2012年3月31日土曜日

フォームを変える。

先日外山滋さんにお目にかかった時に左手の形の話になった。ご存知のようにヴァイオリンは右手のボウイングと言われる運弓法が大変難しい。でも体はずうっとつながっているのだから右手が良くても左手に無理があると、右手にも影響は及ぶ。最近なにか右手の弓の持ち方に違和感があって色々試していたけれど、いっこうに改善されない。先日の外山さんのお話で、もしや!と思って左手の楽器の持ち方を変えてみたところ、右手(正確に言うと右手薬指)から、すーっと力が抜けて行った。だから先輩の言うことは聞くものだなあと思う。よく野球やゴルフの選手が打てなくなったり、スケートで回転できなくなったりするのは、ほんの些細な体の軸のずれだったりする。ヴァイオリンも時々と言うよりほとんど毎日音を出すことの戦いとなる。昨日はいつもよりも沢山弾いていたので、指が疲れて夜寝る時も、手全体がジンジンしていた。若いころのようにはすぐ回復しないからやりすぎは禁物。それでもフォームを変えるのは時間がかかるから、沢山弾き込まないとものにならない。生活自体は歳をとればとるほど楽しくなってきているので幸せなことだと思うが、体の柔軟性だけは元に戻りたいと切実に思う。どんなフォームでも簡単に指が回って、早いパッセージはむしろ得意とするところだった。その頃にはいきおいにまかせて弾けたから姿勢のことなどほとんど気にも留めなかったけれど、今頃になるともう正しい姿勢でないと良い音は出なくなってきている。このあと良い音、良い音程で弾くには体を上手く使わないと難しい。柔軟体操などもやらないといけないのだが、生来の無精者でどうも永続きしない。体を動かすのはあまり好きではない。だからと言って動かさないでいると関節がさび付いてしまう。楽器を弾いているのは好きなので、弾きながら関節を柔軟にする方法はないものか。そんな都合の良いことはないでしょうね。ある程度楽器のおかげで体の健康は保たれているけれど、やはりずいぶん無理もしているので、例えばスポーツのトレーニング法のような、楽器のための体の鍛え方があるはず。グチャグチャ言ってないで、さっさと練習しろと言う声が聞こえてきそうだけど。

2012年3月30日金曜日

そろそろ桜咲いてくれないかなあ。

切実な願い。4月1日は我が家恒例の大お花見大会。毎年30人くらい「雪雀連」を中心に、うちの2階は大賑わいになる。今年ほど桜の予想が外れたのはいままでなかった。いくら遅くても半分は咲いていた。去年今年は予想外が多すぎる。あと余すところ2日。今日、明日もなんだか寒そうで期待が持てない。となると開催してからウン十年のうち、初めて花の咲かないお花見大会になる。家の前の桜並木が見事なので始めた大会も、毎年となるととても大変なことが多かった。特に私は休日に仕事のことが多くて、休日でないとダメな一般の人との兼ね合いが難しく、毎年日を決めるのに苦労したけれど、今年のように花の咲かない年は一回もなかった。仕事が忙しく花見の準備をするのは本当に大変だった。30人分の料理とお酒、買い置きできるものは一週間くらい前から徐々に買い置きをして、生鮮食品だけは当日に買う。それでも料理して盛り付けて、皆さんがちらほら集まる頃にはすべて準備が整って、私は澄まして座っていればいいようにしておく。今はヒマになって大したことではない。でも、連日仕事に明け暮れていた頃には、いつ買い物に行っていつ料理をして、もう、頭の中はごっちゃになってしまった。それでも毎年楽しみにして来てくれてご機嫌で帰って行く人たちを見ると、どうしてもやめられなかった。後片付けの大変なことはいうまでもない。ビール、ワイン、日本酒とどんどん飲んでいくから、その都度グラスが替わる。だからちゃんとしたグラスを出すのは最初だけ。あとは捨てられる紙コップなどを使用する。それでもみんなが帰った後には山のような洗い物が残る。これを片付け終わるのが午前2時ころまでかかる。次の日早くから仕事があるときは泣きたくなる。でも、そうやって苦労したからこそ沢山の素晴らしい友人たちに恵まれている。「雪雀連」は驚くほど多士済々のグループで皆さんその道のエキスパートたち。見たところ皆地味でそんなすごい人には見えないので、外からは冴えないおじさん、おばさんの集団かと思えるがさにあらず。初めてグループに参加した人はちょっとバカにすることが多い。なんだ、冴えない人たちだなあと思うらしい。メンバーも一切自分のことを自慢したりしない。そのうち判ってくると、おおっ、おそれいりました、てな具合になる。このグループに加わってから長い間、私も誰が何をやっている人か知らないで一緒にあそんでもらっていた。そのうちに、徐々に話の中で知って行くにつれて、まあ、なんて素晴らしい人たちだったのかと驚嘆している。今でもほとんどの人が現役で活躍中なのも凄い。しかも80歳を超えてもちゃんとスキーを滑る。長距離をものともせず柔軟に早いので、若い人たちでも追いつけないことが多い。一時期50人を超える参加数を誇っていたが、最近は10人足らずの昔からのメンバーで遊ぶことが多い。でも残ったのは初めからのメンバーというのも面白い。途中で参加してしばらく来ていても、会話や雰囲気が合わなくて休会になってしまう人もいるけれど、初めからのメンバーは軽妙洒脱、偉ぶらない、人のことに口ださない、心底楽しむことを知っている人たちが残り、そういう人はやはり仕事も一流。いつも遊んでもらえることに感謝している。

