2026年3月4日水曜日

雨がやんだら

 今日は晴れて強風の一日、昨夜は夜通し猫が表に出たがって大騒ぎ。オス猫のグレちゃんはトラウマがあるらしい。きっと以前に、知らない間に家に閉じ込められて逃げられなくていじめられたのではないかと思う。私はずっとかわいがっているのにそれでも人間は信用できにゃいのだ。窓を締めてしまうと恐れて大騒ぎする。雨だろうと風だろうとお構い無しに逃げてゆく。ちょっとした音と温度の変化で窓が空いているかしまっているか感じ取る。この敏感さが彼を生き延びさせているのだ。

人間はこの寒さでまさか窓を開けっ放しで眠れないから、気が付かれないようにそっと閉める。餌を離れた場所においたりして。それでも途中で、ハッと気がつくと「あけろー!」と言って大騒ぎする。その時には温厚なグレは豹変してヤクザ猫になる。

幸い今朝は早くから晴れて夜中に出ていったグレもいつの間にか帰って来て澄まし顔で自分のタオルの上で毛づくろい。早朝出かけたのんちゃんが何処かで彼を見つけて「お兄ちゃん、もう開いたよ」なんて言うのだろう。二人揃ってあちこちでご飯をもらっているらしい。お陰でこの物価高の日々、猫の餌代が半分くらいで済むのはありがたい。

今朝、目が覚めると、片方の耳が痛い。これは心配。先週から鼻が腫れたような感覚があって耳が痛かった。病院の定休日だったので明日行こうと思っていたけれど、次の日は痛みが消えていた。それで診察も受けず放置したら、その後良くもならない悪くもならない状態。しかしちょうど一週間目にまた耳の痛みが始まった。

耳はヴァイオリン奏者の命。これはもう急いで病院へ。ところがものすごい混雑で1時間半も待たされた。先週、この病院のホームページを覗いたらひどい口コミを見つけた。医師の態度が悪いと言って、最後にヒステリックに「もう二度と行きません」と。そうかなあ、私はこの病院はとても気に入っているので不審に思った。これだけ患者さんが来るというのは信頼されているということでしょう。

要するに医師が雑談に応じてくれなかったいうだけのことのようだ。お世辞も言わないし必要以外のことは言わない。まさに私が気に入っているのはそこなんだけどなあ、色々な人がいるなあ。おかしかったのは先生を養護する熱烈な書き込みがその後2通あったこと。うちの先生を悪く言うなという常連さんのものらしい。

大体誰にも好かれることは不可能なんだから、先生は気にもとめないと思うけれど。無口な代わり、診察はとても早い。今日は稀に見る花粉の災害日だったらしいので混み合いが半端なかった。

私の耳は最近少し遠くなったかと思っていたら、あな、恥ずかしや!耳垢が溜まっていた。除去器具で吸い出したら、まあ!じっと自分のブツを見ていたら「まっすぐ向いて」と注意された。その後聴力検査を受けたら、問題なし。これで安心してヴァイオリンに戻れる。以前この医院で聴力を調べた記録があって、それがちょうど10年前。それと大差ない内容だから私の耳はまだ使えるらしい。良かった!















2026年3月3日火曜日

横倉の壁

昨日放送の「帰れマンデー」という テレビ番組は蔵王が舞台。今頃は樹氷で雪のモンスターをみたいというスキーヤーと観光客でさぞ賑やかなことでしょう。

今から約60年以上前、運動神経の持ち合わせがないのに大学の体育の授業の単位を取るために参加したスキー。初めてのスキー板は170センチもあって、ストックに至っては竹製で、ブーツは革靴で編み上げのもの。手袋は薄くてあっという間にびしょ濡れになってしまう。物のない時代、ヤッケも薄い綿入れという軽装備。

講習は大学の体育の教師が受け持つのだからひどいもので「まっすぐ滑ってこーい。止まりたかったら転べー」無茶苦茶な指導だった。幸い私が入った班は地元の若い指導員だった。それでも彼はヤッケも着ていなくて、赤いセーターで白いパンツ、格好いいけれど、すごく寒かっただろうに。体育の教師に教えられていた人たちは不満そうで、毎日私たちの班の人数が増えていく。みんな、こちらの班に来てしまった。

