2014年8月30日土曜日

24時間テレビリハーサル

今日は午後リハーサル。
番組自体は午後7時からかな?
私たちは今日は音合わせだけで早く帰れると期待していたら、やはり伸びに伸びて2時間遅れの帰宅となった。
気分はいまいちで相変わらず鼻水やら喉の痛みやら。
こんなに長引く風邪は生まれて以来初めて。
普通の風邪ではなく、口の中の異変が起きているらしい。
大体入り口付近に大した症状がないのに、奥へ行くとそこが酷い事になっているというのも不思議。
未だに喉には刺すような痛みがある。
この痛みには市販の喉のスプレーが、意外にも良く効くことを発見した。
お陰で少しは楽になった。
今年の夏は今までに、抗生物質を使うことが2回もあった。
抗生物質を1度使うと他の有用な物質までダメにして、再生するまで時間がかかると聞いていたので、なるべく使わないようにしているのに、今年は使わざるを得ない事態が何回か。
体全体が少し問題があるのかも知れない。
これで大分ダメージが多くなった様な気がする。
結局月曜日に予定していたハリー・ポッター講読レッスンはキャンセルしてしまった。
とにかく声が出ない。
今朝かかってきた電話で「もしもし」といったら、相手がビックリして何回も名前を確認してきた。
24時間テレビの現場の武道館に行ったら、ガクタイは気は優しいが口が悪い。
「え、ジステンパー?」とか鼻水が出ると「脳が腐って出てきてるんじゃない?」とか言われ放題。
それで笑っていたら、ずいぶん元気になった。
皆そうやって慰めているのだ。
少し手荒い慰め方だけれど。
今日はリハだけだから良かったけれど、明日の本番は21時終わりの長丁場。
これでマラソンランナーが到着しないとなると、延々待つ事になる。
ひっくり返らないように頑張ろう!!えいえい、にゃ~。



















2014年8月29日金曜日

限界

昨日夜寝ていたら、呼吸が苦しくて度々目をさましたので、さすがの私もまいった!
仰向けで寝ていると喉がつまってしまうから、右の腹を下にして猫のようにまあるくなって、胎児の姿勢で寝るとなんとか呼吸できる。
本当は枕を2枚重ね、上体をその上に立てると少し楽になるのだが、生憎そこには不思議猫のモーちゃんが居座っていて、モーちゃんにそこに居て欲しいので多少の苦しさは我慢する。
苦しくても、モーちゃんが傍に居てくれると、心が和む。
一夜明けて、これはもう非常事態と言って良いほどの様相を呈してきたから、大きな総合病院に行くことにした。
私の行きつけの病院はほんの軽傷の時には良いけれど、重大事になると、とても信頼はできない。
三平師匠を老けさせたような顔の先生は、風邪の引き始めにちょっと薬を塗るのはいいけれど、重大な症状では信頼出来ない。
いつもの風邪ならそこでも良かった。
しかし、今回は違う。
予約制が入ってからの総合病院は、初診に1時間以上待たされる。
持って行ったポケットティッシュが残り少なくなった。

ここから先は気持ちが悪い人は読まない方が、いいかも。
鮮やかな黄色い鼻水がひっきりなしに出る。
今年の私のカラーは黄色。着る物も、ヴァイオリンケースもなぜか黄色に統一されてしまった。
だからと言って、ここまで黄色にならなくても・・・
途中で受付けに断って、ティッシュを一箱買いにいった。
やっと診察の番が回ってきて、診察室に入ると、あら!中学生?
ポニーテールの可愛いお嬢さん先生。
まるで梅ちゃん先生をもっと小柄にしたような化粧っ気のない様子にふと、大丈夫かしら、一抹の不安がよぎる。
しかし、診察を受けていく内に、ああ、頭良いと感じた。
まずじっくりと話を訊き、しばらくするとテキパキと治療法を決めていく。
まずは鼻の内視鏡検査。
ゴニョゴニョと鼻に管が入っていくので、くしゃみをしないかと心配した。
これでくしゃみしたら、先生はもろ・・・・想像してください。
それからレントゲン撮影。
その結果、鼻の奥がすごい事になっていることが判明した。
鼻水だけでなく大きなかさぶたが拡がっていて、それが間もなく声帯にまで覆い被さりそうになっていた。
そうなると今の呼吸困難どころではないくらい危ない状態になる。
その手前で見付かって良かった。
説明の時その先生は平然と「喉*ん*」と言う。
私は生まれてこのかた、その言葉は言ったことがない。
書くのもはばかられる。
あっけらかんと言われればそれほど酷い言葉ではないが、やはり昭和の生まれ。
恥じらいはある。
しかし、医者が照れてどうする。
いままで名前を換えようとした人はいなかったのかしら。
「喉突起」とか「喉富士」なんて素敵じゃない?
結局より強い薬に変更、消毒や吸引も念入りにして、来週までの様子見となった。
明日は土曜日。
もう1日遅れていたら私はのどが詰まって救急車ものだったかも。
明日から、最近滅多に入らなくなったお仕事、しかも大変楽しいお仕事「日テレ24時間テレビ」これを棒に振ってなるものか。












































2014年8月28日木曜日

それでもお腹は空く

気分の悪さと喉の痛み、鼻水攻めは未だ健在。
ひっきりなしに鼻をかんで、ティッシュペーパーがすごい勢いで消費されていく。
よくもこれほど鼻水が出ると感心する。
もしかしたら、脳みそが解けて鼻から出ているのではと思う。
寝ているうちに鼻水を垂らしているらしく、眠るときにかけているマスクも、目が醒めるとなんとなく湿気っている。
熱はなんとか37度台をキープ。
やはり抗生物質を飲んだのが良かったのかどうか、喉も鼻も少しずつ良くなっている。
なんとも汚い話ですみません。
だれでも1年に1回や2回、こんな思いはしているでしょう。
今朝レッスンの生徒が昨日のブログを読んで、キャンセルしてくれた。
私はなるべくキャンセルしない方向で行こうと思っていたので、あちらから言ってくれるのはありがたい。
レッスンを受ける方だって、はあはあしている人からレッスンを受けるのは、あまり気分の良いものではなさそうだ。

熱と咳と鼻水でいい加減弱っているのに、ちゃんとお腹が空くのが不思議で、おかゆを炊いて食べたらおいしい!
塩辛い梅干しと鮭の焼いたもの、こういうのが病気の時には一番美味しい。
薬を飲むために食事をしていたのだが、こんなに喉が痛く熱もあるのに、味はしっかりと美味しいとわかる。
日本人で良かった。
風邪の時にはおかゆが一番。
和食はやさしい。












