2017年11月28日火曜日

ゴロゴロ

あれほど必死に練習していたのに、コンサートが終わったら気が抜けて寝込んだ。
それを理由に只今超絶怠惰。
楽器の顔をここ数日見ていなかった。
夜は同じベッドで寝て、朝目が覚めるとレッスン室に持っていく。
そこで蓋を開けて調子を合わせ、ご機嫌伺いにちょっと手慣らし・・というのが日課。

今日は家でレッスンをするので、やっと蓋を開けた。
ひどい音がするかと思ったら、楽器もゆっくり休めたらしく、さほどコンディションは悪くない。
ちょっと鼻詰まり。
持ち主が風邪をひいているからって、同調しなくてもいいのに。
アナタだけはいつでも最高の体調でいてほしい。

しかし、面倒な楽器を選んでしまったものだ。
湿度、気温、部屋の構造などで毎日調子がくるくる変わる。
ん?今日は鳴りが悪いなと思うと、低気圧が近付いている。
調弦する時の圧力でコマの位置が微妙にずれると、それだけでもう不機嫌な音になる。
体調によっては顎当てが妙にずれているように感じたり。
私は肩当てをつけない。
大抵の人は楽器の裏板に、肩に乗せるためのブリッジをつける。
合奏団のコンマスが付けないので、私も付けない。
ほんの僅かの微妙な差なのだけれど、神経がピリピリしているときなどは、付けたときと付けない時の共鳴の差が気になるので。

付けないで弾けるときは調子が良い。
調子が悪く体が固いときには、時々肩当てを付けて弾くけれど、体が柔らかいときは自由自在になるから肩当てはいらない。
あまりの微妙さに、他の楽器の人にはわからない感覚らしい。
手のひらの湿気までもが音に影響するなんて。

繊細な楽器だから、いつでも本番で最高のコンディションで居てくれるとは限らないので、優れた楽器の調整の出来る人を必要とする。
私は渋谷の佐藤弦楽器の佐藤さんに最後に調整してもらってごきげんだったけれど、彼は間もなく亡くなってしまった。
その時に私の楽器をしみじみと見た佐藤さんが「この楽器は非常に良い楽器です。大切にしてください」と言った。
これは遺言だったようだ。
佐藤さんに置いて行かれた私と楽器は、どうすればいいのかしらと、途方に暮れた。

ヴァイオリンなどという楽器に出会ったのが運の尽き。
だから時々面倒になって放置するけれど、又、引き寄せられるように弾きたくなる。
ヴァイオリンは本当に魅力的。
子供の頃はどちらかと言うとピアノのほうが進んでいて、先生からヴァイオリンをやめてピアノに進路変更したら?と度々勧められた。
先生は自分の息子さんをピアニストにしたかったのに、彼はグループサウンズが流行っていた頃、ポピュラー系に進んでしまった。
有名なグループに入って、ルックスも良かったので人気があった。

その後数十年経って、録音スタジオでばったり彼に会ったことがある。
あちらは私より年下でたぶん全く覚えて居なかったと思うけれど、私は名前と特徴のある美しい顎の線が先生そっくりなところから、すぐにわかった。
その先生がピアノの傍らで教える時に顎が素敵で、私はいつも下からうっとりと見上げていたので。
先生はクラシックの演奏家を育てるのが夢だったため、私がターゲットになったけれど、私はやはりヴァイオリンのほうが魅力的に思えたからお断りをした。

先生には申し訳ないことをしたけれど、私はヴァイオリンの魅力に取りつかれていた。
それは物心付いたときから聴いていた、ヤッシャ・ハイフェッツのレコードの音が耳から離れないからだと思う。
未だに彼を超えるヴァイオリニストはいないと頑なに考えるのは、幼少時代の刷り込みのせいかもしれない。
雛鳥が、生まれて初めての動くものに出会うとそれが親だと刷り込まれてしまうように、私にはハイフェッツが刷り込まれた。
残念なのは、ハイフェッツの技術は私の手に刷り込まれていないから、月とスッポンほどにヴァイオリンの音が違う。

子供の頃住んでいた旧い家の縁側に、蓄音機が置いてあった。
それはハンドルが付いていて手回し。
針は一々替えないといけない。
レコードの表面に付いたホコリは、ホコリ取りで丁寧に拭き取る。
幼稚園に行かなかったから、家族が学校や仕事で出かけてしまうとレコードを聴く。

ある日押し入れの片隅から旧い楽譜が出てきた。
ヴァイオリンピースのドルドラ「想い出」
一体誰のものかと思ったら、それは父のものだった。
エンジニアで無骨な父とヴァイオリンはどうしても結びつかないけれど、私がヴァイオリンを弾きたいと言ったら、即座に買ってくれたのはそういうことだったのかと。
渋谷の店に行く時、代官山の坂を東横線沿いに車で走ったことを鮮明に思い出す。
いつもそのあたりに電車が差し掛かると、初めてのヴァイオリンを買いに行ったことを懐かしむ。

色々思い出すけれど、どれほど両親が私を可愛がってくれたかと思うと、未だに胸が熱くなる。
戦後の貧しい時期、6人もの子供を育てるのに精一杯だったと思うのに、その上ヴァイオリンなんて!!
それを思うと中々やめられない。
本当はゴロゴロしていないで、鬼のように練習しなくてはいけないのですよ。



















2017年11月27日月曜日

貧乏物語

オーケストラ時代にお世話になった人たちに会いに小田原へ。

その前に、所用があって寄ったのは伊勢佐木町。
短い時間だったけれど、大好きな友人と一緒だったので楽しく過ごした。

伊勢佐木町で思い出すのは、オーケストラが貧乏のどん底だった頃の私。
私が所属していたオーケストラの創設期は、とても羽振りが良かった。
最初の頃の団員の給料は、普通のサラリーマンの初任給を遥かに超える額だったらしい。
ところがその後、スポンサーだった放送局が降りてしまい、野に放たれてから団員たちの自主経営に至るまでには、団長の自死や社会保険料も払えなくなるなど苦難の連続。
しかし、楽隊はアホがそろっていて、そんな苦境もなんのその、毎日楽しく暮らしていた。

演奏旅行の費用を節約するために、夜行の鈍行列車のボックス席でつぎの公演地まで行って宿泊費を浮かすなど、自慢げに話す人もいた。
安宿を予約してタクシーに乗ったら、田んぼの真中に紫のネオン、まさかあれじゃないでしょうねと言うと、ドライバーが「あれです」
でも電話帳にはビジネスホテルと書いてあった。
ある種の女性のビジネスのためのホテルかも。
汚くてベッドにも入れない。
お風呂はお湯がない。
笑ってしまった。
猫っ可愛がりされて育ったのだから、親にはこんなことは話せない。
それでもなにか感じていたらしく、母には、私のことが心配で死ねないと、よく言われた。

