2016年9月30日金曜日

定期演奏会は満員御礼

「古典音楽協会定期演奏会」を毎回聴いてくださっている皆さま、ありがとうございます。
まだお聴きになっていない方はぜひ次回いらしてみてください。

来年2017年3月28日(火)午後7時 東京文化会館小ホールです。

   ーロンドンで活躍した作曲家ー

   パーセル:組曲「妖精の女王」
   バストン:リコーダー協奏曲
   ヘンデル:合奏協奏曲
   クリスチャン・バッハ:チェンバロ協奏曲
   ジェミニアーニ:合奏協奏曲「ラ・フォリア」


昨夜の定期公演
小ホールは満員で、ステージに出て行った瞬間、うれしさと緊張で震えそうになった。
毎回これだけの人数の人々に聴いてもらえるコンサートは、めったにないと思う。
演奏者の音楽に対する真摯な努力と、メンバーが交代なく長年かけて作り上げた音の響きが共感を持って迎らえているという証しだと思う。
私たちは良く知っている。
演奏会は自分たちだけが作っているものではないということを。
聴いてもらえるからこそ存在できるのであって、ステージに立つ演奏者も聴衆によって育てられているということも。

本当にありがたいことに、客席はいつも満席状態。
こんな地味なグループなのに。
メンバーの一人一人をみても特に派手なソリストはいないけれど、お互いに阿吽の呼吸ができる素晴らしい仲間たち。

私がこの合奏団に入ったのはほかのメンバーよりもずいぶん遅い。
ほかの人たちは東京芸術大学の学生だった頃からという人もいる。
メンバーのほとんどは芸大出身、私はその他二流音大の出身だから肩身が狭かった・・・といいたいところだけれど、一番のびのびとさせてもらっていた。
先輩後輩のしがらみがない。
学生時代の悪行も知られていない。
私のヴァイオリンの実技テストのひどい成績も知られていない。
なによりもライバル意識を持たれないのが気楽。


最初は当時のヴィオラのトップだった伊藤さんが私に声をかけて、エキストラで何回かヴィオラを弾いた。
伊藤さんはすごくハンサムなのに気が弱く、隣に怖い人が来るとおびえてしまうので、私くらいのへらへらしたのがちょうどよかったらしい。

そのころ創始者の三瓶十郎先生の体調が悪く、私がエキストラで行ったころにはもう歩くことができないほどの状態だった。
間もなく先生は天国へ召され、その後残されたメンバーはコンサートマスターの角道さんを中心として活動を継続することになった。
その時、私にも参加するかどうか打診があったとき、一も二もなく参加を決めた。

三瓶先生は非常に厳しい方であったらしく、最初はなんという物静かな人たちなのかというのがメンバーに対する私の印象だった。
練習の間声を出す人もいない。
そこへおっちょこちょいの私が現れて、普段と変わらず冗談を言うので初めはポカンとする人たち。
なんでこんなに笑わないの?おかしいじゃない。
私はあくまでも能天気。
その後、女性メンバーたちは笑い上戸ばかりという発見もあって、なんだ、みな猫を被っていたのかと安心することも。

私が正式のメンバーとなってから何人かのメンバーの入れ替えがあって、私はヴィオラからヴァイオリンに配置転換となった。
あまりにも毛色の違う私を、穏やかに迎えてくれたほかのメンバーたち。
天性のおっちょこちょいな私は角道さんの監視下におかれることとなり、それ以来長年にわたりコンマスのアシスタントを務めてきた。
女性のメンバー同士は家族ぐるみでお付き合いしたり。
昨日の会場には、私の参加当時小学校へ入るか入らないかの年齢だったメンバーのお嬢さんが、赤ちゃんを抱いて来てくれた。
あれからどれほどの月日が経ったかは数えてもないけれど、穏やかで頭の良い演奏技術もすぐれている人たちに囲まれて、なんとかやってこられた。

日本で最古の合奏団体である古典音楽協会は、メンバーもお客さまも一緒に年をとり、体力気力ともに衰えを感じながらも頑張っています。
頑張るのが嫌いな私でさえも頑張れるのが不思議。





























2016年9月28日水曜日

これはなんでしょう?



シイタケ?いいえ、シュークリームを焼いたらシイタケができたという、今ツイッターで話題の画像。
どう見てもシイタケにしか見えない。
きっと火力が強すぎたのでしょうね。

シュークリームは今までに一回しか焼いたことがないけれど、焼きあがってからすぐにオーブンの扉を開けると、ぺしゃんこになってしまうらしい。
料理は、特にお菓子は化学だから、食材の分量をきっちりと計って火加減や加熱時間も厳密にしないと、こんな風になってしまう。
でも、これはシュークリームだと思わなければいいのであって、食べたらパリパリとして香ばしくておいしそう。

私の作品はふくらみが少なくて、ちょっと草鞋のようになってしまったけれど、食べてみたらまあまあシュー生地らしき味はした。
カスタードクリームを塗って食べたら、形はキャベツ型とは言いがたいけれど、味はそれらしくできた。
材料は決まっているから、シュークリームがどら焼きの味になることはないのであって、このシイタケも煮物には使えそうもない。
でもすごく美味しそうだなあと思った。
焦げたところがきっといい匂いがすると思う。
これはこれで新しいお菓子として売り出すといいかも。

母が調理をするときに、末っ子の私は、いつもそばに張り付いて見ていた。
母はよく「目ばかり手ばかりよ」と言っていた。
目で見る分量、手で計る分量のこと。
料理用の秤や計量用のカップ、スプーンなどもわが家には置いてなかったのに、母の作るお煮しめやちらし寿司は、いつも変わらない味だった。
今私がいい加減に作ると、塩辛すぎたり甘すぎたり、毎回違う味になるのに。

天ぷらを揚げるときにはコロモの量と材料がぴたりと一緒に終わる。
最後の具材を揚げるときにコロモの一滴も残さず、きれいに洗ったようにボウルになにも残らない。
見ているとこれが熟練の技かとびっくりするくらい、見事だった。
戦後の貧しい時期におなかを空かせた6人の子供を育てるのに、材料は一切無駄にできない。
計器類は使わなくても、生活の知恵から身に付けたのかもしれない。
本当に苦労して私たちを育ててくれたのだと、そんなことからも思い出される。
私たちは子供のころ、空腹でたまらなかったことはなかった。
贅沢ではないけれど、母の味でいつも満足していた。

母はお菓子はあまり作ってくれなかったけれど、きっと上手くできたと思う。
手先の器用さは兄が受け継いでしまって、私は父の不器用の遺伝子をもらってしまった。
兄姉たちは、私は両親のダメなところばかり寄せ集めて作られたと言う。
「かわいそうな子だから、私が死んだらみんなで面倒見なさいよ」と母が兄姉たちに言っているのを聞いたことがある。

本当に自分はすることなすこと、やっぱりかわいそうな子なんだと思う。
































2016年9月25日日曜日

魔法使いの弟子

子供のころ見たディズニーの映画「ファンタジア」
ストコフスキーのシルエットにうっとりして、こんなに素晴らしい映画が作れるアメリカにびっくり。
中でも面白かったのはデュカスの魔法使いの弟子。

魔法使いに弟子入りしたミッキーマウス。
魔法使いの留守中に見よう見まねで魔法を使って、箒に水を汲ませる。
箒はバケツを両手にエッサエッサと水を汲んでは水がめに水を入れる。
すっかり気を良くしたミッキーは怠け放題。
そのうち箒がどんどん水を運ぶので、水がめは満タン。
しかし、止める呪文をしらないミッキーは、箒を斧で真っ二つ。
すると二つになった箒は2倍の水を・・・ミッキーは大慌て。
斧で箒をもう一度・・・また一度・・・
だんだん増えた箒はますますたくさんの水を運んでくる。
ついに大洪水。
あわやというときに師匠の魔法使いが帰ってきて、ミッキーは蹴りだされる。

