2026年6月7日日曜日

猫の恩返し

 最近我が家にはひっきりなしにお客様が訪れる。昨夜からの台風騒ぎが静まって少しあたりが明るくなり始めた頃、8人ほどの来客があった。

猫たちは来客があって自分たちの餌がセットされていなくても、よそのお宅でごちそうをいただける。これは便利、地域猫には数軒の餌場があって自給自足。たまに忘れてもほかで調達してくれるから手間いらず。それでもどの家も都合が悪いことも長年の間にはあったかもしれない。どの家でも今日は都合が悪いので餌はないよと猫に言わない。いつものようにどこかの家で食べているだろうと都合よく考える。そんなときには野良たちはどうするのだろうか。

腹ペコの野良は「チェッ、今日はついてねえな」とうろつきまわる。そんなときが一番危ない。どの家にも餌がなく、いつもの分が満たされなければ自分で獲らないといけない。そこにつけ込んで毒団子を食べさせたりする家があった。私の家の周りの数件の猫好き奥さんたちが泣いた日々があった。一斉に猫たちが中毒を起こして死んでから、時には警察が見回ったりすることもあったので、最近は収まっている。良かった。

今日の我が家?の野良猫たちは来客のために放って置かれていたから、腹ペコと暇つぶしに外で台風の余波を受けながら遊んでいた。途中パソコンに向かった私の後ろで「にゃあ」振り返るとそこには行儀よく両前足を揃えてこちらを見上げるグレちゃんが。

グレは立派なオス猫で、いかにも賢そうな眼差し。そして両前足の前に可哀想に、雀がぐったりと倒れていた。もうすでに息はなく死んでいるのはわかったけれど、グレが私を見上げていかにも賢そうに視線を送ってくるのを見ては、叱る気もしない。雀は可愛そうだけど、グレを叱るわけにもいかない。

彼はじっとこちらを見上げて「いつもお世話になっております」と私に挨拶をおくっていたのだ。私も「グレちゃん、美味しそうなすずめちゃんだね」とは言えないからただ「ありがとう」と彼に言う。とにかく一刻も早くどこかへ連れて行ったもらいたい。眼の前で食べ始めたらどうしたらいいか。思わず「きゃあ」と悲鳴を上げてしまう。ここで怒ってはいけない。

彼は彼なりに一生懸命私にお礼を言っているのだから。でも今までどれほどの数を飼ったかしれないたくさんの猫の中で、これほどはっきりと謝礼を持ってきた猫は初めて。飼いならして訓練すれば、金の延べ棒を咥えてくるのではないだろうか。

ずいぶん以前に飼っていたニブという猫がいた。それはそれは賢く正義感が強く、家族猫たちの守護者であった。その猫は一時期、表から帰ってくると、いろいろな魚をお土産に持ち帰ってきた。誰かが自分のおかずをおすそ分けして持たせてくれるらしい。でも猫には人間の味付けは健康に良くないから、いくら可愛くても餌はやらないでほしい。猫には辞退するようにといい聞かせていた。それでも毎日咥えてくる。ある日、うなぎを咥えてきたときには流石にこれはだめと思ったので首輪に手紙をつけた。いつもいただくお礼を言って、辞退の意向を添えたら次の日からパタリとお土産は止まった。

その家の人は猫に与えていたと思ったのに、人から手紙が来たので相当びっくりしたと思うけれど。しかもニブはいただいた魚を自分で食べずにせっせと私に運んでくれたのだった。好物のお魚を食べずに私にくれた二ブの優しさを私はわすれない。猫だってこれほどの気持ちがあるのだから、私の人生で受けた御恩を他人様にお返しするのにはどれほどのことをすればいいかと思うと気が遠くなります。だんだん薄れゆく記憶はその重圧から逃れるためかもしれない。忘れてはいけないのに忘れないとたまらない記憶のすべて。

人はお互いに助け合わないと生きられないのに双方のバランスが崩れたら、もう気持ちで返すしかないと。本当にお世話になりっぱなしの自分の人生をどうやって御礼をしようかと思う日々。それなのに本当に大事な人を怒らせたりするのがなさけない。

