2013年10月30日水曜日

街角の第九

先ほどネットで見つけた「第九」パフォーマンス。しゃれたハプニングに喝采!どぎつい「どっきりカメラ」などでなく、こういうどっきりなら大歓迎。
最初にコインを入れた少女は、もし純粋に通行人なら、一生記憶にのこる光景だったと思う。演出かも知れないが、なんとも格好良い動画ですね。音はどうなんだろうなんて野暮な追求はしないで楽しもう。
ハプニングではないけれど、先日お手伝いに言った「しもたかフィル」毎年恒例の「第九」は下高井戸駅そば、松沢小学校の半地下の教室の窓を開け放って演奏される。
お客さんは通行人。座って聞けるよう、窓の外に多少椅子の用意はあるものの、歩いていると(おや?どこから第九が聞こえてくるのかな)と思って立ち止まって聞いてもらうのもよし、座って震えながら聴くのもあり。
常連さん達は始まる30分くらい前からご苦労さんにも椅子を確保している。
寒風吹きすさぶ道の脇に膝掛け持参で始まりを待っている。
暖かい晴れた日なら、ひなたぼっこを兼ねてのどかに第九を聴くのもしゃれている。
演奏する方は、ヒートテックの下着に黒い衣装で膝掛け、指の出る手袋などで防寒するものの、演奏時間になって窓が開くと、おお、寒い!弓が風を切ってますます冷たくなる。
それでも覚悟を決めてしまえば30分くらいどうということはない。もちろん全曲でなく抜粋だから、クライマックスのいいとこどりとなる。
歌のソリスト達は胸や肩が大きく開いたドレスで平然と歌っている。かなり脂肪の助けを借りているとは思えるけれど、見あげた根性には感心する。
今年も12月の最後の日曜日、下高井戸商店街で怪しげな音が足元から聞こえてきたら、私たちの冷や汗と鼻水の結晶だと思って下さい。







それは1枚のコインからはじまった。海外ではおなじみのストリートパフォーマンスは、小銭を入れることでその芸を披露してくれる。ある少女が、コントラバスを持ったパフォーマーの用意したシルクハットにコインを入れた時、奇跡は起こった。

パリ管弦楽団カルテット

『フォーレ』『ラヴェル』『ドビュッシー』
これはもうフランス物の定番を並べた、涎の出そうなプログラム。白寿ホールにて。
人に頼んでチケットを買ってもらっていたので座席が前から2番目。しかも端っこ。
いっしょに行った友人のNさんと「わー最悪」と言っていたのだが、このホールはステージが低くて音響が良く、前のほうでも臨場感溢れる感じで中々面白かった。
それでも後半は後ろの席に移って聴くと、やはりカルテットとしては纏まって聞こえる。
横幅が狭く縦長の会場なので、1番後ろの席は少し音が遠く聞こえるのが残念な気がする。
音響はすごく考えて作られているのだが、どの会場でも完璧にという訳にはいかない。その会場毎の音響のスポットを知っておくと、次にチケットを買う時に役に立つと思う。
さてパリ管メンバーお家芸のフランスものとなれば、掌の中にすっぽりと入るほどこなれた曲だと思う。
曲のどの部分も完璧なハーモニー、洗練された表現、音の良い意味での軽さ、絶妙のピアニシモ。
聴いていて不意に「ヴェルヴェットのような夜の闇」という言葉が浮かんできた。なんだか訳がわからないけれど、詩的にちょっと想像してみて下さい。
ぬばたまの漆黒の闇夜。シーンとした中に神秘的ななにかが現れては消える。光だったり神々しいものだったり。
フランス音楽というと理性よりも感性に傾くと考えられがちだが、どうして、ラヴェルなどは恐ろしく理性的。計算され尽くした組み立てだから、感情にまかせて弾くことは出来ない。
器械のように歯車がかみ合っていないと、ラヴェルの音は出ない。私も何回か『カルテット』も『ピアノトリオ』も演奏したが、自分で演奏してみて初めて曲の仕組みを知ったときに、びっくりするほど理性的なまるで数学のようなものだと思った。
それなのになんと豊かな色彩感が出るのだろうか。
天才だからといってかたづけてしまおう。
凡才は黙って楽譜に忠実に音を拾い、何とかして美しい音を出せるよう頑張っていくしかない。それにしても今日の演奏のような音、いつか出してみたいなあ。

























2013年10月29日火曜日

ヨーグルト製造器

ひょんなことでお付き合いが始まったブログ主さんの最近の記事を見ていたら、ヨーグルトの製造器の話が載っていた。おっ、これは良さそう。早速Amazonにアクセス。器械は来たのに肝心のヨーグルトの種がこない。そうだ、牛乳も買わねば。
1時期、カスピ海ヨーグルトの種が回ってきて、仲間内で作っていたことがあった。
1番初めにリタイアしたのは、勿論、わ、た、し。
さもありなん。みなさんそう思ったでしょう?
家に新鮮な種が来るとはじめのうちはいいが、そのうちに猫の毛やその他雑菌が混じって中々風味のある物体と化してしまう。
なにやらごろごろダマが出来て、酸っぱくなってきたら捨ててしまうから長続きしない。
以前仕事仲間の若い男性達と女性についての馬鹿話をしていた。
年上はどうのこうの言うから「どう?私みたいな熟女は」と訊いたら、その中の一人が「熟成はいいけど腐敗はいやです」ときた。
なな、なんということを。お主、命が惜しくないのか。
あはは、でも1番うけていたのは私なんです。
そんな風に若者達と丁々発止やり合っているのが、元気の素。
これでヨーグルトを作って腸内清掃をしたら、もっと元気になってしまう。もっとも内視鏡で見ても私の腸は超きれい。
ほら、腐敗なんかしていないよ。熟成だよ。
種菌が届かないから器械を取り出して眺めていたら、いつの間にか取扱説明書が消えた。
我が家恒例の物のお引っ越しが始まったらしい。
記憶の糸をたどっていくと、ハタと気が付いた。
昨日は確かにテーブルの上に取説が乗って居るのを見た。
パラパラとめくって、ふーん、納豆もできるんだ~、やってみようかなんて、うそっぽいことを考えていた。
その後杳として行方がわからない。
そう言えば昨日のゴミ収集はミックスペーパーだった。きっと、テーブルの上にあった紙類すべて、ざっとまとめて棄ててしまったに違いない。
あらら、どうしよう。しかし、待てよ!いつもパソコンの師匠がネットで取説出して来るじゃないか。きっと入っているに違いない。そして見つけて一安心。使う前から波瀾万丈。
奇しくも「ヨーグルティア」の記事をみつけたブログの主さんからのコメント「nekotamaさんはセットしたのもわすれてしまうのでは」というご指摘。半ば的中しましたよ。
そのうち器械の中で得体の知れない物体が繁殖しないよう祈るのみです。














