2013年6月30日日曜日

西湘フィルハーモニー管弦楽団第2回定期演奏会

秦野市の市民オーケストラの西湘フィルは第2回目の定期演奏に全力投球。秦野市文化会舘の大ホールで、今朝早くから準備をしていた。このオーケストラのいい所は、突出したワンマンがいないかわりに役割分担などがきちんと決まっていて、それぞれの機能がしっかり働いているらしく、すべてに取りこぼしがない。チームワークが良くて落ち着いて本番が迎えられる。これはなによりも大事なことで、せっかく練習に勤しんできたのに、当日てんやわんやでは演奏にも影響する。皆さんそれぞれご自身の仕事でも有能な人材であると思える。1曲目のベートーヴェン「交響曲第1番」出だしは快調、1楽章は意外なほど冷静で練習の時よりもずっと良かったが、2、3楽章になってステージに馴れてきたころ、だんだんゆるんできて、4楽章ではつい楽しくなってきてはめが外れそうでひやひやしたが、全体としては良い出来だった。そのあとはチャイコフスキー「くるみ割人形組曲」ソロの楽器がしっかりしていて楽しかった。最後は同じくチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」これはみんなが弾きたくなる美しいメロディーが出てくる。めったにおいしい所を弾かせてもらえないヴィオラにまで。メンバーが集まらず困っていたヴィオラも本番は頼もしい助っ人が集まって6人となった。私はトレーナーをやめてしまったので演奏のエキストラとして参加した。人には向き不向きがあって、私はひたすら弾きたい。だから人を弾かせるより黙々と弾いているほうが性に合っている。このオーケストラの最大の武器は指揮者。指揮の松元宏康氏はひっちゃかめっちゃかの演奏をきちんとまとめることにおいては脱帽もの。あるときはユーモラスに、あるときには威厳を持って、この音、メロディーにはどんな背景があるかを的確に指南する。最近は演奏する方もその要望に答えられるようになってきたのは大進歩だと思う。お若いのに緩急自在なたずな捌きには感心する。2歳の坊やのお父さんで、そのお子さんはこのオーケストラの誕生とほぼ同じく生まれたので、ともに育てていただいている。私も立ち上げの時に関わったのに今戦陣を抜け出してしまい、もうしわけないと思っているが、猫は組織には不向き。どうしてものらりくらり好きにやるのが性にあっているので、有能なスタッフと優れた指揮者にあとはお願いして演奏だけに参加している。今日はなにか全精力を使い果たしたように思える。かえり道、車の運転をしていてもやたら眠くて時々ふっと意識が遠のく。ハッとして歌を歌ったりガムをかんだりしながらようやく家にたどり着いた。でも爽快感のある疲れだから、良い演奏会だったのかな。お客さんの反応は良かったみたいですが。









2013年6月29日土曜日

入れ墨

隣のベッドから女性のかすれた声が聞こえる。「ああ、もうだめ。こわーい」
その人はよほど痛みに弱いらしい。
前の投稿で普段は全くのすっぴんと書いたが、あれは一部ウソだった。実はお化粧が下手で不精者だから眉毛なんて適当に書いてあるのが分かればいいでしょ的な考えだったが、やはりステージに立つし、少し前まではテレビ出演も多かったから、いくらなんでもうまれたままとはいかない。それで眉とアイラインは入れ墨してしまおうと考えた。ただ入れてしまうとどんなに失敗作でも中々消せるものではないから、慎重に上手な技術者を探した。そして友人が素敵な眉毛を入れていたので、紹介してもらった。とあるマンションの一室をおとずれると、茶髪でタンクトップのド派手なおねえ様に迎えられた。説明を受けて納得したので施術をお願いした。痛みといってもそれほどのものではない。チクチクと針が入る瞬間が痛いだけで、すぐにほかに移動していくから一瞬一瞬耐えていればいいのだから。それでも隣の方は途中で気分が悪くなったらしい。中には刺されながら眠ってしまう猛者もいるらしい。私は眠れはしないが、それでもチクチク以外は暖かくて、綺麗なおねえさんが何人か居る部屋は非常に居心地よかった。これはアートメイクといって、一種の入れ墨。眉を描いてもらってしばらくしてからアイラインもいれてもらった。これで目の周り関係はすっきり。顔を洗っても落ちないから外出先でも洗える。ある夏の暑い日に東京文化会舘にコンサートを聴きに行ったとき、ひどく汗をかいたので開演前、洗面所で顔をザバッと洗って鏡を見たら、流れ落ちたマスカラが目の下に張り付いてとんでもないことになっていた。あまり可笑しいので自分でフッと笑ったら、隣にいた人が鏡の中で真面目な顔をしてこちらを見ていた。一緒に笑ってくれればいいのに、恥ずかしい思いをした。そのころはマスカラをつける習慣がなくて、たまたま前の日に友人からプレゼントされたので久々につけていったのを忘れていたので、こういうことになった。粗忽でこんなことをしでかすので、なるべく自分でお化粧をしない方法を考えてアートメイクを選んだのだが、日が経つと色が変わってくるのでケアが忙しい。そんな時にもっと良いものがあると勧められて行ってみたのがファインメイク。色が変わらないし長持ちするというので試してみた。きびきびしたいかにもキャリアを積んだメークアップアーティストが対応してくれた。こちらの方法だと数年は色落ちしないという。今1回目の施術が終わってもうすぐ2回目の仕上げを待っているところ。1週間くらいはかゆいのを我慢。1ヶ月後に2回目の色入れをして出来上がり。これで数年、不精が出来る。以前通っていた美容院で面倒だから手のかからない髪型にしてといったら「きれいになるのに面倒くさがっていたらだめだよ」とこっぴどく叱られた。それはそうだけど、人には才能があって、お化粧の上手な人、下手な人がいるのはしょうがない。私は下手だからなるべく手がかからないようにしたい。美しい人のお化粧時間が長いのは、自分の顔を見ていても飽きないから。私はみているとムカついてくるから30秒。




















2013年6月28日金曜日

お天道さまに顔向け

美容外科に行ってレーザーピーリングやケミカルピーリングをしているので、紫外線は大敵。ピーリングをしたあとだけでなく、日常でも化粧水すらダメという厳しい指導なので、ふだんは全くすっぴん。最初のうちは化粧品をつけないのは怖くて、きっと3日もしたらシワシワガサガサになってしまうと思っていたら、それが意外にも朝目が覚めたときの顔は自分の内部から染み出してくる皮脂でうっすらとおおわれて、スベスベしている。いままでどれだけ無駄に化粧品を使わされていたことかと、化粧品会社に恨み言を言いたくなる。しかしこれも、よほどの覚悟をしないと信じられなくて、大抵の人なら途中でこわくなって化粧品を使ってしまうと思う。私はおそろしく不精者で、なおかつ人を信用しやすい。それで言われた通りやってみると、どれだけ化粧が面倒くさいものだったかと気付かされた。しめしめ、医者のお墨付きだから、化粧はしなくても気がとがめない。ただ、こういう手入れをしていると肌が敏感になって、外出するときが一番憂鬱になる。日傘と帽子、またはそのどちらか一つと指の先が切れた手袋。すこしでも日陰を歩こうといつも道の端っこを顔をうつむけて歩く。ここ1年ほどはお天道様に顔を向けたことがない。これを日陰者と文字通り呼ぶのだ。用事がなければ夕方になるまでは外出しないことにしている。今日はアンサンブルの練習が午前中で終わったので、ピアニストのSさん、ヴィオラのFUMIKOさんと昼食を食べにいくことにした。梅雨の晴れ間でもあり、久しぶりに日差しの中を歩くと、気持ちが良い。長い間日に当たっていなかったから、日光消毒されているような気分。
FUMIKOさんは最近お気に入りの楽器を見つけた。とても良い楽器で音色がめったにないほど魅力的。だから、いつもは気配りの人で自分のことはあまり話さないのに、今日は有頂天で楽器の話しばかり。他の話しをしていても又楽器の話しに戻る。よほどうれしいらしい。それでその場の全員がうれしくなる。日差しも仲間たちの気分もさわやかで、良い練習日であった。