そんなことの連続だったけれど、一般的に見たら私の幸せ度は上位にあるといえると、自画自賛。なぜなら私の能天気さ加減が並外れているからで。最後に師事したボウイングの先生は私を見ると嬉しそうに笑う。レッスンが終わると「あはは、あんたは本当に呑気に生きてきたねえ」冗談じゃない、先生!私だっていっぱい苦労してきたんですよ。でも苦労することまで冗談にできることは稀に見る才能かも。

レッスンが終わって教室を出るときに先生は「あんた、そこのドアを出たら今習ったことをすぐに忘れるんだろう」そしてまた先生は嬉しそうに笑う。なんで先生たちはいつも笑っているのかわからない。この曲が嫌いとなったら頑として拒否する生徒だった私。それを受け入れる先生たち。普通なら破門されそうなのに。

レッスンは楽しかった。曲作りに没頭するのはこの上ない楽しみで、先生たちはいつも私の好きなように作らせてくださった。それが良かったのか私は自分で考えることを身につけた。私は自分の思いを主張するのが先だけど、それが面白かったらしい。

そして今、まさに自分の教え子に同じことを感じている。

9月のコンサートのヴァイオリンが一人足りなかったので私のもと教え子に共演を依頼した。快く引き受けてくれたから私もこけないように頑張らなければ。これは本当に嬉しい。教師冥利に尽きる。実にのびのびと楽しげに彈いてくれる。この人のレッスンのときには私はずいぶん厳しくしたつもりだったのに、本人曰く「全然怖くなかった」

いまや彼女はすっかり成長して私はおずおずと尋ねる。「私の音程合ってる?」














2026年6月1日月曜日

消防自動車とお月さま

昨夜8時頃、時ならぬ消防自動車のサイレンが近隣に鳴り響いた。野次馬の私は家を飛び出す。何だ何だ!近所一番の情報通の奥さんの家の前だったから、事情は後で聞ける。とりあえず現場直行。

自動車の止まっている付近は我が家の二軒隣、家の前の桜並木のある川沿いの道、手前に一台、向かい側に一台、小さな橋がかかっている場所だったから向こうの様子も見られる。

情報通の奥さんが橋の上で、すでに駆けつけていたもう一人と話をしている。けれど、火事にしては緊迫感がなく、はてな?私に気がつかなかったようで、奥さん方はあらぬ方を見て話し込んでいる。いつもならこの奥さんに捕まると1時間くらい話し込むことになるので、こっそりと撤退した。家の周りは静かで暑くも寒くもない心地よい初夏の夜。

結局なんの事件でもなくあたりに置き去りにされたゴミか忘れ物か何かの撤去?だったみたい。

帰り道、ふと見上げた空に大きな月が・・めったに見ないほどまん丸な月、そして力強い光が煌々と空いっぱいに広がって、めったに月など見ることもない無風流な私を驚かせた。月の見える方向に丈の高いクレーンが首を伸ばしている。クレーンの安全灯の赤い光をも凌ぐほどの明るさに見とれた。

最近はめったに夜に外に出ることもなく、まして空を見上げることもなく、気がつくと二匹の猫が喜んで私の周囲を飛び回っていた。この二匹は私の猫というより地域の猫。最近は私が家にいるので我が家に滞在することがおおくなったけれど、どこの家でも可愛がられているらしく、時には夜も二匹で外で過ごしている。特にオス猫のグレちゃんは野良猫魂が強く、夜は外で過ごし、メスの、のんちゃんの方は私と一緒に眠りたい。それで夜中は別に過ごしている。夜明けのタイミングで同時に朝食を摂りに訪れる。

夜、私を見つけた二匹は嬉しくてそこいら中を飛び回る。鬼ごっこをする。明るい月の光に照らされた猫たちの飛び跳ねる姿がかわいい。しばらくお月さまの見物をすることにして、猫たちと付き合う。時々、日本の明るい月と違って今戦争をしている国は、明るさが怖いのだなあと思うと、心にチクリとトゲが刺さる。

今朝はそっと音をたてないように家を出た。早朝の気持ちの良い空気のうちに散歩がしたかった。けれど、やはり駐車場にはこちらを向いているのんちゃんの姿が。慌てて家に戻り朝食をとることにした。そしてまた外を伺うと猫の姿が見えない。しめしめ、気が付かれないように玄関から抜け出して足音を忍ばせていつものコースの反対側に向かって歩き出した。