2012年3月28日水曜日

すごい文字化け。

パソコンの天才である私は時々とんでもない偉業を成し遂げる。さきほど今日のコンサートの記事を投稿したら見事な文字化けになっていた。残しておくので見てください。どこでどうやったのか自分でも訳がわからない。この記事が正常に投稿できることを祈っている。きょうのコンサートは小平にあるケアハウスでの訪問コンサート。ヴァイオリン、ヴィオラ、ピアノの編成で春にちなんだ曲を取り揃えて、入居しているお年寄りに喜んでいただこうというもので、題して「さくらはまだかいなコンサート」このハウスの演奏会場となる食堂は2階にあって、大きな窓から庭の巨木の桜が見える。満開の頃はそれはきれいだそうで、企画をした時にはまさかこんなに咲くのが遅いとはわからなかったのだろう。ヴィオラのFUMIKOさんとピアノのSさんは2回目。私は初めての参加で、桜がさいていないなら私たちが狂い咲こうと、友人から借りた花柄の素敵なドレスを着た。曲目は春の海、春に寄す、早春賦など、これでもかとばかり春爛漫、解説をつけるはずが時間超過で、マネージャーのTさんが慌て気味だった。でもたいそう喜こばれてお返しに入居者のコーラスを聴かせてもらって、楽しくお開きとなった。とてもお年寄りたちの顔が明るいのが印象的だった。どこを見ても清潔で温かみのある施設内と、やさしいスタッフたち。Sさんが「私はここにするわ。207号室がいいわね。あなたは隣の部屋にしなさい」と勝手に私のぶんまで決めている。隣が名門ゴルフ場の小金井カントリー。自然がいっぱい残っているこの場所もいいけど、私は都会の真ん中で飲み屋に通う変なおばあさんになるわ。

2012年3月27日火曜日

居眠り

昨日の「古典音楽協会」定期演奏会はいつも通り沢山のお客様で熱気のあるコンサートになった。最近私は集中力が持続せず、本番で間違えるようになった。かつては抜群の集中力を誇り、練習で弾けないところも本番になると火事場の馬鹿力で弾いてのける荒業を、何回も使ったものだけれど。最近は練習してあっても途中で目がかすんでくると、どうしても弱気になって腰が引けてしまう。要は練習量が足りないだけの話かもしれない。私事はさておいて、無事にコンサートが済んで、今日は明日の病院のチャリティーコンサートの練習にやってきた二人の友人。誕生日がみな近いのでお祝いをしてから練習をしようというので、私は朝から近所を飛び回って買い出しをした。桜の花の付いたおにぎりやどら焼きなど。これはヴィオリストの好物。ほんとうならバースデイケーキといきたいところが、彼女はクリーム類が苦手。それでどら焼きとなった。ノンアルコールビールで乾杯して、お昼を食べてさて練習に取り掛かると、昨日の緊張が解けて疲れも出てきた。自分が弾かない曲を休んで椅子に座って聞いているうちに、トロトロと目が解けていく。特にヴィオラの音は丁度中音域で、非常に心地よい。気が付いたら今まで弾いていた二人が笑っている。起きているふりをしていたけれど、どうやらバレバレだったみたい。こんな贅沢なことがあるだろうか。生演奏を聴きながら昼寝をするとは・・・。王侯貴族だね。明日のコンサートは大きな窓から桜の花の見えるロケーションが用意されていたはずが、なにぶんにも今年は咲くのが遅すぎる。残念ながら花はさいていないので、こちらが狂い咲くことにした。友人から借りた花模様のシルクのドレスを着る。友人は学生時代着たそうだから、今の私が着ると普通の人なら気が変と思われかねない。そこは楽隊の特権として「非常識」「恥知らず」「目立ちたがり屋」など、いくつもの異常性を持っているから、人が何と言おうと、着たいものを着ることにする。本当に可愛いドレスで袖はパフスリーブだし、色合いは白地に黄色、緑、ピンクなどの花が咲いている。でも、これを着て居眠りしたら・・・・。おお、こわ。

2012年3月25日日曜日

ステージ衣装

もう見栄を張ってもしょうがないけれど、そこは女ですから年齢は秘密です。さて年齢と共に変わってくるのが体型。もっとも私の場合、子供の頃からキューピーさん体型だったから生涯同じだけど、時々はお金をかけてエステで整えてもらっていたこともある。若いころは痩せていたから不足するところに詰め物すればいい。でも今は天然の詰め物が一番付いて欲しくないところに、みっしりとついている。そこで困るのがステージ衣装。既成のものはモデル体型のような若い人が来るように出来ている。作った人だってこれをデブのおばさんが着ると思ったら気持ちも萎えるに違いない。ところがそのおばさん、すなわち私はステキなデザインに目がない。痩せていた頃は既製服にサイズがなくて、オーダーメイドを着ていたので、いつも自分でデザインしていた。結構そのセンスはあるほうだと自画自賛している。しかし、悲しいかな、今はちびデブ短足、悪条件の女王だから何を着ても似合わない。だったらいっそのこと裸で歩いたほうがよいかというと、それでは公序良俗に違反して逮捕される。コンサートが迫ってくると緊張して気分が悪い。そこで、自分の気持ちを奮い立たせるために、ステージ衣装を新調することが多い。行きつけのステージドレス専門店にはもう18年も通っている。そのお店を見つけるまでは、あちらこちらのデパートやフォーマルウエアのお店を探しまわったものだけど、今はそこでほとんど間に合う。女性のオーナーがアメリカに買い付けに行ってほとんどが向こうの物なので、とても華やかで着心地がいい。なぜか日本の物は着ても動かなければいいようにできている。まっすぐに手を下ろせばきれいだけど、動くと恐ろしく動作がしにくい。楽器を弾くためには腕や肩が自由に動かないといけないのに。しかもヴァイオリンの場合は特に楽器を肩に乗せるのだから、そこにリボンやスパンコールなどが付いていては、演奏できないという悲しい条件がある。そのために気に入っても涙をのんで見送ることも多い。明日は古典音楽協会の定期演奏会なので、さて何を着るか考えた。クローゼットから何着か引っ張り出して来て、恐る恐る着てみる。絶対に前の日に着ておかないと非常に危険。あるとき地方に演奏旅行に行って、持って行った衣装が入らなかったことがある。いまだに語り草になっているけれど、楽屋で鋏でジョキジョキと裏地を切ってなんとか体を入れたと言う苦い経験があるから、それ以来必ず前日に確認しておくようになった。「古典」のメンバーはなんの打ち合わせが無くてもトーンが合う。当日集まってみるとまるで相談したかのように雰囲気や色合いがぴったり合うのは、本当に不思議な気がする。音を合わせる時も同じ。明日もきっと良いステージになるでしょう。

2012年3月24日土曜日

古典音楽協会定期演奏会

3月26日(月)午後7時開演 東京文化会館小ホール
今回のタイトルは「ドイツバロックの名曲」

シュターミッツ オーケストラ四重奏曲op.4-4 ヘ長調
テレマン 二つのヴァイオリンのための協奏曲 ハ長調
テレマン    リコーダー協奏曲 ヘ長調
バッハ     チェンバロ協奏曲 ヘ短調BWV1056
ヘンデル    合奏協奏曲 ハ長調 アレクサンダーフェスト

