2026年4月6日月曜日

映画「坂本龍一トリオ・ツアー・2012」

坂本龍一さんのトリオツアーが映画になって今上映中と聞いて、野次猫の私は飛んでいった。川崎の映画館チネチッタ。朝9時すぎに始まる。日曜日の上映にしては早すぎるけれど、今絶賛不入り中らしいから、観客のいない時間にしか上映してもらえなかったのか。

映写室に入ると観客は10人足らず。今までの最低観客数は、中学生の頃、家の近所に映画館があった。マーロン・ブランド主演「片目のジャック」を見に行って3人、しかも男性しかいなくて、私はずいぶん間の悪い思いをしたことを思い出す。

最近では「孤独のグルメ」松重さんのひたすら食べる姿が面白くて好きなので観に行ったら、それも観客は30人ほど。もう少しいたかもしれないけれど、気の毒に、これでは興行利益は大赤字だなあと思った。しかし彼は最近コマーシャルでもよく見るし、孤独のグルメも放送されているから生活は大丈夫なんて、他人事ながら(笑)

しかし、世界で活躍の坂本龍一さんの映画でこの体たらくではお気の毒に。御本人はそんなこと気にもとめず、天国でゆったりと作曲の続きを書いていらっしゃることと思う。その風貌は白衣を着せたら医者に見える。しかも私が子供の頃からずっとかかりつけだった近所のT先生。儲けることをしなかったために先生の病院はいつまでもボロで、しかし地域の人達からは絶大な信頼を受けていた。軽い風邪くらいなら「家に帰ってあったかくして寝ていなさい」というだけ。注射も薬もなし。だから儲からない。しかし名医だった。

先生がなくなったときに初めて知ったのは、先生は東大医学部の出身であったこと。驚いたことに近所のボロ医院の割にはご葬儀の時の参列者が2000人だったらしいこと。いったい何者︀だったのかしら、あの方は!皆泣いていたという。坂本さんは、私の家族からも他の患者さんからも信頼と尊敬を集めていた方と雰囲気がそっくり。

そして大きな手。オクターブを弾くとき、私ならめいっぱいに広げないと届かない。しかし坂本さんはほとんど普通の広げ方で済ませているようだ。穏やかでしかし気骨ある態度、アーティストというより思考の人。素敵だなあ。

共演者はヴァイオリンとチェロの二人。

ジュディ・カン(Vn)ーカナダ クラシックからポップスまで幅広く活躍する国際的ヴァイオリニスト、 LADY・GAGAのワールド・ツアー参加 ジャンルを超えた演奏で知られる。坂本のアルバム「THREE 」に参加しそのまま2012年のトリオツアーに参加した。

ジャケス・モレレンバウム(Vc)ーブラジル ブラジルを代表するチェリスト・アレンジャー      カエターノ・ヴェローゾ、 アントニオ・カルロス・ジョビンなどのブラジル音楽の巨匠たちと多く共演 坂本とは1990年代から共演を重ね「アルバム1996」や「THREE」そして今回の「THE Tour 2012」でも中心的存在として参加。

優れた腕前で存在の大きな共演者たち。しかし中心にいる坂本は涼しげに曲に没頭、時々のアイコンタクトでなんと地球上のすべての垣根は今はないと言いたげなお三人。チェロはコントラバスの音まで出してびっくりしてよく見たら5弦の楽器だった。ワオ、すごい。何という音!

私はクラシックが本業だからマイクを通した音はあまり好きではない。最初はこの音と2時間近く付き合うのか、やれやれと思ったけれど、進むうちにすべての偏見は取り除かれた。そこには音のジャンルも音楽のジャンルもない。限りなく磨き抜かれ集中力を極めた世界があるのみ。

坂本の音楽の根底にあるのはなんなのか。最初は東洋的なと言いたいけれど、もっとお大きな存在、自然?なんというか、目を瞑って聞いていると砂漠が目の前に現れる。初めてシルクロードを辿ってタクラマカン砂漠に足をつけたときに私は、自分はここが故郷だと感じた。そんな情景が出てくると私の中の血が騒ぐ。

人の世のすべてのくだらない争いごとなど雲散霧消して大きな意味での知恵の壮大な力に打たれる。今戦争している誰かさんたち、なんと「くだらない」争いをしているの。そしてこの私もちまちまと生きていないで大空に飛んで行きなさいと教えられているようだ。

誕生日を送ってまた一つ歳を取った。体は動きにくくなって、頭も少し怪しくなって、でも若い頃からの放浪癖を経て、私は今豊かな想像の世界に遊んでいる。感動しない日はない。何を見ても聞いても感激と感謝の時代に生きている。だれも自分の胸のうちに年を取らせてはいけない。いつだって若々しい感情は持てるのだから。











 

また年取っちゃった!

