2026年10月10日土曜日

右往左往

今月20日過ぎに弾くことがあって、そのピアノ合わせに出かけた。季節もようやく秋のさわやかさとなり、明るい日差しの中のドライブは 心軽く、最近始めた声楽の発声練習をしながら相棒のSさん宅の近くに差し掛かった。少し早めに到着したので時間合わせにほんの少し遠回りをする。コンビニに寄って水を買う。

そして住宅街の細い路地を回って目的地に到着すると、いつもは私の到着に合わせてガレージのシャッターが開いているはずなのに閉まったまま。寝坊してるのかな?おかしいな。まさか・・・中で倒れているのでは。

一人暮らしの老人が一番恐れているのがそのことで、私は自宅に警備会社の見守り装置をつけている。もちろん犯罪防止が目的ではあるが、一定時間人の動きがないとアラームが鳴って警備会社から電話がか掛かる仕組み。もし私が電話に出ないと、近くの親族のところに電話がかかる。

うっかりその装置を一定時間解除したままになっていても同じように警告が出るのでとても安心ではあるけれど、天然おっちょこちょいの私は屡々セットし忘れて、警備会社の警告を受けている。たぶん「またあのうちだよ。まったくしょうがないな」なんて言いながら夜中の3時ころ電話してくれる警備の方々。お世話になっています。そして今、Sさんが約束の時間に家を締め切っている。もしや、家の中で倒れているのでは?

電話をかけるとあっさりと「もしもし、今お宅の近くだからもうすぐつくわよ」明るい声が聞こえた。「お宅の近くって?今日はあなたの家で合わせるんじゃないの?」きゃいん!!なんてこった。そこでお互いに「今日は私がそちらに行くって言ったじゃない」「え、でも最初に行くって言ったのは私よ」なんて押し問答しても仕方がないことを言い合った。

「待ってるから帰っていらっしゃい」と言われてすごすごともと来た道に車を走らせた。すっかり疲れていたけれど音合わせは楽しく、時間が大幅に伸びたのでおなかが空いた私たちは近くのレストランでボリューム満点のランチ、珍しくワインを飲んでご機嫌で別れた。













2026年10月5日月曜日

やな大臣

とんでもない大臣が出てきたものだわ。高市さん好みのちょっとニヤけた男。悪徳代官のセリフを思い浮かべる。「お代官様、それは困ります」「俺様の言うことをきかねば百姓どもなど何人死んでも構わぬのだ」

おお、身震いが出る。権力をかさに着てありもしないことを自分の手柄のように言う。親戚だったら恥ずかしいほどの弱い者いじめ屋。名前の通りのやな大臣。

自民党の政権以外の地区にはお金は出ないなど、それって本当にいやがらせ。国民全体の政治でありながら、特定の党の支持者だけを優遇するなどありえないでしょう。民主主義ってどういうことかわかってるの?おじさん。高市さんはここできっぱりと彼の首を切れば大喝采、切らなければ非難ごうごう、さあどうする?

普通ならこの先世の中を大手を振って歩けないと思うけれど、それがどっこい、一度選挙を通すともう禊は済んでしまうのだなあ、これが。こんな下品な男は久しぶりに見た。見事ないじめっ子体質。まるで自分が何でも決定できると思っていたら大間違い。権力に寄り添う卑怯者。

言っても言っても足りないくらい。虫唾が走るとはこのこと。

大臣を罷免できるほどの発言ではないでしょうか。皆さんどう思いますか?

2026年10月4日日曜日

やっと秋

今年は春がなくていきなり梅雨入りしたと思ったらそのまま猛暑となり、最近まで 雨の猛暑、最悪でしたね。今朝はやっと爆睡が終わって、しばらく中止していた散歩に行った。夏中、散歩はしてもいつもの公園全体の半分にも満たない距離数、もう一周はできなくなってしまったかと思っていたら、今朝はなんなく全周歩けた。

