2026年2月1日日曜日

いよいよ厳しくなって

 昨日、エッサエッサと私の家まで来てくれたオーケストラの元同僚Hさんと、ヴァイオリンの二重奏を始めた。手始めのシュポアのデュオは、わざわざ練習しても音楽的にはあまりおもしろくなかったのでサラサーテのナヴァラに曲目変更。で、昨日楽譜をもらった「ナヴァラ」は今朝から譜読みをしてみた。最初のところを弾き始めた途端、本当に面白い曲とすぐにわかった。何なんでしょうね、こういうことがわかるのは。

シュポアの曲は明らかに技術のための曲、サラサーテの曲は音楽に必要なテクニックが大変難しいというだけで、音楽そのものが非常にチャーミングでまだ譜読みの段階だけど、ワクワクする。それが作曲家の力量というもの。一流かそれ以下かが分かれるのはやはり仕方がない。

何回も言うけれど、私は最初から音楽家になる気もなく、近所のお兄さんがたまたまヴァイオリンをやっていたので手ほどきを受けていた。それが8歳くらいのとき。その後2年間サボっていたのに、音楽好きな兄が次の先生を見つけてきてくれた。12歳からまた先生にレッスンを受けていたけれど、遊びの延長だったからのんびりと。ある日中学校の別のクラスから私に会いに来た人がいた。

「あなたヴァイオリンを弾いているんですって?」それが運命の出会いで友だちになり、その後誘われて音大付属高校を受けようということになった。

私はいつものように興味本位、どうせ受からないと思っていたのに何らかの事情で受かってしまった顛末は以前の書き込みで読んでくださったかな?それで本当に並外れて遅いスタート。普通4.5歳から始めるヴァイオリンのお稽古を8歳から、しかもダラダラと、というのでは曲も易しい曲しか弾けない。でもうちにあったレコードを繰り返し聞いていて、それが私の教育をしてくれたのかも。いつの間にか耳ができていたようだ。

受験の半年前というので新しく師事した先生のところで「あなたソルフェージュはやっていますよね」と訊かれて「はあ?やってません」と言ったら先生は腰を抜かしそうになった。ピアノのところに連れて行かれ「この音わかる?」私が書き取った回答を見て「ああ、良かった」心底安心したようだった。私だってびっくりした。自分がそんなことできるとは知らなかったのだ。

音大出てもまだ周りには追いつけない。そして、これもまぐれでオーケストラに入る。オーケストラで本気で勉強を始めた、その後10年あまりで退団、フリーとなってからは私の人生を支えてくれる人たちが大勢で私を押し上げてくれた。ただただ感謝しかない。

コンマスの鳩山さん通称ハトカンさんなどの大御所から東京ゾリステンのメンバーやそのつながりでどんどん仲間が増えて、いつも腕はビリなのになんだか良いポジションにいるというようなことが多かった。共演者がすごく贅沢なメンバーだったりして、そんな高名な演奏家たちは決して偉ぶらないことも知った。しかも共演すると本当に楽しいのだ。自分までうまくなったような気がするのだった。

というわけで、幸せな音楽人生、私は気後れすることがなかったのは、本当に何も知らずに周りの人たちについて行ったからなのだった。無知ゆえに怖い物知らず。幼少時代にたくさん音楽会に行って、たくさんレコードも聴いて、培われた耳のお陰で吸収するのが早かったせいでもあり、ヴァイオリンが下手くそでもよく音楽が理解できるゆえでもあった。

今しみじみと思う。皆さんの愛情が私をここまで連れてきてくださった。周りでは子供の頃に怖い先生に叱られてレッスンを受けた人の話ばかり。私には怖い先生は一人もいなかった。いつでもレッスンは楽しかった。怖いと有名な先生でもそうだった。先生たちはあまりに私が下手くそで、可哀想で怒る気になれなかったのだと思う。見どころがある生徒なら先生たちも夢中で指導したでしょう。でも私はのほほんとしているので叱れなかったのだと思う。練習で辛いと思ったこともない。最初の譜読みは常にワクワクした。

良き先生、良き仲間、そして今もなお一緒に弾いてくれる多くの皆様に心底から、感謝しています。今後いつまで弾いていられるかはわからないけれど。

9月に予定のコンサートの練習は始まったばかり。多少頼りなくなってきた頭には非常な負担だけれど、もう少し頑張ってみますか。そこにもう一人、いつもの相棒のピアニストからブラームス「ヴァイオリン・ソナタ」のお誘い。おやおやまた手に余る状態になってきたぞ。特にブラームスは心底厳しい。耐えうる力がまだあるかどうか、試してみないとわからない。