2013年6月27日木曜日

逆らわない

私はもう年をとって尻尾が7本にもなろうかという化け猫。それでも未だヴァイオリンを弾く仕事も時々はもらえるというのも健康で故障がないから。肩も腕も指も以前のように素早く動かすことは出来なくても、オーケストラの早い曲にもなんとかついていける。これは生まれつきの体の柔らかさ(親に感謝)もあるけれど、物事に逆らわないという性格の賜物かもしれない。音楽で身を立てるなんて自分自身も親も夢にも思わなかったから、初めての先生は近所のアマチュアのお兄さん。それでも譜読みが早く集中力があったから、曲はすぐに弾けてしまう。ところが難しい曲は弾けるようになっても、基礎的な例えば楽器の構えかた、左手の指の運びかたなど、基礎のところがしっかりと出来ていないまま、音大を卒業してしまった。だからどこもかしこも力が入っていて、腱鞘炎になりかけるし音はでないし、そのままではすぐに壊れてしまったことだったろう。それでも自分で色々考え本を読み、人の言葉に耳をかたむけているうちに、なにがいけないかが見えてきた。すべては重力にさからうなということが。長年音に対するコンプレックスがあって、豊かな響きが出ないのは私の力が足りないからだとおもっていた。そしてぐいぐいと押し付けて弾くくせがついてしまっていた。それが全く逆だとさとったのはずいぶん後にになってからだった。まず楽器は顎ではさむのではなくて肩と鎖骨に載せるもの。それが大事なところで、今だに顎ではさまなければポジション移動が出来ないじゃないかと言う人がいるのは驚きだ。そういう人にはやってみせてあげるから私の処へ見に来てくださいな。顎は軽く載せるだけ。顎に力が入って肘肩を上げているなんて不自然な形は、長時間の演奏に耐えられるわけがない。かならず故障する。肩をおとすと肘も下がる。そして腕の重みは弓に載っかる。弓はその分重くなって、無理に人差し指などで押さえなくても大きな音が出て、しかも押さえ付けられない分振動が止まらず、豊かな響きになる。左手の指の形も又、自然に音程がとれるようになっている。左手を下から楽器の処まで持ち上げる。そのままの形で指をおいて行くと人差し指は丸くなるが中指は少し伸びる。薬指はもう少し伸びて小指はほぼまっすぐになる。それを無理して全部の指を同じように丸くしないといけないと思っている人がいる。その分余計なことをしなければならなくなる。音程が崩れる。この悪循環は自分でものを考えないところに原因があると言ってよい。考えれば自然な形がどれほど必要か、そしてヴァイオリンを弾く姿勢がどれほど理にかなっているかが分かる。ものごと全て同じだと思うのは、楽器に限らずどんなジャンルの人でも名手の言うことは皆同じ。「力を抜きなさい」と。重力に逆らわなければ力は抜ける。でも言うは易し、行うは・・・本当に難しい。














2013年6月26日水曜日

梅雨の悩み

この季節湿度が高くて弦楽器奏者にとっては悩みが多い。しかし最近はコンサート会場も空調が完備されているから会場に入ってしばらくすると、外の湿度はあまり影響がなくなるので助かる。かつて日本にあまり良い会場が無いころには、学校の体育館や公民館などの空調の設備のロクに無いところで弾くことも度々だった。そんな時代ではこの季節は最悪で、場合によってはトタン屋根に落ちる雨の音が伴奏してくれることもあって、風情があるっちゃああるが、手も楽器もベトベトで調弦を何回しても音が狂って最悪だった。
今朝弓の毛を交換しにHさんのところへ出かけた。「弓の」Hさんと言って先代から弓の専門店として有名だった。1度私が教えている教室に近い楽器やさんが弓の毛替えを安くやるというのでお願いしたことがあった。それはHさんの処の3分の1の値段で、半引退した貧乏音楽家にはありがたい話しだった。しかし、出来上がりはどうしても納得がいかない。弓の途中で突然バランスが崩れる。もう一度張り替えてもらった。今度は技術者も必死でやったそうだけどやはりだめで、いつものHさんにもう一度張り替えてもらうしかなかった。結局安物買いの銭失いになった。それからは絶対にHさんのところにしか行かないので、先代から何十年もお世話になっている。最近息子さんがあとを継いで腕のいい職人になって、安心して任せている。今日は土砂降りで、こんな湿度の高い日はかれらも大変らしい。受け取りにいくと珍しく気弱そうに、「今は湿度が高くて張り替えに苦労します。高い湿度に合わせて張ると、エアコンを効かせたときに又張りがかわってしまうので、大変難しいです」と言う。なるほど、彼らにとっても日本の梅雨時は苦労が多いのだなと思った。前にも書いたけれど、教室に近い楽器やさんはこのHさんを尊敬していて、私がクレームをつけてHさんに張り替えてもらったときに、ぜひ見せてほしいと言ってきた。眺めながらほとほと感心して、なにがすごいかというと弓の元の方の毛がかすかに内側に巻き込んであるのだそうで「これは本当に世界でも数人しか出来ない技術なんです」と言って写真を撮っていった。

2013年6月24日月曜日

えろいんぴつ

世界一狭い川(海の間違い)という10日ほど前の投稿で、潮干狩りを匕オシガリと書き間違えたことについて、江戸っ子ですねえとのコメントをいただいた。私は神奈川県っ子なのだが、母親は神田ではないが東京生まれ。東京弁といえるような言葉を使っていた。今の標準語とも少し違う。例えば「あそこの」は「あすこの」、「水が漏る」は「水がむる」とか。もう少しあったけどもう忘れてしまい、落語なんぞを聞くと、時々ああ、母親と同じと思う。「し」と「ひ」の区別が出来ないのはステージマネージャーだったSさん。仕事に行くと「ねえSちゃん、今日のしかえひつ(控え室)はどこ?」などと訊いてからかったものだった。私のスキーの先生も重症の取り違え派。「皆さんのしざは・・・」などと言うから何のことかと思うと膝だった。空っとぼけて「先生、私の体にはしざがないのですが、どこのことでしょうか?」と言うと青筋たてて怒るのが面白くて、何回もしつこく繰り返した。そのうちに気がつくと先生は必死で(しっひではない)言い間違えないようにするようになったのでつまらなくなった。北関東のどこかの都市では「え」と「い」が逆になるところがあるらしい。だから「いろえんぴつ」は「えろいんぴつ」になるそうで、なんだかそれだけ聞くとすごい感じになる。「エロ淫泌」なんて字をあてはめると字面からしていかにも淫靡な。燕尾服は「淫靡服」となる。はい、ここまで。これ以上下品になるとお里が知れてしまう。お里は神奈川だから「・・・じゃん」と言うのは私たちの子供の頃使っていたのが、いつの間にか全国的になってしまった。東京から引っ越してきた同級生のお母さんがその娘に「・・・じゃんなんて下品な言葉を言ってはいけません」と言うのを聞いて、ちょっとショックを受けたことを思い出す。今は「じぇじぇ」がはやっているようだけど。

