2026年5月17日日曜日

馬を飼う人

テレビを見ていたら、八戸で100歳を超えた女性が一人で競走馬の飼育をしているという 報道。

馬を飼うのは私の長年の夢だった。けれど根性無しの私はその夢はもう捨てていたのだ。もう夢でなにかできるような年齢ではないから。すべてを諦めヴァイオリンも諦めたつもりだったけれど、それは捨てきれず1年弱で復帰したのだった。体力がないとか、気持ちが集中しないとか、言い訳ばかり言ってぬくぬくと過ごすことになった。しかし、演奏会を開くことになって、そのぬるま湯はあっという間に熱湯になって、今は時々練習を持続できなくなり、1日練習したら次の日はサボるような状態が続く。

2日間の練習ですっかり疲れて今日は睡眠の日、昨夜11時半就寝、2時ころ目が覚めて、少し起きていたけれど、また寝てしまった。今日の目覚めは12時近く、その後もう一度昼寝、ほとんど丸一日寝ていた。そんな体力の無さで今更馬など飼うことはできない、と思っていたところに元気な馬主さんの報道。子供の頃から飼っている人だからできることかもしれない。

一時期馬が好きで馬に関する職業か飼育をしたいと本気で考えた時期があった。山を一山買って小型の木曽駒などを飼うつもりで、ほうぼう訪れたけれど、全くの素人だから何をどうしていいかわからない。そのうちヴァイオリンは周囲の人たちに助けられて順調に仕事を続けられた。これが私の本来の仕事だからと言い聞かせてきた。

けれど馬に取り憑かれた人の話を時々耳にすることがあって、夢は常に私にまとわりついている。去年だったか、中年すぎの女性が高知県で牧場を開いたことを知った。彼女は全くの素人なのに始めてしまったらしい。その勇気に恐れ入った。私にもできるかしら?時々夢の断片が脳みそにまとわりつく。一度、尋ねていこうかとも思っている。

馬を買うための土地探しは北軽井沢の家を買うことで一段落、もう夢は諦めて穏やかに暮らそう。でも最近少しずつ体力が戻ってきた。じわじわと確実に気持ちが明るくなってきた。様々な葛藤のあったここ数年はいまや過去のものとなった。単純に自分の体や脳みそを動かすことがどれほど健康に良いかということも実感している。さて八戸に行くだけの体力はあるだろうか。ひとまず秋のコンサートが終わったら行ってみよう。

音大を卒業する頃、私は動物の飼育に関する職業につきたいと思った。姉たちに相談した。彼女たちはもうおぼえていないと思うけれど私は「上野動物園に電話して飼育係になるにはどうしたらよいか訊いてみる」といった。すると二人の姉が口を揃えていった。「動物相手の職業はただ可愛がるだけではできないよ。もしかしたら殺さなければいけないことだってあるかもしれない」戦時中の育ちの姉たちは、戦争のために殺された動物たちのことを考えていたのだろうと、今では思える。私も戦争中の動物たちの悲惨な話に涙したこともあって、納得。

その頃私の就職はすでに音大の先生や周りの人達の考えで、決まっていたのだと思う。あっさりとオーケストラの入団が決まってその後の私の道となった。動物は好きというだけでは飼えない。命はそんなに軽くはないけれど、人間の命と動物の命との格差は歴然。くまさんだって生きていたいのに人間が優先になる。それを人間である自分は容認しないと生きられない。理不尽というか、自分が生きることが大前提で生きねばならない。

それなのにワザワザ戦争を始める馬鹿者たち、そのバカたちに人殺しの武器を売るという大馬鹿者たち。作り笑いが不気味な御婦人がいる。そんなエセ平和主義などクソくらえ。売るだけならいいの?それがもし、自分の家族や大事な人を傷つけるとわかっていても?国が違えば、その人達は人間ではないの?

