2016年10月29日土曜日

毛が抜けてしまったペンギンさんのためにウエットスーツを開発

アメリカ・オーランドの水族館。
毛の生え代わり後に毛が生えなくなってしまったメスのペンギン「ワンダー・ツイン」をかわいそうに思った水族館員は彼女のために体温を保持するウエットスーツを開発。









体温調節の特性を考慮して開発されたウエットスーツを着たワンダー・ツインの体温は、羽毛に包まれているときのように温かいと確認されている。









現在、ウエットスーツを着たワンダー・ツインは他のペンギン同様泳ぎ、寝て、食事をすることができる。

動画はこちらをクリック
https://www.youtube.com/watch?v=kzdoORTc4_0

よかったね。ワンダー・ツイン。
ペンギンはその姿のおかげで、鳥類の中でもかわいらしいとされている。
私もペンギン体型なのに、だれからもかわいいとは言ってもらえない。
ずいぶん不公平な話だとは思いませんか?

2016年10月28日金曜日

後悔

もう二度とオーケストラは弾きませんと宣言してから、半年ほど経った。
毎年のルーティンのようにやっていた仕事も、申し訳ないけれどお断りした。
それでも時々問い合わせがくる。

毎年、モーツァルトの誕生日コンサートの仕事があった。
大好きなモーツァルト、私の神様。
けれど、目が良くない状態で仕事に臨むのはもう無理と涙をのんだ。
今年の分は断ったのに、また来年と声をかけられた。
一晩考えてお断りした。
大学の学生オーケストラのお手伝いも、練習場所の暗い照明の下で細かい音符が見えないので、それもできない。
再三お誘いしてくださったけれど、ごめんなさい。
八ヶ岳音楽祭も今年は辞退した。
来年はもう無理。

オーケストラの唯一の心残りは、以前世界オーケストラの出演の話があった時、スケジュールの都合がつかずに受けられなかったこと。
ズービン・メータ指揮、マーラーの第五番。
引き受けた人はすごく緊張したけれど、素晴らしかったと感激していた。
その後、もう二度と話がこない。
チャンスには後ろ髪がないって、本当だった。

今回は町田市に住む友人が主宰するアマチュアオーケストラ。
年齢もキャリアも問わない、バリアフリーなオーケストラで、大人も子供も、プロもアマチュアも、体の不自由な人も参加できる。
その心意気に感じるところはあるけれど、本当にオーケストラはもうやめたのでと、お断りした。
しかし、人が足りなくて困っているのと再三言ってくる。
私のダメなところは、他人の依頼を見過ごしにできないこと・・・と言うと仏様のような人柄だと思うかもしれないけれど、それはまったく違う。

母から、いつ、どこで、どんな人にお世話になるかもしれないのだから、決してほかの人を馬鹿にしたり、ないがしろにしてはいけないと良く言い聞かされたものだった。

私の場合は、こんなに頼んでくるのだから無下に断っては悪いという気持ちと、どんなことをやっているのだろうという覗き趣味。
親しい友人たちも来るのだから、楽しいかな?という期待。
それらが入り混じって、つい一回だけお付き合いということになった。

ところが、最初の練習で、あっという間に後悔が始まった。
ご存じのように、オーケストラでは弦楽器の場合、二人で一つの楽譜を見る。
それは人数が多いことと、弦楽器は音符の数が多くてフレーズの途中でページをめくらなくてはならないことも多い。
そこで全員一斉に譜めくりすると音がなくなってしまうから、片方の奏者がめくりを担当。
めくらない人は責任を持って、音を出し続けるというわけ。
二人で一つの楽譜を見るのは、演奏者にとっては過酷な状態。
楽譜を斜めに見なければいけないので。

若いうちは良かった。怖いものなし。
どんな細かい音型もへっちゃらで弾けた。
動体視力、反射神経抜群、視力は1・5。
初見なんてお手の物。
それが今や、惨憺たることになってしまった。
自分に近い方のページはなんとか弾ける。
ところが、遠い方のページはなんだか黒い塊となって、襲いかかってくる。
にゃ~とか言いながら!
あはは、まさかね。
ああ、にゃ~というのは私が出した情けない音でした。
見えないと怖くて弾けない。
わかっていても一瞬ひるむと、もう負の連鎖で気後れでどんどん落ち込む。

よく他人から言われるのは、オーケストラのヴァイオリンパートのように、同じパートを大勢の人で弾くのは楽でしょう?間違えてもわからないでしょう?
とーんでもなーい!!!
大勢だから怖いのです。
大勢で同じ方向に歩いているときに、突然一人だけ急に別の方に歩きだしたら混乱を招くし、下手すりゃ衝突するでしょう。
周りから見ても、ひとりだけ違うとわかるでしょう。
その時のまわりの混乱は修復に時間がかかる・・それと同じこと。
一人が勝手に弾けば、前後左右に混乱が生じる。
八分音符をうっかり四分音符で弾いたら、まわりから白い目で見られる。
コンサートマスターから注意を受ける。
隣の人がびっくりして楽器を落とす。
指揮者が腰をぬかす・・等々。
だからオーケストラは、私にとっては一番怖い場所だった。
怖いけれど、大好きでもあった。

子供のころ演奏会を聴いて、このオーケストラに入りたいと思ったら、夢が実現して本当に入ってしまった。
幸せだったけれど、緊張の連続。
その後はフリーとなって、暗いステージや長時間の仕事にも耐え抜いてきた。
結果、経済的には安定したけれど、代償として視力の低下を招いてしまった。

視力は誰でも加齢とともに衰えるものだから、諦めないといけないけれど、ある人が、白内障の手術を受けたら世の中変わりましたと言った。
明るくなって楽譜が本当に良く見えて、うれしくて仕方がないと。
それを聞いてすぐに眼科へ。

白内障の手術をしたいと言ったら、白内障でもない人の手術はできません、とあっさり断られた。
それもそうだけど、同じように手術すれば私も視力がもどるかもしれないのに。
早く白内障になりたいなんて人は、世間広しといえども私くらいかも。

そして町田の話しの続き。
あまりにも見えないので、一番後ろの席で一人で楽譜を独占させてほしいと申し出た。
真正面からみればなんとかなる。
主宰者は、無理にお願いして申し訳なかったからと、希望通りにしてもらえることとなった。

でもこれが本当に私のオーケストラの弾き納め。
もう二度とオーケストラの仕事は引き受けない。

せいぜい数人の、気持ちの良いアンサンブルのできる仲間たちとのセッションが一番楽しい。
人生を斜に構えて生きてきたけれど、楽譜は真正面から見たい。






























































2016年10月27日木曜日

偉そうな野良猫

最近うちの駐車場に住みついた野良猫は、フウちゃんと名付けた。
顔を見るなりフ―ッと威嚇してくるから。
ミッケはついにいなくなってしまった。
心配ではあるけれど、近所の猫好きさんたちに取り入って餌をもらっていると思う。
彼女はこの近辺の猫たちの間でうまく立ち回って、上手に生きている。

このフウちゃんが、ものすごく大食漢。
漢と言っても雄だか雌だか、まだわからない。
たぶん雄だと思う。
今年に入って次々と我が家の猫が天国に行ってしまって、今1匹残るのみなので、最近猫缶がちっとも減らない。
猫砂もあまり買わなくてすんでいたけれど、フウちゃんが現れてから、また急に猫缶の減りが増えてきた。
減りが増えるって、変な言い方かも?

