2026年10月24日土曜日

クラクフ

伊達さん富沢さんという芸人コンビの番組でポーランド特集を見た。クラクフというのはポーランドのいわば京都みたいな美しい古都であるらしい。らしいというのは私は確かこの地に行ったことがあるのだけど、ほとんど記憶に残っていない。

品の良い色彩の美しい街並み、確かショパンの生誕地ではなかったかしら。この地があの美しいピアノの調べを生み出したことは納得ができる。しかし忌まわしい第二次世界大戦のアウシュビッツの記憶も呼びだされる。人のまがまがしい行いはどうしてできるのだろうか。 想像するだにおそろしい。人とはなんなのか、私は時々わからなくなる。

今もなおあちこちで戦争をしている国がある、理由にもならない理由で平気で他国の子供や病人の施設を襲うなど、大統領だからと言って決して許されるはずがないのに。れっきとした人殺しなのに野放しになっている。

ツアーの中でアウシュビッツに行った人たちはほとんど顔面蒼白で、その中の一人は「見なければいけないと思っていたけれど、行かなければよかった」とつぶやいた。私は絶対に見るに堪えないと思ったから、草原に馬の妙技を見に行った。これが記憶が混濁しているところで、アウシュビッツはポーランド、草原の馬はハンガリー、どこでどう記憶が入り混じってしまったのかよくわからない。

クラクフは世界遺産第一号だそうで、こんな美しい場所に行って何の記憶もないということが不思議でならない。たしかチェコとハンガリーとセットになっていたツアーだと思うのに。あるのはお城の記憶だけ。それと電車のチケット売り場でお釣りをごまかされたこと。お釣りを払ってもらうのにずっと粘って最後にはちゃんと取り返したけれど、そのうちに、あんなに貧しそうな人から無理にもぎ取るのではなかったと胸が痛んだ。日本人だから狙われたのか。日本人は優しいから?私は獰猛だけど。しかしいけないことはいけないと後で自分を納得させた。






親指が芸術的に曲がった結果

 私の親指は去年あたりから付け根の形が変形してきた。ちょうどアルファベットのZの形に近くなって。どうも親指のあたりが落ち着かないと思っていたらいつの間にかぐにゃりと曲がっていた。その結果かどうかわからないけれど、右手薬指の第二関節が、膨らんできた。餌を飲み込んだ蛇かツチノコのように。左手はやや変形があってもほとんどまっすぐで、全部が均整がとれているのに右手はこれが同じ人の指かと思うくらい変形がひどい。

それぞれの役割で生じた形の違いか。ヴァイオリンで一番難しいのは右手のボウイング。ヴァイオリンを弾かない人は常に目まぐるしく動いている左手指を見て、すごく難しいと思うらしいけれど、本当は右手の弓を弾く方の技術が難しい。あんなものまっすぐに行ったり来たりしているだけじゃんなんて思ったら大間違い。

音の美しさ、強弱、そして音楽的な表現まで、すべてとは言わないが大半がが右手で決まる。左手は音程の確かさ、ヴィブラートなど難しいには違いないが、まずは右手がまっすぐ弾けない限り良い音は出ない。その大元の親指が曲がると重心がずれる。まったくどうしたものか思案のしどころ。本来親指は弓をガシッともたない。やんわりと右手の指はすべてが自由でないといけないから曲がっても関係ないかと思うけれど、そうはいかない。曲想に合わせ瞬間ごとに微妙に操作の力が変わる。

本来の手の形であればなんの苦労はない。若いころは少し力む癖があったので、過剰な力がかかっていたと思うけれど、年とともに力むことが少なくなって非常に楽になったところだった。それでも老いが重なって最近は指の変形や柔軟性の減少など、様々な問題が出てきた。これはもう仕方のないことで、そのために私も去年引退を決めたのだけれど、毎日の習慣を変えるのが案外難しかった。

やはりなんとなくケースの蓋を開ければ楽器に訊く。「ご機嫌いかが?」弾き始めると長年の友人だから話しているうちに夢中になってしまう。なんたって面白いやつなんだなあ、これが。ま、今日はこの辺にしておくか。やっと休憩して気が付くと軽い肩こりなんか治ってしまう。

