2021年10月31日日曜日

昼夜逆転

東京都知事の小池さんが極度の疲労により入院のニュース、コロナ感染拡大以来彼女は 心が休まるときはなかったと思う。なぜか小池さんにはマスコミも冷たい。パンデミックとオリンピック、普通の人なら耐えられないほどの緊張を、この2年間味わってきたと思う。人前では落ち着いた顔をしているけれど、自民党からは悪く言われる日々、よくぞ耐え抜いたと思う。そういうしたたかさが可愛くないと思われるのだろう。しかし毎日落ち着いて淡々と都民に語りかける姿は大したものだと思う。けれど、そこが又可愛くないとおじさんたちの受けが悪い。

小池さんの生活には及びもつかないけれど、私の疲労も極限になっていたらしい。私の場合は小池さんと違ってなにもすることのない生活の虚しさからの睡眠の乱れから発生した。

毎日食べて寝て、食べて寝て、それだけ。友人たちと話す機会も制限され、コンサートを開いてもやたらに規制が多くて演奏者も観客もこわごわ、万一自分たちのコンサートでクラスターが出たらと思うと安心していられない。ビクビクものの毎日は体にも影響する。言っておきますが、私は見かけによらず臆病者なんです。

で、数週間前から変だ変だと思っていた。まず左耳が痛い。私の風邪は耳の痛みから始まる。その後喉、鼻ときてたいていそのへんで治ってしまうのだけれど、今回は妙に体調が戻らない。しかも眠りのリズムがひどく狂って、たいてい丑三つ時に目が覚める。お化けか、私は!目が覚めると妙に元気でそのまま起きてしまうので次の日一日、ひどい眠気と戦いながら過ごすことになる。

目が覚めるとスッキリしているのでそのまま本を読んだり筋トレしたり、猫の夜鳴きに付き合って朝まではいい。けれど5時ころになるとお腹がすくから朝食は午前5時。とんでもない時間になる。朝食を済ませるとまた眠くなるけれど、その日の予定によってはその時間に眠ることができないことが多い。その後は睡魔との競争。食事ごとに眠くて他の予定がなければ昼寝。その昼寝がぐっすりと眠れてしまうので、夜の睡眠は浅くなる。その循環がいけない。

体調はどこと言って悪いことはないのに、一日中ぼんやりして思考力は最悪、足元はおぼつかない、のらに餌を持っていったところで転んで肋骨を痛めた。この私とあろうものが食欲がなくなる。なくなっても習慣的に食事をしていたら、体はヒッチャカメッチャカになって、何もせずにただぼんやりと椅子に座って過ごすだけになった。ああ、私も認知症の始まりかと、気持ちが暗くなる。大腿骨骨折をして寝たきりになるとそれが引き金となって認知症になるとよく聞く。これはいかん!最後には食事中飲み終わった味噌汁のお椀を持ったまま居眠りをして取り落とした。かかりつけ医に相談に行った。

私の必死の訴えも先生にはあまり通じないようだ。私は人と会うのが好きだから、表に出ると元気になるタイプ。ついハキハキしてしまう。見た目何でもなさそうで、先生は困っている。「なんでしょうねえ」言葉少なく考え込む。喉を見ても赤くない。熱もない、咳も出ない。呼吸も大丈夫。元気そうで不眠症には程遠く見える。心音も確か。別に病気とは言える症状はない。

しばらく考えてから先生は「昼夜逆転しているかもしれませんね。そのためのお薬を出しましょう」夜のスッキリに比べ、昼間の異常な眠気。これはそうかもしれない。もらった薬をその夜から飲み始めた。夜の睡眠時間は今までと変わりない。すると次の日、とんでもなくめまいがする。足は萎えたようになって歩く気力もない。そしてその日は昼寝を2回もしてしまった。眠って眠って眠りすぎてずーっとぼんやり。これはたまらない、普通の生活ができない。

次の日も同じような状態で、いつになったら普通の体調になることやら。2日間で3日分、眠ったような気がした。この薬飲み続けていいのかしら。それが4日め、やっと夜の睡眠が少し深くなって5日めには昼間の眠気が軽くなった。逆転していた時間が徐々に戻ったようだ。まだ予断を許さないけれど、1ヶ月試しに飲み続けるようにと医師の指示だからしばらく試してみることにした。でも薬が効きすぎるような気がする。この薬を飲むと午前中ずっと眠気がとれない。車の運転はしないほうがいいらしい。これは困った。

東京都知事の小池さんも今頃はぐっすりと眠れるような薬を飲んでおやすみしているのでは?コロナ以来、こんな症状で悩んでいる人が多いかもしれない。もし、体調が悪くて眠れない人がいたら早めに病院へ行かれることをおすすめします。だれでも体のリズムが狂ってしまうほどの大災害とも言える。感染しなかっただけでは済まされないパンデミックの恐ろしさを自分の体で感じた数日間だった。まだ完全に治っていないけれど、とりあえず光が見えてきたのでご報告まで。










2021年10月17日日曜日

木を伐る

 北軽井沢の家はノンちゃんの砦だった。彼女はそこで理想的な10年間を過ごした。自分の体力がなくなってきたと悟ってから彼女は私にこの家を託した。私がこの家を気に入っていることを知っていたから。家が気に入ったこともあるけれど、なによりもほとんど人工的に造園していない庭の周りが私は特に気に入っていた。木は生えているだけ。花は咲いていない。寒いから草はあまり茂らない。それぞれの家にはべつの考え方があるから、きれいに造園している家はそれはそれで素敵だと思う。けれどノンちゃんと私はそのまんまの状態が好きだった。

