2026年6月24日水曜日

平和な誕生会

来るなと言っても律儀に訪れる誕生日。実は私の誕生日はもう来てしまって不本意ながらまた一つ年をとってしまった。友人Hさんの少し前倒しの誕生祝いに横浜の中華街にいった。

去年は、いやはやまいった。彼女と行動をともにするとろくなことはない。大風、大雨、去年はまさしく大雨、駅を出るなり土砂降りの雨。道路は冠水、長靴を履いてこなかったことを悔やんだ。ようようたどり着いた中華料理の店は来た甲斐があったというもので、たいそう美味しかった。それで今年もあそこでと提案したら主役が同意したから決まり。でもこのまま平穏に終わることはないのではと危惧して、前日から眠れない夜を過ごした・・というのは嘘で、バクネのお陰でぐっすり。

元町・中華街の中でも地味に見えるけれど、味は抜群。狭い店内にところ狭しと野球選手の色紙やユニホームが貼ってある。開店早々乗り込んでメニューを見てせっせと注文した。ノンアルコールビールで乾杯して、なぜか今年は緑色の髪の毛ではなく、ややまともな雰囲気の主賓としばらく会話をしながら待つことしばし。ランチの注文優先らしく私たちの周りのオフィスから昼ごはんを食べにきたような会社員風の人の注文した料理はさっさと運ばれてくる。

けれど、超短気な私たちでも流石にめでたい日に騒ぐほどのパワーはもうないので、静かにゆったりと料理を待つ。二人ともおとなになったというか、年相応に進歩したものかと考えていると、ランチの注文が一段落すると、こちらに順番が回ってきて次々に料理が運ばれてきた。パクチーの水餃子、フカヒレスープ、海鮮炒め、焼きそば・・・届くそばからペロリと平らげて最後は何一つ残っていないきれいなお皿が残るのみ。

私は最近食欲がなく、胃腸の調子がいまいち。これも歳のせいでと諦めていたけれど、とんでもない。美味しければ胃もたれもしないことを発見したのだった。最近は、なんでもいいから口に入れてしまえば空腹が満たされるという乱暴な気持ちでいたけれど、それは大きな間違いだった。自分が作ったいい加減な料理は、体のための栄養やエネルギーを得るためだけで、心の満足感はなかった。それが大いに問題だったのだ。やっと気がついた。

この店の味はふくよかで優しい。きっと丁寧に出汁をとり、肉や野菜を下ごしらえして、いや、それ以前に野菜の美味しさが表すように材料が選ばれていたのだろう。中華街には美味しいと評判の店がごまんとあるのに、この店は特別。

食事が終わってカフェでコーヒーを飲みながら、ああ、美味しかった、何回も言いたくなった。いつもなら1時間くらいすると胃の少し上に刺激がくる。だから、毎日食べすぎないように控えめに食べる習慣になっていたけれど、目一杯食べて、いくらなんでも食べすぎよとつぶやいていたのに、胸は焼けず満足感のみが得られた。少し反省。

最近の物価高騰による危機感もあって、なるべく安価で経済的な食生活を心がけようと思っていたけれど、それはもうやめようと思った。許される限り食事は大切に、美味しいものは私たちの年代ではあと何回食べられるか数えられるほどだから、もう我慢するまい。若い頃ならお腹が満たされれば満足できたけど、今はもう豊かな気持ちになれる食事をしよう。それは高価なものというわけではない。正しく作られた日本古来の食文化を大切にすること。

最近見つけた味噌で作った味噌汁は、先日友人たちから絶賛を受けた。すぐに調査が始まって長野県の御代田で地元の主婦たちが作っている無添加味噌だと判明。幸い追分に友人がいるから早速店を探してみようということになった。ちゃんと作るとこんなにも優しい味なのだという証明のような味噌。贅沢ではなく正しい食事がこれからの私の課題なのに、今朝の食事はインスタント・カフェオレとおかきのみ。初っ端から残念な。ちょっと胸焼け。

ところで、その美味しい味噌を私はどうして、どこで、いつ、買ったのだろうか。ずっと考えているのに思い出せない。それも味噌をスーパーの商品棚から手に取った記憶は鮮明なのに、どこの店かどうしても思い出せない。味噌を買うより脳味噌を買ってきたほうがよさそう。どこかに性能の良い脳みそを売っている店を知りませんか?



