するとピュッと脇を追い越したものが。やはり見つかってしまった。お供しますよ母さん、いえいえお供はいりません。しかし猫たちは振り向くと尻尾を立てながら私の後ろに迫ってくる。時々追い越したり道草したり。かわいいんですが、通る人たちが私を見て笑うのよ。嬉しいけれど、どこまでもついてこられるとテリトリーの外に行って迷子になると困るので引き返す。猫に気をつかうのも楽じゃない。










2026年5月30日土曜日

二人だけのコンサート

白寿ホールのステージ上には譜面台が2本、シンプルな照明が中央付近を明るく照らすのみ。

開演すると客席から向かって左の下手側から二人の男性登場。二人の姿が見える前から待ってましたとばかり拍手が起きた。

ヴァイオリン 白井 篤

ヴィオラ   中武 英明

M・ハイドン:4つのソナより 第1番 作品127

j・プレイエル:二重奏曲 作品69-2

J・カリヴォダ:二重奏曲 第1番 作品208-1

A・ロッラ:デュオ・コンチェルタンテ 作品4-2

w.A.モーツァルト:二重奏曲 K.124

このお二人のコンサートを知ったのは、一昨年の「古典音楽協会」の新しい体制による定期演奏会のころだった。旧体制の「古典」はコンサートマスターの引退によりメンバーを新たに再出発することとなった。私は旧体制の古狸だったので当然新体制の発足のメンバーでもあり、新しいメンバー獲得に奔走していた。1年後には新しいメンバーで定期公演を無事に迎えなければならない。ヴィオラのメンバー候補を探すときに友人に相談した。その友人が最大に薦してくれたのがヴィオリストの中竹さんだった。

それまでなんの接点もなかった彼にいきなり電話をかけて快く承諾していただいたことは、新体制発足の第1番目の成功だった。友人いわく「彼は腕だけでなく人柄も素晴らしい」それ以来中竹さんはモーツァルトの「コンチェルタンテ・シンフォニー」のソロヴィオラなどで古典をささえてくださっている。

私が二重奏の演奏を聞くのは3回目となる。あれからもう3回、聞いたのですね。あの頃の苦労がすっかり落ち着いて、今、まさに幸せな引退生活を送っている。

この二人の見事なアンサンブルは一度ぜひ聞いていただきたい。私が言うのもなんですが、掘り出し物ですよ。こんなにのっけから素晴らしくハモることは驚異的なことで、二人のテクニックのレベルが並大抵ではないこと、音色の類似、弓の圧のバランスの良さ、等々上げればキリがないけれど、よくぞここまでという思いがする。この次はここのブログで次回演奏会の予告をいたしますのでぜひいらしてください。

それにどなたが書かれたものか、大変に面白いプログラムの解説、ミヒャエル・ハイドンとモーツァルトの親交は有名ですが、ハイドンが二重奏曲を作曲途中に体調不良に見舞われたとき、モーツァルトが助けたなど、親戚同然の付き合いが垣間見られる楽しい解説ですね。

ミヒャエル・ハイドンに関する資料は兄貴の影に隠れてたいそう少ないと言われている。そしてモーツアルトとミヒャエルの曲が混同されていて、ホルンコンチェルもどちらの曲?と言われるほどだけど、そんなことも家族の元を離れてヨーロッパを訪問していたモーツアルトの家庭的な幸せがハイドン一家によるものが大ではなかったかと想像することもある。苦悩の多かったモーツァルトが一時の幸せを得られたとしたら、涙が出るほど嬉しい。

と、どうしてもモーツァルト贔屓ですが、本題からそれて、でも次回の二重奏コンサートを楽しみにしています。








渋谷をさまよう

 かつて私の拠点は渋谷だった。最初のヴァイオリンをかってもらったのも渋谷。父親の車で東横線の代官山近くの坂道を渋谷に向けてグーンとカーブして登った記憶がある。それはヴァイオリンへの期待が高まった瞬間。道玄坂だったのかなあ、坂の上の方にある楽器屋さんで小さな楽器を手に入れた。