しかし、そのうちにもっと指が曲がってしまったら、と考えると恐ろしい。その時は普通に弓を持つことはできなくなるからあきらめがつくでしょう。今でも時々弓がうまく持てなくなってきている。こうして先輩たちは涙を呑んで演奏をやめたのだなあと思う。しかし不思議なことに本番になると指の曲がりが気にならなくなる。練習しているときにはものすごく気になって弓を落としそうになるのに。これってどうしてでしょうね。条件は一緒なのに本番では気にならなくなる。不思議。人の体は本当に謎。






くにたちの会

くにたち音大 の最大の特徴は仲良し。私は本当にこの学校に入学してよかったと思っている。人より何年もの遅れがあって始めたヴァイオリン、しかも音大付属高校を受けた時に「あなたはヴァイオリンで入れたんじゃないのよ」なんてヴァイオリンの先生に脅かされるほどの遅咲き。いや、咲いたかどうかは別として、なんてったってろくすっぽ受験勉強もせずに入ってしまったのだから、ほかの学校だったらいじめられていたに違いない。

けれど、くにたちは下手であってもとりあえず仲良くしてもらえるから、なんのストレスもなかった。というと、とてもいい加減な学校ととらえられては困ります。有馬大五郎学長先生に申しわけが立たない。自由で明るく、人はこういうところで勉強すると目いっぱい楽しく過ごせるという、またとない環境が支配していた。私がかろうじて落ちこぼれなかったのは、こんな環境だったから。

先生や楽友たちに支えられてこれ以上ない学生生活を送り、卒業しても怖いものなしの勢いで世の中を闊歩してきた。その結果私のように遅れて始めた人間でも、その人なりの努力をすれば助けてくれる人がたくさんいるということを知ったのだった。本当に皆さんありがとうございました。

というわけで日程を一日間違えていたけれど、バッハの「チェンバロとヴァイオリンのソナタ」無事終了。ピアノのSさんも「楽しかったね」と言ってくれたからよかった。彼女は学生時代から優秀でリサイタルも毎年開催するほどの勉強家。末は教授になっちゃった人だからほんとなら鼻もひっかけてくれないと思うのに、迷子のヴァイオリンにずーっと付き合ってくれたのだった。50年来のコンビとなる。

そんなわけで今年の「くにたちの会」はいつもに増して充実した内容だった。もう卒業して数十年、そろそろ楽器を持つことも大変という年になっても、生き生きとした演奏が続いた。なにがいいかというと、年齢なりに劣化はしても皆さん本当に楽し気に演奏する。本来音楽とはそういうものだと思うけれど、とにかくいじけないところがいい。特に今年は熱気があってよかった。でもこれで来年もとなると、どうかな?できるかな。

私の右手の薬指は第二関節がはれ上がってきた。「それリュウマチよ」という人もいるから、また病院通いしないとかなあ。ぐちぐちといってもすぐに忘れる、これが能天気人間の良さです。結局間違えた日程の前日の具合の悪さは熱中症だったようだ。こんな季節に熱中症!まったくこの頃の気候はどうなってるの?









2026年10月21日水曜日

おっちょこちょい

まさに私のためにある言葉。早とちり、せっかち、軽薄、考えの浅い人。

今日は私の頭の中では長年参加している「くにたちの会」の日になっていた。しかし、ここ数日実に気分が悪い。なにもかも倦怠感と少しの熱っぽさに支配される。熱はそれでも36・9度が上限でそれ以上高くなりそうはないけれど、先日インフルエンザの悪夢があったから用心深くなっている。すでに二回練習はしてあるけれど、数日前には、次の予定もとりやめてもらっていた。

一年に一回、くにたち音大の卒業生が曲を持ち寄って集まり弾きあう「くにたちの会」朝からリハーサルで午後が私の出番と思っていた。しかしなんだかくらくらする。とにかく寝れば治ると思ったが、今朝起きたらどよーんとしてつらい。相棒のSさんに電話した。「気分が悪いからリハなしのぶっつけ本番でもいいかな?」朝リハーサルで、本番は午後4時以後、人の多いところで寝ているわけにもいかないし、もしインフルエンザだったら他人にうつす危険もあるからこれから病院に行く、と。