2026年6月16日火曜日

パソコン帰宅

 実はノートパソコンの蓋の蝶番が機嫌悪くギクシャクして使いにくいので、いつか修理をせねばと思っていた。そしてある日開閉ができなくなり急遽入院することに。

機械に弱い私は震え上がった。この中には私にとって貴重な情報が詰まっている。買い物はほとんどネットで、旅行に行くときはホテルや列車の手配、メールもパソコンだけにしか届かないものがある。いくら便利になったからと言ってスマホの画面は小さく目の悪い自分にとって鬱陶しい。私はのっけからのパソコン派です。

さてどうしたものか、以前は凄腕のサポーターに頼っていたけれど、今は状況がしれないとなると自分で見つけねば。そういうときに便利なのがAIさん。頼りになります。自宅に近くすぐに対応してもらえる店を探そう。

教えてもらったのは自宅から車で10分圏内の隣町のショップだった。AI さんは一軒の店を推奨してくれた。評判によれば口コミで星をたくさんもらえるお店だとか。星3つとか5つとか言うとなんだか頼りなさそうだけれど、他に宛もないので出かけてみた。

たいそう地価の高いこの街で店を構えるのは相当はやっているであろうと思ったその店は、商店街の片隅にひっそりと地味に立っていた。構えも小さく中も狭いけれど、なんか楽しそう。一応女性ではあるけれど、車が好きだったりする私はたいそう居心地の良い風情を感じた。

店主殿は今どきの若者?あるいは・・より少し年上の無駄口の少ない男性。この世界の人たちは本当に無駄なことは言わない。そこがどんどん話を広げてしまう私にとって、大変心地よい。そしてパソコンの蓋はどうやら長年の劣化で貼り付けてあった部分がはがれはじめているとのこと。とりあえず修理は一日あればできるということでおいてきた。

その後メールがあって蝶番の部分の部品の入荷が遅れてもう数日かかると。ああ、困った、なにもかもパソコンに入れっぱなしのせいで、少し日数が経ってしまうと銀行の引き落としとか、定期購買のカードの引き落としとかに支障が出ないかしら?案外小心者なので、いつだったかカードの引き落としが遅れたときのことを思い出した。

一度だけ残高不足で引き落としができなかったことで、カード会社のお姉さんのどすの利いた声で威嚇されたことがあった。長い人生そういうことだってたまにはあるでしょう。ろくすっぽ通帳など見ることもない私がそれ以来、ちゃんと点検するようになった。今でも恐怖が蘇るほど怖かった。

金融機関とかの人は常に丁寧に接客するような指導を受けていないのだろうか。それはもうこちらが悪いのは重々承知、謝るしかないけれど、それも億単位の取引とかならそうなるでしょうが、数万円でこれほど叱られるのかびっくり。もちろんこちらが悪いのは本当にわかっていますとも。でもね平謝りしているのにヤクザの啖呵を切るような、見えないけれど、もしかしたら腹巻にどすを忍ばせている?と訊きたいほどの声色。今思い出すとおかしいけれど、若かった私は震え上がって、もう二度とカードを使わせてもらえないのではないかと思った。

今だったら他にたくさんカードがあるからあなたのところのはやめるわ、なんて言い返せば良かった。はいはい、もちろん私が悪いのは承知しておりますよ。その頃は一般の人は現金払いが普通だった頃の話。

カードを作る経緯も話すと、大体私の職業はカードを作ってもらえなかった。なに?音楽家?しかもフリーの。そんな職業はないだろう。乞食と一緒ではないか、というわけで。銀行であっさりと断られ、仕方がないから旅行用に一時的に作ってもらったカードを帰国後に正式にカード登録をしてもらって、嬉しさに涙が・・出なかったけれど、やっとカードを手に入れて、自分の仕事がどれほど世間から認められていないかを実感した。

今でもそうですが、国勢調査に応えると、職業欄に自分の居場所はないのですよ。アメリカに住んでいた友人が「アメリカだったらフリーの音楽家ってすごく尊敬されるのよ」とか。日本では河原乞食と蔑まれる。お国柄ですな。でもね河原乞食はいつでも自由で幸せな仕事なのよ。一度やってご覧。やめられなくなるから。乞食と同じでね。