日々、演奏し続けて来た頃はまだ若かった。けれど今、体力気力ともに落ちてゆく中での力の配分がいうまくいくかどうか。年齢のせいにして失敗は許されない。舐めてかかるなよと、もう一人の自分がいう。あんたは引っ込んでいなさいと私はそいつにいうのだけど、なかなか頑固なやつで引っ込まない。困ったものだわ。



















2026年1月30日金曜日

忍び寄る老害

今まさに高齢社会の真っ只中にいる私たち、自分でも笑ってしまうほど何もかもトンチンカンで。

秋にコンサートの計画があって準備のそのまた準備期間。どうもギクシャクしている。昨日の練習日には練習時間の伝達の漏れがあって、一人がやや遅刻。私たちはまず遅刻は大いに恥じるところがあって、皆さん、それはもう時間に厳しい。ところがそれは本来私がしなければいけない連絡だったらしいのだけれど、誰がどう連絡するかという決まりがなかったために、ゆっくりと午後から出ようとしていた人を大急ぎで駆けつける羽目にさせてしまった。

その時間の変更は大変急だったので私はもう他の人達には知らせがいっているものと思っていたけれど、念の為、その遅刻した人にもメッセージを送った。それが練習日の一日前。ところが返信がない。おかしいと思ったけれど、まあ大丈夫だろうと思って寝てしまった。

練習当日、彼女は時間に現れなかった。いつもはきっちりと時間の少し前に来る人なのに。それで車が混んでいるのかな?でもそれなら必ず連絡があるので、まさかと思ったけれど送ったはずのメッセージを開いたら、ニャニャニャ!送信していなかったのだ。慌てて送信したらその人から電話があったので、今からこられる?

怒り心頭のチェリストはそれでもすぐに来てくれた。ご主人に昼ご飯を用意してこようと思ったのにできなくて、ご主人はどうやらものすごくお腹が空いているらしいとのこと。ごめんごめん!「それにあのメッセージに明日と書いてあったけど、一日違っているのよね?本当は明日だったの?日が変わったの?」それで作成したメッセージを送信するのを忘れたことまでバレてしまった。落ち度はこちらだから謝るしかない。

メンバー五人の中で比較的若いのは彼女だけで、あとは私とほとんど同年代。そもそもこのコンサートの計画だって、私は少し以前に声をかけられて参加表明をしたけれど、他の人たちにはまだ連絡してなかったようで、皆さん「はあ?」という状態。でもなんとか収まってしまうのは長年の友情とおおらかな人たちの集まりのおかげというしかない。

それでやっとスタートラインに集合できたというすったもんだがあって、よろよろと出発した。

それでもさすが長年プロとして生きてきた人たちの気迫は老いてなお盛んとまではいかないけれど、一般的な平均値は上回る元気さ、口も手もよく動く。今回は新曲に挑戦、非常に変拍子の多い曲で頭の体操にはぴったりなので、この曲を仕上げた暁には脳内年齢が必ず10歳は若返るであろうと大いに期待している。

しかし、こういう騒動が毎回あると大いに困るから皆でちゃんとしようということになってラインの登録をして、その登録も私は一切できないので人にやってもらうしかない。いつまでも大人になれないnekotamaでございます。

昨日のドタバタがこたえて少し疲れてはいるけれど、今日はもう一つのアンサンブル、オーケストラ時代に一緒だったHさんとシュポア作曲ヴァイオリン2本のデュエットの約束があった。彼女は朝から遠くからやってきて、多分年齢は私と同い年か一つ下か、その割に私の数倍元気。この差は基本的な体力差なのかわからないけれど、とにかく元気。おそれいりました。

しかし何と言う幸せなことかと思う。私はオーケストラは約10年強在籍してその後は、フリーランスとなり、あちこち飛び回っていた。これは私の性にあっていたらしく非常に愉快な年月を送っていた。そして今、昔の仲間がまた集合してくれて、私は何事もなかったかのようにオーケストラのメンバーと一緒に弾いている。会えば失われた歳月はすぐに戻って、オーケストラの仲間であった頃と同じように胸襟を開くことができる。やはり第二の家族だったのだなあという思いを新たにする。

