2026年3月1日日曜日

7人のヴィルトゥオーゾたち

ベルリン・フィルのメンバーで構成されたアンサンブル。

ヴァイオリン 樫本大進 ロマーノ・トマシーニ  ヴィオラ アミハイ・グロス

チェロ クリストフ・イグルプリンク コントラバス エスコ・ライネ

クラリネット ヴェンツェル・フックス ファゴット シュテファン・ツヴァイゲルト


ベートーヴェン:クラリネットとファゴットのための二重奏曲第3番

ベートーヴェン:弦楽三重奏曲 ハ短調 作品9-3

ドヴォルザーク:弦楽五重奏のためのノクターン 作品40

ルーセル:ファゴットとコントラバスのための二重奏曲

ブラームス:クラリネット五重奏曲 作品115

友人にチケット購入を依頼してあったので、詳しいプログラムは知らなかった。待ち合わせてチケットを受け取っても会場に入るまでは曲目は知らない。この曲が聞きたいというよりもベルリン・フィルの人たちのアンサンブルというだけで、本当のことをいえば、トップが樫本だという事も知らなかった。ごく華奢なヴァイオリニストが大柄な他の奏者たちと素晴らしいアンサンブルを聞かせてくれたと思ったので、途中で友人にトップは誰?と訊くと「樫本よ」というから驚いた。すごく華奢に見えたので。

樫本のリサイタルは毎年のように聞いていたし、でもあんなに痩せていたっけ?他の人が大柄だから痩せて見えたのかな?透き通るような美しい音。ガルネリ・デル・ジェスから宇宙の青い空間のような世界が広がる。

一番目のクラリネットとファゴットの二重奏曲の最初の音を聞いた途端、私はもう現世の人ではなく冥界に入ったような状態になった。深い瞑想に陥ってしまったような。深く深く降りてゆく、そして無重力の世界に浮遊しているような、ステージのたった一箇所に明るい空間があって。そこに自分が落ちてゆく。音が私を包む。なんと幸せな深い休息。

こんなに集中したのは人生で数回しかない。ポリーニのサントリーホールでの連続コンサート、ベルリンドイツオペラのパーカッションと日本の和太鼓とのコラボによるコンサート、ギターのラゴズニックとペーター・シュライヤーの冬の旅等。今まで聞いた数多いコンサートの中でもいつまでも心に残る音の世界がこっそりと私の中に住み着いてしまった。胸の奥に温かい隠れ家があってそこにひっそりと隠しておきたい。

いい音を聞くと本当に幸せ。最後のブラームスのなんと素晴らしかったことか。一つ一つの楽器が別々に聞こえるのではなくて、例えば繭の中にくるまれた共鳴体が振動しているような、文字では言い表せないからこの辺でやめておきます。

もう少しうまい表現ができるようになったらもう一度書いてみようかと思いますのであと百年後にまたお会いしましょう。




   

2026年2月27日金曜日

膝の痛みが消えました

ここ数年、膝の痛みに泣かされてきた。ベッドから起き上がるときは覚悟がいる。足を床につけるのが怖い。まず腰痛がないか確かめる。時々痛むのは仕方がないけれど、まずベッドに座って痛みの程度を確認してそろそろとスリッパに足を入れてゆっくり立ち上がる。

これを外側から見ればもう立派なポンコツ。そうねえ、もうすぐ82歳。元気だと思っていたけれど、故障があるのは仕方がない。まだ思いが断ち切れ ず毎日ヴァイオリンを弾くのは果たしていいことか悪いことかわからないけれど、他にすることもない。一人でいるのは決して嫌いじゃないけれど、いざというときに体が動かなければ助けがいるようになるのは嫌だなあ。

・・・と最近の状態が、今、すごい!どこも痛くない、に変わった。目覚めると腰は全く痛くないし、なんの心配もなくベッドに起き上がり、座って足をスリッパにいれるとためらいなく立ち上がる。すぐに足が前に出る。スタスタと歩ける。まさに奇跡!