2014年8月27日水曜日

呼吸困難

少し喉が痛いけれど、大したことはないだろうと思って眠りに就いた。
夜中、呼吸が苦しくて目が醒めた。
殆どおぼれかけている状態で、どうやって息を吸うのかよくわからない。
猛烈に喉が痛い。
これはまいった!
とにかく気道確保。
喉を伸ばしたり縮めたり。
漸く息が出来るようになって、一息ついたけれど、尋常でない喉の痛みは、唾を飲み込むこともできないくらい。
喉のずっと奥の方まで痛みがあるので、ただ事ではない。
世の中が回っている。
ゴソゴソして体温計を出し熱を測ったら38度5分。
私の平熱は35度台の低体温だから、異常に高いことになる。
思わず唸ってしまうほど辛い。
寝ても起きても辛いから、寝ていようと思うと、呼吸が困難になる。
横向きに寝ることで、なんとかしのげるようになった。
一晩中うんうん言いながら朝を迎え、近所の耳鼻科の医院に行くと、いつもの薬を出してくれた。
喉が弱くて風邪の初期症状は喉から来る。
いつも少しでも喉が痛いと消毒と薬で、大抵の風邪は治まる。
しかし、今回はどうもそれだけではないくらい劇症で、痛みの範囲が喉の奥まで広がっている。
昨日も多少具合が悪かったけれど、ピアノ合せがあったから気が張っていて、それほどの事ではないと思っていた。
何か変だと思いながら、それでも合せ終る頃には元気になっていた。
ちょっと寒気がするので、ゆっくりとお風呂で暖まり、眠った。
このお風呂が良くなかったかも。
薬が効いて気分の悪さは大体解消。
先ほど熱を測ったら、36度5分。
やっと一息ついて食事を摂ろうと思ったら、トーストもジュースも喉が痛くて飲み込むことが難しい。
それでも、そこは食いしん坊だから、なんとか良く噛んで飲み込んで、食事は無事終了。
それでもあまりにも具合が悪いから、もう一度病院に行くと、抗生物質を飲みなさいと処方されてしまった。
私の抗生物質嫌いを知っているから、先生はいつもはごく効き目の弱い薬を出すのだが、今回は症状が強いので早く直るからと言われた。
抗生物質をもらってきたけれど、まだ飲んでいない。
しかし、今これを書いている間にもどんどん鼻水が出て来るから、仕方がない、抗生物質をのむしかない。
でもなんとか、喉の激痛は通常の痛みになった。
これから喉に塗るスプレーを買いに行こうと思えるくらい、楽になってきた。
今日は前からお声がかかっていて、昔のオーケストラの仲間に会う予定だった。
いつもメンバーは決まっていて、オーケストラで特に仲の良かった人達。
年に1回せっかくの約束だったのになんとも残念!
今日を逃すと又来年。
あーあ、今頃皆楽しくお話しているでしょうね。



























2014年8月26日火曜日

暴力

ほんの少しだけ気温が下がり初めてはいるけれど、今年の夏も暑気あたりが激しかった。
若い頃は暑い夏が大好きだったのに、いつのまにか大嫌いになってしまった。
若い頃は1日の中でも最も暑い午後2時ころ、かんかん照りの表に飛び出していって、激しい日差しを浴びると、なんかこう「生きているう~」といううれしさがこみ上げてきたものだった。
今はもう「死んじゃうう~」になった。

最近はおよそ激しいものがダメになって、怒っていてもはっきり言い返せないとか、なにか理不尽なことが目の前で行われていても、まるでよそ事。
澁谷の駅構内で、男の人が奥さんらしい人を踏みつけて怒鳴っている。
奥さんは足蹴にされて「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝っていた。
昔の私ならなにも考えることもなく、その中に割って入ったのに、なんだか現実離れした光景に見えて、ぼんやり、だれか止めてくれないかなあと考えてその場を去ってしまった。
暴力的な光景はあまり見たこともなかったので、本当の事とは思えない。
それにしてもあの男、女性に暴力を振るうなんて、人間とは思えないと今頃になって腹が立つ。
そばに交番があるからおまわりさんがすぐ来るだろうと、なんとなく呑気に考える。
これも感受性の衰えだろうか。

暴力と言えば「1分間だけ」という本を買った。
女主人公はファッション雑誌の編集者、仕事にのめり込んで、自分を見失っていく。
あげく同棲相手も去り、殺処分寸前で引き取った犬との同居生活。
トイレを散歩の時にするように躾けられた犬だったが、ある日仕事の終了時間が延びてしまって、何時間もの間我慢していた犬がついに粗相をしてしまう。
仕事のストレスと恋愛が上手く行かなくなったストレスを犬にぶつけ、手がはれるほど激しく叩いてしまう、と、ここまで読んでもう先は読むのをやめた。
その後のあらすじはわかっている。
Amazonの宣伝に乗せられて買った本だから、そのあとは犬はガンにかかり死んでしまうらしい。
そして主人公は人間として成長していくという、なんとも後味の悪い話らしい。
Amazonのレビューには感動したというコメントが沢山寄せられている。

しかし、我慢しきれず粗相をしてションボリしている犬を、自分の手が腫れ上がるまで叩く、そういう場面を想像できるだけでもう、この作者は私の敵。
私は自分のキャパを超える仕事をこなしてきたけれど、動物に当たることは、したことがない。
どんなに仕事がハードでも、たまさぶろうの面倒は欠かさない。
どうしてもダメなときには、獣医さんにお願いする。

あるとき旅の仕事に慌てて出かける寸前、飛行機までの時間がないのに、ガラス製のランプシェードを割られた事があった。
他の物ならほっとけば良いが、ガラスだから危険でかたづけないワケにはいかない。泣きたいくらいだった。
それでも猫を叩いたりはしない。
猫は放っておかれると気を引くために、布団にわざと粗相することもある。
それでも叱っても、叩きはしない。
こちらが忙しい時に限って、なにかしでかしてくれる。
複数飼いだから、もう壮大な散らかし、吐いたりトイレの外におしっこをしたり。
それでも叩けない。
人だったら叩くかもしれない。
けれど、自分を頼ってくる動物は叩けない。
まして動物を飼うことを自分自身の成長のためだとか、ふざけた考えはしない。
これが映画になって皆さん感動したらしい。
さっきふと思い出して書き始め、作者の名前を書こうとおもっても思い出せない。
本を探したけれど、滅多に本を捨てる事をしない私が、どうやらすててしまったらしい。
たぶん怒りを込めてゴミ箱に放り込んだと思われる。

仕事が本当に好きなら、どんなことも我慢出来るというのが私の持論。
それともそう考える事が出来るほど、幸運な仕事に恵まれているということなのか。
ストレスははんぱでないけれど、いつも仕事が出来る事に感謝している。

















2014年8月25日月曜日

軽井沢便り2

八ヶ岳音楽祭の練習場は長坂のコミュニティーセンターのホール。
去年、指揮者の飯守泰次郎さんが出来映えがお気に召さなかったというので、今年は早々と6月に練習が始まった。
本番は10月だというのに今回は2回目。
現場の人達の熱意が伝わってくるので、ヴィオラを持ってはせ参じた。
音楽祭の音楽監督は私の同級生のご主人で、元東京フィルハーモニーのトロンボーン奏者。
かれらは定年退職後、北杜市に移り住んでから、地元での活動がめざましい。

