2020年3月28日土曜日

ノラ猫捕獲

近所の空き地に大勢猫が屯している。
日差しを浴びてのんびりと毛づくろいしたり、それぞれの個体が近すぎず遠すぎず、グループごとにうまく付き合っている。
よく観察すると、一匹の白黒の猫に女の子が二匹。
これは母親とその娘たち。
雄猫とメス猫のカップル。
若い雄猫が5匹くらいと、ガタイの良いボスねこ。
毎年シーズンには子猫が生まれてチョロチョロと走り回っている。

先週のこと、上の階に住む女性Oさんが私を訪れた。
「もうほかに頼むところがなくて」と言いながら。
友人たちは皆反対するばかりで、頼れるのはお宅だけなんです、と。
話を聞くと例の空き地の猫に関することだった。

空き地の奥に古いアパートが建っている。
建っていると言ってもようやくのことで、と頭につけたいくらい老朽化している。
そのアパートに男性が一人で住んでいる。
その人が猫たちに餌をやっている。
その人は餌だけやって、他のことは一切面倒を見ない。
そのため、メス猫はシーズンごとに子供を産んでしまう。
フンの始末もしない。
近所から苦情が出てもどこ吹く風、猫たちはのんびりと幸せそうにしているから、可愛がられているのはわかる。

その古いアパートが取り壊されることになった。
新しい建物が建つらしい。
そうなると猫たちは行き場を失う。
それを聞きつけた上の階に住むOさんが、心配のあまり気が狂いそうになって駆け込んできたという経緯なのだ。

なんとかメス猫に不妊手術を施して子供の数をへらそうと様々に奔走したらしい。
区役所に訴え、動物の保護団体などに紹介してもらったりしてもはかばかしい返事は得られない。
結局自分で猫を捕獲して獣医師のところまで連れて行かないといけない。
これが日本の役所の動物の扱いなのだ。
野良猫の捕獲はとんでもなく難しい。
長い時間をかければ、我が家の駐車場に来ている猫のように触ることもできる。
けれど、根っからのノラの警戒心たるや、一瞬の油断も見せない。

餌をやっている男性にはなついているから、彼がやってくれなければ手の出しようがない。
しかし彼は、猫をそんな目に合わせるのはものすごく嫌なのだ。
Oさんは思い込んだら命がけみたいな性格だから、連日男性に電話をして叩き起こしたり、ドアを叩いて外に呼び出したりしている。
さぞや迷惑なことだろうと男性に同情する。
とにかく捕獲してくださいと頼むと、気弱そうなその人は網があればできると言うから、釣具屋さんに行って、頑丈な釣り用の網を買って持っていった。
けれど、彼は全く乗り気ではないのだから、やってくれない。

Oさんは、その間、日本の動物の扱いがひどすぎると息巻いている。
ドイツでは!(彼女はドイツで長年仕事をしてきた)動物はちゃんと管理されて、役所に電話すれば保護してくれる。
日本はひどい!

日本の動物保護は確かにひどい。
けれど、仏教の考えでいけば、人間と動物は同等。
私は無宗教だけれど、どちらかと言えば仏さまに親しみが湧く。
彼らには彼らの社会があって、人は口を出すべきではない。
だから、自然に任せて弱いものは淘汰される。
特にその空き地にいる猫たちはのんびりして幸せそうなのだ。
欧米の考えは、全ては人間が自分たちの力の及ぶ限りは管理する。

私は猫の世界に口出しする気はない。
たとえ苦労したとしても、猫にとってはそのほうがずっと幸せだと思っている。
しかし、Oさんがあまりにも一生懸命なので、気の毒になってうっかり手を貸してしまった。

うちの歴代の猫たちご愛用のケージを貸し出した。
少しずつ餌をやったりして気が緩んだ猫が、ケージの奥においた餌を食べようと入っていった。
そこで扉をガチャン!
捕獲成功!

その前に近所の獣医師にお願いして、捕獲器なるものを貸してもらうことになっていた。
実物を見にいったら、いかにも恐ろしげで金属の扉がガチャンと閉まる音を聞いたら、トラウマになりそうだったのでお返しした。

うちの猫がお世話になっている病院で今日手術をしてもらった。
私は猫といえども子供を産む権利があると思っている。
人間社会に生きる以上やむを得ないけれど、どうにも悲しい。
私が今まで保護した数しれない猫たちは、手術すれば当然我が家の飼い猫になった。
私は今の年齢からすると、猫より早く逝ってしまうと思う。
その段階で飼主を失った猫は悲惨なことになるから、もう新しい猫は飼わないようにしている。
それで手術後は元の空き地に戻すことにしたけれど、これはなかなかつらい。
根っからのノラは人になれるのが遅い。
我が家には今一匹の老猫がいる。
御年18歳。
その猫が野良猫の侵入でどうなるかも考えると恐ろしい。

彼女は多頭飼いの我が家にいて、常にミソッカスだった。
ほかの猫を避け、私にはなかなか甘えられず、押し入れで暮らす毎日。
他の猫がいなくなってようやく一人になって、思う存分私に甘えられる。
こんな日が来るなんて。
顔付きがどんどん優しくなって、甘え声を出すようになった。
そんなところに若い野良猫が入ってきたら、又押し入れに逆戻り。
悪くすれば寿命も短くなってしまう。

今日手術が済んで治療費をOさんに伝えたら、ドン引き。
彼女はわかっていなかったのだ。
どれほど動物病院の治療費が高いか。
補助金が役所から出るにしても、到底足りない。
今までの勢いは急速にしぼんで、ここまででおしまいにしましょうと言う。
それなら初めから大騒ぎしなければいいのに。
やたらと騒いで餌やりの男性を引きずり回し、私に様々な交渉を丸投げし、日本の制度をくさしていたのだ。
お金が惜しくてやめるくらいなら、最初から手を出さなければいい。

近所にも沢山の猫を保護している家がある。
私も病気の猫は必ず保護して治療して飼ってきた。
結局コロナウイルス騒ぎでOさんは自宅勤務していたので、暇ができて猫の騒ぎにつながった。
月曜日から仕事があるから、もうできないと言う。
私だって何十年も普通以上に仕事しながら、夜中に猫を病院に連れて行ったり、高い治療費を泣く泣く払ってきた。
それができないなら、最初から猫の保護するなんて言わないほうがいい。

手術の済んだ猫を引き取って、もとのアパートのドアの破れ目から室内に入れた。
猫はさっさと引っ込んだけれど、今日は一日室内にいてほしいと思った。
外では傷口に泥がついたリしかねない。

