2011年8月31日水曜日

ただいまメンテナンス中

自分のブログにコメントが付けられない事態となりまして、先ほど頂いたコメントに返事をしようと思ったら、それも不可能になりました。みなさん、ごめんなさい。只今、陰で悪戦苦闘しているかわいそうな人がいるはずで、昨日は「いったい何をしたんですか。」と詰問されましたが、私にわかるわけはない。いつの間にかこうなってしまったので。「本当に天才だなあ」と言うから「天才を弟子に持ったご感想は?」と聞いたらむっとされたようです。あちこちにご苦労をかけています。そのうち上達すると思っていたパソコンは才能がないみたいで、一向に埒があかずに今日のこの日をむかえています。「たくさんの人の面倒みていますけど、こんなことをする人はほかにいません」とまで言われたって、ねえ。それが私の取り柄?そんなに褒められてもこまるう。あ、褒めてるんじゃないんだ。あはは。困ったなあ。

2011年8月30日火曜日

先生をかこんで。

同じ先生のもとで勉強した門下生が先生を囲んでの昼食会。恵比寿ガーデンプレイスの38階に集まったのは8人。良く晴れた今日はスカイツリーも東京タワーも並んでくっきりと見える。少し首を伸ばせば海まで見渡せて本当にきれいだった。毎年のように集まっているけれど、今年の話題は大震災に伴う福島原発の話題に終始して、外の晴々した様子とは裏腹の暗い話題が続いた。悲憤慷慨している幹事役のMさんは、いかに東電と政治家がつるんで汚いことをやっているかについて、滔々と話を展開していく。私はたまたま昨日YouTubeで、世界のトロンボーン奏者が日本のために演奏している動画を見ていた。以前見た時もそうだったけれど、あれから5か月後の今見ても、どっと涙が溢れて嗚咽がもれそうになる。あれ以来いまだに本当に心が安らかになっていないと痛感していた。そして今日も又、その話題で持ちきりになってしまった。先生は喜寿を迎えられておめでたいことだけど、今一つ原発のことが小骨がのどに刺さっているように感じられて、皆一様に心が騒いでいるようだ。風化させてはいけないと思いつつも、日々の生活の中で記憶が薄れるようなことがあってはならない。今後永久に記憶に残さなければ、また同じ轍を踏んでしまいそうで、恐ろしい。被爆国の日本がなんで自分から原子力を呼び込むのか。いくらお金のためとはいえ、東電も政治家も道を外してほしくない。彼らは全く自分たちは悪くないと思っているに違いない。え、どうしていけないの?もうかるのに、なんて思うだけ。ゴマメの歯ぎしりで悔しいけれど、ゆるすまじ、原発にたかる亡者ども。

2011年8月29日月曜日

片付けられないのは

病気だそうで、だから私を憐れんでください。最近nekotamaを見てくれた人が、コメントつけたつもりだけど・・・でもついてないでしょ?メールが来た。持ち主の私でさえ入れなくなっているこの部屋。あまりのことに保護者に助けを求めた。そもそもの原因は、私が大事なパスワードを記録したものを失くしたことが原因。忘れないようにプリンタのふたにはりつけておいたものを、なにかの拍子に捨ててしまったらしい。それから私の転落人生が始まった。ああでもない、こうでもないやっていったら、今や手が付けられないところまで行ってしまったらしい。さすがのパソコンの師匠もSkypeの向こうで唸っていた。おや、いつの間にあの方はドラ猫になってしまったのだろうか。しばらくすると、とてもひどくてかなり時間かかりますので、数日お待ちくださいといって、その後寝てしまったか飽きてしまったか、様子はわからない。その代りすごく面白い置き土産。(http://neko.ijk.com/)の動画のページ、「やっつけ」というタイトルで、この動画は数日前に私が盗んできたものと同じだけれど、音声を聞いてみてください。吹き出すから。お茶目ですね。

