2021年12月31日金曜日

来年は良い年でありますように

 私にとって今年1年は再生の時期だった。すっかり弱ってしまった足腰の筋肉を呼び戻すことが日常の課題。だいぶ足元がしっかりしてきた。ここ3年ほどは人生の過渡期、心が折れたり諦めや悲しみや様々に心が揺れ動いた。片足立ちができない、常に足がしびれている等々体も絶不調だったのが、先日整体に行ったら「体良くなったね」と先生に言われた。

体調が戻ってきて気持ちも楽になってきた。毎日のささやかな筋トレが功を奏して足元がしっかりしてきたので、ヴァイオリンを弾くのも楽になった。楽器を弾くためにはいかにインナーマスルが必要かを実感した。周囲の人達がいなくなって心寂しく日々鬱々、そこにコロナが絡んでキリキリと胃が痛む。これはいかん。検診の結果コレステロール値が最悪とわかった。毎日ブロッコリーとキャベツを青虫になったような気分で食べている。胃の痛みは食べすぎが原因。食い意地がはっているから目の前に美味しそうなものがあると食べ過ぎる。

体重を少し落とすと体が軽くなって動けるようになる。膝への負担も少なくなり痛みも消える。いい事ずくめなのだ。私は猫だから元々肉食系、でも食事の割合に魚を多くして野菜中心にしたら、すごく元気になった。絶好調とまではいかないけれど、回復の兆しが見えてきた。お蕎麦と鴨肉、御餅などささやかなお正月の食品をスーパーで購入した。大晦日には友人と過ごそうと話していたのもオミクロンで気がすすまないからやめて、一人静かに家で過ごそうかと思う。

野良猫二匹、最近はむくむくと太って我が家のベランダのダンボール箱でぬくぬくと日向ぼっこ。毛の艶もよく、特に雄猫の方はよほど気を許しているとみえて、寝ているところを起こすと寝ぼけて半分うつらうつら、野良猫にあるまじき振る舞い。普通野良なら、体に人の手が触れたらハッとして一目散に逃げていくはずなのに。それで生き延びてきたであろうに何という無様なデブ猫に成り下がったものか!でも半分寝ぼけた顔の可愛いこと!秋頃には彼らは駐車場で餌を食べていた。通りすがりの人達に大人気だった。けれどあまりにも寒いのでベランダの陽だまりで餌を与えるようになった。

昨日駐車場に立っていたら、きれいな女性から声をかけられた。「あのー、ここにいつも白黒の猫がいましたよね。あの子たち最近見かけないけど元気でいるのでしょうか」「元気ですよ。すっかり太って2階のベランダで毎日寝ていますよ」と答えるとホッとしたようだったけれど「あの子は私が不妊手術を受けさせたんですよ」となぜかちょっと棘のある言い方。なるほど、野良猫にも先有権があるのかもしれない。我が家に居ついて最近その人のところへ行っていないとか?

野良たちは生き延びるために数軒の家を掛け持ちで回っているようだ。時々もう満腹でこれ以上お腹に入れられないというほどの様子で日向ぼっこにくる。食べ物を与えるとゲップをしながら無理やり食べることもある。食べられるときに食べないと次に必ず餌がもらえるとは限らないから。そのせいで、二匹ともまるまる太りツヤツヤの毛並み、もはや外見では野良とはわからない。彼らの耳を見ると不妊手術のあとに耳の先がカットされているので野良とわかる。かの女性も最初に保護したのは自分だと言いたかったのかもしれない。申し訳ない、人間が野良を選ぶのではなく、野良が餌を選ぶのでこういうことになったので。

白黒のメス猫は時々家に入ってくる。それでも我が家に先住民がいるのを知っていて、賢い彼女は決して長居をしない。少しあたたまるとさっさと帰っていく。「おぶ漬けでもいかがどすか?」なんて言わなくても出ていく。

