2026年5月3日日曜日

親族

実家の近くにあるお寺は江戸時代からの菩提寺。今日はそのお墓が地盤沈下で傾いていたのを直したことで、墓開き・・とでも言うのかしら、親族が集まった。一族の末席に位置する私と姉が招かれて参列した。

新しい墓は見違えるように広々ときれいに造園されて、ここでバーベキュウができるくらいなんちゃってそんなには広くはないけれど、椅子でもおいたらゆったりとできそうな様子。以前はうちの墓には大きな銀杏の木があって 、目印になっていた。少し前に銀杏の木は枯れはじめ危ないので切られてしまったので、今回行ったら実家の墓地に真っ直ぐに行けなかった。いよいよ老化がひどくなったのか。墓は今の家の直ぐ側だし、事あるごとにお参りは欠かさないのに、この体たらく。

そして私の11歳年上の実家の当主はもっと進んでいて、すっかり耳が聞こえなくなっていた。そこに私の7歳年上の姉も加わってヨボヨボと歩く姿はゾンビ集団。頓珍漢な会話でも嬉しそうに笑う年寄りたち。

そしてその二代と三代目の若い集団、合わせて15人ほどが神妙にお坊さんのお経を聞いている。なんだかいいなあ。私はいつも一人ぼっち、いざとなれば親類縁者が駆けつけてくれるとはおもうけれど、こういう家族としての集まりには常に部外者。若い頃はそれが良かった。冠婚葬祭も面倒で仕事が忙しく、めったに参加はできなかった。

そして一人でやりたい放題、仕事に遊びに駆け回っていたけれど、結局人生の勝利者は堅実に稼ぎ家族を大事にした私の兄のような人が勝つのだ。兄は一族の長男として妹たちにも教育の手助けをしてくれた。私が今あるのも兄のお陰で時々恩義せがましく「僕のおかげだぞ」なんていうのが癪だけど、本当のことで私はぐうの音も出ない。でも兄がいなければ私はヴァイオリンのようなめんどくさい楽器は弾いていなかった。どちらが良かったのか。ま、とりあえず恩人ではあると認めよう。

渋々認めたけれど、だいぶ歳を取ってしまった兄がいつものように温厚にニコニコしているのが少し悲しい。何も聞こえていないのに皆に合わせて一緒に笑っているのも可笑しい。若い孫軍団もそれぞれの話題で笑い合っている。家族っていいなあ。

兄の三男坊の甥が来てその横顔を見ていたら、ふと私たちの祖父の顔と似ているのを発見した。「あなたは母方の直系の顔だね」というと姉も同意する。そこから先祖のはなし。変な人が多かった家系で、私が時々変なのも変わり者のご先祖様のせいであるということにしておこう。祖父二人の名前がすごくて、太郎左衛門に源之丞、歌舞伎役者みたい。

ある時書類に二代前の先祖までのわかる謄本を出さなければならないというので取り寄せたら、太郎左衛門、源之丞ではあまり人に見せたくはなかった。その上、ご先祖様は源左衛門さま、周五郎様、あはは、源左衛門様はとりわけクセが強く、地元民におそれられていたらしい。その血が私の中に色濃く出ているのではないかと時々思う。

一年に一度はご先祖様を思い出す、といっても、あったことはないので知らないけれど、その怖い源左衛門様のほかは愛情深く、ユーモアのある人が多かったと聞いている。その人達が今の私を見守ってくれているのだと思う。自分が年老いたときにやっと、自分は様々な人たちに守られてきたのだと思えるようになった。源左衛門様だってきっと優しい人だったのではないかと思う。

兄の家に絵が飾ってあった。兄は絵を描くと玄人はだし、母はお気に入りの兄がすることなすこと「本当に何をやっても上手だねえ」と目を細めていたけれど、他の兄弟達のことはボロクソに言う。あんまりじゃないかと思ったけれど、事実だから仕方がない。そして兄の家にあった絵は色彩感覚の見事な絵だった。しかし、形は子供が書いたような、はてな?