私の誕生日は桜の季節。ほんの数日前。今年は明るい日差しの穏やかな 。友人のH さんが私の誕生日のお祝いをしてくださるというので会うことに。

場所は小田急線の鶴川駅。ここで以前にも数回待ち合わせたから心配ないと思っていたのに、私の車のカーナビは急にいつもと違う案内をした。え?曲がるの早いんじゃない。

でもナビは言い張る「ここを曲がります」そこを曲がると見知らぬ世界、おかしいな、こんなに工事中ではどこに行ったらいいかわからない。見たこともないクレーン車が工事現場に停まっている。やり直そうと思ってもう一度元の道に引き返そうと思ったら、カーブした先に陸橋が現れて、あっという間に私は別世界に連れて行かれてしまった。

陸橋から飛び降りるわけにはいかないから、それが終わってまたUターン。やっと約束の場所に戻って緑色の髪の乙女(元)に出会ったときは、エネルギーは消耗され尽くしていた。

Hさんは実は墓友で、いつの日にかは同じ墓地の樹木葬に住むはずで、私の友人たちもやがてはここに入るし、他の友人のご両親も眠るこの墓地は猫や犬も一緒に行き来ができることになっている。死んでもなお賑やかなのはすごくいい。墓地のある全山は春爛漫、桜の花で埋め尽くされ、それはそれはきれいだった。

墓参がすむと次は食い気。鶴川駅近くの鶴川香山園、ここは寛永6年創設されたお灸点と呼ばれる中風の灸治療所があった場所で、当時は全国から治療を求める人が詰めかけたという。毎月1日の灸治療の日には鶴川駅に特別列車が止まったというほど盛況だったという。

その後は私設美術館として公開されていた母屋と庭園を町田市が譲り受けリニューアル、町田香山園として令和7年に開園したという。

鶴川駅の目と鼻の先で徒歩5分ほどの香山園、その庭園に瑞香殿という立派な建物がある。明治39年に建てられた寄棟造、本瓦型銅板葺の平屋の建物は神社のような雰囲気で、中に入ると30畳の広間と周りに客室がある。各部屋はそれぞれゆったりとした個室になって広間を囲んでいる。食事処は「桜梅桃季」といって、その30畳の大広間とその周りの少し小さな部屋と個室などは、昼過ぎてもなお客で埋まっていた。

小さな器にそれぞれ手の込んだお菜が並ぶ。よくもこれだけの数を作るものだと感心していたらつい食べすぎてしまった。最近は胃が小さくなって普段なら途中でやめておくものを、ご飯もいつもより多めになってしまい、その上デザートのわらび餅までしっかりと。食後きれいな庭園を散歩したものの、それくらいの運動量ではカロリー消費はしれたもの。

その上、誕生祝いの様々なお菓子をいただいて帰宅してからもポリポリとかじって止まらない。ああ、止まらない。またこれで1キロ増量。

Hさんと一緒にいるといつもろくでもないことに遭遇することになっている。最たるものは江の島訪問、これでもかと強風に煽られ、私は歩くのもやっとだった。イルミネーションは素敵だったけれど、思い出すのは強風のことばかり。

中華街に食事に行ったら強風と土砂降り。中華街の道路は川となっておりました。しかし、どうしたことか、今回は穏やかな春の日、最後までなにごともなく・・・いやいや最初の場面ですったもんだ。やはり彼女との相性はなかなかなもので、同じ敷地内の墓に入ったらどうなることやら、死後もなお、ドタバタは続くのか、前途多難な来世であります。




2026年3月30日月曜日

花見にパエリア

 今日の花見客は長年在籍したアンサンブルのメンバーの中でも特に苦楽をともにした女性メンバーたち。創立以来一緒に歩み続けた。そしてコンサートマスター交代のときに存続するか廃止するかという瀬戸際で、存続のために尽力した。