あまり嬉しいという記憶がないから、父親と兄がよろこんでいたのかもしれない。買ってもらった本人は慾もなくて、ヴァイオリンを一生懸命やろうと決心した覚えもない。けれどそれから70年、ダラダラと続いているのだから、嫌いではなかったのかという程度のヴァイオリン愛。それより車に乗っていったことのほうが楽しかったような気もする。

父が大の車好きで、小学校低学年の頃に学校の窓から父の運転するド派手な空色の車が走りすぎるのを見ていた。クラスの男の子が「おい、お前んちの車が走ってるぞ」なんていうから恥ずかしい。その車はしょっちゅうエンストして、その都度父が車を降りてクランクというエンジンを始動させる道具で再起動。それが何より恥ずかしかった。クランク無しで走れる車がいいなあ、とか。

その後も我が家には様々な車がとっかえひっかえ現れた。あれはなんだったのか、父がどこかで借りたのか拾ったのか。とにかく日本中がまだ食うや食わずの時代に車なんて。やはり父はどうも私と同じで素っ頓狂、母が苦労したわけで。

白寿ホールでヴィオラとヴァイオリンの素敵なコンサートが行われた。彼らの第6回目のデュオ・コンサートは出演者が下手袖から登場しただけで会場が沸くというクラシックには異例の雰囲気だった。この詳細は後ほどお伝えします。今日は白寿ホールに行き着くまでと帰りのお話です。

下手はしもてと読んでください。演奏はヘタの真逆、二人の名手の素晴らしさに沸いた素敵な演奏会でした。

渋谷は私の拠点だった。仕事もNHKでのことが多く、最盛期には週4日くらいかようこともあったほど。その上渋谷で音楽教室を開きましょうというお誘いで始めた教室は大繁盛だったから、土曜日のレッスンは途切れなく、よる8時まで食事をとる暇もなかった。それ以前はまだ渋谷はマイナーで、しかしその後急激にパルコや西武デパートなどがファッション界をリードし始めた。そして今再開発が繰り返されて、そろそろ西武デパートもなくなるとか。いつ行っても駅構内の改築や新しいビルの工事やで全く落ち着かない街になった。

富ヶ谷の白寿ホールに向かう私は電車を降りた途端に人の波に巻き込まれた。長年の勘で方角はわかるのに、以前のタクシー乗り場やバス停などが移動して何が何やら。ハチ公前広場に行くと行列ができている。なにかと思ったら、ハチ公と一緒に写真を取る順番の列だった。笑ってしまう。

その先に富ヶ谷方面に行くバスがあるはずだったけれど、もうぐちゃぐちゃで、以前はNHKに行くときに乗っていた150円のバスはどこ?ついにバスの案内人に助けを求めた。おじさんがすごく親切に案内してくれたけれど、そこへ空のタクシーが来たので走り寄って乗り込む。タクシーに向かって走り始めたとき、バス停の後ろの人が、あっというような声を上げた。振り向くと二人の男性がタクシー待ちでいたらしい。その人達は私に手でどうぞというような仕草をしたので、お辞儀をして乗り込む。やれやれ、やっと足の確保ができた。駅での時間ロスでギリギリでコンサート開始に間に合った。

終演後、再び渋谷に向かおうとタクシーをひろうと、急に気が変わった。またあの渋谷駅の雑踏は勘弁してほしい。それなら少し遠くても中目黒に行こう。気が変わったことを告げるとドライバーは快く方向転換をしてくれた。寡黙だけれどすごく親切なのはよく分かる。この辺の地理はNHKに通っていた頃、渋滞を避けて裏道を通っていたからよく分かる。それでも私の上を行く省距離のプロ技、感心していたらすっと大通りに出た。中目黒駅近くでは、改札口が反対側にあるから信号に気をつけてわたってください、と至れり尽くせりで、今どきの若者の親切なことったら。