今一人でやっている筋トレは、腹筋を緊張させながら左右にお腹回し10回、スクワット50回、つま先立ちでお尻の筋肉を緊張させるのを10回、それらをワンセットとして一日2~3回ほど。いつもやりすぎで筋肉を痛めるのでこれ以上は絶対にやらない。それとウオーキングを30分から1時間。その日の体調によってはどれかを省略というペースでもかなり効果はあるようだ。筋肉がいかに体と心の健康に必要かということを実感したここ数年。高齢者はまずそこから攻めていくといいかも。私のようにやりすぎる傾向がある人は注意しないと逆効果になるけれど。

来年か再来年、私はさっそうとヨーロッパでの山岳スキーを夢見ている。夢で終わってもいい、でも終わらないことを願っている。オミクロンよ、賢い野良のようにさっさと出ていってください。

この駄文を読んでくださっている皆様ありがとうございます。

来年もどうぞよろしくおねがいします。😸😻









2021年12月14日火曜日

初滑り

今シーズン初めてのスキー、とはいえ、北軽井沢の小さな人工雪のスノーパークで。

去年初めてこのスノーパークのことを知った。ノンちゃんの家から車で約15分。幸いお天気が良く 少し前に積もった雪が道の傍らにわずかに残っているけれど、路面は全く乾いている。年末に家を閉める前にちょっと滑ってみたい。

連れは友人の娘さんと彼女のスキーのお仲間で指導員資格を持つ男性。私が先にノンちゃんの家に入って夕方到着した彼らを近所の温泉に連れて行った。そこは風情のある古風な温泉宿で、仄暗い玄関の灯りが木造の格子戸から漏れて郷愁を感じさせる。私は北軽井沢にいるときには、毎日ここの温泉に行ってお風呂に入れてもらう。中はすべてピカピカに磨き上げられていて、お風呂もいつもきれいになっている。ノンちゃんの家がなければこの旅館に長逗留してもいいくらい。

温まってから家で寄せ鍋をたらふく食べた。彼らが到着する前に近くのあさま鶏牧場へ行って大量の卵を買い込んだ。猫の面倒を押し付けてきた姉へのお土産と自宅のぶん。このところ何回も通っているので顔見知りとなったそこの奥さんはとても品が良い。物静かで、毎日山の景色を見ながら暮らすと、こうも穏やかになれるのかと思う。都会暮らしに疲れ果てた人は老後をここで暮らすといい。しかし今や北軽井沢にも開発の手が伸びてきている。毎日木々が伐採されて新しいカフェも増えた。便利になるのはいいけれど、私の好きな雑木林が無残に開発されていくのを見るのは胸が痛む。

最初の夜はにぎやかに過ぎて次の朝、スノーパークへとでかけた。気温が高く、これでは降雪機を使っても中々雪がたまらないだろうと思っていたら、やはり初心者用のゲレンデの下の方にわずかに雪が固まっている。メインのゲレンデは修学旅行の生徒たちでいっぱいだから下の僅かな雪溜まりを恐る恐る滑り始めた。

気温が高いとはいえ午前中なので雪は固く凍っている。去年は八方のリフトの連結部分のほんの数十メートルを滑っただけだから、ブランクと言ってもいいくらい。2年ぶりということになるかな。若い頃のブランクとは質が違う。手足が固まってぎこちない。こんな緩斜面は斜面でもないくらいなのに怖い。なんてこった。しかも自分でブーツを履こうにも大変な苦労をするし、スキーの板を持つとふらつく。

私達のスキーの仲間「雪雀連」には元気な高齢者が沢山いて、会長の山田さんはつい3年ほど前までしっかりと滑っていた。流石に最後のスキーではリフトから降りた傾斜で転んだりしていたけれど、志賀高原の一ノ瀬の急斜面をしっかりとこなしていた。彼より10歳以上年下の私はまだまだいけるはずなのに、もうダメだ感が強い。毎年必ずスキーは欠かさなかったのにコロナのせいで最後に滑ったのはフランスのヴァルトランス、羽田空港に帰ってきたときには再入国できるかどうかドキドキしたものだった。それが一昨年の1月。まる2年のブランクは厳しい。