ミッケとシロリンの2匹でつるんで来ていたときには、朝だけ猫缶1缶とカリカリ少し、それでも最近は残るくらいだった。
この2匹はあちらこちらに保険がかけてあって、うちがダメならあそこにと、町内一回りすれば安穏に暮らしていけるのだと思う。
しかし、新入ノラの縄張りは我が家の駐車場のみ。
ここで食べなきゃどうするとばかり、がつがつとむさぼり食っている。
それで朝、ノラとシロリンのために猫缶二缶が開けられる。
シロリンは鷹揚に半分くらい食べて、次の餌場に出かけていく。

その後フウちゃんは、その残りまでぺろりと平らげる。
夕方も、他の猫と違って我が家で食べるから、一日缶詰が3缶消えていく。
これはたまらん。

先日近所を散歩していたら、シロリンがとある猫好きな奥さんのいるうちにいたのを目撃。
ここは保険第何番目なんだろうかと思っていたら、私を見つけてニャーと鳴いた。
なんだか最近甘えた風の声を出す。
体もきれいになって、耳や首のあたりにいつも怪我をしていたのが、きれいに直ってきた。
よく見ればかわいい顔と性格の良さそうな、お猫良しとでも言うのかしら。
エサを食べている間私がべたべた触っても、前のようにシャーっと威嚇しなくなった。

猫の絵で有名なチェリスト雨田さんの猫のジャリちゃんは、外で出会ったら、よその奥さんから「あら、**ちゃん」と全然違う名前で呼ばれていたと雨田さんが笑いながら話してくれたことがあった。
うちのシロリンも、そこ家のではなんと呼ばれていることやら。

夕方になってフウちゃんの夜食をご用意する。
物置からお出ましになったフウちゃんは、遅いじゃないか!とわめき、フーッ、フーッと威嚇する。
すみません、遅くなりまして。
少しじらそうと、えさを手前に置いて私の手を食器から離さないでいたら、やられた!
ひときわフーッの声が大きくなったと思ったら、シャーッと一声、ガシッと手に爪が食い込んできた。

ここで大声を出したり怒ったりすると、やっと少しずつ馴れてきたフウちゃんがおびえるといけないので、黙って手を引っ込めようとする。
けれど、猫の爪はかぎ状になっているから、食い込んで中々抜けない。
しばらくしてやっと爪が抜けて、少し血が出た。
猫の爪の裏には毒があって、傷口は針の一刺しくらいでも奥の方に毒が回って化膿することがある。
血を吸い出して、口をゆすいで、たぶんこれで大丈夫。

冬が来る前に馴らして家に入れようと思っているけれど、さてどうやったらいいものか。
動物愛護協会の人に頼もうか。
獣医さんに相談してみよう。
やれやれ、又厄介なこと。

今残っている猫を最後の猫にするつもりだった。
これから若い猫を飼うと私が先に逝ってしまうこともあるからで、そうなると猫もかわいそう、私は成仏できない。
だからもう飼うのはお終いだったけれど、フウちゃんはかなり年齢が高そうだから冬の寒さに外ではかわいそう。

とかなんとか、口実はいくらでも考え付く。
私の無定見さは猫並。




















2016年10月25日火曜日

PPAP

最近のマイ・ブーム

この動画を見てください。

https://www.youtube.com/watch?v=0E00Zuayv9Q

これを見つけて練習してみた。
ようやくリズムについていけるようになった。
けっこう難しいのですよ、これが。

あまりまともな人とは言えないようなこのおじさん。
髪型、衣装、ネックレス、時計、どれもがある種の職業の人みたい。
でも、よく見るとかわいらしい。
衣装と見かけからかけ離れた、とてもシャイで真面目なひとに見える。

リズムがすごく面白い。
本人が作ったのかしら、この曲(?)

ひらひらしたド黄色の衣装、ヒョウ柄のストール。
動きも柔らかい、全身の力が抜けていてゆるい。
最初見たときは度肝を抜かれ、2度目には笑い、3度目からはリズムに反応。

なんとか覚えて散歩しながら、口の中で復唱。
けっこう難しんだわ、これが。
間のとりかたが中々なものですよ。
面白いからお試しあれ。










心配性

いつも大きな顔して業界を渡り歩いているにしては、根は小心者の心配性だから、時々想像力が暴走することがある。

とても勤勉な人のブログの更新が、最近途絶えていた。
ずいぶん長い間、いつ見ても同じ画面ばかり。
いつもこまめに更新しているのに、どうしたのかしら。
最初のうちは忙しいのだろうと思っていたけれど、最後の投稿からもうずいぶん時間が経っている。
だんだん心配になる。
これはきっと体調が悪いか、なにか身の上の一大事が起きたか!
いや、そんなわけはない。
自分に言い聞かせて、眠る。
次の朝起きてブログを見る。
まだ更新がない。
おいおい、どうした。

その間にも私の豊かな想像力は遥か天空を舞い、だんだん膨らんでくる。
訊いてみようか・・・でも単に忙しいだけならうるさく訊くのもお邪魔だし。
しかし、気になる。
このところ急激に痩せたのはダイエットのせいだというけれど、もしかしたら重大な病気かも。
食べ過ぎると具合が悪いというのは、ピロリ菌とか逆流性胃炎とか、いや、もっと重篤なことかも。
ダイエットのための低血糖で、トイレなんかで倒れていないだろうか。

あんなに急激に痩せたら、これから寒さに向かって風が骨身に沁みるのに。
なんてこった、訊くにしても訊き方がある。
だいぶお窶れになったようですが、どこかお悪いの?なんて訊かれたらショックだろうし。
しかし、ちゃんと訊かなければ回答が得られない。

今私の周辺に大病の人が沢山いて、現代医学の恩恵でなんとか元気でいるようだけれど、本人が我慢強い人だったりすると、病院へも行かずに病気が悪化してしまうかもしれない。
おせっかいを承知で電話してみた。

