2017年5月27日土曜日

外套の歌

オペラ「ラ・ボエーム」の最後の方で涙が止まらなくなるアリアは「古い外套」

処はパリ、カルチェ・ラタン。
貧乏な芸術家たちが一緒に生活をして、それぞれの作品の制作に励んでいる。
誰もが貧乏で暖炉に火をおこすこともできない。
詩人ロドルフォは自分の作品の原稿を燃やし、皆に暖をとらせる。
たまたまお金を稼いできた音楽家ショナールがワインや食料を運んできた。
皆が楽しんでいるときに家賃を取りに来た家主を、おだてたり脅したりして追い払う。
そしてクリスマスイブを楽しもうと皆で街に繰り出すことになった。
原稿を仕上げるために一人残ったロドルフォのもとへ、火を借りに来たお針子ミミ。
やっと火のついたろうそくが風で消え、暗がりの中でミミが落とした家の鍵を探す二人。
手と手が触れあって・・・
「冷たい手」「私の名はミミ」と有名なアリアが歌われ、二人は恋に落ちる。
もうこのあたりからハンカチの用意。
町に繰り出した仲間たちと合流して楽しんでいるところへ、画家マルチェッロの元の恋人ムゼッタが金持ちのパトロンと現れる。
マルチェッロとムゼッタは喧嘩をしながらも別れられず、パトロンに彼らの勘定書きを押し付けて一緒に消えてしまう。

ロドルフォは病気のミミの体が日に日に弱っていくのに耐えきれず別れを告げる。
或る日最後の力を振り絞って現れたミミが戻ってくる。
ミミは金持ちの男の世話になっていたが、自分の命の残り少ないことを悟って、一目ロドルフォに会いたいと願ってムゼッタに連れられてやってきた。
そしてミミの冷たい手を温めるために毛皮のマフを買いに行くムゼッタ。
薬を買うために自分の古い外套を売り払う哲学者ショナール。
その時に低音のバスで切々と歌うのが「古い外套よ」
皆が出て行って二人きりになったロドルフォとミミは、初めて会った日のことを語り合う。
本当はミミのなくした鍵はロドルフォがすぐに見つけたけれど、それを自分のポケットに入れてしまう。
ミミもそれに気が付いていたけれど、気が付かないふりをしていたと告白。
そして疲れたミミが眠りに就き、皆が戻ってくる。
ロドルフォ以外の人たちはミミが息を引き取ったことを知る。

おい、みんなどうしたんだ。どうして僕の顔をそんな目で見るんだ。
ロドルフォの悲痛な叫び。
ミミ、ミミ。
短い後奏で幕を閉じる。

プッチーニのオペラの中でも一番好きな作品。
「古い外套」にたどり着くころにはハンカチはぐしょぐしょになってしまう。
昔オーケストラで故鳩山寛さんと並んで弾いていたら、時々鳩かんさんの解説が入る。
「今の場面はね、こういう話なんだよ」と。
いかにも嬉しそうに弾いていた鳩かんさんの姿が思い出される。

皆さんご存知のこの有名なオペラを思い出したのは、私の長年連れ添った「古い携帯」を見ていた時。
この携帯何年使ったかしら。
外側のメッキは剥げ落ち、カードを差し込むところの蓋はとっくになくなってしまった。
一時期スマホに替える話があったけれど、私は頑としてガラケイ派。
喜びも悲しみも、この携帯が送り伝えてきた。
新しい機種にしなければ、世の中の変化に対して機能的に無理が来るかも。
潮時かもしれない。

ロンドンアンサンブルのピアニストの美智子さんが使っていたのは、私のもう一つの携帯電話。
彼女は携帯電話を持っていなかったので、ロンドンアンサンブルの日本での地方公演の間連絡がつけにくく、周りの人たちが困っていた。
それで、いつも私の携帯の世話をしてくれる人が使いやすい機種を選んでくれて、それを強制的にもってもらった。

美智子さんが亡くなってそれが戻ってきた。
その携帯を美智子さんは喜んで使ってくれて、彼女が亡くなる間際まで、それを持たせてくれた人に感謝していた。

返ってきた携帯を撫でて私は泣いた。
まだずっと使ってくれればよかったのに。















2017年5月23日火曜日

お客さん

うちの敷地内にいつの間にか生えた木が成長して2階のベランダまで枝が達している。
夏は葉が茂り、暑い日差しを遮ってくれて省エネになるけれど、お隣は枝が伸びてくるのがうっとおしいらしく、切ってもいいかと訊いてくる。
言われるのは嫌だから、毎年、葉が茂る前にこちらでお隣に侵入する分を切ってしまう。
それで妙な格好の枝ぶりになっていささか可哀想で、近所の人がいっそのこと全部切っちゃえばと言うのを無視して、半身だけのみじめな姿でも愛でている。

その木にあまりきれいではない花が咲いて実がつくころ、小鳥たちがやってくる。
最近は鳥インフルエンザなどもあるから野生の鳥にたむろされるのも困るけれど、ガラス窓越しに見ている分には可愛いもの。
首をちょっと傾けて横目で見る姿が可愛い。

以前から気が付いていたけれど、彼らはどうやらヴァイオリンの音に反応している。
先日は気が付くと、ベランダの手すりにヒヨドリが4羽、ダークダックスみたいに並んでこちらを覗いていた。
お客さんがいると張り切っちゃうなあ。
等間隔に並んで全員がこちらを見ているから、可愛いのなんのって。
どうやら波長が合うというか、仲間の鳴き声と同じようなサイクルなのか、なかなか面白い。
上手下手の区別はないのかしら。
以前私が飼っていた猫は私が音程を外すと、それまで足元でうずくまっていたのに、キッと顔を上げてフンと言った(ように思えた)
チューナーの代わりに飼っていたのだけど(うそ)

スズメたちは、私が練習を始めるとさーっと近所の電線から舞い降りてくる。
ヴァイオリンの音は甲高く、小鳥の鳴き声の周波数とシンクロするのかも。
長居はしないけれど、明らかにヴァイオリンに反応するのは確か。
というか・・・・この木には大きな青虫が付く。
どちらかと言うと、音よりも食べ物に反応かもしれない。
音がする方に行くと、おいしい青虫が食べられるとかなんとか。

