2026年8月14日金曜日

バレエ

高校時代の同級生にバレエ学校の校長先生がいる。S君という彼は高校~大学での専攻は作曲科。数年前の高校の同窓会で長い年月を経て再会した。

私は音大付属高校の器楽科で、いなかっぺの猿もどき、幼いころから庭のびわの木に登って実をかじり、枝の上に広げた座布団の上で昼寝をする毎日。しかし、わが母校には由緒正しいお家柄の子女があふれている。それで私はなんとなく浮いた存在。私の父母の関心は兄に集中し、私はなんのしつけも受けていない田舎娘。着ているのはお下がりの服、髪の毛もぼさぼさ。

高校の先輩には「あの」美輪明宏さんがいる。だから少し変わっているといっても皆さんエレガントで華やかな雰囲気だった。当時はやりのペチコートで膨らませたスカート履いて瞼が青い女子たち、当時は私はアイシャドウなるものも知らなかったのでびっくりした、そんな同級生がたくさんいて、でも私のようにダサい高校生もいじめられることなく楽しい学園生活を送っていたのだった。

それはわが母校の最高のところで、喧嘩はするかもしれないけれど、意地悪な人はまれだった。要するに陰湿さがなくて明るい校風に助けられて私ものびのびと通学していた。

それで授業の一つに社交ダンスがあったのだ。玉置先生という非常に有名な方が講師として指導されていた。一度に大勢の生徒の指導なのでわかりやすく「はい、大学のほうを向いて。ハイ、次は寮のほうに歩く」とか、そこいら辺の建物を利用したわかりやすいご指導。楽しくはあったけれど、私は手のひらが多汗症でいつもじっとりとしていた。

いつもペアで組んでくれるのは親友のM子さん。でも時々機嫌が悪いと「あなたの手のひらは濡れていて気持ち悪いのよ」と放り出されることがあった。それで相手を探す気力もないので壁の花になって皆のダンスを見ていると、必ず、すっと寄ってきて黙って手を差し伸べてくる人がいた。それがS君だった。

彼はすでにお父様のバレエ学校の後継ぎとして、ステージに立っていたのだと思う。身長差が多分40センチくらいあったかもしれないけれど、リードがうまいので非常に心地よく踊れた。

一番面白かったのは、ドッジボールをして遊ぶと、彼の球のよけ方が素晴らしかった。普通はどたどた走って逃げまわるのに、彼はボールがあたる寸前に両足開脚、まっすくに長い足を一直線に開き跳躍する。ボールは何事もなくかすりもしないで飛んで行ってしまう。それでみなはやんやの大喝采。卒業後かなり経ってから「引退するので最後のステージを見てほしい」というご案内をいただいた。

私は、そのころはオーケストラの仕事やスタジオプレーヤーだったりで目の回る忙しさだった。心惹かれても仕事第一。思えばそんなに仕事ばかりしないで、同級生の引退のステージを見に行くべきだったと悔やんでいる。それがずっと心残りだった。

そしてまた幾年月、80歳の記念同窓会で再会した時にそのことをわびたのだった。すると次のバレエ教室の舞台の招待券をいただいた。ご本人はもう踊らなくなっていたけれど、その生徒たちの踊る姿は、彼の指導の過程がわかるほど、きちんと踊る子供たち、大人たち、プロも交えての姿勢が垣間見られて非常にうれしかった。

そして数日前はバレエ学校の卒業コンサート。会場の駐車場がいっぱいで付近のコインパーキングをうろついて、やっと停められた時は開場時間をだいぶ過ぎてしまった。自分の座席に行かなかったので、ほかの同窓生や校長先生であるS君とも会えなかったけれど、すごくきれいなステージに満足して帰ってきた。

そして今ようやくわかったのは、私が踊れなくて独りぼっちだった時手を差し伸べてくれたように、ほかの学友にもそうしたのだろう。今でも彼は自分の生徒達にそうしているのだろうということ。無口であまり声を聞いたことはなかったけれど、必要な時には黙って手をさしのべる、ああ、すごく良い先生なんだなと初めて納得した。

高校時代の友人たちは私の長い人生の中でも特別な存在で、あの大きな有馬大五郎校長先生の教えが今でも生きているのではないかと思う。母校、大好き!












































































