2013年5月31日金曜日

ヘイトスピーチ

新大久保かいわいでは毎月在日コリアンに対する過激なデモがおこっているという。情けない話しで、日本は中国や韓国からの攻撃を受けていても、冷静に対処しなければ彼らと同じレべルになってしまうということがわからないのだろうか。私の知り合いの中国人も韓国人も皆さんすごくいい人たちで、一部の韓国人や中国政府の政策で動かされている人はおいて、ほとんどの人たちは気の良い人たちなのだ。中国には数回旅行しているが、一度も嫌な目にあったことはない。最近までハマっていた2チャンネルの書き込みなどにもひどく韓国を蔑視した言葉が並んでいて、気分が悪くなった。私たちのご先祖さまは大陸から来た人かも知れないし、自分の血に韓国、中国が混じっているかも知れないのに、差別をするのはどういうこと?文化や国力の違いで喧嘩をするのは本当にバカらしいこと。仲良くしろというのはそれぞれの事情で無理な人もいるかもしれないが、相手が何を言っても品位を保ってやり過ごすのが大人の国のやりかたではないか。一日も早くヘイトスピーチを禁止してほしい。これをいうと、言論の自由を奪われると言って騒がれる。しかし、集団で特定の国を非難するのは、悪くすれば将来とりかえしのつかない事態を招きかねない。たとえは悪いが、白猫がクロネコはけしからん、茶トラはわれわれこそが猫の王様だと言っているみたいで、毛の色が違うだけで相手を馬鹿にしているような気がする。私がのんきすぎるのだろうか。本当に喧嘩はやめてほしい。無理に仲良くしなくてもいいから、こちらから嫌がらせをするのだけはやめてほしい。あちらが何を言っても相手にしなければいいではないか。

効果あり?

今朝目覚めたら体が熱い。みぞおちから膝上までがほてっている。昨日の筋トレのせいだと思う。脂肪が燃えているのかしら。体はどこも痛くは無い。やはり専門家の指導を受けると違うものだ。今まで自分で色々運動しても、たいていやりすぎか間違ったやり方でどこかを痛めて、運動はしないに限ると思うようになっていた。私は股関節が硬いせいか、歩くと逆に具合がわるくなる。そんなことが続いて最近ほとんど運動らしいことはしていなかった。そして、そのほうが体調もいいとうそぶいていたけれど、最近はなんだかどよんとした体になってきて、このまま年を重ねるとミシュランのタイヤ男みたいに段々腹になってしまいそうだ(すでにそうだけど)と危惧していた。月に3から4回で充分だというので、この先しばらく通ってみることにした。意外だったのは腕立て伏せが出来たこと。いままであんなことは絶対にむりだと思っていた。しようと思ったこともなかった。体重が減るような補助器具を使うので、腕にそれほど負担はかからないのだが、20歳台のひとでも10回出来ない人がいるというのに、20回を2セット30回を1セットらくにできたので、驚いた。トレーナーも驚いていた。楽器を弾くことで筋肉やバランス力が身についたのだと思う。楽器を弾くことがどれほど体にいいかということを、そしてどれほど体力が必要かということも今更ながら実感している。朝起きて楽器を構えると、なんだかしんどい。今日もお願いしますよとご挨拶をして、ゆっくりロングトーンから始める。しばらくすると私も楽器も同じように目が覚めてくる。その感覚がうれしい。スキーの先生が、練習がいやだと思うようになったらもうおしまいだねと言う。私は元々は練習が嫌いではなかったのに、猛烈に仕事をしなければならないときがあって、きちんとした練習をする体力も暇もないことが多かった。今ようやくゆっくり練習が出来るようになったので、生涯で一番幸せな時かもしれない。ちゃんと楽器と音楽に正面から向き合っていけるのだから。

2013年5月30日木曜日

パーソナルトレーナー

散歩の途中で見つけた小さなジム。覗いていたら中から筋肉マンが出てきて体験レッスンいかがですか、とお誘いを受けた。私ももうあと10年はヴァイオリンを弾いていたい。出来れば最後までいい音が出したい。そのためには体を若く保たないといけない。三浦雄一郎さんのように過酷な運動はしないから、そんなに本格的なトレーニングでなくていい。せめて、あと10年は背中が曲がったりしないように筋肉をつけたい。一人でトレーニングするには知識も経験もない。間違った方向にいって体をこわすといけない。それで、このうちの前を通るたびにチラシを持ってかえったり、運動している処を眺めたりしていた。トレーナーが出てきたのを機会に話を聞いて、肉体改造を始めようかという気になった。今日が第一回目のレッスン。何が目的かを話して、とにかくストレッチと背筋腹筋の強化を目指すことにした。筒状の用具を背中にあてて、肩甲骨の柔軟性を高める運動から入る。すごく気持ちがいい。スクワットなども時々やっていたけれど、膝が痛くなることもあった。それは姿勢が間違っていたからで、今日初めて正しい姿勢を教わった。何回やっても膝は痛くならない。これだけでも大収穫。楽器を弾いているから毎日筋トレをしているようなもので、体の動きも筋肉もかなり若いと褒められていい気になっていたけれど、最後に股関節の硬さに驚かれてしまった。以前ヨガをやっていたときにあまりにも股関節が広がらないので無理やり広げて痛めたのがことの始め。その後も八ヶ岳で馬に乗っていた時に股関節が広がらないので、自分の手で股関節を無理やり広げたらミシっと言って激痛が走り、その後一年以上痺れや痛みに悩まされた。ここは私のアキレス腱なのだ。体の左右のバランスもだいぶ崩れているけれど、それは楽器を弾くことが原因になっているので、下手になおしてしまうといけないかもしれない。様子をみながらにしましょうということで、今日のレッスンは終了。今腿の前の筋肉が痛い。かなりハードでも腕立て伏せや背筋の運動などはあまり応えないところをみると、その辺はずいぶん強いらしい。上半身はかなり鍛えられているが下半身が弱い。それもそう、運動は時々スキーをするだけ。ヴァイオリンの練習で毎日数時間立っているのでもう少し強いと思ったが、筋肉はそれほど使っていない。体を鍛えてみたらどのように音がかわるのか、楽しみが増えた。