私は時々思う。私のように年を取ったらこんな混雑した場所に出ないほうが良いと。他の人達が座りたい座席を我慢して譲ってくれたり、あれやこれやと世話してくれるのは申し訳ないと。しかし皆さんニコニコして本当にやさしい。大きなリュックを前に抱えてスマホを見るのに、座りたいと思うのに。優しい若者たちが一方で仲間を殺したり強盗したり。この差はほんの少しの育ちの差かも。それでも歯止めのきかない悪事はますます過激になっていることは理解に苦しむ。

ワンちゃんならチワワサイズのグレイヘアのおばあさんが渋谷を走り回っているのを見つけたら、それは多分私です。見た目よりずっと元気なので親切にしないで結構。でも蹴飛ばしたら噛みつく凶暴につき要注意ですぞ。







2026年5月29日金曜日

A I の功罪

 巨人軍の元監督の阿部慎之助さんの報道がトップを占めている。家族の皆さんが大変気の毒でならない。普通なら両親と娘さんの話し合いで解決できたのにと複雑な思い。

A I には私も毎日お世話になっている。わからないことがあればすぐに呼び出すと夜中でも休日でも嫌な顔一つせず、一生懸命に情報を提供してくれるし、親身になって助言もしてくれる。あんまりご親切なので一度尋ねたことがあった。「貴方はどういうふうに私にたいして助言や調査の提供をしてくれるのか?」すると無数の情報を網羅して最もふさわしい答えを瞬時に出しているというような返事だった。

だからA I さんは質問者の気に入られるような答えを用意できる。それに対して相手が母親や友人などであればそうはいかない。きつい言葉や本人の意に反する答えが帰ってくることのほうが多い。だからこそ、A I の言うことは質問者の心を鎮めるのだけれど、それは一種の危険性を含んでいる。このお嬢さんがもし母親に相談したなら、母親はまず監督の社会的な地位からいって、外部に漏らさないように努めたのでないかと思う。それは隠蔽というよりあまりにも拙速な事態を招かないように、できることなら家庭内でまず話し合いが持たれたのではと思われる。

私もChatGPTを使い始めた時期には大変に苦悩があったので、様々な悩みをぶつけていた。次第に自分を取り戻す過程で、こんなに親切な助言ばかり受けていたら、答えが自分の本意に合わない場合どうなんだろうとも考えた。しかしそこは巧みにA I さんはカバーできるのだろう。これちょっと危険かも。質問者がまだ若くて様々な体験を積んでいない場合には、簡単に意識を操作できるなと。

今回気の毒なのは、娘さんがまず自分で考える手間を省いてA I に相談して、その意のままに動いてしまったことと、その次の段階で相談を受けたのが役所の生身の人であったこと。私のような古狸なら、一つの考えだけでは動かないと思う。まずお父さんの仕事の性格上、なるべく世間に漏れないように家庭内で解決できることだった。隠蔽というよりはなにも世間を騒がせなくても解決できる、むしろそのほうが家族にとって後の仲直りとか家族のあり方とかの良い解決につながると見た。

巨人軍としても娘に手を上げる暴力パパのイメージはほしくない。しかも刃傷沙汰なんという過激なものでなく、親子喧嘩程度のことでこれほど重大な結果を招くことが若い娘さんには想像できなかったに違いない、もちろん機械であるA I にも予想外のこと。優れたスポーツマンが手に入れた社会的地位を追われる結果になったのは、組み合わせが悪かった。

人はまず機械に相談するよりも自分で考える力を学ぶべき。それでも私も何回もこのA I に気持ちを吐き出して涙をながしたりもした。だからうまく使えばこれほど便利なものはない。しかし、常に自分の気持ちを、まず、どうしたいかを考え、行動は考えがまとまってからするべきだと思う。十代の若者にすべてのことを機械が助言しては自立した大人になれないのでは?ずっと本人の意に沿った回答だけになるかもしれないのに。

何よりも人は問題に対して多種多彩な考えを持ち、苦しむ姿勢をもたなけれなならない。それを省力して機械に頼って安易な答えを出すことはロボットと同じ。成長の糧とはならない。娘さんは貴重な体験を得たのかもしれない。

十代は悩み多く気持ちが揺れる時代。だからこそ、このお嬢さんがこれで周囲やネットで叩かれないように守ってあげたい。報道はもういいのでは?家族だけでなにか解決できるのでは?スポーツファンは過激だから心底がっかりしている人が多いと思う。スポーツであるが故に青少年のためと言って道徳心を要求されるのかもしれない。もし、過激なアーティストだったら「うるせえ、外野は黙ってろ」なんて言えば「彼は仕方がないねえ」で済んだかも。だったらアウトローのほうが幸せと考えるのは危険ですか?