「これ誰がかいたの?」と訊くと兄の次男の息子の絵だそうで、小学一年生で非常に大きな賞をとったらしい。見れば見るほど色彩が素晴らしい。すると中でも一番おとなしそうな次男の息子の絵だというので驚いた。今はもう描いていないというからもったいないと思ったけれど、子供の頃褒められて絵描きになって苦労の連続という人もいるし、まっすぐに伸びてそのまま絵の巨匠となる人もいるし、余計な口出しは禁物。けれどしばし見とれてしまうほどの感覚だった。

そういえば私のいとこは絵が上手く、上野の展覧会によく入賞していたから、やはり家系に芸術系がいたのかもしれない。そして兄は大変絵がうまい。緻密な筆使いで、何でもとことんやってのける忍耐で、もしヴァイオリンを弾いていたらいっぱしになったのではとおもうけれど、科学者としても名をなし、全くかなわない。

時々姉たちに言われたのは、戦時中の生まれで六人兄弟の末っ子、材料がなくて「あんたはねえ、余り物でできたんだから」心無い姉たちからからかわれた通り、余り物の脳みそでは太刀打ちできない。けれど兄は私を音楽の道に進める手助けをしてくれた。

姉たちの罵詈雑言も、後の社会の荒波でも何も気にせず乗り越えられた強さを私に与えてくれた。本当に何一つ無駄のない教育を私は家族から与えられたのだ。
















2026年5月1日金曜日

音楽会を徘徊する

夜中やご近所をではなくコンサートの徘徊はすごく楽しい。一番最近は声楽の友人からのお誘いでオペレッタのガラ・コンサートを聴きに行った。ヴィオラのコンサート二本立てで、立て続けての徘徊は少し疲れるかと思ったら、元気になってきました。やはり人間は動いていないといけないようです。特に私は。

今朝雪山の夢を見た。たぶんリフトかゴンドラからの鳥瞰であろうかと思うけれど、真っ白な雪の景色が眼下に続いている。ちょうどゲレンデとゲレンデを結ぶ通路のようなところ。ああ、ここはいつだったか夢に見たことがあったなと夢の中で思っていた。

この風景は何度か同じように夢に見ていたような気もする。懐かしい雪山、美しいゲレンデ、もう一度滑べる日が来るのだろうか。去年の暮だったか、軽井沢在住のY子さんからお世話してくださる方がいるのでスキー復帰しませんか?とお誘いをうけて半分その気になっていた。以前お世話になったときは車でゲレンデまで行って、用具の上げ下ろしから運搬まですべてやっていただいた。私はビンディングにブーツを差し込んでそのまま滑れば良かった。

行き帰りの食事の世話までなんと行き届いたことか。今年は北軽井沢に近いゲレンデで滑ることもできるというので半分期待はしていたものの、一時期引退をして色々後始末や心の準備などあって、健康の問題も自信が持てずにいた。しかも状況が変わったらどっとスケジュールが埋まってしまって、今やっと一息ついたらもう初夏。あーあ、しまったなあ。

そんな気持ちでいたせいか、スキーの夢を見てしまった。足の痛みはもう消えたとはいえ筋肉のこわばりは隠せない。今年はもう諦めても来シーズンに期待したい。馬にも乗りたい。馬が走る分には私の足は痛くないから。ただ鞍によじ登るのは大変。最後に乗ったときにはインストラクターが二人がかりでよいしょよいしょと押し上げてくれたけど。それで乗馬も諦めたのだった。鞍に乗ってしまえばこちらのものなんだけど一人で乗れないと話にならない。あーあ、諦めるものが多すぎる。

ならば新しくできることを探そう。今はコンサートに通って栄養分を蓄えて新しい音楽の道を探そう。ヴァイオリンはもちろん死ぬまでと覚悟は決めたけれど、体に無理が出るなら諦めないといけない。それなら体にいいのは?と考えたら呼吸法。私は歌えないけれど、幼児期からシャリアピンやシュワルツコフのレコードなどを聞いて育ったから歌は大好き。それだ!

