2024年2月28日水曜日

続々と教え子たちが

最近私の身辺はにぎやか。準備が整って新生「古典」の最初の定期演奏会がまもなく開かれる。長い間の闇から抜け出して本番が実現した裏にはメンバーたちの聞くも涙の物語があって、本当にご苦労様でした。しかし序の口が良くても継続するにはもっと大変なエネルギーを必要とする。この先、誰がそれを支えていけるかが重要になる。

それでもやっと無事に演奏会が開かれる見込みができたことで私の気持ちはぐっと上がった。そしてやっと笑顔が出てくるようになった。ニコリともせずいつも暗い顔をしていた頃、人はやはり気まずい思いで私を遠巻きにいていた。気楽に話しかけるのも怖いので恐る恐るというように。

今年に入ってから声を出して笑えるようになった。以前はいつもコロコロと笑っていたのに笑い方を忘れてしまったかのように塞ぎ込んでいた私は、人生の最後のときにつまらないことになってしまったこと、それが私の人を見る目のなさを暴露するものであり、それによって残り僅かな人生が寂しいことになってしまったという後悔や悲しさで毎日胸が痛んでいた。家にこもり猫と二人っきり、もうこのまま沈んでいこうかとも。

それがやっと目の前が開けて前進する気持ちが生まれてきたことは、周りのひとたち、特に「古典」の一部の頑張り屋さんたちのお陰とそれを喜んでくれる友人たち、そしていつもに変わらず私のもとに集まってくれる教え子たちのおかげと言って良い。ごく少数だけれど長年我が家を訪れてくれている生徒の一部でアンサンブル結成の気運が芽生えてきた。今はまだ3人だけでも将来は弦楽アンサンブルの発表会ができたら嬉しい。

私の機嫌が良くなったので生徒たちがホッとして余裕ができたらしい。ちいさな曲を合奏してもらったら・・・それがいい音するのよ。彼らに長年、音は力ずくで出すものではないということを教えてきた。響きを殺してはいけない、無駄な力はナンセンスというと不思議そうな顔をしていた彼らも、今では響く音がいかに遠くに届くか、増幅された音がどれほど美しいかをよく理解するようになった。これからが楽しみ。

午前、午後、と個人レッスンやアンサンブルを教えたら、夕方には音楽教室で以前教えていた生徒たちがやってきてビールを飲み始めた。楽器のこと、音楽のこと、他のグループでの活動など話題は尽きず。千客万来は大げさだけれど、この2年間塞がっていた私の心に合わせるように沈んでいた生徒たちも開放されて久しぶりに楽しい時を過ごした。

やっと抜けた暗い道の向こうに穏やかな夕暮れの光が見えるように明るい気分にさせられた。ありがとうみんな。あなた達が私の行方を照らしてくれているのよ。

心は明るくなっても足の状態は一向に良くならない。このままだとステージでも足を引きずって歩くというみっともないことになりかねない。去年1年間ご無沙汰していた高周波振動による施術室に治療を受けに行くことにした。久しぶりの治療を受けて先生とお話してやっと希望が持てるように感じた。たった一回の施術で椅子から立ち上がったあとあるきはじめるのが困難だった足の具合が見違えるようにスムーズになった。もう2.3回は治療が必要かもしれないけれど、なんとか3月12日の大事なコンサートには間に合う。よかった。

今朝目が覚めると、昨日の夜薬を飲まなくてもは足が攣らなかったし、歩きはじめにもたつくこともないことに気がついた。なんとか大事な日に間に合うようだ。残念なことにドレスに合ったハイヒールはもう履くのは無理なようでぺったんこのサンダルを履くことになると思うと憂鬱なのです。もう少しおしゃれをしていたいのに。











