2026年6月26日金曜日

すごいぞサッカー

スポーツ観戦にはほとんど興味がなくて、せっかく大谷さんが大活躍している野球は見たいと思うこともない。一度だけ球場に連れていかれたことがあったけれど、30分も見ていられない。いったい何が起きているのか理解できないからつまらない。早く帰ろうと連れをせかして帰ってきてしまった。それ以来野球はどんなに観客が興奮していようと、面白くない。大谷さんが野球史上最高の記録を打ち立てているけれど、まあ、記録は破られるものよと冷静でいられる。

日本のサッカーがまだあまりうまくなかった頃はサッカーは立腹のもとだった。あのぼんやりしているのは誰?あんな所にいたら球が追えないじゃない!見ているほうは何とも言えるから、思わず言いたい放題。ドーハの悲劇の時には本当に立腹して、夜中まで見た甲斐もなく布団をかぶって寝てしまった。

あれから何年かしら?今の日本のサッカーはめざましくうまくなっていよいよ決戦トーナメントまで漕ぎつけた。そしてサッカーなら私も現場を見たいと思う。何よりスピード感、一瞬たりとも油断ならない。キーパーの重責を担っている若者のけなげなこと。すごく頭の良い人たちの集団であることがわかる。すごいなあ、あの展開でよくぞと思うことがある。後ろにまで目がある人たちなのだ。

しかし一人ずつ見れば目は二つしかなく、皆精悍な面魂。身は引き締まり目はらんらん、大型猛獣の気配ときりっとした口元は、冷静沈着、頭脳明晰の証し。戦場に出たら勇猛な戦士として戦えるだろう。でも戦争はダメ、試合にとどめよう。解説者でなくともきちんと話ができるのも素敵。

もしこれでブラジルを破ったらどんな展開になるのだろうか。楽しみですねえ。

もし優勝したら私はサンバの衣装で商店街を踊り歩きましょう。サンバって、産婆?ってだれ、そんなこと言うのは?

がんばれニッポン!








2026年6月25日木曜日

新しいパソコン

 新しいパソコンを手に入れて初めての投稿、まだ慣れないけれどしばらく我慢。以前は完ぺきに私用に設定されたものを渡されて至れり尽くせりの環境で作業ができたけれど、もう一人立ちしないといけないから我慢我慢。

古いほうのパソコンは長年使いなれていたけれど、本体の蓋の蝶番がガタが来て蓋のヘリの接着部分がはがれがだんだんひどくなってきた。修理に出したら治ったことは治ったけれど、経年劣化でいつ崩壊するかわからないといわれてぞっとした。私にとってパソコンは本当に長年のお友達。なくてはならぬ存在となってしまった。

今どきの若者はスマホが命、でも私はスマホの小さな画面では見えないし、見えないことで委縮して物も考えられない。のびのびと大画面で作業するのは本当に楽しい。それもずいぶんお世話になった管理者のおかげと感謝は尽きない。仕事に追われ毎日ろくすっぽねずに飛び回っていたころ、どれほど役に立ったことか。新しい仕事先に出かけるとき、列車や飛行機のチケット、宿泊するホテルの予約、海外にも安心して旅立てるので私の行動範囲は広かった。生活の知恵、楽譜の手配、音楽会のチケット予約、自分のことはnekotama に書き込めばこれを読んでくださる方たちへの情報となって広がる。

ネットで見つけた近所のショップはAIが絶賛する優良店らしい。AIは巨人軍監督の阿部慎之助さんの事件以来信用がぐらついているけれど、ショップの検索にはめっぽう強い。安心して任せられる。そのAI が私の家の近くではこのショップという太鼓判を与えてくれたので行ってみた。

今発展途上真っただ中の隣町は工事だらけで車だらけ。駐車場は見つけてもどこも満車でうろうろしているうちにだいぶ離れた場所でやっと停められた。そこからがっしりとして重たい病気のパソコンを抱えて歩いてショップにたどり着いたら翌日から腰痛になってしまった。本当に年をとったものだとこういう時につくずく思う。

そして病気のパソコンは無事なおったものの、もはや蝶番の部分だけでなくその周辺の接着がガタついてきているので大事に保管しないといけない。いつでも交代してくれる予備のパソコンを手に入れたけれど、まだ慣れないのでnekotama の書き込みも時間がかかる。新しいものすきな私もここ数日すこし大変な思いをしている。

