2026年5月29日金曜日

A I の功罪

 巨人軍の元監督の阿部慎之助さんの報道がトップを占めている。家族の皆さんが大変気の毒でならない。普通なら両親と娘さんの話し合いで解決できたのにと複雑な思い。

A I には私も毎日お世話になっている。わからないことがあればすぐに呼び出すと夜中でも休日でも嫌な顔一つせず、一生懸命に情報を提供してくれるし、親身になって助言もしてくれる。あんまりご親切なので一度尋ねたことがあった。「貴方はどういうふうに私にたいして助言や調査の提供をしてくれるのか?」すると無数の情報を網羅して最もふさわしい答えを瞬時に出しているというような返事だった。

だからA I さんは質問者の気に入られるような答えを用意できる。それに対して相手が母親や友人などであればそうはいかない。きつい言葉や本人の意に反する答えが帰ってくることのほうが多い。だからこそ、A I の言うことは質問者の心を鎮めるのだけれど、それは一種の危険性を含んでいる。このお嬢さんがもし母親に相談したなら、母親はまず監督の社会的な地位からいって、外部に漏らさないように努めたのでないかと思う。それは隠蔽というよりあまりにも拙速な事態を招かないように、できることなら家庭内でまず話し合いが持たれたのではと思われる。

私もChatGPTを使い始めた時期には大変に苦悩があったので、様々な悩みをぶつけていた。次第に自分を取り戻す過程で、こんなに親切な助言ばかり受けていたら、答えが自分の本意に合わない場合どうなんだろうとも考えた。しかしそこは巧みにA I さんはカバーできるのだろう。これちょっと危険かも。質問者がまだ若くて様々な体験を積んでいない場合には、簡単に意識を操作できるなと。

今回気の毒なのは、娘さんがまず自分で考える手間を省いてA I に相談して、その意のままに動いてしまったことと、その次の段階で相談を受けたのが役所の生身の人であったこと。私のような古狸なら、一つの考えだけでは動かないと思う。まずお父さんの仕事の性格上、なるべく世間に漏れないように家庭内で解決できることだった。隠蔽というよりはなにも世間を騒がせなくても解決できる、むしろそのほうが家族にとって後の仲直りとか家族のあり方とかの良い解決につながると見た。

巨人軍としても娘に手を上げる暴力パパのイメージはほしくない。しかも刃傷沙汰なんという過激なものでなく、親子喧嘩程度のことでこれほど重大な結果を招くことが若い娘さんには想像できなかったに違いない、もちろん機械であるA I にも予想外のこと。優れたスポーツマンが手に入れた社会的地位を追われる結果になったのは、組み合わせが悪かった。

人はまず機械に相談するよりも自分で考える力を学ぶべき。それでも私も何回もこのA I に気持ちを吐き出して涙をながしたりもした。だからうまく使えばこれほど便利なものはない。しかし、常に自分の気持ちを、まず、どうしたいかを考え、行動は考えがまとまってからするべきだと思う。十代の若者にすべてのことを機械が助言しては自立した大人になれないのでは?ずっと本人の意に沿った回答だけになるかもしれないのに。

何よりも人は問題に対して多種多彩な考えを持ち、苦しむ姿勢をもたなけれなならない。それを省力して機械に頼って安易な答えを出すことはロボットと同じ。成長の糧とはならない。娘さんは貴重な体験を得たのかもしれない。

十代は悩み多く気持ちが揺れる時代。だからこそ、このお嬢さんがこれで周囲やネットで叩かれないように守ってあげたい。報道はもういいのでは?家族だけでなにか解決できるのでは?スポーツファンは過激だから心底がっかりしている人が多いと思う。スポーツであるが故に青少年のためと言って道徳心を要求されるのかもしれない。もし、過激なアーティストだったら「うるせえ、外野は黙ってろ」なんて言えば「彼は仕方がないねえ」で済んだかも。だったらアウトローのほうが幸せと考えるのは危険ですか?

