2013年4月30日火曜日

動体視力

イチローの動体視力は恐るべき物らしい。運動選手、とりわけ飛んできた物に対して反応する野球では、動体視力の善し悪しは選手生命を全うできるかどうかまでかかっているのだと思う。ところで私たちガクタイにとって、やはり動体視力は不可欠。もちろん目の見えないソリストは沢山いる。ヴァイオリンの和波さん、ピアノの梯さんなどの一流どころはソリストとして活躍しているから、見えなくても差し障りはない。差し障りはないが本来彼らも反射神経はすごく良いはず。それでないと音はアッという間に過ぎてしまうから。でも私のような三流どころで、何でも弾かなければ生活出来ないという立場になれば、仕事は何でもこなす。劇伴と言われる劇場の仕事、ソロ、オーケストラ、ミュージカル、スタジオでの録音、テレビの音楽番組などクラシックからポピュラーまで、あらゆるジャンルが仕事だった。そういう仕事は練習などはほとんどやってもらえない。前もって楽譜をくれるなんてオーケストラ以外はありえない。当日何時にどこそこへ来いという依頼だけ。のこのこ出かけていくと、とんでもない物が待っていたりする。ほとんどの場合、一回の譜読みがすむと試しとりがあって、その後すぐに本番。しかも近頃の演歌の伴奏などはこりにこっているから、大変難しい。それを歌手の体調に依って半音上げろの下げろの、転調してくれの言ってくる。余裕のあるときには譜面を書き直してもらえるが、そうでないとそのまま違う調子の曲を頭の中で移調しながら弾かされるはめになる。だから私たちにとって目が良くないと非常につらい。特に初見で弾くときには動体視力がよくないといけない。それで歳をとると中々生き延びられないと言うことになる。経験を積んでなにかつかんだとおもったら、目のことがあって、仕事が出来なくなるのはとても惜しい。運動選手の選手生命が短いのは常にギリギリの線で動かなければならないから。イチローの不振が聞こえるこの頃、自分たちの仕事に置き換えてため息が出る。スキーの先生から動体視力が優れているとお褒めを頂いて、初見力と集中力には自信のあった私でも、リタイア間近には目の衰えから来る集中力の低下に悩まされていた。イチローもあれほど一流でなければまだまだいけるとおもうのに、上り詰めた人は中々大変だなあ。

うぬ!勝手に決めおって

楽器を持った若者達が午前中からうちに三々五々集まってきた。Yさん夫婦の結婚披露宴に弦楽合奏で場を盛り上げようと、目論んでいるらしい。彼らは音楽教室の弦楽アンサンブルの仲間達。練習に立ち会ってと言うからどこが練習場かと思ったら、先生の家です・・・いつの間にか決定されている。おやおや、それでは又練習後は宴会ね。なんだかうちは内田百閒の小説に出てくる百鬼園先生の家のようになってきた。勝手に決めて事後承諾となる。それでも楽しいことや若い人たちが好きだから快諾する。それではサンドイッチを作っておいてあげよう。サラダもほしいだろう。だんだんその気になって、待ち構えていると練習が華々しくはじまった。曲はグリークの「ホルベルク組曲」の一楽章。以前発表会で弾いた曲だから譜読みは出来ているが、そのときは出来が良いとはお世辞にもいえなかった。ところが今回練習が始まると、発表会の時よりずっといい音がしている。そうか、これだけ皆の腕が上がったんだ。初めの頃は何をどうして良いかわからなかった人たちが、今やいっぱしの意見を述べながら自主的に音楽をつくっていくので、私はほとんど出る幕はない。始めて何年になるのかとんと記憶にないが、初めの頃はそれは、ひどい音がしているのにどうすればいいのかお手上げ状態だったのが、メンバーが長続きしているので成長は著しい。継続は力とはよくいったもので、メンバーが穏やかで真面目なな人ばかりで、とにかく練習をいやがらないのが嬉しい。こんな瑞々しいメンバーと一緒に遊んでもらえるのだから、私は自分が年取っている気がしない。練習後、Yさんが持参したワインは次々に栓が抜かれ、すっかり良い気持ちになったメンバーが演奏を始めた。楽譜は山のようにあるから困らない。そのかわり整理整頓が大変なのは「歩く楽譜」で言ったとおり。題名につられて読んでくださった方が多いので、これからは題名にも一工夫して沢山お客さんを呼ぼうと企んでいる。しかし、私の淺知恵では中々上手くはいかない。さて今日のタイトルは?いかがでしょうか。ちょっとわざとらしいかな。

2013年4月27日土曜日

今度は自転車の鍵

我が家では色々な物が惚けて徘徊し始めて、しっかりしているのは私だけという非常事態に陥っている。まずは猫のたまさぶろう。異常に甲高い声で吠える様になった。夜中と言わず明け方と言わず、目が醒めていれば、いつも吠えまくっている。先日美容院でシャンプーをしてくれた若い女性が、やはり猫が歳をとってから吠える様になったと言っていた。あんまりひどく鳴くので、まるで虐待しているみたいに思われちゃう、と。玉三郎も今年で17歳?くらいになるけれど、ここ数年だんだん挙動不審になってきて、やたらに甘える、吠える、密着が激しい等困った猫になってきた。猫は部屋から出られないようになっているからいいけれど、困ったのは他の物が徘徊するようになってきて、やっと眼鏡がご帰還かと思ったら今度は自転車の鍵。家に帰って鍵を抜いたのは確か。ちゃんとロックされているから。その後杳として行方がわからない。たしかスペアキーが抽出に入っていると思ったら、これもなにが不満なのか、家出している。いつもお世話になっていた自転車屋さんは廃業してしまったので、他の自転車屋さんに行って訊いてみた。鍵を失くしたんですが・・・お気の毒ですがここまで自転車を持ってきていただけないと修理はできません、と言われてしまった。ロックされた自転車を、このか弱い私に運んで来いだと?どうやって。幸いもう一台折り畳みの物があるけれど、それはこの次軽井沢の友人の処へ行くときに持って行こうと思っているし、かごが付いていないので買い物の時に不便だから、どうしても鍵を見つけて今の自転車を使いたい。前の自転車屋さんは出張してくれたのになあ。鍵には鈴が付いているから揺れれば音が出る。居場所がわからないように、じっと物陰で息をひそめているのだろう。怒らないから早く出ていらっしゃい。今日もう一つ気が付いたのは財布のお金まで一斉に飛んで行ってしまったらしく、空っぽに近い状態。さては鍵と金はぐるだったんだな。そうとは知らなかった。本当にまったくもう、皆いい加減にしなさい。私は惚けていられないじゃないの。