毎年葉が茂ると、バッサバッサと切り落とす。
その葉を始末するときにうっかりすると、猛烈痛い目にあう。
大きな青虫が刺すので。
何回も刺されても毎年忘れて、素手で始末。
刺されてやっと思い出す。
小鳥たちは、食べるときに痛い思いはしなのだろうか。

ことしは茂ってからでは大変だから、芽の出た頃に伐採。
気(木)の毒でならない。
せっかくこの世に生まれてのびのびと天に向かって手を伸ばすと、いきなり切られてしまう木の気持ちになってみよう。
そうやって幼い頃に、才能の芽を摘まれた気の毒な子供がたくさんいると思う。
でも親が気にかけてくれた子供はまだ良い。
私の様に放置され、なんの教育もされなかったというのは本当に残念。
親がもう少し基礎的なことを叩き込んでくれたらなあと、いつも思う。

ヴァイオリンを始めたのが8歳。
プロになるには遅すぎる。
しかも10歳から2年間、稽古をやめている。
これも致命的。
周りの人たちの様に良い先生にも付かせてもらえなかった。
最初は近所のアマチュアのお兄さんが教えてくれた。
ソルフェージュも習わせてもらっていない。
でも音程はわかるのが不思議。
これは遺伝子に音が組み込まれていたのかも。
母はわたしに音楽なんかさせたくなかった。
それでも音楽家になってしまった娘を、母は生涯嘆いていた。

そんなわけで、こんな歳まで私は毎日練習をしなければならない運命なのだ。
他の人たちは若い頃に上手になって、ほとんど満足して今頃はやめているのに、私はまだまだ遅れた分を取り戻さないといけない。
今はようやく皆と同じスタートラインに立っているにすぎない。
スズメやヒヨドリが覗いてくるのは、下手くそ頑張れ!とでも言ってくれているのかもしれない。
まあ、仕方ないからもう少し頑張ってみるね。

と言うわけで、今年後半は

6月11日   立川市民会館
          ベートーヴェン:クロイツェルソナタ
8月17日   北軽井沢ミュージックホール 
          バルトーク:ルーマニア民族舞曲他
9月21日   東京文化会館小ホール     
          バッハ:ブランデンブルク協奏曲4番他
11月3日   ミューザ川崎市民交流室 
        曲目未定たぶん 
          モーツアルト:ソナタ
          プロコフィエフ:ソナタ
          フランク:ソナタ    になると思う。

小鳥さんたちは立ち入り禁止。
以前ホルン奏者のザイフェルトが一橋大学の講堂で演奏した時、鳩が一羽入り込んできて高窓のあたりを飛んでいたことがあった。
ホルンの伸びやかな音とその情景がぴったりとして、印象に残るコンサートだった。



 











2017年5月20日土曜日

東京マンドリン・アンサンブルコンサート2017

目黒パーシモンホール

去年、1988年以来ずっとこのアンサンブルの指揮と編曲をしていた、たかしまあきひこさんが亡くなって、ステージには彼の大きな写真が置かれていた。
とても良い写真で、元々なかなかのハンサムさんだったから、いつも冗談ばかり言っている普段の彼よりもずっとおすまししたお顔は、いかにも真面目そうにこちらを向いていた。
去年のこのコンサートの打ち上げでお目にかかった時、あまりの痩せ方にびっくりだった。
決して不愛想な方ではないのに、その時は沢山の人たちに目をむけることなくスーッと奥の方へ入って、すぐに帰って行ったのでおや?と思った。
それでもあんなに早く逝ってしまわれるとは思わなかったので、ご家族の皆さんもショックが大きかったと思う。

NHKを始めとして、たくさんの番組の音楽を担当。
特にドリフターズの8時だよ全員集合は、時々オルガンを弾いたりして画面に登場していた。
お別れの会の時のタイトルが「お別れ会だよ、全員集合」だった。
沢山の友人知人業界人たちが集まって、彼の人気の高さがしのばれた。
音楽一家の中心で家族の仲もすごく良くて、私も時々遊びに行かせてもらったり、仕事の後で飲みに連れて行ってもらったりのお付き合い。
その時に特に感心したのは、今回お父さんの後を引き継いで指揮をした長男のかんた。
呼び捨ては失礼かもしれないけれど、イチローなどと一緒で業界の呼び名として使わせていただく。

彼はとにかく器用で、このアンサンブルで様々な楽器をこなしていた。
編曲者としてお父さんと一緒に仕事をしていて、父親と息子ってこんなに仲良くできるのかと感心した。
顔を合わせるとお互いにニコニコして楽しそうに話をしている。
ふつう息子は父親を乗り越えようと必死に立ち向かっていくでしょう。
そんなことは微塵もなくて、いつでもお互いに優しい。
こういう家族もあるのかと、騒がしい我が家と比べて感ずることしきりだった。

今回のコンサートの前半は故たかしま先生が来年のコンサートはこれと決めてあった曲を演奏。
謂わば遺言のようなもの。

オルフ:カルミナ・ブラーナより「O Fortuna」
シャブリエ:狂詩曲「スペイン」
ラヴェル:亡き王女のためのパバーヌ
エルガー:威風堂々

会場に来ている人たちは常連さんが多いから、話がツーカーで指揮者兼司会者のかんた君も、あまり説明しなくてもわかるよね風。
会場から笑い声が上がる。
湿っぽくならないように、お父さんの事も楽し気に語る。

後半は後継ぎの彼の渾身の編曲で、『「高」「島」「秋」「珈琲」』とお題にちなんだ曲のメドレー。
つなげると「たかしまあき『こひ』(ひこ)」

「珈琲」の前に音楽業界人が良く使う、逆さ言葉の話があった。
最近タレントの石ちゃんがよく使う「まいうー」などがその一つ。
最後が「珈琲」というのはたかしま先生のあきひこ、最後の「ひこ」は「コーヒー」のさかさま読み。
例えば、秋は「きーあ」島は「まーし」高いは「かいたー」なので。
こんなところに符丁が隠されていた。