シュポアのデュエットはあまりおもしろくないから、サラサーテのナヴァラに変更しようということになった。譜読みができたらお互いに連絡するという約束をして今日の練習はお開き。また会う日まで元気でいるのが私の一番の任務であるので、健康には気をつけよう。これでまた生きる力が湧いてくる。持つべきは仲間、友達、猫。

最近カフェやコンビ二や、行くとすごく親切にされるけど、なにか老人にそのようにするのは特別扱いというか逆差別ではないかと思うようになった。半分人として終わっているので親切にしてくれるのか、猫なで声で頼みもしない説明などされるとうんざりする。まだ脳みそは半分だけど残っているのです。

あるカフェでコーヒーを頼んで受け取るとき、スプーンはつけますかと訊かれた。そうね、砂糖を入れるかどうかだから、どうしようかと一瞬迷ったら、後ろに並んでいる客が猫なで声で「すぷーんを欲しいかどうか訊いていますよ」とご親切に説明をしてくださった。

私は「ご親切にどうも。でも聞こえていますよ」その後言わずもがなのことまで付け加えた。「よけいなことを」私が獰猛な人であることくらい見りゃわかると思うけど。そのいかにも猫なで声の親切ごかしの態度が老人を無力にするのよ。老人はむしろ蹴飛ばして歩くくらいの扱いでないと、本当に年をとってしまうのよ。

本当に弱っている人ならそんなひどいことはしない。本当に助けがいるなら一生懸命お世話するのもやぶさかでない。けれど、健康で一人で歩ける人を猫なで声で扱うのは失礼極まりない。それは見りゃわかる。私はもし本当に何もできないときにはちゃんとお願いしてお世話を受ける。そういうときには遠慮しないけれど、今のように歩いてカフェに行けるくらいなら誰にも頼りたくない。可愛くない老人なのです。

私は一度引退を決めてヴァイオリンを弾くのをやめた。楽器は売り払ってのんびり暮らそうかとまで考えたけれど、どんどん体調が落ちていく。数カ月後、楽器を手にとって恐る恐る弾き始めた。しばらく調子が出なかったけれど、その後ぐんぐん元気になっていくのがわかった。やはり体は使わなくちゃあ。

だから親切に老人を労って、怪我させてはいけない、無理させてはいけないなど、規制されたら人はどんどん弱っていく。自分はもう死ぬまで頑張らなければいけないと思っていたら元気にならざるを得ない。そう、私は休息は諦めてずっとヴァイオリンを弾くことに決めた。すると人が集まってきて、昨日今日のようにすごく疲れるけれど心は満たされる。もしそのことで寿命が少し縮まったとしても、それは問題ではない。あくまで自分らしく自立できるうちはしっかりと生きていこうと思っている。

だからといって親切な人にツンケンするのは本当に失礼なこととは思いますよ。でも自立できるうちは構わないでください。こういうのを年よりの冷水という。いいのいいの、憎まれっ子でいても人に自分の領域に入ってほしくないというのが本音なのです。人はそれを老害というのかな?

























 

2026年1月27日火曜日

雪国では

日本の中央を横切る山脈のこちら側とあちら側では本当に事情が違うものだと思う。

関東地方は比較的温暖で災害もあまり大事にはならないけれど、毎年沖縄や九州では大きな台風被害。そして頻発する大きな地震、洪水なども 最近は中部地方、北海道などに大きな被害をもたらしている。私たちは幸いにしてなどと呑気にくらしていてもいつ何時その災害地図がガラッと変化するかもしれない。

今年の稀に見る大雪情報を見ると、雪国に暮らす人たちのご苦労は如何ばかりかと思う。思えば私は19歳でスキーをはじめ、毎年目の色を変えてスキーを楽しみにしていた。つい数年前まで滑っていたのでもう60年超えてのスキー歴。それが諦めムードに変わったのは去年、一昨年くらい。もうすでにスキーを滑る脚力がない。本当にがっかり、私の人生で一番がっかりしたことは乗馬ができなくなったこととスキーが滑れなくなったこと。