時々雨模様の中を車を走らせていると、人間、自然にどれほど癒やされるかを感じる。
日頃のストレスは影を潜め、のんびり走る車にもイライラしなくなる。
ヴィオラのトップ奏者が参加しないので、私が代理トップ。
緊張する。
ヴァイオリンでは数え切れないほど弾いた「運命」もヴィオラでは初めて。
それでも今回練習2回目とあって少し余裕が出てきた。
厳しいなりにも楽しく練習が終り「夕飯は手巻き寿司よ」と言われていたので、帰り道は「手巻き寿司、手巻き寿司」と唱えながら車を飛ばす。
予定よりも早く帰れたのは手巻き寿司のお陰らしい。
帰るとあらかた食事は終っていて、私の分が沢山取り置きしてある。
もちろん日本酒で乾杯。
お酒も全国の美味しいものが、ここの家に送られてくるらしい。
もう1人の食客のMさんがいて、計4人から「あれを食べなさい。これはこうして食べなさい」と指示が飛ぶ。
こうして食べたら美味しかったとか、こうしてみたらとか、いろいろ。
終わるとデザートが待ち構えていて、死ぬほどお腹いっぱい。
1日運転と練習をして、運動をしていない。
その上食べ過ぎで、眠りが浅く何度も目が醒める。
早く寝るから夜中に目が醒めると、周りは物音一つしない。
昼間はあれほど素敵な森の中の生活も、夜は少し不気味に感じる。
なんだか眠れないまま朝を迎えた。
日頃ショートスリパーなので、眠りが少なくてもあまりこたえはしないが、眠る時間帯が違うのでどうも疲れが取れない。
次の日は軽井沢にいるYさんを交え、6人で昼食。
ラタトューユとチーズやパンでの軽いランチ・・・と言いたいところだが、これが又本格的で、2キロは体重が増えただろうか。
Yさんはおいしい、おいしいと言いながらおかわりをして、Oさんを喜ばせた。
本当に美味しいけれど、もう3日もご馳走を食べ続けているので、お腹に余裕がない。
前日八ヶ岳音楽祭の音楽監督の奥さんから頂いたブドウを皆で食べる。
その日の朝取れたてだそうで、新鮮なこと!

4宿7飯の恩義に報いるために、ヴィオラのミニコンサートをすることにした。
ヴィオラはソロ楽器としてはあまり聴かれることもなく、たいていヴァイオリンとチェロに挟まれて目立たず、縁の下の力持ち的存在ではあるけれど、その柔らかい音は人々の心を癒やしてくれる。
私は音が大好きで、一時期ヴィオラ弾きを目指そうかとおもったこともあるくらい。
体が小さいので断念したけれど。
それで楽譜も持っているし、時々家で弾いたり、今回のように手が足りないと駆り出されている。
昼食が終って午後のお茶の前に30分ほどのプログラムで演奏した。
バッハ「無伴奏組曲第一番」
バッハ「アリオーソ」
ブルッフ「コール二ドライ」
アンコール?にバッハ「組曲三番よりブーレ」
5人プラスもう1人、Oさんの織物のお弟子さんのAさんにも聴いてもらった。
演奏後、お茶を飲みながら、この家で演奏会ができないだろうかという話になった。
Aさんはこの土地で、手広く観光事業をやっているらしい。
なんだか具体的になりそうな。

その日の夕食はノンちゃんが作った春巻き、酢豚の中華料理だったが・・・・さすがの健啖家で酒豪達も、もう限界に達していたようで、食が進まず早々と解散。
ノンちゃんから「本当に帰っちゃうの?」と言われたけれど、もうそろそろ帰らないと浦島太郎になってしまう。

今朝、山のように残った酢豚も春巻きも、私が自宅に持ち帰った。
けっこう疲れていたらしく自宅で夕方まで爆睡した。
夕飯はお持ち帰りのご馳走。
まだ明日の分まで充分に残っているくらい、沢山頂いてきた。

なんでも1流になる人達はすごいと思う。
飾らず気取らず、ひけらかさないけれど、話は面白い、料理は上手い、尋常でない人達がこうして一カ所に集まって、キリッと暮らして居る。
私も夜があんなに暗く寂しくなければ、お仲間に加えてもらいたいと思うのだが。



































軽井沢便り1

今朝軽井沢から帰ってきた。
厳密に言うと北軽井沢、長野原町というのが地名らしい。
森の中の別荘地は夏の終わりで、ほとんど滞在する人もいなくなり、しんとしている。
その中でノンちゃん家とお隣のHさん、Oさんの3人は毎日規律正しく生活・・・というより、食べている。
この人達の食事に対するこだわりは半端ではない。
特にグランシェフのOさん、かつて大手出版社の編集長、そして対談の名手として知られた彼女は、その腕を今度は料理と織物に惜しみなく注いでいる。
もう何回も行っているのに、迷子になりながら夕方這々の体でたどり着くと、目の前はご馳走の山。
料理もプロ並み、食器の配置や食卓の彩りも美しい。
貴方たち、毎日こんな風にしているの?と訊いたら、そうよ、と答えがあった。
外に食べに行く気にはならないわ。
そりゃそうだ、こんなに美味しい物は普通のレストランではお目にかかれない。
Oさん、相棒のFさん、ノンちゃんは食いしん坊で酒飲みときているから、食卓はすごく楽しい。
本当に美味しそうに飲んでは食べ、話題は尽きない。
食事が終って、真っ暗な庭を懐中電灯で照らしながら横切る。
ノンちゃんの家は、絵本に出て来るように可愛らしい。
人形作家と絵本作家のご夫婦の家だから、そう言われればなるほどと思えるに違いない。
夜はしんとして真っ暗で、日頃宵っ張りの私も10時くらいに眠ってしまった。
次の朝はラジオ体操で始まる。
ここは自然保護のため、元々あった原生林を残すということで別荘地の許可がおりたそうで、林はかっこうの散歩コースになっている。
その中をしばらく散歩してから、それぞれの家で朝食をとる。

そして私は八ヶ岳音楽祭の練習場まで出かけた。
ここから2時間半、車を走らせていると、なんと先週来たばかりの松原湖の脇を通る。
少し時間に余裕があったので、小海町美術館でやっている岩合光昭さんの写真展「ねこらいおん」を見て行くことにした。
猫とライオンの同じような状況での違いや、同類である証しなどを組み合わせた面白い企画だった。
岩合さんはほんとうに猫が好きらしい。




















2014年8月21日木曜日

明日から軽井沢

今朝、軽井沢にいる人形作家のノンちゃんから「明日お昼ご飯一緒に食べましょう」と電話がかかってきた。
私は明日少し遅い時間に出発して、呑気にぶらりと時間も決めずに行くつもりだったので、ランチに間に合うかどうか分からないと言うと、それでは急がなくても良いという返事。
傍でノンちゃん家のお隣さんのHさん、Oさんが何か言う声が聞こえる。
Hさんは映画制作者、Oさんは元雑誌編集者で今は織物作家。
二人ともバリバリのキャリアウーマンで、軽井沢の別荘が広すぎるので、ノンちゃんに半分明け渡したから、両家は庭続き。
広々とした雑木林の中に2軒、隣り合わせに建っている。
お隣の家は立派な別荘風だけれど、ノンちゃんの家はいかにもメルヘンチックな可愛らしい構え。
彼女が作る人形の家のように、林に溶け込んでいる。
彼女のこだわりが隅々まで生かされていて、部屋に入ると手作りのラグやクッションなどの作品で埋め尽くされている。
明日から月曜日までの4日間お世話になる。

その途中の土曜日にちょっと足を伸ばして長坂まで、八ヶ岳音楽祭の下稽古。
指揮の飯守泰次郎氏はとても厳しい方で、去年はブラームスのシンフォニーだったけれど、あまりにも練習時間が長くて、結局私は本番で集中出来なかった。
今年はどうかな?
それで事務局としては本番は10月だけれど、皆が休めるこの時期に事前練習を、急遽設定したらしい。
先日の松原湖から帰ったばかりなのに、又同じ方面に行くのはこれも何かのご縁と思う。
遠出するのは大好きだから少しも苦にはならないし、こうやって泊めて頂けるのだから、宿主に少しはご恩返しをしないといけない。
それで今回は、ヴィオラの曲を何曲か持参することにした。