最近、古典音楽協会の演奏会は毎回大変沢山のお客様が来てくださって席を捜すのに苦労すると、ありがたいお叱りを受けます。回を重ねるごとに聴衆が増えるので、本当にうれしく思います。平均年齢の高い私たちが、いつまで弾けるかわからないのだから、これが最後に違いないと思ってきてくださるのではないかと思うくらいです。少なくとも私の悪友たちはのんびりと客席で寝たあと、張り切って夜の上野に繰り出してお酒を飲むのが目的で来る人たちなので、私がやめてしまうとこの楽しみがなくなるのを恐れていることでしょう。長い間メンバーがほとんど変わらず、しもその期間が何十年という単位なので、固定のお客様がいつも聴いてくださり、その上にその方たちのお友達が来てくださるのかもしれません。とにかく毎回満席の客席を見ると、おちおち年取ったなんて言っていられません。今回もぜひ聴きにいらしてください。お待ちしております。

2012年3月23日金曜日

勤勉な人たち

しばらく前から私のところへレッスンに通ってくる妙齢(うーん?)のご婦人2人。世間から見れば「酸いも甘いも」とっくに知り尽くしているような年齢なのに、初々しい女学生のように熱心に勉強するので、最近は楽器が一ランク上になったのかと思うほどいい音が出るようになった。初めの頃は二人ともカチカチに固まって、楽器を弾くときは親の仇うちかと思えるような表情をしていた。私たちもそうだったけれど、かつての日本のヴァイオリン演奏技術は見よう見まねで、外国の名人がああやっているのだから、こうした方が良いのではと手探り状態だったのだと思う。私がボウイングを習った三鬼日雄先生なども、外側から見た名人の技術を分析して、ご自分の理論を「ボウイングの科学」という本にまとめられた。三鬼先生は別として、他の先生たちも手探り状態だったから、私たちはいわば実験台みたいなもので、いろいろ余計なこともやらされたような気がする。その後海外に留学する人が増えて、なんだ、こんなに単純に考えてもいいじゃないかと言うことがわかってきて、今の学生たちは小さいころから一番いい技術を教えられる。だから上達も早いし外国の音もすぐ身に付けられる。上手くなると海外に羽ばたいて行って、今世界中で活躍している。イチロー、ダルビッシュどころではなく、とっくに音楽界では日本人が大活躍している。あまり、マスコミが取り上げないのは、いかがなものかと思う。先述の二人のご婦人のうちの一人は初めてうちに見えた時、「前の先生から指弓を教えられていたのですが、どうしても出来ないんです」と言う。私が「そんなもん、せんでよろしい、ちゃんとしたボウイングを身につければ後からできるようになるから」と言って棚上げした。指弓とはなるべく滑らかに音を途切れさせないように弓を返す時などに使う技法。右手の指がすべて柔らかく伸縮しないとできない。だから弓を強く握りしめてしまうと絶対にできない。そんなことをする以前に、がっちりと固めて握った弓を柔らかく持つことから教えなければいけないのに、それを身に付ける前に指弓など教えるなんて・・・・。弓を柔らかく持つことが出来れば、全部の指が腕の動きに合わせて伸縮するから、自然と指弓はできてしまう。今この言葉も知らない人すらいるように、正しく動かせば当然できるものなのだ。さて、このお二人はその後目覚ましく上達して、楽器の音になってきた。以前は(失礼)ベニヤ板で作ったヴァイオリンみたいな音が、今はすっかり由緒正しい楽器の音になった。それにつれて表情も明るくなってきた。正直言って、仏頂面で母親に連れられて習いにくる子供たちよりも、ずっと教え甲斐がある。日本はこれから高齢者社会になってヒマな高齢者がたむろする中で、このように学ぶ心を忘れない人たちはどれほど幸せなことか。ヴァイオリンはとっつきにくくても、真剣に取り組むことをひとつ見つけてもらいたい。

2012年3月21日水曜日

明石詣で

病を得て療養、今は明石に移住して静かな日々をおくっておられる、往年の名ヴァイオリニストの外山滋氏のご自宅に伺った。私が中学生の頃に外山さんのリサイタルを聴きにいった記憶がある。若くして世に出られたためにご苦労も多かったかもしれないが、私がお目にかかったころは、まさに油が乗り切って大変な過密スケジュールをこなしていらっしゃた。かつて弦楽3重奏で私がヴィオラで共演させていただいた時、一度レッスンをしていただけないかと恐る恐るお尋ねしたことがあった。すると「レッスンではなくて楽器をもって遊びにいらっしゃい。一緒に弾いて遊びましょう」とおっしゃった。私にとっては雲の上の人ではあったけれど、少しも偉ぶるところがなく、いつも面白い話を聞かせていただいた。今日も居心地のいいお宅でやく3時間余り、殆どの時間を笑い転げてしまった。次々とお話が進み、指揮者の近衛秀麿氏、山田一雄氏、ヴァイオリニストの鳩山寛氏など懐かしい名前が飛び出してくる。鳩山さんは「ハトカン」の愛称で呼ばれ、私にとっては室内楽に目覚めさせていただいた恩人。近衛、山田両氏は振るタクトがわかりにくいので有名な指揮者だったけれど、音楽性は高く評価されていた。それぞれ数々のエピソードを持つ豪傑で、かつての日本の西洋音楽黎明期ともいえる時代を担っていた巨人たちでもあった。その方たちから愛され共に演奏し、パガニーニコンクールの審査員を務めたり、芸大で多くのお弟子さんを世に送り出した外山さん。飛びぬけた頭脳で、理論的に技術を分析してみせてくださる。今日は久しぶりにお目にかかったので、初めのうちこそ少しのんびりとされている様子だったけれど、お話が進むとどんどん目の輝きが増して、声にも張りが戻って、本当にタフな方であることを改めて実感した。今日はヴァイオリニストの北川靖子さんのお誘いをうけての明石行き。北川さんのお父様は元N響のメンバー。私がオーケストラに入って毎日あまりのハードスケジュールに泣いていた頃、N響を定年退職されて私の古巣の東響にエキストラでみえて、未熟者の私にやさしくコツを伝授してくださった。その方のお子さんと長いお付き合いになるとはその頃夢にも思わなかったけれど、こうして一緒に外山さんのお宅を訪ねて行くと、蜘蛛の糸が張り巡らされているようなご縁を感じる。外山さんが次々と名前を出す人たちは、ほとんど私の知り合いなので、懐かしく面白くつい長居をしてしまった。今頃お疲れになっていなければいいけれど。お弟子さんもよくいらっしゃるようで「明石詣で」というらしい。私たちも時間を見つけて「明石詣で」に行って貴重なお話を聞かせていただきたいと思う。