一体何があったのか。大好きなスキーを滑ることもできなかったのに。一時的にかもしれないけれど、今は快癒の状態。体の一箇所だけでも、例えば指の先だけでも故障があると、体中のバランスが崩れる。痛みの感覚が常に行動を遮る。もしかしたら痛みを感じるセンサーが故障しているのかもしれないけれど、まずは、いつまで続くかわからないけれど、この状態を楽しみたい。。

しかし周りの人たちはそんな私を疑り深く警戒している。まだスキーはだめですよと。今やらなかったらもうチャンスはないかもしれないのに。ただし、今までの経験からいつどんなときにも警戒を怠らないと再発する可能性はあるけれど。ここで骨折でもしようものなら、寝たきりになるかもしれない。一番警戒しているのはこの私なのだ。

今年になってから思い切って整形外科の治療をやめた。心配だったけれど、診察とリハビリと受けてもシップ薬と痛み止めをもらうばかり。一生懸命スクワットを続け筋トレに励んでも一向に痛みが消えない。それでついに筋トレをやめて、以前友人から紹介された高周波の治療を受けてみようと思い立った。

最初のうちは一週間に一度、そのうち痛みがゆるゆると去っていった。もうこの辺で再発するのではと危惧しながらだましだまし歩いたりしているうちに一ヶ月後にはほぼ痛みが消えた。用心のためその後半月ですっかり痛みが消えた。今はゆっくりであるけれど、少し小走りができる。信号が変わるので急いで歩いたら両足が地面から離れて、自分でびっくりした。

これ言うとオカルトになるけれど、数週間前、夜中にぼんやりしていると眼の前をすっと黒いモヤが数回通り過ぎていった。私は少しだけ予知能力があるようで、こういう現象を見たときには誰かの訃報がその後一週間くらいで届くことになっている。あら、誰かしら?もう不思議でもない友人たちの訃報。でも知らせは来なかった。そして膝が治った。

嘘つき!と思われても仕方がないけれど、実際、そういうことは何回もあったから私は信じている。けれど、もしかしたら私を恨んで嫌っている人が亡くなったのかもしれない。その人の恨みが私の体を傷めていたのかもしれない。接点がないから死亡通知が届かなかったのかもしれないけれど、もしそのようなことだったらここ数年の足の痛みはその人の恨みだったのかもしれない。もしくはその誰かが私に対する関心を失ったとか。

時々不思議な体験をするので、最近では私も信じるようになっている現象なのだ。私の母が亡くなる前、病院に入院していた。母はなんとか持ちこたえてまもなく退院するという数日前、私に言った。「そこに誰かいるわ」明らかに病室の隅を指していた。見ても誰もいない。「誰もいないよ。廊下を通った人が見えたんじゃない」と私。「そうじゃない、そこにいるじゃない。ほら、見てご覧」

そして母は退院の直前に急になくなってしまった。母の自宅介護のために実家には電動ベッドや酸素吸入器が用意されていたのに。私に見えないものが見えていたと私は信じている。きっとご先祖様たちでしょう。母は大変記憶力が良くて、ご先祖様たちの話を聞かせてくれたものだった。さすが私の先祖は変わり者が多くてただでさえおかしいのに、うまく脚色して目の当たりに再現されるような話し方で大いに子どもたちに受けたものだった。

きっとそのうちの誰かと笑いながら、天国にいったと思う。戦争も体験して実生活は苦労の連続だったけれど、笑い上戸で楽しそうに笑っていた人だったから。








思い出した名前は

 前回の投稿で思い出せなかった天才ヴァイオリニストの名前は

ギドン・クレメルでした。天才的なテクニックの持ち主でピアノの天才アルゲリッチとコンビでエキサイティングな演奏を聞かせてくれた。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタ2番の演奏なども他のプレイヤーとはかなり変わっていて立体的で面白く、鋭いアクセントの効果的な演奏だった。

