昨日放送の「帰れマンデー」という テレビ番組は蔵王が舞台。今頃は樹氷で雪のモンスターをみたいというスキーヤーと観光客でさぞ賑やかなことでしょう。
今から約60年以上前、運動神経の持ち合わせがないのに大学の体育の授業の単位を取るために参加したスキー。初めてのスキー板は170センチもあって、ストックに至っては竹製で、ブーツは革靴で編み上げのもの。手袋は薄くてあっという間にびしょ濡れになってしまう。物のない時代、ヤッケも薄い綿入れという軽装備。
講習は大学の体育の教師が受け持つのだからひどいもので「まっすぐ滑ってこーい。止まりたかったら転べー」無茶苦茶な指導だった。幸い私が入った班は地元の若い指導員だった。それでも彼はヤッケも着ていなくて、赤いセーターで白いパンツ、格好いいけれど、すごく寒かっただろうに。体育の教師に教えられていた人たちは不満そうで、毎日私たちの班の人数が増えていく。みんな、こちらの班に来てしまった。
夜行列車でついたので午前から滑り始め午後には止まり方も覚えて、見様見真似で曲がり方も覚えた。若さとは偉大なもので、ほとんど怖いと思うこともない。小学生の頃は全く運動神経がないと思っていた自分が、案外とこのスポーツはあっているのではないかと目覚めた。
二日目には初めてリフトに乗った。高いところは超絶苦手のはずが不思議と怖くない。大平コースを無茶苦茶だけど、降りてきた。しかも途中で段差があってもジャンプしながら爽快感を味わった。よほどこの遊びが気に入ったと見える。大平コースの最後は木の下にある穴にあたまからコケるという結果だったのに。
最初のスキーは蔵王だったのでその後10年以上は毎年蔵王で過ごした。けれど暖冬が続いた頃、雪質が極端に悪くなって、低いところにあるゲレンデはときには水浸しという悪条件が重なり、徐々に志賀高原に移動していった。定宿もできてその後定着してしまった。というわけで蔵王の雪景色を久しぶりに映像で眺め懐かしさでいっぱいになった。
蔵王ではロッジの家族とは親戚のような交流もあったし、また行きたいといつでも思っていたのに決まるのは志賀高原で、そこのホテルとも親戚みたいになって雪国の人たちは暖かかった。
蔵王は朝一番でロープウエイに乗っててっぺんまで上がってしまわないと混んで大変だった。ロープウエイの順番を取るのは至難の業、当時スキー人気が最盛期で1時間や2時間待つのは普通のことなので、朝食が終わるとタクシーでロープエイの乗り場まで行って順番取り。それで上に行くとほとんど人のいない真新しいゲレンデが独占できるのだ。
今日のテレビでも蔵王といえば樹氷という設定。タレントさんが軽装でマイナス11度の樹氷高原を、しかもてっぺんにあるお地蔵様のところまで行ってホワイトアウトに巻き込まれている。仕事とはいえ、危険じゃないのかな。やはり雪山ではちゃんとしたそれなりの服装をしないのはまずい。寒さとホワイトアウトに巻き込まれて、事によったら事故らないとも限らない。たくさんスタッフがいても皆動きやすい軽装でハラハラする。雪山を舐めるなよ。ちょっとでもゲレンデをそれたら、もう命がけだということを。
私の心残りは、蔵王といえば横倉の壁と呼ばれる有名な急斜面がある、そこをついにすべらなかったことなのだ。まだ若くて一番血気盛んな頃、二回ほど挑戦しようと思ったことがあった。それまでは急斜面と言っても35度くらいのゲレンデの途中にほんの少しだけ混じって出てくる斜面には経験がある。それもほんの短い間なら40度でも耐えられるけれど、横倉は特別。上から見てもほとんど斜面は見えないくらいの急角度。つれに「私も滑れるかしら」と聞いたら「行けば行けるよ」と無責任な答えがかえってきた。行くか行かないかだけで、やってみたらというから恐る恐る実行しようと思い、上まで行ったら雪不足でゲレンデは閉鎖されていた。その時のホッとしたこと。口では残念なんて言いながらお腹ではああ良かった。
次の年も上から覗こうと思ったらもう綱が張ってあって閉鎖、結局横倉の壁はすべらずじまい。その後、志賀高原に変更してしまったから。滑ったからと言ってどうということはないけれど、もしゲレンデが普通の状態ですべらなかったら、自分で臆病者と自分を罵ることになる。
一度、試しに志賀高原の急なコブ斜面を一人で降りたことがあった。これで今日はおしまいにしようと思っていたのに、夕暮れでもう誰もいないので、どんな不格好にでも降りられるからと最初のコブは乗り越えた。そして半分も行かないうちに雪溜まりに突っ込んで板が抜けなくなってしまった。妙に足がねじれた形で硬い雪に板を取られて抜けない。このまま抜くとペキッと骨が折れるかも。とにかく抜いてくれる人が来るまで待とう。
もう日が暮れて来て、誰も降りてこない。もう夕飯の時間だから、私が宿に帰らなかったら誰か来てくれるだろうと気楽に待っていたけれど、そのうち心配になってきた。なぜか夕飯が食べられないということばかり考えていた。その時一人降りてきた人がいたので叫んだけれど、その人も目一杯だったらしく聞こえなかったらしい。またしばらく待つと、降りてきた最後の人に声が届いた。
板を抜いてもらいゆるゆると降りていくと、その人は下から私が降りきるまで見ていてくれた。それなのに「これで夕飯に間に合った」ということばかりしか頭に浮かんでこない。どうも危機感が薄く、周りに迷惑かけたという反省がない。空腹は恐怖に勝る。
スキーのゲレンデは自然のままの地形だから、中級くらいのゲレンデでも一部分だけ急斜面のことも多い。その時にその一部分を滑りきってしまえばいいと思うから恐怖心はない。けれど、急斜面が長く続くと思うと足がすくむ。「行けば行ける」というのはそういうことなのだ。
以前ホワイトアウトのことを書いたことがある。その時の周囲の視界は足元しか見えなかった。コブ斜面であるとはわかっていたが、後で晴れたときに見たらコブの急斜面、いつもならそんな斜面にはいかないのに、見えないために滑る事ができた。笑ってしまう。「行けば行けるのよね」横倉の壁だって?恐怖心が行動を制限するのだ。