2013年10月28日月曜日

しもたか音楽祭


しもたかオーケストラのお手伝いに行った。
「古典音楽協会」で一緒に弾いているヴィオラの東さんは下高井戸の住人。奥様はヴァイオリニスト。
あるとき東さんから「弾きにきてよお」と誘われて練習はかんべんしてもらって、本番の日だけ手伝いに行くようになった。
初めはハイエナの遠吠え(どんな声なのかな?)みたいだったガチャガチャオーケストラが、最近すごく良くなってきた。
以前は間違えても全体がひどかったから目立たなかったのに、最近は周りがちゃんと弾くようになったので油断できない。
「へー、それでプロ?」なんて思われたらいけないから、結構真面目に練習していく。
東夫人の通称「しっぽ」さんがすべてのマネージメントを行っている。とても優秀なヴァイオリニストなのに弾かないで人の面倒を見ているから「勿体ない」と言ったら「私こういうことするのが好きなんです」と言って嬉しそうに飛び回っている。
ふーん、私は人の面倒なんかみたくないのに面倒見たい人もいて、世の中上手くいっているのだと妙に関心した。
地域に根付いた音楽の場を作るために始めたオーケストラはもう9年目とか。
下高井戸駅すぐそばの松沢小学校を会場とした「しもたか音楽祭」が昨日賑やかに開催された。
小学校に行ってみると、地元の学生達のジャズバンド、フラメンコの踊りなども学校の前の広場で始まっていた。
アマチュアオーケストラのメンバーは多くがこの小学校の10分圏内に住んでいるらしい。
音楽人口の多さは、さすが世田谷区。
中でも小学校6年生のモモちゃんは天才少女で、ハチャトリアンの「仮面舞踏会」のコンサートミストレスをつとめた。
組曲の中にゆっくりとした美しいヴァイオリンソロがある。
それを小さな楽器で堂々と歌い上げた。
将来はジャズヴァイオリニストになるのが夢だという。
おじいさまは有名なジャズ奏者で、小さい頃からジャズを聴いて育ったのでは必然とは思う。
大人に混じってブラームスのシンフォニーなども立派に・・・というか、1番上手に弾いているのではないかと思う。
冷静沈着、周りの音もしっかり聴いている。
将来はジャズかクラシックか、どちらにしても活躍するにちがいない。
6時開演、途中で芸大生たちのカルテットも挟んで2時間20分、近隣の人達がじっと聴いている。子供達も楽しんでいる。
すごいなあ、自分たちでオーケストラを作っちゃうなんて。
地域社会に溶け込んで、芸術家でござい的な思い上がった風もなく、ご本人達は優秀な音楽家であるのにアマチュアや子供達と同じラインの目線でいられて・・・中々出来るものではありませんね。









2013年10月26日土曜日

なるほど

日記のつもりで始めたこのブログが、よもやこんなに読んで下さる方が出来るとは思わなかったので、つれずれなるまゝに、ひぐらし硯に向かひて(キーボードを叩いて)思いついたことをツラツラと書き放題。
他人様が読み易いことを想定もせず書きまくっていたら、ありがたいご指摘があった。
読みにくいから改行をしてほしいと。
初めて指摘されてびっくり、なるほど、目が行を追っていくのも改行がないと同じ行を2度読んでしまったり、飛ばしたり、読みにくい。
目から鱗とはこのことですなあ。
それで改行をしてみると、ほんとだほんとだあ、読みやすい。
自分で時々あのときはどうだったかな等と読み返しているのに、ちっとも気が付かなかった。
いやあ、今まで無理して読んで下さっていたみなさま、申し訳ないことをいたしました。
最近は読む方々を意識して、あまり暴言は吐かないようにしてはいるけれど、根が傍若無人のノラねこ気質。
中々洗練されたものにはなりません。
他の人達のブログをのぞくと、まあ、きれいなこと!
写真どっさり、ファッショナブルで話題も豊富、ご自身も美人で素敵なお友達が沢山いて大活躍。
私もお友達はみんな素敵だけれど、私自身はいうなれば田舎のおばさん風。田舎のおばさんごめんなさい、もののたとえです。
顔写真など到底載せられないので悪しからず。
かわりに時々可愛い動物の写真でごまかす。
度々言うけれど根が大無精者、自分でたまさぶろうその他、うちの猫どもを写真に撮って載せればいいものを、それもめんどくさいからネットで見つけたものを引っ張り出してくる。
こんな変な場所へようこそ。
変な言い回しや言葉の間違いなど、ご指摘くださるとありがたいです。


















