2018年12月30日日曜日

消えた成城石井

謎である。

最近隣の町は、住みたい街の上位にかならずランクされるほどの発展を遂げた。
最初のうちは人口の増加に街の整備が間に合わない風で、行ってもさして面白い街とは思わなかった。
腕の悪い美容外科やたいして目新しいものがないスーパーマーケット。
元が焼き肉とパチンコのお店しか目立たなかったから、なーんだ、面白くもない。
バカにしていた。

一昨日、紅茶の専門店を見つけた。
やれ、うれしや、ずっと美味しい紅茶が飲みたかった。
アッサムのミルクティーを注文するとアッサムのストレートはなく、他のものとのブレンドしかないという。
ではそれで、濃い目に入れてねと頼んだ。

うるさいことを言ったから会計のときにいかがでしたか?と訊かれた。
実は少しも美味しくなく、茶葉が少なすぎるのでいくら待っても濃くならなかった。
薄いミルクティーは冷めて美味しくなかった。
もう少し愛情込めて淹れてくれれば常連になったものを。
はい、と曖昧に返事をして店を出た。

出たところに食器類を売っている店。
その先に、あら、成城石井が出来たんだ。

一番目につく通路側にサラダやパスタなどの惣菜のケースがあって、美味しそうなので少しゲット。
店を出るとすぐ電車の改札口があって、隣の我が家の最寄り駅まですぐ帰れる。
散歩に疲れたら電車で帰れるし、元気があれば歩いて帰れる。
これは良い所にできてくれたと喜んだ。

次の日、今日もあそこで買い物をと思って行ったら、どう探しても店が見当たらない。
たしか紅茶専門店のここを通って、次に食器の店を過ぎて・・・・
あらあら、ない。
何回行ったり来たりしてもない。

ついに諦めた。
階を間違えたか、建物を間違えたか。
そんなに広くはない駅構内のビルだからすぐに見つかると思ったのに、見当たらない。

しかし悔しい。
確かに成城石井だった。
店の名前を間違えたのだろうか。
でも特徴的な食品の並べ方だったから、側に行けばすぐわかるはず。

三度目の正直。
今日、もう一度行ったら、あった!
なんのことはない、昨日行ったり来たりしたフロアに澄まして居座っていた。

一体なんだったのかしら。
狐につままれたような話。
これって認知症の始まり?それとも店が休みだった?
いや、そんなはずはない。
この年の瀬に休むなんて馬鹿なことはしないだろうし。
他の店は全部同じフロアにあって記憶しているのに、成城石井だけ見当たらないなんて。

見つけようという気持ちが強すぎて、看板が目に入らなかった?
とにかく不思議な出来事だった。

私は物忘れ名人。
鍵や携帯はしょっちゅう探しているけれど、あんな大きな店が見つからないとは、しかも周りの店にはちゃんと行っているのに、そんな馬鹿なことって・・・
何かしらの心理的な働きがあったのか、それとも本当にボケたのか。
謎は深まるばかり。

隣町までは片道徒歩25分。
ちょうど良い散歩コースになる。
最近ずいぶん面白そうなので、新しい店を探索する楽しみが増えた。












富士は真っ白

長い間、実に穏やかに暮らしてきたのに、今年はのっけから不穏な空気。
人間関係、家族の問題、特に後半は目も当てられないような修羅場が続いて、いささか参った。
8月からは、1ヶ月ごとに親しい人たちが亡くなった。
私は単純構造の脳みそしか持ち合わせがないので、一つ問題を抱えると他のことは一切考えることができなくなる。
激動の年回りだった。

個人的な問題だから、誰かに助けてもらうわけにもいかない。
一人で一番苦手な役所めぐり、書類の作成などなど・・・
本当に嫌だった。
面白くもなんともないことを、無駄の多い日本の手続きを、毎日こなす辛さはこの上ない苦痛だった。

それでしばらくヴァイオリンの練習にも身が入らず、やっと問題の解決に今一歩というところまで来たので練習を再開。
それはそれはとんでもないことになっていた。
加齢によって指が曲がってヴァイオリンの音程が定まらなくなってからずいぶん経つけれど、やっとそれにも慣れてきた頃なのに、練習をサボったために筋肉が固くなって、指の間の水掻きが伸びなくなった。
おかげでそれを広げることから練習再開。
単音の音程はそこそこ劣化していなかったけれど、問題は重音。
水掻きが広がらないと指が伸びないことがあって、和音が正しく響かない。
手は小さいけれど柔軟だったから今までほとんど苦労しなかったのに、この歳になって、もう一度和音の練習をやり直すとは思ってもいなかった。

