2023年12月31日日曜日

古典音楽協会の新たな歩み

 先日70周年の定期演奏会を終えた「古典音楽協会」はコンサートマスター引退のため、新しい体制で出直すこととなった。

前コンサートマスターの角道徹氏は御年85歳、稀に見る長寿の演奏家としてつい先ごろまでNHKのスタジオ505の仕事をされていた。コロナ禍がなければもう少し早く引退なさる予定だった。人間コンピュータと呼ばれるほどの頭脳と強靭な意志で「古典」のすべてをリードして、長年のファンを獲得し経済的にも安泰だった「古典」のメンバーは彼に頼り切っていた。

そして今回の引退を受けて存続か終了か迫られた残る団員たちは存続の道を選ぶことにした。けれど、その道を選んだおかげで苦労の連続が始まった。なにもかもわからないことだらけ、東京文化会館といういわば老舗のコンサート会場で演奏するには書類の審査はもちろんのこと、全てが細部に亘って間違いがあってはならない。しかし、演奏家としの道しか歩んでこなかったメンバーにとって、何がなんだかわからないことだらけ。

ところがメンバーのうちにはこういうことに長けている人がいるもので、誰もやらなければ私がと孤軍奮闘してくれる人が出てきた。お陰で文化会館の親切な対応もあって書類審査も通り、来年3月12日(火)新体制での定期演奏会ができることになった。一つの目標に向かって歩んでいると自然に役割分担が決まってくる。

まず初めは新たな道を進むには軍資金が必要になる。これは前会計の杜撰な仕事が発覚して大変に困ったことになったけれど、新会計二人と事情のわかっている数人の者たちの必死の働きでようやく資金が確保されていよいよ船出することができることになった。このときの皆の結束は素晴らしく、私は何年経っても忘れることはできないと思う。演奏者としてだけでなく人柄も能力も本当にすごい人達の集まりであると誇りを持って言えるのが何よりも嬉しい。

数々の問題を乗り越えながら着々と準備が進められて素敵なチラシも出来上がった。新しいメンバーも素晴らしい人達が集まってくれた。今古典のメンバーは最強のレベルになったと思う。いずれも腕は確か。人柄、キャリアも素晴らしい。若者も参加してくれる。

オーケストラをやめてから「古典」以外でも私は数多くのコンサートに参加してきた。数の多さもだけれど共演者のレベルの高さにも恵まれたため一つコンサートが終わると何日も練習を重ねたような効果があって、素晴らしい体験を重ねることができた。本当に幸せな演奏人生が送れたのだった。だからここで引退したとして悔いが残ることはない。

そして今日は角道さんの送別会を開いた。長年のコンサートマスターの重責の終了をねぎらってお疲れ様会になるはずが、反対に角道さんの元気さを目の当たりにしてこちらが労われているのではないかと錯覚しそうな雰囲気になった。声にも張りがあり背筋まっすぐで到底85歳には見えない。いまだにヴァイオリンを持ったらためらうこともなく朗々とソロを弾かれるに違いない。人間の能力年齢は生きてきた年月ではなく、どう生きてきたかによって決まるらしい。

人生の締めくくりにおいていちばん大切なことは、努力を重ねた自分の人生に泥を塗らないようにすることだと思う。どうせ死ぬのだからやりたい放題をと思うのもその人の勝手だが、自分の全人生の否定となるようなことをやってはなんと虚しいことかと思う。

ではここでお知らせです。

2024年3月12日(火)19時開演 東京文化会館小ホール

シュターミッツ:交響的四重奏曲

ヴィヴァルディ:オーボエ協奏曲ニ短調 Ob.石橋雅一

ヴィヴァルディ:調和の霊感 作品3-12 Vn. 山中 光

テレマン:無伴奏ヴァイオリンのための12の幻想曲より第一番 Vn.山中 光.

