2026年7月20日月曜日

白玉団子

お盆のころ思い出すのは 母のこと。この年になってもまだ母が恋しいのはもういい加減にしろと言われそうだけど、特にこの季節は様々な行事の中の思い出が多い。

私の実家は旧盆というのかな?8月がお盆で、仏壇にはほおずきや花が飾られて、母は毎日のように仏壇の奥まで拭き掃除をしていた。別に取り立てて宗教心があるわけではない我が家も、この季節にはご先祖様のお出ましを心待ちにしている様子だった。

キュウリやナスの牛馬で送り迎えするというのもユーモラスで私は好きだった。掃除をしながら母は様々な話を聞かせてくれた。変わり者の先祖たちは母の臨場感のある語り口で子供たちは抱腹絶倒、ぜひ会ってみたい人たちとなって記憶に残っていた。

母は歴史が好きで、例えば源義経と弁慶の話なども母から様々なエピソードを聞かされ、嘘か誠か虚実入り混じった話にあまりにもかわいそうで涙したり、母自身も特別感情の豊かな人だったから自分で涙したり笑ったり、それはもう面白かった。

特に思い出すのは夏の食べもの、冷たいソーメンやスイカなどはおいしかった。古い井戸があってそこにスイカやトマトなどの野菜を冷やしておく、これが本当に新鮮でおいしかった。子だくさんの家庭では父は庭の半分くらいに畑を作って野菜を育てていた。私は父親の跡をついて回って、取り立てのニンジンをかじったりしていた。特に美味しかったのはトマト!今でも忘れない。今のトマトのように甘くもなく青臭い香りだったのに、あのおいしさは二度と味わえないのだとがっかりしている。

母は取り立てて珍しい料理はしなかったけれど、ちらしずしのおいしさはいまだに覚えている。寿司酢の加減が絶妙で、実を言えばあんなにおいしいすし飯は母を超えるものは食していない。なんという塩梅なのか、決して豪華な種が乗ってはいない。ちくわにキュウリや魚のほぐし身などいつも食べなれているものばかり、それがおいしいすし飯に乗っていると特別な日のごちそうになる。

お菓子類も戦後で乏しいころ、夏は白玉団子が一番のスターだった。つるりんとのどを通る冷たい団子、しょうゆと砂糖で甘辛く絡めたたれのおいしさ。急に思い出したので作ってみようかと思い立った。

白玉粉は先日見つけて買ってある。まず団子を作ろうと適当な量をボウルに入れて水を足しながらこねてゆく。その辺まではよく見ていたから見様見真似で。ところがどうも水加減が怪しくどんどんぬるりとしたぐにゃぐにゃした怪しい物体になってゆく。どうやら水が多すぎたらしい。こんなもの水を入れてこねれば丸くまとめるのは簡単と思っていたがそうはいかない。

緩いから粉をドンドン足すとまとまりが悪くなる。水を足すとぐにゃぐにゃして団子にならない。四苦八苦していたけれど、面倒だからこのままゆでてしまおうとお湯を沸かして放り込む。まとまりが悪いから変な形の粉の塊が散らばって、とても団子とは言えない形状のものが浮かんでくる。浮かんだものを取り出して水にさらして熱を取る。

食べれば味は紛れもない白玉団子。形はアメーバーのような、なんとも言えない変な形。大きいのや小さいのや。ぷかぷか浮かんできたのを掬い上げて。母の白玉団子はきれいな形をしていて透明感がありおいしかった。そろそろ母が亡くなった年齢に近くなったのに、私はいまだに白玉団子が作れない。なにもかも、母を超える事はできなかった。












わんにゃんトイレ事情

 今朝玄関先に液体の跡。わー、こんな所で犬におしっこをさせたの?

集合住宅だから1階の共用玄関。その外になにやら液体が流れた後があった。相当量の液体が痕跡として残されている。これは大型犬!猫や小型犬ではこんなに大きな跡は残らない。なにも他人の建物のしかも玄関前にこんな跡をつけるなんて。

うちは管理者である私が怠け者だから掃除が行き届いていない。駐車場のコンクリートと外の部分のわずかな土にぼさぼさと草が生え、野放図に伸びている。かわいい赤い花が咲くので私は伸び放題にしている。目に余るほど伸びると時々半分くらい刈り取るけれど、基本あるがままの状態にしておく。コンクリートの都会に雑草がはえていてもいいのではと許容しているのが近所のきれい好きなおじさんたちには不評なのだ。

