早くオリンピックが終わってくれないと私の涙腺は緩みっぱなし。若者が健気で嬉しい半分心配でもある。
用具や技術の向上でとんでもない記録が叩き出され、しかもなお向上の一途を辿っているのが人間の限界とどう向き合うのか。一秒でも早く、一瞬でも勝敗を分ける。もう「そのへんでおやめよ」と言いたくなる。特にスノーボードはコンクリートよりも硬いと言われれるバーンで転んだら生死を分けるほどのダメージと思える。見ていてハラハラするのに若者は果敢に挑む姿。それを見るとハラハラしながらもうまくいけば[でかした!]と 叫びたくなる。
冬のスポーツは私自身がスキー狂だったことからなおさらのこと。気持ちはよく分かる。でも私にはヴァイオリンを弾くという仕事があったから、決して怪我をしてはいけないという歯止めがあって、ついに終結に至った今でも健康な無傷な体でいる。けれどアスリートとして競技をした人たちの体はどうなんだろうかと心配している。
彼らはそこまで頑張らないと人々に感動を与えることは出来ないかも知れない。本人も納得できないのでしょう。極めるということは命がけだから。なぜ人は競争したいのか。それは自分のためでもあり、自分の大好きな人のため、家族や友人たちのため?人の性(さが)かもしれない。人が人であることのあかしかも。
そしてそれを見て私たちが感動するのも確かなことで、毎日涙腺崩壊。やれやれ。この生活が終わるのはいつのこと?私たちはもう仕事もほとんどないし、昼中寝ていようと思えばそうできるけれど、仕事をしながら毎日オリンピックの応援をするのは少し辛い。お務めの方々は願わくば、会社で居眠りをして給料の査定に響かないように、上手く居眠りしてください。
居眠りといえば、ある高名なピアノの先生の話。私の友人がその方のお弟子さんだったので、ある時質問してみた。「先生はレッスンのとき、どんなことを注意なさるの?」すると「先生はいつも寝てらっしゃるわ。」私はびっくりしてそんな馬鹿な!と思った。その方のレッスン代は、すごく以前のことだけど、すごく高いと聞いた。どうしてそんな無駄なレッスンに行くのか不思議だったけれど、その先生の門下生であるという肩書が欲しくて通うらしい。
本当に無駄なお金と時間だなあ。でも自分がリサイタルなどで経歴にその先生の門下生であると書けば、ちょっとした素晴らしい演奏家であると勘違いする人もいるらしい。その経歴が欲しくて通う。音楽はコンクール以外では点数はつかない。コンクールだって自分の生徒以外の人には点数を辛くしても非難されない、たいていそういうものだと思っている人が多いから。だからといって聞けばわかるのだから恥を知っている人はあまりできないのだと思いたい。
だからといって音楽の世界が甘いものだと思われては困る。本当のところは皆が聴けばわかるから、ズルはしないけれど、やはり高名な先生に師事したという経歴は誇らしいのだと思う。何らかのメリットがなければ虚しいばかりだもの。
先生といえば私の師事した先生はズケズケ言う方だった。演奏会場でばったりお目にかかったら随分昔の話になった「私がラヴェルのソナタを彈いたときに先生に笑われたんですよ。覚えていらっしゃいます?」と言うと先生はカラカラと笑って「ああ、あれは酷かったわねえ」人混みの中で大きな声でまた笑われた。先生、演奏会場で周りは演奏家か音大生ばかり、その中で大笑いするなんて、なんてことを。
先生!次回から私の演奏を聴くときは居眠りしてください。と、言いたいけれど、もう私の声の届かないところで安らかにおやすみになっている。