体調いかが?
はあ、元気ですよ。なにか?
それにしてもnekotamaさんは無駄に元気ですよね。

なんだよ、その言い草は。
憎まれ口がきけるなら、元気な証拠。
本当にホッとした。
その後ブログの更新は再開。
心配して損をしたかも。

別の友人で、とても明るくていつも元気な人がいる。
ところがところが、その人は癌を二つ続けさまに手術、その前にも婦人科系の手術をして、その当時ご主人は入院をくり返していた。
電話をして「お元気?」と訊くと、とても明るい声で「元気よ!」と言うけれど、どう考えても私だったらベッドでウンウン言っているレベル。
どんなに大変な時でもキリッとしているのが不思議なくらい。

絶対に他人には弱みを見せない性格なので、周囲はかえってハラハラしていた。
ずっと黙って見守っていたけれど、ついに我慢ができなくなった。
いくらなんでも傍から見ても大変すぎることがあって、体力や気力のほかに経済的にも大変と見たので、彼女と私の共通の友人たちに呼びかけた。
そこで、支援を振り込んでもらうための銀行口座が必要になった。
口座を「**さんを励ます会」と称して法人扱いで開設した。
名義人**さんが、その時ちょうど窓口に居た受付嬢と同姓だったらしい。

当時の銀行の私の担当者が「こちらの**さんも今元気がないんですよ。励ましてあげてください」と言うから「銀行はお金がありすぎて冷えたのかしら?」「すこし庶民にお金を放出すれば、冷えなんかすぐ直るわよ」と嫌味を言ってみた。
担当者は「あはは、そういうわけには」
この**さんに恨みはないけれど、銀行さんには言いたいことが沢山ある。
言われた**さんもニコニコ笑っていた。

その後すぐに銀行の**さんも、友人の**さんも元気になったのは、まさか銀行がお金を放出・・・なんてことはないに決まってる。

nekotamaはいつも図々しく生きているように思われているけれど、本当はノミの心臓の持ち主。
次のコンサートは上手くできるのだろうかとか、ノラがそろそろ寒かろう、湯たんぽを入れなければ・・ミッケは最近こないけれど、元気かしら?とか、くよくよ考える。
中でも一番心配しなければいけないのは自分の脳みそ。
いやはや、すごい荒れ方で、脳みその中を馬が暴れまわっているようで、見たこと聞いたこと全部、馬が蹴散らしてしまう。
この先人間としてやっていけるのだろうか、やはりサルに戻るべきか、悩みの種は尽きない。





















2016年10月21日金曜日

メンデルスゾーン「弦楽四重奏Op.44-1」

来月6日の水沢のチェロフェスタに参加する予定。
チェリストの舘野英司氏と教え子たち、東北の音楽家たちが集まってにぎやかに楽しもうという趣旨で、今年も私の教え子のKちゃんに牽かれての東北行きとなった。
去年Kちゃんに誘われたとき、演奏活動をやめる前にこれだけはもう一度弾いておきたいと思っていたモーツァルトの「ディヴェルティメント17番K.334」を、新潟からはせ参じたホルン奏者たちと一緒に演奏させてもらった。
時間制限があるから全曲は無理だったけれど、好きな部分はほぼ弾かせてもらえたのでとても満足した。

長大な難しい曲で、今まで3回演奏したけれど、もう演奏する機会はないと思っていたのでとても嬉しかった。
セカンドヴァイオリンとヴィオラを弾く人が必要なのに、地元にはプロのヴァイオリンがいないらしい。
それで、東京から一緒にいってもらったのが、ヴァイオリンとヴィオラの二人とも名前の頭文字がHさん。

チェロフェスタへの参加は仕事としてでなく、同好会みたいなものだからほとんど手弁当。
申し訳ないけれど、私のお願いきいて!と、頼み込んだ。
快く引き受けてくれた二人。
お二人はプロだから、今年はいくらなんでも遊びに付き合ってもらうわけにはいかないと思って声をかけなかったら、あちらから連絡があった。

最初はヴィオラのHさんが、今年も参加させてほしいと言われた。
ありがたく弾いてもらうことにして、それならヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの弦楽三重奏曲、モーツァルト「ディヴェルティメントK.563」を演奏しようということになった。
そしてホテルや新幹線の手配も済んでいたのだけれど、次にヴァイオリンのHさんから、今年も行きたいとの連絡があった。
「去年帰り際に、来年もよろしくって言ったでしょう」と叱られる。
なんてこった、私の友人たちの心の温かさったら!グスン。

二人が来てくれるなら弦楽四重奏ができる。
急遽、曲を変えることにした。
弦楽四重奏曲は星の数ほどあれど、アンサンブルは最も難しいジャンルだから、簡単な練習だけでは持って行けない。
けれど、短時間で演奏できるまでにまとめないといけないから、今まで弾いたことのあるレパートリーの中から選ぶとすると、ベートーヴェンの作品18あたりか、モーツァルトの「春」とか「狩」とか、ハイドンの「ヒバリ」とか、今までさんざん弾いてきた曲になってしまう。
ヴィヴァルディの「四季」から「春」を弦楽四重奏用に書き直したものも候補の一つ。
さて、どうしようかしら。

先日、北軽井沢のコンサートで弾いたラヴェル「ボレロ」も面白い。
あの時は大うけだったから、それをメインになにかポピュラーな曲をもう一曲入れてもいいかしらと、楽しい企画の段階。

私はヴァイオリンは下手でも企画は大好き。
演奏会の全体の構想から曲を決めるのがなによりも楽しい。
今回のようなお祭りならば闇鍋風ごったまぜ状態なので、好きな曲を持ち寄ってわいわい騒ぐのでいいけれど、自分が企画したコンサートはちゃんと頭としっぽがあるように念入りに考える。
今回はお祭りだから、あまり固く考えない方がよろしい。

お祭りが終われば即遊び。
レンタカーで平泉周辺を一日走ってくるつもり。
北軽井沢で肩透かしをされた紅葉が、今度こそ見ごろだと思う。
去年中尊寺に行ったときは雨だった。
今年は晴れ上がった秋空の期待が高まる。

良く遊ぶ人生。
これからもよく遊びよく食べ、そして一番肝心な、よく弾くことを心がけよう。
いつも助けてくれる友人たちには感謝あるのみ。

ああでもないこうでもないと考えているうちに、華やかで弾きやすく気難しくなく・・・ピッタリの曲があった。
メンデルスゾーンの弦楽四重奏曲Op.44-1。
はじけるように始まる曲で、幸せだったメンデルスゾーンの生涯を彷彿とさせる。
ベートーヴェンのように気難しくなく、モーツァルトのように深さはないけれど、気品と若々しさに満ちている。
私の選曲の才能に我ながらうっとりする。
ヴァイオリンの演奏も一度でいいから、うっとりしてみたいものだわ。
いつも悪戦苦闘、ステージに出る前は「ああ、弾くなんて言わなきゃよかった」とブツブツつぶやくのに、終わると「次、なに弾く?」なんて性懲りもなく。