2011年8月28日日曜日

毎年恒例

8月の最後の日曜日はマンドリンの早苗さんの家で大パーティーが開かれる。毎年マンドリンアンサンブルのコンサートが6月の最初の日曜日に日本青年館で、そして8月の今日は飲み会と決まっている。業界から大勢の人が三々五々集まってくる。我々演奏家たち、作曲家、放送局、舞台の関係者、等々。入れ代わり立ち代わり現れてはご馳走に舌鼓をうつ。お料理上手な早苗さんと息子のKANTA君が腕を振るって、よくもまあ、こんなにおいしいものを沢山揃えるものだといつも感心する。いつもと言っても私はずいぶん久しぶり。毎年24時間テレビともう一つ、筑波での仕事が同じ時期にあったので、どちらかを引き受けると重なってこられないことが多かった。というわけで、今年はどちらも上手くクリアできた。久々の屋上バーベキューは相変わらず盛況で、涼風を受けながらのノンアルコールビールは最高。そう、アルコールを飲むのはここしばらくやめている。なんだか次の日にだるくなるのと、車の運転があるのと2つの理由から。それに、ダイエットの敵でもあるし・・・ダイエットと言えば腹筋ベルト、効果はいまだ現れず。どうしてかというと、巨大なチョコレートを頂いて、他人にあげればいいものを、ぶつぶつ言いながらも毎日食べ続けているからなのだ。あげてしまおうと思った時もあったけれど、どうしてだか忘れて持っていかなかった。フロイトの深層心理分析で言えば、あげたくなかった。つまり、自分が食べたかった、ということで、さて、本当のところはどうなんでしょうか?

2011年8月27日土曜日

又盗んできました。


FUMIKOさんのブログにのっていたので、さっそく失敬しました。
いつもすいません。えへへ。

2011年8月26日金曜日

ゲホーベンハウス弦楽合奏団

ゲバントハウスをもじってつけられたこの名前。国立音大時代に私たちが結成した弦楽アンサンブルで、私たちが卒業後も数年間は続いていたらしい。たぶん2009年・・・たぶんというのは最近記憶が定かでないので・・・1月、同窓会コンサートをやろうということで、幹事を任された。会場は東京交響楽団の古い練習場が今貸しスタジオになっているので、そこを借りた。大久保駅から30秒。ちゃんとしたコンサート会場ではないけれど、値段が安く新宿から一駅。遠くから来る人にも足場がいいし、終わったらロビーで飲んでもいいということで決めた。約15名が懐かしい顔をそろえて、練習はチェロの後輩が自宅を提供してくれて、そこで前夜祭までしてくれた。当日は知り合いだけのアットホームなコンサートになった。そして再会を約束して別れたのに・・・コンサートマスターをやってくれたY君。同級生で東京都交響楽団でセカンドヴァイオリンのトップを長年勤め上げ、退職をしたばかりだった彼が、ガンでこの世を去ってしまった。次回コンサートもあると思っていたので、経費の余った分は積み立てておくつもりでメンバーの一人に預けた。しかし、Y君が亡くなって、次をやる気が失せてしまった。預かってくれた人と、これは東北の震災の義捐金にしようと相談がまとまった。事後承諾で悪いけれど、昨日郵便局に行って、さっさと福島に送ってしまった。これからメンバーにメールを送るが、まず怒る人はいいないと思うけれど、次回がなくて残念と思う人はほぼ全員だと思う。Y君が生きているうちにやっておいてよかった。本人も当日自分はガンで余命がないけれど、頑張ると言っていたのに、あまりにも早く病気が進んであっという間に先に逝ってしまった。次回は天国で、ですね。でも私は天国にいけるかどうか?Y君も天国にいったかどうか、怪しい。

