2014年12月31日水曜日

寝床コンサート

去年の音楽教室の新年会で、ストラビンスキー「兵士の物語」を弾こうじゃないかと盛り上がった。
クラリネットU先生 ピアノK先生 ヴァイオリンはnekotama。

前からそんな話をしていたけれど、早くしないと私はヴァイオリンが弾けなくなってしまうかもしれない。
それで5月の初旬に初音合わせをした。

元々こういう現代曲は好きなほうで、ストラビンスキーといえば「春の祭典」
あの曲の最後の部分などは全く苦労なく弾けたほうだから、リズムには強いはずだった。
ところが音程がいけません。
ちゃんと音程を取ろうと思うと、指がねじくれる。
例えば本来同じ場所でとる5度音程。
ヴァイオリンは調弦が5度間隔になっているので、5度の音程を取るときには2本の弦の同じ場所を、1本の指で押さえることになる。
どちらかの音にシャープかフラットが付いていれば、同じ場所にはならないので、2本の指で取る。
ところがこの「兵士」では、1本離れた弦の同じ場所を2本指で押さえなくてはならない。
しかもその間の弦にシャープのついた5度音が入っているから、それをもう1本の指で押さえる。
3本の指がギリギリとせめぎ合って、正しい音程を取るのは至難の業。
それをかなりの早いテンポで入れるので、たいてい最初の音は上手く取れない。
そんなことの連続で暫く練習を重ねていても、本番がないと本気にならないのが私の悪い性格なのだ。

大体形がついたところで音楽教室の発表会で弾かせてもらおうと思ったら、時間がどうのと言われて実現できなかった。

それで一時中断。
それでも1度やりかけたことなので、どこかで猫以外に聞いてもらう本番を・・・ということになった。
我が家のレッスン室でも、多少のお客さんは呼べる。
詰めれば20人ほどは入れるだろう。
ギュウギュウで良ければ30人はいける。

寝床という落語がある。

長屋の大家さんが浄瑠璃に夢中で、店子を集めては唸る。
ところがその浄瑠璃が恐ろしく下手くそで、店子達はなんとかして逃げ出す算段。
その言い訳と大家の脅しが面白い。
大家の脅しにあって、結局聞くはめになるのだが・・・・

「うまい!」「浄瑠璃が?」「いや、羊羹」
「おい、頭を下げろ、浄瑠璃に頭を直撃されるとてえへんだ」
などと店子達は大騒ぎ。
1人丁稚が泣いている。
大家は、丁稚が感動して泣いていると思ったのだが・・・

落ちの決めぜりふが「そこは、あたしの寝床なんです」

ご存じ落語の「寝床」

そんな感じになってきたから、先日「雪雀連」のメンバーに
出した案内は「寝床コンサート」と銘打った。
お茶と羊羹を出さなければいけないかしら。
来年1月18日(日)の予定。
耳の遠い方、怖い物聞きたい方などにはうってつけの演し物ですなんちゃって。

2時からです。どうぞお運びを。

羊羹は・・・出ません。
















2014年12月30日火曜日

ぶり大根

246を厚木方面へ。
今日は昨日の寒さとは打って変わって、晴れた暖かい1日だったけれど、富士山が見えないので少しがっかりした。

生協にお正月用品を受け取りに行って、野菜売り場を覗いたら大きな大根が。
私は大の野菜好き。

ある時、近所の無農薬のお店で大きなキャベツをレジに持って行ったら「これは食べでがありますよ」私は「すぐに食べちゃうのよね」
殆ど同時に言って、相手に変な顔をされた。
キャベツはいつも丸ごと買って、あっという間に食べてしまう。
前世はどうやら、キャベツに止まる青虫だったようだ。

さて丸々と膨らんだ真っ白な大根は、いかにも新鮮で瑞々しい。
この季節、大根はすごく役に立つ。
蜂蜜に浸けて上澄みを飲むと、喉の薬。
味噌汁に入れたり鍋のたれにつきものの大根下ろし、お蕎麦にもおでんにも、幅広く使える。
特に寒いときのぶり大根。
煮汁の染み込んだ大根は、ぶりよりも美味しい。

魚売り場へ行くと、
あった!見事なぶりのカマ。
ぶり大根は、どうしてもカマの部分が欲しい。

家に帰って、大根にサクッと包丁を入れる。
いい匂いがする。
一切れ口に入れると、ほのかな甘みと苦みが何とも言えない美味しさ。
つい、つまみ食いをした。
これは生で食べるのが、一番美味しいかも知れない。

ぶりと大根は仲良く鍋の中で肩を寄せ合って、数時間後にはしっかりと味が染み込んでいた。
ふうむ、白いご飯が欲しい。
でも私は夕飯は炭水化物を抜いている。
でないと、どんどん太ってしまう。
日本料理は、どうしてこんなに優れているのかしら。
ぶりと大根を一緒にする発想自体がすごい!
他の野菜、他の魚ではこうはいかない。

残りを明日の昼に、白い炊きたてご飯と一緒に食べよう。
うふふ、食べたいでしょう?

















2014年12月29日月曜日

今年のカレンダー

毎年マンネリのようでいても、なにかしら変化している。
年齢を重ねて、沢山の人達とのつながりが出来て、そこから又新たな出会いがあって・・・
仕事が少なくなってきてヒマが出来たら、今度はしっかりとヴァイオリンと向き合わさせられた1年だった。
それは良き友人達のお陰。
特に、真面目なピアニスト達のお陰が大きい。
私は隙あらば遊びたいと思っているのに、次々に課題を与えられて首に縄付けて引きずられてきた。
それでまだなんとか指も回るし、運弓もさほど不自由はしないけれど、やはり年と共に色々問題は出て来る。

まず、指が曲がってくるので音程が定まらない。
私は練習さえしていれば音程は保たれると思っていたけれど、伏兵がいた。
指の関節炎は、女性なら更年期の頃から始まる人が多い。
私もご多聞に漏れず、10年間ほどは炎症と変形に悩まされた。
関節が腫れ上がり、変形していく段階がひどく痛む。
変形し終ると次の指に炎症が出る。
といった具合に、1本ずつ曲がってゆく。
それが全部終ると、とりあえず、痛みは治まり小康状態になるけれど、又いつ再発するかはわからない。

初め、左手の小指が曲がってしまったときには、ヴァイオリンで言う4の指(小指)の音程がどうしても低くなりがちだった。
長年のくせで、いつものところに小指を置くと、曲がった指はいつもの音程よりも低くなってしまう。
それを修正しながらの仕事は、大変だった。
瞬間的に、小指を少し伸ばさなければいけない。
そのうち他の指にも変化が顕れて、一時期音程の修正に追われた。
今、指はほとんど曲り終って安定してきているけれど、今度は自分の耳がどこまで正常に音程を捉えられるかの勝負が始まる。
それが毎日の課題となる。
若い頃ならなんともなく弾けた16分音符が、指の都合で音程が悪いことがあって、練習を何回も繰り返さないといけない。
例えばドレミファとかドシラソなんて簡単な音程が、気になる。

若い頃は、先輩達が演奏をやめてしまうのが不思議だった。
歳をとっても、毎日練習すればいいじゃない、とか思って。
自分が実際その年齢になってみると、なるほど、こういうものだったのかと実感する。
けれど、私はもう少し弾いていたい。
せっかく色々なことが良く見えてきて、なにかを掴みかけているときにやめたくはない。
これが業というものでしょうか。
しかし、年齢は情け容赦なく先へと進んでしまう。
これは本人の努力の外なので如何ともしがたい。

今年のカレンダーをシュレッダーにかけながら、来年はどこまでいけるかなと考えていた。
うっかり、あと2日残っているのに12月の分までカットしてしまい、あと2日の予定がわからない。
まったく!おっちょこちょいだけは、子供の頃から私の中で不動の位置にある。















2014年12月28日日曜日

コンサート忘年会

毎年恒例の「雪雀連」の忘年コンサート。
深川のコンサートサロンにて。
中々会場が決まらず、とうとうこんな遅くなってしまったけれど、無事に終った。
会場には三々五々、適当に人が集まってきた。
演し物は、シューベルト「鱒」の4楽章。
バッハ「2つのヴァイオリンのためのコンチェルト。
ヘンデル「ソナタ4番」
ベートーヴェン「ソナタ7番」
パッヘルベル「カノン」
歌はモーツァルト「魔笛からパパゲーノのアリア」他

時間の設定がよくわからなくて、出演者が少なくて時間が余ると言うから、生徒達をかり集めてきてもらったら、もうそれどころではなく忙しくて、結局弾いてもらうはずの曲が入らなくて、彼らはさぞがっかりしたことだと思う。
気の毒なことをした。
古くからの友人達といまだに一緒に演奏出来るのは幸せなことだけれど、腰が痛いとか熱が出ているとかで、2,3人は宴会にも出ないで帰ってしまった。
そんな状態でも演奏にだけは来てくれるのが、ガクタイ魂。
どんな時にも約束したことは全うしてくれる。

そんなこんなでバタバタと終ってしまい、その後は近所のお店で飲み会が始まった。
深川と言えば深川めし。
期待して行ったけれど、それはメニューになくて、その代わり焼き鳥やチジミなどが大変美味しかった。
店構えからは想像出来ないくらい上品な味。
健啖家揃いの「雪雀連」は賑やかに今年の締めくくりをした。

このグループも高齢化が進み、会長は来年84才。
その会長が一番元気で、3日ほど奥志賀に行って滑っていた。
そして昨日軽井沢の娘さんのところに寄り、今朝の新幹線でこの会場に駆けつけるというハードスケジュール。
しかも明日もお仕事だそうで、全くどこまでタフなのか。
去年は前立腺の手術をして、元々痩せている上に又痩せてしまったのに、今年はもうツヤツヤしている。
会長が元気なのがこのグループの支えとなっている。

来年2日から志賀高原で滑り初め。
「雪雀連」は年中一緒に遊んでいるけれど、さすがにメンバーは減ってしまっている。
一時期70名の会員数だったのが、今は30名くらい。
それもだんだん行事に参加できる人は減っている。
スマホも持たないのに、どんな場所でも、皆1人で来る。
結局、足腰が強く頭がしっかりしていることが、自立する高齢者になれる条件であるようだ。
自立しているから、愉快な生活が出来る。
人に頼らず、足が地についていて仕事もしている、これがしゃきっとした背筋の伸びた人達を作り上げている。
このグループでは、私などはまだ若輩者なのだ。
















2014年12月25日木曜日

一国の主に対して

キムジョンウン氏の暗殺計画のコメディー映画が上演中止になったことをオバマ大統領が批判したというので、急遽上演することになったと伝えられる。
表現や言論の自由とかいうけれど、私は一国の主席にたいしてこんな失礼な事をやってもいいのかと、その方が気になる。
そもそもこんな映画を作るのは、その国を非常にバカにしていないと出来ない。
実際にキムジョンウン暗殺計画はあるらしいので、なおさらこれをパロディーにする神経がよくわからない。

北朝鮮は確かに絶対あの国に生まれたくないと思う様な国だけれど、その国民は自分の国をバカにされたくはないはず。
どんなに酷い生活でも、そこに生まれてしまった以上は、国を愛する気持ちは他の国の人と同じだと思う。
将軍様を苦々しく思う人は多いと思うけれど、よその国からはバカにされたくないでしょう。
日本の戦前の教育がそうだったように、あの国も子供の時からたたき込まれた信念は他からの付き崩しがない限り、そんなものだと受け入れていると思う。
もし戦前の日本で天皇が暗殺される映画があったら、国民は激怒したのでは。
ほんとうに失礼なことだとは思いませんか。

オバマさんだって自分が黒人であることで、幾多の差別に遭ってきて、それを言論の自由だとかたづけられないことも度々あったはず。
それにしても北朝鮮の人々は気の毒でならない。
特に子供達。
飢えに苦しんでやせ細っている彼らに対し、軍の上層部は食べたい放題。

先年行ったチベットの人達を思い出す。
痩せて真っ黒に汚れた顔で、力なくほほえむ彼ら。
体を地面に投げ、五体投地で聖地に向かってノロノロ進む彼ら。
湖の畔の人家もない場所を這うようにして、祈りを捧げている。
なにをが彼らをそうさせるのかというと、極貧の生活、全く希望の見えない将来。
彼らも又、中国政府によって自由を奪われ、生活苦にあえいでいる。
世界からこの様な人達が居なくなる日は来ないと思うけれど、貧しくとも自分たちで統治出来る国であれば、不満は少ない。
それがよその国だった大国に襲われてのことならば、彼らの絶望感はいかほどのものか。
生き仏のダライラマは戻ってこない。
教育も受けられない、仕事もない。
今の日本の若者は、どんな状況でもとりあえず食べていける。
住む家もある。
切羽詰まれば生活保護もある。
チベットの人達は、一切の援助は望めない。
死ぬ一歩手前のギリギリのところで、生きている。
そんな状況を目の当たりにして、胸が痛くなった。

行ったことはないけれど、北朝鮮の人達も同じような境遇にあえいで居ると聞いている。
日本は今、平和で誰もが自由に話すことができて、こんな良い国はないと思うけれど、これも私たちの先祖が、つらい差別や貧しさを抜け出るために働いてくれたお陰。

あのバカな戦争に負けて、そのために自由が獲得出来たと言うべきか。
あそこで勝っていたら、北朝鮮のような軍の独裁国家でいたかもしれない。
こんな駄文を書いてはいられなかったかもしれない。
ものを言うとすぐに掴まってしまうような時代が来ないことを、切に祈っている。
敗戦は国民にとっては勝利だったようだ。

言論の自由は勿論素晴らしい。
でもそうだからと言って、他をバカにすることが自由と言えるかどうか考えて欲しい。









2014年12月24日水曜日

ナッツ姫

連日報道されている韓国の「ナッツ姫」
生まれながらに周りの人達は自分よりも階級が下となれば、ああなってしまうのは良く分かる。
桁違いの韓国の財閥一家に育ち、怖い物知らずで我儘に振る舞うのは、当然のことと言える。
飛行機を引き返させるくらいは、ほんの序の口。
その様に育ってしまったことが、彼女の不幸だった。
栄耀栄華にあぐらをかいて、周りがおべっかばかりの人達に囲まれていれば、ああならない自信はありますか?

私なら、もっと我儘になっていたかもしれない。
すべてを親の責任には出来ないけれど、彼女を取り巻く環境も悪かったと言えるかも。

私は兄弟達から良いこと悪いことの区別を躾けられていたけれど、末っ子だからというのでかなり甘やかされた。
それで、我儘に育ってあちらこちらで問題を起こしていたけれど、母親が唯一「人に威張ってはいけません」と言った言葉は終生忘れないと思う。
「どこでどんな人にお世話になるかもしれないから」というのが母の口癖だった。
今まで見下していたような人が、後に自分にとって大事な人になるかも知れない。
それは処世術とみれば嫌らしいことだが、母の苦労が言わしめたと思う言葉だった。
それで威張らないようにとは思うけれど、やはり時々は威張りたくなることがある。
それは相手が威張りやの時。
威張ってこられると、かちんときていばり返したくなる。
人間が出来ていないからね。

私がやったカフェでのナッツ姫もどき。

あるとき東京の埼玉県寄りの街に、我が友ノンちゃんの人形劇を見に行ったときのこと。
まだ時間が早かったので、ちょっとお茶を飲もうと喫茶店に入った。
つれは男性2人。
コーヒー3つとシュークリーム1つ。
コーヒーはすぐにきたけれど、シュークリームがこない。
しばらくしてウエイターに「シュークリームはまだ?」と訊くと、明らかに狼狽して「あ、ただ今すぐにお持ちします」
あ、忘れていたなと思ったから、ちょっとからかってみようと思って「そろそろ、こうしようと思っていたのよ」と言って、テーブルをひっくり返すまねをした。
そうしたら驚いたことに彼は真っ青になって、飛ぶようにシュークリームを持ってきた。
それも3つも。
「あら、一つでいいのよ」と言うと「これは店からのお詫びです。どうぞ召し上がってください」
そこで連れの男どもは、恥ずかしいと言って顔を伏せている。
私は笑いながら言ったのに、真に受けられてしまった。
笑いながらというのが非常に怖かったのではないかと、男どもの意見だった。
会計の時にもシュークリーム代は結構ですと言われ、支払いをする連れはうつむき加減で非常に恥ずかしそうだった。

ほんとうにテーブルをひっくり返さなかったけれど、ちょっと悪かったかしらと反省はした。
いまだにお笑い草となっている。

もし私がナッツ姫だったら、ウエイターを蹴飛ばしたりしていたかも知れない。
喫茶店は閉鎖されていたかもしれない。

その後、この財閥一家の悪行が出るは出るは・・・
韓国の庶民達の怒りが、頂点に達していたのだと思う。
この人達に「人に威張ってはいけません」と言ってくれる母親がいなかったのが、悲劇だったようだ。

























2014年12月23日火曜日

冬の箱根

土曜日夕方、南足柄市文化会館を出発、一路箱根へ。
どしゃぶりの雨が降り続き、山の上の方は霧が出ているようだ。
何度も言うけれど、私はすごく恐がりで、雪もイヤだが霧はもっとイヤ。
箱根に来ると、よく山路で霧にまとわりつかれる。
雨は増々激しくなって、山路に差し掛かる頃には前も良く見えない。
白線に沿ってハンドルを操作する。
急カーブが続く。
暗いので対向車のライトが頼みの綱だけれど、それも急カーブだから突然現れる。
自分1人だと呑気にしていられるけれど、人を乗せていると気を遣う。

とにかく無事にホテルまでたどり着いてやれやれと思ったが、外に食事に出ることも出来ないほどの大降りとなってしまった。
かといって、ホテルのレストランで食べるのも時間を気にしながらゆっくりと出来ないので、今日は持っている食料でなんとかしようという事になった。
パンとチーズ、ハム、野菜などをかき集めるとかなりの量で、立派に夕食になった。
これは次の日の朝食を頼んでいなくて、そのために持っていった分だから、夕食としてはやや不足かと思ったら、充分だというのでワインを開けて部屋で皆でゆっくりと過ごした。
男性はリチャードのみ。
さっさと部屋に戻って行ったので、後は女3人。
午前3時まで話が尽きない。

次の朝は抜けるような冬の青空。
やや気温も緩んで、絶好のドライブ日和り。
毎年箱根に行っているので、どこも見ていないところはないから、芦ノ湖の周りをゆっくりと散策する。
イギリス人のリチャードは、気持ちよさそうに日差しを顔で受け止めている。
イギリスの日照時間の少なさを、ここで補っていくつもりらしい。
それを見て私は、温泉に浸かって気持ちよさそうにしているカピバラみたいねと言って、笑った。
途中で餃子会館に寄る。
ここには、1994年にロンドンアンサンブルが立ち寄った記念の色紙がある。
店の奥さんが喜んでリチャードと暫くお話をしていた。

夕方、次の宿の離宮に到着。
ここはエクシブという、会員制の素晴らしいホテル。
リチャードがホテルの名前をエクスペンシブ?と間違えたのかと思ったら、オヤジギャグだったようだ。
今年は前の日が予約出来なくて、結局1泊になってしまったが、ここで2泊するのがいつものことだった。
近くの宮ノ下駅の目の前にあるレストランは去年来た時、開店したばかりだった。
その時にはお客さんもちらほらだったのに今年行ったら満員で、予約した時点ではカウンター席しかとれなかった。
メニューも豊富で味も良く、テキパキと働く奥さんが感じがよくて満足して外に出ると、恐ろしく冷たい風に巻き込まれて、キャアキャア言いながら走って帰った。
前夜が遅かったので、少し早めに床につく。

しかし、眠れない。
睡眠名人を自認する私が、珍しく眠れない。
考えていたら枕のせいらしい。
朝になってから、このホテルでは数種類の枕のスペアがあるということを知った。
それは手遅れだったが、遊んでいるので別に眠る必要もない。
それで殆ど眠れないまま、帰路についた。

今年は若者が一緒でなかったから、行程はゆっくりで短かった。
それでもひどく疲れたのは、土砂降りの中を運転したから。
箱根の冬は気持ちが良い。
雪さえなければ、冬にドライブするのがベストだと思う。
富士山の真っ白な姿が、冬晴れの青空に悠然とそびえ立つ姿が、神々しかった。


