こんなストーリーだったと思うけれど、私に現実に起こったことは、大量のコピーだった。

数年来「ハリー・ポッター」を原書で読んでいる。
中学生のころ、まったく英語に興味がなくて、興味のないことには一切努力をしない性格だから、授業をただ聞き流すだけ。
一切予習復習しない、単語も覚えない。
それはもう徹底的にさぼりまくった。
そのせいで英語力は全くないのに、ふとしたきっかけから「ハリー・ポッター」を原書で読みたいと思った。
私の通った音大付属高校と大学では、第一外国語がドイツ語、第二外国語はイタリア語を選択したから、文字通り中学校以来。
最初の一巻は易しいのに、もともと勉強しなかったから、1ページよむのにどれほど辞書を引いたことか。
2巻になると少し読みなれてきた。
ところが作者のローリング女史は一筋縄ではいかない。
巻が進むにつれてどんどん語彙が増え言い回しも難しくなって、ようするに最初の巻を読んだ子が成長するのに合わせてかのように難しくしていくのだ。
イギリス英語で、慣用語、語呂合わせなど、ふつう学校では習わない言葉にあふれている。
ただ今5巻のお終いの方だから、この先これ以上難しくなったら継続不可能になりそう。

途中目が悪くなって小さい活字の本で読むのはもう無理!となって一時中断。
するとパソコンの師匠ががタブレットで読むことを提案、完璧設定済のタブレットで文字の大きさも変えられ、又すいすいと読めるように。
ここからは快進撃、どんどん進む。
ところがタブレットの調子が悪くなって、というか私がなにかタブレットさんに失礼なことをしたらしく、ほかの画面がガンとして居座ってしまった。
どうしてもどいてくれない。

昨日ハリー・ポッターのおおもとの活字を拡大して送ってもらえたので、大喜び。
パソコンから印刷すると、とても読みやすい。
さて、どのくらい拡大されたのかと試しに印刷してみることにした。

原書のページ数は766ページ。
拡大したほうは1330ページくらいになる。
最初の数ページ印刷してみようと、印刷を始めた。
ほほう、これは素晴らしく読みやすい。
そこでプリンタの印刷中止を押して、一時中断。
私はすでにこの巻は550ページほど読んでいるから、前の方の印刷はしなくてもいい。
そこで、自分の欲しいページを出そうと思ったら、拡大してあるためにページ数が違う。
ようやく自分の欲しいページを見つけて、印刷開始。
ここでミスったのは、前のデータが残っていて、また最初から印刷が始まってしまった。
そうか、前の分をキャンセルしないと、と思ったけれど、さて、どうやって前の分のキャンセルをするのかしら?
キャンセルしたつもりでもう一度印刷すると、また最初から始まってしまう。
次々に吐き出される印刷されたコピー用紙。
紙はなくなる、インクは空っぽ。
何回も印刷画面を往ったり来たり。
そこで時間はどんどん過ぎていく。
ヴァイオリンの練習時間がとれなくなる。
困った困った。
え~い、ままよ。
もうやけっぱちで最初から全部印刷を始めた。
初めのうちは半べそだったけれど、最後には笑ってしまった。

ただ今インク切れで、アマゾンに新しく注文したものが届くのを待っている。

何回やっても最初から印刷が始まるので、思い出したのが魔法使いの弟子。
今わが家の床に散乱するコピー用紙は箒が運んだお水。

内容が魔法使いの「ハリー・ポッター」
皮肉にも同期してしまった。
面倒見の良い師匠に事の顛末を話したら「ねこならやりそうなこと」とあきらめの境地で冷静な返事。
少しも驚いてくれないのは少し寂しい。






















2016年9月22日木曜日

ミッケ帰る!!

昨日朝5時ころ聞き覚えのある声が・・・
飛び起きて階段を落ちそうになって駐車場に行くと、ああ、ミッケだ。
大慌てでご飯の用意をする。

シロリンと二人でガツガツと、食べる食べる。
どうやらご臨終が近いと思ったのは私の思い過ごしで、どこかでちゃんと生きていたらしい。
最近新しいノラが姿を見せるようになって、どうもその猫に脅されていたようだ。

黒っぽいアメリカンショートヘア風の雑種のオス(?)猫。
口から唾液が出ているところを見ると、口内炎かけんかの怪我か、かわいそうだけれど、獣医さんに連れて行こうと思っても捕まりそうもない。
さっき猫サイトを見ていたら捕獲機があるらしい。
今度獣医さんに行ったら聞いてみようと思っている。

野良ネコは非常に警戒心が強く、捕獲機でもなかなか捕まらないようだ。
捕まったとしてもおとなしく診察を受けるかどうか。
以前私の飼っていた猫は普段はとても穏やかなのに、獣医さんの診察台で大暴れ。
プラスティック製の頑丈なケージを壊したあげく、獣医さんにかみついた。
人馴れしている飼いネコでもそうだから、ノラネコはほんとうに危険で手が出せない。

さてどうしたものか。
ミッケはかわいそうだけどノラもかわいそう。
早く餌付されて穏やかになってくれるといいけれど。

ミッケが来たので相棒のシロリンも一緒に来た。
この二匹はすごく穏やかな関係を築いていたけれど、時々思いがけない闖入者のために、どちらかが来られなくなる。
アメリカンショートヘア風猫は今後どうしたいのか訊いてみたい。
これから3匹で仲良く暮らすか、またはほかの縄張りにさすらっていくか、またはミッケ、シロリンを追い出したいのか。
それによってわが家の経済事情が変わる。
今まで家に4匹、外に2,3匹いたので、猫のエサ代はかなりの負担だった。

今年に入ってからうちの3匹が天国へ、残った1匹はあまりたくさん食べないので、だいぶ負担が減った。又大きなオス猫が参加するとなると、沢山エサがいる。
猫缶を大量に運んでくるヤマトのお兄さんが、階段で息を切らしているのが申し訳ない。
これに猫砂まで一緒に運ぶとなると、ほとんど喘いでいる。

悠々自適のはずだったのに、最近の年金事情や消費税値上げなどみていると、安穏としてはいられなくなるかもしれない。
だから猫にかける費用はなるべく少なくしないと・・・と思ってはいるけれど、つい情にほだされ、そのうえ長年の夢だった犬を飼いたいと最近切に願うようになった。
犬はフレンチブルドッグが大好き。
あの不格好な、がに股体型と頑固な性格。
自分に似ているかも。

今朝はアメショーがいたのでミッケとシロリンはいなかった。
でも無事だとわかって本当によかった。
一体二人はどこで朝食を摂っているのかしら。
猫世界の情報網はすぐれていて、ここがだめならあそこでと保険がかかっているから、たぶんちゃんと食べているとは思うけれど。






2016年9月21日水曜日

腹筋をするねこ

この画像、知人のブログから引っ張ってきたのだけれど、もしかしたらブログの主から、お前さんも少しやせたら?と暗に言われているのかもしれない。
この猫さんは一体何を目的にして何をお手本にしてこんなことをやっているのかは謎。
でもどう見ても腹筋運動よね、これって。
このツチノコ体型は本人も気になっているので一念発起「人のすなる腹筋といふものを」はじめた?うふふ、ほんとかな。