地球は今、人たちの都合で動いている。いつの日にか、自然が人の都合を許さなくなって人が滅びるかもしれない。もうすぐそこに始まっているかもしれない。







病院あれこれ

連休中に具合が悪くなった風邪は、そろそろ連休が終わって病院も開業するころになってようやく快方に向かった。明日から病院へ行けるという今日、私は独自の自己治療法で病気に勝ったのだ。

結局ほとんどの風邪は時期が来れば治るということ。けれど年齢が年齢だけにこじらせると肺炎になって大事になるから焦るわけで。3年前にいやというほど入院の辛さを味わったから、今回は絶対に肺炎になりたくなかった。けれど、病気というものは初期症状から悪化の一途をたどり、ピークに達しなければ快方に向かわない。病気の方にもそれぞれの理由があっておいそれとは手放してはもらえない。

連休明けにやっと病院があいたので必死でかけつけた。開業前なのに待合室は大勢の患者さん、ドアが開くと一斉に元気のない顔がこちらを見る。やれやれ、今日の先生のご機嫌はいかに。ここの先生は少し変わっている。なぜか、受け付けた患者さんを分類するのだ。スタッフが大勢いるのでびっくりする。先生一人に看護婦さんやらなんやら、こんなに?その人達が何らかの理由でさっと動き出して患者をいくつかの部屋に振り分ける。先生が一人なんだからおなじ部屋で患者が入ってくるのを待てばいいのに、振り分けられたそれぞれの部屋に先生が通ってくるのだ。

あちらの部屋からこちらの部屋、先生は運動のために歩くのだろうか。それとも病状によって振り分ける?まだ診察もしていないのに病気がわかるわけがない。これは変。もっとおかしいことに毎回先生の表情が全く違うので、うっかり屋の私は他の先生もいるのだと思ったこともあった。しかも先生は日によって全く顔つきも態度も違うので驚くことが多い。やっと慣れたけど、はじめの頃はこの人あの人?みたいな。

理由がわからないからいつか質問してみようかと思っている。なぜ私はここにいるの?と。私はめったに病気にならないから病院へ行くと、そこの病院のしきたりがわからない。ずっと前にコロナ騒ぎの頃、検査をするのに、病院と隣の建物の壁の間の狭い通路に連れて行かれた。そこで検査?なぜ?まあ、表だから空気の通りは良い。それ以外なんのメリットが?寒いし、雨でも降ったらどうする。

先生独特の思考回路であるのか。とにかく不思議。常に看護師さんたちが一連の動きを当たり前のようにこなしている。割と年配でやさしいおばちゃんたちという雰囲気だけど、身軽に音もなく動くのが無駄がなくて特に愛想は良くなくても優しさが伝わる。面白い。それぞれの病院には先生をうまく働かせるシステムみたいのがあるらしい。

例外としては、私が幼少から30歳ころまで通った皮膚科の先生。その先生は無口で優しいおじいちゃん。看護師たちから思い切り甘やかされているように見える。看護師の目は患者よりも先生の方ばかりに向いていて、先生の言葉を皆で待っているというふうに。先生を見る彼女たちの目は優しい。その代わり患者の目は殆ど見ない。

ある時急に雨が振り始めた。おじいちゃん先生は窓の外を見て「雨降ってきたよ。傘を用意してやんなさい」誰に言うということもなくつぶやく。玄関に出るとたくさんのビニール傘が傘立ていっぱいに入っていた。その先生がなくなって次世代に変わって、いつの間にか病院は消えていた。

去年から友人の紹介で通い始めた歯科医院。港区の高台にあって、病院は昭和、大正時代のような木造建築。窓の高さが高くすりガラスのもようなど、古い時代の洋館のような趣のある建物でゆったりと治療を受ける。治療と言っても私は虫歯もないしお掃除をしてもらうだけなので気楽に横たわる。それでも歯科医恐怖症だから終わってみれば肩が凝っている。