演奏活動をやめるやめると言いながらやめられない。
来年はベートーヴェンの「クロイツェル・ソナタ」の共演依頼が・・
バッハ「ブランデンブルク協奏曲4番」のソロと、自主公演の予定も。
カルテットの曲を選んでいたら、シューベルト「死と乙女」が無性に弾きたくなった。
必ず弾こうと思う。

なんか、病気になりそう。
業ですね。








2016年10月20日木曜日

落ち葉掃き

我が家の前は桜並木。
春には一斉に花が咲いて見事な花のトンネルになる。
秋には落ち葉が舞い散る。
落ち葉公害という人がいるのを知ってびっくりしたことがある。
落ち葉が公害とは、なんという発想かと・・・

毎日私の家の前から両サイド数十メートルにわたって、掃き清めてくれる人がいる。
近所の早起きの女性。
初めのうちは私が自分の家の前と両隣くらいの範囲で、ちまちまと掃いていた。
そこに近所のごみ捨て場が設置してあって、そのゴミ捨て場を巡って私とご近所十数軒とのバトルが繰り広げられていた。

意識の低い輩が、自分の家の前をゴミ捨て場にしたくなくて、この美しい桜並木の下をゴミ捨て場にしてしまった。
しかも管理をきちんとしないものだから、とんでもなく汚れて私の怒りはしばしば爆発。
私は一人でその連中に立ち向かって、町内会長まで巻き込んでの長期に亘る戦争となった。
もう20年ほどになる。
その間徐々に相手の意識も変わってきた。
ようやく管理をするようになってきたけれど、まだまだ。

そして私は時々この道路を掃除していたのだけれど、ある時、その仕事は一人の早起きさんに奪われた。
朝起きて外に出ると、なんとまあ!チリ一つなく掃き清められていた。
次の日もまた次の日も。
毎朝道路はピッカピカ。
今日こそと箒を持って外に出ても、早起きのその人はとっくに掃除を済ませ、大きな声で「おはよう」と言いながら散歩に出かける。

時々その人よりも早起きすることがあると掃除をするけれど、やり方が杜撰なので、まだらにゴミが残る。
体力気力共に負けている。
それでもうすっかりお任せになった。

秋になると、朝掃いてもすぐに落ち葉が積もってゆく。
昨日は突然、落ち葉掃き隊に新たな参加者出現。
お向かいのご主人。
夕方通りかかるとせっせと掃いている。
あのう、ここ私の縄張りなんですけど・・・なんて絶対に言わない。
まあ、ありがとうございます、きれいになりますねえ。
おべんちゃらを言うと「この箒がすごく良いので、掃きやすいんですよ。すごくよく引っかかるので」
得意げに箒を見せられた。
なるほど、いかにも高価そうな、素敵な箒。
うちの箒は、ホームセンターで買った一番の安物の棕櫚箒。
棕櫚の毛があちらこちらにそっくり返って、ちっともゴミが引っかからない。
それに比べて見るからに材質も作りもすぐれものの竹箒。
たぶん、どこそこの名工の作品とかいうものだと思う。

いまだかつて箒に興味なんてなかったけれど、良いものが急に欲しくなった。
お向かいさんは家も素敵、車も高価。
箒一本見ても、私の家より良いものを使っている。
しかも今度はご主人が出てきてとあっては、体力も男性にはかなわない。
見る見る間に道路はきれいになっていった。

本当のことを言えば、助かった~というのが本音。
この人が毎日掃いてくれるかどうか。
さーて、どうなんだろう。

落ち葉で思い出すのは、子供のころ。
私は木が生い茂った家で育ったので、秋冬には大量の落ち葉が積もる。
それを掃き寄せて庭でたき火をする。
中にサツマイモを入れて焼き芋。
皮が焦げて香ばしく、中はホクホク。
いまでもあんな美味しい焼き芋は食べられない。

ロマンチックな思い出は(私のじゃないけど)ジャン・ギャバン主演の映画「ヘッドライト」
プラタナス?の落ち葉が舞い散る場面が象徴するような、儚く悲しい、中年男の恋。
今でも思い出すと胸が締め付けられるほど、切ない映画だった。
昔の映画は良かったなあ。

 
































2016年10月18日火曜日

紅葉が遅い

北軽井沢の森から帰ってきたら、下界には半そでの人がいてびっくりした。
あちらに着いたのは4日前。
居候先の宿主のノンちゃんから「寒いわよ」という電話が来たので、恐る恐る山を登って行ったら、本当に寒かった。
ジャケットのライナーを外して家においていったのを悔やんだほど。

期待の紅葉はまだまだ。
山を登っていくと、いつもの10月ならとっくに赤く色付いている木々の葉がまだ緑いろをしている。
記録的な雨の多さで、日照時間が足りないかららしい。
なんだか新緑の季節みたいねと言いながら、お酒を飲む。
今回は瓶入りの焼酎がメイン。
これはノンちゃんの家のお隣さんが、新婚さんからいただいたと言ってずいぶん前にふるまってくれた美味しい焼酎。
美味しかったのでその後ネットで注文しようと思ったら、一か月待ちというので、半ばあきらめていた。
最近、近所のデパートで見つけたので、即購入。
車に乗せて山まで運んで行った。

それに合わせてお料理が出る。
最初の晩のメインはカキフライとキノコご飯。
2日目はバーベキュー。
3日目は中華料理。
毎日お腹がはちきれるほど食べる。

私は大食いのほうだけれど、このグループでは一番の小食。
2日目は早くもダウン。
お昼ご飯なしでお茶会。
お昼抜きで早めの夕食はバーベキュー。
お隣さんのベランダでまだ明るいうちから炭をおこし、キノコ、熟成肉、サンマ、お野菜いろいろを次々に平らげていく。
炭で焼くと特にサンマが強烈においしい。

そのベランダの前に楓の巨木があって、この季節は見事な紅葉になるはずで、それを狙っていったのに今年はまだ青々としている。
今年の夏もお世話になった「ルオムの森」のオーナー夫妻も参加して、賑やかに夜がふけた。
北軽井沢とそれにまつわる人々の歴史などが話題になる。
ここには芸術家がたくさん住んでいる。
あの人もここに?とびっくりするような人たちも。
木工や農業に携わる人々の思い入れやこだわりなどのエピソードなど、興味津々で話を聞いた。

次の朝目が覚めると熱っぽくて、喉がいがらっぽい。
風邪をひいたらしい。
とかく過食すると風邪をひく。
それと水分の摂取が足りなかった。
珍しく朝食時間まで寝ていて、朝食後ももう一度眠って、お昼ごはん抜きで夕方まで眠る。