やっと騒ぎが終わったのでOさんとお花見をすることにした。
駐車場に椅子を出して紅茶とケーキで、猫捕獲成功祝の慰労会をした。
目の前の道を近所の人が通る。
ゴミ収集車のドライバーが会釈をする。
ヤマトの配達員が通ったから、うち?と尋ねると、いえ違います。
あと何匹か保護対象の猫がいるけれど、大騒ぎで疲れ果てて昨日は寝込んでしまった。

目が覚めると喉が痛い、咳が出る、だるい。
やや、コロナか?
外出を控えてぐっすり眠ってしまった。
目が覚めたら、気分が良い。
喉の痛みも消え、検温したら全くの平熱。
良かった。
食べ物が美味しい。
隠れコロナもいるそうだから油断はできないけれど、ここ数日は外出もほとんどしていない。
野菜を買いにスーパーへ行ったくらい。

姪が化粧品畑にいるので、マスクが手に入ったから届けると言ってきた。
五枚だけで申し訳ないけど、と言いながら。
やっと手に入った貴重なマスクだから、大事に使おう。
ほかからもマスクいる?とメールが来た。
皆さん自分で使いたいところなのに、こうして分け合ってくれるのがありがたい。
私なら穴掘って埋めて隠しちゃう。
それで後で掘り出そうとすると、どこに埋めたかわからなくなる。
そのうち芽が出てマスクの木が伸びる。
たわわにマスクが実ったから売りに出すころには、とっくにコロナは終わっていて、全く売れない。
たいていそんなことになるから、沢山あれば分けて感謝されるほうが良いかな。
堪え性がないから、並んで買うなんてとうてい我慢できない。
これが食料品だったらとっくに餓死して、周りの人を喜ばせることになる。

















































2020年3月23日月曜日

顎が外れる

納豆ご飯を食べていた。
納豆というのは美味しいけれど、あのネバネバヌルヌルで始末が悪い。
最近は家からも出られずイベントは中止続き。
今まで忙しい生活だったのが本当に暇になったから、せめてご飯をゆっくり食べて暇をつぶそうと考えた。
噛む回数を数えながらのんびりとお昼ごはん。
ところが納豆の厄介なところは、噛もうと思うとヌルリと逃げる。
それをきちんと臼歯で捉えて噛もうとするのは中々難しい。
ぬめりがあるから、なんなく喉の奥へ入ってしまって、つい飲み込んでしまう。
顎関節は上下の動きは良いけれど、左右に動かすとちょっとしたことで具合が悪くなる。

やっと納豆を食べ終わって食事の後片付けをしていると、顎が微妙に痛い。
あれ、もしや・・・
鏡を見たら左の広角は上がっているのに、右の口角は下がってへの字になっている。
顔が歪んでしまったらしい。
本当にこんなことでかみ合わせが違ってしまうなんて。
そう言えば最近は人とおしゃべりすることがなくて、口の周りの筋肉が衰えているのかも。
自分で顔を両手で掴んで、ギュッと締めてみる。
少し痛い。
どうしよう、顎関節の歪みの治療はどこにいけば、いいのかな。

そこで原始人は考える。
これは自分で解決するしかない。
左右の顎を触ると、右側が少し痛い。
右足、右膝、右顎、痛いのはみな右ばかり。
一度大きく縦に口を開けると、動きはそれほど悪くない。
これは今のうちに元の位置に戻せるかもしれない。

何回か運動しているとやや痛みが収まって、そこでいつもの荒療治。
体を甘やかしてはいけない。
その後、牛肉を食べることにした。
良く噛んでいるうちに顎は元の位置に収まったようだ。

体のどこもかしこも故障だらけで、蝶番が緩み、崩壊寸前だけど、仕方がない。
長年使い古されても、車のように部品だけ取り替えるというわけにはいかない。
それでも、最近は遅めながら走れるようになってきた。
痛い膝を人工関節に交換すれば、そのうちマラソンを始められるかもしれない。

先日病院で処方された薬。
早くも2日目に効き目があらわれた。
まさかと思ったけれど、本当にそのまさか。
しかし、次の日に猛烈な足の攣りにあって、薬の副作用?これはやめようと思った。
それでも1週間ほど飲んだら、まさに奇跡!
メキメキと体全体が生き返ったようだ。

つい半月ほど前からなんとなく具合が良くなってきたのを感じた。
今年の冬は暖かかった。
それも良かったのかもしれない。
私は暑さに弱く、1年のうち元気なのは寒い時期。
それでもポンコツの体には寒さが堪えていたのかもしれない。
足の痺れは嘘のように消えた。
もともと極端に薬を飲まないから、飲むとえらく効くのだ。
今までなんにもしなかったのに急に治療が始まって、体がびっくりしたのかも。
ショック療法が効いた?
とうてい無理と思った片足立ちができるまでに回復した。

去年の暮にこの病院を訪れたのは、風邪のあとに咳だけ残り、コロナと間違えられてはいけないと咳のための治療をはじめたから。
そのときに喘息の検査をしたのも良かった。
医師はもしかしたらコロナを疑ったかもしれないけれど、肺はとてもきれいだった。
内蔵や骨はきれいなのに、なんで容姿がきれいでないのかと嘆きたくなる。
喘息の治療が思わぬところで良い方向に向かったようだ。
たまたま待合室で見かけた足梗塞のこと。
それで今回の治療につながってきたのは本当に幸運だった。

この1年半ほど、自分がよぼよぼのおばあさんになったと思って嘆いていたけれど、これで又、元気で陽気で獰猛な私に戻れるかな。
周りの人たちは戦々恐々、もう一度弱ってほしいと思うかもしれない。
みなさま、すみませんね。



















多頭飼い崩壊

近所に空き地がある。
そこに猫が、多いときには20頭超え。
春になると赤ちゃん猫がよちよち歩く。
それはそれは可愛らしいけれど、近所の人たちはたいそう迷惑らしい。
何回も行政に訴えがきたそうだ。

その子達は今にも崩壊しそうなアパートの1階の住人が適当に餌をやって、ドアに穴が空いているので自由に室内から外へと行き来している。
そのボロアパートが今度取り壊されることになったらしい。

