2026年4月27日月曜日

ヴィオラ三昧

 先日2日続きでヴィオラのリサイタルへ通った。二人のヴィオラ奏者はNさんとHさん。古典音楽協会の旧体制から移行するとき、お二人とも快く参加してくださった。

御本人の許可を取っていないので、実名は差し控えますが大体あの方たちと察してお読みください。

Nさんとは私はこの交代の時期に初対面、ヴィオラ奏者が一人やめるので次のメンバーを決めなければならないときに、悪条件の交渉にも関わらず快く参加してくださった。古典の継続に貢献された第1号の参加者だった。見ず知らずの私が友人の絶大な推薦に推されて恐る恐る彼に電話すると、あまり多くを語らずとも快諾されたのも並々ならぬ音楽への情熱の故だったのだと、今感謝の気持でいっぱいになる。

それ以来古典の強力なメンバーとなってソロにアンサンブルに、音の素晴らしさ、緻密な演奏は仲間たちから信頼されトップ奏者として今絶賛活躍中。

もう一人のHさんは私とは旧知の間柄、Nさんの参加から数回の定期演奏会を経て、古典のメンバーに加わり、持ち前の人付き合いの良さと確実なテクニックですでに古くからのメンバーのような落ち着いた存在となっているようだ。「ようだ」というのは私は彼が入団する時にリタイアしたためで、私の最後の本番で参加、その時もすでに古くからのメンバーのように発言も演奏も馴染んでいた。

そのお二人が日をついでリサイタルをするというので、嬉しい忙しさになった。私は膝の痛みが消えたというものの、足は確実に弱っているので2日続きの外出が難しいかもしれないと思ったものの、なんのことはない、とても楽しい、2日間だった。

私はヴィオラという楽器が好き。あのなんとも言えないおおらかな風体と中途半端な音域、ややもするとキーキー高鳴りするヴァイオリンの陰で密やかに鳴っているのかいないのかわからない存在なのに実はいないと大変なのだ。音の質や響きに重大な欠損が生じる。

実は私は、本当にヴィオラ奏者になりたかった。音大付属高校の一年生のときに学内の弦楽合奏で初めてヴィオラを弾いた。と、いっても学校には学生に貸し出すための楽器がなく、ヴァイオリンにヴィオラの弦を張ったものを渡された。まだ社会全体が戦後の貧乏な時期だったからそんなことで我慢するしかなかった。

その時ヴィオラパートを受け持ったおかげで内声部の面白さを知ったのだった。普通は華やかな第一ヴァイオリンに魅力を感じる人が多い中で珍しい存在だったと言えるけど、生まれながらの変わり者はヴィオラの音域の魅力を嗅ぎ取っていた。自分のヴィオラを買ったのはもう少しあとだった。ただ私は非常に小柄なので、ヴァイオリンより一回り大きなヴィオラを弾くのは体への負担が大きすぎて、正式にヴィオラ奏者となるのは断念した。

2日間のリサイタル第一日目はNさんと学生時代からの楽友の、これもまた頭文字Nさんとのヴィオラのデュオ。この組み合わせはあまり曲がたくさんはないけれど、聴いてみると本当にチャーミングな曲に次々と出会えて楽しかった。なによりも大好きなヴィオラが鳴っていればストレスなしの幸せな時間が流れる。

ルクレール、ロッラ、ボウエン、ドハテイ、ブリッジ、ターテイス。知らない曲ばかりでも曲名の面白さもあって、私は最後まで眠りもせずに楽しく過ごした。よくこんなに集められたものだと思う。あまり知られていないのに面白い曲ばかりで「ヴィオラのためのヴィオラ・ゾンビ」って、一体なんなのだ。二人の奏者が離れて立ち、特殊奏法でゾンビの生態を描く。二人の名手によって様々な技法がゾンビを生き返らせる。面白い!非常にユニークだけれど、奇をてらってはいない、正統的な二人の奏者の技術と才気が光る、素敵なひとときだった。

次の日はSさんのリサイタル。こちらはどんと最後にシューベルト「ます」が待ち構えていた。独奏曲はフンメル「ソナタ」初っ端はモーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ゾンビは出てこなかったけれど、華やかで楽しく定番の名曲コンサート。安心して眠れるはずだったのに、これもまたワクワクできたのはピアニストの衣装。弦楽器の男性奏者たちの正装に対し艶やかな衣装でまず目を楽しませてもらった。