2013年5月29日水曜日

梅雨入り

弦楽器奏者にとって最悪の時期。湿った空気、どんよりした空模様。弦楽器やっていなくてもこれでは気分が落ち込んでしまう。
今のところ私の楽器はよく鳴っている。最近基本に戻って、ロングトーン、左手指のエクササイズ等を曲を弾く前にかなり時間をかけてやっている。これは効果大。まず、楽器が喜ぶ。よく鳴ってくるから私も嬉しい。部屋は空調が効いているから、一定の湿度に保たれて、この時期にありがちな板のはがれなども今のところ見つからない。最近表に楽器を持って出歩くことが減ったのも良かったのかも知れない。2005年、この季節に名古屋万博会場で仕事だったときには到着したら土砂降りで、しかも会場は音楽ホールでなく窓の上が開いているイベント会場。外の湿気がそのまま入ってくる。スペアの楽器を持ってくればよかったと悔やんだこともあった。しかも私は弦はいつもガット弦を使っている。湿度や温度に反応しやすいタイプの弦だから、これで一日この会場で調弦し続けるのかと思ったらげんなり。とんでもなく湿度が高いので、即、弦を全部ナイロン弦と交換したことがある。こんなときのために、前に使った弦をケースにいれておいたのが役に立った。ナイロン弦といえども新しい弦は交換したては伸びるから、なにかあったときの用心のために、使い古しの弦を持ち歩いている。そして弓の毛は馬の尻尾だから、これも天然物。雨が降れば当然伸びて、いつの間にかゆるゆるになって、張りがなくなる。もう最悪。このブログでは同じような季節に同じようなことを書いていると思うけれど、毎年自分を取り巻く状況に変化がないということだから、いいのか悪いのか・・・平和に暮らしていることではある。そしてこの名古屋万博の直前に、私は乳がんの手術をしたのだった。手術後2日目にこの10時間にも及ぶ仕事をするのも気違い沙汰だったが、別にどうということもなかった。病気は病気、仕事は仕事。少し後になってからどうしてもスケジュールのことで音楽事務所に相談するまでは、だれも手術のことはしらなかった。野蛮人は強い。あれから8年目、再発もなく生きていられるのが心から良かったと思う。生きているのはそれだけで幸せなのに、自ら命を断つ人もいる。生きていられることだけでも人は充分なのに。癌宣告をされてからずいぶん生きることについて考えた。なにか思い残すことはあるだろうか?答えはなにもない。でも生きていたい。梅雨時になるとそのことを思い出す。不思議と手術台の上では胆が座って怖くはなかった。執刀医に「なぜ、朝食を食べてはいけないの。お腹がすいたわ」なんて言ったものだった。予想よりも癌が大きくて先生があせっていたのに。




バカみたい

最近テレビも面白くないし目が悪くて本を読むのもしんどいというので、2チャンネルとやらの書き込みを読みにいくと、次々に面白そうな題名に引っかかって、気がつくと何時間も見ている。時々は面白い記事もあるけれど、大抵はいくらなんでも作り話ではないかと思えるので、これを読んだらやめようと思うのに、おや、これもおもしろそうと又引っかかる。多大な時間の無駄使いをしている。ものすごい修羅場などが出てくるが、これがなぜか笑えてしまって、人の不幸は蜜の味だなあ。本当にこんな人いるの?読んでいる内にばかばかしくなるのに、ゲームやなんかと同じでやめられなくなる。明日からはきっぱり足を洗って、もう少しまともな時間の使い方をしなければと思う反面、時間の無駄使いも時々は必要な気もする。人間いつも聖人君子ではいられない。変なものを覗いてみたいという欲望もある。忙しくしている時にはこんなもの読んでいる暇もなかったし、歯車が高速回転していたからつまらないことに関わっているのはもったいないと、品行方正、読む本は役に立つ感動するものでなければ人生損をすると思っていた。真面目に英語の力をつけようと英語の本を読んだりしていたけれど、それもたいして役に立たなかったのは自分を過信していたからに違いない。この頃自分の品性(下品)を見せつけられた。こんなもの面白がっているのは底の浅い人間の証拠。いままでは美しいものに目がなくて、良い音や美しい音楽や素晴らしい絵を鑑賞したりしてきたつもりなのに、いつの間にかこんなもの面白がって何時間も見ている様では情けない。でも時々素敵に可愛い猫や犬の画像に出会うので、それが言い訳になってしまう。今やっともうこのテのサイトには来るまいと決心した。約一ヶ月。はまったものだわ。人の離婚や不倫や復讐のはなし読んでなにになる。ほんと、バカみたい。でも、明日から夜中にすることは・・・英語の勉強?人生に役立つ本を読む?うわー、つまらなそう!

2013年5月27日月曜日

可愛すぎる



猫のおかしな声を聞いて不思議そうに首を傾げる子犬。

2013年5月25日土曜日

Chor C・E・G / MJ混声合唱団第4回ジョイントコンサート

川口リリアホール
アマチュア合唱団のコンサートを聴きに行く。
わが「雪雀連」のメンバーのHさんが出演者の中にいて、ステージで歌っていた。彼女は化学者。化粧品の香料等の研究をしているらしい。「らしい」というのは雪雀連では、お互いに私生活のことを根掘り葉掘り訊いたりしないから、長いお付き合いでも相手の仕事のことをよく知らないことが多い。私のように明らかにコンサートなどで働く姿を見ていただければ別だが、そうでないと一体あの人はどんな仕事をしているのかしら?と考えもしない。だから私も彼女の仕事については、ほとんどわからない。とにかく飲兵衛で、ハンサムな男性に目がなくて、よく歌う人だなあと思っていたら、こんなところでも活躍していたのだ。
まずフォーレ「レクイエム」
イギリス 「マドリガル集」
山田耕筰  作品集(男声合唱)
最後は器楽を歌うというタイトルで器楽曲をコーラスで、例えばドビュッシーの「月の光」リスト「愛の夢」など

フォーレのレクイエムはオーケストラ時代にさんざん弾いたけれど、このところとんとご無沙汰だったので、懐かしく思った。やはりステージ第一声は緊張で少し音程もぶら下がり、声も硬い。しかし男性はおじさまばかりにしては、なかなかの実力でほほうと思えるくらいの滑り出しだった。レクイエムのあとは女性も声の方も硬さがとれてきて音程のぶら下がり度も少なくなってきた。時々はりきって高音を出そうとするあまり、声がひっくり返ってしまう人がいるのもご愛嬌。でもレベルは結構高い。山田耕筰作品の男声合唱はユーモラスで楽しかった。メンバーの年代はHさんでも若い方だというから、かなりの平均年齢の高さらしい。*レクイエムのソロを歌った男性は70歳台だそうで、*とても良い声だった。このところやたらと元気な高齢者が目につく。こうやって声を出して、たまに緊張して、終わったらお酒を飲んでわいわいやっていたら、それは楽しくて元気にもなるでしょう。うちにいて家族に文句を言って嫌われるよりも、外に出て発散すれば病気も寄ってこない。

