2021年10月1日金曜日

怒って帰った人

定期演奏会 再開の喜びを味わっていたら水をさされた話。

古典のテンポは総対的にゆっくりめ。コンマスを初めとして優等生が揃っているから慎重にことをすすめる。それに対して私はカッ飛び派。早ければ早いほど愉快になる。どうやら前世は騎馬民族だったらしい。中国の砂漠地帯に初めて行ったとき、故郷に戻ったような気がしたものだった。成吉思汗の末裔だったらいいなと思っている。

定期演奏会当日、私はアルビノーニの合奏協奏曲のソロを弾いた。初っ端なので私がコケたらあとずっと転けそうで、そういう意味でえらく緊張した。緊張したおかげでかっ飛びもせず、落ち着いていられた。やれやれ無事に終わった。でも演奏会の翌日変な話を聞いた。

この曲は合奏協奏曲という形式なので、普通の協奏曲と違ってソリストが前に出て立って弾くという形はとらない。要するに合奏の中に出てくるソロなので、あくまでも合奏が主体であるから合奏もソロもずっと一緒に弾く形式なのだ。だから合奏協奏曲はどの曲もソロもトゥッティも全員座っている。ソロが始まると合奏は休む、合奏が始まると今まで一人で弾いていたソリストも一緒に弾く。

当日の第一曲目が終わって会場から出ていった人がいるという。彼はひどく怒っていたそうで、「この合奏団は素人か」と。「ソリストが立って弾かないなんて非常識にも程がある」という。いやいや、この曲は「合奏協奏曲」ですからといえる人がたまたま受付にいなくて、若い女性のスタッフたちがオロオロする姿が目に浮かぶ。「いえ、私は立っていましたよ、でも小さいから座っていたように見えたのでしょう、ウヒヒ」と私がその場にいたらそう言ってはぐらかすところなんだけど。

困ったなあ。まさかこのブログを読んではいらっしゃらないと思うけれど、もしもし、その御方。私達の合奏団は来年70周年を迎えます。あのイ・ムジチと同じくらいの歴史があります。私は他のメンバーよりも少し遅れて参加したけれど、初期の頃からいる人達はもう半世紀超えのベテランたち。だからといって間違えないとは言えないかもしれないけれど、この形は世界の常識。ヴィヴァルディの四季なんかも合奏協奏曲として演奏するならば、ソリストは皆と一緒に座って演奏する。

別に法律で決まっているわけではないけれど、どのような形で演奏するかはそこの合奏団の決まりであって、傍からとやかく言うことはない。例えば今回の曲をあの有名なイ・ムジチ合奏団が「古典」とおなじように全員座って演奏したら、文句は言わないと思う。なんでも外国人がやっていれば正しくなるのが日本の常識だから。

ネットで誹謗中傷されて傷つく人もいる。この人がネットで中傷しないことを祈るのみ。私は鈍感だからなにを言われても大丈夫だけれど、合奏団自体が常識がないと言われるのは困る。でも、私の友人たちも私が座って弾いていたから、足でも傷めたのかと心配してくれていたのだそうだ。こういうのって、どうすればいいのかな?要するに立って弾こうが座って弾こうがその時時の演出であって、会場の音響などの諸条件によって最良の方法をとるのは決して非常識ではないということ。演奏が悪かったのなら私がいけない、素直に謝ります。でも小柄だからと言って見間違えないで!私は立っていたのに。アハハ!

またこういう冗談言うと叱られますので、おあとがよろしいようで。














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