ノンちゃんの家のリビングは天井が高く、周りの壁も全部木なので、すごく良い音がする。
前回も練習していたら、ノンちゃんだけでなく、お隣さん2人も加わって練習を聴かれてしまった。
練習だから、あっちに飛んだりこっちを繰り返したり、面白くも無いと思うのに、音が良く響くから気持ちが良いらしい。
それで今回は、運命のオーケストラパートなんか聴かせるワケにいかないので、バッハの無伴奏組曲とか短いピースとかを用意して、ミニコンサートをするつもりでいる。
これはまだ住人には内緒のことだけど。

ヴァイオリンはソロ楽器として良く聴く機会はあるけれど、ヴィオラは滅多に聴くことがないと思うので、この際ヴィオラをお聴かせすることにした。
さて、喜んでもらえるでしょうか。

ノンちゃんはこの雑木林の中でたった独りで、冬を過ごす。
クリスマス大晦日、そして新年、
別荘には誰もいないのに、寂しいとか怖いとか思わないらしい。
私なら、ちょっと音でもしたら飛び上がってしまう。
勿論ご主人も時々見えるが、彼が東京に帰ってしまっても滞在していることが多い。
それでもご主人が別荘に来る日は、本当に嬉しそうにニコニコ、顔を輝かせている。
そんな素敵なひとです。














2014年8月20日水曜日

休業中

松原湖から帰って以来、なーあんにもやる気なし。
それでも練習とか勉強は、いつもと同じようにしてはいる。
なのに空気の抜けた風船のようにドヨンとして、ただいま休業中みたいな・・・
同じ日本なのに、この温度差はなんなのだ。
あちらはいつもの年のようにはカラッとしていなかったけれど、それでもこんなに暑くはなかった。
今や我が家はクーラーつけっぱなし。
去年二回も熱中症にやられたから、今年は夜もクーラーを切らない。
お陰で熱中症になることはないけれど、夕方買い物に出るとあまりの蒸し暑さにクラッとする。
今週金曜日から軽井沢に逃げることにした。

土曜日に長坂で、八ヶ岳音楽祭の練習がある。
いつもの年だと、そこまで練習に出ることはないけれど、今年はトップのkさんが練習に出られない。
そしてヴィオラは人数が少なくて、頼りないから是非出て欲しいと言われた。
そうは言っても私が出たからと言って、あまり頼りになるとは思えないけれど。
軽井沢の友人、人形制作者のノンちゃんの別荘に転がり込んで、そこから長坂まで通う。

今年のメインの曲はベートーヴェン「運命」
ヴィオラでは、はじめて弾く。
長年ヴァイオリンでしか弾いたことが無くて、しかも良く知っている曲。
この知っているというのが始末が悪い。
いっそ知らない曲ならば、新鮮な気持ちで楽譜を見るのに、なまじヴァイオリンパートが染みついているから、オットット、アレっとなる。
ヴァイオリンと一緒に出てしまいそうな、少し音が違うとヴァイオリンと同じ音を弾いてしまいそうな、これに困っている。

ベートーヴェンのように音自体はシンプルだけど、内容が深いというのが一番始末に負えない。
超絶技巧もないし和声的にもビックリするようなことはなにもない。
ほとんど音階を弾いているようなものなのに、感動するのはどうしたわけなのか。
こんな曲を作られたら後世の作曲家は、一体どこまで新しいものを生み出せばいいか、途方に暮れるだろう。
だから、やたらに音を重ねリズムを変え、厚化粧を施して作品を世に送り出すのだが、誰もベートーヴェンは越えられない。
もっと越えられないのが、モーツァルト。
このお方の音はベートーヴェンよりもっとシンプルで、神様が作ったとしか思えないほど純粋。

ベートーヴェンの後期のピアノソナタとか、弦楽4重奏とか聴くと、その後世への筋道がかすかに提示されているようだ。
もう少し彼が生きていたら、かなり斬新な音楽が生まれたのではないかと思える部分がある。
惜しかったなあ、もう後10年でも長生きしてくれたら。

明後日軽井沢に向けて、又車を走らせる。
来週月曜日くらいまで、居候させてもらうことにした。
松原湖からの帰り道は、夜中の山路で濃霧にまかれ難儀した。
今度はそんなことの無いように、昼間走ることにした。
霧は怖い。
前に車がいればテールランプを追いかけて走るけれど、なにもいないと道路の白線だけが頼り。
しかもガス欠間近とあって、焦ったのなんのって。

追記
松原湖で主宰者の服部秀文さんとのおしゃべり。
彼はアマチュアではあるけれどコントラバスの名手で、初めてこのコンサートに参加させてもらったときはシューベルト「鱒」のコンバスパートを受け持った。
それで、ロッシーニの数曲の(たぶん6曲くらい)「ソナタ」があって、これはヴァイオリン2本、チェロ、コントラバスの編成だから、それをお弾きになったらいかが?とたずねると、曲についての蘊蓄を披露してくれた。
ロッシー二はこの曲を、二回目の誕生日にかいたそうなのだ。
え!二回目?  そう、二回目。
実はロッシーニの誕生日は2月29日だというオチ。
だから12才の時の作品。
天才はすごい。






















2014年8月17日日曜日

松原湖高原アンサンブル3

当日の朝は昨日までの土砂降りがやんで、日が射してきた。
ヴィオラの太田さんと私は常に晴れ女と自負してきたが、このダブル晴れ女の霊験も怪しくなってきた矢先だったので、喜んだ。
ところが、会場入り頃には又も土砂降りとなってしまった。
この辺鄙なところにある会場は駅からも遠く、その駅にはタクシーも停まっていない。
駅員すらいない無人駅なのだ。
その上、会場に入る道は、車がすれ違うのも困難なほどの山道。
聴きにきて下さる人達は、この雨では難儀するに違いない。

それでも蓋を開けてみると、会場いっぱいのお客様。
軽井沢や高根町からも駆けつけてくださった。
小さなホールだから、聴いている人達と演奏者の距離が近い。
なんとも言えない暖かな雰囲気が漂っているので、普段都内などで弾く時の緊張感はあまりない。
その代わり曲が進むにつれて、聴く人達の呼吸まで手にとるように感じられて、最後は会場が一体となって歌っているような、なんとも言えない高揚感があった。
いつも思うのは、演奏は楽器を弾いている人達だけで、作るのではないということ。
受け止めて感情の波を送ってくれる人達の呼吸を感じ、それを又返すという作業がよい演奏を生み出す。
今回のお客さまは最高だった。

セミナーハウスで打ち上げをして、それぞれ帰る人残る人、この演奏会が終ると間もなく秋。

この後もう一度、別のメンバーでシューマン「ピアノ5重奏」
そして、ブラームス「ソナタ三番」
新潟でベートーヴェン「ピアノトリオ街の歌」

オーケストラで八ヶ岳音楽祭に参加、その頃にはすっかり涼しくなって冬の訪れを待つ。
12月にはロンドンアンサンブルがやってくる。
彼らとの再会を楽しみにしている。

こうして一つずつ丁寧に消しゴムで消すように、私の人生から時間が消えていく。
来年の今頃、まだヴァイオリンが弾けているのだろうか。
でも少なくとも約束があるので、来年の5月の「大公トリオ」を弾くまでは頑張らないといけない。