仕事をほとんどしなくなって、のんびり優雅に暮らす予定だった。
ああ、それなのに、なんだか忙しい。自分で忙しくしているようなところもある。
自業自得と言ってしまえばそうなんだけれど、少しでも弾くことをやめてしまうと、そのままずるずると怠けてしまいそうで怖い。
根っからの貧乏性。


9月29日(木) 古典音楽協会の定期演奏会があります。
午後7時開演 東京文化会館小ホール

「イタリアバロックの響き」

アルビノーニ: シンフォニア
ヴィヴァルディ: オーボエ協奏曲
タルティー二: ヴァイオリン協奏曲
ガルッピ: チェンバロ協奏曲
ヴィヴァルデヂィ: リコーダー協奏曲
ヴィヴァルデヂィ: ヴァイオリンとチェロの協奏曲

今回私のソロはないけれど、どの曲もとても華やかで面白いので、ぜひ聞いていただきたいと思います。

このコンサートが終わると少し暇になるけれど、次のコンサートの企画や準備、練習もあって気が抜けない。

今年11月 奥州市でチェロフェスタに参加。
チェリストでもないのに。
モーツアルトの弦楽三重奏曲ディヴェルティメントK.V.563変ホ長調を弾く。長くて難しくて。

秋の北軽井沢の森はきれい。
森の住人から、先日のルオムの森のコンサートへのお礼と、一緒に紅葉を見ようというお誘いのハガキが届いた。

今年の八ヶ岳音楽祭はベートーヴェン「第九」
私はもうオーケストラを弾く気力はないので、聴衆として参加することにした。
10月10日北斗市高根町 やまびこホール


 来年のコンサートの日はまだ決まっていないけれど、曲目予定はプロコフィエフのソナタ他。
ピアノトリオの候補はチャイコフスキー、ブラームス
ラヴェル等。
ピアノカルテットならシューマン、ブラームス等。
よりどりみどり、さて、どれにするか。
6月にはベートーヴェンのクロイツェルソナタを若いピアニストと。
古典音楽協会秋の定期演奏会に、バッハのブランデンブルク協奏曲第4番のソロなど恐ろしい曲が目白押し。


北軽井沢コンサートのメンバーが次回はロッシーニのソナタを候補にあげている。

くたびれて青息吐息、腹筋やっている暇はないのにゃ。


ああ、しんど!










2016年9月18日日曜日

行方不明のミッケ(涙)

三毛猫ミッケはわが家の駐車場に毎日通ってくる半ノラ。
元々飼い猫だったのに、家に閉じ込められるのが嫌だったらしく、飼い主を捨てて気ままに暮らしてきた。
朝食はわが家で調達、毎朝雨が降ろうが雪が降ろうが食べに来て、寝坊した私が慌てて駐車場に行くと、文句たらたら。
もっと遅くなると、大声で鳴いて催促。

いつもこの辺のボス猫とつるんで、代替わりすると次世代ボスを連れて食べに来ていた処世術のうまさ。
だから誰にもいじめられないで、ここ数年は安穏と暮らしていた。
寒い日は物置においてある猫ベッドの段ボールの中で眠る。
冬になるとアンカを入れて暖かくしてあげた。

今年に入ってから、今までは絶対に触らせてもらえなかったミッケが、頭を撫でさせてくれるようになった。
その前にボス猫シロリンがやっと馴れて頭に触らせるようになって、それを見てミッケも馴れてきたところだった。
今までは近くに手を伸ばそうものなら、シャーっと言って威嚇してきた。
もう何年も朝ご飯をごちそうしているのに、少しも愛想良くふるまうつもりはないようで、私の手の届かない車の陰の安全な場所にいて、ご飯だけ頂戴するというちゃっかりさん。
根気よく毎日、ほんのちょっと頭に触り、そのうち撫でても平気になってきたけれど、日によっては威嚇されることもあった。

それが一週間ほど前。
急に全身を私の前に現した。
全く無防備な状態で頭にさわっても平気で、そのうえゴロンとなって全身を触らせたのには驚いた。
背中やあごの下などを撫でると、気持ちよさげにしている。
それでも今までが今までだったから、あまりしつこくすると嫌がられると思って遠慮して、すぐにやめた。
次の日シロリンは来たけれど、ミッケは来なかった。
2日ほど経つとシロリンも来なくなった。
そしてミッケはあれっきり姿を現さない。

猫の社会で人事異動(にゃんじ異動)があったのだろうか。
長年、ほかの猫が変わってもミッケだけは知らん顔して通ってきていたのに。
もしや・・・不安がよぎる。
なんで急に「さあ、撫でなさい」とでも言うように姿を現したのか。
最後のご挨拶だったのか。

もう20年も前の事。
毎日わが家の窓際にご飯を食べにくる猫がいた。
おそろしく警戒心が強く、私が手を伸ばして撫でようとすると、いきなり爪を出して威嚇してくる。
猫の爪の裏側には毒があるから、うかつにひっかれたら腫れあがってひどいことになる。
どうしても、とうとう触らせてもらえなかった。

そのころ家を新築することになって猫の食堂の窓は壊され、路頭に迷ったノラはやせ衰えた姿で目撃された。
私の姪が見つけて報告に来た。
心が痛んだけれど、猫のために家を建てるのをやめるわけにはいかない。
猫はたいていの場合、なんとかエサ場を見つけてうまくやっていくものだけれど、その猫は汚いうえに不愛想。
誰かが面倒みてくれるかどうか心配していた。

そして数年後、駐車場の私の車の屋根に、その猫が座っているのを発見。
よく見ればもう命が残り少ないのが分かった。
ぼろ雑巾のようになって、思わず手を出すと、不思議なことに黙って撫でさせる。
喉を鳴らす。
すぐにえさを用意した。
それから一週間ほど、そのエサも食べなくなって、そっと段ボールに入れて家まで運んだら、最後の力を振り絞って逃げだした。
それ以来、姿が見えない。

そっとしておいてあげればよかった。
私に最後のあいさつに来てくれたのに余計なことをした。
もうすっかり手を怖がらなくなって、ずっと撫でられるようになっていたのに。

ミッケは最近エサをほとんど食べなくなっていた。
毎朝習慣で通ってきていたようだった。
もしかしたらやっと撫でさせてもらえたのも、最後のあいさつだったかもしれない。
ノラの生活は厳しい。
ミッケは自由を手に入れるために、好き好んでノラをやっていたのだった。
時々「そろそろうちの子にならない?」と訊くと、フンと言って不愛想に見つめ返してきた。
そのミッケがあんなに心を許したように振る舞うのは・・・いろいろ考えてしまう。

今朝も来なかった。


















2016年9月17日土曜日

ハイドン

明日は代々木上原の「ムジカーザ」でハイドンのジプシートリオを演奏する。
全曲繰り返しを入れても15分という短い曲ながら、3楽章のジプシー風のメロディーやリズムが面白い。
私はこの曲がとても好きで何回も演奏している。

短いながら快活で端正で、本当によくできた曲だと思う。
弾いていてとても楽しい。

ハイドンと言えば交響曲の父と呼ばれ、モーツァルトは彼を尊敬してやまなかった。
あの天才モーツァルトを感服させて、のちにモーツァルトが彼の弦楽四重奏曲をハイドンにささげた話は有名だけれど、ハイドン自身の弦楽四重奏曲はとても難しく、後半のものなどは一体なにを弾かされるのか戦々恐々という感じ。
ちょっと不思議な音型や難しいパッセージがあって、あの当時にずい分考えが進んでいたと思われる。
シンフォニーも彼のお茶目な遊び心が横溢しているものが沢山あって、こういう曲を書く人に一度でいいからお目にかかって見たかった。