この曲はフルートのソナタでもあり、私はピエール・ランパルの演奏も聞いたけれど、あまりおもしろいと思えなかった。フルート奏者の皆さんには申し訳ないけれど、ヴァイオリンで演奏するほうが表現の幅が広がると思う。重音を出せるフルーティストがいてもやはりヴァイオリンのような演奏は無理でしょう。ヴァイオリンの勝ちなんて、何を競争しているのか。

いかにもプロコフィエフの人柄を表しているような、いたずら好きで、人の意表をつくリズム感が面白い。私はクレメルの演奏を聞いてからこの曲を自分のレパートリーに加えたのだ。だらんと顎を落として口元が緩んでいるのは脱力のせい?逆にがっしりと力をいれているの?人柄も頭脳も非常に素晴らしいと周りの人たちの評判。本当にそのように見える。見た目地味なおじさん。

さて、私の睡眠障害は今のところ小康状態で、普通に3時間眠る、うたた寝を1時間くらい、という相変わらずのショートスリーパーながら普通に暮らせるレベル。時々たくさん眠って次の日は起きている。今の私にはどう眠ろうと勝手にできる時間もある。

リタイアした高齢者が夜眠れなくて困ると言う人がいるけれど、眠れなければ起きていれば?と言いたい。気にする必要はない。健康に悪いと言う人がいて、ちゃんと眠るようにという医者がいて困ったものだと思う。高齢者の生活は時間に縛られないということが最大の幸せなんだから。この年齢で一年二年の寿命の差は大したことではない。

眠くならなければ起きて読書でも体操でもすればいい。過去の思い出に浸るのもいい。火の用心と言って近所をパトロールしてもいい。

もう少し寒かった頃の夜中に、近所をパトロールしている人がいた。町内会で見回るのではなく、どうやら一人で自発的にやっているらしく、途切れ途切れにか細い声で「ひのようじん」と3回くらい言うともうおしまい。それも夜中の時間だし、疑り深い私は、もしかしたらご近所が起きているかどうか確かめる泥棒の見回りではないかと窓を開けて覗いたりしていた。

あれは何だったのだろうか。散歩なら火の用心の声は余計だし、空き巣に入ろうと言うなら声を出さずに黙って入ればいい。時々夜中には色々な音がする。一番音を出しているのがうちで、猫が表に行きたいから窓を開けてとか、入りたいから網戸を引っ掻いて合図を送ってるなど。時にはうちの野良たちが表で他所の猫と喧嘩を始めると、私が押取り刀で駆けつけて仲裁をするとか。寝間着の上にコートを引っ掛けて他所様には見せられない姿、文字通りの猫なで声で「グレちゃん、だめよ」なんて。

ご近所では「またあのひと、なんとかしてほしい。猫はいいけどあの人を捨ててほしい」などと言われているかもしれない。

ただ、私が思いがけない時間に起きているのは犯罪者には心外な出来事だと思う。けっこう用心深い私は、窓は二重の硬いがらすの窓に加えセコムのセンサー、部屋は侵入者があれば警報機がなる設定がなされている。お金もないし宝石類はまず見当たらないというのに、この用心。そう、私が宝石だから!と言えればいいけれど、それはもうポンコツのおばあさん。かわいい猫たちは勇猛なもと野良猫たち。逃れるすべは身についている。としたら、なんで私無駄なお金使ってこんなことをやっているのだろうと時々反省している。




















2026年2月20日金曜日

久しぶりのお座敷

お座敷とは・・・芸者さんたちが呼ばれて接客するようなときに使うけど。

私たちシニア五重奏団が呼ばれて遅めの新年会で演奏することになった。私はもはや 引退したと言っているから仕事とは言えないけれど、相変わらず出たがり屋だからお座敷に呼ばれれば尻尾振って出かけていく。とある市役所の中の新しい建物。市長さんもご出席だとか。

曲目はシューベルト「マス」の3,4楽章。長すぎてもいけないし、みじかすぎてもいけない。明るく聞きやすい楽章ということでその2つの楽章を選んだ。楽器の編成は、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの五人。コントラバスが室内楽で使われるのは割に珍しい。普通のピアノ五重奏曲はコントラバスがなくてヴァイオリンが2本になる。なぜ私たちの演奏にはコントラバスが入るかというと、それは頼りになるコントラバス奏者がいるからで、とにかくあらゆる場面で彼女が、ひつようなのだ。