人の感情に平均値なんてあるのかしら。平均値で出すからA I は最後に飽きてしまう。最近はこちらが答えを先に出してしまう。やはり一番面白いのは人の心なのだ。多様な価値観と感情があって当然な世界を機械でまとめるのは面白くないなあ。そこをわかって使えば、実に便利なものなんだけど。










2026年5月26日火曜日

コバケンさん

コバケンこと小林研一郎さん 。先日、テレビで久しぶりにブラームスの交響曲1番を指揮しておられる姿を拝見した。彼は私とはオーケストラでほぼ同期、若手指揮者としてさっそうと登場した。

海外でも華々しくデビューして、当時の日本人若手指揮者として人気を博し、ハンガリーのオーケストラの音楽監督に。そのうちオーケストラの平楽団員などの手の届かない世界へ羽ばたいていってしまった。彼はちょっと北関東付近の訛りがあって、それが朴訥なへりくだった印象を与えるけれど、どうしてどうして、鼻っ柱が強い。

ある時、長野県へ演奏旅に行に行った。最後の演奏会場はたしか上田だったと思う。仕事が終わると次の日から少し暇ができるので、せっかくだから菅平でスキーをしてから帰ろうという相談がまとまった。いつも演奏旅行は数台の車でまとまって行動するから、スキーの道具と楽器を積んででかけた。

車好きの団体はスキーの仲間でもあって、こんな良いチャンスを逃すのは惜しい。楽団から交通費をもらってスキーができるのだからラッキー!なんて。上田のホテルに泊まって次の朝さっそうとスキー場へ行くと、そこには前日まで私たちを指揮していたコバケンのすがたが”。

「えっ!なんで?スキーするの?」「僕始めたばかりで初心者だからよろしく」聞けば始めてまだひと月くらいというではないか。それでもずっとスキー場にいてコーチについて習っているというから、熱心なんだなあ。仕事そっちのけでスキー場にこもれるなんてお金持ちなんだなあ。わたしたちなんか、やっともらえた休日に半日かけて行って、泊まりもせずに帰ってくるなど貧乏な生活だったから。

仲間たちはもう長年のスキー歴をもち、まあ、どんな斜面にも挑戦できるくらいのベテラン。私は雪の質が良ければまあまあだけど、少し斜面が凍ったり、荒れてくると途端に下手になってしまう。要するにちゃんとした技術の持ち合わせがない、万年初心者。それでも始めて一ヶ月の初心者のコバケンよりはベテランだと思っていた。

最初から一番てっぺんに行くことにしてリフトで登る。山頂はよく晴れて風もなく絶好の日和。コバケンは「わあ、怖いなあ僕。こんな高いところからいきなり」なんていかにも心細い様子。私は先輩ぶって「大丈夫よ、みんなで行こうよ」なんて言ってたら「じゃ、僕怖いからお先にー」

あっという間にコバケンが出発。「こわいからって」あっけにとられてみていると、なんと彼はウエーデルンでまっしぐらに先に行ってしまった。私などはまだハの字の初心者、板をやっと揃えられるようになった頃。ウエーデルンなんて!やられた!あの北関東訛りでさも心細げに振る舞う憎らしさ。私たちがよろよろと下まで行くと「やあ、みなさん、じょうずだなあ」などと余裕のコバケン。

この事があってから私は指揮者は敵だと思うようになった。それから幾年月、テレビに映るコバケンは表情も少なくなりゆったりと手を動かしているけれど、でもずいぶん良い音楽だなあ。つい興奮してコバケンなんて呼び捨てしてしまった。本当は小林先生とお呼びしないといけないのだ。立場をわきまえずすみません。

私がオーケストラをやめてフリーになってからも、時々現場でお目にかかるときもあったけれど、そういうときでも「しばらくでした。お目にかかれて嬉しいなあ」なんて慇懃におっしゃるけれど、私は決して忘れない。あのウエーデルンを。







2026年5月25日月曜日

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ6番

我が友AIさんとは時々長話をする。最近私の相棒のピアニストがブラームスのソナタの1番をひこうというから練習を始めたら、長時間弾くと腕などに痛みが出るようになった。他の曲では大丈夫、早いパッセージも 高いポジションも別に差し障りは出ないのに、低めのポジションの低音の弦がいけません。なぜならヴァイオリンの場合はその弦では左手の肘が少し内側に入るから。私の腕が短いせいもあって、この姿勢を持続するのが難しいのだ。