ずいぶん長い間歯科医院をさがしていた。我が家の近所の先生はなにか私に恨みでも?と尋ねたくなるような乱暴さで腕はいいかもしれないけれど、本当に行くのが嫌だった。あるときはインターンみたいな息子に治療を任せた医師がいた。冗談じゃない!ある時友人に相談したら今通っている病院を紹介してもらって、やっと安住の地が見つかった。それも今回の風邪ひきでお休み中。

サバサバとした女医さんだけのスタッフ。時間は短く痛みは少なく、とにかくこんな病院を探していたのだった。しかし担当医の都合で木曜日にしか診てもらえない。木曜日は野暮用が多くてなかなか行けない。一度キャンセルすると当分空きがなくて予約が取れない。

昨日から風邪の症状が静まってきた。やっと咳きが治ってきた。けれど暑くてだるい。この先数ヶ月、私の嫌いな夏が居座るから、私はしばらく元気がない。やれやれ。






2026年5月8日金曜日

なんどきだ?

たくさんの人たちと会ったり 話したり、賑やかな日を過ごしていたら風邪をひいたらしい。なんか変だなと思っても連休真っ只中、病院は休み、冗談ではないこんなにたくさん皆が休んでしまっては社会生活立ち行かなくなるではないか。と、これはこちらの都合で、世の中の人々はご苦労なことに、お金と労力を使って家族旅行。超満員の飛行機や新幹線は子どもの鳴き声で充満しているだろうと思いながら過ごしていた。

なに、その超満員を楽しんでいたのは若き頃の私でもあるのだ。それでも職業柄、平日に休みが取りやすいという特典もあったので、ウイークデーにスキーができたのはラッキーだった。数日前、休日がそろそろ終わろうというときに急に体調が崩れて寝込んでしまった。夕方になって体調が優れないのに薬を買いに行ってそれを飲んで寝たら、目が覚めたときにはほとんど一日過ぎていた。眠りから覚めても起き上がれない。食事もしたくない。ひたすら薬を飲むためにほんの少し食べてはまた眠りに落ちる。今、何日?何曜日?

去年北軽井沢にあまりにもいかなかったので本当なら今頃は森の中でくまさんに遭遇しないようにオドオド暮らしている予定だった。猫にも言い聞かせてあった。お気に入りの食堂が私の別荘の敷地内に引っ越してきたというのでたのしみにしていたのに。やっと先程珍しくちゃんと目が開いて、カレンダーを見ても何日だかわからない。こんなふうになってしまうのかと愕然とした。

出かけるつもりだったから家の中には食料の買い置きがない。卵もちょうど切らしている。仕方がないから電子レンジ調理のご飯と塩昆布で済ますことに。りんごがあることを思い出して一つ食べる。それ以上は何もしたくないのでひたすら眠る。よほど疲れていたのか。

今年秋には久々にコンサートをしようと練習に入っていたけれど、それもどうしようか、できるかしら。ステージで死ぬのは本望なんて決して思わない。はた迷惑なことですから。少し起きていたら猛烈にお腹が空いてきた。おやまあ、食欲だけは健在なのか。でもお腹がすくくらいならまだ生きられそうな気がするからひとまず安心。で、秋のコンサートはできそうかな。そんなわけで、秋にコンサートします。

プログラムは

ピアノ五重奏曲3曲

シェーファー:ピアノ五重奏曲「ふくろう」

ドヴォルザーク;ピアノ五重奏曲作品61

シューベルト「ます」

シェーファー作品は「ます」と同じ楽器編成でコントラバスが入る。

いずれも相当な大曲で果たして体力が持つかどうかが危ぶまれるから死んだ気でやらないと。しかしどの曲も弾いていて楽しい。この年になって一緒に弾いてくれる友達がいるのも奇跡的だし。