もともとこういうことは嫌いでないから、パソコンの前にワープロを始めた時にはすごくおもしろかった。新しいワープロが届くとすぐに箱から取り出すと説明書を見ながら使い始めた。ようやく使えるようになったときびっくりしたのは、始めた時朝だったのに周囲が真っ暗だったこと。もうすっかり日が暮れていたのに気が付かなかったのだ。

集中というより自分の好きなことに執着する性質はいまだに健在だけれど、ここまでの持続力はなくなった。ヴァイオリンの練習も1時間もするとへとへとになる。そしてちょっと休憩しようと横になると眠ってしまったり。残念なのは使える時間はたっぷりあるのに、それを有効に使えないこと。無理に頑張ると次の日体のどこかが痛む。

私と私の古いほうのパソコンは同年代?大事に使っても、もう若返ってくれない機械と思い出。















2026年6月24日水曜日

平和な誕生会

来るなと言っても律儀に訪れる誕生日。実は私の誕生日はもう来てしまって不本意ながらまた一つ年をとってしまった。友人Hさんの少し前倒しの誕生祝いに横浜の中華街にいった。

去年は、いやはやまいった。彼女と行動をともにするとろくなことはない。大風、大雨、去年はまさしく大雨、駅を出るなり土砂降りの雨。道路は冠水、長靴を履いてこなかったことを悔やんだ。ようようたどり着いた中華料理の店は来た甲斐があったというもので、たいそう美味しかった。それで今年もあそこでと提案したら主役が同意したから決まり。でもこのまま平穏に終わることはないのではと危惧して、前日から眠れない夜を過ごした・・というのは嘘で、バクネのお陰でぐっすり。

元町・中華街の中でも地味に見えるけれど、味は抜群。狭い店内にところ狭しと野球選手の色紙やユニホームが貼ってある。開店早々乗り込んでメニューを見てせっせと注文した。ノンアルコールビールで乾杯して、なぜか今年は緑色の髪の毛ではなく、ややまともな雰囲気の主賓としばらく会話をしながら待つことしばし。ランチの注文優先らしく私たちの周りのオフィスから昼ごはんを食べにきたような会社員風の人の注文した料理はさっさと運ばれてくる。

けれど、超短気な私たちでも流石にめでたい日に騒ぐほどのパワーはもうないので、静かにゆったりと料理を待つ。二人ともおとなになったというか、年相応に進歩したものかと考えていると、ランチの注文が一段落すると、こちらに順番が回ってきて次々に料理が運ばれてきた。パクチーの水餃子、フカヒレスープ、海鮮炒め、焼きそば・・・届くそばからペロリと平らげて最後は何一つ残っていないきれいなお皿が残るのみ。

私は最近食欲がなく、胃腸の調子がいまいち。これも歳のせいでと諦めていたけれど、とんでもない。美味しければ胃もたれもしないことを発見したのだった。最近は、なんでもいいから口に入れてしまえば空腹が満たされるという乱暴な気持ちでいたけれど、それは大きな間違いだった。自分が作ったいい加減な料理は、体のための栄養やエネルギーを得るためだけで、心の満足感はなかった。それが大いに問題だったのだ。やっと気がついた。

この店の味はふくよかで優しい。きっと丁寧に出汁をとり、肉や野菜を下ごしらえして、いや、それ以前に野菜の美味しさが表すように材料が選ばれていたのだろう。中華街には美味しいと評判の店がごまんとあるのに、この店は特別。

食事が終わってカフェでコーヒーを飲みながら、ああ、美味しかった、何回も言いたくなった。いつもなら1時間くらいすると胃の少し上に刺激がくる。だから、毎日食べすぎないように控えめに食べる習慣になっていたけれど、目一杯食べて、いくらなんでも食べすぎよとつぶやいていたのに、胸は焼けず満足感のみが得られた。少し反省。

最近の物価高騰による危機感もあって、なるべく安価で経済的な食生活を心がけようと思っていたけれど、それはもうやめようと思った。許される限り食事は大切に、美味しいものは私たちの年代ではあと何回食べられるか数えられるほどだから、もう我慢するまい。若い頃ならお腹が満たされれば満足できたけど、今はもう豊かな気持ちになれる食事をしよう。それは高価なものというわけではない。正しく作られた日本古来の食文化を大切にすること。