2014年12月20日土曜日

寒いのに箱根へ

ロンドンアンサンブルのコンサートの最後は南足柄市文化会館で、ヴァイオリンとチェロのメンバーが替わる。
タマーシュとトーマスはロンドンに帰っていった。
いつもの年はトーマスだけ残って、一緒に箱根に行って遊ぶのだが、今年はロンドンでどうしても外せない演奏会があって、一足先に帰ってしまった。
タマーシュはヨーロッパだけでなく、アジア圏にも沢山の演奏旅行があって、かれはロイヤルフィルのサブコンマスだから、やはり帰国して、その後はどこかへと又旅立つのでしょう。

帰る日に会えなくてちゃんとさようならを言っていないのが、心残りだけれど、又来年の再会を楽しみにしている。
今日はコンサートが終る頃会場に行って、美智子さん夫妻とタンバリ二スト絵美さんと合流。
3日間の温泉で英気を養うことになっている。
やんちゃなトーマスがいないので、寂しいかも知れない。
彼と美智子さんの夫のリチャードはいたずらっ子で、階段の手すりを滑り降りたり、エスカレーターを逆走したり、2人でわっはっはと笑いながら、戯れる。

演奏するときの神経質さが嘘のようだ。
演奏で神経使うから、普段はこの様に発散するのがガクタイ。
それでガクタイは普段はバカみたいに見える。
中には「みたい」でなく、私のような本物も混じっているけれど。
天気予報では今夜は雨。
箱根の冷たい雨に、なにを好き好んで濡れにいかなければいけないのかと思うが、最後の会場が南足柄市だから一番近場と言うことだし、毎年行っているから、今年も箱根になった。
雨が雪にならないと良いけれど。
数日前に車のタイヤをスタッドレスに履き替えて準備万端。
スタッドレスを履いても、雪になったら運転しないからねと、宣言してある。

今まで雪道は1回も運転したことがない。
1度雪道の運転講習を受けたいと思っているけれど、何回も助手席で車の滑るのを体験しているから、恐怖が身についてしまった。
制御不能となった車ほど恐ろしいものはない。
自分でコントロール出来る自信はないから、雪が降ったら車は代行運転で自宅に送り返し、電車で帰ってくるつもり。
私は人から、ずいぶん怖い物知らずとか無鉄砲とか言われるけれど、実は超小心者なんです。














2014年12月19日金曜日

月例弾く会

今年もずいぶん良くお勉強いたしました。
それは私の事ではなく、3人のピアニスト達。
ピアノ弾きの勤勉ぶりには、恐れ入る。
ほんとうに真面目で(この年になっても)学生みたいに良く勉強する。
いや学生以上かも知れない。
若い頃は指も良く回るし視力も良いから、初見で弾けたりするけれど、私たちくらいの年になると、脳みそと指が直結しない。
楽譜を見ているのに、なぜか見ていない。
理解出来て居ない。
視力が曲に追いつかない。
まあ、色々問題は出て来るけれど、最近までは理解力や洞察力で補えると思っていた。
それがだんだん怪しくなってきた。
視力がいかに大切か思い知らされた。
それを補うのが練習量。
膨大な練習時間を経て、やっと自由に弾けるようになる。
私は練習量が足りない。
だから、こんなところで戯言をほざいているヒマがあったら、練習しろっつうの。

今日は今年最後の弾く会なので、終ってから会場近くの中華レストランで忘年会をすることになった。
鼻先にニンジンをぶら下げられて走る馬のように、中華料理に気持ちが流れる。

簡単なお茶会の後で、それぞれ持ち寄った曲を披露する。
今日はソプラノのMさんがサンサーンス「サムソンとデリラ」から「君がみ声に我が心開く」を熱唱した。
曲も素晴らしいけれど、彼女の声がどんどん出てきていることに感動した。
歌う毎に声に艶が出てきているのはすごい!
長年プリマとしてステージに立っていたキャリアが、威厳とオーラをはなっている。
顔もオペラ歌手そのもので、大輪の花のようなのだ。

3人のピアニストもそれぞれ負けん気の強い優等生タイプ。
そこへ行くと弦楽器奏者はオーケストラで揉まれ、合奏のために自分を人に合わせる訓練を長年に亘って強要されるから、いじけている。
しょぼくれているのは、そのためなのだ。
と、言い訳をしておこう。
今日は特に若いFUMIKOさんが居なかったので、私1人ではこの強力な軍団に勝てるわけはない。
もとより勝つつもりもない。

今日はベートーヴェンの7番の「ソナタ」を弾いた。
これでベートーヴェンの「ソナタ」は6番を残すのみ。
ただ6番は当分弾く気はなくて、しばらくベートーヴェン以外の曲を弾きたい。
今はモーツアルトの「ディヴェルティメント17番」のヴァイオリンパートを毎日楽しく弾いている。
全曲50分くらいかかる長い曲だけど、いくら弾いても飽きない。
いつかもう1度この曲を、ステージで弾こうと思っている。

中華料理は素材の良さと調理の上手さもあって、駅からも遠く閑静な住宅街にあるのに、お客さんはいつもいっぱい入っている。
マンドリン奏者のSさんの住まいがこの近くだとは知っていたけれど、今日探したらあまりの至近距離でびっくりした。
彼女の家にも2回くらいお邪魔していたのに、いつも夜来たので様子が違って見えていたのだ。
一緒に中華いかが?と連絡したら、私たちの食事が終った頃、顔を出してくれた。
初対面の私の友人たちともすぐ打ち解けて、この次からはマンドリンの演奏も聴けるかも知れない。
又楽しみが増えた。



































2014年12月17日水曜日

ラーメン食べた

nekotamaを読んでくれた人に会ったら「ラーメン食べたいんでしょ?」とラーメンに付き合ってくれた。
年に数回は食べるけど、私は食事が単品なのが好きでなくて、おかず色々並べて食べたい方なのだ。
例えば天丼よりも天ぷら定食というように。
丼物もあまり食べないけれど、今日はせっかく誘ってもらったのだから、ラーメンの気分になった。
昔からある醤油のシンプルな物が食べたい。

そこの店では濃厚なスープが主流らしく、醤油ラーメンは色々な種類の沢山の写真の中にすまなさそうに埋もれて、やっと見付かった。
殆どがセットになっていて、一番多いのが餃子とラーメンのセット。
中国人の友達が日本に来て、ラーメンと餃子を食べている人を見てびっくりしたそうだ。
なぜ?ときいたら「ラーメンも餃子も主食だから」と言う。
主食に主食はおかしいでしょう。見て笑ったよと言う。
ああ、そうなんだ。
向こうの人はお正月にもお餅でなく、餃子を食べるらしい。
日本人の私たちから見ると、中に野菜とお肉やエビが入っているのだから、これは副菜だと思いがち。
しかし、彼らは餃子はお目出度いときに食べる、日本で言えばお餅のような物だという。

今からウン十年前、初めての海外はアメリカへの演奏旅行だった。
なにもかも珍しく、食べるものも美味しかったし楽しい毎日だったけれど、ただ一つ、汁もののソバ類がなかったのが残念だった。
ご飯はさほど食べたいとは思わなかった。
けれど、無性にラーメンが食べたくてチャイニーズレストランに入っても、焼きソバばかり。
その頃はまだ日本食のお店は少なく(どれほど昔のことかわかるでしょう)中華レストランはすでにアメリカにもかなりあったのに、日本食レストランは少なくて、高い上にまずいから入らない方が良いと言われた。
1度だけ現地の人が気を利かせて、日本食レストランでの会食があったけれど、何の記憶もないところから、よほどおいしくなかったと思われる。
私は、なにもアメリカで日本食を食べることもないと思って、巨大なステーキと山のようなサラダ、頭が痛くなりそうに甘いケーキを毎日喜んで食べていたら、1ヶ月半で3キロも太ってしまった。
あの国の人達が信じられない肥満が多いのも、頷ける。

それで毎日食べているご飯や漬け物、味噌汁などは別に思い出しもしなかったけれど、ラーメンは同行した誰もが食べたがったのが不思議だった。
ラーメンというのは中国のものではなくて、日本人が発明した中華料理なのだと初めて気が付いた。
中国へは4回も行ったけれど、やはり日本のようなラーメンはない。

今日食べたから、さてこの次は来年のいつ頃になるかな。





















オートマかマニュアルか

数年前、長崎に仕事に行った。

仕事が終って、次の日は少し時間に余裕があったから最終の飛行機で帰ることにして、レンタカーでドライブをした。
ここ何年も阿蘇に行っていないから、私の大好きな阿蘇山をグルッと回って、熊本空港から飛行機に乗る予定をたてた。
朝一でレンタカーを借りるために営業所に行った。
すると、車がない。
たった1台、三菱のマニュアル車ならありますとのこと。

私が免許をとったころは、教習所の車も街を走っている車もマニュアル車だった。
もうずいぶん長いこと、マニュアル車は運転していない。
どうしようかと思ったけれど、他のレンタカー営業所を探すのも面倒だし、かつてはそれで免許もとったことだし、多分運転できるだろうと借りることにした。
なぜそんなに車がないのかと訊いたら、おくんち祭りの最中だった。
日頃から世の中のことは疎くて、周りのことに無関心。
だから長崎の空港に着いてからも、街の中を見ていない。
どこかにお祭りの気配を感じても良さそうなのに、空港ーバスー仕事の会場ーホテルー飲み屋ーホテルという具合に限られた行程をこなすだけだから、ちっとも気が付かなかった。

マニュアル車でトロトロ動き出す。
時々ギアを入れ忘れ空ぶかしするくらいで、思ったよりもしっかり操作を覚えていた。
若い頃さんざん運転したし、その頃覚えた事は最近になって覚える事よりもずっと身についている。

数キロ行くともう鼻歌まじり。
これはラッキーだったかも。
阿蘇山の周辺を回って草千里まで行くつもりだから、オートマよりギアが付いた車の方がよほど面白い。

のんびり周りの景色を楽しみながら阿蘇へ。
山の中腹に茶店があって、そこで小休止。
中へはいると壁に「だごじる」と貼ってある。
「だごじる」とはなんぞや?
まだ午前の早い時間だったので、観光客はいない。
茶店のオヤジさんとおばさんたちが数人、お茶を飲んでいる。
だごじるってなあに?と訪ねると「団子汁」のことらしい。
「食べるか?」とおじさんに訊かれたから、勿論いただく。
まあなんといいましょうか、野菜汁に小麦粉の団子が入ったような物だった。
おばさん達が漬け物をどさっと出してくれて、だごじるは「勘定はいいよ」てなことになった。
日本全国、親切な人がいるものだなあ。

地元民の親切に感謝して、一路草千里へ。
久々に馬に乗りたくて、さっそく曳き馬のコーナーへ向かった。
この馬が横幅の広い頑丈な農耕馬。
サラブレッドのスマートな馬とはワケが違う。
おとなしいけれど、ちょっと鈍そう。
それでも一面の草原をゆらりゆらりと揺れていくのは、中々乙なものだった。
風向きによって噴煙がなびくので、その日は一部立ち入り禁止の箇所もあったけれど、穏やかな日で気分は上々だった。
ノンビリしていたけれど、熊本空港が意外と遠いのを発見して青くなった。
4時までに空港の営業所に、車を返さなければいけない。
ナビを見ると、グルッと回る大きな道を行くより、山路の方が近い。
それからは細くて急な山道をひた走って、ジャスト4時に営業所に滑り込んだ。
その頃にはマニュアル車はすっかり手なずけられて、ギアチェンジが楽しくなってきた。
やはり山路は断然この方が面白い。

目的は、阿蘇の話ではなくて、ギアのはなし。
最近日産でギア付きの小型車が販売されている。
ギア付きというと、国産車では軽トラックのようなものしかなかった。小型乗用車では珍しい。
先日その姿をみたら、白地に赤の縁取り。
色も可愛いし、燃費その他で今乗っている車より、断然費用がかからない。
同じ車種でオートマもあるけれど、もしその車に乗り換えるならギア付きにしようかと思っている。
なにも年取ってから物事を複雑にしなくても良さそうなのに、いつまでも心が子供だから、より面白い物に惹かれる。
山路でギアを選びながら走る、それが上手くいったときのうれしさが忘れられないで居る。


























2014年12月16日火曜日

ラーメンは回避

昨日は夜中に目が醒めたら、お腹が異常に空いていた。
こういう時は体調を崩すサインなのだ。
ここで食べてしまうと絶対ダメだとわかっているから、なんとか夜中のラーメンは回避した。
それでも何度かインスタントラーメンの袋に手が伸びる。
考えてみたら、昼間の食事の満足度が低いと、こうなってしまうらしい。

昼は澁谷駅構内のそば屋で天ざる。
この天ぷらがバリバリに冷たくなっていて、昨日揚げたのかしらと思ったくらい。
それでもお蕎麦は美味しいし,注文してから出て来るまでが異常に早い。
入り口で注文して席を探して腰掛けると、もう目の前に蕎麦が。
どういうシステムかは分からないけれど、急いでいるときにはありがたい。
厨房では休む間もなく働いている人がいるのだろう。
いつ行っても混んでいるけれど、行列して待ったことはない。
澁谷駅構内なので、これほど早く出来なければ、客をさばききれない。

仕事が終って帰る頃には夕飯の時間。
朝から出ていたので用意をするヒマがなかったから、商店街の総菜屋さんで鰺フライを買う。
この総菜やさんは何十年も同じ場所で営業している。
丁度三角州みたいになった分かれ道の角にあるから、駅から歩いてくると真っ正面に見える。
店は小さく外見は冴えない。
それで、長年この前を通って帰宅するのに偏見があって、ここで買い物をするのはまれだった。
揚げ物と焼き鳥ばかりだし、たぶん冴えない味なのかと。

ところが最近、食事の用意が出来なくて時間も遅く、他の店が閉まっていたときに、仕方なくそこで買い物をした。
買ったのは鰺フライ。
食べて見ると、肉厚の鰺がカリッと揚がってとても美味しい。
それからやみつきになった。
しかも店員さんがすごく親切で感じが良い。

なるほど、納得。
なにを納得したかというと、数年前に大手の総菜ショップがこの店の斜め向かいに店を出した。
お店も綺麗、品数が豊富。
これは気の毒だけれど、あのお店は潰れるなあと思っていたけれど、潰れたのは大きいお店の方だった。
2年も保たなかった。

それでも私は、鰺フライやさんの方では買い物をしなかった。
思えばこんなに美味しいフライを買えるのなら、自分で下手くそなフライを作らなくても良かったのだ。
忙しくても、こういう物は自分で作るものだと頑なに考えていたけれど、それが生活をますます忙しくしていた。
もう少し手を抜いて時間のゆとりを作ったほうが、どれほど楽になったかと思うと、ちょっと悔しい。
いつもは楽器を弾くには脱力が不可欠なんて言っているのに、肝心の生活は脱力できていない。

昼に天ざる、夜は野菜沢山のスープと鰺フライだったから、揚げ物続き。
味に変化がなかったので欲求不満になったらしい。
それで夜中のラーメンが欲しくなる。
夕食は刺身に豆腐なんかだったら良かったかも。
味にメリハリがないと、欲求不満になってしまうのか。
今、我が家の猫どもはハンスト中。ちっとも食べない。
毎日同じ缶詰ではイヤなんですよね、猫さんでも。















2014年12月15日月曜日

ラーメンが食べたい

今、無性にラーメンが食べたい。

オーケストラの演奏旅行で全国を旅していたときには、飲みに行った後にラーメンが定番だった。
酔っぱらった後に食べるラーメンは、それはそれは美味しかっ
た。
仕事仲間は男性が多かったから、若くてまだ社会経験もない私もいっぱしのガクタイになったつもりで、今思えば相当無理をしていたようだけれど、そんなことが大人になった証しのような気がしていた。

大抵の旅は車で。
カークラブなるものがオケ内にあって、演奏旅行の時には数台が連なって移動していた。
それがすごく格好良く見えて、私も免許を取りに行った。
そこに入れてもらいたくてお願いしたら、新車を買ったら連れてってあげるよと言われて買ったのが初代カローラ。
まさかそう言っても買うまいと思っていた人は、びっくり仰天したらしい。
まだ若い女性を車の旅行に連れて行くのはいかがなものかと協議したらしいけれど、一旦口に出してしまったあげくに新車を買われてしまっては引っ込みがつかない。
それで皆で私の面倒をみようということになった。

そんなわけで、免許をとってすぐにベテランの中でもまれ、初めての旅行では日本の3分の2くらい走ってきた。
高速の少なかった(東名もなかった)時代、夜中に山路を走ったり、途中で車が故障して国道沿いで野宿したり、初ドライブは緊張とスリルに満ちていた。
北は新潟から南は九州の殆ど、四国に渡り、山陽道から東海道を戻って来た。
その間ベテラン達の気苦労はいかほどのものだったか。
私なら初心者なんて絶対連れていかないけど、心の広いおじさま達は必死にサポートしてくれた。

走りのコツ、例えば当時はオートマではなかったからギアチェンジのタイミング、追い越しのやり方、高速道路の走り方、その他細々とした走りのルールなどをたたき込まれたお陰で、今でも時々ポールにぶつけることもあるけれど、大した事故も起こさずやってこられた。

地方の会場で仕事が終ると、次の行程によっては夜中に走って目的地に先に行ってしまうこともあったけれど、大抵はその土地で宿泊する。
仕事の後のお酒は美味しい。
たいして飲めるわけではないけれど、酒席は好きな方で、その土地の物を食べ、地酒を飲み、陽気にホテルに戻っていく。
そういう時にふとラーメン店が目につくと、誰がということもなしに入ってしまうのがいつものことだった。

オーケストラをやめてからも、旅の仕事は最近までやっていた。
けれど、さすがに飲んだ後のラーメンはもう出来なくなった。
そのせいか、普段は滅多にラーメンを食べないのに、時々夜中に無性に食べたくなることがある。
食べたら後で胃がもたれて大変なのに、我慢出来ない。
それは1年に1回くらいだが、楽しかった演奏旅行の後遺症かもしれない。
思い出とラーメンが結びついたときに、そうなるのかも。

今日はそんな日、体に悪いからなんとか回避したいので、こうやって書いているけれど、さあ、我慢出来るかな。

どうする、どうする。




















2014年12月14日日曜日

投票日

規則は破るためにあると思っているけれど、私が唯一真面目に守ってきたのは、選挙の投票。
私の場合は、野党を強くしたいという目論みでするのだが。
最近まで自民党がずっと政権を持ってきて、その目に余る杜撰な政策のお陰で年金は破綻、一部ゼネコンだけが潤い、職にありつけない若者が世に溢れ・・・そこに風穴を開けたのが民主党・・
やれやれ新しい風が吹くと思ったら、これがとんでもなく無能でやることなすこと失敗続き。
というより、民主党は気の毒に運が悪かった。
政権を奪取したまでは良かったけれど、その後の大震災、原発事故と重なり、表立つ事に馴れて居なかったために、右往左往して結果は自滅。
初めのうちは颯爽としていたけれど、言うことがなんだか中学生レベル。
学級委員が話しているようで、皆さん廊下を走らないようにしましょうレベルのやりとりを聴いていてうんざりした。

プロの政治家と言える人がいない。
ちょっとテレビで顔を知られて選挙に出て、当選したような人たちは、国政がどんなものかはご存じない。
勿論私も知るわけない。
その私ですら、ん?と思う程度の低さにはまいった。

政治の世界は不思議で、明らかに犯罪といえる罪を犯した人が、のうのうと再度復り咲く。
世間の人はこんな犯罪者にも再び投票するらしい。
普通は嘘をついたら、舌を切られるものなのに。

それでいつも絶対にそういうことのないように、たった1票であろうともおろそかに出来ないから、絶対に棄権しない。

ところが、長年かならず投票に行っていたのに、最近棄権してしまったことがある。
前日までは覚えていた。
当日の朝も今日は投票日だと、分かっていた。
それなのに、気が付いたら投票時間が過ぎていた。
なにをしていたかというと、思い出せないけれど、格別忙しい日でもなかったような気がする。
ほんとうにショックだった。
投票をしなかったこともだが、すっぽり頭からそのことが抜けてしまったことが1番こたえた。