私の隣の席の友人Sさんとおもわず拍手喝采。これも音楽の一部、素敵な夢。達者な演奏者たちの音に組み込まれた彩りとして。ベテラン揃いの演奏は本当に安心感があって、少しはドキドキさせられないかと期待していたけれど、無事終了。大変好意的な拍手で沸いた。ゆったりと安心して演奏が終了。その後も嬉しそうに帰らない人たち。ロビーがごった返して歩けない。

前日のコンサートがワクワクした興奮であるならば、こちらは温かい居間でゆったりと寛ぐような安心感。どちらもヴィオラの持つ雰囲気が反映された素敵なコンサートだった。

2日目のコンサート会場で大変年配の男性が同じ列の座席に座っておられた。隣の友人Sさんが私に囁いた「あの方はM先生じゃない?」M先生は私が付属高校入学直後から弦楽アンサンブルの指導をしてくださった方で、ずいぶんお世話になったのだ。けれど、面影はあるようなないような。終演後Sさんが声ををかけると、やはりM先生だった。思わず私も声ををかけた。「高校時代大変お世話になりました」するとM先生はじっと私を見て「***さん?」私の旧姓を口にされた。

驚いた。先生もお年を召されたけれど、私はもっと様変わり、元気いっぱいの女子高生も今は女子老生、頭は白く当時の面影はないはずなのに、どうしてわかるの?本人ですら自分の旧姓を忘れていたのに。すごい記憶力でまだ矍鑠とされている。ああ、私はまだひよこなのだ、世の中にはすごいお人がいるのだ。ヴィオラが弾けるようになったのもこの先生のおかげだったのですよ。運命を感じました。






















2026年4月23日木曜日

美味しい美味しい

準備は昨日からはじまった。朝食は大根と鶏肉のそぼろ煮。昼食は鶏肉とじゃがいもの甘酢あんかけ。夕飯はハンバーグ。それぞれに白粥がついている。レトルト食品でお湯で約五分温めればいい。これは簡単だし美味しそうだけどこんな少しで足りるかな。

一日それだけ食べても夜になったらお腹がいっぱいになった。案外と量があるのだ。最初に見たときは、これは間食しないと足りないと思ったけれど、結構満足した。そこからが大変。

よる9時に薬を飲む。なんの薬かは知らないけれど、医師の指示であるから嫌な味の薬を水に混ぜて飲む。そして就寝。早朝というより夜中、目が覚める。二度寝しようかと思ったけれど 嫌なことは先にやってしまおうと、腸内を洗浄する薬品を水2リットルで希釈してゴクゴクと二時間かけて飲み干した。こんな沢山の液体が良くも飲めるものだと思う。

午前3時薬品を2Lの水で薄めた。25ml ずつ15分おきに飲めば2リットルを2時間で飲み終える。希釈液を作るとアラームをセット。最初のうちは25ml 飲むのはさほど辛くはなかった。ちょうど喉が乾いていたしゴクゴクとすぐに飲み干した。そのうちだんだん飲み方が遅くなって、アラームがなければ飲みきれなかったと思う。無理やり飲んでいるうちに1時間もすると効果が出てきた。

そうなると忙しくなってきた。パソコンでゲームをしながらなので飲んだり出したりゲームをしたり、そのうち順番がわからなくなってきたり。効果は完璧に現れて2時間ほぼ腸内は空っぽ。この作業が一番大変だという人がいるけれど、何、それほどではない。

病院につくと検査用の服に着替えて麻酔を受ける。まず喉の麻酔。この世のものとは思えないほど苦くてまずい薬を喉につけると、次は注射で麻酔。まだ意識はしっかりしているから看護師に言った。「全回検査したとき麻酔が効きすぎて寝すぎたので量を少なめにしてください」と。

検査室に入るとまだ意識はあると思っていたのに、それから先の記憶がまったくない。簡単なものだわ。気がつくと大腸も胃もとっくに検査がすんでいた。あのものすごく不味い麻酔薬がなければ本当に楽な検査なのだけど。ベッドに寝かされてぐっすり眠っていたのに起こされた。やはり薬が効きすぎるらしい。眠っていたのは2時間ほど。それでも起き上がれなくて二度寝させてもらった。なんなら、ここで一泊したいくらい。