*実はこの部分人違いでした。






2013年5月24日金曜日

肉食人種

昨日エベレストに登頂成功した80歳の三浦雄一郎さんも、90歳を超えてなお世界で活躍しているピアニストの室井摩耶子さんも、共通しているのは驚異的な体力と精神力。お二人ともお肉が大好きだとか。そして高齢でも体力のいる仕事(ピアニストだってものすごい体力がいるのです)をしている人は肉食系が多い。お肉を食べてそれを消化吸収出来るだけの体力があるということ。あるいは、食べてもピアノを弾くことでしっかり消化してしまう。よく日本人は長寿でそれは日本食にあるというけれど、ただ長生きするだけなら、それは正解かもしれない。でも、私の周りで食が細くて活躍している人はあまり見たことがない。皆実に豪快にもりもり食べる。私もよく食べるがあまり活躍はしていないから、全部に当てはまるとはいえないけれど、同年齢の人に比べると、すごく元気なのは実感している。私たちのスキークラブ「雪雀連」も高齢で現役で大活躍というおそろしいメンバーが多いが、よく飲み、食べ、喋る、笑うが共通点。お正月の恒例のスキー初めは天元台なので、米沢牛がこれでもかというほど毎食出る。それをペロリと平らげて4日間肉ばかりの帰り道、ステーキ屋に寄るなんて普通考えられないでしょう。さすがに80歳を超えてやっと50歳台の人並みになった山田会長がお寿司に切り替えた。それでも朝食をたっぷりとって少し滑って麓におりてから又寿司屋で宴会。あきれたじいさんばあさんたち。
今日は月例「弾く会」にいってきます。このメンバーも只者ではなく、今日私と付き合ってくれるピアニストのOさんも時々ステーキをもりもり食べる。楽器を弾くのはおそろしく体力を使うということをしらない人は「すてきなご趣味ですね」なんて言うけれど、「趣味じゃなくて仕事だから肉体労働です」と答える。音楽家で美食家でない人はほとんどいない。いないというより、そういう人はまず音楽家には向いていない。食べること、愛すること、歌うこと、イタリア人のようだけど、これ人生の3大目的。健康のためにしょぼい食事もいいけれど、たまには肉食人になって、大らかに食べることを楽しもうではありませんか。少し寿命が縮んでも、だらだら長く生きるよりよほどまし。

2013年5月23日木曜日

三浦雄一郎氏

三浦さん、エベレストに登頂、史上最高齢80歳の夢実現
80歳で3度目のエベレストの頂上に立つ三浦雄一郎さん=5月23日9時、ネパール・プモリ・キャンプ1から(早坂洋祐撮影) 
 八十歳でエベレスト登頂を目指していた三浦雄一郎さん.今朝登頂成功のニュースが入った。8848メートル世界の頂点に。登頂最高齢者記録。70歳、75歳に引き続いて、しかも病気や怪我を乗り越えての成功、おめでとうございます!

MSNニュースより抜粋
「長女、恵美里(52)は幼少時、「明日のお米がないのに、『トレーニング用』と喜々として高級自転車を買ってきた」父の姿を覚えている。

最近、「お父さんは自分が不幸だと思ったことある」と聞いた。びっくりした様子で「なんてこと言うんだ! あるわけないじゃないか!」と言われ、「不遇と不幸は違うのだ」と思ったという。」

そう、不遇と不幸は全く違う。こんなにスケールは大きくないけれど、解散したオーケストラを建て直そうと頑張った時期の私は輝いていた。なにもかもが新鮮で、自分がいなけりゃこのオーケストラはやっていけない、くらいの意気込みだった。給料が遅配だから新聞代が払えないと言って新聞を断ろうとしたら、2ヶ月只で良いと言ってくれた東京新聞。いまだに愛読している。家中どんなに探しても500円しかなくてバーベキュー大会に参加出来なかった時、もやしとインスタントラーメンで食事、ガソリン10リッター入れてもらって全部で500円。伊勢崎町までドライブしてウインドショッピング、コーヒー一杯も飲めず帰宅、すごく面白かったのに翌日オーケストラの事務所に行ってその話をしたら、事務員が泣き出した。私は本当に楽しかったのに。三浦さんに比べてなんて卑近なことだと思うけれど、私も現在の東京交響楽団の存続に貢献したと自負している。貧乏だった時代は大きな目的があったから、すごく幸せだったなあ。エベレストに比べてアリさん位のお話だけど。


2013年5月22日水曜日

超越した人生

「徹子の部屋」に出演された室井摩耶子さん。御年92歳。現役のピアニストで、世界の優れた150人のピアニストの一人に選ばれたという。ピアノは例えば「月光の曲」を楽譜どおりに弾くとこうなる。でもベートーヴェンの心で弾くとこうなると言って弾きわけて見せた。最初はいつもよくそこいら中で聴かされる演奏。そして次は天の音楽だった。聴いていて涙が出た。しなやかな指が鍵盤を走る。初めてのリサイタルが終戦の年で、演奏を終わって自宅に戻った時に空襲警報が鳴って、さっきまで演奏していた日比谷公会堂のあたりが火の海になったそうだ。間一髪、神様は優れた才能を惜しんで彼女を助けたのか。いいや、神様はそんなえこひいきはしないはずと言っても、やはり運のいいひと悪い人がいるのは否めない。1960年ドイツベルリンに留学して学んだことは「音楽は一生かかっても出来ない」ということだったそうだ。今でも毎日5時間の練習。ピアノの神様は嫉妬深くて、他のことに気をとられるとダメになるそうだから、私のようにあちらこちらフラフラしているからヴァイオリンの神様に見放されるのだとやっと分かった。私の大好きなシューマンの「子供の情景」から2曲「異国から」「トロイメライ」を演奏されたが、なんだろう、もう楽譜も音楽も超越した、一つの世界の存在を感じるというか・・・・よく表現できないけれど、存在そのものが素晴らしいと言える。週に数回はビーフステーキを召し上がるそうで、かくしゃくとして言葉も眼差しも少しの衰えもない。肺がんの手術もなさったそうでそれを気に留めることもなげに淡々とお話なさる。超越とはこのことかしら。脱帽!何回でも脱帽!我々並の人間が真似出来るものではない。平凡な人間はそれなりに毎日真面目に生きるしかない。もし、来世があるなら、今度はもうすこし早くヴァイオリンを始めて、もうすこし、いや、猛烈に勉強しないと、一生かかっても出来ない音楽の、半分位にもたどり着けない。あーあ、

乙武さん入店拒否騒動

有名イタリアンレストランに入店拒否されて、ツイッターで店の名前を公表した乙武さん。非常に大きな波紋が広がっている。実名で公表されて店も困ったと思うけれど、乙武さんも攻撃されているようだ。思い上がるなとか何とか。私としては店は名前を公表されても仕方がないと思っている。今度のようなことは本当に情けないことで、有名店であろうと実名を書かれてもしかたがない。忙しいからと言って予約客に対する態度ではないと思う。乙武さんは車椅子で日常生活しているし、普段から人々に自然に助けられていたので、予約時になにも言わなくても大丈夫、または忘れていたのだと思う。決して手伝うのが当然などと思い上がった気持ちでいたわけではないと思う。「うちのスタイルなので」と言って冷笑したという店主にはぞっとする。乙武さんは手足がないので何キロ体重があるかしらないけれど、男が二人で階段を持ち上げる、しかも2階までだから、そう苦労はなく数分で出来ると思う。そんな何でもないことが自然にできなければ、どんなにおいしい料理を作ろうと人間失格。不思議に思うのは、以前車椅子の少女が中学校の普通学級に入るのを拒否されたことがあった。授業に差し障りが出来るといけないという理由で。それを聞いてお腹の底から怒った。その時に有名な車椅子のホーキング博士がメッセージを寄せて、考えられないことだといったのを覚えている。その子を入れていれば、その学級の子たちは自然に体の不自由な人たちを労ることを学んだと思う。多少手間がかかっても、そこからどれだけの多くのことを学ぶことが出来るか、拒否した学校は大馬鹿もの!たぶんいじめや事故が起きて問題が生じるのがいやだったのでしょう。それを教育者と呼べるのだろうか。以前にもここに書いたけれど、電車の中でテニスの試合に行くという女子高生が、おじいさんが目の前でふらついていたのに席を譲らなかったので注意したことがあった。理由は「わたしだって風邪ひいているしー」だった。それでもテニスの試合は出来るらしい。驚いたことに親がそばにいて、こそこそと別の車両に逃げていった。なぜ、親が注意しないのか、日頃からしつけないのか。それが長じて、あの有名レストランの店長のようになる。ただ私は最近電車で席を譲るのに慎重になってきている。おばあさんが来たからと、さっと立ち上がって席を譲ったら「失礼ね」と怒られたので。ああそうか、私も充分おばあさんなのを忘れていたっけ。




