2026年4月20日月曜日

サラリーマン猫

うちに日参する野良猫グレ。ルーティンは早朝5時前後、出勤。餌のあるなしで次の行動が決まる。たっぷり食べられたときはそのまま私専用の椅子で朝寝を貪る。その後ずっと何もなければ居続ける。餌に不満があったときはすぐに外出、ご近所を回って満腹になるまでせっせと歩き続けるらしい。時々コースが変わるらしく、それで他の家の状態が大体読める。

連休などではうちに全く来なくなることも。それは他のお気に入りの家があって、その家の住人が在宅しているということらしい。反対に住人が連休で遊びに出かけてしまうと餌がもらえず、我が家が食堂になるのでずっと昼中い続けて三食昼寝付き。なんと良い御身分なのかしら。苦労も多そうだけれど。

穏やかですごくデブだけど可愛らしい外見から、ずいぶん幸せな野良生活をおくってきたとみえる。それでも時には苛ついて顔を汚して現れることも。喧嘩にまけたのかな?それとも意地悪な人間にいじめられた?近所までは来るものの、入ってこないことも。多分テリトリーに新しい敵がうろついているらしい。苦労してるんだ。

ほぼ午前中眠っているときは、深夜に起きた猫同士の喧嘩の疲れをいやしているらしい。午後4時か5時になるとソワソワ、きっとご近所の飼い主さんたちの一人に会いにゆくのだろう。それが5時ころで、しばらくするとまた戻ってきてうちのノンちゃんとじゃれたり眠ったり、そして9時半を回った頃にはねぐらに帰っていってしまう。

寒い時期には表に出るのをためらっていることもあるけれど、出口を塞いでしまうと大騒ぎして出たがるから仕方なく次の日まで自由にしてあげる。全く何をしているのか、寒さにも雨にもマケズ、夜通し帰ってこない。そして次の朝5時ころ、窓を開けると途端に飛び込んでくる。これが彼の日常なのだ。

餌も好き嫌いがあって、人間は何も猫に迎合しなくてもとおもうものの、ちゃんと食べないと手を変え品を変えて数種類のフードをご用意するのだ。せっかく開けた缶詰やレロルトパウチが無駄になる手痛い損害は人間より高い餌代に損失となって家計を逼迫する。それでも気に入らない餌を出した人間のほうが逆に謝ったりして「ごめんネ、すぐおいしいのを買ってきて上げるからね」上げるのですよ。猫に。食べていただくのも苦労するわ。

カニを食べずにカニカマ食べて我慢している飼い主の身にもなってほしい。それでも日々飼い主は一生懸命にご奉仕する。それは猫の持つ悪魔のような可愛らしさに目をくらまされているから。なぜ神様はこんな役立たずの動物をお創りになったのだろうか。ほんの少しでいいから私にも可愛らしさを分け与えてくださればいいのに。可愛げのなさと怒りっぽさで人生を複雑にしている私でも、もう少し穏やかな日々が来るかもしれないのに。

来世、私は猫に生まれてこよう。あざとく飼い主にすり寄って可愛さアピールして図太く生きる野良の女王になろう。















万引き未遂事件

最近の買い物はカード払いで 済ますことが多い。お金の使い方が超下手くそでいらないものを買ってしまうクセがあるから、最近の物価高騰にカード払いでつくポイントを狙うようなことが多くなった。これは私としては画期的なことで、今まではポイントを貯めるという行為も面倒、確認も面倒、今までどれほどのポイントを捨ててきたことかと悔やまれる。

それでいっぱしのカード使いになったかというとこれが全くだめで、レジでいつもスタッフさんと禅問答のような怪しい会話の毎日。とにかく仕組みがわからない。カードのどれを使うかもわからない。レジの人がすぐにわかる人ならいいけれど、中には私とほぼどっこいどっこいの人もいるのが信じられない。私の相手は万能じゃないと務まらないのよ、あなたの方はしっかりしてね。お願いだから。

それで一念発起、セルフレジを使おうと。だいぶ慣れてきたら煩わしさがなくて快適。最初はスタッフを呼ぶこと3回くらいはあったけれど、最近は慣れたものでホイホイと計算を済ますようになった。偉いでしょ?