今まであまり知らなかったけれど、コンバスが入る五重奏曲は割とある。新しく曲も生まれているのでそんな曲を入れると立派なプログラムが出来上がる。その中でも「マス」は超有名で私たちのグループでは好んで演奏する。というより、その副題の爽やかな印象や曲の素晴らしさで、ピアノ五重奏曲の最も有名なものの一つがこの曲なのだ。

ところが演奏の難しさでもずば抜けていて、シニアにはちと辛い。聞いているのもシニア、演奏もシニア、たぶん耳の聞こえない人も多いから音程の多少のズレはあまり気にかからないだろうなどと思うけれど、油断は禁物、中にはどんな偉い人がいるかわからない。かつての名演奏家なども混じっていることも考えられる。この市には芸術の匂いが充満しているのだから。

本番二日前、私は久しぶりにブラームスのソナタのピアノ合わせをしていた。ブラームスのソナタといえば、ある有名なヴァイオリニストはザルツブルク音楽祭で一回も演奏したことがなかった、そして40歳過ぎてやっと演奏したという有名なエピソードがあった。

非常な名人で世界中で知られている彼は大変なテクニックの持ち主なので、そのザルツブルクでの演奏をラジオで聞いて少し戸惑った。なるほど、あまりブラームスはお得意ではないらしい。この方の名前がどうしても思い出せない。ほらあの、アルゲリッチとよく一緒に演奏していたあの人よ。浴室で転んでバスタブのヘリに頭をぶつけて以来、私は一層痴呆に拍車がかかってきたようだ。さっきから思い出そうと努力しているんですがねえ。

そして何の話をしていたかというと、ブラームスのソナタが非常に難しくてピアニストとああでもないこうでもないといっているうちにとても疲れてその日の夜は22時就寝、次の朝目覚めたらなんと10時30分、12時間30分も眠ったことになる。いつもの睡眠時間の倍以上。でもスッキリと目ざめてこれで明日は十分な体力で演奏ができると思ったら、その日は何時になっても眠気が来ない。いつまでもスッキリ、目も疲れない体もよく動く。

最初のうちは喜んでいたのだった。これなら多少寝不足でも大丈夫、明日の活力は確保と思っていたのに突然心配に襲われた。このまま一睡もしなかったら演奏どころか車の運転にも支障がでるかもしれない。起き上がっては横になったりトイレに行ったり白湯をのんだり、何をしても眠くならない。やっと明け方2時間ほど眠った。目が覚めたらまだ7時、出発予定の9時までの二度寝は危険、仕方ないから起きてしまう。そして出発。やはりあまり眠くない。

眠くはないけれど、この覚醒はいつまで保てるのか。本番で急激な睡魔に襲われたらどうしよう。しかしその日一日、いつもと大勢に全く影響なし。帰りの運転にも全く支障はなく無事帰宅。そしてまた今日は12時間睡眠。今夜は寝ないで騒いでいられるようだ。2日分寝て2日分起きているとすると、大事なコンサートの日時に合わせて睡眠のサイクルの調整をしないと、本番当日、ステージで居眠りしかねない。

古今亭志ん生が高座で居眠りをしたとき、お客さんが「ねかしといてやれ」といったという話がある。私もそうなったときには皆さんお願いしますね。









2026年2月18日水曜日

毎日涙

早くオリンピックが終わってくれないと私の涙腺は緩みっぱなし。若者が健気で嬉しい半分心配でもある。

用具や技術の向上でとんでもない記録が叩き出され、しかもなお向上の一途を辿っているのが人間の限界とどう向き合うのか。一秒でも早く、一瞬でも勝敗を分ける。もう「そのへんでおやめよ」と言いたくなる。特にスノーボードはコンクリートよりも硬いと言われれるバーンで転んだら生死を分けるほどのダメージと思える。見ていてハラハラするのに若者は果敢に挑む姿。それを見るとハラハラしながらもうまくいけば[でかした!]と 叫びたくなる。

