2014年7月31日木曜日

にゃん・ぱら・れ

猫は高いところから落ちたときの方が無事着陸できるようです。

猫の
軟着陸の様子の画像です。
記事はたまトラで読んで下さい。

姉がよく言っていたのは「猫はね、落ちるとき【ニャン、パラ、レ】って落ちるんだって。だから落ちても大丈夫」
なるほど、リズムをつけて言ってみると、この画像の通り。
この絵、きっと猫の好きな人が描いたのね。
すごく可愛い。
それとも、動画を線画に描き直す処理をしたのかしら。
でも、これは特別かわいい。








2014年7月30日水曜日

暑さ本番

我が家の目の前は川が流れていて、2階から見ると眼下に桜並木が続いている。
今朝2階のカーテンを開けて窓から下を見たら、人がぐったりと川のフェンスにもたれて足を前に投げ出していた。
まさか、熱中症?
私の中でパニックが起きた。
川沿いの道は車も通るから、こんな所に倒れていたら危ない。
警察か救急車を呼ばなければいけないかしら。
私は力がないから、大きな男の人を持ち上げて引きずることもできない。
そんな風に思って見ていたら、その人は視線を感じたらしく、こちらを見あげて目があった。
ああ、よかった。とりあえず、生きている。
視線に力があって、弱っている風でもない。
それでも冷蔵庫から冷たいペットボトルの水を取り出して、急いで階下に降りていった。

「大丈夫ですか」と声を掛けたら「大丈夫ですよ」と笑っている。「お水は?」と訊くと持っていますと答えた。
近所の新築工事に来た工務店の人らしい。
それにしても、この暑さの中で炎天下、アスファルトの道路に座り込んでいるのは、どうしたわけ?
まだそれほど気温は上がっていないにせよ、優に28度は超えている。
しかもお日様がギラギラ輝いているというのに、帽子もかぶらず熱いアスファルトにぺたんとお尻を付けて、足を投げ出して座っている。
こういう人達はいつも体を動かしているから、きっと相当な暑さの中でも体が馴れているのだろう。

それでも心配だから、お隣に回覧板を持って行きがてら、再度「暑いから家の駐車場の日陰に入って下さい」とおせっかい。
又笑って「いやいや、大丈夫です」と辞退された。

工事の人達は暑い炎天下でも、凍える寒さでもものともせず、良く働く。
前に道路工事の人が暑い日にせっせと働いているので、大きなサイダーのボトルを差し入れしたことがあった。
よほど喉が渇いていて嬉しかったらしく、その工事の2,3日の間、私のうちの用事までやってくれた。
汚いカーペットを下の道路でごしごしデッキブラシで洗ったことがあって、水を含んだカーペットは猛烈に重くなった。
私の力では到底持ち上がらないから、道路にそのまま放置して乾くまで待つつもりでいた。
そうしたら、その人が来て「おれが干してやるから、ほら、そっち持ちな」と言ってきた。
持ちなったって持てるワケがないのに、その人はぐいと片端を持ち上げて川のフェンスまで引きずっていって、それをフェンスに掛けてくれた。
私はもう一方の端にしがみついて、結局何の役にも立たなかった。
乾くのに数日かかり、その人は工事が終って、もういないから、取り込むのが大変だった。
乾くまで工事をしていてくれればよかったのにねえ。

亀などの両生類は、活動する前にお日様に当たって体温を上げるらしい。
今朝の日向男は亀かトカゲの化身かなんて、真夏の白昼夢でした。
もしかしたら究極の熱中症対策だったかも。
























2014年7月29日火曜日

楽器は入院中

このところ決まった楽器屋さんがいなくて、あちらこちらとさまよっていた私の楽器は、とても気難しくて手に負えない。
湿度が高すぎると文句を言うし、乾きすぎるとビリつく。
昨日まですごく良い音がしていたのに、今日はふてくされて鼻も引っ掛けてもらえないなんてことも。
ご機嫌を取るのが大変で、時には音が変化してくるまで、ずっとロングトーンを鳴らし続けることも。
どこの楽器工房へ行っても、調整に満足できなかった。
そんな話をしていたら、弥生人の美智子さんがご自分の長年お付き合いしている楽器屋さんを、紹介してくれた。
ご丁寧に今日そこへ一緒に行って、引き合わせてくれた。

この楽器屋さんは、友人達もよく訪れている。
私の仕事場からも近いし、大変便利な場所にあるのだけれど、私はその近くの別の楽器屋さんに行っていた。
今まで2回ほど弦を買いに行ったことはあっても、なぜかその後はご縁がなかった。
他で何回も調整をしてもらっても、あまり良い結果が出なかったので、今回は非常に期待している。
本来もっと良い音がするはずなのだ。

あるとき私のミスで駒を倒してしまった。
幸い楽器自体に傷は付かず、胸をなで下ろしたけれど、駒が割れた。
次の日から仕事の旅行があって、さてどうしよう。
近所に出来たヴァイオリン工房に行って、とりあえず駒だけ立ててもらって旅行に出かけた。
帰って来てから本格的に調整をしてもらったけれど、これがもの凄く腕の悪い人だった。
なんだか毎日楽器の調子がトーンダウンしてくる。
どんどん病状が悪化する。
最後には歯を食いしばっても、音が出なくなってしまった。

これはおかしいというので、次は紹介してくれる人のあった、他の工房へ。
この人はとても腕が良くて、安心して任せられたけれど、それでも音色が以前と比べるとワンランク落ちる。
決して悪いと言うほどではないけれど、どうしても以前の音が出ない。
そこで又べつの楽器屋さんに。
大手の楽器商専属の職人さんで、私はその人の作った楽器が気に入っていたことから期待して行ったけれど、私の楽器を診てどこも悪くは無いと言う。
よく、いくら検査をしても悪いところが無いと言われて病院をたらい回しにされる人がいるけれど、そんな感じで中々名医には会えなかった。

今日初めて対面したSさんは、私の楽器を見るなり「とても良い楽器ですね。これは良くなりますよ」と言ってくれた。
絶対今の状態はおかしいのは、私もわかっている。
職人さんもピンキリで、良い楽器を扱ったことのない、特にオールドのヴァイオリンを扱う経験の少ない職人さんには、怖くて任せられない。
Sさんは国内外の有名な弦楽器奏者が数多く訪れる、腕に定評のある人なので、勿論あらゆる名器を扱っている。
松原湖のコンサートに間に合うようにとお願いしたら、こんなに依頼が殺到していてと沢山の伝票を見せられた。
指板を削り、弦の微調整をする金具を取り替え、駒と魂柱の位置の調整、とりあえずそこまでは3日くらいで出来ると言うので、お願いしてきた。

楽器全体のメンテナンスは夏が終ってからと言うことで、なにか希望の光が見えてきたので、美智子さんと泡の立つ液体で乾杯。
暑さで体が弱っていたところにお酒を飲んで、たらふく食べたので気分が悪くなってしまった。
体調悪くても食べ物を目にすると我慢できない、この性格はどこの工房に行ったら直してもらえるのか、お訊きしたい。

























2014年7月28日月曜日

子狐滑り台で遊ぶ

この可愛さ、悶絶もの!



キツネは狸に比べて「ずるい」イメージを持たれているけれど、犬と全く同じ。
北海道の十勝峠を独りでドライブしていたら、キツネに遭遇。
持っていたかまぼこをやったら、車を追いかけてきた。
迷子になるといけないからスピードを上げて振り払ってきたけれど、連れて帰りたいくらいだった。
野生動物にエサをやってはいけません?
はい、すみません。わかっていますが・・・

こんなのもあります。こちらは私の好きな烏。
賢くて人間の幼児なみの知能がある。
これを見るともっと知能が高いかも。

2014年7月27日日曜日

ファミレスのサービス

1時期、ファミレスでは過剰なばかりのマニュアル通りの応対がされて、鬱陶しかったものだった。
ところが昨日行ったファミレスはなんだか世も末といった感じ。
夕方、普通は家族連れでいっぱいになるはずの店はガラガラ。

月例「弾く会」を終えて、いつもはOさん宅の近所の中華料理を食べに行く。
ところが今回は予約が取れなかった。
このお店は駅からも遠く、普通の住宅街の中にひっそりとあるのに、客が引きも切らない。
私たちはいつも開店と同時に入るのだが、ほんの少しの時間であっという間に満席になってしまう。
15人入れるかどうかという小さなお店。
店主がたった独りで調理している。
素材の良さと味付けの絶妙さで、一度行ったらやみつきになる美味しさ。
知る人ぞ知る名店として、ご近所から家族連れが集まってくるようだ。
ご主人は愛想もなく、時々呼んでも気が付かないほど料理に集中している。
感じが悪くはないが、独りで切り盛りするので、客と話す暇も無い。
そのかわり、とびきり美味しい物が早々と出て来る。
しかも安い!
そんなお店がOさんの家から歩いて3分くらいの所にあるのは、すごくラッキーで、だから「弾く会」の会場も、決まってくる。