夜行列車でついたので午前から滑り始め午後には止まり方も覚えて、見様見真似で曲がり方も覚えた。若さとは偉大なもので、ほとんど怖いと思うこともない。小学生の頃は全く運動神経がないと思っていた自分が、案外とこのスポーツはあっているのではないかと目覚めた。

二日目には初めてリフトに乗った。高いところは超絶苦手のはずが不思議と怖くない。大平コースを無茶苦茶だけど、降りてきた。しかも途中で段差があってもジャンプしながら爽快感を味わった。よほどこの遊びが気に入ったと見える。大平コースの最後は木の下にある穴にあたまからコケるという結果だったのに。

最初のスキーは蔵王だったのでその後10年以上は毎年蔵王で過ごした。けれど暖冬が続いた頃、雪質が極端に悪くなって、低いところにあるゲレンデはときには水浸しという悪条件が重なり、徐々に志賀高原に移動していった。定宿もできてその後定着してしまった。というわけで蔵王の雪景色を久しぶりに映像で眺め懐かしさでいっぱいになった。

蔵王ではロッジの家族とは親戚のような交流もあったし、また行きたいといつでも思っていたのに決まるのは志賀高原で、そこのホテルとも親戚みたいになって雪国の人たちは暖かかった。

蔵王は朝一番でロープウエイに乗っててっぺんまで上がってしまわないと混んで大変だった。ロープウエイの順番を取るのは至難の業、当時スキー人気が最盛期で1時間や2時間待つのは普通のことなので、朝食が終わるとタクシーでロープエイの乗り場まで行って順番取り。それで上に行くとほとんど人のいない真新しいゲレンデが独占できるのだ。

今日のテレビでも蔵王といえば樹氷という設定。タレントさんが軽装でマイナス11度の樹氷高原を、しかもてっぺんにあるお地蔵様のところまで行ってホワイトアウトに巻き込まれている。仕事とはいえ、危険じゃないのかな。やはり雪山ではちゃんとしたそれなりの服装をしないのはまずい。寒さとホワイトアウトに巻き込まれて、事によったら事故らないとも限らない。たくさんスタッフがいても皆動きやすい軽装でハラハラする。雪山を舐めるなよ。ちょっとでもゲレンデをそれたら、もう命がけだということを。

私の心残りは、蔵王といえば横倉の壁と呼ばれる有名な急斜面がある、そこをついにすべらなかったことなのだ。まだ若くて一番血気盛んな頃、二回ほど挑戦しようと思ったことがあった。それまでは急斜面と言っても35度くらいのゲレンデの途中にほんの少しだけ混じって出てくる斜面には経験がある。それもほんの短い間なら40度でも耐えられるけれど、横倉は特別。上から見てもほとんど斜面は見えないくらいの急角度。つれに「私も滑れるかしら」と聞いたら「行けば行けるよ」と無責任な答えがかえってきた。行くか行かないかだけで、やってみたらというから恐る恐る実行しようと思い、上まで行ったら雪不足でゲレンデは閉鎖されていた。その時のホッとしたこと。口では残念なんて言いながらお腹ではああ良かった。

次の年も上から覗こうと思ったらもう綱が張ってあって閉鎖、結局横倉の壁はすべらずじまい。その後、志賀高原に変更してしまったから。滑ったからと言ってどうということはないけれど、もしゲレンデが普通の状態ですべらなかったら、自分で臆病者と自分を罵ることになる。

一度、試しに志賀高原の急なコブ斜面を一人で降りたことがあった。これで今日はおしまいにしようと思っていたのに、夕暮れでもう誰もいないので、どんな不格好にでも降りられるからと最初のコブは乗り越えた。そして半分も行かないうちに雪溜まりに突っ込んで板が抜けなくなってしまった。妙に足がねじれた形で硬い雪に板を取られて抜けない。このまま抜くとペキッと骨が折れるかも。とにかく抜いてくれる人が来るまで待とう。

もう日が暮れて来て、誰も降りてこない。もう夕飯の時間だから、私が宿に帰らなかったら誰か来てくれるだろうと気楽に待っていたけれど、そのうち心配になってきた。なぜか夕飯が食べられないということばかり考えていた。その時一人降りてきた人がいたので叫んだけれど、その人も目一杯だったらしく聞こえなかったらしい。またしばらく待つと、降りてきた最後の人に声が届いた。