2026年8月7日金曜日

眠り続ける

 昨日、一昨日と爆睡の挙句、今朝間が覚めたらもう午前8時、昨夜の就寝は10時30分だったから途中少しだけ目が覚めたけれど、ほぼ9時間ほど眠った計算になる。こんなに眠れるのはどうしたわけか。ほぼ気絶しているのではと思う。

冷房はずっとつけっぱなし。猫が密着してくるから幸せではあるけれど、たいそう暑苦しい。目が覚めても今まであれほど目覚めの良かったかつての私とは違って、ぼんやりしている状態が一日中続く。

先日私の睡眠パターンをAIに分析してもらった。それは以前からのパターンで、主な睡眠時間は3時間、24時ころ就寝、枕に頭が触れると同時に意識がなくなるほどの速さで入眠。午前3時に目が覚めると、その時には覚醒と同時になんでもできそうな気がするほど十分に寝た感じであること。そしてそれだけの睡眠時間で約一日、仕事ができること。

しかしそれが連続するとさすがに体力が持たないから、時々椅子に腰かけてうつらうつらとうたたねをすること。うたたねはその時によって違うけれど、やはり目が覚めるとすぐに普通に行動できることなどで分析してもらったら・・・

ニャンとうれしいことに、私の睡眠パターンは野生のネコ科動物のパターンだといわれた。しかし、これは少し信用ならぬことで、AIは人におもねるところがある。私が猫好きだということはとっくにご存じで、こういえば私は嬉しいということを知っている。

そのネコ科動物のパターンが最近崩れてきた。特に暑さに弱い私はすぐに熱中症になる。とても気を付けているけれど、ここ3日間の睡眠は見事に外れて、このまま永遠の眠りについてもおかしくない様なパターンとなっている。目が覚めない、寝起きの気分の悪さ、一日中の頭の重さやだるさ。寝る前に水分は摂っている。目覚めても同じ。それでも頭はぼんやり。

かつて仕事人間だった私は目覚めと同時に、その日のスケジュールが思い出せた。そしてすぐに行動できた。しかし今ぼんやり。今日は何曜日?仕事あったかしら?テレビやスマホで日時と曜日を確認しないと行動できない。

この際外がどれほど熱いか確認してみようと思って、外に出てみた。ちょうど卵を切らしたので買いに行こう。お気に入りの卵やさんまで約10分、しっかり水分をとり帽子をかぶって出かけた。しまった、パラソルにすればよかったかなあ。日陰を選んでゆっくり歩く。やっとたどり着いて卵を買い、一休みのためにカフェでアイスコーヒーを飲んだ。氷がやたらに入っているのは熱中症予防のためのお店の心使い?それとも水増し?

性格の悪い私はたいていよくないほうに考えるけれど、今日は氷がありがたい。覚悟して帰途についたがその暑さたるやもう人の住める地球ではない。でも、ゆっくりと歩いているうちになんとなく暑さに馴れてきた。そういえば最近、近所のスーパーに行くにも車を使ってばかり。部屋はずっとクーラー入れっぱなし。人間がやわになっている。

そして今夜もまた、深く長い睡眠なのかしら。あまり眠ると体に良くない。特に私は短い睡眠が合っている。学者先生たちが睡眠時間をちゃんととるようにとおっしゃるけれど、私の場合は数十年来、長くて5時間、3時間眠れば次の日の仕事はできた。いつも短い睡眠に罪の意識を持っていたけれど、今はいくらでも眠れる。これが本来の睡眠だったのかなあ。でも日中の気分の悪さが解せない。これが年を取ったという現実なのかしら。














2026年8月6日木曜日

眠る眠る

残念ながら、 昔も美女ではなかったけれど、ここ二日間眠った眠った!よほど疲れていたのか。

やっと行けると思った北軽井沢はもう片隅に追いやられ、ベッドに横たわる日々、でも寝たきり老人ではありませんぞ。いくらでも眠れるけれど。起こしてくれる王子様もおじいさまもいないし、猫は元野良猫だから世話がやけない。時々目が覚めると、朝だか昼だか夕方だか判然としない。

これほど眠れるのだからまだ体力には余裕があるのかもしれない。疲れすぎると眠ることさえできなくなる。とにかくコンサートまであと一か月と少し、体力、気力ともに昔のように満ちてはいないけれど、とりあえずケガや病気にならないように気を付けよう。