全周するときには途中に二回休憩を入れて通りすがりのワンちゃんを眺めたり吠えられたり。最近私も年をとってだんだん穏やかになってきた(と思う)から、吠えられることは少なくなったけれど、飼い主さんがおびえてリードを引いて離さないからいつまでも馴れてもらえない。公園の一か所にドッグスペースがあって、そこに犬が集まっているから時々立ち止まって羨望のまなざしで眺めるだけでつまらない。

私は犬も好き。大好き。だけど、飼い主さんに警戒されるらしい。あまりにもずかずかと近ずき過ぎるので。私自身は秋田犬に飛びつかれたり、セントバーナードに抱きつかれたりするのも何の問題もないけれど、飼い主は恐怖のあまり大慌て。ある時、動物ふれあい広場のような施設で、外国の名も知れない子牛ほどもある巨大犬に背後から襲われたことがあった。私は嬉しくてキャッキャと笑って戯れていたら、飼育員が真っ青になって飛んできたことがあった。「大丈夫よ、私は」と言ったら「ああ、びっくりした」と胸をなでおろしていた。

人間と犬という垣根を取ってしまえば、動物みな兄弟。地球は一つ。でも何かあったら飼い主が厳しくとがめられるのだから、最近は心して急激な接近は我慢している。

公園の広場にボーイスカウトがいた。今日は休日でなにかイベントがあるらしい。最近ボーイスカウトもあまり見かけないけれど、私の父親は生前この地区の隊長さんだった。時々アメリカのボルティモアからその地の隊長さんが家に泊まりに来ていた。身長2メートルほどの巨大な精神科のお医者さんだそうで、身長に合うベッドがなくて大騒ぎだった。高名な方らしく、日本の大きな病院から医師が訪ねてきた。

大きな方だから食事量も半端なく母がぼやいていた。ある時医師たちと出かけるというから今日は彼は外食をすると思っていた母は、彼が何も食べずに帰宅したといってがっかりしていたので、家族みんなで笑ったことがあった。「でもすごくよく食べるのよ、お肉なんかものすごい量なんだから」母は言うけれどそれは人種が違うから仕方がない。そのうえ、その人の息子さんが次の年に泊まりに来た。11歳だというから「可愛いでしょ。見に行こうかな」と言ったら、かわいいなんてものじゃない。なんと身長180センチ‼だった。

かわいそうにホームシックで初日はめそめそ、次の日にディズニーランドに連れて行ってあげたら途端に元気になったそうだ。母は彼に納豆を食べさせたそうなのだ。ホームシックはそれが原因じゃないの。大丈夫だったのかなあ。「大丈夫だったよ、ちゃんと食べてたから」と母。本当かなあ、日本でいじめられたと思ってないかなあ。












2026年10月3日土曜日

睡眠期に突入

まだまだ眠れる。ずっと眠っている。よほど疲れたらしい。今日も夕方までにすでに二日分くらいの夢の中。

気が付けば夕焼けの最後の光がかすれ行く時間。カラスが鳴いている。目が覚めた時は体が重く沈んで猫たちも飼い主に倣ってドタッと眠っている。彼らは半野良生活で数軒の飼い主を持つリッチな野良となり、今や食べ放題。眼光の鋭さは消えてツチノコの体型を維持している。飼い主がこんなだから彼らも眠りたい放題なのだ。

眠りたい放題眠れるのはありがたい。これでまた面白いことができるようになる。願わくば死ぬ直前まで好きなことをする体力と気力を持っていたい。今私は理想的な状態にあるのかもしれない。体調は悪くない。多少足元が覚束ないけれど、口は達者で言いたい放題、毎日病院へ行ってもらう薬もない。お薬手帳というものは持ったことがない。飲まなければならない薬や、治療を受けるケガや傷もない。

実際は右手の親指の曲がり方がひどくなって、右手に持つ弓を持て余すようなことはあるけれど、なに、引退済みなんだからもういつでも覚悟はできているさ。

実を言えば、数年前までは老後の暮らしにたいそう不安を持っていた。体が利かなくなって好きなことがだんだんできなくなったらいやだなあ、とか。でもコンサートが終わってみたら、もう怖いものはない状態になってきた。ステージで二時間演奏をすることがどれほど大変なことか。実際にやり遂げてみると、できるじゃない。これで体力と気力は保証済み。