私が入団した頃の東響はそれはそれは面白かった。
当時はまだ海軍軍楽隊上がりの猛者や、華やかなりし頃の残党が幅を効かせていたけれど、怖いもの知らずの私は彼らにすぐに懐いたから、とても可愛がられていた。
貧乏でも本当にジェントルマンだったおじさんたち。
家柄も育ちも良く教養もあるのに、なぜこんなちんどん屋みたいなことをなどと身内に言われる。
道楽稼業と見られても、逆境にも負けず日々楽しく生きていた人たち。
給料は遅配に次ぐ遅配。
生活は逼迫しているのに、なぜか皆幸せそうだった。
唯一の不幸は演奏に失敗したときだけ。
その時はため息をついてうなだれて帰る。

当時の私を今客観的に見ても、元気なお嬢ちゃんが毎日嬉しそうに楽器を弾いている姿は、おじさんたちの慰めになっていたのではと、これは自己満足?
休みなんていりません、うちにいてもやることないしなんて、経営者の喜びそうなアホを言って飛び跳ねていた。
地方に演奏旅行に出かけるのも嬉しかった。
最初の頃は同年代の女性たちと一緒に電車で行動していたけれど、車を連ねて行くグループがあって、それが羨ましくてなんとかして仲間に入りたいと思い、免許をとりにいった。
免許取りたてで買った車は、中古のトヨタパブリカ。
カークラブのメンバーから、新車買ったら一緒に連れて行ってやるよと言われた。
それを真に受けてすぐに真っ赤な初代カローラを買った。
冗談に言ったつもりの人は真っ青。
免許取りたての初心者を、しかも女の子を混ぜるわけにはいかない。
ほんとに買っちゃったんだよねと、頭を抱えて仲間が集まって相談していた。

やっとベテランの運転指導付ならばということで、メンバーに加わった。
免許を取って間もなく最初の日本縦断。
東名高速よりも前にできていた名神高速を走ったときには、感激でウルウル。
怖いもの知らずのおっちょこちょいは、その頃から今に至るまで変わらない。
まだ東名高速が出来る前、母が箱根だけは運転しないでというのを軽く聞き流し、箱根に差し掛かると、ねえねえ、運転させて!とせがむ。
助手席にはベテランが乗って、運転からマナーまで厳しく仕込まれた。
峠を乗り越えると助手席の人がポツリと言った。
「今みたいな運転してると死ぬよ」

経営の安定しないオーケストラは波にもまれる船のように、不安定でブラックだった。
一日に本番が2つあったり、地方へ行くグループと東京で仕事をしているグループと、どちらが本当の東響?などと皮肉られながらも、身を粉にして働いた。
その時の修羅場があったお陰で、10年もするとお金の稼げるミュージシャンになった。

小田原まで行って、そんな苦楽をともにした仲間たちとお酒を飲んだ。
元打楽器奏者のSさんを囲んでの飲み会は、毎回Sさんの家の近くまで出かける。
高齢のSさんは足が少し悪くて、以前は新宿まで出てきたけれど、最近は帰り道が心配で私達の方から出かけるようになった。

Sさんは優れた頭脳と品の良さのために、皆から尊敬されていた。
その証拠には、他のメンバーは呼び捨てだったりあだ名で呼ばれたりしたのに、彼だけは誰もがSさんときちんと苗字を言う。
それだけの威厳があったのだけれど、決して偉そうにしていたわけではない。
おそろしく博識で穏やかな人なのに、ちょっと常識では考えられないような当時のメンバーのタガの外れた振る舞いを、ニコニコして笑って話す。
皆個性が強く、中には戦前なら恐れ多いやんごとなきお方も居たけれど、誰一人そんなことは気にする人はいなかった。
そういう人たちは世間の枠に囚われない生き方が出来るので、野放図に悪さをして歩いた。
特にひどかったのは作曲家のYさんとKさん、素晴らしいお家柄なのに行動は飛び抜けて常識はずれ。
とんでもないことをしでかした。
ある温泉宿での狼藉騒ぎは、地元の新聞で取り上げられて、以後その地には足を踏み入れられないとか。
Sさんは彼らのことを何事もなかったように笑いながら話す。
非常識極まるような行動を面白がる私達も、性格に何らかの欠陥がありそうな気がする。
Kさんのお父様も同じ。
帝国ホテルの調度品が気にいると、断りもなくお付きに命じて自宅に運ばせたとか。
日本の西洋音楽の黎明期を支えた名指揮者だったけれど。

さて、伊勢佐木町の話に戻ると・・・

貧乏でも楽しみは人一倍求めるガクタイは、休みの日には集まって遊ぶ。
横須賀に住むメンバーからバーベキューの誘いがあって、会費は当時1000円位。
前日の夜、お金がないことに気がついた。
家中の抽斗を逆さまにしても、服のポケットをひっくり返しても、出てきたのはたったの500円。
当時ガソリンが40円/Lくらいだった。
スタンドで10リッター入れてもらって、伊勢佐木町まで行った。
お金がないから食事も買い物も出来ない。
ウインドウショッピングで買いものしたつもり。
残りの100円でインスタントラーメンとモヤシを買って家に帰って食べた。
それがとても面白かったので、次の日にオーケストラの事務所に行ってその話をした。
笑ってくれるかと思ったら、事務員に泣かれた。
え!え!何がそんなに可哀想なの?
可笑しい話なのに。
こちらがビックリした。

貧乏は、どんなふうに乗り越えるかによって、その後の人生が変わってくる。
と・・・宗教の教祖様にでもなろうかしら。
信者(しんニャ)は猫ばっかりだったりして。
エサ代かかってお布施入らず。
現在の東響は安定して、いや、めでたい!



追記
K氏がホテルの調度品を持ち帰ってもあとでちゃんと執事がおしはらいしたそうで、誤解を生むといけないので一言。



















2017年11月24日金曜日

鳥になりたい

東北から帰ってからもイマイチな体調で、咳が治まらない。
丁度仕事のピークが終わったところで気が緩んでしまったし、他に予定もないしで家でゴロゴロしている。
こんなにゆっくり出来るのは今年に入って初めてのことで、色々お世話になった方たちにお礼状をしたためなくては、それに今年は喪中なのでそのお知らせも用意しないといけないのに、どうしても体が動かない。
グズグズしていると今年もあっという間に終わってしまう。

そこで見つけたのがこちら。

http://tamatora.36nyan.com/?p=8701

https://www.youtube.com/watch?v=0H-Za-yzK2Q&feature=player_embedded

毎日何回もうっとりと見つめている。
私のパソコンの画面は大画面。
普通こんな大きな画面で見ている人はあまりいないと思う。
玄関を入ってすぐのところにパソコンがおいてある。
初めて来た人はギョッとして、必ず大きいですね!と言う。
しかもその手前には怪しげなハンドル付きの画面。
これはユーロトラックというゲームのためのハンドル。
ヨーロッパを大きなトレーラーで荷物を運びながら仕事をするという、臨場感たっぷりのスグレモノのゲームなのだ。