スノーパークは雪も悪いし、板を痛める恐れもあるし、2回だけでやめて私一人で帰宅した。若い彼らはまだまだ滑ると言って居残り、最終リフトまで滑ったらしい。帰ってくるのを待って温泉へ。次の日は私は家を閉める作業に追われて遊ぶ暇はないから、朝食で解散。二人はパルコール嬬恋まで滑りに行った。家を閉めるときには特に湿度が気になる。一度でもカビを出すと大変だから、鬼のように水分をなくすことに専念する。食器類は完全に乾かしてから食器棚にしまい、ベッドはすっかりシーツ交換をして人の寝た形跡をなくす。

大木の下に眠っているノンちゃんに挨拶をして日差しが暖かくなったころ山を降りた。浅間は半分くらい真っ白に雪に覆われていた。今年最後の姿をしっかりと目にとめて帰宅した。

帰宅したら猫社会は大騒ぎだったらしく、いつも必ず家の近所に待機している白黒ねこがいない。姉の話によれば、前夜、ベランダで茶トラの雄猫とうちの野良猫2匹が大立ち回りを演じたらしい。野良たちの餌を狙って盗みの犯行に及んだ茶トラが、撃退されたらしい。この寒いときにご苦労さん。野良たちは一時も心の安らぐことはない。けれど、そうやって緊張して生きているから、頭がすごくいい。頭が良くないと生き延びられないのかもしれない。この子達を北軽井沢の雑木林に連れて行ってやりたい。彼らがのびのびと林を走り回る姿を想像すると気分がほっこりする。でも冬場だけ、春から秋までは熊が出没する。人も犬も猫も危険なのだ。

たった2年のブランクなのに、フランスのトロヮバレーを滑ったときの元気は今や全くない。日本とヨーロッパのスキーはスピードが全く違う。すごく早くて本当に楽しかった。しかし今や、もう全く立っているのがやっと。膝がゴキゴキ折れる。果たして復活なるか!頑張れ私!

先日の健診で悪玉コレステロール値がひどく高く、医師から薬を飲むか運動するか食事の改善をするかと迫られた。食事がんばりますと言って逃げてきたけれど、ブロッコリーは2日で飽きた。運動はスキー以外に興味はない。薬は飲み始めたらずっと続くからいや。なにか運動を始めようかと模索している。さあて、何がいいか。














2021年12月13日月曜日

高齢者運転免許更新その2

認知検査の結果は満点、免許はゴールドだから、すぐに 次の運転技能講習と視野の検査が受けられることになった。やはり教習所に行くのとは大違い、どなたにも運転免許センターでの講習をおすすめする。認知検査が良いと次の運転技能講習料金も安く時間も短くてすむから、行く前にネットなどで調べてしっかり用意をすることもおすすめ。16通りの絵を見せられてその場で記憶するなど普通の生活ではしない。私の友人はなんの準備もせずにおっとりと構えていたら訳がわからず、認知機能に問題ありとされて長時間の講習を受けることとなった。本当はすごく頭のいい人なのに。

三年前の検査のときには教習所で受けたので予約もなかなか取れず苦労した。教習所の方は混雑に対してなにか偉そうに振る舞われたのも癪の種だった。私は神奈川県だから他の地域の運転免許センターのことはわからないけれど、受付も講師たちも非常に感じよく、時間的にも融通がきいて楽な気持ちで受けられた。教習所の待合室は大混乱で、コロナ禍の中、あんなところで受けなくてよかったと心底思った。