昼間、階上の住人の女性が思いつめた顔をして訪ねてきた。
その人は無類のネコ好きなうえ、最近までヨーロッパで仕事をしていたので、考え方があちら風。
立ち退きを迫られたアパートの住人が、その猫たちをどうするのか心配でたまらないらしい。
海外では動物愛護の法律が日本の比ではなく充実しているという。
役所が猫の保護から里親探しまでするし、里親がいなければ保護施設で飼育するという。
日本の法律はおかしいと、訴えられた。
私に言われても困るけれど、日本では動物は器物扱いだから時々無性に腹が立つこともある。
自分の飼っている動物にひどいことをしても、日本では罰を受けることはないのだと思う。
あくまでも自分の物を壊したのだから、別に良いではないかと。
親から虐待されている子供でさえも、ちゃんと保護してくれない日本のお役所。

上の階の住人のOさんは行動的で、何回も役場に足を運び、動物愛護協会に掛け合い、なんとかしたいのになにも動かないので苛立っていた。
そして「もうお宅しか無い」と訪れてきた。

昼過ぎ、区役所の職員が来るので一緒に行ってほしいというので、出かけた。
アパートのドア前で二人の職員とOさんと私の4人で何回も声をかけるのに、住人は出てこない。
猫のことで近隣から苦情が頻繁に来るのだろうし、区役所の職員となると、厄介なことになると思ったのだろう。
区役所の人がドアをノックして呼びかけても出てこない。
中で音がしているので居留守なのはわかっている。

それで自分たちが交代で、私達は猫の心配をしているのであって、決して猫に危害を加えないことなど訴えかけた。
10分ほども呼びかけて、やっと住人が顔を出した。
私が自宅まで猫のケージを取りに家に戻っている間に、事情がわかったらしい。
飼い主は、猫が何匹いるのかオス・メス何匹いるのか、年齢すらわからないまま、好きなように家に出入りさせていたという。
暖かい日はそとの草むらに好きなように寝そべり、お腹が空けばドアの破れ目から室内に入って餌をもらう。
ある意味猫は気ままで好き勝手にできて、最高の生活だったと思う。
避妊も去勢もしていないから、子供が次々に生まれる。

そのうち猫たちは散らばっていつの間にか数が減る。
けれど、又子供が生まれるの繰り返し。
今、我が家の駐車場に餌を食べに来る白黒の猫は、明らかにそこの出身。
現地に戻っていくと、飼い主は仕事に出かけるといって自転車で出かけていった。
するとその脇を白い猫が伴走していくのがなんとも言えず可愛い。
本当に可愛がっていたのだと思うけれど、自分のキャパシティーを超えた飼い方は近所迷惑になるし、今回のように引越し先には連れていけないとなると、一体この人は猫たちをどうするつもりだったのだろうと思う。

可愛いし、寒さや飢えに苦しむ猫を見れば手を差し伸べたくなる。
本当に優しい人なのだと思うけれど、これだけの数を一気に野良にしたら大変な苦労が猫たちの行方に待ち受ける。
運の良い子はだれかに引き取られるけれど、大半の子は猫取りに捉えられ悲惨な最後を遂げる。
うちの猫の行きつけの動物病院に電話をすると、手術を引き受けてくれた。
こういう場合、役所からと獣医師会から助成金が出るらしい。
手続きのやり方を訊くと、3月いっぱいまでに3匹、年度初めの4月に残りの数匹を手術すれば、まだ助成金が潤沢にある時なので、ちゃんと貰えるとアドバイスをしてくれた。

女の子の手術は値段が高いので心配していたけれど、これで随分助かる。
ことがトントンと運んで、今まで心配で曇っていたOさんの顔が一気に明るくなった。
生真面目で優しい人なのだ。
日本では優しいと住みにくくなる。
それにしても動物に関する法律は本当にひどい。
























2020年3月15日日曜日

足が攣る

夢を見ていた。
私は幼稚園児くらいの子供になっていた。
私がしゃべっている。
「シとドを一緒に鳴らすと不協和音になるでしょう」
体の上に折りたたみ椅子みたいのものが乗っていて苦しい。
やめて!と言って目が覚めると・・・
凄まじい足の痛み。
つま先が反っくり返る。
いた~いと声にだして言うのは初めてというくらいの痛み。

いつもなら数十秒くらいで収まるのが、延々と続いて呻いた。
数日前から新しく薬を飲み始めて、しびれが収まったかと思った。
そんなに早く効き始めるわけがないと思うのに、ここ数日調子が良かった。
それなのに、なに!この猛烈な痛さ。
しばらく悶絶していると、猫がその足の上を平気で歩く。
毎日ご飯食べさせてトイレの掃除してやっているのに、この恩知らずめが。
救急車呼びたいけれど、これは間もなく終わるのだと自分に言い聞かせる。
救急車が来ても、歩いてドアを開けに行くことさえできない。

やっと痛みが収まって、ベッドから起き上がる。
そろそろと足を床につけると、もうなんでもなく歩ける。
そしてまたベッドに横になるといた~い!

これは新しい薬のせい?
薬の使用注意を見ると、お腹が痛くなるかもとしか書いていない。
朝起きてからも足が攣ったかすかな後遺症として、ふくら脛に違和感。
右足になにが起きているのだろうか。

昨日まではだいぶ調子が回復したと思っていた。
足早にあるけるようになったし、片足立ちも少しずつ時間延長。
階段の第一歩も手すりなしで上がれるように。
トントンとリズミックに登ることもできる。
下りはまだ苦手。
それでも今朝はカニ歩きのように横向きに降りなくても、縦向きに行くことができた。
すべてが回復に向かっていると思ったのに、ぶり返しがきたかもしれない。

痺れが収まると今度は攣りが交代。
自分の生活を振り返ってみる。
昨日は肉を沢山食べた。
最近の傾向は肉食女子に傾いている。
ビーフステーキ用の大きな牛肉を叩いて薄く伸ばし、衣とパン粉を付けて焼いた。
揚げないビーフカツ。
これがいけなかったかしら。
たっぷりキャベツとにんにく、きのこを添えて、りんごのはちみつ煮を食後に。
これのどこがいけないの?
昼食はご飯に納豆、めかぶ昆布、味噌汁、梅干しなど、日本の定番。
朝は紅茶、トースト、ゆで卵、キャベツとバナナのスムージー。
毎日こんな献立。
強いて言えば、量が多いかも。

体重の増減は最小限に抑えている。
毎朝体重計に乗って、食事のコントロールをしている。
けれども、食べるの大好きで、もう一口が多い。
これがなければあと2キロ体重を減らせる。
そうすれば足の痛みも改善できそうな気がする。