そこで始めたのはバッハのパルティータ2番。
あの有名なシャコンヌが入っている。
シャコンヌは重音の連続だから一番練習にうってつけだと思った。
弾きはじめたら情けない!
音が合わない。
音がでない。
30分弾くと息が上がる。

3日くらいしてようやく初めの数十小節はなんとかクリア。
まだ全部弾けない。

膠着状態の中で今日は久しぶりに車ででかけた。
真っ白に雪を戴いた富士山を正面に見て走った。
清々しい。
サッカー選手のホンダさんがこれを「きよきよしい」と読んだそうだけど、思い込みというものは誰にもあるから他人を笑うことはできない。
シャーロック・ホームズの相棒のワトスンを長い間ワストンだと思いこんでいた私ですから。

来年のスキー始めは奥志賀高原の予定。
昨シーズンには最大傾斜38度のピカピカのアイスバーン、猛烈なホワイトアウトで足元しか見えないなど過酷だったから、今シーズンはのんびりと滑れるといいな。

激動の年だったと言っても友人たちの励ましがすごくて、今週はなんと!3個の花かごが届いた。
電話でご機嫌伺いをしてくれる。
しみじみとありがたいと思うことが多くて、結局私はいつでも幸せもの。

今回、生まれて初めての一人暮らしとなった。
大家族に囲まれて賑やかに育ったけれど、その兄姉たちもだんだん少なくなり寂しいねなんて言っていた矢先だった。
しかし、亡くなった人には申し訳ないけれど、一人暮らしがこれほど快適なものとは思ってもいなかった。
猫が一緒だけれど、役にも立たない代わり邪魔にはならない。
これが人間の男になるとねえ・・・
ごめん!世の男性諸君たち!

すべての雑用が済んだら、もしかしたらドッと悲しくなるかもしれないけれど。


















2018年12月23日日曜日

時間が錯綜

nekotama ニューヨークお上りさんの巻を読んだ優秀な専属ツアコン兼通訳のY子さんから、指摘があった。
どうやら行動日が1日ずれていたようだ。
しかし猫がなにしようと読んでくださる方たちには重大な影響はないから、そのままにしておこう。
オペラの鑑賞はマチネー以外たいてい遅い時間なので、1日ずれていても時間的には昼間中観光可能。
トランプタワーでトイレを借りた話は、まだでしたっけ?
トランプさんの家のトイレではないから、誰でも入れるんだけど。

で、ニューヨークと東京での違いについて。
人々のあるきかたが違う。
歩く速さが日本での倍くらい早い。
しかも決してぶつからない。
他人との間合いをとって計算して歩く。
私は元々とても歩くのが早いから、渋谷などではいつもイライラしている。
若い子たちですらダラダラ、周囲のことはお構い無しでスマホを見ながら歩く。
歩きにくいったらない。
時々蹴散らしたくなる。

海外旅行から帰って自宅までの電車やバスで見ると、暗い疲れた顔をした乗客のなんと多いことか。
疲れて背中丸めて歩き、座席でだらしなく眠りこけている姿を見ると、日本大丈夫?
いつもそう思う。
たとえ発展途上国と言われるような国であっても、日本人のあるきかたよりマシなのはどうして?

座席でだらしなく眠りこけると言えば、昨夜、豊田ファミリーのコンサートに行った。
かつての日本を代表するヴァイオリニスト、豊田耕児さんの息子さんが二人。
ヴァイオリン豊田弓乃、チェロ豊田里夫、ピアノ海老彰子。
みなとみらい小ホール。