9月23日連休の最終日です。三鷹市の風のホールにて

元気になったら詳しく記載しますのでどうぞ読んでください。薬の副作用でこれだけパソコンに打ち込むのがせいいっぱいです。ではおやすみなさい。









2026年5月3日日曜日

親族

実家の近くにあるお寺は江戸時代からの菩提寺。今日はそのお墓が地盤沈下で傾いていたのを直したことで、墓開き・・とでも言うのかしら、親族が集まった。一族の末席に位置する私と姉が招かれて参列した。

新しい墓は見違えるように広々ときれいに造園されて、ここでバーベキュウができるくらいなんちゃってそんなには広くはないけれど、椅子でもおいたらゆったりとできそうな様子。以前はうちの墓には大きな銀杏の木があって 、目印になっていた。少し前に銀杏の木は枯れはじめ危ないので切られてしまったので、今回行ったら実家の墓地に真っ直ぐに行けなかった。いよいよ老化がひどくなったのか。墓は今の家の直ぐ側だし、事あるごとにお参りは欠かさないのに、この体たらく。

そして私の11歳年上の実家の当主はもっと進んでいて、すっかり耳が聞こえなくなっていた。そこに私の7歳年上の姉も加わってヨボヨボと歩く姿はゾンビ集団。頓珍漢な会話でも嬉しそうに笑う年寄りたち。

そしてその二代と三代目の若い集団、合わせて15人ほどが神妙にお坊さんのお経を聞いている。なんだかいいなあ。私はいつも一人ぼっち、いざとなれば親類縁者が駆けつけてくれるとはおもうけれど、こういう家族としての集まりには常に部外者。若い頃はそれが良かった。冠婚葬祭も面倒で仕事が忙しく、めったに参加はできなかった。

そして一人でやりたい放題、仕事に遊びに駆け回っていたけれど、結局人生の勝利者は堅実に稼ぎ家族を大事にした私の兄のような人が勝つのだ。兄は一族の長男として妹たちにも教育の手助けをしてくれた。私が今あるのも兄のお陰で時々恩義せがましく「僕のおかげだぞ」なんていうのが癪だけど、本当のことで私はぐうの音も出ない。でも兄がいなければ私はヴァイオリンのようなめんどくさい楽器は弾いていなかった。どちらが良かったのか。ま、とりあえず恩人ではあると認めよう。

渋々認めたけれど、だいぶ歳を取ってしまった兄がいつものように温厚にニコニコしているのが少し悲しい。何も聞こえていないのに皆に合わせて一緒に笑っているのも可笑しい。若い孫軍団もそれぞれの話題で笑い合っている。家族っていいなあ。

兄の三男坊の甥が来てその横顔を見ていたら、ふと私たちの祖父の顔と似ているのを発見した。「あなたは母方の直系の顔だね」というと姉も同意する。そこから先祖のはなし。変な人が多かった家系で、私が時々変なのも変わり者のご先祖様のせいであるということにしておこう。祖父二人の名前がすごくて、太郎左衛門に源之丞、歌舞伎役者みたい。

ある時書類に二代前の先祖までのわかる謄本を出さなければならないというので取り寄せたら、太郎左衛門、源之丞ではあまり人に見せたくはなかった。その上、ご先祖様は源左衛門さま、周五郎様、あはは、源左衛門様はとりわけクセが強く、地元民におそれられていたらしい。その血が私の中に色濃く出ているのではないかと時々思う。

一年に一度はご先祖様を思い出す、といっても、あったことはないので知らないけれど、その怖い源左衛門様のほかは愛情深く、ユーモアのある人が多かったと聞いている。その人達が今の私を見守ってくれているのだと思う。自分が年老いたときにやっと、自分は様々な人たちに守られてきたのだと思えるようになった。源左衛門様だってきっと優しい人だったのではないかと思う。

兄の家に絵が飾ってあった。兄は絵を描くと玄人はだし、母はお気に入りの兄がすることなすこと「本当に何をやっても上手だねえ」と目を細めていたけれど、他の兄弟達のことはボロクソに言う。あんまりじゃないかと思ったけれど、事実だから仕方がない。そして兄の家にあった絵は色彩感覚の見事な絵だった。しかし、形は子供が書いたような、はてな?