もやもや

なんだろう、この、もやもやした気持ちは。季節は春たけなわ、もうすぐ初夏。なぜか鬱々としてたのしめない。まどから新緑が美しく見えて・・・でも変だ。小鳥がやってこない。カラスも鳴かない。なにかすごく静か、静かすぎる。昨日近くに出来たショッピングモールに行ってみた。ぴかぴかの清潔な店内には色とりどりの生活雑貨、衣類、本など。下の階には高級な食品、御菓子が並んでいる。それを見てもなんだか絵を見ているような気がする。手が出ない。なにもかも新しくきれいなのに、わくわくする気持ちが起きない。最近は渋谷のヒカリエや武蔵小杉の東急スクエアなど、次々に新しくなって便利になった。それはそれで便利に使わせてもらっているが、楽しいかと訊かれればなんと応えて良いかわからない。私は享楽的なところが多々あるから、人生楽しくなくてどうするという考えだけど、最近の環境は人間くささがなくてつまらん!初めて中国に行ったとき、あちらの子供達のかわいらしさに目を奪われた。本当にあどけなく無垢な感じがした。その頃の日本人の子供といったら、生意気で早くも生活に疲れた半大人的な子供ばかりだったから、久しぶりに子供に出会えたと思った。あれから20年以上経って、今では中国でも子供らしい子供に出会えるかどうかしら。生活水準が上がり欲しい物はすぐ手に入るけど、その代わり人が動物として生きるのが難しくなっている。子供の頃、父と畑に行って引き抜いたばかりのにんじんをその場で食べた時は、にんじんの臭みや甘みがしみじみ美味しかった。今のにんじんはにおいも味も薄すぎる。土の香りもしない。トマトだって井戸につるして冷やしておいた物をガブリとかじったときのみずみずしさ。感動物だった。今のトマトは甘いだけ。青臭さが命なのに。と、まあ、愚痴が多くなったのは年取った証拠ですかね。それよりも堪えるのは別れ。これは世の常だけど、猫のなっちゃんとの別れとか引っ越してしまう人とか、なんだか寂しくなって、ちょっと憂鬱になっている。最近はノラのチャアも来ないし。グチグチ々々・・・・こんなこと言ってないでどこか未開の地に行ってみようか。でも今どき、未開の地は地球上のどこにもないのでは?ああ、つまらない。

2013年4月26日金曜日

黄色

私の今の姿をみておしゃれだと思う人は少ないと思う。それは一つには体型の問題。スタイルのいい人は安物着ていても格好いい。さりげないおしゃれが出来る。ところが私は上質の物を着ていても、なんだか冴えない。服は褒められても似合うとは中々言ってもらえない。それでもきれいな物、斬新な物に目がないから、お気に入りのデザイナーやお店もある。長い間、好きな色はブルー系だったのに、今年はなんだか黄色が好きで、なんとなく身の周りが黄色くなってきている。黄色という色は特殊な精神状態を表して居るのではないかと思う。今まであまり黄色は身につけたことがなかった。このところ突然黄色が・・・と言い出したのはなにか理由でもあるのかと自分で分析してみる。今はたっぷり休養も足りている。経済的にもまあまあ安定している。それなのに何か不安感がある。仕事で走り回っていた頃には、考えている暇などなかった。仕事でミスをしないことが最大の条件だったから、仕事のためにはなんでもした。体力も気力もギリギリまで使い果たして悔いはなかった。今は最大限になにかすることはない。なにをしても余力を残して、明日に備える的なところがある。これが不完全燃焼を起こしているのかもしれない。歳をとって何事も程ほどにとなるのはつまらないこと。私はいつでも燃え尽きるようでないといけないのかも。黄色は注意信号。そろそろ欲求不満になっているのかな。なにか自分を追い込んでいかないと、気が済まないような事態になってきている。さて、なにをするかは未定。もう少し枯れた老人になると思っていたら、まだ枯れてはいられない。これが業というものなんですかね。

2013年4月25日木曜日

ドレスの改造

次のコンサートでおそろいのデザインのドレスで演奏しようということになった。それぞれが自分で着るドレスの色柄を申告して、同じような物が重ならないように相談した結果、私はグリーンとブルーの花柄に決定した。素材もデザインも同じなので、このまま着てはスタイルの良い他の二人にかなわない。皆さんスラッと背が高く、お腹なんか出ていない。私はチビデブでお腹がぽっこり。それで鏡の前でなんとか体型の欠点が隠れるようにあれこれ考えた。シンプルで薄い生地なので、体型がもろわかってしまう。今までもドレスは自分で改造してきたので、それも一つの楽しみだった。今回もお腹の周りをカバーするにはどうしたらいいか考えた結果、二重になっている生地の表側だけ引っ張り上げてタックを入れるとお腹の膨らみが目立たなくなることを発見。表地を引き上げた分、裾から裏の色違いの生地が見えるのが中々いい効果を生み出した。体型が基準にあわないから、せっかくドレスを買ってもどこかしら詰めたり接ぎ合わせないといけない。今では信用してもらえそうもないが、かつては痩せすぎていて既製服が合わない時期があった。当時は今のようにサイズが多くなかったから、すべてオーダーしていた。ずいぶん贅沢だったけれど、自分でデザインして生地も選んで縫ってもらった。その頃の写真を見ると、アニマル柄をいち早く採り入れたりして、シンプルでありながら個性的なスタイルで、非常におしゃれだったことがわかる。当時アニマル柄はほとんど巷では見かけなかった。世間で流行り始めた頃には着なくなってしまったけれど。私は気が多いからなんでもやってみたくなる。もしヴァイオリンを弾いていなかったら、服飾デザイナーもいい。ただしデザイナーになるにはその前に服の仕立てが出来ないといけない。デッサン力もないといけない。ヴァイオリンを弾くのに音階を練習するように。その辺がどうも苦手だと思う。かといって自分で縫製が出来なければ、いい服は作れないと思うので、やはり無理かな。元々はすごくおしゃれだったのに、今は見る影もなくボサボサなのを反省しないと。時々顔を洗うのを忘れたり、言語道断、許しがたい衰退。その辺から反省して仕切り直しです。

2013年4月24日水曜日

馬子にも衣装

午前中、怪しい空模様の中、二人の熟女が現れた。ピアニストのSさんとヴィオラのFUMIKOさん。五月のコンサートのための練習。曲目はハイドン「ピアノ三重奏曲」ヴァイオリン独奏 クライスラー「愛の喜び」ヴィオラ独奏「愛の悲しみ」ピアソラ「リベルタンゴ」ヴァイオリンとヴィオラの二重奏でA・ロッラ「DUO」ヘンデル「パッサカリア」最後はヴァイオリンで「チャルダッシュ」ピアノ独奏は曲目未定だけれど、「子犬のワルツ」なんか、可愛くて良いよねと候補作品も出ている。等々華やかなプログラム。特にロッラは初めて披露するので緊張する。これは私がたまたま見つけてきた楽譜を寝かせておいたもので、付き合ってくれるヴィオラ弾きがいないかなあと待っていたものだった。日の目を見ることになってうれしい。あまり中身が濃いとはいえないけれど、楽しくオペラチックな作品。たぶん作曲したのはイタリア人だと思う。今回のテーマは元気になるコンサートだそうで、聴いて下さる方に元気になってもらわないと困る。しかし、曲が元気なだけに弾いている自分が負けてしまわないかと心配。先日初島へ遊びに行ったとき泊まったホテルのブテイックでおそろいで買ったドレスを着ることにした。もちろんそれぞれ模様も色も違うけれど、デザインは皆同じ。女性は幾つになってもおしゃれが楽しみで、半分くらいはドレスを着たいがために演奏しているのかもしれない。普段着で商店街歩いている冴えないおばさんが、ドレスに着替えて照明を当てられると一回り大きく見えるそうだから、それこそ「馬子にも衣装」