2011年8月24日水曜日

ノラは外猫に

物置の屋根からうちのベランダを羨ましそうに見ていたノラ。毎日朝起きていくと、じっとこちらを見ている。うちの猫たちとはすっかりおなじみで、口やかましい玉三郎も最近は怒らなくなった。餌を与えるようになって、2ヶ月ほどになる。近所に猫嫌いが多いから、なるべく見つからないようにコッソリやっているけれど、もう絶対ばれていると思う。よくもあんなに人のこと見ていると思うほど観察されているから。特に私のところは角地で開けているから、なにもかもよく見えるらしい。こっそり足音忍ばせて、ガレージの車の後ろでコソコソ餌をやっているのは2階以上の人には丸見えだから、あれで隠れているつもりかね・・などと笑っているにちがいない。でも、この子のおかげで長い旅行に出かけられなくなってしまう。長いこと餌をもらえなければ、どこかでよその家に入ったり、ごみを漁って、腐ったものでお腹こわしたりするでしょう。いじめられたり追いかけられたりするでしょう。それが不憫。こんなに餌をやっているのに、まだ手を伸ばすと恐れて寄ってこなくなる。よほどつらい目にあっていたらしく、体はやせ細っているのにお腹が大きくて・・・もしや、ご懐妊?そうなると不妊手術をしないといけない。でも、どうやって捕まえたらいいのだろうか。ものすごく警戒しているのに、網戸越しだと安心してじっときれいな目で見つめてくる。やさしくにゃあと鳴く。うちの猫たちは太って毛艶もよく、おっとりとしている。いかにも可愛がられた猫たちなのに、外の子はいつもオドオドしている。網戸越しではとても甘えた表情をするのに、いざ餌をやるので近付くと警戒心丸出しで、近付きすぎると逃げてしまう。それにしても私が猫好きだとどうして知ったのだろうか。初めから私に向かって訴えかけるような態度をとっていた。うちの猫たちが情報を流したのか。それとも、亡くなった獣医のヒゲ先生が言っていたように、ネコの社会には情報網があるのだろうか。あそこに行けば餌もらえるよなんて。

2011年8月23日火曜日

新しい自転車

今朝出かけようとして自転車置き場に行ったら自転車は盗まれていた。自分の昨日の行動をつぶさに思い出しながら、どこかへ置き忘れてきたのかと考えたけれど、絶対うちまで乗ってきたのは確かなこと。もしかしたら鍵を抜くのは忘れていたかもしれない。タイヤは空気が不足しているし、ベルのふたが無くなっていて(これもどうやら盗まれたらしい)鳴らない。実は昨日チラッと自転車やさんを覗いてこれがかわいいなと思っていたところ。古い自転車は私の心を察知して、家出をしたのだろうか。とにかく自転車がないと行動範囲がグッと狭くなるので、帰り道に早速購入した。古い小さな自転車屋さん。私が子供の頃からあったから、ほんとに古い。ご夫婦が二人だけでお店には自転車も5.6台しか置いていない。今はやりのスポーツタイプや電動ものもおいていない。ごく安いママチャリだけ。あとはパンクの修理や部品の販売で細々と営業を続けている。体の弱いご主人にとてもきれいな奥さんが献身的に手助けをしている。だから自転車は流行りの素敵なものがほしいのに、どうしてもここで買ってあげたくなるので、当分ママチャリで我慢しよう。

ところでさっきGALAXYで撮影して、いろいろ手順を踏むのが面倒でいきなりこのブログにメールで送りつけたら編集も削除もできなくなったのが前の写真。いやはやどうやってこの後始末をつけたらいいのかしら。自転車の写真なんて大きくしてみてもしょうがないので、前の写真はあけないでください。

misao yamamoto さんの写真をご覧ください

misao yamamoto さんからのメッセージ:
今朝出かけようと
このメールが正しく表示されない場合は、下のリンクをコピーしてブラウザに貼り付けてください。
https://picasaweb.google.com/lh/photo/WI_rD_4Lp_yRwpjZHp4OIo3u_CbYwtcRlq9te0uN7aA?feat=email
写真を共有したり、友だちが写真を共有した通知を受け取るには、Picasa ウェブ アルバムの無料アカウントを取得してください