早朝、この辺を毎日掃除をするおばさんがいる。几帳面というかチリ一つ残さず見事な掃除っぷり。声が大きいから窓の下で通行人としゃべると近所迷惑だけれど、私が掃除するとは雲泥の差。私が掃除した後は掃除したようには見えない。なにしろ雑なので。

そのうえ雑草を好んで伸び放題にするとあれば、おっさんたちには受けが悪い。そのじいさんたちが何かと目障りなところにチリの山を残してゆく。例えば共用玄関前とかに。犬のおしっこと同じように。ガラスのドアの外側の真正面に三角のピラミッドのようにほんのすこしのごみが積まれている。ご苦労さんなこった。

私はあまりきれい好きではないし、そんなことは気にしないから数日間放っておくといつの間にか消えている。いやがらせやったご本人が気になってしまうのだろうと思う。なにか気を引きたいの。孤独なんだねえ、おじさん。(もしくはおばさん)

私は育ちが悪く野生の猿のようだったから、ほかの動物も大好きで、犬のおしっこくらいにはびくともしないけれど、飼い主には猛烈腹がたつ。なにか構ってほしいのかな?だったらかまってあげるわ。洗剤の入った水でもかけてあげましょうか?見つけたらただじゃ置かないと腕まくりして待っている。

酵素入りの水をまいた後はクエン酸をまくとよいそうな。酵素の水で消毒はできるけれど、ワンちゃんはもう一度同じところでやるから、ワンちゃんに受けの悪いクエン酸で犬除けするといいとAIさんに入れ知恵された。役に立つねえ君は。何でも知っているね。後でクエン酸を買ってこよう。確か最近までクエン酸はお風呂場に転がっていたはずが、いざ使うとなると見当たらない。いつも私のやること中途半端。

クエン酸を買うことを忘れないように。でも多分忘そうで。

うちのそと猫たちもどこかのお宅で迷惑をかけていると思うとすみません。外に出すなと言われても本来のらなので困った。でも皆さん優しくてえさはいつもどこかの家で食べてくるらしく、丸々太っている。ありがとう、ご近所の猫親さんたち。猫はえらいことに我が家のトイレでちゃんといたすのですよ。でも時にはどこかの庭で・・・見つけたら叱ってください。賢いからちゃんと覚えるので。













2026年7月14日火曜日

楽器のご機嫌

それはそれは困ったことに、この暑さと湿気のおかげでヴァイオリンはご機嫌斜めなのです。

世間様にうそをついて引退するとわめき散らし、何か月もの間放置された楽器の恨みを今返されているのか。 先月、今月と調整をお願いして弦楽器工房に通っているけれど、どうもいまだに理想の音は出ていない。 この季節はもう無理だから我慢するしかないと周りの人たちも言うし、マイスターもなかなか難しいというし、でも私は短気な割にはしつこくて、何回も調整に通う。

特に下から二番目のD線がシャリシャリいうのが気になる。 工房のご主人のTさんは非常に穏やかな生真面目な人だから、努力を惜しまず私の注文に合わせて調整してくださる。 強めとか固めとか理解に苦しむ言葉でしか言えないのがもどかしい。

ある時我が家の周辺で消防自動車の出動が多かった時があった。 毎日のようにサイレンが鳴り別に火事らしいこともない。 けれど、いつもは完全に空調の効いた別室に置いてあるのも心配になったので、私の寝室に楽器を移動させたのが良くなかったようだ。 私と猫の湿気のこもった寝室は、一応エアコンはかけているものの湿度は少し高かったから楽器のコンディションに響いた。 

移動させて数日したら少し調子が悪くなってきたので元の部屋に戻したけれど、ああ、調子が落ちてしまったと感じて調整に出した。 Tさんは穏やかながらいつもよりきっぱりと「寝室はいけません」という。 わかっていたのに火事が心配で浅はかなことをしたと思った。 それ以来どうも調子が悪いと思ったら微小なはがれが見つかって修理をしてもらった。 

これでもう大丈夫と思ったけれど、それ以来鳴り方がいまいち。 皆さん梅雨時対策はどうしているのかしら。 長年の楽器との付き合いがまだ苦労の種。

最後の調整でシャリ感は減少、調整の翌日、久しぶりに乾いた音がしたと喜んでいたけれど、台風が発生するたびにくぐもった音になったりする。 幸い今は私の家での練習が多く、外に楽器を持ち出すことなくやっと小康状態になったのがありがたい。 