2013年5月21日火曜日

今日も美味しい練習

次の金曜日に月例「弾く会」があって、私は今回ピアニストのOさんとR・シュトラウス「ソナタ」の2楽章を弾く。先日3楽章まで合せてもらったけれど、Oさんの家の改築工事が始まって、とてもピアノを弾いている時間もないというので、今回は2楽章のみ。3楽章は改築が終わらないと合わせてもらえそうもない。気長に待っていることにした。この曲の2楽章はえもいわれず美しい。リヒャルトの若き日の作品だから、情感と瑞々しさにあふれている。弾いていると溺れそうになる。隅から隅までたっぷりと歌わせて泣かせてくれる。ヴァイオリン弾き冥利につきる。そしてピアノはクリスタルガラスのようにきらめいて、その対照的な動きが醸し出すものは上質の香水の馥郁たる香りのよう。私の大好きな曲の最上位に位置する。でもOさんはあまりこの曲が好きではないらしい。なんやかや難癖をつけながら弾いているのをなだめたり脅したりして弾いてもらっている。どうしてかなあ、こんなに素晴らしい曲なのに。その後はもう一人のピアニストのSさんと、これもお預けだったベートーヴェンの10番の「ソナタ」天に近いところで軽々と遊んでいるようなべートーヴェンが人生の束縛から逃れて描いたような曲。これが譜面のシンプルさからは想像もつかないほど難しい。良い気分でシュトラウスを弾いたあとなのでつらい。Sさんはべートーヴェン命だから、私が励されるがわになる。ヴィオラのFUMIKOさんが途中から参加してピアノと合わせが終わった。そして、今日の最大の目的、Oさん宅近くの中華料理店に打ち揃って出かけた。つい先日訪れたばかりのこのお店はご主人がたった一人でやっている。駅から遠い住宅地にあって、12、3人も入れば満杯になってしまう小さなお店。しかし、味は素晴らしい。素材が良くて火加減が抜群なのだ。私たちが行ったのは17時過ぎ。お店はすぐに次々と席がうまり、時々近所の人がテイクアウトを頼んだりして、ご主人は猛烈に働いている。こんなに美味しければはやるわけだわ。このところ中華料理が続いて飽きるかとおもったが、少しも飽きない。最近の中国は怖くてしばらく行けそうもない。早く行けるように両国が仲良く出来る日を待っている。そんなのんきな事言っている場合ではないと叱られそうだけど。

2013年5月20日月曜日

うれしくないお誘い

古い友人のN夫妻。奥さんの方と私は同学年で(学校は別)同じ職場だったせいもあって、仲良くしていたのだが・・・。彼女の性格が複雑で、馴れ馴れしく寄ってくるからこちらも一生懸命応対していると、いつの間にかそのグループから私を疎外してこれ見よがしに他の人とばかり付き合うようになる。こちらも未練はないから放っておくとまた擦り寄ってくるの繰り返し。私に関心を持たれなくなるのは嫌なようだ。だからと言ってこちらから仲良くしてほしいわけではないから、相手が私を疎外し始めると、まあ、せいせいしたというのが本音だった。最近なりをひそめているからよかったと思っていたら、彼女のご主人からこの日はあいていますか?と電話があった。幸いその日はコンサートにいくのでと断ると、それではこの日は?いくらなんでも追求されるとそうそう断れるものではない。つい、あいているといってしまってから激しく後悔している。ああ、いやだ。なにが嫌かって、私に激しい競争心を抱いているらしいのが堪らない。私が何かすると必ず真似をする。自動車免許をとればとる。車を買えば買う。それで演奏旅行に出ればグループにいれてくれと言ってくる。いれて上げると今度は私抜きで仲間たちと仲良くして、わざと私にだけ連絡をせずにグループの人たちと出かける。彼女がそうしても他の人たちは私とは仲がいいからすぐにばれる。こんなことの繰り返しで、彼女が結婚して遠くへ行ったときには正直ほっとした。ところが、又東京に戻ってきて,懐かしげに電話を寄越した。私もおっちょこちょいだから、昔のことはすっかり忘れていて旧交を温め始めたら間もなく始まった。おやおや、ちっとも変わっていないじゃない。そういう人だと分かっていたからつかず離れずだったのが、ご主人はとても穏やかでいい人で、間もなく私たちのグループに入ってきた。それを今度は彼女がやっかんで、グループ内の女性とご主人が怪しいと言い始めた。その女性は他の人と付き合っているからそんなことはないと説得して騒ぎは収まった。そしてこのグループでも又私を外しては喜んでいたらしい。彼女のコンサートの知らせは私には来ないけれど、当然分かることだからチケットを買って聴きに行くと、ご招待しないで済みませんと言う。私はずっと自分のコンサートの招待券は送っていたのに、聴きに来たためしがない。そして最近「私はオーケストラでは特別だった」と言い始めた。給料の額が他の人より良いから他人には言わないようにと団長に言われたと、得意気に言う。吹き出しそうになった。当時ほら吹きの団長は、一人ずつ契約をする度に同じ台詞をみんなに言っていたのだ。だれもそんなこと信用するわけもなくて、みんなで「いくらだった?あら、同じじゃない」と言い合って笑っていたのに、真に受けた彼女は自分は特別だとずっと思っていたらしいので、誤解は解かずそのままにしておいた。自分は貴方とは違うのよということを見せたいために、こそこそ策を労しているのだろうか。それでいて人前では私のことを恥ずかしいほど大袈裟に持ち上げる。本当は付き合いたくない。めったに好き嫌いの無い私でもこういう人に競争心を持たれて本当にうんざりしている。だからお誘いは断りたい。電話口の向こうで彼女がなにやらご主人に指図している。あれほど執拗にあいた日を聞いてくるのは何か又魂胆があるのかしら。ああ、憂鬱!