貧乏自慢

今朝テレビで大分の伊勢エビを紹介していたので、思い出したこと。
スポンサーが降りてしまって自主運営になったかつてのマイオーケストラ、経営は苦しく給料も遅配続きのそんな中でも、メンバーは陽気で目一杯生活を楽しんでいた。
演奏旅行には車で行った。何人かで分乗すれば経費も安くつく。
野宿すればホテル代が節約出来る。
そんなこともあったし、なによりも車が大好きな私は運転したくてウズウズしていた。
初めて演奏旅行に車組と一緒に出かけたのは免許取り立ての頃で、母親が心配して「絶対に箱根は運転してはだめ」と言われたのに、箱根の山道にさしかかるとハンドルを握った。
そう、今みたいに高速道路は日本のほんの一部にしか無かった時代の話です。東名が出来る以前の話。
山道が面白くて面白くて、ハンドルを手放さないくらいだった。
甲府、新潟、富山、金沢、長野、松本、滋賀、京都、大阪、神戸、倉敷、岡山、広島、山口、九州に回って博多、熊本、宮崎・・・そこで走っていると目に付いたのが伊勢エビの看板。
伊勢エビかあ、関係ないなあと思っていたら、別の車から伊勢エビ食べたいと言ってきた。
今のように携帯もないころ、車同士のコンタクトは手信号。
止まれの合図で数台の車が一斉に停まった。
一体いくらくらいで食べられるのだろうか。
出てきたお店の人と交渉して一匹8000円で交渉成立した。
ちょうど人数が8人だったから一人1000円。
当時としてはかなりのお値段だったけれど、ちょっとした贅沢をたまには味わいたい。
座敷に上がって待っていると、まず、刺身が・・・・
思ったより小さい。人数分の8切れに切ってあったものをありがたく口に入れると、かすかに甘くぷりっとした感触はあっという間に喉の奥に消えてしまった。
そのあと殻を味噌汁にしてもらってご飯と一緒にいただいた。
皆食べ終わっても少し無口で、味はいかが?と訊いたら「うーん、ちょっと甘かったけど良くわからなかった」という返事が聞こえた。
若くて貧しくて、疲労困憊しながら苦労したオーケストラは、今立派に経営が再建されている。
演奏旅行は九州から四国に回り、その後名古屋、静岡、浜松、沼津、小田原・・・毎年回っていたので初代カローラはボロボロになってしまった。左のドアが取れかけて(これ大袈裟で無く)満身創痍、気の強い私は九州の山道で真夜中に、スカGと抜きつ抜かれつ競争したりするので、たまったものではなかった。
本当に面白かったなあ、貧乏までも面白かった。
今なら少し奮発すれば丸ごと食べられるけれど、忘れられない伊勢エビはあの時の一切なのです。






















2013年10月23日水曜日

ドレスの色合せ

ここ最近、春と秋に訪れて入居者に演奏を聴いてもらっているケアハウスを訪問した。メンバーはいつものヴィオリストのFUMIKOさん、ピアニストのSさん、私と、マネージャーとしてTさんの4人。
今日のプログラムはバッハの「無伴奏組曲」やショパンの「マズルカ」など、耳に優しい曲を選んで演奏時間は約45分、お話を入れても1時間ほどの構成。時々訪問すると多少顔ぶれも変わっているが、前回も聴きましたと言う人もいて、少しずつこのミニコンサートが定着してきたことを感じる。
ところで、今回の3人のドレスは見事に色が同じになったのが驚き。私はお気に入りのシャンパンゴールド、なんとFUMIKOさんも材質がほんの少し違うけれど色は全く同じ、Sさんは織りが入った生地でやはり色は殆ど同じ。楽屋に入ってそれぞれドレスを出した時、あまりの偶然にびっくりした。秋らしい色にしましょうということで、何色とは打ち合わせていなかったのに。年中この3人でつるんで演奏しているので、周波数が合ってきてしまったらしい。
「古典音楽協会」のコンサートの時もドレスの色合わせはほとんど簡単な打ち合わせだけ。例えばそのコンサートのソリストが何色を着るのかだけ訊いておく。ソリストと色がかぶったり色調があまりにも違わないように、それぞれが自分の判断でドレスを決めるのだが、色がとてもよく合っているといつもお客様に褒められる。時には無精して誰も何も言わないこともある。それでも不思議なことに当日会場に行くと、まるで打ち合わせたかのようにまとまることが多い。
ドレス合わせの様に演奏も長く同じメンバーで続けていくことが大事だというわけだが、それぞれ仕事場も楽器も違うので定着するのは難しい。幸い私は長いお付き合いが出来る人達が周りに沢山いて、本当に幸運だと思っている。皆優しいから、そのうち私が惚けて、繰り返しを何回やったかわからなくなったり、違う曲を弾いたりしても怒らない・・・いや、これは怒るかな?。とにかく皆さん末永いお付き合いをお願いしたい。










2013年10月22日火曜日

心配になりませんか?

forgifs.com

この猫さんの行った先に
暖炉はあるの?
火が燃えていたらどうする。
このまま煙突に逆さまに
入ったままだと大変!
さぞ煤が良くとれるでしょうね。
猫さんの無事を祈ります。
全く猫ってどうしてこんなに
好奇心が強いのかしら。

2013年10月20日日曜日

気を遣うひと

なんでもブログに書いてしまうので時々人に迷惑かける。2日前の投稿で八ヶ岳の疲れが今頃来て・・・みたいなことを書いたら、主宰者側から気を遣われてしまった。八ヶ岳だけでなくこのところ忙しかったから、その前後の複合疲労なんですけど。つい、八ヶ岳のと書いたのは私のミス。八ヶ岳音楽祭はすごく面白かったし、ちょっとしたハプニングがあっていつもより呑気にしていられなかったことはあったけれど、私は十分楽しんで又来年に呼んで頂けるなら行きたいと思っている。そうだよね、この仕事で疲れたって書かれたらそりゃあびっくりするよね。そんなわけで、関係者様ごめんなさい。本当にいつまでも成長できない原始人なので、お許しを!私は若い頃はそうでもなかったけれど、他人が自分に言ったことを最近はとんと気にかけない。なぜかというとあまりにも人の言い草を気にかけると自分も物が言えなくなってしまうから。もうこの年で何かを変えようと思っても変えられないし、言いたいことは言う。聞いたことは馬耳東風をきめこむという、非常に都合の良い生き方をしている。若い頃は感受性が強すぎるくらいでいちいち悩んだほうだが、そんなことをしてもなんの建設的な方向にむかわないことがよくわかってきた。人は自分の生き方は正当だと思っている。だから人からなにか言われれば気の弱い人はくよくよ悩む。自分が間違っているのかしらって。傍観者側から見ると、言った人のことを「あんなこと言って、自分はどうなのよ、あなたが悪いからそうなるのよ」と言いたくなる。どちらにしても気にかけないのが1番。聞くべきことは聞くけど、枝葉のことで悩むことはない。最近は攻められたらにゃあと言って耳をかくことにしている。猫をご覧なさい、みんなそうだから。これを読んで腹を立てた方は私の被害者です。