引き継いでから3年が経った。いなくなった人たちを悼む気持ちはまだ消えないけれど、最近は少しずつ傷が癒やされて前向きになることができるようになった。よく見ると前庭はボサボサの風情。細い木が雑然と生えていていくら花の咲いている苗木を買ってきて植えても目立たない。日当たりが悪いのでそのうち枯れてしまう、そんな繰り返しだったから最近時間の余裕ができて来たところで、もう少し華やかな庭にしようと動き出した。

低温で多湿、日当たりが悪い、悪条件が揃っているので多年草でも次の年には枯れてしまう。昨年はヴィオラをまとめて植えてみた。12月に山を下りるときにははまだ花が咲いていた。今年春、最初に行ったときにはヴィオラだけは花が咲いていたけれど、夏になったら全部枯れてしまった。あまりに多湿なのがいけないのかもしれない。もうすぐ冬になると家を閉めることになる。もう一度ヴィオラを植えて越冬ができるか今回も試すことにした。今咲いているのはヴィオラだけ。コスモスの群れを咲かせたかったけれど、飛び飛びにしか来られないので時期を逸してしまった。

次の計画は前庭を整えて、そこにあじさいやツツジを植えようという魂胆。冬になって木が枯れてきたら手入れもしやすい。今日は追分に住むKさんが手伝ってくれた。彼女は女子にしては背が高く力も強い。建築家を父に持ち、本人も建築にすごく興味を持っているけれど、職業はヴィオラ奏者。たまたま花の名前と楽器の名前が一致した。

彼女はいつもは追分にいるけれど今回は所用があって都内の家に帰っていた。昨日都内からこちらにくるというので庭の手入れを約束してくれた。今朝、私は手ぐすね引いて待っていた。用意した道具は華道で使うような剪定バサミだけ。今年の春買ったオーバーオールもスタンバイ。サイズがXSなのに、ブカブカ。ブティックで今年春物新作が入荷したときにあまりにも可愛くてつい買ってしまった。黄色のデニム、大きなポケット、ブカブカのお腹周り、大きすぎるから裾を折り曲げると足がものすごく短くなってまるでペンギン。

それを着たくて庭仕事をするようなものなのだ。ゴム手袋をして手には剪定バサミ。一方のKさんはスラリと長い足にジーンズ、手には大きな長ハサミと、もっと強力な重たい枝切りハサミを交互に持ち替えてバッサバッサと細い木を切っていく。あっという間に足元に枝の山ができていく。それを短く切るのが私の役目。手に力がないからなかなかはかどらないけれど、なんとか片付いてあたりを眺めると、今まで細い木に遮られて全容が見えなかったノンちゃんの家が現れた。ミノムシのように木の皮の壁をまとって泰然と森と融合している。こんな素敵な家を残してもらってノンちゃんに感謝しないとね、と、Kさんが私に言う。もとより私はノンちゃんにはどれほどの感謝を言っても言い切れない。家のことだけでなく、いつでも私のことは全部受け入れてくれた。それなのに私は彼女になにをしてあげたか、記憶にもない。月山の夏スキーで初めて出会ったときの笑顔が、その後の私の道を照らしてくれた。

木を切りながら昨夜の動物の話をした。家の中になにかいたのよ。入り口もなさそうなのにどうやって入ったのかしらね。するとKさんは、よく動物がはいるよ。うちなんかハクビシンがはいっていたんだから。

こういうところでは珍しくもない話らしい。昨夜のハクビシンかもしれない生き物は、今は気配すら感じられないから、我が家の壁から出ていったのだろう。いったいどうやって?入ってどうやって出て行ったのだろう。謎。

この辺は明日から一気に気温が下がるらしい。庭仕事を終えてKさんが帰ってから、私は一人で近所の旅館の温泉に浸かりに行った。自宅のお風呂は様々な問題を抱えていて、私には大きすぎる。縦も横も大きい上素材がタイルで冷たい。追い焚きできないタイプで、この寒冷地ではお湯を張っているうちにどんどん冷めてしまう。ぬるいお湯に冷たいタイル、大きすぎる浴槽で半分溺れそうになって入るのは危険極まる。夏ならシャワーだけでもいいけれど、冬はゆっくり浸かって温まりたい。それでよく入りに行くのは風情のある旅館のお風呂。

先客がいて色々話をした。世田谷からきてもう1週間も泊まっているという。コロナでもう飽き飽きとか。私が熱いお湯に入れないで困っていると、外に露天風呂があるからそちらに先に入ればとアドバイスをくれた。外だからお湯がぬるくなっている。そこでしばらく温まれば熱い方のお湯にも入れる。露天風呂はとてもぬるく、しばらくしてやっと温まったから室内の湯に戻ったらやはりなかなか入れない。その人に熱くないの?と訊いたらぬるいくらいよと返事が戻ってきた。そして明日から急に寒くなると言うので、私は明日自宅にかえることにした。寒さ対策はあまり考えていいなかったのと、姉に託して残してきた野良たちの様子が心配なのと、少しだけ都会の刺激が恋しくなったので。






誰かが住んでる!