2011年8月22日月曜日

雨の一日

昨日の華やかな舞台や喧噪が嘘のように静かな一日。雨が暑さを消し去ってくれて、なんか落ち着いた幸せな気分。買い物をしたり友人と会ったりした後、整体院で体をほぐしてもらったら、もう爆睡!60分のうちの55分くらいは寝てました。そもそも暑さにはからっきし弱く、寒いのならいくらでも耐えられる。今までで一番寒かったのは、たぶん旭川での-16度。それでもあまり寒いのがいやだとは思わなかった。ところが今年の夏の暑さは湿気が多く、最悪の状態だった。湿気があると楽器が鳴らないのが一番こたえる、ならそうとしてむきになるのがストレスの元。結局首肩バリバリで頭まで痛くなる。この睡眠名人の私がさすがに暑さで目が醒めてしまう。目が醒めれば汗びっしょりで気持ち悪いことこの上ない。節電節電というけれど、たいていの家はそんなに無駄に電気を消費していないと思う。日頃からちゃんと節電対策はしてる。結局今年のピークと言われた真夏日でも消費電力は供給電力を下まわっている。その陰には涙ぐましい努力があったにしても、やればできるのではないか。いままで、どんどん供給されていたから使ったまでの話で、なければないで、工夫して乗り越えられる。原発の必要性はいったい本当にあるのだろうか?クリーンエネルギーで地球温暖化対策と言われればグウの音もでないけれど、それだっていろいろやり方がありそうな気がしてきた。人間世界が便利になりすぎて、ほしいと思うものはなんでも手にいれようと思うのがそもそもの間違い。手に入るのも間違い。野生の動物たちは身を削って食べ物を探し、生きているではないか。人間だけは楽々となんでも手に入る。そして上を見たらきりがない。これでは地球温暖化はもう止めようがない。今中国は際限なく空気や水を汚し金儲けに走っている。かつての日本がそうだったように。この先第2第の中国が必ず出てくる。これ以上クリーンになるはずがない。だから遠からずして地球は、熱風ふきあれて水浸しの人の住めないところになるに違いない。今だって竜巻や大洪水が頻発しているもの。と・・・ここまで考えたら自分がすっかり贅沢にはまっていることに気付く。共犯者は自分だ!

2011年8月21日日曜日

24時間テレビ

音楽全部が生演奏というわけではなく、先日リハーサルの時に録音してしまった曲もあるので、今日は午後ゆっくりでかければいい。徳光さんがはたして走りきれるかで終わりの長さが決まってくる。予定よりオーバーすることも。午前中はのんびりと雨の風景を窓越しに眺めていた。すると、一羽のハト。先日枝おろしをした元気な木が実をつけはじめている。それを食べにやってきたようだ。ほそい枝にユラユラと上手にバランスをとって、実をついばんでいる。しばらく眺めていたけれど、なんというハトなのかきれいな羽なので、そうだ写真を撮ろうと思いついてGALAXYをとりに行った。窓辺に戻ってみるとハトが2羽になっている。つがいなのかしら。脅かさないように窓を開けられるかどうか、考えていたけれど一羽のハトと目が合ってしまったら、ちょっと食べ残して惜しそうだったけれど、飛び去ってしまった。GALAXYで撮ったら、雨に濡れた緑ときれいなハトの羽模様が素敵に撮れたのに。残念!
先日GALAXYの操作方法を説明を受けながら撮ったビデオがあった。とても素晴らしい器械を私が少しも使いこなせていないので、説明してくれた人のセリフ  「器械はすごいのに・・・教える人もまあまあなのに・・・・結果はざんねん!」と言われてしまった。それがYouTubeに残っていて時々引っ張り出して来て一人で大笑いをしていたのに、それがどこに行ったか思い出せない。本当に「残念」