しかし、そう簡単なことではなかった。自分の記憶力と集中力が如何に衰えているかということを忘れていた。買い物かごのなかは重いものを下に入れて壊れやすいものは上にある。それが上から精算すると逆になり、当然軽いものから済んでいく。次にマイバッグに収めるにはまたその逆をいくことに。バッグの下の方に壊れやすいものを収めると上に重いものが載せられない。だから壊れやすいものは精算できたら横において、最後に重いものの上に収めるようにする。

くどくど説明するようなことではないけれど、中には私みたいな方がいらっしゃるかもしれないから念のため。

こんなことは普通の人なら簡単で、整理整頓の上手な人は朝飯前のことに違いない。けれど、自慢じゃないがこの私、常識では考えられない行動をすることが多い。やってしまってから自分でも呆れるほどの無計画性が露呈する。重いものを精算するのを最初にすればマイバッグの中に収めるときにもその順で収められると考えたから、まず軽いものは横に避けておいておく。

その日の壊れやすいものは花、いちご、シュークリームなど。それをマイバッグの横において、豆乳やヨーグルトなど容器の硬いものから始めた。最後にシュークリーム。を乗せて、おっと、忘れた花が残っている、何気なく上にぽんと乗せて終了。歩き始めたときになにか忘れたような。カートを止めてしげしげとレシートを眺めたけれど、目が霞んでよく見えない。

しばらく眺めていたけれど、どうも記憶によれば花の精算をした覚えがない。丁度通りかかったスタッフに声をかけてレシートを確認すると、やはり花は精算されていなかった。ちょっとびっくり。自分で覚えていたこともびっくりではあったけれど、危うく犯罪に手を染めそうになったこともびっくり。しかも簡単にこれが通ったこともびっくり。

一日何人くらいがセルフレジを通るのかわからないが、全員がちゃんと精算できているとは思えない。もしかしたらわかっても知らん顔する人もいるかも、おそらく意識的にする人も数人はいるかも知れない。多少の額でも集まれば店の存続を揺るがす額になるかも。最近本屋が廃業することが多いのは万引きが多いせいでもあるらしい。近所の本屋さんが廃業して本当にがっかりした。気分の良いスーパーが廃業しないように気をつけよう。















2026年4月12日日曜日

どこかへ行きたい、遠くへ行きたい

 私の一番の関心は遠くのこと、知らないことを見たり聞いたりしたいということ。まるで永六輔さんの歌みたい。旅行から帰って羽田で飛行機をおりて空港ビルを出るときには、もう次回の旅のことを考えている。出発の飛行機の轟音が聞こえると「ああ、どこかへ行きたい」と思う。

家が居心地悪いとかそういうことはない。一人暮らしだし、可愛い猫が二匹待っている。この二匹さえいなければ、私はとっくに日本にはいないと常日頃から思っている。旅の空でワクワクしながら非日常のものを目の当たりにする嬉しさ!一人で外国に行くのもそれほど怖くはない。むしろ、海外で一人で行動していると、よく道を訊かれる。すごくリラックスしているからか、フランスなどで道案内するとは思えない風体なのに、オーストラリア人に道をきかれたり、日本国内でも大阪や京都で道を訊かれたり。

今、まさに禁断症状が出てきて困っている。ああ、どこか遠くへ行きたい。しかし、今二匹の猫たちが私を守ってくれているのだろう、今の体調で一人で行ったら無事に帰宅できるかどうかわからないから。外国で道に迷うと全部の神経が興奮状態になって、ああ、私は今生きているのだとしみじみと嬉しくなる。

語学力がなく英語もうまく喋れない。それでもコミュニケーション力のすべてを全開にするとたいていうまくいく。それでよく周りから叱られる。一番面白かったのはエジプトで迷子になったときのこと。別に迷子になろうと思ったわけではないけれど、同行した人の道案内があまりにもつまらないので一人で行動することにした。

それからのワクワク感ったら、全身で今自分は生きていると感じながら。これで事件にでもなったら袋叩きになるな、なんて考えながらの行動。しかし、エジプト旅行の醍醐味はこの時間にあったといえる。歩き疲れて家具やさんの椅子で休ませてもらったり、その間に生き生きとした彼らの表情がなんて楽しそうなのかと思い、本当に日本人のおつかれ顔とはずいぶん違うと思ったり。