「これ誰がかいたの?」と訊くと兄の次男の息子の絵だそうで、小学一年生で非常に大きな賞をとったらしい。見れば見るほど色彩が素晴らしい。すると中でも一番おとなしそうな次男の息子の絵だというので驚いた。今はもう描いていないというからもったいないと思ったけれど、子供の頃褒められて絵描きになって苦労の連続という人もいるし、まっすぐに伸びてそのまま絵の巨匠となる人もいるし、余計な口出しは禁物。けれどしばし見とれてしまうほどの感覚だった。

そういえば私のいとこは絵が上手く、上野の展覧会によく入賞していたから、やはり家系に芸術系がいたのかもしれない。そして兄は大変絵がうまい。緻密な筆使いで、何でもとことんやってのける忍耐で、もしヴァイオリンを弾いていたらいっぱしになったのではとおもうけれど、科学者としても名をなし、全くかなわない。

時々姉たちに言われたのは、戦時中の生まれで六人兄弟の末っ子、材料がなくて「あんたはねえ、余り物でできたんだから」心無い姉たちからからかわれた通り、余り物の脳みそでは太刀打ちできない。けれど兄は私を音楽の道に進める手助けをしてくれた。

姉たちの罵詈雑言も、後の社会の荒波でも何も気にせず乗り越えられた強さを私に与えてくれた。本当に何一つ無駄のない教育を私は家族から与えられたのだ。
















2026年5月1日金曜日

音楽会を徘徊する

夜中やご近所をではなくコンサートの徘徊はすごく楽しい。一番最近は声楽の友人からのお誘いでオペレッタのガラ・コンサートを聴きに行った。ヴィオラのコンサート二本立てで、立て続けての徘徊は少し疲れるかと思ったら、元気になってきました。やはり人間は動いていないといけないようです。特に私は。

今朝雪山の夢を見た。たぶんリフトかゴンドラからの鳥瞰であろうかと思うけれど、真っ白な雪の景色が眼下に続いている。ちょうどゲレンデとゲレンデを結ぶ通路のようなところ。ああ、ここはいつだったか夢に見たことがあったなと夢の中で思っていた。

この風景は何度か同じように夢に見ていたような気もする。懐かしい雪山、美しいゲレンデ、もう一度滑べる日が来るのだろうか。去年の暮だったか、軽井沢在住のY子さんからお世話してくださる方がいるのでスキー復帰しませんか?とお誘いをうけて半分その気になっていた。以前お世話になったときは車でゲレンデまで行って、用具の上げ下ろしから運搬まですべてやっていただいた。私はビンディングにブーツを差し込んでそのまま滑れば良かった。

行き帰りの食事の世話までなんと行き届いたことか。今年は北軽井沢に近いゲレンデで滑ることもできるというので半分期待はしていたものの、一時期引退をして色々後始末や心の準備などあって、健康の問題も自信が持てずにいた。しかも状況が変わったらどっとスケジュールが埋まってしまって、今やっと一息ついたらもう初夏。あーあ、しまったなあ。

そんな気持ちでいたせいか、スキーの夢を見てしまった。足の痛みはもう消えたとはいえ筋肉のこわばりは隠せない。今年はもう諦めても来シーズンに期待したい。馬にも乗りたい。馬が走る分には私の足は痛くないから。ただ鞍によじ登るのは大変。最後に乗ったときにはインストラクターが二人がかりでよいしょよいしょと押し上げてくれたけど。それで乗馬も諦めたのだった。鞍に乗ってしまえばこちらのものなんだけど一人で乗れないと話にならない。あーあ、諦めるものが多すぎる。

ならば新しくできることを探そう。今はコンサートに通って栄養分を蓄えて新しい音楽の道を探そう。ヴァイオリンはもちろん死ぬまでと覚悟は決めたけれど、体に無理が出るなら諦めないといけない。それなら体にいいのは?と考えたら呼吸法。私は歌えないけれど、幼児期からシャリアピンやシュワルツコフのレコードなどを聞いて育ったから歌は大好き。それだ!

