昨日、エッサエッサと私の家まで来てくれたオーケストラの元同僚Hさんと、ヴァイオリンの二重奏を始めた。手始めのシュポアのデュオは、わざわざ練習しても音楽的にはあまりおもしろくなかったのでサラサーテのナヴァラに曲目変更。で、昨日楽譜をもらった「ナヴァラ」は今朝から譜読みをしてみた。最初のところを弾き始めた途端、本当に面白い曲とすぐにわかった。何なんでしょうね、こういうことがわかるのは。
シュポアの曲は明らかに技術のための曲、サラサーテの曲は音楽に必要なテクニックが大変難しいというだけで、音楽そのものが非常にチャーミングでまだ譜読みの段階だけど、ワクワクする。それが作曲家の力量というもの。一流かそれ以下かが分かれるのはやはり仕方がない。
何回も言うけれど、私は最初から音楽家になる気もなく、近所のお兄さんがたまたまヴァイオリンをやっていたので手ほどきを受けていた。それが8歳くらいのとき。その後2年間サボっていたのに、音楽好きな兄が次の先生を見つけてきてくれた。12歳からまた先生にレッスンを受けていたけれど、遊びの延長だったからのんびりと。ある日中学校の別のクラスから私に会いに来た人がいた。
「あなたヴァイオリンを弾いているんですって?」それが運命の出会いで友だちになり、その後誘われて音大付属高校を受けようということになった。
私はいつものように興味本位、どうせ受からないと思っていたのに何らかの事情で受かってしまった顛末は以前の書き込みで読んでくださったかな?それで本当に並外れて遅いスタート。普通4.5歳から始めるヴァイオリンのお稽古を8歳から、しかもダラダラと、というのでは曲も易しい曲しか弾けない。でもうちにあったレコードを繰り返し聞いていて、それが私の教育をしてくれたのかも。いつの間にか耳ができていたようだ。
受験の半年前というので新しく師事した先生のところで「あなたソルフェージュはやっていますよね」と訊かれて「はあ?やってません」と言ったら先生は腰を抜かしそうになった。ピアノのところに連れて行かれ「この音わかる?」私が書き取った回答を見て「ああ、良かった」心底安心したようだった。私だってびっくりした。自分がそんなことできるとは知らなかったのだ。
音大出てもまだ周りには追いつけない。そして、これもまぐれでオーケストラに入る。オーケストラで本気で勉強を始めた、その後10年あまりで退団、フリーとなってからは私の人生を支えてくれる人たちが大勢で私を押し上げてくれた。ただただ感謝しかない。
コンマスの鳩山さん通称ハトカンさんなどの大御所から東京ゾリステンのメンバーやそのつながりでどんどん仲間が増えて、いつも腕はビリなのになんだか良いポジションにいるというようなことが多かった。共演者がすごく贅沢なメンバーだったりして、そんな高名な演奏家たちは決して偉ぶらないことも知った。しかも共演すると本当に楽しいのだ。自分までうまくなったような気がするのだった。
というわけで、幸せな音楽人生、私は気後れすることがなかったのは、本当に何も知らずに周りの人たちについて行ったからなのだった。無知ゆえに怖い物知らず。幼少時代にたくさん音楽会に行って、たくさんレコードも聴いて、培われた耳のお陰で吸収するのが早かったせいでもあり、ヴァイオリンが下手くそでもよく音楽が理解できるゆえでもあった。
今しみじみと思う。皆さんの愛情が私をここまで連れてきてくださった。周りでは子供の頃に怖い先生に叱られてレッスンを受けた人の話ばかり。私には怖い先生は一人もいなかった。いつでもレッスンは楽しかった。怖いと有名な先生でもそうだった。先生たちはあまりに私が下手くそで、可哀想で怒る気になれなかったのだと思う。見どころがある生徒なら先生たちも夢中で指導したでしょう。でも私はのほほんとしているので叱れなかったのだと思う。練習で辛いと思ったこともない。最初の譜読みは常にワクワクした。
良き先生、良き仲間、そして今もなお一緒に弾いてくれる多くの皆様に心底から、感謝しています。今後いつまで弾いていられるかはわからないけれど。
9月に予定のコンサートの練習は始まったばかり。多少頼りなくなってきた頭には非常な負担だけれど、もう少し頑張ってみますか。そこにもう一人、いつもの相棒のピアニストからブラームス「ヴァイオリン・ソナタ」のお誘い。おやおやまた手に余る状態になってきたぞ。特にブラームスは心底厳しい。耐えうる力がまだあるかどうか、試してみないとわからない。
日々、演奏し続けて来た頃はまだ若かった。けれど今、体力気力ともに落ちてゆく中での力の配分がいうまくいくかどうか。年齢のせいにして失敗は許されない。舐めてかかるなよと、もう一人の自分がいう。あんたは引っ込んでいなさいと私はそいつにいうのだけど、なかなか頑固なやつで引っ込まない。困ったものだわ。