山から帰って久しぶりにパソコンに触っていたら、フルート奏者のリチャードさんからメールが届いていた。
リチャードは日本人ピアニストの美智子さんと結婚した。
毎年彼女とロンドンアンサンブルの公演で来日していた。
仲睦まじいというか丁々発止の間柄というか・・・
私の家で二人が大声で言い争っているから「夫婦喧嘩はおうちに帰ってからしてちょうだい」と言うと、「これはうちの普通の会話なのよ」と美智子さん。
リチャードも笑っている。
美智子さんは天国へ行ってしまったから、もう「普通の会話」を聞くことができない。
リチャードは美智子さんのことで今まで日本にいた。
イギリスへ帰るので荷物を詰めていて急に思い出したのは、私が美智子さんに貸した携帯電話のこと。
返したいけれど時間がない、翌日の朝8時には家を出て飛行機に乗るという。
すぐに電話したら今は家にいるというから、出かけることにした。
いままで携帯電話のことをうるさく催促しなかったのは、彼はあまりにも悲しいだろうし、事後処理も国の違いで手がかかるかと思っていたから。
どちらにしても美智子さんの日本のご家族は、そのことを気にかけていてくださっているのはわかっていた。
それでもう少ししたら受け取りに行くつもりでいたけれど、今日返したらリチャードも気が楽になるかもしれないと思ったので、早速受け取りに行った。
私の家からは車で約20分ほど。
古い日本家屋で普段は住む人がいない。
美智子さんが日本に帰ってきたときだけの家だから、ほとんど手入れもしていない。
門扉は傾いて庭には雑草が生えているけれど、彼女がまだ元気な時には大きな帽子をかぶって、庭の手入れをしていたことを思い出す。
すでに目はじんわりと涙っぽくなる。
玄関が半分開いていて、車を寄せるとリチャードが出迎えてくれた。
思っていたより元気そうで安心した。
私はメールを見てからなにもかも放り出して家を飛び出してきたから、お茶を飲んで行かないかというお誘いも、申し訳ないけれど時間がないと言ってお断りした。
本当のところ、どちらかと言えば英語が得意ではないし、電話では夢中で話したけれど、いざ面と向かって会話をするのは少ししんどい。
一体何を話すのか。
美智子さんのことはまだ悲しくて話す気にならない。
口に出すと、どっときそうで。
今思えば、話をしておけばよかったかなと・・・少し後悔している。
二人とも当たり障りなく、元気でね、良い旅になりますようになどと挨拶をかわす。
ハグとお別れのキス。
こういうのは外国人だと全く違和感がない。
日本人だとお互いに照れてしまって、絶対にできない。
オーケストラにいた頃は、外国から来た指揮者にはいつもハグされた。
私は特に小さく痩せていて(昔はですよ)子供だと思われていたらしい。
このオーケストラには19歳位の女性しかいないのか?と訊いた指揮者がいた。
もう亡くなったけれど、チェコフィルのズデニェーク・コシュラー氏。
私しゃ、もう中年だよと言ったら、どんなに驚くことか。
今では中年と言ったら図々しいと言われそうだけれど。
リチャードは帰りがけにチョコレートやビスケットをわんさか持ってきて、おいしいよ、これもおいしいよと手渡す。
どうもやはり子ども扱いみたいな。
返ってきた携帯を手で包み込む。
美智子さんのぬくもりがしないかと思って。
中を開けると写真が出てきた。
病床でお友達と撮ったらしい。
痩せたので力のある目がいっそう大きく、はっきりと写っている。
いつでもなんでもクリアでないと気が済まない人だった。
この目で自分が納得するまで物事を見ていた。
彼女の通話記録に私の名前があったので、そこから私の携帯に電話してみた。
自分の電話に、美智子さんの名前が記録された。
それは彼女が天国からかけてきてくれたと思うことにした。
私が美智子さんと知り合ったのはここ数年のことだった。
誰よりもユニークで強烈で、私の人生を一陣の竜巻の様に吹き去っていった。
得難い友人をなくしたと思う。
お互いずけずけと物を言いながらも、深い敬愛の念を持って接していた。
「普通の会話」ができない寂しさにいつ慣れることができるだろうか。
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