彼らもいきなり変なオバハンが来て、売り物の椅子に座っていいかと居座るような非日常を楽しんでいる風で、笑いながら相手をしてくれた。道を尋ねるとどうせ知らないくせに知った顔をして教えてくれる。「ありがとう」だけ知っているエジプト語で感謝しながらまた出かけると、いよいよ遠くまで迷ってしまった。けれど、その先には見事なモスク、市場が現れる。ああ、すごい、これぞエジプト。

胸にいっぱい勲章みたいなものをつけた軍隊の隊長さんに頼むと、タクシーを呼んでくれて無事ホテルに帰還。同行者たちの非難の眼差しに耐えながらもほくそ笑む。ものすごく面白かったので。やはり旅は一人に限る。

青蔵鉄道に乗るために中国に行った。その時も現地の人達と同じ寝台車で眠った。隣の寝台の人が高熱を出して具合が悪いというから、ハンカチを濡らして額に乗せてあげたら仲間たちと大笑いしている。どうやら中国では熱冷ましは額に当てるものではないらしい。中国語ができなくて訊けなかったのが残念だった。でも、それで現地の人達とリラックスして長時間の列車旅を過ごした。お菓子をもらったりして面白かった。

青蔵鉄道に乗る前日は現地盛都の家庭に招待された。その家のご主人のお父さんのお誕生日。皆で麻雀をして遊ぶ。私はできないから見ているだけだったけれど、日本のパイの4個分くらいの大きなパイで勝負の仕組みは日本の麻雀よりも単純なようだ。勝負は急展開で早い。それを与えられたひまわりの種をかじりながら見物した。ひまわりの種のかじり方を教わったけれど、それがとても難しい。皮は床にペっと吐き出す。どうもこれにはまいった。

次の日列車に乗る前の手荷物検査で、トランクを全開にされて怒ったら、前日招待された家のご主人が穏やかに言った。「彼らも仕事ですから」と。中国でも大変地位のある人らしく、泰然とした態度で言われると納得。中国人のこのランクの人はすごく洗練されている。この旅行の設定をしてくれた旅行社の社長のお仲間らしい。社長の奥さんはフランスの大学教授、御本人もフランス在住、私のためにフランスから帰国してくれたらしい。素晴らしい旅でした。

日本国内でもずいぶん一人旅をしたけれど、いつも皆さん親切で、女性の一人旅はハプニングだらけ。レンタカーで阿蘇山に登れば途中のドライブインで働く人たちのだご汁を振る舞われ、現地の人達との交流が生まれる。私が話しかけやすいのかもしれない。ホテルのシングル宿泊でもよくお酒のうんちくを披露するホテルマン、志賀高原では焼酎の知識を教わった。和食なら女将さんが話し込んで現地の情報を伝えてくれる等々。これは職業的戦略かもだけれど、嫌な思い出はほぼない。米子のホテルでフロントマンが「女性用の大浴場はありません」と冷たく言ったことが最悪だったくらいだから。それで米子が嫌いになった。もうずいぶん以前のことだから、米子にも女性用の大浴場はできたでしょうね?ホテルマンさん。

あ、それと長崎で変な宿主がいて、仕事の集団で泊まっているのに「女性は男性より1時間早く起きて身支度をしなければいけましぇん」と言われたことがあって非常に立腹した。なんということを!余計なお世話もはなはだしい。

でもおかしいでしょう?もうずいぶん昔のことだけど。男性に寝起きを見られたって化粧をほどこした顔がそれ以上良くなることはないのだから。仕事仲間の男性になにを媚びろというの?私たちは仕事場ではほとんど男なんだから。それに男性たちも私たちを女性だなんて思っていないでしょうが。

こうしてみると日本でも十分おもしろい、ああ、どこか遠くへ行きたいなあ。












2026年4月8日水曜日

久々の銀座

「雪雀連」というグループがあって、愉快に何十年も一緒に遊んでもらった。今やメンバーも大半は天国へ言ってしまったので、ほそぼそと残党がたまに会うくらいだけれど。主にスキー好きのグループで実に趣味も多いし会話も楽しい人が多く、中でも絵を嗜むメンバーが毎年銀座で展覧会を開いた。集まって絵画鑑賞したところで、帰りがけに銀座のライオンでビール。美味しかったなあ。楽しかったなあ。今回も銀座で展覧会があるとお知らせが来たので出かけた。