私は普段は、こんなに寝なくて大丈夫かと自分でも思うほどのショートスリーパー。
3時間4時間睡眠は通常のことで、5時間以上は寝ることがなく、昼寝もめったにしない。
ところが森に来ると、睡眠時間が長くなる。
心底リラックスできるらしい。
寝ても寝てもまた寝られるのは、よほど疲れていたのかも。
夜はノンちゃんが腕を振るって、中華料理をいただく。

全員お料理上手で、次はあなたがお料理するのよと言われながらも、耳の後ろを掻いて誤魔化し続けている。
私が調理したら、このグループから放逐されそうだから、もっぱら食べ方であり続けよう。

来た日には緑色だった森が、ほんの2日ばかりで急に赤や黄色に色付きはじめた。
この数日お日様が照ったせいらしい。
早朝散歩に出かけると、あちらこちらに紅葉が朝日に照り映えている。
そういえば、ひいていたはずの風邪はもう治ったらしい。

山の木々は風邪も心の痛みも、なんでも癒してくれる。
後ろ髪ひかれる思いで山を下りる。
この先、ずっとこの地にいられるようになるといいなと思いながら。




























2016年10月15日土曜日

忘年会コンサート準備

毎年忘年会とコンサートを兼ねた「雪雀連」のイベントがある。
去年までは門前仲町の小さなホールを借りてやっていたけれど、今年はその近所の美味しい焼き鳥屋さんが引っ越してしまったので、河岸を変えようということになった。
このことでもわかるように、焼き鳥屋によってコンサート会場が決まるのだ。
去年はその焼き鳥屋さんが引っ越したことをしらないで、コンサート後の宴会をそこですることになっていた。
当日世話役の青ちゃんが文字通り青くなった。

「おい、あの店なくなっちゃったよ。どうするこの後」
知らないよ、大体当日営業しているかしていないか確かめたらどうなのよ。
結構な人数になるのにお店に予約も入れず、もしほかの宴会が入っていたらと、考えなかったのかしら。
ことほど左様に、いい加減なのが「雪雀連」の伝統。
しかたがないから、近くの飲み屋に会場は変更になったけれど、そこは悲惨なくらいまずくて、今年は焼き鳥屋のおかげで会場変更となった。

いろいろネットで物色、渋谷付近でここならというところを見つけて下見に行くことになった。
下見と言うのは飲み会の体の良い口実で、ネットの情報から中々よさそうだからほとんど決定ということになっていたのだが・・・
また青ちゃんから電話が。
今日見せてもらいに行く約束をしていたのに突然時間を変更してきた上に、いろいろ話していたら使用料がどんどん上がっていったという。
「だめだ、あれは、どこかいいところはないかね」
話しているうちに、それではnekotama家を貸しましょうということになった。
我が家は演奏者が入ってしまうと、お客さんがゆっくりできるスペースはトイレくらいしかない。

以前、酔っ払いがパソコンに寄りかかって私から激怒されたことがあったくらい、スペース的には貧弱。
ただ、時間の制約や食べ物飲み物に不自由はない。
いつものお花見に、演奏がつくというだけ。
うちは階上に店子さんが入っているから野放図に騒げないけれど、その店子さんを引きずり込んでしまえば何の問題もなくなる。
お花見の時にはお料理じょうずな店子さんが一品差し入れてくれた。

青ちゃんが、その店子さんが美しいと言っていたから、目の保養をさせてあげられるし。
それはいつも私たちと付き合っていれば、ほかの女性はみんなきれいに見えるというもの。

そんなわけで、今年の忘年会は我が家でということになった。
いつか落語家を呼んで落語会を催したいと思っているのだけれど、なんせ部屋が狭すぎる。
採算が合わないから真打なんて呼ぶのは夢のまた夢。
二つ目だってどうだか。
なんなら前座見習い、それも無理なら大学の落研。
それもダメなら私が「孝行糖」の飴屋の口上くらいはできる。
孝行糖の口上を「ちんねん」こと作曲家の故近衛氏の前で演じたら「女にしておくのはもったいない」と言われた。
なぜ口上ができると女にしておくには云々になるのか意味不明だったけれど。

会場が決まったお祝いをしようと会長の山田氏が言い出した。
口実はなんでもいいので、5人ほど集まってビヤホールのライオンで祝杯?を上げた。
会長は間もなく米寿を迎えるというのに、えらく元気で、私たちの中で一番元気に見える。
青ちゃんが会長に向かってしみじみと言う。
「僕はあなたに会って、本当に楽しい人生だった」
本当に私たち全員、楽しませてもらった。
会長は遊びの計画から実行まで、疲れを知らない行動力で皆を引っ張ってきた。
記憶力や好奇心は若者以上。
スキーの達人。
日本の調律会の大御所として優れた裏方さんに贈られる、日生バックステージ賞の受賞者でもある。

12月末我が家のレッスン室は阿鼻叫喚の坩堝となり、奇怪な音がご近所に鳴り響くかもしれない。
本当のところ、音は外部には漏れないけれど、居住者には一時的に避難してもらうか又は坩堝の中に入ってしまうか、これから選択を迫ろうと思っている。

さて、大騒ぎの前に静けさをもとめて北軽井沢に行ってまいります。
森の中で静かにしている自分と、大騒ぎしている自分と、はて、どちらが本当の自分なのか・・・抱かれている俺はだれ?抱いている俺はだれなんだろう?わかります?これ。
おわかりなら落語研究賞を贈ります。


















2016年10月13日木曜日

森からのお誘い

今年ほど雨が続いた夏を私は知らない。
秋になっても毎日雨続き。
やっとここ数日青空が見えた。

夏のコンサートの後もいくつかの本番をこなして、思いのほか疲れていることに気が付いた。
もう若くはない。
疲労がズシリと体の底に溜まっている。
見た目は小柄で若造りだから、帽子を目深にかぶって顔を隠せば年はごまかせる。
体型でばれるかも、う~ん。
顔を隠して背筋を伸ばし、しゃきしゃきと歩けばなんとか年齢詐称もできるけれど、内部から来る相応の経年劣化には対抗できるわけではない。
ひどいのは脳の中がぐちゃぐちゃ。
疲れて、そろそろ森が恋しくなって来たら、北軽井沢へのお誘いの電話。

今年も八ヶ岳音楽祭に出演する気でいたけれど、この春、音楽監督からの出演依頼に、なにか気がのらずお断りしてしまった。
とてもありがたいけれど、もうオーケストラで弾く気にはなれない。
あまりにも人が溢れ音が溢れ、なにかしんどい。
しかも目が悪くなって楽譜が見えない恐怖と戦うのは、もうたくさん。
八ヶ岳で演奏した後で北軽井沢に回るというのが、ここ数年のパターンだった。
北軽からもみんなで聴きにきてくれた。
今年は私が出ないので、聴きに行くのは中止になった。