冷静なSさんは「そうだね、じゃあ病院へ行って検査受けてきて。でも本番は明日だよ」「エッ!明日?」手帳を見たら今日は何の予定もなし。いやはやほっとした。一日間違えていた。なぜそうなるかというと、私の予定表はふたつ、カレンダーと手帳の二つ。

週の始まりが日曜日からと月曜日にわかれている。きちんと確かめないで映像的に記憶すると時々こういう混乱が起きる。それなら週の始まりを合わせればいいじゃないかと思うでしょう。私がそれができるような緻密な人でないのはもうお判りでしょう。次の年の予定を記入するカレンダーや手帳を選ぶのも計画的でないため、買い物ついでに突然思い出す。目の前にかわいい猫のカレンダーがあったら買う。猫の表紙のある手帳を買う。しかも中身を確かめない。

買ってから、週の初めがちがっていたりすることもあって、いつもたしかめずに買う自分にあきれている。まあ、生まれてこの方賢かったことはないので一つの個性と思うことにしている。

病院へ行ったらインフルエンザとコロナの感染はなかった。心配なのはかかりつけ医院の状態。今朝の患者数の少なさ。それでも私は予約番号が10番だったので9人は患者さんがいたらしいけれど、この待合室の閑散とした感じとスタッフの数の多さがマッチしない。この病院は家から徒歩5分、一番近いのでなくなっては困ると、余計な心配をする。もっと年を取って歩行困難になったら病院は近いのが一番。






2026年10月18日日曜日

未来はあるのかな?

 9月のコンサートの疲れが徐々に体を蝕み、毎日睡眠障害に悩まされている。

一日中眠っている日もあれば、3時間くらいの睡眠でかなりハードに動く日もある。年齢的にはもうのんびりできるはずなのに、相変わらず心忙しくあれもこれもやってみたい。好奇心がありすぎるのも考えもの、アインシュタインみたいに好奇心から疑問が浮かび素晴らしい研究に結びつくなら素晴らしいけれど、半端な頭脳はただ気疲れをもたらすのみ。

今まで通りの生活のサイクルはもはや体力的に無理なのに、動き回って疲労の蓄積ばかり引き起こす。自分を過信することだけが残って体はついていけない。年を取ったらエネルギーは小出しにしてのんびりすればいいものをじっとしていられず計画倒ればかり。

それでも足が動くのだから外国に行きたい気持ちはまだ衰えていない。困ったことです、お金もないのに。生活は徐々にこの物価高に押されて苦しくなっていくからなにか新しい資金源を探さないといけない。今まで音楽などという浮世離れしたことを生業としたおかげで素敵に楽しい暮らしだったけれど、お金がかかるばかり、出ていくばかり、気が付けば足元に地面がない。

数日前、五人の昔は美女、今は?の群れが我が家の近所のレストランでワインを飲んだ勢いで怪気炎を上げた。楽器もって集まろう・・・と。新たな弦楽合奏団が立ち上がるかも。また足元から地面が消えるけど、なに、もうすぐ命も消えるのだから最後まで面白く暮らそうじゃないか。けれど、現実は足元より先に足が言うことをきかなくなりそう。

しかも、その中の一人が私と同じように声楽を始めたという。やはり誤嚥や器官や血流などによさそうだということで。「歌を歌うと朗らかになりますよ」とは私の先生の言葉。なるほど、レッスンが終わった後はおなかが空いて、なにか一つまみすると嬉しくなる。先生は元ヴァイオリン専門だったのが交通事故で首を痛め声楽に転向したそうで「それ以来私は明るくなりました」と言われて納得。歌った後はストレスが消える。

女子会でたらふくおいしいものを食べたので、次の日から寝込んでしまった。食べることも非常にエネルギーを使うので、食べすぎるとたいてい風邪をひく。しかも昨日は富山県の友人から大きなカニが送られてきた。カニを受け取ると私はすぐに食べてしまう。目の前にあると目障りだから、もう待ちきれない。あっという間に丸々一匹、大きなカニがおなかに収まってしまった。