松原湖高原アンサンブル2

小海町は珍しく雨。
この辺は年間の日照時間が長く気持ちの良い所なのに、今年はじめっとした湿気が待ち構えていた。
ケースを開けるとヴァイオリンの糸巻きが湿気でふくれて、調弦が上手くできないほど。
エアコンで数時間かけて湿気がとれるまで、糸巻きはギシギシと不器用に回る。
調弦と音の調節だけして、その夜はお酒を飲んで、会話を楽しむ事にした。
ピアニストのご主人お2人と服部氏は博識でお話が面白い。
色々パズルなど出されて、うんうん言って考えていると眠気が飛んでしまった。
睡眠時間は多分4時間くらいで、朝の爽やかな日差しの中散歩に出かけた。
近くの「八峰(これでヤッホーと読む)の湯」という温泉で朝風呂を浴びて朝食を頂いて、他のグループが練習しているのをボンヤリ聴きながらコーヒーを飲み・・・なんて素敵なひととき!
昼頃チェリスト到着。
そして私たちの練習が始まった。
こちらへ来る前、5人で二回、ピアノ抜きで一回、合計三回練習したにも拘わらず、練習は紛糾。
ああでもないこうでもない、私はそうは思わない、自分はこう弾きたい・・・我儘な音楽家達は自己主張も強い。
でも、それで無いと室内楽は、ガスの入っていないコカコーラみたいになってしまう。
それぞれが主張するところは大いに主張、陰にまわるところは表に立つ人を立てて自由に弾けるようにサポートする。
まるで人生そのもの。
そしてシューマンの名曲は、ズシリと重い人生が詰まっている。
色々紛糾したけれど、練習が終れば仲の良い友達同士に戻って、一緒にお酒を飲む、これはやめられるものではない。













松原湖高原アンサンブル1

今回私たちは近隣のコテージの予約が取れなかったので、主宰者の服部ご夫妻の停まっているセミナーハウスに同居させて頂くことになった。
このセミナーハウスは中島千波さんの元アトリエだった。
tuboinosidaresakura
上の絵の作家、中島千波氏は小布施で生まれた日本画家。
小布施には彼の美術館がある。
小海町の別荘地の中に瀟洒な白い家があって、中に入ると玄関右側にキッチンとダイニング、左側は広いホールにグランドピアノが置いてある。
そこが今回のヤルヴィホールの前のコンサートが行われた場所であり、私たちの練習室となる。
そこに服部ご夫妻と数人の前乗り組が数日前から滞在して、演奏したり練習したり、過ごしていた。
ヴァイオリンの安原さん、チェロの館野さんが後から加わって、ピアニストのご主人やチェリストの奥さんたちもいて、総勢10数名が共同生活をする。
それぞれお料理上手な奥様達と、働きもののご主人達があうんの呼吸で家事や料理、買い物、掃除などを分担していた。
そこに怠け者の私が居座って、ぱくぱくとひっきりなしに食べては「食べ過ぎてお腹こわした」なんて言っても誰にも非難されないでいられるから、居心地良いことこの上ない。
私と安原さんは練習の前の日に、渋滞を上手く避けて、夜到着。
館野さんは練習日当日昼過ぎに列車で到着予定。
これで全員出そろって、練習が始まる。
シューマン「ピアノ5重奏」はこの編成の5重奏の白眉とも言える名曲で、何回弾いても飽きない。
今回は初めてのメンバーと弾いたけれど、その時々の発見がいくつもあって、改めてこの曲の懐の深さに感動した。













2014年8月14日木曜日

なんて可愛い!・・・なのに(爆笑)

超美形なのに、寝顔が残念な猫さん。

リンク先はこちら
寝顔が見られます。
寝る時って無防備になりますよね。
この子に限らず、人間の美人さんもご注意を!

さて、こんなことしていないで出かける用意。
今日松原湖に向けて出発します。
午後には渋滞が収まりそうなので、その時間帯をねらって行きます。

追記
さらにパワーアップした美猫セツちゃんの寝顔はこちら







2014年8月13日水曜日

再会を喜んで失神するシュナウザー

今世界中で話題になっているという動画。
記事はこちらで。

24時間テレビ

日テレの24時間テレビ。
今年も呼んで頂いて嬉しい。
リハーサルと録音で7時間ほど、スタジオに缶詰。
久々のスタジオ仕事だから、スタジオに車で行けるかとか、出された楽譜が読めるかしらとか心配の種は尽きないけれど、長年通ったスタジオだから良く覚えていて、すんなり到着。

一時期、このスタジオには週に何回も通ったものだった。
丁度バブルの時期、私はオーケストラをやめて、フリーとなって猛烈に働いていた。
夜中でも、もちろん昼間も仕事があった。
当時は振り込みでは無くて、帰り際に現金でギャラをもらったから、1日働くと見る間にお財布がふくれあがった。
よい時代を経験させてもらった。
それがずっと続くと思っていたから、お金はあるだけ使ってしまった。
バブルが消えてしまったけれど、あの時期に仕事が出来たのは、とても幸運だった。

24時間テレビとのお付き合いは、この番組が始まったときからだから、一体何年になるのか。
途中仕事の都合が合わず何回か抜けた時期もあったけれど、又復活して毎年参加させてもらっている。

毎年殆ど同じメンバーが集まる。
やあやあ、1年ぶりだねなんて旧交を温めながら、皆ほとんど変わらない風貌に驚く。
ガクタイはちっとも老けない。
そりゃ、髪の毛が多少減るとか白くなるとかいうことはあっても、キビキビとした背筋の伸びた人達はいつまでも若々しい。
リハーサル1回で本番。
早いペースでスケジュールが進む。

今月最後の土日、武道館で行われる日テレ24時間テレビ。
黄色いTシャツを着て弾くのも、あと何回かな?















2014年8月11日月曜日

しつこく宣伝

今年も松原湖アンサンブルはヤルヴィホールでコンサートを開きます。
今週の土曜日午後のひとときを、音楽でお楽しみ下さい。

前乗り組みはもう今日辺りから集合して、練習していると思う。
私は最後のシューマン「ピアノ五重奏」とアンコール(まだ誰もアンコールしてくれていないのに、あるという前提で種明かしをすると)ブラームス「弦楽六重奏曲一番、第2楽章」を弾く。
シューマンはヴァイオリン、ブラームスはヴィオラ。
だから楽器は二台持っていかないと。
ちょうどお盆なので車の渋滞が予想されるが、タラタラとのんびり行くつもり。
車の運転は楽器を弾くのと同じくらい好きで、きつい仕事の後で帰宅するときに「よくこんなに疲れていて、車の運転なんか出来るわね」と言われるけれど、いやいやどうして、ストレス解消になっていいのだ。
鼻歌なんか歌いながらけっこうな距離をドライブしても、あまり疲れない。
独りの空間がたまらなくいい。

初めて松原湖に行った時には、聞いていた住所が間違っていたために、あやうく迷子になりそうだった。
とんでもなく狭い田んぼのあぜ道状の道に迷い込んで、一体こんな所にお客さんは来てもらえるのかしらと、心配した。
今回三回目の参加で、少しは道にも馴れてきた。
とはいえ、恐ろしい方向音痴だから、油断は出来ない。