仕事が多いときは、今くらいの体重がないとスタミナがなくなるけれど、昨今の閑古鳥では体重は不要。
足に負担がかかるだけだから、1キロだけダイエットしようか。
一ヶ月かけて週末ダイエットで1キロ減らす。
土曜日の昼から夜にかけて食事の量を半分くらいにする。
それだけ。
日曜日は朝と昼は大量のだし汁(昆布、鰹節)と黒砂糖、夜はおにぎり1個。
月曜日から普通にというやり方で、7ヶ月で7キロ減量に成功したことがある。
このダイエットは簡単で効果的だけれど、日曜日の朝食に難あり。
出汁と黒砂糖って、この世のものとは思えないほど不味い取り合わせ。
1週間に1度だからと思って我慢した。

断食のあとは食べ物の味が、よく分かって美味しい。
肌艶が良くなるし、足に負担がかからないし、いい事ずくめ。
でも味のついていない出汁が不味い。
ほんの少しお醤油をたらすとかしても、不味い!
あまりおすすめではないけれど効果があるのは確かだから、物好きなお方は試みるのもご一興です。

次回病院へ行ったら足の攣りのことを言おうかと思うけれど、これでまた新しい薬が出る。
そうやって薬漬けになるのはかなわないから、医師には内緒にしておこう。
ツムラの足攣りの薬が手に入れば自分で必要なときに飲める。

コロナウイルスに喘息の薬が効いたという報告があった。
たまたま私は正月早々から、咳喘息の薬を吸入している。
これはもしかしたら、すごく幸運だったのかも。

若い頃、中年すぎの人たちが集まれば体調のことばかり話していることに反発していたけれど、最近このブログでもそんな話題ばかり。
ごめんなさいね。
実際この年になると、それしか話題がなくなるのよ。

白馬に乗った王子様は昔のはなし。
墓場に行ったおじいさまは沢山いるけれどね。






























雪だ!

退屈を託っていたら、大きな雪がひらひら舞ってきた。
さっき買い物に行ったときは、大粒の雨だった。
買い物は卵。
2日前から切らしていて、今日はもう買わないといけない。
でも、雨が降っていてめんどくさい。
でも、明日の朝食に食べる分がない。
渋々腰を上げた。

好きなのはオムレツだけれど、上手くできないとスクランブルエッグに変身。
毎日のように作るのに、どうしてこんなに出来栄えが違うのか。
卵を買って、冷たい雨の中を歩く。
この季節雨は大歓迎。
花粉症だから。

帰宅して友人とショートメールをやり取りしていて、ふと外を見ると、雨粒が白い雪に変わっていた。
嬉しくなって窓を開け外を眺めた。
猫に見せてあげようと押し入れから引っ張り出してカーテンを引く。
実に迷惑そうな顔でフンと言わんばかり。
見たくもないのに、しかも寒いし~なんて思っているのはわかる。
猫にしてみれば、白いからどうなのよ?と。
天から水で落ちてくるのと、白い氷で落ちてくるのではまるで違う。
雪は嬉しい。

せっかく喜んだのも束の間、すぐに雪はやんでしまった。
もし積もったら車にスキーを積んで、近所の丘にある動物公園の登り口のスロープで滑りたかった。
今年は足の故障で思うように滑れなかったし。

数年前結構な積雪があって、家の前の雪かきをしていた。
すると近所のお兄さんが細いノルディック用のスキーを担いで、ニコニコして歩いてくるのが見えた。
あら、どこで滑るの?と訊くと、そのへんで歩いてくるとか。
近所の公園で歩くのかな。

私は運動音痴だから、スキーを滑るのが好きというよりは、雪が好きなのだと思う。
シンシンと降り積もる様や、早朝、朝日を浴びてキラキラと光る美しさを。
おかしいのは、夏にスキー場に行くと迷子になりそう。
どこもかしこも真っ白だから冬のほうがわからなくなりそうなものなのに、ある年の夏にホタルを見に志賀高原に行った時、定宿にしていたホテルのすぐそばなのに全く様変わりして迷いそうだった。

足の痛みは、まだ数日しか薬を飲んでいないのに、なんだか効いているような気がする。
末梢神経に作用するという薬なので即効性はないと思うのに、3日目にしてしびれがなくなった。
これは暗示的な要素もあるかもしれない。
小麦粉でも薬と言って飲ませると、ときには効能があるという。
軟骨成分に効くとか、骨密度を高くするものでは無いらしい。
いったい私の足は、なんでこんなに弱くなってしまったのだろうか。
どれほど血管年齢が若くても、痛いのではしょうがない。
今年の課題は、足を丈夫にすること。
足こそ高齢者の命なのだ。

























2020年3月13日金曜日

お花見中止

涙、涙の物語。
ずーっと、ずーっと、毎年必ずやっていた我が家のお花見。
今年は断腸の思いで中止しました。
なんと大げさなと思われるかもしれないけれど、どんなに忙しくてもこの季節にはみなさんが待っていると思うから準備をしてきた。

1月、スキーシーズンになるとホテルでの夕飯のときに、なんとなく日が決まる。
そうだねえ、今年は開花が早そうだからこのあたりでと、様子見しながら。
今月21日に決まったので、献立を考えた。
今年は久しぶりにおでんにしよう。
一人で作るのは大変だから、調布に住んでいるHさんに助けを求めた。
彼女は周りにまだ新鮮な野菜が手に入る環境にいるらしく、いつもとれたての枝豆を茹でてきてくれる。
今回は大根を用意してもらおうと思っていた。

なぜおでんと思ったかと言うと、以前大量におでんを煮た時の寸胴鍋が見つかったから。
天袋から引きずり下ろすと、私にしてはきれいに磨かれている。
ほほう、こんな鍋があるならもう一度おでんも悪くないな。
築地で買い込んだ牛すじ肉が冷凍されている。
あれを使って出汁をとろう。
すじ肉を解凍してネギや生姜を入れて温めようとおもったら、IHヒーターでは反応しない。
私はすごく世の中のことに疎いから、金物はなんでもIHヒーターOKだと思っていた。
でも錫はだめなのだそうで、大量のすじ肉と野菜、たっぷりの水の入った重たい鍋は
知らん顔。
ことりとも言わない。
大きな鍋は家ではこれ一つしか無い。
それでHさんに大きな鍋はないかと訊いたところ、彼女が大根を煮てくれることになった。
はんぺんやちくわなどは前日に彼女の家に届けることになった。