毎日咳が出るので、なるべくおとなしく動かないようにしているから、パソコンのカードゲームを一日中やっている。
お尻に根が生えてしまったくらい動かない。
日頃チャカチャカと動き回っているので、こんな時には徹底的に怠けることにしている。

さて、この鳥と一緒に飛ぶ動画、見ているだけで爽やかな風を感じる。
しかも大画面だから自分が飛んでいるような錯覚まで覚える。
フランスのオーベルニュ地方のカンタルというところに行けば飛べるらしい。
来年は行ってみたい。
フランス語全くわからないけど。

2010年、トルコのカッパドキアで熱気球に乗った。
その時の気持ちの良さったら!!
女性は全員乗ったのに、男性は乗らない。
どうやら怖いらしい。
自分は着地点に皆を迎えに行くからとかなんとか理由を付けていたけれど、その人は気球は風の流れに乗って動くことを知らなかった?
出発点と着地点は、はるか離れているのですよ。
口を開けて出発点で待っていたらしい、アハハ。

鳥と飛ぶこの動画を見ても、女性は明らかに大喜びでおおらかに腕を伸ばしているのに、男性は低空でこわごわ腕を伸ばしているように見える。
天元台にスキーに行くには、下の温泉街からゴンドラにのらないといけない。
ある年、強風が吹き荒れて下りのゴンドラが動かない。
やっと最終のゴンドラが動いて皆、それに乗った。
しかし、揺れるのなんのって。
あわや鉄塔にぶつかるかと思えるくらい揺れた。
乗り合わせた男性たちは興奮状態で大騒ぎしていた。
それを冷静に見つめる女性たち。
女はいざとなると強い。


この画像は私達と一緒に飛んでいる熱気球を撮ったものです。
まだ暗いうちに出発して夜明けを迎える時の美しさったら、天国ってこんなところでしょうねと一緒にいた人と話をしていたけれど、その人は間もなく本当に天国へいってしまった。
懐かしさと悲しさが入り交じった思い出のカッパドキア。
今から7年位前のはなし。


















2017年11月20日月曜日

猫が寝込む

奥州市水沢のチェロフェスタは盛大に盛り上がって終了した。
気温はさほど寒くはないけれど、雪が舞った。
前日昼過ぎ、水沢駅に到着。夕方からの練習に備えてホテルでゴロゴロしていたら、あっという間に眠ってしまった。
念のためにアラームをかけておいてよかった。
そうでなければ、そのまま夜まで眠ってしまったに違いない。

自分が思っている以上に疲労が深く、ほんの2曲ほど練習して会場をあとにした。
夜、前夜祭のお誘いがあったけれど断って、そのままホテルで19時くらいから午前0時ころまでぐっすり。
その後しばらく目が覚めていたけれど、又いつの間にか眠ってしまい、朝は8時のアラームで起こされた。
いつもの旅は初日の夜はなんとなく眠れないのに、今回は起きていられない状態。
ひどく咳がでるので、思いの外体力を消耗していたらしい。

会場には毎年お目にかかる人や新しい参加者でごった返し、体調の悪い私には刺激が強すぎるので、なるべくホテルに戻るようにした。
しきりに咳き込むので、他の人にも迷惑だし風邪をばらまいてはいけない。
ホテルから会場までは徒歩で10分とかからない。
再会をよろこんでくれる人たちには申し訳なかったけれど、あまり気分の良い状態ではないから、いつもの私よりは大分無愛想だったのではないかと思う。
顔を覚えるのが得意でない私も、いくらなんでも今年は随分わかるようになってきた。
奥州は宮沢賢治の影響もあってか、チェロを好む人が多いようだ。
何台ものチェロが一斉に合奏すると、なんとも言えない響きがする。
人の声に最も近い楽器と言われるように、耳に優しい音がする。
ネズミの子の病気も治るというわけ。

そのチェロフェスタになぜ私が参加することになったかと言えば、私の元の生徒のKちゃんのパートナーY君がこのフェスタの指導者のチェリスト舘野英司氏のお弟子さん。
二人で参加しているうちに私も巻き込まれて、毎年参加することになった次第。
Kちゃんにひかれて奥州まいりと言うことに。

今年は夏から秋のスケジュールが目一杯で、参加できる体力はないと思っていたし、このために新しい曲を練習する暇もない。
それで舘野さんと地元のピアニストとハイドン「ジプシートリオ」を弾くことにした。
この曲は短くてしかも特徴的な3楽章が面白いので、私のお気に入り。
弾くのは易しいので、いかに面白く聴かせるか。
私はこれでもかと誇張した表現でジプシー風に演奏してみた。
弾いている間は咳はピタリと止まる。
これが不思議だけれど、弾くのが終わるとひっきりなしに咳き込む。
止めていたければ、ずっと弾いていないといけない。

本番当日朝、窓を開けて驚いた。
雪が降っている。
たしか天気予報では雪は日本海側だけに降るはずなのに。
チラチラと粉雪の舞っている様を眺めていたら、近くのビルの屋上にカラスが2羽、肩を寄せ合ってじっと雪を見ている。
いつまでも見ているので時々気にして見ていると、30分くらいもそうしていただろうか。
なにを考えているのだろうか。
カラスは人の3~5才児の知能があるらしいから、きれいだねえなんて会話して居たかもしれない。
足は冷たくないのかなあ。
確か鳥の足首に体温調節機能がついているとか読んだことがあるような・・・
相変わらず、記憶は定かではない。

当日はタイムテーブルがしっかりとしていたので、時間を見計らってホテルに戻ることが出来た。
最初に地元の人達とのブラームス「六重奏曲1番2楽章」が昼ころ終わった。
つぎに弾くハイドン「トリオ」は4時半ころ。
それまで食事を済ませホテルに戻って少し体を休めていた。
気が付くと又寝込んでいて、目が覚めて私は思わず「きゃ~!」と叫んだ。
一体何時なの?
良かった、後1時間あった。
このときは眠るつもりがなかったので、アラームのセットもしていなかった。
危ない危ない!!

