2016年3月27日日曜日

花見のタイミング

毎年我が家では遊ぶ仲間「雪雀連」の花見が催される。
うちの職業は飲み屋では無いけれど、我が家の前は桜並木。
川岸の両側に桜が咲くと、それはそれはきれい。
だから、毎年私の不味い料理と毒入りのお酒でもてなしても、常連さんはせっせとやってくる。
花は咲いても咲かなくても、元々それが目当てではない連中だから、お酒さえあれば良いのだが、やはり咲いていると気分が違う。

毎年天気予報と桜の開花宣言を元に日を決める。
今年は開花が早いというから、本当は今日(3月27日)にする予定だった。
それが、会長が珍しく書き間違え?
この連の中で、唯一まともな脳みその持ち主である会長が、諸般の事情で東京~軽井沢を行ったり来たり、たいそう忙しくなって、珍しく思い違いをしたらしい。
4月3日と皆さんに案内状を出した。
しかも時間はPM11:00
夜桜にしても遅すぎる。
ところが、ご本人は今日のつもりで電話があって「どうする?」「は、なにか?」「お花見」「いや、会長から4月3日とお知らせがあったから」「あれ、そうだったっけ、僕は27日だと思っていた」

メンバーはみな4月3日と思っていて、今から訂正しても予定が入ってしまっているだろうから3日にしましょう、ということで3日に決定。
でも、結果としてこれが正解でした。

うちの(?)桜はまだまだ咲かない。
一分咲きとも言えないくらい。
僅かに数個の花が咲いている。
来週はきっと満開で、盛り上がることを期待している。

時間の間違いに戸惑う人達は、一体何時に行けばいいのと訊いてくる。
それでメールアドレスを知っている人達にはメールで、他の人達にはハガキでお知らせ。
午後2時からです。

メールを送る際一斉送信にしたら返信があって、北海道でさんざん遊んで美味しい物を食べた人からの返信が、全員に行き渡った。
蟹だの柳葉魚だのの字が躍っている。
それを読んだ人達から、電話やメールが入って、ねえ、北海道の美味しいものが出るの?
対応に苦労した。
うちではそんな贅沢は出来ませんよ。
期待しないで!

とにかく花はたぶん満開ドンピシャリ。
今年も大正解!









2016年3月26日土曜日

研究会

生真面目なピアニスト達のパワーに取り込まれて、この怠惰な私まで勉強会に参加することになった。
最初は一ヶ月に一度で、追いまくられていた。
最近はさすがのピアニストたちもやや息切れがしてきて、2ヶ月おきくらいに回数が減ってきたので、一息つけるようになった。

今回は演奏者がいつもより2人少なくて、ソプラノのMさん、ヴァイオリンは私、ピアノはSさんと当日の部屋主のNさんの4人で演奏。
グランドピアノが2台入ってもなお有り余るほどの広いレッスン室。
去年はちょうど庭の桜が咲いていて、2階でお花見をしたっけ。
今年はまだ桜が咲かない。
終ってからファミレスに移動、歳をとっていかに自分がアホになったかの話題で盛り上がる。
私の眼鏡談義のあとバッグを探すと、さっきまでNさんの家でかけていた眼鏡が消えていた。
もう、早速。

さっきは確かに眼鏡を使っていたのだから、Nさんの家に置いてきたことは間違いない。
食事を終えてから、Nさんの家にもう一度戻って探すと、私の眼鏡は見付からないようにクッションの下に隠れていた。
そんなに私が嫌いなら置いてくよ・・・と言ったら・・・いえ、そんなことありません、だいたいアナタが私をこんな所に置き去りにしたのじゃありませんか・・・と言うから連れて帰った。

今回のプログラムはソプラノ独唱から始まった。
アポリネールの詩によるフランス歌曲。
フランス語の響きはうつくしいけれど全く分からないから、詩の内容はMさんが持ってきてくれた解説書を頼る。
フランス歌曲と言えば、往年の名歌手ジェラール・スゼーなどはよく聴きに行ったものだった。
本当に柔らかい素敵な声で、ビロードの艶。
しかし、ドイツリートの「冬の旅は」いただけなかった。
これほどの歌手でも、言葉の違いは壁になるのかと思った。