だんだんメンバーが少なくなってきたので、今回はいつもの年よりも小さい画廊でこじんまりと開催されていた。会員はベテランだから年はとってもしっかりとした筆使い。明るい色彩感覚で楽しい雰囲気だった。かつてはずいぶん芸術的で大作が多かったけれど、今や人生の達人として生きてきたその豊かな実り多い人生の回顧のように、素直で明るい表現が多かった。お見事!

一緒に行ったのは「雪雀連」のプリマドンナのマリア・カラスならぬHさん。化学者・コーラスをたしなみお酒をこよなく愛した彼女も先日体調を崩して回復したばかり。であるので、帰り道のお酒はしばらくお預けとなるでしょう。もう十分に一生分のお酒は飲んだと思うので、これからは自重してビタミン剤でも呑んで頂こう。

絵を見てちょうど昼食時、一緒にランチをと思って店を探しながらぶらぶらと歩く。最近私はかつての勢いの良さもかき消えて、めっぽう足が遅くなった。しかし銀座はいい。私が一番好きな街。まず華やかな表の顔も素敵。中国人の観光客が減って銀座はかつての落ち着きを取り戻した。その分不景気になったかもしれないけれど。しばらくは店ごとにバスが横付けされて、そこからぞろぞろと大勢の人が出てくると、あっという間に喧騒の雰囲気が醸し出された。

中国人を悪く言うことはできない。かつての日本の農協さんの団体の振る舞いはよく覚えている。飛行機の中でステテコになるなんて・・・とかあったけれどね。私はとても中国の歴史とか文明を尊敬するし、友人もいる。中国を訪問したのも4回ほど。シルクロードを巡り、西安と天津や友人のいる瀋陽にも滞在した。成都には青蔵鉄道に乗りに行った。だから嫌いではないけれど、大勢すぎる観光客はどうしても騒がしくなる。

銀座は大通りからそれても楽しい。今日いった場所は歌舞伎座の近く、東銀座が最寄り駅の画廊で、例えば足袋の専門店などがひっそりとみつかったり、着物の小物、袋物や手ぬぐいなどの小物の店なども、いかにも銀座の風情。

ランチは最初のプランとしてはレストランと思っていたけれど、地味に密やかに構えている鰻屋さんを見つけると、二人ともすぐに「ここにしよう」うなぎの専門店で捌くところから初めて焼き上がるまで長時間待たされるのはちょっとしんどい。でも暇でもあるしと思って決めたら、ここの店は簡単に焼き上がっているものを温めてご飯の上に乗っけるという超スピードの店だった。5分も待たずにうな丼いっちょう出来上がり。

うなぎはいつ食べたか思い出せないほど最近食べていなかった。贅沢というのもあるけれど、最近の健康志向で野菜が多いものを選ぶから、丼と汁と僅かな漬物という取り合わせは日常ではない。でも久々のうなぎは美味しかった!しばらくくせになるかも。

幸いHさんの体調はかなり良くなっているらしく、まずは一安心で美味しくウナギをいただいた。以前ならその後でビールとかコーヒーとかあるのだったが、今回は大人しく鰻屋さんのお茶で我慢。あまり長逗留しないでお別れした。

実は私の元教え子ですごい美人がいた。彼女は顔がきれいなだけでなく頭も性格も良かった。事情があってシングルマザー、しばらく教室に通ってきたけれど、ある時仕事を始めることになったのでと言ってやめてしまった。その後もヴァイオリンは教えてほしいというからしばらく銀座に通っていた時期があった。そこは裏道のクラブ、なんと彼女は銀座のクラブのママになったのだ。それはとても楽しかったけれど、スケジュール的にきついのでやめてしまった。

どうしているかな、あの美人さんは。当時店は大繁盛。今でも楽しくやっていると思うけれど、コロナ禍もあったし、少し心配している。



















 