2012年3月20日火曜日

小田部ひろのさんの命の結晶です。



昨年59歳で亡くなった小田部ひろのさんは、秦野に本当に良い音を追及するオーケストラを作りたいと、残された全命を振り絞って作ったアマチュアオーケストラの第一回定期演奏会です。指揮者の松元宏康氏をはじめとして、団員、トレーナーが一丸となって練習に取り組んでいます。みなさんぜひ足をお運びください。

お聴きになるだけでなく演奏に参加したいという方は大歓迎です。まだできたてのオーケストラですから、意地悪な先輩や知ったかぶりのおっさんなどもいません。あなたがそれになれるチャンスです。真摯に練習に取り組む姿は感動ものです。特に弦楽器が不足しています。われと思わん方は楽器を持ってはせ参じてくださいませ。ただし、練習は非常に厳しいです。アマチュアと言えども手抜きはありませんので、ご覚悟のほどを。と言っても雰囲気は和気藹々です。・・・さあ、これでも参加する気にはなりませんか。

画像をクリックすると拡大されます。ポスターの文字はよみとれますでしょうか。読み取られた方は秦野は遠いなどとおっしゃらずに遊山気分でお出かけください。お待ちしております。

2012年3月17日土曜日

桜は?

今日は雨の土曜日。気温も平年並み。だけど・・・毎年今頃には我が家の前の桜並木は薄くピンクに色付いて、お花見の予定日よりも先に咲いてしまうのではないかとハラハラするのに、今年は硬く蕾をとざしている。今年の我が家のお花見大会は4月1日だから、咲くのが間に合わないかもしれない。毎年お花見の日を決めるのは、開花予想や自己流予想を元に一ヶ月ほど前に決める。今年は私の仕事の都合でどうしても1日にしかできないので仕方がないが、ここ数年はどんぴしゃり、満開の日だった。今年は昨年からの流れでなにもかも想定外だから、お花見に桜が咲かないのもしかたがないというものか。もっとも桜を見にくるわけではなく、旨い酒と肴に目のない連中だから、花は咲いても咲かなくても一向に構わない。ただ、2階から見おろした時に桜が満開であるかそうでないかで気分は大分違う。帰り際に皆さん酔眼朦朧としながらもやっと桜に見とれて、ゆっくりと帰って行くのを見送るのがまた楽しい。これが花が咲いていないとなると、さっさと帰ってしまいそうだ。今日のこの雨と気温が開花を促してくれるのを願っている。いつぞやの花見の日・・・その年も予想がはずれて花が咲いていなかった。たまたま、これも4月1日。ちょっといたずら心を起こして当日建物の入り口に張り紙を出した。「今日は花が咲いていないので会場を熱海に変更しました。」そんなのウソに決まっているのに下で騒いでいる声が聞こえた。「えー、私たちどこへ行けばいいの」ガヤガヤ。アハハ、引っかかった。今日はエイプリルフールだよーん、経験豊富なはずの私たちの仲間は、案外素直でだまされやすいのだ。

2012年3月16日金曜日

ぐうたらしていたのが・・

ヴィオラのFUMIKOさんが毎年八ヶ岳近くの松原湖で演奏しているのは知っていたけれど、半引退状態の自分が参加するとは思っていなかった。なんとシューベルトの「鱒」とベートーヴェン「クロイツェルソナタ」という超ハードな曲目、しかもそれに加えてヴィオラとの二重奏ヘンデルの「パッサカリア」ときたらうーん、悶絶しそうだわ。それは8月でまだ間があるけれど、その前にチャリティーコンサートでもなにやかや、があって、6月にはブラームスの「ソナタ2番」とベートーヴェンの「スプリングソナタ」を立川で、松原湖が終わるとピアニストが替わって「クロイツェル」をもう一度、今度は国立で。猫たちとのんびりゴロニャンしていた生活が、なにやら騒然としてきた。体力が保つかなあ。根が怠け者なので、なにかに追いかけられていないと練習にも身が入らないけれど、これは私としてはちょっと重い。私と同じ年のピアニストの北川暁子さんはひっきりなしにリサイタルをしている。よくもまあこんなに連続演奏会ができるものだと感心するが、彼女に言わせれば「頭の抽斗に全部入っていて、抽斗開けるだけなのよ」とおっしゃる。私の抽斗はガラガラ。開けると出てくるのはネズミの尻尾が関の山。でも若い人に引っ張り出されて演奏させて頂くのは、たいそう幸せなことと喜ばなければいけない。といって、出てみたらよれよれでは申し訳ない。仕方がない。よっこらしょ、練習するか。少し張り切ったら疲れてしまい、生徒が来る前にパソコンに向かったらそのまま椅子にもたれて眠ってしまった。眠るのは特技だけど、これはちょっとひどい。日頃睡眠時間が極端に短いので、時々こうして転寝をしないと持たないことがあるけれど。あーあ、今年の夏は大変だぞ。

2012年3月15日木曜日

旅のお誘い

来週明石まで外山滋さんにお目にかかりに行かない?ヴァイオリニストの北川靖子さんからのお誘い。外山さんは私たちの仕事でソリスト兼指揮者としてお世話になった方で、若くしてN響のコンサートマスターとなって天才少年の名をほしいままにした。非常にエネルギッシュでテクニシャン。難しいパッセージを軽々と演奏して私たちを魅了したものだった。それが突然の病魔に襲われ長い治療生活を余儀なくされ芸大も退官、第一線から退いてしまわれた。日本の音楽界は非常に優れた音楽家を失ったかに見えたけれど、最近はお元気で指導者として手腕をふるっておられるとのこと。本当に良かった。居住されているのは明石。そこまで新幹線で行けば日帰りもできるけれど、せっかくだから一泊したい。久しぶりにネットで安い旅行パックを調べ始めた。つい2年前までは毎月旅をしていたから、まだ手馴れたものでなにかうれしい。このところ突然外に出るのが多くなって、先日は志賀高原、今度は明石、来月は天元台、次々に旅ができる。自分でも二つの面があって、一つは飛び歩いて新しい土地に行きたがる、もう一つは家で猫とゴロゴロしているのが無上にうれしい自分。どちらが本当の自分は今のところまだわかっていない。子供の頃はうちにいて絵を描いたり本を読んだりするのが大好きで、出歩くのは嫌だったので多分それが本当の私の姿かもしれない。でも長じては旅行が3度の飯より・・・は飯のほうが好きだけど、でも飯と同じくらい好きになった。夏は軽井沢そしてさっき松原湖のコンサートの出演のお誘いがあった。今年の秋はイギリスへ行くのがきまっている。中国からは先年瀋陽に行った時のガイドさんから電話があって「今年はいつくる?」そんなにはもう行かれません。嬉しい悲鳴をあげている。