2番目はSさんと私で、バッハのヴァイオリンとピアノのためのソナタ。
バッハの無伴奏ソナタとは別に、ピアノ(チェンバロ)と一緒のソナタが6曲ある。
その3番目のソナタが私は殊の外好きで、バッハの整然とした音型の中に迸るような情熱を感じる。
一気に4楽章まで弾き終えると、息切れがした。
この曲は6月にコンサートの最初に弾く。
それを思ってひどく緊張した。

最後に家主さんのNさんはなんと、ラフマニノフのピアノ協奏曲。
ピアノ伴奏はSさん。
グランドピアノ2台が鳴り響く。
私たちヴァイオリン弾きは、ピアノの圧倒的な音量に圧倒される。
1人でオーケストラ分の響きが出せる楽器が2台で鳴ると、もうごめんなさい!
私が悪うございましたと言いたくなるのだ。

もうイヤだの身体が言うこと聞かないだの言いながら、こんな大曲に挑戦するとは、呆れたものだ。
この人達普通ではない。
こんな友人達に囲まれて私は恐怖を感じるけれど、こんなに幸せなことは滅多にあるものではない。
お互い切磋琢磨もいいけれど、一体いつになったら弾くのをやめさせてもらえるの?














2016年3月24日木曜日

オー脳!

楽譜を読むのに、眼鏡は絶対必要アイテム。
最近は、殆ど裸眼ではどんな物も見えなくなってきた。
元々1.2の視力を持っていたので老眼になるのは早いと思っていたけれど、かなり遅くまで眼鏡無しでいられた。
ところが、年齢が高くなってからの仕事がハードだったので、老眼になってからは一瀉千里。
あれよあれよと言う間に見えにくくなり、今や眼鏡無しでの読書、譜読みは不可能になった。

それで眼鏡には、たいそうお金をかけて良い物を作っていた。
ステージに立つのだからなるべく美しいフレームを、暗いところで楽譜が読めるように明るいレンズをと贅沢を言っていたら、えらく高価になるけれど、そんな物なのだと思っていた。

ところが老眼が進むにつれて老脳も進みはじめ、眼鏡をなくすことしきり。
最近は立て続けに二つの眼鏡が消えた。

私の脳は、一度に一つのことしか考えられない。
コンサートが始まれば、演奏のことしか関心が無くなる。
その間眼鏡はその辺にころがされて、置き忘れられてしまう。
その度に眼鏡を作り直すのが大変で、眼鏡やさんで検眼、あるいは眼科医で処方箋をもらってはの繰り返し。
眼鏡やさんでは1週間くらい待たされてようやく出来上がるので、今日明日にでも使いたい場合に備えて、安い眼鏡の買い置きをした。
眼鏡は高い物という先入観があったけれど、先日そんな事を嘆いていたら、ヴィオリストのFさんが眼鏡やさんを教えてくれた。

最近流行の眼鏡やさん?
私は世の中の動きに疎いけれど、Fさんは最先端を行く人だから、いつも格好良い眼鏡をかけている。
仕事の帰りの車でその話をすると、運転していたチェリストのSさんが、スマホで店の場所を調べてくれた。
うちの近くに店があった。
すぐにその店に行ってみた。

沢山のフレームの中からささっと選んでレジにもっていくと、早速検眼をしてくれる。
手際の良い若い女店員で、すぐに終了。
その間10分もかからない。
いつもの眼鏡やさんだと、何回も検眼やレンズ合わせを繰り返し、その割にはちっともぴたりとこない。
これは迅速でありがたい。

出来上りは30分後といわれて、びっくり。
指定の時間に行くと、もう出来上がっていた。
軽くて壊れにくいフレーム、しかも超安価!
一体今までの眼鏡にかけたお金は、なんだったのかしら。
ちょっと強めと少し弱めと二つ作ってもらったのに、今までの眼鏡の10分の1ほどの値段。
難を言えば、自分で選んだのだからしかたがないが、幅の狭いフレームが気になるかな。
これも馴れれば大丈夫。
しかも見えすぎるくらい見えて頭がクラクラするけれど、度は進むから、3年くらいは保つかな。

それも私の脳みそが、その間ちゃんとしていたらの話し。
眼鏡の識別も出来なくなっているかも知れないし、こんな家はイヤ!と行って眼鏡が家出しないともかぎらないから、その辺の心配はしないことにした。
老眼は眼鏡でカバーできるけど、老脳はどうする?
















2016年3月21日月曜日

カッフン!!