楽器を鳴らすことはどんどん難しくなっている。音が細い。特に低音がならせない。私の楽器は気難しいお爺さんだから、本気で向かわないと応えてくれない。これは予想できたことだから一種のあきらめの現在。右手の親指の変形がひどいので、もう矯正は無理だと思う。どんなに練習しても、すればするほど、肩に負担がかかってきて途中で練習を中止することもしばしばなので。これはもうあきらめるしかない。そうやってどんどんできないことが増えてくるけれど、今までやりたい放題だったから、自分の残っている能力でできる範囲のことをやればいい。

今一番やりたいのは馬に乗ること。馬が走ってくれれば私の足が曲がっていようが弱っていようが関係ない。先日のコンサートの時に楽屋でモンゴルの話になった。「あなたモンゴルで馬に乗ったのよね」と友人が言うから、急にモンゴルの景色が目の前に広がって懐かしさに泣きそうになった。スキーも好きだったけれど、乗馬は格別。その楽しさは口で言い表せない。

スキーはもちろん私の最高の友だったけれど、馬との人馬一体ほど胸躍るものはない。そしてモンゴルの馬は賢く、数日一緒にいるともう心が通って私の意図を何でもわかってくれる。飛行機に乗せて連れて帰りたかった。そのわりには落馬させられたけど(笑)

日本に帰ってからも乗馬クラブに行っていたけれど、そこには高年齢の私を気使って、抑え込むインストラクターが待ち構えていて、一気に面白くなくなった。私は馬と仲良し。でもインストラクターは事故を心配して馬を抑え込むことばかり。見てください、私は落馬の女王なんだから。馬の頭上を越えて空高く飛ぶこともできるのに。ちゃんと背中で着地して一切けがはしないのに。スキーだってどんなに派手な転び方をしても、60年近く、指一本もけがをしたことがないのに。

私は前世猫だったからね。にゃ~!








2026年10月2日金曜日

やっと疲労感

コンサートの後、1週間ほどでやっと眠れるようになった。

長い練習の後は普段なら達成感があるのだが、今回はあまり良い出来ではなかったのでむなしさがあるのみ。あれほど時間を重ねたのにというむなしさが。それはいつも出来がいいわけではないから、たまにがっかりすることはあったけれど、普段は終わればニコニコできる。やるだけのことはやったという満足感があったけれど、今回はもう一度・・・いやいや、もう無理。

テニスの錦織選手が現役引退の試合で負けた。まだ若い。彼はこれから様々な形で日本のテニス界に貢献できるけれど、やはり勝って引退したかっただろう。私も勝ってやめたかった。

ヴァイオリンを始めたのがほかの人たちよりもだいぶ遅かった。そこは家庭環境があるし自分がヴァイオリンを知らなかったから仕方がない。レコードで聞いているだけで楽器そのものが家に無かったし。ピアノとお琴は家にあって時々触って楽しんでいたけれど、言い訳すると、もう少し早くヴァイオリンに出会っていれば、もう少し早くヴァイオリンを生涯の友にできていればという愚痴が出てくる。

でもヴァイオリンを手にしてからは本当に楽しかった。下手であることは少しも苦にならない。自分のペースと才能の限界をわきまえていたし。それで楽しく弾いていると、時々とんでもない人から助けられる。これが私の幸運のおかげ。周りからたくさんの助言を受けて、その助言を素直に聞く性格もあって、たいそうかわいがられた。だからうまくなったとは言えないけれど、何とかしてやろうという周りの人たちによって、押し上げられていた部分がある。

だから私の才能の一部はそうした先生や友人、共演者からいただいたものだった。かつてあこがれのもとだったような人たちと共演できる、夢のようなチャンスに恵まれることも多かった。野育ちの私は臆することなく、知識の欠如による無知のおかげで、平然として自分を出せるようなところが逆に気に入られることもあった。

自分を出す、アンサンブルにおいて最もダメなのは、自分を持たない人。周りの顔色を窺って合わせてばかりいる人。これが一番ダメで帳尻合わせにきゅうきゅうとしている人。逆に時間合わせばかりうまくてすべてわれ関せずの人。心が通じ合わない。音で会話ができないと苦しい。何のために集まっているの?

