2011年9月29日木曜日

ノラは駐車場ねこ

毎日現れるノラはいまだに人に心を開かず、でも、しっかりとご飯は食べていく。1メートル圏内に寄ろうものなら、フーっと言って威嚇していたのがなくなったのが唯一の進歩。食べるのを見ていても大丈夫になったけれど、目の隅で私の動向を把握していて、立ち上がろうとすると斜に身構える。かわいそうに今までどれほど苛められてきたのだろう。体もがりがりだったのが少し毛艶もよくなってきた。さて、この冬をどうやって乗り越えさせるかが問題。駐車場の物置の裏にわずかなスペースがあるので、そこに小さい物置を置いてねこ小屋にしてあげようと思っているが、果たして入るかどうか。入ってもほかの猫が来た時に逃げ口がないといけないから、裏にも出入りの穴をあけておこうなんて、いろいろ心配事だらけ。一番いいのは捕まえて綺麗にして、貰い手を探すこと。でも、この様子では、手を出したら引っかかれてギザギザに傷ができそうだから、とうてい無理な話のようだ。長年ノラをやってしまうと、人間が思っている以上に野生化していることが多い。うちのなっちゃんはノラのお母さんにそだてられたのに、すごく社交的で人に可愛がられる。でも、ご飯を食べているときには、ノラ丸出しになる。食器から食べ物を持ち出してかくれて食べたりするので、周りが汚れてこまっている。もう、うちに来てから10年以上もたつというのに。駐車場ノラは一度だけ私の後をついてきて、玄関下の階段まで来たことがあるけれど、決してそれ以上は上ってこなかった。いつになったら、私が怖いおばさんでないとわかってくれるのだろう。人間には怖くても、猫にはこの上なく優しいとわかってくれるのはいつの日になるか。

2011年9月28日水曜日

自転車やさんはどうしたの・

これでもう何日になるのかしら。自転車屋さんのシャッターは閉まったまま。病気であれば治るからいいけれど、もしや、暗い影が心をよぎる。ご夫婦お二人ともめっきり老けてしまったなあ。最後に会った時の印象だった。おそらく私が買った自転車があそこのうちで売れた最後の自転車だったでしょう。でも、ご主人は「いつでも空気を入れてあげるから来てくださいね」と言っていたのだから、その時点ではお元気だったはず。きれいなおくさんの方が具合がわるいのかな。毎日今日は開いているかと店の前を通るのだが、今日は見慣れぬ人が2人、店の横の入り口の鍵を取り出していたようだ。やはり、なにかあったのね。商店街から少し外れた横道にあって、古いままの店舗は私が知っている限りでは、改築することもなく、商品もまばらでは、どうしても駅のメインストリートにある大きな自転車屋さんや量販店にはかなわない。私みたいな物好きがふらりとママチャリを買うくらいで、本当にこじんまりとやっていた。まだ新しい自転車を買うのはよそう。再開したら一番最初のお客になってあげたいから。でも、不便だから一ヶ月が限度。早くよくなってください。

秋ばて

明後日のコンサートを控えて体調が悪く、どうやら風邪をひいてしまったらしい。いつもはコンサートに向けて緊張が高まるので、体調を崩すことはまずない。今年は珍しいなと思っていたら、今朝のテレビで、今年夏の節電のせいで、秋になってから体調を崩す人が続出しているという。私は特に節電と言うわけでもなく、もいつも通りあまりクーラーに頼らず過ごしていたけれど、知らず知らずのうちに疲れていたようだ。仕事が減ってきたと思ったら、同じ世代が皆ヒマになってきて、楽しく遊ぶことが多くなった。それも楽器で遊ぶのだから、やはりかなりの体力は使う。忙しくしているうちに、自分の年を忘れて没頭してしまう。体力は明らかに落ちているのに、さほど体を休めていなかったのが、疲れの原因かもしれない。先週あたりから、睡眠時間が必要以上に長くなってきた。私の場合、緊張すると眠くなる。しなくても眠くなる。やっかいな体質なのに、ふだんは眠りたくないばっかりに、理由をつけて起きている。睡眠をおもちゃにしているふうがある。今、逆襲されているようだ。昨日は医者にもらった薬、のどが腫れているので炎症を抑える薬、胃が荒れるのを防ぐ薬、咳止めを呑む。そして今朝まで約11時間、グッスリ寝てしまった。年をとると眠れなくなるのは、眠れるだけの体力がなくなるせいらしい。どこにそんな体力があったのかと思えるほどの長時間の睡眠。これも秋ばてのせい?そのうち永遠に眠れるのだから生きているうちに寝なくったっていいじゃない、という不埒な考えはそろそろおしまいにして規則正しい生活を・・・と思っただけでいや。毎日同じことの連続は退屈で。いつも何か変わったことが起きないかと期待している。但し、未曾有の大災害などはご遠慮したい。災害に遭った方たちがいまだに日常生活に戻れないことを考えると、なんとアホンダラな能天気者かと、お叱りをうけそうだけど。なにも起きない平和な日々が、どんなに幸せなことか、いい年して考えなさいよと、今天から母の声が聞こえてきたようだ。