私の運命はこのところ猫のご機嫌取りと楽器の調整に明け暮れる日々になってきた。 なんということか、楽器も猫も共通点が多いことに最近気が付いた。 まずは両者ともに変幻自在、文字通り猫の目のようにご機嫌がかわる。 どれほど気をつかうことか。 決してこちらの言い分はとおらない。 しかもとんでもなく魅力的で扱いにくいのに決して嫌にならない。 毎日下手に出てご機嫌を損ねないようにご奉仕する。

猫は好き嫌いが激しく、時々餌が気に入らないといって食べてもらえないこともある。 ヴァイオリンも、せっかく買った弦が気に入らないと鳴ってくれなかったり。

早く梅雨が明けないかなあ。 最近そのことばかり考えている。








2026年7月8日水曜日

ウイーンのアゴーギグについて

 ウイーンフィルといえば新春コンサート。このコンサートに毎年のように出かけられるセレブの友人もいれば、私のように炬燵で丸くなってミカンを食べながら聞く人もいる。しかし、このウイーンフィルの聴き方を楽しむには高度の聴力がいるのです。

それがウイーンの「溜息」本当にそのような言い方をするのかAIに訊いてみた。

AI      演奏家のあいだでよく使われる言い方は 「ウィーンのため息(Wiener Seufzer)」 です。ただし、これは厳密には「スフォルツァンドの前に一瞬間が空く現象」そのものを指す言葉ではなく、ウィーン古典派特有の“装飾的・表情的なため息モチーフ” を指す語です。~中略~

neko    ここから始まるAIの言葉をご紹介しよう。ウインナーワルツの常識として

AI 1拍目:前へ、軽く押し出す(ふわっと持ち上がる)

  • 2拍目:少し沈む(重心が落ちる)

  • 3拍目:ほんのわずか後ろへ引きずられる

neko    これは正に私たちが今から50年ほど前、ワルツ王ヨハン・シュトラウスの孫のエドアルド・シュトラウスから習ったことなのです。昔の新春コンサートではかなり分かり易く聞こえたのですが、最近のウイーンフィルではあまり大げさな表現ではなくなってきているのは新時代のプレーヤーが多くなったからでしょうか。しかし、今年も私には聞こえました。

そんなことやっていないという意見があるらしい。私の知人が知り合いに尋ねたらそんなことはやっていないといわれたそうで。そういったのはプレーヤーでなく音楽愛好家なのでしょう。やはりすたれていくものなのでしょうか。しかしプレーヤーは自然にそうなるのです。なぜならリズムというのはそういうものですよね。アゴーギグという言葉があります。ほんのわずかな「ズレ」を自然にやりたくなる音楽性が演奏家の命。

AIの説明

🎧 「そんなことはない」と言い張る人がいる理由

これはとてもよくあることです。理由は3つ。

1. 間が極端に微細で、数ミリ秒レベルだから

訓練されていない耳には「揺れ」として処理されてしまいます。

2. ウィーン・フィルの弦のアタックが柔らかく、間が音色に溶ける

アタックが丸いので、時間のズレが“音色の柔らかさ”に隠れてしまう。

nekotama

興味があるなら調べてみてください。私もうまく説明できなかったのですよ。以前、オーケストラで新人と並んで演奏したときにウイーン風のリズムで弾いたら怪訝な顔されて説明も面倒だから普通に弾いたことがありました。ちゃんと教えてあげればよかったと今は後悔しています。せっかくの知識をむだにしましたね。




ぐうたら

 昨日行きそこなったので今日は出かけるぞと思ったものの、体が言うことをきかない。昨日は意気込んでいたのに猫の具合が悪く、結局彼女は今朝まで珍しく室内猫になっておとなしくしていた。

昨日は出かけるつもりでいたエネルギーが余って、長いコースの散歩やヴァイオリンの練習やで時間を過ごしていたために、今朝起きたら腰に違和感あり。もう、これだから嫌になる。あれほど活動的で思い切りのよかった私が今はこの体たらく。どよんとして起きたらもう出かける気は失せていた。しかし今日はいいお天気。予定の立て方間違えた。

それはもうコンサートの練習に追い込みをかけろという天の声かもしれない。今回のプログラムはかなり難しい。私はどちらかというと難しい曲が好きで挑戦していると嬉しくなるタイプだから、あえて今回もそうしたけれど、おっと!年を忘れていた。年齢による言い訳は効かない。

