賞
「イグ・ノーベル賞」の授賞式で、手を振る今井真介さん(中央)と熊谷英彦さん(左)=12日、「米マサチューセッツ州のハーバード大(共同)
「イグ・ノーベル賞」の授賞式で、手を振る今井真介さん(中央)と熊谷英彦さん(左)=12日、「米マサチューセッツ州のハーバード大(共同)
 ユーモラスな科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が12日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で行われ、「心臓移植したマウスにオペラを聴かせると生存期間が延びた」との実験結果を発表した帝京大医学部外科准教授の新見正則さん(54)らのグループが「医学賞」を受賞した。
 ハウス食品研究主幹の今井真介さん(56)らのグループも「タマネギの催涙成分をつくる酵素」発見で「化学賞」を受賞。発見に貢献した石川県立大学長の熊谷英彦さん(72)も共同受賞者。日本人の受賞は7年連続。
 新見さんによると、いずれも心臓移植したマウスに術後7日間、ベルディのオペラ「椿姫」やモーツァルトなどの音楽を一日中聴かせる実験を繰り返したところ、オペラを聴かせたマウスが平均約26日間と最も長く生存した。モーツァルトを聴かせたマウスは平均20日、音楽を聴かせなかったマウスは7日生存した。(共同)
MSNニュースより。
今年もイグノーベル賞のニュースです。毎年日本人が入賞しているのがうれしい。毎年nekotamaで紹介しています。去年は「おしゃべり撃退装置」でした。リンク先を見て下さると一昨年とその又前年の分もリンクされています。オペラを聴くと寿命が延びるとは!モーツアルトが2番目というのは解せないけど。




2013年9月11日水曜日

検眼

今使っている楽譜用の眼鏡が合わなくなってきた。数日前の「古典」の定期の練習で本当に見えなくて、これはもう眼鏡を換えるっきゃないと、今日は検眼に出かけた。ちょうど昼過ぎてしまったので医院はもう昼休みのはずだから、午後は何時からかなと思って看板を見に行くと、なんと、午後1時まで診察を受けられる。時計を見ると20分前。ラッキーと思って受付に行く。遠慮がちに「まだいいですか」と言ってみると良いですよと言う。ところが側に居たもう一人の受付が「もう少し早めに来て下さいね」と子供に言うように言うので瞬間湯沸かし器の私は切れた。よくお年寄りに向かって子供扱いする医療や介護の人達がいるけれど、本当に失礼ではないかと常々思っていたので余計に腹が立つ。まあ、こういうのも私が年をとった証拠だけれど。「午後の診察時間を見に来たらまだ開いていたから入ったのに、じゃあ、もういいわ。帰るから」と言って帰ろうとしたら、最初の受付が「いえ、いいんですよ」と慌てて言う。それなら余計な事言わないで。それにまだ患者は3人ほど待合室にいる。入れたくなければ休診の札を出しておけばいい。すぐに順番が回ってきて時間内に診察は終り、処方箋ゲット。視力だけでなく白内障や眼底圧なども診てもらったがどれも異常なし。すごく健康だそうだ。白内障の手術を受けた人達が、人生が変わるほど良く見えるようになったと喜んでいたので私もそうできないかしらと訊いたら、白内障でもないものを受けられるわけはないと一蹴された。「ちょっと目ヤニがでていますね」と言われて気がついた。今朝まだ顔を洗っていなかった。以前この病院に来たときは、視界に陰が出来てこれは大変と思ったら、目の中から沢山ゴミが出てきた。糸くずやまつげやなんだかわからない物まで、見せられたらびっくりするほどの量だった。洗ってもらってすっきり。健康状態はいいけれど、どうも衛生面の意識が欠如しているようだ。