作曲家の晩年の作品というのは非常に面白い。
ベートーヴェンの後期なども、もし彼がこのまま生きながらえたら一体どんな境地にたどり着くのだろうかと想像する。
形式を逸脱して前衛的な音楽になっていくような、ところどころにその片鱗を見出す。
一人の作曲家の人生を次の作曲家が受け継ぐことができれば、クラシック音楽も破壊を免れないものになっていくにちがいない。
幸運なことに人は誰でも寿命があって、どんな天才でも一からはじめないといけないから、破壊寸前までいってご臨終となる。

ハイドンの交響曲「時計」の思い出。
(この話は以前もここに書いたので、あ、nekotama惚けたな!と思う方がいらっしゃるかも。)

私が音大に入って初めてのオーケストラの授業の日、のんびりと教室に入っていくとすでに全員着席していた。
一体どこに座ればいいのかわからずウロウロ席を探していると、上級生がコンサートマスターの席を指さした。
あなたの席はここよ。
冗談じゃない、一年生の分際でそ、そんな!
美しい4年生はこともなげに言う。
「初めての人はそこに座ることになっているの」

考えてみれば、これはいじめ。
一年生のくせに時間ぎりぎりに来るなんて生意気、と思ったに違いない。
そこしか席は空いていなかったから、おずおずと座った。
出された譜面はハイドン「時計」シンフォニー。

私はヴァイオリンを始めたときから、オーケストラに行く道が定まっていたらしい。
中学一年生からジュニアオーケストラ、そして地元の室内オーケストラに入っておじさんたちに交じって弾いていたし、時々ソロもやらせてもらっていた。
だから「時計」は全くの初見ではなくてラッキーだった。

当時の指揮者は怖くて有名なD先生。
にこやかに笑っていたかと思うと突然表情が一変し指揮棒を投げつけるなど、生徒たちは戦々恐々だったから、私のようになにも知らずに来た新入生は良いカモだった。
そうとは知らない私は居心地悪くもじもじしていたけれど、先生はいきなり私に「時計」の冒頭部分を一人で弾くようにと指示してきた。
先生にとっても、上級生を差し置いてそんなところに座っている新入生は、どんなやつかと思ったにちがいない。
私はオーケストラでさんざん弾いた曲だから、何の苦もなかった。
先生は「ほう!」という顔で名簿を見て、丸を書いたらしいのが見えた。
いつも私は幸運で、もし本当に初見だったら、おびえて弓も動かせなかったと思う。

その後、このえこひいきの強い先生が亡くなるまでなにかと引き立てていただき、実技試験成績が悪いにも関わらず、いつも上級生のオーケストラに参加できた。
初めての時いじわるをした綺麗なおねえさま方からも、4年生のアンサンブルに誘われて勉強させてもらった。
大学の四年間、このハイドンがきっかけで、思い切りアンサンブルの勉強ができたのが、私の財産となった。
そしてオーケストラに入ってからは、コンサートマスターからハイドンの弦楽四重奏の連続演奏に加えてもらった。

だからハイドンはないがしろにできない。













































2016年9月15日木曜日

前世はムカデ

しぶしぶ、本当にしぶしぶ靴を2足捨てようと思った。
ときめかないものは捨てなさいと言う整理の名人がいるようだけれど、私はなんにでもときめいてしまう。
それはデザインだったり色だったりお値段だったり、特に半額なんて言葉にはまんまと騙される。

特に靴フェチ。
靴には目がない。
それにしてはいつも同じものを履いているという観察眼鋭い方たちはピンポーン。
同じブランドの同じシリーズを何足も持っているというバカなことをやっている。
しかも、それだけ持っていても中でも特に気に入ったものしか履かない。
Tシャツなんかも気に入ると同じものを2枚買うとか。
汗かきなので一日のうちで着替えを何回もすることが多いから、お気に入りは何枚も持つことにしている。
靴でいま特に気に入っているブランドがルコラインのスニーカー。

サイズが22センチからある。
スニーカーは元々パンプスなどよりは幅広にできているから、私のように小さい足の者にはたいていだぶだぶ。
このブランドは、気持ちよくフィットしてくる。
今年の春先、情緒不安定になったときにルコラインの靴をまとめて買った。
その数8足ほど。
友人がそれを聞いて「ばーかーばーかー」と言った。
彼女はいつもは品もよく、このような言葉は口に出さない人だと思っていたけれど、よほどバカだと思ったらしい。
私もそう思うので妙に納得した。
決して安いとはいえないから、かなりの出費。
それでも履きやすいスニーカーを履いて公園を散歩すると膝の痛みもなく、気分爽快!
精神衛生の面から考えたら安いものだわ。

それ以後少しは収まっていたけれど、またぞろ買いたくなって昨日の夜2足追加。
あまりにも靴が多いので昨日古いものを2足捨てる決心をしたという次第。
それを見透かしたかのように今朝一本の電話がかかってきた。
H&*と名乗るリサイクルショップ。
「靴の履いていないものはありませんか?そちらのご近所で、もう10年も履いている草履なども引き取らせていただきました」

そんな古い草履をどうするのかと思ったけれど、闇鍋にでも入れるのかしらと思って話を聞いた。
さぞおいしい出汁がでることでしょうよ。

「靴を引き取らせていただいておりますが、なにかございませんか?」
「たくさんありますよ」
「ではうかがわせていただきます」電話が切れた。

そのあとすぐに次の電話。

「さきほど電話しましたH&*ですが、実は靴だけではお取引できませんのでなにか貴金属とセットにしていただかないと」

おやおや、やはりそう来たか。

以前、ドレスを買い取るというからそのつもりでいて、まんまとネックレスを放出させられた経験がある。
そのネックレスはもう何十年も身に着けなかったので惜しいとは思わなかったけれど、いま思うとなにか一つくらいちゃんとしたアクセサリーを持っていないといけないから、売らなければよかったと後悔している。

それで「きたないやり口ね、来なくていいわ」と言って電話を切った。
ひどい言い方だけど、そのくらい言わないと相手はこたえない。
はじめから貴金属というと二の足を踏む人がいるから、履き古しの靴なら喜んで放出するのを狙っている。
詐欺とまでいかなくても、汚いやり口には違いない。

最初の電話で喜んだ私は、あちらこちらから靴を集めてみたら、その数10足くらいになった。
私は前世ムカデだったの、で足が何本もあるから沢山の靴が必要。
どれも気に入って買ったのだけれど、悲しいかな最近膝が痛くてハイヒールが履けなくなってしまった。
一度も外に履いていかなかったハイヒールがピカピカ光って待機しているから、誰かに履いてもらえば靴も喜ぶ。
しかし、誰かにあげようと思っても私のサイズが履ける人はほとんどいない。
ハンサムな男性の車の送り迎えとお姫様抱っこだけで外出できるなら、ヒールの高い靴も出番はあるのだが、そんなご奇特な方は見当たらない。

私の王子さまはどこに?

最近は周りには元おーじさま、今おじーさまばかり。
ハイヒールも履けないから、おしゃれもいまいち。
9センチヒールの履けた若さよ、どこへ消えてしまったの?






