シューベルト:ピアノ・トリオ第2番
ドビュッシー:チェロ・ソナタニ短調
ブラームス:ピアノ・トリオ第1番

こんな素敵なプログラムなのに、時差ボケか本物のボケかわからないけれど、終始爆睡。
音がとても良かったせいもあるかもしれない。
みなとみらい小ホールは音響も見かけも素晴らしい。
最初のプログラムのシューベルトは、長くて熟睡するにはピッタリの曲なのだ。
私はこの曲をかつてトリオのコンサートで弾いたとき、あまりにも長いのでどこかでカットできないものかと3人で相談したことがあった。
結局転調に次ぐ転調で、どうしても短くできないので諦めたことがあった。
素敵な曲だけど長いというのが、シューベルトの特徴。

私はトリオの第1番より2番のほうがすきなのに、昨日メロディーを歌おうと思ったらとっさに出なかったのがショック。
でも友人が「いつ頃の作品なのかしらね」と言ったときすぐに「作品100よ」と口をついて出たのは、我ながらびっくり。
非常に切りの良い番号だと覚えていたけれど、急に自分の口から作品番号が飛び出したので自分で腰を抜かしそうになった。

しかし、条件反射というか、私はシューベルトを聴くと、はじめの音と最後の音しか聴いていない状態になるのは困ったもので。
「冬の旅」などのリートを聴くときにはそういうことはないけれど、心地よく眠れる要素がシューベルトにはあるらしい。
目覚めたときスッキリ。
それで作品番号がすぐに出たものかとも思える。

ニューヨークに滞在中、日本で故障していた膝と足首が一切痛まなかった。
これが不思議。
寝起きに体が固く少しギクシャクしても、動き始めてしまうとほとんど普通に動けた。
これもあるき方に関係あるかもしれない。
帰ってきたら又猛烈に痛い。
階段が降りられない。
今から半世紀前にアメリカに行ったときに、此の国で行動するのはなんて楽なんだろうと思ったことがあった。
実際暮らしてみたら全然違うと思うけれど、ちょっと滞在する分には、海外は日本より過ごしやすい。
彼らの文化が個を大切にするからかもしれない。

日本の公共の場で驚くのは、平気で距離を詰めてくる。
周りに気を使わずだらしない。
おばさんだけかと思うと若い子でも同じ。
あれが不愉快でたまらない。
え!こんなに近くに寄る必要あるの?みたいに。
国民みな家族の考えなのかもしれない。

以前ゴミの問題で私がご近所と丁々発止!えいやっと切り結んでいた頃、匿名の手紙がきた。
「ご近所とは仲良くしないといけないと思います」という内容。
冗談じゃない、こちらは決して喧嘩を売っているわけではなく議論したいだけなのに、それができない人たちでまいったことがあった。
本当にあきれるほど感情的で話し合うことができない。
それが日本人の体質かと思って絶望したことがある。
これがいじめの根源になることに気がついてもらわないと、なにが仲良くかと思う。
仲良くしなくてもいいから、ちゃんと話し合いができる、議論ができるような近所関係ならいいのにと。

話がどんどんずれていくけれど、たまに海外に行くとガス抜きになる。
日本の良さも十分承知しているけれど、ものすごくテンポが早いのにゆったり感のある外国と、ダラダラしていてぐちゃぐちゃな日本。
私は足が短いくせに歩くのがひじょうに早いし個人主義者のところが、どちらかというと外国の方があっているのかもしれない。
ただ「ハレルヤコーラス」で聴衆が一斉に立ち上がると、象の大群にかこまれたような気持ちになるのにはどうしても慣れないかもしれない。















2018年12月21日金曜日

椿姫とメサイア

帰国前日は盛り沢山なメニューが待っていて、怠け者の私もついに一日に2つのプログラムを鑑賞することになった。
このツアーの目玉はヴェルディ「椿姫」
私はヴェルディのオペラはどうも苦手で「椿姫」も大傑作だとは思うものの大好きかと訊かれると、6番目くらいになってしまう。
しかし、このツアーはこれが目的で組まれているので、さようならとはいかない。

私がまだ学生の頃、イタリアオペラが来て大騒ぎ。
私達は渋谷のチケット売り場に徹夜で並んだ。
今でこそソプラノ歌手でもほっそりしている人が多いけれど、当時はすごく太っていると相場が決まっていた。
痩せていては声がでないという伝説があって、まあ、多少影響があるかもしれないけれど、その後キリ・テ・カナワのように痩せていても声が出るということがわかって、騙された気がした。
昔の椿姫。
すぐに死ぬはずなのに、相手役の手が回りきらないほど太っていて、歌詞は「パリを離れて静かなところにいけば、あなたの病気も治るでしょう」と歌われると「うそだ!」と叫びたくなった。