命知らず

町中で迷惑をかけている暴走ライダー諸君、そんなことしているならレーサーになるか、こんなすごいことをすればいいのに。命知らずの男達、格好いい。こんなテクニックを身につけるには、どれだけ怪我をしたことか。頭から落ちたら大けが又は死んでしまう。バランス感覚が並外れていいのでしょうね。 若い(子供)頃から一日何時間も練習したと思う。ヴァイオリンも一人前になるのに、3,4歳頃から一日何時間も練習するのと同じ。悔しいけど、もう若くない私には夢のような世界。10代だったら挑戦していたかもしれない。

2013年4月23日火曜日

眼鏡のご帰還

「歩く楽譜」のタイトルで数日前に投稿したら、いつもの三倍以上のアクセスがあって、内容を見た人は私の惚けっぷりを読まされただけで、さぞがっかりされたことと思う。タイトルの重要さを見せつけられた次第。よく2チャンネルの投稿などで面白そうだからと開いてみると、まったくおもしろくなかったりするのと同じ。ひまなのでネット上を色々渡り歩いてみるが、こんなに簡単にこんなに色っぽいサイトに行かれていいのかと思うことがある。私はその先が怖いから入らないけれど、好奇心の強い若い頃だったら絶対に見てしまうと思う。変なサイトの餌食になって高い料金を払わされたりしないようにくれぐれもご注意を。今朝ネット選挙の解禁を見ていたが、遅すぎたのでは?あと10年早くてもよかったのに。さて、楽譜はまだ歩いているが、徘徊していた眼鏡は今朝パソコンの下から出てきた。埃まみれになって照れくさそうに「やあ」なんて言いながら。2週間ほど前、どこを探しても読書用の眼鏡がない。あきらめて新しい眼鏡を買ってきたが、家にあることだけは確かなので、その内出てくるとは思っていた。それにしても見つからない。今朝パソコンの周りが埃まみれなので柄にもなく掃除を始めたら、ラックの下に申し訳なさそうに眼鏡がころがっていた。不精者の私が曲がりなりにも掃除なんかしようと思うのは、毎日掃除のスケジュールがメールで送られてくるから。パソコンの師匠の家事名人が、私のパソコンに週変りの掃除スケジュールを送ってくるように設定したのだ。毎日、今日はカーテン洗う日とか、空気清浄機フィルターの掃除日とか送られてくる。そうなると今まで気が付かなかった汚れも気になるようになってきた。お陰で眼鏡は無事に戻ってきた。なるほど、こういうことなのね。よく風水なんかで、きれいにしておくと幸運が舞い込むみたいな。私などはきたなくても結構幸運だから、きれいにすれば宝くじがあたるかしら。七億円あたったら素晴らしいヴァイオリンが買えるなあ。

2013年4月21日日曜日

江戸川フィルハーモニーオーケストラ

スプリングコンサートというタイトル、曲目はドボルザーク「謝肉祭」エルガー「チェロ協奏曲」フランク「交響曲ニ短調」

毎週熱心にレッスンに通ってくるHさん。彼女が所属しているアマチュアオーケストラのコンサートがあるというので行ってみた。Hさんは大変な頑張り屋さんで、来始めた頃はキンキンと金属的な音がしていたのに、今はもうちゃんとヴァイオリンの音になっている。小うるさい私のしつこいレッスンをよくも耐えられると思うが、一度注意されると次の週には改善されているから、教師である私よりもずっと見所はある。さて彼女のステージ姿を見ようと思って出かけたのに、開演時間を間違えて15分ほど遅刻してしまった。休日のマチネーはたいてい14時からだから、頭からそう思い込んでいた。会場に到着すると演奏の音が聞こえてくる。13時30分開演だった。そんな訳で一曲目は聞き逃してしまった。二曲目はエルガーのチェロ協奏曲。これは昨年、ロンドンアンサンブルのトーマス・キャロルが弾いた曲だからなじみ深い。今日のソリストは山澤慧さん。大変優秀な若い男性で、私の座った場所が三階席の庇の下という音響の条件の悪い場所だった(遅刻したので良い場所が取れなかった)にもかかわらず、音が伸びやかに聞こえてきた。「端正な」という言葉がぴったりするような破綻のない演奏。トーマスほど情熱的ではないけれど、とにかく上手い!そして最後のフランクは上出来。管楽器のトップがそれぞれ上手いので、安心して聴いていられる。弦楽器もよく揃っている。ティンパニが上手い。長い時間をかけて一生懸命に練習を重ねての演奏だから、手の内でこなれている。この様なアマチュアオーケストラを運営する人たちは、他に仕事を持ちながらの運営なので、どれほど大変なことか、考えると気が遠くなりそう。指揮者はスティーブン・シャレット、アメリカ人。指揮者とソリストの経歴を見ると、師事した先生は私が同時代に一緒に仕事をした人たちで、一時代が過ぎ去ったと感慨深いものがあった。

アンチエイジング

今朝体重計に乗ったら実年齢より14歳も若いという結果が出た。毎日一歳ずつ若くなっていくとその内に年齢がなくなってしまう。体重計が壊れているか、計測違いか計算違いに違いない。なんだか語呂合わせみたいな文章だなあ。実際はあまりこの様な数字は信用しているわけではない。本当のところは精密検査でもしなければ出てこないはずだから。でも10歳年上なんて出るよりは嬉しいのは確か。私より3歳年上の友人は、いまだに裸眼でオーケストラの仕事もしている。先日沖縄へ一緒に行ったKさん。朝、海岸を散歩していたら、高いところからヒラリと飛び降りたのでびっくりした。その身のこなしの軽いことと言ったら。この何歳若いと言うのも平均値からでているのだから、実際は運動してその結果を検査しなければ本当のところはわからない。Kさんなど15歳くらい若いと言う結果になるかも。ところで私たちが、世の中で言われるアンチエイジングのためになるようなことはしていないと言うのが面白い。早寝早起きは仕事柄無理。ストレスだらけの仕事で規則正しい生活は望めない。食事の時間もばらばら。食べられる時に食べる。外に出てしまえば野菜不足、カロリー高めの食事になってしまう。仕事に入れば運動などやってられない。それでも皆とても元気で明るい。もっともそういう人でないとこの業界で生き延びられなかったのかもしれないが。私はけっこう病弱で何回も大病やっているのに、それを気にして仕事をやめようなんて一度も思ったことはなかった。むしろ、いつ仕事に戻れるのか、そのために早く良くならなければという思いが強かった。それが生きる原動力になっていたのかもしれない。だから仕事はやめてはいけない。最近ゆっくり英気を養っていたら、又仕事に対する欲がわいてきた。来年あたりから始動開始できるかな。ひまなうちにもう少しスキルを上げておきたい。アンチエイジングより仕事が私たちを強くしてくれているようだ。