2011年9月25日日曜日

エアコンがこわれた。

昨日生徒のレッスンをしていたら、なんだかやたら暑い。大きなおじさん生徒だったから、この人はすごい熱量なんだと思って我慢していた。耐えかねてエアコンの温度設定を下げにいくと、動いていないことに気が付いた。その生徒さんは石油関連の企業にお勤めらしく、器械の扱になれている。時々我が家のエアコンフィルターをお掃除してくださる。今回もたぶんフィルターが汚れているのかとお掃除をしてもらったけれど、何回リセットしてもクーラーは効かなくなっていた。本体の表示に0と6の数字が表れる。これはトラブルの原因を表示しているものと思われる。メーカーの故障受付に電話すると、どうやら室外機のトラブルらしいので、点検に来てもらうことにした。点検料がかかるというが、直るかもしれないから了解した。そして今朝メーカーから人が来て、ほとんど1分とかからないうちに診察結果が出た。室外機のコンプレッサーの故障です。0と6が出るのはそういうことで、直すと7万円かかります。では、点検料金3150円いただきます。ちょっと待って!なんだか判らないから点検にきてもらったのに、すでにそちらでわかっているなら点検する前に電話でそういってくれればいいのに。私のようにおバカさんが誤操作していないかどうか見にきたのかもしれないけれど、もうすでに何回もこれと思われることをやってから電話したのだから、いくら私でもこれは故障だと気がついている。それなら昨日のうちに家電店に行って、新しいものを届けてもらえば一日無駄にしないでいられたのに。点検料金も払わないでよかったのに。なんだか腑におちない。しかし、今年のあの暑いさなかの故障でなくて良かった。それにしても、今年はたて続けの故障続き。地震で家の外壁が落ちたのを筆頭に、テレビ、湯沸かし器、布団乾燥機、エアコン、その上自転車を2台盗まれ踏んだり蹴ったりだけど、ものが無くなることなどなんでもない。自分を失くすことの方がよほど心配で、そろそろ危ないぞ。

2011年9月24日土曜日

いよいよ危なくなってきた。

いちおう人並みの脳みそは持ち合わせているはずだった。ところが先日、次回のハリーポッターを読むレッスンの日がわからなくなった。携帯に予定を入れたはずが・・・ない。カレンダーにも書き込んで・・・ない。ノートの端に書いてあるかな?・・・ない。どうしよう。先生のルースさんにメールを送った。次回はいつでしたっけ?すると、なんだ、カレンダーに5日って書いてあるじゃない。どうして見逃したのかしら。さっそっくもう一度メールをする。5日でしたね?不審そうな返信が来た。あなたは5日のほうがいいの?確か11日に約束したはずだけど。5日は私は都合悪いからほかの日にしてください。あれ、よく見たら先月のカレンダー見ていた。もう終わったレッスンだった。11日?そうでしたっけ。それにしても最近携帯に入れても最後の確定をしないで、あとで見ても入っていないことがある。ほんとに危ないなあ。これからは、なにか方法を考えないといけない。少しパソコン周りのがらくたをかたずけるか。あれ、これはなに?折りたたんだ紙が一枚。開くと自分のカレンダーをコピーした物が出てきた。なんと、11日のところにちゃんと英語のレッスンが書き込んである。あまりにも忘れっぽいので前回のレッスンに、カレンダーごとコピーして持って行って書き込んだものだった。これなら大丈夫と思ったのに、それを忘れてしまうとは。これでルースさんの私に対する評価はずいぶん下落しちゃったなあ。ものすごく困ったような返信の次に断固とした返信。11日!
たとえパソコンでスケジュール管理をしたとしても、本人の脳みそがこれでは危うい。脳みそをパソコンと入れ替えられないものかしら。さっきニュースでニュートリノが光速より早く進むことが発見され、特殊相対性理論が危うくなってきているそうだけれど、そんなことより私の頭が危うくなってきている方がよほど重大な問題です。私にとっては。

2011年9月23日金曜日

眠りの森の・・・なに?

眠い。毎日いくらでも眠れる。さっき起きたばかりで、ご飯を食べて・・・もう、眠い。横になる。もう、寝てる。
私は元々はショートスリパー。日頃は4時間からせいぜい5時間くらいしか寝ない。寝るのがもったいなくて、どうせいつか永遠の眠りにつくのだから、今寝なくったていいじゃない、という屁理屈つけて起きている。なにをするのでもなく、起きているのが楽しいから。昼寝もめったにしたことがない。それなのに、この2,3日は起きている時間の方が少ない。かといって、病的なものでもないみたい。病気ならどんなときにも眠ってしまいそうだけど、起きていなくてはいけないときには、結構シャンとしていられるから、大丈夫そうだ。鏡を見ると、や、やばい!ただでさえぽっちゃり系の顔がむくんで、かぼちゃみたいになっている。この顔では王子様が来て、キスをしようとしてもひるんでしまいそう。結局起こしてもらえなかったりするかもしれない。むくんでいなければ大丈夫かと聞かれると返答にこまるけれど、世の中には「蓼食う虫も好き好き」ということもある。むくんでいなければ、もしかしたらド近眼の王子が勘違いする確率はないとは言えない。でも、今のブクブク状態ではいくら目が悪くてもねえ・・・。今年の夏は暑かった。それも湿気の多いいやな暑さで、そうとう体が参っていたようだ。少し涼しくなってこの体たらく。いつまで眠気が続くのか。今月末のコンサートまでに改善するのか。眠いままでフラフラ本番突入となるのか。いや、それもいいかもしれない。緊張しないうちに済んでしまったら、どんなにいいことか。でも、そんなことはありえないと思う。どんな本番でも緊張しなかったためしはない。だから今のうちに眠っておこうと体が勝手に決めたようだ。それなら思う存分寝てしまおう。かぼちゃがスイカになっても。