花粉の季節、症状の重い人はつらい。
私もある日ある朝、布団の上に起き上がったら、鼻から透明な液体がツツーッと垂れて、え、なにこれ?と思ったのが、事の始まり。
それ以後、春先のくしゃみ、鼻水、頭痛、発熱に悩まされっぱなし。

思えばそれはその時に始まったことではなくて、たぶんもっと早い時期に予徴はあった。
私は4月生まれ。
自分の誕生日に気分が良かったためしがない。
鼻水垂らして寝込んでいるのが毎年で、そのために桜が咲くのを見逃すこともしばしば。

ある年などは、激しい喉の痛みと発熱で食事が喉を通らず、近所の内科医院に行ったら抗生物質を投与された。
けれども次の日も次の日も、症状は悪化の一途。
喉は腫れ上がり、もう呼吸困難で死ぬかと思った。
先生はアメリカのと言うより、世界の最高峰の大学の研究室で学んだ超エリート。
父親の先代先生が亡くなって急遽呼び戻され、医院を継いだ。
だから開業医の経験はなく、名医と呼ばれた先代の後を継いで、ずいぶん苦労したと思うけれど、私は殺されかけたから同情はしない。
とにかく日毎に悪くなる症状に、頭を抱えていた。
アメリカでは循環器系の研究をしていたそうで、風邪とか胃腸炎とかは専門外。
ま、気の毒と言えば気の毒だったけれど、その先生に見切りをつけたのは正解で、近くの耳鼻咽喉科で診てもらったら、あっと言う間に治ってしまった。
要するに花粉症だったらしい。
ということは毎年のように、このブログに書いている。

日曜日、所用があって、花粉症の人と京王線の某駅前で待ち合わせた。
2人ともマスクをかけて、私は帽子を着用。
これは歳を隠すにはとても重宝。
顔が全く見えなくなる。
近所の奥さんにその格好で会釈をしたら、怪訝な顔をされた。
マスクをとって「私よ」と言ったら破顔一笑「あ~ら、やだ」

以前その駅近くの整体院に、通っていたことがある。
非常に上手くて、そこで施術してもらうと翌日は、ビブラートが良くかかる。
指の1本ずつをほぐしてもらえるので。
そこの整体に初めて行った時、出てきた人を見て驚いた。
ずんぐりした体躯にひげもじゃ。
ちょっと人間離れした風貌に、玄関で引き返そうかと思ったけれど、友人の紹介だったから踏みとどまった。
そのかわり腕は本物で、しばらく通っていたけれど、家が遠いので度々は行けず、段々足が遠のいてしまった。

「初めて見た時原始人かと思った」と失礼な事を言ったら、連れが「それじゃあ、原始人同士が出会ったわけで、相手もびっくりしたでしょう」と失礼なことをぬかした。
君!花粉症なんだから大人しくしていなさい。













2016年3月18日金曜日

東京文化会館小ホール

いつも満員の盛況で、本当に感謝しています。
聴いて下さった方々に御礼申し上げます。

客席がガラガラだと寂しくて、ステージの上に居ないで客席に回りたくなる。
満員のお客様だと「よっしゃ!」と気合いが入る。
「よっしゃ」で思い出したけれど、仕事仲間たちとワイワイやっている時のはなし。
世界3大「シャ」はだ~れだ?
「シャのつく人?」

答え・・・ヤッシャ・ハイフェッツ
     ミッシャ・エルマン
     ヨッシャ・角栄?こんなヴァイオリニストいた?

ガクタイはこんな他愛もない冗談が好き。

さて、今回の定期演奏会のテーマは、共演が楽しい協奏曲。
トレッリの「2つのヴァイオリンの協奏曲」から始まった。
初っ端の音を出すのはnekotamaこと私。
その怖さはここ数ヶ月いつも頭の片隅から離れなかった。

満員の客席に向かって、たった1人で音を出す。
自分1人のリサイタルならそんなことは当たり前だが、合奏団の最初の音を自分が担っていると思うと、そのプレッシャーは相当なものだった。
コンサートの最初の音は、その後の印象にも影響すると思うので、本当に苦労する。
本番前の舞台での練習の時、空っぽの客席を見たら、いつもよりずっと小さく見えた。
よし、これはいける!
少し安心。