目が不自由

この数年でどんどん目が見えなくなってきている。これは5年くらい前までやっていた過酷な仕事のせいで、暗い譜面灯のもとで長時間休むことなく大量の曲を弾かねばならないという状況だった。それまでは年齢からいったら奇跡的に老眼鏡もかけなくてもなんとかなっていたのだが、多額のローンを相続したお陰で猛烈に働かざるを得なくなったことで、だいぶ無理をしていたようだ。その仕事をやっている頃には、仕事は好きだし地方にも行けるのでたいそう幸せではあったけれど、やはり疲れがたまっていたらしく終ってからどっときてしまった。眼鏡を使用し始めると、坂を転がり落ちるようにどんどん悪くなっていった。最近楽譜がよく見えないので、集中力にも初見力にも影響が出始めてきている。こうやって人は徐々に活動をやめていくのかと実感するようになった。今日はついに我慢できなくなって新しい眼鏡を作りに行こうと思っている。一つとても良い眼鏡を持っているのだが、それはレンズがガラスで薄く研磨されていて、ほんの少しの刺激でもパリン!と割れてしまう。今まで何回割ったことか。1枚5万円のレンズだから、割る度に「ああ、5万円」とため息。その眼鏡を掛けると急に視界が明るくなって鮮明に見えるからそれにしたいのはやまやまだけど、もう一つ安物の眼鏡をこしらえて主にそれを使っていた。今高級眼鏡のほうは割れている。安物の方で比較的良いレンズに換えるか、良い方の眼鏡を治すか悩んでいる。年をとってくると自分の体にお金をかけないといけなくなる。良い仕事をするにはまず健康でないといけない。まずまずの健康体に生んでくれた両親に感謝している。これでもう一つ美貌もほしかった。ざんねーん!

2013年9月10日火曜日

スポーツの世界

8日早朝7年後のオリンピック会場が東京に決定したとニュースで騒いでいた。スポーツというのはどうやら大層儲かる物らしい。柔道があれほど不祥事続きにもかかわらず、上層部は一向にやめる気配もない。名前だけやめてもどうせどこかでしがみついて利権を離さないと思うので、私たち部外者から見たら魑魅魍魎の巣に見える。フェアプレイの精神なんてどこ吹く風。いかにも頭の鈍そうな巨大な男達が「皆なにさわいでるの?」と言わんばかりの表情でどかんと座って一応頭は下げているが、内心は見え見えで、のど元過ぎるのをじっと待っている風情。暴力を愛の鞭なんてとんでもない考え違い。ましてセクハラなんて言語道断。いまだにスポーツの世界ではそんなことがまかり通っているらしい。最近音楽学校でもセクハラ問題があって、音大側はぴりぴりしているそうだ。私などはしょっちゅう生徒の手をむんずとつかんで「ほらこうなるのよ。わかった?」なんてやっている。肘の位置や楽器の構え方などを教えるのには、どうしても相手の手を持ったりする。声楽の呼吸法もお腹に触れたりする。これも最近はどうやらセクハラと言われるらしい。困ったこと。スポーツの世界は体を使うから、なおさらそんな機会があるに違いない。それでも本当に熱心さのあまり体に触れるのか、下心で触れるのかは触られた本人にはよくわかる。それでも上手くなりたいし選手にも選ばれたいとなったら、拒否するとチャンスがなくなるのではないかと我慢するのだろう。それに付け込む卑怯者がいるのが許せない。国もマスコミもスポーツにはお金も話題も惜しまないのに、世界のオーケストラの頂点のベルリンフィルのコンサートマスターが若き日本人であることには無関心なのが解せない。これは例えばイチロー選手がすごいと言われるよりももっとすごいことなのに。クラシック音楽ってマイナーなんだなあ。