政治にさほど関心も知識もないけれど、やはり自分の国の行方がもし自分の1票できまるなら、絶対に参加しなければいけない位の責任感は持っている。
それなのに、その権利あるいは義務を忘れてしまうとは。
今回はいつも目につくようにと、投票用紙を食卓のずらりと並んだ酒瓶の間に挟んである。
お酒に手を伸ばす度に目につくからよもやと思うけれど、いよいよ怪しくなってきた脳みそが、それすら見逃すかも知れない。

昨日の夜、酒瓶から移動して、譜面台に投票用紙を載せて置いた。
ここなら必ず一番最初に見るから。
それが良かった。
今朝も投票のことをまるで忘れていた。
危うくなってきたなあ。
高齢化社会、悪気でなく忘れる人が多くなっているかも。

















2014年12月13日土曜日

車好き

毎年この時期になると長兄からの招待で、姉妹が集まる。
元実家のあったところに住む兄は、一族のとりまとめ役を自認しているらしく、昼食会を開いてくれる。
長姉が他界して今は5人兄弟になった。
それぞれの子供達は家庭を持って独立しているし、兄も年をとってきて、私たちとの昔話は楽しいらしい。
話題も毎年ほぼ同じ。
父や母の知られざる一面をこの兄からきかされて、私の知っている両親の思い出と重なってたいそう興味深い。
ルーツが気になるらしく、一族の家系図などを作成して配ったりしている。
三代前くらいまでは信用出来るとしても、江戸時代に遡るともう半信半疑だから、私はほとんど興味はないけれど、家長たる兄としてはなにか形が欲しいようだ。
毎年マンネリになっているけれど、こうやって集まって何回も同じ話をして・・・これが家族の形となっている。
兄が掛川に単身赴任していたときに、狸に餌付けをした話はいつもの話題。
そう言えば話している兄は、狸そっくり。
よほど狸が気に入っていたと見えて、その話は毎度出る。

今日は車の話で盛り上がった。
我が家には私が小学生の頃から、車があった。
そのころ自家用車を持っている家は殆どなくて、これは我が家が金持ちだったという自慢ではなく、子だくさんで貧乏にあえいでいながらも、父が新らし物好きだったという話。
父は元々器械屋さんで、戦中は発明協会などに勤務していたから、器械類や車などはどこからか中古品を見つけては買っていたらしい。
最初の車がフィアット?
もの凄い真っ青な車で、なんとクランクでエンジンをかけていた。
クランクというのは、要するに鈎の手に曲がった金属の棒をフロントの穴に入れてグインと回すとエンジンがかかる仕組み。
この車がしょっちゅうエンストする。
交差点の真ん中でエンストすると、車を降りてクランクをまわすのだが、焦ると中々エンジンがかからない。
それでも当時は車も少なく、ポンコツの車が多かったから、クラクションを鳴らされずに済んだけれど、なぜか父は私を乗せて走りたがる。
エンストすると恥ずかしくて、助手席で小さくなっていた。

次がシトロエン?
これは中々素敵な車だったけれど、やはり相当な骨董品だった。
その次も外車でどこのメーカーか忘れたけれど、やはりフィアットだったか天井が開く車で、これは私のお気に入りだった。
暫くすると日本車も良いものが出はじめて、日産セドリックがやってきた。
この頃私は免許を取ったばかり、初めてのドライブで兄を助手席に乗せて家の周りを回っていると、片方の車線がガラガラで車が来ない。
それで追い越しをかけようと、そちらの車線に出ると助手席の兄が大声で「やめろ~」と喚いている。
だって、誰も走ってないじゃないと言いながら走って行ったら前方は踏切で遮断機が下りていた。
どうりで車がこないわけだ。
反対車線を走っていたので、兄が窓を開けて車の列に手を合わせてやっと入れてもらった。

私にはセドリックは、大き過ぎる車だった。
当時はハンドルを上下したり、シートをスライドしたりする装置はなかったから、小さい私は座蒲団を敷いてステアリングの輪の中から外を見ていた。
それで外からは運転手が見えない。
無人自動車のようだと言われた。

それは父の車だったから、自分の車が欲しくなって買ったのが真っ赤なトヨタパブリカ。
これも今は知っている人は少ないと思うけれど、空冷の軽。
その後すぐに初代カローラが発表されて、試乗に行って気に入って買ってしまった。
そのカローラは走行距離10万キロを軽く越え、ドアが腐って落ちそうになるまで乗りつぶした。
それから10台ちかい車を乗りつぶしたけれど、このカローラは格別愛着があって、今でも九州の山路でスカイラインと抜きつ抜かれつして走ったことなど、懐かしく思い出す。
父親似の私はやはり車大好き。
今思うと私はいつも、父親の傍に居たような気がする。
父は私に頻繁に、お土産を買ってきてくれた。
病気で寝込むと、必ず枕元に新しい本が置いてあった。
それが、子だくさんでお金の苦労ばかりしている母の、逆鱗に触れていた。
カローラを買う時、父は喜んで、母は心配していた。
性格が会わない両親だったけれど、どちらからも沢山の愛情を注いでもらった。
この季節いつも思い出すこと。


















2014年12月12日金曜日

ロンドンアンサンブル公演

澁谷の伝承ホールは満員御礼!
立ち見が出るのではないかと心配するくらい,空席を探してうろうろするお客さんが見かけられた。
それでも全員なんとかイスを確保したようで、両脇のテラス席?のようなところまでぎっしりと埋まった。

一曲目のバッハは、古楽器風の音で始まった。
去年もそうだったけれど、モダン楽器で古楽器の音を出すのは難しいと思うのに、ヴィブラートを極力排除して中膨らみの様な音の出し方で表現していた。

そこからモーツァルトのピアノトリオ、ウエーバーのフルートトリオ、そして大人気のトーマスがピアソラで休憩。
2部はリチャードが日本の袴姿で尺八を吹き、圧巻はタマ-シュの弾くサンサーンス「序奏とロンドカプリチオ-ソ」
日本人でも、この難しい曲をなんなく弾ける人は多いかもしれない。
けれど、タマ-シュの演奏はやはり血の中にヴァイオリンという楽器が流れているとしか思えない、多彩な音色、ニュアンスの見事さ、これは残念ながら日本人にはまねの出来ないものがある。

マーラー「アダージエット」最後の「カルメン」
そこで友人の絵美さん登場。
タンバリンを一所懸命叩いて居る。
冗談にカルメンなんだからフラメンコの衣装でも着たら?と言ったのだが、地味な黒いドレスで登場。
決して羽目を外さない彼女らしい。
私ならバラの花を咥えて出て行くのに。
いや、私は猫だから今の季節サンマを咥えて・・・あはは。

終ってから一緒に聴いていた友人のHさん(この人も美智子さん)とアマチュアチェリストU子さんとキリンシティーでビールで乾杯。
私は運転するのでジンジャーエール、トホホ。
そこへ遅れてヴァイオリン制作者のSさんが登場。
彼は、先日私の楽器の駒を取り替えてくれたので、楽器は絶好調。
本人まあまあなのが残念!
彼は世界の名だたる人の名器を扱っている。
その彼が私の元同僚だったTさんと家族同然の付き合いだそうで、話が盛り上がった。

そうこうしているうちに真夜中になって、すぐ近くの居酒屋にいていつまでもグズグズ飲んでいるトーマスとタマ-シュをしょっ引いて車に乗せ、猛スピードで宿泊先に送り届けた。
今日は東神奈川のかなっくホール、マチネーで演奏するのだから、ちゃんと寝なければいけない。
だんだん母親の気分になってきた。

彼らは別れ際に又会えるよね?と訊いたけれど、たぶんと答えておいた。
毎年、トーマスは一緒に箱根に遊びに行ってから帰るのに、今年は事情があって早く帰ってしまう。
ほんとうはどうなんだろうか。
会えるのか会えないかは神様しだい。
来年も彼らと再会できれば嬉しいけれど。













2014年12月9日火曜日

出来る女風の人達

今時のテレビドラマではよく、男性をしのぐ仕事の出来る女性主人公が出て来る。
その人達はいつもキリッとスーツにハイヒール、仕事場の廊下をカッカと靴音を響かせて闊歩する。
スタイルもいい、顔も美しい。
しかし、頂けないのはその態度。
肩で風を切って颯爽と行動するのはいいけれど、なんでこの人達はこんなにとんがっているのだろうと、いつも疑問に思ってしまう。
年下の、あるいはちょっと緩みかけた上司や部下に、つんけんと物を言う。
行動は迅速で頭は切れる。
それでも時々、何だかなあと見ていて噴き出しそうになる。
と言うのは、本当に出来る人ってああではない。

出来る人は自分に自信があるから、穏やかで落ち着いている。
実るほど頭を垂れる・・・というではないか。
ドラマの中の女性をあんな風に描くから、一般の人が真似することがあって、それはとても困ったことになる。

旅行社でホテルの手配をしてもらったときに、担当してくれたのがそんな風の女性だった。
猛烈な力でパソコンのキーボードを叩くので、あのキーボードは他の物よりも早く壊れてしまうに違いないと思った。
その人が手配してくれた新大阪駅近くのホテルは,裏寂れた雰囲気の悪いホテルで、部屋に入ると、あ、これはいかん!と思える類いのものだった。
彼女はトゲトゲしていて感じが悪かったから、2度とその旅行社はつかわなかった。
他の社員の中でも1人浮いている感じで、テキパキしているというより、ガサガサしている。

それから、あるカフェでは1人で大騒ぎしている店員がいて、入るなりカウンターから大声で呼びかけてくる。
ケーキを選んでいるのに、余りにもこちらです、こちらですと言うものだから早々に注文に向かわされ、挙げ句の果てに人の言うことを全く聞いていなくて、注文したものが入っていない。
計算し直しで、二重手間。
いかにも出来る女ですと言う態度なのに、マニュアルにばかり拘っているから、こちらの返事を聞き漏らす。

近所の自然食品のお店では非常に客に気を遣うので、いつもは申し分ないのだが・・・
私は近くのデパートに車を止めて、すぐ近くのその店で野菜だけ買う事にしている。
安全面のこともあるけれど、格別に美味しさが違う。
たぶん流通が違うのか、どの野菜も瑞々しく、香りも高い。
ここのお店で初めて買った時、にんじんの臭いをやっと思い出したくらい。
それでキャベツや大根など重たいものも、丸ごとどっさり買う。
いつも、袋を二重にして、二つに分けてくれる。
ある日綺麗な人が感じよくレジを受け持っていた。
珍しく綺麗な人が居るなあと思っていたら、これが出来る女風だった。
テキパキとレジのキーを打つ。
でもその日は割引のある日で、それを間違える。
こちらからなにも言わなくても、重たいからと二重にしてくれる袋を、一枚に詰め始めたから「袋二重にしてくださいね」と頼むと「はい」と感じよく答えるけれど、一向に二重にはならない。その上、なにもかも一枚の袋に詰め込む。
私みたいな婆さんが大根、キャベツ、にんじん満載のこんな重たい物を片手で持てるワケがないのに。
「あ、二つに分けて下さいね」と頼むと又「はい」と感じよくニコニコしている。
でも・・・
全く人の言葉を聞いて居ないことにやっと気がついた。
私が怒り出しそうなのに気が付いた店長が、自分で詰め直して渡してくれた。
その人はあれからずっと見ていないから、多分やめたのでしょう。
そして家に帰って見ると、ポイントカードの判子が押してない。
あーあ。
外見、すごく出来る女風。
ゆっくりでも良いから相手の言葉をちゃんと聞いて、穏やかに対応してくれた方がいいのに。
そのお店の他の店員さんたちは、ちょっと田舎風だけど、すごく親切で、これこそ「出来る女たち」


























2014年12月7日日曜日

弦楽アンサンブル今年最後の練習

音楽教室「ルフォスタ」の弦楽アンサンブルは9月の発表会を終えて、ますます安定してきた。
発表会では、今までで一番の出来映えだったし、メンバーも丁度人数が揃っていよいよ安定期に入ったと思う。
今練習しているのは、レスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」
創立以来、様々な曲を弾いて模索してきたけれど、やっとここにたどり着いた。
メンバーの力量がバラバラだったり、仕事が忙しくて練習に出られない人もいて、アマチュアの団体は中々レベルがあがらない。
けれど、今のメンバーはほぼ互角に向き合える人達で、気が合っているから、雰囲気も上々。

今日は今年最後の練習なので、忘年会をしようと誘われた。
いつも練習の後は皆で飲みに行くらしいのだが、私はさっさと帰って来てしまう。
終ってから飲んで、練習の時に私から受けた罵詈雑言の憂さ晴らしが出来るようにとの、親心なのだ。
今年も去年も合宿には私が駆り出された。
複数の教師が交代で指導している中で、私が一番ヒマで他の若い講師は働き盛り。
せっせと働いて妻子を養ってもらわないといけない。
それでいつも私が、楽しい思いをさせてもらっている。
相手が大人だから、話も面白い。
特に今年は石打スキー場の中にある、マンションのホールをお借りしての贅沢な合宿となった。
それもチェロパートにスキーのプロがいて、その人の住んでいるマンションのゲストルームが借りられるという、幸運に恵まれた。
唯一残念なことに、スキープロは冬になると忙しく、都内での練習には出てこられなくなる。
それでチェロが冬場は寂しくなる。
今日はもう1人のチェロが親類の結婚式に行って、チェロは全滅。
団長と言うべきGさんがチェロパートをヴィオラ記号に直してきてくれたので、それを私が弾いて急場をしのいだ。
今は調性やオクターブの上げ下げの指定をすると、移調してくれる便利なソフトがあるそうで、低音部記号をアルト記号に直したりも出来るらしい。

練習後に御徒町駅近くの魚料理の店で乾杯をした。
今年もあますところわずか、来年もこのメンバーにチェロが1人増えて,本当に音楽が楽しめる最高の合奏団になって欲しいと思う。

メンバーがやめないで長いお付き合いをすることが、良い音への最短距離となる。
仕事の都合で欠席や遅刻は仕方ないことと諦めるけれど、やめてしまうとバランスがくずれてしまう。
新しいメンバーが入る度に、振り出しに戻ることになる。
長年一緒にやってこそ、熟成された音になっていくにも拘わらず、思いつきで入ってきて簡単にやめてしまう人がいる。
それでなにが面白いのかと思う。
少し我慢をすれば、曲がった道の先に絶景が広がっているのを、みすみす逃すことになるのに。




















2014年12月6日土曜日

今響いているのは

今、ロンドンアンサンブルのメンバーがリハーサルをしている。
我が家のレッスン室でこんな良い音がするのは年一回だけ。
いつもは、私のノコギリの目立て、生徒たちに怒鳴る声。
今日は部屋がさぞ喜んでいることだろう。

タマ-シュとトーマスは昨日マンションの和室で寝たために、畳が堅くて腰を痛めたという。
それで私の行きつけの中国整体に連れて行った。
二人の大きなイギリス人を見て、中国人整体師達は驚いていたけれど、体が大きいから苦労したのだと思う。
帰って来た二人は、まるで拷問のようだったと言うから、全力で治療してくれたらしい。
それでも、二人はすっかり良くなったと言って大喜びだった。
最初電話で頼むときに「ソフトにお願いします」と言ったら整体院のオーナーが「痛いくらいでないと効きません」と言う。
たぶん、それで整体師たちも張り切ったのではないかと思う。
私が受ける時には、痛い事は痛いけれど、それほどでもない。
それでも終ると全身ホカホカして、次の日はすっきり。

私の最寄り駅には整体院が3軒毎と言うくらい、林立している。
そして、どこの治療院も客入りが悪いらしく、よく呼び込みをしているけれど、ここの治療院だけはすごく流行っている。
中国の人は長年の伝統があるので、体の事も良くしっている。
しかも、人種的に手の関節が柔らかいかも知れないが、とても上手いから、私はもう何年もここに通っている。

30分の治療時間のはずが、二人は1時間半経っても帰ってこないと思ったら、散歩をしていたらしい。
ニコニコしてベリーグッド!
良かった良かった。

そして練習再開。
今はチェロの朗々とした音が聞こえる。
明日のサロンコンサートを皮切りに、コンサートが続いて、もうあまり会えないので、今日はこれからワインパーティ-。

今朝、ピアニストの美智子さんとその夫フルートのリチャードに1年ぶりで再会したのに、なんだかずっと一緒に居たような気がして、お互いに挨拶をするのを忘れて、自然に会話に入ってしまった。
途中でハッと気がついて、久しぶり!とハグ。
年に3,4回しか会わないのに、なんだかずっと一緒にいるような気がする人達なのだ。












2014年12月5日金曜日

ロンドンから

今朝電話が鳴って、タマ-シュの声が聞こえた。
今成田で、エキスプレスの出発は10時50分だという。
たしかエクスプレスは15分、45分に出るので変だなとは思ったけれど、空港内でターミナルが違うとそれぞれ駅が違う、そんな事もあるのかなと、勝手に決めた。
調べると45分発は12時05分に武蔵小杉到着。
それでは後でねと言って、電話を切った。
12時少し前に駅のロータリーに行くと、すでに大きな外国人が大きなスーツケースとチェロを前にして立っている。
大きいのはトーマス・キャロル。
彼は背も高いが横幅もあるから、サングラスをしていると、何者かと思う。
あれおかしいな、もう着いてる。
とりあえず再会の挨拶を交わして、今日の宿泊所のマンションに送り届けた。
それで出発は何時だったのと訊くと、10時15分だそうだ。
私の聞き間違えで、フィフティーンをフィフティーと訊いてしまったのだ。
フィフティーンヌと、近くで聞けばよくわかる。
彼らは、だから20分以上待っていたのだが、優しいタマ-シュは「15分くらいだよ」と言ってくれた。
二人とも疲れ切っていたから、気の毒な事をした。
しかし、今日は上天気。
日だまりにいれば、寒さもさほどではないから、よかった。
これが雨風の吹きすさぶ日だったら、目もあてられない。

いつも陽気なトーマスが少し元気がない。
彼のオーケストラが経営面で大変らしく、そのためにいつもの年だと一緒に箱根に遊びに行ってから帰国するのに、今年はそうもいかないらしい。
国内でスポンサーにアピールするためのコンサートを沢山やってから来たので、すっかり疲れ果てているようだ。
どこのオーケストラも経営は大変で、私たちも若い頃はいやというほど、苦労したものだった。
その苦労は今思えば楽しかったとも言えるけれど、当時はどうなるか行方も知れない小舟に乗っているような気分だった。
ロンドンでリハーサルは済んでいるけれど、明日我が家でもう一度リハーサルをして、7日からコンサートが始まる。
11日澁谷の伝承ホール、12日昼の公演は東神奈川のかなっくホール。


かなっくホールは午後2時開演。
プログラムは伝承ホールと同じ。
聴き応えのある演奏と楽しいプログラムです。














2014年12月3日水曜日

生徒と一緒に

6才から6年間教えた子が、大学院生となった。
合格発表があって、その報告に来てくれた。
小さい頃からのんびり屋さんで感情が外に出てこないから、先生を変わる毎にどの先生からも「もっと自分の気持ちを表現するように」と言われ続けていた。
どうやら表現しようにも激情タイプではないので、内面に濃い感情の持ち合わせがないらしい。
テクニックはもう心配ないとロンドンアンサンブルのタマ-シュ・アンドラ-シュからも太鼓判を押してもらったのだけれど、やはり彼からもどう弾きたいのか訊かれていた。

子供の頃は私の家で伸び伸びと、音楽の楽しさを身につけた。
アンサンブルも沢山弾いて、楽しくて仕方がない時期だった。
出来るだけ小さいうちに基礎をつけてしまおうというので、カール・フレッシュの音階教本を早くから始めたから、3度の音階なども平然として弾きこなす。
そして彼女の一番の長所は、人の動きに感応できるということ。
早くから初見でバリバリとアンサンブルを弾かせたので、初見が利くのと他の人の動きに敏感に反応できる。
彼女自身はあまり感情の起伏がないけれど、人の気持ちに寄り添うことができるから、こちらから仕掛ければ結構のってくる。
本人はオーケストラを希望していたのだが、今は空きが少なく、一つ席が空くと4,50人の応募者があるらしい。
私は、彼女は本当にオーケストラのトゥッティー(トップ以外のいわゆる兵隊さん)向きだと思っているけれど空きがなくては入れない。
はみ出さず、音程も良い、初見は利く、皆の動きに合わせられるなど、優れたオケマンになれる要素を沢山持っている。