2012年3月14日水曜日

火事騒ぎのあと

今朝も消防車が近所にとまっていた。どうやら火災による死者が出たらしい。歳をとった女性らしく痛ましい。そしてさっきちょっと強めの地震。野良猫たちがあれから寄り付かなくなったのは、なにか天変地異でもあるのかしらと勘ぐってしまう。ノラ三毛コンビはのんきに今朝も現れて餌を食べていったけれど、他の猫がとんと現れない。現れないのは助かるが、それはそれで心配でもある。こうしていつも心配ばかりしているのでちっとも太れない・・・というのは嘘八百。ストレスが溜まると太ってしまうので、痩せられるときは調子が良い時に限る。今はそこそこ安定しているから、現状維持にとどまっている。人の生き死ににはずいぶんかかわってきたけれど、こと殺人とか火事とか事件ものは縁遠いと思っていた。しかし最近はこの界隈でも事件が多い。人口が増えて事件の起こる確率が上がったのかもしれない。しかも毎日のように起こる地震。いまにドカーンと来て死んじゃうのはやだなあ。あとすくなくとも20年は生きるつもりだし、私が死んで猫たちが残ったらどうする。うちの猫たちは過保護にされているから、絶対ノラでは生きられない。願わくば甘え上手にして、新しい飼い主を確保してくれないだろうか。などと言っていると、今いる野良猫たちだって元の飼い主はそう思っていたのだろうから、保護してあげないといけない。養い難しの範疇にはいる女子だから、ヒマだとろくなことを考えない。考えてどうか成るなら考えもするが、なるようにしかならないものは考えるだけ無駄というもの。つまらんこと考えるなら掃除でもしろと天の声が聞こえてくる。はいはい、ルンバにそう伝えます。

2012年3月13日火曜日

消えた野良猫

昨日の火事騒ぎで一斉に野良猫が姿を消した。いきなり赤い(猫が色を識別できるかどうかはさて置いて)大きな車がウーウーけたたましい音を立てながらやってきて、大勢の人たちが大声で叫び、どやどやと走り回られれば、彼らは天変地異が起きたかと思うだろう。私も2時ころまでは起きていたけれど、その時はまだ消防車が何台も止まり続けていた。火は12時ころには収まったと思うが、後始末や原因究明に時間がかかっているものと思われる。今朝現場近くを通ったらまだ一台の消防車がいて、ものものしく黄色いテープが張られていた。焼けた家は路地の奥まったところにあって、消防車も入りにくいところにあった。昨日はなぜ川の対岸のこちらがわから消火しているのかと思ったら、その家の近くに消防車が入れなかったのだ。今朝いつも来るはずの茶トラのノラも、その付属にゃんの三毛も、大きな白猫も姿を見せない。もうあたりは静かになったのに。彼らにとっては本当に怖かったと思う。訳が分からないと言うのはなんでも怖い。古代人たちは雷や日食などに恐れおののいたに違いない。私たち現代人はもうなぜそのような現象が起きるか、危険を回避するのはどのようにしていればいいのかを知っているから、あまり恐怖は感じない。日食などはむしろ良く見える所まで追いかけていく人たちが多い。現象が始まると「キャー」なんて喜ぶ。弥生人なら腰をぬかすところなのに。アラスカでオーロラを見て大喜びをした私でも(だから私は現代人なのだ)訳がわからずいきなりこんなことが起きたら恐怖で立ちすくんでしまう。まさに昨日の夜のノラたちは、その恐怖でこの美味しい餌のもらえる場所を見捨てて逃げたのだろう。しばらくすれば戻ってくるとは思うけど、人間のように理由がわかっていず、ただただ怖い思いをしたのが不憫。逆に言えば危険をいち早く察知して身の安全を確保する能力は猫の方が高いかもしれない。そんな時猫は考える。人間は生き延びるのが下手で不憫だ・・・にゃん、なんて。

2012年3月12日月曜日

火事

上野でコンサートのリハーサルがあって帰宅したのは22時過ぎ。夕刊を読んだりノラに餌をやったりしていた。しばらくして外でサイレンの音がけたたましく近付いてくる。2階の窓から外を覗くと、まさに自宅の下を消防車が通過していった。すぐにもっと外が見渡せるほうの窓を開けてみると、わーっ、火事だ。私の家は川沿いにあって、その対岸の斜め向かいがわの奥の方から真っ赤に火柱が上がっていた。ちょうど建物の裏になっていて良く見えないけれど、かなり大きなマンションが燃えているようだ。時々爆発音も聞こえる。火柱と火の粉がかなりの高さまで上がっていて、次々と消防車が到着する。その数はこちら側だけでも10台は超える。もっと近くには当然沢山の消防車が行っているのだから、20台を超えているに違いない。これほどの数の消防車が来ていながらやっと火柱が消えて、真っ黒な煙が出るようになるまで、40分近くかかった。それでもまだ時々火の粉が舞ったり、火柱も上がったり、中々消えるものではなかった。一軒の消火にもこれほど時間がかかるのだから、万一大地震が発生して火災にでもなったら、消火は絶望的になるだろう。もしそんな時には、まず楽器を持って逃げる。猫たちは自主避難してもらう。書類などはひとまとめにしておこう。でもパソコンは持っていけないから、燃えてしまったらどうしよう。いままでのデータは全部亡くなってしまうのかしら。このnekotamaも消えてしまう。地震で助かっても火事からは逃れるのは難しい。いまから心配しても仕様がないけれど、こんなに不安定な世の中になってしまったのはいつごろからか。だから人間は不必要なまでに欲張ってはいけないと言うことを、この一年まざまざと実感している。今日の火事で焼け出されたお宅にけが人はでなかったのだろうか。どうか命だけは助かっていてほしい。燃えてしまったものはあきらめられるけれど、命が無ければお終いだから。