ヘンデル:クラヴサン組曲第5番ホ長調 Cem.石橋礼子

J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲第3番

今回は特に新しいコンサートマスターに焦点を当てご紹介の意味で彼の演奏がメインになっています。テレマンの無伴奏幻想曲は音が非常に簡素でありながらバッハの無伴奏に匹敵するほどの音楽性の確かさを試される曲であり、山中さんの透明感のある美しい音を十分にお聞きいただける目玉商品です。

それからいつも言われるのだが、チェンバロの音が小さくて聞こえにくいというので今回は伴奏なしの独奏曲を堪能していただこうと思っている。ヘンデルの有名な、お聞きになればああ、あの曲と誰もがわかる曲もご用意しておきました。

コンサートマスター以外ではヴァイオリンが二人、一人はベテランでもう一人は20代の女性、ふたりともキャリアも人柄も申し分なく、ヴィオラはベテランで外部のヴィオラ奏者から熱烈な推薦を受けた人なので一緒に弾くのがたいそう楽しみです。

長年ご支援ありがとうございました。皆様とともに成長してきた古典音楽協会の音は今後も皆様とともに進化していくことと思います。ステージを作るのは演奏者だけではありません。裏で支えてくださるスタッフ、聴いてくださるお客様、それを受けて理想の音を追い求めるわれわれ演奏者たち、誰が欠けても実現できませんので今後とも皆様のご支援をよろしくお願いいたします。






























2023年12月27日水曜日

軽井沢のクリスマスと藤田嗣治

去年はホワイトクリスマスだった軽井沢は今年は晴天微風。暖かく穏やか。ごった返す東京駅から逃れるように出発して明るい澄んだ空気の軽井沢駅に着いて、安東美術館に向かった。藤田嗣治の作品だけの美術館でオーナー夫妻が大の藤田ファン。

フジタの名前も作品もかねてから知ってはいたけれど、実物を見るのは初めてかもしれない。いや、まさかのことで通りすがりには見ているはず。

音楽教室の合宿は今年も北軽井沢で行われた。そのとき安東美術館に行ってきたと言ってメンバーの一人からパンフレットをおなじみのフジタの猫の絵が書いてあるクリアファイルと一緒にもらったのだった。フジタの絵の印刷されたものはよくみかける。けれど実物は初めてではないにしても、ほとんどじっくりと見たことはなかった。

さて初めて本気で見たその絵は、私に衝撃を与えた。女性と猫、これらをこよなく愛したフジタは想像するだに男の夢を全部叶えた幸せ者ではないかと。柔らかく手触りがよくコケティッシュで言うことを聞かない女性と猫、その共通点はわがままでありながら献身的、気まぐれで甘えん坊、それらをすべて飲みこんで愛することのできる男はザラにはいない。思わずため息が出る。

自分の夢に突き進んで異国の地で名誉も愛する人も猫も手に入れて、自然体で生きることの難しさをらくらくと乗り越えていったに違いない。絵の素晴らしさもだけど、一人の人間としてなんと素晴らしいことか!特に衣類のひだの柔らかさを表現するにこれほど単純でありながら生地の手触りまで感じられる技術の確かさには息を呑んだ。

こういうことを言うと人の苦労がわかるのか?とか苦労しないでこんなことができるわけがない、人間努力が肝心なんぞという人がいるけれど、自分が本当に好きなことをやっているなら人は寝なくても食べなくても幸せなのだ。いつも絵は美術館で見るのが一番で、自分でほしいと思うことはなかったけれど、初めてこの絵たちが欲しい、自分のものにしたい、と思った。美術館のオーナー夫妻の気持ちがよくわかった。

撮影はオーケーなので接近して撮っていたら叱られた。撮影できるのは一回に付き2枚以上一組でないといけないとか。意味がわからない。注意の立て看板が傍にあったけれど、こういうものをちゃんと読む人ばかりではないのだ。特に私は取説読まない常習犯。怪しいと思うならその人に密着していないといけない。スタッフも大変。特に私はその絵全体でなくその絵の中の一匹の猫が撮りたかっただけで複写する気などさらさらない。説明してもらえばよかった。この次行ったら訊いてみよう。