打ち上げには出演者でもないのに、いつも参加する。
特にこの都立大学跡地にあるパーシモンホールのレストランはおいしいから、出演者が後片付けをして到着する前から、飲んだり食べたりしてお待ちしている。
出演者たちが来る頃には、あらかた出来上がってお迎えする。
今回も仕事仲間だったコーラスさんや放送界の人たちと盛り上がって、最後まで居座って話し込んでいた。
レストランには店で出しているパンや野菜が売られていて、大根、ニンジン、パンの大きな塊を買い込んでしまったので、帰り道は大変。
電車で若者が席を譲ってくれた。
年寄りだとばれたのか重そうな荷物のせいなのか、判然とはしないけれど、ありがたく座らせていただいた。
酔っぱらっていたし。

たかしま先生は、息子さんが立派になって指揮をしている姿を、嬉しそうに見ていたのではと思っている。





















2017年5月19日金曜日

無駄遣い

今日はコンサートを聴きに行くので、さて何を着ていくか・・・
クローゼットにぎっしりと服はあるけれど、なに一つとしてまともなものがない。
数年間着ていないものばかり。
いつもはTシャツ、チノパン。
しかも同じものを毎回着回しているから、クローゼットの中にあるものはゴミと同じなのに、捨てられない。
それならなぜ着ないかというと、あまりにも変わったデザインで、ほかのどれとコーディネートしたらいいかわからない。
さっきテレビを見ていたら着まわし術のこつなどをやっていた。

ごく普通のデザインや色合いなら、私にだって着回しはできる。
しかし、いつでも変わったデザインや色に惹かれて買ってしまうので、ほかの服と合わせるとなると絶望的なものばかり。
たとえば、奄美大島へ行ったときに血迷って買ってしまった、大島紬の高価なスカート。
素敵なんだけど、それに組み合わせるとなると、普通の綿シャツやブラウスだと力負けして全く合わない。
やはり同等のシルクのブラウスが必要になるけれど、普段の生活ではそんな高価なものは買う気もない。
それでいつも穿かない。
儚いなあ。

衝動買いしたパールピンクのレザーのコート。
あまりにも色がきれいなので、後先見ずに買い込んだけれどあまりにも浮き上がった感じで、結局一回も袖を通さず猫の爪の餌食となって、ずたずた。
物が素敵なだけに少しの傷もおそろしく目立つ。
いつも着ている毛玉だらけのセーターなんかとは違う。
泣く泣く捨てた。
まあ、よくもこんなに変な物ばかりそろえたと思うくらい、変わったものが入っていて、さて整理するかと思って戸を開けても、考えがまとまらずまた閉めてしまう。

それから靴も私はムカデかと言うくらい、持っている。
どれもこれも変な靴ばかり。
よそのお宅の玄関で脱げなくて転んだブーツとか・・・

今までの無駄遣いをいたく反省して、これからは経済に目覚めようと思う。
郵便局(今はゆうちょ銀行?)に行って古いハガキをレターパックに取り換えてもらってきた。
年末に急に身内の不幸があって、用意してあった大量の年賀ハガキが宙に浮いたとき、友人たちに使ってもらおうと思った。
しかし、皆さんすでに用意をしてしまった人たちも多く、なかなかさばけない。
それでふと思い出したのは、出していない年賀はがきは普通のハガキや切手に取り換えてもらえること。
その時は、窓口の人が何枚かのレターパックとハガキに替えてくれた。

今日レターパックを用意する必要があったので、抽斗にしまい込んである古いハガキを持っていけば良いのではと思った。
抽斗を探すと、出てくるは出てくるは。
結局3000円以上のハガキが集まって、レターパック7枚と切手を少しもらえた。

私の無駄遣いは贅沢とか浪費癖とかではなく、単に頭が弱いから。
日常的な無駄なことの積み重ねが、貧乏の秘訣。
むだに物が多くて整理整頓ができない。
それで物を探すとたいてい見つからない。
面倒だから、又買ってしまう、これの積み重ね。
ハガキだって年間使うのは数枚。
1枚だけ必要な時にも、10枚まとめ買い。
いつか使う時にないと困るからなんて、チラッと思うので。
最近は絵葉書を使うことの方が多いから、普通のハガキはほとんど必要ない。
大富豪ならいざしらず、貧乏音楽家が無駄遣いできる立場ではない。

知人に頭脳明晰な人がいて、ポイントや特典などを上手に利用している。
緻密すぎて話を聞いても私にはよく理解できないけれど、こうやって地道に生活できる人は本当に地に足がついているのだと思う。
私の足は普段から地上3センチくらいを浮遊しているようだ。
結局頭の良し悪しが物を言う。

中村うさぎさんの壮絶な無駄遣いには遥かに及ばないけれど、私のみみっちい無駄遣いは治らない。
今日はいたく反省したので、これからは自戒の宣言!
これでおカネがたまったら、みんなでパーッと飲める。
期待薄だけどね。






















2017年5月17日水曜日

衰えていくのがそんなに悪い?

今日のためしてガッテンの放送を見ていたら、アルツハイマー発症にプロアミノ酸βの排出量がかかわってくるという話だった。
排出が上手くいかなくなると脳にゴミがたまって固まって、アルツハイマーになる。
排出を良くするためには、食事と睡眠が大事。

ほら出た!
睡眠、睡眠、睡眠。
脳に溜まったごみは寝ている間に排出されるから、質の良い睡眠と量が必要になるそうなのだ。

私が一番いやなのは、睡眠時間が不足するとどうのこうのと言われること。
日付けが変わる前に寝ろとかなんとか。
眠ることまで他人に指図されたくはない。
好きなように寝かせて!
夜中の静寂は本当にすてき。
上等なチョコレートをいただいたときなど、世の中が寝静まってから隠し持っている上等のブランデーをトクトクとグラスについで、少しずつ舌の上で味わいながらまったりするのは至福の時。
これは夜中、しかも1時2時でないといけない。

昼間だとせっかくのブランデーの馥郁たる香りも、チョコレートの魂をとろかすような甘さも、さお竹やの声で台無しになる。
粗大ごみの回収車の、変に甘ったるい女性の声がスピーカーから流れてくると、すべておじゃん。
「鐘はいけないよ、おじゃんになるから」という、落語の落ちみたいなことに。