2013年4月20日土曜日

一喜一憂

華麗による・・・字が違うって?いいのよ、これで・・・体重増加の対策として毎朝体重を計ることを続けた結果、ダイエットで苦心惨憺減らした体重をなんとか維持している。先日のコンサートで皆さんから頂いた沢山の御菓子を食べ続けて、あやうく2キロ増加なんて危機もあったけれど、御菓子を食べ尽くした後は甘い物一切口にせず、又元の体重に戻すことが出来た。その体重計は優れもので、自分の年齢、身長を入力しておくと、体脂肪率や骨量、基礎代謝量なども計測してくれる。最後に計測したデータから実際の体の年齢も出してくれる。最近は実年齢よりも10歳ほど若い年齢が毎度のことだったが、今日はやったね!なんと13歳も若い年齢が表示された。こんなことで一喜一憂するのも、最近暇をもてあまして退屈しきっているからで、忙しく働いていたら目もくれなかったこと。仕事が減ったのは自分の意思でもあって若い頃から働き詰めだったから、もうゆっくりしても神様は許してくださるに違いないと思ったけれど、やはり退屈になってきた。この退屈な期間が私には非常に大事なことで、今までの人生で何度かこんな時期があり、それは次のステップにつながる大事な助走期間だった。その間に自然と人付き合いの模様替えがあったり、自分のスキルの養成期間だったり、物事を考え直すことも出来るので、退屈しながらもあれやこれや考えることが多かった。体力はあまり落ちていないが、視力がめっきり衰えた結果、集中力が低下しているのが残念だけど、それなりのペースで物事を進めればいい。ヴァイオリンのことで言えば肩当てを外した。今まで何度か肩当てをつけたり外してみたり試行錯誤だったのを、きっぱりと使うのをやめてみた。楽器は鎖骨にのせるだけ。決して顎できつく挟まない。(と言うのは理想で実際はやはりあごに力がはいってしまうのだが)プリム・ローズ氏のヴィオラの奏法の本を読んでいたら、酒場で演奏しているヴァイオリン弾きのように弾くのがいいと書いてあって笑ったことがある。でも、本当にやってみると音が変わるし、自由に楽器を動かすことが出来る。私はかつて先生から顎で挟んで左手を離しても楽器が落ちないように常にはさんでおくように言われた。思えばそれが諸悪の根源。顎に力→肩、背中にも力→両手が突っ張る→という図式ができあがる。その後遺症が未だに抜けず、とくに本番で緊張するとがちがちになる。そんなときに私は顎から楽器を外してもう一度仕切り直しをする。それをやっていたら、息子がヴァイオリンを習っているというお母さんから、あんなことやっていいんですかと詰め寄られたことがあった。いいとも悪いともいえない。長い説明がいるから。そのときはそらっとぼけて息子さんの先生のおっしゃるようにやりなさいと言って逃げてきたけれど、どれほど沢山の人が顎に力を入れて歯を食いしばって弾いていることかと思うと、気の毒になる。もちろんそのうちの一人が、この私ですけど。そうそう、例の鳩山寛氏は見事に力が抜けていて、オペラをお隣で弾いていると時々顎から楽器を外して、解説してくれながら楽しそうに弾いていた。「ここは今こんな場面でねえ」などと。だからもう90歳にもなるのにヴァイオリンはちっとも衰えていない。私も90歳は無理でも80歳の記念コンサートがしたいなあ。まだまだ半世紀先だけど(ウソつきー)でも13歳も実年齢よりも若いのですぞ。実現するかもね。

2013年4月19日金曜日

とらわれの動物たち

先日沖縄で撮った美ら海水族館の動画を見ていて考えたのは、巨大地震が起きたとき、水族館の水槽のガラスはどうなるのかということだった。この数日淡路島、宮城に大きな地震が起きている。そのうち東海地方だけでなく、日本全体が大揺れに揺れる日がくるのは間違いがなさそうなので、そんなときに居たくない場所を考えてみた。まず、エレベーターの中。高層ビルの上階。銭湯。酒屋の貯蔵庫等々。そして水族館の水槽の前。完璧と思える程の安全対策はしてあると思う。ただ、先頃の津波のように想定外ということもあるから、安心はできない。ガラスが割れて巻き込まれるのはいやだ。それに、あそこに入っている魚や鯨がどっと外に投げ出されて息が絶えるのは可哀想。ただでさえ、あんなに狭いところを一日中ぐるぐる回って、退屈で死にそうになっているだろうに。動物園で飼われている動物たちは、餌をもらえて外敵からもまもられて、さぞやストレスがないものと考えられているが、本当は野生の動物よりもストレスがあるそうなのだ。それはそうでしょう。私だったら3日も保たない。いつも思うのは飼い犬が鎖につながれているのが可哀想でたまらない。2メートル四方くらいの場所で一日過ごすなんて。小型犬なら部屋で飼い主と一緒にいられるから、それはそれで幸せだけど。うちで犬を飼わないのは庭がないこと。飼うなら大型犬がいい。室内で飼えるほど部屋は広くない、散歩が大変などの理由から。大津波の時、逃げられずに鎖につながれたまま命を落とした犬が数え切れないほどいたと思う。飼い主は自分の身を守るのが精一杯。犬は人間よりも先に異変を感じて、本当なら真っ先に逃げ出したはずなのに、それが出来なかった。動物園や水族館で目にする動物や魚を見ると、つい、そんなつまらないことを考えてしまう。実物を見たければ現地に行けばいい。勉強のためなら標本や写真や動画でいい。人間のために閉じ込められる動物たちが気の毒。うちの猫たちも表に出してもらえない。初めは出していたのが、近所の猫嫌いが毒殺するので、やむを得ず閉じ込めた。これは私の意思ではなく外部からの閉じ込めだと思っている。

