2012年11月30日金曜日

ギャラリーパーティー

今日はアート狂いの「雪雀連アートで遊ぼう展」のギャラリーパーティー。このグループには凄腕の料理上手がいて、プロ級の料理が食べられる。一人は故岡本忠成氏の奥様のさとこさん。彼女は御菓子造りの名人で、元々プロとして作っていた人。もう一人は織物作家の小形さん。うちのお花見の時も、いつも素晴らしい料理を持ってきてくれる。今日もカナッペの材料をすべてひとりで作って、持ってきてくれた。それを皆で手分けしてパンに塗って彩もきれいな大皿が3皿。それとさとこさんの手作りのマドレーヌと揚げた野菜、カレーを皮で包んで揚げたサモサなど。私はデパ地下でサラダを買ってごまかす。お酒の係りも私。ワインやビール、日本酒を酒屋から届けてもらった。グループのメンバーはそれぞれバリバリと仕事をしているだけあって、その手際の良さには目を見張る。2時に集まって準備を始め、3時半にはすっかり完了。4時前からパーティーが始まった。昨日までの閑古鳥が鳴いていたギャラリーは一転してにぎわって、私の絵の指導をしてくれた高木画伯、FUMIKOさん、ピアニストのSさん、音楽教室の生徒も来てくれた。思いがけないつながりで懐かしい顔もちらほら。小形さんの織物はいつも好評で、今回も作品の多くのマフラーがメンバーのクビに納まって、皆嬉しそうに帰っていった。私も一枚お買い上げ。赤に微妙な黒や青が混じっている素敵な物をゲット。初めから狙っていたのでうれしい。明日で作品展はおしまい。このグループのメンバーはとにかく良く遊ぶ。遊びとスキーの合間に仕事をしている。その仕事も高齢にもかかわらず第一線で活躍している人が多い。会長の山田さんは81歳でも、重い調律の道具を入れたカバンを持って、連日飛び回っている。私と言えば、人生遊びだけ。なぜならヴァイオリンを弾くのもずっと遊んでいたような気がする。楽しくて楽しくて緊張はするけれど、つらいなんて思ったことは一度もないもの。

2012年11月29日木曜日

室町ギャラリーの住所が違っています。

先日ご案内した「雪雀連アートで遊ぼう」展の室町ギャラリーの住所が違っておりました。今日行った人が迷っていかれなかったそうです。もし、今までにそういう方がいらっしゃいましたらお詫び申し上げます。お詫びに一献差し上げますので、明日のパーティーにぜひいらっしゃってください。本当の住所は
中央区日本橋室町1-13-10松崎ビル1階です。

日本橋三越のライオンを背中にしてまっすぐお進みください。2本目の細い道を右に行くとすぐに右側にあります。目立たないビルなので気を付けてごらんください。そのあたり一帯が大工事中で目印は全てなくなっています。明日16時からパーティーです。ご参加お待ちしております。

ミッケのお父さん

迷い猫チャアといつも一緒に餌を食べにくる三毛猫のミッケ。耳の先が切れているから不妊手術もすんでいるようだし、毛並みもとてもきれいなので、どこかの飼い猫だとは思っていたけれど、態度が野良猫っぽいので不思議に思っていた。夜中、近所の目を気にしながらこっそりと温めたカイロを持って駐車場に行くと、不審な人影が・・・。思わず身構えると振り向いた顔は気のよさそうな優しげな男性だった。「あのう、ここに来ている三毛猫ですが、2年くらい前からじゃないですか」「そうですね、去年ここに住み着いたノラと一緒によく来ていました」「実は家で飼っていた猫なんですよ」その人はボソボソと語り始めた。「3匹生まれて後の二匹はもらわれて、一匹だけ残ったので家から出さずに飼っていたけれど、毎朝茶トラのノラが来て誘うんです。(あ、それうちのノラだ)あんまり出たがるからつい出してやったら、はじめのうちは夕方になると戻ってきたので安心していたのです。でも、友達がいなくてさびしいからかと思って、他に2匹の猫を飼いはじめたら折り合いが悪くなって、そのうち帰ってこなくなったんです。茶トラのノラと楽しそうに仲良くしているのを時々見かけるので元気なんだと思っていました。たまには帰って来るので家にいれても又すぐに出て行ってしまうんです。前は私の布団で娘と一緒に寝ていたのに。そのうちほんとに帰ってこなくなったので交通事故にでも遭ったかと思っていました。ここで見つけた時は呼ぶと足元にまとわりついてきたんです。でも、体にさわるとフーッと威嚇するようになって、そのうち近寄っても逃げてしまうようになって。よほどどこかでいじめられでもしたんでしょう。」その人はしばらく猫小屋の暗闇を見つめてさびしそうに帰っていった。しかし、体にさわると怒るからと言って諦めないで、自分の猫なら無理にでもだっこして連れ帰ってくれればいいのにと、私は腹立たしい。なんで私が夜中に寒さに震えながらカイロの交換せにゃならんの。たぶん三毛はそんな飼い主を見限ったのだろう。だって、だんだん私には接近しはじめたから。うちの猫がもう一匹増えるのも時間の問題かもしれない。お父さん、しっかりしてね。