2013年5月19日日曜日

クラシックパーティー

音楽教室のクラシックパーティーは、勉強の成果を見せる発表会とは別に、人前で弾くことに馴れるようにとか、その場で組んで合奏するとか、練習はしているがまだ未完成だけどちょっと弾いてみようとか、色々なケースで楽しめるようなそんな目的で年に数回行われる。今日は中井の「パパゲーノ」に集まった。最近教室ではカルテットのコースも作ったので、初めての公開に胸躍る二組の弦楽四重奏団が参加した。なかでもハイドンの「ひばり」を演奏した組はたぶんこの中での最高齢であるSさんのたっての希望で、この曲になったという。初めてのカルテットにしては難しすぎるので指導のFUMIKO先生に意見をいったら、Sさんがどうしても「ひばり」が弾きたいというし、ご高齢でもあるからあまりのんびりとすすめる時間はないからと言われなっとく。この教室「ルフォスタ」は個人的な要望をなるべく実現して上げられるところが良いところなので、出来栄えはともかく夢を実現できて皆さん満足そうだった。ちょっとハラハラさせられたが、一応一緒に終わって拍手喝采だった。Sさんはなかなかの好演だった。私の生徒は二人出演。一人は頑張りやさんのHさん。バッハの協奏曲の2、3楽章。前回のこの会で1楽章を弾いたので続きを弾いて、この協奏曲を卒業と言うことになった。前回弾いた時よりもずっと音の伸びがいい。この一年で格段に進歩したようだったが、緊張のあまり弓が震えている。それでも途中から立ち直って、無事終了。もう一人は小さいときから指導してきた音大生。今は音大の先生についているが、なにかと相談にのっている。サラサーテ「サパティアート」超絶技巧を好む彼女は実に楽しそうに弾いた。もう技術は私を超えている。でもまだがんばりますよ、私も。FUMIKO先生とモーツアルトの「デュオ」を演奏した。彼女と弾くのは楽しいが、身長の差がありすぎて私が見栄えがしないのが唯一の泣き所。ま、いいさ、いつも言うけど、短足のウエルシュコーギーだってかわいいと思う人はいるのだからと自分を慰めるしかない。終わってからカルテットの人たちに誘われて中華料理店でさんざん食べて飲んで、今日も良い一日だった。

2013年5月18日土曜日

披露宴

私がヴァイオリンを教えているKさんの結婚披露パーティーが鎌倉のガーデンハウスで盛大に行われた。お相手の新郎はアマチュアチェリストのYさん。二人は音楽教室の弦楽アンサンブルのメンバーで、一緒にアンサンブルを楽しんでいる間に、私生活もアンサンブルが上手くいったようだ。Kさんは初めて会った時には、すべてがスピーディーで、ヴァイオリンの弾き方はすべて超特急。弓の使い方も音符を弾きとばすのも、ロケットなみ。とにかく落ち着いてもらうのに一年くらいかかった。でも、元々頭も性格もいいので素直に直してくれて、今ではようやく落ち着いてきた・・・と思ったが、それはどうやら私の指導のせいだけではなく、ははーん、彼とお付き合いが上手くいったからではないかと、やっと気がついた。現在仕事は韓国との交渉をしている営業畑らしく、おそろしく忙しい。年中韓国と日本をいったり来たり。レッスンを受ける時間もままならない。それでも息せき切って通ってきてくれる。披露宴が終われば一段落、ヴァイオリンに専念出来る時間も少しは増えるかしら。音楽教室の生徒は社会人が多く、たいてい働き盛りの年齢だから、レッスンに通う時間もままならない人が多い。それでもやめないで来てくれるのがうれしい。
Kさんは意欲的でそんなに忙しい仕事でも大曲に挑戦。今年秋の発表会にはブルッフの協奏曲を弾く。夫君のYさんもアンサンブルに参加し初めの頃に比べて、ぐんぐん上手くなっている。二人で同じ目的を持って共に人生を歩める夫婦はそうざらにはない。喧嘩をしてもアンサンブルのときにはしっかりと合わせてほしい。今日はアンサンブルのメンバーが披露宴で演奏をした。私も楽器は持っていったが出る幕はなかった。本当にみんな上手くなったなあ。とにかくアンサンブルの取り持つ縁で結婚するカップルが生まれたということは、2匹目の泥鰌もありうるということなので、また披露宴に参加するチャンスがあるかも。最近出席するのは葬式ばかり。華やかな披露宴に久しぶりで参加できて、若さを吸収させてもらってきた。しかし、生徒のお子さんの5才児に懐かれて遊ばれて少しつかれた。ちょっと若すぎた。

2013年5月17日金曜日

エンターテイナー



友人から誕生祝いをいただいた中にこの子がいました。
すごくリズムが良くてかわいいでしょう?
ちなみに私は4月生まれ。友人は私へのプレゼントにと思ってしまっておいたハンカチがどうしても見つからず、探していたので月遅れの誕生祝いとなったそうです。
類は友を呼ぶとはこのことですね。

2013年5月16日木曜日

苦髪楽爪

最近やたらと爪が伸びる。まだ忙しく働いていた頃はよく髪が伸びた。「最近髪が伸びるのが早くて」と言うと友人が「苦髪楽爪って言うでしょう。苦労している時には髪が伸び、楽していると爪が伸びるのよ」だそうだ。たんなる民間伝承だと思っていたが、最近なるほど本当に楽しているので、爪が伸びるのがやたら早い。不気味なほど早い。私たちの仕事は爪を伸ばしてはいけないから、爪に関してはおしゃれはできない。指先の肉が見えるほど短くしておかないと、ヴァイオリンの指板に爪があたってカチカチ言ってしまうので、常に注意していなくてはならない。以前うちにレッスンに通っていたお嬢さん。来る度に爪の点検をしないと、時々とんでもなく伸びている。こんなに伸びているということはヴァイオリンの練習もしていないということなのに、頭が良くて要領がいいから、なんとかその場で弾いてしまう。驚いたことに中学生にもなるのに母親が毎回ついてくる。親がついてくるのは悪くは無い。子供のうちは家に帰ってから練習するときに、レッスンで教師からいわれたことを親も聞いていた方がいいから。ところが、その子の母親はただ付いてくるだけで、毎回おうちで爪を切っていらっしゃいということすら守れない。そしてレッスンの度に私が爪切りを出して切らせるのが習慣になっていた。しかも、中学生にもなった子の爪を親が切ってあげるので、腰を抜かしそうになった。呆れ返っている私を見て親子で笑っている。笑い事ではない。いくら大事な一人っ子でも、中学生の爪まで切ってあげる?かわいい顔して頭も良くて甘え上手だから、一生こうやってこの子は人に爪を切ってもらえるのかなあ。きっとお嫁入りの時も母親がついていくのだろう。
私の髪は最近伸びなくなった。髪が伸びて髪の根元の白髪が目立つけどまだカットはしたくない、という時期を見越して髪染めの予約をいれておいたら、あまり伸びないので無駄になったことがあるくらい。以前は2週間もしたら気になってしかたがなかったのに。今はのんびりして、怒涛のようなすさまじい仕事人間だったことも忘れそうになる。懐かしくもあるが、あんな生活はもう出来そうもない。髪が伸びなくて美容院代を稼がなくてもいいから、仕事も少なくていい。これは理想的なのに、ちょっとつまらない。やはり根っからのワーカホリックなので。

猫はヨガによく似合う

ねこがいかん」でみつけた動画。



これは別の動画ですが、猫はヨガが好き?