軍資金もないというか、継続時に長年の使徒不明金があり、残されたのは見た目お金の流れがわからないように隠蔽された通帳。その提出を求めたとき、会計は長い時間拒み続けた。10ヶ月以上の攻防戦によりやっと一通だけ渡された。けれどまだ多数の通帳があるはず。それを時間をかけて素人の我々がパズルを解くように解き明かしてゆく。全員から絶大な信頼を得ていた会計が、実はとんでもないことをやっていたということがわかって、私は精神も肉体も病んでしまった。

その時の四人の働きは今でも胸が熱くなるような連携プレイだった。眠れない夜を過ごす毎日。思いついた対策を伝えようと仲間にメールすると、深夜にもかかわらず電話がかかってくる。あら、起きていたのね。それから思いついたことや様々な解決策を相談しながら、次の朝も確認のために郵便局や銀行などの通帳を調べ、相談に走り、カフェなどに集まっては本人の弁明を聞くけれど、あまりにも矛盾点や嘘が見つかって、しかも答えはボケたフリの連続、言い逃れや弁明は辻褄が合わない。

私はいつも自慢するように友人知人に恵まれて、穏やかな人生を送ってきたけれど、こんなに裏切られた思いは私の人生を根底からひっくり返す事件だった。そのために私は本当に寂しかった。その上、まだ会計の嘘が信じられないという人々の疑念の言葉も受け、心は沈みっぱなし、最後には体に異変が起きて耐え難いほどの倦怠感や体の痛みが続く。私の人生最大の暗黒時代だった。

聞こえてくるのはしっかり監督をしなかったあなた達が悪いという声。これには本当にそうだったと反省もした。全幅の信頼などは無用だった。一切会計報告をされなかったからにはこちらから申し出ても監査するべきだった。しかし友達だと思っていた人に、それは失礼かと。これがいけない。人は見かけによらないとも痛切に思った。

その一方で存続するならメンバーの確保をしなければならないため、様々な人に声をかけた。まずお金がない、有能なプレーヤーを確保するための軍資金は使い込まれ、どこへいったかわからない。肝心な時期の通帳が提出されない。お金がなくてもそれでも声掛けはしないといけない。

しかし音楽に情熱を持つ優秀なプレーヤーが続々と参加表明をしてくれた。その方たちには感謝しかない。私の取り柄はおっちょこちょい、誰も言えないような恥ずかしいお願いを当たって砕けろとばかり試しにお願いしてみると、すべての方から参加の返事を頂戴した。そしてついに新しいアンサンブルが生まれ、存続後の第3回目の定期公演を果たすことができた。

会を追って状況は良くなり客席は大盛況。私の友人たちの助けもありがたい。メンバー確保の助力や会場に足を運んでくれる友人たちに助けられた。今ホッとしてようやく引退生活に没入できるようになった。明るい私が戻ってきた。すると、おかしなことにあれほど痛かった膝の痛みが消えた。心の闇が私の体に痛みとなって現れていたのだと思う。

そのうち女子会をしましょうと約束していた存続推進のメンバー5人。今日は天気もよく穏やかな花見日和。我が家の前の桜並木も私たちの苦労を知っていたのではないかしら。こんな仲間たちに出会えたのも、苦労が実ってアンサンブルの継続ができたのも、そして演奏の評判の良いことも、いままで聴いてくださったお客様、影で支えていただいた方たちのおかげです。本当にありがとうございました。

今日、私の渾身の料理はパエリア。メニューを決めて3日前に作ってみたけれどイマイチ。それを食べ終わるのに2日かかってもうパエリアはごめんなさい。でも献立を決めたのだから諦められない。そのためにAIさんに教えを乞うた。懇切丁寧にレシピと秘訣を伝授されて今朝、再度挑戦した。

メンバーが集まる時間ギリギリに出来上がった。なんと素敵に美味しい出来栄え。我ながらでかした。懐かしい友人たちの顔を見たらこんなにも嬉しく美味しいものかと感無量でした。















2026年3月29日日曜日

今年も花見

毎年我が家に花を見に来るのかお酒を飲むだけに来るのか判別がつかない連中がいる。けれど、今年はまだ実行されていない。

かつてはメンバーの数が数十人もいて、お正月のスキー宿では眠る場所の確保も難しいほどのメンバー数を誇った「雪雀連」も、会長の引退と主要メンバーの体調不良などで休眠中。スキーの指導者であった小川源次郎先生も長い眠りについてまだ起きてきてくださらない。困った。私はいよいよスキーまで引退することになってしまうのか。

