私のパソコンは決して意図した変換をしてくれない。本当に面白い変換ばかり。一番常識的な変換は最後に出てくるといったへそ曲がり。もちろんこれは八重 奏団です。
変換の設定が悪いのだと言われれば本当にそうなんだけど、これも遭難だけどとなるかと思ったらそれはなかった。暇でもあるし結構たのしんでいたりして。
ウイーン八重奏団はボスコフスキーによって創設されたとプログラムに書いてある。1947年だそうだから私は生まれたばかり。第二次大戦直後ということになる。この八重奏団は私と同世代か、なんて、なんの関係もないのに喜んだりする。私が音大生の頃かまたはオケに入った頃か、とにかく希望に満ちた若かりし頃、日本でボスコフスキーがN響を指揮して大いに私たちを喜ばせた。
その八重奏団を聞きに武蔵野市民文化会館へ。ついこの間までは50年間と思っていたけれど、もう今は60年間にも近くなったお付き合いのピアノのSさんと聞きに行った。
モーツァルト:フィガロの結婚序曲
モーツァルト:クラリネット五重奏曲
シューベルト:八重奏曲
結果から言うと本当に楽しかった。先日聞いたベルリン八重奏団の時よりもリラックスして楽しんだ。ベルリンは意識下の領域に達するまでの集中、研ぎ澄まされた世界をみせられた。一瞬も耳を離せないし演奏者とともに呼吸することで、単に聴くだけの作業ではないことを知らされた。
ウイーンの特にホルンの柔らかい響き、少人数の弦楽器に対しても決して音量が過剰ではない。弦楽器と管楽器のアンサンブルは音量のバランスが難しい。こんなふうに柔らかく包みこまれたら弦楽器は幸せです。
幸せすぎて、最近めったに演奏会では寝ない私も、モーツアルトの五重奏曲の2楽章から3楽章が始まるまですやすやと寝てしまった。これはしまった!一番好きな楽章で、聴いていれば天国に行ける楽章で!なんてことを。
シューベルトはちゃんと起きていたけれど、途中から笑ってしまった。シューベルトのこの長さ!終わりかと思うと転調しては同じテーマが繰り返される。常に美しいから許されるけれど、これで凡庸な作曲家ならトマトをぶつけたくなりそう。
かつて私がピアノトリオを組んで活動していた頃、シューベルトの三重奏曲第2番をプログラムに入れた。しかしその長さに辟易した。多分彼は美しいテーマを離したくないので様々に転調して酔いしれていたのでは?
終わると盛大な拍手が巻き起こった。それは演奏の素晴らしさを称えるとともに、ああ、やっと終わったかという喜びの拍手ではなかったかと勘繰りたくなる。私と友人は思わず顔を見合わせてニヤリと笑った。さすがシューベルト。そうだねシューベルトだね。あはは
しかし誤解のないようにいっておくけれど、一瞬たりとも退屈ではなかったことを。途中大好きなクラリネット五重奏曲で、しかも2楽章で居眠りをした残念な事件はあったものの、心から音楽の素晴らしさ、何よりもウイーンの音が聴けて幸せでした。