冬のスポーツは私自身がスキー狂だったことからなおさらのこと。気持ちはよく分かる。でも私にはヴァイオリンを弾くという仕事があったから、決して怪我をしてはいけないという歯止めがあって、ついに終結に至った今でも健康な無傷な体でいる。けれどアスリートとして競技をした人たちの体はどうなんだろうかと心配している。

彼らはそこまで頑張らないと人々に感動を与えることは出来ないかも知れない。本人も納得できないのでしょう。極めるということは命がけだから。なぜ人は競争したいのか。それは自分のためでもあり、自分の大好きな人のため、家族や友人たちのため?人の性(さが)かもしれない。人が人であることのあかしかも。

そしてそれを見て私たちが感動するのも確かなことで、毎日涙腺崩壊。やれやれ。この生活が終わるのはいつのこと?私たちはもう仕事もほとんどないし、昼中寝ていようと思えばそうできるけれど、仕事をしながら毎日オリンピックの応援をするのは少し辛い。お務めの方々は願わくば、会社で居眠りをして給料の査定に響かないように、上手く居眠りしてください。

居眠りといえば、ある高名なピアノの先生の話。私の友人がその方のお弟子さんだったので、ある時質問してみた。「先生はレッスンのとき、どんなことを注意なさるの?」すると「先生はいつも寝てらっしゃるわ。」私はびっくりしてそんな馬鹿な!と思った。その方のレッスン代は、すごく以前のことだけど、すごく高いと聞いた。どうしてそんな無駄なレッスンに行くのか不思議だったけれど、その先生の門下生であるという肩書が欲しくて通うらしい。

本当に無駄なお金と時間だなあ。でも自分がリサイタルなどで経歴にその先生の門下生であると書けば、ちょっとした素晴らしい演奏家であると勘違いする人もいるらしい。その経歴が欲しくて通う。音楽はコンクール以外では点数はつかない。コンクールだって自分の生徒以外の人には点数を辛くしても非難されない、たいていそういうものだと思っている人が多いから。だからといって聞けばわかるのだから恥を知っている人はあまりできないのだと思いたい。

だからといって音楽の世界が甘いものだと思われては困る。本当のところは皆が聴けばわかるから、ズルはしないけれど、やはり高名な先生に師事したという経歴は誇らしいのだと思う。何らかのメリットがなければ虚しいばかりだもの。

先生といえば私の師事した先生はズケズケ言う方だった。演奏会場でばったりお目にかかったら随分昔の話になった「私がラヴェルのソナタを彈いたときに先生に笑われたんですよ。覚えていらっしゃいます?」と言うと先生はカラカラと笑って「ああ、あれは酷かったわねえ」人混みの中で大きな声でまた笑われた。先生、演奏会場で周りは演奏家か音大生ばかり、その中で大笑いするなんて、なんてことを。

先生!次回から私の演奏を聴くときは居眠りしてください。と、言いたいけれど、もう私の声の届かないところで安らかにおやすみになっている。



























2026年2月16日月曜日

地下鉄サリン事件のころに

今から31年前の3月、地下鉄サリン事件が起きたとき、私はカナダでスキーを楽しんでいた。日本の家族に電話をしたら「今それどころじゃないよ、サリンがサリンが・・・」と騒いでいたので、ぽかんとしてなんのことかわからない。サリンって?

なんだか日比谷線で車輪がどうとかした?とか、皆はぽかんとしていた。帰国して初めて大惨事を知って驚いた。サリンなんてそれまで聞いたこともないもの。

そんな思い出が急に蘇ったのは今回の村瀬心桃選手の金メダルの素晴らしい演技を見て、当時のスノーボードの環境を思い出したので。

当時日本にもボーダーがチラホラと出現し始め、スキーヤーたちは白い目で彼らを眺めていた。もう、邪魔で邪魔で嫌になっちゃう、なんて言いながら。もたもたと横に滑るカニのような奴ら。カラスの群れみたいに、座っていたと思うと急に横に滑り始める。左右を確かめもしないで。滑ったあとの雪は変なところがえぐれたりしている。危ないことこの上ない。