2011年8月20日土曜日

24時間テレビリハーサル

なんだかんだ言われながらも続いている24時間テレビ。初っ端からの付き合いで、途中が抜けてお付き合いできなかった時期もあったけれど、ここ数年続いている。今日はリハーサル。九段下の武道館の観客席にはまだ、だれも座っていない。何曲かの録音はスタジオで済んでいるので、生で音を出す曲数は少ない。ピンクレディーの二人が明日は生で歌うので、その音合わせ。二人とももう、けっこうなお歳と思われるのに、あの体型の変わらなさはどうやって維持するのか。顔もしわ一つなく綺麗。どれほどのお金と努力の賜物かと思う。私と言えば、先日プログラム用の写真が必要になって、渋谷の写真スタジオに撮りに行った。タレントさんやイベントなどに使うための芸能関係っぽい写真館なので、ポーズの決め方や照明の具合など手馴れていて、なかなかきれいに撮ってくれた。でも、それをパソコンに入れて再生すると、あなおそろしや・・・やはり、リアルにしわなどが見えてしまう。年相応というべきか。ところが女優や歌手などは、本当にきれい。いくら塗っているとは言え、普通の人にはあれほどの美貌を維持できるわけがない。涙ぐましい努力をしているのだと思うと、まあ、こんなところで妥協できる職業でよかったかなと思う。たとえばNHKの「思い出のメロディー」という番組がある。あれなどもずいぶん昔の歌手が出てくるけれど、みなさんかなりきちんとシェイプアップしていて、体型がさほど変わらない人が多い。毎年出演依頼がくるとは限らないから、このためにというわけではなくても、ちゃんといつ見られてもおかしくないようの努力をしているのだろう。一曲しかヒット曲がなくても依頼がくるかもしれない。大変だなあ。私たちが楽器の練習をするように、体を整えるのだろうか。そちらの趣味はほとんどないから、退屈そうだなあと思ってしまう。それでも、あれほど若くきれいでいられるなら、退屈も我慢できるというもの。少しは見習わないと汚いおばあさんになってしまう。もう手遅れかもしれないけど。

2011年8月19日金曜日

体中が痛い

暑さのせいかパソコンが不調で、一昨日作成したものが投稿できなくて保留になっていました。

昨日の樵仕事のおかげで、目がさめたら体の節々が悲鳴を上げていた。昨日は切った木を30センチほどの長さに揃え束ね、ごみ出しに間に合うように必死に働いた。働いている最中にゴミ収集車が来てしまった。お願いの目をすると優しい収集士さんは「また来ますからね」と言って、本当に来てくれたらしい。いつの間にか束は消えていた。普段お掃除や片付けの類は殆どしないのに、時々こうして気が狂ったように働くと、さあ、次の日が大変。エンジンがかかり始めると止まらなくなるので、体力の限界越しても、働いてしまう。樵の後は段ボールの整理。ちょうど通りかかった段ボールを集めて生活している人に持って行ってもらう。資源ごみはその人たちも手を付けてはいけないそうで、このおじさんはもう何年も段ボールを集めて生計うを立てていたのに、条例が発令した日に警察官につかまっていた。思わずしゃしゃり出て、弱い者いじめするな!と叫ぼうと思ったけれど、今までの経験から、私が出ると丸く収まるものまで収まらなくなるということを知っていたので、黙ってみていた。しばらくは姿を消していたけれど、最近又自転車にわずかばかりの段ボールをつんでいる。以前はリヤカーいっぱいに積んでいたのに。ずいぶん生活にも困窮しているのだろう。たぶん、家もないに違いない。いつも汚れた頭によれよれの作業着。あまりにも無口なので口のきけない人だと思っていたけれど、昨日はじめて口をきいた。自転車につめないから、あとでリヤカーで来るというようなことを、意外にもきちんとした口調で言うのに驚いた。顔はとみれば目元も穏やかで顔だちも品がある。少なくとも私よりは育ちがよさそうだ。私のように放ったらかされて、自由に裏庭で猫と走り回っていた野生児とは、ちょっと立ち居振る舞いが違う。ホームレスさんの中にはあっと驚くほどの経歴の人がいるそうだからもしや?  
以前某国の大統領の晩さん会に演奏しに行った時、会場の中から「ぎゃははは」と甲高く下品な笑い声が聞こえて驚いたことがあった。な、なんと、某宮様のお妃さま。その前に私が少しどうかと思う振る舞いをした時に「ここは迎賓館だからね。下品館じゃないんだよ」とたしなめられたばかりだった。ほら、やんごとなきお姫様がああだから、わたしなんかもう少し落ちてもしかたないじゃない?と、その時思ったけれど。