下界に降りて

昨日はまだスキーのレッスンが続いていたけれど、もう納得したのと、やいのやいの言われながら滑るのが嫌なので、さっさと一人で帰ってきてしまった。先日の人間ドックで不整脈を指摘されていたし、坂道を上るとかなり息切れがするのは、運動不足で心肺機能が低下しているせいだとは思うけれど、今までになかったことなので大事をとってのこと。帰ってきたら心配していたノラはいない。大きな白猫が我が家周辺を支配していて、三毛はどちらにもいい子にしているから、いつでも顔を出す。やきもきしていたら今朝ノラがやっと顔を出した。利にさとい三毛は、白猫を離れノラに密着している。どこにでもいるんだなあ、このてのちゃっかり者は。昨日新幹線の中で東北大地震の発生時間を迎えた。しばらく自主黙とうをしていたら又涙がこみ上げてきた。自分が被災した人たちは、いつまでもいつまでも悲しみは癒えないと思う。絆と声高に叫んでも、汚染された廃棄物は受け入れず拒否する。人間は当事者でないと本当の苦労は分からない。もし自分が同じ目に遭ったとしたら、拒否されれば理不尽に感じるに違いないのに。いまだに反省の色も見せない東電に改めて怒りを覚える。しかもその東電から甘い汁を吸っている政治家、役人にはもっと怒りを感じる。東電は自社の利益が最優先だから、儲けようと考えるのは当然。しかし、そのほかの利権に群がる亡者どもは、被害者のことなど全く考えていないと思う。自分たちの懐が温まり、しかも、自分たちは当事者ではなく涼しい顔をしていられる。誰がこんな美味しいことを手放すものですか。東電が反省しないのは、こんな亡者どもから守られているからだと思う。考えると絶望的になる。ノラにも白にもくっついて餌のおこぼれに与っている三毛なら可愛いものだけど、地球規模の大災害を起こしかねない原発事故の安全性を無視して、結局なにひとつ解決できていないのに、つぎの原発を推進するその神経はまともではない。

2012年3月11日日曜日

間もなく

3月11日の大震災の時間となります。被災され亡くなった方々のご冥福をお祈りします。

本日は晴天

昨日まではチラチラと雪が降っていたのが、今朝はピーカン! 抜けるような青空、足元で軋む雪。最高のコンディションなのに私は帰り支度をして、ホテルの部屋でゴロゴロしている。レッスンは充分受けたし理解も出来て後は自分で練習すればいいけれど、体力が無くて息切れがするのと日に焼けたくないため。息切れはチベットで高山病にかかった後遺症か?今年はとにかく無理しないでいくことに決めたので、部屋でハリー ポッターの4巻の原書を読んでいる。全796ページ 今740ページほどのところに差し掛かっている。月2回イギリス人でバイオリニストのルースさんと購読。巻を追って難しくなり先生のルースさんも時々わからないので、宿題を持って帰ることがある。残りあと3冊、7巻に辿り着く頃には私はボケてしまわないかしら。この巻が終わったら祝杯をあげよう。後の3巻は今読んでいる巻の半分くらいの長さだから、もう少しは楽になりそうだけど。さて、この写真は常宿の石の湯ホテル、居心地のいい自宅にいるような気持ちにしてくれる。こちらから言えばなんでも快くやってもらえるけれど、言
わなければ放っておいて好きにさせてくれるところが、何とも居心地がいい。交通の便が多少悪いので決まった時間でないと来にくいけれど、ひっそりとした佇まいを愛する人達の常宿になっている。

2012年3月10日土曜日

志賀高原

昨日から志賀高原でスキーを楽しんでいる。メンバーは変わらず「雪雀連」山田会長は昨年暮れに前立腺ガンの手術を受けたばかりなのに、もう元気に滑っている。御歳80歳。怪物です。私は昨年来からの不調でイマイチ元気がでないけれど、久しぶりのスキーはやはり気持ちが良い。志賀高原には毎年のように来ているけれど、自然の素晴らしさはそれぞれの表情があり、厳しい時も穏やかな時も毎回違った顔を見せてくれる。どこを切り取っても絵になる。昨日から早速レッスンが始まって、先生の前では決して足は痛くならないのに、一人になるとすぐに腿が張って痛くなる。基本が出来ていない証拠でいつも私がレッスンの時に生徒たちに言うことと同じことを言われる。アハハ、しゃくだなあ。泊まりは馴染みの石の湯ホテル、ポツンと一軒ゲレンデから離れて建つ小さなホテルだが、玄関を入ると「お帰りなさい」と言われるほどの古いお付き合い。着なれた服を着るように、到着したときから自宅にいるような気がする。昨年からの股関節の不具合があって、滑っている時にはなんでもないのにリフト乗り場などの上りがきつい。スポーツ整形に行くように勧めてくれる
人がいたので、帰ってから早速行ってみようと思っている。元々体育系ではなく、小中学生時代は飛び箱も鉄棒も出来なかった私が、唯一楽しむスポーツがスキーだから、大事にしたい。

2012年3月8日木曜日

樫本大進

サントリーホール
ピアノ  コンスタンチン リフシッツ

ベートーヴェン  ソナタ第2,3,7,8番

骨格の大きな、それでいて繊細な素晴らしい演奏だった。最近私とコンビを組んでベートーヴェンに取り組んでいるピアニストのSさんとお姉さん、それにSさんの亡くなったご主人のお友達お二人がコンサートの常連。ご主人が去年亡くなって、そのあと私が時々このメンバーに参加させてもらっている。今回樫本大進なので、大喜びで参加した。樫本さんは以前一度だけ聞いたことがあって、なんと素晴らしい演奏家なのだろうと思っていた。今回すべてベートーヴェンというおそろしく大変なプログラムも心から堪能させてもらえた。特に後半の7番8番は圧巻で、日本人でありながらベルリンフィルのコンサートマスターというオケマンの頂点に立てるのもうなずけるものがあった。今ダルビッシュが大騒ぎされているけれど、日本人の音楽家はもっと世界の最高峰に行っている。それを知らない人たちがほとんどと言うのは甚だ残念なこととしか言いようがない。マスコミもほとんど取り上げないし、クラシック音楽を全く無縁のものと思っている人の方が多いから仕方がないかもしれないけれど、一度彼の演奏を聞いたらきっと虜になるだろう。今日も会場は沸きに沸いて、ブラボーが連呼された。静謐とダイナミックさが交差し、本当にスケールの大きい演奏に大満足。私も叫びたかった。「ブラビッシモ!」