見終わって今回の宿主のY子さんに迎えに来てもらい、どこかでお茶でもということになったのだが、どこも評判の良いカフェは満員御礼、テイクアウトのコーヒーを買って帰った。Y子さんのマンションはクリスマスツリーが飾られ床暖房でホカホカ、軽井沢のまちなかでも一等地にあるのでここで住み込みの家政婦さんになろうかと思うけれど、雇ったが最後ものを壊す、掃除は雑、よく寝てよく食うなんて猫の化身のような私を雇う気はY子さんにはさらさらあるまい。だからずっと客として滞在するほうが彼女も安心するなんて勝手な理屈をこねてのんびりさせていただく。今年一年の疲れがすうーっと抜けていく。床暖房は体に優しい。電源の入っていないこたつを置いて床暖房のぬくもりだけで暖を取る。これは初めてだったけれど、実に快適だった。

とりとめのないおしゃべりや美しいヴィデオなど見てから、ロイヤルコペンハーゲンのクリスマス用の食器でいただくディナーなど、自分の家で猫の鳴き声に追われながら狭い台所であたふたしないでいられることの癒やしの効果は絶大!今年中の嫌なことはすっかり頭から消え失せた。

好事魔多し、夜明けにセコムの電話で起こされた。「ああ、ご無事ですか」ホッとしたようなセコムさん。私の留守中、猫のために姉が来てくれるので警報が鳴るのを解除してきた。それをセコムに言って来なかったので、家の中で倒れていると思ったらしい。しょっちゅうやるのでいい加減慣れてくれないかと思うけれど、毎回警備員が駆けつけて私が倒れていないかと家の中を見回る。アハハ、あのごちゃごちゃの部屋をみられてしまうのよ。

「猫が鳴いていましたよ」だって。はいはい、すぐ帰るからね。






2023年12月24日日曜日

2023クリスマスサロンコンサート


チェリストの毛利巨塵さんと奥様のクリスマスは相変わらずすてきですね。
私は昨日友人宅で遊んできました。
ピアニストの友人とモーツァルトのソナタとタイースの瞑想曲を弾いてきました。
お客様は約10人。
これからはこういう小規模のサロンコンサートを開いていこうかと思います。




2023年12月22日金曜日

絶望的な

タイトルに引かれてどんな重大な事が起きているかとここを覗いたた方には申し訳ない。私のことだから軽いことこの上なし。もう今年も数日という今日このごろ、家の中はぐちゃぐちゃ。見事な散らかりっぷりには我ながら惚れ惚れする。これ毎年のこと。

まず、靴。最近10足くらい捨てて、ああ、さっぱりしたと思ったら、もう10足くらい靴を買ってしまった。たぶん麻薬中毒みたいなもので、先祖はムカデらしい。家系図を見ると、ムカデ之丞とか太郎左衛門ムカデンとか・・・いるわけないか。ちなみに私の二人の祖父は源之丞と太郎左衛門。遥かな時代を感じるでしょう。

ここ一年間の物価の上昇を考えると、こんな無駄遣いしてはいられないと思っているけれど、元々危機感の薄い経済バカだから軍資金が底をつくまで気が付かないかもしれない。露頭に迷ったらご親切な皆さんよろしくね。贅沢は言いません、ダンボールの箱とキャッツフードさえあれば文句なし。

今朝もそろそろ猫の餌が底をつくので買い物にでかけた。ずっしりと重い高齢猫用のペースト状の餌を求めて、それだけにすればいいものを目についたものをついでに買うという悪い癖。帰宅するとたいていストックがあって、そのうちストックしたのを忘れてまた買うという計画性のなさ。だらしないというかおおらかというか、言い方によって人格が変わるところが面白い。この性格が家が片付かない大きな原因となっている。断捨離という考えがあって、一気にものをすてて一時期さっぱりするけれど、後で困るのではないかと思っている。

