2016年9月28日水曜日

これはなんでしょう?



シイタケ?いいえ、シュークリームを焼いたらシイタケができたという、今ツイッターで話題の画像。
どう見てもシイタケにしか見えない。
きっと火力が強すぎたのでしょうね。

シュークリームは今までに一回しか焼いたことがないけれど、焼きあがってからすぐにオーブンの扉を開けると、ぺしゃんこになってしまうらしい。
料理は、特にお菓子は化学だから、食材の分量をきっちりと計って火加減や加熱時間も厳密にしないと、こんな風になってしまう。
でも、これはシュークリームだと思わなければいいのであって、食べたらパリパリとして香ばしくておいしそう。

私の作品はふくらみが少なくて、ちょっと草鞋のようになってしまったけれど、食べてみたらまあまあシュー生地らしき味はした。
カスタードクリームを塗って食べたら、形はキャベツ型とは言いがたいけれど、味はそれらしくできた。
材料は決まっているから、シュークリームがどら焼きの味になることはないのであって、このシイタケも煮物には使えそうもない。
でもすごく美味しそうだなあと思った。
焦げたところがきっといい匂いがすると思う。
これはこれで新しいお菓子として売り出すといいかも。

母が調理をするときに、末っ子の私は、いつもそばに張り付いて見ていた。
母はよく「目ばかり手ばかりよ」と言っていた。
目で見る分量、手で計る分量のこと。
料理用の秤や計量用のカップ、スプーンなどもわが家には置いてなかったのに、母の作るお煮しめやちらし寿司は、いつも変わらない味だった。
今私がいい加減に作ると、塩辛すぎたり甘すぎたり、毎回違う味になるのに。

天ぷらを揚げるときにはコロモの量と材料がぴたりと一緒に終わる。
最後の具材を揚げるときにコロモの一滴も残さず、きれいに洗ったようにボウルになにも残らない。
見ているとこれが熟練の技かとびっくりするくらい、見事だった。
戦後の貧しい時期におなかを空かせた6人の子供を育てるのに、材料は一切無駄にできない。
計器類は使わなくても、生活の知恵から身に付けたのかもしれない。
本当に苦労して私たちを育ててくれたのだと、そんなことからも思い出される。
私たちは子供のころ、空腹でたまらなかったことはなかった。
贅沢ではないけれど、母の味でいつも満足していた。

母はお菓子はあまり作ってくれなかったけれど、きっと上手くできたと思う。
手先の器用さは兄が受け継いでしまって、私は父の不器用の遺伝子をもらってしまった。
兄姉たちは、私は両親のダメなところばかり寄せ集めて作られたと言う。
「かわいそうな子だから、私が死んだらみんなで面倒見なさいよ」と母が兄姉たちに言っているのを聞いたことがある。

本当に自分はすることなすこと、やっぱりかわいそうな子なんだと思う。
































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