板を抜いてもらいゆるゆると降りていくと、その人は下から私が降りきるまで見ていてくれた。それなのに「これで夕飯に間に合った」ということばかりしか頭に浮かんでこない。どうも危機感が薄く、周りに迷惑かけたという反省がない。空腹は恐怖に勝る。

スキーのゲレンデは自然のままの地形だから、中級くらいのゲレンデでも一部分だけ急斜面のことも多い。その時にその一部分を滑りきってしまえばいいと思うから恐怖心はない。けれど、急斜面が長く続くと思うと足がすくむ。「行けば行ける」というのはそういうことなのだ。

以前ホワイトアウトのことを書いたことがある。その時の周囲の視界は足元しか見えなかった。コブ斜面であるとはわかっていたが、後で晴れたときに見たらコブの急斜面、いつもならそんな斜面にはいかないのに、見えないために滑る事ができた。笑ってしまう。「行けば行けるのよね」横倉の壁だって?恐怖心が行動を制限するのだ。




























2026年3月2日月曜日

ヴィルトゥオージ・ディ・ローマ

 「ローマの巨匠たち」この合奏団の演奏は、私は中学生か高校生のときに聴いた。横浜県立音楽堂しか近くにめぼしいコンサートホールもない時代だった。何を聞いたかはあまり覚えていないけれど、トップはフェリックス・アーヨ。生まれて初めてきいた素晴らしい弦楽合奏の音に魅せられたのが私の運命を決めた。

その時のプログラムで知ったのはアーヨがいかにいたずらかということで、周りを悩ましていたという。これもおぼろげな記憶だから、またお叱りをうけそうだけれど、となりにいる人は、いつの間にか靴紐を左右結ばてしまうとか、椅子の脚に繋がれてしまうとか、様々ないたずらを受けたらしい。それって危険だなあ、と子供心に思った。楽器持っている時にはまさかやらないでしょうね?

へえ、ヴァイオリン弾く人は変な人たちだなあなんて。その後私がヴァイオリン弾きの端くれとなってよくわかった。ヴァイオリン奏者はいつも緊張している。奏法が飛び抜けて難しい。音程も幅が狭く、正しく演奏するには常に緊張する。練習時間も飛び抜けて長い時間を要する。半分気が狂った状態で何かあれば膨らんだ風船を針で突いたときのように、破裂する。もうみんな破裂寸前。常にハイになっているから、ハチャメチャやりたくなる。わかるわかる、私も随分いたずらして叱られていたもの。

オーケストラに入った頃、先輩にいたずら小僧がいて、自分の楽器を椅子においたまま席を離れ、戻って来るとすっかり調弦が変わっているとか、調弦だけならいいけれど、弦が張り替えられていたり、鉛筆の芯がゴムでできていて書けないものにすり替わっていたり。弓の根本にネジがあって、外せるようになっている。そこを外すと弓の本体の木と馬の毛が2つに分かれる。その馬の毛をひとネジリしてネジをもとに戻し、なに食わぬ顔で獲物を待つ。なにもしらない持ち主は弾き始めると馬の毛がねじれているからまっすぐに弾けない。もう散々いじられたものだった。

今は皆楽器も弓も大変高額なものだからそんなことしたら訴えられるけど、その頃はまだ高額な楽器を持っていつのはごく限られた人だった。その後は他人の楽器に手を触れるような人はいなくなった。古き良き?時代の話。

一番やられたのは新人に楽譜を見せない。ある大先輩はご自身が暗譜しているから楽譜はいらないとばかり、裏返しにされてしまう。まだ覚えていない新人は諳譜では弾けないから泣くところだが、私は超人的な視力の良さで難なく切り抜けられた。両目視力が1・5だったので前の席の楽譜が普通にみえたので。いくらやってもめげない私に今度は嫌味で色々言われたけれど、大家族で育った強み、何を言われてもどこ吹く風。それから何十年も経ってフリーになった頃、私は彼より立ち場が強くなってしまった。だから弱いものいじめはするなという教訓なのだ。

フェリックス・アーヨはイタリアの弦楽器を背負って立つ名手だったけれど、私はその時以来彼に会うことはできなかった。ある時パスクワーレ・ペレグリー二さんというアーヨのお弟子さんと「四季」を弾かせてもらうチャンスがあって、彼の持っていた楽器を譲ってもらったことがあった。ペレグリーニさんはその時はイ・ムジチのサブコンサートマスターだったけれど、日本で演奏会のあと明日成田を飛び立つという二日前、日本で彼の楽器を売りに出そうと思って持参したものが売れなかったので持ち帰るという。