2026年4月6日月曜日

映画「坂本龍一トリオ・ツアー・2012」

坂本龍一さんのトリオツアーが映画になって今上映中と聞いて、野次猫の私は飛んでいった。川崎の映画館チネチッタ。朝9時すぎに始まる。日曜日の上映にしては早すぎるけれど、今絶賛不入り中らしいから、観客のいない時間にしか上映してもらえなかったのか。

映写室に入ると観客は10人足らず。今までの最低観客数は、中学生の頃、家の近所に映画館があった。マーロン・ブランド主演「片目のジャック」を見に行って3人、しかも男性しかいなくて、私はずいぶん間の悪い思いをしたことを思い出す。

最近では「孤独のグルメ」松重さんのひたすら食べる姿が面白くて好きなので観に行ったら、それも観客は30人ほど。もう少しいたかもしれないけれど、気の毒に、これでは興行利益は大赤字だなあと思った。しかし彼は最近コマーシャルでもよく見るし、孤独のグルメも放送されているから生活は大丈夫なんて、他人事ながら(笑)

しかし、世界で活躍の坂本龍一さんの映画でこの体たらくではお気の毒に。御本人はそんなこと気にもとめず、天国でゆったりと作曲の続きを書いていらっしゃることと思う。その風貌は白衣を着せたら医者に見える。しかも私が子供の頃からずっとかかりつけだった近所のT先生。儲けることをしなかったために先生の病院はいつまでもボロで、しかし地域の人達からは絶大な信頼を受けていた。軽い風邪くらいなら「家に帰ってあったかくして寝ていなさい」というだけ。注射も薬もなし。だから儲からない。しかし名医だった。

先生がなくなったときに初めて知ったのは、先生は東大医学部の出身であったこと。驚いたことに近所のボロ医院の割にはご葬儀の時の参列者が2000人だったらしいこと。いったい何者︀だったのかしら、あの方は!皆泣いていたという。坂本さんは、私の家族からも他の患者さんからも信頼と尊敬を集めていた方と雰囲気がそっくり。

そして大きな手。オクターブを弾くとき、私ならめいっぱいに広げないと届かない。しかし坂本さんはほとんど普通の広げ方で済ませているようだ。穏やかでしかし気骨ある態度、アーティストというより思考の人。素敵だなあ。

共演者はヴァイオリンとチェロの二人。

ジュディ・カン(Vn)ーカナダ クラシックからポップスまで幅広く活躍する国際的ヴァイオリニスト、 LADY・GAGAのワールド・ツアー参加 ジャンルを超えた演奏で知られる。坂本のアルバム「THREE 」に参加しそのまま2012年のトリオツアーに参加した。

ジャケス・モレレンバウム(Vc)ーブラジル ブラジルを代表するチェリスト・アレンジャー      カエターノ・ヴェローゾ、 アントニオ・カルロス・ジョビンなどのブラジル音楽の巨匠たちと多く共演 坂本とは1990年代から共演を重ね「アルバム1996」や「THREE」そして今回の「THE Tour 2012」でも中心的存在として参加。

優れた腕前で存在の大きな共演者たち。しかし中心にいる坂本は涼しげに曲に没頭、時々のアイコンタクトでなんと地球上のすべての垣根は今はないと言いたげなお三人。チェロはコントラバスの音まで出してびっくりしてよく見たら5弦の楽器だった。ワオ、すごい。何という音!

私はクラシックが本業だからマイクを通した音はあまり好きではない。最初はこの音と2時間近く付き合うのか、やれやれと思ったけれど、進むうちにすべての偏見は取り除かれた。そこには音のジャンルも音楽のジャンルもない。限りなく磨き抜かれ集中力を極めた世界があるのみ。

坂本の音楽の根底にあるのはなんなのか。最初は東洋的なと言いたいけれど、もっとお大きな存在、自然?なんというか、目を瞑って聞いていると砂漠が目の前に現れる。初めてシルクロードを辿ってタクラマカン砂漠に足をつけたときに私は、自分はここが故郷だと感じた。そんな情景が出てくると私の中の血が騒ぐ。

人の世のすべてのくだらない争いごとなど雲散霧消して大きな意味での知恵の壮大な力に打たれる。今戦争している誰かさんたち、なんと「くだらない」争いをしているの。そしてこの私もちまちまと生きていないで大空に飛んで行きなさいと教えられているようだ。

誕生日を送ってまた一つ歳を取った。体は動きにくくなって、頭も少し怪しくなって、でも若い頃からの放浪癖を経て、私は今豊かな想像の世界に遊んでいる。感動しない日はない。何を見ても聞いても感激と感謝の時代に生きている。だれも自分の胸のうちに年を取らせてはいけない。いつだって若々しい感情は持てるのだから。











 

また年取っちゃった!