声楽の友人に相談したら「おおいにやんなさい」先生を紹介すると言ってオペラ界の超大物の名を上げたので私は怖気を奮ってお断りした。とんでもない、そんな偉いお方は。

それでまず、呼吸法を友人から教わることになった。去年我が家のレッスン室をリフォームして防音工事をしておいてよかった。ただでさえご近所での私の評判は悪いのに、この上毎日絶叫が聞こえたら何事かと通報されかねない。北軽井沢に行けば森の中だから熊の遠吠えに間違えられそうだけど、銃で打たれはしないだろうか。

防音はこのところの物価値上げの波がくる少し前だったので、今ならもう工事もできないほどの費用がかかったであろうと思う。階段に昇降機を取り付けるためにただいま費用を積立中。それだって生活に追われ、いつになるかもわからない。ただし、昇降機がなければ嫌でも自分の足で登らないといけないから、健康のためには良かったかもしれない。

そんなわけで、まだ自力で元気にならないと生活ができないので、歩く、跳ねる、走るなど動くことが大事。息切れがするようになったので呼吸法はすごく良いアイディアだと思う。さてスカラ座でのデビューに備えて曲目を決めておかないと。何がいいかなあ。










2026年4月27日月曜日

ヴィオラ三昧

 先日2日続きでヴィオラのリサイタルへ通った。二人のヴィオラ奏者はNさんとHさん。古典音楽協会の旧体制から移行するとき、お二人とも快く参加してくださった。

御本人の許可を取っていないので、実名は差し控えますが大体あの方たちと察してお読みください。

Nさんとは私はこの交代の時期に初対面、ヴィオラ奏者が一人やめるので次のメンバーを決めなければならないときに、悪条件の交渉にも関わらず快く参加してくださった。古典の継続に貢献された第1号の参加者だった。見ず知らずの私が友人の絶大な推薦に推されて恐る恐る彼に電話すると、あまり多くを語らずとも快諾されたのも並々ならぬ音楽への情熱の故だったのだと、今感謝の気持でいっぱいになる。

それ以来古典の強力なメンバーとなってソロにアンサンブルに、音の素晴らしさ、緻密な演奏は仲間たちから信頼されトップ奏者として今絶賛活躍中。

もう一人のHさんは私とは旧知の間柄、Nさんの参加から数回の定期演奏会を経て、古典のメンバーに加わり、持ち前の人付き合いの良さと確実なテクニックですでに古くからのメンバーのような落ち着いた存在となっているようだ。「ようだ」というのは私は彼が入団する時にリタイアしたためで、私の最後の本番で参加、その時もすでに古くからのメンバーのように発言も演奏も馴染んでいた。

そのお二人が日をついでリサイタルをするというので、嬉しい忙しさになった。私は膝の痛みが消えたというものの、足は確実に弱っているので2日続きの外出が難しいかもしれないと思ったものの、なんのことはない、とても楽しい、2日間だった。

私はヴィオラという楽器が好き。あのなんとも言えないおおらかな風体と中途半端な音域、ややもするとキーキー高鳴りするヴァイオリンの陰で密やかに鳴っているのかいないのかわからない存在なのに実はいないと大変なのだ。音の質や響きに重大な欠損が生じる。

実は私は、本当にヴィオラ奏者になりたかった。音大付属高校の一年生のときに学内の弦楽合奏で初めてヴィオラを弾いた。と、いっても学校には学生に貸し出すための楽器がなく、ヴァイオリンにヴィオラの弦を張ったものを渡された。まだ社会全体が戦後の貧乏な時期だったからそんなことで我慢するしかなかった。