私は、先日聞いたモーツアルトの「ディヴェルティメント17番」を元気で弾けるうちに、コンサートにかけたいと思っていた。
10年前、節目のコンサートで弾いた曲をもう一度。
以前から構想を練っていたのだが、今年はなにかと体調がすぐれず先送りとなっていた。
生徒が育って一緒に弾けたらいいと思っていたけれど、そこまで自分が弾いていられるかどうか自信がなかった。
来年、私がまだ弾けるようなら、彼女に相棒をつとめてもらおうと思っている。
私よりもテクニックがあるから、追いかけられるかも。
あんな小さかった子がすくすく育って、一緒のステージで弾けるなら本当に嬉しい。
夢がかないますように。
「あんな下手な先生についていたの」と周りから言われて彼女が恥をかかないように、がんばらないと。
もし実現したら・・・
彼女はとても背が高いスラッとしたお嬢さん。
私と身長の差がありすぎてアンバランスだから、私はステージに登場するときに、竹馬に乗って出て行かないと釣り合いがとれない。
ヴァイオリンよりも、竹馬の練習をしないといけないかも。
















2014年12月2日火曜日

ベートーヴェンのソナタ

今日はピアニストのSさんが来てベートーヴェン「ソナタ7番」を合わせた。
ずっとベートーヴェンを合わせてきて、残ったのがこの7番と6番。
他のソナタは色々なコンサートでもオファーがあるけれど、7番のソナタはそうそう選んではもらえない。
大抵「スプリングソナタ」「クロイツェルソナタ」をと言われて相当な回数弾いているけれど、7番は注文なし。
学生時代に友人とちょっと遊んでもらったくらい。
6番に至っては、譜読みすらしていない。
とにかくベートーヴェンを全曲弾いておかないと、あの世でベートーヴェン様にお目にかかった時に、「ふん!」といわれそうな気がする。
幸いSさんは大のベートーヴェン好きで、ずっとシリーズで合わせてもらえるのがありがたい。
私はモーツァルト命でベートーヴェンは非常に苦手だけれど、避けて通るワケにはいかないので、やっと最近やる気になった。
残すはあと6番だけまでに漕ぎ着けた。
さて7番の形がついたら、どこかで猫以外の生き物に聴いてもらわないと終った気がしない。
丁度わが「雪雀連」の忘年会コンサートが28日に決まった。
それならそこで弾かせてもらおう。
ギャラなしには目をつぶって、会費を払ってでもという涙ぐましい演奏家魂。

この忘年会コンサートは雪雀連の恒例で、毎年行われる。
最盛期には70人越えるメンバーがいたこの巫山戯たグループも、高齢化でお隠れになった方や、現世の苦痛をすっかり忘れてパラダイスにいる人などもいて、いまや減少の一途。
一時はレストランを借り切って、盛大に催されていたけれど、
今年は果してどれだけ人数があつまるか分からない。
それでも山田会長は、どうしてもこれがないと年が越せないと宣う。
会場は、門前仲町シンフォニーサロン。www.symphonysalon.com/
40名のキャパのスタジオが借りられた。
ピアノはスタインウエイだから音は満足できそうだし、7番のソナタを1度でも演奏できればうれしい。

モーツァルトはどの曲も喜びを持って弾けるのに、どうしてベートーヴェンは好きになるまでに時間がかかるのだろうか。




















2014年12月1日月曜日

今日も飲み会

土曜日に逗子のなぎさホールで、元N響のヴァイオリニストの前澤さんのコンサートを聴いた。
プログラムは私の大好きなモーツァルト「ディヴェルティメント17番」ホルンが2本入った7重奏。
余りにも好きなので、10年前の室内楽コンサートでもプログラムに入れて、今まで3回弾いている。
聴いたら又弾きたくなった。
その後は私の教え子とそのご主人、お友達2人と可愛い坊や1人計6人、JR逗子駅近くの素敵なビストロでの食事を堪能した。

1日おとなしくしていたけれど、本日又飲み会ですぞ。
友人に元気な年寄りが多くて困る。
澁谷のハチ公前に集まったのは、松本のコンサートで一緒だったメンバーたち。
最近この飲み会が月例となってしまった。
今日は宮益坂の私の職場近くのお店。
BISTRO  DE まいど

このお店を見つけたのはつい最近。
私が夕方からのレッスンの前に小腹が空いて、なにか一口食べたいけれど、若者向きのこの街ではどのお店のメニューもボリュームがありすぎる。
どこかないかと探していたら、地下に降りる階段があって、小料理屋風のカウンターがチラッと見えた。
ちょっとご飯を一口食べさせてもらえないかと思って入ってみると、カウンターの上にタマネギやコロッケ、燻製のたこなどがあって、色々つまむにはもってこいだった。
中は意外に広くて、まだ開店早々だから客は私独り。
「仕事前だから飲めないのよ」と断って、少しずつもらって食べ始めると、すごく美味しい。
コロッケも本当は4コ入りなのを1個にしてもらったり、大きなタマネギは半分にしたり。
調子に乗ってあれもこれも注文していたら、マスターに「そのくらいにしておいたほうが・・・」と止められた。
見れば相当な年齢らしいのに、こんな沢山食べられるわけはないと思ったらしい。
うふふ、おぬし、私の実体を知らないな。
旅先で仕事が終ってから皆で飲みに行くと、若い男性が食べる量で私に負けていたのを。
私もお店の人から注文を止められたのは初めてだったので、驚いた。
結局普段よりもたらふく食べてしまう結果になった。

今日のメンバーはちょっと少なくて4人。
良く飲み良く食べ、お喋りがとまらない。
殆ど音楽とヴァイオリンの話ばかりで、あっという間に3時間が過ぎていた。
こんなに長くヴァイオリンを弾いて居るのに、飽きもせず苦労したり喜んだり・・・前に進めば進むほど、面白さが増していく。
奥が深すぎていつ果てるともしれない世界、どこまでも分け入って次の発見をして。
美味しいお酒が飲めるのは、ヴァイオリンと友人達のお陰です。
































2014年11月29日土曜日

こんな結末って



せっかく格好良く終れるのに、何でまたこんな終わり方。
作曲家のユーモアなのか、へそ曲がりなのか。
このティンパ二ストはこの部分も何回も練習したのかなあ。


2014年11月27日木曜日

西遊記

此処に画像が貼ってありましたが削除しました。
よそ様の撮ったものは著作権があるのではないかと思いまして。
その代わり「こちら」のブログを覗いて見て下さい。
そこにちゃんと元々の画像があります。

知人のブログ(2014/11月12日)で見つけた西遊記の記事。

面白そうだから今日仕事の前に見に行って来ました。
のっけからもの凄く忙しいアクション。
中国の物って回転が速くて目が回りそう。
玄奘三蔵法師が猪八戒、沙悟浄、孫悟空を従えて
経典を探しに行く、そうなる迄の
経過を描いた物。
すさまじい血しぶきや格闘場面なども
おどろおどろしいのだが、ユーモアがあって
ただし、そのユーモア感覚は中国独特?
ちょっとピント外れで
まあ、それはそれで面白い。
一番変だったのが孫悟空。
汚い冴えないおじさんが出てきてビックリ。
最後の最後で小汚い若者が三蔵法師となって出て来る場面は
とても美しい。
アクション場面はどうやって撮ったのだろうか。
信じられないような動きは本当に人が
やっているのかしらと思う程曲芸的。
見終ったら疲れて果てて仕事場の音楽教室で
最初の生徒が休みだったのをいいことに寝てしまった。
どこでもすぐ眠れるのが私の最大の取り柄。
でも、こんなこと自慢してどうする。

こちらがあらすじのわかるブログのURLです。
http://schnajr.exblog.jp/20766584/
上から3行目の「こちら」をクリックするとリンクされています。

2014年11月26日水曜日

睡眠パターンを変えたら その後

世の中の健康法に従って、その日のうちに寝ることにしたら眠くて堪らない・・・と先日の投稿。
それで元の宵っ張りに戻したら眠気は少なくなって、体が動くようになった。
やはり、自分のリズムが大切と思った。
夜遅くても起きる時間は同じだから、寝て居る時間が短くなる。
今日も約4時間半ほど。
それで昼間、イスに座ったままうたた寝を数分して、スッキリした。
寝過ぎると頭が重い、目がかすむなどロクなことはない。
テレビなどでは健康のために、必ず6~7時間寝なければいけないなどと言っているけれど、あれはうそっぱち。
私の父親は少ない睡眠で、96才までとても健康に生きた。
午前中近所の家に遊びに行って、帰ってきてから高校野球をテレビで見ていた。
あまり熱心に見ているので、兄嫁が声をかけたら亡くなっていた。大往生だった。

ほらごらんなさい、睡眠なんて動いた分だけとればいいのよ。
歳をとって、運動も少なくなり、食べる量も減る。
それなのに睡眠は沢山摂れと言うのは無理なこと。

・・・とほざいていたら、昨日は筋トレで少しハードに運動。
帰って来てお風呂に入り、食事をしたとたん睡魔に襲われた。
いつもならここで踏みとどまって、ゲームをして夜更かしするところなのだが、生憎というか幸いというか、Windowsの陰謀なのか、なぜかゲームが出来なくなっている。
他にすることもないから20時半にベッドに潜り込むと、あっと言う間に眠ってしまった。
起床は今朝の6時半。
トータル何時間寝たのかな。
おお~、10時間も。
普段ろくに運動しないので、睡眠時間が短かったのかもしれない。

今日ヴァイオリンを弾いたら、低弦の音が苦労なく出る。
いつもG線がスカスカなのは睡眠不足だったのか。
元々運動嫌いで、唯一継続しているのはスキーのみ。
歩くなり游ぐなり、なんらかの運動を継続的にすることが健康の元・・・分かってはいるのだが、面倒だなあ。




















2014年11月25日火曜日

東京マンドリンアンサンブル

東京マンドリンアンサンブル・クインテットのコンサート。
  
   マンドリン      田中早苗
              矢野ルリ
   マンドーラ      入戸野政代
   リュート モデルノ  逢見育美
   ギタロンとアレンジ  KANTA

 ケテルビー 中国寺院の庭にて
 洗星海   黄河頌 ~黄河協奏曲より第2楽章
 陳 鋼   Sunchine on Taxkorgan    その他

このコンサートは、その都度特定の国の曲をテーマにしているらしい。
それで今日は中国、シルクロード、トルコにまで及ぶ。
プログラムを全部書き込みたいところだが、漢字に読めないものがあって、変換できない。
それで、耳を掻いてごまかす。ニャ~。

中国といっても、あの国は本当に広い。
日本に近い方はまだ東洋人の顔をしているけれど、カシュガル、ウルムチ、トルファンあたりに行くと、金髪碧眼の美少女がいたりする。
ターバンを巻いた立派な顔の男達もいる。
イスラム教寺院があって、本当にエキゾチックなのだ。
とても同じ国民とは言いがたいのではないかと、思った。
思ったというと、見たことあるのかって?
そう、私は見ているのですよ。
今を去るウン十年前に、北京、天津、西安、ウルムチ、カシュガル、トルファンと旅をしたので、その頃の美しい中国が目に焼き付いている。

つい先頃、中でも古都の美しさに魅せられて忘れがたかった西安に行ったら、あまりの変貌ぶりにビックリ、ガックリ。
ネオン輝く大都市に変貌していた。
ガイドさんは自慢げに、西安は綺麗になったでしょう?と言うけれど、例えれば京都が新宿になったような。
新宿が悪いと言うわけではなくて、特徴が変貌したというたとえですが。

さて音楽会の話に戻ると、第一マンドリンの早苗さんと私は、よくNHKの仕事で一緒に旅をした。
彼女は超グルメで、行く先々にご馳走が待っている。
日本中どこの都市にも知っているお店があって、彼女に従いていけば必ず美味しい思いができる。
そのお陰で、どれほど楽しい旅になったことか。

マンドリンのトレモロは心を揺さぶられる。
今回使う楽器はヴァイオリン族でいえば、マンドリンはヴァイオリン、マンドーラはヴィオラ、リュート・モデルノはチェロ、ギタロンはチェロ又はコントラバスという比較でいいのかしら?
一斉にトレモロで楽器が鳴り始めると、弓で弾いているような滑らかで深い響きがする。
弓で弾かないから、キーキーした弦をこするヴァイオリン特有の音はせず、なにか泡に包まれているような独特の世界になるのが心地よい。
このアンサンブルの強みは、早苗さんのご主人高島氏と息子さんのKANTAが優れたアレンジャーであるので、どんな曲でもマンドリン用に編曲してしまう。
KANTA君は今日も八面六臂の活躍で、いつの間にか二胡まで弾きこなすようになっていた。
プログラム最後の曲はオペラ「トゥーランドット」から「誰も寝てはならぬ」
荒川静香がオリンピックで金メダルを取ったときのあの曲を、情感たっぷりに歌い上げての好演。
解説や自己紹介なども交えて、たっぷり2時間楽しませてもらった。
面白かった。昼食後でしかも休憩にワインを飲んで、それでも寝なかったのは、私にしては例外中の例外。














2014年11月24日月曜日

腹筋がよじれる

あんまり笑ったのでお腹痛~い!

気が付いたらO脚に

左足の外側に出来たタコに気が付いたのは、1ヶ月程前。
あれ、なんでこんなところに角質が?と思った。
これは足の外側が使われているということでは。
鏡の前に立って観察すると、足の間に隙間が見える。
ゲゲッ、今までは立っても両足をつければ、殆ど隙間は見えなかったのに、いつの間にかO脚になっていた。
加齢に因るかも知れないけれど、考えられる主な原因はこの春からの運動不足。

体調不良と、転んだ事による胸骨のヒビの痛みが気になって、極端に歩かなくなってしまった。
重い物が持てなくて、どこへでも自転車か車移動。
散歩は殆どしなくなって、烏さん達との会話も途絶えたきり。
途中でよく出会った3匹の猫さん達とも、このごろ滅多に会えない。
それでも会えばよく覚えていて、ゴロンとお腹を見せてくれる。
夏の暑さがいやで、家から一歩も外へ出ない日もあった。
良くないと分かっていても暑さに弱いので、うっかりすると熱中症になりかねない。
実際2回も熱中症になったし。

先日筋トレに言ってトレーナーに訴えたら、O脚になるのは内ももの筋肉が弱ったせいだから鍛えましょうと、かなりハードなトレーニングになった。
トレーニングが終ってストレッチをしてもらうのだが、それが痛いのなんのって。
大体筋肉が弱るのは固くなっているからで、それをほぐさなければいけない。
人が悲鳴を上げようとギブアップの合図に床をたたこうと「痛いですよねえ」なんて涼しい顔をして引き延ばされる。
しかし人の体はかなり痛めつけ?られても大丈夫なもので、ストレッチをした翌日は体がよく動く。

高齢者を大事にしても、出来る事まで助けてしまうのはいけない。
運動能力が衰えてきたら、積極的にトレーニングをしたほうが良い。
今朝テレビで元気な高齢者を紹介していた。
70才から水泳を始めて、90才を越えて世界記録を作った女性とか、バッティングセンターで200キロの速球を打ってしまう男性とか。
そんな人は特別だと思うけれど、そこまでいかなくても自分を甘やかさずに、いつまでも独り立ちしていられるように頑張るのが、若者に養われている義務ではないかと思う。
今の日本では若者1人が、2.5人の高齢者を支えているのだそうだ。
勿論今の高齢者達のがんばりがあって、戦後の日本がこれほど安定したのだから、ないがしろにするのは大きな間違い。

しかし元気すぎても困ったことが。
次々と結婚して夫を殺し、8億とも10億とも言われる大金を手にするくらいのパワーは、べつの目的に使えば世の中から尊敬されたと思うのに。
(成る程、お金を儲けるのにその手もあったか。うーん)

筋力が付いたらO脚はなおるのだろうか?
気が付いて以来、重心を内側にして歩くようにしているけど。



















2014年11月23日日曜日

水の泡

毎年間際になって大変な思いをするので、年賀状の用意をそろそろ始めないとと思い、印刷サイトにアクセス。
12月になるとあっという間に師走になってしまうし、11月中に印刷すると早割があるから、今のうち。
住所の入力を始めた。
これだけパソコンを利用しているのに、この入力が面倒で今まで先送りしていたけれど、1度入れてしまえば後が楽だからと、やっと決心をした。
いまどきの入力はとても楽で、郵便番号を入れれば住所は瞬時にでるから、後は番地だけ入れればいい。
時々住居表示が変わっていて直していなかったものなども、これのお陰で気が付いたり。
困るのは名前で、難しい漢字の時には変換も中々できず、読み方も分からない事がある。
それでも名前は全部なんとかなった。

やっと最後の1人の入力が終り、ああ、そう言えばあの人は喪中のハガキが来てたっけ。
削除しておこうと思って、戻るボタンを押した途端・・・
全部消えてしまった。

1人ずつ保存の確認ボタンを押していたから、当然保存されているものだと思っていた。
しばらく呆然と画面を見つめていたけれど、こんなバカな事はないと、しばらくあちらこちら探した。
やはりどこにも保存されていない。
目はすっかり乾いてドライアイになっていたから、涙も出ない。

長く生きてきたから、年賀状だけのお付き合いもあって、人数は半端ではない。
年賀状はやめてもいいのだが、そうすると絆の切れてしまう人も出て来るかと思うと、そうもいかない。
やはりもらえば嬉しいし、出さないと心配されそうだし。
ゆっくり確認して戻れば良かったものを、なんでも思いついたら事を急ぎすぎるこの性格を直さないかぎり、又同じような間違いをしでかすに違いない。

今夜も又初めから入力し直し。
ま、いいか。
諦めが滅法良いから、救われているようだ。

元旦に分厚い年賀状の束がゴトンと郵便受けに落ちるあの音も、メールが発達した今、消えてゆくのもそう遠くはないと思う。
あまり沢山来るのも時々煩わしいと思うこともあるけれど、それでも頂けるのは嬉しい。
年始めに嬉しい思いが最初に来るのは、良いことだ。
しかし、毎年亡くなるひとや疎遠になる人がいるにも拘わらず、年賀状の数は一向に減らない。
新しい出会いがあって、そこから広がってつながりが出来る。
新鮮な世界が、まだ自分を待っていてくれるらしい。

昨夜は珍しく寝付きがわるかった。
本当にがっくりきてしまったので。
やけ酒はお湯が7で焼酎3のお湯割り。
深夜、世の中が寝静まっているときの1人酒は、至福の時。
うふふ、なんでも捨てたもんじゃないさ。



















2014年11月21日金曜日

今年もロンドンアンサンブル

毎年12月に来日するお馴染みのロンドンアンサンブル。
東京文化会館が改修中で、昨年と同じ澁谷の伝承ホールでのコンサートとなりました。
4人の名手が競演します。
本当に楽しいコンサートです。
メンバーは、華やかな美智子さん、その夫で頭は良いのによく迷子になるリチャード、編曲も全部彼がしました。
尺八をこよなく愛し、羽織袴での演奏。
ヴァイオリンを持つとハンガリーの血が騒ぐ、普段はとても穏やかな名人タマ-シュ。
無邪気で食いしん坊のトーマスは温泉大好き。
彼のチェロの音は、一度聴いたら虜になります。


気持ちの良いメンバーたちです。
世界中を飛び回っているので、日本公演が終るとそれぞれべつの日に、次のステージへと飛び立ちます。

みなさま、どうぞ澁谷までお運び下さいますように、お願いします。
このチラシの写真、ピアノが水に浮かんでいて、リチャードはちょっと押したら、水の中みたいな・・・あはは、面白いですね。

このコンサートを聞き逃した方は,次の日の12日14時開演
東神奈川駅傍のかなっくホールでの公演もあります。
そちらもどうぞよろしく。







ルースさんは忍耐強い

何回も書いたけれど・・・
あるとき急に思いついて「ハリー・ポッター」を原語で読み始めた。
およそ英語は、とんと出来ない。
中学の時、英語の先生が気に入らなくて、全然興味が湧かなかったのが敗因。
私だけではないと思うけれど、人は誰かに褒められたいというのが原動力になって、勉強することが多い。
国語、数学は先生大好きで一生懸命授業を受けた。
英語は、中学高校を通して先生が好きではなかったから、そうなると全く関心がなくなってしまう。
他の人なら義務として満遍なく勉強すると思うが、私は猫だからそうはいかない。
成績に凄くむらがあって、飛び抜けている科目と底辺を這いずり回る科目があって、一目瞭然、好き嫌いがはっきりしていた。
英語は底辺ではなかったけれど、特に可もなく不可もない。
ぎりぎり、及第点。

