2013年4月1日月曜日

町内会

町内のブロックごとに組長がいて、回り持ちで毎年変わる。私の家の区域では10軒で1組になっているので、一度組長をすれば後9年間はなにも役が回ってこない。その10年目、今年は私が組長になる。その筋の世界なら、組長にはお金がどっさどさ入ってくると思うけれど、町内会の組長ではやたら用事が多くて、ただ働き。刑務所から出る時だってだれも迎えには来ない。黒塗りの大型乗用車にも乗れない。みんな嫌がって以前は半年ごとに交代していたものを、この組だけは1年に一度の交代にしてしまった。前は5年に一度回ってきた役回りが10年に一度になり、終わってしまえば後はなにもしなくてもいいから、しばらくのんびり出来るけど、回ってきた年は1年間働かないといけない。どちらが良いのかわからないが、ともかく今朝からご近所を回って町会費を集める。最近はこの地区もめっきり高齢化で、どのお宅も10年目にお目にかかると皆さん老化が著しい。会費を頂くついでに立ち話。以前はよく道で会ったような人もすっかりこもりきりになってしまって、訊けば足を骨折したの腰が悪いので出られなくなったそうだ。「この次はもう私は死んでいるわよ」なんて言う奥さんもいる。次に私が組長になるのは又10年後だから、このうちの何人に再会できるのか、あるいは私は生きているのだろうかと考えてしまう。生きているかどうかはあまり気にならないけれど、ヴァイオリンを弾いているかどうかは大いに気になる。なんとかもう10年弾いていられるといいなあ。今朝車の整備に日産に行った時担当セールスマンに「私はいつまで運転できるのかしら」と訊いたら「とにかく運転をやめないことです」と言っていた。そうね、ヴァイオリンもやめないで毎日弾いていれば、そうそう急には弾けなくなることは無さそうだけれど、自覚症状なしにいつまでも弾き続ける可能性もある。気の毒だからと言って誰も「そろそろおやめになったら」と言ってくれなければいつまでも弾いているかもしれないのが怖い。経験で補える能力にも限界はある。特にヴァイオリンでは関節の柔軟性が大事だから、こわばってきたらやめざるを得ない。もしかしたら、この様に自分はまだまだいけると思っているのが危険かもしれない。

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