2013年6月23日日曜日

おやかた、やまかず

運命はこのように戸を叩く。ダダダダーン。世界中の人が知っている交響曲「運命」を生まれて初めてプロのオーケストラで弾いたときの指揮者は故近衛秀麿氏だった。中学生の時から「朝日ジュニアオーケストラ」で弾いていて、コンサートもよく聴きにいっていたから将来はオーケストラに入りたいと思っていた。それでも音楽的な環境の家ではなかったので、基礎的な勉強はさせてもらえなかった。母は歌舞音曲などを選ぶなんてとおかんむりで絶対にサポートしてもらえず、私はなんの知識もなく一人で勉強するしかなかった。勝手に願書を出して奇跡的に音大付属高校に合格してしまったので、母はますます慌てて、それでも子供の自主性は尊重していつか真っ当な道にすすむことを願っていた。大学進学の時にも普通の大学に進むようにと、しきりに言っていた。気の毒だが私は音楽街道をまっしぐら。それでも今きちんと自立出来るのも、ヴァイオリンを弾いていたお陰と自負している。オーケストラは中学生の時に演奏を聴いて感動してここに入ると勝手に決めた東京交響楽団。おそろしいことに夢は実現してしまった。そして久々に「運命」を聴いて思い出したこと。
近衛秀麿さんは楽団員から愛情を込めて「おやかた」と呼ばれていた。指揮が分からないということでも有名で、初めて運命の冒頭を振り下ろされたときにはどこで音を出したらいいのか分からない。ひとしきり壁塗りのように腕を振り回したあと、一番下に下がった処で音が出た。はあー!こういうものなのかと感心した。よく皆出られるものだ。しかし馴れてくるとこれほど純粋で分りやすい指揮はないと思えるほどになってきた。皆、分からないと言うけれど私はすごく良く分かるようになって、近衛さんの時は非常に楽しかった。やはり分りにくいと有名な山田一雄さん。「やまかず」と呼ばれどこのオーケストラの人たちからも愛された大御所だった。やまかずさんのときには楽員もにこにこしているが、困ったことにおそらくちゃんと振れるのにそうしない。彼は棒なんかどうでも音楽はわかるでしょう?というつもりだったのだと思う。あるときメシアンの曲をやっていて団員から苦情が出た。するとやまかずさんは「じゃあ、こう振ればいいの?」と言ってきちんと振ったので皆驚いた。それでも次の日にはもとに戻ってしまっていた。けっきょく棒のテクニックでなく、音楽をわかっていれば演奏は出来ると考えていたのだろう。ステージから落ちたり、指揮台にヒラリと飛び乗って勢い余って飛び越えてチェロの前に着地したり、この手のエピソードには事欠かない。
お二人は棒を振っていたのではなくて、音楽を表現していたのだと今にしてようやく理解できる。いやしくもプロのオケマンは棒を逐一見るのではなく、音楽を感じて自主的に弾くものなのだ。晩年のカール・ベームが「フィガロ」を指揮しているのを見て、ウイーンフィルのメンバーがあれでよく弾けるものだと思ったが、指揮者はメトロノームではなく表現者なのだと思って自分から積極的に音楽を同化させていけばいい。










偶々

5月に聴いた合唱のコンサートのことを書いたnekotamaの中に誤りがあったそうです。70歳を越えてなお美声を聴かせてくれたのは、バリトンの方かと思ったら、ソプラノの方だそうです。勝手に年をとらせてしまったバリトンのソリストさま、ごめんなさい。もちろんソプラノの方はとてもそんなお歳には見えなかったし、あ、でもバリトンさんがそう見えたわけではなくて・・・あわわ、言えば言うほど事態は悪くなるので、ではまあ、この辺で。今日文京シビックの音楽室へ弦楽アンサンブルの指導にでかけたところ、エスカレーターの上りと下りですれ違ったのが、その時のコンサートのメンバーだった。nekotamaに書いたコンサートの部分を読んでくれたらしい。「あれねえ、間違えているわよ。71歳はソプラノのソリストよ」といいながらすれ違って行った。彼女は別の合唱団の練習に参加しに来たらしい。よくドラマなどで恋人同士や仇同士のように深い縁の人が気がつかずにすれ違っていったり、とんでもない処で出会ったり、あれは作り話だからかと思うとそうでもないと思ったことがある。これも以前nekotamaに書いたと思うけれど、ある日、車で甲府からの帰り道、中央高速の調布インターで下りて、間違えようにもない道を間違えたことがあった。高速を下りてすぐ、最初の信号を右折するのがいつものコース。今まで何十回となく使っていて1度も間違えたことがないのに、その日に限って信号を右折するところを直進してしまった。すぐに気がついて次の信号を右折、どちらにしても多摩堤のほうへいくからかわりはないと思って走っていると信号が変わるところだった。黄色で突っ切るか止まるかまよって、結局停車した。歩行者用の信号が青になって渡っている人を見たら、なんと知り合いのヴィオラ弾きが二人。むこうもこちらを見て驚いた。車を止めてどうしてこんな処にいるのかと尋ねると「後ろをみてごらんよ」と言うので振り返ると病院があって、そのベランダからパジャマ姿の男性がこちらを見ている。なんとやはりヴィオラ弾きのTさんだった。私はこの場所に今まで来たこともない。道を間違えなければおそらく2度と行くこともないだろう。しかも信号を黄色で突っ走っていたら、二人の知り合いに気がつかなかった。場所と時間の偶然が重なってお見舞いに行くことになった。どう考えても不思議でたまらない。都会の真ん中でだったら会う確率も大きい。音楽練習場で音楽に関わる人に会うことは珍しくはない。しかし畑の方が多いようなところで3人もの知り合いに会うなんて。



2013年6月21日金曜日

ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団

武蔵野市民文化会舘大ホール
指揮 ミヒャエル・ザンデルリンク
ベートーヴェン  
交響曲第6番「田園」  第5番「運命」

このようなポピュラーなプログラムはマニアックな人にとって、ふん!と言われかねないが、あらためてこの2曲がいかに傑作であるかを思い知らされたコンサートだった。今日初めて気がついたのは、私が客席でこの2曲を聴いたのはほとんど今までなかったということで、運命などはおそらく100回を超えるほど弾いていると思うのに、客観的に改めてベートーヴェンの素晴らしさを認識しなおした。なんという崇高で剛直でそれでいてデリケートな曲なのか。1曲目の「田園」が始まったとき、おや?と思ったのはティンパ二がものすごく湿気った音を出したことで、おそらく開演寸前まで楽器の搬入口が開いていたとか、そんなことはないにしても、かなりの湿気がどこかから入っていたに違いない。空調が効くのが遅かったのかもしれない。とにかくひどく音がこもっていて、奏者は苦労しているだろうなあと思った。休憩のあとは乾いて鳴り始め、すごくいい。弦楽器もそうだが、今の季節、湿気には苦労する。単に叩きかたの問題だったのかはよく分からない。いつも外来の演奏家は魅力的、なにが違うかというと持っているハーモ二ー感。ズシッと下の方から鳴ってくるえもいわれぬ響き。日本人は本当に上手くて決して欧米人に技術では負けていないのに、日常の生活にハモる場面が少ないから、上手く響きを捉えたにしても彼らの持つ天性の地鳴りのような響きが今ひとつ出ない。これは言葉の発声や教会のコーラスなどで培われるものかもしれない。客席で聴いているうちに涙が出そうになった。感動してというより自分で弾きたくて。雀百まで踊り忘れず、業が深すぎるのか。

台風接近

大雨をもたらす台風が九州地方に上陸らしい。テレビで川の氾濫や避難している人たちの映像が流れている。これが先週だったら小豆島へ行くのに難儀したに違いない。毎年西日本は大変だなあと思っているが、最近は関東地方でも竜巻やスコールのような熱帯地方のような気象状況が多くなってきた。ひたすら暑さに弱い私としてはこの先更に熱帯化が進んだらどうしようかと怯えている。知り合いに嵐女がいて、彼女と一緒にいると大風や土砂降りに遭うことが多かった。松本で一緒の仕事の合間に美ヶ原にドライブした時など、バケツをひっくりかえしたような雨で、車のドアを開けることすら出来なかったこともあった。彼女と一緒に飲みに行く日はほとんど雨、それもひどい大雨。
あるとき箱根の彫刻の森美術館でビールの新作発表キャンペーンがあって、そこで小編成のオーケストラで演奏してもらいたいという仕事を依頼された。人選は私に任されたから選りすぐった美女で飲兵衛の名手を揃えてみた。その仕事の素晴らしい所は、弾きながらビールを美味しそうに飲んでほしいとのこと。美人でお酒好きで腕が良くてとなれば嵐女の彼女はうってつけ。だが、しばし考えた。もしお天気がよければ美術館の庭園で日暮れから演奏、雨が降れば館内で。館内では面白くない。嵐女を呼べばきっとなにか起きる。でもいつも一緒に飲みにいくと本当に美味しそうにお酒を飲むし、たいそう美人で腕もいいとなれば呼ばないわけにはいかない。ついにやぶれかぶれ、どうなったってお天気のせいなんだから関係ないさと腹をくくって出演をお願いした。当日はよく晴れていたのに、夕方近くなると少し霧雨もようなので、いつでも屋内に逃げられるように館内にもステージを用意してもらった。日が暮れて雨はやんだ。本人も気にしていたけれど、これで嵐女返上かと思っていた。が、しかし、突然風が強くなってきた。楽譜はこんなことを予想して洗濯バサミでしっかりと譜面台に固定してあった。その譜面台が倒れそうになるのでマネージャーが押さえていてくれた。ワグナーの「夕星の歌」を演奏し始めた途端、突風が起きて、楽譜が薄いからかるく一ヶ所だけ固定してあった洗濯バサミをスルリと抜けた。そして箱根の森の下から吹き上げる風に乗って、はるかかなたにアッと言う間に飛んで行ってしまった。思わず近くにあったマイクを取り上げて客席に向かって「夕星が流れ星になってしまったのでこれでおわりにします」と言ったら、オケのメンバーには受けて大笑い。観客はポカンとしていた。終了後、やはりあなたは嵐女ねと攻められた人は、それでもうれしそうに美味しそうにビールを飲んでいた。丁度今頃。季節が悪かったことにしよう。