良きスキー仲間に恵まれて幸せなシーズンを送ってきた。まだ若かりし頃、毎年天元台でお正月を過ごすのが恒例だった。ある年、米沢の駅に降りたったとき、いつもなら一面の銀世界が目に飛び込んでくるはずが全く雪がない。道はカラッと乾いて、いつもなら駅前で食事を済ませ、迎えのタクシーで山に向かう。その時は町中のお寿司屋さんに雪を踏みながら歩いていくところなのに、全くカラカラで歩きやすいことこの上ない。山に行けば雪はたくさんあるからこれは理想的な状況と思っていた。

いつものお寿司屋さんで腹ごしらえしてタクシーに乗る。運転手さんに「今年は雪が少なくて楽で良いですねえ」というと運転手は「とんでもない。雪国には冬に雪が降らないと困る事情があるのですよ」と返ってきた。なぜかというと冬の雪のために生じる仕事があって、今年はその仕事がなくて大弱りだという。

なるほど現地に行ってみないとわからないものだと、自分の浅はかさを恥じた。雪さえなければスイスイと車が動き、物流にも人手が行き届き・・・ではなく、毎年雪下ろしの仕事をしている人たち、雪を予想しての土木工事など、雪がふらないと仕事がなくなることもあることをやっと知った。井の中の蛙大海を知らず、ケロッ!

高市さんも多分実感として地方地方にはそれぞれの事情があり、長い日本列島では北と南では大きな地域差があることは頭ではわかっていても、総理官邸の中での守られた空間でどれほどの実体験が感じられるかは、おそらく今みたいな選挙のさなかでは上の空ではないか。現地では命がけで雪下ろしをする老人たちがいることも、気にならないでしょう。

そんな無駄な時間と空白が生じることを予想していなかったのかも。大切な国家予算は災害に向けていただきたい。せめて暖かくなって、ある程度の実績を積んでからの選挙だったら許せるけれど、今やるのはただの人気投票でしょう。壮大なムダ遣い、自分勝手、自己満足のために国家予算を無駄にして何が得られるのか。今まだ人気が落ちる前に選挙をして固めようという浅はかな見え透いた考えは誰が彼女に植え付けたのか。

おっしゃるとおり働いて働いて働いて、それは貴女だけではない。日本中の大多数の人はそんなことずっとやっています。しかも零細な給料で寝る間も惜しんでいます。もし全国民が候補者なら、あなたは欄外に落ちるでしょう。いい加減にして!

期待が大きかった分がっかりする気持ちが広がる。消費税を免税しても、お店の人たちは新しい計算機の導入や社員教育やなにかやにお金がかかる。そして人気取りが終わればまた元通り消費税が上がり、お店や会社は大騒動。わかりますか?今はなるべく状況は変えないほうが良いのですよ、結局何をやってもそのどさくさに儲ける業者との癒着で庶民は損するばかり、いつの間にか裏金議員は大手を振って歩く。政治家の意識が低すぎるからこうなってしまう。残念な国は日本なのです。





2026年1月26日月曜日

雪下ろし

連日の大雪が住民を疲弊させているという 報道が続く。腰の曲がった人たちが屋根に登って手慣れている様子ではあるけれど、いかにも危なっかしい。今年に限らず毎年のことなのに、雪下ろしのためにもっと国費の予算は取れないのだろうかと、ハラハラしてテレビを見ている。

高市さんは最初のうちは大変理知的な方だと思っていたけれど、なんのための選挙か、まだ何にもめぼしい成果がないのに自分を評価しろと国民に迫り、莫大な選挙費用が使われることを思うと、雪対策にそのお金を回すのが妥当ではないかと思う。

高市さんはいわばエリートであり日々の生活に困窮することはないし、一人暮らしの雪国の住民が屋根から雪を下ろすのが命がけだということも実感がないかと思うけれど、想像力はあるでしょう。結局ご自分とその党派にしか興味がないのかと思える。

まだ彼女はほとんど仕事をしていないのに、何をもって評価しろというのか。トランプさんと仲良しになったとか習近平さんを激怒させたとか、そんなことしかやっていないのに、もうなにかしとげたとでも思っているのか。

もう少しお仕事をなさってからでもいいのではないかと思う。こういう庶民とかけ離れた感覚が好きになれないことをそろそろ知ったほうが良いのではないか。

総理大臣といえば国の政治家の頂点に立つのだから、そんな庶民のことはおわかりにならないだろうと思うけれど、このタイミングはないでしょう。民の竈ではないけれど、根本はその気持がなければ国民は不満であろうと。実際に雪国に行って見ればわかると思う。私はお気に召しましたか?と国民に問わなければならない意味はなんなのかしら。まだわかりませんと答えるしかないでしょう。