脅かすわけではないけれど、車でいらっしゃる方は、最後のホールへの登り口は大変狭い道が続くので、お気を付け下さい。

ホールは松原湖には面していない。
それでも傍らに小さな池?みたいな水辺があるので、たいそう爽やかな気がする。

軽井沢、清里、小淵沢、八ヶ岳などに避暑中の方々は、ほんの少し足を伸ばしていらして下さい。
一同、お待ちしております。











2014年8月10日日曜日

大荒れ

台風が日本列島の西のほうを通過しているため、こちらも雨が続く。
こんな日は外も荒れるが、髪の毛もバサバサ。
今朝、朝一で美容院に行った。
コンサートで着るドレスがブルーの濃いめのもので、少し赤みが出てしまった髪の色と合わなくなってしまった。
それで、最近夏用に明るめにした髪の色を、少し暗くしてもらう。
私の髪はもともと、トウモロコシの様なぱさぱさとした茶髪。
これは全く生まれつきで、誰に似たのか、他の兄弟にそういう人がいないから、やはり子供の頃さんざん言われたように、私は拾われた子なのかもしれない。
なぜか子供の頃、多くの人がそう言われたと思う。
これは日本独特の文化なのか。
私も親兄弟からそう言ってからかわれ、ウソと分かっていてもメソメソしたものだった。
私が蜂に刺されてシクシク泣いていたら母から「いつまでもまま子みたいに泣いてるんじゃないの」と言われて火がついたようにワッと泣いたことを覚えている。
心の隅で、実は自分は拾いっ子ではないかという、一抹の不安を持っていたのかもしれない。
「赤いおべべ着てね、お山で泣いていたんだよ。可哀相だから拾ってきたんだよ」と言われる。
時には山が川になったり橋の下になったり、意地の悪い冗談をよくも子供に言ったものだ。

私は大変たちの悪い縮毛で、今のように良いシャンプーやリンスなどない時代だったから、髪は乾燥し放題。
おかっぱにすると、スフィンクスの様に左右に広がって、小学校の頃は、男子生徒が物差しを持って厚さを測りに来た。
それで母が何とかしようと、髪の内側に剃りを入れた。
やや厚みは減ったものの、風邪が吹くと髪がぱあっと広がる。
下の剃りが現れる。
兄弟や友達は笑う。
母はやはりこれはダメだと悟ったらしく、それ以来剃られることはなくなった。
発想が奇抜だなあと思う。
普通、髪の毛を抑えるように、椿油でも塗るとか考えないかしらねえ。
面白がり屋の父は喜んでいるふうだった。
もしかしたら、こんな発想は父だったのかもしれない。
中学に入ってからは、伸ばして三つ編みのおさげにすることで、解決した。

今は腕の良い美容師さんのお陰で、癖の出ないようにカットされて、なんとか収まっている。
















お詫び

先日シューマン「ピアノ五重奏」のタイトルで投稿ミス・・・書きかけなのに公開・・・がありました。
読んで下さった方々ごめんなさい。
パソコンの具合が悪く、不慣れなタブレットで作成していて、間違えて不完全なのに投稿ボタンを押したようです。
今、チェックをしていてびっくり仰天。
大変失礼いたしました。

パソコンは急に画面が飛んだり接続が出来なくなったり、もしやウイルス?とうたがいましたが、名人の手で復活。
結局私がいつの間にか、設定をメチャクチャにしているようだ。
どうしてそうなるのかは分からないが、未だにワケが分からない事に遭遇するとパニックになって、引っかき回してしまう。
器械は本当に難しい。
こういうことは決して嫌いな方ではなくて、初めてワープロを買った時などは、昼からディスプレイを見つめていたために日が暮れたのに気が付かず、我に返ると周りは真っ暗。
電灯も点けずに暗がりにいる自分に驚いた。
初めてパソコンに触れたときも、1週間目に独りでホームページを作成した。
写真挿入や壁紙、レイアウトなども自分で出来たのに、今はそんなことも難しい。
それに名人の設定が完璧なので、自分で余計な事をすると設定を崩しかねない。
すごく快適な環境にいるので、他人よりも何倍も恵まれていると思うけれど、劣化激しい脳みそが言うことをきかない。
もしかしたら恵まれ過ぎ?





2014年8月9日土曜日

熱中症は大丈夫?

今年も暑いけれど、去年よりはずっとマシ。
今年はまだ熱中症にならない。
私は胸の怪我以来、外出も散歩も控えていたからかも知れないが、去年は2回熱中症になった。
ある日目が醒めたら天井も部屋も黄ばんで見えて、気分が悪い。
それでも仕事に出かけたけれど、その後調べたら全部熱中症の症状だったので、ぞっとした。
その後も、もう一度。
それ以前は寝るときに省エネのこともあって、エアコンを切っていた。
しかし、それ以来、夜でも付けっぱなしにするようになった。

原発は今稼働しているのかしら。
あれほど電力不足と叫んでいた電力会社が、ことしはウンともスンとも言わない。
テレビの情報などはもうとっくに信用していないが、電力不足は原発の稼働を正当化するための情報操作だったのか。
それともこっそり、全部稼働始めているのか。
夏は出来るだけ、この子のように居眠りをして、休むが勝ち。
それにしても幸せそうな寝顔。

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2014年8月8日金曜日

分奏

来週末の松原湖のコンサートのためにすでにピアニストと共に2回練習をしたけれど、まだ納得はしていない。
それで現地に行くまえに、もう一度合わせるつもりだったのが全員の都合が合わず、今日は仕方なく、集まれる弦奏者だけで分奏することにした。
これはこれでとても意義のあることで、細かい部分の音程やニュアンス、ボウイング合わせなど、ピアノが一緒だとついピアノに隠れてしまう部分のチェックができる。
1楽章の出始めからもう紛糾する。
セカンドヴァイオリンの安原さんは、1小節目の弾き方について意見を述べる。
あまりに重々し過ぎて前にすすまない。
それに対しわたしはここは重く、次の小節で前向きに行こうという意見。
今まで数回演奏したうちで、このスタイルが私の身についてしまっていたので、何の気なしに弾いていたのだが、なるほどそう言われればそんな方法もある。
なにも私の考えが最善ということではないので、よくよく問いただしてみると、彼女は2小節から3小節に行くときにもっと前向きにという意見だったらしい。
お互い自分の考えをきちんと言葉で伝えるのは、特にニュアンスのことになると、ひとそれぞれ、受け取り方も様々で誤解が生じやすい。
たったそれだけのことにかなり時間を取られ、次の問題にも時間をとられ、音程合わせも、ああでもないこうでもない。
室内楽の最大の楽しみは、このああでもないこうでもないなのだ。
効率第一主義の人なら、こんなまどろっこしいことするくらいなら、不安定な人の音程よりも、電子楽器でひいてしまえばいいのにとおもうかもしれない。
実際現代の風潮は安定した電子音でほとんどのことができてしまうので、アコースティックをつかわないことも多い。
しかし、よくしたもので、その不安定さでないと本当にハモらないこともある。