2013年6月20日木曜日

トレーニングパンツ

最近始めた筋トレ。ジムに通って時々汗を流す。この先年をとって筋肉が衰えると姿勢が悪くなってヴァイオリンを弾くのに支障が出るといけない。ヴァイオリンをはじめた最初から支障だらけだが、それはさておいて、まず長時間立っていられないといけない。体が曲がっていると良い音は出ない。楽器を弾くのは意外と重労働で、はたから見ているといかにも楽そうに見えるらしいが、これがなかなかどうして、特にヴァイオリン、ヴィオラの様に持ち上げていないといけない楽器は体への負担が大きいから、かなりの人が早くリタイアする。そこをなんとかもう少し弾いていたいので、筋肉をつけると同時に柔軟にしようという目論見でトレーナーにお願いしてプログラムを組んでもらっている。自分でもできそうな気がするけれど、自己流でやって筋肉を痛めたり、又こんな時ばかり負けず嫌いになってやりすぎる性格だから、トレーナーは絶対必要になる。一週間に一度位やっても効果がないかとおもったら、どうしてどうして、最近電車に乗り遅れそうになると、とっとと走れるようになった。しかも8センチもあるヒールで新宿駅を走ったときには我ながら驚いた。3回目のレッスンを受けたころだから、この先トレーニングを積んだらスーパーウーマンになれそうな。初めて行った時、何を着ていいかわからなかったから、ふつうのパンツとTシャツを着ていった。それでも構わないと言われたけれど、そこはやはりトレーニング用のすごく良いものが出ていると思うので、着ているとやる気の出るような素敵なものはないだろうかと探すことにした。ネットで「トレーニングパンツ」と入れて見ると、おむつが出てきた。思わずポカンとしてしばらくなんだか訳が分からずにどんどんスクロールしていっても、次々とおむつが出てくる。やっと気がついたのは、赤ちゃんがおしめをはずすためにトレーニングするためのおしめカバーみたいなものらしい。子育てしたことがないから知らなかったが、今時の子供はこんな便利なものをつかっているのがわかった。そういえば、むかしの子供のようにおしめでお尻がふくらんでいる子は、今時みあたらない。さて、私が必要とする筋トレ用のパンツは一体なんと検索すればいいのだろうか。トレーニングウエアで検索してもどうもパッとしないので,こればっかりはスポーツ用品のお店でじっくり選んだ方がいいのかもしれない。そのうち大人用の「トレーニングパンツ」が必要になったら、ネットで探せるのがわかったのが収穫だった。






2013年6月19日水曜日

ナメクジ考

やっと梅雨らしくなって、梅雨入り宣言後中々雨が降らないで肩身の狭い思いをしていた気象庁の予報官たちもほっとしているにちがいない。今日は夕方から大雨大風の注意報が出ていたのに、穏やかな夕方になってしまった。朝出かけるときは雨が降っていないのに長いレインシューズを履いている人をかなりの人数見かけた。予報が外れて天気予報を真に受けたことを後悔していると思う。ムシムシするのにゴム長では、足が蒸れて今頃いやな思いをしているかもしれない。この季節は植物の成育や貯水などに必要な時期なのに、なぜこんなに鬱陶しいのか。洗濯物は乾かない。カビがはえる。頭が重い。それでも紫陽花の群生や瑞々しい植物たちを見ると風情があっていいなあと思う。ジメジメしたところによくいるのは、カタツムリとナメクジ。これが同じ種類のものとは今まで知らなかった。ナメクジが殻をつけたのがカタツムリなのか、それともカタツムリが殻を脱いだのがナメクジなのかどちらかというと、カタツムリが殻を脱いでナメクジになったのだそうだ。だから彼らは同じ種族であるらしい。どちらでもいいや、どちらも気持ち悪いという声が聞こえてきそうだけど、同じ種族が、片や殻をとりさって自由に動き回れることを選び、片や硬いものに隠れて保身するようになったことの別れ道って一体どこにあったのだろうかと考えると面白い。さしずめ私ならナメクジ人生を選択する。軽々(?)と動き回れるけれど、鳥や小動物に見つかったらひとたまりもない。面白半分に塩をふりかけられる。それこそ、身の縮む思い。対してカタツムリ派はゆっくりでも確実に身を守れる。さてどちらが賢いのでしょう。

2013年6月18日火曜日

私は女性なのに

毎日毎日、迷惑メールが携帯に送られてくる。斜めカメラ目線でこちらに向かい色っぽい女性の写真がほほえんでいる。一体あなたはだれ?あのー、私女性なんですけど。一応女性のつもりではおりますが、うーん、時々というか仕事場では男性になってしまうこともあります。大元は女性として生まれてきましたのであしからず。そして拒否リストへ放り込む。毎日1通か2通、必ず入っているので目が覚めて拒否するのが日課となってしまった。あるときには大金が当たった、あるときには貸した覚えの無いお金を返したい、又は私を男性と勘違いしているメールの送信者から悪魔の囁きが送られてくる。一度これに対応したらどんなことになるのか試してみたい誘惑にかられるけれど、そのためにすったもんだするほど暇ではないから、とにかく拒否する。それで私の携帯の拒否リストはもう限界を越えて、一番古いものの上に上書きすることになる。なぜか一昨年イギリスに行った時、現地に着いたとたんこの手のメールが300通ほど送られてきた。かたっぱしから拒否してやっと納まって最近は来なくなっていたのに又この状況で、一体こんなメールを送っている人にはどんなメリットがあるのかしら。こんなメールにひっかかる人もいるから儲かっているんでしょう。送り手もなんかわびしい人生を送っているのだと多少同情することもあるが、しかし、中高生あたりで物事の判断がつかない坊やたちが親に内緒で登録したり、お金を振り込んだりしているかもしれないことを考えると許せない。なにが嫌いってこの手のズルい人間が一番嫌い。人様が額に汗して稼いだお金を巻き上げる。私は本当に偏見をもたないけれど、このような人はクズだと思っている。毎日メールをつぶしながら、なんだか猫の蚤とりをしているようだなあと考える。昔は毎日猫の蚤をとっても又どこかから湧いてきた。今蚤とりにはいい薬があって、うちの猫たちも一回それを使ったらもうすっかり蚤はいなくなった。そんな薬が迷惑メールを送る輩にも使えないものか。