さて、今年は「ふくろう」で時間の大半が費やされたので他の曲に目が届かなかった。これは大変な時間の損失。メインのシュ-ベルトが散々で悔しい。「ふくろう」に「ます」が食われてしまった。その後、客席で聴いていた変な曲好きなピアニストが来て「また何か面白い曲をやりましょうよ」と言ってくれたのが唯一うれしかった。もう一度なにか合わせようかと、また病気が始まる。

今月半ばにはバッハのクラヴィ-ア伴奏付きのヴァイオリンソナタを弾くことになっている。それは長年の相棒と。譜読みを始めると心洗われる気がした。音楽に何が正しいとか悪いとかいうことはいえないけれど、これぞ王道であるという気持ちが沸き上がる。結局引退と騒ぎながらまだやめられない。猫と音楽は魔物なので。

昨日初めて疲労感が出てきて、10時間以上眠った。疲れすぎると切れ切れに3時間くらいしか眠れない。まず疲労克服の第一関門突破ができた。














2026年9月28日月曜日

富良野の小屋

「富良野は今頃ラベンダーが真っ盛りですよ。それはもうきれいですからぜひ行ってみてください」

大手楽器店のスタッフがそういって勧めてくれたので私は一人レンタカーで札幌を出発した。友人が故郷札幌でリサイタルをするので室内楽をプログラムに入れたいと依頼してきた。まだ私も若かった。仕事は大忙しでめったに休暇がとれなかったのに、その時は珍しくそのあと10日も休みだった。奇跡的!しかも北海道で。これは絶対北海道全域を車で回ろう。

というわけで、私は意気揚々と走り始めた。そのころの北海道は梅雨がなくて、ちょうど本州は梅雨入りしたころ。なんて運がいいのかしら。車はすいているし気候は暑からず寒からず、気分は否応がなしに高まった。それにしてもやけに道が空いているなあ。車とはめったに出会わない。

山に登って途中の山道に車を止めた。窓を開けると鳥のさえずり一つ聞こえない。なんて静かなんだろう。シートを倒してしばらく横になって静けさを楽しんでいたら、山岳パトロールのような車が近ずいてきた。不審そうにこちらを見ているのでシートを戻して山を下りた。自殺でもすると勘違いされると面倒だし。海辺に行ってみた。浜に咲いているのはハマナス?それもまだ咲きそめたばかり。寂しい。

帰り道で狐に出会った。旅行中だというのにたくさんのお土産をいただいて持て余していた。それは生もので賞味期限のあるもので、この旅の中で一人でこれを平らげるのは不可能だから車を停めた。仕方がない、狐さんに少しお裾分けしよう。すいません、これはいけない行動だったのだけど、2・3個、練り物をばらまいて逃げた。

そろそろ富良野が近いはず。ラベンダーが道路の左右にびっしりと咲き誇っているはず。でもそんな光景はまったく見当たらない。草もまだ生えていない。無機質な色合いの畑や周囲の丘などが見えるけれど。もうすぐ宿泊のプリンスホテルに到着するから、そこで聞けば教えてもらえるのかなあ。

ホテルに着いたのは午後4時ころだった。宿泊客の姿は見えなくてホテルも静まり返っている。部屋に荷物を運び入れてくれたスタッフに勢い込んで尋ねた。「ラベンダーはどこで見られますか」「ラベンダーですか?ラベンダーはまだ芽が出たばかりですよ。あとひと月くらい後で花が咲きます」だまされたー!なんてこった。

ホテルの周囲を見ても観光客の姿もない。これ何十年も前の話です。今のようにどこもかしこも外国人観光客がいるわけではなかった。しかも富良野はまだ名前が知れていない。私はスキー場として知っていた。しかし、後に安いスキーツアーに参加したら、同行者も少なく、宿も寒く、ゲレンデは凍り付くようで、リフト3本で凍え死にそうになった。さすがに雪質が良いので、最近は海外でも有名らしいけど。