あれほど好きだったオーケストラがこんなに気持ちの負担になるとは、夢にも思ったことがなかった。
たぶん今まで好きだった人に醒め始めると、こんな気持ちなんだろうなと想像する。

少し病んでいるようだから、森の木々に癒されてこよう。
土曜日に出発、しばらくはヴァイオリンを弾いて美味しいものをいただいて、ぼんやり森を眺めてくるつもり。
私の居候先は人形作家のノンちゃんの家。
紅葉の季節にはカラマツの葉が夕日に輝いて、ハラハラとおちる。
そのきれいなことといったら、夢の中にいるような。
お隣さんの高級レストラン顔負けの料理をいただいて、お酒を飲み長細いカラマツの葉の降るのを眺め、静かな時を過ごす。
いつもは賑やかな話題満載の食卓が、この時には皆無口になる。
若いころには味わえなかった、至福の時。
歳をとるのも悪くはない。

先日の北軽井沢のコンサートの前夜祭で、お隣さんが美味しいローストビーフをごちそうしてくれた。
有名レストランも顔負けの、素晴らしさに皆おどろいた。

今日は何を食べようかと冷蔵庫をあさっていたら、ビーフの塊が出てきたのでそのことを思い出した。
そこで私も作ってみようと思い立った。
お隣さんのようにはとても出来ないけれど、追分に別荘のあるヴィオリストのKさんが作ってくれた、焼かないローストビーフなら私にも出来るかも。
それがとても美味しかったので、真似してみよう。

まずフライパンで肉の表面を焼く。
全体に焼き色が着いたらフライパンから取り出して、ジップロックのビニール袋に入れ、熱いお湯を張った鍋へ放り込む。
沸騰しない温度だから煮るわけではない。
そしてしばらくお湯につけて出来上がり。
このやり方を聞いたときには、すごい!と思った。
彼女のローストビーフは中がほんのりピンクで、とても美味しかった。
同じようにできるかな?

なにごともいい加減な私のことだから、鼻歌交じりにお肉の表面を焼いてからお湯に放り込む。
Kさんはお湯の温度は何度で何十分とか言っていたけれど、もとよりそんなことは覚えてはいない。
時々熱いお湯をつぎ足す。
その後は、お湯に浸けたことすら忘れてしまった。
これがよかったらしい。
出来上がったロースト(?)ビーフは中がほのかにピンクでとても柔らかく美味しくできた。
偶然に出来上がったので2度と同じものは作れない。

お隣さんがこれを聞いたら、ホントにいい加減なんだから!と叱られそう。
頭の出来が違うのだから、許してほしい。

さっきノンちゃんから電話があって、今年はまだ紅葉していないとの悲しいお知らせ。
雨が多すぎたからね。
11月初めに東北に行くので、そこに期待しよう。
とても寒いというから、暖炉でまきを燃やすのが楽しみ。
































2016年10月12日水曜日

発音だけ

中学校で始めた英語にはまったく興味がなかったので、本当に勉強しなかった。
担当の教師が嫌いだったせいもある。
ところが海外旅行に行くようになってから、ひどく後悔した。
やっておけばよかった。

仕事はずっと忙しかったけれど、若い時にはエネルギーがあるから英会話を始めようなんてことに。
英会話教室に行って初めての面接。
書いてある絵を見て英語で状況を説明せよ。
普通の人だと恥ずかしがって言えないと思うけれど、私は習いに来たのだからできなくて当然、なにも分からないから外国人教師に尋ねながら、なにがなんでもしゃべっていた。
すると裏から大笑いしながら飛び出してきた教師が二人。

「あなたホントに良くしゃべるね。でもすごくブロークン。大丈夫、あなたはすぐうまくなるよ。アッハッハ」と。
3人の教師がお墨付きをくれたけれど、結局その時以上にうまくはならなかった。

中学時代にちゃんとやっておけば殆ど苦労はしなかったと思う。
今となってはもう手遅れ。

その私が急にハリー・ポッターを読み始めたのだから、自分でもびっくり。
そして読み進めていくうちに、以前よりはずっと読めるようになったけれど、相変わらず単語が覚えられない
若いころに覚えた単語は比較的思い出せるのに、最近初めてお目にかかる単語は、ほとんどその場で忘れてしまう。
やはり若いころの勉強がものを言う。

私の先生のルースさんは、ほめ上手。
どんなに悪戦苦闘しても、いつも最後にほめてくれる。
最上級のほめ言葉で。
それでも発音に関してのみ。

どこの英会話教室に行っても発音だけは褒められる。
以前カルチャーセンターで習っていた変人でおかまチックなアメリカ人が帰国する時、めずらしくしんみりと言った。
「あなたの発音はとても良い」

これに気を良くしたかと言うとそんなことはない。
お腹の中で私はつぶやく。
「だけど、しゃべれないもん」

先日、ルースさんからしみじみと言われたのは「そんなにうまく発音できるのに、どうして話せないの?」
私は音楽家だから、音の響きをどうすれば出せるかは専門家。
だけどその響きがなにを意味するのか、どうやって組み立てれば文章になるのかがわかるわけではない。
私が英語を読むとき、まるで楽譜を読むように自然に発音することができる。
あ、楽譜を読むのと同じだ。
最近自分で気が付いたのがそのこと。
これだけ長い間本を読んでいるのに、少しも会話は上達しない。

しかし本当にハリー・ポッターは面白い。
中学の時にこの本が教科書だったなら、私は一生懸命勉強したに違いない。
これはペンです、私の名前はnekotamaです、なんてくっそ(失礼)面白くもない。

なんで教科書をあんなにつまらなくして勉学意欲を削ぐのか、わからない。
先はどうなっているのかしらとワクワクしながら読めば、どんどん上達するはず。
大学の第二外国語はイタリア語を履修したけれど、初めから物語を読まされた。
自分でも信じられないほど立派に翻訳した教科書が残っている。
へえ!本当にこれを私が?
まぎれもない自分の字。

こんなことを言うから、イタリア旅行に行くときに皆から私はイタリア語が話せると思われてしまったのだ。
イタリアに着いてから、私がまったくイタリア語を話せないことを悟った3人の友人たちは大パニック。
だから言ったでしょう、しゃべれないって、あれほど言ったのに。
謙遜していると思われたらしい。
4人でひっくり返って涙を流して、笑った笑った。
いったいこれからどうすればいいの?・・・と言いながら、素晴らしく楽しいイタリア旅行を満喫してきた。
だから会話ができなくてもなんとかなるもの。















2016年10月11日火曜日

匂い

今朝のニュースで、特急列車内で他人の靴を盗んだ男性が逮捕されたと報じていた。
夜中、乗客が寝静まったころ、通路側に寝ていた女性の靴を片方盗んだ疑いだという。
眠っていたとはいえ、スニーカーを脱がされてよく目がさめなかったものだと、半ば感心した。
もし途中で目が覚めたら、ギャーッと声を上げてしまって大騒ぎになったと思うから、せめて目が覚めなかったことが幸運だったとおもわないといけないかもしれない。
想像するだにおぞましい。