巨大モニター

私の目の疲れを心配して巨大なモニターを用意してくれたのはいつものパソコン名人。荷物が届いて開けてびっくり!テレビにもなる。というか、テレビ画面がパソコンにも使えるらしい。今までも普通よりも少し大きめだったモニターなのに、それの対角線の2倍の大きさだそうで、狭いパソコンスペースにすっぽりと収まっている。価格も高いものなのに上手くキャンペーンやポイントなどを組み合わせての購入なので、普通よりもずっと安く手に入った。使い始めの時にはちょっとこれ大きすぎてどうかしらね、等と言っていたのに数日もするともう馴れてしまう。時々今までの習慣でつい眼鏡をかけてしまうけれど、気が付いて眼鏡を外しても良く見える。なによりも目の疲れが断然違う。難を言えばキーボードが見えにくいが、毎日の様にブログの更新をしているうちに、見なくてもある程度打つことが出来るようになっていた。今のところ眼鏡無しで行けるのがうれしい。世の中にはこの様に買い物を上手く出来る人もいるし、私のように思いつきで買って、いつもろくでもない物を高く買ってしまう馬鹿者もいる。脳みその緻密さがちがうらしいから、仕方が無いけど。今までは朝目が醒めると目の奥がジーンと痛いことがよくあった。前の日に酷使されすぎた目がぶつぶつ文句を言う。目ヤニがでていることもあった。それがすっかり治って、今は目覚めもすっきり。これで当分目は安泰。大きい画面はゲームなども迫力がある。ありすぎて今まで端から端までいっぺんに見られたものが顔を動かさないと見えないのが難と言えば難。名人はこのモニターを買う時も、視点がどの位の距離で焦点が合うかなどとメールで質問してきて、それを参考に考え抜いて決めてくれたらしい。テレビで使うには絵の鮮明さが優先するけれど、今回はパソコンで使うので字が鮮明であることを優先にして決めたと言う。なんでも慎重にする人は私のように大雑把で考え無しに行動するのが不思議で仕方がないらしい。日常の家事なども本当にへたくそなのに楽しそうに生きていられるのが謎なのでしょう。そのかわり傍からは、家中グチャグチャなのはだらしない人と思われても仕方が無い。なんたって脳みその中が同じようにグチャグチャなんだから。













2013年10月19日土曜日

勿体ない

ああ、勿体ない。プラハ国立歌劇場の「魔笛」聞き逃した。八ヶ岳から帰ってさほど疲れているとは思わなかったのに、今頃遅ればせながらと言って「お疲れ様」がやってきてダウン!せっかく買ってあった「魔笛」のチケット。夕方出かけようと思って支度をしても、どうしても腰が上がらない。別に体重増えたわけではなく、カーナビ用に会場の住所を調べてさて、と思ってもどうしても出かけられない。ゾクゾクする。ふわふわする。モーツアルトなら1番好きなのが「魔笛」チケット発売日に張り切って買ったのに。時間も迫っているので代わりの人に行ってもらうにも、チケットが渡せない。どうにかしてと思ってももう遅い。勿体ない。涙をのんで断念した。出かけて具合が悪くなったら次の日に差し支える。お休みならいいけれど、朝から夜まで約束が詰まっている。全部キャンセルはとうてい無理だから「魔笛」を諦めて夕飯が済むと横になった。そのまま翌朝まで眠った。約11時間。うわー、目が醒めたら体がグニャグニャになっていた。お陰ですっかり回復していたので昨日は元気に全部の約束は果たし、夜は杉並公会堂で藤沢俊樹さんのコンサートを聴いた。他の出演者は長谷川晶子さん、矢田啓介さん。長谷川さんとは先日青森で「岬のクフィー」の上演でご一緒した。前半は3人のチェリストの共演で、ボッケリー二やヘンデルの重奏。チェロは低音から高音まで音域が広く、それぞれの音がえもいわれぬ魅力的な音がする。たっぷりと楽しませてもらったが、特に1部の最後のポッパー「レクイエム」は素晴らしかった。ポッパーというとテクニカルな軽く明るい曲が多いものだと思っていたけれど、このような余韻嫋嫋とした曲を初めて聴いた。2部は藤沢さんのソロでアルビノー二「アダージオ」ポッパー「ハンガリアン狂詩曲」など。毎年藤沢さんのコンサートを聴いているけれど、年を重ねる毎に音が充実してくる。今年は特に音が豊かになっていた。手を(お酒も?)抜かない人生・・そんな気がする。











2013年10月16日水曜日

休日はおしゃべりで

10年に一度といわれる大型台風が過ぎ去った今朝、246号線を西に向かって走ると雲の切れ目から群青色の山々が顔を出している。太古から人々はこの様な山を見て美しいと感じ、神々が住むと崇め、歌に詠んできたことが身近に感じられる。私は人に言わせれば非常に原始的人間であるそうで、感性、行動ともに信じられないほど単純であるという。だから山を見ると神が感じられるのはそのためかとも思う。
この数日は非常に緊張し、人との出会いや旧友との親交、そして演奏の楽しみを満喫して来た。そしてそれらが過ぎ去った今日は、それにふさわしい嵐の後の青空、穏やかな日差し、気の合う友人とのおしゃべりがなによりも楽しい。話題も知識も豊富な人と数時間お茶とおしゃべりを楽しんで、この数日の緊張をほぐし次なる仕事にとりかかる心の準備が出来た。それにしても昨日の台風は風雨ともに列島に甚大な被害をもたらしたというのに、私は台風が来たことを全く知らない。昨夜は11時頃就寝。そのときにはやや強い風が吹いていたものの、雨はそれほど強くなく、今朝目が醒めた時にはすでに過ぎ去っていた。よほど熟睡していたとみえて一切台風の音はきこえなかった。
他人は私を晴れ女だと言う。よく言われる。考えてみると大事な局面であまりひどい目に遭ったことはない。たいていイベントの時には晴れる。自分では指摘されるまで考えた事もなかった。今回八ヶ岳に行っている間天候に恵まれた。帰りの日も渋滞はあったものの、雨はふらなかった。以前年間30回契約の旅の仕事を2つのグループでシェアしていたので、15回を私たちのグループでやることになっていた。たいてい飛行機で行かなければならない程の遠距離だったから、天候には非常に気を遣った。出発間際まで天気予報とにらめっこ。天候によっては飛行機を新幹線に変更しないといけない。2,3日前からすごく心配だったが、幸い私たちのグループは何事もなかった。ところがもう一方のグループは、その都度台風や災害に巻き込まれ大変な苦労をしていた。あるときは台風が後ろから迫って来る中をレンタカーを借りて夜通し走って逃げるなんてすごい事もあったらしい。注意して見ているとそのグループは殆ど悪天候に恵まれ(?)ていた。それはそのグループでも笑い話となって、気性の激しい人ばかりだからねと自嘲していた。こちらのグループが決して穏やかな人ばかりではなかったにせよ、少なくとも私は晴れ女でいられた。アラスカでは、それまで何週間待っても見られなかったオーロラを私が行った日だけ見られたこともあった。それにしては宝くじはあたらない。もっとも今まで一回しか買ったことはないけれど。くじ引き、福引き、ジャンケン、どれも駄目。穏やかに暮らす運命なのかも。