毎日祈るような気持ちでコロナ収束を待つ。
一向にその気配はなく、1週間前の今日、皆さんに中止のお知らせをした。
花見の会場となる我が家のレッスン室は、20人も入ればぎゅうぎゅう詰め。
今回は15人の予定だったけれど、いわゆる濃厚接触になると思う。
いくらアルコールでもお酒では消毒できないらしい。
こんなところで酔っ払って気が大きくなって「コロナがどうした!」などと怪気炎を上げて騒ぐ目の前が桜並木の道筋で、人々がそぞろ歩き。
またあの家でと、世間の評判はますます悪くなる。

評判が悪いのは今更のことだけれど、メンバーの年齢が一般社会の平均年齢よりも遥かに上回る。
ただでさえ、コロナがなくてもあぶないのに、この上なにかあったら私はお陽さまに顔向けできない。
それで昨日まで悶々として考えていたけれど、あと1週間でコロナがいなくなる気配もないから、やむなく中止とすることにした。

消毒用の石鹸、除菌ティッシュ、なぜかコロナの報道が始まった今年初めに買ったものが今役立つとおもった。
準備万端、冷凍庫にはローストチキンやキッシュやら、ぎっしりとストックされている。
来週はじめにはワインも届く。
この家には私一人と猫一匹。
食料の在庫を見て、こんな小家族だとは誰も思わないかも。
これなら夏まで保つかもしれない。

なにもかも我慢の時だから、仕方がない。
それならコロナ終了タイムには盛大にお花見兼バーベキューでもしよう。
皆さんに北軽井沢まで来てもらうのも悪くない。
戸外だったらコロナも風で飛んでいくに違いない。

オリンピックが中止とか延期とか騒がれている。
いっそのことオリンピックなんてやめちゃえば?
こんな事言うと非国民と罵られ石をぶつけられる。
本当のところ、私はスポーツ競技を見る趣味がない。
今回のオリンピックだって、森元首相が大儲けしているだけで、なにもあんな立派な競技場作らなくてもと思う。
前回のブラジルの、普通の競技場のほうがよほど良い。
日本は今や経済小国になり下がったのだから、もっと簡素にすればいいのに、国民の金はどう使ってもいいと思っている輩が、湯水のように使っている。
もはや、オリンピックは醜い金儲けのるつぼのように見えて不愉快。

それよりも、今回のコロナ不況で困る人達に回したら?
でも、フリーランス4100円の援助とは。
所属する組織がないと随分馬鹿にされるのも日本の特質。
私は少しだけでもオーケストラ団員だったことで、キャリアが救われているけれど。
日本ではフリーランスはクズだとでも思っているのかしら。
社会的な保証もない人達こそ援助してほしい。
ニューヨークに長くいた友人が、アメリカではフリーはとても尊敬されるのよと言った。
私がオーケストラをやめてフリーになったとき、カードを作れなかったことがあって愚痴ったらそう言われた。
フリーでお金がもらえるのは大変なことなのだ。

中止が重なって自宅に籠もっているのも悪くはないが、話し相手がほしいなあ。
猫はゴロニャゴロニャと言うばかり。
あーあ、退屈じゃ。






















2020年3月11日水曜日

あしからず

一昨年からずっと続いていた足の痛み。
寝ていても時々痺れや痛みが激しくて、目が覚める。
その頃、体の軸がずれている感じがして、普通に歩いていてもよろよろと右左に揺れる。
自分の影を見ていると、ヒョコタンヒョコタン。
少しの段差でも足を引っ掛けて転ぶ、等々。
あるときなど、信号待ちで立ち止まったら、そのままズルリと崩折れて口のあたりを擦りむいた。
筋肉が全くなくなったような虚脱感。
このまま、車椅子かと思うほどの無筋力状態。
階段の最初の一歩が登れない。
手すりに捕まって腕の力で体を持ち上げる。
バスタブから出られない。
年には勝てないと本気で思った。

最近になってやっとそんな状態から抜け出せるパワーが出てきた。
一時期、私はやはりうつ状態だったものと見える。
それでも日常のルーティーンはやめないように維持してきた。
一度さぼると、もう這い上がれない
もともとの性格が根あかだからこれで収まった。
うつから抜け出られず、外出もできない人がたくさんいるに違いない。
幸い私は猫がいる。
動物の持つ癒やしの力は、どんな高価な薬にも勝る。

ずっと治療をする気力もなかったけれど、やっと治療の第一歩を踏み出した。
去年暮に健康診断を受けた。
すべて標準内の値が出た。
内視鏡検査、ピロリ菌検査も真っ白。
それなら検査受けなくても良かった。
ここ数年そう言いながら検査をサボっていたけれど、次回もサボる口実ができた。

年末に風邪をひいて、その後咳が止まらない。
フランスに行くことになっていたので、これはまずい。
咳喘息の治療を始めた。
その病院で見つけた足梗塞の病名。
足の痛みや痺れは血管のつまりから来るかもしれないというので、医師に相談したところ、検査をしようということになった。

今朝、この季節には考えられないほどの暖かさ。
気温はぐんぐん上がる。
これでは陽気に誘われてジジババが沢山病院へ押しかけるかと思ったら、待合室はガラガラだった。
ここもコロナ不景気。
いつもは予約していても長時間待たされるほど混んでいるのに、今日は4人ほどしかいない。
これはどうしたことか。

この病院に関して風評被害的な噂でも流れたか。
私はそんなことは気にしないので、空いているのはありがたい。
コロナが怖くて他の病気の治療が受けられないとか?
血管の柔軟性の検査が足梗塞検査の実態だった。
なんだ、それなら健康診断でやったばかり。
ここ2ヶ月余りの間に、食生活も運動量もかなり改善したので、数値は更に良くなったと予想した。
検査の結果、血管年齢はなんと!20歳も若い。
医師が検査結果を見て叫んだ。
えーと、血管年齢は?・・え?若い!若い!若い
声が徐々にクレッシェンド。
これは血管のせいではないようですね。
あるいは神経に依る症状かもしれないので薬をためしてみましょうというので、今日から新しい薬の治療がはじまった。
ひと月飲んで効き目がなければCT検査をということで、今日は明るい日差しの中を隣町から歩いて帰ってきた。
少し右足くるぶしが痛む。でも甘やかさない。