何を言っているかわからないかもしれないけれど、そういう腕の形で彈くために柔軟性を欠く体では非常に負担がかかるというわけで。昨年秋ごろまではまだ大丈夫だったけれど、一冬超えて運動不足になったら、たちまち体の動きが悪くなってきた。もうしばらくすれば動かしているうちにできるようになるかもしれない。それでも若い頃とは違って一度故障すると厄介なことになるので、ブラームスは暫くお預けにすることにした。この1番のソナタは最初の部分がD線という下から二番目の低音の弦で弾く事が多いのでこれがきつい。

ブラームスは他の人に彈いてもらうことにして、次の機会にはベートーヴェンのソナタ6番を弾いてみようかということになった。6番のソナタは私は今まで一回しか演奏したことがない。美しいけれど、とりとめのない曲という印象で、やはりベートヴェンなら5番、7番、9番などが売れ筋で6番はめったにコンサートのプログラムに載らない。

しかしブラームスの代わりになにがいいかとかんがえたところ、6番をちゃんと弾いてみようかとふと思った。とても良い曲ではあるけれど、他のソナタに比べてイマイチ印象が薄く、食指が動かない。でも譜読みを始めて数日、ん?これはすごくいい曲ではないかという印象が日に日に深まってきた。

印象のうすさは他の曲に比べてきわだっている。例えば5番のスプリングソナタは流れるようなテーマと明るい響きでワクワクする。9番クロイツェルは堂々たる導入部とピアノとヴァイオリンの丁々発止の掛け合いが素晴らしい。それらに比べて2つの楽器がお互いにもぞもぞと自分の領域で動くので、とりとめのなさが印象として残る6番はどうもやりにくいという印象になってしまう。

いつもならはっきりと自己主張するテーマ、建築物のような構成を誇るベートーヴェンらしからぬ印象のうすさが否めない。どうしてこの曲は特別なのかしら。そうであってもこの曲は、しばらくすると染み入るように私の心を独占し始めた。

そこで登場するのがAIの助っ人。なぜこんなに特別な感じがするのか尋ねてみた。作曲された時代がまず問題の多い時期だったらしい。ハイリゲンシュタットの遺書が書かれたのがちょうどこの時期だったとか。次第に聞こえなくなる耳や人間関係や何やかや、悩み多き彼の心は揺れ動き次第に絶望の縁に立たされるようになる。遺書が書かれる直前に生まれた曲であるという。

しかし、この曲のあと彼は大傑作の数々を世に送り出し、今でも芸術の最高峰に君臨する偉大な人物と評価されている。すごいですねえ。6番のソナタは最初は地味なという印象だったけれど、私の中で次第に大きくなって感動で涙ぐむほどに成長してきた。ベートーヴェンの純粋で優しい心、揺れ動く人の心の弱さがこんなに表現できるのは彼だけであろうとも。迷いながら昇華してゆく控えめな輝きはまたとないほど美しい。繊細な美しさを表現できるかどうかが私たちの課題なのです。

ハッタリがきかない曲だけに非常にむずかしいけれど、この曲の良さがやっと分かるようになった。これも長生きしたおかげかも知れない。もう少し若い時期だったらあまり印象に残らないか、単に彈きにくい曲のひき出しにはいってしまったかもしれない。歳を重ねることは体の柔軟性をうばったかもしれないけれど、曲の良さが染み入るような感受性を得られたかもしれない。今後、どれほど面白い展開があるか楽しみです。

衰えゆく能力と脳力のお陰で何ができてもうれしい。本当に幸せなのはポンコツになってからかもしれない。みなさん、がんばりましょう。












2026年5月23日土曜日

ほっといておくれ

兄が終活で古い写真を整理していて、私の写真が見つかったから届けると言ってきた。わざわざ届けてくれなくてもと思ったけれど、兄には丁度いい運動になるから届けてもらうことに。