ということで無事に私のパソコンは帰ってきた。蓋の蝶番は新しくなったものの、本体の貼り付け部分の剥がれがやや手遅れということで近々パソコンは新しく買い替えることに。ウインドウズ10が入っているので最近11に替えろとウインドウズからやかましく言われている。しかしこのパソコンにはそれが入らないのだそうで、また様変わりすると、なれるまで大変だなあ。おばあさんに優しい50年は変化しないものはないのかしら。

パソコンを始めてから私の知識や生活の便利さ、忙しい仕事がいつも機械に助けられ、いまはAIに助けられている。私の知識の泉、心のケアまで範囲が及ぶ。









2026年6月7日日曜日

猫の恩返し

 最近我が家にはひっきりなしにお客様が訪れる。昨夜からの台風騒ぎが静まって少しあたりが明るくなり始めた頃、8人ほどの来客があった。

猫たちは来客があって自分たちの餌がセットされていなくても、よそのお宅でごちそうをいただける。これは便利、地域猫には数軒の餌場があって自給自足。たまに忘れてもほかで調達してくれるから手間いらず。それでもどの家も都合が悪いことも長年の間にはあったかもしれない。どの家でも今日は都合が悪いので餌はないよと猫に言わない。いつものようにどこかの家で食べているだろうと都合よく考える。そんなときには野良たちはどうするのだろうか。

腹ペコの野良は「チェッ、今日はついてねえな」とうろつきまわる。そんなときが一番危ない。どの家にも餌がなく、いつもの分が満たされなければ自分で獲らないといけない。そこにつけ込んで毒団子を食べさせたりする家があった。私の家の周りの数件の猫好き奥さんたちが泣いた日々があった。一斉に猫たちが中毒を起こして死んでから、時には警察が見回ったりすることもあったので、最近は収まっている。良かった。

今日の我が家?の野良猫たちは来客のために放って置かれていたから、腹ペコと暇つぶしに外で台風の余波を受けながら遊んでいた。途中パソコンに向かった私の後ろで「にゃあ」振り返るとそこには行儀よく両前足を揃えてこちらを見上げるグレちゃんが。

グレは立派なオス猫で、いかにも賢そうな眼差し。そして両前足の前に可哀想に、雀がぐったりと倒れていた。もうすでに息はなく死んでいるのはわかったけれど、グレが私を見上げていかにも賢そうに視線を送ってくるのを見ては、叱る気もしない。雀は可愛そうだけど、グレを叱るわけにもいかない。

彼はじっとこちらを見上げて「いつもお世話になっております」と私に挨拶をおくっていたのだ。私も「グレちゃん、美味しそうなすずめちゃんだね」とは言えないからただ「ありがとう」と彼に言う。とにかく一刻も早くどこかへ連れて行ったもらいたい。眼の前で食べ始めたらどうしたらいいか。思わず「きゃあ」と悲鳴を上げてしまう。ここで怒ってはいけない。

彼は彼なりに一生懸命私にお礼を言っているのだから。でも今までどれほどの数を飼ったかしれないたくさんの猫の中で、これほどはっきりと謝礼を持ってきた猫は初めて。飼いならして訓練すれば、金の延べ棒を咥えてくるのではないだろうか。

ずいぶん以前に飼っていたニブという猫がいた。それはそれは賢く正義感が強く、家族猫たちの守護者であった。その猫は一時期、表から帰ってくると、いろいろな魚をお土産に持ち帰ってきた。誰かが自分のおかずをおすそ分けして持たせてくれるらしい。でも猫には人間の味付けは健康に良くないから、いくら可愛くても餌はやらないでほしい。猫には辞退するようにといい聞かせていた。それでも毎日咥えてくる。ある日、うなぎを咥えてきたときには流石にこれはだめと思ったので首輪に手紙をつけた。いつもいただくお礼を言って、辞退の意向を添えたら次の日からパタリとお土産は止まった。

その家の人は猫に与えていたと思ったのに、人から手紙が来たので相当びっくりしたと思うけれど。しかもニブはいただいた魚を自分で食べずにせっせと私に運んでくれたのだった。好物のお魚を食べずに私にくれた二ブの優しさを私はわすれない。猫だってこれほどの気持ちがあるのだから、私の人生で受けた御恩を他人様にお返しするのにはどれほどのことをすればいいかと思うと気が遠くなります。だんだん薄れゆく記憶はその重圧から逃れるためかもしれない。忘れてはいけないのに忘れないとたまらない記憶のすべて。