時間の融通がきくので、早めに行っても席さえあけばすぐに認知機能検査を受けさせてもらえた。各自一斉にというのではなく、タブレットを渡されて個人別に受けられる、これは時間の有効な使い方。机の間が広く他の人に邪魔されることもない。前回の教習所で受けたときには、隣の女性に悩まされた。携帯電話の電源を切るように言われているのに頑として切らない。あげく、ひっきりなしに着信音がなって集中力を妨げられた。今回は教習所の教官のくどい説明でなく、録音された簡潔な説明がイヤホーンで流れてくるからすぐに理解できる。説明はわからなければ何度でも繰り返し聞ける。ただし答案にかかる時間はキッチリ制限される。イヤホーンのおかげで余計な雑音は聞こえない。それぞれのペースですすめることができる。

運転技能講習は予約より30分早いグループに入れてもらえた。受験者はすごい高齢者ばかり。へー、あんな足元もおぼつかない人でも受けるの、なんて感心して見ていたけれど、自分もその中のひとり、傍から見たら全く同じように見えるのだと思うと否応なしに歳を思い知らされる。椅子から立ち上がるときには用心してそろそろと、歩きだしはこわばってうまく歩けないなど。しょっちゅうトイレに立つ人がいたり、口がよく回らず試験管の質問にうまく答えられなかったり。となると、車の運転はもうおやめになったら?と言いたくなる。私?私もやはりそういう年齢なのだ。こういうことも今回が最後かな?

しかしそれでは田舎暮らしができなくなる。せめてあと2回は講習を受けたい。運転技能講習の車はトヨタのプリウス。やはり私には少し大きめ。ダッシュボードがゴツく張り出して、座高の低い私には首を伸ばさないと周りがよく見えない。こうなると今私が乗っている車「ニッサン・ノート・パパゲーノ」は私のために作られたようなサイズ。日産さんありがとう。

最初の一歩は段差乗り越え。段差の手前に低い傾斜があって車はそこに乗っている。傾斜から段差に車を載せてすぐに停める。教官が助手席の窓から飛び出さないようにゆったりと衝撃のないように停めたら、遅すぎると言われた。なんだ素早さを見るため?それならそうと言ってくれれば電光石火で載せたのに。どちらかといえばそちらのほうが得意。

トヨタ・プリウスは運転しやすい。私の運転のはじめはトヨタ・パブリカ、そして初代カローラからしばらくトヨタ車が続いた。日産の車の走りは直線的、トヨタの車は曲線的、それぞれの特徴があってその後はずっと日産。しかし最近はトヨタも日産もあまり違いは感じない。昔のふわふわしたトヨタ車の面白みは消えたようだ。そのかわりどの車も運転のしやすさはほとんど変わりなくなった。あとは私の体の大きにさえ合えば。

体が低く沈んでいて周囲がよく見えないから脱輪一回。あとは順調で楽しそうに見えたらしい。教官が「ああ、やっぱり運転お好きなんですね」と。車に乗る前にいくつかの質問があって、その中に運転は好きですか?というのがあった。もちろん好き。車を買い換えるときに試乗車に乗ると、たいてい運転お好きですねと言われる。ハンドルを握ると生き生きする。これもボケ防止に役立っていると思う。高齢者が運転を誤るのは、普段あまり車に乗らないからではないかと常々思っている。私は高齢になってからはむしろ運転回数を増やしている。楽器の練習と同じように毎日運転をして腕を落とさないように。長距離も以前より頻繁に出かける。そのかわり自分に常に言い聞かせる。若い頃のように反射神経だけで運転をしてはいけない、と。確認に次ぐ確認。だから少し動作が遅くなる。今回の車庫入れはいつもより真っ直ぐに入れられた。いつも誰かに見られていると思えばいいのだ。

人が見ているとちゃんとやるというというのは楽器のときも同じ。一人で練習しているとダラダラ、ステージに立つと背筋が伸びる。ところが9月の「古典」のコンサートのときには背筋がかなり緩んでいたようだ。老けたねと言われた。でもね、そういうあなたも一緒ですよ。長年のお付き合い、歳だけは誰にも平等に訪れる。自分はまだまだなんていう人は己を知らない。人は大抵自分は他の人より若くみえると思っているそうなのだ。鏡の前の自分と無意識でいるときの自分と、もし傍から写真を撮られたらギャッと言いたくなるほど惨憺たる映像になる。他人がいなくても鏡がなくても背筋だけは伸ばす癖をつけておいたほうが良い。