2013年9月8日日曜日

トレーニング

最近始めた筋トレも通い始めて7回目を迎える。トレーナーがずっと付いていてくれるので効率よくトレーニングが出来る。例えばスクワットなども我が家で一人でやっているのとは全然違うことがよくわかった。ほんのすこしの姿勢の差で筋肉に及ぼす効果がこれほどちがうものかとびっくりするくらい。それに一人だといい加減きつくなるとやめてしまうのが、声をかけて励まされながらだと不思議とクリア出来てしまう。ダンベルを使った運動も
負荷が全然違う。前に一人でやっていたのはほとんど無駄だったようで、がっかりした。今度のスキーシーズンには筋力が付いて、いつもより少しは上手に滑れるかと期待している。私は長年のヴァイオリン弾き生活のせいか、体の左右のバランスがかなり違っていた。筋トレを始めた最初の頃にはぐらついて転びそうになるほどだったのが、それが改善されてきている。かといって姿勢は直していないので、足の筋力が付いてきてぐらつきにくくなっているのではないかと思う。ジムは前面が大きなガラス戸で目の前は車道が通っている。人通りも多い。こちらを見ている人もいる。それよりも私の方が通る人達を観察しながら筋トレしているようなものだから、のぞき込む人が居ると手招きして「あなた、よってらっしゃいよ」と言いたくなる。若い人よりも高齢者にこそ必要だと思う。よぼよぼと足取りのおぼつかない人には道に飛び出していってお勧めしたくなる。ほんとに余計なこととはわかっているけれど。これも何をしなくていいか・・・のうち。

2013年9月7日土曜日

なにをしなくていいか・・・ということ。

酷暑もようやく秋の気配に変わってきた。今朝は久しぶりの散歩に出かけた。毎年散歩の距離が少なくなる。一昨年までは歩かなくてはいけないからと必死に歩いていたけれど、お陰で毎日疲れてしまって体を壊すところだった。無責任に健康のために1万歩歩かないといけないとか、何時頃からベッドに入って何時間以上眠れとか言うけれど、そんなものをまともにきいているとロクな事にならない。人は様々、個人差がすごくあることを考えて欲しい。私の知人が毎日一万歩歩いていた。少しふっくらして朗らかだったひとが、痩せてきて肌荒れが目立ってきた。根がものすごく真面目で一度決めたことはきっちりやる人だったから、健康にいいと信じて決してさぼらなかった。結果、体調を崩し引きこもりになってしまった。ご高説をたれた偉い先生がた、彼女を治していただきたい。なにも1万歩歩かなくても、人はふつうに家事をこなしていれば相当の運動はしていると思う。私のようにいい加減なら疲れてしまえばすぐにやめる。私は家事も超手抜きなので運動は足りていないが、ヴァイオリンを弾いて健康を保っている。歩くのを減らしたら膝の痛みも治った。人間が1番必要なのは心地よく暮らせることだと思う。ねばならない、しては駄目、などという台詞はあまり使いたくない。人にとって絶対に必要なのは呼吸をする、食べる、排泄する、愛する、考える、感じることだけ。あとは文化的な生活のために最小限の設備があればいい。そう考えると、なんと人類は余計な事をやっているのだろうか。余計な事をするあまり、戦争が起きたり、人を殺したり、ねたみや怒りが生じる。宗教も平和のためのものなのに、宗派が違うといって争う。人に押しつけないで自分が信じていればいいものを。猫を見てごらんなさい。必要以上の事は決してしないから。風が涼しくなってきて、ノラ猫のための心配が始まる。これも必要以上に猫の気持ちを忖度するから。猫はこちらが心配するよりもずっとたくましい。