それに比べてカナダのボーダーたちのなんとスマートな!ゲレンデのヘリの雪溜まりをスーッとまっすぐ降りていく。現地カナダのガイドに「上手いね」と言ったら「当ったり前田のクラッカーよ」と言われた。これは嘘だけど、このコマーシャル知っている人手を上げて。いやいやお古い。

とにかくまるで器具が違うかのような滑降には度肝を抜かれた。それが今や日本人がオリンピックで金メダルとは!本当に立っていられないほどの急斜面、私ならスタート地点で気絶してしまう。村瀬選手はキリッとした美女、真っ直ぐな視線の先には何者も寄せ付けないほどの目標があるような。

しかも彼女の動画には整備された競技場でなく、自然な環境で練習する姿、林やとんでもない急斜面や川を渡ってしまう姿まであって、惚れ惚れしちゃうなあ、なんて素敵な勇敢な女性なんだろう。

ジャンプも新人が銅メダルを獲得した。ジャンプと言うといつも長野五輪のジャンプの原田、舟木両選手のエピソードが未だに日本人の心に残っている。せっかく新人が銅メダルの快挙を果たしたのに、テレビの解説に舟木選手が出演するとその話が繰り返された。

舟木選手の映像が流れると、まず、原田選手の「ふなき~」というお祈りの言葉が流れる。そして舟木選手は堂々と役目を果たし日本中が歓喜に湧くといういつもの。舟木選手は苦笑しながら「どうも原田さんと私はセットにされているようで」でも、その映像を見ると私も未だにほろりとする。国民が喜んでいるのに肝心の舟木選手は冷静なのだ。

今や日本選手は世界的なレベルで活躍しているのに、いまだに猪谷千春選手以後、大回転でメダリストは出ていない。私はスキーのモーグルやフリースタイルも面白いと思うけれど、あんな危険なことはできないし、そんな運動神経の持ち合わせもない。やはり何と言っても広いバーンを雄大に滑るスキーが一番好きなのだ。

そして、それも実現した。ヴァルトランスのトロワバレーはヨーロッパ1の標高の高いゲレンデで、コロナ禍の日本を脱出したと思っていたら世界中でコロナが蔓延していた頃。私は新しい板を引っ提げてスイスからフランスへ。初日は軽くホテル近くのゲレンデで。二日目にリフトを乗り継いでいよいよ見渡す限りの広いゲレンデに。滑り始めるとそのスピードは日本のゲレンデでは絶対に経験できないスピード感、ややスピード狂のわたしはたまらずバッファローの大群が疾走しているようなスキーヤーたちの中に加わった。

晩年になってこんなに素敵な体験ができるなんて。いつもは志賀高原で先生に言われる。「スピード狂!」決して褒めてもらえず、とにかく年寄りは安全に帰宅させるのが自分の使命だと思っているらしい先生から暴走を止められる。でも先生自身も一緒に滑るときには早い。しかも後ろについて行くとすごく嬉しそうなのだ。

ときには後ろからあおってみたりする。そんなときには文句は言われない。私がトロワバレーに行くと言ったら「あそこはしろいよー」と言われた。そりゃ雪山だから白いに決まっている。でも先生は「ひ」と「し」の発音が区別できない江戸っ子風の人なので「広いよ」と言ってるつもり。

今は笑いながらも悲しい。ずっと教えていただいたその先生も雪ならぬ虹の橋を渡ってしまった。今頃うちの猫コチャとあちらで「おしさまがあったかいね」なんて会話していらっしゃるかも。多分天国には雪はふらないと思うから。






















2026年2月8日日曜日

雪が舞う

 今ひらひらと雪が舞っている。猫はこたつで、ではなく(こたつがないので)床のバスタオルの上で丸まっている。時々表に行こうかと窓の外を眺めては寒そうで断念している。野良たちは毎年こんな日には寒さに震えて耐えていたのだ。もうわが家の野良たちは高齢だから流石にこたえるのだろう。朝からまだお出かけでない。