ところが今回は他のグループに貸し切りで、あぶれた私たちは仕方なくファミレスに行くことにした。
夕飯には少し早めだったけれど、ゆっくり出来るからいいかなと思って注文を始めた。
どのメニューもあまりにも盛り沢山過ぎて、ご飯物にお蕎麦が付いていたり、ご飯の量も多すぎる。
私たちが育った頃は、ご飯は残してはいけませんだったから、ご飯が多い時には少なめにしてもらう。
しかし、そのお店ではガンとしてご飯の量は少なくしてくれない。
食べきれないほどの量だから残したらもったいない。
なにも多めにしてほしいと頼んでいるのではない。
最近どこのお店だって、最初に言えばご飯は少なくしてくれるのに、全く受付けてくれない。
それで結局全員ご飯は半分以上残す事になった。
ほんの少しの手間を惜しんで、食料を粗末にすることになる。
有名チェーン店だけど・・・ねえ。
その上、スプーンだけついていて茶碗蒸しがついていないとか。
1人だけ違う料理を頼んだ人がいて、トレイにスプーンが載っているのを不思議に思ったその人が「このスプーンはなんのため?」と訊くと、あわてて茶碗蒸しが届いた。
食後のコーヒーはものすごくぬるくて、よそで飲めば良かったと後悔した。
その後暫く談笑して時間が遅くなっても、まだ店は半分も埋まっていない。
ああ、そろそろ末期的症状なんだなと思った。
最初メニューのことを質問しても、ウエイトレスはなにも答えられない。
そのあたりからちょっと変だと、気がつくべきだった。
金曜日の夕方、幹線道路に近く駐車場も完備、それなのに閑散としているのは、このサービスではと納得した。
チラシご飯の具もひどく貧相で、おまけに私の物にはわさびが付いていない。
これだけやられると、笑うっきゃないって感じ。
もう2度目はない。
こんなことしていて、存続可能なのか。
日本全国、どこにでもあるチェーン店だから、この店だけ酷いのか、それともどこの支店でもこんなものなのか。











恒例「弾く会」も夏ばて気味

毎月ピアニスト3人、ヴァイオリン、ヴィオラ各1名、時々ソプラノが加わっての恒例の「弾く会」
改築が終ったOさんのお宅に集まることが多い。
昨日も杉並の素敵なお宅にお邪魔した。
ところがなんとしたことか、肝心のOさんが演奏しないと言う。
このピアニスト3人は学生時代から、優等生街道まっしぐら。
未だに牽制し合いながら切磋琢磨している間柄なので、よほどの事が無い限り不参加はありえない。
どうしたのだろうか。心配している。
ピアノを弾くような激しい運動をすると、息が苦しくなってしまうそうなのだ。

去年は家の改築で本当に忙しそうだった。
物事なんでもキッチリとしないと気が済まない人だから、隅から隅まで行き届いたお部屋になった。
お宅に伺うと、こんな部屋があったらいいなあと、ため息が出そうなくらい素敵に仕上がっている。
改築が終った頃は、これでやっとピアノが弾けると張り切っていたのに、去年の疲れがでてしまったのかしら。
検査をしても、取り立てて悪いところはないらしい。
ちょっと痩せてしまったようだ。

家を作ることは、激しいエネルギーがいる。
私のように親任せで、改築の間住むマンションまで用意してもらって、行けと言われれば行くし、戻れと言われればもどるなんて、あなた任せでいられればそれほどの負担にはならない。
しかし、彼女はお宅全体が美術品で埋まっていて、それらに囲まれて育っているように、大変趣味の良いお宅のお嬢様。
どこまでも美しい物を要求するし、すごく繊細な人だから何一つゆるがせに出来ない。
いつ行っても掃除が行き届いていて、チリ一つない。
お茶や御菓子も高級な趣味の良い食器で出される。
私のように、紙コップと紙皿なんて失礼なことは絶対しない。
うちではキャンプ用の折りたたみテーブルに、紙コップ、紙皿、そしてご丁寧にゴミの袋までぶら下がっていて、使用済みのものはゴミ袋に放り込んでもらう。
御菓子も買ってきた包装そのままだったりして。

育ちかたによってこうも違うものなのか。
私も家を建て直したとき、これからはちゃんと質の良い食器だけ、少しずつ買い求めようと思った。
手始めにボヘミアのワイングラスを手に入れて大層気に入って使っていた。
我家に大勢人が集まってきたときそれを出したら、酔っ払いが見事落として割ってくれた。
私は激怒。
なにもそのグラスを狙ったように落とさなくても・・・
未だに腹が立つ。
グラスの中でもとりわけ気に入っていたので、暫く落ち込んだ。
それ以来、お酒が入る席では紙製品、又は百円ショップ製品のみとなった。
Oさんは決してそんなことはしない。
それは彼女の美学が許さない。
もう少しいい加減にすればいいのにと思うのはこちらの勝手で、私の様にがさつに振る舞うのは、育ちの良い彼女には金輪際出来そうもない。
急に暑くなってきたこの頃、それも堪えているのかも。
同い年、明日は我が身だけれど。























2014年7月25日金曜日

まさに天才!

バッハの蟹のカノン

J.S. Bach - Crab Canon on a Möbius Strip




①楽譜通りに進行しても、当然普通に演奏できる。
②最後まで行った後に、逆行して演奏しても完璧に音楽が成り立つ。しかも①とは違う旋律。
③両方から同時に演奏しても、美しいメロディーになっている。
④楽譜自体がメビウスの輪になっている。

さっき見つけてびっくりした動画。
こういうのはすごく数学的な頭がないとできませんよね。
進行、逆行までは「へえ、すごい」
同時演奏は「うむー、まいった」
しかし、メビウスの輪は「・・・・・・・・」



2014年7月24日木曜日

嬉しい便り

神戸の元弟子からのメール。
電話しても良いかというから、夜にかけてと返信して待っていた。
この子は(私の中ではいつまでも子供)U子さんといって、6才前後のほんの2年ほどし教えなかったのに、先年の東日本大震災の時には地震のニュースが流れるやいなや、すぐにお見舞いのメールをくれた。
彼女も神戸で大震災に遭遇していたので、他人事ではないと言う。
私と過ごした子供時代のほんの一瞬が、彼女の中でとても大切にされているらしい。
なにかにつけて手紙やメールが来る。
私の顔だって覚えてはいないでしょうに。

とても負けん気の強い子で、私に言われたことがその場で出来ないと、涙がぽろり。
叱りはしないのに、自分で悔しかったそうだ。
めきめきと上手くなったのに、お父さんの転勤で神戸に引っ越してしまった。
私の友人の大フィルのメンバーにたのんで、先生をさがしてもらった。
その先生がとても良い先生だったのと、本人の負けず嫌いが幸いして、どんどん上手くなった。
引っ越してからも折に触れて、発表会の演奏などをテープにとって送ってくる。
感心するほど音楽性も高くて、私は彼女がプロになることを楽しみにしていた。

ところが高校生になったとき、元々頭の良い子だから数学に興味を持ってしまって、理系に進みたいと言い出した。
大学は一般の大学の理系へ。
ここで又一転、やはり音楽が好き。
結局大学を卒業してからもう一度音大に入り直し、音楽家に舞い戻った。
今は演奏したり教えたり、関西を拠点に頑張っている。

さて電話は、彼女の結婚が決まった報告だった。
妹のEちゃんの結婚が早く、U子さんは焦っていた。
私の生徒に丁度年頃も人柄も良い男性がいたので紹介したけれど、お付き合いまでには至らなかった。
私もがっかり、彼女もがっかり。
大変美しいし頭も良く、家柄も躾けも申し分なく行き届いているのに、こればかりはご縁だから仕方がない。

それから2年ほど、今日嬉しそうに弾んだ声がきこえてきた。
嬉しくてたまらない様子に、私も大喜びをした。
別に結婚はしてもしなくても人それぞれだけれど、本人が本当に伴侶を探していたので、成就したことが嬉しい。
それよりも、初歩までしか教えなかったのに、ずっと私を覚えて居てくれて慕ってくれることが、本当に嬉しい。





