2013年9月6日金曜日

月例「弾く会」

今日も毎月のお勉め。魔女が6人。演し物はシューベルト、バッハ、ラベル、モーツアルト、ヴィヴァルディ。3人のピアニストは私の同級生で、学生時代からずっと良きライバルとしてしのぎを削ってきた。お互いに我が侭を言いながらも、尊敬し合っている。調子が悪くなれば親身に心配し、上手く弾いたときには本気で褒める。すてきな友人達。今日はもうすぐ本番を迎えるSさんが、シューベルトを暗譜で素晴らしく弾いた事を褒める代わりに、「あなったって可愛くないわね」と毒付くNさん。これは本当は最大の褒め言葉だということを皆良く知っている。何年間も毎月励まし合いながら切磋琢磨して来たので、この先もさぼることが出来ないのは辛いけれど、このグループに入って毎月どんな形でも一曲弾いて専門家に聞いてもらえるのはありがたい。私は来年弾く予定の曲が果してどのくらい弾けるかを試したかったので聴いてもらったら、是非弾くようにと皆さんからお墨付きをもらった。上手く弾けたからではなく惚けないようにとの親心とはわかっていても、励まされると「よし、やろう」という気になるのが恐ろしい。おっちょこちょいだから、こうして人にのせられてジタバタしながら生きてきた様な気がする。たいてい本番間近になると、私はなんでこんな面倒なことを引き受けてしまったのかと臍を噛む。わかっちゃいるけどやめられない。♫あ、ほれ、すーいすーいすーだっららたーすらすらすいすいすーい♫。この歌知ってるって?おや、あなたも古いね-。

2013年9月5日木曜日

初見の気分

この次の「古典」定期に演奏する4つのヴァイオリンの協奏曲のソロパートを合わせに、埼玉県や都内から神奈川県の我が家までメンバーが来てくれる。昨日は竜巻騒ぎ、今日は大雨落雷と、このところ季節の変わり目の不安定な天候が続いている。こんな日に外出するのは大変だから、家に居て待っていられるのはありがたい。でも、私も夜になったら音楽教室のレッスンにでかけなければいけない。早く雷様が疲れてくれるのを待っている。4つのヴァイオリンを合せるのは結構大変で、それぞれ自分の考えがあるから、テンポ感も違う。私は少し早めが好きで本番にアドレナリンが大量に発生するくらいの極限まで早く弾きたい。ところが慎重派の人はけっしてそんな暴挙はしたくない。常に美しく破綻なく弾けるテンポをお望みで、私の野蛮な提案はついえてしまうのだが、まだまだこれからもチャンスはあるから、徐々に皆を早いテンポに引きずり込もうと虎視眈々と狙っている。このところ、コンサートや発表会が続いて、私自身で演奏しなければならない曲が山積みになっている。困ったことに若い頃のようにマルチに対応出来なくなってきている。切り替えが中々難しい。一つ練習すると他の曲の半分は忘れてしまう。久しぶりに取り出してみると、又初見のような気分。初見と言えば、ずいぶん昔ペルゴレージ「スタバートマーテル」の演奏会でこれから本番、指揮者がもう登場するという間際に、突然前に座っていた人が後ろを振り返って「ねえ、初見で弾くような気がしない?」と言われてパニックになった。「やめて、そんなこと言わないで」と言ったが私もそんな気がしていたから。練習が少なかったし、宗教曲はどれも似たような雰囲気で覚え辛い。前の人は長年、日本のトップクラスのオーケストラのトップサイドにいた人だから、ものすごく優秀なのに、オーケストラの本番はそれほど恐ろしい。それで最近の私はちょうどそのときと同じ状態で、いつでも練習が足りないような気がしてならない。実際に練習時間はそれほど取れていない。ブログ書くひまがあったら練習しろっつうの!(天の声)