軽井沢方面から北軽井沢に行くには急カーブの急斜面を登らなければならない。中軽井沢駅前からまっすぐに山登りすることになる。その登山道はバイクの走り屋にとって絶好のコースとなって休日には上からも下からもバイクが連なってやってくる。そしてある日大型バイクの横に女性らしいとおもえる人が道にうつ伏せになっていた。後日新聞記事でわかったことは、その人は断捨離で有名な人だった。こんな急斜面をバイクでさっそうと操縦していくのはすごく気持ちがいいに違いない。しかしその代償が命。御本人は素晴らしい人生を全うしたと思うけれど家族はいつもハラハラしていたと思う。

読んでいる方たちはこんなことくだくだしく書いているならさっさと片付ければ?と思っていらっしゃるでしょ?もう言われなくてもわかっていますよ。でも掃除しても見てくれる人がいなくちゃね。

昔の大掃除は楽しかった。一家揃って朝から晩まで働いた。障子を張り替え畳を上げて、特に二人の兄たちはよく働いた。最後に障子紙に霧を吹いて出来上がり、と思うともう一仕事、猫の通り道を作る作業が一番楽しかった。一番下の端っこの枠の紙は上の部分だけ残して切り離される。そこが猫専用通路なのになぜか猫はその都度自分の都合で好きなところを通る。だから張り替えても早くてお正月中にもあちこちに爪痕ができる。そんなことをしても猫は叱られないのだ。

大勢で働くのは楽しい。けれど一人ぼっちは本当につまらない。大掃除が終わってみんなでお蕎麦を食べたり鍋を囲んだりしてにぎやかに過ごした大晦日。次の朝はもう世界がガラッと変わったような雰囲気になる。百人一首や福笑いなどのゲームに興じお餅でお腹がいっぱいになると羽つきで顔に墨を塗られて笑われる。

そのうち獅子舞が家庭訪問。私は子供の頃獅子が怖くてそれだけでお正月が嫌だった。獅子舞が通過したあとが私の本当のお正月になるくらい。泣くことはなかったけれど、いつも母の膝で震えていた。その後は消防団の人たちが庭に来て出初式を見せてくれた。寝たきりの祖母が寒い中、その時だけ障子を開け放って庭の様子を見て手を合わせていたのを覚えている。

思い出すと日本の文化はなんと雅だったのだろう。大家族は消滅、個人主義が幅を効かせ始めるると、スマホだけが自分の全世界の人たちが大半になってしまった。孤独は好きだけど誰も傍らにいないのは悲しい。こんな時猫だけではなく一人子供がいたらと考える。だっているじゃない。自身が子供でしょう・・・と言われかねないけど。仕方がない、これからも永遠の子供でいることにしよう。そういえば、私は50歳過ぎてもなお両親や次兄からお年玉をもらっていた。なんとまあ、だからいつまでもおとなになれないのよ。

でも明日は某家の奥様の誕生会、クリスマスは軽井沢の某家にお泊りという楽しみが。まだ当分キャッツフードをダンボールの家で食べなくてもいいらしい。もちろん遊んだあとで片付けるから部屋がきれいになるのはお正月過ぎてからかな。それも怪しいけれど。











2023年12月16日土曜日

冬到来

 ゴタゴタしているのでなかなかヴァイオリンの練習にまとまった時間がとれない。北軽井沢に行って集中してさらおうと5日ほど山にこもった。

今年の温暖な気候のお陰で北軽井沢についたときはまだ暖かかった。森の木はすっかり葉を落としきれいな青空が広がっていた。庭一面の落ち葉の堆積はふかふかと足ざわりがよく、細かい木をだいぶ伐ったために日当たりが良くなった。行けば毎回ノンちゃんの好きだった大木の周りに必ず花を植える。今年もヴィオラの鉢を数個まとめて植えてきた。