2011年9月21日水曜日

折り畳み自転車

私がブツブツ自転車について書いていたら、別のブログから折り畳み自転車のお勧めがあった。以前から折り畳み自転車を買おうとは思っていた。友人の別荘に一つ置かせてもらえば行った時に何かと便利だし、車のトランクに入れておけば旅先で乗れる。ルノーのとてもよさそうなものがあるので、10月になったらショップに行って試乗させてもらおう。ただ、買い物をして荷物を載せるなどの実用性はないから、もう一つそれ用と少しスポーティーなのも・・・あれやこれや、考えると3台はひつようになる。それは贅沢すぎるから、やはりママチャリになってしまうのかなあ。小さな50ccのバイクもいいなあ。などと言いながら結局実用性が先に立つ。今乗っている車を選ぶ時もそうだった。可愛いスポーティーなタイプを買うつもりでショップに行ったけれど、結局試乗しているうちに、もっとも無難な車になってしまった。先日友人のご主人が亡くなって、彼の車がぽつんとさびしげに車庫に残されていた。アルファロメオの二人乗りの素敵な車。彼が生前言っていたそうで、この車はとても癖があって乗りにくい。だけど、走らせていると気持ちがわくわくするんだよ、と。なるほど、そういうものなのか。この次車を買うとしたら、おそらく私にとっては最後の車になると思う。その時にはわくわくするような車にしよう。人もそう。少し扱いにくい人の方がいい。なんでも思い通りになるよりは、少し手こずる人の方が面白い。子供の頃ヴァイオリンとピアノを弾いていた。ピアノの先生がやっきになって私をピアニストにしたがったけれど、結局楽器のなかでも特に気難しいヴァイオリンを選んでしまったのは、そんな理由だったのかもしれない。

2011年9月20日火曜日

心配

古い自転車屋さん。先日自転車を盗まれて買ったばかりの自転車もすぐ盗まれた。いつも買っている小さな自転車やさんに行ってもう一度買おうと思っていたけれど、毎日見に行っているのにシャッターが閉まっている。たしか水曜日が定休日だから明日の水曜日にかけて連休しているのかもしれない。でも、シャッターには休業の張り紙もない。いくらお客さんが少ない店でも、定休日以外で休む時は、お知らせが書いてあると思うのに。つい先日私が新しい自転車を買った時、店にはほとんど商品らしいものもなく、ご主人も奥さんもずいぶん老けてしまったなと思っていた。もっとも、あちらも私を見てそう思ったかどうか、それはお互い様かもしれない。いつでも空気入れますから遠慮しないで来てください・・と言っていたから、閉店するわけはないと思う。よけいなお世話だけど、中で倒れていないかなどと心配している。駅のそばには立派な自転車屋さんがあって、前から欲しいと思っている格好のいいものもあるけれど、なんだかこの店で買わないと悪いような気がして、もうしばらく様子をみていようと思っている。この一ヶ月ほど、ひざの痛みがあって歩くのがつらい。買い物にも病院に行くにも、自転車はすごく行動範囲が広がって便利に使っている。川崎駅まで8キロくらいは楽器を背負って自転車で行ってしまう。危ない!しーんじられない・・・なんて言われてしまうのに。

2011年9月19日月曜日

悪夢が現実に

9月14日の記事「悪夢」投稿したとたんに現実となった。今朝カレンダーで確かめると今日は休み。やれやれ一日中グダグダして夕方には整体にでも行って、昨日の疲れを癒してもらおう。ベッドの上で施術されながら眠るのは至福の時。昼食を終えて、さて少しヴァイオリンを弾こうとしていたら、電話のベルが鳴った。どうせまたセールスだと思ったけれど、聞こえるのは聞き覚えのあるNさんの声。「ねえ、どうしたの?」えっ、今日?今日は何があったかしら。一瞬頭が真っ白になった。仕事に穴をあけたか。ああ、やってしまったか。「今日は開港記念館に行く日よ」あらま、でも、私のカレンダーには書いてない。「この間あなた携帯に入れたじゃない」し、しまったー。コンサートは2時からだから、その前に待ち合わせてお昼ご飯を一緒に食べる約束をしていたのだ。顔も洗っていないしパジャマのまんま。急いで行けばコンサートには間に合う。疑り深い私はなおも自分が間違えていないことを確かめようとカレンダーを探すと、確かに開港記念館という項目が10月10日に書いてある。もしやNさんのミスでは?でも、絶対にミスをしない人だから、やはり私が悪いのだろう。なおも、ホームページで調べたらやはり、今日だった。急いで顔をあらって出かける用意。こんな時化粧をしないですむのがありがたい。開演10分前頃会場に着くと、まあ、懐かしい顔、顔。私たちのいる一角がひと際華やいでいる。席はちゃんととっておいてくれたので、やれやれ。今日は古楽器のチェロとコントラバス、チェンバロの組み合わせで、なんとも心地よい音域と音色に、ぐっすり寝込んでしまって、周りの人をあきれさせた。だって、昨日の疲れが残っていたし、すごく気分のいい音なんだもの。それは悪夢とは程遠い、すてきな心地よさだった。

2011年9月18日日曜日

ハンサムな女性たち

午前中、今年音大に入った生徒がやってきた。チャイコフスキーのコンチェルトのさわりを聞いたら、受験前より着実に上手くなっていてうれしくなった。そして、受験時期のファッションと比べて一段とセンスがよくなって、顔もきれいになっている。いよいよ花開くときになったかと、うれしく思った。私が彼女くらいのとしごろには全くおシャレらしいおシャレもしなかった。いつもレインコートにゴム長はいていたような・・・実際はそうではなかったけれど、そんな感じのださい女子大生だった。学校は付属高校から、ものすごく派手な校風で、アイシャドウ、つけまつげなんていうすごいのもいた。大体声楽科の人だったけれど。スカートは当時の流行で目いっぱいペチコートでふくらませ、ヒールの高い靴を履く。そんな学生がいるかと思えば、私たちのようになんでもいいから着てりゃいいんでしょ・・みたいな生徒もいたし、それをだれも気にもしない自由な校風だったから、伸び伸び楽しい学生生活を送った。そして今日は母校の教授だった友人の門下生のコンサートに賛助出演した。曲は相変わらずベートーヴェン。卒業してそれぞれ社会に出て活躍している人たちの自由闊達なこと。生き生きと演奏している。全員本当に素晴らしいのね、と言ったら「先生が怖かったですから」と返事がかえってきた。へー、いつも私とへらへらしながら合わせているあの人が?そうか。先生としての顔はちゃんとしてるんだ。打ち上げに参加したけれど、美しい女性たちの飲みっぷりのいいこと。乱れず騒がず、楽しげにぐいぐい飲んでいる姿は、ほれぼれするほど恰好良い。しつけの良いうちに生まれるのは、それだけで人生の勝ち組になれると、つくずく思う。こんなきりっとしたハンサムな女性たちを沢山生徒に持っている友人がうらやましい。