2012年11月28日水曜日

ニッセイバックステージ賞授賞式

昨日は雪雀連会長の山田宏氏が受賞したバックステージ賞の授賞式と記念パーティーが行われた。日生劇場のステージの上に受賞者も招待者も集まって、和気あいあいの式典となった。一人は舞扇の製作一筋、今年83歳の福井四郎氏。もう一人が我が山田会長。山田会長は東京下町育ち。福井氏は京都の人。対照的なお二人ではあるけれど、お二人に共通なのは若々しさ。そしていつも初心を忘れない謙虚さ。福井さんのスピーチで「まだまだ自分は満足はいかないので、これからも精進したい」というようなことをおっしゃっていたのが印象的だった。常套句であるかもしれないけれど、誠実そうなその風貌から本心での言葉と聞こえた。はんなりとした京都弁の福井さんとは対照的に、歯切れのいい江戸っ子口調で話す山田会長は、話術の天才でもあるので、会場は何回もどっと沸いた。大喜びで笑っているのは「雪雀連」のメンバーが主だと思うけれど、そのなかで文化庁から派遣されたお役人のいかにもお義理と言ったスピーチのつまらなさにはがっかりする。かれらは誰が受賞しようとまったく関係ないとは思うけれど、受賞の喜びを少しでも分かち合えないかと思う。自分は上から言われたから来てやっているので・・・的な態度はがっかり。ユーモアもウイットもない言葉は文化庁の文化の程度が低いことを表していないだろうか。いやしくも文化と名の付く仕事をしているなら、言葉も態度もそれなりのセンスがあってもいいものを。山田会長の経歴を見ると、普段は偉いおじさんくらいに思っていたけれど、名ピアニスト達の調律をしているのだ。ルビンシュタインなどという名前が出てきたのには腰を抜かしそうになった。ピアノの神様だあ。すごい!会長がいるだけで皆心が和み、演奏する前の緊張が和らぐのではないか、そういう人なのです。そのあとの祝賀パーティーには狭いお店に85人ほどひしめき合って、私たちの演奏する弦楽四重奏から始まった。挨拶も最小限であとは大いに語り合って、いつもの「雪雀連」のお祝いはお開きとなった。おめでとうございます。山田さん。

2012年11月26日月曜日

ギャラリーは閑古鳥

いよいよ雪雀連のメンバーによる作品展が始まった。今日の午後は私がギャラリーに詰める当番だったので、雨の中、よろよろと出かけた。冷たい雨はだんだん強くなって、世の中真っ暗みたいな嫌なお天気。こんな寒い日にわざわざ見に来て頂くのは恐縮だけど、物好きな身内がいて「はい、差し入れ」なんか言ってあったかいコーヒーなどが運ばれてこないかなあと妄想していたけれど、あいにく誰も来ない。そうだよね。素晴らしい作品がならんでいるならいざ知らず、私の猫の絵がいるようでは。でもね、搬入に立ち合わなかったので知らなかったが、保坂純子さんの素晴らしい人形が真っ先に目に飛び込んできた。買えば何十万もする大御所の力作が異彩を放っていた。その隣は童話作家の田畑精一さんの絵本の原画。彼の作品の「おしいれのぼうけん」は数多くの根強いファンがいるという。又隣にはNHKのマスコットキャラクターのどーも君がある。これは安彦よしこさんの作品。息子の岳ちゃんは生まれた時からの生粋の「雪雀連」っ子。真正面に展示されているのはアニメ映画の監督、故岡本忠成氏の油絵。だんだん下がって私の描いた白猫の絵。みなさん褒めてくれるが、私は絵を見る目があるから、やっつけ仕事はすぐ見抜く。これは時間をかけないで適当に描いた見本のような作品。色はきれいだから、ぱっと見にはインパクトがあるけれど、よく見れば基本の音階も弾けないでパガニーニを弾くようなもの。以後、絵を描くのはご遠慮しよう。それにしても退屈。閉店30分前頃、一人の男性が入ってきた。飛んで行ってお出迎え。しかし、その人は恐縮した様子で「あのう、何々画廊はどこでしょうか」なに!道を訊きに?誰がしるもんか、と思ったら一緒の当番のさとやんが親切に教えてあげている。お礼に一回り見るくらいの事はさせようと「どうぞ、ご覧になって行ってください」と招き入れようとしたら、「いやあ、もうすぐお終いで、今日はパーティーがあるので」と言ってそそくさと出て行ってしまった。けち!一回りしたって1分とかからないのに。