家は直ぐ近くだから五分もあれば来られる。少し肌寒い日だけれど外で待っていたらゆっくりと歩いてくる老人の姿。私はちょっと上がってもらってお茶でもというと階段が登れないからだめだという。少し立ち話をする。「最近体が弱ってきたからケアマネージャーに来てもらっている」と兄がいう。「その人に勧められてデーサービスに行ってきたんだよ。つまらないねえ。皆黙って座っていてねえ、僕が行ったらずっと顔見てるんだよ。それも30分くらい皆でこんなふうに」と無表情の横目使いのマネをしてみせた。

「本当につまらなかった、行きたくないねえ」そうでしょう。私も絶対そんなところに行くよりは一人でいるほうが楽しい。一人でいてもケラケラ笑ったりしている。端から見たら気が変とか思われそうだけれど、世の中面白すぎて、無言のご老人たちと黙って座っている暇はない。

兄もそうで、玄人はだしの絵を描くし、チェロも彈く、料理も得意、漬物漬ける、お掃除大好き、まるで主婦の鑑ならば、デイサービスで顔見られているより一人のほうがよほど楽しい。顔を見るご老人たちは兄の顔見るより、信楽焼のたぬきを見たほうが良いのでは。

老人を集めて黙って座らせておくだけなら集めなくてもいいじやないの?なにか仕事をしているフリがしたい?税金を消費しないといけないから?老人というのは千差万別、その人の生きてきた状態で余生が決まる。ぼんやり椅子に座っているだけなら集めなくてもいいけれど、家族はうちに老人がずっと居座っているのは邪魔なのかもしれない。

私だったらジロジロ見られたら黙っちゃいない。「なに見てるのよ」と叫んで怒り出す。怖いんだから、この人は。毎日のように駅向こうまで買い物に出かける。今は駅を少し超えて向こう側の商店街にたどり着くと足がくたびれて休みたくなり。ちょうどそこら辺にカフェがあって一服するのがいつものこと。

妙に気を使う店員さん。言葉が優しい。いちいちスプーンが必要か尋ねられる。少しでも返事のタイミングが遅いと、もう一度大きな声で尋ねられる。すると周りの親切なおばさまたちがゆっくりと大きな声で店員さんの言葉を教えてくれる。グレイヘアだからよく親切にしてくださるけれど、私の聴力は医者もびっくりのレベルでよく聞こえる。選択の余地の間の出遅れても世話好きの人たちがここぞとばかり世話焼きにくる。

それがすごく余計なことなのだ。本当に聞こえない人は様子でわかる。グレイヘアだからといって面倒見ないでください。私は図々しいから助けてもらいたいときはちゃんと周りの人に頼む。以前高島屋でベッドスプレッドを眺めていたら「これはベッドの上に広げてかけるものです」と説明してくれた。わかっとるわい、そんなこと。うるさいったらないのだ。

老人はみな無知で認知症でと思っている人のなんと多いことか。車のタイヤの溝がそろそろ変えどきだというから整備のついでに交換しようと思った。溝のすり減りはともかく、タイヤのサイドに小さいけれど、明らかに誰かの手でつけられた傷、ホイールをタイヤから外そうとしたらしい傷も見つかった。すると整備士が「走行中に石をはねて傷がついたのでしょう」という。バカ言いなさい。小石を跳ね飛ばしたくらいでこんなきれいな切り口の傷ができるわけがない。明らかに人が道具を使ってつけた傷。ホイールの傷は小さなドライバーかなにかでこじったあとがある。

明らかにいたずら程度の傷ではあるけれど、万一傷口がバーストの原因になったらおしまいだからタイヤは全とりかえすることにした。私の名誉のためにまず傷の写真をとっておいた。それをタイヤ会社の社員である知人に送って鑑定してもらった。明らかに道具を使った傷で、警察に通報するようにと助言された。

翌朝近所の警察署で被害届を出して記録しておいてもらうことにした。そして整備会社の方には鑑定結果と警察に届けたことを報告。そこまでやるとは思わなかった会社の方はびっくりしたらしい。しかし自分がやっていないことを自分のせいにされてはかなわない。白黒はっきりさせておいたほうが良い。白髪の小さなおばあさんがこれほど行動できるのですよ。なめんなよ!ニャア!