私の誕生日は桜の季節。ほんの数日前。今年は明るい日差しの穏やかな 。友人のH さんが私の誕生日のお祝いをしてくださるというので会うことに。

場所は小田急線の鶴川駅。ここで以前にも数回待ち合わせたから心配ないと思っていたのに、私の車のカーナビは急にいつもと違う案内をした。え?曲がるの早いんじゃない。

でもナビは言い張る「ここを曲がります」そこを曲がると見知らぬ世界、おかしいな、こんなに工事中ではどこに行ったらいいかわからない。見たこともないクレーン車が工事現場に停まっている。やり直そうと思ってもう一度元の道に引き返そうと思ったら、カーブした先に陸橋が現れて、あっという間に私は別世界に連れて行かれてしまった。

陸橋から飛び降りるわけにはいかないから、それが終わってまたUターン。やっと約束の場所に戻って緑色の髪の乙女(元)に出会ったときは、エネルギーは消耗され尽くしていた。

Hさんは実は墓友で、いつの日にかは同じ墓地の樹木葬に住むはずで、私の友人たちもやがてはここに入るし、他の友人のご両親も眠るこの墓地は猫や犬も一緒に行き来ができることになっている。死んでもなお賑やかなのはすごくいい。墓地のある全山は春爛漫、桜の花で埋め尽くされ、それはそれはきれいだった。

墓参がすむと次は食い気。鶴川駅近くの鶴川香山園、ここは寛永6年創設されたお灸点と呼ばれる中風の灸治療所があった場所で、当時は全国から治療を求める人が詰めかけたという。毎月1日の灸治療の日には鶴川駅に特別列車が止まったというほど盛況だったという。

その後は私設美術館として公開されていた母屋と庭園を町田市が譲り受けリニューアル、町田香山園として令和7年に開園したという。

鶴川駅の目と鼻の先で徒歩5分ほどの香山園、その庭園に瑞香殿という立派な建物がある。明治39年に建てられた寄棟造、本瓦型銅板葺の平屋の建物は神社のような雰囲気で、中に入ると30畳の広間と周りに客室がある。各部屋はそれぞれゆったりとした個室になって広間を囲んでいる。食事処は「桜梅桃季」といって、その30畳の大広間とその周りの少し小さな部屋と個室などは、昼過ぎてもなお客で埋まっていた。

小さな器にそれぞれ手の込んだお菜が並ぶ。よくもこれだけの数を作るものだと感心していたらつい食べすぎてしまった。最近は胃が小さくなって普段なら途中でやめておくものを、ご飯もいつもより多めになってしまい、その上デザートのわらび餅までしっかりと。食後きれいな庭園を散歩したものの、それくらいの運動量ではカロリー消費はしれたもの。

その上、誕生祝いの様々なお菓子をいただいて帰宅してからもポリポリとかじって止まらない。ああ、止まらない。またこれで1キロ増量。

Hさんと一緒にいるといつもろくでもないことに遭遇することになっている。最たるものは江の島訪問、これでもかと強風に煽られ、私は歩くのもやっとだった。イルミネーションは素敵だったけれど、思い出すのは強風のことばかり。

中華街に食事に行ったら強風と土砂降り。中華街の道路は川となっておりました。しかし、どうしたことか、今回は穏やかな春の日、最後までなにごともなく・・・いやいや最初の場面ですったもんだ。やはり彼女との相性はなかなかなもので、同じ敷地内の墓に入ったらどうなることやら、死後もなお、ドタバタは続くのか、前途多難な来世であります。