それから数十年後、あるときスタジオの片隅で、分厚い英語の本を読んでいるハーピストを見た。
ふうーん、辞書無しで読めるんだ、えらい!
なんの本かと訊いたら「ハリー・ポッター」

子供向けなら私にも読めるかもしれない。
原書を買ってきて読み始めたら、基礎がまったく出来ていないので、これが相当手強い。
そうなると、面白くなってくるという天邪鬼だから、せっせと読みはじめた。
中学以来英語の本なんて読んだこともない。
海外留学の経験もない。

近所のカルチャーセンターで、個人レッスンを受けながら読み始めた。
ところがアメリカ人では分からない事だらけ。
これはイギリス人でないといけないと思って、ルースさんを紹介してもらった。
発音から習慣から違うので四苦八苦だったけれど、私はイギリス英語の方が性に合っているような気がしている。
ろくに勉強しなかったくせに、若い頃身に付いてしまったアメリカ英語の発音は中々治らないで、苦戦しているけれど。

今日はレッスンの日。
準備怠りなく家を出る時間まで予習をしていると、音楽教室から電話が。
「先生の先生がお待ちですよ」
え、なにそれ!
予定をカレンダーに書き写すときに、12時を2時と書いたか、又は、後で書き直すときに1を消してしまったか。
真っ青になった。
オーケストラ育ちだから、いい加減な性格の割には時間にはすごく几帳面。
ほとんど遅刻などしなかったのに、最近、少々怪しくなってきた。
それでも、いつも時間よりも早めに家を出るので、今日もすっかり身支度が出来ていたのが幸いして、レッスン時間の3分の2は確保できた。
この年で(何歳とは言わないが)走って走って、電車の運転手に「待ってぇ~」ハアハア死ぬかと思った。
ルースさんは落ち着いて、コーヒー飲まなくて良いですか?と言ってくれる。
謝礼も時間が少なかったからと、少なめにしか受け取らない。
「だって、私が遅れて無駄な時間をつかわせたのに、それはないでしょう」と言いながら、財布にお金を戻すところが私の図々しいところ。
私の変な質問にも丁寧に、後でメールで解説してくれる。
彼女が先生でなかったら、こんなに長く続かなかったと思う。

全7巻のうち、今は5巻の4分の1まで進んでいる。
目が悪くて、本の字が小さくて読めなくなり、途中で挫折しそうになった。
その時に残念そうに、又一緒に読めるようになると良いですねとメールをくれた。
それでも2年間休んでしまった。

困るといつも助けてくれる人がいて、電子図書のハリポタを購入してもらい、タブレットの字を大きくしてもらえたお陰で、再開することが出来た。
最後の7巻まで購入してもらったので、これはやるっきゃない。
連絡したら、ルースさんは大喜びしてくれた。
字が大きくなってから進むのがとても早くなったけれど、読み終わるのは何歳になるかしら。
それまでルースさんは我慢してくれるかなあ。
その前に、私の脳みそが持ちこたえられるかどうか。





























2014年11月19日水曜日

赤ちゃん猫用カリカリ

今3匹のねこと同居。
彼らは人間で言えば、70~100才くらいだから、歯も胃も弱ってきている。
それで食べたものが消化しきれずに、よく吐く。
一番年上のたまさぶろうに合わせて、エサも高齢ねこ用にしていたのだが・・・
たぶん、まずいのでしょう。
いかにも美味しそうにダシ仕立てとか、贅沢ねこ用などと書いてあって、臭いを嗅ぐと食欲をそそるのに、口をつけてくれない。
値段も私の経済状態からすれば、とんでもなく高いけれど、少量しか食べないから、なんとかやっていける。
外の猫たちは安い缶詰を大喜びで食べる。
それでやっとバランスがとれている。

やっと喜んでもらえたと思うと、数日で飽きて又口をつけなくなるから、残ったものはノラ達に回す。
ノラ達は、こんな美味しい物は食べたことがないとばかりに、大喜びしてくれる。
生活環境によって、同じ猫でもこれほど違ってくる。
うち猫の方が苦労知らずで幸せだと思っていたけれど、本当のところ、どちらが幸せなんだろう。

人間も美食ばかりしていると、食事が美味しくなくなる。
以前1年間で7キロの減量に成功したことがあった。
それは週末だけ断食をするという方法。
土曜日の夜から段々食事の量を減らす。
日曜日の朝は固形物は一切摂らず、水分とミネラルだけ。
夕方に、たとえばおにぎり1コ。
月曜日からは普通に食べる。そして土曜日の夜から食事を減らしていく。
これならそう大変でもなく、ミニ断食が出来る。
それで1ヶ月に1キロずつ痩せていった。
時々リバウンドしながらも、苦労なく7キロ痩せた。
痩せてなにが良かったかというと、膝、腰、足首などの痛みがなくなった。
やる気が出てきた。
その中でも一番嬉しかったのは、食事が本当に美味しいこと。
特に断食明けの月曜日の朝食の、美味しいことと言ったら!
それから数年、またじりじりと体重が増えてきているから、そろそろ減量を目論んでいる。

さて、うちの贅沢猫たちは、様々な種類のエサを用意されて、選取り見取りなのに、毎日不満そうにえさ場にたたずんでいる。

年寄り猫たちだから高齢猫用のエサにしてあるのだけれど、それがご不満なのかと思って、生後間もない赤ちゃん猫用のカリカリを買ってきた。
たぶん、すごく栄養価が高く(値段も高い)、カロリーオーバーになるので、いけないのかもしれないが、量を沢山たべないので相殺されそうな気がする。どうせ又すぐ飽きるし。

お皿に入れたら、喜んで食べていた。
粒が小さいので、吐くことも減ると思う。
なんとか長生きして健康でいてもらいたいから、こちらも一生懸命なのだが・・・・
猫はそんな飼い主の苦労も知らず、ノンシャラン。
猫は飼われているというよりも、飼わせてあげていると思っているらしい。




























2014年11月18日火曜日

睡眠パターンを変えたら

今までの生活からずっとショートスリパー(4~5時間)だったので、そろそろ真っ当な人らしく生きようと、夜更かしをやめてみた。
夜はその日のうちに寝るのが健康にもお肌にも良いと言われているから、なるべく12時までには寝るようにして、朝は6時から7時まで寝てというようにしたら、昼間眠くて仕方が無い。
一日中ぼんやりしている。
あくびが出る、目がかすむ。
ちっとも良いことがない。
今まで寝起きはすごく良い方で、目を覚ました途端にどんどん動けたのに、ボンヤリしてしまって朝食を食べ終わるともう眠い。
大好きなゲームをやっている最中に、パソコンの前で船を漕ぐ。

世の中で言われている健康法。

睡眠はきちんと6~7時間、その日のうちに寝る。
1日1万歩、歩く。
食事は歳をとったら、肉より魚。

私もやはり健康でいたいから、これらのことを実践してみた時期もあったけど、どうもあまり具合が良くない。
睡眠は取り過ぎると今回のように、やたら眠くて意気があがらない。
お肌は楊貴妃のようにはならない。
ただただ、ねむ~い!
体がおも~い。

1日1万歩。
これもやってみましたよ。
1ヶ月続けたら、疲れて半病人になりました。

お魚好きだからいいけれど、お魚だけだとどうしてもパワーに欠けてくるような気がする。
演奏会の前にはやはりお肉。
食べると体の中から、よっしゃ!やったるでぇ!と勇気が湧いてくる(ような気がする)

歳をとってもお元気で活躍されている演奏家を見ると、やはり肉食系。
90才を越えてなお現役のピアニスト、室井摩耶子さんもステーキをよく召し上がるそうだ。
「雪雀連」の会長、山田氏などは、お正月の天元台で3日間肉食のメニューなのに、山を下りてきて帰り道にステーキやさんに寄るというコースが、何十年も続いた。
さすがに83才になった今ではお寿司屋さんに切り替わったけれど。
粗食が長生きの秘訣と言うけれど、粗食で長生きするのと美味しい物目一杯食べてコロリといくのと、どちらが良いかと訊かれたら、私はたらふく食べてニコニコして短命で結構。

それで睡眠パターンは今日から元に戻すことにした。
こんな眠くてやる気がないのなら、寝て居るのと同じ。
睡眠も食事も運動も、やりたいようにやらせて下さいな。

どんな生活をしていても、自分に一番あっていると思えるパターンでいくのが最上だと思う。
それで数年命が長いか短いかとなっても、生きることが一番大切なのだ。
今生きている上で一番心地よい生き方が大切。
毎日健康の事ばかり考えて、健康法を実践することに生きがいを感じるなら、それも良し。
自分の生きたいように生きて、それが多少健康を損なうことでも、それも良し。
周りに迷惑かけたり、押しつけをしなければ。






































2014年11月16日日曜日

間もなくスキーシーズン

神田のスキーショップに集まった、中高年の怪しい人達。
毎年この時期になると、新しい用具やウエアなどを揃えて、シーズンの到来を待ちわびる。
私たちのスキーインストラクターのO先生。
偏屈、変人を絵に描いたような人だけど「雪雀連」の手練手管に嵌って、最近は大分人間らしくなってきた。

かつては雪の吹きすさぶゲレンデで、寒さに震えながらお小言頂戴して、昼食時間も大幅に遅れ泣きそうになった。
どんなわずかなミスも許してもらえず、恐ろしく耳が良くて音だけでも滑り方が分かるらしい。
後ろで滑っていてもお小言が飛んでくる。
滑らかに安全に、絹のブラウスにアイロンをかけるようにと、さんざん言われた。
ゲレンデに仁王立ちになって数時間、私たちの滑りを細部まで漏らさず監視している。
リフトから降りた瞬間、お小言。
こちらがリフトに乗っていても下からお小言。
後ろに居るとも知らず気を抜いて滑ると、お小言。
あまりの煩さに、一緒にリフトに乗るのも面倒だから、皆で譲り合う。
どうぞどうぞ、たまには先生とご一緒に・・なんて。
リフトに乗っている間中、足が膝がどうのこうの言うから「たまには、山がきれいだねえ、でも君はあの山よりもっと綺麗だよ位のことは言えないの?」と言ったら「俺、そういうの苦手なんだ」とすごく照れたのには驚いた。
結構モテると聞いていたから、そんなこと朝飯前だと思っていたけれど。

そんな先生も私たちと一緒に歳をとって、ロマンスもあったりしたみたいで、だんだん人間も円くなってきた。
今日は先生を囲んでスキー用具の選定の後、神保町で飲み会。
先生は以前は、スキーの話題以外は一切受付けなかった。
なんとか話題を他にふっても、無理矢理こじつけてスキーの話に戻す。
頭の中は常にゲレンデ。
顔は中々ハンサムなのに、目が据わっていて危険人物風。
それが最近は柔和に笑っていることが多くなって、普通の話題にも混じってくるようになった。
先生を人並に育て上げたのは、ひとえに「雪雀連」の山田会長の絶大なるいい加減さ、どんなに怒られても屁とも思わない女性達の図太さ。

このクラブに来るまでは、生徒から逆らわれたことは無かったと思う。
それがここでは、ありがたいお説に反対するわ、少し厳しくするとトイレに行ってしまうわ、私の様にすぐ飽きてお茶にしましょうなんて言うわで、カリカリしていた。

でもそれが良かったのです。
このグループで怪我をする人は、殆どいない。
あんまり雪が好きすぎて、顔で滑って歯を折ったのがいたけれど。
人生の達人達だから、自分の分というものを良く知っている。
競技者ではないのだから、楽しく安全に、歳をとっても滑れることを目指しているから、決して無理をしない。
全てがマイペースで、思い切り楽しむ事を知っている人達ばかりだから。

ある有名なクラブでは、酷い怪我人が毎年出ている。
講習で怪我人を出したら大騒ぎになるはずなのに、スキー連盟のえらい人がやっているので、一向に話題にもならない。
旧い考えの人なら、スポーツに怪我は付きものと思っているかも知れない。
それは大間違い。
レーサーのように限界ギリギリまで飛ばす人はいざ知らず,普通のスキーヤーは正しい運動をしていれば、他からもらわない限り怪我はしない。
それで私たちの先生の教え方は、怪我をせず、しかも優雅に,力を抜いて、となる。

この先生のお陰で、驚異的な年齢のスキーヤーが静々とゲレンデを滑っている。
顔は隠れ、最近のウエアはダボダボだから、外見から年齢は想像もつかない。
しかもスピードは追いつけないくらい速い!
私などはまだこのグループでは、ひよっ子なのだ。

今シーズンのために私は、ゴーグル付きのヘルメットを買った。
今まではヘルメットをかぶるとゴーグルが付け辛く、煩わしかったのが一気に解決。
まだ日本では少ないけれど、カナダなどでは殆どの人がヘルメットをかぶる。
バイクに乗るのと同じだと思えばいい。
自分が転ばなくても、他から衝突されることもあるから、これはお薦めですよ。



































2014年11月15日土曜日

Festival of 2 Cellists   Vol.8

かつて、長い間「古典音楽協会」で一緒に演奏していた藤沢俊樹さん。
ハンガリーのチェリスト、ラースロー・メゾさんとの共演も8回目。
ハンガリーの人は日本人と同じで、姓が名前の上にくるらしい。
しかし、欧米の習慣に合せるため、名前が先に来る言い方もあるから、どちらが姓でどちらが名前かよく分からない。
ロンドンアンサンブルのヴァイオリニスト、タマ-シュ・アンドラ-シュはタマ-シュが名前、アンドラ-シュが姓。
以前一緒にアンサンブルをしたハンガリー人が、マテ・ギョウゾウと言う人で、誰が教えたのか、「マテ」というところで、手を前に出して「待て」のポーズをするので笑った。
この人も日本人であれば「ギョウゾウ」が名前みたいに思える。
行増みたいな名前もありそうな。

話がそれてしまったけれど、藤沢さんとメゾさんはもう何回も一緒に演奏しているし、2人とも大変テクニシャンだから、すごく面白い。
同じような旋律が交互に出て来ると、それぞれ腕の見せ所。

ヘンデルーハルボルセン「パッサカリア」
日本         「さくらさくらによる幻想曲」
宮城道雄       「春の海:藤沢俊樹編曲」
ロッシーニ      「デュエット」
グリエール      「10のデュオより」
ポッパー       「組曲」
                  杉並公会堂小ホール

このところ、何回か日程の都合がつかず、久々に聴く事ができた。
2人とも見た目殆ど変化はなく、若々しく飄々としている。
お互いにとても信頼し合っている様子が見える。
こうして何回も一緒に、コンサートを続けるのはどれほど大変な事か良くわかっているから、このお二人は得がたい相棒を見つけたものと思える。
音色も良く似ている。
さて1曲目のハルヴォルセン。
これは本来ヴァイオリンとヴィオラがオリジナルだから、ヴァイオリンパートをチェロで弾くのは、信じられないほど難しいと思う。
ヴァイオリンで弾いても難しく、かなり高い音が出て来るヴァイオリンパートは、若いラーズローさんが受け持った。
いくらテクニシャンであっても、これは手強い。
初っぱなだからまあ、目(耳)をつむって。
2,3曲目は日本の曲。
聴いているとハンガリー人というのは親戚?と思える様な自然な演奏で、欧米人が日本ものを弾く時の、違和感はまったくない。

休憩前は二人とも緊張していたらしく、音程とリズムのずれも聞こえたけれど、休憩後の後半は見事に融和して、チェロならではの豪快さ繊細さを存分に聴かせてくれた。

昔私の家で弦楽四重奏の練習をしていたら、当時飼っていた猫がチェロの前に陣取って離れない。
聞くところによると、チェロの音は他の楽器よりも、α波が沢山出るのだそうだ。
二人の音が一つになると、到底2台の楽器とは思えないほどの迫力となって、音に包まれる幸せを堪能させてくれた。
























2014年11月14日金曜日

ドアが開かない

大井町線沿線の美容院に行くのに通過するのが、九品仏駅。
この駅は昔から変わっていなくて、プラットフォームが短い。
敷地の関係や乗降客の人数などもあって、中々大きく出来ないらしい。
今の車両編成にしては、ホームが短すぎる。
電車がホームからはみ出して踏切の中で停車するので、1両だけドアの開かない車両が出て来る。

いつも思うのは、なんでこの車両のドアだけ開かないのに慌てる人がいないのだろうという疑問。
皆がこのドアが開かないことを、知っているわけではない。
この路線に初めて乗る人も居るわけだし、外国人ならドアに書かれた「このドアは九品仏駅では開きません」という注意書きも理解出来ないと思うのに、今まで乗った限りではドアを叩いて「開けてくれー」と叫ぶ人も見かけない。
他の駅にもその注意書きがあるのだろうか。
車内アナウンスも、駅に近づいたときに日本語で一度だけ。

降りようと思ってドアの前に立っていて、そのまま出発されたらビックリすると思うのに、そういう人も居なさそう。
東急線の七不思議。
あとの6つがあるかどうか知らないけれど。

イタリアに女性4人組で旅行に行ったことがある。
史上最強のメンバー。
毎日毎日笑い転げる弥次喜多道中だった。
イタリア語が話せる人は居なくて、少々英語が話せるくらい。
それでも、やりたいこと食べたいこと見たいところ、全て満足して帰って来た。
メンバーの中に面倒見が良い人が居たのと、後は度胸が据わっていたのが快適な旅につながった。
初めてのイタリアで言葉も通じず、戸惑うことだらけでも、毎日現地の人に助けられて目一杯楽しんだ。

イタリアで初の両替をするために、銀行に行ったときのこと。
銀行のドアを開けて次々4人が入っていった。
ところがドアは二重になっている。
次のドアを開けて中に入ろうとしても、2番目のドアが開かない。
押しても引いても開かない。
大騒ぎしていたら中からこちらを見て笑っている人達。
その中の1人がドアを閉めろと身振りで言っている。
指さすのは外側のドア。
4人いっぺんに入ったものだから、外側のドアは閉まらない。
どうやら外側を閉めないと、次のドアは開かないらしい事にやっと気が付いた。
なるほど、セキュリティーが厳しい。
銀行強盗が入っても、ドアが二重になっていれば、入るときにも逃げる時にも手間取ってしまう。
礼儀正しい人でないと強盗も出来ない。

無事に両替も出来て、その後の旅はこの上なく面白く、いまだに語りぐさになっている。
今日、ドアの開かない車両に乗っていて、思い出した。

このイタリア旅行記はこのブログを書き始めた初めの頃、2010年に投稿してありますので、気が向かれたら読んでみて下さい。
その頃のペンネーム(ネット上ではなんと言うのかな?)は、「猫魔」
良い名前だと思って有頂天になっていたら、検索の結果、ものすごい数が出てきて、あえなく沈没しました。

























2014年11月11日火曜日

老老介護

たまさぶろう、もうすぐ19才。
毛並みもめっきりバサバサになって、触るとゴロゴロ毛玉だらけ。毛繕いをしないらしい。
ブラッシングを嫌がるので、よほどでないとかけない。
他の雌猫たちはビロードの手触り。
男はいつでもダメねえ。
猫の19才は人間ならとっくに100才越えで、生きているのが不思議なくらいだけれど、まだ目も輝いているし、声も確か。
でも、やはり時々死んだふりして私を驚かせる。
少し忙しくて面倒見てやれなかったときには、具合が悪くなってエサも食べない。
数日食べないから胃の中が空っぽで、気持ちが悪いらしく水を吐く。
食べ物がないので泡のような吐瀉物。
慌てて様々な缶詰を買い込んで、ご機嫌取りながら「猫なで声」でなんとか食べて頂くようにお願いしている。
それに乗じて、雌猫どもも、ハンガーストライキ。
カリカリしか食べない彼らは、1種類では飽き足らず、何種類も用意して置かないと、臭いを嗅ぐだけでプイとどこかへ行ってしまう。
それで夜中にパソコンに向かって、色々検索。
どのカリカリを食べて頂けるのか迷いながら、通販で注文している。
やっと届いて蓋を開けると、大概お気に召さない。
ようするにお腹が空いていないらしい。
日がな一日寝ていればそうだよね、お腹なんか空かないよね。
でも、私は寝ていてもお腹が空くから、その辺が分からない。
それなのに人の顔を見るとお腹が空いたフリをして、ニャーニャー喧しい。
まったく、猫ってやつは!