ほんの少し前までは毎月何回ものコンサート、仕事など乗り越えてきたのに今は1年近くのブランクから立ち直るのも楽じゃない。継続は力なりとはよく言ったもので、何事も日々の積み重ねがいかに大事かということを痛感するのみ。年齢が高くなればなるほど休んではいけないというのが残酷な事実なのだ。

私が描いていた安らかな生活、クリスマスローズの咲き誇る庭に面したベランダで、お茶を楽しむ、読書をする、浅間山を見ながらゆったりと散歩するという生活は絵に描いた餅、私には似つかわしくないらしい。常にあくせくと働き疲れ果てて眠り続けるのが私の運命なのだ。寝ても寝ても眠くて横になればすぐに眠れる。

頭が疲れるとくだらない動画を見続けるというどうしようもない癖がある。それはなぜかというなにも考えないで済むということ。真剣に見てしまうともっと疲れるから、一番くだらないと思えるものをぼんやりとみることに。まずは嫁姑のバトルもの。嫁は常に正しく姑は常に意地悪い。最後に嫁の正義が勝つ!パワハラ男の夫が浮気をして妻が捨てられる。ところが夫は知らなかった。実はその妻は、なんと!夫の会社の親会社の会長だったりするのだ。親会社から切られ再婚した愛人にも捨てられた夫は、一文無しで妻に助けを求めるが拒否され夜の暗闇にさまよう。アハハ、ざまあ見ろ、ですか。

それをここ数日片っ端から見ていると、あまりのくだらなさにハッとして正気を取り戻す。飽きてきたらしめたもの。やれやれ、やっと練習に取り掛かれる。しばらく高貴な音楽に浸っていると、またくだらないものが見たくなる。しかしくだらないと侮るなかれ、コメント欄には真剣なコメントが寄せられている。これもやらせかもしれないけれど、一生懸命考える人もいるのだ。あるいは、自分の境遇に似ているので真剣になっているとか。それならばその人に何かのヒントを与えられるかもしれない。

考えたら、男女が結婚して二人きりならまだしも、親兄弟と同居はつらいだろうと思う。基本二人だけで生活を重ねていけばいいけれど、何の接点もなかった親兄弟との同居は他人の中にいるようなもの。それはそれはつらいことなので、こういう動画ができるのもやむを得ないと思う。反対に、もし私が主人公だったら同居する相手の親族がつらいだろうと同情する。

気が強い、家事、料理まったくだめ、野良猫を拾ってくる、時々狂ったようにヴァイオリンを弾く、金銭感覚が少し外れている。役に立たないものを買う。ね、こんな嫁だったら、あなたならどうしますか?いっそのことずっと眠っていてちょうだいと言う。王子様起こさないでくださいね。











2026年8月4日火曜日

寝坊

本当なら今頃横川のサービスエリアにいるはずだったのに。

目が覚めたのは7時前、私の左手を枕にして爆睡しているのんちゃんがいる。最近の夜の暑さにめったに帰宅しなくなったのんちゃん。昨夜帰ってきたらそのまま家にいて、一緒に寝たらしい。気が付かなかった。その安らぎにつられて朝まで目が覚めなかったのも珍しい。昨日は気候がやや穏やかだったのかもしれない。

いつも北軽井沢に出かけるときには早朝4時起き、5時前に出発しないと環状八号線が大混雑。もう5時ころには大型トラックの大行列となる。特に環八から目白通りに曲がる手前のトンネルはトラックの轟音が響いて猫にとっては恐怖の的。車の轟音がこもってトンネル内は地獄の恐怖らしい。大泣き鳴かれると私も泣きたくなる。

だからこの季節には4時ころ出発が好ましい。毎日午前3時ころには目が覚めるから昨日から準備しておいた数個の荷物を積んで出かける予定だったのに、なぜか目が覚めなかった。急にやる気が失せてそのまま猫たちにえさを食べさせて、しばらくぼんやりしている。今日はもう出かける気にならない。

朝食を食べたらなお疲れがどっと出て、今、腑抜けのようになっている。猛烈に眠い。ちゃんと7時間以上寝ているはずなのに。最近睡眠のサイクルがバラバラでとんでもなく眠る日は10時間以上、ほとんど覚醒していないこともある。かと思うと3時間ほど寝ただけでずっと眠くならない日もある。ちょうどその覚醒日が昨日だったのかもしれない。それで今日は埋め合わせの睡眠日にあたるのか。