無事に高齢者講習が終わって新しい免許証を手に入れるまでは、違反をしないようにと注意を受けた。違反するとこれまでの好条件が帳消しになってしまい、再度講習を受ける羽目になるらしい。講習料金も高くなる。あと3ヶ月間、ドキドキしながらコソコソ運転、そういうときに限って一方通行を逆さまに走ったりするのではないかと、いやいや、考えないでおこう。実現してしまったらいけないので。







2021年12月7日火曜日

検診の結果

いつもと同じコレステロールが高い。いつも検診ではコレステロールの高さを指摘されて薬をすすめられるけれど、頑として拒んでいた。けれど今回は断れないような数値が出て、それでも拒んできた。頑張ってみますと言って。

なにを頑張る?もちろんコレステロールの値をへらすこと。今までは総コレステロール値が250、これは10年以上変わらなかった。けれど今回は278に跳ね上がった。さすがの私もギョッとする数値。HDL76,LDL202ということで、いわゆる悪玉コレステロールが高い。 

悪玉というけれどコレステロールは悪くない。ただバランスが悪いから病気の元となるだけで、悪いのは過食、糖質、油脂取りすぎる、みんな私が悪いのよ。美味しいものはたいていコレステロールのもとなのだ。それと体を動かすのがあまり好きではなく、毎日必要最小限の運動しかしないのも良くない。かと言っていざ奮起すると絶対にやりすぎて体を壊す自分の性格はよくわかっている。要は体の健康は頭脳の制御力に比例すると思えばいい。

なにをやればいいのかはググればわかるから、医師の手を煩わせないで直してみようと固く決心をした。検診の結果を伝える医師には3年ほど前からお世話になっている。あまり自分の考えを押し付けず、患者の言うことをきく良いお医者さん。こういう人が良いのかどうかはわからないけれど、少なくとも私のように我の強い患者には受けが良いかもしれない。それがわかっていてこういう態度を取るのかどうかはわからない。単に無口なだけかもしれないけれど、やたら薬を勧めない。それとも私が怖くて口がきけないのかも、そのへんは一番の原因かもしれないけれど、帰り際に「薬はいりません。とにかく頑張ってみます」と啖呵を切る私を放任してくれた。考えてみたら幼い頃から今に至るまで、私は放任され続けている。

幼児期からお世話になっていた近所のお医者さんがいた。名医で診立ての名人だった。その方が亡くなってしばらくあちこち探して見つけたのが今のかかりつけ医。無口で薬を無理強いしないところがよく似ている。子供の頃のかかりつけ医は風邪をひいたくらいだと注射もなし、薬もなし、「あったかくしてねてなさい」と一言で診察料もただ。そのかわりいざというときには大きな病院の医師たちよりもずっと頼りになった。私の家族はどれだけこの人に救われたことか。

さて、啖呵を切ったはいいが、これからキャベツとブロッコリーを山のように食べ、ケーキを横目で見るような生活に入るとなると、今日のうちに美味しいものを食べておこう。さっそく病院の並びにあるレストランへ。ちょうど午後のティータイム。季節のケーキはモンブランですという店員さんの言葉に素直に従って、紅茶とモンブランをいただく。料理も美味しいその店でテイクアウトのサーモンのパイ包みを一切れ?いや二切れはいけるかな。それとオリーブオイル漬けのトマトとナス、これも100?いや150グラム。サーモンパイは今晩と明日の朝用に。しかしそれらは儚くも胃袋に全部収まってしまった。

検診の時期に沢山バターを使った料理をたべたから数値が上がったのだと言い訳を考える。そういえばパイの皮はバターがたくさん使われている。ケーキと合わせると、今日だけでもぐんとコレステロール値が上がった。何事も明日から。延ばせるものは延ばす、それが私のモットー。