この最初の音のためにどれだけ苦労したことか。
楽譜は易しい。
ファーストポジションの1番響くA音から出るので、楽に音は出る。
普段ならなんともない音。
しかも1人でいるのはたった1小節。
すぐにもう一つのヴァイオリンが入ってくる。
その単純なことを、どれだけ楽しく聴かせられるかが勝負の為所。
反って複雑な難しい音型の方が易しい。
簡単な音型を、いかに印象的に出来るかが勝負。

私が中学生の頃、横浜県立音楽堂で聴いたレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」
最初の音で鳥肌がたった。
この世のものとは思えない美しさだった。
それ以来、最初の音がどれほど重要かと考えるようになった。
シェリングのバッハ・・・この最初の音も考えられないほどの衝撃だった。
わが「古典」で言えば、サントリーホールでのコンサート。
超満員で2000人に迫る聴衆の前での最初の音。
自画自賛かもしれないけれど、良かったような気がする。
私はあまりにも大勢のお客様で、嬉しくてたまらなかったので、張り切って音を出した。
ヒット!と思ったけれど、私の思い違いでないと嬉しい。

私はこれでしばらく古典のソロはないけれど、来年秋の定期公演でバッハ「ブランデンブルク協奏曲4番」のソロを受け持つ。
これはけっこうな難曲で、その時には複雑だから難しいと、泣き言を言うつもり。
人間はどこまでも、自己本位の展開をするかの見本。
要するにどんな曲でも私にとっては難しいのだ。
バッハのブランデン4番は非常に速いパッセージが続ので、練習の時にはどこまで限界に挑戦できるか、その楽しみがある。
聴いている仲間達はハラハラしているに違いない。
それでも私は走りたい。

この数年どんどん歳を重ね、歳相応の身体の変化もあって、いつまで弾けるのか見当もつかない。
それでも聴いてくださる人達がいる限り、私たちは頑張れる。

























2016年3月17日木曜日

ノラの生活は厳しいにゃん

昨日の朝、ノラ食堂に朝食をもっていったら、なんだか閑散としている。
ミッケが力なくにゃあと鳴いた。
いつもお腹を空かせて飛び跳ねているチャイロンも来ていない。
物置のノラボスの寝室を覗いたら、なんだシロリンが段ボールの中にいるではないか。
なんで出てこないのかしら。

シロリン!と呼びかけたらか細い声で返事をした。
どこかで朝食は済ませてきたのね。
他の家にも保険がかけてあって、私の所でもらえないときにはそちらに行くらしい。
時々満腹の状態で、我が家の餌には申し訳程度に口をつけることがあるので、さして気にもとめなかった。

昨日のご飯は殆ど手つかず。
うちだってそんなに裕福ではないから、いらないときには「いらにゃい」といってよね、こんな残して勿体ないじゃ無い。
(`ヘ´) プンプン。

そんなわけで今朝はご飯少なめ。
二つの容器に缶詰半分ずつ。
シロリンが現れたのを見てびっくり。
顔の半分が腫れ上がって血だらけ。

そうか、他のノラとの壮絶な戦いがあったのか。
自分の縄張りを守るために闘ったのね。
時々アメリカンショートヘアが様子を見に来ている。
もしや、あの猫と?
見事縄張りを守って今朝はミッケ、チャイロン、シロリン3匹でムシャムシャ朝食を食べている。
追加のごはんを作って持っていった。

シロリンはもう相当な歳だと思う。
立派な雄猫として近隣に君臨してきたけれど、そろそろ限界じゃない?
最近は手を出しても怒らない。
撫でてもシャーッと言わなくなった。
養老院のご用意は出来ていますよ。
いつでもどうぞ。

でもノラは最後までノラを全うするようだ。
以前毎日通ってきていたノラが、暫く姿を見せなくなって、最後にヨロヨロとやってきた。
私の車のボンネットに乗って、じっとこちらを見ていた。
餌は少し食べたけれど、間もなく食べられなくなった。
手を出すと引っ掻く猫だったけれど、初めて撫でさせてくれた。
それで段ボールに入れて保護して、建物の中に入れたけれど、必死で脱走してしまった。
暖かくしてノラ生活の最後を安楽にさせてあげたかったけれど、やはりノラはノラ。
1番心安まるのは自分のフィールドなんだと思った。

最後に私に挨拶に来てくれたらしい。
哀れなのか、自由で羨ましいのか、よくわからない。
ミッケのように自分からノラになる猫もいる。
飼い主が迎えに来ても知らんぷり。
ミッケももうずいぶんな歳になる。
最後はうちにきて、暖かく安全に暮したらいいのにと思うけれど、無理なのかなあ。
