ちょっと見せてもらったらあまりにも汚く鳴りも悪いけれど、かすかに芯のところに手応えがあるのを聞き取った。ガブリエリという名のしれた制作者、それまでフレンチの楽器を持っていたけれど、今ひとつ迫力のない自分の楽器にあきたらずでいたので興味が湧いた。しかもこういう事態だから言値は半分までに下がっていた。

一晩貸してもらえたら買うかもしれないと言って、彼を成田まで車で送るからその時に返事をする約束をした。彼は日本の食べ物が合わず「海苔、あのブラックペーパーは悪魔の食べ物だ」なんて喚いていた。食べ物が合わず体調不良で気の毒だったけれど、成田までのドライブは快調、一晩弾いて楽器はよくなるようになった。かれも体調が回復したようで商談成立。それから何年かガブリエリは下手くそな私に弾かれて嫌だったかもしれないけれど、音色の良さは評判が良かった。その後私は今の楽器に出会ってガブちゃんは下取りに出してしまった。今は新しい女性演奏者に渡ったというところまではわかっている。

ローマの看板に偽りあり、話がそれていってしまった。もしかしてローマの巨匠たちの話が聞けると思ったでしょう?でも、その思い出はあまりに若かったので記憶があまりないのよ。昨日聞いたベルリンの巨匠たちで、ちょっと思い出したので。しかし、昨日の演奏は心の内部に深く入りこみ、ローマ合奏団は輝かしい明るい響きに未来を見せられた、私の進路を決めるような音。どちらも私にとって運命の出会いでした。







2026年3月1日日曜日

7人のヴィルトゥオーゾたち

ベルリン・フィルのメンバーで構成されたアンサンブル。

ヴァイオリン 樫本大進 ロマーノ・トマシーニ  ヴィオラ アミハイ・グロス

チェロ クリストフ・イグルプリンク コントラバス エスコ・ライネ

クラリネット ヴェンツェル・フックス ファゴット シュテファン・ツヴァイゲルト


ベートーヴェン:クラリネットとファゴットのための二重奏曲第3番

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 ハ短調 作品9-3

ドヴォルザーク:弦楽五重奏のためのノクターン 作品40

ルーセル:ファゴットとコントラバスのための二重奏曲

ブラームス:クラリネット五重奏曲 作品115

友人にチケット購入を依頼してあったので、詳しいプログラムは知らなかった。待ち合わせてチケットを受け取っても会場に入るまでは曲目は知らない。この曲が聞きたいというよりもベルリン・フィルの人たちのアンサンブルというだけで、本当のことをいえば、トップが樫本だという事も知らなかった。ごく華奢なヴァイオリニストが大柄な他の奏者たちと素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれたと思ったので、途中で友人にトップは誰?と訊くと「樫本よ」というから驚いた。すごく華奢に見えたので。

樫本のリサイタルは毎年のように聞いていたし、でもあんなに痩せていたっけ?他の人が大柄だから痩せて見えたのかな?透き通るような美しい音。ガルネリ・デル・ジェスから宇宙の青い空間のような世界が広がる。

一番目のクラリネットとファゴットの二重奏曲の最初の音を聞いた途端、私はもう現世の人ではなく冥界に入ったような状態になった。深い瞑想に陥ってしまったような。深く深く降りてゆく、そして無重力の世界に浮遊しているような、ステージのたった一箇所に明るい空間があって。そこに自分が落ちてゆく。音が私を包む。なんと幸せな深い休息。

こんなに集中したのは人生で数回しかない。ポリーニのサントリーホールでの連続コンサート、ベルリンドイツオペラのパーカッションと日本の和太鼓とのコラボによるコンサート、ギターのラゴズニックとペーター・シュライヤーの冬の旅等。今まで聞いた数多いコンサートの中でもいつまでも心に残る音の世界がこっそりと私の中に住み着いてしまった。胸の奥に温かい隠れ家があってそこにひっそりと隠しておきたい。