最近急激に衰えがきているたまさぶろうは、寝てばかり居る日もあって、もうダメかと思えば少し良くなって元気な日もある。
人間でも100才位になると、2日寝て2日起きてみたいな人がいたけれど、ああいう状態なのかも知れない。
この先どんなことが起きるか分からないので、少しでも悪い時は病院に入院させて点滴をする。
入退院の間が、だんだん短くなってきている。
5年ほど前に具合が悪くなったときに検査したら、腎機能の4分の3がダメになっていると言われた。
それで、もの凄い量の水を飲む。
出るものも大量で、夜中にトイレが汚れているとその周辺で用足しをしてしまうから、防水シートをぐるりと置いておく。

彼の晩年が始まったらしい。
この先幸せに暮らして欲しいから、イスをとられても粗相をしても「たまは良い子だ」と言ってあげようと思っている。
元気なときには時々カッとして叱ることもあったけれど、この期に及んではもう叱ることも出来ない。
それが悲しい。
夜中に傍で寝て居るかと思うと、目を開けてじっと天井を見あげている。
一体なにが見えるのだろうか。
お母ちゃんが迎えにきているのだろうか。

外のノラ猫は3匹になって、食べる事食べる事。
一度に、缶詰を二缶とカリカリをバリバリとかみ砕く。
小気味よい食べっぷり。
彼らのために宅配便のお兄さんがフウフウ言って、大量の猫缶を運んでくる。
たまもこの位、いや、この半分でも食べてくれればいいのに。
今年の冬が越せるように祈っている。



















2014年11月9日日曜日

出会い

都内某所でのミニコンサート。

ドイツの室内オーケストラで長年弾いていて、最近リタイアして日本に戻られたというヴィオラのHさんに、お目にかかった。
初めはもう1人ヴァイオリンが来る予定だったのが、大風邪をひいてガラガラ声になってお休み。
おかしいな、風邪を引くような人ではないのに。
とにかく鬼の霍乱。
その人の名が同姓のHさん。下の名前がM子さん。
ヴィオラのHさんの奥さんもM子さん。同姓同名、字も同じ。
奥様はピアニスト。
なにやら、ややこしくなってきた。

私とHさんでモーツァルトの「ヴァイオリンとヴィオラの2重奏曲ト長調」
とにかく今日初めてお目にかかる人なので、どんなヴィオラが聴けるのか楽しみだった。
前もって合せはしていなかったから、ほとんどぶっつけ本番。
しかし、長年某有名室内オーケストラで弾いていたとあれば、すごく安心感があった。
お顔を見たら、穏やかなゆったりした感じ。
全く言葉での打ち合わせ無しでいきなり合せ始めると、初めから長年いっしょに弾いていたように、違和感が全くない。
思いの通りのテンポが出せる。
最初の1小節でそれが分かった。言葉はいらない。
こちらが弾くとちゃんと答えてくれる。
これはすごい!
1回スルッと通しただけで、なんの問題もありませんねということになった。
お互いにツーカーなので、本番もとてもリラックスして集中できた。

その後は、Hさん夫妻がシューベルトの「アルペジオーネソナタ」をご披露した。
奥様も豊かな音の持ち主だった。
素敵な演奏を聴いて、ワインパーティーに移り、ほろ酔いでモーツァルトのオペラ「魔笛」をヴァイオリンとヴィオラ用に編曲したものを弾く。
こちらは酔っている。
すったもんだしながらも、お客さんは楽しんでいたようだ。
聴衆の中に素敵なおばさま、今日がお誕生日で、御年94才になる方がいらして、「とてもよかったわよ、貴女、いつも巫山戯てるけど、今日は良かったわ」と言われた。
いえ、別に巫山戯ているワケじゃあございません。
真面目に弾いてもああなってしまうのです。
そりゃ、時々巫山戯ますけど、ちょっとした息抜きなので。

私はヴィオラという楽器が大好きで、自分でも好んで弾くので、気分はヴィオラ弾きに近い。
先日の八ヶ岳音楽祭でもヴィオラを心ゆくまで堪能した。

ヴィオラ弾きは変わり者揃い。
でも今日お目にかかったHさんは、見たところ学者さん風で特に変わっているようには見えない。
でも、ヴィオラを選ぶというだけで、すでに変わり者かも。



















2014年11月8日土曜日

アカンサスⅡ・TGSコラボレーションコンサート

1967年、年若き芸大生により結成された「アカンサス弦楽合奏団」は40年の時空を越え2007年「弦楽合奏団アカンサスⅡ」として復活。
TGS(東京芸大ストリングス)は2011年、東京芸大2008年入学の同期生により発足。

この二つの弦楽合奏団が世代を超え、一つのステージを作る試みがあった。

グリーク   「ホルベルク組曲」
モーツァルト 「ピアノ協奏曲12番K・414」ピアノ 梯剛之
シューベルト 「死と乙女」

              三鷹市文化センター

1曲目はTGSメンバーによるホルベルク組曲。
テクニックが見事で整然とした演奏だったが、音が硬い。

2曲目は梯さんのモーツァルト。バックはアカンサスの中高年組。
やはり音の違いが歴然としている。
こうも違うものかと唖然とするくらい違う。
音の幅も深みも、断然こちらの方が上回っている。
やはりこういうものなのだとほとほと感心した。
若者達は1人で弾かせたら、音程も良い、指は回る、音の切れ味も良い。高齢者はかなわない。
しかし、残念なことに感動は薄い。

それに比べて「アカンサス」は白髪頭がちらほらするけれど、全体の音の豊かさは長い年月かけて、この人達が獲得したものを物語っている。
年月は偉大なのだ。

最後の曲はシューベルトのお馴染み弦楽4重奏曲「死と乙女」を、マーラー編曲の弦楽合奏で合同演奏。
ここでも又面白い発見が。
コンサートマスターが1,2楽章と3,4楽章で交代した。
そして交代した途端に音色が、がらりとかわったのにビックリした。
メンバーは全く一緒なのに。

2楽章のヴァイオリンのオブリガートの部分を人数を減らして演奏したけれど、全員で弾くか、又は1人で弾くかにした方が良かった。これはマーラーが指定した人数なのだろうか。
えらく音程のズレが目立ったので。

面白い試みではあったけれど、なんだか若いグループが気の毒に見えてきた。
たぶん本人達は、絶対自分たちの演奏の方が良いと思っているに違いない。
「おじさん達には負けないわ」と。
同じくらいの人数なのに、低弦が響いていないのに気が付いているだろうか。
全く破綻は無いけれど力みすぎてバランスが悪く、ハーモニーの厚みが無くなってしまっている。
一緒に行ったピアニストの友人が「こんなに音が違うなんて」と絶句していた。
たぶん片方だけ聴いたなら、それほど感じなかったことなのに。

梯さんのモーツァルトは協奏曲も良かったけれど、アンコールの幻想曲ニ短調にしびれた。











      

写真の種類がいけないらしい2

ほらね。送れたでしょう。
昨日消滅した写真はスキャンしたものを送ったのです。
多分ファイルの形式があっていなかったものと思われます。
又色々やってみます。

写真の種類がいけないらしい。

度々お騒がせしています。
自分のパソコンメールからの画像送信、どうやら写真の種類がいけないのではないかと思います。
昨日は成功したと思ったのに、今日ブログを開けたら写真は消滅していました。
再度挑戦してみます。

2014年11月7日金曜日

今度はどうかしら

再度写真貼りに挑戦!

あら、ダメだった。

写真を添付したのに出てこない。にゃ~困った。
あはは、耳掻いて寝ます。ごめんにゃさーい。

写真送れるかな?

「Windowsメールで送信」という記事についてのアドバイス頂きました。
さっそく実験です。
失敗したら又消去が出来なくて恥さらしですが、やってみます。

今年もロンドンアンサンブルが来ます。
聴いていただければ幸いです。


Windowsメールから送信の謎

画像を自分のメールで送って失敗した話し(11月3日)を、たぶん読んで下さったのでしょう。

これについてのコメントが、こちらのブログに投稿されていました。
一級建築士さんのブログで、写真がすごく良くて、コメントも面白い。
覗いてみませんか?

nekotama11月3日の記事についての、これが私の弁解(11月5日投稿)
【ところでお詫びです。
昨日の投稿は大失敗で、実はパソコン内の写真をパソコンメールでこのブログに送信したらどうなるかと思って送ってみたら、結局写真は消滅、編集も消去も出来なくなってしまいました。
「windowsメールから送信」という謎のタイトルだけ残ってしまいました。
タイトルを見て、覗いて下さった方が大勢いらっしゃるようで、ごめんなさい。
しかもその数が続々と増えているのです。
恥ずかしいからもう開けないでぇ!
中身はもぬけの殻なんです。】

こちらが建築士さんのブログ(11月4日「蟷螂終活」)のコメント


【>>windowsメールから送信】

【メールは基本的に文字を送るために
できているので
画像、音楽、ワープロ文書などの文字でない
バイナリーデータは扱えない。
このため添付で送る場合はmimeという方式で
画像などを暗号化のように文字に変換して
送っている。
受ける方は、ブログの画像タグと違う
メールのmimeタグを目安にして
この暗号を解読しないと、
画像として復旧できないことになる。
一括で復旧するので画像が失敗すると
本文の文字部分も表示されなくなる。】

猫の独り言
未だに失敗ばかり、でもパソコンも奥が深くて面白いにゃん。

文章にうっすらと影がかかっているのはなんでかしら?
これも自分でやったのでしょうね。あはは、わからん。

2014年11月6日木曜日

電車のサイズが・・私のサイズが・・

今日最寄り駅から電車に乗ると、ピカピカの新型車両だった。
デザインもスッキリしているし、私の利用する私鉄電車は綺麗で便利だけど・・・
なんだか乗り心地が悪い。
そう、サイズが合わない。

今や日本人も外国人と同じくらい背も高い人が多い。
若い女性などは縦も横も立派な人がいるので、まともにぶつかったらはね飛ばされる。
そういう人達に合せて一回り大きくなったようだ。
特に私は小柄で、上に3人もいる姉たちから「あなたはね、余り物で出来て居るから」と意地悪を言われた。
だから全てに寸足らず。
今日乗った電車は座れなかったから分からないが、多分イスも高くなっているのだろう。
つり革を掴もうと思ったら、手が真っ直ぐに伸びて、苦しい。
それで連結場所のドアにしがみついていた。
網棚なんか、遙か遠くに見える。
これ、誇張でなく、実際そんな風で。

以前の車両は網棚にもようやく物が乗せられた。
降ろすのもまあまあ出来た。
(大抵は周りの人に頼んで降ろしてもらっていたけれど)
しかし、今度のは放り上げて載せられても、絶対降ろせない。
たしかに日本人は大きくなったけれど、周りを見回してもこんなサイズに合うような人は少ない。
しかも、これから先の世代が、これ以上身長が伸びていくばかりとは限らない。年寄りは縮む一方。
殆ど頭打ちではないかと思うと、ちょっと電車やさん、誤算では?

電車だけではない。
先日新しいパンツの裾上げを近所の店に頼みに行った。
サイズを測っておじさんに頼んでいたら、傍からおばさんが余計な口を挟む。
「あら、そんなに上げちゃっていいの?」
うるさいっ!足の長さにあわせると、そんなに上げないと「松の廊下」になってしまうのよ。

経済的な理由もあるけれど、私は飛行機はビジネスクラスには乗らない。
以前一度だけ乗ってみたら、シートは大き過ぎて体が沈んでしまう、足は足置きに届かない、で散々だった。
ちっとも乗り心地は良くなかった。
馬に乗ればアブミに足が届かない。
先日泊めて頂いた清里の山荘の持ち主が、大変背の高い女性だった。
その人に合せて設計された台所のシンクが普通より高く、手伝おうと思ったら、つま先立ちで背伸びしないといけなくて、疲れた。
小さくて得する事も多いけれど、足の長さだけはあと10㎝欲しかったなあ。






















2014年11月5日水曜日

井上二葉ピアノ独奏会

ガブリエル・フォーレ没後90周年
三つの無言歌 作品17
舟歌     作品26
即興曲    作品31
そこから作品36,42,63,62
休憩後は
歌曲集 優しい歌 作品61 テノール独唱 安冨泰一郎
前奏曲     作品103
この後     作品104,102,119
             浜離宮朝日ホール

フォーレの作品だけのコンサート。
これはいかがなものかと思ったけれど、二葉さんの独特の世界に引き込まれて、素敵な夕べになった。
作品の若い順から並べられたプログラムは、二部の最初に歌曲を入れて変化をつけている。

初めの方は曲も単純で、二葉さんもやや堅くなっていたようで、それを感じながらすぐに眠ってしまった。
これはコンサートでの私のいつものパターン。

最初は会場の響きになれず、本人も上がっているから聴く方も辛い。
私も演奏する者の端くれとして、気持ちが分かるだけに、こちらもドキドキする。
有名な世界的な音楽家であっても、やはり初めは調子が出ない。

目が醒めると、演奏者はすっかり自分の世界を作り上げていて、非常に面白くなっている。
特にあがるので有名な某ヴァイオリニストの時は、眠ることさえ出来ないから、開演時間より少し後に行く。
ただ、その自分を取り戻していく課程も見ていて面白いから、調子が良くなってからだけ聴くのもどうかと思うけれど、人のせいでドキドキするのはあまり好まない。
これは考えように依っては非常に失礼なことかも知れないが、私はやはりご当人が一番良い状態の時に聴きたいと思っている。
聴衆も一緒になってコンサートを作り上げて行くと言う考え方なら、初めから眠らないで聴くべきだけれど。
どう言っても弁解がましいので、この辺で。

二葉さんは非常に上品で、美しい。
落ち着いているようでも、やはり初めの曲は音が堅く、やや単純な感じがした。
これは曲のせいでもあるかもしれない。

しかし、二部になってどんどん自分の世界に入っていくのが見えてくると、俄然面白くなってくる。
ステージの上には二葉さんというより、精神の塊がスポットライトを浴びて存在しているような・・・文才があればなあとため息が出る。
本当にそこだけ、光が射していた。

背筋を伸ばし、いかにも育ちの良い物静かな女性が、これほどのパワーを持っているなんて。
しかもご高齢にもかかわらず、衰えることのないテクニックと上質の音、演奏スタイルは、正統派の強み。
今日使用のピアノは、ベーゼンドルファー。
私もこのピアノはとても好きで、スタインウエイほどキラキラしていない代わりに、いぶし銀の音がする。
私がお金持ちなら、是非欲しいピアノなのだ。



ところでお詫びです。
昨日の投稿は大失敗で、実はパソコン内の写真をパソコンメールでこのブログに送信したらどうなるかと思って送ってみたら、結局写真は消滅、編集も消去も出来なくなってしまいました。
「windowsメールから送信」という謎のタイトルだけ残ってしまいました。
タイトルを見て、覗いて下さった方が大勢いらっしゃるようで、ごめんなさい。
中身はもぬけの殻なんです。

















2014年11月2日日曜日

関東学院大学管弦楽団第10回定期演奏会

チャイコフスキー 「花のワルツ」
ロドリーゴ    「アランフェス協奏曲」
ブラームス    「交響曲第4番」
                  横須賀芸術劇場

10年という歳月は、とても大きな仕事をするものだと思った。
初めはメンバーも少なくて、ブラームスのシンフォニーなどは夢の又夢という状況だったのに、10年経ってみれば夢が実現したことを、驚きと感激で実感した。

ブラームスのシンフォニーは何れも素晴らしい曲で、ファーストヴァイオリンや旋律を受け持つ人には垂涎の的だけれど、セカンドヴァイオリン、ヴィオラなどの内声を受け持つ人にとっては本当に難しい。
曲の構造が分かって弾くのでなければ、音を並べるだけになってしまう。
自分が一体この曲のどの部分を担っているのか考えて、弾くことが必要になる。
このオーケストラが今回のブラームス第4番のシンフォニーを演奏すると聞いて、少し無理なのではと正直思った。
なぜなら、大学に入学したばかりで生まれて初めて弦楽器を手にする人も多いし、複雑な構造の、しかもハイポジションの音が多く、かなりのキャリアがあっても梃摺ると思うから。
オーケストラのベテランメンバーが沢山卒業してしまって、大変だと聞いていたのもあったし。
ひと月ほど前、練習に顔を出すと、なんだか喧噪の中で自分の音が合っているのかどうかも分からない。
うーん、やっぱり!これはどうなることやら。
ところが今日・・・響きの良い横須賀芸術劇場の大ホールに響いたのは、きちんと整理されて破綻の無い演奏だった。
今回のコンサートミストレスは特に賞賛に値する。
落ち着いて皆をリードしたお手並みに拍手!!!

このオーケストラのトレーナーは、わが「古典音楽協会」のメンバーの新谷さん、重松さんのお二人。
初めて楽器を持つ生徒に手ほどきをし、この難しい曲をここまで弾けるようにしたその指導力には脱帽する。
ここ数年、私はエキストラとして参加させて頂いているが、技術の洗練の度合いが毎年どんどん高くなっている。
これが年月の持っているパワーなのだと思った。
一部が全くの初心者であっても、すでに伝統の力が彼らを押し上げている。
これは素晴らしい。

協奏曲はギター。「アランフェス協奏曲」
ギターは音が小さいので、オーケストラと弾く時はマイクを通してバランスをとっている。
今回会場の音響の良さもあって、とても聞きやすかった。
ソリストは柴田杏里さん。
風貌と曲がとてもマッチしている。
国際的なギターコンクールでの1位と、コンクールの審査員も経験するという、大ベテラン。
重厚な響きが素晴らしく魅力的だった。

そして、指揮者の安東先生
穏やかで、細い体のどこにこの粘りが秘められているかと思うけれど、いつも思うのはお人柄そのものの高い風格の音楽を作られる。
決して大袈裟なことはなく、淡々として指揮をされる。
この境地はやはり年輪を重ねて到達されたものと思う。

成長したこのオーケストラの行く末を楽しみにしている。




























2014年10月29日水曜日

紅葉の写真

   八ヶ岳音楽祭に参加した「風雅房だより」という
          ブログ主さんから
        写真を送って頂きました。
       その中の4枚をご披露します。

       こんなに綺麗だったのですよ。
   音はお聞かせできませんが、中々良かったと自画自賛。
      次回は是非音を聴きに来てください。

2014年10月28日火曜日

唐松の落葉

ノンちゃんの家はお隣の、Hさん、Oさんの家と庭続き。
食事はOさんのプロ顔負けの腕前で、毎回美味しすぎるので、こんな生活を続けてはいけないと思いつつ、食べやめられない。
朝食を清里のHさん山荘で目一杯食べたので、昼ご飯は雑炊と漬け物の簡素な食事と思ったが、その雑炊はダシの利いた茸いっぱいのすごく美味しいもので、一食たりとも適当にごまかすことのない作り方。

昼食の後はノンちゃんとストーブに火をおこす作業に取り組んだ。
新聞紙を丸めてその上に細い木を載せて、火を付ける。
細木が燃え始めたところで太い木を乗せる。
上手く空気が通らないとすぐ消えてしまうけれど、燃えはじめてからぱちぱちと火の爆ぜる音がし出すと、今まで寒かった部屋が徐々に暖まっていく。

この山荘の大きな窓には、外の雑木林が見えるように長椅子がしつらえてある。
頭だけクッションに載せ、横になって落ち葉の降りしきる景色をしばらく眺めていた。
ここの景色は清里よりも色調が地味で、赤い色は少なく全体が黄色く色付いている。

葉がハラハラ散る中で、唐松の針の様な葉が一斉に落ちていくのが美しい。
夕日を浴びて輝いて見える。
いつまでも見飽きない景色に、散歩に出て林の中を歩きたい気持ちと、燃える暖炉の火を見ていたい気持ちがせめぎ合って決めかねていると、昼寝から醒めたノンちゃんが「行っておいで」と言うから散歩に出た。
足元は落ち葉がびっしりと重なって、フカフカ踏み心地が良い。