2014年7月23日水曜日

あれは、いじめだったのか~

何回も書くけれど、私は6人兄弟の末っ子。
お金が無い大家族なのに、姉が通っていた田園調布にある私立中学校をフラフラと受験してしまった。
良妻賢母を育成するような地味な学校だったので全く校風になじめず、高校大学と一貫だったのにとっととやめて、音大附属に逃げ込んでしまった。

その中学の学生は、そこそこ豊かな家の娘達が通っていた。
そのわりには、質はいまいちというところ。
なんでそんな学校に行ってしまったかというと、3才上の姉が通っていて、彼女が中学を3年終えて高校に行くと、都合良く制服のおさがりがもらえるというわけ。
入学式には全員ピカピカの制服に磨かれた靴、新しい鞄を持って来る中で、私だけ13才も年上の姉のお古の鞄、すぐ上の姉が3年間着ていた、袖口がすり切れ色褪せた制服。
鞄はかつては上等だったけれど、なんたって13年物だから取っ手の革が剥がれ中の芯が剥き出しになっていたのを、母がビニールを巻いてくれた。
全くおしゃれではなかったから、髪はボサボサ、顔も洗ったか洗ってないか分からない風情。
少し自分の中に入り込んでしまう方だから、時々ボンヤリ考え事をするし、休憩時間には本を読んでいるし、とても浮いた存在だった。
それでも、そのぼんやりが幸いして、お古の鞄も制服も取り立てて、恥ずかしいという気もなかった。
大家族の我が家では毎度のことで、お古が恥ずかしいという感覚は無い。
子金持ちの商店の娘などが「あなたの鞄って貫禄あるわよねー」なんてわざわざ言いに来る。
やはりあまり良い気分ではないけれど、それは事実だからしかたがないと思っていた。
6人の兄弟全員にちゃんとした教育を受けさせてくれた両親が、戦後の貧しい中でどれほど苦労したことかと思えば、そんな嫌味は一向に構わない。

この中学時代は私の唯一の暗黒時代だった。
ところが上手くしたもので、私がヴァイオリンを弾くと聞きつけた他のクラスのM子さんが近寄ってきた。
一度家に遊びにいらっしゃいと言われ、のそのそ従いて行ったら彼女はゴルフ場の経営者の娘で、田園調布の邸宅にすんでいた。
それからは毎日学校が終っても電話で1時間はしゃべっているほど気が合って、彼女にそそのかされて一緒に音大附属高校を受けたのが、私の幸運の始まりだった。
M子さんとはその後もずっと友達でいる。
これもなにか大きな手に動かされたとしか思えない。

中学はそんなわけで席替えの時も、みすぼらしい私の隣には誰も来てくれないような状態だったのに、今はたくさんの友人がいて周りに集まってくれる。
不思議なもので、自分の居場所というものがあるのだと思う。
うまく居場所を見つけられれば幸運。
かならず人にはそれぞれ場所があるはずで、それを探すのに手間を惜しんではいけない。

昨日、ブラームスの練習が終ってピアニストと食事をしていて、鞄や制服のことでからかわれた話をしたら「あなた、それはいじめよ」と言われて初めて気がついた。「いまどきの子供だったらいじめられたと思うでしょう」とも。
なるほど、そう定義付けられると納得出来る。
当時どこの家にもすでにテレビは普及していたのに、私の家にはなかった。
それを話したら、サルのような顔をした家電店の娘が「テレビがないなんてすっごく貧乏なのね」と鼻の穴を膨らませて言ったのを良く覚えているから、やはり相当不快に思ったのは確か。

6人兄弟の学費をどうやって工面していたのか分からないけれど、貧乏でも全員を望み通りの学校に行かせてくれた両親には感謝している。
しかもヴァイオリンまで習わせてくれて。

大家族は強い。
揉まれて育ったから多少の事では屁とも思わない。
好きな人に邪険にされると落ち込むけれど、こちらが歯牙にもかけない相手なら、なにを言われても空気みたいなもの。
Sさんが「あなたはいじめても反応がなかったから、それ以上いじめられなかったのよ」と言う。
そうかもしれない。

大嫌いな中学校だったけれど、そこを抜け出すために音楽の道に進めて、本当によかった。
暗黒時代が無かったら、私は今頃研究者になって「スタコラ細胞はありま~す!」なんてさけんでいたかもしれない。
あるいは、多摩川の河川敷で青いテントで暮らしていたか・・・それはわからない。
ノラ猫いっぱい飼ってね。





















2014年7月22日火曜日

ブラームスは濃い

今日ブラームスの「ソナタ」を合せにピアニストのSさんの家で、私としては珍しく集中して練習をした。
休んでいたので体も心も少し楽になった。

若い頃の私は、ブラームスはヴァイオリン協奏曲とシンフォニーを除いて、どちらかと言うと嫌いな作曲家だった。
それが40才過ぎて、ある晩秋の1日、弦楽四重奏3番を聴いていたら突然目覚めた。
なんて素敵なの!涙が出る。
そこでやっと、ブラームスの良さが分かったという奥手。
今年の秋に弾くブラームスのソナタは3番。
この曲がいつ頃の作品かというと、作品108だから、けっこう歳をとってからの作品になる。
没10年ほど前。
その前の2番が作品100、なぜか私の中では2番は若い頃のものと勝手に思い込んでいた。
それほど明るさと幸せ感に充ちているので、そんな気がしていたのだけれど、ブラームスが中年過ぎて幸せなときがあったというのは、たいそううれしい。
クララ・シューマンに憧れていたのに思いが叶わなかった彼が、少しは楽しいこともあったのかと他人事ながら喜んでいる。
なぜブラームスが好きでなかったかというと、先に中々進まない。
じれったい。ウジウジしている、優柔不断、重ったるい。
ところが自分が歳を重ねたので、その良さが分かってきた。
人は心の中に多くの物を抱え込むと、そんなに簡単に前に進めるものではない。
後ろ髪を引かれる思い、断ち切れない苦しみ、失う悲しみ、そして少し苦みを帯びた喜びなどが、ズシリと心に溜まってくる。
それが漸く分かったのがずいぶん遅かった。
なんというか、1色だけで塗っていたカンバスが段々塗り重ねられて、深みを帯びてくるとでも。
更にそれが風化して、得も言われぬ味が出る。
歳を重ねると、得るものと失うものとが若い頃の丁度反対側に、シーソーのようにバランスが取れる。
体力や瑞々しさがなくなるけれど、私は今のほうがずっと幸せだと思っている。

ブラームス後期の作品、3曲のヴァイオリンとピアノのためのソナタのうちでも3番は、ずば抜けてガッチリとした構成と分厚い和声の上に成り立っているので、体力、気力ともにかなり負担が大きい。
とくに第2楽章の美しいメロディーが、なぜこんなに充実しているのかと思う程中身が濃くて、やわな私でははね返されてしまうほどなのだ。
豊かな音量と長い息継ぎ、そして殆どがヴァイオリンの最低部のG線で演奏される。

今日もピアノのSさんに説明していたのだが「声の出ない歌い手がゆっくりした曲を歌うと悲惨なことになるでしょう。あれと同じよ」とまあ、こんな事を。
声の出ない私もしかり。ゆっくりと弓を使って響きを保っていくのは、中々息切れのするものなのです。
















2014年7月21日月曜日

風邪をひく元気もない

私はヴァイオリンを始めたのも他の人より遅かったし、親の理解がなくて放置されていたから、当初は子供のことなので練習もしたりしなかったり。
弾きたい時に弾く、弾きたくなければ何日も弾かない。
初めての先生は近所のお兄さん。
お兄さん優しかったから、私は自分が好きな曲だけしか弾かない。エチュードは嫌いで、口をへの字に結んで、頑として拒否。
劣悪な条件が揃っていた。
多動性の性格だから集中力が長続きしない。
音大附属高校に入るのもやっとだったらしく、先生から「あなたはヴァイオリンで入れたのではないのよ」と釘を刺された。
しかし、天性の能天気だから、落ち込みはしない。
落ち込む前にそれを面白がる自分がいるというのだから、落語家になればよかったかもしれない。
落語家でも枝雀さんのように悩んで自殺する人もいるから、根明かが人を笑わせられるとも限らない。
枝雀を道で見かけたと言う人がいた。
「なんか、うつむいてぶつぶつ言いながら枝雀が向こうから歩いて来たんだよ。すれ違うときに聞こえたけど、落語の練習してた」ですと。
すっかり自分の世界に入っていて、異様な雰囲気だったそうだ。
どの世界でも一流になるのは、激しい練習が必要になる。