2024年2月25日日曜日

新メンバーによる練習が始まった。

 最近まで異常に暖かい日が続いたので足の痛みはさほどでもなかった。しかしここ数日は急転直下冬日に戻ってしまった。春分過ぎての寒さはこたえる。春先のウキウキ気分に水をさされて浮き立った気持ちが一気にしぼむ。足は以前にもまして痛みが激しい。椅子から立ち上がってあるき出すまでがつらい。歩きはじめて5分ほどで普通の状態に戻る。

「古典音楽協会」の新メンバーによる初めての定期演奏会の練習は着々と進んでいる。いずれ劣らぬ腕利き揃いで一回目から生きの良い演奏となった。ヴァイオリンは半分は新人で年齢が下がったからテンポも軽快で心地よい。コンサートマスターの山中さんは非常に端正な演奏で知られている。立ち居振る舞いもどこまでも上品なので「殿」の呼び名がついている。

そして中程には古くからのメンバーが安定感を見せている。最後はフレッシュな新人としんがりは最高齢の私。セカンドヴァイオリンの末席に陣取っているのは、最後のブランデンブルク協奏曲3番でヴィオラを演奏するときに都合が良いから。

「古典」ではブランデンの3番を演奏するときには私はヴィオラ弾きになる。これは角道さんがコンマスだった頃からのことだった。ヴァイオリンとヴィオラのパートが3つに別れているこの曲はヴァイオリンが7人いる場合、ソロとトゥッティが3組、そうすると一人余ってしまう。そして貧乏な我が楽団はエキストラを頼む余裕がない。一人足りないヴィオラパートにその余ったヴァイオリンを一人回す。だから誰かがこの時だけはヴァイオリンとヴィオラを弾けばヴィオラのエキストラを頼まなくてもすむ。経費が安上りということでずっと私がヴィオラパートに回っていたのだ。

ヴィオラ大好きな私は喜んでヴィオラを引き受けるけれど、実は一つの演奏会でヴァイオリンとヴィオラを弾くのは難しい。まず楽器の大きさが違う。しかも私は人間の中でもかなり小柄であり、ヴァイオリンより一回り大きい楽器に移るのは音程や音色の面からもとてもむずかしい。私がヴィオラを弾いているのかヴィオラが私をぶら下げているのか見た目非常におかしな図柄になるのだ。

楽器が大きくなるから左手で音程を取るのも少し幅が広くなる。ヴァイオリンと同じ指のサイズでは音程が低くなってしまう。それを曲と曲の合間に調整できないとぶら下がった音程となってしまう。一度それで失敗したことがあった。プログラムを最初に組んだとき、ヴァイオリンの演奏をして次にピアノの独奏を入れて指馴らしをしてからヴィオラの演奏をするつもりがで組んだのに、ピアニストのわがままでヴァイオリンとヴィオラを連続する羽目になった。後で動画で聴いたら最初の楽章はものすごく音程が低くてがっかり。次第に音程が合ってきたけれど非常に恥かしかった。音程がいつも決まっているピアノとはわけが違うことをピアニストに知ってもらいたい。

今回は間にチェンバロのソロが入るので十分な調整時間が取れてありがたい。練習はいつも楽しい。どんなに難しくても演奏の解釈が違って意見が別れても、まとまってくると本当にいい音がする。その時が至福のとき。私は足が痛くて演奏が終わったあと椅子から立ち上がれるかどうかが目下の試練なのだ。ぐちをこぼしていたらブランデンブルク協奏曲3番の演奏は最初から立って演奏できることになった。チェロ以外の弦楽器は全員チーター(楽隊用語で立って演奏すること)

それで思い出したけれど私が今よりずーっと若い頃、生まれて初めてレコードでなく演奏会場でマーラー「交響曲第一番 巨人」を聞いたときのこと。ずらりと並ぶホルンの数の多さにびっくり。しかもその後ホルン族がいきなり起立して無数の角笛がなるように一斉にスタンドプレー、なんと格好の良い、なんと素敵な・・・それ以来私はマーラーが大好きになった。コントラバスが一人で演奏するのを初めて聴いたのもその時のこと。