それで思い出したのは、昔見たフランス映画「ヘッドライト」
たぶんジャン・ギャバンとフランソワーズ・アルヌールだったと思うけれど、妻子あるトラックの運転手と宿屋の女中の道ならぬ恋。
彼女が妊娠、出産で命を落とす。
運転手は家族からも冷たい目で見られて、なんとも救いようのない結末におわったような。
記憶が定かではないけれど、言いようのないやるせない映画だった。
その冒頭の映像が、パリの石畳に積もったプラタナスの落ち葉が風に吹かれて舞っている様子だった。

そんなことを思い出しながら散歩を終えると、夜は鯉の餡掛けがメインのご馳走。
ロマンチックはさておいて、食欲はなによりも優先する。
お酒は焼酎のお湯割り。
いつもはワインが多いけれど、料理によってお酒は日本酒だったり、焼酎だったり。
それも全国の美味しい物が、知人達から送られてくるという。

キャリアを積んでバリバリ仕事をした女性達が、リタイア後、こうして集まって暮らし、趣味に没頭し優雅に暮らす。
これは本当に理想的な人生だと思うけれど、これほどの女傑達でなければ実現は難しい。
食事をしながらの話題も多岐に亘って面白く、本当に頭の良い度胸のある女性達ってなんて素敵なのかと、毎度思っている。

夕日に落ち葉が舞って、中でも唐松の葉はキラキラして輝いている。
暮れてゆく景色は、言いようがないほどの美しさ。
日がとっぷり暮れると、辺りは漆黒の闇。
庭を隔てたノンちゃんの家まで帰るのも、怖いくらい静かで暗い。

ノンちゃんの家のリビングには柱時計がチクタクと音を立てる。
そしてボーンと大きな音で、時間を知らせる。
いつもは私が行くと、ノンちゃんはその音を止めてくれる。
ところが今回、先に寝てしまったノンちゃんが音を止め忘れた。
ノンちゃんは少し耳が遠い。
私もこの位の音なら目が醒めないと思ったけれど、物音一つしない林の中で、その音は意外と大きく、時報ごとに目が醒めてしまった。
12時、1時、2時、3時、4時、5時・・・毎時起こされて、それでも寝不足の感じはない。

怒濤のような3日間とこの静寂の、なんという対比。
メリハリのある数日間は、感動の音楽と美しい自然との対話、素敵な人との出会いで私の生活のハイライトとなる。


【映画「ヘッドライト」で検索したら、フランソワーズ・アルヌール演じる女主人公は、ジャンギャバン演じるトラック運転手に心配をかけまいとして、妊娠を隠して堕胎して命を落としたそうです。
ヴァイオリンの奏でるもの悲しい主題歌が印象的です。】


















八ヶ岳音楽祭当日

又も9時半会場で音出し。
宿舎を8時半出発。
当日の朝も絶対に手抜きしない練習が始まった。
こんなに弾いてしまっては、疲れて本番で音が出ないのではと思う程真剣な練習。
今回のプログラムは

ブラームス「大学祝典序曲」
ヴィヴァルディ「グローリア」
ベートーヴェン「交響曲5番 運命」

ブラームスとベートーヴェンは、飯守さんの真骨頂とも言える「ドイツ物」
4分音符一つでもドイツ語のように弾くようにと言われる。
四分音符に、例えばIch, bin,einなどの言葉を載せてみる。
ただ音符の長さを弾くのではなく、語るようにと。
合せるだけでなく主張すること、「殺せー」などと物騒な言葉を発して、その音の強烈さを表現する。
私の指揮に合せるのではなく、皆さんが作るものだとも言われる。
今回のヴィヴァルディは合唱とソプラノ、アルトのソリストがいるのだが、新国立劇場のメンバーがはせ参じていた。
オーケストラもN響、東フィル、東響他、オーケストラの団員、元団員、フリーの演奏家などのゲスト多数が各地から。
飯守さん曰く、これだけのメンバーをそろえるには、ずいぶん脅したりしたんでしょうね。
ユーモラスにおっしゃるけれど、こんな世界的な指揮者を連れてくるには、どんな脅しが利いたのかしら。

現在、新国立劇場の音楽監督として活躍している飯守さんは、バイロイト音楽祭総監督のヴォルフガング・ワグナー氏から「飯守こそドイツ語でKapellmeister(名指揮者)と呼ぶにふさわしい」と信頼の言葉が寄せられているそうだ。
2年続けて彼の指揮で弾けたのは、本当に幸せだった。

あれほどの猛練習で疲れているにも拘わらず、本番は全員が燃え上がった。
汗が噴き出してきて顎当てが滑る。
楽器がスルリと逃げるので困った。
こんなに全力で弾いた事はここ数年なかったので、終ってからも殆ど疲労は感じない。
心地よい達成感に包まれた。

今回軽井沢から3人知り合いが来てくれた。
清里からは1人。
その人は軽井沢組の知人で私は初対面なのに、そこのお宅に泊めて頂くことになった。
雨が少し降っている中、清里まで車を走らせ山荘に到着。

清里は満天星つつじの真っ赤な葉が美しく、林の中の山荘は静かで、夜更けまで5人でワインを飲み、美味しいシチューを頂いた。

ログハウスの山荘は、持ち主のHさんのご主人の設計で、完成を待たずに、ご主人は肝臓ガンで亡くなったという。
リビングには46才でなくなったという、元建築家のご主人の遺影が置かれていた。
都内に家を持つHさんは、月に一回は必ずこの山荘に来て、滞在するそうなのだ。
此処に来ると守られているような気がするの、とおっしゃる。
余りにも早かったご主人とのお別れが、まだ信じられない気がするのかも知れない。
雑誌の編集長として働いて、2人のお子さんを育て上げ、長男にはドイツ人の奥さん、長女には2人のお孫さん。
今は平安に暮らしているけれど、悲しみと子育ての大変さはどれほどだったかと、察するに余りある。
毎月此処に来て、たった1人で未だにご主人と向き合っているようだ。
こんなに寂しい林の中で、1人でいても少しも怖くないと言う。

今回の演奏会は今まで聴いたクラシックの中で一番良かったと、皆さんから言われた。
お世辞も入っているとしても、そう言われれば嬉しくないわけはない。
ヴィオラもえらく褒められた。

次の朝、清里を出発。
お馴染み北軽井沢の、ノンちゃんの山荘に向かった。












八ヶ岳音楽祭二日目

なんと!朝9時半からコンサートマスターによる分奏。
昼食をはさんで夕食まで練習。
食事時間は昼食夕食共に1時間のみ。
夕食を終えてから会場の高根町やまびこホールに移動、21時30分まで会場練習。
まるで学生オケの合宿のような、ハードスケジュール。
ヴィオラの場合、前の3人はベテランで後ろの方は若者だから、体力的には彼らの方が強いはずなのに、毎年参加している若い女性が音を上げた。
若者曰く・・・ベテランは力が抜けているから大丈夫だけど、自分たちは緊張しているからきつい・・・と言う。
しかし、私たちだって超人的な飯守さんのパワーに振り回されて、日頃こんなに音を出したことはないというほど、弾かされている。緊張もする。
しかも私の隣からその後ろは、私がこけると皆同じようにこけるので、油断も隙もない。
一瞬たりとも気が抜けない。
自主的に弾きなさい、自主的に。
素晴らしい紅葉もゆっくり見ることも出来ない。
練習・・・食事・・・練習・・・食事・・・練習。

時間に追われて休む暇もない。
やっと21時半に練習が終ると、宿泊先まで30分ほどもかけて帰らなければならない。
真っ暗な山路を走ってなんとか帰り着いて、それからロビーで飲み会が始まる。
チェロのMさんを交えて、芋焼酎とワインで乾杯。
今回プログラムにヴィヴァルディの「グローリア」がある。
チェロに長いソロがあって、トップのMさんが非常に上手く弾くので安心ではあるけれど、あまり飲ませると悪いと思ったので、24時には解散した。
明日まで体力が保つだろうか。














八ヶ岳音楽祭初日

朝8時頃ヴィオラのFUMIKOさんを拾って、晴天の中央道をひた走る。
2人とも強力な晴れ女。
素晴らしい天気と見事な紅葉を愛でながら、目的地到着。
チェックイン。
初日は2時から夕飯をはさんで21時まで練習。

指揮の飯守泰次郎氏は去年と変わらず、というか、去年よりもますますお元気な様子で、精力的に棒を振っている。
出発前には新国立劇場で、オペラ「パルジファル」の6時間もかかる本番を数日間こなしてこられたそうで、あまりの元気さに私たちも巻き込まれ、熱心に弾かざるを得なくなった。

練習初日だというのに、一音たりともゆるがせにせず、私たちも手抜きなぞ出来るわけがない。
それこそ全力で弾かないと許してもらえそうもないので、目一杯音を出す。
大抵の演奏家は本番に標準を合せて徐々に調子を上げるように調整していくけれど、飯守さんの場合は最初から全力疾走となってしまう。
初めの練習でヘトヘトなのに、夕飯後も絶対手抜き無し。

今回もヴィオラで参加したので、肩が抜かそうになる。
それでもトップの梯さんとFUMIKOさんという気心の知れた仲間と一緒なので、安心して弾くことが出来た。
梯さんはピアニストの梯剛之さんのお父さん。
今回息子さんと共に来ているので、食事は私たちと一緒。
息子さんはあんな凄い音を出すためにストイックな練習に凝り固まっていると思っていたが、とても陽気でダジャレを言う。
私たちと一緒にご飯を食べながら、他の人が冗談を言うと手を叩いて大喜びする無邪気なところがある。
お父さんの方も大変陽気な人なので、血は争えないと思った。

毎年参加する古くからの知人と再会して、旧交を温めた。
練習場の大きなガラス戸の向こうは見事な紅葉。
それを見ながらの贅沢な練習時間が流れていく。

宿泊の同室は、高校時代からの同級生のFさんとFUMIKOさんだから、くつろいでいられる。
去年はヴィオラはハプニングが色々あっていじめられたし、参加者の中にクセのある人がいて少々辟易だったけれど、今年は中々居心地が良い。
一日目はあっという間に終った。
背中バリバリ。

紅葉の写真はこちらのブログでどうぞ。
音楽祭に参加したヴァイオリンのメンバーのブログです。
ブログ主さま 無断ですみません。











2014年10月24日金曜日

荷造り

今日からの八ヶ岳音楽祭のための荷造りは、2日ほど前に始めた。
切羽詰まってから荷造りすると、必要な物が入っていなかったり、ソックスだらけだったりロクなことはない。
すっかり準備万端と思って安心していたら、いきなりこの寒さ。
今日からはまた暖かくなるそうだけれど、高原だから元々気温は低い。
それに加えて、昨日教室に行ったら、八ヶ岳の別荘から帰ってきたばかりの生徒が「すごく寒いですよ。薪ストーブガンガン炊いていました」なんて言うものだから家に帰ってから中身を点検すると、寒さ対策はあまりしていない。
あわてて、セーター、カーディガンなど厚手の物を押し込む。
夜中の天気予報では明日は気温がとても高くなると言うので、又セーターを引っ張り出して、薄手のシャツを入れる。
すっかり疲れてしまった。
毎年この音楽祭に参加していて、こんなに泡食うことはなかったのにと考えたら、去年は今年よりも1週間早かったのだ。
だからさほど気温も下がらなかった。

この時期の寒暖の差はけっこう激しい。
雨が降れば寒いし、晴れればまだ日差しはきつい。
今スーツケースの中身はグチャグチャで、暑いのか寒いのかハッキリして欲しい。
頭の中もグチャグチャ。

今から20年ほど前にモンゴルに行ったとき、ツアーの同行者にすごく無口な変わり者のおにいさんがいた。
私からは変わり者などと、言われたくはないと思うけれど。
その人に何か借り物に行った人がいて、すっかり感心して帰って来た。
何々を貸して欲しいと言ったら、即座に荷物の中から取りだしたそうだ。
私だったら、中身をひっくり返して大騒ぎするところだけど。
そして荷物を覗いたら、一目でなにがどこにあるかわかる様になっていたらしい。

そういう人は、頭の中も整然としているのだと思う。
生まれつき出来が違うと思えば仕方がないけれど、今回私だってとても上手く荷造りが出来たと、自分を褒めていたのに。
気温の変化がこれほどだとは思っていなくて、その辺が甘かったと言える。
長年読みの甘い人生を送ってきた。

先ほどのお兄さんはそんなに几帳面なのに、モンゴル人のツアーガイドの家に招待されて行った時のこと、靴のひもを結ばないでだらしなく引きずって歩いていた。
それを見つけた私に「靴のひもをちゃんと結びなさい。踏んづけたら転ぶでしょう。階段で落ちてもしらないから」などと罵倒されたのだから、人はそれぞれ几帳面なところが違う。
私は靴紐はいつもキュッと締まっていないと気がすまない。


















2014年10月23日木曜日

寒い

今朝テレビで寒い寒いといっていた。
なんでも12月上旬の寒さだそうだ。
そう言われれば寒いかも・・・というわけで、アンゴラのセーターとスパッツを出して着た。
ちょうど冬物と夏物の入れ替えをしたばかり。
朝食を摂り、ノラにエサをやり、掃除機をかけたりゴミの整理などをしていたら、アッという間に汗びっしょり。
どこが12月なの!
一番手元にあったから着たのは、私の持っている衣類の中でも一番暖かい物だから、選んだ方が悪いのかもしれない。
汗だくになって、ただいま暖房もつけずに裸足に薄いワンピース一枚のみ。
家が暖かいのか、私が気温に鈍感なのか。
外に出てもさほど寒いとは思えない。

明日から八ヶ岳音楽祭に参加するために、清里に出かける。
きっと寒いのでしょうね。
暑いのは大嫌いだから、むしろ寒いと身が引き締まって嬉しい。

身が引き締まるといえば、逆に身が増大してしまって、体重が凄く増えてしまった。
夏から2キロ増。
秋口から美味しいものばかり。
クリから始まってキノコ、サンマ等々。
この季節は果物も美味しい。

八ヶ岳音楽祭のイベント最後の、オーケストラの演奏会。
2日前から合宿のような練習がハードに行われる。
羽村市自然休暇村の宿泊施設に全員が泊まって、練習に明け暮れる。
特に夕食が終ってからの練習がつらい。
お腹はいっぱい、目はトロンとしてくる、気分はリラックスモード。
そんなとき練習でやいのやいのと言われても、中々期待にお応えできない。

今回軽井沢から友人の、のんちゃんを始め地元の人も含め4人ほど聴きに来てくれる。
コンサートは日曜日に終り、そのまま、のんちゃんたちと連んで遊ぶという、結構な予定なのだ。
軽井沢の別荘は、庭に見事な楓の木があって、ベランダで見るとそれはそれは美しいということなので楽しみにしている。
帰って来たくなくなるかもしれない。
寒いのは一向に構わない。

さて4日も家を空けるとなると、心配なのは高齢のたまさぶろうの体調管理。
時々食事も摂らずに、ぐったり眠ってばかりいることもある。
昨日から食事も摂らず寝てばかり。
私の留守中もしものことがあるといけないから、獣医さんのところへ行って点滴をしてもらってきた。
人間の勝手な都合に振り回されて気の毒だとは思うけれど、これで私のいない間元気でいてくれると思うので、安心して出かけられる。
けれど、たまも馴れたもので、おとなしく点滴を受けるようになってきた。
今までの経験で、これをすれば気分が良くなると学習したのだ。
猫も人間年齢100才以上になると、化け猫に変身するらしい。


























2014年10月21日火曜日

恐ろしい店員

先日鶴見のサルビアホールの帰り道、シューベルトの夢見心地な余韻に浸りたくて、コーヒーショップを探した。
駅東口に、他は混んでいるのに妙に空いている店があったので、そこに入ることになった。
店内もちょっと高級感があって、中々よさそうなと思ったのが間違いの元だった。
入り口付近のケーキのケースを眺めて、あれやこれや考えているときに店内から大声が。
「お決まりでしたらどうぞ」と何回も。
ゆっくり選んでいたのに、やいのやいのと叫ばれて焦ってしまった。
注文カウンターに進むと「こちらへどうぞ」と又すごい勢い。
声が異常に大きい。
連れのIさんは脳梗塞をやっているから、少し言葉がゆっくりなので、コーヒーとチョコなんとか・・・まで言うと「こちらでお召し上がりですか」と又大声。
注文途中だったから「は?」という感じになった。
まだ途中なんですが。
するとイライラと「こちらでお召し上がりですか」と数回繰り返す。
その言いかたが異常にきつい。
声がどでかい!
まるで叱られているようになったから、私が「ほら、怒られてるわよ」と言って店員の顔をじっと見つめた。
次ぎに胸の名札も。

その間コーヒーを二つ、チョコなんとか(クロワッサンだかパイだったか)それからロールケーキをやっと注文し終ってお支払い。
ところが私の注文したロールケーキがセットされていない。
ロールケーキは?と言うと又計算し直し。
最後までちゃんと注文聞いてからでも、店内で食べるかどうかは聞けるでしょうが。
マニュアル通りの「店内で・・・」が先に来ないといけないらしい。
それでこんなに混乱して、時間がかえってムダになる。
これってバカみたいだと思わないかな。
会計のし直しの説明も早口大声。
こんなものレシート見れば分かるのに。
支払いになって、脳梗塞さんは小銭が取り出せない。
混み合っていれば私がさっさと払ってしまうところだが、後ろに客もいないし相手がどう出るか、観察することにした。
たぶん口の先まで「早くしろ」と出かかったのだろうが、私にジッと見つめられ視線が名札にさまようから、店員はなにも言えない。
コーヒーもケーキも美味しかったけれど、こんなに怒鳴られてすっかり気分を害してしまった。
私たちの前で注文していた中年のご婦人2人、同じようにどつかれていた。
一体この店は何なのかと思ったら、ホテルの直営らしい。
ホテルの宿泊客もここで、朝食を食べるらしい。

それで食べログの口コミ欄にいってみた。
案の定店員の態度、掃除の行き届かないことなどが口コミに投稿されていた。

若者は高齢者はノロノロしていて、見た途端に小突きたくなるらしい。
私はそういう若者は大嫌い。

私はいつも自分より年上の人を尊敬してきた。
何よりも、その経験を聞かせてもらうのが楽しみだった。
技術が衰えて私よりも指が回らなかったりしても、絶対にバカにはしなかった。
私がオーケストラに入りたての頃、N響を定年退職した人達がエキストラで来ていたけれど、その人達から沢山のことを教わった。
私は若くて大学出たてで指は良く回る。
それでもオーケストラの常識は乏しく、わからないことだらけ。
それを色々アドバイスを受けて、本当に助かった。
私のそんな態度を見て、その人達が喜んで教えてくれたのが、今でも財産になっている。
そのまま、その人の娘さんとのご縁につながったことも。

私の世代は楽だったけれど、私の両親達の世代は、それはそれは大変だった。
母をみていて、よくこんな事に耐えてきたと思った。
そのせいで、高齢者を大切にすることを覚えた。
2チャンネルなどで、ジジイ、ババアなどと罵倒する記事を見ると、情けなくなる。
決して自分がそうなることがいやなのではない。
私はむしろ、若者を罵倒しているような元気な年寄りだから、なに言われようと言い返すし、敵討ちをする。
私は怖い。
でも少し耳も遠くなり、手も不自由になったような人を怒鳴り散らす人は許せない。
そんな人が盲導犬いじめたりするのでしょうね。






























2014年10月18日土曜日

ウイーン八重奏団

東日本大震災復興支援チャリティーコンサート
            鶴見サルビアホール

ヨハン・シュトラウス ワルツ「ウイーン気質」
ベートーヴェン          「七重奏曲」Op.20
シューベルト              「八重奏曲」Op.166