私は元々ヴァイオリニストになる気もなく、面白がってやっていただけなので、大学では優等生達の後ろで苦労した。
子供時代の積み重ねがないので、理論で攻めるより方法がないから、よく本を読んだり考えたりした。
それが今生徒を教えるのに、すごく役に立っている。
学生時代はアンサンブルにうつつを抜かし、毎日アンサンブル漬け。
それも役に立って、オーケストラや室内楽で仕事が出来るようになった。
自然な流れで仕事へと結びついたようだ。
人間万事塞翁が馬ですね。

私でも時々狂ったように、練習をすることがある。
そんなときはたいてい、後で風邪をひく。
なぜか知らないが、風邪の前兆は急に練習をハードにする、めちゃくちゃ食欲が出て、やたら食べる。
次の日はダウン、喉が痛い・・・こういう流れなのだ。
初めのうちは偶然だと思っていたけれど、何回も同じことがあると、それは前兆と考えるようになった。
病気の前はやたらに元気で「最近私調子がいいの」なんて言っていると入院したりする。
あれはどうなんでしょうね。
最後の力を振り絞ってかな。
よく人が死ぬ前に急に元気が良くなることがあるけれど、その一種かもしれない。

私の母がなくなる1週間ほど前、病室に人がいると言い出した。
「そこに人がいる」誰もいない部屋の隅を指さす。
母の名誉のために言うけれど、母の頭は最後まで決してボケはしなかった。
「外を通る人が見えたんじゃないの?」と言うと「そうじゃないわよ、ほら、その角にいるじゃない」
その時母は、元気になって1週間後に退院するというので、自宅に介護用のベッドや酸素吸入器などをセットして、家族が待っていた。
しかし、その直後に容態が急変して帰らぬ人となった。
その時母が見たのは、あの世からのお迎えの人だったかもしれない。

話が逸れたけれど、だから私が急に熱心に練習などすると、ろくなことがないというオチ。

ここ1週間、ひどく練習をさぼってしまった。
全く意欲がわかない。
時々楽器を出してほんの少し弾いてお終い。
調弦だけで終る日もあった。
この後、松原湖に始まって、秋のシーズンには続々コンサートがあるのに。
ヴィオラのご用もあるから、楽器を鳴らしておかないといけない。
それでもなんだか心が折れていて、元気がない。
今日楽器ケースを開けたら、いつものように私の楽器がニッコリと笑った。
弦を張り替える、丁寧に糸巻きにペグチョークを塗って滑り止め。
駒の姿勢を直す。
いつもはがさつな私が、急に慎重に優しくなるのはこの時ばかり。
久しぶりに弾くと、やはり面白くてやめられなくなる。
明日からはゆっくりと回復していかないと、間に合わなくなる。
怪我をして運動量が足りていないので、元気が出ない。
やっと胸の痛みも微かになった。
元気がないから風邪を引きそうにもない。





















2014年7月20日日曜日

すごいすごい!

アメリカ版「サスケ」で女性が初制覇!
私は運動神経も筋力も平均以下、跳び箱飛べない、逆上がり出来ない体育落ちこぼれ。
こういう人を見ると感激してしまう。
冷静沈着、しかも美人。

2014年7月19日土曜日

今年も松原湖コンサート

今年も松原湖高原でのコンサートがあります。
小海線松原湖駅からほど近い素敵な「ヤルヴィホール」
少しへんぴな所ではありますが、木の音響の素晴らしい小さなホールです。


この日だけではなく、前にも小さなコンサートがありますが、そちらは私は出演しません。
避暑のゆっくりしたひとときがおありなら、そちらの方にも是非いらして下さい。


小淵沢や清里からも車で簡単に来られます。
是非皆様お誘い合わせの上、ご来場下さい。
涼しくて気持ちがいいですよ。


2014年7月18日金曜日

超高速!参勤交代

音楽教室のオーナーから「時代劇はお好きですか」と訊かれた。
なんの事かと思ったら映画「超高速!参勤交代」という映画がすごく面白かったという話し。
超早速見に行くことにした。

あらすじ。

江戸期、徳川吉宗の治める時代。お上に無理難題を押し付けられたわずか1万5千石の小藩があった。磐城国の湯長谷藩である。元文元年(1736年)春、湯長谷藩は、幕府から突然の参勤交代を言い渡された。湯長谷の金山をわが物にしようとする老中・松平信祝の差し金であった。期日は実質、あと4日。通常の参勤交代は8日かかる。しかも莫大な費用が必要で、困窮した湯長谷藩には到底無理な話だった。藩主・内藤政酵は、老中の仕打ちに激怒しつつも、知恵者の家老・相馬兼嗣に命じ、参勤交代を果たすべく作戦を立てはじめる……。



なかなか面白かった。
いつもテレビで見るような俳優さん達も、映画の画面だとずっと素敵に見える。
深田恭子という女優さんも初めてみたけれど、とても綺麗な人。
私が若い頃は女優さんと言えば、高嶺の花と思う程美しい人が多かった。
それが最近は割合に普通の女性が女優さんとして身近になってきていると思っていたけれど、彼女は正真正銘の女優のオーラが出ていた。
この人を見ただけでも行った甲斐があったようだ。

噂通りとても面白かった。
殺陣(というよりアクション)の場面はCGなのか、又はなにか仕掛けがあるのか、とても迫力があって、俳優達が怪我をしないでいられるのは奇跡的ではないのかしら。
仕事とは言え、危険で運動神経を要求される激しさ。
一時期、おばかキャラで売っていた男性も、見ればキリッとして頭良さそうだし。
殿様役の男性も良くテレビで見る顔だが、穏やかな家臣思いの殿様にぴったりのキャスティング。
東北の藩なので侍も訛りがある。
そこがリアルで面白い。
緊迫した場面もこの訛りで、不思議にとげとげしさがなくなる。
おそるべし!東北弁。
悪人の言うことも、お人好しの言葉に聞こえてしまう。
感動にまでは至らなかったけれど、気楽に楽しめる。

川崎 チネチッタ

















2014年7月17日木曜日

毎度食べ過ぎ

母の命日に、長兄から招集がかかった。
集まったのは全部で7人。
兄が手作りの料理をご馳走してくれた。
兄弟の中でこの長兄が一番出来がいい。
頭が良く性格が穏やかで、なにをしても器用でそつなくこなす。
跡取り息子命の、母の自慢の息子だった。
この兄だけは名前に「さん」を付けてもらえた。
後の子供たちは呼び捨てか、あだ名で呼ばれるかだった。
私などはまま子扱いで、メソメソ泣いてなんかいると母からこっぴどく叱られた。
兄が作ったのは、鰹のたたき、ステーキ、糠漬け、麦とろご飯など、対面式のキッチンで話をしながら、トントンと刻んだり焼いたり。
出てきたのは上にたっぷりと野菜が載っている鰹。
自分で周りを炙ってつくったらしい。
兄嫁はいつもニコニコしているけれど、これでは本当に助かることだろうと思った。
その後はゴロンと大きなジャガイモが添えられたステーキ。
糠漬けは、ぬか床から作ったのだそうだ。
なにか化学的に講釈をたれていた。
何とか菌が最も良く発酵するためには、時間が、温度が・・・とかなんとか。
だから何度くらいまでは冷蔵庫に、それ以外は冷暗所になど。
私たち姉妹に言っても、馬の耳に念仏。
私たちの関心事は美味しいか美味しくないかだけなので。
その糠漬けは本当に美味しかった。
私が作ったらすぐに、すっぱくさせてしまいそう。
食後のコーヒーを飲んでいると、両親の思い出話になった。
父からは、私が末っ子だからずいぶん可愛がってもらったけれど、母は子育てでキリキリ舞い、意地悪されることも多かった。
母は兄が命だったから、女の子には無関心だった。
そんなことで私が両親に持っている気持ちと、ほかの兄弟が考えている両親とは微妙にずれがある。
大家族はすでに一般社会と同じように、兄弟であっても境遇の違いが出て来る。
小さな社会の縮図だった。
兄は母を支えて、寝たきりの祖母の介護を手伝っていた。
兄が母を独占していたので、他の兄弟は僻みっぽく嫌味を言ったりしたけれど、基本的にはすごく兄弟仲が良かった。
それでも長男ということで、父に対しては大分苦労したらしい。
やはり男同士は親子であっても相当シビアな関係だったそうで、今頃になって初めて聞く父の専横ぶりがちょっとショックだった。
戦後の大変な時期でお金もなく、野心を実現しようとしては失敗した発明家の父が、家庭を犠牲にしていたとか、親戚の者に威張っていたとか、そんな事を初めて聞いた。
私は多少安定してきた頃に育ったから、のほほんと人生を楽しんでいたけれど、そうなるまでの長兄は相当苦労したらしい。
兄は会社を定年退職した後、しばらく静岡の大学で教えていた。
単身赴任で、その頃料理も覚えたらしい。
最近どうも狸に似てきたと思ったら、赴任先の静岡で狸に餌付けをして可愛がっていたそうな。
せっかくたくさん料理をしてくれたので、残さず食べたら私も狸に似てきた。
今日はポンポコリンのお腹が引っ込まない。



