2013年4月18日木曜日

恥を知れ銀行

わりと執念深い性だから未だに根に持っていることがある。もうずいぶん前、リーマンショックの直前のこと、仕事が暇になって、ふと出来心が起きた。普通預金の金利の低さ、このまま仕事も暇になってくると少し投資でも考えないといけないなどと柄にもなく考えたのが運の尽き。暇にまかせて取引先の東京**銀行に足を運んだ。この銀行は遺産相続の時にお世話になった担当者が非常に優秀だった。投資の話なども大変良いアドバイスをしてもらって、雀の涙ほどの利益が出たのでとても信用していた。ところが、そのときはもう担当者が交代していて、なにやら能面のように表情のない女性が対応した。私が元本割れのないものをと言っているのに、しきりにユーロ債券をすすめる。しかし、当時はドルがひどい状態で何れユーロにも及ぶと言うことは素人の私ですら予想していたので、きっぱりと断ったにもかかわらず、しつこく勧められた。今思えば上からの指示に違いない。売れなくなった債券をだれでもいいから押しつけてしまおうという魂胆だったに違いない。お終いには裏からお偉いさんまで出てきて「大丈夫。絶対間違いない」の大合唱。素人の私はふと、これほど言うならとつい手を出した。そのほんの数日後、リーマンショックが起きた。ドルもユーロも雪崩を起こした。銀行は絶対に知っていたに違いない。そんなことを把握出来ない企業であれば、それ自体が信用できない。知っていて押しつけたのなら、詐欺同然。そして、まだユーロが底値の頃「売りますか?」と問い合わせ。「ひどすぎない?今売ったらものすごく損でしょう」と言って追い返した。そして今朝ヴァイオリンの練習中に銀行から電話がかかってきた。「ユーロが回復して損失がなくなりましたので、ご挨拶を」「来ても無駄よ、私は怒るだけよ」と言って撃退した。腹立ち紛れに電話を切ってからヴァイオリンを弾いたら、今まで練習していた曲の合わなかった3度の音程がピタッと合ったのには笑った。おお、すごいエネルギーだ。とにかくやり口がきたない。口車に乗って、退職金のほとんどを投資してしまったお年寄りが沢山いるに違いない。一時期本当に3分の1くらいの損失が出ていたので、老後をそれで暮らそうという人たちにとっては、お先真っ暗だったと思う。その上損をしているからと言って慌てて売ったら、ますます損をする。銀行の言うとおりに売っていたら、相手の思うつぼだった。それを又売って銀行はもうける。汚いやり口を見て以来、私の銀行に対する信用はゼロになった。私に電話口でポンポン言われて、相手もむっとしたらしい。でも、こちらはむっとするどころではない。生活の危機なんだから。むっとする権利なんてあなたたちにはないでしょう。一番腹が立つのは自分に対して。わかっているのに乗せられた自分のアホさ加減がくやしい。

2013年4月17日水曜日

渋谷駅

所要があって出かけた。出先の半蔵門から渋谷に出て世田谷線の松陰神社に行く。渋谷駅はわかりにくいと言う人がいるけれど、どこが?と思うほどわかりやすい。自分が今まで来ていたところの様子が変わったなら、前の記憶はすっぱりと捨てて自分の目で観察すればいいのに。大きくはっきりと乗り換え方向も書いてあるし、所々に駅員が立っていて誘導している。本当に感心するのは、日本人のこの面倒見の良さ。ちょっと変わったくらいでこの騒ぎなら、外国に行ったらどうするのかしら。言葉はわからない。訊いても知らない人も多い。となると地図を片手に必死であるくでしょう。日本の親切さに馴れてしまって、ちゃんと案内があるのにわかりにくいなんて、びっくりしてしまう。世田谷線は最近乗っていなかったけれど、車両もこぎれいになったし、乗り換え場所もわかりやすくなった。手を伸ばせば軒に届いてしまうほど、民家の近くをすり抜けて走る。線路には青い草が生えて、両脇は生け垣があって花が咲いていたり、のどかでいいなあ。用事が済んで帰り道、今度は半蔵門線から東横線に乗り換えようと思ったら、あら、わからない。確かこちらと表示が出ていたのに。途中からどう探しても表示がない。前を歩いている人が駅員に尋ねている。階段を降りてホームの途中にあるエスカレーターを降りて・・・何人もの人に同じことを説明している。もしや、東横線への行き方?私も尋ねてみると同じ答えが返ってきた。なぜここだけにはわかりやすい標示がないのか。あの人は一日中立って説明をしているらしい。そんなことするならちゃんと書いておけば良いのに。不思議なこと。しかし、往きには東横線から半蔵門線に乗り換えて迷わず行ったのに、帰りがわかりにくいというのはどうして?どこかに標示が一つ足りないのではないだろうか。人を立たせておくのは、その場所が乗り換えしにくいということだから、改善すればいいのに。

屋根の上の茶番劇

盗難車の事件で逮捕されそうになった男が、同居人の女性と屋根の上に逃げて7時間後に逮捕された映像が何回も放送されている。見ると男は人質とは言いながら、ペットボトルのお茶を女性に渡している。刃物で脅すふりも様になっていない。女性の方はおびえた風でもなく男性に寄り添っているし、男が後ろを向いて警官に気をとられている隙に、逃げることもできたかもしれない。そもそも傾斜のきつい屋根に脅かされたとはいえ、女性がおめおめと従いていくものかしら。自力で上るのがやっとだから、女性を脅しながら上らせるのは大変なことだったと思う。女性が従いていく気がなければ、不可能では?私なら途中で腰を抜かして動けなくなって、男性の力でもびくともしないほどの体重があるから人質にもなれない。こんな時には警官は知らん顔して周りを包囲して、下でカツ丼でも食べて見せびらかしてやれば良い。7時間もすればお腹も空く。トイレだって我慢の限界。建物の住人を避難させて後は待っていれば一日も保たないと思う。刺股持って屋根に上がり、滑り落ちる危険を冒して警官が落ちたりしたら、かえってむだなことになる。途中で男女はグルだということがわかったそうだから、知らん顔していればよかったかも。もし、女性が刺されでもしたら後で非難囂々をおそれてのことか。そんな男に従いていく女性はそれなりの運命を覚悟しているのでは。最後は刺股でたたかれて哀れな姿で逮捕された。まるで猿でも捕まえるような画像に、可笑しいやら気の毒やら、こんなことに体力使わされるお巡りさん達、お疲れ様。刺すぞ刺すぞというパフォーマンスも、なにやらどこぞの国に通じるものがある。ただあの国は気が狂った指導者がなにをやらかすかわからないから、怖さは比較にならない。なぜ穏やかに暮らせないものなのか、ボストンマラソンのテロ事件を見ても、つくづくそう思う。比べると、屋根の上の事件がちゃんちゃら可笑しく見えてくる。

新緑の季節に

今日も朝から埃っぽいぬるい風が吹いている。最近気持ちよく晴れ晴れとした天候にはあまりお目にかかっていない。中国からの黄砂のせいか、あたりがもやって黄色く見える。春は元々好きではないので、用事がない限りほとんど家にこもっている。幸い家の前に桜並木が広がっているから、外を眺めるのは気持ちが良い。このどんよりした空気も新緑のお陰で少し浄化されるような気がする。私の家は庭がない。駐車場はコンクリートで固められているが、塀と排水のための溝との間に砂利が敷いてあって、その10㎝ほどのわずかな隙間から木が1本伸び始めた。それがあれよあれよという間に立派に成長した。夏には木陰を作ってくれるし、二階のベランダの窓まで届く様になると花が咲いて小鳥がやってくる。とても楽しみにしているのに、ご近所のきれい好きさん達には邪魔なようだ。秋になると葉が落ちるから、そうなる前に枝卸をしてしまうが、少し残って高いところにある枝までは手が届かない。私から見るとほんの少しだけ落ち葉がよそのお宅に飛んでいく。塵一つなく玄関前をきれいにしておく彼らにとってみれば、この木は目の敵。礼儀正しい人たちだから秋になると婉曲に、この木を切ってしまえと言ってくる。何という木か名前がわからないけれど、葉の中心がほんのり赤く美しい。花はあまりきれいではないが、実は小鳥が喜んで食べている。夏には緑のカーテンとなって涼しげに見える。秋には枯れ葉が落ちる前に、心の中でごめんよと言って謝りながら切らなければいけない。それでも少しは葉が残ってしまう。落ち葉は掃けばいいのだから、私も時々お隣に侵入して落ち葉掃きをする。木にはなんの落ち度もない。この無精な私も落ち葉の時期には目いっぱい気を遣う。お隣には今のところ枝を切って勘弁してもらっているが、本当は根こそぎとってしまいたいらしい。以前も葉に付いた芋虫がいつ蝶になるか楽しみにしていたら、お隣さんが「あの芋虫捨てました」と言ってきた。あらまもうすぐ蝶になるのに。家の前の桜が河川工事のために一時切られたことがあったら、虫がいなくなって良かったと喜んでいたのもお隣さん。その後又桜が植えられてさぞがっかりしたことだと思う。今日のような黄色っぽい埃の日には特に木を見ると救われる。新緑に守られているような気がする。人は様々。落ち葉を嫌がる人がいるのは重々わかっているけれど、そのために木を切りたがる神経は私にはわからない。落ち葉公害なんていう言葉があるくらいだから、きれい好きな人にはたまらなくいやなのだとは思うけれど、何のお陰で人は生きていけるのか考えて!