森には車も人も見当たらない。今年も私だけの森!と思ったら夕方になって周囲の2軒に明かりが点いた。なんだ、私一人ではないのかと少しがっかりだったけれど、やはり周囲に人がいるのはホッとする。天気予報を見てから良い日を選んで行ったために毎日明るい陽のさす暖かい日が続いた。

だいぶ疲れが溜まっていて指も頭も動かない。猫はいつもの通り道連れにされてだいぶご不満な様だけれど以前よりはずっと慣れてきた。ケージに入れて車が走り出すとやかましくわめき出すのがいつものこと。ついでにその間に便秘の解消に務めるらしく、必ずケージの中でトイレを済ますのでそれに気がつかないでいると後始末するまで泣き続ける。やっとそれがわかってからは一度車で近所を走って用を済ませて後始末をしてから再び走り出すことにするようになった。

日常的に2日に一回くらい近所を回って便秘しないように車を走らせるから、今の彼女はお腹スッキリ食欲モリモリ、もはや死を待つのみと思っていた頃の調子の悪さはなくなった。毎週の点滴も不要になって高い介護食のお陰で餌を飲み込むこともできる、足腰はだいぶ弱ってきたけれど、このぶんでは25歳も夢ではなさそうだ。ありがたいけれど同じ仲間の猫が嫌いで最近うちの一員となったノラは容認してもらえないのが悩みのタネ。今回は初めてノラを北軽井沢に一緒に連れて行こうと思っていたけれど、不穏な空気に怯えて出発当日はケージに入れる寸前に逃げられてしまった。

森の家に着いてドアを開けるとホカホカと温かい。ノンちゃんから譲り受けたこの家は最近になってとんでもなくハイテクな家だということがわかってきた。今までは他の家と同じように毎年11月の終わり頃には水道が凍らないように水抜きをして家を閉めていた。この水道の問題さえなければ冬にもちょっとでかけたいときに出かけられる。一旦水を抜くと水道を出すのにまた工事を頼んで、お金も手間もかかる。ところがノンちゃんの家は床暖房を切らなければ水抜きの必要はない。その分電気代はかかるけど水抜きの工事にお金がかからなくなるからどちらか選択すればいいだけの話。今年は初めての越冬を試みるつもりでいるから水抜きはパス。夜間電力を利用して家の土台のコンクリートに蓄熱して家全体を温めているのだそうだ。恐れ入りました。

毎年ノンちゃんとご主人の田畑さんはお正月を北軽井沢で過ごしていた。それで田畑さんの代まではずっと家を閉めなかった。けれど私は雪道の運転が怖いので毎年冬は行かなかった。もちろんスキーをやっていたから北軽井沢にいなくても雪景色は堪能していた。ところが膝の故障が起きてスキーに行くのも何かと不自由になってみると、しきりに冬景色が恋しくなった。

今年もスキーに行く踏ん切りがなかなかつかなくてスキーの先生に相談してみた。私はもはやうまく滑ろうなどという高望みは捨てて初心者コースを無事に降りてこられれば満足。しかし一人で滑っていて万一転んだら起き上がれない可能性が高い。それで講習を受けるのではなく先生に一緒に滑ってもらい、転んだら助けてもらうという路線に変更しようかと相談したわけで。先生はいいよと言ってくださったけれど、なんだかそれも悪いからしばらく考えていた。先生は悪いところがあるのなら整形外科に行って診てもらうようにと。それもそうだ。しかし、私の現状は怪我などではなく、筋力の衰えからくるものだからトレーニングで治る部類。自己トレは難しい。やはり専門家に見てもらいたいいけれど、私ごときの軽症では近所の病院でもしっかり面倒は見てくれない。それで思い出したのが友人たちが通う病院のリハビリテーション。