目が覺め始めると、昨日からろくな物食べていないことを真っ先に思い出した。特に食欲はないけれど、飢餓感が襲ってくる。どこまでも食いしん坊な自分に呆れる。まだ食べないでくださいといいながら時計を見た看護師は私が長時間眠っていたことを知らなかったらしい。

「あら、もう食べられるわ」というから食堂に飛んでいった。ここの食堂はとても美味しいのだ。それでも揚げ物などは我慢してポトフとトースト、サラダとコーヒー。なかなか美味しかった。満足して自宅近所に来た。

このあたりに古くからの惣菜屋さんがある。御夫婦で長年コロッケなどの揚げ物を作っていて、美味しいと評判なので遠くからも買いに来るという。ところが最近の猛暑に体調を崩した御夫婦は仕事時間を短縮しているので、最近、なかなか手に入らない。今日は食べ物に飢えて、ちょっと回り道をしたら営業していた。ラッキー、久しぶりね。

おじさんもおばさんもちょっと元気がないけれど、一生懸命営業日の説明をしてくれた。きっと今日は私がとてつもなくまずいものを食べた埋め合わせに、久々の好物を用意して待っていてくれたのかな?ただの偶然にしても、あまりにもまずい薬の後でコロッケを食べたら本当に美味しかった。

私は子供の頃からじゃがいもが大好き。意地悪な姉たちはその私をこう言ってからかった。「あんまりじゃがいもばかり食べるからじゃがいもみたいな顔になっちゃうのよ」なるほど。そういえば似ている。

せっかく一日食事制限で少しはダイエットになるかと思ったけれど、これでは元の木阿弥。




















2026年4月22日水曜日

ウイーン八重相談

 私のパソコンは決して意図した変換をしてくれない。本当に面白い変換ばかり。一番常識的な変換は最後に出てくるといったへそ曲がり。もちろんこれは八重 奏団です。

変換の設定が悪いのだと言われれば本当にそうなんだけど、これも遭難だけどとなるかと思ったらそれはなかった。暇でもあるし結構たのしんでいたりして。

ウイーン八重奏団はボスコフスキーによって創設されたとプログラムに書いてある。1947年だそうだから私は生まれたばかり。第二次大戦直後ということになる。この八重奏団は私と同世代か、なんて、なんの関係もないのに喜んだりする。私が音大生の頃かまたはオケに入った頃か、とにかく希望に満ちた若かりし頃、日本でボスコフスキーがN響を指揮して大いに私たちを喜ばせた。

その八重奏団を聞きに武蔵野市民文化会館へ。ついこの間までは50年間と思っていたけれど、もう今は60年間にも近くなったお付き合いのピアノのSさんと聞きに行った。

モーツァルト:フィガロの結婚序曲 

モーツァルト:クラリネット五重奏曲

シューベルト:八重奏曲

結果から言うと本当に楽しかった。先日聞いたベルリン八重奏団の時よりもリラックスして楽しんだ。ベルリンは意識下の領域に達するまでの集中、研ぎ澄まされた世界をみせられた。一瞬も耳を離せないし演奏者とともに呼吸することで、単に聴くだけの作業ではないことを知らされた。

ウイーンの特にホルンの柔らかい響き、少人数の弦楽器に対しても決して音量が過剰ではない。弦楽器と管楽器のアンサンブルは音量のバランスが難しい。こんなふうに柔らかく包みこまれたら弦楽器は幸せです。

幸せすぎて、最近めったに演奏会では寝ない私も、モーツアルトの五重奏曲の2楽章から3楽章が始まるまですやすやと寝てしまった。これはしまった!一番好きな楽章で、聴いていれば天国に行ける楽章で!なんてことを。

シューベルトはちゃんと起きていたけれど、途中から笑ってしまった。シューベルトのこの長さ!終わりかと思うと転調しては同じテーマが繰り返される。常に美しいから許されるけれど、これで凡庸な作曲家ならトマトをぶつけたくなりそう。

かつて私がピアノトリオを組んで活動していた頃、シューベルトの三重奏曲第2番をプログラムに入れた。しかしその長さに辟易した。多分彼は美しいテーマを離したくないので様々に転調して酔いしれていたのでは?