2013年4月14日日曜日

歩く楽譜

「先生の家の楽譜は歩くんですね。先週も先々週も楽譜がないって騒いでいましたよね」中学生の男の子に言われたことがある。「そうなのよ。夜になると遊びに出かけちゃうのよね」本当に泣きたいくらい楽譜が見つからない。整理整頓は元々非常に苦手だったから、家中おもちゃ箱をひっくり返したように散らかっている。レッスン室の方は一応不意に来客があっても大慌てしないですむくらいにはなっているけれど、それでも楽譜とステージ衣装と靴があちらこちらに散乱。時々楽譜を整理してヤレヤレと思うと、次に弾きたいときにどこへ入れたか思い出せない。クローゼットの中にはアルファベット順にしまえる楽譜棚が収まっている。そこに置いておける物は普段あまり使わない曲やスコアなど。しょっちゅう必要な曲はピアノの上にどさどさと載せてある。ところが調律するときなどにそれをどけると、もう次の時に必要な楽譜が見つからない。次回に使うクライスラーの小品集、ヘンデルのパッサカリア、ハイドンのトリオなどが行方不明になっていた。山の中からようやく見つけ出して見たものの、前回使った物と出版社が違って、微妙に音や運弓が違うとやはり弾きにくい。捜し物をする時間がもったいないとは思うが、探していないからと言って有意義に過ごしているわけではない。ヴァイオリンのパート譜はピアノ譜と違って薄くて表紙がないものが多い。譜面台に複数の楽譜を乗せておいて閉じるとき、他の楽譜に挟んで閉じてしまうと、後で探すときに中々見つからない。楽譜が見つからない上に一昨日から読書用の眼鏡も見当たらない。楽譜を作っていたときにはかけていたのだから、家にあるのは確実なのに。次々に歩き出す楽譜、眼鏡、携帯、家の鍵、これで楽器も歩くようになったらもうお終い。それよりも自分が徘徊するようになったら・・・おお、こわ。

2013年4月13日土曜日

ヨーヨー・マ



バイクにばかり気をとられていないで、久々に音楽の話題に戻りますか。どうして音楽はこんなにも胸を打つのか、ジャンルを超えて感動を共有できる。館野英司さんのフェイスブックから拝借してきました。

2013年4月12日金曜日

遊んでばかり?

最近旅行や動画の投稿ばかりで、nekotamaはついに遊びほうけるようになってしまったかと思われているかもしれないので、この辺で少しは勉強をしていることをお伝えしたい。さて今日の「弾く会」は府中のピアニストNさんのお宅にお邪魔しての例会。私は先頃から気に入っているベートーヴェンの「ソナタ10番」FUMIKOさんはシャイエ?というフランスの作曲家の曲を。そして、Nさんはバッハとラヴェル、Oさんはベートーヴェンの110番のソナタ、Sさんはシューマンと相変わらず、ピアニスト達は超まじめに大曲に取り組んでいる。それぞれこんなにも音も曲想も違うかと思える3人のピアニストは、学生時代に優等生だったそのままの姿で今もテクニックは健在。音楽性はますます冴えてきている。それに比べて哀れなのはヴァイオリン。どうしても体の柔軟性が失われてくるから、音が弱くなったり手が震えたりするようになって、一線から消えていく人が多い。弦の上をただまっすぐに弓を引いていくのがどれほど難しいか、弾いたことのない人にいくら説明してもわかってはもらえそうもない。しかも左手は指が曲がってくる。と、なると、ほんの数分の1ミリのずれでも音程が変わってしまうのはどれほど大変なことかも理解していただきたい。同情して欲しいわけではないが、みなそうやって歳をとればとるほど練習が大事になってくる。死ぬまで練習を怠ることは出来ないのが、大変と言えば大変、しかし生きがいでもある。幸いこんな良き友に恵まれ演奏の機会を与えられて、サボることが出来ないのはすごく幸運だと思っている。その道の大家にはなれなかったけれど、こうしてそこそこの演奏を楽しめるのも仲間の助けなしにはあり得ない。

2013年4月11日木曜日

勇気と細心は表裏一体



子供の頃は逆上がりも出来ない、跳び箱も跳べない運動音痴だったくせに、その後、スキー、乗馬、スキューバダイビング、アイスホッケーなどを好んでやってきた。危険なことは飛び抜けて面白いから。この2,3日、先日のバイクや自転車の動画に刺激されて、動画に釘付けになっている。バイクのモトクロスやスキーの動画は見ていて飽きない。トライアルバイクの動画を見ていると何よりも勇気があってしなやかで、運動能力も人並み優れ、そして一番大切なのは、細心であることかと思う。優れた選手は常にバランスがとれている。失敗するかしないかは、行動を起こす前に見えてくる。本人が飛ぶ前に飛べないと思っているのが手に取れるようにわかることがある。ああ、これは失敗だなあと思うと、転んだり岩を飛び損ねる。見ていると怖がって体が力んでいるときは必ず上手くいかない。バイクと体が一体となっていないと、バランスを崩す。これは何にでも当てはまるセオリーだけど。細心の注意を払ってなおかつ大胆であることが名選手の条件。これ、ヴァイオリンにも通じるのだなあ。臆病でおおざっぱな私がナニをやっても中途半端なのは、うーん!そのせいか。

2013年4月8日月曜日

自転車の超絶技巧



他のブログから拝借してきた動画。あまりにもすごいのでお裾分けです。ここには、もう一つバイクのトライアル競技の動画もあって、これもすごい。
私は自転車に乗るのが好きでママチャリで両手離しを練習したけど出来ません。ハンドルに指1本乗せておけば大丈夫なのに、不思議と全部離せないのです。ママチャリで両手離しはハンドルの構造上難しいらしい。怪我をすると仕事に差し支えるから無茶は決してしないけど、傘を差して片手運転でポールの間をすりぬけたりします。あ、これはまだ、傘を差して自転車に乗ってはいけないという決まりが出来る前の話。おまわりさん、逮捕しないで。50CCのバイクで多摩川の河原を八の字書いて遊んだりしました。この動画のように乗ってみたいですね。それにしても上手いなあ。