2013年6月17日月曜日

クレメンス・ハーゲン、河村尚子コンサート

名器ストラディヴァリのチェロの音色を堪能してきた。武蔵野市民文化会舘小ホール。ピアニストは数々のコンクールでの入賞、ヨーロッパでも日本でも大活躍の河村尚子。チェロはクレメンス・ハーゲン。昨日小豆島から戻っていささか疲れたのでゆっくり寝ようと思っていたら、早朝からたまさぶろうの起きろコールが響き、ついに寝ていられなくなっていつもと同じ時間に渋々寝床を抜け出した。午前中はパソコンで少し遊び、さていつもの練習をはじめようと思ったときにカレンダーを見ると、今日は武蔵野文化会舘にコンサートを聴きに行く予定が入っていた。何気なくチケットを手に取って眺めたら、おやまあ、今日はマチネーだった。気がつかなかったらいつもの7時開演と勘違いして、夜出かけるところだった。そんなわけで今日は練習をやめて急いで出かける。だんだん私も危なくなってきた。今日は気がついたからよかったものの、この先こんなことで演奏会を聞き逃すことが出るかもしれない。危ない!
今日のチェロはさすがに響きがすばらしく、揺るぎないテクニックとほとばしる情熱、聴いていて大きな波に飲み込まれそうな、それを避けることなく飲み込まれてしまいたい魅力的なうねり。特に低弦の響きはめったに味わえないほどの充実感だった。それに対し、今旬のピアニスト河村尚子はおそろしく正確で、鮮やかに早いパッセージを決めていく。お見事!しかし、私の主観ではあともう一歩、チェロに譲ったら?と思えることが随所にあり、もうひと息、揺れと躊躇いがあったらもっとすばらしいかった。これは贅沢な希望かもしれないが、あまりの見事なテクニックに緩みがなさすぎて、いささか疲れた。もう少し力を抜いてほしい。でないと、叫びっぱなしの声を聴いているようで、せっかくチェロがソットヴォーチェで弾いている裏側から、はきはきとした言葉が聞こえてくるような、そんな違和感があった。文句のつけようがないほど正確で音がクリアなので、耳がやすむ暇がない。ステージマナーも自信に溢れていて、まるでソプラノ歌手のようだねと同行のピアニストと話した。すべてが堂々たるものなので、竹やぶを渡るかそけき風の音を愛する日本人である私には、少し鬱陶しい。ピアノコンチェルトならともかく、ソナタですから。チェロをねじ伏せてどうする。決してチェロが弱い訳ではなく、名器の持つ最弱音から最強音までの音色を生かしたチェロの演奏にとっては、ピアノが一本調子すぎるということだった。ほんの少しデリケートさが欲しかった。






瀬戸フィルハーモニー交響楽団

今回小豆島でのコンサートは瀬戸フィルハーモニー交響楽団のファミリーコンサート。瀬戸フィルは地域の音楽文化を活性化するために2001年に設立された若いオーケストラで、現在は公益社団法人となり(と言っても私にはどんな組織なのかわからない)四国に根ざした様々な活動を行っているようだ。若いメンバーに聞いても皆さんあまり組織のことなど詳しくなくて、さあ、どうなんでしょうと言うばかり。演奏者はほとんどの人が演奏にしか興味がなくて、自分が弾けるか弾けないかが一番の関心事だから、しち面倒くさいことは知らないことが多い。地域にすっかり溶け込んだ形のこのようなプロオーケストラが出来ることは本当に喜ばしい。ドイツの各都市にオーケストラがあり、イギリスには工場毎にブラスアンサンブルがあるように、このような形で地域が一体となって支援しながら、子供たちの音楽、情操教育に役立て、地域の音楽家たちの生活を支え、地元の人々の楽しみでもある理想的な姿かもしれない。詳しく訊いてみたわけではないから楽団員の生活はどうなのか分からないが、オーケストラが各地に出来れば、音大を出てオーケストラに入っても東京での生活が苦しい日本のオケマンたちが、生まれた地元に帰って活動出来るというもの。今回のメンバーの中にいた四国出身の若きヴァイオリニストが、某オーケストラのオーディションに受かって東京に行ってしまう。なんと入団テストの倍率は80倍だったそうだ。今オケに入るのは大抵の場合その位の狭き門で、彼は地元四国の期待の星として東京の有名オーケストラで活動を始めるらしい。メンバーは皆若く、テクニックもあって、プロコフィエフの古典交響曲のようなテンポの恐ろしく早い曲もなんなくこなす。私は息切れ状態。若者たちは本当に上手い。私はどんどん劣化していく。残念ながら事実だから目をそらすことは出来ない。唯一つ、私を見ていると実に楽しそうに弾いているそうだ。見ている人が皆そう言う。それだけが取り柄。本当は緊張で張り裂けそうなんですが。

2013年6月16日日曜日

世界一狭い川

昨日朝岡山港を出て小豆島についた。私は晴れ女だと思っていたのがどうしたわけか土砂降りの雨。午後から練習が始まった。モーツァルトのドンジョバンニ序曲、チャイコフスキーのロココの主題による変奏曲、そして、プロコフィエフのシンフォニー1番古典交響曲。プロコフィエフをいきなり1週間を切って頼んでくる方も引き受ける方もどうかと思うが、来てしまったのだからやるっきゃない。猛烈に早い。まあ運を天にまかせる。今日は本番。昨日とはうってかわって上天気で、強烈な日差しが眩しい。本番前に会場の外をぶらついてみた。川の上が歩道になっていて散歩しながら時々立ち止まっていると後ろから私よりももっと小さい年配女性に声を掛けられた。もっと日陰に入るように促され、立ち止まると、この場所の説明をし出した。これは川のように見えるけど本当は海なんだよ。私ら子供の頃はヒオシガリをしたもんだ。私は去年までバイクに乗っていたけど、娘が止めるから自転車に替えた。もう86歳だからバイクを持ち上げられなくなってねえ。とてもそんな年齢には見えない。そりゃあ辛いこともあったけど、それを笑いに変えるの。そう言って元気なひとは自転車で行ってしまった。恐れ入りました。

2013年6月14日金曜日

出発

天気情報によれば西日本は昨日の気温37度、よく晴れているらしい。こちらは雨模様が続いてようやく梅雨らしくなってきたというのに。小豆島でのコンサートのリハーサルは明日からなので明日朝の出発でもよかったのだが、そうすると朝4時半起きしなければならない。いくら新幹線で時間が有り余っても昼間はあまり眠れないから、今日のうちに岡山まで出てしまうことにした。岡山には21時頃到着。ホテルで、たまさぶろうに邪魔されることなくゆっくりと寝ようという魂胆だが、旅に出るとうれしくなって夜更かしをするのがいつものこと。夜到着して街を一回りしてちょっと軽く飲んで、なんか楽しくなって眠る。とくに岡山はすごく印象の良い街で、学生時代、列車の時間待ちで岡山駅付近の喫茶店に入ったことがあった。なぜか果物を沢山もっていたので、図々しくも皮むき用にナイフを貨してほしいと頼むと、マスターが自分がむいてあげると言う。そして出てきたのはきれいに盛り付けられて、生クリームまで添えられた立派な一皿。もちろん料金はとらなかった。そして近年では、岡山駅で楽器を背中に背負い荷物を持って階段を降りようとしたとき、横からさっと私の荷物を持ってくれた人がいた。スタスタと階段を降りて荷物を置くとさっさと行ってしまった。私は小柄だから楽器も荷物もすごく大きく見えたにちがいない。それでもこんな風にスマートに親切な人はなかなかいない。岡山の男性も捨てたもんじゃ無い。人が親切で果物がおいしい岡山よいとこ一度はおいでよです。明日朝フェリーで小豆島へ渡る。ちょうど台風も行ってしまい、タイミングよく良いお天気が続きそうでうれしい。遊びに行くわけじゃないので緊張はするが、旅の楽しさも味わえるのがこの仕事のうふふなところなのだ。

2013年6月11日火曜日

船旅はお好き?