つい先だって亡くなった外山滋さんと弦楽トリオを弾いていたときのことだった。
私はその時はヴィオラを受け持っていて、数小節に亙って同じ音を伸ばしていた。
すると外山さんが「そこの小節のその音は少し高めに」とおっしゃる。
「でも私は前からずっと同じ音で伸ばしているので、そこだけ高めにですか?」と尋ねると、そこは何調の第何音ですから、高めに。次の小節は何調の第何音ですから低めに」
正確には覚えていないが、こんな様なことだった。
いままで何とも思わず弾いていたのが、目から鱗だったことがある。
これでは電子楽器の出る幕はない。
ヴィオラといえば、今回アンコールのブラームスの弦楽6重奏の1番、2楽章を弾くことになった。
私は第2ヴィオラを受け持つ。

去年もこの2楽章をひいたのだが、メンバーの中で眼鏡をもって出るのを忘れ、弾きはじめてから楽譜が見えなくて、落ちてしまった人がいた。
そのリベンジ?
今年は忘れ物なくいけるかな。年齢が高くなってきて泣かされるのは、視力の衰え。
某チェリストのリサイタルで、演奏者が席についてやおら弓を構えたと思ったら、降ろし、楽器を置いてステージ袖に引っ込んでしまった。
すぐに出てきたので何かと思ったら、彼女の手に眼鏡が握られていた。
非常に厳しいので有名なチェリストだから、ニコリともしないで椅子に掛けて、演奏を始めた。
私もロンドンアンサンブルの小田原公演の時に、しでかした。
しかも眼鏡は楽屋に置いてきたので、しばらく皆を待たせてしまった。
私の生徒が聴きに来ていて、ハラハラしたと言われてしまった。

今回のブラームスはそんなことのないように祈っている。
私ヴィオラという楽器が殊の外好きで、もう少し体が大きかったらヴィオラ
弾きになりたかった。
一時期は本気でヴィオラに転向することも考えた。
けれど、あまりにもヴィオラを弾きすぎて腰を痛めたことがあって、諦めた。
やはりヴィオラは体の大きい人でないと無理なので。
それでも今回のようにちょこっと弾かせてもらえれば、大喜びで引き受ける。

松原湖でヴィオラを演奏することを、とても楽しみにしている。
でも、ヴィオラはブラームスだけで、シューマンはヴァイオリンを弾きます。
避暑で近隣にご滞在されている方は、ぜひ足をお運びください。
とても良いホールです。
お待ちしております。








2014年8月7日木曜日

笹井氏自殺

今小さいタブレットからの入力。
思うようにキーボードが操作できない。
キーボードの幅が狭いので、しょっちゅうミスタッチで隣に行ってしまったり。
ヴァイオリンとヴィオラを弾き分けるようには上手くいきません。

スタップ細胞さわぎの結末が論文指導の笹井教授の死によって、ますます悲劇的な様相になってきた。
一人の才能ある、しかし、少し先走ってしまった研究者をサポートしたために、世界的な天才の死にいたるまでの過程は想像を絶するものがあったと思う。
マスコミにたたかれ、あらぬことをかきたてられ、たんに論文の学術的な価値云々以外のところで面白おかしく書き立てられ、家族にも関係者からもたぶん白い目で見られ続けたこの数ヶ月は、地獄だったにちがいない。
小保方さんもつぶされたし、笹井さんも自殺とはいえ、周りから殺され、それになんの意味があるのか知りたい。
おもしろ半分に書き立てた週刊誌や、取り上げた報道機関、テレビ関係者。なぜもう少し冷静になれないのか。もう一度研究し直すチャンスはこれでもうなくなってしまったようだ。
小保方さんもしばらく再起不能となると思う。
なぜそこまで叩くかというと、研究者仲間の嫉妬や女性研究者に対する差別など、表には決してでないけれど、根底にそれを感じてしまう。
情けないというより他にない。
笹井氏と小保方さんが男女関係にあると報道機関する週刊誌もあった。
同じホテルに泊まったとかなんとか。
同じ目的の研究で同じ場所に行った場合、ホテルが同じでもなんの不思議もない。

私たちはそんなことを言ったら大変なことになる。
私の男性関係は乱れきっていて、今日はあそこのホテルで誰と一緒、昨日は別の複数の男性と同じホテル...と書き立てられてしまう。
しかも、仕事の上のパートナーはよくあることで、アルゲリッチとクレメルのようにいつもデュオをしている人達は演奏旅行なら当然ホテルも食事も一緒。
だから男女関係にあるとは思わないし、もしあったとしても、それがどうした?
マスコミさん下品過ぎる。
大人のやっていることを、一々目くじらたてるのは子供っぽい。
それで天才は自殺、若い才能ある女性研究者は葬り去られてしまう。
なんだか情けない。


2014年8月5日火曜日

筋トレ再開

先々月転んで胸骨にヒビが入ったと思われる痛みが、漸く治りかけて久しぶりに運動に出掛けた。
なんと2ヶ月も休んでいたので、体も心もすっかりだれきってしまった。
休んでいる間、運動のためのウエアは気になって、いろいろ買いあさっていて、それで運動したつもりになっていた。
とにかく痛みが消えるまでは我慢。やっと痛いことを忘れられるようになったので、重い腰ー文字通り腰が重くなったーをあげた。
今日着るウエアはド派手、ドピンク色のストライプのシャツと同じドピンクのパンツ。
不思議とこういう時にはこんな派手な色を着ても、恥ずかしくはない。
普段街中では到底着られない色も、運動のモチベーションになったりする。
インストラクターのKさんは格闘技の選手だから、髪の毛はトサカのように立って、両サイドは剃りが入っている。
かなりやんちゃをしていたようで、喧嘩もだいぶしたようだ。
そんなお兄さんとド派手ピンクのバアサンの組み合わせは中々見物だと思う。
その彼はトレーニングおたく。
私たちが練習をさぼると、なんだか背中がモゾモゾするように、彼もトレーニングをしないではいられないらしい。
筋肉が疲れていて、休んだ方がいいとわかっていてもついハードにやってしまう。
その気持ち良くわかる。
私も以前古典音楽協会の定期演奏会で、バッハの協奏曲2番を弾いたとき、弾いても弾いても弾き足りないような気がして、結局本番では腕も心も疲れ果て、満足する結果が残せなかった。
なんでも、一番良いタイミングというものがある。

さて、ケガをしたせいでウァイオリンを弾くのもさぼりがちだった。
松原湖のコンサートが来週に迫っているのに、暑いというのもあるけれど練習をいい加減にしていた。
今日やっとその気になって練習をはじめたら、右手がすっかり強張ってしまって、弓を上手くコントロール出来ない。
さあ、大変。
いささか慌てた。
数時間後、やっと勘がもどってきた。
幸いなことに、先日調整した結果が良くて、音はならしやすい。
何となく弾いていた曲もじっくりと見ていると、沢山の構想がわいてくる。
シューマンピアノ5重奏は何回も弾いているのに、今まで見えなかったものが浮かんで来る。
これも年の功。
残念ながら、だいぶ反射神経が落ちていて、弓を飛ばすのが下手になっていた。
あと1週間でサボったツケを払わないといけない。
さあ、大変!