2013年4月7日日曜日

春の嵐

タイトルを書いたら思い出した。ヘルマン・ヘッセの「春の嵐」多感な少女時代(私にもあったのです)に夢中で読んだっけ。ここ数日大荒れの天気。沖縄に出発する日は大風、千葉で強風が吹いたそうだ。沖縄行きの安いツアーをさがしていたら、成田発着のツアーが飛び抜けて安い。私は成田まで直通で行けるからそれでもよかったのだが、他の人たちがいやだと言うので羽田発になった。今回は成田発だったら飛行機が飛んだかどうか。羽田でも強風で滑走路が2本しか使えず、出発がだいぶ遅れたくらいだから。帰りの飛行機も、もう少し遅い時間だったら欠航もあったかと思う。欠航しなくても、かなり揺れたと思う。往復とも快適に行けたのは良かった。昨夜からの大雨でうちの前の川の水量が上がって、夜中に度々2階の窓から覗いてみた。私の住んでいる建物は階下は全部駐車場だから、水が上がったら車がぷかぷか浮いてくるだけだが、それもよそ様の車なので少し心配していた。しかし、何事もなく輝くような朝を迎えた。以前はこの川は毎年氾濫して、川沿いの家は床上浸水の被害を被っていた。以前の私の家はそれを見越して少し高く作ってあったけれど、朝目がさめて玄関を開けると、水がドアのすぐ下まで来ていてびっくりするようなこともあった。それが川の下を巨大な管を通す工事をしたお陰で、今は水が溢れることもなくなった。家を建て直すときに1階全部を駐車場にしてしまったのも、そんな経験があったから。子供の頃、この川のお陰で台風のたびに辺り一帯が水浸しになっていた。特別ひどい大雨の後、私の実家を除いてすべて水浸しになったことがあった。実家は少し盛り土がしてあって、他の家よりも数メートル高いところにあったので、被害は受けなかった。それで、四方八方からボートで続々近所の人たちが避難してきた。古い広い家だったから人はいくらでも受け入れられたが、物が足りない。女性達は皆せっせとご飯を炊いておにぎりを作り、男性はボートを出したり、後片付けをしたりてんやわんや。その中でボーッとした子供だった私は見るともなしに見ていると、救援物資の毛布を隠れて二枚とってしまう人や、おにぎりだけなのを文句を言う人がいて、子供心にもなんてあさましいと思った。今回の大震災のあとで救助してくれる人たちに感謝している被災者の声を聞くたびに、たった2,3日の避難生活なのに文句ばかり言った人たちのことを思い出す。当時は今とは比べることも出来ないほど日本中が貧しかったから、人の気持ちもすさんでいたのかもしれない。自分が被害に遭わなかったから、呑気なことを言っていられるのかもしれないが、こんな時に人の本性が見えるものだなあと思う。

美ら海水族館は狭小住宅



鯨やマンタが所狭しと泳いでいるので、とても窮屈そうです。


2013年4月5日金曜日

沖縄3日目

午後の便で東京に帰るので少し早起きして沖縄の南部の「琉球ガラス村」へ向かう。ガラス工場は高温の炉が中心にあって、その炉を中心として何人もの人が円形となってそれぞれの役割をこなしている。まず高温に熱してガラスを吹いて膨らませ、型に入れてとっくり状の形にすると、炉のところで小さなガラスを溶かしていた人がやってきて、とっくり状の先に貼り付ける。それを回して底らしきものを作ると、次の炉に行って又熱してという作業が流れるように行われている。最初のとっくりの様なものが形になっていくと素早く他の人が底を付けに来るから「よくタイミングが合いますね」と声を掛けると、「いつでも見ていますから」と返事が返ってきた。お互いに声を掛ける訳でもなく、いわばあうんの呼吸で行われているのが見ていて気持ちがいい。私は人が働いているのを見ると惚れ惚れしてしまう。こんな単純なことの繰り返しでも、見ていて飽きない。安曇野のガラス工房では1時間も張り付いて見ていたことがある。今日は作業がすぐ終わってしまったので残念だったがあきらめた。その後大型のバスがやってきたから、この後職人さん達はずっと働いて見せないといけないので休憩に入ったらしい。まだ時間は十分あったが、レンタカーを返して送迎バスで空港へ。だいぶ早めだと思っていたら、今日の那覇空港は大混雑。いったい平日のこんな時間になぜ混むのかと思ったら、春休みで子供連れが多いらしい。結局早く到着したので慌てることもなく機上の人となって、無事帰宅した。鳩山さんを訪問することが主目的だったが、久しぶりに昔の仲間と旅が出来てよかった。若い頃、希望と熱意に燃えて傾きかけたオーケストラの再建に全力を尽くした仲間達とは、年月を経ても家族のようにつきあえる。私の宝物はそんな人々なのだ。

沖縄2日目

鳩山さんとの再会を果たした私たちは、夕方宜野湾市のラグナガーデンホテルへと向かった。借りた車は韓国のヒュンダイ。那覇から40分ほどの海浜公園のそばにあるリゾートホテルで、先週行った熱海の初島のホテルと同じように、大きな窓が海に面している。ホテル側の手違いで2人部屋が4人部屋になっていた。初めダブルブッキングがありまして・・・と聞いて皆思わず気色ばんだが、その後、そのお詫びとして夕飯のサービスと館内での買い物券がもらえると聞いて、相好を崩した。もとよりすこぶる仲が良いから2人でも4人でもかまわない。むしろ皆一緒でもっと楽しくなる上に、サービスが付くのだから二つ返事で承諾した。夕飯はワインと洋食を楽しんだ。2日目は美ら海水族館に向かう。私は沖縄には度々来ているので、水族館も何回か訪れている。他の人は初めてというので、頭の上を鯨やマンタが通りすぎるのを見て大はしゃぎ。鯨のお腹なんて滅多に見られるものではないから、いつ見ても面白い。いるかのショーも大受け。帰り道は今帰仁に寄った。今帰仁城跡と言うのがあって、通りすがりにちらっと見たところ、大したことはないと思って行き過ぎて古宇利島へ亘る。海に大きな長い橋が架かっていて両側の景色は圧巻だった。そして又帰路に今帰仁城跡に行ってみると、なんと世界遺産であることに気が付いた。奥深く進んでいくと、美しい石垣と石段が続き、頂上からはエメラルドグリーンの海が広々と見渡せる。これはには感動した。うっかり見過ごしてしまうところだった。少し時間が余ったので時間つぶしに寄ってみようと思ったのが幸運だった。度々沖縄を訪れていたのに、迂闊にも知らなかったなんて。ホテルに帰って前夜は洋食だったから今夜は和食をと思ってレストランに行った。しかし、和食はいただけなかった。寿司定食のお寿司はゴロゴロ固まった寿司飯と、あげてから時間が経って冷めた天ぷら。食事がおわってもお茶が出ない。催促するとただいま支度をしていますと言う。しばらくしてやっと出てきたぬるいお茶。しかも催促されて仏頂面したウエートレスが不機嫌そうに持ってくるので、なおさら腹が立つ。寿司にお茶はつきものでしょう。しかもタイミングが悪すぎる。着物を着たウエートレスがだらだらと仕事をしている。昨夜のイタリアンレストランとは大違い。こんな良いホテルでも、こんなレストランでは印象が悪くなる。それであまり客が入っていない訳がわかった。イタリアンは大賑わいなのに。3日目の朝食も和食にするつもりだったけれど、そんなわけで洋食にすることにした。