2013年10月15日火曜日

八ヶ岳音楽祭フィナーレ

山梨県北杜市高根町にある八ヶ岳やまびこホールは小さいながら音響の優れたホールで、今回もステージからこぼれそうなほどのオーケストラとコーラスが入って音楽祭の最後を飾った。9月から断続的にコンサートが続いていて、ブラスアンサンブルやオペラ、ピアノコンサートなどがあって、そのしんがりがオーケストラ。音楽監督は元東フィルメンバーの細洞さんで、奥様は私の同級生というご縁で参加するようになった。これだけの大規模な音楽祭のとりまとめ役はどれほど大変なことか想像もつかない。去年は「うちに泊まって」とお誘いを真に受けてボラ家に泊めていただいて、そのときに「しまった」と思った。こんな忙しい時に泊まり客などいたら本当に迷惑なのに、のほほんと泊まる図々しさ。我ながらあきれた。それで今回はオケの宿舎の方へ前日から泊まることにして、それでもお二人は夕飯に誘ってくれる。もうれつ忙しい最中なのに。なんでも他の人がやってくれるからと奥さんは言うけれど、人を動かすのも並大抵の事ではない。内助の功もどれだけ大変なことか。しかも二人とも一緒に演奏するのだ。都内から移住してのんびり畑でも・・・と思っていたらしい。やはり音楽から離れてはいけない運命ですねえ。当日朝もたっぷりゲネプロをやって本番はつかれて私自身はミスが多かったけれど、若い人達はさすがに元気で、私が偉そうに注意したことは殆ど直して一所懸命弾く姿にはホロリとする。良い子達だなあ。
お別れは慌ただしく電車の時間に間に合うように帰る人を小淵沢駅に送って、聴きにきてくれた小淵沢の友人の家にお邪魔した。
彼女はかつての仕事仲間で一緒によく地方に旅をした。仕事が終ると一緒に飲みにいったりも。そして今は小淵沢に小さなお店を出している。そのお店を出すときも土地探しや大掃除なんかも参加(手伝いではない)して一緒に遊んだ仲で、猫同志でもある。オーケストラを聴いて涙が出たと言ってもらえて嬉しかった。そろそろ渋滞も収まったかなと思える頃帰途についたが、どうして、中々しぶとい渋滞は収まらず帰宅はやっと午前様すれすれとなってしまった。充実した3日間だったが、もう体力の限界かもしれないと思える。来年は・・・うーん、出来るかなあ。








オーケストラは軍隊

3日間清里付近の自然村で学生さながらのオケ練。朝から夜まで弾いたのなんのって、最近こんなハードな練習もめずらしい。特に今回はヴィオラを弾いたので楽器が重い。しかし、弾いた事に依る疲れは殆どなく、目からくる疲労とそれに伴う集中力の低下が大敵だった。指揮者の飯守泰次郎氏は初めに練習場に入って来られたときにはお年相応にみえたのに、練習が進むにつれてみるみるうちに若返っていく。お顔はつやつや、目は輝きを帯びて内面から精気が迸ってくる。疲れをしらない迫力に圧倒されて、やはり長年世界で活躍されたパワーを見せつけられた。それに引き替えプレーヤーは疲れが蓄積されて、こちらから見るとヴァイオリンの人達の目は充血し、一様に顔の色がくすんで見えた。無理もない。長年ハードな練習を何十年も続けてきた人達にとっても、オーケストラで弾くのは傍で見るよりずっと大変なのだ。まず楽譜を二人で見るということ自体が我々の年齢になるととても辛い。視力の低下やゆがみ、かすみなど真っ正面から楽譜を見るのとは条件がまったく違う。私はオーケストラの譜面をもらうと練習するときに、右寄り左寄り、両方を試して楽譜の見え方をチェックする。仕事場に行ってから座る場所がわかるので、内側に座るか外側に座るかわからないからなのだ。そして音の量の圧倒的な違い。オーケストラは指揮者に合せながらもお互いに聴き合って合せていかなければいけない。そのために非常に耳をそばだてる。同じセクション同士聞き合って合せるのはもちろんのこと、今どこがどんなことを演奏しているのか聞いていないと暴走する。経験を積んでいない若い人達は弾くのは上手いけれど、自分が弾くことに夢中になって、他の音を聴かないので自分の役割がわからない。若いすてきなお嬢さんもせっかく管楽器が美しいメロディーをかなでているのをかき消す勢いで弾いている。お上手なのはわかったから他の音を聞きましょうね。練習は朝から夜9時過ぎまで続いた。誰一人文句は言わない。皆が素晴らしい音を出すためという目標に向かっているから。軍隊の訓練のようにコンサートマスターと指揮者の言うことは絶対に守らなければならない。体力の限界を超えていようとなんだろうと、私語もせずに我慢強く練習をする。食事の時間と合間の15分間の休憩だけで一日楽器を弾く生活はもう過去になっていたはずなのに、こんな目に遭うとは。しかし、本当に幸せなことなのかもしれない。まだ演奏が出来てシンフォニーが弾けて。特にブラームスの2番は牧歌的なホルンの美しいメロディー、最後のトロンボーンの勇壮な響きなど胸がいっぱいになって涙が出そうになる。ヴィオラにもたっぷりすてきな旋律を用意してくれている。これだけ弾いても肩も凝らず腰も痛くならず・・・ざんねんなのは目がかすむこと。白内障の手術をした人が「世の中変わった」ほど良くなったと言うので私もしたいと言ったら、医者が白内障でもない人の手術はできないと言う。それもそうだけど。