2011年9月17日土曜日

今度はこれにしよう



昨日朝駅の駐輪場に行ったら満車。離れた駐輪場まで行く時間がない。それで駐輪場のわきの道に自転車を置いて電車に乗った。撤収の警告もないし大丈夫だと思っていたけれど、帰ってきたら新しく買ったばかりの自転車は消えていた。そのへんにはよく時間に間に合わなくておいて行ってしまう自転車があるから大丈夫だと思っていた。ほかの自転車は警告の張り紙だけなのに、私の自転車は持っていかれてしまったらしい。そりゃあ、おいて行った私が悪い。でも、ほかの自転車は警告だけなのに、どうして私のだけ持っていくの?ここの駐輪場はうまくとめればもっととめられるのに、うるさい管理人がいて皆いやな思いをしている。特に女性を見るとねちねちからんでくる典型的な小役人根性の男だから、新しくてきれいな自転車をねらったに違いない。早速近くの自転車やさんに行ったらお休み。今日から困るのに。今度はこんな楽しそうな自転車にしようかな。

2011年9月16日金曜日

訂正

昨日の記事で、送られてきたファイルが私のパソコンでは開けないと書きましたが、開けるそうです。ただ、私にやらせると何をしでかすかわからないので、手を貸してくださったようです。印刷するのも大騒ぎで失敗の連続。紙が3倍ほど無駄になりました。ああだこうだやっているうちに、なんだこんなことかとわかった時には、紙屍累々・・・いや・・・死紙累々、紙の山が足元にできていました。ヴァイオリンを弾くのは大変ではないけれど、こと器械類には全く手も足もでない。大体、あのマニュアルってやつが大の苦手。書いてある文字は日本語に見えるけれど、読んでもちんぷんかんぷんで、最後にはこれは日本語ではないということに気が付く。それとも私が日本人ではないのかもしれない。なに人かと言われれば、宇宙人、または宇宙猫人、ネコにとって器械類はじゃれて遊ぶ道具にすぎないのと一緒で、私にとってもただの箱だったりする。今涼しい顔してあたかもパソコンを自由に操っているように見えるのは、陰で苦労している人がいるからなのですよ。昨日ハリー・ポッターを読みに行って、イギリス人の先生にロンドンからのメールの返信を書いてもらった。それに対してまたロンドンからの返信があったけれど、先生がいないから返信できないでいる。最初の返信で私が英語ペラペラだと思われてしまっていたらどうしよう。本当にできないのです。困った!私ができることと言ったらなんだろうと考えた。食べる、楽器を弾く、愛する・・・なんだイタリア人と同じ。そのほかは、拗ねる、怒る、ひっかく、ああ、やっぱり猫なのだ。

2011年9月15日木曜日

ロンドンアンサンブル

去年聴きに行って感心しまくってこのブログにのせた、そのロンドンアンサンブルと共演できるとは、夢にも思わなかった。ツアー最後の小田原公演は、仕事の都合でヴァイオリン、ヴィオラが帰ってしまうので、そのエキストラというわけ。去年の印象は、楽器でこれほど対話のできるグループはいないと思って、本当にアンサンブルを楽しんで帰ってきた。しかも、あの難しい「ロメオとジュリエット」(プロコフィエフ)の戦いの場面の曲をヴァイオリンが神業のように弾いたのが忘れられない。オーケストラで大勢で弾いても恐ろしいパッセージを、一人で完璧に弾きおおせた。チェロは若き名手で、テクニックもさることながら、音の素晴らしさに魅了された。ほとほと感心していたら、ヴィオラでいかが?と問い合わせがあって、それはもう、二つ三つ返事で食らいついた。なんといっても自分よりはるかに上手い人たちと弾けるのは僥倖で、絶対引っ張っていってもらえると思うから、もう本当に楽しみに待っている。フルートのリチャード・スタッグ氏が編曲した「展覧会の絵」(ラヴェル・ムソルグスキー)がメインだそうで、今朝楽譜がメールに添付されて届いた。
ところが、ファイルの形式が違うため私のパソコンでは印刷できないことが判明、大慌てで陰のブレインのミスターパソコンにファイルをかえてもらって、やっと印刷終了。それも時々サイズがまちまちになって、そのままでは用紙からはみ出してしまうのを、サイズを変えるという、私にとってはほとんど不可能なことをやり遂げて足元を見たら、印刷を失敗した紙の山ができていた。それでも音符の大きさはまちまちながら一応楽譜は出来上がった。これでなんだかひと安心してしまった。いかんいかん、これからちゃんと練習しなければ。