本番は寝ぼけ眼ながらなんとか演奏して、曲の面白さでうけた感じになって終了。
いろいろな人から沢山お土産を頂いて、すかすかだったキャリーケースがパンパンに膨らんで蓋が盛り上がってしまった。
お土産を頂いたから言うのではないけれど、東北の人たちはとても優しい。
咳をしていたら、喉飴やらカイロやらなにくれとなく心配してくれる。
メンバーに医者がたくさんいるというのも心強い。
北国は今から雪ではこの先の数ヶ月、大変な思いをして暮らさないといけないわけで、たまに見て喜んでいる私などは、その大変さの半分も分かっていないと思う。

夜は居酒屋でささやかに打上げ。
親しい仲間と楽しい会話がはずみ、皆飲む!飲む!強い!
私はお酒が飲めなかったのははなはだ残念だったけれど、雪を見て元気になる。

去年・一昨年と、一緒に参加してくれた仲間がいた。
今年そのうちの一人が亡くなった。
雪の降りしきる中を歩くと、一緒に横に居るような気がしたけれど、本当にそうだったかもしれない。



















2017年11月17日金曜日

東北は雪だと?

まだ11月なのに、今年は雪の便りがそこここに聞かれる。
大好きな雪だし、冬になるとスキーが出来るので張り切る私なのに、今年はひどく疲れて青息吐息。フウ~フウ~と出るのはため息ばかり。
ため息をつくと幸せが逃げていくとよく言うけれど、そんなことはない。
ため息をつくと肩の力が抜けるから、大いにつくほうがよろしい。

よくプラス思考とか言って前向きに生きるほうが賞賛されるけれど、私は後ろ向きでも暗くても、その人に合った生き方ならなんでも良いと思っている。
作家がやたら明るかったら?
芸術家が人の心の暗闇に分け入らなかったら?
引き籠もらなければ精緻な思考はできない。
そもそもプラス思考って?
人の心には寂しさ、卑しさ、悲しさ、悔しさなどが住み着いている。
それを全部排除したら、人は半分以下になってしまうじゃないの。
モーツァルトがあんなに素晴らしいのも、彼はただ明るく輝いているだけのものではないからで、曲の底に言いようのない暗い淵をかかえているからなのだ。

だから暗いことを悪いと言うような学校の指導を見ていると、馬鹿じゃないかと思う。
最近私も歯に衣着せぬようになってきたなあ。
やたら他人を馬鹿馬鹿言うものではないけれど、それは自分を含めてのことだからお許しを。
小学生が明るく大きな声で挨拶をするのを聞くと、もう少し小さな声で言いなさいと言いたくなる。
やたら人なかで大声出すもんじゃありません!
怖いおばさんになる。

えっと!なにか本題から逸れてしまって・・・
そう、東北が雪ということだった。
明日から岩手県奥州市の水沢へ。
只今大風邪ひいて咳が止まらないのに、行って大丈夫だろうか。
少し前なら、大丈夫、場所が変わると風邪なんかなおるのよと言えた。
しかし、今年はひどく疲労が溜まっている。
今年の初めから少しやりすぎた。
春からずっと緊張しっぱなし。

これで肺炎にでもなって救急搬送されたりしたら、はた迷惑。
それでも行くと約束してしまったし、一緒に弾く人たちが待っているし。
彼らは一生懸命練習してあるだろうし。
これがいつでも現場に居なければ成り立たないプレーヤーの宿命なので。
行ったらホテルでゴロゴロして、幸い会場が近いので、練習時間にだけ行けば良い。
今年は前夜祭も打ち上げもパスして、コンビニ弁当で一人寂しくホテルにこもってなんて、意気が揚がらない。

去年一緒に行ってくれた友人が、今年の初秋に亡くなった。
思いもかけなかったけれど、彼女は去年からずっと悪かったみたい。
「来年はもうこないからね」と言ったのは、なにか気に入らなかったからだと思って聞いていたけれど、体調が悪くて覚悟していたのかなあと、今思えばそういうことだったのかもしれない。
だれにも絶対に弱音を吐かない彼女らしい生き方だった。

私は常に弱音を吐く。
グチグチとあれ嫌、ここが辛いと。
親切な人達は本気で心配してくれるけれど、なに、口癖だからほっときゃいいの。
それに比べ、彼女は決して敵に後を見せない。
仕事はいつも完璧だった。
その余り、命削って・・・
愚痴だって弱音だって言ってくれれば、少しはガス抜きになったかもしれないのに。
人は皆、弱虫なんだって思えばよかったのに。
弱いのがいけないって誰が言ったの?

東北のお酒を熱燗で飲んで、美味しい魚があれば風邪も吹き飛ぶかも。
これで雪でもちらついてくれれば、素敵な旅になりそう。























2017年11月16日木曜日

最後だ詐欺

今から13年前、私はオペラシティーのリサイタルホールで「最後の」コンサートを開いた。
そのときには本当にこれが最後だと思った。
その後、やむを得ない事情で猛烈に仕事をして、気がついたらあれから13年・・・
ここから綾小路きみまろの口調で・・・シミは増え白髪も生えて生き残り。
その間新しい楽器にご縁があって、音の幅が広がった。
楽器が私を育ててくれたから、もう一段階楽器のレベルアップをしたいけれど、経済的に無理なので我慢している。

今年また「最後の」コンサート。
この度は練習もかなり辛かったから、もう懲りたと言いたいところだが、しかし雀百までなんとやら。
どうしても楽器が手放せないに違いない。
赤い靴を履いてしまった女の子が死ぬまで踊り続ける「赤い靴」という映画があった。
モイラ・シェアラ主演。
長い階段の下で、彼女がブルーのドレスを来て佇む姿が鮮明に思い出される。
見たのはほとんど子供の時だけど。

その頃のことは良く覚えているのに、最近は数秒前のことすら覚えていない。
これは自己防衛のためかもしれない。
これ以上新しい知識は入れるなよという、拒否反応かも。

私は20年ほど前に放送大学を卒業した。
音大付属高校から音大に進んだので、あまりにも一般的な知識がない。
それで普通の大学で勉強してみようと思ったので。
放送大学は入るのは簡単、でも授業内容は難しい。
仕事を最優先にゆっくりと履修していったので、卒業まで10年かかったけれど、お陰で少し音楽以外の本も読めるようになった。
今、仕事も終え、好きなヴァイオリンだけ弾く生活になったので、今度は大学院にいきたくなった。
大学は2つ卒業したので、あとは大学院に行くしかないでしょう。
大学院でなにを学ぶかということはまだ決めていないけれど、なんであっても私にとってはとても新鮮なのだ。
本当に世間知らずで子供がそのまま年取ったみたいなところがあって、なんでも自分の知らない分野へ分け入ってみたい。

知識を詰め込むのが悪だと言うような風潮が一時期あった。
自分の頭で考えろとか。
でも考えるだけで知識がなかったら、道標のない砂漠を歩くようなもの。
知識は頭が柔らかいうちにできるだけ詰め込むのがよろしい。
ところが、ゆとり教育なんていう馬鹿なことを考えたバカ(失礼!)がいて、可哀想に、その頃私の生徒なども受験のために塾に通う羽目になってしまった。
学校でちゃんと教えていれば、塾に行く時間をヴァイオリンの練習に当てられるのに。