ところで最近私の物忘れはいよいよ佳境に入り、鍵はもちろん、今まで目の前にあったものが掻き消える。
さっきは料理するのに、チーズを手元に置いたはずが消えた!
使うのをやめようと思ったら、鍋の蓋の陰から見つかった。
なぜそんなところに隠れていたかと問うと、あなた、ご自分で私をこんなところに押し込めたでしょう。お忘れですか?と、生意気にも口答えをした。
たかがチーズのくせに生意気なと思ったけれど、私よりチーズの方が世の中のためになっていることを思い出して辛うじて我慢した。

なぜ人は老いることにこんなに恐怖するのか。
私だって、老いてから周りのことがすべて不可解で、自分の名前すら思い出せなくなったら怖くてたまらないとは思うけれど、これは自然の摂理。
のんびりしていれば、誰かが助けてくれる。
人様に面倒見られたくない?
いいじゃないですか、面倒見てもらえるならみてもらいましょう。
素直に受ければ良い。
構ってもらえず野垂れ死にしたら、それはそれで結構ではないですか。
生まれてきたときは独り、還る時も独り。
傍に誰が居たって、結局孤独なんだから。

猫たちを見ているといつも思うのは、彼らがあるがままを受け入れて行動するということ。
食べられなくなったら食べない。
人間の様に管から食事を摂るなんて馬鹿なことはしない。
飼い主は必死でエサを食べさせる。
点滴をして延命治療。
少し前までは私もそうだった。

今までそれこそなん十匹もの猫を保護して飼ってきた。
最初は人と同じように扱って、軽い病気でも病院へ連れて行った。
ある時、脳に腫瘍の出来た猫に大手術を施してその後死んでしまったときに、私はなんてひどいことをこの子にしたのかと、いたく反省した。
家から一歩も出たことのない猫に病院の恐怖を与え、可哀想に家に帰ることもなく死んだ。
いくら泣いても後悔は収まらなかった。
その後の猫はみな自宅で見送った。
そっとしておくと、苦しまずに私の傍で眠るように逝った。

そう、これが自然な終わり方。
だから衰えていくのをやたらに騒ぎ立て、時間を巻き戻そうとするのはむだなこと。
だんだんぼんやりしても、ゆったりと森の中で生活しようともくろんでいる私は、ご先祖のサルに近くなっていくようだ。

今日は友人の絵の展示があって、京橋の画廊へ出かけた。
久しぶりの銀座付近だから、プログラム用に使えるきれいな紙でも探そうと思っていた。
銀座一丁目に伊東屋がある。
帰りはそこへ寄るつもりでいた。
画廊を出て、なんとなく右へ。
あら?日本橋、おかしいな。
宝町、おかしいな。
疲れたのでカフェに入ってランチをとって、考えた。
そうか反対方向だった。

今まで書いたのは年を取ったことの言い訳にすぎない。
実は私は天性の物忘れの天才。
小学校の時にはすでに、別の部屋に物を取りに行くと何をしに来たのかわからなくなるという、早熟な子供だった。
鞄に教科書を入れないで学校へ行くなんてしょっちゅう。
お弁当だけ持って大学のオーケストラの授業に。
楽器がないのに気が付いたのは新宿の駅で。

これは先天性プロアミノ酸β欠乏症ではないかと思う。
だから寝ても寝なくても同じ・・・と結論!!!

どうしてこんなに健康法だの睡眠時間だのと騒ぐのか。
煩くてたまらない。
しかもそれをちょっと気にしたりする自分にも腹立たしい。






































2017年5月12日金曜日

南極に住みたい

ことしもまだ5月と言うのに28度越えの気温の便り。
冗談じゃない。

私は暑さに滅法弱い。
去年も一昨年も熱中症になった。
自分ではそうと気が付かなかったけれど、朝目が覚めたら天井が黄色く見えて、ふらふらする。
その日、某サロンでの演奏があって、何が何でも起きないといけないからようやく起きたけれど、楽器を持つとズシリと手に重みが感じられる。
普段はこんなに重くはないから、相当参っていたようだ。

とにかく電車に乗って目的地に到着。
なんとなくコンビニによって買ったのは、ポカリスエットの大きなボトル。
私はスポーツ飲料が好きではなくて普段は水を買うのに、その日は何も考えることなくポカリを買ったのは体が必要としていたようだ。
駅からはすぐなのでボトルを抱えてノソノソ現場へ到着した。
そして一気に飲むは飲むは、あっと言う間に3分の1ほどが飲み干された。

しばらくするとやっと気分が良くなってきたので練習を開始したけれど、相変わらずくらくら感はある。
睡眠の質がわるかったのか日ごろの疲れがでたのかと思っていたけれど、その日のお客さんの中に鍼灸師がいて、私が具合が悪いというと舌を見て、これは熱中症ですと言う。
熱中症と診断を下す前に「あなた食べ過ぎよ」と言われたけれど。
それで納得。
ポカリスエットを飲んだのは正しかったのだ。

私はほぼ原始人に近く、なにも考えないでやったことが後で正解ということが多々ある。
考えないから直観で動く。
その日水だけで水分補給をしていたら、症状が軽くなったかどうか。
もちろん涼しいところにいたから、それなりに快癒したとは思うけれど。

それが熱中症だとわかってからつらつら考えるに、割合によく熱中症になる体質なんだとわかった。
かなりの頻度でこういう症状が出る。
冬場は元気なのに、夏になると青菜に塩、蛞蝓に塩。
ことしすでにマタタビを取り上げられた猫みたいになっている。
毎日の天気予報で気温が高いと予報されると、それだけでめまいがする。
どうも暗示にかかりやすいようにも思える。

冬はマイナス5度とか8度とか、場合によっては10度とかのスキー場で嬉々としていられるのは、体中に毛が生えていた原人時代の名残か。
体が凍える分、心が生き生きしてくる。
強風にあおられてかちんかちんのバーンで滑っていると、うわー、生きている!と思う。