2016年3月14日月曜日

チャリティーコンサート

世田谷のカトリック教会でのチャリティーコンサートは、「アンサンブルライン」の演奏で、ハイドンとヤナーチェックの弦楽四重奏曲。

ヴァイオリン 手嶋志保
ヴァイオリン 平岡陽子
ヴィオラ   東 義直
チェロ    和田夢人

ハイドンは作品54-1。
ハイドンの弦楽四重奏曲は本当に素晴らしい。
私はオーケストラ時代のコンサートマスターの鳩山寛さんと一緒に、何曲も弾かせて頂いた。
初期の作品1の3から始まって、中期あたりまで。
作品数が上がるにつれ、だんだん手がこんできて、弾くのも難しいし和声も難解になってくる。
最近遊びで弾いた作品76などは、なんだかわけが分からないうちに終ってしまった。

今回聴かせてもらった作品54-1は私は弾いた覚えがない。
たいそう難しそうだけれど、和声が弦楽四重奏の枠を越えているのではと思うくらいの重厚さで、たぶん演奏も大変難しかったのではと思うけれど、見事な響きを作って聞かせてもらったのが嬉しい。
休憩時間にヴァイオリンの手島さんとお話をしたけれど、やはり思いがけない転調が続いて大変難しかったと言う。
手島さんと以前弦楽四重奏を組んでいたヴァイオリンのYさんも聴きにみえて、本当にハイドンは素晴らしいと、3人でハイドンを讃えた。

ヤナーチェックは「内緒の手紙」という題名で、難解なと思われたけれど、すごく面白くそれぞれのパートのすごく達者な演奏をきかせてもらって、感心することしきり。
こういう曲がただ騒がしいだけに終らず、それぞれのパートが浮き出て、お見事、拍手拍手でした。
ヴァイオリニストのYさんもこの曲をこれから弾いてみたいので、今日は楽しみにしてきましたと言う。
彼も新しい弦楽四重奏団を結成して、去年コンサートに招待して頂いた。
私がオーケストラの仕事をしている頃、彼はコンサートマスターだった。
非常に繊細で隅々にまで神経の行き届いた演奏を聴いていたので、まわりのメンバーたちは彼のファンだった。
オーケストラの時にはかなり慎重だったけれど、弦楽四重奏を演奏するときには活き活きと楽しそうだった。
セカンドヴァイオリンが彼の奥さんだったからかも。

ヤナーチェックが大変面白かったので、私も弾いてみたくなった。
弦楽四重奏は長い間同じメンバーでの積み重ねが非常に大事なので、このグループが長い間培ってきたこの響きを今後も聞かせてもらうのを楽しみにしている。

このところ弦楽四重奏を弾いていないので、私の中で渇きが生じている。
アンサンブルの中で弦楽四重奏は、これほど完璧な形態は無いのではと思えるほどの魅力をもっている。
大変時間のかかる練習を繰り返して、やっと演奏会に漕ぎ着けるのだから、自分がよほど好きでないとまったく採算はとれない。
採算は金銭的な意味ではなくて、あまりにも努力をようするので、忍耐力と好きであるということがないと出来る事ではない。
同じような力量を持ち一緒に進む仲間がいなければ、長続きしない。

私も数十年間同じメンバーでずっとやってきたけれど、あるときたった一つの四分音符を巡ってチェリストと対立。
そこからメンバー崩壊したことがあって、本当に残念なことをしたと思っている。
そのメンバーで最後に弾いたのが、シューベルト「死と乙女」
春先に降った大雪の日だった。
交通マヒの中をお客さんが来てくれて、感激したのを覚えている。
だからこの曲を聴くと、当時を思い出して切なくなる。
そのチェリストとは先年再会して、彼が本当に嬉しそうに笑ってくれたのが嬉しかった。
周りでは又結成し直したらという声も上がったけれど、覆水盆に返らず。
弦楽四重奏団、新結成を考えてみようかしら。

とりあえず、今後の予定としてはピアノの芝治子さん、チェロの奈切敏郎さんと、6月12日(日)にコンサートの予定。
お暇と怖い物見たさで興味のある方は、どうぞ三軒茶屋のサロンテッセラまで足をお運び下さい。
マチネーです。