2014年7月16日水曜日

老化は目から

ハリ-・ポッターの原書講読をしばらく休んでいたのは目が良くなくなったから。
巻が進むにつれて文字が小さくなり、単語がどんどん難しくなって、一時休止の前には1時間で5ページ読むのがやっと。
目を細めても本を遠ざけてもよく見えない。
文字を読むことに気をとられるから、意味が通じない。
諦めて休むと言ったら、先生のルースさんはとても残念がっていた。
2年ほどやすんだ。
けれど、いつも途中で止めたのを残念に思っていた。
私の嘆きを聞いて、タブレットに電子書籍を入れて文字を拡大して読む方法を考えてくれたのは、「いつもの」Hさん。
お陰で急に読書が進むようになった。
よく見えるようになったら、急に読み方も早くなってページ数が倍増した。
不思議と意味を捉えられるようになった。
やはり楽譜を読むのと同じで、読書も断片で見るのではなくて、文章を塊としてとらえるのだと実感した。
だから全体が見渡せないと、意味がわからない。
全体を見るとわからない単語が多少あっても、なんとか通じる。

先ほど「いつもの」と括弧を入れたけれど、昨日のルースさんとの話が面白かった。
oldという単語が場違いに使われていると思ったら、それは古いという意味ではないらしい。
いつものとか馴染みのとかの意味で、私が質問すると彼女はケラケラと笑った。
「うちの主人もよくそのことを言います。私がoldと言うと『違う、古くない』といつも言います。あはは」

彼女のご主人は日本人で、今時「主人」などという言葉を使う大和撫子のルースさん。
私はold nekotamaと言われても、これからはお馴染みのnekotamaさんと言われたと思う事にした。
けっして老女などという言葉は使わせまい。

なるほど、人は歳をとれば何でもお馴染みになっていく。
昨日のレッスンはかつて東響の練習場だった、大久保のキリスト教矯風会館。
それこそ私にはold 練習場。
old メンバーが沢山いて、急いで次に回ろうとと思っているのに、捕まって立ち話。























2014年7月15日火曜日

胸の痛み

胸が痛む。
恋をしているとか、悲しい思いに泣いているとか言うのではなくて、おっちょこちょいでこうなってしまった。
もうひと月経つのに、まだわずかな痛みが時々ぶり返す。
大きな段ボール箱を車のトランクから出して、足元が見えないで一歩前に踏み出したら、車の左側にはみ出していた車止めにひっかかった。
それというのも最近空間認識というのかしら、物の距離感が大分鈍くなっているようで、バックで車庫入れが下手になった。
その時は車がずいぶん右に寄っていて、停めたときにそれは分かっているのだから、当然コンクリートの車止めの左側は、だいぶ露出しているのは分かっていたはずなのに。なのに、なのに。
したたかに胸を打った。
以前スケートリンクのコーナーを格好良く曲がろうとして体を傾けすぎて転び、肋骨にヒビが入った時もひと月以上痛みが持続したから、今度もそのくらいは覚悟していた。
肋骨の方はまだしも胸と言うのは厄介な物で、ここが筋肉の中心から外側に広がるところだから、かなり重要拠点というのが良くわかった。
なにをするにも、例えば腕の上げ下げ、重い物を持つとき、腹筋を使う時、歩くときでさえ常に関係がある。
始めのうちは多寡をくくっていた。
どうせ、1ヶ月かかるなら、多少の痛みは無視しようと。
転んで数日した時、予約してあった整体に行った。
中国人の先生に良く事情を説明した。
背中を押すのはやめてほしい。
肩から下は腰まで手を触れないで欲しい。
治療は肩、腰、足に限定。
先生はニコニコして、わかりました。
始まったら全然分かっていないことがわかった。
背中を押すから、ダメ、押さないでと言うと、筋肉をつまんで引っ張る療法に変ったけれど、筋肉をつまむときグイと力が入るからやはり背中は押される。
だからあ、背中は手を触れないで、と言うと、痛い?と訊く。
痛いから言ってるのに。
ちょっと油断していたらけっきょく背中を押されてしまった。
それでどうなったとかはないけれど、3日ほど治りが遅くなった気がする。
この整体院は良い先生が揃っていて、皆手抜きをしない。
それが今回アダとなったか。
それで次の予約も取り消して、筋トレも休み。
体が鈍ってきた。
精神もドヨーンとしてきた。
そろそろ活動を始めたい。
幸いヴァイオリンを弾くにはなんの差し障りもない。
これで痛むようなら、大手を振って練習がさぼれるのになあ。

今日はハリー・ポッターの原書講読レッスン日。
重たい原書、電子辞書、そして字を拡大出来るようにハリポタをインストールしてあるdtabなど、午後からは「兵士の物語」の練習が入っているのでヴァイオリンと楽譜。
かなりの重量の荷物があって、これが持てなければ社会復帰はまだ難しいと思っていたけれど、殆ど痛みはなくなっていた。

筋トレの予約を入れようかと思ったけれど、もう少し様子を見ようと思ったら、やはり無理がたたって、今微かに胸が痛む。
恋の悩みはまだ暫く癒やされないようだ。



























2014年7月13日日曜日

ワシが泳ぐ キツネが飛ぶ

ワシは泳ぐ


泳いでいるのはハクトウワシ。
飛べるのになにもわざわざ泳がなくても???

狐も飛ぶ

こうしてみると人間もワシも狐も楽しいことは同じらしい。

2014年7月12日土曜日

映画「パガニーニ」

主演、制作、総指揮、音楽 デイヴィッド・ギャレット

恥ずかしながら私はデイヴィッド・ギャレットを聴いたこともなかった。これほどの凄腕とは!
まさにパガニーニもかくやとばかりの演奏。
しかもセクシー。
映画が始まって前半は演奏も少なく、少々退屈だった。
2流の映画を見に来てしまったなと、得意の昼寝に走ろうと思ったけれど、演奏の場面が多くなるとだんだん興奮してきて、寝るどころではなくなった。
音楽映画には「アマデウス」のような超一流映画もあるけれど、それに比べて出来の良い方ではないと多寡をくくっていた。
しかし、ヴァイオリンのもっとも魅力的な部分が良く表現されていて、さすがヴァイオリン弾きの作った映画はひと味違う。
音楽映画は沢山あるけれど、実際に演奏家が主役を務めることは普通ないから、演奏の場面になるとやはりぎこちなさが目につく。
しかし、デイヴィッド・ギャレットは目も醒めるようなテクニックと蕩けるような音の持ち主だった。
パガニーニが不道徳でも女誑しでもかまわない。
ヴァイオリンを弾く男達は、たいていそうと相場がきまっている。
大体現代の科学をもってしても、ストラディバリウスのような楽器が再製できないなんて、不思議じゃないですか?
そんな狂気に充ちた楽器を弾く天才に、普通の人としての基準を当てはめるのは、無理がある。
この映画でも、放蕩三昧だったパガニーニが純愛に陥る設定があるけれど、私からみれば、あってなくてもよろしい。
ずっと奇人変人の方が面白い。
あの神の子モーツァルトだって音楽とはかけ離れた、下品で卑猥な人だったらしいから。
芸術作品はそれのみで評価されればいい。

澁谷文化村「ル・シネマ」


















2014年7月11日金曜日

ひとりご飯

最近の若者は1人でご飯を食べるのを、他人に見られたくないらしい。
友達がいないヤツと思われるからだそうで、なんと、トイレに籠もって食べるという!!!
トイレで???
あそこは出すための部屋で、決して入れるための部屋ではない。
だいたい美味しくないでしょう。
考えただけで気色悪い。
それなら他人がなんと思おうと、1人で食べる方がよほどマシ。
だいたい、友達がいないのが、そんなに変なことなのかな?
よくネット上で何百人友達がいるとか自慢する人がいるけれど、そんなものは友達でもなんでもない。
友達とは背中の手の届かないところを、掻いてくれる人のことを言う。
ネットでは掻いてもらえないでしょう。