終わると盛大な拍手が巻き起こった。それは演奏の素晴らしさを称えるとともに、ああ、やっと終わったかという喜びの拍手ではなかったかと勘繰りたくなる。私と友人は思わず顔を見合わせてニヤリと笑った。さすがシューベルト。そうだねシューベルトだね。あはは

しかし誤解のないようにいっておくけれど、一瞬たりとも退屈ではなかったことを。途中大好きなクラリネット五重奏曲で、しかも2楽章で居眠りをした残念な事件はあったものの、心から音楽の素晴らしさ、何よりもウイーンの音が聴けて幸せでした。














2026年4月20日月曜日

サラリーマン猫

うちに日参する野良猫グレ。ルーティンは早朝5時前後、出勤。餌のあるなしで次の行動が決まる。たっぷり食べられたときはそのまま私専用の椅子で朝寝を貪る。その後ずっと何もなければ居続ける。餌に不満があったときはすぐに外出、ご近所を回って満腹になるまでせっせと歩き続けるらしい。時々コースが変わるらしく、それで他の家の状態が大体読める。

連休などではうちに全く来なくなることも。それは他のお気に入りの家があって、その家の住人が在宅しているということらしい。反対に住人が連休で遊びに出かけてしまうと餌がもらえず、我が家が食堂になるのでずっと昼中い続けて三食昼寝付き。なんと良い御身分なのかしら。苦労も多そうだけれど。

穏やかですごくデブだけど可愛らしい外見から、ずいぶん幸せな野良生活をおくってきたとみえる。それでも時には苛ついて顔を汚して現れることも。喧嘩にまけたのかな?それとも意地悪な人間にいじめられた?近所までは来るものの、入ってこないことも。多分テリトリーに新しい敵がうろついているらしい。苦労してるんだ。

ほぼ午前中眠っているときは、深夜に起きた猫同士の喧嘩の疲れをいやしているらしい。午後4時か5時になるとソワソワ、きっとご近所の飼い主さんたちの一人に会いにゆくのだろう。それが5時ころで、しばらくするとまた戻ってきてうちのノンちゃんとじゃれたり眠ったり、そして9時半を回った頃にはねぐらに帰っていってしまう。

寒い時期には表に出るのをためらっていることもあるけれど、出口を塞いでしまうと大騒ぎして出たがるから仕方なく次の日まで自由にしてあげる。全く何をしているのか、寒さにも雨にもマケズ、夜通し帰ってこない。そして次の朝5時ころ、窓を開けると途端に飛び込んでくる。これが彼の日常なのだ。

餌も好き嫌いがあって、人間は何も猫に迎合しなくてもとおもうものの、ちゃんと食べないと手を変え品を変えて数種類のフードをご用意するのだ。せっかく開けた缶詰やレロルトパウチが無駄になる手痛い損害は人間より高い餌代に損失となって家計を逼迫する。それでも気に入らない餌を出した人間のほうが逆に謝ったりして「ごめんネ、すぐおいしいのを買ってきて上げるからね」上げるのですよ。猫に。食べていただくのも苦労するわ。

カニを食べずにカニカマ食べて我慢している飼い主の身にもなってほしい。それでも日々飼い主は一生懸命にご奉仕する。それは猫の持つ悪魔のような可愛らしさに目をくらまされているから。なぜ神様はこんな役立たずの動物をお創りになったのだろうか。ほんの少しでいいから私にも可愛らしさを分け与えてくださればいいのに。可愛げのなさと怒りっぽさで人生を複雑にしている私でも、もう少し穏やかな日々が来るかもしれないのに。

来世、私は猫に生まれてこよう。あざとく飼い主にすり寄って可愛さアピールして図太く生きる野良の女王になろう。















万引き未遂事件

最近の買い物はカード払いで 済ますことが多い。お金の使い方が超下手くそでいらないものを買ってしまうクセがあるから、最近の物価高騰にカード払いでつくポイントを狙うようなことが多くなった。これは私としては画期的なことで、今まではポイントを貯めるという行為も面倒、確認も面倒、今までどれほどのポイントを捨ててきたことかと悔やまれる。

それでいっぱしのカード使いになったかというとこれが全くだめで、レジでいつもスタッフさんと禅問答のような怪しい会話の毎日。とにかく仕組みがわからない。カードのどれを使うかもわからない。レジの人がすぐにわかる人ならいいけれど、中には私とほぼどっこいどっこいの人もいるのが信じられない。私の相手は万能じゃないと務まらないのよ、あなたの方はしっかりしてね。お願いだから。

それで一念発起、セルフレジを使おうと。だいぶ慣れてきたら煩わしさがなくて快適。最初はスタッフを呼ぶこと3回くらいはあったけれど、最近は慣れたものでホイホイと計算を済ますようになった。偉いでしょ?