声楽の友人に相談したら「おおいにやんなさい」先生を紹介すると言ってオペラ界の超大物の名を上げたので私は怖気を奮ってお断りした。とんでもない、そんな偉いお方は。

それでまず、呼吸法を友人から教わることになった。去年我が家のレッスン室をリフォームして防音工事をしておいてよかった。ただでさえご近所での私の評判は悪いのに、この上毎日絶叫が聞こえたら何事かと通報されかねない。北軽井沢に行けば森の中だから熊の遠吠えに間違えられそうだけど、銃で打たれはしないだろうか。

防音はこのところの物価値上げの波がくる少し前だったので、今ならもう工事もできないほどの費用がかかったであろうと思う。階段に昇降機を取り付けるためにただいま費用を積立中。それだって生活に追われ、いつになるかもわからない。ただし、昇降機がなければ嫌でも自分の足で登らないといけないから、健康のためには良かったかもしれない。

そんなわけで、まだ自力で元気にならないと生活ができないので、歩く、跳ねる、走るなど動くことが大事。息切れがするようになったので呼吸法はすごく良いアイディアだと思う。さてスカラ座でのデビューに備えて曲目を決めておかないと。何がいいかなあ。










2026年4月27日月曜日

ヴィオラ三昧

 先日2日続きでヴィオラのリサイタルへ通った。二人のヴィオラ奏者はNさんとHさん。古典音楽協会の旧体制から移行するとき、お二人とも快く参加してくださった。

御本人の許可を取っていないので、実名は差し控えますが大体あの方たちと察してお読みください。

Nさんとは私はこの交代の時期に初対面、ヴィオラ奏者が一人やめるので次のメンバーを決めなければならないときに、悪条件の交渉にも関わらず快く参加してくださった。古典の継続に貢献された第1号の参加者だった。見ず知らずの私が友人の絶大な推薦に推されて恐る恐る彼に電話すると、あまり多くを語らずとも快諾されたのも並々ならぬ音楽への情熱の故だったのだと、今感謝の気持でいっぱいになる。

それ以来古典の強力なメンバーとなってソロにアンサンブルに、音の素晴らしさ、緻密な演奏は仲間たちから信頼されトップ奏者として今絶賛活躍中。

もう一人のHさんは私とは旧知の間柄、Nさんの参加から数回の定期演奏会を経て、古典のメンバーに加わり、持ち前の人付き合いの良さと確実なテクニックですでに古くからのメンバーのような落ち着いた存在となっているようだ。「ようだ」というのは私は彼が入団する時にリタイアしたためで、私の最後の本番で参加、その時もすでに古くからのメンバーのように発言も演奏も馴染んでいた。

そのお二人が日をついでリサイタルをするというので、嬉しい忙しさになった。私は膝の痛みが消えたというものの、足は確実に弱っているので2日続きの外出が難しいかもしれないと思ったものの、なんのことはない、とても楽しい、2日間だった。

私はヴィオラという楽器が好き。あのなんとも言えないおおらかな風体と中途半端な音域、ややもするとキーキー高鳴りするヴァイオリンの陰で密やかに鳴っているのかいないのかわからない存在なのに実はいないと大変なのだ。音の質や響きに重大な欠損が生じる。

実は私は、本当にヴィオラ奏者になりたかった。音大付属高校の一年生のときに学内の弦楽合奏で初めてヴィオラを弾いた。と、いっても学校には学生に貸し出すための楽器がなく、ヴァイオリンにヴィオラの弦を張ったものを渡された。まだ社会全体が戦後の貧乏な時期だったからそんなことで我慢するしかなかった。

その時ヴィオラパートを受け持ったおかげで内声部の面白さを知ったのだった。普通は華やかな第一ヴァイオリンに魅力を感じる人が多い中で珍しい存在だったと言えるけど、生まれながらの変わり者はヴィオラの音域の魅力を嗅ぎ取っていた。自分のヴィオラを買ったのはもう少しあとだった。ただ私は非常に小柄なので、ヴァイオリンより一回り大きなヴィオラを弾くのは体への負担が大きすぎて、正式にヴィオラ奏者となるのは断念した。

2日間のリサイタル第一日目はNさんと学生時代からの楽友の、これもまた頭文字Nさんとのヴィオラのデュオ。この組み合わせはあまり曲がたくさんはないけれど、聴いてみると本当にチャーミングな曲に次々と出会えて楽しかった。なによりも大好きなヴィオラが鳴っていればストレスなしの幸せな時間が流れる。