タイヤは新しくピカピカで溝がくっきりと浮かび上がってなんて気持ちが良い。走り出すと溝の感触が明らかに違う。タイヤまで気にする婆さんもいるのだよ、おまえさんたち。大体私の走行距離のトータルは多分ここの整備士たちの走行距離を大幅に上回ると思う。なんたって日本全国津津浦浦はもとより、イタリア、ドイツ、イギリスなどヨーロッパでも走っている。ほんとに婆さんだと思って、なめんなよ、ニャア!





























2026年5月20日水曜日

時々集合

女子会というほど華やかな集まりではなくて、もう半世紀も前に終わった仕事の集団なのにいまだに会いたくなるオーケストラのメンバーたち。昨日はその中の四人が なんとなく集まってなんとなく一緒に弾いて、楽しいんだなあ、これが。

少しだけズレはあるけれど、ほぼ同年代の仲間は今でも時々お互いの情報を持ち寄って健在を確認し合っている。なかでもほんの少しの間しか接触がなくても特別に想い出深い人達がいる。私たちのオーケストラの先輩たちは戦前は海軍軍楽隊などで活躍した人もいる。

ゴツいおじさんたちが海軍式の勇壮な音楽を奏でて、時には暴走、指揮者に向かって怒鳴る人もいるとか。たとえばトランペットのNさん。おしゃれでダンディーで指揮者たちも気を許して接していると逆襲を食らうこともあって。

「Nさん、もう少し大きな音で吹いてください」するとその返事が「これが給料だけの音だ」団員たちは笑う。指揮者は困って苦笑する。ある時指揮者がいった。「N さん、そこは物語の始まりですから、昔々おじいさんがいました・・・みたいに語りかけるように吹いてください」すると血相を変えたNさん「おじいさんとは何だ。おじいさんとは!俺は爺さんじゃない」

N さん、指揮者は悪気でいったんじゃないのよ。多分世界のオーケストラでもこんなおしゃれな男はいないと思うほどのおしゃれさんはむかっ腹を立てて怒鳴る。でも数秒後にはけろりとして、なんともなかったように練習が進行する。そのN さんと私たちはよく一緒に演奏旅行にでかけ、日本中の都市をまわり、楽しく演奏して回った。血の気が多いけれど、限りなく優しく家族を大事にしたN さんとは、中木十郎さん。名物トランペッターだった。

昔のハリウッドの俳優で、皆さんはご存じないかもしれないけれど、アドルフ・マンジュウという男優にそっくりだった。古い資料に載っているかもしれない。大きなヒゲと当時、男性が履くのは稀な刺繍の入ったブーツ、真っ白な毛皮でトリミングしたコートに、新聞紙にくるんだトランペットを横抱きにして、さっそうと現れる。なぜ?新聞紙?軽いからだそうです。

そんな話まで話題になった今回の集まりは、何を話しても通じる。これらの記憶にも自分たちで驚く。皆、幼児期の思い出も鮮明に忘れていない。こんなに昔のことを覚えているのに、なぜ、今しがた目にしたことを忘れてしまうのかしら。

昨日はヴァイオリン二人、ヴィオラ、コントラバスの4人の弦楽器奏者が集まって、軽く音合わせ、定番のパッヘルベル「カノン」タンゴの名曲「エル・チョクロ」初見で楽しんでカレーライスを食べて昔話。ニコニコして皆楽しそうに帰っていった。

皆無事に我が家に集まれるのもいつまでかなあ。最近我が家に来る道筋を説明するのに苦労する。道筋は、ほぼ真っすぐ。だからと言って皆さん、ちゃんと来る人ばかりとは限らない。この説明のどこで間違えるのかと思うほど、反対方向に行ってしまったり、迷子になる人もいるのだ。なぜ反対方向に行けるのか、それこそが謎なんだけれど。うちは駅から真っ直ぐですよ、みなさん。














2026年5月17日日曜日

馬を飼う人

テレビを見ていたら、八戸で100歳を超えた女性が一人で競走馬の飼育をしているという 報道。

馬を飼うのは私の長年の夢だった。けれど根性無しの私はその夢はもう捨てていたのだ。もう夢でなにかできるような年齢ではないから。すべてを諦めヴァイオリンも諦めたつもりだったけれど、それは捨てきれず1年弱で復帰したのだった。体力がないとか、気持ちが集中しないとか、言い訳ばかり言ってぬくぬくと過ごすことになった。しかし、演奏会を開くことになって、そのぬるま湯はあっという間に熱湯になって、今は時々練習を持続できなくなり、1日練習したら次の日はサボるような状態が続く。