しかし、そう簡単なことではなかった。自分の記憶力と集中力が如何に衰えているかということを忘れていた。買い物かごのなかは重いものを下に入れて壊れやすいものは上にある。それが上から精算すると逆になり、当然軽いものから済んでいく。次にマイバッグに収めるにはまたその逆をいくことに。バッグの下の方に壊れやすいものを収めると上に重いものが載せられない。だから壊れやすいものは精算できたら横において、最後に重いものの上に収めるようにする。

くどくど説明するようなことではないけれど、中には私みたいな方がいらっしゃるかもしれないから念のため。

こんなことは普通の人なら簡単で、整理整頓の上手な人は朝飯前のことに違いない。けれど、自慢じゃないがこの私、常識では考えられない行動をすることが多い。やってしまってから自分でも呆れるほどの無計画性が露呈する。重いものを精算するのを最初にすればマイバッグの中に収めるときにもその順で収められると考えたから、まず軽いものは横に避けておいておく。

その日の壊れやすいものは花、いちご、シュークリームなど。それをマイバッグの横において、豆乳やヨーグルトなど容器の硬いものから始めた。最後にシュークリーム。を乗せて、おっと、忘れた花が残っている、何気なく上にぽんと乗せて終了。歩き始めたときになにか忘れたような。カートを止めてしげしげとレシートを眺めたけれど、目が霞んでよく見えない。

しばらく眺めていたけれど、どうも記憶によれば花の精算をした覚えがない。丁度通りかかったスタッフに声をかけてレシートを確認すると、やはり花は精算されていなかった。ちょっとびっくり。自分で覚えていたこともびっくりではあったけれど、危うく犯罪に手を染めそうになったこともびっくり。しかも簡単にこれが通ったこともびっくり。

一日何人くらいがセルフレジを通るのかわからないが、全員がちゃんと精算できているとは思えない。もしかしたらわかっても知らん顔する人もいるかも、おそらく意識的にする人も数人はいるかも知れない。多少の額でも集まれば店の存続を揺るがす額になるかも。最近本屋が廃業することが多いのは万引きが多いせいでもあるらしい。近所の本屋さんが廃業して本当にがっかりした。気分の良いスーパーが廃業しないように気をつけよう。















2026年4月12日日曜日

どこかへ行きたい、遠くへ行きたい

 私の一番の関心は遠くのこと、知らないことを見たり聞いたりしたいということ。まるで永六輔さんの歌みたい。旅行から帰って羽田で飛行機をおりて空港ビルを出るときには、もう次回の旅のことを考えている。出発の飛行機の轟音が聞こえると「ああ、どこかへ行きたい」と思う。

家が居心地悪いとかそういうことはない。一人暮らしだし、可愛い猫が二匹待っている。この二匹さえいなければ、私はとっくに日本にはいないと常日頃から思っている。旅の空でワクワクしながら非日常のものを目の当たりにする嬉しさ!一人で外国に行くのもそれほど怖くはない。むしろ、海外で一人で行動していると、よく道を訊かれる。すごくリラックスしているからか、フランスなどで道案内するとは思えない風体なのに、オーストラリア人に道をきかれたり、日本国内でも大阪や京都で道を訊かれたり。

今、まさに禁断症状が出てきて困っている。ああ、どこか遠くへ行きたい。しかし、今二匹の猫たちが私を守ってくれているのだろう、今の体調で一人で行ったら無事に帰宅できるかどうかわからないから。外国で道に迷うと全部の神経が興奮状態になって、ああ、私は今生きているのだとしみじみと嬉しくなる。

語学力がなく英語もうまく喋れない。それでもコミュニケーション力のすべてを全開にするとたいていうまくいく。それでよく周りから叱られる。一番面白かったのはエジプトで迷子になったときのこと。別に迷子になろうと思ったわけではないけれど、同行した人の道案内があまりにもつまらないので一人で行動することにした。