ルクレール、ロッラ、ボウエン、ドハテイ、ブリッジ、ターテイス。知らない曲ばかりでも曲名の面白さもあって、私は最後まで眠りもせずに楽しく過ごした。よくこんなに集められたものだと思う。あまり知られていないのに面白い曲ばかりで「ヴィオラのためのヴィオラ・ゾンビ」って、一体なんなのだ。二人の奏者が離れて立ち、特殊奏法でゾンビの生態を描く。二人の名手によって様々な技法がゾンビを生き返らせる。面白い!非常にユニークだけれど、奇をてらってはいない、正統的な二人の奏者の技術と才気が光る、素敵なひとときだった。

次の日はSさんのリサイタル。こちらはどんと最後にシューベルト「ます」が待ち構えていた。独奏曲はフンメル「ソナタ」初っ端はモーツアルト「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」ゾンビは出てこなかったけれど、華やかで楽しく定番の名曲コンサート。安心して眠れるはずだったのに、これもまたワクワクできたのはピアニストの衣装。弦楽器の男性奏者たちの正装に対し艶やかな衣装でまず目を楽しませてもらった。

私の隣の席の友人Sさんとおもわず拍手喝采。これも音楽の一部、素敵な夢。達者な演奏者たちの音に組み込まれた彩りとして。ベテラン揃いの演奏は本当に安心感があって、少しはドキドキさせられないかと期待していたけれど、無事終了。大変好意的な拍手で沸いた。ゆったりと安心して演奏が終了。その後も嬉しそうに帰らない人たち。ロビーがごった返して歩けない。

前日のコンサートがワクワクした興奮であるならば、こちらは温かい居間でゆったりと寛ぐような安心感。どちらもヴィオラの持つ雰囲気が反映された素敵なコンサートだった。

2日目のコンサート会場で大変年配の男性が同じ列の座席に座っておられた。隣の友人Sさんが私に囁いた「あの方はM先生じゃない?」M先生は私が付属高校入学直後から弦楽アンサンブルの指導をしてくださった方で、ずいぶんお世話になったのだ。けれど、面影はあるようなないような。終演後Sさんが声ををかけると、やはりM先生だった。思わず私も声ををかけた。「高校時代大変お世話になりました」するとM先生はじっと私を見て「***さん?」私の旧姓を口にされた。

驚いた。先生もお年を召されたけれど、私はもっと様変わり、元気いっぱいの女子高生も今は女子老生、頭は白く当時の面影はないはずなのに、どうしてわかるの?本人ですら自分の旧姓を忘れていたのに。すごい記憶力でまだ矍鑠とされている。ああ、私はまだひよこなのだ、世の中にはすごいお人がいるのだ。ヴィオラが弾けるようになったのもこの先生のおかげだったのですよ。運命を感じました。






















2026年4月23日木曜日

美味しい美味しい

準備は昨日からはじまった。朝食は大根と鶏肉のそぼろ煮。昼食は鶏肉とじゃがいもの甘酢あんかけ。夕飯はハンバーグ。それぞれに白粥がついている。レトルト食品でお湯で約五分温めればいい。これは簡単だし美味しそうだけどこんな少しで足りるかな。

一日それだけ食べても夜になったらお腹がいっぱいになった。案外と量があるのだ。最初に見たときは、これは間食しないと足りないと思ったけれど、結構満足した。そこからが大変。

よる9時に薬を飲む。なんの薬かは知らないけれど、医師の指示であるから嫌な味の薬を水に混ぜて飲む。そして就寝。早朝というより夜中、目が覚める。二度寝しようかと思ったけれど 嫌なことは先にやってしまおうと、腸内を洗浄する薬品を水2リットルで希釈してゴクゴクと二時間かけて飲み干した。こんな沢山の液体が良くも飲めるものだと思う。

午前3時薬品を2Lの水で薄めた。25ml ずつ15分おきに飲めば2リットルを2時間で飲み終える。希釈液を作るとアラームをセット。最初のうちは25ml 飲むのはさほど辛くはなかった。ちょうど喉が乾いていたしゴクゴクとすぐに飲み干した。そのうちだんだん飲み方が遅くなって、アラームがなければ飲みきれなかったと思う。無理やり飲んでいるうちに1時間もすると効果が出てきた。