2012年11月25日日曜日

怠け者のすすめ

去年の今頃、私はひどい股関節痛に伴う足のしびれや歩行困難に悩まされていた。ちょうどロンドンアンサンブルが例年通り日本に来て、その送り迎えや練習のお世話をするはずが、立っていることも座っているのも苦痛だった。その間演奏する時も立てないと思って、椅子を用意してもらったこともあった。結局はうまくしたもので、本番になると火事場の馬鹿力が働いて立って弾けるとういう奇跡が起きる。そのほかの時には、寝ていても足のしびれが起きて大変つらかった。なぜそのようなことになったのか。様々な健康法が人口に膾炙しているが、中でもウオーキングは誰でもが推奨する。1日1万歩は歩くようにしなければならない・・・。所が私の年齢では、もはや1万歩は過剰な運動であるようだ。私の友人が律儀に毎日行った結果体調を崩した。私も去年体力作りのために歩きすぎて、前述の股関節痛になってしまった。治るのに半年ほどかかってしまい、その間の不自由だったこと。そして歩くのをやめ、ろくに運動をしなくなった昨今、非常に調子がいい。まず、ひざの痛みが消え、腰痛が治り、もちろん股関節は完治、体も柔らかさを取り戻した。なんであんなに頑張ったのか。より良い演奏をしたいがためだったけれど、逆に疲労が蓄積して、それでもなお頑張ったためだと深く反省して、それ以来したくない運動はしないことにしている。最近テレビでは様々な健康法が紹介され、何をどのくらい食べて、なにを呑んで、どんな運動をして・・・・。あーあ、大変。それより自分が気の付いた時にほんの少し運動した方が良い。義務で行うとその間つまらない時間を消費しなければばらばい、最近すっかり運動もやめ、ウオーキングもやめ、重い荷物も持たないようにしている。

関東学院大学管弦楽団定期演奏会

第8回目の定期演奏会。
ベートーヴェン「コリオラン序曲」
ビゼー「カルメン」より  
ブラームス「交響曲第1番
指揮 は安東先生、メゾソプラノ独唱は安東先生の奥様

去年トレーナーの新谷先生から、今度ブラームスの1番だからお願いしますねと言われた時には、えっ、本当にやるの?と驚いたけれど、今日は学生たちの底力を見せつけられた思いがする。なぜかと言えば、関東学院のオーケストラは出来てからまだ日が浅い、ようやく8年目になったばかり。そして今回のコンサートミストレスはヴァイオリンを初めて2年目のおじょうさん。あのソロを弾くのは並大抵ではない。大勢の中で美しく豊かに歌い上げるのは、プロのコンマスでも相当なプレッシャーとなる。大丈夫なのだろうか。しかし1年間コツコツと積み上げた練習が花開いて、立派にやり遂げた学生たちに拍手を送りたい。何よりもここの学校に来て学生たちの礼儀正しさ、明るさと誠実さに感心する。校風なのかもしれないし、特にオーケストラに限ったことではないのかもしれない。穏やかで思いやりのある人たちは社会に出てもきっとうまく周りと協調していけると思う。それがオーケストラに生かされている。特に飛び抜けて上手いと言うわけでなくても全体がまとまることが重要だから。一年に一回、ここの学生たちに会うのが楽しみになっている。来年はチャイコフスキーの5番だそうで、もう私も心配はしない。きっと又熱演を聴かせてくれるに違いない。惜しいことにこちらがどんどん年を取って指が回らなくなることだけが心配の種です。

2012年11月23日金曜日

してやったり

かつて長いこと帝国ホテルの結婚式の披露宴で演奏する仕事をしていた。どの宴会も退屈で長ったらしく、新郎新婦そっちのけの政略結婚のような感じがしていたので、実は今日の披露宴も、もしかしたらそうなるかと危惧していた。友人の息子さんの披露宴。友人は先日イギリス旅行を一緒に楽しんだ美里さん。ご主人はある種の家元というか、江戸時代から同じ職種を代々受け継いでいる家系なので、その息子さんもいずれはその家業を継ぐことになる。結婚の披露と後継者としての息子さんを紹介する意味合いもあるパーティーだから、招待客も政財界の人が多い。なんと350人を超えるゲストが集まった。そんなわけでどちらかと言うと長いスピーチとか、新郎新婦に全く関係のない話が延々続くことを予想していたのが、うれしいことに予想ははずれた。始めのうちに元総理大臣が挨拶を済ますと、あとは余計なスピーチもパフォーマンスもなくて、テーブルに同席した人たちとゆっくりお話とお食事が出来るよう配慮されていた。食事は本当に美味しかったけれど、帝国ホテル一番のお勧めのローストビーフはあまりにもコクがありすぎて、粗食に馴れた舌には負担が大きすぎた。口に入れるととろけるような食感は逸品と言えるのだが、もういけません。半分以上残してしまった。恨めしい、これ以上こんな上等なものは胃がうけつけない。涙を呑んでお皿を下げてもらった。デザートの頃に新郎とその友人たちが演奏を始めた。彼らは慶応のワグネルソサエティーの卒業生で私の元生徒も交えて弦楽合奏を披露した。慶応のオーケストラは実に上手い。そのなかでも新郎はソリストとしてブルッフのコンチェルトを弾いたくらいの腕前を持っている。先日美里さんから昔の写真をもらった。それは新郎が赤ちゃんの時に私が抱っこしているもの。その赤ちゃんがこんなに立派になって警視庁のサツ周りをする新聞記者として活躍している。新婦はJRの幹部候補生として現場研修の最中で、なんと中央線の女性運転手をしているそうだ。一度その勇姿を見てみたい。和気あいあいのうちにお開きとなって、ほのぼのとした気分で帰ってきた。大騒ぎだった私のドレスも、今日のためにがべさんというアクセサリー製作者に作ってもらったネックレスも大好評。周囲のいわゆるフォーマルドレスの美しいけれど没個性的な中で、森英恵のドレスをちょん切ったものと、安いけれどオリジナルのアクセサリーで、してやったりだね。