人はお互いに助け合わないと生きられないのに双方のバランスが崩れたら、もう気持ちで返すしかないと。本当にお世話になりっぱなしの自分の人生をどうやって御礼をしようかと思う日々。それなのに本当に大事な人を怒らせたりするのがなさけない。

そんなことの連続だったけれど、一般的に見たら私の幸せ度は上位にあるといえると、自画自賛。なぜなら私の能天気さ加減が並外れているからで。最後に師事したボウイングの先生は私を見ると嬉しそうに笑う。レッスンが終わると「あはは、あんたは本当に呑気に生きてきたねえ」冗談じゃない、先生!私だっていっぱい苦労してきたんですよ。でも苦労することまで冗談にできることは稀に見る才能かも。

レッスンが終わって教室を出るときに先生は「あんた、そこのドアを出たら今習ったことをすぐに忘れるんだろう」そしてまた先生は嬉しそうに笑う。なんで先生たちはいつも笑っているのかわからない。この曲が嫌いとなったら頑として拒否する生徒だった私。それを受け入れる先生たち。普通なら破門されそうなのに。

レッスンは楽しかった。曲作りに没頭するのはこの上ない楽しみで、先生たちはいつも私の好きなように作らせてくださった。それが良かったのか私は自分で考えることを身につけた。私は自分の思いを主張するのが先だけど、それが面白かったらしい。

そして今、まさに自分の教え子に同じことを感じている。

9月のコンサートのヴァイオリンが一人足りなかったので私のもと教え子に共演を依頼した。快く引き受けてくれたから私もこけないように頑張らなければ。これは本当に嬉しい。教師冥利に尽きる。実にのびのびと楽しげに彈いてくれる。この人のレッスンのときには私はずいぶん厳しくしたつもりだったのに、本人曰く「全然怖くなかった」

いまや彼女はすっかり成長して私はおずおずと尋ねる。「私の音程合ってる?」














2026年6月1日月曜日

消防自動車とお月さま

昨夜8時頃、時ならぬ消防自動車のサイレンが近隣に鳴り響いた。野次馬の私は家を飛び出す。何だ何だ!近所一番の情報通の奥さんの家の前だったから、事情は後で聞ける。とりあえず現場直行。

自動車の止まっている付近は我が家の二軒隣、家の前の桜並木のある川沿いの道、手前に一台、向かい側に一台、小さな橋がかかっている場所だったから向こうの様子も見られる。

情報通の奥さんが橋の上で、すでに駆けつけていたもう一人と話をしている。けれど、火事にしては緊迫感がなく、はてな?私に気がつかなかったようで、奥さん方はあらぬ方を見て話し込んでいる。いつもならこの奥さんに捕まると1時間くらい話し込むことになるので、こっそりと撤退した。家の周りは静かで暑くも寒くもない心地よい初夏の夜。

結局なんの事件でもなくあたりに置き去りにされたゴミか忘れ物か何かの撤去?だったみたい。

帰り道、ふと見上げた空に大きな月が・・めったに見ないほどまん丸な月、そして力強い光が煌々と空いっぱいに広がって、めったに月など見ることもない無風流な私を驚かせた。月の見える方向に丈の高いクレーンが首を伸ばしている。クレーンの安全灯の赤い光をも凌ぐほどの明るさに見とれた。

最近はめったに夜に外に出ることもなく、まして空を見上げることもなく、気がつくと二匹の猫が喜んで私の周囲を飛び回っていた。この二匹は私の猫というより地域の猫。最近は私が家にいるので我が家に滞在することがおおくなったけれど、どこの家でも可愛がられているらしく、時には夜も二匹で外で過ごしている。特にオス猫のグレちゃんは野良猫魂が強く、夜は外で過ごし、メスの、のんちゃんの方は私と一緒に眠りたい。それで夜中は別に過ごしている。夜明けのタイミングで同時に朝食を摂りに訪れる。

夜、私を見つけた二匹は嬉しくてそこいら中を飛び回る。鬼ごっこをする。明るい月の光に照らされた猫たちの飛び跳ねる姿がかわいい。しばらくお月さまの見物をすることにして、猫たちと付き合う。時々、日本の明るい月と違って今戦争をしている国は、明るさが怖いのだなあと思うと、心にチクリとトゲが刺さる。

