母の命日に、長兄から招集がかかった。
集まったのは全部で7人。
兄が手作りの料理をご馳走してくれた。
兄弟の中でこの長兄が一番出来がいい。
頭が良く性格が穏やかで、なにをしても器用でそつなくこなす。
跡取り息子命の、母の自慢の息子だった。
この兄だけは名前に「さん」を付けてもらえた。
後の子供たちは呼び捨てか、あだ名で呼ばれるかだった。
私などはまま子扱いで、メソメソ泣いてなんかいると母からこっぴどく叱られた。
兄が作ったのは、鰹のたたき、ステーキ、糠漬け、麦とろご飯など、対面式のキッチンで話をしながら、トントンと刻んだり焼いたり。
出てきたのは上にたっぷりと野菜が載っている鰹。
自分で周りを炙ってつくったらしい。
兄嫁はいつもニコニコしているけれど、これでは本当に助かることだろうと思った。
その後はゴロンと大きなジャガイモが添えられたステーキ。
糠漬けは、ぬか床から作ったのだそうだ。
なにか化学的に講釈をたれていた。
何とか菌が最も良く発酵するためには、時間が、温度が・・・とかなんとか。
だから何度くらいまでは冷蔵庫に、それ以外は冷暗所になど。
私たち姉妹に言っても、馬の耳に念仏。
私たちの関心事は美味しいか美味しくないかだけなので。
その糠漬けは本当に美味しかった。
私が作ったらすぐに、すっぱくさせてしまいそう。
食後のコーヒーを飲んでいると、両親の思い出話になった。
父からは、私が末っ子だからずいぶん可愛がってもらったけれど、母は子育てでキリキリ舞い、意地悪されることも多かった。
母は兄が命だったから、女の子には無関心だった。
そんなことで私が両親に持っている気持ちと、ほかの兄弟が考えている両親とは微妙にずれがある。
大家族はすでに一般社会と同じように、兄弟であっても境遇の違いが出て来る。
小さな社会の縮図だった。
兄は母を支えて、寝たきりの祖母の介護を手伝っていた。
兄が母を独占していたので、他の兄弟は僻みっぽく嫌味を言ったりしたけれど、基本的にはすごく兄弟仲が良かった。
それでも長男ということで、父に対しては大分苦労したらしい。
やはり男同士は親子であっても相当シビアな関係だったそうで、今頃になって初めて聞く父の専横ぶりがちょっとショックだった。
戦後の大変な時期でお金もなく、野心を実現しようとしては失敗した発明家の父が、家庭を犠牲にしていたとか、親戚の者に威張っていたとか、そんな事を初めて聞いた。
私は多少安定してきた頃に育ったから、のほほんと人生を楽しんでいたけれど、そうなるまでの長兄は相当苦労したらしい。
兄は会社を定年退職した後、しばらく静岡の大学で教えていた。
単身赴任で、その頃料理も覚えたらしい。
最近どうも狸に似てきたと思ったら、赴任先の静岡で狸に餌付けをして可愛がっていたそうな。
せっかくたくさん料理をしてくれたので、残さず食べたら私も狸に似てきた。
今日はポンポコリンのお腹が引っ込まない。
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