人と一緒ならサボれないしちゃんと効果のあるトレーニング法が学べる。思い出したので以前美容外科の肌トレに行っていたその病院へまた通うことにした。とりあえず外観から元気になろう。今日予約が取れたのでこれから行こうと思ったのが、考えても病院の最寄り駅が浮かんでこない。あらま、顔より脳のシワを活性化する必要がある。どこを優先するかは好き好きだけれど、対外的には脳外科が最優先のような気がしないでもない。シミが目立つので顔全体をレーザーで一掃してもらう。

久しぶりに訪れた病院では以前の担当医はとっくにいなくなっていて若いきれいな女性医師が出迎えてくれた。先生は色々相談に乗ってくれたものの、こんなおばあさんでは効果も薄いしと思っているらしくいまいち乗ってこない。しかも以前のシミの状態より加齢が原因となるとなかなか難しいらしい。肌自体が劣化しているから。

今日は試しに一部だけシミ除去することにしてベッドに横になった。顔の中でもひときわざらついた手触りのシミがあって、それは他のシミとは違う種類らしい。そこだけ盛上がっている。麻酔のテープをそのシミに貼って数分待ってからレーザーで削っていく。怖がる人がいるかも知れないこのようなことは私は割と平気な方で痛ければ喚けばいいだけの話。我慢強くない性格なので平気で大騒ぎする。

アートメイクの眉毛とアイラインを入れたときにもチリチリとした痛みがあったけれど、なんのことはなかった。ところが隣のベッドで施術されていた人は我慢に我慢をしていたらしく始まって数分後「ああ、もうだめ」と言ってベッドを降りてしまった。痛みより恐怖だったのだろうと思った。今回も軽い麻酔をしたので痛みは感じられなかったものの、機械の唸りと皮膚を擦る感触が嫌かもしれないと思った。初日のお手入れはほんの10分くらいで終了、これから少し頑張ってみよう。

終わると若い先生はホッとした様子。年齢からすると私は厄介な患者と思ったに違いない。途中でショック死されてもおかしくない。なにもこんなに年を取ってからシミ取りなんかしてもしょうがないでしょうと言いたかったと思う。緊張が溶けたのか急に明るくなってはしゃいでいるのが可愛い。

私は若い女の子?にもてるのよ。受付の女性も一緒にはしゃいでいるから急にその辺が華やかになった。いいねいいね、本当は機械でシミとりするよりこの明るさが人生を豊かにするのだ。じゃ、また来年ね!と予約して病院をあとにした。すでに日が落ちても都会は明るい。それも好きだけど森の静けさと真の暗闇は人に怖れの気持ちを蘇らせてくれる。それは自然に対するもの、人間の欲望のなんとちっぽけなものかということ。モンゴルの大草原を馬で駆け抜けたときに思った。なんにもないということがどれほど素晴らしいかということを。

なのに私の家はものに溢れている。ガラクタを来年こそ片付けよう。となると、まず、自分から?






















2023年12月15日金曜日

やっと落ち着いて

 この2年間のわたしは自分でいられないほどの焦燥感と苛立ちを抱えていた。やっとすべての問題があるべきところに落ち着いてきたころ、自分を見れば心はズタズタ、イライラを周囲に撒き散らす、胃袋は常にシクシクと痛み、こんな私を見捨てずに我慢してくれていた友人たちにお詫びしたい。最近鏡を見ると目の下にはたるみ、頬にはシミ、口の周囲のほうれい線はくっきり。見るも無惨な年老いた顔。

やっと自分を振り返る余裕が出てきたので久しぶりに肌の手入れに行こうと考えた。しばらく行ってなかったけれど、大学病院の美容外科、まだ昔の診察券でも使えるのかどうか訊いてみた。受付に番号を伝えると「ああ」ため息みたいな驚きの声。「使えますが当時の先生は皆さんもう」いらっしゃらないようだ。私が通っていたのは2008年だと言われて。なるほど、目の下に隈ができるわけだ。それでもカルテはちゃんと残っているようで歓迎の気持ちのこもる声で嬉しそうに案内してくれた。受付嬢が演技派なのか職業意識が高く経営に協力しているのかわからないけれど。