この週末小豆島へ演奏しに行くので、岡山からフェリーで行くことにした。船はきらいで、どんな船にも船特有の匂いがあるのでまいってしまう。鼻が悪いくせに、こういう時だけは敏感になる。スキューバダイビングをやっていた頃はボートに乗って沖に出た。いつもデッキでワクワクして、潮風を受けながらインストラクターの注意を聞いたり準備に忙しかったから、酔うこともなかった。むしろ海中での波酔いがきつかった。オーケストラにいた頃はほとんどの演奏旅行は車で行った。今のようにどこにでも橋が架かってはいなかった時代なので、フェリーに乗ることが多かった。九州までは川崎から、大阪(神戸?)まで行くのも確かあったような記憶がある。北海道には仙台からフェリー、たまに列車で青森まで行って青函連絡船で津軽海峡を渡る。夜中青森について連絡線までの陸橋を渡るときは眠くてふらふら、今思えばよくそんなハードなスケジュールでその日に本番ができたものだ。当時のオーケストラの男性たちはすごく親切で、列車を降りたとたん数本の手が私の荷物に伸びてきて、楽器からハンドバッグまで持ってくれて、あっという間に階段の上まで運んでくれた。オケの男性は総じて女性に親切。オケを辞めて世間に出たら、私が開けたドアをすり抜けていく男性がいるのにはびっくり。いつもドアは開けてもらえたのに、なにこれは?とくに邦楽の世界は男尊女卑だそうで、邦楽の人たちと長い演奏旅行に出たときには、お琴や三味線のおねえさんたちと話をすると、ドアを開けてもらえるなんてとんでもないと聞かされた。今でもそうなのかしら。それはおいて船の話し。宮崎に行くフェリーに乗ったことがあった。川崎を出港してものの10分位経った頃、いきなりドーンとものすごい衝撃音と揺れが来て、船底で遊んでいた麻雀牌がひっくり返ったことがあった。なんのアナウンスもなく何事かと思ったが、その後はゆれもせず順調に運行していた。車の処へ行ってみると大きなトラックが傾いて他の乗用車数台がつぶれていた。一体あれはなんだったのか今でも時々考える。波もおだやかだったし、障害物もなさそうだったし、それよりも何のアナウンスもなかったのがおかしい。たった一回ドーンと揺れたたけなのはどうして?なにかにぶつかったのならもう少しゆれが続くでしょうに。その時に船員に尋ねてみればよかった。青函連絡船で夜のデッキに寝転んで満天の星を眺めたのもすてきな思い出。伊良湖から乗ったフェリーはものすごい揺れで、車のシートを倒して寝ていると、波の下降するときに背中がシートから浮き上がるほどだった。いつも経費節約のために安い3等船室で雑魚寝で行った。あるときすぐ隣にいびきで有名な人が一緒にいたことがあった。今夜はねむれるかなあと心配したが、なんのことはない、わたしの寝つきの良さはその人のいびきに勝った。朝までいびきを聴くことはなくぐっすり、皆からよく眠れたねえと感心された。クリスマスイブに東京湾を出発して豪華船で一晩過ごすというツアーで仕事をしたことがあった。演奏が終ってお酒を飲むと、陸では考えられないほど酔ってしまった。私は笑い上戸だから仲間が面白がって笑わせる。箸をころがして「ほら、おかしいでしょう」と言われると本当におかしくてずっと笑って、最後には階段を両腕抱えられながら船室にもどった。階段で笑うので両腕を持ち上げている人たちも力が抜けてしまって大変だったらしい。こうやって思い出してみると、船旅もなかなか面白かった。ただ、飛行機ではいくら揺れても怖いと感じたり酔っことがないのに、海はなんだか怖い。空中よりも下に水の支えがあるからいいと思いたいが、海の底知れない深さに恐怖心がある。あそこに投げ出されたら、ぶくぶくと沈んだら・・・と考えるとやはり船は苦手。おかしいのは船では酔うのをやっとこらえているのに、陸に上がって地面が揺れなくなったとたん真っ青になる。緊張がとけるからかもしれない。















2013年6月10日月曜日

クーラーの不調

もうすぐ本格的な夏がやってくるのに、クーラーの調子が悪い。このクーラーは自分でお掃除するという機能がついているから油断していた。調子がわるいからフィルターさえ綺麗になればことは済むとおもっていたけれど、フィルターは汚れていない。そう言えばうちに来る度に「先生、クーラーのフィルター汚れていたら掃除しますよ」といってくれるおじさん生徒さんがいたから、結構掃除はしているはず。今日は改めて掃除をしてみたけど動かない。変なランプが点滅している。そこで取扱い説明書なる宇宙語で書かれた本を取り出して、四苦八苦して読んでみた。ちんぷんかんぷん。ついに製造元のサポートセンターへ電話をいれた。大変親切に説明されて、その通りやってみると動き出して第一関門は突破。これで安心と思っていたら第2のトラブルが発生した。今度はクーラーを入れても時間が経つといつの間にか停まっている。又説明書を読む。一度プラグを抜くかブレーカーを切ってから動かしてみてくださいと書いてある。やっと稼働し始めて安心してだらだらヴァイオリンなど弾いていると気がつくと停まっている。又説明書。どのような場合に途中で運転を止めてしまうかが書いてあるけれど、それすら理解不能。どれだけバカに出来ているのか。でも先日作家の椎名誠さんも似たようなことをエッセイに書いているのをみつけて、男の人にもこういう人がいることに驚いた。取説が読めないのは女性の「特権」だと思っていた。パソコンの師匠はどんな説明書もスラスラ読んであっというまに何でもなおしたり組み立てたり出来る。私はそれを眺めて男の人はすごいんだと思っていたが、男性でも個体差があることがわかった。すると女性でも取説が読める人もいるに違いない。女性は男性が取説をすぐに理解して仕事をやってのけるのを見て「うわー、すごい」と驚くのが仕事だと思っていた。椎名さんみたいな男性もいることはちょっとショックだった。製造会社のサポートセンターは、夜中でもサポート依頼の電話をかけてもいいそうだ。24時間体制でサポートされているらしい。今のところクーラーは順調に働いているが、あと30分もしたら止まるに違いない。多分あちらこちらめちゃくちゃに操作してタイマーか何かがセットされているのではないかと私の直感が言っている。こんなブログに投稿しているひまがあったら、ちょっと取説読んでなんとかすればいいのにと思うでしょう?それがそうはいかないんだなあ。出来ればハナっからやってるさ。




2013年6月9日日曜日

久々の西湘フィル

立ち上げの時から関わってきた西湘フィルには、最近とんとご無沙汰だった。初代団長の小田部ひろのさんがガンで若くして亡くなってしまってがっかりしたことと、練習日の日曜日には東名高速がひどく混むのと、土日に比較的仕事が集中するのと、色々理由はある。今日も帰り道は渋滞で3時間近くかかってしまった。久しぶりに顔を出すと、みなさん笑顔で迎えてくれる。やはり懐かしい。以前はトレーナーとして通っていたけれど、前述の理由によりトレーナーはやめて、コンサートの時だけお手伝いすることにした。6月30日に秦野市文化会舘で第2回目の定期演奏会が開催されます。すでに何回も定期公演はあったのに、途中で色々内部事情があって分裂してしまったので、新生の西湘フィルとしては2回目。なかなかメンバーが増えないのは悩みだが、同じメンバーがずっとやめないでいてくれるのがうれしい。アマチュアオーケストラはこの地域にもいくつかあって、それぞれの活動をしているらしいが、これを一まとめにすればメンバーも充実するのにとは部外者の考え。色々なテリトリーがあって、一まとめにはなりそうもない。ましてや、分裂したとあっては、まとめることは不可能かもしれない。せっかく作り上げたハーモニーを捨てるなんていかにも惜しい。それを惜しいと思わない輩がいるのだからしかたがない。オケの音色は作り上げるのに時間がかかる。我慢に我慢して練習を重ね、独自の響きを手に入れるには長い年月を要する。趣味のうちでも最もお金も労力も使うものだから、よほど好きな人でないとやっていけない。
今日はべートーヴェン「交響曲1番」とチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」の分奏に参加した。本当は来週の全曲練習に参加予定だったのが、来週の日曜日には小豆島でのコンサートに行くことになってしまったために急遽今日に変更した。分奏となるとほんの少人数なのでひとり々の音がもろ聞こえてしまうので、色々問題が噴出、あわなくなる原因はほとんどの場合、無駄な力を入れることから発生する。べートーヴェンの1番などは楽譜の見た目は簡単で易しそうに見えるけど、こういうのが曲者で、単純なほど難しい。どの音も一つとして無駄が無いから、音一つ疎かにすることも出来ない。それで簡単なものは難しいというパラドックスが成り立つ。その最たるものがモーツアルトで、絶対にどの音もミスは許されないから、世界中の音楽家の多くが一番好きで一番苦手なのはモーツアルトなのだ。このオーケストラでの私のパートはヴィオラで、なんと!チェロが8人もいるのにヴィオラは4人しかいないそうだ。こんなに差があってはバランスがとれない。どなたか志のある方はヴィオラを持って馳せ参じてください。いやもう、座っていてくれるだけでもうれしいです(これはうそ。弾かなきゃ輪ゴム飛ばしてやる)このあと数回練習があるので、経験者なら本番30日までには間に合います。たぶん西湘フィルのホームページ
http://orchestra.musicinfo.co.jp/~seisho/で申し込めると思いますので、ぜひぜひご参加お待ちしています。