仕方がない。やっと猫を置いて出かける決心がついたのに、今朝は皮肉なことに家にめったに帰ってこない猫二匹が家を覗きに来た。なんか用?そりゃあ、飯に決まっとるだろう。グレが言う。ハイハイようこそ。今日は店内でお召し上がりですか。

頭が重い。人名も地名もなかなか出てこない。脳みそが殆ど機能していない。そして今テレビが告げたのは台風のニュース。今回はこちらにはほとんど関係のないコースをたどるけど、やはり気圧がぐっと下がっているのだろう。私は典型的なお天気女。なるほど気圧が重苦しいのだ。低気圧というのに重たいとはこれ如何に?それで昨日は楽器の鳴りが悪かったのだ。納得。

今まで数回体験した低気圧による体の異変がある。その一つは片頭痛によるもので、ある朝目が覚めて新聞を読んでいると、新聞紙のヘリにぎらぎらとしたプリズムのような光が出現した。びっくりして何事が起きたのかはわからないがとりあえず眼科で診てもらうことにした。これはどんな異変なのか、見当もつかなかった。しかし医師は驚きもせず「片頭痛ですね」と言う。片頭痛って、頭は痛くないのに。時間がたてば治りますといわれて半信半疑。しばらくするとぎらぎらのプリズムが消えた。

それが最初で最近も現れたけれど、もう驚かないぞ。それから耳の異変。耳がいたくなることがあって、大事な商売道具だから少しの痛みでも気になる。しかしそれは、耳垢がたまっていだけのことだった。私はありがたいことに健康体で、なにもかも標準値の枠内にいる。健康診断でも医師の説明はいらないくらい。常用している薬もない。病院へ行くのは歯の掃除を年間4回、耳掃除を4回、ただそれだけ。まだ脳の萎縮もない。変だな、それにしては物忘れが激しい。










 

2026年8月3日月曜日

北軽井沢へ

ここ数年間の私の運の悪さは目を覆うばかりだった。なにもかも空回り、何をやってもうまくいかない。ついに隠遁するつもりでヴァイオリンをほったらかしにしたツケが回ってきた。

約10ケ月以上 一切楽器に手を触れなかったしnekotamaの投稿もおろそかになって。しかしうまくしたもので人は、前に進むことができるのだ。ふと楽器を手に取って鳴らしているうちに人も共鳴してこころがほぐれてきた。何よりもコンサートの練習が始まったのが再生の糸口となった。

いまはもう前に進んでいます。しかし放っておかれた楽器はいまだに根に持っているらしく、なかなか響かない。何よりもお天気が左右するので雨の日には元気がない。そしてあの森の中の小さな家もきっと私を待っているでしょう。ほぼ一年近く留守だったので。

猫の問題もある。グレちゃんはもともとこの辺のボス的な存在だから置いて行ってもなんの心配もない。ファン層も厚く、近所のえさ場を渡り歩いている。問題は妹猫の、のんちゃん。彼女は神経質で容易に人に馴れない。二回ほど北軽井沢に連れて行ったけれど、その道中の大変なこと。一度は車の中でキャリーバッグの網目を食い破りファスナーを下ろして車内に脱出。死ぬほど怖い体験をした。もし足元にでも来てブレーキが踏めなければ大事故につながる。片手で確保しながらパーキングまで15キロ、あんな怖い思いはしたことがない。

それで猫を連れて行くのはもうこりごりなんだけど、おいていくのも心配でぐずぐずとしていた。しかし家のことも心配で、最近私が本当に元気になってきたので出かけることにした。のんちゃんはお兄ちゃんとしばらく二人だけで生きてもらおう。ときどきトカゲでも捕まえて食べてもらおう。

今回ものんびりとはいかないけれど、家に風を入れたい。

去年たくさんいただいた球根がどうなっているか。クリスマスローズが大繁殖していると嬉しいけれど、次の練習の合間にチェックしておこう。浅間山は噴煙を上げているかしら。牧場の牛さんたちは元気でしょうか。