今朝はそっと音をたてないように家を出た。早朝の気持ちの良い空気のうちに散歩がしたかった。けれど、やはり駐車場にはこちらを向いているのんちゃんの姿が。慌てて家に戻り朝食をとることにした。そしてまた外を伺うと猫の姿が見えない。しめしめ、気が付かれないように玄関から抜け出して足音を忍ばせていつものコースの反対側に向かって歩き出した。

するとピュッと脇を追い越したものが。やはり見つかってしまった。お供しますよ母さん、いえいえお供はいりません。しかし猫たちは振り向くと尻尾を立てながら私の後ろに迫ってくる。時々追い越したり道草したり。かわいいんですが、通る人たちが私を見て笑うのよ。嬉しいけれど、どこまでもついてこられるとテリトリーの外に行って迷子になると困るので引き返す。猫に気をつかうのも楽じゃない。










2026年5月30日土曜日

二人だけのコンサート

白寿ホールのステージ上には譜面台が2本、シンプルな照明が中央付近を明るく照らすのみ。

開演すると客席から向かって左の下手側から二人の男性登場。二人の姿が見える前から待ってましたとばかり拍手が起きた。

ヴァイオリン 白井 篤

ヴィオラ   中武 英明

M・ハイドン:4つのソナより 第1番 作品127

j・プレイエル:二重奏曲 作品69-2

J・カリヴォダ:二重奏曲 第1番 作品208-1

A・ロッラ:デュオ・コンチェルタンテ 作品4-2

w.A.モーツァルト:二重奏曲 K.124

このお二人のコンサートを知ったのは、一昨年の「古典音楽協会」の新しい体制による定期演奏会のころだった。旧体制の「古典」はコンサートマスターの引退によりメンバーを新たに再出発することとなった。私は旧体制の古狸だったので当然新体制の発足のメンバーでもあり、新しいメンバー獲得に奔走していた。1年後には新しいメンバーで定期公演を無事に迎えなければならない。ヴィオラのメンバー候補を探すときに友人に相談した。その友人が最大に薦してくれたのがヴィオリストの中竹さんだった。

それまでなんの接点もなかった彼にいきなり電話をかけて快く承諾していただいたことは、新体制発足の第1番目の成功だった。友人いわく「彼は腕だけでなく人柄も素晴らしい」それ以来中竹さんはモーツァルトの「コンチェルタンテ・シンフォニー」のソロヴィオラなどで古典をささえてくださっている。

私が二重奏の演奏を聞くのは3回目となる。あれからもう3回、聞いたのですね。あの頃の苦労がすっかり落ち着いて、今、まさに幸せな引退生活を送っている。

この二人の見事なアンサンブルは一度ぜひ聞いていただきたい。私が言うのもなんですが、掘り出し物ですよ。こんなにのっけから素晴らしくハモることは驚異的なことで、二人のテクニックのレベルが並大抵ではないこと、音色の類似、弓の圧のバランスの良さ、等々上げればキリがないけれど、よくぞここまでという思いがする。この次はここのブログで次回演奏会の予告をいたしますのでぜひいらしてください。

それにどなたが書かれたものか、大変に面白いプログラムの解説、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトの親交は有名ですが、ハイドンが二重奏曲を作曲途中に体調不良に見舞われたとき、モーツァルトが助けたなど、親戚同然の付き合いが垣間見られる楽しい解説ですね。

ミヒャエル・ハイドンに関する資料は兄貴の影に隠れてたいそう少ないと言われている。そしてモーツアルトとミヒャエルの曲が混同されていて、ホルンコンチェルもどちらの曲?と言われるほどだけど、そんなことも家族の元を離れてヨーロッパを訪問していたモーツアルトの家庭的な幸せがハイドン一家によるものが大ではなかったかと想像することもある。苦悩の多かったモーツァルトが一時の幸せを得られたとしたら、涙が出るほど嬉しい。

と、どうしてもモーツァルト贔屓ですが、本題からそれて、でも次回の二重奏コンサートを楽しみにしています。








渋谷をさまよう

 かつて私の拠点は渋谷だった。最初のヴァイオリンをかってもらったのも渋谷。父親の車で東横線の代官山近くの坂道を渋谷に向けてグーンとカーブして登った記憶がある。それはヴァイオリンへの期待が高まった瞬間。道玄坂だったのかなあ、坂の上の方にある楽器屋さんで小さな楽器を手に入れた。