2011年8月16日火曜日

木を切る

気のすすまない仕事。暑いからということもあるけれど、一番の理由は木を切りたくないから。葉を茂らせ酸素を提供し、涼しい木陰を作ってくれる、いわば人類の恩人である木の枝をバッサリするのは、なんとも気が重い。うちには庭もないのに隣家との狭いコンクリートの隙間に生えた一本の木。ほっそりとしていたのが、いつの間にか立派になって、繁殖力が強く、そこいらじゅうに種をまきちらし、どんどん子孫を殖やしている。私は葉っぱが秋になって散ったりしても、さほど気にしない性質だけど、お隣の2軒はひどくきれいずき。でも、前を流れている川の桜並木の落ち葉は絶対に掃かない。自分の家が隣の葉っぱで散らかるのは業腹だが、公道は自分のものではないから掃除するのは損。私が早朝、そのお宅の前も掃き清めておいても、知らん顔。つい、意地悪おばさんの本音が言いたくなる。さて、以前電動ノコを買ったことは投稿しました。今日もノコの出番。せっかく生い茂っているのにかわいそうになあと思うけれど、結構植物は曲者だから、切られるとなお元気になるに違いない。よくも切ったな!などと毒ずきながら、またにょきにょきと伸びるに違いない。もう一軒のお隣はうちの庭に伸びた分だけでも、切っていいですか?切ってくれる人がいるので。でも、もちろんお金は払うのですけど。 と微妙な言い回し。なら、うちで切るさと思い立ったけれど、暑くて、しかも木を切るなんて気の滅入ること。のこぎりを持って近付いたら、木が悲鳴をあげないかしら・・・なんて思う。

2011年8月15日月曜日

環八

最近よく杉並方面に出没している。一週間に2.3日環八を走る。今日は帰省のUターンラッシュが始まるとあって、環八上り方面が混むに違いないとにらんだ。南荻窪にカルテットの練習に行って、終わってからのお茶を楽しむヒマもなく、帰りを急いだ。ほかの3人はゆっくり楽しんでいるというのに、私は帰りの心配ばかりしている。それというのも連休の最後の日などは環八の混み方は異常だから。中央道、関越道から都内へ入った車が列をなし、じりじりと進むのがたまらないので、その前に帰ってしまおう。おいしそうなケーキを横目で眺めて、そそくさと帰り支度をすると、まだ、大丈夫だよとの声もあったが、それでもラッシュに会いたくない一心で出発。4時ころはまだすいていて、1時間もかからず帰れた。ほれご覧と言われそうだが、もう混雑が始まっているに違いない。環八にはえらくひどい目にあわされている。まだ環状線が開通する前に和光へ行った時などは、瀬田からもう渋滞で、たっぷり時間をとっていたにもかかわらず、会場に着いたのは始まる10分前。直進なのに左折車線を走って信号で前にでたり、いつもなら恥ずかしくてできないような悪いことを次々とやって、やっと間に合った。楽屋口で音楽事務所の社長に会って「おはようございます」と普通に言ったつもりだったのに、1時間後に社長から「もう口きいてもいいかな」と言われてしまった。とうてい話しかけられないような恐ろしい顔をしていたらしい。私たちの仕事は音が出る時に絶対現場にいなくてはならないから、遅刻などもってのほか。一度したら、もう馘は覚悟した方がいい。一度だけ本番に遅刻したことがある。井の頭線で人身事故が発生して電車が動かない。すぐにタクシーで下北沢まで行ったら、その日はお祭りで駅の周りに車が入れない。チェリストと一緒だったけれど、かわいそうに彼女は重たいチェロを抱えて走った走った。私たちは無事ついたけれど、メンバーの一人が電車内で缶詰め。結局カルテットの一人がいないと成り立たないので出番を遅らせてもらったことがあった。どんなことがあるかわからないから、特に環八を使うときには1時間半ほど余計に時間の計算をする。現場近くにいってから喫茶店などで時間調整をする。その習慣が染み付いているから、遊ぶ時もみなさん時間厳守。習慣となっているから、別に苦痛とは思わない。スキーにいって約束の時間になると一斉に、四方からサーアッとゲレンデを滑り降りてくる。それは見事なものです。