いまや世界は大変動現象で、猛吹雪、超高温、台風頻発、竜巻、地震等々の災害がやってきている。
これは人に対する神様の罰・・・なんていう人もいるかもしれない。
けれど、これは地球が生きている証拠。
私たちは足元の地面は固いなんて思っているけれど、過去に起きた変動が大陸まで動かしている、山を作ってしまうなど本当は粘土細工のように動いているのだ。
カナダのロッキー山脈のてっぺん近くに氷河が残っていて、あれは下から持ち上げられたものだと聞いた時には、本当に造山運動を実感させられた。
断層が斜めに持ち上がって山脈を作っている。
生き生きと活動している地球さんが今伸びをして欠伸をして、そのうえで私たちが右往左往していると思うと愚痴はこぼせない。
地球にとっては、ちょっと肩こりを直しているに過ぎない程度のことなのだから。

ことしも暑いとなると、私は寒冷地へ逃れたい。
南極あたりでペンギンさんの家族になりたい。
猫とペンギンは良く似ている。
私が白と黒の服を着て一緒に立っていても違和感はないと思う。
体型もほぼ一緒だし、大きさも。

黒柳徹子さんが男性とデートをしていて黒と白の生物を見つけた。
もちろん日本での話。
それで彼女は「あら、ペンギンが・・・」と言ったらその男性が「こんなところにペンギンがいるわけはない、少し考えてものをいうように」とかなんとか言ったらしい。
口の立つ彼女は「それではこう言えばいいの、あれは黒と白でペンギンの様にみえるけど、こんなところにペンギンがいるわけないのでよく見たら猫だったとでも?」
あの早口で言ったのでしょうね。
うろ覚えでこんな風な会話だった。
徹子さんはもっとたくさんセリフを言ったけれど、私の脳力ではこのくらいしか覚えられない。
本を探してもう一度確かめてみよう。
その本の題名ですが・・・・思い出せない。

私の二番目の兄がひどく偏屈で無口で、一日声を聞かないこともあるくらいだった。
彼は数字がお友達で、変な冗談を言う以外はまともに話をすることもなかった。
彼は徹子さんが大好きで、テレビで彼女を見つけると嬉しそうに笑って見ていた。
自分の無口と彼女のおしゃべりでトータルすると普通になるらしい。
私たちは徹子さんが出てくると急いで兄を呼びに行った。
その兄は徹子さんそっくりのとても頭の良い、おしゃべりな女性と結婚した。
割れ鍋に綴じ蓋。


















2017年5月9日火曜日

寂寥感

新国立劇場に行った。
英語の先生でヴァイオリン奏者のルースさんが「ジークフリード」の出番で、彼女の練習前に近所のファミレスでレッスンを受けることになった。
楽しくレッスンが終わってお別れしてオペラシティをブラブラ歩いていたら、以前よく買い物をした店がまだあることに気が付いた。
忙しく仕事をしていたころ、良くこのお店でシルクのパジャマを買ったっけ。
相変わらずセンスの良いシャツなどが置いてある。
手に取ってしばらく眺めていたら・・・急にどっと寂しさが湧いてきた。

このオペラシティのリサイタルホールでリサイタルをしたっけ。
超満員で本当にうれしかった。
けれど、マネージャがそんなに客が来るはずないというのでケチって、プログラムが足りなくなって大恥をかいたわ。
そのマネージャは即馘!
二度と頼まなかった。

最近通販で買ったシャツしか着ていない。
この店の素敵なパジャマも買えない。
仕事していないから収入も少なくなったし。
こんな素敵な場所で仕事をしていたなんて、ずいぶん前のことと思えるけれど、つい最近までこういう処で弾いていたのだ。
思えばいつも仲間がそばにいて、キャッキャと笑って楽しく仕事をしていたのに。
なんだかむなしくなってしょんぼりと電車に乗った。

しばらくうつむいて考えた。
ついさっきまで時間が自分の思い通りに使える今、なんて幸せなんだろうと思っていたけれど、やはり人はみな、なにかに縛られていないと気が済まないらしい。
私は過激に仕事をしたので飽和状態になって、仕事さえなかったらどんなにうれしいかと長年思いながら働いていた。
あれもしたいこれもしたい、なのに仕事があるからできない。
やめるときには悔いはなかったのに、やめて2年も経たないうちにもうこんなことを言い始めている。
これでもう好きなことを目いっぱいできると思ったのは、誤算だった。
やめてのんびりしたら、なにもしたくない。

しかし今、復帰することはできない。
体力も視力も脳力も、減衰の一途。
ああ、寂しい。
でも帰宅して家に入ったとたん、やっぱりノンビリしていいなあ。
これから目の色変えて仕事に出ていくことなんて考えられない。
私は通販の服で身分相応じゃない?
コロッと気持ちは切り替えられた。
あんまり素敵なところへ行くものではない。
滅多に人を羨むことのない私も、あんな場所へ行ったらお腹の虫が騒がしくなる。

最近面白い本を貸してくれる人がいて、読んでみた。

カタリーナ・インゲルマン=スンドベリ作
              
        「犯罪は老人のたしなみ」創元社

老人ホームに一緒に暮らす3人の熟女と2人のジェントルマン。
経営者が変わって待遇が悪くなったホームで、これなら刑務所に入った方がマシだわとばかりに犯罪組織を結成。
手始めは美術館の絵画を誘拐?して身代金をせしめる計画を立てる。
全員歩行困難で歩行器に頼るのは、絵画を隠すための道具でもある。
警備員もまさかこんな老人たちが盗んだとは思わない。
次々にハプニングが起きてあわやと言うときにも、老人であるがゆえに怪しまれない。
高齢ではあってもロマンスあり、サスペンスあり。
犯罪のためにジムに通って体を鍛えたために、見かけよりずっと体は動く。
それぞれが得意な分野で協力し合う。
話が進むにつれて、全員どんどん元気になっていく。

作者はストックホルムの海洋博物館勤務。
小説の執筆で優れた歴史小説に与えられるヴィディング賞を受賞している。

先日読んだ佐藤愛子さんの、執筆を始めたら鬱が治ったと同じかもしれない。
さて、私はめったに鬱にはならないけれど、やはり好きな仕事を離れたのは寂しい。
時々元勤務していた音楽教室が、ありがたくも声をかけてくれる。
それでたまに元の生徒たちにも会えるのはうれしい。
演奏の仕事は室内楽なら受けさせてもらう。
それが年間数回と毎年恒例のテレビの仕事が一本だけ(今年はどうかな?)
とにかく好きなことを好きなだけ。
それでもお腹の虫がささやく。

「早く楽器を売り払って森で暮らそうよ」

森に行ったら行ったで、ぞろ面倒なことを企画するに決まっている。
ことしの夏のコンサート、巧くいくかなあ。
ああ、めんどくさいけど面白い!!!