2016年3月10日木曜日

口紅を買う

1年ぶりに口紅を買った。
来週は古典音楽協会の定期演奏会、ステージ以外では付けたことの無い口紅を探したが、見当たらない。
化粧品はいつも無印良品の化粧水とワセリンのみの、シンプル使用。
さすがにステージで口紅無しはまずいと思って、スーパーの化粧品売り場に行った。
目が悪いし化粧品売り場になれていないので、どこを探せばいいかも分からなくなってきた。

あるときエステサロンで、口紅は何年も1本で済むのよね、と言ったら「いけませんっ!」と担当の女性から叱られた。
彼女達は美しさを追求する性格からこういう職業を選んだのだから、そういうずぼらは許せない。
製品が劣化して有毒だから、古い口紅は使ってはいけないと、こんこんと諭された。

その日はその足でデパートの化粧品売り場に行って口紅を買った。
本当のところ年間2,3回しか使わないのだから、サンプルがあればもらおうという魂胆だったけれど、あちらはサンプルで帰られては商売にならない。
必死の形相で売り込んでくるので、その努力に免じて1本購入。

私は元々あまりケチではないと思っているけれど、こと化粧品に関してはムダな物という意識が強い。
だいたい化粧映えする顔ではないし、口紅を塗ってもあっという間に食べてしまって、塗ったところで10分と保たない。
それよりももっと根本的な肌のケアなどにお金を掛けるのは、全く惜しいとおもわない。
上から塗って隠すなら、大元を綺麗にする方が良いという考えで、美容外科とかエステにはよく行っていた。
ところが最近はそれも面倒で、行かなくてもあまり状態は変わらないことに気づかされた。

それで最近はほぼスッピン状態が続いていた。
流石にステージではスッピンはまずい。
それに肌のくすみは年々ひどくなる。
諦めるべきか、塗ってごまかすか。
さあ、どうする?

ここ数日、美容外科の女性医師が診察料水増しで逮捕されたと、テレビでやかましい。
ブログの写真はつけまつげばっちり、金髪に染めた髪の毛、あひる口の美女?。
逮捕された時の映像は、老けた肌の色つやの悪い中年女性。
それでもスッピンの方が、なんとか見られる。
本人は濃い化粧が良いと思っているかも知れないけれど、下品でみっともないと思うのは、私の僻み?
美意識は年と共に変わるけど、今の女性達のネット上の同じような顔を見ていると、気持ちが悪い。

化け物のように大きな目、こてこてに塗りたくった肌、あひる口。
こんなのって可愛いと思います?
しかも40歳近いというのに、品性のかけらもないようなお金の自慢とホスト遊びの自慢。

私だって品性はあります。
下品というのも品のうち。あはは。
今日買った口紅は、たぶん今年いっぱい使って、又来年の春に失くして新しいのを買って。
最近少しヒマになってきたので、お化粧でもしてみるかという気持ちになっている。
やってみれば楽しいし、暇つぶしにもなる。
テレビの仕事の時口紅を忘れたことがあって、化粧品売り場にいって「口紅下さい」と言ったら「色は?」と訊かれた。
「なんでも良いの、つけてれば」と言ったらえらい怒られたことがあった。
「なんでも良いじゃありません、ちゃんと選ばないと」と言われて泣きの涙で選んだけれど、なに付けても大差なし。
あんなにご大層に選んで、それだけの効果があるのかどうか。

とりあえずこの次の定期演奏会には、口紅は用意済み。
あとは鼻と口と目を取り替えられれば、御の字なんだけど。














2016年3月7日月曜日

道は遠い

あるブログの家事に関する記事。
自宅玄関をネタのためわざと3年間掃除をせず放置、それを掃除する方法が載っていた。
1枚目の写真は掃除をしないで放置しておいたもの。
3年も掃除しないわりには、ずいぶんきれい。
うちなら3日でこの状態。
私が時々掃除をしても、うちの玄関はこれほどきれいではない。
2枚目の写真は掃除後。
ここにちゃぶ台置いて、ご飯食べても大丈夫なくらい、清潔になった。

もう何回も書いているけれど、私は非常にぼんやりしていて、自分の気が向くことだけしか気がつかない。
最近も毎日着ているダウンジャケットの汚れに、突然気が付いた。
袖口を見たら、テラテラ黒光りしている。
よく見るとホームレスも真っ青なくらい、汚い。
毎日近所の商店街に買い物に行くときに着ていたから、商店の人達は、私を近所の公園で寝泊まりしている人だと思っていたに違いない。
汚い物が好きなわけではないのでさっそく洗濯したら、あらまあ、気持ちの良いこと。
気がつけばちゃんと洗濯はするから、不潔なのが好きなわけではない。