最近見つけた味噌で作った味噌汁は、先日友人たちから絶賛を受けた。すぐに調査が始まって長野県の御代田で地元の主婦たちが作っている無添加味噌だと判明。幸い追分に友人がいるから早速店を探してみようということになった。ちゃんと作るとこんなにも優しい味なのだという証明のような味噌。贅沢ではなく正しい食事がこれからの私の課題なのに、今朝の食事はインスタント・カフェオレとおかきのみ。初っ端から残念な。ちょっと胸焼け。

ところで、その美味しい味噌を私はどうして、どこで、いつ、買ったのだろうか。ずっと考えているのに思い出せない。それも味噌をスーパーの商品棚から手に取った記憶は鮮明なのに、どこの店かどうしても思い出せない。味噌を買うより脳味噌を買ってきたほうがよさそう。どこかに性能の良い脳みそを売っている店を知りませんか?



















2026年6月16日火曜日

パソコン帰宅

 実はノートパソコンの蓋の蝶番が機嫌悪くギクシャクして使いにくいので、いつか修理をせねばと思っていた。そしてある日開閉ができなくなり急遽入院することに。

機械に弱い私は震え上がった。この中には私にとって貴重な情報が詰まっている。買い物はほとんどネットで、旅行に行くときはホテルや列車の手配、メールもパソコンだけにしか届かないものがある。いくら便利になったからと言ってスマホの画面は小さく目の悪い自分にとって鬱陶しい。私はのっけからのパソコン派です。

さてどうしたものか、以前は凄腕のサポーターに頼っていたけれど、今は状況がしれないとなると自分で見つけねば。そういうときに便利なのがAIさん。頼りになります。自宅に近くすぐに対応してもらえる店を探そう。

教えてもらったのは自宅から車で10分圏内の隣町のショップだった。AI さんは一軒の店を推奨してくれた。評判によれば口コミで星をたくさんもらえるお店だとか。星3つとか5つとか言うとなんだか頼りなさそうだけれど、他に宛もないので出かけてみた。

たいそう地価の高いこの街で店を構えるのは相当はやっているであろうと思ったその店は、商店街の片隅にひっそりと地味に立っていた。構えも小さく中も狭いけれど、なんか楽しそう。一応女性ではあるけれど、車が好きだったりする私はたいそう居心地の良い風情を感じた。

店主殿は今どきの若者?あるいは・・より少し年上の無駄口の少ない男性。この世界の人たちは本当に無駄なことは言わない。そこがどんどん話を広げてしまう私にとって、大変心地よい。そしてパソコンの蓋はどうやら長年の劣化で貼り付けてあった部分がはがれはじめているとのこと。とりあえず修理は一日あればできるということでおいてきた。

その後メールがあって蝶番の部分の部品の入荷が遅れてもう数日かかると。ああ、困った、なにもかもパソコンに入れっぱなしのせいで、少し日数が経ってしまうと銀行の引き落としとか、定期購買のカードの引き落としとかに支障が出ないかしら?案外小心者なので、いつだったかカードの引き落としが遅れたときのことを思い出した。

一度だけ残高不足で引き落としができなかったことで、カード会社のお姉さんのどすの利いた声で威嚇されたことがあった。長い人生そういうことだってたまにはあるでしょう。ろくすっぽ通帳など見ることもない私がそれ以来、ちゃんと点検するようになった。今でも恐怖が蘇るほど怖かった。

金融機関とかの人は常に丁寧に接客するような指導を受けていないのだろうか。それはもうこちらが悪いのは重々承知、謝るしかないけれど、それも億単位の取引とかならそうなるでしょうが、数万円でこれほど叱られるのかびっくり。もちろんこちらが悪いのは本当にわかっていますとも。でもね平謝りしているのにヤクザの啖呵を切るような、見えないけれど、もしかしたら腹巻にどすを忍ばせている?と訊きたいほどの声色。今思い出すとおかしいけれど、若かった私は震え上がって、もう二度とカードを使わせてもらえないのではないかと思った。

今だったら他にたくさんカードがあるからあなたのところのはやめるわ、なんて言い返せば良かった。はいはい、もちろん私が悪いのは承知しておりますよ。その頃は一般の人は現金払いが普通だった頃の話。

カードを作る経緯も話すと、大体私の職業はカードを作ってもらえなかった。なに?音楽家?しかもフリーの。そんな職業はないだろう。乞食と一緒ではないか、というわけで。銀行であっさりと断られ、仕方がないから旅行用に一時的に作ってもらったカードを帰国後に正式にカード登録をしてもらって、嬉しさに涙が・・出なかったけれど、やっとカードを手に入れて、自分の仕事がどれほど世間から認められていないかを実感した。