今回の椿姫は世界中に発信するための録画が取られるというので、特に美しい人が選ばれたのかもしれないけれど、上品で美しいプリマドンナだった。
このオペラの腹の立つところは、アルフレードの父ジェルモンの身勝手さ。
自分の娘の幸せのために他の女性を犠牲にする。
「娘さんに伝えて」「あなたの幸せの陰で死んでいく私がいるのを忘れないで」と歌うヴィオレッタ。
しかし、私が一番好きなのは、ジェルモンがアルフレードに田舎へ帰るように歌う「プロバンスの海と空?」「空と海?」だったかしら。
ヴェルディのオペラは確かにどれも最高傑作だけれど、時々理不尽さを感じてしまう。
なんだか私には濃すぎる。

その日の「椿姫」は完璧、文句のつけようのない素晴らしさで聴衆は総立ちの熱狂ぶりだった。

その夜は多くの献立があって、プッチーニの3部作「ジャンニ・スキッキ」などと、ミュージカル「オペラ座の怪人」ヘンデル「メサイア」を選択できたので、私はためらわず「メサイア」を選んだ。
オペラやミュージカルもいいけれど、私はニューヨークフィルが聴きたい。
特に小さなトランペットの音が聴きたい。
きっと素晴らしくうまいに違いない。
ここは本拠地のニューヨークだし。

一人でオペラハウスの近く、リンカーンセンターのデヴィッド・ゲッフェンホールへ歩いて行くことにした。
夕暮れが迫っているセントラルパークを過ぎて、もうすっかり慣れっこになった道をたどる。
旅の途中で一人で行動することは、緊張感と新鮮さを伴う。
最近のニューヨークは安全になったといえども、油断はできない。
それでもなにも好き好んで婆さんを狙う人もいないだろう。
でも黄昏時、顔が見えなければ女の子と間違えて誘拐されるかもしれない。

会場にはオペラハウスで見かける人たちとは雰囲気の違う人種がいる。
もう少し地に足が付いたというか、あまり着飾ってもいないし、ごく普通の雰囲気が好ましい。
食後の楽しみにオーケストラをちょっと聴きにといった風で。

この会場は一見すると質素。
茶色で統一されて木をふんだんに使った内部。
座席も手すりなども簡素で、しかしなんとも言えない居心地の良さ。
それはオペラハウスのような豪華さはなく、まるで近所の公会堂に来たような感じ。
これがニューヨーク・フィルの本拠地?
しかし音響はとても素晴らしかった。
見てくれよりも実質かも。

出演者が出てきたら、なんだかやたらと女性が多い。
私の目的の小さなトランペットはどこに?
たしかティンパ二がないといけないはずだけど、どこ?
あるべきところには歌のソリスト。
えっと!女性は2名いないといけないはずなのに一人だけ。
歌いだしたら、なるほど。
男性歌手の一人はカウンターテナーだった。
体型は少し華奢で、透き通るような女声を出す。
音域は高いけれど完全な女性の声とも違う。
当時もカウンターテナーが歌ったのかしら?

序曲が始まった途端、あまりの気持ちよさにぐっすりと寝てしまった。
ほい、しまった!
しばらくして目が覚めると、透明感のある柔らかな音が響いている。
ああ、美しい。
しかし、モダンヴァイオリンにしては音が柔らかいと思ってよく見たら、ヴィブラートを極力抑えて演奏している。
それで古楽器の音に近いのか、あるいは本当に古楽器を使っていたのかは目が悪くてよく見えない。

後半、お目当てのトランペットがステージに出てきた。
前半彼らはテラス席で吹いているのが見えた。
期待が大きすぎたか、トランペッターが緊張していたか、かなり音程高めでおやまあ。
吹き始める前にステージでペットボトルから水を飲んでいるのが見えた。
相当緊張していたのかな。

ハレルヤコーラスで立ち上がると前後左右、象の大群に囲まれたみたいで、私は草原の子うさぎちゃん状態。
日本でも小さめなのに、アメリカでは人に埋没してしまう。

















2018年12月20日木曜日

ラ・ボエームの次は

ラ・ボエームはとにかく泣ける。
よくできたオペラ。
今回の歌手は名前も見ないで聴いていたけれど、ミミは可憐でいいけれど、ムゼッタの蓮っ葉さが中途半端。
もう少し過激だと最後に彼女がミミのために心を砕くところが効いたのにと思うけれど。