2026年3月30日月曜日

花見にパエリア

 今日の花見客は長年在籍したアンサンブルのメンバーの中でも特に苦楽をともにした女性メンバーたち。創立以来一緒に歩み続けた。そしてコンサートマスター交代のときに存続するか廃止するかという瀬戸際で、存続のために尽力した。

軍資金もないというか、継続時に長年の使徒不明金があり、残されたのは見た目お金の流れがわからないように隠蔽された通帳。その提出を求めたとき、会計は長い時間拒み続けた。10ヶ月以上の攻防戦によりやっと一通だけ渡された。けれどまだ多数の通帳があるはず。それを時間をかけて素人の我々がパズルを解くように解き明かしてゆく。全員から絶大な信頼を得ていた会計が、実はとんでもないことをやっていたということがわかって、私は精神も肉体も病んでしまった。

その時の四人の働きは今でも胸が熱くなるような連携プレイだった。眠れない夜を過ごす毎日。思いついた対策を伝えようと仲間にメールすると、深夜にもかかわらず電話がかかってくる。あら、起きていたのね。それから思いついたことや様々な解決策を相談しながら、次の朝も確認のために郵便局や銀行などの通帳を調べ、相談に走り、カフェなどに集まっては本人の弁明を聞くけれど、あまりにも矛盾点や嘘が見つかって、しかも答えはボケたフリの連続、言い逃れや弁明は辻褄が合わない。

私はいつも自慢するように友人知人に恵まれて、穏やかな人生を送ってきたけれど、こんなに裏切られた思いは私の人生を根底からひっくり返す事件だった。そのために私は本当に寂しかった。その上、まだ会計の嘘が信じられないという人々の疑念の言葉も受け、心は沈みっぱなし、最後には体に異変が起きて耐え難いほどの倦怠感や体の痛みが続く。私の人生最大の暗黒時代だった。

聞こえてくるのはしっかり監督をしなかったあなた達が悪いという声。これには本当にそうだったと反省もした。全幅の信頼などは無用だった。一切会計報告をされなかったからにはこちらから申し出ても監査するべきだった。しかし友達だと思っていた人に、それは失礼かと。これがいけない。人は見かけによらないとも痛切に思った。

その一方で存続するならメンバーの確保をしなければならないため、様々な人に声をかけた。まずお金がない、有能なプレーヤーを確保するための軍資金は使い込まれ、どこへいったかわからない。肝心な時期の通帳が提出されない。お金がなくてもそれでも声掛けはしないといけない。

しかし音楽に情熱を持つ優秀なプレーヤーが続々と参加表明をしてくれた。その方たちには感謝しかない。私の取り柄はおっちょこちょい、誰も言えないような恥ずかしいお願いを当たって砕けろとばかり試しにお願いしてみると、すべての方から参加の返事を頂戴した。そしてついに新しいアンサンブルが生まれ、存続後の第3回目の定期公演を果たすことができた。

会を追って状況は良くなり客席は大盛況。私の友人たちの助けもありがたい。メンバー確保の助力や会場に足を運んでくれる友人たちに助けられた。今ホッとしてようやく引退生活に没入できるようになった。明るい私が戻ってきた。すると、おかしなことにあれほど痛かった膝の痛みが消えた。心の闇が私の体に痛みとなって現れていたのだと思う。

そのうち女子会をしましょうと約束していた存続推進のメンバー5人。今日は天気もよく穏やかな花見日和。我が家の前の桜並木も私たちの苦労を知っていたのではないかしら。こんな仲間たちに出会えたのも、苦労が実ってアンサンブルの継続ができたのも、そして演奏の評判の良いことも、いままで聴いてくださったお客様、影で支えていただいた方たちのおかげです。本当にありがとうございました。

今日、私の渾身の料理はパエリア。メニューを決めて3日前に作ってみたけれどイマイチ。それを食べ終わるのに2日かかってもうパエリアはごめんなさい。でも献立を決めたのだから諦められない。そのためにAIさんに教えを乞うた。懇切丁寧にレシピと秘訣を伝授されて今朝、再度挑戦した。

メンバーが集まる時間ギリギリに出来上がった。なんと素敵に美味しい出来栄え。我ながらでかした。懐かしい友人たちの顔を見たらこんなにも嬉しく美味しいものかと感無量でした。