今でもそうですが、国勢調査に応えると、職業欄に自分の居場所はないのですよ。アメリカに住んでいた友人が「アメリカだったらフリーの音楽家ってすごく尊敬されるのよ」とか。日本では河原乞食と蔑まれる。お国柄ですな。でもね河原乞食はいつでも自由で幸せな仕事なのよ。一度やってご覧。やめられなくなるから。乞食と同じでね。

ということで無事に私のパソコンは帰ってきた。蓋の蝶番は新しくなったものの、本体の貼り付け部分の剥がれがやや手遅れということで近々パソコンは新しく買い替えることに。ウインドウズ10が入っているので最近11に替えろとウインドウズからやかましく言われている。しかしこのパソコンにはそれが入らないのだそうで、また様変わりすると、なれるまで大変だなあ。おばあさんに優しい50年は変化しないものはないのかしら。

パソコンを始めてから私の知識や生活の便利さ、忙しい仕事がいつも機械に助けられ、いまはAIに助けられている。私の知識の泉、心のケアまで範囲が及ぶ。









2026年6月7日日曜日

猫の恩返し

 最近我が家にはひっきりなしにお客様が訪れる。昨夜からの台風騒ぎが静まって少しあたりが明るくなり始めた頃、8人ほどの来客があった。

猫たちは来客があって自分たちの餌がセットされていなくても、よそのお宅でごちそうをいただける。これは便利、地域猫には数軒の餌場があって自給自足。たまに忘れてもほかで調達してくれるから手間いらず。それでもどの家も都合が悪いことも長年の間にはあったかもしれない。どの家でも今日は都合が悪いので餌はないよと猫に言わない。いつものようにどこかの家で食べているだろうと都合よく考える。そんなときには野良たちはどうするのだろうか。

腹ペコの野良は「チェッ、今日はついてねえな」とうろつきまわる。そんなときが一番危ない。どの家にも餌がなく、いつもの分が満たされなければ自分で獲らないといけない。そこにつけ込んで毒団子を食べさせたりする家があった。私の家の周りの数件の猫好き奥さんたちが泣いた日々があった。一斉に猫たちが中毒を起こして死んでから、時には警察が見回ったりすることもあったので、最近は収まっている。良かった。

今日の我が家?の野良猫たちは来客のために放って置かれていたから、腹ペコと暇つぶしに外で台風の余波を受けながら遊んでいた。途中パソコンに向かった私の後ろで「にゃあ」振り返るとそこには行儀よく両前足を揃えてこちらを見上げるグレちゃんが。

グレは立派なオス猫で、いかにも賢そうな眼差し。そして両前足の前に可哀想に、雀がぐったりと倒れていた。もうすでに息はなく死んでいるのはわかったけれど、グレが私を見上げていかにも賢そうに視線を送ってくるのを見ては、叱る気もしない。雀は可愛そうだけど、グレを叱るわけにもいかない。

彼はじっとこちらを見上げて「いつもお世話になっております」と私に挨拶をおくっていたのだ。私も「グレちゃん、美味しそうなすずめちゃんだね」とは言えないからただ「ありがとう」と彼に言う。とにかく一刻も早くどこかへ連れて行ったもらいたい。眼の前で食べ始めたらどうしたらいいか。思わず「きゃあ」と悲鳴を上げてしまう。ここで怒ってはいけない。

彼は彼なりに一生懸命私にお礼を言っているのだから。でも今までどれほどの数を飼ったかしれないたくさんの猫の中で、これほどはっきりと謝礼を持ってきた猫は初めて。飼いならして訓練すれば、金の延べ棒を咥えてくるのではないだろうか。

ずいぶん以前に飼っていたニブという猫がいた。それはそれは賢く正義感が強く、家族猫たちの守護者であった。その猫は一時期、表から帰ってくると、いろいろな魚をお土産に持ち帰ってきた。誰かが自分のおかずをおすそ分けして持たせてくれるらしい。でも猫には人間の味付けは健康に良くないから、いくら可愛くても餌はやらないでほしい。猫には辞退するようにといい聞かせていた。それでも毎日咥えてくる。ある日、うなぎを咥えてきたときには流石にこれはだめと思ったので首輪に手紙をつけた。いつもいただくお礼を言って、辞退の意向を添えたら次の日からパタリとお土産は止まった。