あまり嬉しいという記憶がないから、父親と兄がよろこんでいたのかもしれない。買ってもらった本人は慾もなくて、ヴァイオリンを一生懸命やろうと決心した覚えもない。けれどそれから70年、ダラダラと続いているのだから、嫌いではなかったのかという程度のヴァイオリン愛。それより車に乗っていったことのほうが楽しかったような気もする。

父が大の車好きで、小学校低学年の頃に学校の窓から父の運転するド派手な空色の車が走りすぎるのを見ていた。クラスの男の子が「おい、お前んちの車が走ってるぞ」なんていうから恥ずかしい。その車はしょっちゅうエンストして、その都度父が車を降りてクランクというエンジンを始動させる道具で再起動。それが何より恥ずかしかった。クランク無しで走れる車がいいなあ、とか。

その後も我が家には様々な車がとっかえひっかえ現れた。あれはなんだったのか、父がどこかで借りたのか拾ったのか。とにかく日本中がまだ食うや食わずの時代に車なんて。やはり父はどうも私と同じで素っ頓狂、母が苦労したわけで。

白寿ホールでヴィオラとヴァイオリンの素敵なコンサートが行われた。彼らの第6回目のデュオ・コンサートは出演者が下手袖から登場しただけで会場が沸くというクラシックには異例の雰囲気だった。この詳細は後ほどお伝えします。今日は白寿ホールに行き着くまでと帰りのお話です。

下手はしもてと読んでください。演奏はヘタの真逆、二人の名手の素晴らしさに沸いた素敵な演奏会でした。

渋谷は私の拠点だった。仕事もNHKでのことが多く、最盛期には週4日くらいかようこともあったほど。その上渋谷で音楽教室を開きましょうというお誘いで始めた教室は大繁盛だったから、土曜日のレッスンは途切れなく、よる8時まで食事をとる暇もなかった。それ以前はまだ渋谷はマイナーで、しかしその後急激にパルコや西武デパートなどがファッション界をリードし始めた。そして今再開発が繰り返されて、そろそろ西武デパートもなくなるとか。いつ行っても駅構内の改築や新しいビルの工事やで全く落ち着かない街になった。

富ヶ谷の白寿ホールに向かう私は電車を降りた途端に人の波に巻き込まれた。長年の勘で方角はわかるのに、以前のタクシー乗り場やバス停などが移動して何が何やら。ハチ公前広場に行くと行列ができている。なにかと思ったら、ハチ公と一緒に写真を取る順番の列だった。笑ってしまう。

その先に富ヶ谷方面に行くバスがあるはずだったけれど、もうぐちゃぐちゃで、以前はNHKに行くときに乗っていた150円のバスはどこ?ついにバスの案内人に助けを求めた。おじさんがすごく親切に案内してくれたけれど、そこへ空のタクシーが来たので走り寄って乗り込む。タクシーに向かって走り始めたとき、バス停の後ろの人が、あっというような声を上げた。振り向くと二人の男性がタクシー待ちでいたらしい。その人達は私に手でどうぞというような仕草をしたので、お辞儀をして乗り込む。やれやれ、やっと足の確保ができた。駅での時間ロスでギリギリでコンサート開始に間に合った。

終演後、再び渋谷に向かおうとタクシーをひろうと、急に気が変わった。またあの渋谷駅の雑踏は勘弁してほしい。それなら少し遠くても中目黒に行こう。気が変わったことを告げるとドライバーは快く方向転換をしてくれた。寡黙だけれどすごく親切なのはよく分かる。この辺の地理はNHKに通っていた頃、渋滞を避けて裏道を通っていたからよく分かる。それでも私の上を行く省距離のプロ技、感心していたらすっと大通りに出た。中目黒駅近くでは、改札口が反対側にあるから信号に気をつけてわたってください、と至れり尽くせりで、今どきの若者の親切なことったら。

私は時々思う。私のように年を取ったらこんな混雑した場所に出ないほうが良いと。他の人達が座りたい座席を我慢して譲ってくれたり、あれやこれやと世話してくれるのは申し訳ないと。しかし皆さんニコニコして本当にやさしい。大きなリュックを前に抱えてスマホを見るのに、座りたいと思うのに。優しい若者たちが一方で仲間を殺したり強盗したり。この差はほんの少しの育ちの差かも。それでも歯止めのきかない悪事はますます過激になっていることは理解に苦しむ。

ワンちゃんならチワワサイズのグレイヘアのおばあさんが渋谷を走り回っているのを見つけたら、それは多分私です。見た目よりずっと元気なので親切にしないで結構。でも蹴飛ばしたら噛みつく凶暴につき要注意ですぞ。