2日間の練習ですっかり疲れて今日は睡眠の日、昨夜11時半就寝、2時ころ目が覚めて、少し起きていたけれど、また寝てしまった。今日の目覚めは12時近く、その後もう一度昼寝、ほとんど丸一日寝ていた。そんな体力の無さで今更馬など飼うことはできない、と思っていたところに元気な馬主さんの報道。子供の頃から飼っている人だからできることかもしれない。

一時期馬が好きで馬に関する職業か飼育をしたいと本気で考えた時期があった。山を一山買って小型の木曽駒などを飼うつもりで、ほうぼう訪れたけれど、全くの素人だから何をどうしていいかわからない。そのうちヴァイオリンは周囲の人たちに助けられて順調に仕事を続けられた。これが私の本来の仕事だからと言い聞かせてきた。

けれど馬に取り憑かれた人の話を時々耳にすることがあって、夢は常に私にまとわりついている。去年だったか、中年すぎの女性が高知県で牧場を開いたことを知った。彼女は全くの素人なのに始めてしまったらしい。その勇気に恐れ入った。私にもできるかしら?時々夢の断片が脳みそにまとわりつく。一度、尋ねていこうかとも思っている。

馬を買うための土地探しは北軽井沢の家を買うことで一段落、もう夢は諦めて穏やかに暮らそう。でも最近少しずつ体力が戻ってきた。じわじわと確実に気持ちが明るくなってきた。様々な葛藤のあったここ数年はいまや過去のものとなった。単純に自分の体や脳みそを動かすことがどれほど健康に良いかということも実感している。さて八戸に行くだけの体力はあるだろうか。ひとまず秋のコンサートが終わったら行ってみよう。

音大を卒業する頃、私は動物の飼育に関する職業につきたいと思った。姉たちに相談した。彼女たちはもうおぼえていないと思うけれど私は「上野動物園に電話して飼育係になるにはどうしたらよいか訊いてみる」といった。すると二人の姉が口を揃えていった。「動物相手の職業はただ可愛がるだけではできないよ。もしかしたら殺さなければいけないことだってあるかもしれない」戦時中の育ちの姉たちは、戦争のために殺された動物たちのことを考えていたのだろうと、今では思える。私も戦争中の動物たちの悲惨な話に涙したこともあって、納得。

その頃私の就職はすでに音大の先生や周りの人達の考えで、決まっていたのだと思う。あっさりとオーケストラの入団が決まってその後の私の道となった。動物は好きというだけでは飼えない。命はそんなに軽くはないけれど、人間の命と動物の命との格差は歴然。くまさんだって生きていたいのに人間が優先になる。それを人間である自分は容認しないと生きられない。理不尽というか、自分が生きることが大前提で生きねばならない。

それなのにワザワザ戦争を始める馬鹿者たち、そのバカたちに人殺しの武器を売るという大馬鹿者たち。作り笑いが不気味な御婦人がいる。そんなエセ平和主義などクソくらえ。売るだけならいいの?それがもし、自分の家族や大事な人を傷つけるとわかっていても?国が違えば、その人達は人間ではないの?

地球は今、人たちの都合で動いている。いつの日にか、自然が人の都合を許さなくなって人が滅びるかもしれない。もうすぐそこに始まっているかもしれない。







病院あれこれ

連休中に具合が悪くなった風邪は、そろそろ連休が終わって病院も開業するころになってようやく快方に向かった。明日から病院へ行けるという今日、私は独自の自己治療法で病気に勝ったのだ。

結局ほとんどの風邪は時期が来れば治るということ。けれど年齢が年齢だけにこじらせると肺炎になって大事になるから焦るわけで。3年前にいやというほど入院の辛さを味わったから、今回は絶対に肺炎になりたくなかった。けれど、病気というものは初期症状から悪化の一途をたどり、ピークに達しなければ快方に向かわない。病気の方にもそれぞれの理由があっておいそれとは手放してはもらえない。