メトを批判するとこちらが批判されそうで怖い。
ロドルフォの高音に難あり。
高音を出すときに彼が一瞬自分を疑ったように見えたのは考え過ぎかもしれないが、ああ、やはり外れたなと思うのが私の意地悪なところ。
特に私は「わが古き友、さらば」とバスで歌われる外套の歌がたまらない。
だがコルリーネ役の低音に難ありで。
これはバス歌手には酷かもしれない。
バス歌手はほとんどアリアの出番はない。
「魔笛」のザラストロのアリアもたいてい最低音が音痴になる。

いやそんな事言わずに、ただ泣いていればいいのだが。
オーケストラの細かいパッセージまではっきりと聞き取れるのは、オーケストラプレーヤーの腕とこの劇場のオーケストラピットの音響がいいのか。
時々お見事と叫びたくなる。
しかし、大抵の人は歌は聴いてもオーケストラは単なる伴奏と思っているらしい。
オペラは総合芸術だから歌のことばかり言わないで、すべての事に気を配ってほしい・・というのが我々オケマンの儚い希望なのだ。
ところがそこまで神経を研ぎ澄ますと、一晩聴くと疲れる。
だから何も考えず、のんびり泣いているのが一番良い聞き方かもしれない。

次の日はヴェルディ「オテロ」が用意されていたけれど、私はパス。
このオペラは、イアーゴの悪巧みが徐々に毒のように効いてくる経過がわからないと、オテロは単なるお馬鹿さんになってしまう。
たぶん歌の意味がわからず聴いたら、なんか暗いオペラで終わってしまう。
デズデモーナの可哀想さがわからない。
「柳の歌」あたりで私の涙腺は破壊する。
そのあまりの可哀想さに、私は顔がかぼちゃみたいに腫れ上がってひどいことになる。
ニューヨークに来てかぼちゃになりたくないけれど、せっかくメトに来て聴かないのも馬鹿だとは思う。
誰か、元々かぼちゃみたいな顔だと言わなかった?空耳?
しかし、毎日オペラ浸けでは体がもたない。

オテロをパスして、ハドソン川のクルージングにでかけた。
冷たい雨まじりの風が吹き付ける中、結構なスピードで船は進む。
今まで足で歩いていたニューヨークの高層ビル群を外から見ることになった。
歩いていると自分の周囲しか見えないけれど、外からぐるっと眺めると、とても調和のとれた街であることがわかる。
建物に統一感があって、日本のように思いつきで次々と新しいビルを建てるようなことではなく、色や窓などの形に一定の約束事があるようだ。
しばらくするとあの有名な自由の女神が巨大な姿を表した。
巨大なだけではなく、実に芸術性の高い作品であることがよくわかる。
かつてこの地を目指した移民たちが、この像を見て胸を踊らせたにちがいない。











2018年12月19日水曜日

巨大な朝食

一夜明けて、前日遅く着いた他の同行者とご対面。
その中に旧知の女性がいて、彼女はさる音大の声楽家出身でY子さんのゴルフ友達。
宿泊するパーカー・ニューヨークは朝食が有名らしい。
私が選んだのは2種類のキノコとフォアグラのパンケーキ。
運ばれてきたのは4人前もあろうかと思える巨大なパンケーキの上に、クリームシチュウがとろりとかかっている。
見るからに美味しそうだけれど、あまりにも量が多すぎる。
食べても食べても減らない。
味は本当に最高だった。

ほんの少し余ってしまったけれど、その一口がもう入らない。
恨めしげにお皿を見て、このくらい入るかと試みようとおもっても、入らない。
ま、いいか、まだ次回があるさと断念した。
あとでこれが後悔の元になった。