しかし、他人の靴を盗んでなにが面白いのかと思うけれど、世の中には様々な癖の人がいて、靴のにおいフェチはさほど珍しくはないのかもしれない。
以前男性が男性の靴を盗んで、匂いを楽しんでいたという報道もあった。
テレビで見たけれど、盗まれた大量の男性の靴が並んでいた。
これなんかはなおさら訳がわからない。
女性の匂いではなく同性の匂いとは・・・

どちらにしても、吐き気がするほどの嫌な性癖。
それなら自分の匂いを嗅げばいいじゃないと思うけれど、自分のでは満足できないのですかね。

私は嗅覚障害があって匂いには強くないけれど、人工的な匂いは大嫌い。
動物の匂いが苦手な人がいるけれど、それは大丈夫。
というより、猫の個体差がわかるくらいに敏感。
空気や地面、草の匂いなど、季節によって変わる匂いも敏感に反応する。
たぶん、育った段階のどこかで嗅覚が麻痺したものと思える。
子供のころ沢山かいだ匂いはよく覚えている。
トマトの青臭い匂いやほかの野菜の匂いも。
大人になる前にだめになったのかもしれないので、香水などの匂いはからきしわからない。

イギリスに遊びに行ったとき、オックスフォードでハリー・ポッターの撮影をしたという図書館を訪れた。
入り口の案内の女性が「図書館の中はsmell」だと言った。
同行した友人は「かぐわしい香りがする」と解釈。
mouldyとは言わなかったけれど、私は「かび臭い」と解釈。
結局中には入らなかったけれど、たぶん私のほうがあっていると思う。
図書館でかぐわしい香りなんて聞いたことがない。
長年染みついた湿気や埃の匂いしか想像できない。

その友人が香水を選んでいる間、私はなんの感動もなくその場で待っていた。
私には香水の香りはまったく匂わないので。
結局私の匂いに対する受容器官は、子供の時に出来上がったものしかないらしい。
途中で何らかの障害が生じたものと思われる。
たぶんひどい副鼻腔炎をちゃんと治療しなかったとか。

プルーストの「失われた時を求めて」は、紅茶に浸したマドレーヌの香りから展開していく。
香りで幼少時代の思い出が蘇る。
それを読んで上手いなあと思った。
初夏に札幌の手稲山に行ったとき、春先の草と土の匂いがしたのを鮮明に思い出す。
たまに匂いが分かるので、匂うときはすごく新鮮な気がする。
鼻の敏感な人は、都会の匂いに辟易するのでは?
満員電車でなにがつらいって、衣服の洗剤や柔軟剤、香水の匂いが充満することだという記事を読んだことがある。
つらいでしょうね。
目は瞑ればいいけれど、鼻を塞いだら息ができなくなる。
私は幸いにも、そのような匂いがわからない。
鼻が悪いとなにが得かと言うと、クサヤを平気で食べられることなのだ。

化粧品を買うことも最近は少なくなったけれど、この香りいかがでしょうかと言われてもわからない。
わからないからと店員さんに言っても信じてもらえないので、最後にはわかったふりをして選ぶ。
どちらにしても匂いを嗅ぐのは自分ではないので、知ったこっちゃないわけなのだから。

ある時、飲む香水というキャッチフレーズに引っかかって飲んでみた物がある。
飲んでいると体の中からバラの香りがほのかに・・・
まあ、すてき、飲んでみよう。
でもそれはほのかではなく、強烈に匂った。
私のように嗅覚障害でも臭かったから、敏感な人はたいへん。
体内だから鼻を通さず(?)匂いがキャッチできたのかも。
とにかく、すぐにやめてしまった。
世の中には匂いが充満しているのに、そのうえ人工的に匂いを重ねるという神経がよくわからない。

匂いは文化だそうで、臭いという基準も文化圏によって違うらしい。
よく食べ物を食べる前にくんくん匂いを嗅ぐひとがいるけれど、私から見るとすごく下品な行為に見える。
鼻が利かないものの僻みかもしれないけれど。




























2016年10月10日月曜日

紙だのみ

苺のヘタやモヤシの尻尾をとったりするときに、捨てる方の尻尾やヘタを実をいれるボウルに間違えて入れるなんてことがあるでしょう。
私は特にぼんやりしているから、日常茶飯事。

先日の伊豆旅行の疲労が思いのほかたまっていたらしく、お掃除をするのもおっくうで、レッスン室は見事に散らかってしまった。
あっても役立つかどうか意味不明のものがたまりにたまって、さすがの私もこれは何とかしなくてはと一念発起。
今日は紙の収集日なので、まずはいらないコピーをまとめ始めた。
先日の魔法使いの弟子騒動で散乱していた膨大なコピー。

特に気を付けなければいけないのが、必要なものと必要でないものを選別すること。
携帯電話の契約書とか金融関係の書類などは、いつ捨てていいかわからないから、ずっととってある。
日付けが古いからと言って油断はならない。
私の家の火災保険は長期型だから何十年もの契約。
うっかり契約書をなくすと困る。
ほとんど無駄だと思うがん保険の契約も早く解約しようと思いながら、ずっと解約していない。

とにかく目についたものを床にどさっとばらまいて、選別にとりかかる。
これが非常に危険なのだ。
苺のヘタなら無害だけれど、必要な書類を不必要な方に入れてしまって、今まで何回困ったことになったことか。
私は事務関係の仕事をしている人を尊敬する。
私にとっては書類は頭痛を呼び覚ますものでしかない。
日付けを見ても今年が何年だか、いちいち確かめないと不安で仕方がない。
書類を書かされると決まって、名前のところに住所を書いたり、相手の電話番号のところに自分の番号かいたり、しかもハンコが押せない。
ものすごくヘタで、たいてい半分欠けてしまう。
気合を入れて印肉をたっぷりつけすぎで滲んで判別不能になることも。

フリーの仕事を始めたころ、楽屋で支払調書に名前を書くように言われた。
「私はいつも名前のところに住所を書いてしまうのよね」と言ったら、そばでお弁当を食べていた男性が、ブッと言って吹き出した。
「食べてるときに言わないでよ」と言われたけれど、本当になんでこんなにおっちょこちょいなのか、あるいは病気ではないかと思える。