昨日は音楽教室に教えに行ったのだが、生徒が1人しか来ない。
出張や風邪でお休みが出て、1人だけのために出かけた。
1人の生徒では張り合いがないから、少し澁谷で遊ぼう。
いつも素通りするお店も覗いてみよう。

なにか美味しいものでも食べよう。
このところ毎日飲み会が続いて、くせになってしまったみたい。
どこか良いところをと探していたら、教室のすぐ近くの地下にビストロ風のお店をみつけた。
私は仕事で全国旅をして歩いていたから、すれっからしになって、1人でお店に、しかも飲み屋に入るのも平気になってしまった。
入ってみるとまだ時間が早いせいか、台風のせいか客はいない。
カウンターに陣取って辺りを見回すと、なかなか趣のある風情。
どっしりした木のカウンターの上には、山盛りのジャガイモ、コロッケ、燻製色々、タマネギなどが積み上げられている。
どれも美味しそうで、仕事でなかったら美味しいお酒を頂きながら食べたいと思った。
仕事前なのでジンジャーエールで我慢。
チーズとタコの燻製、タマネギのアンチョビソース、コロッケ、サラダなど、前部半分のサイズにしてもらって色々つまんだ。
カウンターの中のスタッフが気を遣って話しかけてくれる。
以前旅をして1人で飲んでいると、そのお店の女性スタッフが話しかけてくれる事が多かった。
こんな歳になるまで仕事をして独り酒をしているなんて、よほど人には言えない事情があるのではないかと、うたがわれていたのかも知れない。

独りで喫茶店にも入れない人がいると聞くと、ふーん、私はなんで平気なのか考えてしまう。
子供の頃は極端に人見知りだったのが、いつの間にか、外国一人旅も平気で行く様になった。
たぶん、仕事が毎回修羅場をくぐり抜けるようなものだから、普段の生活はそれに比べてずっと平穏。
だから、なにが起きても平気なのかもしれない。
人にどう思われても、自分の道をしっかり歩いて行けばいい。
独りでご飯が食べられない若者は、まだ腹をくくっていないから。
そのうち社会で揉まれているうちに、独りでいようと大勢でいようとあまり変らないことに気が付く。
大勢も楽しいけれど、独りでいるのも中々良きものです。
自分と会話しながら食べればいいのに。
可笑しいことを考えて独り笑いすると、変な人と思われるから、それだけはやめた方がいいかも。






















2014年7月10日木曜日

台風接近

巨大な台風が沖縄を襲い、長野県で土石流が発生し、人が亡くなった。
テレビで土石流の様子を見たけれど、水の脅威に震え上がった。
自然は私たちの手に負えない。
私の家の前は川が流れていて、川というか用水路みたいな小さいものだけれど、ハラハラするほど水位が上がる。
子供の頃暮らして居た実家は、今の家から目と鼻の先。
築250年というおっそろしく古い家で11人家族。
日の射さない暗い納戸には、古文書、古地図、日本刀などが置いてあった。
どれも大して値打ちは無さそうだったけれど、なんでも鑑定団に見てもらったら掘り出し物があったかもしれない。
一家そろって天然で、強欲な者はいない。
欲しがる人にはなんでもあげてしまうお人好しの父親だったので、我家の資産はどんどん減ってしまった。
父が亡くなったときには殆どなにも残っていなくて、遺産相続でもめようもなかったから、兄弟はいまでも皆仲が良い。

さて、台風と言えばうちの前の川は、毎年氾濫していた。
少し大雨が降ると、お人好しの父のところに近所の住人から電話がかかってくる。
消防でも警察でもないのに、なんで父がカッパ着て夜中に川を見に行くのか、ずっと疑問だった。
子供だからすぐに寝てしまって、大人がなにをやっているのかわからない。
台風一過、次の朝はたいてい上天気。
ところが近所の団地は水浸しで、そして私が今住んでいる川沿いの家は軒並み、床上浸水。
畳や家具類が干してあった。

私はその後、その川の前に家を建てて暮らして居た。
浸水対策で一階は少し高めに土台が作られた。
ある年大雨の夜が明けてドアを開けると、なんと、ヒタヒタと水が玄関の三和土の下まで迫っていた。
びっくりしていると、そこへ私の兄が膝上まで水に浸かりながら歩いてきた。
「おーい、大丈夫かあ」けっこう楽しそう。
私が「洪水の時にはトイレの水なんかも一緒に流れるから汚いわよ」と言ったら兄は急に驚いて「そうか」と言ってジャブジャブ足早に逃げていった。
心配して来てくれたのは嬉しいけれど、傷口でもあったらばい菌が入るでしょうに。

工事のために川沿いの桜並木が手前だけ切り倒された。
切るところは絶対見たくないので、その日は外出した。
帰って来たら手前の並木が消えていた。
長い工事が終って川の底には巨大な雨水管が通され、その年から大雨でも浸水騒ぎはなくなった。
手前の並木には新しい桜の苗木が植えられ、今すっかり立派な木になって花を咲かす。
夜中にたたき起こされ、川を見に行った父の葬儀には、700人もの人が来てくれた。
ただの田舎のおじさんなのに。











2014年7月9日水曜日

松本組は又も集会

もう何回も書いたけれど・・・

外山滋さん率いるアマデウス室内合奏団で、かつて一緒に仕事をした仲間達。
ある年1週間ほど、松本に滞在して毎日演奏した。
その時のメンバーがあまりにも気が合って、生涯で最高の時間を過ごしたと言えるくらい楽しかった。
演奏も遊びも毎日がわくわくして、今でも語りぐさ。
その後二昔くらいは経っているのに、未だにその時の話が尽きない。

外山さんは残念なことに、最近亡くなられた。
亡くなる1年ほど前に明石のお宅にお邪魔して、まだまだお元気そうだったのに、それが最後となってしまった。
音楽家の命である耳をこわし、不遇な晩年だったけれど、ヴァイオリンにかける情熱は迸るようだった。
「ほらね、僕の親指はこんな風に出てるでしょう。だからね・・・」と夢中になって子供の様に嬉しそうにお話をした。
彼も松本のコンサートが忘れられず、もう一度あのメンバーで演奏したいと亡くなるまでおっしゃっていたという。
まだ皆それぞれの仕事で忙しく、実現出来なかったのが返す返すも残念だった。
最近暇になって時間が取れるようになってきたメンバーが集まって、外山さんを偲んでいる。
日本の生んだ世界的なヴァイオリニストで、国際コンクールの審査員までなさった栄光の人生は耳の故障で挫折に追い込まれたけれど、誰に対しても謙虚で優しかったお人柄は、私たちの思い出の中で生き続けている。

その思い出のメンバーが、時々集まって食事をしている。
コンサートミストレスの北川靖子さん、ヴィオラの荒木信子さんは共に外山さんの大のお気に入りで、彼女達がいると外山さんは本当に嬉しそうだった。
松山でのコンサートの時だったけれど、ホテルのロビーで夜中に皆で車座になってアイスクリームをかじりながら、その中で夢中でお話をしている外山さん。
次々に面白いエピソードが飛び出す。
泉の様に話題が湧いてくる。

今日は四谷のフレンチ「テート・ア・テート」
先日弥生人の美智子さんに連れて行ってもらい気に入ったので、今回は私がみなさんをお連れした。
メンバーが1人入れ替わったけれど、前回と同じ5人。
北川さんは病気でかなり痩せたけれど、すでにお姉様の北川暁子さんと、デュオのコンサートも始めている。
先日はバルトークのソナタなどを好演。
健在ぶりが見られてよかった。

いくつになっても松本の思い出は色褪せない。
こういう思い出が1つでもあるということは、あとの人生ヒッチャカメッチャカでも、充分報われたと思っている。








2014年7月7日月曜日

松竹新喜劇

藤山寛美、澁谷天外の子供、孫の役者達が新人として登場する時代になった。
最近、喜劇の好きなチェリストのFさんが誘ってくるので、時々新橋演舞場まで足を運ぶ。
かつてピアノトリオをいくつか組んでいた、その中の1つのメンバー。
10年以上は継続していたけれど、そのうち段々先細りになって、事実上解散していたが、仲はよかったので、こうして時々会っている。
スジは他愛のないものだけれど、役者の達者さが見事。
松竹新喜劇発足65周年と銘打った興業で、演じる役者達もかなりの高齢と見えるが、それだけに演技は大したものだと思う。
わざわざ劇場まで行くほどの観劇趣味はないので、Fさんが誘ってくれなければ、まず絶対に行かないと思う。
テレビで昔よく見ていたけれど、それほど面白いものでは無かったのが、今目の前で見ると、全ての体の動きがすばらしい!
私の席は花道のすぐ脇だったため、足がよく見える。
その足さばきがなんとも可笑しい。
久しぶりに大声で笑った笑った。
客寄せのためか、久本雅美がゲストで出ていたけれど、貫禄の違いがハッキリ出てしまって、いつもテレビで思うがままに采配振るっている彼女が、ここでは冴えない。
役者さん達はこういうアチャラカ?ものにでていても、どこか風格もあり品もいい。
テレビで見るような薄っぺらな芸人たちとは、キャリアが違うと思う。
芸は年を経て熟成され、何とも言えない味が出る。
心底笑ったのは本当に久しぶりだった。
そしてほんの少ししんみりして泣いて、いいなあ。

今日の演目はこちら。


最後のお祭り提灯は、ただどたばたと走り回るだけなのに、その時のシチュエーションで走り方が変る、そのおかしさ、抱腹絶倒だった。










絶対音感?