2013年5月15日水曜日

鎌倉

ドレスを作ってくれる人を見つけたので、手始めにワンピースをお願いすることにした。型紙はもう出来上がっているから、生地を探しに鎌倉まで出かけた。暑い。風が少しあるので心地よいが、日差しはもう夏。帽子や日傘、日焼け防止の手袋など、荷物が多い。12時近く、鎌倉駅の改札口にNさんが待っていてくれて、一緒に生地探しを手伝ってもらい、その後ランチを食べることにした。鎌倉駅付近には生地のお店が多くて、品揃えも豊富。地元のNさんはお母様がご存命中は普段着からステージドレスまで、全部お母様の手作りだったので、生地屋さんには詳しい。2軒目の生地屋さんで気に入ったものを見つけたので3着分買ってしまったら、たいそう重たい。布なんて重いものだと思っていなかったので、とんだ誤算だった。こんなに重いなら預けておいて最後に取りにいけば良かったと思ったが、歩き始めてしまったので後の祭り。何時間もぶら下げて歩くことになってしまった。買い物が済んだのでランチをいただくことになった。Nさんは美味しいものを嗅ぎつける名人なので、すべてお任せでついていく。鎌倉駅から少し歩いた細い路地の奥にキビヤベーカリーというパン屋さんがあって、その2階にレストランがある。「Oui Oui」これはなんと読むのかしら。古い民家がそのままレストランになっている。地物の魚が希望だったのだが、終わってしまったというので仕方なくお肉を注文した。でも、それがすごく美味しくて、たっぷりの野菜サラダのあとチキンの焼き方はもう絶妙!パンも下のベーカリーのもので、香ばしくてカリカリした歯ごたえ、私のように野生児で歯が丈夫とくると、ふかふか柔らかいものよりもずっとずっとうれしい。すっかり満足して鎌倉散策が始まった。驚いたことに平日昼間から、どうしてこんなに人が多いのか。狭い通りなどは体を斜めにして歩かなければいけない。Nさんの立て板に水の解説つきで次々とお店の紹介があるけれど、人疲れで半分は気が散ってしまう。その上初めに買った生地がずしりと重い。少しヒールのある靴だったので足もつかれる。スニーカーを履いてこなかったのを後悔し始めたころ、甘味処の美味しい抹茶あんみつをいただいて、ほっとしたところで帰りの時間が迫ってきた。駅そばのブティックのバーゲンを覗くと、おや半額?つい手が出て、また買い物。買い物が目的で来た日は危ない。買い物モードになっているから、目についたそばから買ってしまうのだ。時間制限があったからやっとのことで買い物は収まって、満足の一日であった。

2013年5月14日火曜日

父親

今年一年間、町内会の当番で組長を努めることになった。組長というのはご近所数軒のグループの連絡係や冠婚葬祭の手伝いなどする取り纏め役のことで、私のグループはちょうど10軒。皆さんおっとりとしていて面倒なことはやる気が無い人たちだから、以前は半年毎に交代していたのを、一年交代にすればあと10年は回ってこないというので、ある年からそう決めてしまった。そして10年目。今年はついに番が回ってきてしまった。およそ事務能力の全く無い人にやらせるとどうなるかというのは、私がお手本になる。まず初めの仕事は町会費集め。それはやっとのことで無事集めたものの、領収書をもらうのを忘れてまだとりに行っていない。そして今度は赤十字の寄付を集める。これは皆さん協力してくれてすぐに集まった。そのあとがいけない。寄付金の領収書を発行するのに、複写になっているのを知らずに下敷きなしで書いたからさあ大変。名前が二重になったり、寄付金の額が10倍になったり、気がついたときには領収書はめちゃめちゃ、数が足りなくなってしまった。さあ、困った。誰かが何とかしてくれるだろうと、次の日町会事務所にいくと葬式の真最中。おずおずと(私だって時々はそういうこともあるのです)葬儀の受付に事情を話すと、私が全部やっといて上げますよと言うではないか。だって・・・一応遠慮はしたものの、こういう訳で領収書が足りなくなったと事情を話して、全部お任せすることにした。しばらくして先ほどの受付の人が我が家を訪れて、すっかり綺麗に書き改めた領収書や書類を渡してくれて、これを持って事務所に行きなさいという。私がちゃんと仕事をしたように取り計らってくれたのだ。お礼をいうと「お父さんに長い間お世話になったから」と言って帰っていった。急に父のことを思い出して涙ぐんでしまった。父は戦後の大変な時期にこの街で人々のお世話をしてきた。相談事にのり、役所とかけ合ったり、災害のときには被災者をうちでお世話をしたり、超のつくお人好しで資産はそのために食いつぶしてしまった。そんな父を母はいつも非難して内を顧みないと言っていた。うちには6人も兄弟がいて大変だったのに、他所の人の世話ばかりしてと言って嘆いていた。私は父親っ子でとても可愛がられたのに、やはり子供は母親が一番。だから父が悪く母はかわいそうだと兄弟皆そう思っていた。ところが成長して色々分かるようになると、もしかしたら母の方が理不尽なのではと兄弟で話すようになった。父は近所の障害児が懐いて、毎朝パジャマのままで会いにくるような優しい人だった。今になって自分がどれだけ可愛がってもらったかを思い出す。父が出かけるときには後ろ姿が見えなくなるまで「おとーちゃまー」と叫んでいたことなど。父も時々振り返ってニコニコしていた。夜は両親の間に寝て父にだっこしてもらっても、最後には母の懐にいく。すると父は少しがっかりする様子だった。そんなことはすっかり忘れていたのに、あとからあとから思い出が蘇ってきた。父が他所の人に積んだ徳が私に還ってくる。父親はかわいそう。今頃ようやくわかってもらえるなんて。