2016年9月14日水曜日

臨機応変

携帯で午前中ずっとメールや通話をしていたのに、午後になったらメールが送れない。
おかしい、さっきまで電話もしていたのに。

携帯のディスプレーにICチップが入っていないと出る。
青くなった。
機械音痴の私は慌てふためいた。
さっき友人とレストランでランチするときに、バッグから零れ落ちたかもしれない。
お豆腐を買うときに財布にでもはさまっていて、お金と一緒に出てしまったか。

私の携帯は何年たつのだろうか。
10年くらいかも。
当然ガラケイ。
しょっちゅう落とすはぶつけるはで、がたがきている。
今どき珍しい二つ折りの機種で、その継ぎ目もガクガクしている。
よくよく見れば、充電口もチップの口も、カバーがとっくに引きちぎれなくなっている。
だからチップもきっと落ちてしまったのだ。
そんなに簡単に落ちるのなら、データフォルダーの写真なんかも見られてしまう。
まあ、ほとんど猫だらけなんだけど。

携帯は通話とメールのみの使用なので、スマフォは別に持っているしパソコンも大いに活用している。
なにも歩きながらゲームなんかしなくてもいいのにと思っているから、この携帯さえあればいいのだけれど、万一そのICチップとやらがなくなったら連絡先の情報もなくなる。
そのチップの中に全部の情報が詰まっているの?
それとも携帯の本体にも情報が入っているの?
なくなったら連絡先の情報も全部消えてしまうのかな。
様々なことを考えた。
そのチップがもし道に落ちていたら、それを拾った人が自分の携帯で情報を盗むこともできるのかな?
笑ってください、私は全く器械のメカニックのことはわからない。

ヴァイオリンを長年弾いているので、そちらのことなら多少は詳しい。
それで生徒がなにか質問してくると、私にとっては常識的なことが、全く知識がないということにびっくりすることがある。
そこまで説明しないといけなかったのかと愕然とすることが。
いちおう新人さんには楽器の構造や取り扱いについて話す。
例えば弦が古くなったら張り換えるのは当然と考えるけれど「え、弦は張り換えるのですか?」と、びっくりされる。
錆びたような弦を張っている人がいるので注意すると、今までそんなことは言われたことがないのでなどとも。
弓の毛も消耗品と思っていない人がいる。
それと同じで私の器械の知識はその程度のもの。
だから青くなった。
一大事なのでランチをしたレストランにチップを探しに行った。

ところがちょうどランチとディナーの間の休憩時間でお店は誰もいない。
ドアが開いていたので不法侵入。
さっき座ったテーブルの下を覗いてもない。
もうお掃除も済んでいるようで、ゴミ箱にすてられたかも。
つぎは帰り際に寄ったお豆腐屋さん。
もちろんないことを確かめてauショップに駆け込んだ。

女性の店員が話を聞いてくれて、チップが落ちることはないと言うから一安心。
たぶん接触が悪いのでしょう、少しお待ちくださいと言われた。
そこからが長かった。時間はどんどん進んで、とうとう50分経った。
そして奥からほかの男性店員が出てきて、私よりも後から来た人の応対を始めた。
もう我慢の限界で「もう50分も待っているのに」と訴えると、やっと対応してくれて、私の携帯を奥へもっていってなにか部品を引っ張り出してもう一度入れなおした。
「はい、これで大丈夫です、かなり古い機種なので今後もこのようなことが起きるかもしれません」と言って戻ってきたのはほんの数十秒あと。

私は怒り心頭!!
さっきの女性店員がたったこれだけのことをすぐにやってくれれば、貴重な午後の時間にショップで50分もぼんやりしていることはなかったのに。
接触不良だというのが分かっていて、こんなにすぐにできるなら待つこともなかった。
修理に時間がかかるようなら預けていけるし、いくらでも対応はできただろうに。
臨機応変に対応できないのはどうして。
あまりのことに思わず文句たらたら。
大人げないとは思うけれど、人の時間を浪費させないようにできないものかしらと文句を言って出てきた。

考えてみればそんなに簡単にチップが落ちるようでは、そこいら中情報が落ちているわけで、そんなことはありえない。
チップが入っていないというディスプレーを見て青くなった私もバカだった。


























2016年9月13日火曜日

鍵は洗濯機、時計は冷蔵庫

家の中で見つからなくなるもの。
私は鍵を一日中探す。
最近の日課と言ってよい。

置いておくところは大体決めているのに、手にもって歩いているときに目についたことをしようとすると鍵のことは忘れて、その辺にぽいと置く。
その結果いつも鍵を探すことになる。

先日越後湯沢に出かける前の日、午後中鍵を探していたけれど、どうしても見つからない。
スペアはあるけれど、落としたかなにかで他人の手に渡るとまずいことになる。
家の中での行動範囲は狭いから、記憶を頼りにトイレや洗濯機の中、デスクの上、引き出し、床など、たいていのところは探し終えた。
次の日の旅行用のバッグのなかも調べた。
もうこれはあきらめようと思ったけれど、だが待てよ、もう一度荷物を全部ひっくり返してみようと思い立った。
小分けしてあるシャツやソックスの小物入れの間は調べたけれど、袋の中まではまさかと思って調べてない。

見つかった。
下着の袋の中から、なぜか鍵が。

どうして?どうやったらこんなところに入るの?
鍵にきいてみたら「いいえ、私は知りません。これは困ったと思ったのですが、どうせ入るなら若い子のヒラヒラした下着に入りたかったなあ。こんなバ*・・・あ、しつれい!色っぽくない下着は面白くない」
鍵の分際でなにをぬかす。
見つかったのは出発当日。
実に二日間にわたって鍵探し。

その話をしたら友人が「うちの姉は時計を冷蔵庫に入れたみたいよ」という。
どうしたら冷蔵庫に入れようと思うのか、その過程が興味深い。
冷蔵庫と言っても野菜室だそうだから、冷えすぎないでよかった。
冷凍庫だったらどうなっていたか興味はあるけれど、こわれたら気の毒だからけしかけないようにしよう。
買い物から帰って野菜を収納するときに外して、その辺に置いたのかもしれない。
しかし野菜を収納するときになぜ腕時計を外すのか・・・謎。
友人と二人で推理したけれど、シャーロック・ホームズのようには頭が働かない。
思いがけないところに無意識においてしまうと、自分でも後で思い出せない。

洗濯機の中から出てきたこともあった。
ポケットに鍵を入れたままエプロンを洗濯機に入れて洗ってしまったらしい。
その日英語のレッスンに行くので焦っていたけれど、どうしても見つからないから教室に連絡して遅れることを伝えた。
必死で探した結果、洗濯機からクリーニング済の清潔な鍵が出てきた。
その当時の英語の教師は毛むくじゃらのアメリカ人。
見かけはごついが態度はおねえ。
初めて会った時にはギョッとした。
ドアを開けて入るなり腰をくねらせて「う~ん、あつ~い」指を反らせてエレガントに顔を煽いだ。
その指には指輪がいっぱい。

今の英語の先生はイギリス人女性。
彼女は日本女性よりももっと大和撫子だけど、彼には負ける。


























2016年9月12日月曜日

イヴリー・ギトリス

越後湯沢での弦楽アンサンブルの合宿は正午で終わり、後は自由練習。
お弁当を食べながら練習の録音を聴く。
なんというきれいな響きになってきたことか!
初期のころの、私の言う「この世の物とは思えない恐ろしい」音は姿を消して、すべてを真正面から見つめて努力する彼らの性格そのものの、純粋な音になってきた。
まだまだ技術も未熟、音程やリズムが定まらないところもあるけれど、常に高みに上ろうとする努力が素晴らしい。

新幹線を待つ間、少し時間があったのでお土産を見て回ったけれど、何も買わない。
というのも、その夜、イヴリー・ギトリスのコンサートを聴くため。
まさかナスやブドウや日本酒などの入った袋を下げて紀尾井ホールにはいけないでしょう。
それでも枝豆だけは一袋、キャリーバッグに押し込んだ。
紀尾井ホールに枝豆が持ち込まれたのは、これが最初では?