で、これから大学院へ行っても、昨日勉強したことがなんだったか思い出せないなんていう事態が待ち構えていることを薄々感じている。
要するに無駄なんじゃないかと。
ハリー・ポッターの原書購読が5巻まで完了。
残った6.7巻を今年の12月から再開しようと思っているので、そちらに全精力を注がないと完読する前にボケるか死ぬかしてしまう。
だから、そちらに専念すれば良いのだが、気が多くて一つの事を突き詰められない。
あちらに手を出し、こちらを齧り。
読みかけの本が積みあげられている。

入院でもすれば読めるのになあと、不穏なことを考える。
でも本当に入院するような病気だと、本なんか読んでいられないことは知っている。
以前1ヶ月半の入院生活をした。
入院と決まった時、しめた!これで本が読める、と思った。
家から本を持ってきて枕元に積み上げて、読むつもりだった。
でも病気のときはしんどくて読むどころではなく、結局落語を聴いていた。
イヤホンで聴いているから、一人でニヤニヤしている気味の悪い患者になってしまった。
入院となってしめた!と思うくらいだから、たいていのことでは落ち込まないのが私の強み。
これは他人から見れば「変な人」
いいのよ、変な人と思われても。

最後と言えば生き残った1匹の猫、コチャ。
タマサブロウ、モヤ、ナツメが立て続けに天国へ旅立ってから、我が世の春を謳歌している。
こんなに表情豊かな子だとは思わなかったのに、今では生き生きと遊んでいる。
人も動物も自分の置かれた状況によって、これほど変わるのかという見本。
猫は基本的に単独行動を好むので、他の猫との軋轢がある多頭飼いは可哀想なのかもしれない。
最後の1匹になって幸せになったコチャ。
他の猫に遠慮して、随分我慢をしていたものと思われる。

演奏会の疲れがとれたら、又なにか計画したくなると思う。
これが「最後」とか言って。
オオカミ少年みたいに誰も信用しなくなって、聴きにきてくれなくなったら、本当にお終い。
でも友人知人たちはみなさん優しいから、倒れるまで見届けてくれそうな気がする。

最後と言えば、落語にイタチ最後ベエという名前がでてくるけれど・・・ああ、私の話は最後にかならず下品になるのが特徴です。
でもイタチなら最後ベエではなくて最後っp・・・これこれ、それ以上はやめなさい。





















2017年11月15日水曜日

声がでないと思ったら

昨夜、夜中に目が覚めた。
喉に猛烈な痛みがある。
ここ2日ばかり声がでないと思ったら、ひどい炎症が喉の奥まで広がっていた。
完全に気管支炎になるパターン。

私は喉が弱い。
風邪をひきはじめるときは、必ず喉から始まる。
その後、胸の方まで痛くなって咳が止まらなくなるのがいつものこと。
夜中に目が覚めて痛みを抑える術もないから、リステリンでうがいをした。
ネットでリステリンの幅広い効用について読んでいたので、半信半疑でうがいをして眠った。
今朝、驚いたことに喉の痛みがなくなっていた。

数ヶ月前、通販でリステリンを注文したら、3個の大きなボトルが届いた。
1個がこんなに大きいとは思わなかったし、3個頼んだ覚えもない。
まあ、自分のことだから手違いはいつものこと、無意識に3個たのんだのかなあ。
注文履歴を見たら、1個しか注文していない。
通販会社に電話した。

1個の注文で3個届いたこと、お返しするにはどうしたら良いのかと言うと、たぶん梱包の段階で間違えたのでしょう、こちらの手違いですからそのままお使いくださいとのこと。
私は得したけれど、どこかに損をしている人がいるのではないかと心配。
それで、家にリステリンのデカイのが、どんと居座っている。
でもこれが便利で、歯ブラシを消毒したり、口の中が汚れていると感じたときなどはうがいをしたり、重宝に使わせてもらっている。

今週の土曜日から岩手県に行くことになっている。
寒いところに喉を腫らして行ったら、気管支炎か肺炎になる。
ホテルの部屋でガタガタ震えている自分の可哀想な姿を想像した。
旅先での病気は本当につらい。
それで病院へ行くことにした。

ずっと以前から毎年お世話になる耳鼻咽喉科医院。
何よりも空いているのが良い。
空いているということは、あまり患者さんに信頼されていないということだと思うけれど、ほとんどやる気なさそうにちょっと喉を診て消毒して薬をだしておしまい。
その間1分とかかっていない。
他の評判の良い耳鼻科は丁寧に診てくれて、吸引や消毒や至れり尽くせり。
そこはひどく混んでいるので、時間がかかる。
少し重篤だと思うとそちらへ行くし、いつものパターンなら空いている方に行く。

今朝は診察開始時間の5分位あとに行ったら、誰もいない。
今までいくらなんでも、2.3人は患者がいたのに、誰もいないと言うことは他にも評判の良い病院が出来たか。
他人事ながら心配になる。
処方箋をもらうだけなら、空いていて早いほうが良い。
ここが潰れたら私は困る。
病院の待合室は病人だらけで、感染の危険があるから長居はしたくない。
こういう評判は良くなくても空いている病院は、それなりの価値がある。

その病院の隣に新しく調剤薬局が出来た。
薬局としては病院の隣だというメリットで開局したと思うのに、肝心の病院が閑古鳥では商売上がったり。
私の家の最寄りの商店街には、薬局とマッサージが軒を連ねている。
これだけ不健康な人が多いのかしら。
マッサージなどは向かい合わせ、両隣など、こんなに作ってしまって患者が来るのか心配になるくらい。
それでも潰れる店は少ないから、この辺の人たちはお疲れなんだわ。

とにかく今日は一日ゆっくり寝ていようと思いながら、つい起き上がってパソコンに向かう。
喉の痛みは少し和らいで、リステリン様ありがとう。

夏頃から疲労感がひどかったけれど、どんなにしても昼寝が出来ない。
入眠の名人だから夜の眠りに入るのは数秒でぐっする眠れるけれど、眠る時間は極端に少なくて、世間で言われる睡眠時間よりずっと少なかった。
その分疲労が蓄積されていた。
今日はここ数ヶ月以来、初めて昼寝が出来た。
それだけ疲れていたのと、緊張が溶けたのでらしい。

今年に入ってからシワやシミが目立って、私も歳だから仕方ないなと思っていたら、今日はお肌がツヤツヤ、ほっぺふっくら、なんか10才くらい若返ったみたい。
これほどストレスは体にわるいのだと実感した。
そうか、それではそろそろ本当に隠遁生活に入るか。
ほら又その舌の根の乾かないうちに、なにか弾きたいと言い出すに決まっている。

