今回の選挙で私は少しあなたがどうかしていると思うようになりました。無駄金使ってニコニコ作り笑いして、結局雪国の老人たちが苦労して、せっかく党派の体制が整ったと思っていたのにまだ何もせずに分解して、莫大な国費を使い、一体何をしたい?働いて働いて働いている庶民は物価高に喘ぎ、鼻先の人参の消費税免除を見せびらかされてみんなは走っている。

今は低姿勢でも選挙に勝った暁には、雪下ろしのことなんてお忘れになる。そんな細かいことよりトランプ氏にすり寄ったほうが華やかで、日本初の女性総理大臣の本当の仕事はこっちなのよとおっしゃるのではないかと思う。それもそうだ。総理大臣がそんな庶民の苦労などにいちいち目を向けなくても国としての仕事がある。でも根本は国民に雪下ろしの苦労をさせない、国会議員の給料を少し減らし予算を国民の安全のために使うとか、なんとかしていただきたい。

日本の国会議員数は他国よりも少ないけれど、給料はずば抜けて高いと聞くと、議員数を増やして給料を下げる、これで釣り合い取れませんか?・・・と言いたくなる。無駄な選挙しないでもらいたいなあ。そんな暇あったら働きましょう。

高市さん、あなたは自信満々で国民の人気投票の結果を待っていらっしゃるだろうけど、これで人気は下落するであろうと、私はそう思いますよ。それとあの作り笑いもおやめになったほうがよろしいかも。演説中なんの関係もないところでニヤッとお笑いになる。あれキモイ。

以前の高市さんはにこりともしないで、常に厳しいお顔をしておられた。私は随分厳しい人なのかなと思っていたのに、総裁選あたりから途中で意味もなく笑うようになったのが不気味で怖い。周りの方々の入れ知恵ですかね?
















2026年1月16日金曜日

宇宙からの帰還

 国際宇宙ステーションから宇宙飛行士の由井亀美也(ゆいきみや)さんが地球に帰還した感想を訊かれて「食べ物や食器が目を離した隙にどこかへ飛んでいってしまわないことに感動した」といわれたそうだ。

私は目を離すとどこかへ行ってしまう楽譜をたくさん持っている。練習の時間をはるかに超える楽譜さがしの時間というと少し大げさだけれど、たしかに家の楽譜たちには足がある。今ひとつ探している楽譜があって、未だに見つかっていない。練習日は迫ってくるし額に汗を浮かべて楽譜棚を引っ掻き回す。文字通り引っ掻き回すのであって探しているのではない。

楽譜は普通ソロパートとピアノ伴奏パートのようにパートごとに作られている。ピアノ用の楽譜は分厚いけれど、弦楽器のそれはやや薄め。だからよく他の楽譜に紛れてしまう。「よく」というのは私に限ってかもしれないが、練習を終えてやれやれというときに、他の楽譜と一緒にパタリと閉じてしまうことがある。こうなると、なかなか探すのは大変なのだ。

例えば、ブラームスのヴァイオリンソナタの伴奏譜にベートーヴェンのヴァイオリンパートをはさんでしまうと、探すのに苦労する。普通の人ならそんなことはしないけれど、私の場合は超うかつなのでよくある話なのだ。しまうときに確かめるなんてこともしないし、早く片付けてコーヒーが飲みたいなどと食い意地が先に立つので楽譜が違う場所に紛れ込んでいるかどうかは気にしない。その結果、次に必要なときに楽譜が見当たらないことはしょっちゅうで、うちにくる生徒たちは心得たもので「先生のうちの楽譜は歩くんですよね」と涼しい顔してつかの間の休息を楽しんでいるようだ。

探すのがめんどくさいときは新しい楽譜を買ってしまう。だから同じ楽譜が何冊もあって混乱に拍車をかけているのだ。でも最近の物価高、新しい楽譜など買うとなるととんでもない。私が子供の頃使った楽譜に時々値段が書いてあることがあって、190円とか高くても1900円とか書いてあると、しみじみと遥かに遠くに来たもんだとの感がする。今どき楽譜は高価すぎて、もう引退した身にとっては高嶺の花なのだ。いままであった楽譜だけを演奏しているっきゃない。