2011年9月14日水曜日

悪夢

よく演奏会が始まっているのに会場に入れない・・とか、楽譜がない・・とか、電車が遅れている・・とか、いまだに悪夢をみる。でも、この頃は現実になってきた。あまり先のことは覚えていられないから、カレンダーは次の日の予定しか見ない。ところが下準備にたっぷり時間がかかることだと、前の日では間に合わないことがある。さすがにコンサートの予定は絶えず頭の隅にあるけれど、そのほかの、例えばカルテットの練習とか、生徒に楽譜を作ってあげなければいけないことなどは、前日気が付いてギャーとなる。明日はハリー・ポッターを読む日だったのに全く予習ができていないことに気が付いたのは昨日。しかし、昨日は来年の西湘フィルの演奏会に向けて指揮者、トレーナー、メンバーの会合があって本厚木まででかけなければならない。帰ってきたのは夜中。眠い。そして今朝は弓の毛の張替の予約があって、でかけなければならない。そんなこんなで、今日は午後からずっと辞書をひいていました。何回出てきても覚えられない単語だらけで、無駄な労力を使っている。子供向けの本と侮るなかれ。難しい。特に私は英語が好きだったわけでもないので、学生時代はテストで最低限の合格点をもらえるくらいの勉強しかしなかった。単語はほとんど辞書に頼ることになる。しかも会話部分のむずかしさと言ったら、ほんと手こずっている。今朝弓の毛替えをして、見違えるほど状態が良くなったので、上機嫌ではあるけれど、コンサートが一つ来週頭にあることに気がついてぎょっとした。もう少し余裕があるつもりだったのに、すぐじゃないの。最近は現実と悪夢の区別がつかなくなってきた。とにかく明日の英語の準備はなんとか間に合った。こうやっているうちに「あら、今日コンサートの本番だわ」なんて慌てふためくことがないように祈るばかり。そのうち「あら、昨日だったわ」なんてなったらもうお終いだね。それもそう遠くはないかも・・・。

2011年9月11日日曜日

カルテット

荻窪に知り合いが多くて、このところ頻繁に通っている。それで、毎週のように環八をドライブする。今日は歯科医師のH先生のお宅へ。先生は今年82歳。アマチュアながらチェロの名手で、その筋の有名人。名器ゴフリラと名弓ペガットを所有している。楽器は先生の師匠でもある某国際的チェリストも羨むほどで、火事が起きたらうちはほっといて楽器だけ持って逃げると宣言している。奥さんもこんなわがままな人と結婚して、大変だったと思うけれど仲はとても良い。私が最近ヒマだと聞きつけて、早速カルテットのお誘いを受けた。元東フィルのメンバーがセカンドヴァイオリン、元音大教授がヴィオラ、私がファーストヴァイオリンで、毎月一回集まる。驚くことにH先生の腕はお歳にも関わらず、衰えていない。聞けばご自分の師匠のところへ足繁くレッスンに通っていて、その師匠も熱心にみてくださるそうなのだ。若い音大生に見られながら受けるレッスンは気恥ずかしくていやだと言いながら、師匠が2時間余りも教えてくださることに大変感謝している。私たちのカルテットの曲目は、小手調べにハイドン、メインはドヴォルザークの作品105。もう何回も合わせているのに、とても難しくて、なかなかうまくいかない。本番でもあればその日を目指すが、なにもなければやはりのんびりやってしまう。月一でも何回か弾いていると、楽器の組み合わせや和音の響きなどが良くわかってくる。私はアマチュアの方たちのおさそいでも、ある程度の水準以上なら気軽に応じることにしている。曲を知る上のもってこいのチャンスだから。しかもアマチュアの中でも飛びぬけて上手いこの方なら、こちらの知らないことまでご存じで逆に教えられることも多い。いざ仕事で同じ曲を頼まれたらラッキー。隅々までわかっていると、本番の怖さは半減する。知らない曲をハラハラしながら手探りで弾く恐怖は、知らない道を猛スピードでドライブするようなもの。知っていれば、どこに障害物があり、どこに急カーブがあるとわかって運転しているのと同じだから、その手前で減速するとか、迂回するとか手だてを講じられる。そんなことでH先生にはずいぶんお世話になりました。「この頃やっと音が良く出るようになったよ」とおっしゃる。いやはや、本当に恐れ入りました。

発表会

昨日は音楽教室の発表会だった。護国寺の同仁教会で、今年は例年より少なめのだったけれど、それでも個人、グループ合わせて40組余りの参加者があった。それをピアノ2名、弦楽器の教師4名で伴奏をつけていく。圧巻はチャイコフスキー、メンデルスゾーンの協奏曲を弾いた男女二人の生徒。オーケストラは無理だけど、弦楽器、フルート、クラリネット、ピアノの先生たちで豪華に伴奏して、大喝采を受けていた。この二人は非常に仲がいい。大学のスキークラブで競い合っていたという。それがそのまま、今度はヴァイオリンで張り合って、お互いによきライバルとして認めあっている。ヴァイオリンの教師が3人いるので、私はヴィオラで伴奏に回った。今年はじめ、私の生徒を友人に預け、私は引退して猫を釣って暮らそうと思っていたら、もう一人の先生が体調を崩し、私はその人が戻るまで生徒を預かることになった。それでまだ発表会もお付き合いしている。ヴィオラが好きでヴィオラ弾きになりたかったので、時々ヴィオラを弾くのは悪くない。ただ、毎日弾くとなると、体への負担が多すぎて腰をいためてしまう。昨日は一日でも二日分くらい長時間だったから、ひどく疲れた。打ち上げが終わって帰る頃には、声がかすれてしまった。発表会は様々な人が出る。ほとんどが大人の一般社会の人だから、土日しか練習ができない人が多い。しかも大人になってから新しい技術を習得するのは、並大抵ではない。子供の頃からやっていて何かの事情で中断して、もう一度再チャレンジと言う人にはかなわない。だからレヴェルは種々雑多。それでも一歩ずつ上手くなっていくのを見るのは感動する。でも中にはレヴェルの低い人がどうしてもと言って身に余る曲を弾きたがることもある。そんなとき私は止めないで弾かせてみることにしている。たとえどんなに上手くなくても、かける情熱が違うから。たいてい本番は上手くいかないけれど、それで本人は少しずつ上手くなっていく。ところが、そのやり方を批判する人がいる。子供の頃から弾いているので自分は弾ける。基礎練習もちゃんとやっている。だから、他人もそうすべきである・・・。なにをかいわんや。自分だけさっさとおやりなさい。他人のことはほっときなさい。この教室はの最初の理想は「おじさんたちのオアシス」だったはず。仕事に疲れた人たちが、ここへきてホッとできる空間を作ろうというのがねらいだった。がつがつしない人がいたっていいじゃないの。どのような姿勢でも受け入れたい。むしろ、ゆったりと音楽を楽しむ風潮がなくなって、私はとても残念に思っている。上手くなるひとは偉い。でも上手くなくてもいいじゃないですか。そう思いませんか?