そうなると忙しくなってきた。パソコンでゲームをしながらなので飲んだり出したりゲームをしたり、そのうち順番がわからなくなってきたり。効果は完璧に現れて2時間ほぼ腸内は空っぽ。この作業が一番大変だという人がいるけれど、何、それほどではない。

病院につくと検査用の服に着替えて麻酔を受ける。まず喉の麻酔。この世のものとは思えないほど苦くてまずい薬を喉につけると、次は注射で麻酔。まだ意識はしっかりしているから看護師に言った。「全回検査したとき麻酔が効きすぎて寝すぎたので量を少なめにしてください」と。

検査室に入るとまだ意識はあると思っていたのに、それから先の記憶がまったくない。簡単なものだわ。気がつくと大腸も胃もとっくに検査がすんでいた。あのものすごく不味い麻酔薬がなければ本当に楽な検査なのだけど。ベッドに寝かされてぐっすり眠っていたのに起こされた。やはり薬が効きすぎるらしい。眠っていたのは2時間ほど。それでも起き上がれなくて二度寝させてもらった。なんなら、ここで一泊したいくらい。

目が覺め始めると、昨日からろくな物食べていないことを真っ先に思い出した。特に食欲はないけれど、飢餓感が襲ってくる。どこまでも食いしん坊な自分に呆れる。まだ食べないでくださいといいながら時計を見た看護師は私が長時間眠っていたことを知らなかったらしい。

「あら、もう食べられるわ」というから食堂に飛んでいった。ここの食堂はとても美味しいのだ。それでも揚げ物などは我慢してポトフとトースト、サラダとコーヒー。なかなか美味しかった。満足して自宅近所に来た。

このあたりに古くからの惣菜屋さんがある。御夫婦で長年コロッケなどの揚げ物を作っていて、美味しいと評判なので遠くからも買いに来るという。ところが最近の猛暑に体調を崩した御夫婦は仕事時間を短縮しているので、最近、なかなか手に入らない。今日は食べ物に飢えて、ちょっと回り道をしたら営業していた。ラッキー、久しぶりね。

おじさんもおばさんもちょっと元気がないけれど、一生懸命営業日の説明をしてくれた。きっと今日は私がとてつもなくまずいものを食べた埋め合わせに、久々の好物を用意して待っていてくれたのかな?ただの偶然にしても、あまりにもまずい薬の後でコロッケを食べたら本当に美味しかった。

私は子供の頃からじゃがいもが大好き。意地悪な姉たちはその私をこう言ってからかった。「あんまりじゃがいもばかり食べるからじゃがいもみたいな顔になっちゃうのよ」なるほど。そういえば似ている。

せっかく一日食事制限で少しはダイエットになるかと思ったけれど、これでは元の木阿弥。




















2026年4月22日水曜日

ウイーン八重相談

 私のパソコンは決して意図した変換をしてくれない。本当に面白い変換ばかり。一番常識的な変換は最後に出てくるといったへそ曲がり。もちろんこれは八重 奏団です。

変換の設定が悪いのだと言われれば本当にそうなんだけど、これも遭難だけどとなるかと思ったらそれはなかった。暇でもあるし結構たのしんでいたりして。

ウイーン八重奏団はボスコフスキーによって創設されたとプログラムに書いてある。1947年だそうだから私は生まれたばかり。第二次大戦直後ということになる。この八重奏団は私と同世代か、なんて、なんの関係もないのに喜んだりする。私が音大生の頃かまたはオケに入った頃か、とにかく希望に満ちた若かりし頃、日本でボスコフスキーがN響を指揮して大いに私たちを喜ばせた。

その八重奏団を聞きに武蔵野市民文化会館へ。ついこの間までは50年間と思っていたけれど、もう今は60年間にも近くなったお付き合いのピアノのSさんと聞きに行った。

モーツァルト:フィガロの結婚序曲 

モーツァルト:クラリネット五重奏曲

シューベルト:八重奏曲

結果から言うと本当に楽しかった。先日聞いたベルリン八重奏団の時よりもリラックスして楽しんだ。ベルリンは意識下の領域に達するまでの集中、研ぎ澄まされた世界をみせられた。一瞬も耳を離せないし演奏者とともに呼吸することで、単に聴くだけの作業ではないことを知らされた。