2017年11月14日火曜日

疲れて声も出ない

あの長いモーツァルト「ディヴェルティメントK.563」を聞かされた人たちはさぞ災難だったとお察し申し上げるけれど、逆に私はあまり演奏するチャンスのないこの曲が弾けたということで、実に良かったと思っている。

Y氏を偲ぶ会が帝国ホテルで催され、ご息女のY子さんがすべてを取り仕切った。
もともと有能な方とは知っていたけれど、今回の主催者としての腕を発揮してみごとな采配だったのには、帝国ホテルのスタッフも顔色なしというところだった。
聞けばかつては国際会議などでも辣腕ぶりを発揮していたらしい。
なまじの男では敵わないわけで。

まず軽くワンドリンク、その後私達の演奏が始まった。
演奏後お食事、その後谷康一さんのバンドの演奏とボーカルで盛り上がった。
もちろん私はクラシック音楽以外も好きで、演歌は良いわねと言うと白い目で見られたりするけれど、なぜだかよくわからない。
演歌歌手たちの陰の努力たるや大変なもので、和田アキ子が彼らをバカにしてクソミソにけなすのが非常に不愉快。

話がそれてしまったけれど、谷さんはY子さんのゴルフ仲間。
食事の時にお隣だったので話してみると、たぶんスタジオでお目にかかっていますね、ということになった。
なんとなく見覚えがあるし、私はスタジオミュージシャンのグループに入っていなかったから少ない出会いだとは思うけれど、たしかに何回かはご一緒だったかと思える。
私はテレビの仕事の方が多かったので、彼らが歌手に付いて来れば必ず会っているわけだし。
チェックのシャツを来た4人の男性が、ギター、バンジョーなどを弾きながら歌う。
とても素敵なおじさま達・・・と言っても私より年下。
グスン!最近どこへ行っても1番おねえさん?となってしまった。

大いに盛り上がってお開きとなった。

モーツアルトの長~い曲を聴かされて皆さん退屈であくびを噛み殺していたとは思うけれど、苦労の後にこんな幸せが待っていようとは、思いがけないプレゼントだったでしょう。
モーツァルトは50分くらいかかったらしい。
弾く方は退屈どころではないけれど、聴く方は忍の一字だったかもしれない。
それでも、この曲はあまり演奏されることは少ないから、これを全曲聴けたのは冥途の・・いやいや、この先の人生を明るく照らしてくれるものと信じたい。
私はこの曲を弾いたら思い残すことはないから、大満足。
と、言いながら、もう一つの「ディヴェルティメント17番」をもう一度弾きたいなんて、欲張りですねえ。

私はこの日大事なキーホルダーを失くした。
家をでるときには鍵を締めたのだから、必ず外に持って出たはず。
ホテルではバッグはほとんど開けなかった。
ただ一回、ホテル内のガルガンチュアというお店で水を買った時に財布を出したので、その時になくしたものと思われた。
それでホテルに電話するとキーホルダーの特徴を訊かれたから「猫のキャラクターのダヤン君のキーホルダーです」と言うと、オペレーターの女性が「ああ」
しかし残念なことに「ダヤンくんはありませんでした」と言われた。

ダヤンくんを知っているとは、おぬしできるのう。

あれから2日経って、未だに声も出ないほど疲れた。
3月頃から立て続けてのコンサート。
しかもこの11月は1週間おきの本番。
もう、疲労はピークで、最後は来週の日曜日、水沢でのハイドンのトリオ、ブラームス6重奏曲の第二楽章、それが終わるとやっと休める。
でも水沢から帰った次の日からベートーヴェンのクロイツェル・ソナタの練習が待っている。
自分でもこの年でこんな働いて大丈夫だろうかと思っているけれど、周りはもっと驚いているみたい。
たぶん皆さん心配してくれていると思う。
花火大会で最後に打ち上げ花火やナイヤガラなんかを一度に盛大に上げるのと同じで、これが最後の花火かもしれない。バンバンバ~ンなんて。






















2017年11月12日日曜日

新入居者は猫2匹

私は貸し部屋のオーナーでもあるので、そちらの苦労も多い。
父が生前、私の根無し草の生活を心配して私の住居の上に貸し部屋を作ってしまった。
それはとてもありがたいことなのだけれど、経済観念に乏しい私としてはこの部屋で儲かるわけがない。
どちらかと言うと気苦労と出費ばかり嵩む。
築20年、内装はいつも新しい入居者さんが気持ちよくつかえるようにと、ピカピカにリフォームする。

今年8月頃、一部屋空きが出来て、大々的にリフォームした。
天井、壁、床に至るまですべて新しく、トイレもシステムキッチンも新品、今までなかったクローゼットを造り、押し入れの細部まで拘って色を決めた。
床材は傷のつきにくい材質で、デパートで使っているものと同じらしい。
目をみはるような部屋になった。

去年駐車場の塗装と修理をお願いした時に非常に良い仕事をしてもらったリフォーム業者の提案をすべて取り入れ、募集を始めたら1週間で入居者が出ますよと言われた言葉どおり、すぐに次の入居者が決まった。
近くの会社のキャリアウーマン。
海外生活が長く、日本に戻ってきたばかり。
良い人に入ってもらえたと喜んだ。
一人暮らしかと思ったら、入居者ならぬニャー居者が2匹付いてきた。

ご本人はすでに住んでいたけれど、同居ニャンたちは昨夜到着。
今朝、見に来ませんかと声をかけられたので、いそいそと見に行った。
1匹は巨大なヨーロピアンショートヘア。もう1匹はやや小柄な妹ねこ。
大きい方は6キロは優に越えていると思う。
人懐こく、私が呼ぶと早速やってきて初対面のご挨拶。
もう1匹は押し入れに隠れてでてこないけれど、覗いても怯えた風ではないから、すぐに慣れると思う。

うちに猫が来ると話したら、今か今かと待ち構えている人がいる。
私の友人で無類の猫好き。
最近来たメールにも、猫はいつ来るのですか?と書いてあった。
その話を新しい店子さんにすると、いつでも見に来てくださいと歓迎の言葉をもらった。
聞けばアメリカ、ドイツの生活が長かったとか。
バリバリのキャリアウーマン。
飾り気のないサバサバした性格で社交的。
もう一つの部屋の住人のご婦人とは対照的で、見ていて楽しい。
こちらは主婦の鑑。
お料理上手で家事をきちんとこなし、いつ行っても部屋は綺麗に片付いている。
ドアの前にはきれいなマットと植木の鉢が置いてある。
こちらの部屋にも猫がいたけれど、今年の春、可哀想なことに死んでしまった。

駐車場でお葬式をしてあげて、7,8人も参列者がいて、皆で泣いて見送った。
虎太郎君という8歳のアメリカンショートヘアだったけれど、時々階段の踊場に出てきて遊んでいたのに急に痩せ始めて、あれよあれよという間に亡くなった。
母娘2人のその家族は真っ赤に目を泣きはらして、私までもらい泣き。
そんなことがあったから、この新入りたちには元気でいてほしい。