知能は普通(?)だと思うのに、日常生活はとんでもなくミスの連続。
書類や取扱説明書を見ると、目が泳いでしまって文字が急に読めなくなる。
私だけではなく、私の両親、兄姉ことごとくおかしな一家。
すぐ上の姉は、歩いていて足がぬかるみにはまってしまった。
近くに警察があったからお巡りさんに「足を洗わせてください」と言ったらしい。
それを聞いて家中爆笑。
警察に行って足を洗いたいと言ったら、全然別の意味になるでしょう、と私たちは大笑いした。
姉はヤクザの情婦になれるほど色っぽくも粋でもないし、かと言って本人が犯罪者になるほどの悪人でもない。
お巡りさんはびっくりしたと思う。
普通警察には行かないでしょう。

紙ゴミの収集車が来たけれど、私が捨てた紙の中に一万円札がごっそり紛れ込んでいないことを祈っている。


































2016年10月6日木曜日

雨の伊豆もおつなもの


伊豆に出かけた5人組
ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さん、フルートのリチャードさん、М子さん、Nさんご夫妻、それと私。

伊豆下白石にたどり着いて立派な会員制の宿に入ったのが、まだ早い午後。
周りを見れば何もない。
こんなに何もすることがないというのは珍しく、家からスマホでも持って来ればよかったと思ったけれど、後の祭り。
食堂にある本棚で「赤毛のアン」を見付けたので手に取って読み始めたら、長年の記憶が違うことに気が付いた。
何十年ぶりで読んでみるか。
しかし、本を読むことは設定外だったので、読書用のメガネも持ってこなかった。

外は雨、室内は湿気が多く、蚊がいる。

実はこの蚊は美智子さんの家の庭から連れてきたのかもしれない。
さっき出発するときに、車にちゃっかり乗りこんでいたもの。
それで初日夜、速攻眠ってしまう私が、寝入りばなに刺されて腹を立てて、それから眠れなくなったのだ。珍しいことに。

次の日も雨。
それでも修善寺見物に行った時には、歩いている間は雨は上がってくれた。
そのあとで天城越えをしようと山頂に向かうと、雨はどんどん強まってきた。
道の駅にようようたどり着いた時にはかなり激しくなって、天城越えは断念。

夕飯の素晴らしさが無聊を慰めてくれた。
地物の魚介類が、これでもかと出てくる。
どの小皿も素晴らしく手が込んでいるので、食べ残すことができない。

全員ふうふう言いながらも完食。

この宿は大きな窓ガラスから富士山が正面に見えるのが売り物らしいのに、2日間、全く富士山はお出ましにならなかった。
3日目も朝は雨だったのが、少し日が差してきた。
この後熱海に行く予定だったので、富士山はとうとう顔を出してくれないと思ったら、9時過ぎに雲が晴れた。
そうしたら考えていた以上に大きな富士山が顔を出した。
宿の人が、これなら達磨山に行った方がよいという。

達磨山の写真を見ると、海から上に富士山の全景が見える。
こんな風に見えるのはここだけなのだそうで、絶対見た方が良いと強く勧められた。

達磨山は曲がりくねった山道をせっせと上っていく。
こんなところに何があるのかと思ったが、急に開けた場所に来た。
そこから見える景色がこの写真。


雨がすっかり上がって、晴れ渡った青空と海と、山々の緑が、それはもう、言う言葉もないほどの良い景色なので、しばらくみな陶然と景色を見つめていた。

熱海で昼食の約束の時間があるから、お名残り惜しいけれど出発。
3年ほど前に美智子さんと伊豆に来たとき見逃したカピバラを見に、サボテン公園に車を走らせた。
カピバラが見たいというのは私の強い希望で、М子さんは以前見たけど、汚くて大きくてかわいくなかったわとおっしゃる。
私は温泉に入るカピバラが見たいと思っていたけれど、あれは冬場のイベントですと係員の冷たい返事。

しかし、カピバラはかわいい!
撫でると気持ちよさそうにうっとりとして、ごろんとおなかを見せる。
しかし毛がこわくてあまり手触りは良くない。
これで毛がモフモフだったら、最上級の可愛さになるのに、惜しい。
М子さんに「ねっ、かわいかったでしょう?」というと微妙な返事。
ここで私を怒らせると車に乗せてもらえなくなるかもしれないから、あいまいに「そうねえ」と言う。
無理しているのは見え見えだけど、心優しい私は気がつかないふり。

熱海で美智子さんのお友達においしいランチをごちそうになり、帰路についた。







































2016年10月1日土曜日

修善寺へ

ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんと、その夫であるフルーティストのリチャードさんが滞在している間に温泉にでも行こうというので、明日から修善寺温泉に行ってきます。
もう一組、高齢のご夫婦が一緒で5人でのドライブ。
私は運転手なので、二組のご夫婦の間で小さくなってないといけない。

修善寺というと思い出すのは、昔見た映画「修善寺物語」

時は鎌倉時代、修善寺に夜叉王という面つくりがいた。
彼には二人の娘がいて、妹娘の楓は心優しく平凡な暮らしを望み、父の弟子と結婚する。
それに反して姉娘の桂は、平凡な生活をきらい、玉の輿に乗ることを夢見ている。

鎌倉幕府の2代目将軍頼家は夜叉王に、自分の顔に似せた面を打つように依頼した。
しかし何度打っても、どうしても面に死相が現れてしまい、夜叉王は面を完成することができない。
頼家が夜叉王に面の催促に訪れたとき、姉娘の桂は死相の現れた面を献上してしまう。
桂は頼家の妻となったその夜、源実朝を将軍に据えようという野心の北条時政が頼家を襲う。
頼家は非業の死をとげ、頼家の身代わりになろうと頼家似の面をつけた桂もまた瀕死の重傷を負って父の夜叉王の家にたどり着く。

夜叉王は面に死相が現れたのは自分の腕が未熟だったからではなく、名工の霊感がそうさせたのだと悟った。
そして死に瀕して苦しんでいる娘の表情を写し始める。

ちょっと怪しいけれど、こんなストーリー。

筋書きはえぐいけれど、まだ年端もゆかぬ子供だった私が非常に感銘を受けたのは、岸恵子の美しさだった。
ほかの俳優さんは誰だったか覚えていないのに、岸恵子だけは良く覚えている。

もう一つの修善寺にまつわる思い出は、大学時代のオペラの合宿。

外山雄三先生の指揮で「コジ・ファン・トゥッテ」
モーツアルトの背徳的なオペラを学生の教材にするのもなんだけど、筋書きについて固いことを言わなければ、素敵に面白いし、歌もすてき。
大好きなオペラを弾くのは楽しかったけれど、外山先生がちょっと好色そうで癇癪もちそうで怖いななんて思った。
ほんとのところは全くしらないけれど。

伊豆は以前美智子さんと東伊豆の海沿いに遊びに行っているけれど、修善寺は山の中、海の方の開放的な感じではないと思う。
とにかくお年寄り連れのドライブ、気をつけて行ってまいります。
まるで自分は年寄りではないような書き方ですねえ、これは。