久々にウインナーワルツ独特のリズムを聴いた。
私が東響に入った頃、毎年ウイーンからヨハン・シュトラウスの孫のエドアルド・シュトラウスが来て、「アサヒビールコンサート」という冠コンサートで日本各地を回った。
今日の初めの曲が「ウイーン気質」ウイーン独特の3拍子だったので、当時を思い出してしまった。
ウイーンの3拍子は、1拍目と2拍目が早く、3拍目との間が空く。普通のワルツのブンチャッチャでなく、ブンチャッ チャとなる。
分かりますかね、こんな説明で。
ブンの次のチャは、そこで踊る人が回るところなので、ちょっと伸びる、次のチャはすこしゆっくりと入ってくる。
でも、3拍目をゆっくりするには、やはり2拍目は少し早めに弾かないと、寸法が合わなくなると思うのですが。
これでどうでしょうか。

故北爪利世さん(クラリネット)がエドアルド・シュトラウスに、1拍目と2拍目が早いのか、2拍目が伸びるのかどちらなのかと聴いたら、2拍目が伸びると答えたそうだ。その時に、そこは踊り手が回転するからと答えたという。
北爪先生は偉い人なのに、恐れ多くも私のカー仲間だったので、助手席でよくそんな話を聞かせてもらった。
私たちは毎年ウインナーワルツを弾きながら、20日間くらい旅をした。
そういうことがなくなってから新人が入ってきて、ウインナーワルツを弾いたとき、私がウインー風のリズムで弾いたら、怪訝そうに顔を見られてしまった。
この人、リズム悪いと思ったのでしょうね。
今日、聴いて当時を思い出した。

2曲目のベートーヴェンは、私もこの曲を演奏したくて、メンバーを集めて練習したことがあった。
練習はしたけれど、ヴァイオリンパートのあまりの難しさに、コンサートに出すことは諦めた。
これほど、アラの目立つ曲はない。
基礎が出来ているかいないか、一目瞭然。
今日もたまに音程が気になったので、でも逆に、もう一度挑戦してみようかという気になった。
流石のヴェルナー・ヒンクさんでも、コンサートの初めの方でこの曲を弾くのは、大変なのだ。
テクニシャンな今時の若者なら、なんなく弾くかもしれないが、他の部分で彼にはかなわないと思う。

シューベルトはしょっちゅう聴いていたけれど、まだ弾いた事がない。
八重奏曲のメンバーをそろえるのは、よほどの機会がないと大変過ぎる。
でも、一度は弾いておきたい曲の一つ。
私も弦楽四重奏やその他のアンサンブルは、数多く弾いている。
しかも、私ごときのレベルでは到底一緒に弾いてはもらえないような人達と。
どういうわけか、さんざんチャンスを頂いた。
そういう名手の演奏を横目で見ながら、色々学ばせてもらったので、本当に幸運だったと思う。
それほどチャンスがあったのに、この曲を弾くことがなかったのは、やはり管楽器が入っているので、メンバーをそろえにくい。
演奏会でも中々聴く事が出来ない。

今日の最後の曲は、これこそウイーンの音という音だった。
なんと形容しますか、これは聴いて頂くしかないと思っている。
言葉を尽しても表現出来ない。
メンバーはかなり高齢で、これ見よがしにテクニックをひけらかすことはないけれど、隅々までシューベルトを理解していて、楽しげに作り上げていく。
ここまで来るとヒンクさんの面目躍如。
アダージオのアウフタクトの音なんか美しすぎて、居眠りもできない。
お見事というより他にない。
伝統と熟練の技を堪能してきた。















さんま

今年はサンマが美味しい。
このところ連続食べ物バージョンだが、今日は美味しそうな丸々したサンマを見つけたので、つみれ汁を作ることにした。
サンマは細長いから丸々という表現はないかも知れないが、脂が乗っていて刺身にもできそうな物が手に入った。
中骨を取ったら後は皮も小骨も全部叩いてしまう。
そこにショウガ、ネギ、味噌、酒などで味を付けて、野菜たっぷりの汁に入れて、クツクツと煮る。
サンマと野菜から旨味が出るから特にダシははとらないけれど、これにキノコが入ればもっと美味しくなる。
つみれに味噌が入っているから、醤油仕立てでも澄まし汁でも、こくがある。

秋はいい。
食べ物が美味しい。
特に日本の秋は美しい。

新潟ではすでに紅葉が見られた。
これからの季節は、四季の中でも一番美しいかも知れない。
私はあくまでも冬派なので、これから冬に向かうという気持ちが嬉しい。
冬といえば鍋。
牡蠣ももう店頭に出てきて、早く食べて下さいようと、声をかけてくる。
よしよし、牡蠣フライに牡蠣鍋、豆腐と一緒に煮てもいい。
クリーム仕立てのシチュウも、ほっこり暖まる。
余ったら次の日、チーズを入れてグラタン風にもなる。
なんと組み合わせても、牡蠣は自分の味にしてしまう。
隠れてなんかいないで、自己主張の強さは海の物の中でも、ピカイチ。

こういう人っていますね。
求心力が強くて、誰といてもいつの間にかリーダーになる人。
それに対し、私はあまりにもいい加減過ぎて、リーダーにはなれないし、させてもらえない。
と言うのも、末っ子に生れ、姉兄達の後を付いて回るだけで、決して自分から行動しなかったからかも知れない。
その上、物事全て二面性があると思っているから、何事も断定しないし、出来ない。

音楽については、ますますその傾向がある。
感受性は10人10色。
特に音楽(芸術)は、1人1人違って当たり前。
演奏を聴くと、あ、あの先生のお弟子さんだとすぐ分かる集団がよくある。
指揮者も、**先生のお弟子さんでしょうというと、大抵当たる。
あの学校出身ねと分かることも。
全員同じ様な弾き方をするので。
これは裏返せば、それだけ生徒に影響を与えられるのだから、良い先生(学校)と評判を受けるかも知れない。
けれど、海外のコンクールなどで、日本人の演奏は皆同じで気持ち悪いといわれるのは、そういうところなのだ。
技術を教えても、音楽はその人それぞれ。
勿論若くて経験がなければ、未熟な表現になるけれど、自分でこう弾きたいと思うように音楽性を引き出してあげるのが教師の務めであって、自分の音楽を押しつけることではないと、思っている。
しかし、高名な先生はそうはいかない。
未熟な生徒を世に送り出したら自分の恥だから、徹底的に自分の歌い方を事細かく教え込む。
優等生ほど先生に似てしまうのは、そのためだと思われる。
ところが先生の手をはなれ世の中に出ると、どうやって曲を作り上げるのか分からないで苦労している人を、時々見かける。
テンポすら決められない人もいる。
こうしなさいと言ってくれる先生は、もういないのだから。
どんな先生に師事しても、それを越えて自分を出せる牡蠣のような演奏家を目指して欲しい。

やっと、オチがつきました。
サンマから牡蠣、音楽になってしまって、どうまとめようかしらと思って。















2014年10月15日水曜日

魚と言えば富山も

今朝は抜けるような青空。
久しぶりの美しい秋の日差しに、猫たちも日光浴をしている。
昨日は眠ってしまってなんの物音も聞かなかったけれど、今朝のニュースであちこちの水没画面を写していたから、この辺も暴風に襲われたのかも。
今朝ノラたちのエサを運んでいたら、駐車場は落ち葉がいっぱい吹き寄せられていた。

実は予定していた練習が延期になってしまったので、新潟から無理に帰ってくることもなかったようだ。
昨日のうちに知らせがあれば、もう一泊して喉黒にかぶりついていたかもしれない。
あくまでも食べ物に固執。
これでは地獄では餓鬼道に落とされるにちがいない。

おいしいお魚といえば富山を思い出す。
富山にも毎年仕事で滞在していた。
富山のお魚は、スーパーマーケットの魚売り場のものでも、もの凄く新鮮でびっくりする。
特に立山の雪解け水は高い栄養分を持っていて、富山湾に流れ込んで美味しい魚につながるのだそうだ。

富山には大学の同級生が住んでいる。
大学と言っても、音大を出てから仕事に明け暮れて、あまりにも普通の教養がかけていると思ったので、放送大学に入学した。
高校も音大附属だから、語学などはずいぶん沢山のカリキュラムがあっても、数学や物理などはかなり端の方においやられていた。
それらをもう一度身につけたいと思ったから、当時設立されたばかりの放送大学は、通信制で私にはうってつけ。
早速入学することにした。
入学するのは簡単で、高校の卒業証明書があれば、誰でも入れる。
ところがかなり高度のレベルで、卒業するのは大変だということがわかった。
数学者の友人が「こんな難しいことやるんですか」と教科書を見てびっくりするくらい。
私は一般大学を知らないから、当然この位のものは当たり前なのだろうと思っていたけれど。
それはそうだ、文部省(当時)の機関だから、税金でバカを作るわけにはいかない。
初めてのテストの時、あまりにもチンプンカンプンで答案用紙を目の前にして涙を流した。
ざっと教科書を読む位では到底歯がたたない。
それから心を入れ替え、大学の図書館で授業のビデオを閲覧して勉強した。
物理の実験科目は学校で行われ、その時に隣に座ったのが富山県人の男性だった。
身長180㎝、初対面の時、おっとりした大型犬のような雰囲気で話しかけてきた。
通学路線が同じなので、時々一緒に帰った。
息子ほど歳が離れていて、さっさと先に卒業して富山に帰っていった。
それ以来富山に仕事に行くと、コンサートを聴きに来てくれる。
この人が唯一の学友。

元々富山は、美味しいタラ汁を食べたときからのお気に入りの地だった。(どうしても食べ物につながる)
しかもその先もずっと仕事で滞在することも多くて、お寿司屋さんも行きつけが出来て、さんざん通い詰めた。
仲間達も富山大好き。
仕事が富山と分かると、ヤッター!と喜ぶ。
10年前乳がんの手術をした私は、その前から引き受けていたのが富山と函館に行く仕事だった。
それを事務所が気を遣って、都内の仕事に振り替えてくれた。
せっかくの好意なのに、こともあろうか、美味しい物を食べそびれたと周りにこぼしていた。
しかも周りも病気のことなどちっとも心配してくれないで、惜しかったねーと一緒に嘆く。
そして帰って来てから「あれ食べてこれ食べて、おいしかったわよー」とうらやましがらせてくれた。
持つベきっものは友人と、その時骨身にこたえて歯ぎしりをした。話だけとは・・・

そんな過酷な環境にいるので、病気なんかやってられないと、いつの間にか強くなった。

放送大学は10年かかったけれど、ちゃんと卒業しましたよ。
あくまでも仕事優先で、せっかく授業を受けてもテストの日に仕事が入ったら受験できない。
ずいぶん何回もそんなことがあって、それでもこの大学で得たものはすごく大きかった。
新聞でも雑誌でも、それまで科学欄が読めなかったのに、ようやく意味が通じるようになって、サルから人に進化できた(かも)

タラ汁と言えば、富山で食べるとすごく美味しい。
それで帰りがけ、朝市でタラを丸ごと買って飛行機に乗る。
家に帰って作ると、ん、今いち。
どこが違うのかわからないけれど、どうしても同じように作れないのが悔しい。
























2014年10月14日火曜日

喉黒

喉黒・・・あかムツの別名。

日曜日昼過ぎ新潟に到着。
市内のホテルにチェックインして、さてどうやって夕方の練習までの時間を過ごそうかと思ったけれど、結局なんだかんだグズグズしているうちに時間になってしまった。
どこかで美味しいお寿司を食べようと思っていたけれど、練習後のお酒のことを考えるとあまりお腹がいっぱいではまずい。
タクシーで約10分ほどの音楽文化会館へ向かう。
万代橋を渡って行くのだが、この辺はかつて長期の仕事で滞在したことがある。
懐かしい。
毎晩皆でお酒を飲んで酔っぱらって、万代橋の石の柱に登って万歳をした・・・
帰りには市場によって魚を自宅に送るのが、毎度のことだった。
オフの日には佐渡に渡って一泊したり。
そんな面白いことが沢山会って、新潟は特に気に入っていた。

私の教えているKさんと、新潟チェロアンサンブルの指導者、館野英司さんの教えているTさんが結婚して、そのご縁で館野さんと旧交を温めるようになり、そのK&T夫婦(牛)に曳かれて新潟詣りという次第。

ベートーヴェンの「街の歌」を地元のピアニスト関田さんと館野氏と演奏する。
練習後は新潟チェロアンサンブルの前夜祭?の飲み会が盛大に行われた。
そこで生まれて初めて・・・でもないけれど、今まであまり美味しいものに出会わなかった喉黒を、特別に注文してもらった。
なぜ特別かというと、凄くお値段が高い!
高すぎるから、自分では到底注文なんか出来ないのだ。
目の前に来たそれは、見ただけでヨダレが出そうなくらい美味しそうで、思わずニャーとも言わず、無言で一番美味しい腹身の部分を頂いてしまった。
尻尾は皆さんにというわけで、その美味しかったこと。
この次はいつお目にかかれるかわからない。

本番の前の日にこんなに大騒ぎしていいものかと思ったけれど、皆さんお酒も強いし陽気で話が面白い。
これでは新潟チェロアンサンブルに、九州から参加する人もいるというのも頷ける。
なんだかひっちゃかめっちゃかで疲れたから、喉黒に満足した私はとっととホテルに退散した。
ホテルでコーヒーを入れようと思って、コンビニで買ったドリップコーヒーの袋を破ったまま、寝てしまったらしい。

今朝練習室に行っても肝心の御大現れず。
昨日飲み過ぎて爆睡していたらしい。

私の出番まではかなり時間が空くので、練習したり近くの新潟県政記念館のコンサートを聴きに行ったりして、時間をつぶす。
この県政記念館のコンサートは、チェロアンサンブルの方に出演の根津さんという方のご子息の演奏会だった。
隣り合わせの会場でお父さんと息子さんが、別々に演奏しているのも面白い。
その上、もう一つお隣の大きな会場では日フィルの演奏会があって、そのメンバーが練習の合間にこちらに来て出演するというのだ。
3つの隣接した建物でのコンサートのメンバーが、全部つながっているのが面白い。

県政記念館は新潟県議会旧議事堂だそうで、国の重要文化財となっている。
内部は天井が高くコの字型にテーブルとイスが並んでいて、ここでかつては県議会が開かれていた。
傍聴席がテラス状に上方にしつらえられているが、その鉄製の支柱の透かし模様がすごくおしゃれ。
床の絨毯も上等で、当時としたら(明治16年建立)日本では珍しい壮麗さではなかったかと思われる。

さてそこでの演奏会は「越友楽道」と言うアンサンブル。
メンバーは
チェロ    根津要
チェンバロ  笠原恒則のお二人が2010年に結成。
それに今回はゲストとして
フルート   浅利守宏

新潟の地に根ざし様式や楽器のとらわれず、楽曲の魅力を伝えようという試みで結成されたとのこと。

この旧く美しい建物にぴったりのコンサートだった。
チェンバロとチェロの柔らかい響きが高い天井に反響して、時代が戻って行くような。
プログラムもテレマン、ヘンデル、バッハなどの他にヴィラロボスなどの異色な作曲家を組み合わせて、起伏のあるプログラムで飽きさせない。
約2時間たっぷり堪能させてもらった。

それが終って演奏会場に戻ると、トリオを数回合せたあと本番。
非常に楽しかった。
初っぱなでちょっとガタついたので、私が悪いのかと思ってぺろりと舌を出したらしい。
生徒のKちゃんから指摘されてしまった。
これだから私は、いつも不真面目と思われるのだわ。
本当はいつも真剣そのものなのに。

台風接近のニュースにビビって、今日の打ち上げは参加せず早めに帰ることにした。
せっかく手に入れた、運命的な最後の一枚の指定席。
それに座らず、みすみす自由席に乗るなんて。
何のことはない、大騒ぎする割にはまだ台風は来ていない。
なんだなんだ、もう一匹喉黒食べられたかもしれないのに。

どこまでも意地汚いわたくしでございます。






























2014年10月11日土曜日

週末の招かざる客

このところ、週末毎に大型台風が日本を訪れる。
先日の日曜日は、レッスンの予約が入っていた。
その生徒は仕事の都合で、ヴァイオリンを弾けるのは週末だけ。
練習はウイークデーは全くできないから、土曜日1日と日曜日の午前から午後にかけてするらしい。
それでレッスンは日曜日の夕方以後にして欲しいというので、その日も18時に予約を入れた。

そのレッスンの前に、音楽教室の弦楽アンサンブルの練習に立ち会うので、文京シビックまで足を運んだ。
台風が激しくなりそうだというので参加人数は少なかったけれど、かえって内容の充実した練習が出来たのが収穫だった。
その後、予定のレッスンのために教室に向かおうと思っていたら電話が鳴った。
急で申し訳ないが、猛烈な雨になりそうなので、仕事場で待機命令が出てしまって行かなくてはならないので、レッスンはキャンセルさせてほしいとのこと。
まだ若い女性だけれど相当なキャリア組なので、こんな時にはいなくてはならないのかもしれない。
私の様に誰にも期待されず、いるだけで邪魔な猫の手なら、絶対に呼び出されないけれど。
出来る人はつらいね。

結局雨は私のいる場所に限って、そう大変な事にはならなかった。
予定が早く終ったので、どこかでお寿司でもつまんでと思ったけれど、最近の天候は油断も隙もならないから、さっさと家に帰った。

そして今週末、かつて体験したことのない大型台風が接近するらしい。
私は12日の日曜日に新潟へ向けて出発する。
新潟で現地の人や、都内から参加するメンバーで楽しく演奏しようという企画。
勿論お酒と美味しい魚が目当てで、前から楽しみにしていた。
ところが又、台風が押し寄せてくるらしい。
往きはたぶん大丈夫。
問題は帰れるかどうか。
12日現地で練習、一泊して13日本番で、関東地方はその夜から次の日が台風のピークらしい。
新潟を出たものの、東京駅に着いたら家まで帰れないこともあり得る。それなら新潟にもう一泊して、のんびり帰るかなんて不埒なことも考えている。

今日、みどりの窓口で新幹線の指定券を買った。
往きはすんなり。
帰りは窓口の人が「ああ」と言った。
最後の一枚ですよ、運が良かった。運命的な一枚ですね。

手を取り合って喜んだといきたいところだが、アクリル板で遮蔽されているから、そうもいかない。
しかし、面白いことを言う人だなあ。
















2014年10月9日木曜日

梯 剛之ピアノリサイタル

紀尾井ホール
モーツァルト 幻想曲ニ短調
モーツァルト ロンドニ長調
シューマン  子供の情景
ショパン   24の前奏曲

今日のプログラムは私の大好きな曲ばかり。
特に「幻想曲ニ短調」と「子供の情景」は私も自分で弾きたいと思って、いつもピアノの上に楽譜が置いてある。
置いてから数(十?)年経ってしまい、まだ猫にも聴かせられない。

数年前聴いた時、剛之さんは音を模索していた。
ベートーヴェンプログラムだったけれど、絵の具を塗り重ねるように音を重ねて、どれだけ深い音に出来るか、そんな感じで模索している時だった。

恐ろしいほどの集中力と圧倒的な音量に、聴いている方も息をつめていた。
どういう奏法なのだろうか、やはり若いときからヨーロッパに渡って勉強したために、教会に鳴り響くパイプオルガンをイメージするような、深く力強い音がしたのを覚えている。
その時は音を追求する余り、音楽自体よりも響きに陶酔しているようにも見受けられた。

それからどれだけ経ったか忘れたが、今回はその上に更に透明感のある弱音に磨きがかかって、成熟の度合いを深めたことに成功している。
そして音楽も構成が浮き彫りになって、流れも軽くなり、いよいよ大家の風貌を備え始めた。
モーツァルトは元々得意の分野かもしれないが、弱音の美しさとパッセージの鮮やかな転がるように素早い動きは、本当に素晴らしい。
いつも毎回絶対、コンサートで居眠りする私が、全く眠らなかったことからも、どれだけ鮮やかだったか推し量って頂きたい。

特にシューマンは、この世から少し上の世界にいて、空間を漂って・・・もしくは深い地の底で安らいでいるような、そんな感じがした。
私は、深い瞑想状態に入ったような気がした。
コンサートを聴いてこんな体験は初めてだった。
彼の奏法は、一体どういう風になっているのか知りたい。
最弱音から最強音を出す時にも、体の動きはさして変わらない。
特に素晴らしいのはレガートで、まるで弓で弦を弾いているかのような、音色は一体どこから出て来るのか。

これが分かると、私たち弦楽器奏者にも奏法のヒントになりそうな気がする。