最近は歩きかたも以前のように早くなってきた。
階段の一段目も手すりなしで上がれるようになった。
コンサートの中止が続いて気落ちしたので、この2日間ヴァイオリンを弾いていない。
帰ったら練習しようと思っていたら、くたびれて途中でチョコレートパフェを食べて、そうしたら小難しいバッハの無伴奏なんか弾く気にならなくなってまたサボってしまった。
やはり土壇場にならないと練習をしない悪い性格だけは健在なのだ。

検査が終わってから立ち寄る店ごとに手の消毒。
家に帰っても手洗いばかり。
ふと考えたのは、こんなに手を消毒していいものなのか。
手の平にいる良い常在菌がいなくなったら、体を守ってくれるものがなくなる。
原始人の私は考えると、そのほうが怖くなる。
私が普段丈夫なのは、あまり神経質ではないからではないかと思う。


























2020年3月10日火曜日

セコすぎる

どこぞの県会議員が、自分が社長を務める会社のマスクの在庫品を売って大儲けしたと言う話。
自分では目端がきくとと思ったに違いない。
まさかこんなに世の中から叩かれるとは!
商売とはそうしたものだから、この人は普通のときだったらお金儲けの上手な人といわれたかも。
災害につけこんで大金持ちになるには、他人の不幸なんぞ気にもとめない神経が必要なのだ。
マスクがなくて困りきっている医療関係者がいるのは、連日報道されているというのに。

自分の頭脳を駆使してお金儲けをするのとは明らかに違う。
頭脳派は称賛される。
いや、彼だってなけなしの脳みそを働かせてだから、同じことと言える。
でも、この人はあまりにも無神経、人でなしすぎる。
沢山の在庫を抱えていたのだから、通常よりもほんの少し上乗せして売っても、かなりの利益になる。
それだけでも感謝されたのに。
そこで止めておけばよかったのに。
それよりも、ここで大量に医療関係者に寄付でもしておけば、将来の議員生活安泰だったのに。
ずっと感謝されて地域から称賛されていたのに。
目先の利益に目がくらんで一生、せこい議員、人でなしなどというレッテルがついてまわると思う。
本人はなぜなのかわかっていないらしい。

後出しで、どこかへ寄付してもらったという感謝状を出してきた。
これだって眉唾。
社長を辞任したって?
議員を辞任じゃないの?
社長はいいのよ、自社の利益のために動いたのだから辞任する必要なし。
それよりも、県民のために働かなくてはいけない人が、こんな人ではねえ。
人として恥ずかしい。
人品骨柄も卑しく見える。

たぶん本人は少しも分かっていない。
そのことが怒りに拍車をかける。
僕悪くないもん。
そう、本当にあなたは悪くはない。
でもね、なんと言って説明するか・・・私にはわからない。

人というのは・・・と偉そうに言わせてもらう。
他人の痛みや悲しさや苦しさがわかってこそ人になる。
「ずるい」あ、これこれ。
ずるいことをするやつはゆるせない。
私の他人に対する許容範囲は広い。
怒りっぽい、頑固、気難しい、偏屈などは許せるけれど、ずるいのだけは本気で嫌。
人の見ていないところでズルをする人間がいる。

私がまだ若かったころ、友人の家族3組と一緒に海の家に行った。
子供は男の子が数人と少し年上の6年生くらいの女の子。
その女の子は、大人や子どもたち全員から、ちやほやされていた。
顔が可愛いし大人の言うことを素直にきく。
でも私はその子があまり好きでなかった。
それを敏感に察したかのように、その子も私を無視する。
なぜか理由がわからなかった。

さんざん遊んで夜、布団を敷くのは子どもたちの役目になった。
せっせと働く子どもたち。
大人たちは別室で宴会の用意。
大人の姿が消えたとたん、それまで率先して働いていた女の子がすぐに仕事をやめた。
知らん顔して本を読み始め、幼い男の子たちだけが働いていた。
私が見ていることに気がついた女の子の顔が醜く歪んだ。
標準以上の美人なのに。
この子は幸せになれないなと私はその時思ったけれど、その後のことは知らない。

ちなみに、紀伊国屋文左衛門さん。
この人も相当ひどい。
まず、みかん伝説。
紀州でみかんが豊作だった年、江戸は嵐が多く船が出せない。
それに目をつけた文左衛門、荒くれ男を雇いボロ船を修理して嵐を乗り越えて江戸にみかんを送った。
みかんは飛ぶように売れ、この快挙で江戸で大人気!
そこまではいい。

その先の話。
大阪で疫病が流行っていると聞いた文左衛門。
江戸で大量の塩鮭を買い込み、大阪に行くと「塩鮭が疫病に効く」と噂を流す。
結果、塩鮭は飛ぶように売れた。
これなんかひどい話だと思うのに、大金持ちになってしまえば成功談として称賛される。
もっとも紀伊国屋文左衛門も伝説の人で、真偽の程はわからないらしい。

今、ネットで流されるデマに踊らされる私達、時代が変わっても人ってなんだかなあと、ため息が出る。
県会議員殿、もう少しやることが大きかったら、それは善と言われる。
やることがセコすぎたね。
だったら謝罪会見なんかしなければいい。
俺のやったことのどこが悪いと開き直れないところが、ますますセコい。


















2020年3月9日月曜日

一夜明けて

昨日はさすがの私も寝付けず、今朝の4時まで起きていた。
公演中止の知らせが心に突き刺さった。

来年、古典音楽協会は70周年を迎える。
手で水をすくい上げるように、こぼれないように大切にしてきた「古典」
年を重ねたメンバーは若者のようにパリパリとはいかなくても、年月の重みが伝えられればいい。
ほとんどメンバーの交代がなくて、仲が良くてやめる人がいない。
これは良いようで弊害もある。
世代交代がきかない。
だから全員が年をとってしまうと、団体ごとやめるしかない。

必ず悪口を言う人はいるものだから、私も自分の知り合いに訊いてみる。
毎回きてくださるけど、退屈じゃない?
すると、あのくらいの穏やかさが私達の世代にはちょうど良いのよ、と言ってくださる。
本当に心が癒やされるの、とも。
中には私のような猫族の猛獣もいるけれど、ほとんどのメンバーは優等生的で枠からはみ出さない。
練習も穏やかに進む。

まだ皆が若い頃、よく冗談を言った。
そのうちなんの曲を弾いているのかわからなくなるかも。
繰り返しはしましたかねえ?なんて訊いたりね。
違う曲を弾いていても気がつかなくなったり。
途中で居眠りしたら起こしてね。