それからのワクワク感ったら、全身で今自分は生きていると感じながら。これで事件にでもなったら袋叩きになるな、なんて考えながらの行動。しかし、エジプト旅行の醍醐味はこの時間にあったといえる。歩き疲れて家具やさんの椅子で休ませてもらったり、その間に生き生きとした彼らの表情がなんて楽しそうなのかと思い、本当に日本人のおつかれ顔とはずいぶん違うと思ったり。

彼らもいきなり変なオバハンが来て、売り物の椅子に座っていいかと居座るような非日常を楽しんでいる風で、笑いながら相手をしてくれた。道を尋ねるとどうせ知らないくせに知った顔をして教えてくれる。「ありがとう」だけ知っているエジプト語で感謝しながらまた出かけると、いよいよ遠くまで迷ってしまった。けれど、その先には見事なモスク、市場が現れる。ああ、すごい、これぞエジプト。

胸にいっぱい勲章みたいなものをつけた軍隊の隊長さんに頼むと、タクシーを呼んでくれて無事ホテルに帰還。同行者たちの非難の眼差しに耐えながらもほくそ笑む。ものすごく面白かったので。やはり旅は一人に限る。

青蔵鉄道に乗るために中国に行った。その時も現地の人達と同じ寝台車で眠った。隣の寝台の人が高熱を出して具合が悪いというから、ハンカチを濡らして額に乗せてあげたら仲間たちと大笑いしている。どうやら中国では熱冷ましは額に当てるものではないらしい。中国語ができなくて訊けなかったのが残念だった。でも、それで現地の人達とリラックスして長時間の列車旅を過ごした。お菓子をもらったりして面白かった。

青蔵鉄道に乗る前日は現地盛都の家庭に招待された。その家のご主人のお父さんのお誕生日。皆で麻雀をして遊ぶ。私はできないから見ているだけだったけれど、日本のパイの4個分くらいの大きなパイで勝負の仕組みは日本の麻雀よりも単純なようだ。勝負は急展開で早い。それを与えられたひまわりの種をかじりながら見物した。ひまわりの種のかじり方を教わったけれど、それがとても難しい。皮は床にペっと吐き出す。どうもこれにはまいった。

次の日列車に乗る前の手荷物検査で、トランクを全開にされて怒ったら、前日招待された家のご主人が穏やかに言った。「彼らも仕事ですから」と。中国でも大変地位のある人らしく、泰然とした態度で言われると納得。中国人のこのランクの人はすごく洗練されている。この旅行の設定をしてくれた旅行社の社長のお仲間らしい。社長の奥さんはフランスの大学教授、御本人もフランス在住、私のためにフランスから帰国してくれたらしい。素晴らしい旅でした。

日本国内でもずいぶん一人旅をしたけれど、いつも皆さん親切で、女性の一人旅はハプニングだらけ。レンタカーで阿蘇山に登れば途中のドライブインで働く人たちのだご汁を振る舞われ、現地の人達との交流が生まれる。私が話しかけやすいのかもしれない。ホテルのシングル宿泊でもよくお酒のうんちくを披露するホテルマン、志賀高原では焼酎の知識を教わった。和食なら女将さんが話し込んで現地の情報を伝えてくれる等々。これは職業的戦略かもだけれど、嫌な思い出はほぼない。米子のホテルでフロントマンが「女性用の大浴場はありません」と冷たく言ったことが最悪だったくらいだから。それで米子が嫌いになった。もうずいぶん以前のことだから、米子にも女性用の大浴場はできたでしょうね?ホテルマンさん。

あ、それと長崎で変な宿主がいて、仕事の集団で泊まっているのに「女性は男性より1時間早く起きて身支度をしなければいけましぇん」と言われたことがあって非常に立腹した。なんということを!余計なお世話もはなはだしい。

でもおかしいでしょう?もうずいぶん昔のことだけど。男性に寝起きを見られたって化粧をほどこした顔がそれ以上良くなることはないのだから。仕事仲間の男性になにを媚びろというの?私たちは仕事場ではほとんど男なんだから。それに男性たちも私たちを女性だなんて思っていないでしょうが。