2017年5月6日土曜日

ロロンス・カヤレイ ヴァイオリンリサイタル

ルーテル市ヶ谷ホール

ヴァイオリン ロロンス・カヤレイ  ピアノ 菊地裕介

シマノフスキ:ソナタニ短調 作品9
フォーレ:ソナタ第2番ホ短調 作品108
フランク:ソナタ イ長調

堂々たる体格の彼女がヴァイオリンを構えると、まるで分数ヴァイオリンを弾いているように見える。
豊かで正統的な音楽性、素晴らしいボウイングから生まれる微塵も妥協を許さない音。
正確な音程。
ヴァイオリン演奏のお手本のような演奏だった。
使用楽器はカール・フレッシュが愛用した1742年製のピエトロ・グァルネリ。

味があると称して様々な工夫をこらす演奏もあるけれど、彼女の場合、真っ向から楽譜に立ち向かっていくという印象を受ける。
特にフランクのソナタはフランス音楽というよりも、ドイツ音楽のような構成のがっちりした頭脳的な演奏だった。

実は私はフォーレのソナタは1番と勘違いして聴きに行った。
今日のプログラムは2番だった。
1番の冒頭の、ピアノが湧き上がってくるような部分がくると思っていたら全く別の旋律だったから、あ、1番ではないとびっくり。
びっくりしてそのまま熟睡してしまったので、4楽章しか聴いていない。
迫力のあるしかも美しい音で終始引き付けられた。

今回彼女の演奏を聴いて、反省しきり。
なにかと色を付けたくなるフランス音楽、こんな風に楽譜をきちんと再現することこそが演奏家の使命ではないかと。

大柄な彼女は、G線の高いポジションもなんなく簡単に指が届く。
これは本当に羨ましい。
腕の短い私はG戦のハイポジションは非常に無理があって、音程の安定にも欠ける。
楽々と悠然と弾いているので、ヴァイオリンって本当はすごく易しい楽器ではないかと思わせてしまう。
共鳴体である体の大きさも響きに関係あると思う。
私の豊かなところはお腹だけ。
お腹の上に置いて弾く演奏法を発明しないといけない。

ピアニストは今大変活躍している菊地裕介さん。
お名前は存じ上げていたけれど、聴くのは初めて。
素晴らしく達者だけれど、決してヴァイオリンの邪魔をしない。
それでいて、主張がはっきりしているバランスの良さ。
お見事でした。

会場に行く前に市ヶ谷駅近くで腹ごしらえ。
ウニとイクラの冷製パスタ。
初夏の気持ちの良い夕方に良く似合うメニュー。
一緒に行ったのはピアニストのSさん。
今年秋の演奏会の会場の抽選に行ってもらって、彼女は頑張って最高のクジを引き当ててくれた。
なんだか運が強いなあ。
しかも最初のクジはちょっと残念な順番だったのに、会場側のミスがあってもう一度やり直しの時に幸運をつかんだらしい。
話を聞いて唸った。
私ならへなへなと運を掴みそこなうと思うのに、さすがに冷静で意志が強い彼女だけのことはあると思った。
役立たずの猫には荷が重かった。

ニャーニャー言ってないで練習しようと、今日のカヤレイさんの演奏を聴いて決意を新たにしたけれど、たぶん3日坊主で終わりそうな。











2017年5月4日木曜日

美智子さんの携帯

山から帰って久しぶりにパソコンに触っていたら、フルート奏者のリチャードさんからメールが届いていた。
リチャードは日本人ピアニストの美智子さんと結婚した。
毎年彼女とロンドンアンサンブルの公演で来日していた。
仲睦まじいというか丁々発止の間柄というか・・・
私の家で二人が大声で言い争っているから「夫婦喧嘩はおうちに帰ってからしてちょうだい」と言うと、「これはうちの普通の会話なのよ」と美智子さん。
リチャードも笑っている。

美智子さんは天国へ行ってしまったから、もう「普通の会話」を聞くことができない。
リチャードは美智子さんのことで今まで日本にいた。
イギリスへ帰るので荷物を詰めていて急に思い出したのは、私が美智子さんに貸した携帯電話のこと。
返したいけれど時間がない、翌日の朝8時には家を出て飛行機に乗るという。
すぐに電話したら今は家にいるというから、出かけることにした。

いままで携帯電話のことをうるさく催促しなかったのは、彼はあまりにも悲しいだろうし、事後処理も国の違いで手がかかるかと思っていたから。
どちらにしても美智子さんの日本のご家族は、そのことを気にかけていてくださっているのはわかっていた。
それでもう少ししたら受け取りに行くつもりでいたけれど、今日返したらリチャードも気が楽になるかもしれないと思ったので、早速受け取りに行った。

私の家からは車で約20分ほど。
古い日本家屋で普段は住む人がいない。
美智子さんが日本に帰ってきたときだけの家だから、ほとんど手入れもしていない。
門扉は傾いて庭には雑草が生えているけれど、彼女がまだ元気な時には大きな帽子をかぶって、庭の手入れをしていたことを思い出す。
すでに目はじんわりと涙っぽくなる。
玄関が半分開いていて、車を寄せるとリチャードが出迎えてくれた。

思っていたより元気そうで安心した。
私はメールを見てからなにもかも放り出して家を飛び出してきたから、お茶を飲んで行かないかというお誘いも、申し訳ないけれど時間がないと言ってお断りした。
本当のところ、どちらかと言えば英語が得意ではないし、電話では夢中で話したけれど、いざ面と向かって会話をするのは少ししんどい。
一体何を話すのか。
美智子さんのことはまだ悲しくて話す気にならない。
口に出すと、どっときそうで。
今思えば、話をしておけばよかったかなと・・・少し後悔している。