そこから半世紀以上、まだステージで演奏していられる幸せを噛み締めている。さすがに足が悪くて椅子から立ち上がれなくては様にならない。今年の秋の定期演奏会が私の最後のステージになっても思い残すことは全くない。私ごときのレベルの演奏家としては十分すぎるほどの数をこなした。その間ずっと聴いて支えてくださった方々、ともに演奏した仲間たち、その中には身に余るほどの名手たちも含まれているけれど一言「感謝」の文字しかない。

思えば私は音楽家になるつもりは全く無くヴァイオリンはおもちゃだったはずなのに、その魅力に取りつかれアンサンブルの楽しさから逃れるすべもなく魔力に嵌まってしまった。なんてこった!他の人生もあっただろうに。どこで道を間違えたのか。これも私が酷い方向音痴のせいかもしれない。














2024年2月21日水曜日

店頭で転倒

 1月の半ばまでは私の足は絶好調だった。ダイエットの効果もあって膝の痛みは消え、これならスキーに行けるかもしれない。今年のスキースクールは人数が少ないから行かれない?と幹事さんから問い合わせがあったけれど、返事は保留にしておいた。毎日コンディションが変わるので間際まで返事ができない。

しかし何事もなく、それでは行くと返事をしようかと思っていたらその前日いきなり痛みが始まった。結局また痛みがしばらく続き諦めるしかない。そのあと小康状態が続き毎日軽やかに散歩に励んでいたけれど、ここ数日、今までにない痛みが始まって夜明けの足攣りまで仲間入りして大騒ぎ。2日立て続けに足が攣ったのでこれはいかん、やっと病院に行く気になった。

何科に行けばいいのかわからないから家から徒歩5分の病院へ。初めて入った待合室には当然のことながら患者さんがいっぱいいて、ほう、流行っているではないか。表の看板には内科、外科と書いてある。ということは先生は二人いるのかな?病人がたくさんいるけれど診察は早めでサクサク終わる。あまり待たずに名前を呼ばれた。はじめまして、よろしくお願いします。

眼の前にいかにも機嫌良さそうなボサボサ頭の先生が嬉しそうにこちらを見ている。どうしました?「足がたいそう攣ります。なに科に行けばよいかわからないのでこちらで診ていただけるかどうか来てみました」ごきげんな先生は「いい薬があります。有名な薬ですから出しておきましょう。これを夜寝る前に飲んで様子を見てください」と言って処方箋を書いてくださった。

医師で陽気な人はあまりお目にかからないから、この病院がなぜこんなに患者さんが多いのかよくわかった。ここに来ると大抵の痛みは治るのではないかと思う。いかにも町医者らしい一家に一台ほしい医師。家族全員がかかりつけの家庭医。この次からなにかあったらここに来よう。処方箋や領収書も小さくて無駄に紙を使っていない。私は病院へ行ってもあまり長居はしない。自分の訊きたいことだけ聞いたらさっさと帰ろうとして椅子から立ち上がったら目ざとく私の足が良くないことを察して引き止められた。

その瞬間急に専門家の顔をしたのが印象的で、陽気な呑気さがすっと消えた。これはこれは、次回はきちんと足のことを相談してみよう。良い病院が見つかった。しかもこんなに近所で。今までは高層ビルの小綺麗な医院に通っていたけれど、イマイチ不満が残っていた。その日から足が攣っていない。

攣らなくなったので楽になった。少し歩度を伸ばそうと歩いた途中カフェに立ち寄って小休止と思った。入口付近の自転車が邪魔で避けようと思ったらころんだ。転びの天才のわたしは怪我はしないけれど、起き上がろうと思っても自転車やら段差やらでなにもつかまるものがないのでさあ、どうしたものかと思案していた。けれど入り口で人が伸びていたらカフェも営業がやりにくかろう。すると「大丈夫ですか」と上から声がした。