その家の人は猫に与えていたと思ったのに、人から手紙が来たので相当びっくりしたと思うけれど。しかもニブはいただいた魚を自分で食べずにせっせと私に運んでくれたのだった。好物のお魚を食べずに私にくれた二ブの優しさを私はわすれない。猫だってこれほどの気持ちがあるのだから、私の人生で受けた御恩を他人様にお返しするのにはどれほどのことをすればいいかと思うと気が遠くなります。だんだん薄れゆく記憶はその重圧から逃れるためかもしれない。忘れてはいけないのに忘れないとたまらない記憶のすべて。

人はお互いに助け合わないと生きられないのに双方のバランスが崩れたら、もう気持ちで返すしかないと。本当にお世話になりっぱなしの自分の人生をどうやって御礼をしようかと思う日々。それなのに本当に大事な人を怒らせたりするのがなさけない。

そんなことの連続だったけれど、一般的に見たら私の幸せ度は上位にあるといえると、自画自賛。なぜなら私の能天気さ加減が並外れているからで。最後に師事したボウイングの先生は私を見ると嬉しそうに笑う。レッスンが終わると「あはは、あんたは本当に呑気に生きてきたねえ」冗談じゃない、先生!私だっていっぱい苦労してきたんですよ。でも苦労することまで冗談にできることは稀に見る才能かも。

レッスンが終わって教室を出るときに先生は「あんた、そこのドアを出たら今習ったことをすぐに忘れるんだろう」そしてまた先生は嬉しそうに笑う。なんで先生たちはいつも笑っているのかわからない。この曲が嫌いとなったら頑として拒否する生徒だった私。それを受け入れる先生たち。普通なら破門されそうなのに。

レッスンは楽しかった。曲作りに没頭するのはこの上ない楽しみで、先生たちはいつも私の好きなように作らせてくださった。それが良かったのか私は自分で考えることを身につけた。私は自分の思いを主張するのが先だけど、それが面白かったらしい。

そして今、まさに自分の教え子に同じことを感じている。

9月のコンサートのヴァイオリンが一人足りなかったので私のもと教え子に共演を依頼した。快く引き受けてくれたから私もこけないように頑張らなければ。これは本当に嬉しい。教師冥利に尽きる。実にのびのびと楽しげに彈いてくれる。この人のレッスンのときには私はずいぶん厳しくしたつもりだったのに、本人曰く「全然怖くなかった」

いまや彼女はすっかり成長して私はおずおずと尋ねる。「私の音程合ってる?」














2026年6月1日月曜日

消防自動車とお月さま

昨夜8時頃、時ならぬ消防自動車のサイレンが近隣に鳴り響いた。野次馬の私は家を飛び出す。何だ何だ!近所一番の情報通の奥さんの家の前だったから、事情は後で聞ける。とりあえず現場直行。

自動車の止まっている付近は我が家の二軒隣、家の前の桜並木のある川沿いの道、手前に一台、向かい側に一台、小さな橋がかかっている場所だったから向こうの様子も見られる。

情報通の奥さんが橋の上で、すでに駆けつけていたもう一人と話をしている。けれど、火事にしては緊迫感がなく、はてな?私に気がつかなかったようで、奥さん方はあらぬ方を見て話し込んでいる。いつもならこの奥さんに捕まると1時間くらい話し込むことになるので、こっそりと撤退した。家の周りは静かで暑くも寒くもない心地よい初夏の夜。

結局なんの事件でもなくあたりに置き去りにされたゴミか忘れ物か何かの撤去?だったみたい。

帰り道、ふと見上げた空に大きな月が・・めったに見ないほどまん丸な月、そして力強い光が煌々と空いっぱいに広がって、めったに月など見ることもない無風流な私を驚かせた。月の見える方向に丈の高いクレーンが首を伸ばしている。クレーンの安全灯の赤い光をも凌ぐほどの明るさに見とれた。

最近はめったに夜に外に出ることもなく、まして空を見上げることもなく、気がつくと二匹の猫が喜んで私の周囲を飛び回っていた。この二匹は私の猫というより地域の猫。最近は私が家にいるので我が家に滞在することがおおくなったけれど、どこの家でも可愛がられているらしく、時には夜も二匹で外で過ごしている。特にオス猫のグレちゃんは野良猫魂が強く、夜は外で過ごし、メスの、のんちゃんの方は私と一緒に眠りたい。それで夜中は別に過ごしている。夜明けのタイミングで同時に朝食を摂りに訪れる。