スキー仲間のお花見のときには必ず源次郎先生から我が家にお酒の差し入れがあった。去年はお酒がそろそろ届く頃かと待っていたけれど、一向に気配がない。いただくのに催促はできないから変だと思っていたら先生の訃報、ショックだった。ちなみに先生はいくらお誘いしてもプライベートの集まりには参加しなかった。

今年もきれいに桜が咲いた。それで1昨日は旧友たちが集まって咲きかけた桜を愛でて、ランチを楽しんだ。

最近見つけた自宅近くのレストラン。店外に出ていたチラシを見ていたらご主人がドアを開けてくれた。どんなお料理かと訊いてみた。南アルプスで栽培された野菜を中心としたランチコースの説明を聞いていたらたべてみたくなった。とりあえず店に入る。新鮮なパリッとした野菜はシャキシャキと美味しい。それで松本のしごとで意気投合した女子会が未だに続いていて、その女子会をここでやったらと思った。

最近は女子会メンバーも年老いて、かつては集まると嬉しくて嬉しくて笑ってばかりいた女子たちはもう姥桜。姥桜とは年老いてなお色香を失わない女性をいうのだけれど、色香の方はとっくに出ていってしまったから食い気で勝負。よっしゃ!ここが今回の会場と決めてきた。本当のこと言うと姥桜の年齢制限は、女盛りを過ぎた頃らしいけれど、なに、かまうものか、もう頂点を超えたら盛りも下りも一緒。あとは一気に転がり落ちてゆくのみ。もう怖いものはない。

当日時間通り(これだけは相変わらず皆さん絶体に守る)駅に迎えに行くと、とっくに改札口前でおしゃべりが盛り上がっていた。駅から店までは5分圏内。それを咲きかけの桜を愛でながら20分くらいかけて店に着く。

中年をとっくに過ぎた女子たちは皆さん身綺麗で大きな声を出したりしないのは、それぞれお育ちがいいから。地元民の私は評判が悪いから、ここで友人をダシに良い評判を上げたい。店のご主人も大いに喜んでくれてお腹がいっぱいになったところで、我が家でお昼寝タイムとはいかないけれど、お茶しようと誘う。

その後は賑やかなティータイムが過ぎてお名残惜しいけれど皆さん帰っていった。皆一緒に帰ってしまうと取り残された感じで寂しい。来年もお花見ができるかしら。











2026年3月28日土曜日

ダルタニャン

まさか実在の人物だとは思ってもいなかった。オランダ、マーストリヒトの教会で彼のものと見られる遺骨が見つかったという。現在DNA鑑定が進められているという。

デ ュマの「三銃士」の主人公、ダルタニャンは本名シャルル・ド・パッーカステルモール(1611-1673)はガスコーニュ出身の小貴族、母方の実名ダルタニャンを名乗った。フランス王室の軍人、銃士隊の副隊長。ルイ14世の信頼厚く、特に大蔵卿ニコラ・フーケの逮捕の任務で知られている。1673年、マースとリヒト包囲戦で戦死。

2026年、オランダ、マースとリヒトの聖ペテロ・パウロ教会の床下の墓で遺骨が見つかり、近くには17世紀の硬貨や銃弾片も発見された。現在DNA鑑定進行中。既存の子孫のDNAと照合される予定。

「三銃士」の仲間たちは実在した。デユマの「三銃士」に登場するアトス、ポルトス、アラミスは実在の人物をモデルにしたが、物語とは大きく異なる。

アトス :アルマンド・ド・シルク゚・ダトスは史料に名が残る銃士、性格は小説ほど陰影が深くはない。

ポルトス :アイザック・ド・ポルトーは豪快な人物像は脚色が強い。

アラミス :アンリ・ドルス 聖職者的な側面は史実に一部対応。

ダルタニャン :シャルル・ド・パツーカステルモール 小説よりはるかに実務的で冷静な軍人。

これらのモデルはデユマの参考にした回想録「ダルタニャン物語」に登場するする人物たちである。4人は同時代に実在し同じ銃士隊に所属していたが、大きな部隊での任務はばらばらで常に4人で行動するような編成はなく、デュマの創作である。ただし銃士隊は王直属の精鋭部隊であり人数も限られていたので、4人が知り合いであった可能性は十分にある。