足の痛みは軽減した。階段は前向きで降りられるようになった。軽く走ることもできるようになった、体重も2キロの減量に成功。あと2キロ減らせれば膝の痛みは雲散霧消するはず。そうすると着られるドレスが増える。ウエストが入らなくなって眠っているドレスたち。特にタイトなデザインで買ってから一度も袖を通したことのない服がある。わりと厚手の絹のドレス。サーモンピンクで袖が着物のようなデザインで素敵なのに、私のお腹が横から見るとポッコンと突き出てしまう。このドレスが着たくてダイエットに励んでいるのに、もう少しで着られるところまで進んでも油断して食べすぎてしまう。

私の姪の娘はチアリーディングをやっていて体型を見るとウエスト周辺の細いことったらない。まるで内臓のない人間みたいに細い。それも筋肉質で腹筋が割れているというのは女の子にしてはすごい。それを見せられてから私も腹筋にターゲットを絞って筋トレをしている。お腹は単に脂肪がついているというのではなく、若いうちは本来上半身にあるべき脂肪が重力に逆らえず下に降りて来ているのだから始末に負えない。それにどのくらい年月がかかっているかといえば数えるのも癪に障るくらいだから、容易に退治できるものではない。

今年のはじめ頃は肌がどす黒くなって自分の手を見るのも気持ちが悪いくらいだった。体内で何かが腐っているとしか思えない。やっとストレスが消えて見ると少しずつ回復の兆しで肌が白くなり始めている。惜しいことには張りがなくなりたるんできたのはいかんともしがたい。

美容外科に行くのはもう一つの目的がある。その大学研究室には筋トレのグループがあるらしい。私の友人たちがせっせと通っているというのでその仲間に入りたい。皆さんがいらっしゃいよと言ってくれるけれど、そこに入るには整形の先生の紹介が必要らしい。だから体の曲がりもその整形に通えばいい。根性の曲がりは・・・どんな名医もなおせないのが残念なところ。

今年のクリスマスにはモーツァルトのソナタ他、古い友人と演奏する事になっている。彼女は私がオーケストラの入団テストを受けたときにピアノ伴奏してもらった。あれからどれだけ年月が過ぎ去ったことか。衣装はどうする?と訊くと彼女はプリーツの服というから考えた。そういえば最近緑色系の細かいプリーツ加工の服を通販で買ったっけ。それにしよう。まだどこへも着て行ってない。ちょうど裾が私のくるぶしの長さだし。しかしその通販のページで見るその服はモデルの膝丈の長さ。膝から下に長い脚がスラリと伸びている。

モデルは外国人と言ってもこの足の長さの差はなんともはや!














2023年12月4日月曜日

早くもクリスマス

 埼玉県のとある会館で昔の学友たちとの共演。練習を先日やったので時空の隔たりはあっという間に埋められたことは前に書いた通り、地元の数人のピアノの先生の門下生の発表会で「鱒」を演奏した。チェリストの息子さんの奥様が主催者で、彼女はもちろんシューベルトのピアノパート、チェリストは義理のお父様、ステージ上のマネージメントは彼の息子さんと一家総出の心あたたまる風景。いいなあ、こういうのって。

都心を少し離れると東京近郊でも空が広い。温かい日差しの穏やかな一日、自宅最寄り駅から直行なのに距離的には遠いので少し緊張していた。特急から何処かで鈍行に乗り換えなければいけない。ネットの乗換案内で調べたにも関わらず、電車に乗ったらさて?一体どこだったかしら。乗り換えはうまくできた。