まず一曲目の「フクロウ」は全曲ほぼ変拍子。5拍子、7拍子、8拍子、9拍子が入り混じって反射神経を刺激する。面白いしすごくいい曲なので楽しんではいるけれど、少しの油断もならない。ドヴォルザークは思い切り楽しく美しい曲ではあるけれど、なにしろ音域が広すぎる。ハイポジションの連続で音程が難しい。ヴァイオリンの音程は指板の上に行くほどピッチが狭くなる。下のポジションでとるよりも左手指の幅を少なくしないと音程が上ずってしまう。

けれど、人の指の幅は変えられないから少しずつずらしながら微妙に調整する。これが大変。私の指は年齢のせいで少し曲がってきているから、ピッチの差と指の曲がり具合の両方から攻めていくけれど、恐ろしく大変なことなんですよ。悠然と弾けると思ったら大間違い。ヴァイオリンをこれから始めようと思う方は、その苦労をご存じなかったならもう一度考え直されることをお勧めする。

そして何よりも難しいのはシューベルト、私たち日本人には身についていないウイーンのリズム、聞いていれば本当に楽しいけれど、体に染みついた日本的な几帳面さが邪魔になる。特に三拍子。どうと説明は口で言えないけれど、先日投稿した「ウイーンの風」だったか「ウイーンの溜息」だったか、ああいうものがあるので、今私が心から後悔しているのは、なぜ私はウイーンに留学しなかったのだろうということ。

ダンスでもできればなおさらよかったのに。ちなみに私の相棒だった人は、カーラジオなどで聞こえてきたオーケストラの音を瞬時に「あ、ウイーンフィルだ」と当てられる人だった。アナウンスを聞いたわけでもなく突然ラジオを点けたのにどうしてわかるのか。上手いと思っても、ウイーンかほかのオーケストラかはすぐにはあてられない。ホルンの音やニュアンスからしばらくしてからやっと推測できる。

そんなわけでシューベルトは大変難しいけれど、さすがに弾き甲斐があって楽しみ。当日まで体調を整え、頭脳明晰でいられるように北軽井沢は夢の家に、しばらく我慢。元の持ち主のノンちゃんが「この家であなたのヴァイオリンを弾いてほしいの」と言われた言葉は忘れない。

ちなみに先日投稿にした「ノンちゃん」は同じ名前ですが猫です。人のノンちゃんはトカゲをむしゃむしゃ食べたりしませんので、念のため。











2026年7月7日火曜日

猫の足かせ

 最近とんと北軽井沢に行かないのは、猫のノンちゃんがドライブを好まないというところに原因がある。まず車のエンジンをかけたところで大鳴きに鳴き始める。その後ドライブの約4時間ほど鳴き声は止まらない。運転よりもその鳴き声でわたしはまいってしまうのだ。

森に到着しても滞在中はずっと不機嫌で、宥めてもすかしてもご機嫌斜め。斜めだけならいいけれど、トイレや食事にも差しさわりが出てくる。トイレの我慢で膀胱炎になったり、便秘したりするらしく、体調が悪くなってしまうので大変なのだ。

最近ずっと車にはいつでも出発できるように最小限の荷物を積みっぱなしにしてある。この数日は忙しくないからあの森の中の一軒家に行ったらさぞや気持ちがよかろうと思っているのに、いざ行くとなると考えてしまう。そういう事情なので今朝は何が何でも出かけるつもりでいたけれど、結局猫の体調が悪そうで延期になってしまった。

猫はいつもなら夜明けとともに外に出る。外で最小限のトイレを済ませて朝ごはんを食べに戻ってくる。そのタイミングで捕まえてケージに放り込もうと待ち構えていると、さすが猫は魔物、気配を察して逃げられる。どんなに平常通りにふるまっても殺気を感じるらしくつかまらない。

それで出かける数日前からそうっと荷物を車に積んで、後は猫を捕獲するだけにしておいてもわかってしまうらしい。いつまでも待ってはいられないから今日こそはと夜明け前に起きて待っていた。そして予定通り、後は猫次第となったころ、ノンちゃんはいつもの元気がなくて私にずっとしがみついていた。気が付くとどうやら熱があるらしい。猫の体温は人よりも高いのは知っているけれど、それでもいつもよりずっと熱く感じる。