その時ヴィオラパートを受け持ったおかげで内声部の面白さを知ったのだった。普通は華やかな第一ヴァイオリンに魅力を感じる人が多い中で珍しい存在だったと言えるけど、生まれながらの変わり者はヴィオラの音域の魅力を嗅ぎ取っていた。自分のヴィオラを買ったのはもう少しあとだった。ただ私は非常に小柄なので、ヴァイオリンより一回り大きなヴィオラを弾くのは体への負担が大きすぎて、正式にヴィオラ奏者となるのは断念した。

2日間のリサイタル第一日目はNさんと学生時代からの楽友の、これもまた頭文字Nさんとのヴィオラのデュオ。この組み合わせはあまり曲がたくさんはないけれど、聴いてみると本当にチャーミングな曲に次々と出会えて楽しかった。なによりも大好きなヴィオラが鳴っていればストレスなしの幸せな時間が流れる。

ルクレール、ロッラ、ボウエン、ドハテイ、ブリッジ、ターテイス。知らない曲ばかりでも曲名の面白さもあって、私は最後まで眠りもせずに楽しく過ごした。よくこんなに集められたものだと思う。あまり知られていないのに面白い曲ばかりで「ヴィオラのためのヴィオラ・ゾンビ」って、一体なんなのだ。二人の奏者が離れて立ち、特殊奏法でゾンビの生態を描く。二人の名手によって様々な技法がゾンビを生き返らせる。面白い!非常にユニークだけれど、奇をてらってはいない、正統的な二人の奏者の技術と才気が光る、素敵なひとときだった。

次の日はSさんのリサイタル。こちらはどんと最後にシューベルト「ます」が待ち構えていた。独奏曲はフンメル「ソナタ」初っ端はモーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ゾンビは出てこなかったけれど、華やかで楽しく定番の名曲コンサート。安心して眠れるはずだったのに、これもまたワクワクできたのはピアニストの衣装。弦楽器の男性奏者たちの正装に対し艶やかな衣装でまず目を楽しませてもらった。

私の隣の席の友人Sさんとおもわず拍手喝采。これも音楽の一部、素敵な夢。達者な演奏者たちの音に組み込まれた彩りとして。ベテラン揃いの演奏は本当に安心感があって、少しはドキドキさせられないかと期待していたけれど、無事終了。大変好意的な拍手で沸いた。ゆったりと安心して演奏が終了。その後も嬉しそうに帰らない人たち。ロビーがごった返して歩けない。

前日のコンサートがワクワクした興奮であるならば、こちらは温かい居間でゆったりと寛ぐような安心感。どちらもヴィオラの持つ雰囲気が反映された素敵なコンサートだった。

2日目のコンサート会場で大変年配の男性が同じ列の座席に座っておられた。隣の友人Sさんが私に囁いた「あの方はM先生じゃない?」M先生は私が付属高校入学直後から弦楽アンサンブルの指導をしてくださった方で、ずいぶんお世話になったのだ。けれど、面影はあるようなないような。終演後Sさんが声ををかけると、やはりM先生だった。思わず私も声ををかけた。「高校時代大変お世話になりました」するとM先生はじっと私を見て「***さん?」私の旧姓を口にされた。

驚いた。先生もお年を召されたけれど、私はもっと様変わり、元気いっぱいの女子高生も今は女子老生、頭は白く当時の面影はないはずなのに、どうしてわかるの?本人ですら自分の旧姓を忘れていたのに。すごい記憶力でまだ矍鑠とされている。ああ、私はまだひよこなのだ、世の中にはすごいお人がいるのだ。ヴィオラが弾けるようになったのもこの先生のおかげだったのですよ。運命を感じました。






















2026年4月23日木曜日

美味しい美味しい

準備は昨日からはじまった。朝食は大根と鶏肉のそぼろ煮。昼食は鶏肉とじゃがいもの甘酢あんかけ。夕飯はハンバーグ。それぞれに白粥がついている。レトルト食品でお湯で約五分温めればいい。これは簡単だし美味しそうだけどこんな少しで足りるかな。