2012年3月7日水曜日

雪山に

昨日はブツブツ愚痴をたれていたけれど、夕方スキー場に荷物を送る支度をしていたら、だんだんその気になってきた。驚いたことに、去年カナダから帰ってからスキーのメンテナンスしていなかった。空港から自宅に送ったままの状態で梱包を解いてもいなかった。海外に行くときは荷物の重量を減らすためにスキーにヤッケやパンツを巻きつけてケースに入れることが多い。そのため、今回スキーパンツが見つからず大慌て。結局スキーに巻き付いてよれよれになっているのを発見した。一年間そのままで中で蒸れていたのをそのままホテルに送った。道具を大事にしないとしっぺ返しをくらうから、ホテルに着いたら念入りにワックスがけしておこう。と言っても、それは私たちの先生がやってくださるので私は高みの見物。先生は到着すると念入りに生徒たちのスキーとブーツのチェックを行う。なにしろスキーの事以外になんの興味を持たないお方だから、好きなようにやっていただく。生徒たちは始めのうちこそ恐縮していたけれど、最近はやってもらえるのを当然のことのようにお任せしっぱなし。誰が何と言おうと気が済まないのならやっていただいて、私たちは楽に滑ることに専念すればいい。朝起きるとすでに私たちのスキーはワックスがかけられ、雪が貼りつかないように外気にさらして気温と同じように冷やされている。レッスンを受けるのは4年ぶりくらいだから少々不安がある。すっかり我流になっていることと思うし、なにより先生のパワフルなレッスンについて行けるかどうか。歳をとって少しは人間が柔らかくなってきたけれど、若いころの先生は困ったことに自分が納得しないうちはレッスンをやめないことが多かった。そのお蔭でうちのメンバーは高齢者が多いにもかかわらず、怪我をしないうえに長距離を楽に滑る。初めてこのグループに外部から参加する人は、見かけはおしゃれでもなく普通のおばちゃんたちみたいなので、馬鹿にしたそぶりを見せる。でも、滑らせると早く見えないのに早い、しかも安全に長距離息もきらさず滑るのを見て驚愕する。有名大学のスキー部にいたと言う人などは、初めて参加した時は天狗状態。我こそは一番うまいと思ってきたのに、あっという間に置いて行かれたので激しくショックを受けたようだ。そのあとはおとなしく先生のレッスンを熱心に受けることになった。カナダやアラスカ、ニュージーランドなど海外の山も踏破している。そこでもリフト券はスーパーシニア券を使うメンバーも多い。だから私などはまだまだひよっこで、これからも安全かつ大胆に滑るためにもレッスンはかかせない。しかし、やれやれ、あの奇人変人の先生のレッスンを受けるのはは時々しんどいのですよ。

2012年3月6日火曜日

歩行困難

冬場一番元気だったはずの私が、去年の秋あたりから不調になってしまった。まずは腰から左足にかけてのしびれ。風邪がなおらない。喉がずっと腫れている。お腹の調子もずっと悪く、いつ何時トイレに駆け込まないとも限らないから、外出も怖い。そんなこんなで毎日のようにしていたウオーキングもさっぱりしなくなって、時々自己流ストレッチはするものの、大変な運動不足。すっかり足腰が弱ってしまった。それなのに、今週末に志賀高原に行こうと思っている。あまりのぐうたらさに嫌気がさして大好きなスキーでもすれば気分がよくなろうかと期待している。それにしても今の状態でいきなりスキーをしたら危険だからと、久しぶりのウオーキング。思った以上に足がだるい。最近は仲良しのカラスのいるところまで足を延ばすこともなくなってきた。今彼らは元気でいるのだろうか。艶々の恰幅のいいお父さんカラス、引っ込み思案でお父さんがいないと餌も取れないお母さんからす、ほっそりした子供たち。もう私が行っても飛んできてくれないかもしれない。今までの人生で体調が定期的に不良になることを実感している。ある年はえらく元気で飛び回っているのに、次の年は一つダメになると連鎖的に体全体に故障が出る。それが大体10年位の周期でやってくる。今年はその体調不良の年らしいからおとなしくしていようと思ってはいたけれど、スキーだけは欠かせない。毎年一回はいかないと気が済まない。以前は年間30日以上滑っていた。冬はそのためにとても元気で生き生きしていたのが、だんだん億劫になってきた。去年はカナダに行って楽しく滑ってきた。それがあの原発事故で気分が沈んでしまって、なんだか元気がなくなってしまった。そのへんからどうも立ち直れないでいる。被害に遭わなかった私たちでもこんなに元気をなくすのだから、被災者はどれほど辛いことか。私の歳になって家も家族も失ったら、がんばれと言われても頑張れないだろう。遊びに行けるだけでも幸せだと思って、滑ってきます。でもほんとはしんどい。

2012年3月5日月曜日

西湘フィルは間もなく一周年

秦野市にできた新しいアマチュアオーケストラ「西湘フィル」は明日で創立一周年を迎えるそうで、初代団長の小田部ひろのさんの死というあまりにも悲しい経験をしたけれど、なんとか無事に6月の演奏会に向けて頑張っている。小田部さんの最後のメールは去年の9月3日、その日はこのたびの演奏会のプログラムを決めるために指揮者、コンマス、インペク、トレーナーが集まった。そこには団長の小田部さんの姿はなかった。曲目が決まってすぐその場でメールで伝えると、こんな返信があった。
「今日はお疲れ様でした。それにしてもすごく楽しそうな選曲ですね。メンバーからいってどれもしっかり演奏できそうな曲ですね。魔弾の射手はミュンヘンでオペラをみましたが、昔ながらの演出でとても楽しかったです。うちのオケはホルンはなかなか優秀ですものね。あ~一緒に演奏したいなあ~」
これが彼女からの私宛の最後のメールとなってしまった。今度の演奏会は彼女へ捧げる大事なものだから、なんとしてもいい音が出したい。昨日は秦野で弦楽器と管楽器に分かれての分奏。そもそもアマチュアと言えども手抜きをしない指揮者、トレーナーが集まったのと、メンバーが非常に真剣にやる気を見せているのとで、最近の進歩はめざましい。全く新しいメンバーなので、古くからいる団員が幅をきかせたりすることもない。今、非常にうまくいい方向に進んでいると思う。
6月24日(日)秦野市文化会館、たぶん昼間の公演だと思うので、ぜひ聞いて下さい。
ウエーバー「魔弾の射手序曲」
ドリーブ  「コッペリアより」
ベートーヴェン「交響曲7番」という楽しいプログラムです。