2013年10月11日金曜日

一騒動

明日から八ヶ岳音楽祭のオケの練習が始まる。私はせっかちで心配性だから、たいていの仕事は前の日の夕方までに到着するようにしている。当日出かけて渋滞したりすると、必要以上にはらはらして疲れてしまう性格なのだ。今夜宿泊先に到着して現地の人達と夕飯を一緒に食べるか、一人でゆっくりどこかで食事して夜に宿に入るか、その辺はまだ決めていない。午前中練習を終えて携帯を見たら音楽監督からの着信記録があった。もう2時間以上前の着信なので慌てて電話すると、ヴィオラに一人欠員が出来たので、何とかならないかという話だった。最初の練習は明日午後。今からでは間に合う人はいそうもない。だからといって当日だけ来て通し稽古と本番というのもよろしくないという。それはそうだけど、今日探してどうにかなるかしら?心当たりの数人は全員都合が悪い。しばらく考えていて、そうだ、あの人は?と思いついた。私の同級生でヴァイオリン奏者だがヴィオラも達者なFさん。初見も強いし、間違えないので有名な人だった。みんなが彼女を見ていて頼りにしていた。私たちの年代はそろそろヒマになってきているので、もしかしたら空いているかも知れない。電話をしてみると、いきなりの話で心の準備ができていなかったから初めはちょっとためらっていたけれど、困っていることを話したら快く引き受けてくれた。たまたま、本番の次の日に青木湖に遊びに行くそうなので、近い(?)からいいんじゃない?などとプッシュして、ついに承諾してもらった。本当に助かった。こんな間際に頼まれてさぞ迷惑だったと思うけれど、私と会えるというのですごく喜んでくれて、私も頼りになる人が来てくれるので心底ホッとした。彼女はこれから大忙しで準備に取りかかるのだろう。幸い今年の曲目はブラームスの2番のシンフォニーとモーツアルト「魔笛」の序曲なので、今までにも演奏経験があるはず。もう一曲モーツアルトの「戴冠ミサ」にはヴィオラが編成にないので、他の人達が汗かいて練習しているときに遊んでいられる。八ヶ岳を見ながらお散歩なんてすてきだなあ。しかも他人が苦労しているときに。うひひ。初めての曲や、おそろしく難しい新曲などだと苦労するが、オケの定番とも言える曲だから初見ではないと思う。それもラッキー。さてそろそろ出発します。中央高速はこんな晴れた日には本当に気持ちがいい。










2013年10月9日水曜日

今年もロンドンアンサンブル

1988年から毎年来日しているロンドンアンサンブル公演です。初めて聴いたときにアンサンブルの楽しさに感激しました。私は去年、一昨年と小田原公演でヴィオラで参加しましたが、今年の編成はヴィオラ無しで残念ですが、聴衆として楽しみたいと思っています。メンバーはソリストとして、指揮者としてヨーロッパで大活躍している人達です。
             

2013年10月8日火曜日

私の手は猫の手

私のパソコンの環境はプロ並みの道具が揃っているのに、スキルが小学生並みというアンバランスさ。最近目がいよいよ見えにくくなって文字の大きさが足りないと嘆いたら、なんと!今日届いたモニターは縦55センチ幅90センチ、普通インチで言うのかな?とにかくばかデカの大画面。これならもう見えないとは言えないだろうと、設置者のパソコン名人の言い分で、箱から出てきたときは驚きのあまり絶句するくらいだった。しかも画面があまりにもきれいで迫力満点。ユーロトラックシミュレーションもフライトゲームも背景の景色も実物のように見える。それにしてもこんな大きいモニター持っている人など、よほどのマニアと見なされてもおかしくない。うちに入ってきてこれを見た人はぎょっとすると思う。あれ、この人って実は相当の遣い手?と思われそうだが、それは目のためだけであって、実は普段はメールとこのブログ、そして2,3人のブログを渡り歩く、ツイッターを覗く、facebookにお邪魔して、後は2チャンネルを読んで、少しゲームをしてちまちま遊んでそれでお終い。だから今までの大きさでも十分だったけれど、この先どんどん目が悪くなってくるから、どうせ使うならこの大きさなら当分使えるという名人の計らいで実現した。これならもう十年くらいは持ちそうで、その頃になればもうパソコンがなんであるか理解もできないくらい耄碌していると思う。設置している名人のお手伝いをしようと私が動く度にトラブルが起きる。明けてはいけない箱を開けたり、道具の在処がわからなかったり、邪魔ばかりしていたら最後には動かないで!働くな!手をだすな!と叱られるのでじっとしているしかない。その間に作業はどんどん進んでアッという間に終了した。手際の良さ、動きのスムーズな名人にいつも感心する。自宅で全ての手順を組み立ててくるらしい。だから私が余計な事をすると手順が狂ってしまう。私なら来る途中で手順もどんどん頭から抜け落ちて、到着時にはあれ、なにしにきたんでしょうとなりそう。組み立てられてフライトゲームで大画面を飛行した時には感激して大騒ぎ。でも、作業の合間に名人は中腰がたたって腰が痛くなったと嘆く。本当に役に立たない助手のせいですみません。すこしでも手助け出来ればと動いたことがお邪魔することになってしまった。本当に私の手は猫の手。なんの役にも立たない。








