テレビを見ていたら、八戸で100歳を超えた女性が一人で競走馬の飼育をしているという 報道。
馬を飼うのは私の長年の夢だった。けれど根性無しの私はその夢はもう捨てていたのだ。もう夢でなにかできるような年齢ではないから。すべてを諦めヴァイオリンも諦めたつもりだったけれど、それは捨てきれず1年弱で復帰したのだった。体力がないとか、気持ちが集中しないとか、言い訳ばかり言ってぬくぬくと過ごすことになった。しかし、演奏会を開くことになって、そのぬるま湯はあっという間に熱湯になって、今は時々練習を持続できなくなり、1日練習したら次の日はサボるような状態が続く。
2日間の練習ですっかり疲れて今日は睡眠の日、昨夜11時半就寝、2時ころ目が覚めて、少し起きていたけれど、また寝てしまった。今日の目覚めは12時近く、その後もう一度昼寝、ほとんど丸一日寝ていた。そんな体力の無さで今更馬など飼うことはできない、と思っていたところに元気な馬主さんの報道。子供の頃から飼っている人だからできることかもしれない。
一時期馬が好きで馬に関する職業か飼育をしたいと本気で考えた時期があった。山を一山買って小型の木曽駒などを飼うつもりで、ほうぼう訪れたけれど、全くの素人だから何をどうしていいかわからない。そのうちヴァイオリンは周囲の人たちに助けられて順調に仕事を続けられた。これが私の本来の仕事だからと言い聞かせてきた。
けれど馬に取り憑かれた人の話を時々耳にすることがあって、夢は常に私にまとわりついている。去年だったか、中年すぎの女性が高知県で牧場を開いたことを知った。彼女は全くの素人なのに始めてしまったらしい。その勇気に恐れ入った。私にもできるかしら?時々夢の断片が脳みそにまとわりつく。一度、尋ねていこうかとも思っている。
馬を買うための土地探しは北軽井沢の家を買うことで一段落、もう夢は諦めて穏やかに暮らそう。でも最近少しずつ体力が戻ってきた。じわじわと確実に気持ちが明るくなってきた。様々な葛藤のあったここ数年はいまや過去のものとなった。単純に自分の体や脳みそを動かすことがどれほど健康に良いかということも実感している。さて八戸に行くだけの体力はあるだろうか。ひとまず秋のコンサートが終わったら行ってみよう。
音大を卒業する頃、私は動物の飼育に関する職業につきたいと思った。姉たちに相談した。彼女たちはもうおぼえていないと思うけれど私は「上野動物園に電話して飼育係になるにはどうしたらよいか訊いてみる」といった。すると二人の姉が口を揃えていった。「動物相手の職業はただ可愛がるだけではできないよ。もしかしたら殺さなければいけないことだってあるかもしれない」戦時中の育ちの姉たちは、戦争のために殺された動物たちのことを考えていたのだろうと、今では思える。私も戦争中の動物たちの悲惨な話に涙したこともあって、納得。
その頃私の就職はすでに音大の先生や周りの人達の考えで、決まっていたのだと思う。あっさりとオーケストラの入団が決まってその後の私の道となった。動物は好きというだけでは飼えない。命はそんなに軽くはないけれど、人間の命と動物の命との格差は歴然。くまさんだって生きていたいのに人間が優先になる。それを人間である自分は容認しないと生きられない。理不尽というか、自分が生きることが大前提で生きねばならない。
それなのにワザワザ戦争を始める馬鹿者たち、そのバカたちに人殺しの武器を売るという大馬鹿者たち。作り笑いが不気味な御婦人がいる。そんなエセ平和主義などクソくらえ。売るだけならいいの?それがもし、自分の家族や大事な人を傷つけるとわかっていても?国が違えば、その人達は人間ではないの?
地球は今、人たちの都合で動いている。いつの日にか、自然が人の都合を許さなくなって人が滅びるかもしれない。もうすぐそこに始まっているかもしれない。