2011年9月10日土曜日

拍手



ああ、やっととれた。

2011年9月9日金曜日

今日もよれよれ

ピアニストの集まり「弾く会」例会。今日も大曲がそろって、フランク、バッハ、ショパン、3人のピアニストの華々しい協演を堪能させてもらった。今日は府中市にある、とある豪邸。持ち主の私の同級生のNさんは、それは数奇な運命の持ち主で、大変な苦労をしたのに顔に少しも現さず、いつも美貌を誇っている。今日私とデュエットを付き合ってくれたのは、お馴染みFUMIKOさん。彼女はいつも飛びぬけてファッショナブルなので、美容の話に花が咲く。とくにNさんは美しいうえにもっと美しくなりたいという人だから、熱心にFUMIKOさんに質問している。まつ毛の美容液が流行っていて、それをつけたFUMIKOさんのまつ毛がどんどん濃くなって、目の大きさまで違って見えるので、皆興味深々。私も初めのうちこそ毎日塗っていたけれど、生来の無精者、飽きてしまって中々まつ毛は伸びない。美しくなるためには性格から改善しないといけない。歳のせいだと思ってあきらめていたら、Nさんは一ヶ月で長くなってきたという。努力する人は強い!そう、その努力する性格こそが良い音楽家の第一条件。あー、私は失格だあ。今日も弾きながら、朝起きてからまだ一度も弾いていないことを悔いていた。場所がうちからは遠いので、早く出なければならない。それで気忙しくて練習もせずに出てしまう。朝一急に弾くと自分はもとより、楽器も起きていない。「な、な、なんだよう。いきなり」ってなことを言って・・・言わないか、持ち主と違って品のいい楽器だから・・・すべてが空回り。ピアニストの批評は「時々、アッとか、エヘへとか言わないで弾きなさい」

2011年9月8日木曜日

白目が青い人は

子供の頃から目の白い部分が青みがかっていた。その上縮毛で色が白い(かつては)と聞くと西洋人ではないかと思われるでしょうが、れっきとしたモンゴロイド。鼻が低い、手足が短い、胴が長い。ほらね、やっぱり。白目の部分が青いのはべつにこの年まで(自慢じゃないけど、尻尾が7本になるくらい生きている)気にしたこともなかった。ところが先日ネットで見つけた。青いのは病気ではないかと心配する人がいるらしい。私は今まで無事に視力もよかったから、青いのは病気ではないでしょう。赤ちゃんの目は青いじゃないですか。病気なら赤ちゃんは皆病気ということになる。調べてみたら、白目の部分を強膜といって、その膜が薄いと下の血管が透けて青く見えるらしい。ふーん、顔(面)の皮は厚いのに、と今チッラと思ったあなた、・・メッ!その上余計なことに、強膜が青い人は性格が子供っぽいと書いてある。ふん、子供っぽくて悪かったわねえ。ぽいじゃなくて子供なの。こどもから一歩も成長していないのよ。本当に小学校まではどちらかと言うと「おませ」で、6年生までには世界の名作と言われる小説はバリバリ読破していた。その後停滞気味。ドストエーフスキーの「罪と罰」なんかもその頃読んで、えらく感激した。30歳くらいの時に、子供にあんな難しい小説がわかるわけはない、なにかの勘違いだったに違いないと思って読み返してみたら、その時の感動がそのまま蘇って、ああ、やはりわかっていたのだと我ながら驚愕した。面の皮が厚いで思い出した。前にも書いたけれど、私のヴァイオリンの先生が「私は指の皮が薄くて」と嘆くから「ぜーんぶ顔に引っ張られていっちゃったんですね」と言ったらすごく怒られた。すみません先生、数々の暴言を吐いて。本当にかわいがってくださっているのに。ゆるしてください、まだ子供なんですから。