四谷駅に到着したのはまだ開演の2時間も前。
暇つぶしに本屋さんをさがしたけれど、見当たらない。
上智大学が近いというのに、書店がないとは。
すっかりスマフォに取って代わられて、書店は敗退の一途。
気の毒ではあるけれど、時代の流れかとも。

会場で友人のHさんと一緒になった。
彼女はヴァイオリン奏者で、容姿、ファッションともにずば抜けており、仕事場でタレントさんより目立ったために注意されたという伝説の人。
今回も白地にブルーの模様のパンツにアイボリーのアンサンブル、金色の真珠のネックレスとイヤリングにジョワジョワヘアー、目の覚めるようなブルーのバッグ。
スリムで背の高いファッションモデル張りの体型。
対照的なダサいずんぐり体型、刈り上げ頭にスニーカー、ダボダボのリネンのワンピース、一切アクセサリーを身に着けないこの私が目立ってしまうではないか。
しかもいくらお気に入りとはいえ、角の擦り切れた四角いポーチの古びて色あせているものを、10年以上愛用している。
一歩間違えば他人さまから施しをされそうな雰囲気。
これがねこたまですにゃん。

なぜか私は背の高いスリムな人とコンビニなることが多く、自分をそうやって逆に目立たせているのかも・・・目立たないって・・・とは陰の声。

さてギトリスおじさん、御年94歳。
若き日の演奏を聴くと、つやっぽい色っぽい、これぞヴァイオリンの音。
そうすると私の弾いているあの楽器はなに?
ピアニストのマルディロシアン氏に抱きかかえられるようにして出てきた彼は、いくぶん不機嫌そうでピアニストになにか言っている。
「なんでわしが演奏せにゃならんのか?」とでも。

なだめすかされるように椅子に腰かけ、不機嫌そうにヒンデミット「ソナタ」を弾き始める。
音程は雲のかなた、でも時々とてつもなく良い音が。
2曲目はベートーヴェン「スプリングソナタ」
あまりにも自由に弾くのでピアニストがどうやって合わせているのか不思議に思うほど。
しかしよく聞いているとけっして勝手に弾いているわけではなくて、やはりちゃんと寸はあっているという不思議。

時間の枠の中でおそろしく自由に動くけれど、決して踏み外してはいない。
12歳でパリ音楽院を首席で卒業した天才児は今日に至るまで天才で、二十歳過ぎたらただの人とはならなかったのだ。
後半はピアニストのソロでシューベルト:即興曲。

そして待ってました。
ギトリスの面目躍如の小品。

  ブラームス:      F.A.E.のソナタより  スケルツオ
  パラデイス:      シチリアーナ
  クライスラー:     シンコペーション
  チャイコフスキー   メロディー
  クライスラー      美しきロスマリン
  
そして      浜辺の歌     心にしみる即興的演奏。

  アンコールは     クライスラー:  愛の悲しみ

弓が重量を全く感じさせない。
まるで羽が生えているようだ。
左手の指の素早さは、幼児のときの関節の柔らかさをいまだに保っているように、柔らかく素早く動く。
これが聴きたくて、疲れた体を越後湯沢から引きずってでも来たの。
ああ、ほんとにほんーっとに、おいしいものを食べたような、すてきなひと時だった。
満足のため息とちょっぴり涙がこぼれる。

軽やかで洒落ていて色気があって、こんなおじいさんに私はなりたい。
いや、なれませんとも、私はこれでも女性。
見た目は猫ですが。

疲れ切ってヴァイオリンを背負い、重いキャリーバッグを引きずって帰宅。
もうこんなことしている年ではないのにとは思うけれど、あのお方は更に上を行っているのだ。
並外れた才能と健康、ステージに出てきたときは不機嫌で弱々しかったのに、終わるころには輝いて本当に楽しそうだった。





























































成果は上々

ルフォスタ」弦楽アンサンブルの夏の合宿。
12時に越後湯沢集合というので、11時35分着の列車で到着。
数人の合宿参加者はお昼ご飯は駅近くでおそばを食べることになった。
今回も石内スキー場のゲレンデの真っただ中にある立派なリゾートマンションをお借りすることになった。
そこのマンションの居住者のNさんのご厚意で、ゲストルームとホールを借りられた。
もう合宿も4回目。
初めは本当にただ遊ぶための合宿と称するイベントだったけれど、回を重ねるごとにどんどん真剣な練習になってきたので、気が抜けない。

駅の前にシルバーに光るポルシェ!!
Nさんの愛車に乗せてもらう。
歩ける距離なのにポルシェなら乗りたい。
真っ赤なシートにすっぽり座ると、ちびな私は前も見えない。

おそばのボリュームときたら超ド級。
天ぷらがまたすごい。
腰の強い太麺で、食べた~という感じが半端でない。
すっかり満腹でこれでは昼寝がしたくなる。

巨大なマンションに到着。
ほかから集まったメンバーも待機していた。
プールあり温泉あり、スキーのためのロッカールームも完備。
なにもかもバブル期の仕様だから、贅沢そのもの。
VIPルームは広大なリビング、キッチン、2階にゆったりとしたバストイレ付きの寝室が沢山あって、それぞれ好きな部屋を使わせてもらえる。
今回家族連れのメンバーが3組いて、子供が5人。
大きな部屋で走り回ったりかくれんぼをしたり、はしゃぎまくっていた。
それでもあまりうるさく感じないほどの広さ。

午後からの練習は、別棟にある舞台付きのホールを使わせてもらえる。
響きの良い大きなホールで、本格的なコンサートもできそうなのに使う人はあまりいそうもない。
本当に贅沢でこんな良い環境で練習できる私たちは、幸運としか言いようがない。
ホールのロビーの大きなガラス窓からは、石内スキー場のゲレンデと近くに迫る山々が緑濃く見える。
数年前、スキーシーズンにも泊めていただいて、みなで滑ったことがあった。
Nさんは間もなくデモンストレーターに迫るスキーの名手。
スキーのためにこのマンションを手に入れて、冬はシーズン中ずっとここにこもっている。
おかげでこの弦楽アンサンブルは、冬にはチェリストが一人少なくなってしまう。

練習の初めはしょぼ~い音で始まった。
曲はチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」第一楽章。
初めてこの弦楽アンサンブルの指導を始めたころは、人間でいえばよちよち歩きの赤ん坊。
みな、練習の仕方も慣習もしらない人たちで、練習するのに鉛筆も持ってこない。
楽譜を一人で独占する。
足を組んで弾く・・・
一つ一つ根気よく教え込んでいくけれど、全くよそのグループの経験もない人たちで、いつまでも身に付かない。
そのたびに腹を立てたり、お説教をしたり。
遊び半分で私語を交わす、注意しているのに聞いていない等々。
目に余ることも多かった。
途中で弾くのをやめて注意しようとしても無視して弾き続けるなどの態度の悪さ。

ほかの楽器の音を全く聞いていないなど、腹の立つことばかり。
それでもだんだんうまくなるにつれて、どんどん態度も改まってきて、注意をするとぴたりと弾くのをやめる。
これは私の「上手い合奏団はとめるとすぐに弾くのをやめるけど、下手な合奏団は弾き続けて注意をきかない」といったのが彼らのプライドをいたく刺激したための効果だと思っている。
メンバー各自の技術も合奏の技術も上がって、どこまで上手くなれるか楽しみになってきた。