首を回して後ろ上を見ると若い男性が見下ろしている。起こしてくださいとお願いすると片方の手だけ引っ張る。それでは起きられないのよね。すると両脇を支えて起こしてくれた別の男性が。見ると入口付近にきちんとスーツを着たハンサムな男性が四人。あら、素敵!自転車も片付けてくれた。

思わずニコニコ、あちらもニコニコ。今日はいい日だわ。「皆さんありがとう」思わず舞台で挨拶している気になっている自分を見て呆れている自分がいる。こんな無様な瞬間でも演奏家気取り。日本男子も随分進化した。いい子たちね、あなた方は。それにしても気が利かないカフェの店員、と思っていたら帰り際にコーヒーカップを持って立ち上がったら飛んできて下げてくれた。いつもならとぼとぼと返却するためにあるくのに。みんな親切。

帰宅するとお隣の奥さんが訪ねてきた。話題が足の痛みになって、彼女のお孫さんがダンスをやっているので歩き方を教わったら痛みが治った話が出た。つま先を少し外側に向けるようにして歩くといいらしい。早速昨日から始めてみたら調子がいい。なるほど、これは良きことを教わりました。

同世代の仲間が「歳を取るとただ生きていくだけのためにこんなに努力がいるのね」といったのを聞いて、本当にと思った。ただ歩くだけのために歩きかたに気をつけ、筋トレに励み、でないとすぐに痛みや筋力の衰えにつながる。きっと神様がなにも仕事がなくなった老人たちが退屈しないように課題を与えているのだ。でも私はたくさんのやりたいことがあって筋トレだけしているわけにはいかない。

ところが良くしたもので楽器を弾くという行為だけでもそれが筋トレにも健康維持にも繋がっていくのだ。だから仕事はやめないほうがいい。せっかくのんびりと過ごしたいと思っているのにできないのはまだもう少し元気でいるようにとの天の声?仕方がないから生きている限りなんらかの努力は続けないといけないのです。ヤレヤレ














2024年2月9日金曜日

確定申告は苦難の道

毎年ことしこそはと思いながら何回やっても失敗する確定申告。今年はいち早く税務署に行って 夕方にはスッキリと終えてくるつもりだったけれど、結局書類の不備が多すぎて失敗。それでも今まで全然わかっていなかったことがようやくわかったりしたので、急いで家に帰り申告書に記入しようと慌てて税務署を出た。なぜその場で記入しなかったかというと領収書を忘れてきたのでリフォーム会社に支払った金額がわからない。後で書き込もうと思うと忘れるから全部家で一気に書き込みをと勇んで税務署最寄り駅に戻ったら、売店で京都のお菓子を売っていたのでつい立ち寄ってしまった。

京菓子は小さくてきれい。濃いお茶に小皿に数種類のきれいな彩りの小さなお菓子を載せてお客様に差し上げたくなる。

しかし私は不調法者だから決して品良くはできない。たいてい紙皿に紙コップ、熱めのお茶をドボドボと紙コップに注いで食べりゃいいんでしょうてな具合になる。ここのところがガサツでいけない。昔大学の同級生の男性がお茶を煎れてくれたことがあった。飲み終わると口の中にお茶の香りとほのかな甘さが残ってこれが本当のお茶の味なんだと感心させられた。その後もあまり美味しいお茶は飲めなかったけれど、やはり男性の煎れたお茶が美味しかった。どうやら男性の方が女性よりも実際はデリケートなのではないかと思ったしだい。

横道にそれました。それでお菓子を買って帰ったらご飯よりもお菓子が食べたい。税務酒でかなりのストレスを感じていたようだ。なま八ツ橋をガバと4個あっという間に飲み込んだ。しばらくしてやっと夕飯を食べようかと思ってもお菓子が食べたい。私は事務関係の仕事は超絶苦手。眼の前に書類があるだけで胃袋がキュッと締まる。やっと落ち着いたところでさて申告書を開いたら、肝心の提出書類が見当たらない。一体どこへ・・・