2012年11月20日火曜日

充電式カイロ

うちのパソコンの変換は本当に変。「じゅうでんしき」と入れたら普通なら「充電式」と出るでしょうが。それが「充電指揮」と出た。いちいちとんでもない変換と付き合うので、すっかり忍耐強くなりました(うそ。ますます短気になっている)
さて、野良猫たちの寒さ対策に去年までは電子レンジで暖めるカイロを使っていた。袋の中身はジェルで、それを暖めるとしばらくは暖かいけれど、せいぜい5時間も持てばいいほう。寒い物置ではたぶん3時間くらいで冷えてしまうと思う。いろいろ探していたら、充電指揮の(ほら、又)カイロと言うのを見つけた。電子レンジで暖めるものは、去年袋が破れて熱くなったジェルがこぼれ、足を大やけどしたので、今年は違うものをと思って早速購入。(「ちがう」を変換したら「地がう」だって。どんな意味?)しかし、これは全くの役立たずだった。要するに充電して暖めるのは中に入れたお水だったのだ。お湯が寒い戸外で暖かいのはせいぜい1時間保ったらいいほう。タオルにくるんでもすぐ冷たくなってしまう。冷たくなるのは気温にあわせてどんどん冷えるから、3,4時間後に行って見ると、もう役に立たない。裏の方がかすかに暖かいだけ。だからジェル方式の物の下に入れて両方で暖めあえば少しは長持ちするかと思っているが、それだってどれほどのものか。逆にジェルの熱を奪ってしまうかもしれない。充電指揮(ほら、これだ)のストーブがあれば良いと思って探したけれど、それは見当たらない。結局石油ストーブが一番いいけれど、人気のないところでは火事の心配があるから、それもだめ。野良猫は警戒心が強くて人に馴れないから、うちに入れられない。又悩みが増える冬になってしまった。それにしても充電指揮というのはどんな指揮なのかしら。途中でへたばった指揮者に充電すると又元気に指揮をはじめるとか・・・。ロボットか!

2012年11月18日日曜日

しもたかフィル定期演奏会

シューベルト「ロザムンデ」
ヘンデル「水上の音楽」
ベートーヴェン「シンフォニー7番」


ヴィオリストの東義直氏率いるところの下高井戸の住人で結成されたしもたかフィル。地元の小学校を拠点にして、練習やコンサートをやってきた。そして毎年一回、代々木のオリンピック記念青少年ホールでの定期演奏会が開催される。それにしてもアマチュアといえども、オーケストラを運営することは並大抵のことではない。演奏のことはもとより、楽譜、練習場所の確保、主に地元の小学校であってもいろいろ気を使うことが多いと思う。団員の確保や連絡、費用のことなど、それを請け負っているのが奥様のの志保さん。すべてのことを楽しそうにこなしていく。「こういうことが好きなんです」と笑いながら、どんなことにも笑顔を絶やさない。すぐに飽きてしまう私などは到底できるものではない。彼女は優れたヴァイオリン奏者なのに、ここでは裏方に徹している。その代わりお弟子さんを育てて、演奏に加わらせている。10歳くらいのかわいいお嬢さんが堂々とベートーヴェンのシンフォニーを弾く。大人はとてもかなわない。全部頭の中に入っているらしく、少しも間違えない。冷静沈着、将来が楽しみです。そうかと思うとリタイア後の楽しみに悠々と弾く人や、音大の学生さんが勉強のためになど、さまざまであるけれど、皆心から楽しんで弾いているのがうらやましい。広いホールにお客さんが少ないのが残念だけど、初めて行ったころに比べ、格段の進歩。初めは人数もいない、技術も足りない、がちゃがちゃだったものがどんどん良くなっていく。これがアマチュアオケを育てる楽しみなのだろう。今日の水上の音楽は普通ホルンが吹くところをトロンボーンで吹いたり、アマチュアならでのメンバーの不足を補って、自由に演奏できるのが強み。ピアニストがティンパニをたたいていた。私もヴァイオリンが弾けなくなったらいす運びでもしよう。東さんのおおらかな性格が反映して、明るいいいオーケストラになっている。