連休明けにやっと病院があいたので必死でかけつけた。開業前なのに待合室は大勢の患者さん、ドアが開くと一斉に元気のない顔がこちらを見る。やれやれ、今日の先生のご機嫌はいかに。ここの先生は少し変わっている。なぜか、受け付けた患者さんを分類するのだ。スタッフが大勢いるのでびっくりする。先生一人に看護婦さんやらなんやら、こんなに?その人達が何らかの理由でさっと動き出して患者をいくつかの部屋に振り分ける。先生が一人なんだからおなじ部屋で患者が入ってくるのを待てばいいのに、振り分けられたそれぞれの部屋に先生が通ってくるのだ。

あちらの部屋からこちらの部屋、先生は運動のために歩くのだろうか。それとも病状によって振り分ける?まだ診察もしていないのに病気がわかるわけがない。これは変。もっとおかしいことに毎回先生の表情が全く違うので、うっかり屋の私は他の先生もいるのだと思ったこともあった。しかも先生は日によって全く顔つきも態度も違うので驚くことが多い。やっと慣れたけど、はじめの頃はこの人あの人?みたいな。

理由がわからないからいつか質問してみようかと思っている。なぜ私はここにいるの?と。私はめったに病気にならないから病院へ行くと、そこの病院のしきたりがわからない。ずっと前にコロナ騒ぎの頃、検査をするのに、病院と隣の建物の壁の間の狭い通路に連れて行かれた。そこで検査?なぜ?まあ、表だから空気の通りは良い。それ以外なんのメリットが?寒いし、雨でも降ったらどうする。

先生独特の思考回路であるのか。とにかく不思議。常に看護師さんたちが一連の動きを当たり前のようにこなしている。割と年配でやさしいおばちゃんたちという雰囲気だけど、身軽に音もなく動くのが無駄がなくて特に愛想は良くなくても優しさが伝わる。面白い。それぞれの病院には先生をうまく働かせるシステムみたいのがあるらしい。

例外としては、私が幼少から30歳ころまで通った皮膚科の先生。その先生は無口で優しいおじいちゃん。看護師たちから思い切り甘やかされているように見える。看護師の目は患者よりも先生の方ばかりに向いていて、先生の言葉を皆で待っているというふうに。先生を見る彼女たちの目は優しい。その代わり患者の目は殆ど見ない。

ある時急に雨が振り始めた。おじいちゃん先生は窓の外を見て「雨降ってきたよ。傘を用意してやんなさい」誰に言うということもなくつぶやく。玄関に出るとたくさんのビニール傘が傘立ていっぱいに入っていた。その先生がなくなって次世代に変わって、いつの間にか病院は消えていた。

去年から友人の紹介で通い始めた歯科医院。港区の高台にあって、病院は昭和、大正時代のような木造建築。窓の高さが高くすりガラスのもようなど、古い時代の洋館のような趣のある建物でゆったりと治療を受ける。治療と言っても私は虫歯もないしお掃除をしてもらうだけなので気楽に横たわる。それでも歯科医恐怖症だから終わってみれば肩が凝っている。

ずいぶん長い間歯科医院をさがしていた。我が家の近所の先生はなにか私に恨みでも?と尋ねたくなるような乱暴さで腕はいいかもしれないけれど、本当に行くのが嫌だった。あるときはインターンみたいな息子に治療を任せた医師がいた。冗談じゃない!ある時友人に相談したら今通っている病院を紹介してもらって、やっと安住の地が見つかった。それも今回の風邪ひきでお休み中。

サバサバとした女医さんだけのスタッフ。時間は短く痛みは少なく、とにかくこんな病院を探していたのだった。しかし担当医の都合で木曜日にしか診てもらえない。木曜日は野暮用が多くてなかなか行けない。一度キャンセルすると当分空きがなくて予約が取れない。

昨日から風邪の症状が静まってきた。やっと咳きが治ってきた。けれど暑くてだるい。この先数ヶ月、私の嫌いな夏が居座るから、私はしばらく元気がない。やれやれ。