2013年5月13日月曜日

予備のパソコン

パソコンに関してはすべて名人にお任せなので、私ほど楽している人はいないと思う。でも依存しすぎて自立が出来ないこともある。以前使っていたノートパソコンが予備においてあって、それも今使っているものと同じようにきっちりメンテナンスがしてある。メインのパソコンになにか不具合が生じても大丈夫なようにと、至れり尽くせり。今朝予備のノートパソコンを開いてメールをしようと思ったら、文字変換が出来ない。色々キーを押す。変換キー、半角全角キー、カタカナひらがなキー等どれをおしてもだめで、何度も再起動しなおしたりしてもだめ。とうとう名人に全部ローマ字のメールを出して助けを求めた。名人からは、再起動してくださいと一言返事があって、でもね、さっきから再起動はしているのよ・・・うだうだ書いている最中に突然変換ができた。狐につままれるとはこのこと。あるいは名人からのメールを読んだパソコンが急にいい子になったのか。パソコンも人を見るのか。バカにされてるなあ、私は。それでもスマホから投稿せずに済んだのはめでたい!スマホ用のキーボードはどうせ見つからないと思うから、これでやっと普通の早さで書けると思ったら、ほんの少しキーボードの幅が狭いので、やはり打ち間違える。へんだなあ。ヴァイオリンとヴィオラもずいぶん左手指の幅が違うのに、持ち替えたときに間違えることはないし、ヴァイオリンだってどのヴァイオリンも少しずつ指のツボが違う。考えたらそれは最大の武器、耳というものがあるからだと納得。実は音程をとるのに指の幅だけではなく常に耳で聴いてとっているからなのだ。その耳も怪しいものかも知れないが、今のところまわりからの苦情はないから、まあ、大丈夫なのか、はたまた、周り中が優しい人たちで「もう先が短いから、そっとしておいてあげようよ」とかなんとか言ってるのかもしれない。パソコンはその点同情なんかしてくれない。でもどこがどうなってどうしたら何が出来るのか、なーんにも知らずにこれだけ楽しんでいるのは世間様に(どこの?)申し訳ない。そのうち(いつ?)ちゃんと勉強しようと思いながら15年、今のところ名人のおかげでトラブルはすぐに解決しているが、万一名人がボケてしまったら私はどうしたらいいのかしら。

2013年5月12日日曜日

パソコンはお泊まり

今日はドライブシミュレーションのゲームを入れてもらうために、パソコンは名人がお持ち帰りとなった。これからしばらくはスマホからの投稿になります。スマホはタップが苦手で、しょっちゅう誤字脱字するので時間がかかっていけない。スマホ用のキーボードがどこかにあったはず。しかし例によって只今雲隠れしている。何でも有るのにいざというときに役に立ったためしがない。捜してみよう。最近ゲームにはまって、一日の大半を費やしている。時々そういう時期があって、そんな時には気のすむまでのめり込む。しばらくしてはっと我に還ってキッパリやめる。その後は時々楽しむ程度に落ち着く。ただ、ヴァイオリンだけは毎日弾いても全く飽きないのが不思議。だって、うん十年間来る日も来る日も弾いているのだから、少しは飽きると思うでしょう?どんなに弾いても完璧と思えることがないからでしょうね。

2013年5月10日金曜日

美味しいピアノ合わせ

今日は優秀な2人のピアニストを私が独り占めにしての練習。贅沢だなあ。その割には練習不足ですまん!荻窪の大きなすてきな部屋の持ち主のOさんと、すぐ近くにすんでいるSさんと私は同級生で、毎月の「弾く会」のレギュラーメンバー・・・6人しかいないので、毎回全員参加という出席率の良さを誇っている。そのOさんの素晴らしいお宅は、お姉様ご夫妻とOさんの3人になってしまって、あまりにも広すぎて大変だというので、今年改築される。土地を2等分しないと相続の時にいろいろ不都合が生じる。それで減築をして土地の半分に家を寄せてしまうらしい。大きな家は少し縮小されるが、そのかわり広いお庭ができるから、きっと気持ちの良い暮らしになると思う。そんな訳でOさんは今忙しくてピアノを弾くヒマもないのだが、以前から取りかかっていて諸々の理由で中断していたリヒャルト・シュトラウスの「ソナタ」の練習を再開した。それも建築が始まると又中断すると思うが、出来るだけの事はやっておきたい。一通り練習をしているうちにSさんが合流してベートーヴェンの「ソナタ10番」これも途中コンサートなどが入ったために中断していた。若い頃のように馬力で飛ばせないから時間はかかるけれど、本当によく音楽がわかるようになってきた。ベートーヴェンが好きになったというのもSさんにせっつかれて何曲も弾いたから。友人達がいなければ私は今頃、ぼんやりとテレビを見て居眠りをしているようなおばさんになっていたことだろう。練習が終わると今日の本当の目的は中華料理なのだ。Oさんの家のほんの3分ほどの処に小さな中華料理店がある。マスターが一人で調理から接客まで大忙し。開店と同時に次々と席が埋まって、10席ほどしかない店は満員状態。これはすごい。こんな住宅街の真ん中で平日、駅も遠い処のお店がこんなに繁盛しているとは。食べてみると理由はすぐにわかった。素材がいい、火の通し方が最高。最近こんな美味しい物は久しぶりなので、次回の練習予定もすぐに決まった。今日と同じ時間帯で、練習が済んだらここに直行することにした。食べるのがメインで練習は付け合わせ、やはり最後に勝つのは食い気のようだ。

2013年5月8日水曜日

新緑に寄す

ケアハウスの中での小さなコンサート。一昨年の春から時々訪問演奏をしている。ピアニストのSさん、ヴィオラのFUMIKOさんと私の3人組。春、秋、クリスマスの頃と季節の変わり目毎にテーマを決めて、それに合った曲目を持って行く。今日は新緑の美しい季節に合う、元気になる曲を取りそろえた。木々に囲まれた中にハウスがあって、大きな窓からあざやかな緑が目を楽しませてくれる。今日は特にお天気も良くて暖かく、弾く方も聴くほうも元気いっぱい。皮切りはハイドン「トリオ」クライスラー「愛の喜び」「愛の悲しみ」ショパン「ノクターン」「子犬のワルツ」ヘンデル/ハルボルセン「パッサカリア」ピアソラ「リベルタンゴ」モンティ「チャルダッシュ」アンコールは「浜辺の歌」
コンサートが終わって、会場に来られなかった人の部屋で短い曲を弾いた。まだ若く美しいその女性は、体中が痛く起き上がることが出来ない。ベッドの足下で弾き始めると涙を流して聴いていた。突然の依頼だったので限られた曲しか出来なかったが、こうとわかっていれば色々用意をしてきたものを。次回はこのひとのためになにか優しい曲で伴奏のいらないものを用意しなければ。帰りしなに手を出して握手をすると、細くて白い手は意外に温かく、早く良くなって再会を果たせるように祈った。
最近よく人の生き死にについて考える。もし今私が死んだら・・・もっと長く生きているのも、今死ぬのも幸せのスケールは変わらない。長く生きるから幸せとは限らない。死んだ人を悼むのは残った人のためであり、死んだ当人はそれが不幸であるとは限らない、というようなことを。生き生きと萌える新緑も秋になれば落ち葉となって散っていく。それは死ぬように見えても、次の春のための準備なのだ。人の死は転生するかどうかは知らないが、少なくとも大きな人類の輪から見れば、個人の死は落ち葉のひとひらのようなもの。私にとって「死とは?」は子供の頃からの命題だった。子供の頃は眠りにつく前にいつも布団の中で、「死ぬってどういうこと」か考えていた。今は布団に入った途端に熟睡するから考える暇もない。してみると私に限って、幼少時の方が哲学的だったのだ。成長するどころか、私はずっと退行しているらしい。残念ながら。