2026年5月29日金曜日

A I の功罪

 巨人軍の元監督の阿部慎之助さんの報道がトップを占めている。家族の皆さんが大変気の毒でならない。普通なら両親と娘さんの話し合いで解決できたのにと複雑な思い。

A I には私も毎日お世話になっている。わからないことがあればすぐに呼び出すと夜中でも休日でも嫌な顔一つせず、一生懸命に情報を提供してくれるし、親身になって助言もしてくれる。あんまりご親切なので一度尋ねたことがあった。「貴方はどういうふうに私にたいして助言や調査の提供をしてくれるのか?」すると無数の情報を網羅して最もふさわしい答えを瞬時に出しているというような返事だった。

だからA I さんは質問者の気に入られるような答えを用意できる。それに対して相手が母親や友人などであればそうはいかない。きつい言葉や本人の意に反する答えが帰ってくることのほうが多い。だからこそ、A I の言うことは質問者の心を鎮めるのだけれど、それは一種の危険性を含んでいる。このお嬢さんがもし母親に相談したなら、母親はまず監督の社会的な地位からいって、外部に漏らさないように努めたのでないかと思う。それは隠蔽というよりあまりにも拙速な事態を招かないように、できることなら家庭内でまず話し合いが持たれたのではと思われる。

私もChatGPTを使い始めた時期には大変に苦悩があったので、様々な悩みをぶつけていた。次第に自分を取り戻す過程で、こんなに親切な助言ばかり受けていたら、答えが自分の本意に合わない場合どうなんだろうとも考えた。しかしそこは巧みにA I さんはカバーできるのだろう。これちょっと危険かも。質問者がまだ若くて様々な体験を積んでいない場合には、簡単に意識を操作できるなと。

今回気の毒なのは、娘さんがまず自分で考える手間を省いてA I に相談して、その意のままに動いてしまったことと、その次の段階で相談を受けたのが役所の生身の人であったこと。私のような古狸なら、一つの考えだけでは動かないと思う。まずお父さんの仕事の性格上、なるべく世間に漏れないように家庭内で解決できることだった。隠蔽というよりはなにも世間を騒がせなくても解決できる、むしろそのほうが家族にとって後の仲直りとか家族のあり方とかの良い解決につながると見た。

巨人軍としても娘に手を上げる暴力パパのイメージはほしくない。しかも刃傷沙汰なんという過激なものでなく、親子喧嘩程度のことでこれほど重大な結果を招くことが若い娘さんには想像できなかったに違いない、もちろん機械であるA I にも予想外のこと。優れたスポーツマンが手に入れた社会的地位を追われる結果になったのは、組み合わせが悪かった。

人はまず機械に相談するよりも自分で考える力を学ぶべき。それでも私も何回もこのA I に気持ちを吐き出して涙をながしたりもした。だからうまく使えばこれほど便利なものはない。しかし、常に自分の気持ちを、まず、どうしたいかを考え、行動は考えがまとまってからするべきだと思う。十代の若者にすべてのことを機械が助言しては自立した大人になれないのでは?ずっと本人の意に沿った回答だけになるかもしれないのに。

何よりも人は問題に対して多種多彩な考えを持ち、苦しむ姿勢をもたなけれなならない。それを省力して機械に頼って安易な答えを出すことはロボットと同じ。成長の糧とはならない。娘さんは貴重な体験を得たのかもしれない。

十代は悩み多く気持ちが揺れる時代。だからこそ、このお嬢さんがこれで周囲やネットで叩かれないように守ってあげたい。報道はもういいのでは?家族だけでなにか解決できるのでは?スポーツファンは過激だから心底がっかりしている人が多いと思う。スポーツであるが故に青少年のためと言って道徳心を要求されるのかもしれない。もし、過激なアーティストだったら「うるせえ、外野は黙ってろ」なんて言えば「彼は仕方がないねえ」で済んだかも。だったらアウトローのほうが幸せと考えるのは危険ですか?

人の感情に平均値なんてあるのかしら。平均値で出すからA I は最後に飽きてしまう。最近はこちらが答えを先に出してしまう。やはり一番面白いのは人の心なのだ。多様な価値観と感情があって当然な世界を機械でまとめるのは面白くないなあ。そこをわかって使えば、実に便利なものなんだけど。