二人とも当たり障りなく、元気でね、良い旅になりますようになどと挨拶をかわす。
ハグとお別れのキス。
こういうのは外国人だと全く違和感がない。
日本人だとお互いに照れてしまって、絶対にできない。
オーケストラにいた頃は、外国から来た指揮者にはいつもハグされた。
私は特に小さく痩せていて(昔はですよ)子供だと思われていたらしい。
このオーケストラには19歳位の女性しかいないのか?と訊いた指揮者がいた。
もう亡くなったけれど、チェコフィルのズデニェーク・コシュラー氏。
私しゃ、もう中年だよと言ったら、どんなに驚くことか。
今では中年と言ったら図々しいと言われそうだけれど。

リチャードは帰りがけにチョコレートやビスケットをわんさか持ってきて、おいしいよ、これもおいしいよと手渡す。
どうもやはり子ども扱いみたいな。

返ってきた携帯を手で包み込む。
美智子さんのぬくもりがしないかと思って。
中を開けると写真が出てきた。
病床でお友達と撮ったらしい。
痩せたので力のある目がいっそう大きく、はっきりと写っている。
いつでもなんでもクリアでないと気が済まない人だった。
この目で自分が納得するまで物事を見ていた。

彼女の通話記録に私の名前があったので、そこから私の携帯に電話してみた。
自分の電話に、美智子さんの名前が記録された。
それは彼女が天国からかけてきてくれたと思うことにした。
私が美智子さんと知り合ったのはここ数年のことだった。
誰よりもユニークで強烈で、私の人生を一陣の竜巻の様に吹き去っていった。
得難い友人をなくしたと思う。
お互いずけずけと物を言いながらも、深い敬愛の念を持って接していた。
「普通の会話」ができない寂しさにいつ慣れることができるだろうか。











2017年5月3日水曜日

浮世離れⅡ

山での暮らしは私を益々浮世離れの人間にするようだ。

昨日帰宅したら、自動車税を払えとの有り難い通知が待っていた。
これで今年は何件の税金支払いがあったのか。
このままでいくと税金を払うことしかできなくなって、私は飢え死にだわ。
仕事を放りだした報いはきっといつかやってくるに違いない。
なに、すっからかんになったらそれまで。
野良猫という手があるさ。

さっそく税金の支払いに出かけた。
私はことお金に関することにはやけに潔癖で、支払うべきものは即支払う主義。
一時一銭たりとも借りたくはない。
よく借金をしても平気で返さない人がいる。
ああいうのって、ひどい便秘に悩まされないだろうか。
私はあんな物がお腹に溜まっていたら、気持ちが悪くて2日ともたない。

それで今朝ノコノコ支払いに出かけた。
郵便局(今はそう言わないけれど)に行くとシャッターが閉まっていた。
あら、今日は日曜日でもないのに・・・確か生ごみ捨てたよね。

しばらく頭の中で計算する。
たしか2日に山を下りて、火曜日だった。
今日は?3日、ああ、休日だわ。
いったい何の日でしたっけ?
思い出せない。

歩いているのは子供を連れた若夫婦、孫と一緒のおじいちゃんたち、犬と嬉しそうに散歩している飼い主さんたち。
若いカップルが、一つのスマホの画面をのぞき込んでいる。
顔を寄せる距離からして、まだ付き合い始めたばかりかな?などと、おばさんは考える。
郵便局に振られたので、私も公園を散歩をすることにした。
木々は柔らかい新芽から少し濃い緑に変わるころ。
公園中が活気にあふれている。

近所のこの公園は、そばに病院があるので救急車がひっきりなしに通る。
スケートボード、自転車などのテクニックを磨く人たちもいて、見ていると面白い。
もう少し若ければ私もやってみたかった。
特に自転車のスーパーテクニックは、よくYouTubeで楽しんでいる。
若い男の子だったら、もし私に男の子がいたら絶対やらせてみたいと思うことの一つなんだけど。
スキーが出来てピアノが弾けて自転車乗りが上手くて、やさしい男の子だったら、猫っ可愛がりだわね。
残念ながら猫しか飼ったことがないというのは、私の人生の一つの瑕疵。
なにもかも手に入れることはできない。
手に入れられないじれったさも、人生の彩になる。

散歩から帰ったら楽譜が届いていた。
ショスタコーヴィッチ「2つのヴァイオリンとピアノのための5つの小品」
先日花房晴美さんのコンサートで、徳永次男、木野雅之さんが弾いた曲を面白いなと思っていたら、早速弾く機会が巡ってきた。

ショスタコーヴィッチをガクタイはショスタコと省略して言う。
ある時シンフォニーの楽譜に書き込みを見つけた。
塩酢蛸。
ガクタイはいつもふざける。
今どきの人たちはしないと思うけれど、昔のガクタイはどうしようもないいたずらが多かった。
私がやったささやかないたずらは、夜中の高松の商店街のアーケードで、薬局の脇にしまってあったケロヨン人形を道路の真ん中まで引っ張り出して、郵便ポストの上に乗った仲間が万歳三唱、みんなでリンゴを齧っていたら知らない人がいつの間にか交じっていて、リンゴをふるまってあげた・・・ささやかでしょう?
次の朝、高松港からフェリーに乗って岡山まで帰った仲間の一人が、そのあと自殺したことが、おまけについたけれど。
あんなに楽しそうに一緒に笑っていたのに。

体はこういう様々な喜怒哀楽を取りまとめる入れ物だから、なにがあっても自分で壊してはいけない・・・私はそう思う。
































2017年5月2日火曜日

下界へ

昨日の北軽井沢は震えあがるほどの寒さ。
明日は雪が降るかもしれないとお隣さんが言うので、私はビビった。
私の車は冬はラジアル、夏はノーマルタイヤを履き替えて使っている。
それなのに、一回も雪道を走ったことがない。
私は車の運転は大好きだけれど雪道は恐怖でしかないから、雪がチラッと降っただけで運転放棄する。
今朝目が覚めたら快晴。
高速道路を気持ちよく走って帰宅した。