はとかんさん。

元東響のコンサートマスターの鳩山寛さんにお目にかかりに沖縄へ。元東響のメンバーが4人揃って先日の水曜日、強風の中を羽田から飛び立った。私の少し先輩のKさん、1年後輩のS子さん、だいぶ年下のT子さんと私。那覇空港は曇りで、時々薄日が差していた。レンタカーで那覇の中心部へと向かった。鳩山さんには4年ほど前にお目にかかって以来だが、変わらずお元気そうで色つやも良く、言葉も記憶も明瞭で、今年90歳になられたとはとても思えない。きちんと整理されたアルバムや古いプログラムなどを見せていただいた。そのアルバムには若い頃の私の写真が沢山あって、どれほどお世話になったかがよくわかる。色々な組み合わせのアンサンブルのどこかに私がいつもいる。ご自分のことは多くを語らなかった方だから私たちはほとんど昔のことは知らなかったけれど、今になってそのすごい天才ぶりと経歴を知ることになった。ブログつながりで知り合ったSさんという方が今年1月、鳩山さんを訪問されている。そのときに一緒に行きたかったけれど、何かと忙しく、とうとう4月になってしまった。その方から鳩山さんがとてもお元気だと聞いていたけれど、これほどお元気だとは思っていなかったので、たいそう嬉しく話も弾んで、あっという間に時間が過ぎていった。お別れの時には不自由な足を引きずるようにして玄関まで見送ってくださった。別れ際にはさすがに寂しそうな顔をされていた。私たちも名残惜しく中々別れがたかった。
東京にいた頃の鳩山家には2匹の猫がいた。沖縄へ引っ越す日に1匹が姿を消してしまった。必死の捜索もむなしくとうとう見つからないのであきらめていた。引っ越して1週間目、荷物をほどくとかすかに鳴き声がして、家具の間からその子が出てきたそうだ。荷作りの日、人の出入りに驚いて荷物の陰に隠れたのに気が付かず、そのまま送ってしまったらしい。その猫も今や落ち着いて、可愛いおしゃべり猫として鳩山家でのびのびと暮らしている。もう1匹はすでに猫の天国へ旅立ってしまった。奥様と猫と引退後を暖かい沖縄で過ごしていることが、お元気の秘密かもしれない。

2013年4月2日火曜日

ベートーヴェン「ソナタ10番」

ヴァイオリンとピアノのための「ソナタ」の最後の曲。作品番号を見ると「クロイツエル」よりもだいぶ後に書かれたものらしい。後期の作風の清明な特徴がよく現れている。ピアニストのSさんはベートーヴェンが好きで、連続で合わせてもらっている。この私は猫族だから、どちらかと言うとベートーヴェンは苦手で、リクエストの来る有名な曲以外は避けていた。Sさんが合わせようと言うから仕方なく続けて練習してきた。お陰でなんとなく苦手意識が薄くなってきている。やっとたどり着いたこの10番。こんな良い曲とは思わなかった。今まで聴いたことがなかったわけではない。何回か演奏会で聞いていたけれど、やはり有名なスプリング、クロイツエルなどと比べると地味でおもしろみに欠けると思っていた。ところが何回か弾き進んでいくうちに、その良さが胸にしみこんできた。これは素晴らしい。だいたいどうしてベートーヴェンが苦手かというと、私には、ああいった精神の深みに降りた人だけが持つ苦悩もない。想像力だけは有り余るほどあるが。心の深部には誰でもぽっかりと空いた暗闇があると思う。それが自覚されるかどうかは別として。その暗闇でもがきにもがいて、そこから脱出出来た人のみが到達できる高みにまで登らなければ、ベートーヴェンの後期の作品に見られる浄化された世界に到達出来ないのではないか。そんな風に思えるこの10番は技巧に走らず気の赴くままに書いたように思えるのに、一種独特の世界が広がっている。何というか、不思議な明るさ、静けさに満ちたとでも言うのかしら。解脱?そんな言葉も連想させられる。それを煩悩にまみれた私が、さあ、どう表現できるか。弾いていてこんなに平和な気分になる曲も珍しい。初めに楽譜を見たときには、こんな面白くも無さそうなと思ったのに、今は弾くたびに嬉しくなる。

2013年4月1日月曜日

町内会

町内のブロックごとに組長がいて、回り持ちで毎年変わる。私の家の区域では10軒で1組になっているので、一度組長をすれば後9年間はなにも役が回ってこない。その10年目、今年は私が組長になる。その筋の世界なら、組長にはお金がどっさどさ入ってくると思うけれど、町内会の組長ではやたら用事が多くて、ただ働き。刑務所から出る時だってだれも迎えには来ない。黒塗りの大型乗用車にも乗れない。みんな嫌がって以前は半年ごとに交代していたものを、この組だけは1年に一度の交代にしてしまった。前は5年に一度回ってきた役回りが10年に一度になり、終わってしまえば後はなにもしなくてもいいから、しばらくのんびり出来るけど、回ってきた年は1年間働かないといけない。どちらが良いのかわからないが、ともかく今朝からご近所を回って町会費を集める。最近はこの地区もめっきり高齢化で、どのお宅も10年目にお目にかかると皆さん老化が著しい。会費を頂くついでに立ち話。以前はよく道で会ったような人もすっかりこもりきりになってしまって、訊けば足を骨折したの腰が悪いので出られなくなったそうだ。「この次はもう私は死んでいるわよ」なんて言う奥さんもいる。次に私が組長になるのは又10年後だから、このうちの何人に再会できるのか、あるいは私は生きているのだろうかと考えてしまう。生きているかどうかはあまり気にならないけれど、ヴァイオリンを弾いているかどうかは大いに気になる。なんとかもう10年弾いていられるといいなあ。今朝車の整備に日産に行った時担当セールスマンに「私はいつまで運転できるのかしら」と訊いたら「とにかく運転をやめないことです」と言っていた。そうね、ヴァイオリンもやめないで毎日弾いていれば、そうそう急には弾けなくなることは無さそうだけれど、自覚症状なしにいつまでも弾き続ける可能性もある。気の毒だからと言って誰も「そろそろおやめになったら」と言ってくれなければいつまでも弾いているかもしれないのが怖い。経験で補える能力にも限界はある。特にヴァイオリンでは関節の柔軟性が大事だから、こわばってきたらやめざるを得ない。もしかしたら、この様に自分はまだまだいけると思っているのが危険かもしれない。