今まさに高齢社会の真っ只中にいる私たち、自分でも笑ってしまうほど何もかもトンチンカンで。
秋にコンサートの計画があって準備のそのまた準備期間。どうもギクシャクしている。昨日の練習日には練習時間の伝達の漏れがあって、一人がやや遅刻。私たちはまず遅刻は大いに恥じるところがあって、皆さん、それはもう時間に厳しい。ところがそれは本来私がしなければいけない連絡だったらしいのだけれど、誰がどう連絡するかという決まりがなかったために、ゆっくりと午後から出ようとしていた人を大急ぎで駆けつける羽目にさせてしまった。
その時間の変更は大変急だったので私はもう他の人達には知らせがいっているものと思っていたけれど、念の為、その遅刻した人にもメッセージを送った。それが練習日の一日前。ところが返信がない。おかしいと思ったけれど、まあ大丈夫だろうと思って寝てしまった。
練習当日、彼女は時間に現れなかった。いつもはきっちりと時間の少し前に来る人なのに。それで車が混んでいるのかな?でもそれなら必ず連絡があるので、まさかと思ったけれど送ったはずのメッセージを開いたら、ニャニャニャ!送信していなかったのだ。慌てて送信したらその人から電話があったので、今からこられる?
怒り心頭のチェリストはそれでもすぐに来てくれた。ご主人に昼ご飯を用意してこようと思ったのにできなくて、ご主人はどうやらものすごくお腹が空いているらしいとのこと。ごめんごめん!「それにあのメッセージに明日と書いてあったけど、一日違っているのよね?本当は明日だったの?日が変わったの?」それで作成したメッセージを送信するのを忘れたことまでバレてしまった。落ち度はこちらだから謝るしかない。
メンバー五人の中で比較的若いのは彼女だけで、あとは私とほとんど同年代。そもそもこのコンサートの計画だって、私は少し以前に声をかけられて参加表明をしたけれど、他の人たちにはまだ連絡してなかったようで、皆さん「はあ?」という状態。でもなんとか収まってしまうのは長年の友情とおおらかな人たちの集まりのおかげというしかない。
それでやっとスタートラインに集合できたというすったもんだがあって、よろよろと出発した。
それでもさすが長年プロとして生きてきた人たちの気迫は老いてなお盛んとまではいかないけれど、一般的な平均値は上回る元気さ、口も手もよく動く。今回は新曲に挑戦、非常に変拍子の多い曲で頭の体操にはぴったりなので、この曲を仕上げた暁には脳内年齢が必ず10歳は若返るであろうと大いに期待している。
しかし、こういう騒動が毎回あると大いに困るから皆でちゃんとしようということになってラインの登録をして、その登録も私は一切できないので人にやってもらうしかない。いつまでも大人になれないnekotamaでございます。
昨日のドタバタがこたえて少し疲れてはいるけれど、今日はもう一つのアンサンブル、オーケストラ時代に一緒だったHさんとシュポア作曲ヴァイオリン2本のデュエットの約束があった。彼女は朝から遠くからやってきて、多分年齢は私と同い年か一つ下か、その割に私の数倍元気。この差は基本的な体力差なのかわからないけれど、とにかく元気。おそれいりました。
しかし何と言う幸せなことかと思う。私はオーケストラは約10年強在籍してその後は、フリーランスとなり、あちこち飛び回っていた。これは私の性にあっていたらしく非常に愉快な年月を送っていた。そして今、昔の仲間がまた集合してくれて、私は何事もなかったかのようにオーケストラのメンバーと一緒に弾いている。会えば失われた歳月はすぐに戻って、オーケストラの仲間であった頃と同じように胸襟を開くことができる。やはり第二の家族だったのだなあという思いを新たにする。
シュポアのデュエットはあまりおもしろくないから、サラサーテのナヴァラに変更しようということになった。譜読みができたらお互いに連絡するという約束をして今日の練習はお開き。また会う日まで元気でいるのが私の一番の任務であるので、健康には気をつけよう。これでまた生きる力が湧いてくる。持つべきは仲間、友達、猫。
最近カフェやコンビ二や、行くとすごく親切にされるけど、なにか老人にそのようにするのは特別扱いというか逆差別ではないかと思うようになった。半分人として終わっているので親切にしてくれるのか、猫なで声で頼みもしない説明などされるとうんざりする。まだ脳みそは半分だけど残っているのです。
あるカフェでコーヒーを頼んで受け取るとき、スプーンはつけますかと訊かれた。そうね、砂糖を入れるかどうかだから、どうしようかと一瞬迷ったら、後ろに並んでいる客が猫なで声で「すぷーんを欲しいかどうか訊いていますよ」とご親切に説明をしてくださった。
私は「ご親切にどうも。でも聞こえていますよ」その後言わずもがなのことまで付け加えた。「よけいなことを」私が獰猛な人であることくらい見りゃわかると思うけど。そのいかにも猫なで声の親切ごかしの態度が老人を無力にするのよ。老人はむしろ蹴飛ばして歩くくらいの扱いでないと、本当に年をとってしまうのよ。
本当に弱っている人ならそんなひどいことはしない。本当に助けがいるなら一生懸命お世話するのもやぶさかでない。けれど、健康で一人で歩ける人を猫なで声で扱うのは失礼極まりない。それは見りゃわかる。私はもし本当に何もできないときにはちゃんとお願いしてお世話を受ける。そういうときには遠慮しないけれど、今のように歩いてカフェに行けるくらいなら誰にも頼りたくない。可愛くない老人なのです。
私は一度引退を決めてヴァイオリンを弾くのをやめた。楽器は売り払ってのんびり暮らそうかとまで考えたけれど、どんどん体調が落ちていく。数カ月後、楽器を手にとって恐る恐る弾き始めた。しばらく調子が出なかったけれど、その後ぐんぐん元気になっていくのがわかった。やはり体は使わなくちゃあ。
だから親切に老人を労って、怪我させてはいけない、無理させてはいけないなど、規制されたら人はどんどん弱っていく。自分はもう死ぬまで頑張らなければいけないと思っていたら元気にならざるを得ない。そう、私は休息は諦めてずっとヴァイオリンを弾くことに決めた。すると人が集まってきて、昨日今日のようにすごく疲れるけれど心は満たされる。もしそのことで寿命が少し縮まったとしても、それは問題ではない。あくまで自分らしく自立できるうちはしっかりと生きていこうと思っている。
だからといって親切な人にツンケンするのは本当に失礼なこととは思いますよ。でも自立できるうちは構わないでください。こういうのを年よりの冷水という。いいのいいの、憎まれっ子でいても人に自分の領域に入ってほしくないというのが本音なのです。人はそれを老害というのかな?