夜、私を見つけた二匹は嬉しくてそこいら中を飛び回る。鬼ごっこをする。明るい月の光に照らされた猫たちの飛び跳ねる姿がかわいい。しばらくお月さまの見物をすることにして、猫たちと付き合う。時々、日本の明るい月と違って今戦争をしている国は、明るさが怖いのだなあと思うと、心にチクリとトゲが刺さる。

今朝はそっと音をたてないように家を出た。早朝の気持ちの良い空気のうちに散歩がしたかった。けれど、やはり駐車場にはこちらを向いているのんちゃんの姿が。慌てて家に戻り朝食をとることにした。そしてまた外を伺うと猫の姿が見えない。しめしめ、気が付かれないように玄関から抜け出して足音を忍ばせていつものコースの反対側に向かって歩き出した。

するとピュッと脇を追い越したものが。やはり見つかってしまった。お供しますよ母さん、いえいえお供はいりません。しかし猫たちは振り向くと尻尾を立てながら私の後ろに迫ってくる。時々追い越したり道草したり。かわいいんですが、通る人たちが私を見て笑うのよ。嬉しいけれど、どこまでもついてこられるとテリトリーの外に行って迷子になると困るので引き返す。猫に気をつかうのも楽じゃない。










2026年5月30日土曜日

二人だけのコンサート

白寿ホールのステージ上には譜面台が2本、シンプルな照明が中央付近を明るく照らすのみ。

開演すると客席から向かって左の下手側から二人の男性登場。二人の姿が見える前から待ってましたとばかり拍手が起きた。

ヴァイオリン 白井 篤

ヴィオラ   中武 英明

M・ハイドン:4つのソナより 第1番 作品127

j・プレイエル:二重奏曲 作品69-2

J・カリヴォダ:二重奏曲 第1番 作品208-1

A・ロッラ:デュオ・コンチェルタンテ 作品4-2

w.A.モーツァルト:二重奏曲 K.124

このお二人のコンサートを知ったのは、一昨年の「古典音楽協会」の新しい体制による定期演奏会のころだった。旧体制の「古典」はコンサートマスターの引退によりメンバーを新たに再出発することとなった。私は旧体制の古狸だったので当然新体制の発足のメンバーでもあり、新しいメンバー獲得に奔走していた。1年後には新しいメンバーで定期公演を無事に迎えなければならない。ヴィオラのメンバー候補を探すときに友人に相談した。その友人が最大に薦してくれたのがヴィオリストの中竹さんだった。

それまでなんの接点もなかった彼にいきなり電話をかけて快く承諾していただいたことは、新体制発足の第1番目の成功だった。友人いわく「彼は腕だけでなく人柄も素晴らしい」それ以来中竹さんはモーツァルトの「コンチェルタンテ・シンフォニー」のソロヴィオラなどで古典をささえてくださっている。

私が二重奏の演奏を聞くのは3回目となる。あれからもう3回、聞いたのですね。あの頃の苦労がすっかり落ち着いて、今、まさに幸せな引退生活を送っている。

この二人の見事なアンサンブルは一度ぜひ聞いていただきたい。私が言うのもなんですが、掘り出し物ですよ。こんなにのっけから素晴らしくハモることは驚異的なことで、二人のテクニックのレベルが並大抵ではないこと、音色の類似、弓の圧のバランスの良さ、等々上げればキリがないけれど、よくぞここまでという思いがする。この次はここのブログで次回演奏会の予告をいたしますのでぜひいらしてください。

それにどなたが書かれたものか、大変に面白いプログラムの解説、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトの親交は有名ですが、ハイドンが二重奏曲を作曲途中に体調不良に見舞われたとき、モーツァルトが助けたなど、親戚同然の付き合いが垣間見られる楽しい解説ですね。

ミヒャエル・ハイドンに関する資料は兄貴の影に隠れてたいそう少ないと言われている。そしてモーツアルトとミヒャエルの曲が混同されていて、ホルンコンチェルもどちらの曲?と言われるほどだけど、そんなことも家族の元を離れてヨーロッパを訪問していたモーツアルトの家庭的な幸せがハイドン一家によるものが大ではなかったかと想像することもある。苦悩の多かったモーツァルトが一時の幸せを得られたとしたら、涙が出るほど嬉しい。

と、どうしてもモーツァルト贔屓ですが、本題からそれて、でも次回の二重奏コンサートを楽しみにしています。