いい音を聞くと本当に幸せ。最後のブラームスのなんと素晴らしかったことか。一つ一つの楽器が別々に聞こえるのではなくて、例えば繭の中にくるまれた共鳴体が振動しているような、文字では言い表せないからこの辺でやめておきます。

もう少しうまい表現ができるようになったらもう一度書いてみようかと思いますのであと百年後にまたお会いしましょう。




   

2026年2月27日金曜日

膝の痛みが消えました

ここ数年、膝の痛みに泣かされてきた。ベッドから起き上がるときは覚悟がいる。足を床につけるのが怖い。まず腰痛がないか確かめる。時々痛むのは仕方がないけれど、まずベッドに座って痛みの程度を確認してそろそろとスリッパに足を入れてゆっくり立ち上がる。

これを外側から見ればもう立派なポンコツ。そうねえ、もうすぐ82歳。元気だと思っていたけれど、故障があるのは仕方がない。まだ思いが断ち切れ ず毎日ヴァイオリンを弾くのは果たしていいことか悪いことかわからないけれど、他にすることもない。一人でいるのは決して嫌いじゃないけれど、いざというときに体が動かなければ助けがいるようになるのは嫌だなあ。

・・・と最近の状態が、今、すごい!どこも痛くない、に変わった。目覚めると腰は全く痛くないし、なんの心配もなくベッドに起き上がり、座って足をスリッパにいれるとためらいなく立ち上がる。すぐに足が前に出る。スタスタと歩ける。まさに奇跡!

一体何があったのか。大好きなスキーを滑ることもできなかったのに。一時的にかもしれないけれど、今は快癒の状態。体の一箇所だけでも、例えば指の先だけでも故障があると、体中のバランスが崩れる。痛みの感覚が常に行動を遮る。もしかしたら痛みを感じるセンサーが故障しているのかもしれないけれど、まずは、いつまで続くかわからないけれど、この状態を楽しみたい。。

しかし周りの人たちはそんな私を疑り深く警戒している。まだスキーはだめですよと。今やらなかったらもうチャンスはないかもしれないのに。ただし、今までの経験からいつどんなときにも警戒を怠らないと再発する可能性はあるけれど。ここで骨折でもしようものなら、寝たきりになるかもしれない。一番警戒しているのはこの私なのだ。

今年になってから思い切って整形外科の治療をやめた。心配だったけれど、診察とリハビリと受けてもシップ薬と痛み止めをもらうばかり。一生懸命スクワットを続け筋トレに励んでも一向に痛みが消えない。それでついに筋トレをやめて、以前友人から紹介された高周波の治療を受けてみようと思い立った。

最初のうちは一週間に一度、そのうち痛みがゆるゆると去っていった。もうこの辺で再発するのではと危惧しながらだましだまし歩いたりしているうちに一ヶ月後にはほぼ痛みが消えた。用心のためその後半月ですっかり痛みが消えた。今はゆっくりであるけれど、少し小走りができる。信号が変わるので急いで歩いたら両足が地面から離れて、自分でびっくりした。

これ言うとオカルトになるけれど、数週間前、夜中にぼんやりしていると眼の前をすっと黒いモヤが数回通り過ぎていった。私は少しだけ予知能力があるようで、こういう現象を見たときには誰かの訃報がその後一週間くらいで届くことになっている。あら、誰かしら?もう不思議でもない友人たちの訃報。でも知らせは来なかった。そして膝が治った。

嘘つき!と思われても仕方がないけれど、実際、そういうことは何回もあったから私は信じている。けれど、もしかしたら私を恨んで嫌っている人が亡くなったのかもしれない。その人の恨みが私の体を傷めていたのかもしれない。接点がないから死亡通知が届かなかったのかもしれないけれど、もしそのようなことだったらここ数年の足の痛みはその人の恨みだったのかもしれない。もしくはその誰かが私に対する関心を失ったとか。

時々不思議な体験をするので、最近では私も信じるようになっている現象なのだ。私の母が亡くなる前、病院に入院していた。母はなんとか持ちこたえてまもなく退院するという数日前、私に言った。「そこに誰かいるわ」明らかに病室の隅を指していた。見ても誰もいない。「誰もいないよ。廊下を通った人が見えたんじゃない」と私。「そうじゃない、そこにいるじゃない。ほら、見てご覧」