まだ皆しっかりしているけれど、それが現実となる日も遠くはない。
それに客席のお客様達も一緒に年を重ねているから、会場全体が善意に満ちている。
これは芸術的な刺激とは相容れないとしても、たぶん心地よい空間でいっときのやすらぎを得ていただくにはもってこいかもしれない。
皆さん「やすらぎ刻」世代だから。

年をとって失うものが多いけれど、物事の本質が見えて心楽しいときのほうが多い。
人の本質、猫の本質、政治家の本質など、表情だけで裏の顔を察するようになれる。
これは強い。
あまり怖いものはなくなってきた。
子供の頃は感受性が強く、しかも物事すべて得体がしれないので、漠然とした恐怖が常にあった。
今は、何見てもハハ~ン。
私に隠し事してもだめよ的。

残念なことは持続できる集中力が減った。
それは視力の低下からくるものだと思う。
常に視力に合ったメガネを掛けていたいけれど、日によってコンディションが違うので難しい。
かと言って何個もメガネを持つ余裕はないし、かならず失くすから無駄になる。
楽譜がよく見えない。
真正面から見ればいいけれど、アンサンブルの弦楽器は二人で一つの譜面台を使う。
これは譜めくりのときに一斉に譜めくりをして音が途切れないため。
そうすると一人で楽譜を独占できない。
ふたりとも斜めから楽譜をみることになる。
自分に近いページは良くみえても、相手側のページは遥か彼方に霞んで見える。
若い頃は斜めでも良く見えた。
それなら譜めくりの箇所を休みの小節にすればいいと思うでしょう?
ところが弦楽器、特にヴァイオリンは休む暇は殆どない。
しかも短い時間でさっと譜めくりしようとしても、手の湿気がなくなっているから紙をめくるのは至難の業。

目が良くみえない。
手の湿り気がなくてめくれない。
手が短くて譜面台に届かない。
と言ったら、ある人が「それは三重苦ですなあ」と言った。
私はヘレン・ケラーか!

そんなわけで、しばらく落胆することが多いけれど、今は国難の日々。
じっと我慢。
欲しがりません勝つまでは!
おお嫌だ、そんな時代がまたやってこないように祈るのみ。
なにかきな臭い。
いまや日本は弱体化しているから、そんなエネルギーもないかもしれない。
それもなにか寂しい。





















古典音楽協会定期演奏会中止のお知らせ

今月25日に予定されていました古典音楽協会第160回定期演奏会は、残念ながら中止となりました。
毎回のように聞いてくださっている皆様に深くお詫び申し上げます。
文化会館の意向が決まるのが16日というので、それまで皆様にお知らせするのをためらっていました。
しかし現在の事情が良くなる見込みが少なく、やむなく中止ということになってしまいました。

すでにチケットをご購入の方

もし、キャンセル返金できるようなら御手数ですが、手続きをお願いします。
あるいは、次回も聴いてくださるお気持ちがあれば、そのチケットをそのままお使いいただけるかどうか確かめますのでしばらくお待ち下さい。

先週の水曜日、東京文化会館のリハーサル室に集まって練習したばかり。
今週の水曜日には2回めの練習がおこなわれるはずだった。
1回目の練習のときには実行に向けて前向きだったけれど、コロナ肺炎の事情は改善するどころか日に日に悪化の様子、苦渋の決断となった。
古典は来年70周年を迎え、メンバーは同じように年を重ね、残りのコンサートを毎回大切にしてきた。
聴手のお客様たちも、同じように毎回楽しみに来てくださったのに・・・・

さて、どうしよう。
気が抜けて呆然としているところです。
旅行もままならず、ジムやエステもこわい。
水泳はまあ大丈夫かもしれないと言われるけれど。

私が卒業してプロの世界に入った頃、大変お世話になったオーケストラのコンサートマスター鳩山寛さん(通称ハトカンさん)
ある年にも同じようなことがあって落ち込んで愚痴をこぼしたら「そんなときはね君、ヴァイオリンの練習をするもんだよ」
なるほど、一番大切なことを忘れていた。
今がその時。

一昨年から私は、体も精神も不健康な日々を送っていた。
今年に入ってから徐々に回復の兆しが訪れて、心機一転のチャンスかもしれないと思えるようになった。
この際、故障続きだった足の治療にかかろうかと思う。
足の痛みは原因不明。
レントゲンにはきれいな骨が写っていて、痛み止めを処方されるだけ。
でも、痺れや痛みや、あるときには立ち上がれないほどの筋肉の衰えなど、様々な症状が日替わりで襲ってきた。
我が家の階段の第一歩が踏み出せないほどで、筋委縮症を疑ったりもした。
膝関節を手術する方法もあるらしい。

筋肉はその後荒療治で毎回へたり込むほど歩いたら、徐々につきはじめた。
1月にコロナに怯えながらフランスに行った。
ヨーロッパで一番高いゲレンデのトロワバレーでスキーを楽しんだ。
それが回復の第一歩。
それからは山あり 谷ありながら気持ちがどんどん前向きになっている。
足首は日によって違うけれど、かなり改善してきた。
以前のネアカのnekotamaさん復活できるかな。

テレビでヒマラヤの高地に住む民族のドキュメントを放送していたけれど、息をのむような美しい山と空、湖、荒涼とした大地、厳しい自然、ああ、こんなところに行ってみたいと心底思った。
ユーラシア大陸をラクダとジープで旅する企画は、まだやっているのかなあ。

遊びに行くと、猫は寂しがりヴァイオリンは不貞腐れる。
キャットシッターさせられる姉は怒る。
浮世の柵はいつでもついてまわる。



















2020年3月6日金曜日

男の子

コロナウイルスのために休校になった兄妹にテレビのインタヴュー。
両親が共働きなので、昼間は兄妹2人だけになる。
6年生のお兄ちゃんと低学年の妹に困ったことを訊いた。
お兄ちゃんは「僕は炊事ができないから困る」と。
小学校6年生にもなってご飯も炊けない?
野菜炒めもできない?
これは親が悪い。

11歳か12歳なら、体のすべての性能は出来上がっているはずなのだ。
この際しっかりと料理を教え込もう。
だいたい日本の男子は特に母親に甘やかされすぎる。
共働きの夫婦でも奥さんが家事の殆どを分担し、夫は仕事を口実にさぼってもあまり非難されない。
こういうことが未だにまかり通る日本の社会が悪い。
奥さんもフルタイムで働いているのに、休日に子育ての手伝いをしない夫も多いらしい。

もう30年以上前だけれど、ミュンヘンに行った時、現地の大学教授の家にご招待頂いたことがあった。
その方の奥様が日本人で、ドイツに華道を広める活動をしている。
そこに14歳の息子さんがいた。
日本ならば中学生?