掃除の名人から極意を授けてもらったけれど、なんでも一度に全部綺麗にしようとしないで毎日家の中の部分を少しずつ分けてするのが、いつでも綺麗になっているコツだそうなのだ。
それで私のところにも、掃除のスケジュールを管理出来るように、Googleのメールが送られてくるようになった。
何曜日はカーテンを洗う日、何曜日はシンクを磨くなどと。
これはすごい!
これで我が家はピッカピカ!

と、思ったら、私は自分が猫であることを忘れていた。
猫は、ちょっとカーテンが風に揺らいだら、そこでじゃれ始める。
シンクに水が流れると、排水口の流れが面白くて、チョイチョイと手を突っ込んでみたり。
結局全てが遊びの延長になるから、飽きればやめてしまう。
お風呂は、バスタブの中が綺麗なら、あとは野となれ山となれ。
台所もまな板と包丁が清潔なら、散らかっているのは気にならない。
というより、なにをどうしていいかわからない。

テレビでゴミ屋敷の映像を見ることがある。
私はあそこまでとは言わないけれど、かなりの散らかし屋。
母が無類の整頓好きだったので、実家は押し入れの奥まできちんと片づいていた。
箱に入れたものは外からわかる様に書き込みがあって、一目で取り出せる。
ところが、私は信じられないほどの無頓着。
それで時々正座させられて、整理整頓の蘊蓄を傾けられた。
押し入れをすっと開けると、縁がぴたりとそろった布団類、天袋の段ボール類もきちんと手前が揃っている。
蘊蓄を聞かされても猫の耳に念仏、人には向き不向きがある。
それでは何が向きなのかと訊かれれば、耳の後ろを掻いて誤魔化すしか無い。

引き合いに出して申し訳ないけれど、某有名美人ヴァイオリニストの家は、泥棒が入った部屋と入らなかった部屋の区別も付かないほどの散らかりようで、入らなかった方の部屋を覗いた警察官が「こりゃ、ひどい」と言ったそうな。
もちろん、この美人ヴァイオリニストは私ではありませんよ。
そんなこと分かってるって?
すると?アナタは私を美人ではないとお思いですか?
う~ん、アナタの視力はまだ大丈夫。

いつの日か、今ある物を全て放り出して部屋のリフォームをして、綺麗にゆったりと過ごしたいと思っているけれど、道は遠い。














2016年3月4日金曜日

あれっ!

昨日は、食欲もないのに体重が減らないと書いたけれど、今朝体重計にのったら、1キロ以上痩せていた。
昨日から今日の20時間ほどの間に?
体重計が急にやる気を出して働き始めたのか、それとも私が体重計の表示をよく見ていなかったのか。

体重の増減は、毎日の積み重ねがある日突然反映されることが多い。
昨日までは旧体重、今日からは新体重。
体重計よりも確実にいち早く変化を察知するのが、膝の痛み。

昨日の夕方散歩に出かけたときに、今日はばかに膝が痛くないなあと、足取りも軽く歩いてきた。
やはりその頃、体重がこっそり忍び足で私から抜出していったのだ。
ほんの1キロ強の体重の差で、ここまで変わるなら、体重管理は高齢者にとって必要不可欠。
膝が痛いから歩かないで御菓子ばかり食べていると、肥満地獄に陥る。
とても難しいけれど、毎日体重計に乗ることである程度管理できる。

それと水分の取り方。
私は家に居れば毎日白湯を飲む。
1日約1リットル湧かして、少し残すくらいが適量。
腎臓系が弱いので、それ以上飲むとむくみが出る。
そのかわり、汗を大量にかく夏には飲みたいだけ飲む。
冷水を朝、身体に指令を出すためにコップ一杯キュッと。
その他は、ペットボトルの水を飲む。
自分の水分摂取量がわかるから。

風邪をひいてから咳止めを多用していたために、だるくて起きられない。
寝るときにソックスを脱ぐと、踝にゴムの後がくっきりと残った。
それはむくみの証拠で、体調が良いと靴下の跡も残らない。