先日大きな葉付き大根を見つけた。葉をごま油で炒め白ごまとシラスを振りかけて食べたら、もう何年も味わえなかったほどの美味しさ。北軽井沢で見つけた美味しいタマゴで卵かけご飯。ニャンニャンと言って食べた。こういう日本のご飯は本当に美味しくて満足感がある。それなのに、ほとんどの食事が洋風になってしまったのはどうしたわけか。洋風の食事をしているので最近の私は足が長くなった・・・かと思いきや、足はますます短く検診の時に測った身長は、一番高いときより8センチも縮んでいた。いいさ、そのうち地面を匍って歩くから転ばないですむ。








2021年12月4日土曜日

シューベルトは特別

コントラバスの友人からもう一度シューベルトの「マス」を弾きたいから遊んでもらえる?と言ってきた 。望むところと請け負った。別にどこかで弾くあてはないけれど、コンバス奏者Hさんの仲良し2人は優秀なピアニストとヴィオリスト、あとはヴァイオリンとチェロを調達すればいいというので、私に声をかけてくれた。チェロは古い仕事仲間だけどだいぶ私より若いKさんに声をかけてみた。喜んで弾いてれるというからばんざい!美人でおっとりしていて素敵な人なのだ。

コロナが少しずつ感染者を減らしてきたときで、やっと日常が戻ってきた。楽器がひけるのはなにより嬉しい。それも大好きな仲間たちとの共演はなおさら。最近流行り始めたオミクロン株の脅威はどの程度かわかっていないけれど、私の周りでコロナの感染者はゼロ。みんなとても用心深い人たちなので。それとやはり健康なのだと思う。楽器をひく作業はとても体力を使うと同時に良い運動になる。人間はやはり運動が大事。コロナで演奏会が軒並み中止となったとき、不貞腐れて練習を怠った時期があった。そういうときは体調が悪い。それで一気に老けたようで、周りからさんざん指摘された。

ところがステージやスキー場のゲレンデに立ったりしたとき、急に若く見えると言われた。緊張が年齢を牽引しているのかもしれない。それで今日は自撮りした写真を見ると・・・やっぱりすごい婆さんが写っていた。おやあなたどなた?ま、仕方がない、今後はこれでいくっきゃない。

体を動かそうと散歩は欠かさない。けれど何事も私はやりすぎる。足が痛いときにはそうは歩けないけれど、今朝はどこも痛くないので少し長めの散歩。近所の古墳のある丘に登って富士山を眺めてきた。この山が噴火して形が変わってしまったら、どれほど悲しいか。そうならないことを祈っている。帰ってきたらどっと疲れて、練習をサボる口実を探している。

「マス」を弾き「ます」の会は今年の暮に練習が始まる。その前におよそ50年にも亘る共演者のSさんとやはりシューベルトの「ソナチネ」を合せ始めた。短くて可愛らしい3曲のソナチネ。天才というのは常に前進し続けるものだといつも思う。モーツァルトもそうだしシューベルトも例外なく、作曲年の遅いほうが深くなっていく。ほんの少しの年月で、次の作品は間違いなく彼らの高みに登っていく。

シューベルトといえば転調を繰り返し長い曲が多い。このソナチネたちはそれほど長くない。多分初期の作品かと思ったらそうでもないらしい。技術的にはそれほど難しくなく、音符を弾くだけだったら今どきの子供なら楽に弾けそうなレベル。しかしシューベルトの難しさは、私にとっては転調なのだ。ふっと次の調に変わるときに音痴にならないように非常に気を使う。ヴァイオリンのような自然な音階を弾ける楽器の音程は、5線の同じ場所にあっても和音の第何音かによって微妙に変わる。ピアノと一緒ならピアノの和音につければいいけれど、弦楽四重奏などの弦楽器だけの曲であれば、喧々諤々、低いの高いのバランスがどうのと一生涯が過ぎてしまう。しかも最近曲がってきた指が音程の悪さを助長する。しかしこのソナチネたちは弾いていてとても楽しい。練習が終わってもニコニコしていられる。楽しみがあるのはすごく幸せ。コロナの闇は早く忘れて、今年後半から来年までシューベルトにどっぷりと浸かることになった。