今回は2日にわたっての真剣な練習の結果・・・
最後に録った録音を聴くと、よくぞここまで来たものだと感激した。
この合奏団は入れ替わりも少しはあったけれど、ほとんどの人が辞めずにほぼ同じメンバーで成り立っていること、これが大変良い結果につながった。

今月22日(休)渋谷の伝承ホールでの音楽教室「ルフォスタ」の発表会では好演が期待される。
お時間のある方は覗いてみてください。
詳しくは音楽教室「ルフォスタ」ホームページで。

http://lefosta.jimdo.com/









































2016年9月9日金曜日

ねこたまチルドレン

夕飯を食べてテレビを見てまったりしていたら、インターホンが鳴った。
はて、こんな時間に誰?と思ってドアを開けたら、妙齢の美女が立っていた。
あら、Kちゃん、もうこんな時間?と慌てふためく。
OLのKちゃんが会社の帰りにレッスンを受けにきた。

Kちゃんはものすごく美人さん。
色が白くてちょっとハーフっぽい雰囲気の素敵なお嬢さんなんだけど、やることが少し不安定。
それでレッスンをしている間中、二人とも笑い転げる。
ケラケラよく笑う。

ずい分以前のこと、私が沢山生徒を教えていたころ、彼女は張り切って通ってきた。
その後、アマチュアオーケストラに入ってしまったので、忙しくてなかなか仕事との両立が難しくなってきた。
それで定期的なレッスンはやめて、たまにレッスンを受けに来るようになった。
そのうちに回数が減ってきてぱったり来なくなるというよくあるパターン。

それでもなにかとコンタクトがあって、今回はアマチュアオーケストラの定期演奏会の曲の弾き方がわからないといって、教わりに来た。
アマチュアオケの次の定期演奏会が決まるとレッスンにくる男性もいる。
オーケストラの曲だけ弾き方を教わりに来る。
こういう大人の人たちを相手にしていると、なかなか面白い。
それぞれ社会的には私などよりはるかに常識人なのに、私の住む世界に来るとたちまち変な森の中に迷い込んだ風になるのが楽しいらしい。

Kちゃんはずっと消息不明なのにいつも身近にいるようで、たまに電話がくると昨日まで一緒にいたかのような感覚にとらわれる。
先日の私のコンサートに来てくれたのに、満席で入口で追い返されてしまった。
気の毒だったので謝ったら、あはは、追い出されちゃってとあっけらかんとしている。

ほかの生徒たちも同じで、先日久しぶりに一緒に飲んだ女性は本当に数年ぶりに会うので、いつの間にか自分の事務所を構える社長さんになっていたのに驚いた。
おごってあげようと思っていたのに、おごられてしまった。
先生としてはなんだか面目ない。
彼女はものすごく酒豪で、ある時わが家に遊びに来た。
私は仕事があって、ほかの客である二人の男性と酒瓶を置いて出かけてしまったことがあった。
家に帰ると玄関に一升瓶が2本、ごろりと横たわっていた。
たった3人で2升!
いったいどうやって家に帰ったのかと訊いたら、全く覚えていないという。
建築士なので現場ではヘルメットをかぶって高い足場にも上るらしい。
恰好良くてほれぼれする。

先日のコンサートの時には、優秀な事務能力のある女性に手伝ってもらった。
彼女も元音楽教室の生徒。
社会的には河原乞食の私よりもずっとまともだから、私をたすけてくれる。
助けるというよりは危なくて見ていられないのかもしれない。
受付業務を完璧にやってくれた。

かつての生徒たちとはいまだに交流があって、明日から越後湯沢での弦楽アンサンブルの合宿に行くことになった。
かつて教えていた音楽教室の生徒たち「ねこたまチルドレン」
2日間楽しくも厳しい練習が待っている。
今回はチャイコフスキー「弦楽セレナーデ」の一部。
9月半ばに音楽教室の発表会があって、その総仕上げということになる。

私はもう教師はやめたけれど、生徒たちに時々こうして引っ張り出されると、うれしいのと少し億劫なのと気分は半々。
若者といると気分が全く同じになるから不思議。
最近はオーケストラの仕事もしていないけれど、かつて若い人が中心のオーケストラにエキストラに行ったら、コンサートミストレスから「ねこたまさんは私たちと全くいっしょ」と言われた。
これ、褒められているのか、どうなのか複雑な思いだったけれど。
明日から若いパワーに負けてへとへとになってきます。
ああ、しんど!

























2016年9月6日火曜日

ちょっとサボったら

コンサートが終わって北軽井沢から帰宅した昨日は、一日ヴァイオリンを弾かなかった。
今日練習を始めたら、もう、手が硬直してうまく弾けない。

若いころはこんなことはなかった。
数日遊びほうけていても、楽器を持つと同じように弾けた。

最近は毎日練習を欠かさなくても、その日によってコンディションが全く違う。
これは若いときでもそうだったが、最近とみに感じる。

なにが原因かというと、体のこわばり、運動不足の時は顕著に表れる。
私たちは死ぬまで楽器を毎日弾かないといけない。
赤い靴を履いて死ぬまで踊り続けた美少女のように。
唯一の違いは、私が生まれてこの方美少女だったことがないということ。
そこが残念!

残念でもなんでもいいけど、また虫が起きて、某さんはそろそろコンサートを計画しない?と言ってくる。
コンサートを開くとなると、練習量は格段にアップする。
お客様に聴いていただくには生半可な練習では足りない。
かといって私たちの年齢となると、若いころのようにがむしゃらな練習をすると、手が壊れる。
私は長期決戦型で、練習はおそろしく早く始める。
次回のコンサートの予定が決まると、すぐに楽譜の用意をする。
来年の「古典音楽協会」の秋の定期演奏会は、バッハ「ブランデンブルク協奏曲4番」のソロを弾かせてもらうので、1年も前なのにそろ楽譜を出しておかねばと思っている。
このソロはおそろしく難しい。
指が回る極限状態の速さ。
もちろんゆっくり弾けばいいけれど、それでは曲全体のテンポが遅くなってしまう。
私としては、その極限まで早く弾きたいので、一年がかりで練習しようと思っている。


若いころならこんなに心配はなかった。
最近はどれほど練習しても怖さが残る。
いままでたいていの事は切り抜けてきたから、まだ余力は残っているけれど、ある日突然限界がきたら・・・思うだに恐ろしい。
舞台の上で立往生したら・・・
落語家でいましたよね。
ある日噺の途中でわからなくなって「勉強しなおしてまいります」と言って高座をおりて、結局復帰できなかった人。
心中察してあまりある。
もし私がそんなことになったら。

猫は未来をつかさどる脳の部位がないというから取り越し苦労はしないけれど、半猫の私はえらく心配性。
血液型はO型。
O型はいい加減、楽天的、おおざっぱ。
でも心配性で、意外と気が弱い。
その心配性は良いように考えると、性格がいい加減なわりにはコツコツ練習することにつながる。

最近気が付いたことは、手のひらの水分量の問題。
どうして上手く弓が持てないのか、どうして上手く左手の指が音程を正しくとれないのか、考えに考えたあげく、水分量の激減が原因であることにたどり着いた。
もちろん、手指の変化、指が曲がったり柔軟性がなくなったりもあるけれど、最大の原因は水分量であると結論した。
試しに、前の日に手の保湿を十分にして、練習前にもケアをすれば、かなり楽に弓が持てる、脱力できる、音程も正しくなる、音色も音量も豊かになるといいことずくめ。
悩んでいる方はお試しあれ。
それで若者と高齢者の違いが出る。
私はどちらかというと高齢者。
どちらかと言わなくても高齢者。
手のひらの水分が多すぎて困るほどだったのが、ここ最近枯れ始めている。