2013年9月4日水曜日

枝おろし

ベランダにまで侵入して日差しを遮ってくれていた木の枝が伸びすぎて、隣の家にまで覆いかぶさるようになってきた。今日は少ししのぎやすいので、伸びすぎた分だけ枝をおろすことにした。私は非力で小柄なので電動ノコギリは扱いにくい。手にひどく振動が来るのがいやだけど、四の五の言っているわけにはいかないから、物置から引っ張り出す。電源が2階にしかないからコードをレッスン室から下へ伸ばして使おうと思ったら、しょっちゅう目について邪魔だと思っていた延長コードがみつからない。毎度のことで我が家では必要な時に必要なものが見つからない。それでほかのコードをなんとか探し出して上から垂らしてやっと用が足りた。木を切るというのはなかなか嫌なもので、木が悲鳴を上げるのではないかと、いつもびくびくしている。木肌にノコをあてるときに「ごめんなさいね」とお詫びしてから切り始める。それでも格闘の末小ざっぱりと散髪したてのようになって、下にたくさんの小枝が散らかった。ちょうどごみの収集車が来たけれど、まだ細かくしていないから持って行ってくれないと思ったら「大サービスだよ」と言ってバサバサと収集車に押し込んで、あらかた片付いてしまった。探し物がないのはいつものことだけど、昨日、練習に集まった人たちが、あれこれ楽譜のコピーが欲しいという。どうせすぐには出てこないと思ったらしく、私がすぐに楽譜を出したら驚いていた。ふん、どんなもんだい!そうしたら「クローゼットの中の方が外より片付いてるのね」と言って笑っている。外だってピアノの上に山積みになっているけれど、大体あの辺に何が置いてあるとわかっているのだ。それでも生徒が来てからあわてて探し始めると見つからない。「先生のうちの楽譜は歩くんですよね」と学生に言われたこともあった。消えた延長コードの謎はまだ解決していない。あんなにいつも目にしていたのに。いつもこれ邪魔だなあと思っていたのに。私の生活は謎だらけ。

2013年9月3日火曜日

いつもの人達

今日も激しく暑い!さすがに風には秋が感じられるが、日差しは強烈。先日松原湖のコンサートで一緒だったピアノのSさんとヴィオラのFUMIKOさん、チェロはご近所のSさん。朝からモーツアルトのピアノ4重奏の練習が始まった。本番は再来週の日曜日。この曲は今まで何回も弾いているのにいつでも難しい。モーツアルトはやはり究極の音楽なのだと、自分のド下手さを自覚させられる。音の一つ一つが常に完璧でないと様にならないのに、音程も音色もテンポも、どうやっても気に入らない。それでも練習が進んでいくと、楽器が鳴ってきたあたりから楽しくなる。自分が天才でないにせよ、もう少しどうにかなると思っているのが間違いで、こんなものさと諦めてしまえば気が楽になるのに。本当にもう少しなんとかならないものか。ぶつぶつ文句を言いながらもやはり素晴らしい曲に引き寄せられる。練習が終って、次の月例「弾く会」にFUMIKOさんと弾こうかと思っているモーツアルトの「コンチェルタンテ シンフォニー」の2楽章を合わせた。この2楽章はモーツアルトの悲しみが凝縮されているような楽章で、弾いても聴いてもウルウルしてしまう。モーツアルトでなければこれほど純粋に単純に深い悲しみを表現出来ないだろう。他の作曲家、例えばベートーヴェンの様に塗り込め削り取り、様々な手法で究極にたどり着くのではなく、あっさりと軽々と物の核心にたどり着いてしまう。一つとして無駄な音がない。生まれる前から全て知っていたかのように。やはり彼は神の子なのだ。
人の子の私たちは練習が終ればお腹が空いて、おきまりのランチを食べにいって皆さんそれぞれの帰途につく。子供の時から室内楽が好きで、今こうして人が集まって一緒に弾いてもらえるのは本当に幸せなことだと思っている。いつもお付き合いしてくれる仲間達に感謝!