北軽井沢では4月の終わりに雪が降ることもあるらしい。

一週間前、新緑の期待に胸膨らませて行ったのに、はしゃいでいたのは途中まで。
あらま、枯れ木ばっかり。
ノンちゃんの山荘は雑木林の中にあって、木の芽がふき出していれば薄緑の海の中で漂っているような気がする。
家に入って大きな窓を開けて呆然とした。
いつも窓際のソファに寝そべって木々の緑を見るのは至福の時。
それなのに、枯れ木が寒々とシルエットを見せているだけ。

こぶしの花が高い枝の先にしがみついている。
新芽の出ている枝なんてどこにもありゃしない。
それでも木々のシルエットの向うに青空や雲が流れるのを見るのは、心が洗われるようになる。
葉がないので飛んでくる鳥も良く見える。
キツツキが目の前で木をつついているのを見た。

お隣のOさんとFさんは、他所に所有している家を整理。
断捨離だからと。
その引っ越し騒ぎのせいで非常に疲れている。
いつも北軽井沢に来た時には、ノンちゃんと私、お隣の二人と食事をいっしょにすることが多く、4人でお酒を飲む。
今回は引っ越しのため疲労困憊のFさんがひどい風邪をひいたというので、別々に夕飯を食べることになった。
のんびりと私の作ったへんてこな料理を食べるのも、山の中の清々しい空気と一緒なら、そう悪くはない。
それでも後からFさんも合流して、いつものスタイルになった。

今回の北軽井沢訪問は、夏のコンサートの打ち合わせ。
去年までキャンプ場のルオムの森でやっていたものを、今回は北軽井沢ミュージックホールで弾くことにしたので、会場の確保と長野原町役場へ使用許可の手続きのため。
2日目、お隣のFさんが一人所用で上京した。
私はノンちゃんとOさんに付き添われて町役場へ出向いた。
Oさんはその前においしいお蕎麦屋さんがあるからと、案内してくれた。

古い民家をお店にしたその蕎麦屋は山の中。
こんなところに誰が来る?と思ったら、私たちがカウンターに座って蕎麦が茹で上がるのを待っているうちにも続々と客が入ってくる。
知る人ぞ知る、有名店らしい。
辛味大根がタップリ載ったおろしそばは、今まで食べたどの蕎麦よりもおいしかった。
しかも蕎麦湯が濃厚でとろりとしていて、蕎麦つゆのうま味と一緒になると絶品!

先日2チャンネルを読んでいたら、彼氏がそばのゆで汁を飲んだので貧乏くさくて覚めたという書き込みがあって、私は仰天した。
ゆで汁って・・・蕎麦湯を知らない?
そばを食べる作法や習慣を持たない若者が増えているのかしら。
もっとも、おいしい蕎麦湯を出す店も、最近お目にかかっていない。
落語の「時蕎麦」を演じ終わって寄席近くの蕎麦屋に入った子さん師匠が、いざそばを食べようとしたら店中の客が見ているので往生したそうな。
江戸っ子らしく粋な食べ方をしたら、味なんかしなかったと語っている。

さて、話は戻って、町役場は北軽井沢からかなり距離があって、その間満開の桜を堪能した。
北軽井沢よりも標高が低いらしく、緑も花も鑑賞できた。
親切な町役場の女性職員が対応してくれて、手続きは完了。
来月の終わりころにコントラバスとヴィオラのメンバーと一緒に遊びがてら、ホールの響きを確かめ、泊まりはノンちゃんの家をお借りすることになった。
ピアニストのSさんも一緒。
家主さんはそのころは都合が悪いというので、留守宅に押し入って悪行三昧する予定。
一日中別荘地に怪音が鳴り響いて、悪夢にうなされる人が出ないといいけれど。
特に私たちの仲間のコンバス奏者は、迫力がある。
雄たけびに誘われて、イノシシがメスを求めて突進しないことを祈る。

その夜、キャンプ場のオーナーである明美さんがノンちゃんの家で一緒にご飯を食べることになった。
それで夏のコンサートの相談や北軽井沢ミュージックホールの使用についてのアドバイスをもらっていたら、いろいろな人に電話をかけてくれて、その結果、北軽井沢ミュージックホールフェスティバルに参加することになった。
まさにあれよあれよという成り行きで、そうするとパンフレットの作製もしてもらえる。
ルオムの森で家庭的に楽しく弾いていたのが、急に公の場になってしまったので、プロフィールもさらすことになった。
いつまでも猫の姿ではいられない(にゃい)
次の日フェスティバル委員会の人にお会いして、話は具体的に。
とんとん拍子に話が進んで呆気に取られているうちに、8月17日の出演が決まった。

森の中を足元に分厚く積もった落ち葉を踏みしめ、朝焼け夕焼けを眺め、夜は寒さに震えながら星を眺める毎日。
特に朝日に照らされてばら色の柔らかい光を反射するブナの巨木を、ベッド脇の窓から眺めるのは最高。
寝たまま手を伸ばすと、ノンちゃんお手製のパッチワークのカーテンが開けられる。
この家の象徴ともいえるこの大木は、この絵本から抜け出したような可愛い家を守っているように枝を広げている。
夜中にカーテンの隙間から星を見る。
都会では全く見られなくなった強く輝く星々。

素敵な一週間はあっという間に過ぎた。
昨日、相棒から報告があって、次回コンサート用に狙っていた会場の抽選が見事アタリ!
実は私が先月の抽選日を度忘れして、チャンスを逃した。
そして昨日は今月の抽選日なのに、北軽井沢で遊んでいる。
それでピアニストが、代わりにくじを引いてくれることになった。
私は抽選やクジ運、じゃんけんなどの勝負事はすべてダメ。
どうしても勝ちたいという意欲がなく、運を引き寄せられない。
しっかり者の相棒が運を引き寄せたというわけで、でかした!とメールでねぎらった。
かたや抽選日を忘れた上に、次の抽選日には遊びほうけているというのに、偉い!

当たったのはいいけれど、この先の苦労を思うと気が重い。
練習練習練習・・・ああ