 低血糖で朝の目覚めが悪いのではと指摘されてから思うに、ダイエットのために夜間の食事を極力制限していたのが原因かと、食事のパターンを変えることにした。

朝食は起床してから1時間以内にどっさり食べる。米粉と雑穀粉とミックスしたものに卵と豆乳、塩だけのシンプルな味のクレープを焼く。それに肉または魚を少々、バナナとヨーグルト、野菜少々。昼は一人なら冷蔵庫の余り物を少し。時々軽井沢からランチ持参で山を登って来てくれる人がいるとバランスの良い食事にありつけるけれど、そうでなければ猫の餌より粗末。夜は飲兵衛が好む酒のつまみ風、例えば昨夜は茹で野菜の塩麹漬、ごま豆腐、前日ランチの残った雑穀米のご飯をバターで炒め、トマトとチーズのせで食べた。それに焼酎のお湯割りを少しとなると、まるでおっさんの食事。

炭水化物が夕食に出ることは滅多のないけれど、昨日から血糖値を上げる食事に切り替えて睡眠の状態をテストすることにした。そう言われれば最近の起床時には物言うのも面倒なくらい元気がない。朝食でやっとげんきを取り戻すから低血糖で体調不良というのもあたっている気がする。結果、今朝は6時間睡眠でちょっと寝すぎかも。ぼんやりしている。

昨日昼ころから雲行きが怪しくなって鈍い色の雲が空一面を覆っていた。ぼんやりと森の木々を見て過ごしていたら、そのうち風も出てきた。森は枯れ木の枝がポキポキと折れて、風が強まるごとにどんぐりの実が機関銃のような音を立てて、にぎやかに冬に入る準備をしている。夕方何気なく庭の下を流れる小川の対岸を見たら!!!家が燃えてる!!!

めったに人影を見たこともなかった古い家に赤い炎が上がっているのが見えた。

うわ!どうしよう。とりあえずお隣さんに駆け込んで火事よと叫んだ。その場にいた人たちが私の跡を走ってきた。あら、ホントだ。中に冷静な人が一人、でも火がまとまっていて動かないでしょう。あれは燃えているのではなくて燃やしているのよ。それにしても家の中であんなに盛大に炎を燃やすか?樹の葉の間からなのでよく状況はわからないけれど、どうやら家の中の2箇所で篝火のようなものが燃えているのが見えた。ほっと胸をなでおろして皆さんに早とちりを謝ってことは済んだけれど、これが本当の火事だったらと思うとゾッとした。どうやらずっと不在だった家に人が入るのでリフォームのための明りとりだったらしい。日が暮れるのが早くて電気工事が間に合わなかったみたい。1時間もすると電気がついて、夜遅くまで工事が続いた。

昨夜はそんなわけで人声がかなり長いこと聞こえていた。しかし、それに紛れて私の家の中でも物音がしていた、実は数日前にここに来たとき、どんぐりの音に混じって小動物の足音らしい音が時々聞こえた。家の外か中かは判然としないけれど、屋根のひさしにトンとねこなどが飛び移るような音が時々聞こえていた。小鳥とかイタチやリスなど、そんな者たちが屋根の上でどんぐりの貯蔵にいそしんでいるのかも。しかし、昨夜ははっきりと家の中で動物の足音がする。階段脇の斜めにロフトに伸びる壁は中が空洞になっているらしい。どこからどうやって入ったかはわからないけれど、その中を動き回るものがいる。こんな荒れた天候だし避難場所を求めてどこかの隙間から入り込んでいるらしい。動物なら別に怖くない。もしかしたら座敷わらしかもしれない。

しばらくすると家の脇でなにかバリバリと剥がすような音がした。飛び上がりそうになった。人らしい足音も聞こえる。それも直ぐ側で。動物ならいい。けれど泥棒だったらどうしよう。それで家の中に自分がいることを知らせるために音楽を大きな音で流したり、電話をするふりをしたり・・・

今考えるとおかしいけれど、真夜中に一人で真っ暗な森の中にいると妄想が膨らんでくるのだ。壁の中の動物はますます活発に動くし風と雨の音が激しくて、だんだん怖くなってきたけれど、炭水化物摂取が効いたのか、ぐっすりと寝てしまった。なんのことはない、夜中に物事を考えるとなんでも大げさになるから考えないで肝を据えることが大事なのだ。長年の経験からわかっているのに。

夜中には物音のするあたりの壁をどんどん叩いたりしたので動物の気配は消えた。けれど、あの雨風の中やっと避難してきた場所を追われた動物はどこへ行ったのか。一晩我慢してやればよかったと後悔している。かわいそうに寒さにふるえていたのでは。まさか昨日見たあの猫ではあるまいか。夏が過ぎて別荘地ではペットを捨てていく人が多いと聞いたことがある。そうでないことを祈る。

夜の物音はずっと遠くまで届くらしい。昨夜の人の気配もリフォームしていた現場の物音だったかもしれない。モンゴルに行って草原に張ったテントで寝ていると、頭の上を馬が通っていく。人声もすぐ近くで聞こえる。テントの入り口を開けて外を見ると、はるか遠くに馬の群れと人が見える。草原で遮るものがなく雑音がないから、遠くの音もはっきりと聞こえる。懐かしいモンゴル。私はいつも自然に憧れて今こうして森の中。



2021年10月15日金曜日

本日も晴天なり

今日は完璧な快晴、無風。ここ北軽井沢でもめったにお目にかかれないほどの清々しさ。最近睡眠障害でいつ寝ていつ起きたいかわからない。適当に寝ると必ず3時間しか眠れない。もともとショートスリーパーだから驚くことはないけれど、その時間帯が不規則すぎて自分でもこれでいいのかい ?と身体に訊いてみると、構わないんじゃない?とのんきな返事が帰ってくる。テレビや雑誌などで睡眠をちゃんととらないと脳が休まらない、脳細胞が死滅するとか脅されているので私としてはちゃんとした時間に6時間は寝たい。けれどいつも丑三つ時には起きていて、結構楽しくコーヒー飲んだりしている。猫も喜んで遊んでくれる。結局私達夜行性動物なのだ。昼間時々うたた寝、パソコンを使っているときも気がつくとコックリコックリしていたり。それで睡眠不足を補っているらしい。