必死で私にしがみついて離れない。これはちょっと変だと思ったからずっと抱いていた。あまりスキンシップを好まないノンちゃんにしては珍しい。かなり高熱と食慾不振があるみたいで、これでは4時間のドライブはかわいそう。せっかく昨夜は早く寝て今朝の寝覚めは上々だったのに、明日でもいいかとあきらめた。そして今日は珍しくノンちゃんは家から出なかった。

昨日大きなトカゲを咥えてきて私を震え上がらせたノンは、私への捧げものだと思ったトカゲをその場で食べ始めた。私は遠巻きにして「やめなさい、逃がしてやりなさい」とわめくのに、結局全部食べたらしい。野生動物は毒がありそうでこわい。そのせいで体調が悪いのかもしれない。今朝トカゲの残骸を探しても何も残っていなかったから完食したらしい。

そのせいで私は出かけるタイミングを逃し明日はどうしようか考え中。気勢をそがれて明日はもう早起きできないかも。私も最近は毎日調子がいいわけではないから、明日の寝起き次第。しばらく海外旅行行ってないからカーボベルデに行きたいけれど、毛皮を着た足枷がいるのでしばらくお預け。













カーボベルデ

初めて聞いたこの国名。サッカー のアルゼンチンとの試合がなければ出会わなかった。

人口60万人ほどの、日本の滋賀県ほどの島と周囲の小島からなるアフリカの海に浮かぶ無人島。ポルトガル人がこの島を発見、統治していたが1975年独立した。公用語はポルトガル語。

この国のサッカーの歴史は浅く、しかし進化の速度が速い。2026年というから今年、特に強くなったという。何なのだこれは、全然聞いたことのない国が突然強豪国入りしたというのは。それにはこの国独自の進化の環境があったという。国が狭いことが幸いして、選手同士が幼少期からの知り合い、家族ぐるみのつながり、小さなクラブが協力し合うという条件があった。

そして、カーボベルデの音楽はリズムと身体性が強い・・ここまでAIの知識をお借りした。

ここで音楽が出てきたのはAIさんが私の職業に気を配ってくれてサービス精神を発揮したものと思われる。私は音楽家だけれど、運動神経はかそけきもので、小学生の時は跳び箱飛べない、逆上がりできない、走れば転ぶと散々だったけれど。

AIからの助言は 「北風が勇者バイキングをつくった」というノルウェーの諺を彷彿とさせる、非常に詩的で力強い表現ですね。厳しい環境や逆境こそが、人の肉体と精神を鍛え上げるという真理を突いています。この「環境が人を強くする」というテーマは、人間の身体づくりにおける科学的な側面や、数々の名作・格言でも共通して語られています* だそうです。
私のように過保護で甘やかされた人間はろくなものにならないということですね。一生かかって証明したのがこういうことで面目ない。もし来世があれば、私は筋肉粒々のアマゾネスに生まれ変わろうと思います。「粒々」?この変換笑ってしまう。これは現状のこと、理想は「隆々」時に変換が本質を突くことがあるけれど。なにも私の筋肉の弱さをここで暴露しなくてもいいんじゃない?
横道にそれました。元に戻ることに。
身体能力のほかにカーボベルデの人々は人口は少ないがヨーロッパで活躍している選手が多いことと、ポルトガル語が話せるということも有利に働いている。
サッカーについては私はあまり知らないけれど、この国のことがすごく魅力的に思えてきたので行ってみたいなといういつもの病気が出てきました。ポルトガルやオランダから飛行機で行く。静かなリゾート地であるらしい。費用もあまりかからないらしいが、日本からのツアーなどはないそうで様子がわからない。治安も良いとのことですが、夜に出歩くのはやめたほうが良いと。まあ、これは外国だったら知らないところを夜に歩くのはおすすめしないけれど。日本からでもそれほど行きにくくはないらしい。実現できたらいいな。調べてみよう。
ところで音楽については魅力的な情報が。モルナという音楽があるそうで語源は、島を離れる寂しさ、海のかなたの家族への想い、人生の切なさ など哀愁を帯びた伝統的な音楽でセザリア・エヴォラ( sezaria/evora )という女性歌手が有名であると。You Tubeでも聞けるそうだから聞いてみようかと思う。
私の「どこかへ行きたい」病の最有力候補になった。なんて魅力的な国なんだろう。でも、これでサッカーに強いと分かってブームになる前に行きたい。猫が足かせとなってかわいいけれど、困った。