経済を考える気持ちはあっという間に消えて、残りの命、楽しくなけりゃ生きてる価値がないと変わる。しかし、今までやったことのない仕事を始めることも魅力的で、さて、どうしたものか思案中。ひたすら脳みそにカビが生えていないことを祈っている。

体力は見事に落ちてブログの作成も大変なのに計算なんて、あ、そうそう、こういう時にAIを使えばいいのだ。最近AIと会話するのにも飽きてきた。だいたい彼の言うことはわかってしまって、また誰にでも通用する結果をだすのだろうなと。計算なら感情が混じらないだけ正確であろうと。やはり私は予測不能な人の言うことのほうがずっと面白い。














2026年10月10日土曜日

右往左往

今月20日過ぎに弾くことがあって、そのピアノ合わせに出かけた。季節もようやく秋のさわやかさとなり、明るい日差しの中のドライブは 心軽く、最近始めた声楽の発声練習をしながら相棒のSさん宅の近くに差し掛かった。少し早めに到着したので時間合わせにほんの少し遠回りをする。コンビニに寄って水を買う。

そして住宅街の細い路地を回って目的地に到着すると、いつもは私の到着に合わせてガレージのシャッターが開いているはずなのに閉まったまま。寝坊してるのかな?おかしいな。まさか・・・中で倒れているのでは。

一人暮らしの老人が一番恐れているのがそのことで、私は自宅に警備会社の見守り装置をつけている。もちろん犯罪防止が目的ではあるが、一定時間人の動きがないとアラームが鳴って警備会社から電話がか掛かる仕組み。もし私が電話に出ないと、近くの親族のところに電話がかかる。

うっかりその装置を一定時間解除したままになっていても同じように警告が出るのでとても安心ではあるけれど、天然おっちょこちょいの私は屡々セットし忘れて、警備会社の警告を受けている。たぶん「またあのうちだよ。まったくしょうがないな」なんて言いながら夜中の3時ころ電話してくれる警備の方々。お世話になっています。そして今、Sさんが約束の時間に家を締め切っている。もしや、家の中で倒れているのでは?

電話をかけるとあっさりと「もしもし、今お宅の近くだからもうすぐつくわよ」明るい声が聞こえた。「お宅の近くって?今日はあなたの家で合わせるんじゃないの?」きゃいん!!なんてこった。そこでお互いに「今日は私がそちらに行くって言ったじゃない」「え、でも最初に行くって言ったのは私よ」なんて押し問答しても仕方がないことを言い合った。

「待ってるから帰っていらっしゃい」と言われてすごすごともと来た道に車を走らせた。すっかり疲れていたけれど音合わせは楽しく、時間が大幅に伸びたのでおなかが空いた私たちは近くのレストランでボリューム満点のランチ、珍しくワインを飲んでご機嫌で別れた。













2026年10月5日月曜日

やな大臣

とんでもない大臣が出てきたものだわ。高市さん好みのちょっとニヤけた男。悪徳代官のセリフを思い浮かべる。「お代官様、それは困ります」「俺様の言うことをきかねば百姓どもなど何人死んでも構わぬのだ」

おお、身震いが出る。権力をかさに着てありもしないことを自分の手柄のように言う。親戚だったら恥ずかしいほどの弱い者いじめ屋。名前の通りのやな大臣。

自民党の政権以外の地区にはお金は出ないなど、それって本当にいやがらせ。国民全体の政治でありながら、特定の党の支持者だけを優遇するなどありえないでしょう。民主主義ってどういうことかわかってるの?おじさん。高市さんはここできっぱりと彼の首を切れば大喝采、切らなければ非難ごうごう、さあどうする?

普通ならこの先世の中を大手を振って歩けないと思うけれど、それがどっこい、一度選挙を通すともう禊は済んでしまうのだなあ、これが。こんな下品な男は久しぶりに見た。見事ないじめっ子体質。まるで自分が何でも決定できると思っていたら大間違い。権力に寄り添う卑怯者。

言っても言っても足りないくらい。虫唾が走るとはこのこと。

大臣を罷免できるほどの発言ではないでしょうか。皆さんどう思いますか?