2013年10月6日日曜日

グリーンピール

根っから無精だからお化粧がへたで面倒くさい。スッピンでいられるなにか良い方法はないものか考えた。色々苦労したけれど、今回はグリーンピールなるものに挑戦することにした。どうするのかというと植物から抽出したハーブを顔に刷り込んでいくトリートメント。ハーブの尖った粒子が毛穴に入ってその力で代謝を促していくという、訳のわからないことなのだが、エステティシャンがとても信用出来るひとなので、おまかせすることにした。毛穴に尖った植物の粒子を入れるのだから、当然痛い。顔が腫れるし赤くなる。だからいつでも出来るわけではない。仕事が立て込んでいると難しい。今がチャンス!「痛いですよ」さんざん脅かされる。「後は腫れますよ。私の姉は我慢できないと言ってます」おいおい、商売っ気ないなあ。当日は台風が近づいているのでひどい雨。ずぶ濡れになって、惨めな気分で、緊張もするし、もうやめようかと思うけれど、ここでやめたら女が廃る。ベッドに横になるとまな板の鯉。ええい、どうにでもしておくれ。土壇場の開き直りが早いので世間では私は度胸があるということになっているが、実際はものすごく心配性の小心者。しかし、覚悟は出来た。「それではハーブを入れていきます」ドキン!でも、思ったほど痛くもない。なーんだ、これしきのことか。帰りの電車で男の人に顔を見られた。ん、もうきれいになったのかな?家に帰って鏡を見たら、真っ赤になったテラテラした顔が映っていた。これでは見られるはずだわ。
それからが地獄の始まりだった。痛いしかゆいし3時間おきにクリームをすり込まなければならないし。水で濡らしてはいけないので顔は洗えない。専用の化粧水で拭くだけ。洗髪も出来ないから水を使わないシャンプーを使ったら髪がごわごわになって気持ち悪い。あわてて近所の美容室で洗ってもらった。そして5日経つと、もう一度ケアに行く事になっている。今日は4日目で、もう腫れも赤みも引いて、かゆくもない。肌が乾燥して表皮がむけ始めている。そういえば先日の足の角質をとる薬が効いてきて、今朝見てびっくり。足裏がボロボロになって皮がむける。顔も同じように剥けてくるのかな。この次お目にかかるときには一皮剥けたいい女になっていますからね。










2013年10月5日土曜日

やっと音が戻ってきた。

今年の夏は熱中症になったり、暑さに弱い私はいささかまいってしまった。コンサートが続いて難しい曲を練習しすぎたり、まるで若いときと同じように動いていたら、疲れ果ててどんどん音が出なくなっていった。それでも仕事の曲はこなさないといけないから無理に練習していたら、今まで痛くなったこともないような腕の一部が痛くなり、だんだん動かなくなってしまった。「古典」の本番の3日くらい前は最悪の事態になった。本番間近で練習をサボるのは非常にこわい。以前マラソンの野口みずき選手がレースで失速したことがあった。それをテレビで知って「ああ、走りすぎたな」と思った。気持ちが痛いほどわかる。本番の前に練習をセーブするのはなかなか出来ない。怖いからなのだ。「古典」の3日前から弾くのをやめることにしたけれど、本番の前日は練習が入っていたので、どうしても弾かなければならない。その日は午前中も一切楽器にふれないでいた。本番間近でこんな事態となるとは。朝起きると腕と指が腫れ上がっていた。いままで経験したこともないことだったから、そこでやっと「ああ、年をとってしまったな」と実感した。いままでどんなに沢山弾いてもこんな事になったことはなかった。学生時代は一日中練習しても、次の日にはケロッとしていたっけ。それにつけても、三浦雄一郎さんはすごい。あの御年で筋肉量を増やしていったのだから。一部の週刊誌で大名登山とか揶揄されていたが、それだけの人材と資金を動かせること自体がすごいし、登頂に成功したことは誰にでも出来ることではない。悪口言う前に自分で上ってみたら?と言いたい。脆弱な私はもうヘトヘトだったけれど、この数日でようやく復活してきた。「古典」の本番は無難にこなしはしたが、音は伸びていなかったと思う。終ってから1週間、今朝音を出したらやっと本来の自分の音がし始めた。まだ本当に伸びていかないが、腕の痛みも軽くなっている。まだしばらく弾けるかな?ヴァイオリンを弾かなくなったら一体私はなにをすればいいの?脂の乗っていた頃は早くこんなことやめて楽をしたいと思っていたのに、いざ先が見えてくるとジタバタする。人の未練の種は尽きない。








2013年10月4日金曜日

悪ふざけ

両親兄弟そろって巫山戯てばかりいる家庭に育たったから、まともな社会に出てから苦労した。うっかり初対面の人に冗談を言っていやな顔をされたのは数知れず。真面目とか勤勉などの美徳をよしとせず、いかに上手く冗談を言うか、はぐらかしがうまいかどうかなど、吉本興業の家庭版みたいで、うっかりまともに答えるとバカにされるようなへんてこりんな家庭だった。小さいときに刷り込まれたくせは中々治るものではない。大人になってもそれで、だいぶ仕事も友達も減ったのではないかと思っている。奇人変人の多いガクタイ稼業だったから、周りもみんな変だったお陰で私もなんとか生き延びられてきた。それでも最大の失敗は忘れた頃にやってきた。
この話度々書いているので、もうご存じかもしれない。一時期オーケストラを離れて芸能界に片足突っ込んでいたために、オケの仕事を再開した時は会う人皆20年ぶりだった。皆さん懐かしがってくれて、又すんなりとオケの仕事に復帰した頃、再会したコンサートマスターはIさん。昔話をしていたら、こんなことを言い出した。かつてバレエ「白鳥の湖」では、あの有名なヴァイオリンソロを弾くとき、コンサートマスターはそこだけ立ち上がって演奏した時期があった。今でもそうなのかしら。さて、話の続き。「(白鳥の)ソロを弾いていたら『Iさん、立って弾いて下さい』って言われたんですよ。僕立っていたのに」Iさんは男性にしてはとても小柄で、私より少し背が高いくらいだった。私は大笑いして「あら、そんな失礼なこと誰が言ったんですか」すると小柄なコンサートマスターはじっと私の目をみて、やおら私の鼻に人差し指を突き立てて言った。「貴女ですよ」言った方はとっくに忘れているのに、言われた方はずっと根に持っていたとみえる。そのあともIさんは仕事に誘ってくれたりしたから、本気で怒っているわけではなさそうだと思うのはこちらの都合良い解釈かも。
このブログでも時々悪ふざけをして、物事を面白くしようと企むことがある。すると余計なことは書かない方が良いといち早くチェックが入るから、削除。よせばいいのに、削除したことなども書く。すると又余計なことは・・・つい、子供の頃のおふざけ体質がねえ。親のしつけなんです。