北軽井沢に到着すると、次の朝はなんとなくだるい。標高が高いので軽い高山病。しかしそれが過ぎると体調は瞬く間に回復する。輝く朝日と夕日にシルエットを浮かべる木立の美しさ。

片道4時間のドライブができるうちはまだ通える。庭の落ち葉はどうなってるかなあ。心配でもあり、楽しみでもあり。








熊本大地震

熊本の地震の時に書いた文ですがあまりにも悲しくて投稿をためらっていました。しかしこのブログは自分史のようなものなので、一週間以上過ぎましたが、やはり残しておきましょう。

大地震発生。また同じ場所に?とびっくりしたのは熊本の大地震。やっと熊本城の修復が始まったのに、また石垣が崩れたとか。今回のほうが人的被害が大きいのかもしれないと聞いて、気の毒を通り越して悲しい。

熊本には仕事で毎年のように出かけた。オーケストラでもテレビ放送でも、しょっちゅう仕事があったし、だから人々の文化的活動の盛んな土地という印象だった。年間数回というようなこともあった。姉の連れ合いの義兄が熊本の玉名で育ち、その母親が住んでいたので泊めてもらいに行ったり、本当にお世話になった。

静かだけれど明るいおじさん、おばさんと一緒にからしレンコンをいただいた。自分の直接の親戚でもないのに、のびのびと過ごして、先方にはさぞ迷惑だったであろうと今更反省している。まったくねえ!それで前回の地震の時にはまだ存命されていたと思うけれど、今回は姉の義兄も姑も 亡くなった後だった。それでも思い出のある土地の大災害は特に心が傷む。熊本の人たちは本当に親切でどこに行っても嫌なことは一つとしてなかった。都会的な人たちも朴訥な良さを併せ持っている。

地震当日は友人と食事をしていて、災害を知った。テレビの報道が進むと二人ともだんだん無口になって、いつもより早く友人は帰っていった。もうのんびりと食事している気分ではないけれど、何もできない無力感が漂った。珍しく私は食慾をなくし時々涙ぐんだ。次の朝になって災害の大きさを知って言葉もでなかった。

テレビの仕事の会場はいつも熊本城の近くで、リハーサル後の長めの休憩時間にはいつも熊本城に行って散歩した。美しく反り返った城壁の石垣は日本の城の中でも最高だった。その修復も済んでいないのにまた崩れてしまうなんて。この暑さの中で被災された方々のご苦労を思うと、他人ごとではない。私たちもいつか、大災害に見舞われると思う。

いろいろ思い出すのは熊本で4月に時ならぬ雪の朝を迎えたことや、ステージの後ろにある照明器具の上に楽器ごと墜落したことや、仕事の後、一人でレンタカーを借りて阿蘇山を巡ったことや、帰りの飛行機にぎりぎりの時間になって山道を必死で運転したことや、阿蘇のやま並みで地元の人からだご汁をごちそうになったことや・・・あれもこれも思い出す。

少し前の能登の地震の時に、私はその直前に能登を巡り歩いた。その美しい風景が目に焼き付いている。熊本の美しさは人と結びつく。快活でおおらかな人々が今苦しんでいるかと思うと涙が出る。自然が相手ではかなわないし、いつどこにいても自然災害に襲われるのは仕方がないことだけれど、やはり温暖な地と激しい自然の地があるのは仕方がない。その激しさを受け入れて暮らす人々がたくましく再生することを祈っています。

まだ私は本当の災害に出会ったことはないけれど、もし、自分がそんな目にあったときに果たしてどう行動するか、今までの生き方が試されるに違いない。見苦しく騒ぎ立てるか、静かに忍耐するか。まあ、どちらかというと見苦しくかなあ。熊本の被災者たちは二度も同じ目にあいながらなお、大騒ぎせずにじっと耐えているように見える。被害を淡々と話す人たちのあきらめの表情を見るのもつらい。後ろの映像は10年前に被災して建て直したばかりの家が無残に壊れている。

10年間で2回の大震災は想像を絶する。これからまだ酷暑が続くという。聞くだけでも心臓の鼓動が早くなる。熊本の皆さん、頑張ってください!言葉が空回りする。







2026年7月27日月曜日

酷暑に考える

早くも暑さは頂点を迎え、これでもう頂点ならいいけれどもっと高温になったら人間半生状態になるなと、心から心配している。猫は人より体温が高いからこんな時にも毛皮のコートを脱ぐわけでなくのほほんとしているようではあるが、さすがにグレちゃんは うんざりした顔で珍しくご機嫌斜め、いつものフレンドリーさが消えてにこりともしない。