シューベルトといえばやはり歌曲。「冬の旅」は中学生時代からずっと私の愛聴曲だった。レコードではもちろんのこと、生演奏はディートリッヒ・フィッシャー・ディスカウと伴奏者はジェラルド・ムーア、次にペーター・シュライヤー、そしてフランスのジェラール・スゼイの来日公演を聴いている。ディスカウは勿論20世紀最高のバリトン、素晴らしかった。けれど一番印象深かったのは、ペーター・シュライヤーがギターの伴奏で歌ったときのこと。コンラッド・ラゴズニックというギターの名手、始まったときには音の小ささが心配だった。しばらくするとギターがどんどん主導権を取り始めた。負けじとシュライヤーも応える。至福のコンサートだった。あんなふうにシューベルトが弾けたらなあ。







2021年12月3日金曜日

水上生活

遅い昼食を終えて食器を洗っていてふと床を見ると、水がジワジワと床に広がっている。一瞬なんのことかわからなかった。午前中外出して帰宅してもまだ日が高い。これなら洗濯しても外に干せると考えて洗濯機を回していた。洗濯機の下から水が染み出しているのを呆然と眺めた。あっという間にキッチン付近はヒタヒタと水浸し。

水というのは始末が悪い。容器に入っていればいいけれど、野放しにされると際限なく広がる。とりあえず食器を洗うのは中止してなすすべもなく眺めていると、洗濯物が少量だったのが幸いして、しばらくすると水はもれなくなった。床は湖のようになった。エライコッチャ、どうしよう。この水どこから漏れたか知らないけれど、掃除機で吸い上げるのはダメだし、かと言って雑巾で拭いても時間がすごくかかる。そんな悠長なことをしていると床暖房の故障につながらないとも限らない。さてどうしたものか。それでも床に水が表面張力でこんもりと膨らんでいるのが面白いと楽しんでいる自分には呆れた。

そこで登場、いたいた、吸水のプロフェッショナル。猫のトイレに使うシート。厚手で大きいからたっぷり吸水できる。何枚か置くとさすが超厚型は仕事ができる。とにかく部屋の隅に水が貯まるといけないから隅っこにまで水が行かないうちに必死で吸い込ませた。猫さんごめん。そこからデッキブラシで残った水を玄関まで流し、ドアを開けて外に追い出す。部屋は2階だから水は階段を使って外玄関へ。そこから外に。私が現れたので大喜びで飛んできた野良が、異様な光景にぎょっとして逃げていった。

ちょうど帰宅した上の階の住人がびっくりしていた。何が原因かわからないけれど、今夜は水が使えない。夕飯の支度もできない。トイレは?関係あるかしら。水のトラブルを請け負う業者もいるけれど、どこに頼んだらいいかわからない。それでいつも家のリフォームをしてもらう会社のボスに電話をしたら出ない。どうしたのかな、いつもならすぐに出るのに。しばらくして相手から返信があった。

間の悪いことに今日これから手術なんですよと。

びっくり仰天!心臓のバイパス手術が今から始まるって・・なんとまあ、そんなときにこの騒ぎ、どうしよう。それでも社長の右腕の職人さんが来てくれた。よかった。ワイヤーの先が螺旋状になった道具でしばらく給水管をゴソゴソとかき回していたら、そのうち急に水の流れが滞らなくなって、これで多分大丈夫です。後光がさして見えました。これから帰ってお風呂でも入って夕食という時間だから悪かったわねえと言うと、いやまだこれから仕事があるんですと言う。本当によく働く。