3階だから逃げ出すようなことはないと思うけれど、万一のことがあってはいけない。
この家の周辺は猫嫌いが多い。
私の家の猫たちが塗りたてのコンクリートの上を歩いて足型が付いてしまったとか、庭で糞をするとか、植えた苗木を掘り返してしまったとかやったのかもしれない。
とにかく近隣の家には、これみよがしに水を入れたペットボトルが置いてある。
通路に棘の形をしたマットが敷いてある。
それでも、なにも殺さなくてもいいのにと思う。
近所の人が殺したという証拠はないけれど、わが家の周辺の猫が数匹、毒殺された。
私のねこも3匹やられた。

それでうっかりベランダから飛び降りてはいけないと注意すると、ドイツにいた時にも猫を飼っていて、ベランダに網を張っていたという。
誰か業者さんを紹介してもらえないかというので、この部屋をリフォームした業者に相談した。
夕方見積もりに来たらしく、チャイムが鳴るから出てみたら業者さん。
こんなふうにやりますと報告されたけれど、私の口を出すことではないので、よろしくと挨拶。
帰り際に階段を降りかけた時、業者さんが急に立ち止まり振り向いてニヤリとした。
「又よろしく」

口車に載せられてピカピカにリフォームして大枚支払った。
お陰ですぐに部屋は埋まったけれど、使った金額を考えると償却できるまで1年以上かかる。
そのあとも木を切ってもらって、かなりの額のお支払。
去年は駐車場の壁の塗替えと天井修理。
今回は私が支払うわけではないけれど又仕事が入ったわけで、ニコニコしたくもなるでしょうよ。



















2017年11月11日土曜日

続いては

先週の木曜日にデュオ・コンサートが終わって息つくひまもなく、明日は弦楽トリオの本番。
疲労がピークに達していて、いささかまいった。
コンサートをやってのけるのは命を削るようなもので、マネージャーなしでの今回は今までで最もきつかった。
会場が150名のキャパしかなくて、マネージャーをつけると赤字になってしまう。
それで全部自分たちでやってのけた。
会場探しから予約、チラシやプログラムの印刷の依頼、原稿書きから校正。
その後チラシの発送、予約の確認など、することは山ほどあって、本番の1週間前には疲労と緊張で二人共顔色が悪かった。
本番にはお客様も沢山来てくださって、演奏も思ったようにいって満足するものだったけれど、その後の疲労感は姿勢を保つのも億劫といったところ。

明日の本番は帝国ホテルでのメモリアルコンサート。
法曹界で長年活躍されていたY氏を偲んで、縁のあった人たちが集まって演奏を聴き、ディナーを楽しむという集まりなので、天国へ行った方を祝福するためのもの。
Y氏は大変ご長寿で安らかに逝去されたので、良き人生を全うされたお手本のようだった。
音楽が大変お好きだったので、良い演奏でお見送りしたい。

演奏するのはモーツァルトの弦楽三重奏曲K.563.
弦楽三重奏曲の演奏は、他のどのアンサンブルよりも難しい。
弦楽四重奏には、もう一本ヴァイオリンがいるので音の広がりが出やすいけれど、三重奏は一本足りない分何処かにしわ寄せが来て負担が大きくなる。
それはヴィオラにだったりチェロだったり、ヴァイオリンも普通なら分けて弾けるところを一人で二人分弾いたり。
ピアノトリオならピアノが和声の部分を受け持ってくれるので、それも又問題は出てくるけれど、弦楽トリオよりはある意味でずっと楽になる。

今回は初顔合わせのメンバーだけれど、それぞれアンサンブルのベテランで、練習は非常に楽しかった。
弦楽器奏者は皆神経質で、それは何故かと言うと、ほんの僅かな音の狂いやバランスの欠如がハーモニーに影響してしまうため。
いかに和音を響かせられるかが重要なポイントになる。
それで、それぞれの技術も音色も考え方の差を合わせるために、長い練習が必要になる。
今回は4回の練習と明日のステージ練習と、計5回練習をとった。

私自身は先日のコンサートの疲れが出てきているので絶好調ではないけれど、他の二人のベテラン奏者がいるので大船に乗った気持ちでいる。
かれらは研ぎ澄まされた感性を持っていて、それはそれで怖いところもあるけれど、私はどんなことがあっても拾ってもらえる安心感がある。
今日はあまりの疲労で、いつもより睡眠時間が多くなってしまって頭が痛い。
本当ならリサイタルの後は温泉にでも行ってまったりしたいところ。
でも今回のトリオのメンバー全員のスケジュールが空いていたのは明日だけで、しかもY氏の月命日という偶然がかさなったので、題してミラクルコンサート。

そんな時に、モーツァルトが弾けるという幸運を逃すわけにはいかない。
たぶん私は、この曲を弾く最後のチャンスとなる。
そんな時に素晴らしい共演者と演奏できることは、本当に幸せだと思う。
願わくばMenuetの繰り返しを間違えませんように。

みなさんもご一緒にお祈りしてください。

せーの!
qうぇrちゅゆいおあsdfgh・・・・

あら失礼!私の宗派を言いませんでしたね。
ニャーニャー教です。
いえ、なに難しくはありません。
ニャーニャーと唱えたら耳の後をバッバとかけば良いんです。

では、ご一緒に

ニャーニャーニャーニャーバッバニャーニャーニャーニャーバッバ
お上手です。
では続けましょう。
ニャーニャーニャーニャーバッバニャーニャーニャーニャーバッバ・・・・・・・・・・・・

ありがとう、元気がでました。


























2017年11月4日土曜日

嬉しいお客様

川崎ミューザのコンサートはおかげさまで無事終了。
今回もたくさんのお客様が聴いてくださった。
開演前の雰囲気からすでに、暖かかった。
楽屋まで伝わってくる、客席のざわめきがアットホームで楽しげにおしゃべりする人、笑う人。
それまでのド緊張が緩んで、ステージに出る頃には客席を見るのが楽しみになってきた。
皆がニコニコとこちらを見ている。
嬉しいものですね、こういうのって。

練習であれほど苦労したモーツァルトがスルッと始まった。
テンポも申し分なく、なにがあんなに難しかったのかと訝しい。
自然にピアノと音が溶け合って、心地よい。

2曲めのプロコフィエフは乗ってしまえばこちらのもの。
楽しく弾き終えた。
確かに音の動きは他の2曲と比べて遥かに複雑で、演奏はむずかしい。
譜読みに時間はかかるけれど、私の気分としては弾いていて最高に楽しい曲なのだ。
お茶目で冗談ぽく人を驚かせる。
それでいてシーンとした透明感のある緩徐楽章は、静謐でえも言われぬ美しさ。
作曲者自信がこういう複雑な人だったのだろうと思う。