宇宙からの話をしたけれど、宇宙で音はどのように広がっていくのだろうか。モーターなどの金属音なら耳に届くかもしれないけれど、ヴァイオリンのようになにかに反響させないとよく通らない楽器の音はなんの媒体もない真空の空間では届かないのではないだろうか。これ、AIに訊いてみよう。宇宙ではストラディバリウスの楽器も子供の練習用のやすい楽器でも音の違いはわかるのだろうか。だれかヴァイオリニストを宇宙に派遣して宇宙空間でのコンサートを聞かせてもらいたい。

本音は私が行きたいけれど、宇宙ではたぶん音は伝達する環境がないので、聞こえないのではないかと思うけれど。ピアノなら枠が頑丈な木だからかすかに振動は聞こえるのではなかろうか。伝達物質がなければそれも無理?それでは宇宙空間でのリサイタルはむりなんですね。

試しにAIさんに訊いてみた。AIはかく語りき

宇宙は完全な真空で粒子が極端に少ない。振動する相手がいないので音はひろがらない。

映画「エイリアン」のキャッチコピーは「宇宙ではあなたの悲鳴はだれにもきこえない」だそうで、考えるだに恐ろしい。

かのアインシュタインはカーテンが太陽光に当たって変色したことから「光は粒子でもあり波でもある」と考えたそうです。でも、このエピソードをAIさんに質問したらにべもなく「彼はそんなことは言っていない」と返事があった。しかしAIもまだ発展途上だからそのうち考えがかわるかもしれない。面白いですね。もしこのエピソードが本当なら、アインシュタインこそが真の科学者でありまさに天才、私が猫たちと日向ぼっこしてうつらうつらしていてもなんの考えも浮かばない。二人の共通点はどちらもヴァイオリンを弾くことだけ。

私が天才科学者だったら見えない楽譜を呼び寄せる力を発明する。けれど、その前にもう少しヴァイオリンがうまくなる練習法を発明したい。いや、練習しなくてもうまくなるのほうがいいかな。




















2026年1月14日水曜日

非通知設定

今朝出かけるときに間違えて以前使っていたスマホを持って出かけた。車に登録してあるスマホがつながっていないというのでバッグからスマホを出したら、なんだ、古いスマホを持って出かけていたのだった。慌ててUターンしてスマホを探す。広い家でもないのにキッチンやリビングなどの生活空間とレッスン室が完全に分かれている構造なので、2つの空間を行ったり来たり、後でかけると忘れるといけないからと、鍵も一々締めたり開けたり、もう面倒くさいったらありゃしない。

しかもセコムの防犯対策も一々解錠したり施錠したり、面倒だけどそうしないといつも忘れてしまうのだ。スマホはなかなか見つからず、固定電話から何回も通話を試みるも着信音が聞こえない。そのうえ、二匹の猫が今日の暖かさに誘われて表に出てしまった。今日は帰り時間が午後5時ころになるから、本当は出ていてほしくない。特にオス猫のグレちゃんは微熱があるようだ。猫の微熱って?わかりますか。私ならわかる。オホン!だから室内で待っていてくれるといいのにこういうときに限って外にでるのだ。仕方がない猫の帰宅を待つと約束の時間に遅れてしまう。

やっとスマホが見つかって駐車場にいくと。微熱のグレが情けなさそうにこちらを見る。だから出てはいけないといったのに。でももうかまってはいられない。今日は本当に雲一つない青空で、温かい冬の日差しが夕方まで残っていてくれることを期待しよう。出発!

目的は足の痛みの治療で、私の膝は多少O脚気味だけど膝関節のレントゲンでは異常なし。その痛みは膝の裏側から発生して踝まで走る。膝そのものが痛いわけではないので、神経痛のようなものと思われた。先日バスタブのヘリに頭を打ち付けたときには、痛みのある左足が踏ん張れなくて転び、立ち上がれなかったのが原因だった。またそのようなことがあると、私の頭はコブだらけになってしまう。

それで痛みを高周波の振動で治療する治療院へと出かけたのだった。色々原因の究明や治療をしていただき、色々説明を受けてやっと安心して帰宅してスマホチェック。

今朝大騒ぎして探したスマホを見ると沢山の着信記録が、しかも非通知設定の着信がある。いつも非通知なら電話には出ないけれど、こんなに沢山の着信が非通知だなんて。また詐欺師に狙われているのかしら。それとも時々非通知でかけてくる不動産屋さん?かけ直すべきかしら。迷ったけれど、やはり詐欺や情報集めの電話だといけない。無視することにした。