2013年10月3日木曜日

食欲の四季・鮭の親子丼

昼食は近頃レトルトのカレーで済ませていたから、ほっと一息ついている昨日今日はお昼ご飯も少しは手をかけようと思った。冷蔵庫に入っている物を物色、イクラの醤油漬けを取り出した。2,3日前生イクラを買ってきてお醤油とお酒に漬けておいたのをすっかり忘れていたのだった。そうだ、鮭の親子丼にしよう。以前、札幌卸売市場で食べた朝ご飯。鮭の親子丼を思い出した。今までずいぶん各地を旅行して、その土地の美味しい物を食べ歩いてきたが、この鮭の親子丼は猫だったら「うにゃうにゃうにゃあ~」と唸りながら食べるほど美味しかった。焼いた鮭をほぐしてイクラと一緒にご飯にのせて食べる。それだけのシンプルなものながら、忘れられない味となって私の胃袋に住み着いている。一緒に行った人達はイクラ丼をたのんだ。たしかにイクラが贅沢に乗っているので豪華に見えるが、イクラなぞはいくらなんでもそう沢山食べたいとは思わない。一人だけ親子丼にしたのが正解で、皆のうらやましげな視線を浴びてムフムフと食べていた。でもついに視線に負けて少しずつお裾分けをしたら、自分の分が少なくなってしまった。大家族で育ったからなんでも分け合って食べるという気持ちは強い。そうでなければ、誰が人にあんな美味しい物を分けてあげるものか。だいたい味は想像出来るでしょう。たっぷりと脂の乗った分厚い鮭を香ばしく焼いたものとイクラ。イクラだけよりも絶対美味しいに決まってる。はじめから皆もそれにすればよかったのに。大いに損をした気持ちになった。いつもは気前が良い方だけど、食べ物の恨みは恐ろしい。facebookを覗いていると四六時中食べ物のことばかり書いているひとがいる。先日のタイトルは「食欲の秋」すかさずコメントをつけた。「貴女は(食欲の秋)ではなく(食欲の四季)でしょう」






2013年10月2日水曜日

まったり

コンサートの山場を越えてここ2,3日ゆっくりできるので、筋トレに行ったりエステに行ったり。この瞬間が味わいたくてきつい仕事をやっているのではないかと思うほど、幸せな時間を過ごしている。コンサートの前は本当にきつい。朝、目が醒めた時とか眠る前には心臓がカチカチと音をたてる。眠る前といっても瞬間入眠の特技が邪魔して殆ど起きていることは出来ないのだが、それでも数秒はドキドキする。入眠があまりにも早いのは問題があるらしい。枕に頭がついた瞬間寝入るなど、これも立派な睡眠障害なのかもしれない。このところのコンサート続きで、疲労困憊したらしく、今日はヴァイオリンをケースから出したままソファーでぐっすりと眠ってしまった。こと楽器に関してはすごく神経質で、自分が手に持っている時以外は必ずケースにキチンとしまうのがいつものこと。今日みたいにケースを開けっ放しで放っておくことはまずない。突発的な事故でもあったら、すぐに抱えて逃げられるようにと思っているから必ずケースに入れるのは、自分の性格からしてあり得ないくらい用心深い。目が醒めて開けっ放しのケースを見てぞっとした。普段昼寝はしないのでまさか眠ってしまうとは思わず、ソファーに横になったのがなんと2時間も寝てしまうとは・・・。よほど疲れていたと見える。ほんの少しの息抜きの後は、ドカドカと送られてくる楽譜を見てため息。そろそろ譜読みを始めないと間に合わないぞという警告が頭の中を駆け巡る。ブラームス「シンフォニー」2曲、モーツアルト、チャイコフスキー「シンフォニーほか」3曲、ハチャトリアンなどがこの秋の仕事の曲目。そのほかには毎度おなじみケアハウスでのボランティアのために数曲のソロ、12月に友人と弾くR・シュトラウスの「ソナタ」これが今秋のメニュー。これが終るといよいよスキーシーズン到来となる。12月の奥志賀が滑り初め。わーい!白銀は招く♫早くも次の遊びに焦点が合ってしまっている。ほんとに猫はしょうがない。

うにゃーん


 指しゃぶりはやめなさい。もう子供じゃにゃいんだから。
 うーん、もう、かわいいっ!

2013年10月1日火曜日

好奇心が猫を・・・

殺す。好奇心に駆られて猫が事件に巻き込まれる。以前アガサ・クリスティーのミステリーを読んでいたらこんなフレーズがあった。好奇心というものは人類の文明の発展に最大の貢献をしている。でなければ、アメリカ大陸の発見や、蒸気機関車の発明もなかったことで、いまだに好奇心が人類を突き動かしている。月に到達すればすぐにもっと先にとなる。一体どこまで行けば気が済むのだろうか。好奇心の強さでは私も相当なものだけれど、全く自分自身の範囲にとどまるから、世間に貢献はしない。旅行もへんぴな所が好きで中国のウイグル自治区、チベット、インド、モンゴルなんて言うとやはり少し変人の部類かもしれない。最近ネットで見かけた物が欲しくなった。見つけたのは足の裏の角質をはがす薬。人類の範囲から一気にスケールが小さくなってしまって申し訳ないけれど、一体これは何かと好奇心が疼いた。写真が出ている。足が書いてある毒々しいパッケージ。毒虫のような黒とオレンジの色彩。説明が書いてある。足を薬の入った液体に1時間ほど漬けて洗い流す。すると5~7日後に角質がボロボロはがれ落ちてくるそうなのだ。うー、こわっ!要するにジワジワと薬が効いて皮膚を溶かしていくに違いない。なにか先日の殺人事件のニュースを思い出す。ホスト同士の金銭トラブルで殺された人が薬で溶かされ、下水道に流された話があって、なんておぞましいと思った。それの足版だわね、これは。でも足裏のケアは面倒くさい。面白いと言っちゃあなんだけど、これなら簡単かも知れない。やはり好奇心には負けた。届いたので今朝早速試してみた。足がすっぽり入る靴状の袋の中にヒタヒタと液体が入っている。それを履いて1時間。パソコンで遊んでいればすぐに過ぎてしまう。結果、足はかすかに赤くなって、なにやらホカホカする。さて、これから1週間後、私の足はどうなるのか。乞うご期待!