そんなわけで今日も睡眠が3時間なのに、ちゃんと眠れた日よりも調子がいい。朝食を終えて、今日は訪問客がいないから昼ごはんはお蕎麦が食べたい・・・ふと思った。昨日大型犬がいたのに定休日だったお蕎麦屋さん、あそこに行ってみよう。でも、まてよ!4.5年前に随分山の中なのに評判のいいお蕎麦屋さんにつれていってもらったことがあって、とても美味しかった。あそこに行ってみよう。うろ覚えの記憶をたどってネット検索。たぶんここだというお蕎麦屋さんが見つかった。その時食べたのは天ざる。天ぷらもお蕎麦もそばつゆも美味しかったけれど、一番感激したのは蕎麦湯。濃くて単なるそばのゆで汁ではない。別に蕎麦湯用の汁を作っているのかと思ったくらい。

距離は家から15キロほどだけれど、目印の少ない山道だったので迷子になるといけないから早めに家を出た。もうかなり秋は深まって川沿いの道の左右に迫る山の紅葉がきれい。今月末ころには全山燃えるように色づくに違いない。でもよくよく見ると土台である崖の土が危なっかしく崩れている箇所も見える。あれが落ちてきたらイチコロ。それで至るところで工事が行われていた。途中迂回路があって迷子にならないかと思ったけれど、カーナビはたよりになる。見覚えのある道まで連れて行ってくれた。少し時間が早いので車を止めて近所を歩いてみたけれど、本当になんの特徴もない田舎道、畑と山が見えるだけ。

一番乗りで入っていくと記憶にある古民家に、見覚えのあるそば打ち職人さんが待っていた。天ざるを注文。天ぷらも美味しい、そばも美味しい、けれど蕎麦湯はがっかりしたことに薄くて記憶にある濃厚な蕎麦湯とは違う。それにそばも10割だと思っていたけれど、どう見ても10割そばではない。私が前回行ったときに連れて行ってくれた人が特別に注文してくれたのかもしれない。おいしいけれど、なんのへんてつもないと言ってしまうと気の毒だけれど、ここもコロナの影響で経営が苦しいのかもしれない。ネットの口コミを見ると平均点は星2.5、随分点数が辛いと思ったけれど仕方がないかも。ちょっと気落ちして帰ってきた。これなら大型犬のいるそばやに行けばよかった。多分ピレニアン・マウンテン・ドッグのミックスと遊んでもらえばよかった。

早めのお昼だったから帰ってもまだ13時にもならない。最近庭に花が欲しくて咲いているものを買ってきて植えていたけれど、この秋は球根を育ててみようと思いたった。手始めに日陰でも育つという種類のヒヤシンスの球根を植えた。来年花が咲いてくれますように。姉の家の庭に落ちていた椿の種も拾ってきた。この森は水の環境保護のために木々が守られているからやたらに木を切ってはいけない。もともとあった木を伐採するには許可がいる。それで日当たりも悪い、木の種類も限られるから見た目地味。ほんの数本でも花があればそれだけでも華やかになる。きれいに造園している家もあるけれど、私はこの自然のままのボサボサした雑木林が好き。

ふと表に目を向けると、私の猫が道路を歩いているのが見えた。しまった!あまりにも気持ちがいいので玄関開けっ放しだった。そこから出たにちがいない。いろいろな動物が生息するこの森で箱入り娘の猫が迷子になったら生きてはいけない。必死に名前を呼んで追いかけたら顔をこちらに向けた。

ん?あんた誰?みたいにこちらを見ている。びっくりした。たしかに毛並みはうちの猫、だけど顔はもっと若い。近所に飼われている猫なのか、驚いた様子もなく消えていった。半狂乱の私を道を隔てたお向かいのご主人が見ていたらしい。ああ、恥ずかしい。








2021年10月14日木曜日

こんないいところがあったなんて!

 北軽井沢に来て4日め、最初は晴れ、次の2日は雨、そして今日は朝から晴れ。2日間雨で運動ができなかったせいなのか体調が悪い。胃のあたりがムカムカするし、なんだか熱があるようで軽く咳まで出る。ああ、大変、コロナ新型肺炎に感染したかしら?どこで誰からどうやって?心当たりは皆無だけれど、デルタ株はすごく感染力が強いらしい。

でも今日は軽井沢在住のY子さんと約束があって、ランチのあとで近所にドライブする予定なのだ。せっかくの予定がだめになったらがっかりするだろうな。最近飼い始めたチワワの桜子ちゃんと出かけるのを楽しみにしていたので。

起床して1時間、2時間・・・それにしてもいいお天気。森の中を散歩してみよう。今の季節、森は音に溢れている。ペキペキと細かい木の枝が折れて落ちてくる。どんぐりの実がぱちんと弾丸のようにおちる鋭い音。冬に向かって植物たちは繁殖と防寒対策に忙しい。それにしてもたくさんのどんぐりはこれが一斉に芽を出したら森はしいの木だらけになってしまう。しかし実際にはそうならないのは、どんぐりはたくさんの動物の餌としてリスなどの越冬のお手伝いもしている。今朝もベランダのどんぐりの実は昨日あれほどたくさん落ちたのにほとんど残っていない。

散歩を終えたら、あれっ!気分がいい。コロナ感染はどこかへ飛んでいってしまった。

毎日目覚めると体調が色々で、良い日も悪い日もある。たいていは気分が悪い。コロナ以前は寝起きが良すぎて困るほどだった。それがこの頃は気分が良かったためしがない。睡眠が分断されて2度寝、3度寝あたりまえ。目が覚めると咳き込んだり寒気がしたり。熱が出たのかと思って体温を測ると低体温の35度台。少し動くと気分が良くなる・・・の繰り返し。結局コロナノイローゼと言うことみたい。