けれど目的地の駅からタクシーに乗ろうとすると乗り場に車は一台も停まっていない。待っていても来ない。そこであたふたしなければ大丈夫なのにせっかちな私はいつも無駄に動いてしまう。広場の向かい側にバス停があってバスが停まっているから、バスに乗ろうと思ったけれど、目的地の停留所がわからない。とりあえずバスに乗った。先日来たときに車で送ってもらったから方角はわかっている。

するとバスは違う方向に曲がっていく。えっ!どうしよう。ドライバーの車内放送で本日は終点付近の交通の混雑によりバスは遅れているので迂回するコースをとるとのこと。だんだん狭い道に入っていくので私は冷や汗タラタラ。知らない町の知らないバスで何処かに降ろされてしまったらその後はどうすればいいの?タクシーは駅にもいなかったのだから流しの車が捕まる訳はない。

そのうちバスは再びにぎやかな道に出て、あら、そこは先日の練習に来たホールの近く。助かった!冷や汗をかいたので喉が乾いた。しかも今更気がついたことは私は目的のホールの名前すら覚えていなかったのだった。道を訊こうにもなんと言って聞けばいいか分からなかったのだった。

会場練習はなんとか終わってあとは本番を待つのみ。たくさんの出演者の最後に私達の出番だから、随分待たないといけない。待つのも仕事のうち。よくそう言われた。特に映画のしごとはほとんど待ってばかり。昔「砂の器」という映画があったのをご存知でしょうか?中居くんの主演ではなくてもっと前の加藤剛さんが主役だった。それに私も出ているのです。その撮影のときはただひたすら待って待って次の日も待って待って・・・

数日間、埼玉会館の楽屋で過ごしたときには電気コンロを持ち込んで鍋を囲んでいたっけ。皆で具材を持ち寄って流石にお酒は飲まないけれど、ご飯を食べていた。会館から出るわけにもいかず、時々お呼びがかかると楽器を持ってステージへ。細切れに撮るから気が散っていけない。加藤剛さんはオーケストラの楽器の後ろにいる音楽監督の芥川也寸志さんの指揮に合わせて棒を振っていた。少しくらいズレても編集の妙で出来上がった画面を見るとうまくあわせてあるので感心した。

主題曲作曲は菅野光亮さん。主人公の加藤さんがピアノを弾くシーンは手だけ写すときには作曲者自身の演奏している手を撮す。加藤さんは骨ばった体脂肪率少なめの体格なのに手が写ったときには菅野さんのぽっちゃりした手が写っているのがおかしかった。作曲者は芥川さんではなかったが、芥川さんなら同じように骨ばった痩せ型の手だからそのほうが良かったかもしれない。

話が逸れたけれど、音楽会の主催者側からの希望でクリスマス色のものをなにか身につけてほしいとのことだった。どんなものを着ても良いと言われるとなおさら難しい。私の持っている服の中に緑や赤はないので困った。

本番数日前に古典音楽協会の会議が開かれていたのは東急線の白楽駅近くで六角橋商店街がある。会議が終わってからブラブラと商店街を歩いていたら手作りの衣類や小物などを売る面白い店があった。入ってみると個性的な小物や服がズラリと並んでいた。店のオーナーに事情を話して探してもらったのは紺地に赤や黄色などの細かい模様がステンドグラスのように見える面白い服だった。

面白いものに目がない私はスカートとブラウスを買ってそれに赤いベルトをしてみたら、すごくクリスマスっぽくなった。そして本番当日、会場に来てみたら、主催者はじめ他の出演者はごく普通のドレス。私はすっかりクリスマス気分で浮いてしまった。ちょっと変わったことをするのが好きな私はいつもへんな格好で浮足立って見える。そのうえ日本では「いい歳をして」という言葉があるように、あまりはしゃぐと叩かれる。

性格に問題があるからへんな人として見られるのは慣れているけれど、でも買ってしまった服はこのあとどんな場面で使えるかわからない。ちょっと普通の場面では使えないから来年のクリスマスにも仕事があるといいなあ。