この2つの動画すごい!
ずいぶん以前、ヴァイオリンで人の声のまねをするのが流行ったことがあって、器用な人達はコンサート会場の場内アナウンスの声を、ヴァイオリンでそっくりに再現していた。
あるとき浄瑠璃のまねを上手に弾く人がいて、初めて聞いたときには死ぬほど笑った。
スタジオプレーヤーは皆とても器用で、遊び心がある。
だから格好いい。






歴史の証人

都内某所、一等地のマンションの主がワンちゃんを飼い始めた。
生後3ヶ月のチワワ。
手のひらで包んでしまえるほどの小さく可愛らしい姿に、私はメロメロ。
しばらく遊んでいる内にくたびれたらしく、私の膝でスヤスヤ眠り始め、私も一緒にウトウトした。
体温が伝わってくる。
動画サイトで見て喜んでいたけれど、やはり本物の動物はとても可愛い。
今日はチェロのSさんの演奏を聴きに、人が集まってきた。
弥生人の美智子さんも楽器を持って登場。
ロンドンアンサンブルの美智子さんのお兄様も加わって、賑やかなひとときを過ごした。
ゲストの中に93才の素敵なおばさまが1人。
信じられないほどの若々しさ、おしゃれで背筋が真っ直ぐで、頭の回転が良く、新しい物にも挑戦する。
最近パソコンを初めて、ゲームが楽しくてたまらないとか。
お隣にいるお医者さんに向かって、私は病院には行かないの、とおっしゃる。
それでも、私の打ち身の痛さがまだ退かないと言うと心配して、それは診てもらった方が良いかもしれないと言う。

楽しくおしゃべりをしているうちに、真面目な話が始まった。
今、韓国や中国の人達が歴史を蒸し返しているけれど、そのご婦人Sさんはご自分の目で見たという。
それだけのことをやったんですよ、と言う。
Sさんはお父様の仕事の関係で子供のころ、大連で育った。
その時によく中国人に酷い事をする人を見かけたらしい。
学校の通学途中で、中国人を殴ったり蹴ったりする人がいた。
なんでそんなことをするのかと、子供心に思ったという。
中国人は抵抗をしなかったけれど、プライドの高い彼らの恨み心は、子供や孫に言い伝えられたのではないか。
今の40代50代くらいの人には、どんなに言ってもわからないだろうとSさん。
それは日本人が悪かったというか、当時の日本の文化がそうだったからだとSさんの話は続く。
犯罪者は刑務所に入れておくと、税金の無駄遣いになるから、最前線に送られた。
そんな人達は命を捨てているから、どんな振る舞いをするかは推測できる。
そんな背景があって、粗暴な振る舞いが許され、そして現在、力を付け始めた中国や韓国の恨みが噴出した。
南京大虐殺もありましたと、きっぱりとSさん。
当時の新聞に赤ちゃんを銃剣で串刺しにして、高く掲げている写真が載っていたそうだ。
その見出しには【英雄】と書かれていた。
胸が悪くなるような聞くに耐えない話。

当時中国に住んでいた人の証言は重い、重すぎて私には持ちこたえられない。
自分の目で見たことのない人達は、それは嘘だと言うかも知れない。
嘘であってほしいと私は思う。
それでも、信頼出来る人の言うことだから、現実を受け止めないといけない。
私の友人の中国人は、全く普通に私に接してくれる。
やはり世代が若いから彼らも昔の事は知らないので、政治レベルでの諍いなのか。


































2014年7月5日土曜日

居留守


[らばQ]より引用
記事はこちら
自然界はすごい!
私もオーケストラで間違えたら、楽譜と同じ色になって
楽譜に張り付いて、いないふりしたい。
重量がありすぎて譜面台がひしゃげるかもね。



下の画像に何匹いるのかよくわからない。
鳥の保護色01

2014年7月4日金曜日

筋トレは猫トレーナーと

転んでから胸骨にヒビが入ったらしく、それから20日近くなろうというのに、まだ痛みが続く。

筋トレを始めてから色々といいことがある。
例えば、片足立ちでソックスがはけるようになったとか、腕にも筋肉が付いたらしく、楽器を弾くのが楽だとか。
この2,3日で痛みを時々忘れているほど回復してきたけれど、少し重い物を持つと、痛みが戻って来る。
結局病院には行かなかった。
行っても湿布薬をもらうだけだとわかっていたから。
しかし、痛みが長引くので、検査だけでもしようかと迷っている。
病院に行くと年寄りばかり。
なんでこんなに混んでいるのかしら。
もちろん私も年寄りのうちの1人だけれど、なんだか精気のない人達を見ていると、元気がなくなってくる。
よほどのことがない限り、病院にはいきたくない。
はやく筋トレを再開したい。
気分が良くなるし、自分が徐々に変っていくのを実感するのは楽しい。
トレーナーに付くとどうして良いかと言うと、自己流でやっているときよりもずっと効率的。
目的の筋肉を強化するつもりでも、ほんの少しのフォームの差で効き目が出ないことがある。
足をほんの少し前にとか、手を少し上にというだけで、かなり筋肉の緊張が違うのを実感する。
それを客観的に指摘されて、やってみるとその通り。
自分ではすぐに易きに流れてしまう。
トレーナーはかなりハードなトレーニングを課してくる。
歳をとっているからと言って容赦はしない。
今回転んだのは筋肉が弱ったと言うのではなくて、ひたすら不注意だっただけだから、むしろトレーニングのお陰でこの程度の怪我ですんだのかとも思う。
スキーのトレーナーにも、去年とは全く歩き方が違うとうれしい言葉を頂いた。
休んでいると体を動かしたくなる。

うちにはこんな役に立つ猫はいない。
猫トレーナー厳しそうだけど、にゃんてかわいい!

udetate

2014年7月3日木曜日

猫に小判(dtab)でハリポタ再開

ようやく原書で5巻まで読み進めてきたのに、目がよく見えなくなって挫折したハリー・ポッター。
目が悪くなったこともあるけれど、巻が進むにつれて本の字が小さく、単語も複雑になってますます見えにくくなったのが原因で、途中ギブアップしてしまった。
半分諦めていたけれど、私のPC師匠が又、助けてくれた。

まず、字の大きさが変えられるのでdtabを購入、そこにハリー・ポッターの英語版をダウンロード。
師匠はダウンロードのやり方についての説明動画を何種類も作成して私に送り、至れり尽くせりだったのに、結局私はアンニャモンニャで、彼が最終巻までダウンロードする羽目になった。
私を教育するつもりが、結果としてはご本人だけが忙しい思いをするという不幸を嘆く間もなく、次々にトラブルを引き起こすクライアントに手こずっている。
もう面倒見ないと何度も宣告しながら、完璧主義が邪魔して見放せない師匠。
置いていかれたら、私のパソコン人生真っ暗闇なのだ。

読書の再開のために、以前の英語の先生にメールをした。
イギリス人のヴァイオリニスト、ルースさん。
メールを出してからなんの返信もなく、もう見放されたかと諦めていたら、2週間ほどたってから返事が来た。
彼女はちょうどイギリスに帰っていて、メールを見ていなかったという。
思いがけないほど喜んでくれて、早速再開のつもりがなにかと忙しく、私の都合で7月からに決定。
今日第1回目のレッスンとなった。
彼女の仕事の都合で、レッスン場所がいつも変る。
今日は川崎ミューザの楽屋。