そして母は退院の直前に急になくなってしまった。母の自宅介護のために実家には電動ベッドや酸素吸入器が用意されていたのに。私に見えないものが見えていたと私は信じている。きっとご先祖様たちでしょう。母は大変記憶力が良くて、ご先祖様たちの話を聞かせてくれたものだった。さすが私の先祖は変わり者が多くてただでさえおかしいのに、うまく脚色して目の当たりに再現されるような話し方で大いに子どもたちに受けたものだった。

きっとそのうちの誰かと笑いながら、天国にいったと思う。戦争も体験して実生活は苦労の連続だったけれど、笑い上戸で楽しそうに笑っていた人だったから。








思い出した名前は

 前回の投稿で思い出せなかった天才ヴァイオリニストの名前は

ギドン・クレメルでした。天才的なテクニックの持ち主でピアノの天才アルゲリッチとコンビでエキサイティングな演奏を聞かせてくれた。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ2番の演奏なども他のプレイヤーとはかなり変わっていて立体的で面白く、鋭いアクセントの効果的な演奏だった。

この曲はフルートのソナタでもあり、私はピエール・ランパルの演奏も聞いたけれど、あまりおもしろいと思えなかった。フルート奏者の皆さんには申し訳ないけれど、ヴァイオリンで演奏するほうが表現の幅が広がると思う。重音を出せるフルーティストがいてもやはりヴァイオリンのような演奏は無理でしょう。ヴァイオリンの勝ちなんて、何を競争しているのか。

いかにもプロコフィエフの人柄を表しているような、いたずら好きで、人の意表をつくリズム感が面白い。私はクレメルの演奏を聞いてからこの曲を自分のレパートリーに加えたのだ。だらんと顎を落として口元が緩んでいるのは脱力のせい?逆にがっしりと力をいれているの?人柄も頭脳も非常に素晴らしいと周りの人たちの評判。本当にそのように見える。見た目地味なおじさん。

さて、私の睡眠障害は今のところ小康状態で、普通に3時間眠る、うたた寝を1時間くらい、という相変わらずのショートスリーパーながら普通に暮らせるレベル。時々たくさん眠って次の日は起きている。今の私にはどう眠ろうと勝手にできる時間もある。

リタイアした高齢者が夜眠れなくて困ると言う人がいるけれど、眠れなければ起きていれば?と言いたい。気にする必要はない。健康に悪いと言う人がいて、ちゃんと眠るようにという医者がいて困ったものだと思う。高齢者の生活は時間に縛られないということが最大の幸せなんだから。この年齢で一年二年の寿命の差は大したことではない。

眠くならなければ起きて読書でも体操でもすればいい。過去の思い出に浸るのもいい。火の用心と言って近所をパトロールしてもいい。

もう少し寒かった頃の夜中に、近所をパトロールしている人がいた。町内会で見回るのではなく、どうやら一人で自発的にやっているらしく、途切れ途切れにか細い声で「ひのようじん」と3回くらい言うともうおしまい。それも夜中の時間だし、疑り深い私は、もしかしたらご近所が起きているかどうか確かめる泥棒の見回りではないかと窓を開けて覗いたりしていた。

あれは何だったのだろうか。散歩なら火の用心の声は余計だし、空き巣に入ろうと言うなら声を出さずに黙って入ればいい。時々夜中には色々な音がする。一番音を出しているのがうちで、猫が表に行きたいから窓を開けてとか、入りたいから網戸を引っ掻いて合図を送ってるなど。時にはうちの野良たちが表で他所の猫と喧嘩を始めると、私が押取り刀で駆けつけて仲裁をするとか。寝間着の上にコートを引っ掛けて他所様には見せられない姿、文字通りの猫なで声で「グレちゃん、だめよ」なんて。

ご近所では「またあのひと、なんとかしてほしい。猫はいいけどあの人を捨ててほしい」などと言われているかもしれない。

ただ、私が思いがけない時間に起きているのは犯罪者には心外な出来事だと思う。けっこう用心深い私は、窓は二重の硬いがらすの窓に加えセコムのセンサー、部屋は侵入者があれば警報機がなる設定がなされている。お金もないし宝石類はまず見当たらないというのに、この用心。そう、私が宝石だから!と言えればいいけれど、それはもうポンコツのおばあさん。かわいい猫たちは勇猛なもと野良猫たち。逃れるすべは身についている。としたら、なんで私無駄なお金使ってこんなことをやっているのだろうと時々反省している。




