一日それだけ食べても夜になったらお腹がいっぱいになった。案外と量があるのだ。最初に見たときは、これは間食しないと足りないと思ったけれど、結構満足した。そこからが大変。

よる9時に薬を飲む。なんの薬かは知らないけれど、医師の指示であるから嫌な味の薬を水に混ぜて飲む。そして就寝。早朝というより夜中、目が覚める。二度寝しようかと思ったけれど 嫌なことは先にやってしまおうと、腸内を洗浄する薬品を水2リットルで希釈してゴクゴクと二時間かけて飲み干した。こんな沢山の液体が良くも飲めるものだと思う。

午前3時薬品を2Lの水で薄めた。25ml ずつ15分おきに飲めば2リットルを2時間で飲み終える。希釈液を作るとアラームをセット。最初のうちは25ml 飲むのはさほど辛くはなかった。ちょうど喉が乾いていたしゴクゴクとすぐに飲み干した。そのうちだんだん飲み方が遅くなって、アラームがなければ飲みきれなかったと思う。無理やり飲んでいるうちに1時間もすると効果が出てきた。

そうなると忙しくなってきた。パソコンでゲームをしながらなので飲んだり出したりゲームをしたり、そのうち順番がわからなくなってきたり。効果は完璧に現れて2時間ほぼ腸内は空っぽ。この作業が一番大変だという人がいるけれど、何、それほどではない。

病院につくと検査用の服に着替えて麻酔を受ける。まず喉の麻酔。この世のものとは思えないほど苦くてまずい薬を喉につけると、次は注射で麻酔。まだ意識はしっかりしているから看護師に言った。「全回検査したとき麻酔が効きすぎて寝すぎたので量を少なめにしてください」と。

検査室に入るとまだ意識はあると思っていたのに、それから先の記憶がまったくない。簡単なものだわ。気がつくと大腸も胃もとっくに検査がすんでいた。あのものすごく不味い麻酔薬がなければ本当に楽な検査なのだけど。ベッドに寝かされてぐっすり眠っていたのに起こされた。やはり薬が効きすぎるらしい。眠っていたのは2時間ほど。それでも起き上がれなくて二度寝させてもらった。なんなら、ここで一泊したいくらい。

目が覺め始めると、昨日からろくな物食べていないことを真っ先に思い出した。特に食欲はないけれど、飢餓感が襲ってくる。どこまでも食いしん坊な自分に呆れる。まだ食べないでくださいといいながら時計を見た看護師は私が長時間眠っていたことを知らなかったらしい。

「あら、もう食べられるわ」というから食堂に飛んでいった。ここの食堂はとても美味しいのだ。それでも揚げ物などは我慢してポトフとトースト、サラダとコーヒー。なかなか美味しかった。満足して自宅近所に来た。

このあたりに古くからの惣菜屋さんがある。御夫婦で長年コロッケなどの揚げ物を作っていて、美味しいと評判なので遠くからも買いに来るという。ところが最近の猛暑に体調を崩した御夫婦は仕事時間を短縮しているので、最近、なかなか手に入らない。今日は食べ物に飢えて、ちょっと回り道をしたら営業していた。ラッキー、久しぶりね。

おじさんもおばさんもちょっと元気がないけれど、一生懸命営業日の説明をしてくれた。きっと今日は私がとてつもなくまずいものを食べた埋め合わせに、久々の好物を用意して待っていてくれたのかな?ただの偶然にしても、あまりにもまずい薬の後でコロッケを食べたら本当に美味しかった。

私は子供の頃からじゃがいもが大好き。意地悪な姉たちはその私をこう言ってからかった。「あんまりじゃがいもばかり食べるからじゃがいもみたいな顔になっちゃうのよ」なるほど。そういえば似ている。

せっかく一日食事制限で少しはダイエットになるかと思ったけれど、これでは元の木阿弥。