体重が減ったせいか、気分が良くなってきた。
咳止めを飲むのをやめられたので、身体の動きが軽い。
まだ全体にだるさはあるものの、少しずつ快方に向かう気配があった。
だんだん治り方が遅くなるようだけれど、これも全ての時間がゆっくりと動き始めたからだと捉えている。
歩くのも少し遅くなると良いけれど、歩くのだけは習い性で早い。
自分ではゆっくり歩き始めたつもりでも、気が付くとセカセカ早足になっている。
駅の階段を登るときは、前にいる人が邪魔。
なにも急ぐ必要の無いときまでこれでは。
そのかわり階段の下りは膝の痛みで、早く降りられない。
トータル、プラスマイナス0。

常に0の人生だったなあと思う。
子供の頃から虚弱だったので、両親は私に頑張らせなかった。
学校にも行きたくなければ行かなくて良いよ。
食べたくないものは食べなくて良いよ。
難しい事をするのはやめなさい。
人と競争するんじゃ無いよ。
たぶん私は人間の子供の内に、カウントされていなかった。
上に沢山兄弟がいてそこそこ出来が良いから、1人くらい変な子が居ても・・・なんて、いくらでも甘やかすことが出来た。
だから猫可愛がり。

それでやりたい放題。
宿題は最初からやらないと決めていた。
行く気のない日は学校に行かず、ボンヤリと雲や天井を見て一日中寝ている。
私は頑張らない子だったけれど、周りの人達が手を差し伸べてくれるから、人並み以上に幸せになれた。
自分の能力以上の世界に身を置くことができた。
周りの人達ががんばってくれるから、私も少しは期待に応えようとするものの、本人にパワーがないから尻切れトンボ。

だいたい猫に向上心なんてない。
考えるのは安穏と暖かい所で寝て、美味しい物を食べる、好きなときだけ人に甘える。
これ読んだ人達に殺されそうだから、あとは内緒話で。













2016年3月2日水曜日

食べてないのに

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風邪の名残の咳でなんとなく冴えない毎日なので、珍しく食欲も低下。さぞや体重も減ったことと体重計にのったら、最近の出来事で1番ショックだったことに、少しも体重が減っていなかった!う~ん、もう。
そろそろウエスト周りを締めないと、ドレスが入らない。
きついドレスを着るときには、楽屋でこんな状態でのたうちまわって着るはめになる。
上越市でのコンサートの時、油断して家で試着していかなかったドレスが、もう、ぜ~ったいに入らない。皆で背中のファスナーを上げてもらうのだけれど、どうしても閉まらない。
ついに、鋏で裏地をジョキジョキしてやっと入ったことがあって、その時以来、家で必ず
試着してから持っていくようになった。それもほんの数ヶ月の間に太ってしまったらしい。
ステージに出て行くときには、お腹を引っ込めて出るけれど、弾き終わると完全に油断してしまってお腹を引っ込めるのを忘れるから、帰りは出る時の1.5倍くらい太って見えると思う。嘘だと思うなら、双眼鏡ご持参でおいで下さい。
コンサートのそんな楽しみ方も・・アリかにゃ?

古典定期

もうすぐ「古典音楽協会」の定期演奏会です。
少し暖かくなってきました。
いつもの春の定期には上野公園の桜が咲いているのですが、今年は少し早めの日にちですので、桜はまだつぼみでしょう。
まだ2週間以上あるので、少しだけ咲いているかも知れません。
暖かい春の宵を、バロック音楽を聴いて公園をそぞろ歩きなんて言うのはいかがでしょうか。
我が家の前の桜並木は、まだ全く咲く気配はありません。開花宣言の時期は毎年いつ頃なのか、調べてみないと。
ポスターの写真がフライングで先に出てしまいましたが、これは手違い。パソコン操作の未熟ものゆえのおっとっとでした。


2016年3月1日火曜日

お母ちゃんと一緒

あんまり可愛いので猫サイト「ねこがいかん」から引っ張ってきた画像ですにゃ。

こうやって子供はお母さんのまねをして見様見真似でそだっていくのね。
この子は今お母ちゃんが何をしているのか分かっていない。
自分の手をなめても居ないし。
それに毎日お母ちゃんが綺麗にこの子をなめてあげてるのだから、汚れても居ない。
それでもお母ちゃんがなにか踊っているような格好をしているので、一緒に楽しんでいる。
可愛すぎて、もう、どうしましょう。