昨日までは暖かかったので外出が多かったけれど、流石に今日は出かけないと思って今後ろを見たらグレがいなくなっていた。我が家にすっかり落ち着いてしまったのんちゃんはもう他所の家に行く必要はないけれど、グレは毎日表敬訪問の家が決まっているらしい。明け方私が起きるとすぐにはいってくる。だいたい4時か5時くらいに。餌をモサモサと食べて少し休憩。またどこかへ消える。あるいはその順序が逆になって、外で食べてきてお腹がいっぱいなのに一口つまんでしばらく室内で一休み。お腹はもうはち切れそうで、叩けばポンポコ音がしそう。

昼頃また外出するか家でゴロゴロするかはお腹の空き具合で決まるようだ。それでも、ほとんどわがやですごして夕方またどこかへ。夕飯は5時ころ、多分働いている人が仕事を終えて帰る頃。そしてまた我が家に戻り夜9時前後にどこかへ帰っていく。そのルーティンが崩れるのは土日休日、多分飼い主Xさんが会社が休みで家にいるかららしい。

そうやって律儀に毎日過ごしているのを見ると、前世は真面目なサラリーマンだったかと思える。落ち着いた風貌と穏やかな性格、愛嬌のあるシマトラ猫。会社では責任ある、例えば部長とか課長クラス?その姉妹であるのんちゃんは、頭がよくて警戒心が強く気性が荒い。人をじっと観察して私といえども全幅の信頼は得られない。そうかと思うと急に甘えて抱っこをせがんでくる。これがまたかわいい。私はメロメロで猫の術にはまっていいように扱われている。人間なら銀座のマダムとか。

雪がふる今朝、投票所に。不思議なことに寒いはずのこんな日に私はいそいそ出かけた。冷たい空気と滑りやすそうな足元も、かつてスキーを楽しんでいた頃の感触となって懐かしい。小中高校生まで私はひどい運動音痴で逆上がりができない、跳び箱飛べない、ドッジボールだけは皆が球を当てられて脱落、一人になっても避けられるという反射神経があった。その反射が運動神経を上回っているらしい。

だから何かに運きを任せておけばいいスポーツはできる。馬に乗れば馬が走る。スキーも板が私を運ぶ。スケートも初動に力がいるけれど動き始めれば乗れてしまう。私はバランスを取ってスピードにのればいい。最も苦手はゴルフ。あれは終始歩くし自分がかっ飛ぶ楽しさがない。しかも他人と組まないといけない。同じ組の人が成績が悪くなってイライラしだすと耐えきれない。私は案外と気を使うたちなので。

そんなわけで私は雪が好きでたまらない。イタリアのオリンピックが始まった。あのボ-ダーたちの命知らずと思える危険な技は年々難度をましている。果たして人間にあんなに危険なことをさせていいのかと思うけれど、危険に立ち向かう若者は意気揚々と急斜面に飛び出していく。さすがの私もボーダーになりたいというほどの肝っ玉はない。すごいですねえ!あの急斜面に立つのでさえも私なら気絶寸前なのだ。

昔の白馬のジャンプ台に登ったことがあった。夏だったけれど、あまりの高さに足は震え心臓はは止まりそうだった。雪の季節ならどこもかしこも真っ白で恐怖感は少し軽減するかもしれないけれど。階段の足元は金網状で下が透けて見えるから、最後の最後で足がすくんで、一歩も先に出せなくなった。仲間たちは日頃強気の私のこの体たらくに喜んで写真を撮って笑っている。でもその写真を後で見たらなんのことはない。状況を知らなければね。

最盛期には1年のうちの30日くらいスキーをしていた。こんなゲレンデ片足で滑れるわとかなんとか豪語しながら。それでも絶えず仕事のことが頭にあって怪我をしたらスキーは辞めると決めていたので決して無理はしなかった。それでもまだ板を捨てることができず、ウジウジ。私の板を狙っている方がいたら申し訳ないけれど、もう少しお待ち下さい。