史実のダルタニャンの働きは大蔵卿ニコラ・フーケの逮捕(1661年)単独任務であり他の3人は関わっていない。ダルタニアンは剣豪というよりも王の信頼厚い実務家で、むしろ渋くて魅力ある人物である。

なんでこんなこと延々と調べたかというと、私にとってダルタニャンは永遠の友達。子供の頃の憧れの人。私の誕生日やクリスマス、長姉からのプレゼントはいつも本だった。私の小学校3年生の頃「三銃士」は病気がちだった私に与えられた。

三銃士はそんな中でも最高のプレゼント、もちろんデュマの原作の翻訳ではなく、子供向きに易しく書き換えられたものだった。登場人物も随分単純に、筋書きも明るく女性の存在も希薄に、ただただ面白く読ませてもらった。15回も繰り返し読んだ。長じて翻訳の原作を読んでびっくり、陰謀渦巻く世界、それぞれの銃士の性格も単純ではなく、女性との暗い過去を背負っていたり、、ではあったけれど、ダルタニャンは性格が真っ直ぐで勇敢で、他のメンバーより明るく輝いていた。

デュマという人は「三銃士」も「モンテ・クリスト伯爵」にしても壮大な舞台を作り上げる天才で、本を手に取ると息もつかずに一気に読み上げたものだった。今でも覚えているのは子供向きに書かれた本の中で、フランス国旗を奪われそうになったとき、ダルタニャンが取り戻しに行くシーン。・・・友の制止を聞かばこそ息せき切って丘に駆け上り・・・まるで講釈師が見てきたような嘘をつくような一節、今思うと笑ってしまう。きっと子供向きに書き直していた編集者が興奮して書いたのだろうと思われるリズム感。ここで扇子でパンパンと音を出すのだろうと想像してしまう。

そういえば子供向きに編集した人もきっと、面白くてついこんな調子になったのだろうと思われる。今朝のニュースで遺骨発掘のことを偶々聞いて、ずっと忘れていたことが一気に思い出された。

本を読もう!私が忘れていた大切なこと。想像力や文字に対するセンスを養うことで豊かな感情が湧き上がる。音楽に対してもすごく大事なことを。










2026年3月26日木曜日

物書き

子供の頃からたいそうませていたので大人の小説を読み漁っていた。そして思ったことは、小説家は自分のことをなんでこんな赤裸々にかけるのか、恥ずかしくはないのかということだった。私なら恥ずかしくてこんなことを公にはできないわ。書くだけでも恥ずかしいじゃない。

今こうしてnekotamaなど書いているといつの間にか随分みっともないことも平気で書いるので、自分が大人になったからなのか、年取って羞恥心が希薄になったからなのか、よくわからない。最初のうちは公開する気もなく、おずおずと日記のように書いていた。自分のための記録であり、当時の周囲の出来事であり、後に読んでみたら面白いだうと言う気持ちがあった。

しばらく書いているうちにいつの間にかフォローしてくれる人が五人、未だにその数はふえないものの、時々時期にヒットした話題などでは100人超えたり、ほそぼそと続いて読んでくださる人がいるため、やめられない。私としては私がまだ生存しているぞというメッセージのつもりなので、もしある日からふっつりと投稿が途絶えたら死んだと思っていただきたい。こんなことを読んでくださっているのかと思うこともあって、それなりに嬉しいけれど、責任もあることだなあとじっかんしている。

今はこうして毎日のように投稿できるけれど時々大きなショックを受けたときとか、心にわだかまりが充満しているときには全くかけなくなることがある。そういうときには、作家というのは大変な仕事だなあと思う。新聞の連載などは毎日本当に大変なことで、こんなたわ言のブログであっても、スランプはちゃんとくる。

最小単位のこだわりといえば、政治の分野での投稿は差し控えようと思っていたのが、今はだんだんむかっ腹がたってきてムズムズする。なんともなく書いたことで大騒ぎになるようなネットの世界は怖い。ちょっとした悪意で大事になる危険性を孕んでいる。それでも臆面なく自分の非を認めないどこぞの大統領のように鉄面皮ならいざ知らず、ひ弱な一個人としては今生きているだけでも青息吐息なんだから、これ以上の揉め事は手に余る。というので楽しいことだけ考えようと思っている。