2011年9月6日火曜日

PASSACAGLIA by HANDEL

ヴァイオリンとヴィオラのためのパッサカリア。台風の余波が少し残っている午後、美女が一人棺桶を背負って・・・あわわ・・・そんなこと言ったら烈火のごとく怒るでしょう。でも、ネットで見つけられるヴィオラジョークにはこう書いてある。
棺桶とヴィオラの違いは?
棺桶は中に死んだ人が入っている。(その程度の違いしかないという意味?)
ヴィオラジョークはヴィオリストが自虐的にヴィオラとヴィオラ奏者をジョークにしている。もっともヴィオラだけでなくヴァイオリンもチェロもコントラバスも金管、木管、ハープなどほかの楽器のジョークもある。こんなのもある。
ヴァイオリンとヴィオラの違いは?
ヴィオラのほうが長く燃える。ヴィオラケースにはビールがたくさん入る等々。
およそ楽器を弾く人なら怖気をふるうジョークの数々。これ書いているときりがないからこの辺で。あとはネットで見つけてください。
今日はFUMIKOさんとパッサカリアその他を合わせる日。金曜日に毎月ある「弾く会」ピアニストの集まりにちゃっかりと入れてもらって、弾いている。FUMIKOさんはこの夏、八面六臂の活躍で、ついに左手の腱をいためてしまったらしい。テープでグルグル巻きにされた左腕が痛々しい。ところが弾き始めたら故障もなんのその、この一ヶ月の充実した演奏活動によって培われた技術がさく裂。思わずたじたじとなる。うーむ、お主やるのお。しかし、私はあまりにもさらわなければいけない曲が多すぎて、この難しいパッサカリアはいまだ未完成。シューベルトでもないのに。あはは、ジョークジョーク。

台風の置き土産

以前我が家の前を流れる川は毎年のように氾濫して、この辺の住宅は床上浸水で、台風一過の次の日はそこここに畳が干されていた。私の生家は今のうちから3分くらいのところにあって、先祖代々この辺のボスだった関係で、一段と高くなっていた。そのため、水害が起きるとボートで避難してくる人がいるくらいで、我が家は避難所として使われていた。災害に遭った方たちには申し訳ないけれど、そういう時、なんて礼儀知らずな人たちだろうと思ったことがある。我が物顔に人のうちを覗きまわる。差し入れられた毛布を一人一枚の制限にもかかわらず、何枚も持って行ってしまう人や、炊き出しに文句つける人もいたらしい。その頃私は学齢前か小学校低学年だったから、陰で近所の人たちがひそひそ言っているのを聞いていただけのことで、実際自分が立ち会ってはいなかったけれど、戦後のまだ貧しいころだったから、今の人たちとはずいぶん違うようだった。物も食料も今のように潤沢ではなかったから、そんなことがあっても仕方がなかったと今なら思える。私の父は超お人よしだった。雨が降って川の水かさが増すと隣近所から電話がかかってきて、見回りに合羽を着て飛び出していく。うちは消防署じゃないって断ればいいのにと、いつも子供心に思っていた。その後川は大きな大きな土管が下を通って雨水を流すようになったため、ピタリと氾濫しなくなった。それも「想定外」の雨量があったらどこまで役に立つかはわからない。その貯められた雨水がマンホールから噴水のように噴出さないように祈るばかり。昨日東横線の窓から多摩川を見たら、ずいぶん水位があがっていた。河原で暮らしている人たちは大丈夫だろうか。そんなとき彼らはどうするのだろうか。避難させてくれる施設があるのだろうか。

2011年9月5日月曜日

大型台風

ノロノロとジョギングくらいの速さで北上する台風。和歌山は水浸し。気の毒に、何人もの人たちが亡くなったり行方不明だったりしている。風光明媚なところは山あり谷あり川が流れ、自然がいっぱい。そのぶん危険もいっぱい。裏山が突然崩れ落ちるような危険であるからこそ、美しく静かなのだろう。東は地震でやられ、西は台風が居座って大きな災害をもたらす。今年の日本はなにかに憑りつかれたかのように災害が続く。すべてが記録破りの災害が。台風の進路を示す地図がテレビに映し出されると、ほっそりした列島のなんと弱々しげな姿。災害と経済のダブルパンチを受けて、いまにも海中に沈むのではないかと思ってしまう。かわいそうな日本人は健気に「負けないもん」と頑張っているけれど、あんまり頑張らなくてもいいのではないかしら?頑張ると隣国などと争いが起きる。争いを避けるのがはたしていいことかどうかはさて置き、今の段階で争いは絶対に起きない方が良い。今は根本から日本の体力作りに全力を注ぐのが、最優先でないと。ドジョウが出てきてどのくらい変わるかわからないけれど、民主党さんに頑張ってもらわないと。民主党が好きなわけではない。でも、15年も続いた自民党が滅茶苦茶にした日本を、何とかしてほしいだけ。滅茶苦茶にしておいて民主党の悪口言うなら、さっさと政権取り戻して、とっとと働いてください、自民さん。絶対に期待できないけれど。庶民はその働きに一票を投じるのだから。

2011年9月4日日曜日

ヴィオラ弾きになる

音楽教室の発表会を今週末に控えて、リハーサルを行った。この教室はピアノ伴奏だけでなく、希望すれば弦楽器や管楽器のミニオーケストラ伴奏もできるように、教師陣は現役の演奏家がそろっている。今日の一番の花形はチャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を弾く二人の生徒。二人とも頑張って去年よりも数段上手くなってくれた。贅沢に弦楽器と木管楽器、それに足りないパートはピアノで補うという変則的なオーケストラではあるけれど、一応オーケストラらしい音で伴奏できた。やはり相当緊張するらしく、いつもとても上手い男性の生徒が、珍しく音をはずす。それに比べてメンデルスゾーンを弾く女性は伸び伸びとしている。本番でどうでるかはわからないけれど、女性は強いのかな。教師である私の方がドキドキして伴奏していた。今回私はヴィオラを担当する。ヴァイオリンの教師が3人いるので、一人がヴィオラに回れば、エキストラを頼む費用が浮くので、経費節約のため。と言っても、小柄な私には大きいヴィオラはこたえる。いつもはヴァイオリンを弾いているので、楽器自体が中々鳴ってこない。毎年ヴィオラは外部から来てもらっていたけれど、諸般の事情で今年は私が弾く羽目になった。それでも、年末に毎年イギリスから日本公演にやってくる「ロンドンアンサンブル」にヴィオラで賛助出演することになったので、これは大変助かるというもの。楽器にさわっていられるし、アルト記号に馴れなければいけないし、チャンスだと思っている。ヴァイオリンはト音記号、ヴィオラはハ音記号とト音記号が両方出てくる楽譜を見るから、馴れないととんでもないことになる。でも、ヴィオラが好きだから私にはそういうことは苦にならない。普段思いっきり無精な癖に、そういう面倒なことを面白がってできる。これが肝心なところで、面白くないことは一切したくないのに、面白いと夢中になる。私が半猫人間たる所以である。