人の感情に平均値なんてあるのかしら。平均値で出すからA I は最後に飽きてしまう。最近はこちらが答えを先に出してしまう。やはり一番面白いのは人の心なのだ。多様な価値観と感情があって当然な世界を機械でまとめるのは面白くないなあ。そこをわかって使えば、実に便利なものなんだけど。










2026年5月26日火曜日

コバケンさん

コバケンこと小林研一郎さん 。先日、テレビで久しぶりにブラームスの交響曲1番を指揮しておられる姿を拝見した。彼は私とはオーケストラでほぼ同期、若手指揮者としてさっそうと登場した。

海外でも華々しくデビューして、当時の日本人若手指揮者として人気を博し、ハンガリーのオーケストラの音楽監督に。そのうちオーケストラの平楽団員などの手の届かない世界へ羽ばたいていってしまった。彼はちょっと北関東付近の訛りがあって、それが朴訥なへりくだった印象を与えるけれど、どうしてどうして、鼻っ柱が強い。

ある時、長野県へ演奏旅に行に行った。最後の演奏会場はたしか上田だったと思う。仕事が終わると次の日から少し暇ができるので、せっかくだから菅平でスキーをしてから帰ろうという相談がまとまった。いつも演奏旅行は数台の車でまとまって行動するから、スキーの道具と楽器を積んででかけた。

車好きの団体はスキーの仲間でもあって、こんな良いチャンスを逃すのは惜しい。楽団から交通費をもらってスキーができるのだからラッキー!なんて。上田のホテルに泊まって次の朝さっそうとスキー場へ行くと、そこには前日まで私たちを指揮していたコバケンのすがたが”。

「えっ!なんで?スキーするの?」「僕始めたばかりで初心者だからよろしく」聞けば始めてまだひと月くらいというではないか。それでもずっとスキー場にいてコーチについて習っているというから、熱心なんだなあ。仕事そっちのけでスキー場にこもれるなんてお金持ちなんだなあ。わたしたちなんか、やっともらえた休日に半日かけて行って、泊まりもせずに帰ってくるなど貧乏な生活だったから。

仲間たちはもう長年のスキー歴をもち、まあ、どんな斜面にも挑戦できるくらいのベテラン。私は雪の質が良ければまあまあだけど、少し斜面が凍ったり、荒れてくると途端に下手になってしまう。要するにちゃんとした技術の持ち合わせがない、万年初心者。それでも始めて一ヶ月の初心者のコバケンよりはベテランだと思っていた。

最初から一番てっぺんに行くことにしてリフトで登る。山頂はよく晴れて風もなく絶好の日和。コバケンは「わあ、怖いなあ僕。こんな高いところからいきなり」なんていかにも心細い様子。私は先輩ぶって「大丈夫よ、みんなで行こうよ」なんて言ってたら「じゃ、僕怖いからお先にー」

あっという間にコバケンが出発。「こわいからって」あっけにとられてみていると、なんと彼はウエーデルンでまっしぐらに先に行ってしまった。私などはまだハの字の初心者、板をやっと揃えられるようになった頃。ウエーデルンなんて!やられた!あの北関東訛りでさも心細げに振る舞う憎らしさ。私たちがよろよろと下まで行くと「やあ、みなさん、じょうずだなあ」などと余裕のコバケン。

この事があってから私は指揮者は敵だと思うようになった。それから幾年月、テレビに映るコバケンは表情も少なくなりゆったりと手を動かしているけれど、でもずいぶん良い音楽だなあ。つい興奮してコバケンなんて呼び捨てしてしまった。本当は小林先生とお呼びしないといけないのだ。立場をわきまえずすみません。

私がオーケストラをやめてフリーになってからも、時々現場でお目にかかるときもあったけれど、そういうときでも「しばらくでした。お目にかかれて嬉しいなあ」なんて慇懃におっしゃるけれど、私は決して忘れない。あのウエーデルンを。