こうしてみると日本でも十分おもしろい、ああ、どこか遠くへ行きたいなあ。












2026年4月8日水曜日

久々の銀座

「雪雀連」というグループがあって、愉快に何十年も一緒に遊んでもらった。今やメンバーも大半は天国へ言ってしまったので、ほそぼそと残党がたまに会うくらいだけれど。主にスキー好きのグループで実に趣味も多いし会話も楽しい人が多く、中でも絵を嗜むメンバーが毎年銀座で展覧会を開いた。集まって絵画鑑賞したところで、帰りがけに銀座のライオンでビール。美味しかったなあ。楽しかったなあ。今回も銀座で展覧会があるとお知らせが来たので出かけた。

だんだんメンバーが少なくなってきたので、今回はいつもの年よりも小さい画廊でこじんまりと開催されていた。会員はベテランだから年はとってもしっかりとした筆使い。明るい色彩感覚で楽しい雰囲気だった。かつてはずいぶん芸術的で大作が多かったけれど、今や人生の達人として生きてきたその豊かな実り多い人生の回顧のように、素直で明るい表現が多かった。お見事!

一緒に行ったのは「雪雀連」のプリマドンナのマリア・カラスならぬHさん。化学者・コーラスをたしなみお酒をこよなく愛した彼女も先日体調を崩して回復したばかり。であるので、帰り道のお酒はしばらくお預けとなるでしょう。もう十分に一生分のお酒は飲んだと思うので、これからは自重してビタミン剤でも呑んで頂こう。

絵を見てちょうど昼食時、一緒にランチをと思って店を探しながらぶらぶらと歩く。最近私はかつての勢いの良さもかき消えて、めっぽう足が遅くなった。しかし銀座はいい。私が一番好きな街。まず華やかな表の顔も素敵。中国人の観光客が減って銀座はかつての落ち着きを取り戻した。その分不景気になったかもしれないけれど。しばらくは店ごとにバスが横付けされて、そこからぞろぞろと大勢の人が出てくると、あっという間に喧騒の雰囲気が醸し出された。

中国人を悪く言うことはできない。かつての日本の農協さんの団体の振る舞いはよく覚えている。飛行機の中でステテコになるなんて・・・とかあったけれどね。私はとても中国の歴史とか文明を尊敬するし、友人もいる。中国を訪問したのも4回ほど。シルクロードを巡り、西安と天津や友人のいる瀋陽にも滞在した。成都には青蔵鉄道に乗りに行った。だから嫌いではないけれど、大勢すぎる観光客はどうしても騒がしくなる。

銀座は大通りからそれても楽しい。今日いった場所は歌舞伎座の近く、東銀座が最寄り駅の画廊で、例えば足袋の専門店などがひっそりとみつかったり、着物の小物、袋物や手ぬぐいなどの小物の店なども、いかにも銀座の風情。

ランチは最初のプランとしてはレストランと思っていたけれど、地味に密やかに構えている鰻屋さんを見つけると、二人ともすぐに「ここにしよう」うなぎの専門店で捌くところから初めて焼き上がるまで長時間待たされるのはちょっとしんどい。でも暇でもあるしと思って決めたら、ここの店は簡単に焼き上がっているものを温めてご飯の上に乗っけるという超スピードの店だった。5分も待たずにうな丼いっちょう出来上がり。

うなぎはいつ食べたか思い出せないほど最近食べていなかった。贅沢というのもあるけれど、最近の健康志向で野菜が多いものを選ぶから、丼と汁と僅かな漬物という取り合わせは日常ではない。でも久々のうなぎは美味しかった!しばらくくせになるかも。

幸いHさんの体調はかなり良くなっているらしく、まずは一安心で美味しくウナギをいただいた。以前ならその後でビールとかコーヒーとかあるのだったが、今回は大人しく鰻屋さんのお茶で我慢。あまり長逗留しないでお別れした。

実は私の元教え子ですごい美人がいた。彼女は顔がきれいなだけでなく頭も性格も良かった。事情があってシングルマザー、しばらく教室に通ってきたけれど、ある時仕事を始めることになったのでと言ってやめてしまった。その後もヴァイオリンは教えてほしいというからしばらく銀座に通っていた時期があった。そこは裏道のクラブ、なんと彼女は銀座のクラブのママになったのだ。それはとても楽しかったけれど、スケジュール的にきついのでやめてしまった。

どうしているかな、あの美人さんは。当時店は大繁盛。今でも楽しくやっていると思うけれど、コロナ禍もあったし、少し心配している。