2013年6月7日金曜日

ピンチヒッター

昨夜ヴァイオリンのKさんから電話があって、お母様の具合が悪いので来週の土曜日からの四国での仕事を替わってもらえないだろうかと打診があった。彼女の代わりはよく引き受けていたから今度も気軽に承諾した。彼女はお母様のことで気が気でないらしく、詳しいことはなにも言わずに今日楽譜をおくってきた。ところがスケジュールがなにも書いていない。一体どこへいけばいいのかも分からないので、彼女から聞いていた地元メンバーに電話をすると小豆島がコンサートの場所だという。二日間の日程だと思っていたら、何のことはない、悪くすると前後一日ずつ日程をとらないといけないかもしれないと分かって、慌てふためく。Kさんはお母様が大変な時だから電話にも出ない。小豆島の仕事をいれると他のリハに行こうと予定していた日をつぶされるので、他の日にリハの予定をいれなくてはいけない。しかも他のリハは来週の土曜日だったのを急遽明後日に繰り上げることになって、まだ時間があると油断していたから譜読みもしていない。明日は猛烈に練習しないと間に合わない。あーあ、こんなことなら安請け合いするのではなかったと思ったが、それはお互いさまで、私だっていつ交代してもらわなければならないことが起きるかもしれない。ここは、なんとか頑張って小豆島くんだりまで出かけよう。かつて日本中を駆け巡って仕事をしていたから、フットワークは軽い。どこへでも気軽に行くけれど、船を使うとなると気が重い。乗り物大好きでも一つだけ苦手なのが船で、油の匂いやむっとする船室、妙にゆっくりした揺れ動きなどが、どうしてもなじめない。一度釣り船に乗って一日中気分が悪くて伸びていたことがあった。大きな船ならそれほどひどいことにはならないと思うが憂鬱。それ以外は小豆島に行くのはものすごく久しぶりだから、楽しみではある。ネットで調べたら航空券は今頃ではもう早割使えないし、四国となると出張のパックツアーもみあたらないので、新幹線で岡山に行ってバスで岡山港に出る、そこから小豆島に行く船にのるのが安上がりでよさそう。旅費は飛行機代が出ないので、しかたがない。もっとも飛行機で行ったところで大して早い訳でもない。飛行機は新幹線みたいにホイと飛び乗れないから早めに行かないといけないし、最近航空会社が意地悪で、楽器の機内持ち込みについて色々難癖をつける。私がたまたま旅の仕事がなくなった年から、楽器を持ち込むのが益々難しくなったらしい。私が飛び回っていた頃は隣の空いている席をもらって、楽器にもシートベルトをかけて一緒に居眠りしながら乗っていける時期だったが、航空会社によってはものすごく意地悪をされた。楽器を預かるといわれても絶対他人にはあずけられない。チェロを預けたらひどい故障を負わされた話しはいくつもある。飛行機は楽器が一緒のときには乗りたくない。今回は飛行機を使わず、少し時間はかかるが新幹線で行ける距離でよかった。久しぶりの遠出はやはりワクワクする。






2013年6月6日木曜日

先生の引越し

若い頃よくヴァイオリンのレッスンに通ったN先生が引越しをされるというので、お手伝いに行くことになった。引越しを決めて自宅を売りに出したら、あっという間に売れてしまって慌てて引っ越すことになったそうで、楽譜や楽器の整理に困っているのでお手伝いに行きましょうよと、旧友のKさんから電話があった。長年活躍された方だから、膨大な楽譜の量だと思う。世田谷のご自宅にはせっせと通ったもので、私たちの青春時代の置き土産が又一つ減ることになる。先生は大柄で怖くてすべてが型破りだったが、優秀な門下生が多くて刺激を受けた。当時の発表会は今でも第一線で活躍している人たちが参加していたので、そのころその人たちも若かったとはいえ相当なハイレベルだった。先日古いプログラムが出てきたので見たら、大曲がずらりと並んでいた。そんな中でひときわ呑気な私がいるのだから先生も私のことは半分諦めていたと思う。それで、レッスンもなんだか先生はいつも笑っていて、あまりにも出来が悪いので笑うしかなかったのかなあと思っていたが、私が近年コンサートをしたときに聴きにきてくださって、他の人から「先生がほめてらしたわよ」ときかされたのがうれしかった。演奏よりもいつまでもだらだら続けていることへのご褒美の言葉と受け止めている。懐かしいレッスン室はダンボールが置かれ、足の踏み場もない。先生が使っていたヴィオラが一つ、もう弾くことはないからどなたか使ってくれないかとおっしゃるのでケースを開けてみた。もうおそらく何十年と封印されていたヴィオラが顔を出す。かわいそうにボロボロの弦と弓の毛が劣化でばさばさ。名前は非常に有名な製作者で、本物ならすごく高い楽器なのに、哀れな顔をしている。楽譜は3人でさっさと片付けて夜も更けたのでお暇する。名残惜しげに見送ってくださる先生が少し小さくなったような気がする。帰ってから早速ケースを開いて楽器を取り出して格闘がはじまった。まずボロボロの弦を張り替えて、言うことをきかない糸巻をギシギシ回す。やっと正しい音に調弦出来たと思った途端、緩んでしまう。一本合わせていると他の一本が緩むといった状態でほとほと疲れた。夜も遅く大きな音は出せないから、そのまま放っておいて今朝、再度調弦に挑んだ。ペグ(糸巻)にペグチョークを塗って弦の巻き終わりがきっちり端につくようにするとやっと落ち着いて、音合わせができるようになった。柔らかく深みはあるが、長い間眠っていたのでかなり寝起きの悪い音がする。これがしっかり鳴り出すのはひと月くらいかかるかもしれない。楽器は弾いていないと眠ってしまうので、外国の名器を保存する博物館には毎日それらの楽器を弾く係がいるそうで、なんていい仕事なんでしょう。一日中名器を弾いていられるなんてうらやましい。そんな仕事はないかしら。