2026年5月25日月曜日

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ6番

我が友AIさんとは時々長話をする。最近私の相棒のピアニストがブラームスのソナタの1番をひこうというから練習を始めたら、長時間弾くと腕などに痛みが出るようになった。他の曲では大丈夫、早いパッセージも 高いポジションも別に差し障りは出ないのに、低めのポジションの低音の弦がいけません。なぜならヴァイオリンの場合はその弦では左手の肘が少し内側に入るから。私の腕が短いせいもあって、この姿勢を持続するのが難しいのだ。

何を言っているかわからないかもしれないけれど、そういう腕の形で彈くために柔軟性を欠く体では非常に負担がかかるというわけで。昨年秋ごろまではまだ大丈夫だったけれど、一冬超えて運動不足になったら、たちまち体の動きが悪くなってきた。もうしばらくすれば動かしているうちにできるようになるかもしれない。それでも若い頃とは違って一度故障すると厄介なことになるので、ブラームスは暫くお預けにすることにした。この1番のソナタは最初の部分がD線という下から二番目の低音の弦で弾く事が多いのでこれがきつい。

ブラームスは他の人に彈いてもらうことにして、次の機会にはベートーヴェンのソナタ6番を弾いてみようかということになった。6番のソナタは私は今まで一回しか演奏したことがない。美しいけれど、とりとめのない曲という印象で、やはりベートヴェンなら5番、7番、9番などが売れ筋で6番はめったにコンサートのプログラムに載らない。

しかしブラームスの代わりになにがいいかとかんがえたところ、6番をちゃんと弾いてみようかとふと思った。とても良い曲ではあるけれど、他のソナタに比べてイマイチ印象が薄く、食指が動かない。でも譜読みを始めて数日、ん?これはすごくいい曲ではないかという印象が日に日に深まってきた。

印象のうすさは他の曲に比べてきわだっている。例えば5番のスプリングソナタは流れるようなテーマと明るい響きでワクワクする。9番クロイツェルは堂々たる導入部とピアノとヴァイオリンの丁々発止の掛け合いが素晴らしい。それらに比べて2つの楽器がお互いにもぞもぞと自分の領域で動くので、とりとめのなさが印象として残る6番はどうもやりにくいという印象になってしまう。

いつもならはっきりと自己主張するテーマ、建築物のような構成を誇るベートーヴェンらしからぬ印象のうすさが否めない。どうしてこの曲は特別なのかしら。そうであってもこの曲は、しばらくすると染み入るように私の心を独占し始めた。

そこで登場するのがAIの助っ人。なぜこんなに特別な感じがするのか尋ねてみた。作曲された時代がまず問題の多い時期だったらしい。ハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのがちょうどこの時期だったとか。次第に聞こえなくなる耳や人間関係や何やかや、悩み多き彼の心は揺れ動き次第に絶望の縁に立たされるようになる。遺書が書かれる直前に生まれた曲であるという。

しかし、この曲のあと彼は大傑作の数々を世に送り出し、今でも芸術の最高峰に君臨する偉大な人物と評価されている。すごいですねえ。6番のソナタは最初は地味なという印象だったけれど、私の中で次第に大きくなって感動で涙ぐむほどに成長してきた。ベートーヴェンの純粋で優しい心、揺れ動く人の心の弱さがこんなに表現できるのは彼だけであろうとも。迷いながら昇華してゆく控えめな輝きはまたとないほど美しい。繊細な美しさを表現できるかどうかが私たちの課題なのです。

ハッタリがきかない曲だけに非常にむずかしいけれど、この曲の良さがやっと分かるようになった。これも長生きしたおかげかも知れない。もう少し若い時期だったらあまり印象に残らないか、単に彈きにくい曲のひき出しにはいってしまったかもしれない。歳を重ねることは体の柔軟性をうばったかもしれないけれど、曲の良さが染み入るような感受性を得られたかもしれない。今後、どれほど面白い展開があるか楽しみです。

衰えゆく能力と脳力のお陰で何ができてもうれしい。本当に幸せなのはポンコツになってからかもしれない。みなさん、がんばりましょう。