ここからまた私のパニックが始まった。半ば金額などが書き込まれた書類、悪い人の手に渡ったらなにをされるかわからない。しかし、駅でお財布を出した以外リュックは中身を出していないから、これは税務署の中に置き忘れたとしか考えられない。もう役所は閉まる時間だから電話はかけても仕方がない。明日朝とりに行くしかない。急になにか食べたくなるのは酷いストレスを感じたからで、これでストレス太りに時々襲われるからダイエットが遅々として進まないのだった。

翌朝税務署へ。落とし物は総務課へというから窓口に向かった。若いキビキビしたお姉さんが対応してくれて事情を話すと「それで?どうしたいのですか」「だから新しい用紙がほしいのよ」「なんの?」「なんのって確定申告の提出用紙」「でもここにあるじゃないですか」「でもそれは一般用だから不動産の用紙がほしいの」「どうして?これにかけるでしょう」「でもそれは一般用でしょう。不動産の申告用紙がほしいの」「でもここに書けばいいじゃないですか」「だってそこにかけるの?」「そうですよ、各々計算してここに両方かけばいいのです。一枚にまとめて提出できます」「へー!そうなの。初めて知ったわ」私の絶叫が部屋中に轟いた。

私は数十年間、不動産と一般の項目を分けて計算したり、あちらの収入を違う方に書いてしまって大慌てで消して祇を真っ黒にしたり、それは忙しかったのだ。両方突き合わせると同じ項目が重複していたりする。それはそれは大変だった。やっとこの年になってすごく簡単なのだと理解したときのショックは大きかった。「で二枚出していたのよ。な~あんだ。」いつも大変だったのだ。キビキビしたお姉さんは最初思っていたよりずっと親切で笑い上戸だった。昼休みになったら同僚たちと笑いながら話すのだろう。「今日来た人がね・・うふふ、何考えているのかしら、考えればわかるのにね。おかしいわねえ」なんて。

時々思う。自分の専門のことには優れた才能を発揮するのに実生活がズブズブという人、才能が偏っていてある分野では天才なのに実生活まるでだめという人と脳みその容量はあまり変わらなくても実生活はバッチリという人はそれで人格が成り立つ。生活感丸出しの人では世の中せわしない。かといって天才でもお金の勘定ができなければ生きていけない。大体のところでうまく釣り合っているらしい。

去年のわたしはすごく収入が多かった。すごい、私はこんなにお金持ちなんだと思っていたら重複して申告した分があったらしい。その御蔭で税金も後期高齢者の介護保険料もものすごく高くて、これでは生きていけないレベル。困っていたけれど、それで原因がわかった。税務署さんは多めに取れるのは何ら問題にもせず、少ないときにはめくじら立てる。こちらは迂闊に物言うと目立つといけないと小さくなっているのに。結局余分なお金を支払っていたのは問題にしてもくれない。今年は正しく計算できそうなので収入は去年とかわらずでも急に貧乏になった。









2024年2月8日木曜日

ノラの言い分

ずっと前から我が家に通ってきたノラ 。とても野良猫とは思えないほどの上品な立ち居振る舞い。毛並みはすべすべとして汚れもない。大声を出さない。ガツガツ食べない。およそ私とは正反対の品の良さ。

どこかで飼われていると思われるのにそれらしい家も見当たらない。やたらに甘えないし意志がはっきりしていてどうやら我が家がお好みらしいということはわかる。かと言ってずっと居付くわけでなく気ままに猫社会の社交生活に参加したいらしい。お腹が空くと帰ってきて満腹になれば少し寝てお友達が迎えに来れば出かける。その都度ドアを開けろとかなにか食べたいとか下女をこき使う。最初のうちは抱っこも嫌がっていたのに、最近は私の膝でつきたてのお餅のようにとろりとなって眠ることもある。重い。