2016年9月5日月曜日

通販

昨日は疲労困憊して家に戻って、しばらくお昼寝。
夕方6時過ぎにやっと買い物に出かけた。

いつもなら北軽井沢で大量の野菜を買い込んで戻るのに、早朝に出発したためお店が開いていなかった。
ストックがないので慌てて買い出し。
行きつけの自然食品の店にいったら「あら、今日は遅いのね」と言われた。
私は開店と同時に飛び込んで「キャベツはまだ?」なんて店員さんをせかせるので、彼らはまだ梱包を解いていない野菜の山をひっくり返して探してくれることになる。
いやな客ナンバーニャンかも。
玉ねぎをレジに持っていったら「台風の影響で玉ねぎが高騰すると思うからたくさん買っておいたほうがいいですよ」と教えられた。
今あるのは台風以前の仕入れなのでまだ高くないそうなのだ。
食品はほとんど通販では買わないけれど、日常生活用品は通販がたより。
ただし通販ではこんな親切は受けられない。

そのかわり、わんさかとメールが来るのが悩みの種。
パソコンのメールは携帯に転送されるので、携帯もすごいことになる。
先日フィルターをかけるやり方を教わって、昨日の夜から少しずつ作業を開始。
でも猫だからすぐに飽きてしまう。
今夜次のフィルターをと思うけれど、その前に新しいメールが増えていくから鼬ごっこ。

通販の良さはちょっと買いにくいもの、薬局などで口に出して言えないようなものも知らん顔して買えること。
以前家族がお寺の病になったとき、薬を頼まれた。
なるべく人気のない薬局に行って「*の薬をください」と言ったら、薬剤師が聞こえないふりをして「え!胃の薬ですか?」という。
「いいえ、*の薬です」
「え!胃の薬?」
最後に切れて、「*です!」と叫んだ時が人生最大の恥ずかしさだった。
しかも、いつもは客のいない店なのに、そういうときだけ後から人が入ってくるのだ。

若い女性の友人から頼まれたものも、なかなか買いにくい。
ご主人と彼女が、どちらが買うかでけんかになるという。
通販にすれば?と言ったら、ご主人が通販に拒否反応を持っているらしい。
やはり個人情報は完璧に安全とはだれにも言い切れない。
私のように何重にも安全対策を施してもらっている人はまず安全と思うけれど、それだってかなり引っかかるというから怖い世界。
それで私が代わりに買ってあげたことがあって、その時にここならという通販を教えてあげた。
その後、ご主人も納得してくれたらしく、要請はない。
その代わり私は自分にはあまり必要ではないものの知識が、少し増えたというしだい。

今どき、通販なしに生活はできないほど頼りきっている。
もう少し早くこういうシステムがあれば、超多忙だった現役時代にずいぶん楽ができたのに。
楽になった分、余計なメールがわんさか来るようになって、その対策に追われるのもなんだかなあ、いいのか悪いのか。





























2016年9月4日日曜日

北軽井沢コンサート

今年の北軽コンサートは、会場である「ルオムの森」の売り場セッティング変更で、去年使わせてもらった部屋が使えないというのでがっかりしていたら、オーナーとスタッフが協力してくれて、去年と同じ会場になった。
キャンプ場の営業に差し支えないように、日程も9月の第一土曜日。
キャンプ場の売り上げが落ちるといけないから、こちらはあくまでも「3人展」の添え物の立場をわきまえないといけない。

3人展は  人形作家  田畑純子
       織物作家  小形桜子
       油絵     福間順子

北軽在住のこの人たちが展覧会をするので、私たち野次馬が、押しかけて演奏したのが去年の8月のこと。
それが好評だったので、今年もということになった。

今年も聴衆は都内からも駆けつけてくれた人や、前日3人展に来た時に私に捕まって、当日来なければいけなくなった地元の人など。

プロデュースは私だから、職権乱用で私は後半からしか出ない。
その代わり若いメンバーが一人増えて活躍してもらった。
若いといっても私たちに比べてということだけれど、さすがに第一線で活躍していただけあって、音が輝いている。
前半はこのメンバーの花形、コントラバスとヴィオラのデュオ。
ヴィオラもコントラバスもソロはめったに聞けないので、お客さんは大喜び。
2曲目はピアノ連弾。
3曲目は若いヴァイオリニストとヴィオラのデュオ。

休憩をはさんで、この森の雰囲気にかなうグリークのピアノ独奏曲。
そしてバッハの二つのヴァイオリンの協奏曲となるとだんだん楽器の編成も増えて、全員の大合奏。
パッヘルベルの「カノン」で穏やかに終わろうと思っていたけれど、たまたまラヴェルの「ボレロ」の弦楽四重奏曲用の楽譜が手に入ったので、これを華々しく演奏することにした。

最初のスネアのリズムの部分は私が引き受けた。
ピアニッシモで「ボレロ」のリズムを刻んでいく。

今までこの曲はオーケストラで何回も演奏してきたけれど、スネアのソロはどれほど恐ろしいか想像がつく。
大きな会場の大きなステージで聴衆を前に、オーケストラの全メンバーの中でただ一人。
あんなピアニッシモでリズムを刻むなんて、私なら卒倒しかねない。
手がふるえて叩けないのではと思うけれど、今回は親しい人たちと森の中の優しい雰囲気で私は卒倒しないで済んだ。

そしてヴァイオリン3人、ヴィオラ一人、コントラバス一人、ピアノ連弾のたった7人とは思えない迫力で演奏が終わると、盛大な拍手が巻き起こった。
何回も呼び出されたのでアンコールは、意表をついてサンサーンス「動物の謝肉祭」から「象」
これはお客様たちからのコントラバスのソロが聞きたいという要望に応えての事。
このグループはコントラバスが中心になっている。

終わってから「ルオムの森」のレストランでパーティーが行われ、今年もこれで夏が終わった。
東京からも何人もの仲間がきてくれて、地元の人やメンバーの旧友たちが楽しみにまっていてくれた。
「3人展」のメンバーは私たちに前夜祭でパーティーを開いたり、当日の昼食においしいカレーライスをふるまってくれたり、私たちを宿泊させてくれたり、それはもう大変お世話になった。

このコンサートの主催者の「ルオムの森」オーナー夫人が次回の会場にどうかと思っている北軽井沢ミュージックホールを見せてくれた。
建物は古い。
ちょうど子供たちが集まってなにかのイベント中。
横長の舞台とグランドピアノが2台。
ヴァイオリンを弾いてみると、とても良い響きがする。
ピアノもよさそう。
客席は椅子を並べて、かなりの人数が入れそう。
ただ一つ、屋根がトタンなので雨の日は盛大に雨音がするらしい。

コンサート当日が雨だったら、ちょっとつらいかも。
思ったよりもずっと大きな舞台。
ここの杮落しの時に、マーラーの交響曲第5番を演奏したというのも納得できた。
そこでの演奏も視野に入れて、雪雀連アンサンブルは来年も頑張れるかどうか。

「ルオムの森」の古い洋館での響きは捨てがたい。
床板が栗の木で、それが良い響きの源になるのかもしれない。
コンサートに協力いただいた「ルオムの森」オーナー、スタッフ、「雪雀連」のメンバー、地元の方々にお礼を申し上げたい。
そして演奏したメンバーの、努力を惜しまない姿勢に感謝あるのみ。

写真は
ルオムの森洋館
コンサート後の夕暮れ by N.Kagotani