2012年11月17日土曜日

又々野良猫

駐車場に野良猫が棲みついた。今度はメスが二匹。一匹は去年居なくなってしまったノラの友猫の三毛。名前はミッケ、これは私の命名だけど。そして最近棲みついたのはちゃの、またはちゃあ。近所の電信柱に尋ね猫の張り紙がしてあって、その猫にそっくりなので飼い主に連絡したところ、違うねこだったので飼い主も私もがっかりしたと言ういきさつがある。おびえて車の下から出てこないので中々確認ができず、その人は3日間も通ってきてやっと猫違いだと言うことが判明した。いなくなってたった4ヶ月しか経っていないので、もし本猫なら飼い主を忘れはしないから寄ってこないのは違うとは思ったが、あきらめきれない飼い主はせっせと通ってきた。きれいなスーツ姿なのに、ストッキングが破けるのも気にせず、ひざをついて車の下を覗き込んでいた。一度だけはっきりと陽ざしの中で確認して、やっと諦めた。その時の呼び名が「ちゃの」だったから、そのまま名前をいただいた。初めからノラではなかったようで、引っ越しでおいて行かれたか、何かの拍子に帰り道がわからなくなったか事情は様々とは思うが、可愛がられていたものが急に世間に放り出されたらさぞ辛かろうと、同情してしまう。この冬の寒さが応えるのではないかと心配して、充電式の湯たんぽを購入した。ミッケとちゃの二匹分で二つ。ちゃのは初め、ミッケがそばに寄るのを嫌がっていたけれど、この朝晩の冷え込みでようやく二匹でいる方が暖かいと思ったらしく、最近は物置に入れてある猫用ベッドで仲良く寝ているようだ。朝ご飯を持って行って声をかけると二匹でのそりとでてくる。ミッケは根っからのノラらしい。絶対に人に馴れない。ちゃのはこの頃では私を見ると尻尾を立てるようになった。そろそろ手なずけてうちに入れれば心配が少なくてすむのに。悩みの種は尽きない。

2012年11月15日木曜日

マーラー 交響曲5番

来年の出演依頼の曲の中にマーラーの5番があって、しばらくぶりにCDを聴いていたらふと蘇った記憶。そうだ、この曲は私がオーケストラを退団する最後のステージで弾いた曲だった。長い曲だから途中でトイレに行きたくなるといけないと言って、水絶ちをしたっけ。なんて色気のないことまで思い出した。しかし、聴いているうちにさらに思い出した。最後の拍手が消えて、さて、袖に戻ろうと後ろを振り返ったら、後ろのメンバーがみんな私のために泣いていた。私は団の運営に不満があって、それでやめると啖呵を切ったからサバサバした気持ちだったのに、若い人たちが泣いて惜しんでくれた。それを見たらどっとこみあげるものがあって、袖に引っ込んだら大きな花束を渡されて、女の子たちがワッと泣いたのには、こちらも参った。泣いてやめる気などさらさらなかったのに、悔しいかな泣いてしまった。それを思い出してしまったら、CDが鳴っている間中うるうるした。マーラーは最高。いつ聞いても胸が熱くなる。そして5番のアダージオは映画「ベニスに死す」で使われた。あの美しくも奇怪な映画は忘れられない。醜く化粧が剥げて老醜をさらした主人公が死ぬ場面が目の当たりに蘇る。しかし、それにしても長い。アダージオ以外は途中から聴いたら何楽章だか・・・判る人にはわかるけど、私は自信がない。3楽章が3拍子だからわかるとしても、こう言ったらマーラーフリークに叱られる。指揮者の故朝比奈隆氏はマーラーが大好きで、練習の時に練習番号Gからと言うときには必ず「グスタフのGから」とおっしゃった。もちろんグスタフ・マーラーの名前の頭文字。練習の前は約一時間様々なお話をしてからやっと音出し。その間じっと楽器を抱えて神妙に聴いていなければならない。早く弾きたいのにーと内心イラついたが、今思うともっとちゃんとお話を聞いておけばよかった。今ではもう遅いけれど。聞いているふりをしてひそかに指練習をしたり、ごめんなさい朝比奈先生。晩年は手がどうしても遅くなって、皆がそれに合わせて遅くなると「僕を見ないでよー。どんどん弾いて」とおっしゃったのを懐かしく思い出す。マーラーが愛されるのは、心の琴線を情け容赦なくかき回す、これでもかと言うほどの情熱、もう勘弁してほしいと思うほどの感情の嵐。そして天国のような静謐。ああ、うれしい。この曲が又弾ける。