毛皮を脱ぎなさいと言ってファスナーを探しても猫の体にファスナーはみあたらない。お腹のあたりを探ると喜んでクネクネしている猫たちのなんと穏やかなことか。早朝の日課は猫との散歩。二匹の猫が私の後をが尻尾をピンと立てながら歩いてくる。向こうから来る人たちが笑う。平和な朝の日常。

人間の寿命は百年時代、こんな世界に、長生きは決してめでたくはない。寿命が50年くらいの時のほうが幸せだったのではないかと、暑さ大嫌いの私は考えている。猛暑といえば30年ほど前にもひどく暑い年があった。

その年はいつまでも暑くて9月に入ってもなかなか涼しくならなかった。それでも、その後また涼しい年が来たからほっとしたけれど、今年はこのまま暑さに向かって収集のつかないことにならないかと、心配性の私は考えてしまう。

それなのに戦争をしている人たちの、自分のメンツのためにみなを道ずれにしかねない愚挙はとどまるところをしらない。本当に人類が協力して地球の温暖化を考えなければいけないときに、何をしているのか。兵士たちはごみのように捨てられている。何万もの若者の命が日本が輸出する武器で殺されるならそれは殺人者と同じではないですか。

自国の利益を最優先にして自分のメンツを維持することしか考えない人、それを陰であおる陰険な人、おべっかを使ってへらへらとしている人、醜い世界の指導者たち。日本だけはこうならないようにしたい。こういう時にこそ冷静でいなければいけないのに武器の輸出をするなんて。自分が殺さなければ殺人者に武器を渡していいの?納得できない。

そして古臭い歴史を現代に再現しようと戦前の亡霊のような人たちが画策している。世界に女性の優れた君主がいないような振る舞い。今頃時代錯誤の女性蔑視。本当にバッカじゃないの!おじいさんたちの歴史は戦前で止まっているようだけれど、女性の皆さん、前に進みましょうと呼びかけたいが、その女性が亡霊たちの手先に成り下がっているから、もう、何をかいわんや、わんわんわんわん!ついでにご自分で女性の総理大臣もなくせばいいのよ。無力だなあ。投票に行くとどうせ自分の一票は紙くずになるんだなあといつも思う。

そんなことばかり考えるから無気力になって寝てばかり。最近自分を取り戻して健康もついでに取り戻した私は長い暗いトンネルを抜けてただいま、コンサートの練習に没頭している。しかし一人でできるものではないので足並み揃わない老人集団の調整はなかなか難しい。長年にわたり好きにやってきた人たちだから、自分のペースがある。

お互い長い付き合いだからときには喧嘩になりそうなものだけれど、そこは偕老同穴ならぬ夫婦ではないから友情洞穴。洞穴に住む老女たちの巧みな衝突回避の術で取っ組み合いの喧嘩は回避している。時には怒ったり文句言ったり、でも最後はニコニコと一緒にランチ、とまあこういう状況で楽しい老後が実現している。某国大統領T氏に私たちの爪の垢をお送りして差し上げたい。しかもこのT氏、ノーベル平和賞を狙っているとか・・・呆れて物が言えない。何回も攻撃を仕掛けては中止してご自身が平和の使者とでもおっしゃるの?

世界中から眉を顰められているとはご存じない?こういう自覚の無さは御本人には本当に平和だなあ。自分の野望のためにもう何万もの人がなくなっているのですよ。将来ある若者が、子どもの生まれたばかりの新婚の夫が、母親の頼りになる息子が、皆自分にはなんの罪もないのに戦場に送られて将来の夢を絶たれてゆく現実に胸が締め付けられるような思いです。

今の日本は幸いまだ物資の不足や物価高で戦争の影響が見えるほどで人的被害はないけれど、いつどうなるかはわからない。一部の大戦の亡霊が生き残っている以上油断はならない。その手先が御自分で素敵だと思っているニヤニヤ笑いをする、おっと!この方の頭文字もTですね。亡霊の手先とならぬように心から祈っています。