今朝は朝の散歩で気分が少し良くなったので、約束通りランチ後の遠足は実行された。遠足と言っても私の家から車で数分の鬼押出しが目的地だから近足。こんな近くにあるのに今まで行ったことがない。鬼押出しは子供の頃遠足に来たことがあって、その時の印象ではなんだか奇っ怪な形をした溶岩がゴロゴロあるだけのつまらないところだった。いつも交通標識を横目に見て通り過ぎるだけの場所だった。今日は志賀高原にでもと思っていたけれど、昨日までの天候が良くなかったので気分が上がらず近場でということになった。

Y子さんとはよくランチを一緒に食べる。常に家政婦さんがいる家でそだったお嬢様であるにも関わらず、彼女は料理が上手い。料理に限らず家事全般は知能プレーだからIQの高さが関係あるらしい。身近なものであっと驚く料理をこしらえる。ランチが終わって、結局私の不調は低血糖であるらしいと結論が出て、食べ終わったら元気になった。

晴れ渡る空、微風、明るい日差し、雄大な浅間の姿、今日は歩けないかと思っていたのになんの問題もなく歩けたのはこの景色たちの後押しがあったからか、美味しく食事を頂いたからかわからないけれど、エセコロナはすっかりどこかへ消えていった。

それにしてもこんなに近くにこんなに素晴らしい場所があったなんて。ノンちゃんは全然教えてくれなかった。彼女も10年間暮らしたのに知らなかったのかもしれない。知っていても興味がなかったのか。これからはせっせと通うことにした。森の散歩に飽きたら鬼押出しへ、浅間牧場もお気に入り。キャベツ畑しかないと思っていた北軽井沢は日に日に私の中で美しく進化していく。








2021年10月13日水曜日

これ、だーれだ!

 



この写真は先日美容院でストレートパーマをかけたときのもの。担当美容師のKさんのカラーリング、最高。
白髪が増えた私の髪の色の配合は1年ほどかけて我慢強く作っていただいた。私の意見も彼の意見も取り合わせ、例えば紫入れようか、黄色を消してください、もう少し明るめ、今夏回はグレーを多めに、とかなんとか。

二人共満足したのがこの色。
当分これでいきます。
ブリーチするまでもなく地毛はもう白いのが色がきれいに出る要因となっている。
そしてかなりの縮毛なのでボリュームが出すぎるのを抑えるために新しいタイプのストレートパーマをかけてみた。

以前カットしてもらっていたカリスマ美容師と呼ばれた人は、私がパーマかけたいと言ったら「こんな毛にパーマかけてどうするんだよ。手に負えないぞ。うちに毎日来るならかけてもいいけど」散々な言われようだった。そのくらい癖がひどくて子供の時から母が嘆いていた。

しかし、技術は進歩した。今回のパーマはKさんがわざわざ大阪まで出向いて新技術を習得してきたので、以前のストレートパーマのようにぺちゃんこにならない。ふっくら感は残しつつボリュームを抑えるので自然でなおかつ扱いやすい。生まれてはじめて自分が自分の髪の毛をコントロールできるようになった。
今は後ろでまとめて低めの位置でポニーテール。

試行錯誤の最中にはボサボサになった白髪交じりの髪の毛の扱いに手こずった。
髪の毛がまとまらないと余計に老けて見え、だらしなく見える。
このパーマの素晴らしいのは、効果が長く続くらしいこと。1年持つと言われたのでご機嫌なのだ。

髪の毛の前の方の顔、これはパーマもかけられないし化粧もしないから見る影はないけれど、今はコロナ感染対策でマスクを常用しているとなると、これで随分助かっていることもある。口紅をつけなくてもいいのが何より良い。どうも唇になにか塗るというのは気持ち悪い。仕事に行くときには仕方がない、ぬっていくこともあったけれど、ここ2年は口紅がどこにあるのかわからない。どうしても塗らなければならないときには見つからないから100円ショップで新しいのを買うことになる。

美人というのはつまり骨格の良さなので、骨格の悪い私は化粧品を塗ろうと塗るまいと同じこと。以前口紅を忘れて仕事に行った。本番前に慌てて放送局の売店に買いに行った。
「色はどうなさいます?」店員さんが言うから「なんでもいいの、塗ってあればいいのだから」と言ったらえらく怒られた。「なんでもいいじゃありません!」

コロナ時代に知り合った人々はこの事態が収まってマスクを取ったら、随分お互いに印象が変わるのではないかと思っている。口元の印象は表情に影響が大きい。目が素晴らしくきれいで好きになった人がマスクを取ったらなんだか下品な口元だったりしたら・・・百年の恋もなんとやら。運命変わるかも。

私はタレントの木村拓哉さんが苦手だった。なぜかと言うと彼は口元を歪める癖があって、それが下品に見えて嫌だった。ずっとそうだったので、それは変わらいのかと思っていたら最近誰かに言われたのか、自分で気がついたのか、口を普通にするようになったら案外いい男だと気がついた。あの口の歪みは何だったのだろうか。もしかして自分で格好いいとおもってやっていたのかしら。せめて奥さんが気がついて注意してあげればよかったのに。

マスクが全廃になる日、何組かの恋人の別れがあるかもしれない。新しい恋の可能性もありうるから、蓼食う虫も好き好きだし、あまりご心配なさらないように。









今日も雨

 絶対晴れ女の栄冠を返上。2日も雨に降られっぱなし。

今年払いすぎていた住民税を返すという連絡が入ったので町役場まででかけた。雨で散歩もままならないからドライブを楽しもうという魂胆。町役場までは25キロほどもある。今まで慌ただしく行き来していてゆっくり街を見る機会もあまりなかったから、今日は知らないレストランでも探してみよう。