2012年11月14日水曜日

虎馬

子供の頃は絵を描くのが好きで、よく描いていた。それが小学校6年生の時のある同級生のせいで、ぱったり描かなくなってしまったのには理由がある。夏休みの宿題のお絵かき、提出したのはうちにあったやかんの絵。子供にしては渋い色合いで、陰も細い筆で細かくつけて、ちょっと見には日本画のような質感。全体がモノトーンでまとめてある、そんな絵だった。まあ、子供らしくないと言えばそうなのだが、本人が子供らしいところの全くない子供だったから、どうしようもない。それが先生の目に留まって教室に張り出された。父兄参観の日、同級生の母親がそれを見て言ったそうだ。「あれは絶対に大人が描いた絵だから、きっとおかあさんが描いたのよ」と。その同級生が意地悪そうな顔をして「うちのお母さんがそういってたわよ」と言った。うちの親は6人兄弟の末っ子の私には無関心で、学校の成績がどうであれ健康で幸せそうにしていればいいと言う人たちだったから、夏休みの宿題をしてもしなくても構わないと言うおおらかさだった。だからお絵かきを手伝おうという気などさらさらない。できなければ出さなくていいよなどと平気で言うくらい。その時私はむっとして「絶対に手伝ってもらってない。全部自分で描いたのよ」と主張したらその子はねちねちとした口調で「いいのよ、手伝ってもらったって、かまわないのよ。」濡れ衣とはまさにこのこと。いまだにその子の顔と声を思い出してむっとする。何回も弁解をしてもその調子だったから、それ以来そのことがトラウマとなって絵を描くのはきらいになってしまった。やっと呪縛が解けて今回の展覧会の出品となった。やっと大人になったのか、それともそれ以前の子供の昔に帰ったのか、自分でもわからないけれど。

2012年11月13日火曜日

雪雀連カルテット

雪雀連には私の音楽仲間もいつの間にか参加するようになったので、いざと言うときにカルテットが組める。今回の山田会長のバックステージ賞の受賞記念パーティーに演奏することになって、今日楽器を持って集まった。山田会長はとりわけモーツァルトがお好きなので、すべてモーツァルトのカルテットと歌で組んで、練習は軽く済ませると、不思議なことにあっという間に我が家が宴会場になってしまった。なんのことはない、私が仕組んだのだけど。女性が多いからワインをほんの一本開けて、あらかじめ用意してあったつまみの大皿を囲んで楽しい語らい。こうやって毎日日記のように投稿していると、いかに自分が人生楽しんでいるか良くわかる。長年の友人と音楽に囲まれた幸せな毎日・・・・と思うでしょう?ところがなんです、この先地獄のような二か月が待ち構えているのです。あちらこちらに仕分けされて出番を待っている楽譜たち。オーケストラの曲が10曲。しかもブラームス、マーラーなどの手ごわい曲が。そして、ロンドンアンサンブルのヴィオラパートが滅法難しい。その上あと2回、ソロやらトリオやらが目白押し。怠け者の私はその楽譜の山を見ては悶絶しそうになる。優先順位をつけて練習しはじめても、はたしてこれをさらいきれるのか、間に合うのか。しかし、いつも終わってみれば、難しかったけど楽しかったなあ、と思う。特に新しい曲で難しければ難しいほど、舌なめずりをして手にツバをつけ、ヨッシャという気になるのは一種の病気かもしれない。しかし、もう若くはない。ほどほどにしておかないと今にひどいしっぺ返しが来て体が病気にならないようにしようと思っているのだが、中々これがねえ、やめられないのです。

2012年11月12日月曜日

小田部ひろのさんを偲んで

世田谷のOさんの家に集まった。命日の10月21日に少し遅れたけれど、十数人午後からちらほらと自分の都合の良い時間に来ては奥様の手料理を戴いてお酒を飲んだ。こんなことが小田部さんは大好きだった。いつも老若男女を問わず小田部さんの周りに人がいて、楽しい輪ができあがる・・・そんな人だった。溢れるようにアイディアがわいて、そのたびに少し鼻にかかったような声で「ねえ、先生こんなことはできるかしら」と相談を持ちかけられた。それがルフォスタの立ち上げだったり、西湘フィルの創立だったり、ここ一番と言うときに引っ張り出されて「しょうがないわねえ」とぼやきながらも、つい手伝ってしまわされるようなところが彼女にはあった。美しくチャーミングで頭が良くて少し頑固で、私とは本気で喧嘩をしたのに、どちらからも訣別という選択は出なかった。私もこんなによく喧嘩をしたのは彼女以外にはいない。ぶつかり合いながらも、ガンの末期になって足が痛い彼女を渋谷の教室に迎えに行ったり、息を引き取る間際枕元で旅立ちを見送ったり・・・。本気で喧嘩できたからこその身近な存在だった。ガンの痛みに耐えながら一緒に旅に出て、カッパドキアで熱気球に乗って並んで夜明けの空を見ながら「天国ってこんなところかしら」と話し合った、その天国へ行ってしまった小田部さん。すでに7年くらい前に乳がんの手術をした時に、リンパ節への転移が見られ、でも腕が上がらなくなってクラリネットが吹けなくなってはいけないと言って切除を拒んだ。覚悟の上での選択だった。ずっと死と向かい合いながら、私とほかの2人くらいしか、そのことを知らなかった。最後まで楽観的で、最後の最後まで人のために奔走して、まだまだ彼女の存在は私たちの中で消えてはいない。皆でお酒を飲みながら笑って語り合っている傍で、何時も座って一緒に笑っているような気がする。