先日IHヒーターに大量の吹こぼしをして壊したので、家電のお店にでかけた。私の家のキッチンは小さく寸法が限られるのでちゃんと大きさを測って、コンセントの形状も写真に撮った。たまたま近くにいた店員に声をかけて大きさを確かめ、コンセントはこれでいいと写真を見たその人が言うから決めて、なるべく早く配送してもらうように頼んですぐに商品は届いた。けれど、コンセントが違った。配送されてきたヒーターを使うには工事が必要だと言われて、それではこの差込口に合うヒーターはないの?と訊くとありますと言う。

最初からおかしいと思った。その店員さんの周りの人が心配そうに覗き込んでいく。声をかけていく。でも彼は反応を示さない。ほぼ即決だったのに、書類を作るのに1時間もかかる。軽いノリで接客することが良いことだと思っているらしく、ヘラヘラと冗談を言う。流石にこれは変だぞと思っていたら案の定、この始末。どうやらなんら専門的な知識もないらしい。私に20アンペアですかと訊くから家の電気の契約量かと思った。そんなに少なくないわと答えたのに、後でさっき20アンペアと言ったからと意味不明なことを言う。20ではないと言ったでしょ!何が20アンペアなのかもわからない。これってIHヒーターの電力のこと?こちらは本当に素人だから、そんなこと訊かれても知るわけはない。

中途採用かなにかで転職したのか。それだったらわからないことは周りに聞けばいいのに。周りの人たちが気を使っている様子がわかる。それを下手にプライドがあるのか無視し続けている。コロナ不景気などで気の毒なことになったのかもしれないけれど、それだったら捨て身で働かなければ生き残れないでしょう。わかったふりをしてトラブルを起こしてしまう、こういう人っているんだなあ。たぶん高学歴で育ちもよく身綺麗で、でも一旦挫折すると弱い。

水漏れを直してくれた職人さんはいつも作業着で、黙々と誠実に仕事をする。ボスはひどく口やかましい人で、時々たまりかねた私が親方をたしなめるという余計なことをしている。それでも穏やかで決して手抜きをしないその仕事ぶりは、親方も裏では信頼しているのだと思う。最近は監督なしで仕事に来ることもあるのだから。今日はボスはステントを埋め込んでいる最中だから来られないのだけど。

水浸しになったおかげでめったにしたことのない拭き掃除ができて、床がこざっぱりときれいになった。階段も時々掃除機をかけるだけなので、なんとなく薄汚れていたのが今日は小綺麗に。こうして強制的に掃除をしないといけない状況でないと私はやらないから、今回は掃除の神様のお導き?かな。

ヒーターが壊れたおかげで原始生活、石を打ち合わせて火をおこし、そんなわけないけれど、カセットコンロを取り出した。最近は一人暮らしで鍋料理をすることもなく、使われないでしまわれていた。やっと出番が回ってきたとヤツは喜んでおる。今までIHヒーターだったから使える鍋が違う。使っていた鍋を試しに使ってみたら全部共用できることがわかった。これで馴れておけば震災などの災害時にも役に立つ。カセットコンロ用のガスを少し買い置きしておこうかと。富士山はまだ噴火の兆しはないらしいけれど火災と地震保険の保険料金改正があって、多額の保険料を収めるようにと会社から知らせがきた。ひどい値上がりに音を上げましたよ。これはひどい!大地震が起きる時期は目前に迫っているのだろうなと、納得した。明日、水とカセットボンベと買い出しに出かけよう。

NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる」を見ていたら手相芸人という人が出ていた。それで最近めったに自分の手なんて見ていないので久しぶりに眺めたら、いつの間にか感情線が半分になっていた。以前は人差し指と中指の間にすうっと伸びていたのに。そのかわり運命線が中指の第二関節まで届くくらい上昇、生命線はくっきりと長く2重になっている。頭脳線は下のほうがややかすれてきているけれどまだ健在。

頭脳と感情は衰退、その代わり欲と本能だけが強くなってきているのかも。感情は、コロナ禍の中でさんざん我慢したことの顕れかも。