2016年10月10日月曜日

紙だのみ

苺のヘタやモヤシの尻尾をとったりするときに、捨てる方の尻尾やヘタを実をいれるボウルに間違えて入れるなんてことがあるでしょう。
私は特にぼんやりしているから、日常茶飯事。

先日の伊豆旅行の疲労が思いのほかたまっていたらしく、お掃除をするのもおっくうで、レッスン室は見事に散らかってしまった。
あっても役立つかどうか意味不明のものがたまりにたまって、さすがの私もこれは何とかしなくてはと一念発起。
今日は紙の収集日なので、まずはいらないコピーをまとめ始めた。
先日の魔法使いの弟子騒動で散乱していた膨大なコピー。

特に気を付けなければいけないのが、必要なものと必要でないものを選別すること。
携帯電話の契約書とか金融関係の書類などは、いつ捨てていいかわからないから、ずっととってある。
日付けが古いからと言って油断はならない。
私の家の火災保険は長期型だから何十年もの契約。
うっかり契約書をなくすと困る。
ほとんど無駄だと思うがん保険の契約も早く解約しようと思いながら、ずっと解約していない。

とにかく目についたものを床にどさっとばらまいて、選別にとりかかる。
これが非常に危険なのだ。
苺のヘタなら無害だけれど、必要な書類を不必要な方に入れてしまって、今まで何回困ったことになったことか。
私は事務関係の仕事をしている人を尊敬する。
私にとっては書類は頭痛を呼び覚ますものでしかない。
日付けを見ても今年が何年だか、いちいち確かめないと不安で仕方がない。
書類を書かされると決まって、名前のところに住所を書いたり、相手の電話番号のところに自分の番号かいたり、しかもハンコが押せない。
ものすごくヘタで、たいてい半分欠けてしまう。
気合を入れて印肉をたっぷりつけすぎで滲んで判別不能になることも。

フリーの仕事を始めたころ、楽屋で支払調書に名前を書くように言われた。
「私はいつも名前のところに住所を書いてしまうのよね」と言ったら、そばでお弁当を食べていた男性が、ブッと言って吹き出した。
「食べてるときに言わないでよ」と言われたけれど、本当になんでこんなにおっちょこちょいなのか、あるいは病気ではないかと思える。

知能は普通(?)だと思うのに、日常生活はとんでもなくミスの連続。
書類や取扱説明書を見ると、目が泳いでしまって文字が急に読めなくなる。
私だけではなく、私の両親、兄姉ことごとくおかしな一家。
すぐ上の姉は、歩いていて足がぬかるみにはまってしまった。
近くに警察があったからお巡りさんに「足を洗わせてください」と言ったらしい。
それを聞いて家中爆笑。
警察に行って足を洗いたいと言ったら、全然別の意味になるでしょう、と私たちは大笑いした。
姉はヤクザの情婦になれるほど色っぽくも粋でもないし、かと言って本人が犯罪者になるほどの悪人でもない。
お巡りさんはびっくりしたと思う。
普通警察には行かないでしょう。

紙ゴミの収集車が来たけれど、私が捨てた紙の中に一万円札がごっそり紛れ込んでいないことを祈っている。


































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