2012年11月11日日曜日

雪雀連アート狂い

(室町ギャラリーの住所が違っています。本当の住所は中央区日本橋室町1-13-10松崎ビル1階です。ごめんなさい。それとあたり一帯大工事中で、目印が全部なくなっています。三越日本橋店のライオンを背中にしてまっすぐお進みください。2本目の道を右折すると右側にあります。目立たないビルなのでお気を付けください。)

元々はスキーと麻雀をこよなく愛する人たちの集まりだった雪雀連は、だんだんその幅を広げ始めて、毎年の忘年会コンサートは大盛況。会場にこだまする阿鼻叫喚は耳も目もそむけたくなるような・・・そんなことは無くて、毎年みなさん腕や喉をあげていく。今年はついに美術の世界にまで、どかどかと土足で乗り込もうと言うことになった。もっとも、メンバーの大半は舞台や映画、美術の世界の人たちだから、私のような素人は少ない。なんでも首を突っ込みたくなるので、これは一人指を咥えて見ているのは癪だからと私も参加の名乗りを上げた。しかし参加表明してから、さて、困った。本当に小学校以来絵は描いていない。中学では美術は専攻した記憶もない。絵具もキャンバスも、一番困ったのは技術もない。そこでヴィオラ奏者のFUMIKOさんの親友Nさんに一日先生になってもらうようにお願いした。Nさんは美術の先生で作品も多く、何よりもその絵が私は好きだから。10月のある日、御宅にお邪魔して延々6時間、このおしゃべりな私がすっかり無口になって制作にいそしんだ。絵筆の使い方や色の混ぜ方、重ねて行く方法など細かく教わりながら、やっと描きあげた。額も自分で選んで注文してもらった。薄緑と金色の額に納まった作品を見ると、見違えるように思える。馬子にも衣装とはよく言ったものだ。そして、このド素人の私の画壇デビューが銀座ですぞ。もうこの先描く気力もないから、生涯にたった一枚描いた天才女流画家の作品は、その死後高値を呼ぶことでしょう。チンパンジーの絵だって売れるご時世なのだから。買っておいて損はありません。どなたかいかがでしょうか。とにかくおいでになるならパーティーにあわせていらっしゃいませ。お待ちしております。

2012年11月10日土曜日

自家製フォーマルドレス

知人の披露宴に出るためにドレス探しに余念がなかったが、ついに見つからず。10月に入ってから数軒のデパートや専門店を回っても、どれも気に入らない。だいたいフォーマルドレスなるもの、どこへ行ってもほとんど変わり映えしない。もっと個性的なものをと思って、ブランド物のコーナーにも行ってみるが、すべて気に入らない。そもそも披露宴に禁忌はあるのかと売り場のベテラン店員に訊いたら、座ってひざが隠れる丈、露出を少なく、それ以外は有りませんとのこと。それならもっと奇抜でも構わないかと、有名デザイナーの店を覗いてもめぼしい物は無い。そのくせ、普段コンサートに行くときなどによさそうなものが目につくと必ず買ってしまうので、だんだん家計も逼迫してきた。今回なんの気なしに買ったベルベットの上着。これに薄物のスカートを組み合わせてみたらどうかしら。はるか昔の森英恵のドレスが押し入れに眠っている。太ったので着られなくなったのだ。上半身はベルベットの黒、スカートは絹の黒地に鮮やかなブルーで大きく染めてある大胆な物。それを手に取って眺めているうちにアイディアがわいた。やおら鋏を取り出してジョキジョキとスカートを切り離す。ロング丈だからかなりの長さがあるので、ウエスト部分をベルベットでパイピングして、そこに肩ひもをつけてワンピースにしてしまった。床上30センチくらいのカワイらしいワンピースの出来あがり。そのウエスト付近を幅広のカラーゴムバンドでシェイプする。その上からベルベットの上着を羽織ると、なんと、ステキな個性的な衣装となった。スカートは上質のものだから、ブルーの色も鮮やか。これならハイソな奥様方のお金のかかった衣装にも負けないほどのインパクトがある。見栄をはりに行くのかと自問自答したら答えは「その通り」。みすぼらしい思いをするのはいや。それに合わせてシルバーとシャンパンゴールドのコンビのハイヒールを買う。さてネックレスは・・これもどこへ行っても面白くない。なら作ってもらおう・・と言うわけで注文して、只今制作中。フォーマルウエア一着分で靴とアクセサリーを買っても沢山おつりがくる。私はなんてつつましいのかしら。でも、その前にさんざん買い物をしたのを思い出すと、ギャーッと叫びだしたくなる。