照明が暗くて、前の時にはよく見えないで泣かされた。
今回は字が拡大できて、画面が明るいのでバッチリ見える。
良く見えると、意味まで良く通じるというのがわかった。
前は本の小さな字を追うので精一杯。
でも今回は大きな明るい画面で見ると、単語が少々分からなくても、全体の意味がつかめる。
これは思ってもみなかった収穫だった。
頭痛もしなくなった。
読んでいて楽しい。
張り切ってレッスンを受けに出かけた。

ルースさんは日本人より大和撫子で、控え目な優しい人だが、段々私が読めるようになってきた頃、やはり先生としての欲が出てきて、もっと早くもっと正確にと彼女自身の頑張り屋さんの面が表に出てきた。
どうも楽器を弾く人は、がんばり過ぎる。
私はいつも軟弱で、途中で目が見えなくて頭が痛くなると、ここまでと言ってやめてしまうのに不満があったようだ。
読んでいる内に行が揺らいできて、段違いをしたり、それは大変だったのだ。
今度はもう大丈夫、これで見えなかったらおしまい。
しかも本でないから書き込みが出来ないと思っていたら、ちゃんと書き込みまで出来る(らしい)。
まだ試してないけれど、技術の進歩は素晴らしい。

ところがそれを使いこなせない人がいる。(誰?決まってるじゃない)
川崎ミューザの東響練習所、早めにいって英語の練習をと思ったらwifiが接続できない。
パスワードを何回も入れ直す。
とうとう諦めてせっかくの大きな文字は夢と消えた。
本の小さな文字と格闘してやっとレッスンが終ったとき、ルースさんが「もしかしてミューザのパスワードを入れたらどう?」
舞台袖にパスワードが表示されているのを見つけて、やってみたら・・・つながった。
早く気が付けばこんな苦労しなかったのにい~。
頭がガンガンする。
器械に強い人には常識なのに、私みたいな器械音痴にはとてつもなく難しいことがある。
以前生徒から「弦って張り替えるものなんですか?」と訊かれてびっくりしたことがある。
私にとっては常識でも、彼女には考えもつかなかったらしい。

家に帰ってもう一度接続したら、ちゃんとつながる。
ふん、馬鹿にして!
使いたいときに使えない。
猫に小判、ブタに真珠とはこのことだった。












2014年7月2日水曜日

シギスヴァルト・クイケン演奏会

J.S.バッハ無伴奏チェロ組曲全曲演奏第1夜。
             第1番ト長調BWV1007
             第2番ニ短調BWV1008
             第5番ハ短調BWV1011
                      白寿ホール

今回彼が演奏したのはチェロでなく、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラという楽器。
チェロより小ぶりでヴィオラより大きい。
クイケン氏は大柄だから楽器との比較をしても、ヴィオラほどにしか見えないかも知れないが、もし私がこの楽器をもったら引きずってしまいそうなほど大きい。
それを顎で挟まず、首からぶら下げて弾く。


こんな大きさです。
かなり重そうだし、バロックチェロとの違いがよく分からないけれど、全体としては心地よい柔らかな音が特徴的。コンサートで睡眠不足を解消している私としては、なんと素敵な心地よいひとときだったことか。
会場に行く前に友人達と近くのイタリアンレストランで軽く食事。
ほんの少し白ワインもいただいてだったから、それはそれは安らかな眠りに誘われた。
最近コンサートで全曲聴くのはまれになってきた。
たいてい1曲目はスヤスヤ。
これ、すごく贅沢かつ勿体ない。
過日クイケン氏のチェロを聴いた時とは又、ガラッと違う雰囲気で楽しめた。
まあ、眠っていてこういうことを言っても信用されないけれど、たまには起きて居たから。




当たり年

毛蟹を頂いた。
カニはやっぱり毛蟹が一番。
おいしくいただいていて思い出したこと。

年賀ハガキを毎年250枚買うけれど、ある年、100枚に1枚、抽選券がついてきた。
よく分からないままに住所氏名を書いて、2枚出しておいた。
お正月も大分過ぎたころ、郵便屋さんが来て「毛蟹が当たりました」と言う。
抽選券を出したこともすっかり忘れていたけれど、私がなにか当たるなんて本当にないことなので「こいつは春から縁起がいいわい」とばかり大喜びした。
うにゃうにゃ言って美味しく頂いた。

その年のスキーシーズンも終る頃、天神平にスキーに行った。
すでに雪はゲレンデの所々に残るだけで、狭いゲレンデをひしめき合って滑っていた。
大きなギャップがあって、そのこぶの真下で私は転んでしまった。
足元が悪いので中々起き上がれない。
上からはビュンビュン人が滑ってくる。
もがいていたら、そのこぶの上を通った人が、ついでに私の顔を滑っていった。
ちょうど口の辺りをかすめて通ったので、口の端にちょっと擦り傷が出来た。
通った人も驚いた。
大きなコブで、下に人がいるのがよく見えなかったらしい。
それでも非常に軽傷ですんだのが、幸運だった。

そして3回めの当たりは駐車場で。
NHKの東側にあった駐車場は、車間が狭くて入れにくかった。
それでも何十年も通ったのに、1度もぶつけたことはないのに、その年はなんだか分からないうちに、隣の車にガシャン!
音は大きかったけれど、殆ど外傷らしい傷もなく、それでもやってしまったから、多少出費は仕方がなかった。

その年は3回目を当たって、それ以来何事もなく過ぎている。
元々くじ運なし、ジャンケンは負ける、抽選は外れるという星の元に生まれてきたから、たまたまその年の初めに良いことがあって、それを次の2回の多少悪いことで帳消しとなって、辻褄が合ったようだ。

多少の山坂があるものの、平均的な人生。






















2014年7月1日火曜日

アイスウオッカ

夜中に人が寝静まって、そろそろ寝ようかと言うときに、ちょっとナイトキャップが欲しくなる。
もちろん、帽子ではなくお酒のほう。
そんなときには製氷室に眠らせてある、ウオッカをチビリチビリと飲むのが最近のお気に入り。
ほんの少し、細いグラスの底から2㎝くらいまでついで、出来ればオレンジの輪切りを砂糖漬けした物があれば、表面をそれで蓋をして、なめるように時間を掛けて飲む。
音楽を聴いたり、ネットの話題を読んだりしながらのこの時間は、すごく自由を感じるひととき。
前はナイトキャップはブランデーだった。
特に高級チョコレートを頂いたときなどには、舌なめずりして夜中に一人にんまりする、不気味な光景が繰り広げられた。
高価なものでも飲む量が少ないから、決して贅沢というほどではないが、最近ウオッカを頂いて凍らせて飲むことを始めた。
凍っていると無味無臭でどんな相手とも、たとえばさきほどのオレンジとか他の果物類でもいいし、トマトジュースならブラッディ・マリーになって、美味しい。
凍るといってもガチガチには凍らず、全体がとろ~りとして、舌触りもいい。
なにも入れずそのまま舌の上でころがしながら飲むのも、なかなかよろしいもので。

先日レッスンに来た私の生徒とその連れ合い、彼の先生のチェリスト、その生徒の5人でレッスンがおわってからほんの少しだけ酒盛り。
その時にこのウオッカ・オレンジを出したら、飲みやすいものだから生徒が酔っぱらってしまった。
その日の帰り道、駅から家まで10分が30分以上かかったという報告が届いた。
飲み過ぎだよ。ご主人が一緒でよかった。

ウオッカは40度から50度、飲み口がいいけれど強いから気を付けないといけない。
私は元々アルコールは強くないけれど、楽しいお酒の席は好きだから参加することは少しも嫌ではない。
強くはないので、ほろ酔い程度で飲むのを止める。
皆が酔ってきて本音が出る頃には大体素面になっているから、動物園状態を面白がって観察する。
私の友人知人には酒癖の悪いのは殆どいない。
1度でもその癖があれば、後は一緒にならないように注意する。
お酒は、憂さ晴らしに飲んだら、お酒に失礼。
節度を保って、味わいながらおいしくいただく。

今、もの凄く高価そうなブランデーを1本隠匿してある。
これは2頭の競走馬を持っているというお金持ちの方から頂いた物で、競走馬の飼育料に年間ウン千万かかるそうだ。
私は年収も1頭分にはるかに届かないから、とにかくお金持ちなのはよくわかる。
だからものすごく高そうで開けられない。
分相応という言葉がある。
相応なら、千円前後で買えるウオッカが1番あっている。