2014年8月4日月曜日

ルフォスタ弦楽アンサンブル夏期合宿

9月の発表会を控えて、石打スキー場で強化合宿をすることとなった音楽教室「ルフォスタ」の弦楽アンサンブル。
参加者は11人。
コントラバス担当はお休み。
曲目はレスピーギ「リュートのための古代舞曲とアリア」の中から、1,3楽章を発表することになった。
今回は石打スキー場内のマンションの住人である、チェロのN氏のご厚意により、マンションのVIPルームに宿泊、ホールを使用しての練習ができるというので、一同張り切って練習に臨んだ。
そのマンションの玄関からスキー場のリフト乗り場には、そのまま滑っていけるという便利さ。
今回は雪がないから残念だったけれど。

昼過ぎ、各自昼食を済ませたメンバーがマンションに集まった。
マンション内には立派なホールがあって、そこを借りられたのは素晴らしい幸運だった。
かなり広いステージ上で伸び伸びと音がだせるし、ハーモニーのバランスを聴くのにも、広い会場はうってつけ。
この1年、月1回の練習をしてきた曲の仕上げには、今回のホール使用は本当にありがたかった。
毎月指導者が替わるので、それぞれの講師の考えもあって、生徒達は時々混乱する。
「前の先生はこうおっしゃいました」と言われることもしばしばある。
そう言うときは「それはその方の考えであって、私はこうだから、あなたたちはそこから自分たちで考えて作り上げて下さい」と言う。
受け手が大人でかなりのレベルのある人達だから、子供に言う様に強制することはできない。
もう発表会が近いから、なにがなんでも形にしないと最終的に困るので、今回私のやり方で演奏してもらう事にした。
今回と発表会前の最後の練習は私の担当。
もう自分のやり方を押し通すことにさせてもらう。
初めての音出しは、緊張と体が馴れていないので、やはり音がかなり濁る。
これが毎度の事で、最初の8小節を何回も何回も繰り返し、皆の顔には「うんざり」感が見えるまで繰り返す。
初めの音のバランス、音程、音色・・特にこの曲の透明感が出るまで、執拗な講師が迫っていく。
どうしてこんなことやらされるのかといい加減ウンザリした頃、やっと良い響きが出るようになった。
次の段階も同じ事。
こうやってたった数分の曲に、数時間掛けて取り組んでいく。
これが私にはほんとうに面白い。
いい加減疲れ果てて練習は終わり、越後湯沢の街に出て夕飯。
N氏がセットしておいてくれた居酒屋で乾杯。
マンションに戻ると、広々としたVIPルームのリビングで、お酒を飲みながら楽しく夜は更けていった。
わたしの教え子のkさんが料理を担当して、つまみやお酒を用意してくれた。
酔うほどに楽器を持ちだしてアンサンブルを始める彼ら。
いつまでもいつまでも、飽きもせず弾いて居た。
次の朝きいたら、結局3時までヴァイオリンの音が聞こえたそうだ。
次の朝はkさん心づくしの味噌汁、おにぎり、漬け物、トマトサラダ、そしてフレンチトーストという豪華な朝食が用意されていた。
それから午前中いっぱい又練習。
前日も次の日もヴィデオカメラで撮影されていて、再生すると、かなりの線まで行ったことがわかった。
あと、一息。
驚いたのは、単純に音の易しい1楽章が、色々アラが目立つこと。
やはり単純は最高の難しさなのだ。
ヴィデオを見て生徒達も納得したのは、なぜあんなに私がしつこく初めの音を繰り返し、練習したかということだった。
自分たちでも、最初の音に感激していた。
時々スッタモンダするけれど、なかなかの出来映え。
これが本番で出れば最高です。
練習会場と宿泊施設を用意して下さったN氏に感謝。
料理とワイン、全てのセットをしてくれたYさん、kさんご夫妻にも、中心となって兄貴と慕われるGさんにもお礼を言いたい。
そして辛抱強く練習を繰り返して、良い音を作り上げてくれたみんなには、特に頑張って欲しい!
本番で今回の練習が生きますように。


















2014年8月1日金曜日

楽器のご帰還

気むずかし屋の楽器様が退院あそばして、私は恭しくお迎えに参ったしだい。
弦楽器の工房のSさんのお手並みは見事だった。
少し早めに受け取りに行ったら、まだ前の人がいて色々お話をしていたので、手渡された楽器の弦を指ではじいたら、それだけで明らかに音色が変ったのがすぐに分かった。
もう矢も楯もたまらず、丁度教える日だったので教室に持ち帰り、早速試奏してみると、全く音色が変っていた。
特に低音の弦の鳴り方が目を見張るばかりに違う。
やはり同じ技術者でも、こうも腕が違うのかとため息が出た。
Sさんの所へは、私が長年トリオを組んでいたチェリストも行っていたし、知人が行っているし、弥生人の美智子さんは彼の長年のクライアント。
美智子さんに楽器の不具合をぶうたれていたら、是非Sさんのところへ行ってみたらというので紹介してもらって、あげくの帰り道、二人で飲んだくれたという経緯だった。

その飲んだくれたお店は澁谷の宮益坂上すぐ傍。
広いカウンターに山盛りに積まれた、お総菜というより少しおしゃれな家庭料理に近い、それにプロの腕が加わったというような・・・わかりますかねえ。
例えばチーズやサーモン、タコなどの自家製スモーク、小さなコロッケとか・・・野菜の揚げ物や漬け物もある。
日によっても違うと思うけれど、お腹の具合でいかようにもアレンジしてもらえる。
先日軽い夕飯を食べようと、独りでさがしていて見つけたお店。
地下におりていくので中の様子が分からず、少し階段をおりて覗いていたら中からお迎えが出てきたので、入ってみた。
独りだから少しだけ何か作ってもらおうと思っていたけれど、どれも美味しそうで、あれもこれも、するとカウンターの中の板前さん、もしかしたらシェフとよぶのか和洋どちらでもないので、どう呼ぶのかしら・・・「もう、そのくらいになさったほうが」
ストップをかけられた。
独りだから全部少しずつスモールサイズで、何種類か食べて、仕事前だからお酒は飲めない。

次ぎに酒豪の美智子さんと行ったら「今日は飲めるんですね?」と言う。
商売とはいえ、たった一回来た客のことを良く覚えていること。

それで思い出したのは富山の飲み屋。
駅前に~まだあるかなあ~古い繁華街の横町がほんの少しだけ残っていて、その中に「鮮」というお店があった。
そこで昼間、昼食を食べようと店をさがしていた。
飲み屋さんの昼食は魚が美味しいから、私は時々利用する。
富山ならやはりお魚でしょう。
そして入ったお店。
ヒラメのお造り、アラの味噌汁、ご飯、シンプルな献立だったけれど、これがたまらなく美味しかった。
その夜、仕事が終ってからもう一度、そのお店へ。
富山には毎年仕事で行っていたけれど、そのお店に行ったのはその時一回だけだった。
それから数年後、全く別の仕事で富山に行って、夜街に出た。
その時ふと思い出したのがこのお店。
まだあるかしらと言いながら、他の人を引き連れて古い記憶を辿っていったら・・・あった!
楽しく飲んでいると、カウンターの中から声がかかった。
「お客さん、前にも来たことあるよね。その時は他の人と一緒だったね。あれは、そうだな7年前だなあ。それでそっちじゃなくてカウンターに座ったよね。」
私は本当に仰天した。

とっとっと・・・
なんで楽器の話から富山に飛んでしまったのか。
あはは、音が良くなって嬉しくて、少しはしゃいでしまった。
まだ楽器の調整は半分くらい。
この後、駒を取り替えて全部のメンテナンスが済むのは、9月後半になる。
Sさん曰く、まだまだ可能性はあります。
もっと良くなります。
うわ~、どうしよう、たのしみだなあ!