2011年9月3日土曜日

誕生日の贈り物

今朝誕生祝がどっさり届いた。でも、私は4月生まれ。お祝いしてくれたのは美智子さん。プレゼント用意しておいたのにどこにしまったのか忘れて・・・・と連絡が入ったのが数か月前。そして今朝思いがけなく、見つかりましたと言って、まあ、出てくるは、出てくるは、沢山のプレゼント。その中にあったのがこの「猫の教科書」だった。これは猫の視点から見た猫の魅力を書いたもので、本当に猫好きでないと書けないし、猫を飼ったことがなければ、こうまでよくわかるものではないと思う。非常に皮肉な人間批判もあって、一味違う猫もの、終始ネコがいかに快適に生活できるかを猫の目からとらえている。出だしから意表を衝くのは、これが猫の手によってタイプライターで書かれているという設定。わけのわからない原稿を手にいれた編集者がポール・ギャリコに相談して、その暗号のような文章を解き明かしていくと、驚くべきことにそれは猫が書いたものでだった。ホフマンの「雄猫ムルの人生観」とか漱石の「吾輩は猫である」とかあるけれど、それらは猫から見た人間社会または文明批判などだけれど、これは猫がいかに立ち回って快適な生活をゲットするか、という徹底的に猫中心、ネコの立場にしか立っていない。人間は虚栄心に弱い。そこを攻めれば上手く飼ってもらえて、しかも猫の言いなりに人間を教育することができるなど、納得のいくことが多い。ふーむ、こうやってうちの猫共も私を丸め込んだのか。

バリトン・バス

今日は仕事でよく一緒に旅をしていたコーラスのY子さんのお誘いで、浜離宮朝日ホールへ出かけた。長月シンフォニエッタというアマチュアの室内オーケストラの第一回目のコンサート。そこにゲストとして日本の代表的なバリトンバス歌手、鹿野 由之氏がゲストで歌うというので、オペラ大好きな私は楽しみにしていた。「フィガロ」の序曲が始まった。中々の出来栄え。プロオーケストラにありがちな手馴れた演奏ではなく、みずみずしくいかにもうれしげに弾くメンバーに好意を持った。そして、鹿野氏のバルトロのアリア、フィガロのアリアと続いた。声量も押し出しも立派でオペラ歌手としての貫録は生まれながらのものとみた。そして、大好きな魔笛のザラストロのアリア、これは本当に低い声で歌うので、たぶんバス歌手泣かせのものだと思う。歌い終わったところで隣のY子さんに「低くて大変でしょうね」と言ったら、「男性は年をとると低い声が出にくくなるんですって。女性は高い声が出にくくなるから、中性化していくのね」なるほど。そこで笑ったら、思いがけないほど会場に響いてビックリ。音響の良い会場だけれど、客席までこんなに響くとは。後半のベートーヴェンのシンフォニー1番も大好きなので、今日は好物を片っ端から食べたみたいに満足。最近のアマチュアオーケストラはとてもレベルが高くなってきている。ただ、歌と合わせた時に微妙なバランスが取れないのは気になった。もっとも、そこまでやられると、私たちプロの出る幕がなくなるから、このくらいで十分にしておいていただきたい。

2011年9月2日金曜日

クロイツェルソナタ

大型台風が西日本を、じりじりする位遅い速度で北上している。ここ2日間何となくドヨーンとした空気が体にまとわりつくようで気持ちが悪い。クーラーの効いた室内から外へ出るとネバッとした大気に取り囲まれる。日本はすでに亜熱帯になったらしい。この分では、暑さに弱い私は、遠からずして北に引っ越さないとダメになるかもしれない。とにかく、夏中使い物にならないほどだるい。だのに、このところ私の楽器はよく鳴る。日本の風土になれたのか、あまりに遠い昔のことだから、生まれ故郷のイタリアをわすれてしまったのか。楽器が鳴ってくれるから、人間の方はあまり力まないで毎日ひたすら練習している。昨日はヴィオラのFUMIKOさんとみっちりDUOを、今日は「弾く会」のメンバーであり、長年お付き合いいただいているピアニストが来てくれて、又もやベートーヴェンの「ソナタ8番」を合わせた。もう、何回めになるかわからないほど合わせていて、本番もやっているのに、いまだに合わせている。あと2回、人前で弾く予定。これだけ時間をかけると、テンポッも緩急自在、相手の言いたいこともわかってきて、どんなに回を重ねても飽きることはない。この「8番」は短い中にも内容がぎっしり詰まっていて、しかもベートーヴェンにしては明るく優雅である。私などはスケールが小さい人間だから、このくらいの曲が限界と思っているけれど、次はなにを合わせる?と訊いたら「クロイツェル」と言う。ゲゲッ大曲!何回か弾いているが「クロイツェル」はいつも体力を消耗する。それでも本当に名曲だからみっちりとやりたい。2、3、4、5、8番、そして9番の「クロイツェル」を弾けば半分以上弾いたことになる。あと少し。一歩ずつゆっくりと楽しむつもりで、10月からの楽しみがまた一つ増えた。早く秋が深まって寒い季節になってほしい。トルストイの小説に「クロイツェルソナタ」というのがあったけ。読書の秋にまた読み直してみよう。