2016年3月18日金曜日

東京文化会館小ホール

いつも満員の盛況で、本当に感謝しています。
聴いて下さった方々に御礼申し上げます。

客席がガラガラだと寂しくて、ステージの上に居ないで客席に回りたくなる。
満員のお客様だと「よっしゃ!」と気合いが入る。
「よっしゃ」で思い出したけれど、仕事仲間たちとワイワイやっている時のはなし。
世界3大「シャ」はだ~れだ?
「シャのつく人?」

答え・・・ヤッシャ・ハイフェッツ
     ミッシャ・エルマン
     ヨッシャ・角栄?こんなヴァイオリニストいた?

ガクタイはこんな他愛もない冗談が好き。

さて、今回の定期演奏会のテーマは、共演が楽しい協奏曲。
トレッリの「2つのヴァイオリンの協奏曲」から始まった。
初っ端の音を出すのはnekotamaこと私。
その怖さはここ数ヶ月いつも頭の片隅から離れなかった。

満員の客席に向かって、たった1人で音を出す。
自分1人のリサイタルならそんなことは当たり前だが、合奏団の最初の音を自分が担っていると思うと、そのプレッシャーは相当なものだった。
コンサートの最初の音は、その後の印象にも影響すると思うので、本当に苦労する。
本番前の舞台での練習の時、空っぽの客席を見たら、いつもよりずっと小さく見えた。
よし、これはいける!
少し安心。

この最初の音のためにどれだけ苦労したことか。
楽譜は易しい。
ファーストポジションの1番響くA音から出るので、楽に音は出る。
普段ならなんともない音。
しかも1人でいるのはたった1小節。
すぐにもう一つのヴァイオリンが入ってくる。
その単純なことを、どれだけ楽しく聴かせられるかが勝負の為所。
反って複雑な難しい音型の方が易しい。
簡単な音型を、いかに印象的に出来るかが勝負。

私が中学生の頃、横浜県立音楽堂で聴いたレオニード・コーガンのプロコフィエフ「ソナタ2番」
最初の音で鳥肌がたった。
この世のものとは思えない美しさだった。
それ以来、最初の音がどれほど重要かと考えるようになった。
シェリングのバッハ・・・この最初の音も考えられないほどの衝撃だった。
わが「古典」で言えば、サントリーホールでのコンサート。
超満員で2000人に迫る聴衆の前での最初の音。
自画自賛かもしれないけれど、良かったような気がする。
私はあまりにも大勢のお客様で、嬉しくてたまらなかったので、張り切って音を出した。
ヒット!と思ったけれど、私の思い違いでないと嬉しい。

私はこれでしばらく古典のソロはないけれど、来年秋の定期公演でバッハ「ブランデンブルク協奏曲4番」のソロを受け持つ。
これはけっこうな難曲で、その時には複雑だから難しいと、泣き言を言うつもり。
人間はどこまでも、自己本位の展開をするかの見本。
要するにどんな曲でも私にとっては難しいのだ。
バッハのブランデン4番は非常に速いパッセージが続ので、練習の時にはどこまで限界に挑戦できるか、その楽しみがある。
聴いている仲間達はハラハラしているに違いない。
それでも私は走りたい。

この数年どんどん歳を重ね、歳相応の身体の変化もあって、いつまで弾けるのか見当もつかない。
それでも聴いてくださる人達がいる限り、私たちは頑張れる。

























0 件のコメント:

コメントを投稿