「それではこの辺に面白いものが見られるところがありますか」「それなら小屋があります。北の国からの撮影で使った小屋です」えー、それはほとんど興味なし。しかし倉本聰さんのお名前に免じて見てやろうじゃないの。行ってみたら想像していたものよりはるかに小さく、これはなんだといえば答えは「小屋」ここまでやっと来たのに一言で済んでしまう。ほぼ感激もしない。

一晩プリンスホテルで眠った。私はしばらくうろついてクマ牧場を見て、山を見て「ああ、きれい!」傍らに同行者もいないしつまらないことこの上もない。たまに一人旅の若い女性に出会うと、そういう人は静かにたたずんでいるだけでは話相手にはならない。同じ雲を見て「きれいねえ」といえる相手がいれば楽しいのになあと思う。クマ牧場にいた中年女性とか、途中のパーキングで出会ったおじさんもとりとめのないことをしゃべるだけ。一人旅はあこがれだけれど、どうも北海道は広すぎて過疎感が強すぎて、私はやはり共感を持ってくれる友達が欲しい。10日の予定が4日となって飛行機に乗って帰ってきてしまった。

倉本さんのご逝去を聞いてふと思い出したこと。テレビでお元気なころの映像が流れた。良いお顔ですねえ。













2026年9月27日日曜日

声楽を始める

もともと歌が大好きで、幼少のころ家にあったレコードのアルバムには、シャリアピンの歌う「蚤の歌」なんかも入っていた。シャリアピンだからヴァイオリンはもちろんハイフェッツ、ピアノはルビンシュタイン、チェロはピアティゴルスキーの時代のSP盤。

ヴァイオリンを始めるまで一切音楽教育を受けたことがないから、それが私の音楽の全部だった。SP盤からLP盤になってからはあっという間にレコードが増えて、シュワルツコップ、モナコ、カラス。そのうちにディスカウ、シュライヤーなど。夢中で聞いた。

中学生のころ、学校から帰るとまずモーツァルトの「シンフォニー40番」それからマーラーの「巨人」または「なき子をしのぶ歌」もちろんディスカウで。それからほかの曲を聴くというのがコースとなっていた。シュワルツコップのモーツァルトの歌曲などは一番のお気に入り。ませた子供だった。ただし音楽の趣味だけの話だけれど。音楽以外は猿で、遊び惚けて蜂に刺されたりしていた。

ヴァイオリンを弾くときも歌の人ならどう歌うかなんてよく考える。ここで、ブレスしてとか。それで、もしヴァイオリンが弾けなくなったら歌いたいとずっと思っていた。

放送関係の仕事をしていた時に毎週のように会った女性コーラスのY子さん。仕事で地方に行くときも一緒に行動するなど仲良くしていただいた。私は歌が好きでいつかは自分でも歌いたいという夢を語ると先生を紹介してくださった。

そして第一回目のレッスン。若く美しい、しかも以前はヴァイオリンを弾いていたというソプラノ歌手が我が家に。あっという間にこの方ならというインスピレーションを受けた。お米じゃないけどひとめぼれ!

発声練習が始まると壁を震わすほどの声量で、かつてロンドンアンサンブルが毎年我が家で練習していた時のことをおもいだした。そしてその説明が、本当にわかりやすい。自分が楽器を弾いているときに考えることも声を出すことも、同じように説明できると思ったら、先生も同じように考えたらしい。ヴァイオリンの発声にたとえられると、ああ、なるほど。

楽しい時間はアッという間に過ぎた。ほんの一時間弱なのにへとへとでもう寝込むほど。体全体を使って声を出すとかなりの運動量らしく、翌日はなかなか起き上がれないほどだったけれど、これで誤嚥が改善されると確信。誤嚥のためだけでなく精神面にもとてもいい。ああ、もっと早く始めるのだったなあとかすかな後悔の念。

先日のコンサートの混乱を拭い去ろうと、バッハのチェンバロ伴奏付きのソナタ第3番を練習し始めるとすがすがしく心洗われるようだった。ああ、ヴァイオリンも歌もいい!