昨日健康診断を受けて思ったのは、私の取り柄は健康だけだということで、毎年ところどころ具合が悪くても今までは無事に生きてこられた。私の年代で自分で車を運転して付き添い無しで病院へ行けるということだけでもありがたい。そのありがたい人たちが集まって、時々食事を一緒にとる。皆さん頭も足もしっかり、だれもまだボケていないというところがすごい!本当はボケているのかもしれないけれど、今のところ皆うまく隠蔽しているのかもしれない。

気の確かな5人、本当は6人だったのが一人欠けてしまって、花の季節には思い出す。思い出すと涙ぐんでしまう。ヴァイオリニストの北川靖子さん。ドイツのオーケストラでコンサートミストレスを務め、日本に戻ってからは私たちのボスとして中心的な存在だった。

非常に泰然とした性格で小さなことにはこだわらない。けれど、仕事に対しては、N響のヴァイオリン奏者であったお父上の教えを守り、非常に厳しかった。もう8年ほどにもなるかもしれない、それ以前から入院や手術を乗り越えて非常な苦痛にも耐えていたのに、誰にも弱音を吐かないから、情報がなくて心配していた。

多分彼女が最後と覚悟したとき、私は彼女と旅に出た。京都、奈良で神社を巡り、ご開帳でたまたま見られた仏様たちに快癒を祈ったけれど、翌年4月ひと足先に逝ってしまった。彼女が入院中は毎日メールで話をしていた。最後のメールは一日前のものだった。当時のコロナ禍の中で、最後に会えなかったのが返す返すも悔しかった。「病院の窓から見える車のヘッドライトは、こちらに向かうあなたの運転する車ではないかと思うのよ」と。泣きました。

ときには腹を立てて喧嘩もしたけれど、4月になると無性に悲しい。そしてこんなことを毎年書かなくてもと思っても、またどうしても書いてしまう。










2026年3月23日月曜日

さくら開花

 毎年私が自慢げに自宅前の川沿いに咲く桜を語るので、もう聞き飽きたと思う方々、でもまあ聞いて下さい。

ソメイヨシノの寿命は大体60年と言われるけれど、実際には100年のものもあり、管理が良ければ130年以上の個体も現存しているという。私の家の前は用水路があって、川の両側に桜が植えられたのは戦後まもなくだから70年ほどの年齢。

今や老木が目立ち、幹にきのこが生えているものや枯れ枝を切り取られて木としての形が変形しているものも多く、ややみすぼらしい。幸い我が家の前は護岸工事で切り倒されてその後若木が植えられたので今壮年期。一時期、満開のときには両岸から覆いかぶさるように川に向かって頭を下げていたものが、これも工事のため手前が切り倒されてスカスカの状態だから、目黒川などの名所と比べると見劣りするけれど、それでも毎年お花見は我が家の恒例行事だった。

スキーの仲間「雪雀連」と言うグループが一時期は20人近く狭いレッスン室に集まった。しかしながら彼らは花などどうでもいい、お酒が飲みたいという連中なのだ。花見後のごみ捨てのときはさすがの私も恥ずかしいくらいの酒瓶がゴロゴロ捨てられ、あまりの量に二週間に分けて捨てるなどしたものだった。その頃が最盛期、今やもう飲める人もいない。せいぜいワインが2,3本。日本酒の四合瓶が2本くらい。寂しくなりました。

そして今年はメンバーの一人が体調を崩したので花の咲くうちに花見はできない。多分来月後半にでも花なしの「花見たつもり会」でもしようと。何よりいいのは我が家の二階から花を見下ろして、ついでに道を通る人達を眺め、時には通行人から声がかかる。ベランダでサンマを焼いていたら「わあ、おいしそうだなあ」なんて。通行人に向かって挨拶をするメンバーも居る。「僕、アオちゃんです」たまたま下を通りかかった私の姉が笑いながら今でもおかしそうに笑う。

思い出しては私も笑う。思い出だけでもこんなにおかしいのだから、当時は毎日泣き笑い。泣くのが3%、笑うのが90%。残りの7%が怒っていた。今は怒りが50%くらい。戦争が終われば多分もとに戻るけれど。

パールハーバーが卑怯なら同じことした大統領、あなたもおなじですよ。墓穴を掘ったわね。