午前中にでかけたので途中でランチの計画。走り出すと霧まで出てきて、何という素晴らしいドライブ日より!一度だけ町役場に行ったことがあるものの、そのときはお隣さん同伴だったから道を覚えていない。途中で街の施設の支所などに引っかかりながらやっと辿り着くと、想像だにしなかった立派な町役場に生まれ変わっていた。スッキリと緩やかな曲線を描く外観。今は周りの山と釣り合っていないけれど、そのうち人口が増えればという思いで建てたのかもしれない。職員の数もまばら。

今年も去年も町の施設を貸してほしいというと断られたのに、ちゃっかりと住民税だけは取られるので今日は少し話し合いをしたいという魂胆もあった。去年と今年の2年間、コロナ感染を防ごうという必死の姿勢が見えるからゴリ押ししなかったけれど、町民は施設を使っている。部外者はだめということで涙を飲んだ。それなのに、住民税?しかも過剰請求されてはちょっと物言いたくなるのは無理もないでしょう。他府県の人はウイルスを持ち込む悪い人、自分たちは大丈夫とは言い切れないからこの姿勢はもはや改善の必要がある。初期の訳のわからないコロナの振る舞いは随分解明されてきたから、予防策も改善されてワクチンも行き届いた今、よそ者排斥でなくそれぞれが自己責任で予防すれば、こんな空気の良い広々としたところでは随分安心だと思う。けれど、町のコロナ対策委員会というのがあって、そこの上の人たちが決めるのでと言いながら職員が天を指差したのにはびっくりした。日本独特の上下関係が露呈した瞬間だった。

職員は皆非常に親切で、混み合っていないから丁寧に対応してくれた。コロナ関係の縛りはどういう状態なら解除されるのかは「下」の人たちにはまだわからないらしいけれど、来年には私は施設を使わせていただきますからよろしくとお願いしてきた。今年弦楽アンサンブルの生徒たちが合宿をしたいというから準備していたのに施設が借りられず涙を飲んだ。来年は新しいこの役場を    東京もんたちに見せてあげようではありませんか。若者たちであっても私の生徒たちは常識のかたまりだから、けっして非常識に振る舞わない。それが証拠には、誰一人として私の周りにコロナ患者は出なかったのですよ。

役場からの帰り道、お蕎麦でも食べようかとそば屋に寄ったら定休日で巨大な犬がお出迎え。お蕎麦はだめでも大好きな大型犬と戯れたのが収穫、次のレストランが開いていたので入ってみた。ちょっとエキゾチックな装飾なのでどこの国の?と訊いたら無国籍だって。ランチはひどく不味くここはバツ。私の料理より不味いお店に入ったのは久しぶりだなあ。夕方、近くの温泉に行ってたっぷりの熱いお湯に浸かって命の洗濯をした。


人恋しい

 3日前、北軽井沢に到着したときは清々しく晴れ渡り、やはり自分は晴れ女と思っていたら今日は曇り、今にも泣き出しそうな空模様に気落ちした。何事もすべてうまくいくと思ったら大間違い、曇りあってこその晴れた日のありがたさ。

今朝は夜明けを待ち焦がれていた。いつものように4時ころには目が覚めたので高窓から夜明けの光が差し込むのをひたすら待ちわびていた。夏ならばとっくに明るくなっているという時間にもまだ外は暗いまま。1時間半ほど待ってようやくあかるくなってきたのでシャッターを開けると、意外にも向こう三軒両隣に明かりが見えた。昨日到着したときにはどの家もひと気がなく、この森にまた一人ぼっちかと思ったけれど、そうでもないらしい。これもコロナの影響か、地球温暖化で都会の耐え難い温度上昇から逃れてきているのか、北軽井沢は最近新しいカフェなども増えてきた。

すでに飽和状態と思える軽井沢より伸びしろは大きいかもしれないけれど、如何せん鉄道の駅がないのが敗因となっていつまでも垢抜けない。でも私的にはこのまま10年は変わってほしくないというのが本音なのだ。今のこの北軽井沢がいいのであって、ここが原宿みたいになってほしくはない。5~10年後には私はたぶん小田原で小田原提灯ぶら下げて駕籠をかついでいる。いえ、お猿の駕籠やに担がれているかも。

小田原の介護施設の職員は旧友のお嬢さんのN子ちゃん、彼女が子供の時から知っている。しっかり者で、私をお姉ちゃんと子供の時からの呼び方で呼んでいる。お姉ちゃんの面倒は私がみると。それで今年の大晦日は彼女の家で過ごすことになった。ここ3年間、大晦日はいつも私一人。近所に姉と兄がいるけれど、それぞれの家族の中に入っても話題が噛み合わないし、子供の世話はしたくないし、わがまま婆さんは一人が一番なんだけどやはりお正月一人は寂しい。今後は足腰たたなくなったらNちゃんの施設に入って最後はそこで過ごす予定。もうひとり一人ぼっちの友人もNちゃんの司令で同じ施設に入る予定。なんでも素敵にうまくいくものだわ。これでもう安心して独身生活を謳歌することにした。

高齢になってからの初めての独居生活はかなり寂しかった。大家族での幼少時代はにぎやかで楽しかった。結婚してからもいつでも訪問者の絶えないにぎやかな陽気な家だった。それが生まれてはじめて一人になると孤独感が身に滲みた。なれるのに3年かかった。もともと一人でいるのは嫌ではないのと、大好きな音楽があるのが幸いした。最近は独居が楽しくて仕方がない。

