コンサートの後、1週間ほどでやっと眠れるようになった。
長い練習の後は普段なら達成感があるのだが、今回はあまり良い出来ではなかったのでむなしさがあるのみ。あれほど時間を重ねたのにというむなしさが。それはいつも出来がいいわけではないから、たまにがっかりすることはあったけれど、普段は終わればニコニコできる。やるだけのことはやったという満足感があったけれど、今回はもう一度・・・いやいや、もう無理。
テニスの錦織選手が現役引退の試合で負けた。まだ若い。彼はこれから様々な形で日本のテニス界に貢献できるけれど、やはり勝って引退したかっただろう。私も勝ってやめたかった。
ヴァイオリンを始めたのがほかの人たちよりもだいぶ遅かった。そこは家庭環境があるし自分がヴァイオリンを知らなかったから仕方がない。レコードで聞いているだけで楽器そのものが家に無かったし。ピアノとお琴は家にあって時々触って楽しんでいたけれど、言い訳すると、もう少し早くヴァイオリンに出会っていれば、もう少し早くヴァイオリンを生涯の友にできていればという愚痴が出てくる。
でもヴァイオリンを手にしてからは本当に楽しかった。下手であることは少しも苦にならない。自分のペースと才能の限界をわきまえていたし。それで楽しく弾いていると、時々とんでもない人から助けられる。これが私の幸運のおかげ。周りからたくさんの助言を受けて、その助言を素直に聞く性格もあって、たいそうかわいがられた。だからうまくなったとは言えないけれど、何とかしてやろうという周りの人たちによって、押し上げられていた部分がある。
だから私の才能の一部はそうした先生や友人、共演者からいただいたものだった。かつてあこがれのもとだったような人たちと共演できる、夢のようなチャンスに恵まれることも多かった。野育ちの私は臆することなく、知識の欠如による無知のおかげで、平然として自分を出せるようなところが逆に気に入られることもあった。
自分を出す、アンサンブルにおいて最もダメなのは、自分を持たない人。周りの顔色を窺って合わせてばかりいる人。これが一番ダメで帳尻合わせにきゅうきゅうとしている人。逆に時間合わせばかりうまくてすべてわれ関せずの人。心が通じ合わない。音で会話ができないと苦しい。何のために集まっているの?
さて、今年は「ふくろう」で時間の大半が費やされたので他の曲に目が届かなかった。これは大変な時間の損失。メインのシュ-ベルトが散々で悔しい。「ふくろう」に「ます」が食われてしまった。その後、客席で聴いていた変な曲好きなピアニストが来て「また何か面白い曲をやりましょうよ」と言ってくれたのが唯一うれしかった。もう一度なにか合わせようかと、また病気が始まる。
今月半ばにはバッハのクラヴィ-ア伴奏付きのヴァイオリンソナタを弾くことになっている。それは長年の相棒と。譜読みを始めると心洗われる気がした。音楽に何が正しいとか悪いとかいうことはいえないけれど、これぞ王道であるという気持ちが沸き上がる。結局引退と騒ぎながらまだやめられない。猫と音楽は魔物なので。
昨日初めて疲労感が出てきて、10時間以上眠った。疲れすぎると切れ切れに3時間くらいしか眠れない。まず疲労克服の第一関門突破ができた。