その日は自由参加でグラウンド・ゼロやユニオンスクエアのクリスマスマーケットなどのツアーが用意されていた。
私たちはグラウンド・ゼロは見たくないので断って何をしたかというと記憶がない。
個人の邸宅が美術館になっているフリック・コレクションに行ったかと思ったが、それは次の日だし。
ハドソン川のクルーズは次の次の日だし??一体何をしていたかしら。
とにかく忙しく飛び回っていたのは確かなんだけど。
時差ボケはほとんどしたことがないと豪語している割には、時差ボケかしら。
いやいや、本当のボケかも。
トルコ人の青年が、ジミーという馬を御してくれたのはこの日だったかな?
セントラルパークには、綺麗に飾った馬車に乗って一周するコースがある。
歩いて見るのも良いけれど、御者のガイドを聞きながら少し高い目線での馬車からの眺めも良い。
とにかくよく遊んで目的のオペラの初日。

最初に見るオペラはプッチーニ「ラ・ボエーム」
私の好きなオペラの三指に入る。
「魔笛」「ラ・ボエーム」「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」と続く。
プッチーニのオペラは誰にもわかりやすい。
オーケストレーションの巧みさと歌の旋律の美しさ、難解なストーリーではないから筋書きが音楽の邪魔ではないなど美点が多い。
特にボエームは筋は単純ながら登場人物の若々しさが伝わってくる切ない物語なので、誰にもあった青春時代が蘇る。
私は序曲が始まった途端うるうる。
家で一人で歌っていてもすぐに涙ぐんでしまう。

はじめてのメトロポリタン歌劇場なので、おしゃれをしたい。
けれど旅先に靴やバッグをいくつも持ってくるのは大変。
履いてきたのは編み上げのブーツだから、ドレスには合わない。
色々考えた末に、薄手のシルクのドレスにベルベットの上着、かかとの低い黒い靴。
本当は思い切りヒールの高い靴といきたかったけれど、出発前に膝や足首を痛めていたので断念した。
珍しくネックレスなどしたら、犬の首輪みたいで落ち着かない。
だいたい私がスカーフなど首に巻くと、工務店のおっさんが手ぬぐい巻いているように見える。
おっさん、引き合いに出してごめんなさい。

少し雨模様なのでバスは正面ではなく、横の通路に横付けされた。
雨に濡れないようにとの配慮だけれど、初めてはいるのに堂々と正面から入りたかった。

お約束どおり、私はほとんど鼻をすすって泣いていた。
なんて単純な物語。
だけど、これほど泣かせられるのは音楽の力。
プッチーニの音の魔術にハマってしまった。






















2018年12月18日火曜日

暖かいぞニューヨーク

さんざん寒いと脅かされたもののニューヨークは暖かく時には汗ばむほど、1日だけ少し寒かったほかは、寒いところが好きな私にはごきげんな気候だった。
初日は昼過ぎにホテルに到着したのでチェックインは諦めていたものの、幸運なことにすんなりと部屋に入れてもらえた。
このホテル名はパーカー・ニューヨーク。
六番街と七番街、56丁目と57丁目の間に位置している。
と言っても私ははじめてのニューヨークに詳しいわけではないでよくわからないながら、非常に便利なところにあるらしい。
五番街というのが大変賑やかで近く、ロックフェラービルにも、セントラルパーク、オペラ座にも近い。
買い物も食事にも便利。
なにより嬉しかったのは、あのカーネギーホールのすぐ傍だったこと。

12時間を超える長い飛行のあとでも疲れを見せないY子さんにハーネスを付けられて、セントラルパークへとでかけた。
かつてのセントラルパークは非常に危険だったという話だが、今はとても安全で家族連れが多い環境に変わったそうなのだ。
公園を抜けて向かったのは、アメリカの自然歴史博物館。
入り口を入ると広すぎて、一体どこからどう回っていいかわからない。
とりあえず展示室に入ると、たくさんの民族の様々な衣装や使っていた道具などが展示されている。
特に鳥類の凄まじい種類の多さに圧倒された。
マンモスや猛獣類も多分原寸大。
こんな大きな動物がかつてそのへんを闊歩していたのだろう。
これは1日では見終わらない。
次回があればそのときに又来よう。
プラネタリウムもあるようだけれど、時差ボケの状態で見たら、きっと閉館まで眠ってしまうに違いない。

夕方からロックフェラービルに登って、エンパイアステートビルとその他2本の高い塔の青い電飾が並び、目下には街中がキラキラ輝いているのを眺めた。
ここは何階だったか忘れたけれど(60階?)、かつてはエンパイア・ステートビルからの眺めが人気だったもののお株を奪ったということだった。
混み合った展望台を抜けてからバスツアーへと向かった。