こうなれないで寂しく亡くなる高齢者がいると思うと気の毒に感じる。誰も他人のことなんて本気で考えてくれるわけではないから、自分で運命を切り開いていかないと。幸い私には古くからの友人たちが多い。その中の一人がこうやって心配してくれている。運の良さというのは、本当に周りの人によって決まるとつくずく思う。周りの人達を大切にしない人は幸せになれない。他人の自分に対する振る舞いは自分の鏡なのだ。もし、自分が友人からいやなことをされたときには、それは自分がその人を識らずに傷つけているからなのだ。お金よりも何よりも友人は宝物。母がよく言っていた。どこで誰にお世話になるかもしれないのだから、他人に威張ってはいけない、と。

そう言われてもねえ。気性の激しい私の周りではバトルが絶えない。だからこうして森の中での静かな生活が必要なのだ。この家を買ったときに私の周りでは先を危ぶんでいるのが見て取れた。こんなところで一人ぼっちで一体どうするのか。高齢になってからの生活はもっと都会でするのが最近の常識。医療施設や役所も遠い。買い物も車の運転ができなければ不可能。でも今は、宅配が便利になってきた。ネットで注文ができる。なにも不自由はない。物質的にはすべて大丈夫。でも友人たちはそれ以上に大切。

昨日用事があって管理事務所に行って事務の女性と話をした。彼女も森の中の一軒家の住人。私が一人ぼっちの心配事をこぼしたらえらく共鳴してきた。普段は一人暮らしの楽しさ、ここの自然の素晴らしさを熱意を持って語るのに、それが崩れた最近の経験を話してくれた。

彼女の家のウッドデッキは多少古くなっており、それをだましだまし使っていたら、ある日、左足で床板を踏み抜いてしまった。その家は傾斜地に建っているのでウッドデッキの前の部分は高足になっていて踏み抜いた足が地面に届かない。骨折はしていないようだから痛みを堪えて足を引き抜いた。引き抜いた途端、みるみる足が膨れ上がったという恐ろしい話だった。その時すぐに足を抜かなかったら誰にも知られずに数日過ごしたかもしれない。しかも自宅だったから携帯も持たない状態。どこにも連絡しようがない。

きゃー!怖い。友人にその話をしたら、必ず携帯は持っているように、首から斜めにかけておきなさいとアドバイスされたけれど、ただでさえ何でもどこかに置き忘れるからこれは無理。でもそうなったら素直に運命を受け入れるっきゃない。独身の女性と話をして、だれか一緒に住んでもらいたいということを二人共考えているけれど、でもね、たった1日だけでも一緒に暮らし始めたらすぐに後悔するわねと。人恋しい、でも邪魔されるのは嫌、これではねえ。







2021年10月11日月曜日

どんぐりの音

 9月中はやや忙しく、以前ならこの程度のスケジュールは難なくこなせたのに、最近は少し忙しくなるとパニックになってしまう。一度に複数のことができなくなった。若い頃は掃除しながら洗濯と料理を同時にできたものだった。もっとも家事はあまり好きではないので、溜まりに溜まった家事をこなすときにだけれど。

9月のスケジュールが終わるともう当分コンサートもない。それでも常に練習だけはしておかないと、急に入る仕事は恐ろしい。だから目的がなくても練習だけは欠かさない。この練習だけというのはなかなかモチベーションが続かない。誰かが聞いてくれるから真剣になるのであって、猫に邪険にされての練習は面白くはない。ある声楽の先生のうちの猫は、飼い主の先生が歌っているときだけは静かにしているけれど、生徒さんが歌うとかかとに噛み付くそうなのだ。あな、恐ろしや。それはまあ、生徒さんのほうが先生より下手ということもあるかもしれないけれど、猫にしてみれば餌と温かい住まいの提供者が誰だかわかっているということかもしれない。

夏に北軽井沢に行ったときに謎の水たまりを見つけたことはnekotamaにも書いたけれど、その謎は一向に解読できなかった。部屋の数カ所の片隅や窓の近くに水の滲みたような跡があり、触るとじとじとした感じ。どう見ても水分の滲みなのだ。

車の整備に行って時間待ちをしていたときに馴染みのスタッフがやってきたのでその話をしたら、突然「私が見ましょう」でも北軽井沢は都会から4時間近くかかる辺鄙な場所。鉄道も通っていない。「構いません、なにか気になることがあるとどうしても原因が知りたくなるので」と言ってくれるから、ある日、一緒にでかけた。もとレーサー、もとメカニック、そして現在はトップ営業マンの彼の素晴らしいドライブテクニックを披露されて約3時間半後到着。私のパパゲーノはご機嫌で走った走った。私がいつも手こずる急カーブの連続はあっという間に通り過ぎた。

ところが夏には水浸しだったその箇所がやや乾き気味、それでも水の痕跡は残っている。例えば窓の2枚のガラス戸の合わせ目とか、玄関の四隅とか、およそ水場に関係ないところが濡れている。上からのものではない。上からなら天井もシミができていると思うけれど、それはまったくない。そして浴室の脱衣所の床にある蓋を開けると床下に潜り込めるようになっている。そこに潜り込んだ助っ人さんは「おかしいな、普通こういうコンクリートの基礎だと空気抜きの穴があるはずなのに、それがない」と。周りの家の基礎を見ると、なるほど、コンクリートでぎっしり囲んでおらず、床下に薪などの収納できる空間がある。私の家には通気孔がまったくない。しかもコルクの床のすぐ下にコンクリート、そしてコンクリートの下に断熱材???とにかく床下に乾燥剤の大きいものを入れてどれほどの水がたまるか様子を見ましょうということになった。あまり複雑な症状ではないので、やや肩透かしを食らった表情の助っ人さん、素人考えではコルクとコンクリートの間に断熱材があるのが普通なのではと思う。コンクリート下の断熱材はなんのため?とりあえず夏よりは状態は良くなっているけれど、次の夏に備えて対策を考えるなり、建築士に訊くなりしておかないといけない。それでも水道管の不具合とか水回りの故障でなくてホッとした。これがわかっただけでも助かった。緊急事態でないと知ってひとまず安心。