ウイーンの特にホルンの柔らかい響き、少人数の弦楽器に対しても決して音量が過剰ではない。弦楽器と管楽器のアンサンブルは音量のバランスが難しい。こんなふうに柔らかく包みこまれたら弦楽器は幸せです。

幸せすぎて、最近めったに演奏会では寝ない私も、モーツアルトの五重奏曲の2楽章から3楽章が始まるまですやすやと寝てしまった。これはしまった!一番好きな楽章で、聴いていれば天国に行ける楽章で!なんてことを。

シューベルトはちゃんと起きていたけれど、途中から笑ってしまった。シューベルトのこの長さ!終わりかと思うと転調しては同じテーマが繰り返される。常に美しいから許されるけれど、これで凡庸な作曲家ならトマトをぶつけたくなりそう。

かつて私がピアノトリオを組んで活動していた頃、シューベルトの三重奏曲第2番をプログラムに入れた。しかしその長さに辟易した。多分彼は美しいテーマを離したくないので様々に転調して酔いしれていたのでは?

終わると盛大な拍手が巻き起こった。それは演奏の素晴らしさを称えるとともに、ああ、やっと終わったかという喜びの拍手ではなかったかと勘繰りたくなる。私と友人は思わず顔を見合わせてニヤリと笑った。さすがシューベルト。そうだねシューベルトだね。あはは

しかし誤解のないようにいっておくけれど、一瞬たりとも退屈ではなかったことを。途中大好きなクラリネット五重奏曲で、しかも2楽章で居眠りをした残念な事件はあったものの、心から音楽の素晴らしさ、何よりもウイーンの音が聴けて幸せでした。














2026年4月20日月曜日

サラリーマン猫

うちに日参する野良猫グレ。ルーティンは早朝5時前後、出勤。餌のあるなしで次の行動が決まる。たっぷり食べられたときはそのまま私専用の椅子で朝寝を貪る。その後ずっと何もなければ居続ける。餌に不満があったときはすぐに外出、ご近所を回って満腹になるまでせっせと歩き続けるらしい。時々コースが変わるらしく、それで他の家の状態が大体読める。

連休などではうちに全く来なくなることも。それは他のお気に入りの家があって、その家の住人が在宅しているということらしい。反対に住人が連休で遊びに出かけてしまうと餌がもらえず、我が家が食堂になるのでずっと昼中い続けて三食昼寝付き。なんと良い御身分なのかしら。苦労も多そうだけれど。

穏やかですごくデブだけど可愛らしい外見から、ずいぶん幸せな野良生活をおくってきたとみえる。それでも時には苛ついて顔を汚して現れることも。喧嘩にまけたのかな?それとも意地悪な人間にいじめられた?近所までは来るものの、入ってこないことも。多分テリトリーに新しい敵がうろついているらしい。苦労してるんだ。

ほぼ午前中眠っているときは、深夜に起きた猫同士の喧嘩の疲れをいやしているらしい。午後4時か5時になるとソワソワ、きっとご近所の飼い主さんたちの一人に会いにゆくのだろう。それが5時ころで、しばらくするとまた戻ってきてうちのノンちゃんとじゃれたり眠ったり、そして9時半を回った頃にはねぐらに帰っていってしまう。

寒い時期には表に出るのをためらっていることもあるけれど、出口を塞いでしまうと大騒ぎして出たがるから仕方なく次の日まで自由にしてあげる。全く何をしているのか、寒さにも雨にもマケズ、夜通し帰ってこない。そして次の朝5時ころ、窓を開けると途端に飛び込んでくる。これが彼の日常なのだ。

餌も好き嫌いがあって、人間は何も猫に迎合しなくてもとおもうものの、ちゃんと食べないと手を変え品を変えて数種類のフードをご用意するのだ。せっかく開けた缶詰やレロルトパウチが無駄になる手痛い損害は人間より高い餌代に損失となって家計を逼迫する。それでも気に入らない餌を出した人間のほうが逆に謝ったりして「ごめんネ、すぐおいしいのを買ってきて上げるからね」上げるのですよ。猫に。食べていただくのも苦労するわ。