2013年6月4日火曜日

音響

前の投稿に対して、会場の前の方だとあまり音が良くないことを知らなかったというコメントいただきました。そうなんです。例えば身内や友人のコンサートで顔の表情まで見たいとか、演奏者の指使いがしりたい、オペラだからあまり遠いとお芝居がよく見えないなどという場合は前の方で見ることもあります。それはあくまでも見るということに重きがおかれた場合です。子供のおさらい会などで、音のだし仕方が未熟なら、どこで聴いても大差はありませんね。今回の弦楽アンサンブルなどは前の方で聴くとコンサートマスターの音が立ってしまって、全体のバランスがよく分かりませんでした。チェロもよく聞こえない。コントラバスにいたっては、存在するのかどうかもあやしい、となりました。なぜかというと音は上にいきます。そして弦楽器、とくにヴァイオリン,ヴィオラのように表板のF字孔から音が出る場合は、楽器より低い位置で聴くと裏板の下に耳がくることになり、折角の響きが伝わりません。私たちはソロを弾くときに楽器の向きを非常に気にします。ですからヴァイオリンの場合、体がお客様の正面にまっすぐにして立つことはありません。皆さん斜めに立って楽器の表板が客席を向くように、そして、音が会場のどこに向かえば反響がいいかをリハーサルでチェックします。それでステージでの立ち位置がきまります。弦楽四重奏などの弦のアンサンブルの場合ヴィオラは非常に不利で、たいてい客席から向かって右側(上手)に座るので、裏板が客席に向いてしまいます。チェロは客席に正面になりたいので中央に座りたい。それでチェロとヴィオラの間でより有利な場所とり合戦が繰り広げられることもあります。チェロはコンサートマスターの役割を持つこともあるので、ヴィオラはしぶしぶしたがう。ヴィオラ族が屈折した感情の持ち主が多いのは、そんなことにもあるのではないかと思います。ちなみに私はヴィオラ大好きで、本気でヴィオラ弾きになりたかった。でも、ご存知の様に私は非常に小柄なのでなれなかった。ヴィオラは楽器が大きくて、体格のいい人でないと扱うのに無理があります。最近はヴィオラも日の目を見るようになりましたが、かつてはマイナーな楽器として扱われていました。ネットで探せると思いますが、ヴィオラジョークというヴィオラのことをクソミソに揶揄しているサイトがあると思います。今あるかどうか知りませんが、一時期ガクタイの間で話題になりました。ひどいことを書かれてもヴィオラ弾きはいっしょにうふふと笑っているような人たちで、その辺も私の性格にマッチしています。もっとも、それぞれの楽器のジョークがあるそうなので、槍玉に上がっているのはヴィオラだけではなさそうです。かつてプリム・ローズというヴィオラの名人がいて、ヴィオラはソロ楽器としても非常に魅力的な楽器であることを世に知らしめたので、最近はヴィオラも市民権を得ています。とにかく今回のヴァシュメットのような素晴らしいソリストも数多く出ています。なんだかヴィオラ擁護になってしまいましたね。あの中途半端な音域ともそもそした音が大好きで、本当に色っぽい楽器だと私は思っています。さて、なんでしたっけ・・・あ、そうそう、会場の音響の話ですね。私も時々は東京文化会舘の小ホールでソロを弾くこともあります。私は上手側客席一番後ろのコーナーの対角線上に向かって、弾くようにしています。その辺から自分の音が戻ってくるのを聴きながら「今日は音が伸びている」とか「やばい、萎縮しているぞ」とか考えることもあります。そこまで行って戻って来るようなら、客席の隅々に届いていると思っています。どの会場でも上にいくほど雑音が消えて純粋に楽音が聞こえ、全体のアンサンブルも分かるので、私は1階なら中央通路後ろ、但し2階席の庇の下は最悪だからそこは避ける、2階の正面の前列などがいいと思います。この次コンサートに行かれたら、色々な処で試して聴いて見てください。会場も楽器の一部になるので、出来るだけ良い会場で演奏したいというのが私たちの切実な希望です。









2013年6月2日日曜日

バシュメット&モスクワソロイスツ合奏団

ピアニストのSさんとそのお姉様、葉山在住のMさんご夫妻ともう一人は医師のMさん、それに私の6人。横須賀まで出かけた。男性たちはSさんの亡くなったご主人の同級生たちで、本当ならここにいつもご主人がいたのだけれど、一人抜けてしまった穴埋めに時々私が参加することになった。始めのうちはご主人がなくなる前に予約をしたチケットが余ったので(涙)とお誘いだった。最近は他の人がいかれなくなったときや私が興味を持ちそうな公演の時にお誘いがかかる。今回は二つ返事で誘いに乗ったヴィオラ奏者ヴァシュメットのコンサート。彼の演奏は以前にもヴァイオリンのアッカルドとの共演で聴いたけれど、天上の音楽かと思えるほど美しい演奏だった。安い席を買って天井が近かったせいもあるかも。
今日は横須賀芸術劇場でのマチネーで、座席は前から10番目くらい。ステージが近すぎる。弦楽器奏者は自分の音を会場の一番後ろに飛ばして反響するように演奏するから、近くで聴くとよく聞こえないことがある。1曲目は合奏でモーツアルト「ディベルティメントK136」2曲目のシューベルト「アルペジオーネソナタ」これはもう悲惨なくらいソロヴィオラが聞こえない。耳をそばだてて、弦楽合奏の間からやっとソロの音を拾い出すようにしないとなにを弾いているのかわからない。これは客席の場所が悪いのだから、休憩後は2階席の後ろで3階席の庇より少し前に移動する。今日は客入りが悪くて好きな処にすわれたのがラッキーだった。そこへ移動したらなんと、目が覚めるような音が聞こえてきた。前の方はS席だが、私はいつもはその辺は買わないことにしている。ピアノならどこへ座っても音が聞こえないことはまずないけれど、弦楽器は楽器の向きや会場の音響によって、聞こえかたがおそろしく違う。楽器の音自体が小さいから、会場の反響を味方につけないと今日のように聞こえかたが全く変わってしまう。後半のプログラムはパガニーニ「ヴィオラ協奏曲」最後はチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」この2曲は全く前半とは比べ物にならないくらい素晴らしかった。良かった、始めのうちは今日のソロがあまりにも聞こえないので、彼の調子が悪くて病気ではないかと思ったもの。こんなに音の聞こえかたが違うのは会場の音響設計のミスではないかと思えるくらい。以前はステージ上にいたが、最近は客席にいることが多い。今まで自分の音がどんな風に聞こえていたのだろうか。音の届きにくい場所で聴かれたら嫌だなあ。9月には東京文化会舘の小ホールでほんの少々ソロが出てくるけれど、どうやったら隅々まで音を運ぶことが出来るか頭が痛い。
終演後は本日の目的の酒盛りにうつる。Mさんご夫妻のお勧めのお店は魚と日本酒が美味しい。やはり刺身には日本酒が一番いい。ご機嫌になった皆は横須賀の通称ドブ板横丁を見物しながら歩いた。日本でありながら外国にいるような不思議なお店が沢山あって、途中で又アイリッシュカフェなるバーでひっかかり、ジントニックやコーヒーで締めて帰途についた。昨日も友人の家でご馳走になり、今日もこんな具合では体重の増加はもう避けられない。明日からダイエット!がんばらないと。









はくさい?あじさい

基礎練習をしながらばんやりと窓の外を見ていたら、桜並木の川向うにチラッと白と紫の花が咲いているのが見えた。窓際に近よって見下ろして独り言「ああ、はくさいだわ。きれい」ん?はくさい?あ、そうそう、紫陽花でした。最近ものの名前をよく間違える。忘れる。キーボードの打ち間違えが多くなった。よそのブログにコメントして後で読み返すと、とんでもない変換のまま送信していたり。このブログは後で気がつけばミスをみつけ次第直すこともできるけれど、人様のものだとそうはいかない。読み返してアイタッー!となることもよくある。おっちょこちょい、せっかち、大雑把、性格がこうだから世の中のリーダーにはなれない。そのかわりやさしい人たちが寄ってきて面倒をみてもらえる。こう書いてきて途中ちょっとよそのサイトへ行ったら、最近のネットは恐ろしいもので、即広告が出た。それは知的栄養素に関するもので、知的な活動のための栄養素としてオメガ脂肪酸というものがあって、それは年齢とともに不足し、体の中で作られにくくなっていくのだそうで、だからサプリメントを飲めという広告だった。よけいなお世話。人間古くなったらボンヤリしてくるのはあたりまえ。ボンヤリしてこないとやたらにものが見えて辛いことになる。私の母が最後まではっきりしていて可哀想だったから、私は大いにボンヤリしようと思っている。人間だけでなく何でも天然物は劣化してくると思いきや、それがないのがヴァイオリン。私の楽器ももう三百年近く生きているのに、矍鑠としている。木が乾燥しているから軽いけれど、性格はきついから毎日格闘している。自分が死んでもこの楽器は次の世代に受け継いでもらうために、とても大事にしている。この次の持ち主が大事にしてくれるといいのだが。ネットで覚えた言葉はご主人様としもべ。これは猫に関することで、もちろんご主人様は猫、しもべは飼い主。お世話をさせていただくらしい。その点ヴァイオリンと私もそんな関係で、私を食肉として売った場合(脂だけだから売れないかも)ヴァイオリンの方が明らかに価値があるから、私は時にご主人となって言うことを聞いてもらえることもあるけれど、ほとんどの場合しもべとなって楽器にお願いして鳴っていただくことになる。私は決して高望みしない性格だけど、もう少し音をどうにかしようと毎日ガタガタしている。先日筋トレに出かけたらトレーナーに「ヴァイオリンはどのくらい弾くのですか、週一回くらい?」と聞かれた。そのくらいで仕事が出来るならこんな楽なことはない。週1の練習でいいとなると、ほかにすることが無くて退屈で死にそうになるから、毎日課題があってよかったと思っている。



































ことだもの。