お宅に着くとすっかりセッティングされて、沢山のお料理が並んでいた。
奥様の手料理だった。
食事が始まると奥様は全く動かない。
お客様のおもてなしはもっぱら男性の役目らしい。
ご主人はワインをワインセラーから運んでくる役目。
そしてメインのホストは、息子さんだった。

奥様は、私はこのお料理作ったからもう働かないのよと、悠然と座っていた。
ご主人は、息子さんが私達に飲み物や食べ物の注文を訊いてお父さんに伝え、それを取ってくる役。
私達はしっかり飲んで食べて笑っているだけ。
グラスが空になると息子さんが、次は何を飲むかと訊いてくる。
それは驚きだった。
会話にも加わって、楽しい時間を過ごした。

ドイツで長年仕事をしていた友人に話すと、それはドイツでも特別良い家庭のことだと言われたけれど。
日本の子どもたちがいつまでも幼いのは、親が子離れできないからではないか。
親がなんでも先回りしてやってしまえば、子供は楽だから動かない。
結果、共働きでも家事をしない夫が育っていく。
子供の時から簡単な料理や後片付けをやらせないと、奥さんから放り出される男性が増えてしまう。

休日にスマホ見てゴロゴロしているだけの男性が離婚されても無理はない。
自分が悪いなんて少しも理解していないのは、子供時代からそうやっているのが当然だったから。
何もしなくても許される宇宙一の幸せ者は猫だけ。

忙しかった頃、仕事に出かけようとバタバタしている時に猫がのんびり寝ているのが、どれほど羨ましかったことか。
そのくせ、私が出かけるのがわかって、わざとお腹が空いたふりをする猫。
冷蔵庫の扉を引っ掻いて餌よこせと言う。
今食べたばかりでしょう、忘れたの?
わかった、寂しいのね、我慢してね。
あなたのご飯のために働いてるのだからね。
こうして猫は何をやっても許される。

ミュンヘンでお呼ばれした家では猫を飼っていた。
きれいな三毛猫だった。
私が「おいで、おいで」と言うとご主人が笑う。
なぜかと言うと、南ドイツでは「おいで」は「おばあさん」のことだそうで。
私が唯一できたドイツ語が「おばあさん」だったとは。

ミュンヘンの公園を歩いていたら、向こうからシェパードを連れた人がやってきた。
すれ違おうというとき、飼い主が犬になにか言った。
すると犬は、耳を伏せ尾を下げて、私の傍らを忍び足で通り過ぎたのには仰天した。
敵意はありませんよ、ご安心してくださいと、言わんばかりに。
全くドイツ人って、なんでも完璧!
でも少し犬が可哀想。
私は大型犬が大好きで、彼らにも好かれる。
友達になれるのに。
だから世の中で一番偉そうなのは猫なのだ。





































2020年3月3日火曜日

じっと我慢の子

世の中騒然、デマが飛び交ってトイレットペーパーが不足しているとか。
そうとは知らずに、先日スーパーでトイレットペーパーとペーパータオルをまとめ買いしたばかり。
傍から見たら風評に負けて、買い漁っている頭の悪いおばさんと。
いつも買い物はなるべくまとめ買いをする。
仕事が忙しかった頃は、気がつくとそういうものが切れていたり、買い物に行く暇ないなんて事がしばしばあった。
だいたい1ヶ月先を見越して、暇なときに買っておく。
オイルショックを体験した人は、皆さんそうしているのではないかと思う。

オイルショックのときもすごかった。
コンサート会場のトイレからトイレットペーパーを持ち帰るという輩もいて、呆れ果てた。
少なくともコンサートを聴く人の中に、そういう人がいるとは思いたくない。
心を清らかにしてお帰りいただきたい。
今聴いたモーツァルトが嘆いていますよ。
でも目の前に自宅で不足しているトイレットペーパーがあったら、出来心でつい?
私は他人の目がなくても神様が見ていると、信仰心もないのに考える。

今朝のテレビで、トイレットペーパーにチェーンが巻かれている映像が出ていた。
情けない。
それでも出てくる悪知恵。
チェーンをしたってペーパーは巻き取れる。
カランカランとロールさせて、紙だけ持って帰ればいいじゃない。

災害が来たときのために、一ヶ月分くらいの備蓄は常にしておく。
水、缶詰類、インスタント食品、カセットコンロとボンベ、紙類、ラップ、懐中電灯数個、猫のトイレ用品、餌など。
いざとなれば猫のトイレ用品が人間用にも使える。
流石に猫缶は人が食べてはいけないらしいけれど、死に瀕したら助かるかもしれない。

こういう騒がしい事態のときに大騒ぎせずに落ち着いて考えよう。
昨日まであんなに潤沢にあったものが、急になくなるわけないじゃない。
いつかはコロナも収束すると思うし。
そうしたら、だぶついた商品は値下げされる。
それまで待ったらどうなの。
ケチケチと使って、ひっそりと暮らす。

ひっそりとはいいけれど、コンサートや勉強会の中止が続いてがっかり。
遠くから電車に乗ってレッスンに来てくれる生徒の健康も心配。
オーケストラのコンサートも軒並み中止が続いて先生のルースさんが暇になったので、英語のレッスンの回数が増えた。
いよいよ面白くなったハリー・ポッターは6巻終了間近。
最終巻の7巻をあと何年で読みきれるか・・・
暇になったおかげで進んでいる。
作者のローレンス女史の類まれな才能に、尊敬の念は深まるばかり。
こういうときには外に出ず読書に勤しもう。
他にすることないからいいチャンス。
トーマス・マンの「魔の山」の下巻が読みきれていない。
それもこの機会に読めるかも。
久しぶりにチェスタートン「ブラウン神父」を買ってきた。
アラン・チューリングの伝記も半分読んで放置。
これも積ん読でなく、読んどくにしたい。

臨機応変という言葉がある。
ものが無いときは無いなりに、時間が余れば今までできなかったことをする。
状況に応じて生活を変化させればいい。
毎日決まったようにしなければならないということはない。
なにがなんでもいつもと同じにと思うから苦しくなる。
時々霞を食べて仙人になろう。
一日寝て過ごす猫になろう。
おあずけを言われた犬は辛いけれど、でも時には仕方がない。