2012年11月9日金曜日

岩崎淑 Music in Style

ピアニストの岩崎淑さんはの主宰するシリーズは36回目。今夜は「バリトンと室内楽の夕べ」と題して東京文化会館小ホールで開催。バリトンの河野克典さん、若手のヴァイオリニストの島田真千子さん、チェロの堀沙也香さんとの共演だった。
シューベルトの歌曲 楽に寄す 鱒など。
ベートーヴェンはアデライーデ 君を愛すなど。
それからスコットランド民謡集

私は故フィッシャー・ディスカーの大ファンだった。子供の頃から毎日学校から帰るとまずモーツァルトのシンフォニー40番を聴く。それが終わるとマーラーの「なき子を忍ぶ歌」を聴くのが習慣だった。フィッシャー・ディスカウは私にとっては音楽の神様。訃報を聞いた時には、心底がっかりした。モーツァルトの歌曲はヴンダ―リッヒを良く聴いていた。とにかく歌が好きで、とりわけこの二人には惚れ込んでいたから、車の運転時にもテープを回していた。もちろんベートーヴェンの歌曲も好きだったから、今日のプログラムはほとんどが私がいつも聴いていた曲ばかり。

後半は委嘱作品の青山政憲作曲「夢幻歌」-夢の中の設計図ー谷川俊太郎詩            
ベートーヴェンのピアノトリオ10番
同じベートーヴェン「連作歌曲集」

バリトンの高橋さんは素晴らしい歌手で声の出し方、音程の正確さ、どこも非のつけようがないけれど、フィッシャー・ディスカーとどこが違うのか考えた。殆ど完璧なのに何かが違う。そして気が付いたのは、日本人の発音はやはり少し浅いのではないかと思った。声にもっと夾雑物が混じってもいいのではないか。日本語の発音は平明で、少し深みが足りない。むしろ東北弁などの方があちらの発音に近いのではないか。青山作品は非常に美しく、絵で言えば水彩画と水墨画を行ったり来たりするような。現実と夢の交差したいつまでもその中に浸っていたいような、不思議な魅力をたたえていた。ヴァイオリンとチェロの二人のこの曲に対する集中も見事だった。

今日のコンサートに誘ってくれたのは東京ゾりステンで一緒に弾いていた吉川さん。彼女はイタリアと日本を行き来して演奏をしている。パワフルでチャーミングな女性で、私とはながーいお付き合い。会場に行く前にイタリアンレストランで軽くワインを飲んで、おしゃべりをして楽しんだ。

今日の淑さんの衣装の素敵だったこと!ローズピンクで、たぶんイタリアのシエナのデザイナーのものらしい。どうしてヨーロッパのデザインはこんなに素敵なのかしら。デコルテのカットの粋なこと。そして何よりも素晴らしいアンサンブルのセンス。本当に楽しいの一言に尽きるコンサートだった。

2012年11月7日水曜日

ジュリアーノ・カルミニョーラ リサイタル

トッパンホール、ピアノフォルテは矢野泰世、全部モーツァルトプロ。                                                 最近少し心が傷ついて、ほんのかすり傷だと思っていたら、日を追うごとに傷口が深くなってしまった。しばらくすると胃のあたりにどす黒い塊のように悲しさがトグロをまいて居座って、毎日涙目で過ごしていたら何が幸いするかわからないもので、お蔭でドライアイが治った。「人間万事塞翁が馬」ですねえ。元気のないのを心配した友人が今日のコンサートの前に食事しようよと誘ってくれて、そのあとは至福のモーツァルトプロ。モーツァルトは最高のお医者さんでした。カルミニョーラは長身のため、ヴァイオリンがおもちゃのように見えるほど。バロックヴァイオリンを用いての演奏。初めのうちは力みもあるし、会場も音に反応していない部分もあったけれど、2部に入ると会場もヴァイオリンもピアノフォルテも混然一体。モダン楽器では出せない柔らかい音色、それなのに切れの良い音の立ち上がり、。何よりも見事なピアノフォルテとのアンサンブル。難しいパッセージを目にもとまらぬ速さで弾いてのけた。現代のピアノではキーが少し重くなるのかしら。こんな速さで弾けるのはキーが軽いから?よく知らないがお見事でした。始めのうちはこんなに力むならモダン楽器で弾けばいいのにと悪口を言ったが、力みが抜けると古楽器の良さが前面に出てきて、あのちょっと湿ったたような、それでいて余韻の残る音が魅力的だった。            しばらく休んでいたら皆さんからメールを戴いたり、アクセス数も何人もあって励まされました。又書きたいこともありますので今後ともご愛読よろしくお願いします。たった1週間ほど休んでいただけなのに、心配してくださった皆様ありがとうございました。