その品の良い野良猫に対してうちのコチャのなんと野蛮なことか!ずっと長い間押し入れで暮らしていた彼女は猫嫌い。玉三郎を始め4匹の猫たちと暮らしていたけれど、コチャは決して仲間として彼らとは接しなかった。彼らを避けるために狭い家の中では押し入れ生活を余儀なくされていた。玉三郎やモヤがなくなってやっと一人になれたコチャはやっと安住の地を得て私に思い切り甘えられる事になった。何という幸せな余生!かと思ったらノラの侵入によってあっけなくストレス倍増、押し入れで思いっきり喚く毎日となった。

可哀想ではあるけれど、いい加減猫社会に溶け込んでほしい。つやつやの毛並みと賢さで人間受けの良いノラと、不器用でボソボソの毛並みのコチャでは勝負あり、ノラはご近所の評判もいい。でもコチャは人目につかないように家から出ない。時々北軽井沢に行くときに車に載せようとケージに入れて外に出すと大きな声を振り絞って鳴く。その声たるや到底猫とは思えないどら声。声を聞いただけで汚い猫がいるようだと思われてしまう。しかしその実態は、可愛いクリクリ目とオオサンショウウオのような斑の毛並みは中々かわいい。それは私だけの基準であっても、この世にたった一人でも彼女を可愛いと思う者がいるだけで素晴らしいニャン生なのだ。すでに腰も曲がり後ろ足に力が入れられないために排泄もままならない私のコチャに幸せあれ!

そして今年はくまさん受難の年、人間も大変、動物とひととの関係が見直されるような時代になったのだろう。昨日のニュースで公園で遊んでいた子どもたちが犬に噛まれて大騒ぎ。犬は最初は尻尾を振って遊び気分だったらしいのに、犬に噛まれたことのある子供が怯えて逃げ出したために追いかけて嚙んだらしい。ひとは怯えると独特の匂いを発すると聞く。その子は最初から犬が怖くて噛まれた経験で余計に怖くなって逃げるという最悪な事になってしまった。普通に飼われている犬はこちらが怯えなければ噛んだりしない。急な動作とか攻撃的な態度を取らなければ普通は大丈夫だけれど、ときには犬だから人にはわからない理由で噛むこともあるのだと思う。

私が多摩川の河原を自転車で走っていたら後ろからシェパードが吠えながら追いかけてきたことがあった。それで自転車を止めて「なあに?」と訪ねたら急に大人しくなってちょっと照れた風でおすわりをする。こちらはもとより犬に用事はなく「じゃあね」と自転車を漕ぎ始めるとまた吠えながら追いかけてくる。何回も同じことを繰り返してはいたけれど他人様のワンちゃんを連れて歩くと誘拐犯に間違われそうだから困った。吠えられてそのまま逃げていたら後ろからガブリとやられていたかもしれない。そのうち飼い主が現れて事なきを得たけれど、犬に追いかけられたらまっすぐに向き合って止まれば良い。大丈夫、ワンちゃんは頭がいいからムダに噛んだりはしない。落ち着いて対応すれば向こうも怯えない。けれど、中には稀に本当にやばいやつもいる。これはひとも同じだからそういう犬にはゆっくりと対応すればいい。けっして怯えたふうを見せないように。

ところがうちのノラは私に抱っこされると噛み付いてくる。甘噛みなんて程度ではなくガブリとおもいッきり。これは参った。ひとに甘やかされた経験が少ない。程度がわからないらしい。それでもこれがノラの精一杯の愛情表現だと思うと叱ることもできない。かみながら顔は優しい。程度をわきまえるように時々コツンとかるくげんこつで叩く。そのうち程度を覚えるだろうと思うけれど、なかなか痛い思いが続く。

人間もそうかもしれない。可愛がられなかった子供が相手の気を引こうとわざわざ悪さをしたり。それも愛情表現がもしれないけれど、人だと困ったことになりかねない。生きるのは大変。猫の場合、くまの気持ち、犬の言い分、人間の立場。一つの世界に密集していると誰が悪いわけではない。