カニを食べずにカニカマ食べて我慢している飼い主の身にもなってほしい。それでも日々飼い主は一生懸命にご奉仕する。それは猫の持つ悪魔のような可愛らしさに目をくらまされているから。なぜ神様はこんな役立たずの動物をお創りになったのだろうか。ほんの少しでいいから私にも可愛らしさを分け与えてくださればいいのに。可愛げのなさと怒りっぽさで人生を複雑にしている私でも、もう少し穏やかな日々が来るかもしれないのに。

来世、私は猫に生まれてこよう。あざとく飼い主にすり寄って可愛さアピールして図太く生きる野良の女王になろう。















万引き未遂事件

最近の買い物はカード払いで 済ますことが多い。お金の使い方が超下手くそでいらないものを買ってしまうクセがあるから、最近の物価高騰にカード払いでつくポイントを狙うようなことが多くなった。これは私としては画期的なことで、今まではポイントを貯めるという行為も面倒、確認も面倒、今までどれほどのポイントを捨ててきたことかと悔やまれる。

それでいっぱしのカード使いになったかというとこれが全くだめで、レジでいつもスタッフさんと禅問答のような怪しい会話の毎日。とにかく仕組みがわからない。カードのどれを使うかもわからない。レジの人がすぐにわかる人ならいいけれど、中には私とほぼどっこいどっこいの人もいるのが信じられない。私の相手は万能じゃないと務まらないのよ、あなたの方はしっかりしてね。お願いだから。

それで一念発起、セルフレジを使おうと。だいぶ慣れてきたら煩わしさがなくて快適。最初はスタッフを呼ぶこと3回くらいはあったけれど、最近は慣れたものでホイホイと計算を済ますようになった。偉いでしょ?

しかし、そう簡単なことではなかった。自分の記憶力と集中力が如何に衰えているかということを忘れていた。買い物かごのなかは重いものを下に入れて壊れやすいものは上にある。それが上から精算すると逆になり、当然軽いものから済んでいく。次にマイバッグに収めるにはまたその逆をいくことに。バッグの下の方に壊れやすいものを収めると上に重いものが載せられない。だから壊れやすいものは精算できたら横において、最後に重いものの上に収めるようにする。

くどくど説明するようなことではないけれど、中には私みたいな方がいらっしゃるかもしれないから念のため。

こんなことは普通の人なら簡単で、整理整頓の上手な人は朝飯前のことに違いない。けれど、自慢じゃないがこの私、常識では考えられない行動をすることが多い。やってしまってから自分でも呆れるほどの無計画性が露呈する。重いものを精算するのを最初にすればマイバッグの中に収めるときにもその順で収められると考えたから、まず軽いものは横に避けておいておく。

その日の壊れやすいものは花、いちご、シュークリームなど。それをマイバッグの横において、豆乳やヨーグルトなど容器の硬いものから始めた。最後にシュークリーム。を乗せて、おっと、忘れた花が残っている、何気なく上にぽんと乗せて終了。歩き始めたときになにか忘れたような。カートを止めてしげしげとレシートを眺めたけれど、目が霞んでよく見えない。

しばらく眺めていたけれど、どうも記憶によれば花の精算をした覚えがない。丁度通りかかったスタッフに声をかけてレシートを確認すると、やはり花は精算されていなかった。ちょっとびっくり。自分で覚えていたこともびっくりではあったけれど、危うく犯罪に手を染めそうになったこともびっくり。しかも簡単にこれが通ったこともびっくり。

一日何人くらいがセルフレジを通るのかわからないが、全員がちゃんと精算できているとは思えない。もしかしたらわかっても知らん顔する人もいるかも、おそらく意識的にする人も数人はいるかも知れない。多少の額でも集まれば店の存続を揺るがす額になるかも。最近本屋が廃業することが多いのは万引きが多いせいでもあるらしい。近所の本屋さんが廃業して本当にがっかりした。気分の良いスーパーが廃業しないように気をつけよう。