やってきたバスは座席が横向きで外が見えるように並んでいる。
大変面白そうと思ったのは束の間。
ガイドさんのキンキン声と音楽の大音響で、1時間15分のツアーは責め苦に等しい。
面白かったのは途中の道筋にスタッフが待ち構えていて、ストリートミュージシャンのフリをして、中のスタッフと会話したり歌ったり、外からバスの客を楽しませたこと。
これが大音響の原因かもしれなかった。
とにかく終わったらホッとしてそそくさとバスを降りた。
せっかくY子さんが特等席を確保してくれたのに、しばらく耳がツーンとして治らなかった。
アメリカ人は食事の量も甘さも半端ない。

半端ないといえばセントラルパークの広さも、こんな大都会にこれほどの広さを持つ公園ができたのも驚き。














2018年12月17日月曜日

ニューヨークへ

色々煮詰まっているところでお誘いを受けて、ホイホイとニューヨーク詣でをしてまいりました。
あまり長いことブログへの投稿を控えていたので、時々「生きているのかな?」的なメールなどを頂いてご心配かけましたが、なに、生きておりますとも。

私の脳は大変単純にできておりますので、一つのことしか考えられない。
今はまだ、色々な事務処理に頭が行っているので、ブログにまで考えが及ばない。
人間が単順で多岐にわたる思考はむり。

12日の朝、羽田発ニューヨーク行の飛行機に乗り込んで、長~い空の旅が始まった。
私の御者は南青山のY子さん。
じゃじゃ馬を連れてのニューヨーク観光はさぞ、気骨が折れたこととお察しする。
先月頃「ニューヨークへ行きませんか?」とのお誘いを受けて、その頃になればあらかた物事の整理は付いているだろうと乗っかったお誘いだったけれど、やはりまだ色々片付かず。
えい、どうにでもなれと猫を私の家の上の階に住む女性に託して日本を離れた。

猫一匹にキャットシッターが3人。
お姫様扱いなのにうちの猫は押し入れで怯えて暮らしていたと、帰ってきてから聞かされた。
帰宅したら目が爛爛として、フーフーうなりまくる。
これだから帰るまでは本当に心配なのだ。

心配しながらも空の上に行ってしまえば、気持ちははるかニューヨークへ。
アメリカのところどころ部分的には4回くらい行っているけれど、ぜんぶ西側で東は初めて。
同行のY子さんは英語の名人だから、私も大船に乗った気分。
今回はニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオペラを鑑賞するというツアーに半分乗った形で参加した。
オペラのチケットの入手はツアーで手に入れたほうが楽だけれど、あまり大勢で行動するのは苦手な私達は飛行機の便は別。
オペラ以外の観光ツアーはキャンセルというはなはだわがままな参加の仕方での参加となった。

そのかわり自由にニューヨークの街を闊歩して、大変楽しかった。
ことの詳細は次回として、皆様、ご心配おかけしましたがnekotamaは変わらず元気です。
まあ、時々はうつ状態になったりもありましたが、一過性のものです。

先年、カルガリーにスキーに行ったとき、11時間ほどの飛行時間、帰ってきてからもう、こんな長時間のフライトはまっぴらと思っていたのに、今回はそれを上回る長さ。
13時間くらい?
狭い座席で座っていると、足がむくんで立ち上がれなくなる。
そして帰りはもっと長い。
往路の機内は空いていて、私は座席を3つつなげて足を伸ばしたから、実に快適だった。
Y子さんはお金持ちだからビジネスクラス。
足を伸ばせないという心配はないらしい。
ツアーの他の人達よりも早い飛行機だったから、先に到着した私達はセントラルパークに散歩に出かける。
時差の関係で一日長く使えるから、その日だけでも、自然博物館やロックフェラーのビルからの夜景を楽しみ、バスのナイトツアーに参加と、盛りだくさんのプログラムで、それはぜんぶY子さんのアレンジによるもの。
下手なツアコン真っ青の充実したアレンジの一日になった。
他の参加者が到着するのは夕方遅く、私達は丸一日儲かった気がした。

目的のオペラのことは次回に。