2013年9月2日月曜日

石(いわ)走る「たるみ」のうえの

石走る垂水の上の早蕨の萌え出ずる春になりにけるかも・・・ドレスをアレンジしていたら急にこの志貴皇子の御歌が口から出てきた。鏡の前で新しいドレスの背中が開きすぎているのをストールで隠せないかと工夫をしているときだった。「垂水?」そう「たるみ」体のほかの部分は自信がなかったけれど、背中だけは日にさらされていないので白くすべすべだったのに、鏡で見たらたるみが目立つ。このドレスを買ったときに、背中を気にしていたら、ステージドレス専門店「メイミイ」のオーナーのメイミイさんが、こうして前に寄せて胸に持っていくのよと上半身をお辞儀した状態で、背中から胸に肉を移動させる実演をしてくれた。なるほどその時だけは胸は急に豊満になり、背中のたるみが消える。意気揚々と引き揚げてきたが、しかし数分も経たないうちに背中にはお肉のたまり場ができてしまう。それでも毎日寄せていると効果はあるらしいが、普段背中を気にすることがないので、すぐに忘れてしまう。おしゃれをするのはなかなか骨なので、不精の権化である私は忘れっぽい性格と相まって、肉体改造は夢のまた夢。ドレスを着るたびに溜息をついてしまう。最近始めた筋トレも外見を変えるのが目的ではないから、もし変えたければそれなりの運動を取り入れてもらわないといけない。この背中は赦しがたいので、トレーナーに相談してみるか。トレーナーが言うには体のどこか重点的にというのは無理らしい。筋肉は全部動かしてこそ効果があるそうで、トレーニングはいつも全身くまなく行っている。週1回だけでどれほど効果があるかは疑問だが、やらないよりはましかな。いつまでも背筋のピシッと伸びたおばあさんになりたい。生涯の最後まで一人で毅然と生きるのが理想だけれど、現実の私は人に面倒みてもらうのが大好きで、すぐ泣き言を言う。理想にはまだまだ近付けないようだ。日中歩きながらも「いわばしる」が口をついて出てきたのにはまいった。

2013年9月1日日曜日

合宿2日目

葉山の湘南国際村の朝はさわやかに晴れた。昨日はさぞや皆で一色海岸の夜を楽しんだことだろうと思って朝食に行ったら、なんだか盛り上がらない様子。聞けばお目当ての海の家は閉店準備に忙しく、注文した物が来なかったり出来なかったり、せっかくタクシーを飛ばしていったのに、さんざんだったらしい。海は荒れていて暗く、星も出ていなかったし、風が強くて怖かったそうだ。おとなしく部屋に居て正解だったようだ。飲み足りない人達は帰ってきてホテルで飲み物を頼もうと思ったら時間が遅くて注文できず、自販機はなく、冷蔵庫は空っぽ。仕方なくおとなしく寝たらしい。ごくろうさまでした。朝は恐ろしく真面目なチェロ軍団が8時から分奏を始めていた。疲れを知らない人達だなあ。全体の練習は9時から。まさかと思うほど弾き詰めに弾いて、こんなに弾いたら私ならへとへとというところが、そうならないのが不可思議。日頃自分の生業で忙しくて趣味の楽器を弾くことが出来ないから、ここぞとばかり弾きたい気持ちはよくわかるのだが。2時間半の濃密な練習が終って今回の合宿は無事終了。仕上がりも上々。逗子在住のチェロとヴァイオリンのコンビのY夫妻のお陰で、発表会に向けての自信がやっと固まってきた。昼食は今年結婚したばかりのY夫妻が自宅に招いてくれて、ワインパーティーが始まった。Yさんのご主人の方はワインの目利きで、自宅のワインセラーには数十本のワインが常時備蓄されている。今日も次々と出してきて皆に振る舞っていたが、奥さんの方はこれでもかと料理を出してくる。ばりばりのキャリアウーマンで韓国と日本をかけずり回って仕事をして多忙なのに、料理が得意でとても美味しい。仕事が出来る人は料理も上手い。しばらくして、楽しげに飲んでいる人達に別れて帰宅した。野良猫がお腹を空かせて鳴いていないか心配で。でもノラの姿はなかった。あまりの暑さでどこかへ避難しているようだ。こちらが心配するほど彼らはヤワでないことくらいわかっている。たくましく、こちらが駄目ならあちらでもらうというように、図太く生きている。