以前から床暖房が壊れていると地元の管理会社から言われていた。それでわざわざ大型の石油ファンヒーターをつけたら不格好で幅広く邪魔な存在だった。本当に壊れているのかどうか助っ人さんに電源を入れてもらって家をあとにした。帰りもあっという間に帰宅したので、北軽井沢はちょっとそこまでと言える距離だったのかと思えた。カーブ続きの急坂も走り方次第。

それから数日、今度は一人で北軽井沢にきた。カーブ続きの急坂はやはり難所だったみたい。軽自動車がカーブを曲がりそこねて側道にゴロンとはまり込んでいた。警察車両も来ていたし、関わりのあったと思われる車が2台、ドライバーらしき人が二人。すると側道に転がっている車のドライバーは救急車に載せられていったのかな。

家に着いて昼食を食べていたら、急に大勢の子供が駆けてきたようなぱたぱたという音がした。何事?しばらく聞いていてわかったのはどんぐりの実の落ちる音だった。風が吹くと一斉に揺れる枝から音を立てて落ちる。ああ、こんな音は最近全く聞くことはないなと郷愁を覚えた。そして今、シャッターの降りた窓の外から聞こえるのはなにかの動物がそのどんぐりを食べている音かもしれない。これが夜の森の音。

床暖房は壊れていなかった。床が温かい。裸足で歩くとコルクの感触が気持ちいい。今日の東京は夏みたいに暑く気温は30度だと友人の電話。床暖房なんて言ったら聞いただけで熱中症になりそう。床暖房の効果で床の結露は跡形もなくなり、コルクの床の触感の良さを実感した。問題は梅雨時、7月に床暖房はつけられない。その季節にどうするか考えておかないと。






2021年10月1日金曜日

怒って帰った人

定期演奏会 再開の喜びを味わっていたら水をさされた話。

古典のテンポは総対的にゆっくりめ。コンマスを初めとして優等生が揃っているから慎重にことをすすめる。それに対して私はカッ飛び派。早ければ早いほど愉快になる。どうやら前世は騎馬民族だったらしい。中国の砂漠地帯に初めて行ったとき、故郷に戻ったような気がしたものだった。成吉思汗の末裔だったらいいなと思っている。

定期演奏会当日、私はアルビノーニの合奏協奏曲のソロを弾いた。初っ端なので私がコケたらあとずっと転けそうで、そういう意味でえらく緊張した。緊張したおかげでかっ飛びもせず、落ち着いていられた。やれやれ無事に終わった。でも演奏会の翌日変な話を聞いた。

この曲は合奏協奏曲という形式なので、普通の協奏曲と違ってソリストが前に出て立って弾くという形はとらない。要するに合奏の中に出てくるソロなので、あくまでも合奏が主体であるから合奏もソロもずっと一緒に弾く形式なのだ。だから合奏協奏曲はどの曲もソロもトゥッティも全員座っている。ソロが始まると合奏は休む、合奏が始まると今まで一人で弾いていたソリストも一緒に弾く。

当日の第一曲目が終わって会場から出ていった人がいるという。彼はひどく怒っていたそうで、「この合奏団は素人か」と。「ソリストが立って弾かないなんて非常識にも程がある」という。いやいや、この曲は「合奏協奏曲」ですからといえる人がたまたま受付にいなくて、若い女性のスタッフたちがオロオロする姿が目に浮かぶ。「いえ、私は立っていましたよ、でも小さいから座っていたように見えたのでしょう、ウヒヒ」と私がその場にいたらそう言ってはぐらかすところなんだけど。

困ったなあ。まさかこのブログを読んではいらっしゃらないと思うけれど、もしもし、その御方。私達の合奏団は来年70周年を迎えます。あのイ・ムジチと同じくらいの歴史があります。私は他のメンバーよりも少し遅れて参加したけれど、初期の頃からいる人達はもう半世紀超えのベテランたち。だからといって間違えないとは言えないかもしれないけれど、この形は世界の常識。ヴィヴァルディの四季なんかも合奏協奏曲として演奏するならば、ソリストは皆と一緒に座って演奏する。

別に法律で決まっているわけではないけれど、どのような形で演奏するかはそこの合奏団の決まりであって、傍からとやかく言うことはない。例えば今回の曲をあの有名なイ・ムジチ合奏団が「古典」とおなじように全員座って演奏したら、文句は言わないと思う。なんでも外国人がやっていれば正しくなるのが日本の常識だから。

ネットで誹謗中傷されて傷つく人もいる。この人がネットで中傷しないことを祈るのみ。私は鈍感だからなにを言われても大丈夫だけれど、合奏団自体が常識がないと言われるのは困る。でも、私の友人たちも私が座って弾いていたから、足でも傷めたのかと心配してくれていたのだそうだ。こういうのって、どうすればいいのかな?要するに立って弾こうが座って弾こうがその時時の演出であって、会場の音響などの諸条件によって最良の方法をとるのは決して非常識ではないということ。演奏が悪かったのなら私がいけない、素直に謝ります。でも小柄だからと言って見間違えないで!私は立っていたのに。アハハ!

またこういう冗談言うと叱られますので、おあとがよろしいようで。