それにしてもこんなに何回も数秒ごとにかけてくるなんて、随分切羽詰まった・・・あれ?今朝私も何回も自分のスマホに電話したけど、その記録がない、と、言うことは?これは私が自分でかけたものかな。アハハ、これは私の送信。スマホ探しに固定電話からかけたものだと思う。それでも私の固定電話が登録されていないのかな。前はちゃんとnekotamaと表示されたのに、いつのまにか住所録からはずれてしまったのだろうか。そういえば、私のスマホの着信記録には非通知設定がやたらと多い。それはこういうことだったのか。詐欺師は自分だった?

この世界はいつでも私には複雑すぎて謎だらけ。今どきの若者は簡単に当然のことみたいに操作している。なんと偉いものだ。

一回の施術で私の膝は間違いなく痛みが嘘のように引いた。痛みがなくなったらスキーに行けると思ったら、せんせいからそれだけは駄目ですと釘を刺された。この釘「痛い!」





















 

2026年1月12日月曜日

張り切りすぎて

 最近友人たちとの交流が戻りつつあるので気分はハイに。嬉しいけれど、こうなるとやりすぎるのが私の悪い癖なのだ。多分その後に寝込みそうだけれど、他にすることもないから大丈夫。

1時期、2日おきに睡眠と覚醒を繰り返す高齢のかまちばあちゃんのことが話題にのぼっていたのを覚えている。今日は起きている日で食事をしているとか、今日は眠る日だからこれから2日間は起きないとか、テレビで見ていて、そんなこともあるのかと感心していた。私もだんだんそうなってきて、特に今年に入ってからは顕著になってきた。私もかまちさんのようになっていくのかどうか。

2日間、睡眠が4時間程度で少しも眠くならない。昨日は午後11時就寝、午前3時覚醒して、その後スープを作ったり夜中にゴソゴソとゴキブリのように動いていた。猫の外出のたびに窓を開けしめして最後に夜明け前に送り出して少し横になったら、目がさめたときには昼の太陽が明るく部屋に差仕込んでいた。6時間も眠ってしまった。昨夜の4時間と合わせて10時間も寝たのだ。

私が眠っているので猫たちも伸び伸びと日光浴を楽しんでいる。それはそれは平和な風景。この状態がいつまでもつかわからないけれど、せめて今年は平和に過ごしたい。

最近は今までのブランクを取り戻すかのように、ヴァイオリンを弾くことを楽しんでいる。こんなに楽しいことが又できるなんて思ってもみなかった。なにか世界情勢の雲行きが怪しくなってきたので、つかの間の平和かもしれないけれど、何かが起きたとしてももう愚痴は言えない。その時にできることを精一杯やるっきゃない。

それにしても、世界は強欲な指導者たちが先を争うように自国の利益のみを求めて奔走している。これはもう大変な事態になることは目に見えている。良識は吹っ飛び、友愛もへったくれもすべてゴミ箱へ。恐怖しか覚えない。それにつけてもこの先若者たちが平和に暮らせることを祈るのみ。

私は本当に幸運だったと思う。戦争が終わって何もかも破壊されて、でも頑張れば上昇気流に乗れた時代、皆が貧しかったから自分の貧しさは気にならない。そんな時代が今思えば最高だったなんて!

これから生まれてくる子どもたちが空爆にさらされたり、飢えや貧しさにさらされて苦しむなどということがないようにと心から祈りたい。私も貧者の一燈でユニセフに協力しているものの、強大な軍事国家の予算のもとでは木っ端微塵、自分の無力さを思うと虚しさが先に立つ。こんな貧弱な寄付などしなくてもと無力感に苛まれることもある。諦めてはだめ、塵も積もればという言葉もあるでしょうと自分に言い聞かせることも。

そんな虚しさは他において、今は与えられたチャンスを活かして練習の毎日。しかし、楽器を弾くということはなんと疲れるものか。頭も目も腕も足も古びてしまった今日この頃、11時間の睡眠をとらないとやっていけない。本当のところ、もう永遠の眠りでもいいのだけれど、猫たちが路頭に迷うといけないから、もう少し頑張ってみる。