2026年2月20日金曜日

久しぶりのお座敷

お座敷とは・・・芸者さんたちが呼ばれて接客するようなときに使うけど。

私たちシニア五重奏団が呼ばれて遅めの新年会で演奏することになった。私はもはや 引退したと言っているから仕事とは言えないけれど、相変わらず出たがり屋だからお座敷に呼ばれれば尻尾振って出かけていく。とある市役所の中の新しい建物。市長さんもご出席だとか。

曲目はシューベルト「マス」の3,4楽章。長すぎてもいけないし、みじかすぎてもいけない。明るく聞きやすい楽章ということでその2つの楽章を選んだ。楽器の編成は、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五人。コントラバスが室内楽で使われるのは割に珍しい。普通のピアノ五重奏曲はコントラバスがなくてヴァイオリンが2本になる。なぜ私たちの演奏にはコントラバスが入るかというと、それは頼りになるコントラバス奏者がいるからで、とにかくあらゆる場面で彼女が、ひつようなのだ。

今まであまり知らなかったけれど、コンバスが入る五重奏曲は割とある。新しく曲も生まれているのでそんな曲を入れると立派なプログラムが出来上がる。その中でも「マス」は超有名で私たちのグループでは好んで演奏する。というより、その副題の爽やかな印象や曲の素晴らしさで、ピアノ五重奏曲の最も有名なものの一つがこの曲なのだ。

ところが演奏の難しさでもずば抜けていて、シニアにはちと辛い。聞いているのもシニア、演奏もシニア、たぶん耳の聞こえない人も多いから音程の多少のズレはあまり気にかからないだろうなどと思うけれど、油断は禁物、中にはどんな偉い人がいるかわからない。かつての名演奏家なども混じっていることも考えられる。この市には芸術の匂いが充満しているのだから。

本番二日前、私は久しぶりにブラームスのソナタのピアノ合わせをしていた。ブラームスのソナタといえば、ある有名なヴァイオリニストはザルツブルク音楽祭で一回も演奏したことがなかった、そして40歳過ぎてやっと演奏したという有名なエピソードがあった。

非常な名人で世界中で知られている彼は大変なテクニックの持ち主なので、そのザルツブルクでの演奏をラジオで聞いて少し戸惑った。なるほど、あまりブラームスはお得意ではないらしい。この方の名前がどうしても思い出せない。ほらあの、アルゲリッチとよく一緒に演奏していたあの人よ。浴室で転んでバスタブのヘリに頭をぶつけて以来、私は一層痴呆に拍車がかかってきたようだ。さっきから思い出そうと努力しているんですがねえ。

そして何の話をしていたかというと、ブラームスのソナタが非常に難しくてピアニストとああでもないこうでもないといっているうちにとても疲れてその日の夜は22時就寝、次の朝目覚めたらなんと10時30分、12時間30分も眠ったことになる。いつもの睡眠時間の倍以上。でもスッキリと目ざめてこれで明日は十分な体力で演奏ができると思ったら、その日は何時になっても眠気が来ない。いつまでもスッキリ、目も疲れない体もよく動く。

最初のうちは喜んでいたのだった。これなら多少寝不足でも大丈夫、明日の活力は確保と思っていたのに突然心配に襲われた。このまま一睡もしなかったら演奏どころか車の運転にも支障がでるかもしれない。起き上がっては横になったりトイレに行ったり白湯をのんだり、何をしても眠くならない。やっと明け方2時間ほど眠った。目が覚めたらまだ7時、出発予定の9時までの二度寝は危険、仕方ないから起きてしまう。そして出発。やはりあまり眠くない。

眠くはないけれど、この覚醒はいつまで保てるのか。本番で急激な睡魔に襲われたらどうしよう。しかしその日一日、いつもと大勢に全く影響なし。帰りの運転にも全く支障はなく無事帰宅。そしてまた今日は12時間睡眠。今夜は寝ないで騒いでいられるようだ。2日分寝て2日分起きているとすると、大事なコンサートの日時に合わせて睡眠のサイクルの調整をしないと、本番当日、ステージで居眠りしかねない。

古今亭志ん生が高座で居眠りをしたとき、お客さんが「ねかしといてやれ」といったという話がある。私もそうなったときには皆さんお願いしますね。