2013年5月6日月曜日

ナマケモノ

健康のためにと思ってウオーキング再開。しかし、今日整体に行ったら「腰が良くない」と言われた。私も歩き終わるとなんとなく体のバランスが崩れてしまうようで、気分が良いことよりも疲れがたまることの方が多い。この半年以上、寒いの花粉のと理由をつけては歩くことをサボっていたが、別に体調は悪くなかったし、去年あんなにも痛かった左足の股関節もすっかり良くなった。しかも足腰が弱っていない。階段なども走って上がれる。ところがウオーキングを再開したら、なんだかむくんだようになって寝起きも良くない。根っからのナマケモノにできているのでしょう。そうそうナマケモノと言えばこの動画、ナマケモノがこんなに感情豊かだとは知らなかった。いかにも愛おしそうな表情。動物は種類を問わず可愛い。



猫のサイトはこちらへどうぞ。

2013年5月4日土曜日

お見苦しいものをお見せしました。

自分の前回の投稿を開けるとパッと出てくる顔。わおー、三白眼!!
削除しようかと思うくらい不気味ですが、あまりにも面白いのでこのままに。でも、形に対してよほど敏感な人でないとあそこまで似ているとは気が付かない。今日もあまりにも可笑しくて何度も見ては吹き出している。見たくない・・・でも、見たい。
似ていると言えば私によく似た人がいたらしく、又今日もテレビで見たよなんて言われることがしばしばあった。初めのうちはそんな仕事もしたっけ?くらいな反応だったけれど、度重なるとやはりそれは他人のそら似に違いないと思い、確かめてみたかったけれどそのままに。私はリタイアしたし、たぶん私に似たその人も同じような年代だと思うので確かめようもなく終わってしまったけれど、一度お目にかかってみたいと思った。結構沢山の人に言われたので、よほど似ていたのだろう。ドッペルゲンガーがいて私の代わりに稼いでいてくれたのかもしれない。アハハ、そんなことはない。ちっとも収入は増えなかったから。私はひとの顔を覚えられないが、ほかの人はちゃんと見ているものだと感心する。先日も花粉対策で帽子にマスクという銀行強盗スタイルで歩いていたら、平行して同じようなスタイルで歩いている人が「こんにちは」と言う。足を止めてまじまじ見つめると近所の奥さん。「ああ、やっぱりそうなのね。歩き方でわかったのよ」と言われた。一体自分はどんな歩き方をしているのかと一瞬ドキリ!きっと、そこのけそこのけとばかりにドシドシ歩いているのでしょうね。気をつけないと。私の相似形のヴァイオリニストは私に似ていると言われたことはあるのかしら。言われたら喜ぶのかどうか。失礼ね!なんて烈火のごとく怒っているかもしれない。お目にかかってみたい。

2013年5月3日金曜日

2013年5月2日木曜日

練習の初めには

朝はボウイングのチェックから始める。鏡で立ち位置楽器の構え方、弓の軌道などを目で確かめる。鏡で見なくても耳で聞けば十分なのだが、耳が果して信頼できるかどうかが問題なので、両方から攻めていく。その日の体調に依って微妙に構え方が変わる。体が柔らかい日には肩当て無しでいけるけど、体が硬い時は肩当てをつけてほぐれるまで待つ。しばらくロングトーンを続けていると段々体も温まり、それから楽譜に向かうのが最近のパターン。忙し過ぎる頃は、そんな悠長な事はしていられず、いきなり譜読みを始めたので、まだ鳴り出さない楽器を無理矢理鳴らそうとして力む事が多かった。今や時間はたっぷりある。楽器が振動を受け入れるまでゆっくりと馴らしていく。これが最近の一番嬉しいこと。鎖骨から体に振動が伝わっていき、楽器のウオーミングアップも済むと、後は楽々音が出る。ほとんど力まないで音が出せる。二年間お付き合いしたロンドンアンサンブルではヴィオラを弾いたが、日頃ヴィオラは弾いていないので楽器が鳴り出すまでが大変。鳴ってしまえばしめた物で、これもほとんど力はいらない。私は体が小さいのでヴィオラは本来体に合っていないのだが、音自体が好きでヴィオラ弾きになりたいと思った時期もあった。それでも体格からすると、毎日弾くのは体を痛めるのは必定なので、あきらめたという経緯がある。とにかく弦楽器は音作りから始まり音程との格闘があって、そこから初めて音楽に取り組める超難しい楽器なのです。お子さんにヴァイオリンを始めさせたいと言ってくる親御さんには、生半可な事では弦楽器はできないからおやめになったらと勧告することにしている。それでも始めるならどうぞいらっしゃいと。youtubeでヴァイオリンのレッスンの動画を見つけたので見ていたら、納得のいかない事があって、それでもアマチュアの人たちがこれを参考にしてしまうのだろうなと少し心配になってきた。ある人は2重音の弾き方のレッスンをしていて、ハモっていないのに平気でそのまま弾いている。最後にたまたまかどうか、ハモったのでほっとした。なんでも2つ音が出ていればいいというものではない。公開するならご自分の耳を磨いてからどうぞ。最近私が暇をもてあましていると嗅ぎつけた友人が、それなら同じ日に二人のピアニストと合わせましょうと言ってきた。ベートーヴェンと、リヒャルト・シュトラウスのソナタ。どちらも違う意味での難曲だから、非常に楽しみにしている。

2013年5月1日水曜日

ミッケは花より花へ

椿姫じゃないけど、家にやってくる野良猫ミッケは蝶のようにひらひらと雄猫の後をつけ回している。最初に見かけるようになったのは一昨年で、茶トラのノラと仲良く一緒に現れた時から。本当に仲良しでいつも一緒に居て、ご飯も一緒だったから、毎日餌を二つ用意していた。ところが春になるとノラは姿を消して、新しくチャアが来るようになった。チャアは気難しくてミッケを近づけない。ミッケは少し離れた処から、チャアが餌を食べ終わるのを待つようになった。お余り頂戴というわけ。最近チャアが時々しか来なくなった。その原因は新顔の長毛種。白と黒の大きな雄猫が出没するようになって、チャアは中々寄りつけなくなった。時々夜中に見に行くと、にゃあと情けない声で鳴いて餌の催促をする。そして漁夫の利にあずかっているのが三毛猫ミッケ。今日も新しいボスの後をトコトコ付いて歩いて餌にありついていた。2匹のオスは牽制しあってなるべく遭遇しないように行動しているのに、ミッケだけはどちらとも喧嘩することなく、餌にありつく。チャッカリしているなあ。ミッケの元の飼い主が探しに来たことがあって、事情を聞けば、ミッケは飼い主に捨てられたのではなく、飼い主がミッケに捨てられたらしい。猫に捨てられた飼い主は、情けない顔でさんざんぼやいて帰って行った。ミッケは聞くところによれば私の姉の家にも通っているらしい。あちらこちらで餌をもらって雄猫にもてて、世渡り上手でこの世は天国だわね。人を頼らず自分でニャン生を切り開いていくミッケはえらい!