2012年3月3日土曜日

パソコンの治療

いつからかメールの画面のスクロールがうまくいかなくなって、それでも私の強力な助っ人のパソコン名人がもう一つ別の受け皿を作ってくれていたおかげで、たいして不自由は感じていなかった。ここがだめならこちらがあるさという具合に。でも最近チラッとそのことを言ってしまったら、完璧主義の彼は飛んできて今日はパソコンのお色直しとなった。忙しい人だからこちらに来た時にあれもこれも手を入れようと言うので、大変な作業になる。何時間もかけて見ているだけで頭がくらくらするのに、その上、その作業工程をヴィデオに撮って私が後で見直しができるようにしてくださる。こんなに面倒見の良いサポーターはちょっと見つからないでしょう。なぜ、こんなド素人の私にこんなプロが付いていてくれるかと言うと、もう10数年前になるだろうか。近所に不思議な携帯ショップがあった。商店街の外れにいつ見ても人がいるのは稀なお店。時々カウンターで接客しているので、どうやら仕事はしているようだ。あるときまだ携帯を持っていなかった私もついに必要に迫られて買うことを決意、そしてその不思議なお店を覗いた。呼ばわると中から白皙の青年が現れて応対をしてくれた。第一印象はえらく頭が良いというもの。一瞬たりともよどみなく物事が進む、これはめっけものだぞ。私の中で小躍りするものがあった。店員さんかと思ったら、なんと社長さんだった。しかも大変業績のよいお店らしい。ことのついでに前から気になっていた「パソコン貸します」という張り紙。ワープロはやったことがあったけれどパソコンとはどんなものなのかしら。好奇心がムラムラと頭をもたげる。ちょっとためしに借りてみようか。初めてのパソコンは全てが謎で、びくびくしながら触れば、なんだか訳がわからない全くの手探り状態。幸い少しワープロを触っていたのでキーボードは遅いけれど打てる。しっかりと初期設定をしてキーボードの練習ソフトまで入れてもらったのに、言葉がわからないしちょっとなにかすれば、画面に責めの言葉が現れる。そこでお店に寄ってこうなってしまいましたと報告すると、ちょっとしたヒントがもらえる。でも初めは質問すると「サポートセンターに電話して聞いてください」と、にべもない返事が返ってきた。でも、こちらは必死で食い下がる。こんな頭脳を逃してなるものか。そのうち熱意にほだされてか、あまりの無知に同情してか、いつの間にかせっせと面倒を見てもらえるようになったしだい。なにも私にだけ親切と言うわけではなく、困った人がいたら放っておけない性格らしく、沢山のパソコン難民をかかえているらしいけれど、一番手数がかかるのは私をおいてほかにいないのではないかと自負?している。出来もしないのに好奇心だけは旺盛だから、あれをしたいこれも知りたいで、さんざん手こずらせた。私のせいでストレスが跳ね上がったことも多かったと思う。全く器械音痴の私がここまで無事に継続していられるのも、その人のおかげなのです。感謝。

2012年3月2日金曜日

ミステイク

昨日レッスンを受けにきたYさん、バリバリのキャリアウーマンでひっきりなしに韓国へ営業に行く。彼女はいつも元気いっぱいで艶々輝いているのが、昨日はちょっと様子が違った。なんとなく投げやりで集中力に欠けている。訊けば、仕事の失敗で翌日上司から叱られるのだと言う。大人のオアシスの澁谷の音楽教室「ルフォスタ」ではロビーでの飲酒可だから、毎週木曜日に来る人がレッスンが終わるとお酒を飲んでいる。最後の生徒のレッスンを終えて出て行くと、いつもならすぐに帰るYさんがそこに加わって気炎を上げていた。なんでもみんなで決めて売り込んだ価格が会社側に気に入られず、彼女が全責任をとって叱責されるのだそうだ。「みんなで決めたのに、なんで私一人が怒られるの」と愚痴をこぼしながら根が明るいので、すでにニコニコしているけれど、きっと内心はきついのだろうなと同情するも・・・・私たちの仕事なんて失敗の連続、失敗が失敗を産み、泥沼にはまって消滅したオーケストラプレーヤーを何人見たことか。一回の失敗から見る見る崩れていく人を見る(聴く)つらさ。本人はその場で死んでしまいたいと思うくらいだと思う。自殺する人もいるのはどの社会でもいるから何とも言えないけれど、数千人の観客と百人以上のオーケストラの仲間の前でボロボロになってしまったら、立ち直るのにどれくらいの時間がかかることか。私自身もかつてオーケストラでカナダ、アメリカ西海岸、南部、メキシコを演奏旅行した際、私が曲の冒頭を一人で弾く曲があって、手が震えて弾けなかったことがあった。しかもバンクーバーのテレビ放送のカメラが入っていて、私の手のアップから始まる。どうやっても震えて見事に失敗。最後も全員が弾くのをやめても私だけが残るという恐ろしさ。徐々に弾く人が減って行きたった一人音を長く伸ばして曲は終わる。その演奏旅行の間1か月半その曲に付きまとわれたけれど、どうにか立ち直った。アメリカの大きな自然やおおらかな雰囲気に助けられたのか。周りのメンバーは私が病気になってしまうのでは、あるいは死んでしまうのではと思ったそうだ。その後も何回も恐ろしい目にあっている。何回もというか、コンサートの度毎に。私たちは人前で恥をかくのが仕事。この先もずっと恥をかきながら完成という文字を見ずに死んでいく。最近は歳のせいにするという狡い手を使うことにしている。でも私より20歳も年長の方が素晴らしいリサイタルをしているのを見ると、この言い訳が通用するにはまだ早い。