2部のフランクは、やはり1楽章が鬼門だった。
難しいピアノに比べてヴァイオリンの楽譜は本当に易しい。
4部音符と8分音符でゆったりとしたテンポで、音もさほど高くない。
一体どこが難しいのか良くわからない。
それでも終わってからやはり1楽章は良くなかったと、評価は低かった。
単純極まることの方が難しいというのは、何回も実感している。
それで、モーツァルトがたいそう難しいものの一つになる。

今回は前回の三軒茶屋でのコンサートに比べて、苦労が多かった。
曲自体が難しいわけでは無く、私が歳をとってしまったということらしい。
私は音が伸びない、音程が気になるで、青息吐息だった。
一昨日まで緊張で体がゴリゴリ。
こんなになったのは今までになく珍しい。
1週間前は出来上がりも上々だと思っていたのに、7日を切るともうだめで、敵前逃亡したくなる。

本当にだめで、こうなったらこのままの状態で皆さんからおしかりを受けることになっても仕方がないと、腹をくくった。
前日までそんな状態だったけれど、当日になったら急に重たい鎧がはらりと落ちるように、平常心が戻ってきた。
関節が急に緩んで体が自由に動く。
これがいつも不思議なんだけれど、必ずパターンが決まっている。
だからいくら緊張しても本番はなんとかいけると思っているのに、毎回同じことの繰り返し。
その1週間がもったいない。
緊張しないで済むはずなのに、緊張する。
無駄だとおもうのに。

終了後は聴いてくださった方々への感謝の気持ちとして、簡単なパーティーをすることになった。
ケイタリングのツマミと持ち込みのワインとビールで乾杯。
これらの準備は私達の生徒達が、大活躍をしてくれた。
重たいお酒を車まで取りに行ってもらったり、椅子をさっさと片付けたり、誰もが決めたわけでもないのに迅速に動いて、あっという間に準備が出来上がる。

若い人たちの頼もしさは場の雰囲気まで明るくする。
きれいなお嬢さんたちは居るだけで春風が吹いてくるようだけれど、私にもこんな時があったのです、信じられないでしょうが。
私も充分にそんな素敵な時を満喫してきたのだから。
その時々を目一杯生きてきたから、老いていくのも悪くはない。

今回の演奏の評価の中に友人がくれた「年をとるのって宝だと改めて思ったしだい」という言葉があった。
これは嬉しかった。
若い人の演奏はさっそうとしているけれど、いつもなにか物足りない。
自分のほうが上手い演奏だというわけではないけれど、ちゃんと生きてきた証として何かが皆さんに伝えられたのではないかという自負心もちらりと顔を覗かせる。
でも残念なことに、次回は?と訊かれると即答はできない。
来年はもう弾けないということの確率が高くなってきている。

ピアニストとは半世紀に亘り一緒に演奏してきた。
ピアノ弾きは耐用年数が長いけれど、ヴァイオリン弾きは様々な理由から耐用年数が短い。
なにしろ立っていなくてはならないので。
だから私のほうが早くリタイアすると思う。
皆さん頑張れ頑張れと言ってはげましてくれる。
弾いていたいのはやまやまだけど、限界はもうそこまで来ている。

今日ヴァイオリンを出して弾いたら、あまりに疲労が溜まっていて音がでない。
やはり、火事場の馬鹿力がないとだめなようで。
ずっと火事だと燃え尽きる。
程々の火事は山の家の暖炉の中がよろしいようで。

来年2月、北軽井沢の炎のまつりに行く予定。
2月の第2日曜日、松明ろうそくに火を灯し花火を打ち上げる。
花火とろうそくの火が相まって幻想的な世界が広がる・・・と宣伝文句。
厳寒の北軽での神秘的な夜を過ごしてこようかと思っています。
が・・・氷上の運転がこわい。














2017年11月1日水曜日

3日もしお暇なら・・・

説明を追加
さて、私達のコンサートも明後日となって、なんだか緊張している。
私がこの世界に入ってから踏んだステージの数は膨大なものなのに絶対に緊張しないときはないので、なんの因果でこんなことをやっているのだろうと毎回思う。
音大卒業するときには、これで試験がなくなってやっと緊張から開放されると思ってよろこんだのも束の間。
プロの世界に入ったら毎日が死にそうなくらい恐ろしい。
震えながら弾くこともしばしば。
怖い指揮者がピアニッシモでと言ってこちらを見ると、蛇に睨まれたカエルになってしまう。
右手が震えて、弓をヴァイオリンに載せることも出来ない。
ほんとに怖いですよ。
最近の若者は物怖じしないからそういうことは少ないと思うけれど、私達世代はどうもいけません。
昨日最後のピアノ合わせをしたら、足が固くなっていて体が思うように動かないので笑ってしまった。
練習が終わったら腿が突っ張っていた。
ヤレヤレ。

オーケストラでは座って弾くから緊張しても足はガクガクしない・・・と、思うでしょう?
ところがどっこい、難しい箇所をやっとのおもいでクリアした途端膝が震えるので、自分でもおかしくなって笑ってしまう。
座っていても膝は震えるのです。
どんなに小さな会場であっても、曲が易しくても全く同じ。
しかも歳をとるにつれて自分に厳しくなるから、余計にだめで。

以前、70才を過ぎてから弦楽四重奏団を組んで活動を始めた音大の教授がいた。
お付き合いで、セカンドヴァイオリンを担当したことがあった。
その先生が毎回ひどくあがるので絶望的な思いだった。
歳を取ればもう少し気楽に出来ると、当時若かった私は思っていたのに。
そんなわけで、先日古典音楽協会のバッハのブランデンブルク協奏曲以来の緊張感。
「古典」より救いがあるのは、今回は2人だけなのでまあまあ。
「古典」のように組織の中でソロをするのは最悪。
他の人達の折角の努力を水の泡にはできないから、本番前は悪夢のようだった。
本番は素敵に楽しかったけれど。

1番嫌なのはオーケストラの中でソロを弾くこと。
ソリストで弾けるならともかく、トゥッティーなのに、いきなりソロが出てきたりすると恐ろしさで死にます。
某有名なコンサートマスターが「僕はオケのソロが1番怖くて震えるんだよ」と言ったのでびっくりしたことがある。
あんな上手い人でも?

その点今回は1対1人。
ピアニストが上手いから、私がだめでも彼女がフォローしてくれるでしょう。
失敗したら私は耳の後を後足でバッバッと掻いて、皆の非難の視線に気が付かないふりをする予定。
いえいえ、もちろん精一杯努力はいたしますよ。
お暇なら私が右往左往している姿を見物に、どうぞいらしてみてください。