2011年8月14日日曜日

くにたちの会

毎年8月14日と決まっている。
始まってから何年になるのか。私たちより3年くらい上の世代のヴィオラ科の卒業生が中心になって始めた同窓コンサート。お声をかけていただいて参加するようになった。まず、それぞれが自分の弾きたい曲を持ち寄ってコンサートをする。それが終わると国立駅近くの天政という料理やさんで宴会。コンサートを終えて一通り食事が過ぎてからが楽しい。楽譜が次々と出てきて、無差別にどんな曲でも弾かされる。酔っ払いといっても容赦なく引きずり出されて、一曲弾き終わらないと席に帰れない。そうやって延々と二次会コンサートが続く。いったい何時間弾いていたのだろうか。真面目な方のコンサートではベートーヴェンの8番のソナタ。このところずっと弾いているのに、一向に上手くはならない。ベートーヴェンは私にとっては鬼門で、本当に好きだったり、上手く弾けたりしたことは一度もない。やはり内容が重くて持て余す。自分の中にそれに匹敵するだけのパワーは存在しない。今ピアニストのSさんと組んで連続して練習をしているが、心から楽しめる曲はまだ見つからない。でも、よくしたもので、何曲も取り組んでいくうちに、彼の心が見えてくる。なんと優しい崇高な人なのかと思える瞬間がある。その時には喜びが込み上げてくるけれど、次の日には元の木阿弥、すっかり迷子になって一からやり直し。自分か相手かどちらかが調子悪くても、上手くいかない。ソナタは二人で作り出すものだから、私が調子悪い時には申し訳ない気持ちになるのがつらい。久々に緊張。くにたちの卒業生はあまり優秀ではなくても、それに代えがたい優しさがある。故有馬大五郎先生かわが子のように育んだ生徒たちは、あまりにもおっとりしていて世間の荒波を浴びても気が付かない。だから、くにたちボケと言われるけれど、このボケは最高なのです。

2011年8月13日土曜日

中国整体

暑さや疲れから来る体の不調で、肩こり首こりがひどくなってきた。こうなるとヴァイオリンは良い音を出してくれなくなる。体のコンディションが音に直結する、ある意味では声楽家と共通している。5年間ほど通っていたマッサージのお店があって、何代も施術士が替わっても、どの人も熱心で気に入っていた。特に最近やめてしまったが、今までで一番才能があると思えた若いスポーツトレーナーは、技術も勉強する意欲も抜群だった。そのため才能を見込まれたらしくすぐに本部に抜擢され、ほんのわずかな期間で当地を去ってしまった。次に入った人は、初めての時にはまだ環境に馴れず戸惑っているのかと思ったが、2回目で、もうこれはいけないと思った。技術、やる気、ともに貧弱。思わず「あなたはこのお仕事すきですか?」と聞いてしまった。とまどいながら彼は「あ、はい、好きですよ」と答えたが、ほとんどマニュアルをやっとこなしているといった状態。プロならば、その人の筋肉の状態からどのくらいの力で押せばいいかはわかるはず。人それぞれ好みはあるから、一概には言えなくても、力加減はプロとしての自負があるはず。それが全くない。それでもう、そのお店は行くのをやめてしまった。ところがさて、困った。いつも体調は整えておかなくてはいけないから、上手くて料金がそれほど高くないお店…、しばらく考えて、以前よく通っていた中国整体に舞い戻ることにした。そこも一度素晴らしい施術士がやめて、いかなくなってしまったお店。さあ、どうかな?久しぶりに中国人の技術に接すると、やはり何千年もの歴史ある?技術。とてもうまい。それと中国人の体質なのか、指がよく反って強くても痛くない。丁寧にもみほぐされて、後半はぐっすり眠ってしまった。今、すっきり。さて、明日の本番上手くいくかな。体調が良いからと言って上手くいくとは限らないのが本番の怖さ。もうヘトヘトで音なんか出ないと思っても意外とうまくいったり、今日は爽やかだなあと思っていたら大失敗をしたり、本当に怖い。こんな怖いこと早くやめたいと思っても、やめるとさびしい。「雀百まで踊り忘れず」とは良く言ったものだわ。

2011年8月11日木曜日

ロサンジェルスから

メールが届いた。ロスから。やはりかつての教え子。彼女の飼い犬が11歳の誕生日を迎えた報告と写真。Hさんはずっとアメリカで働いている。一時期日本に半年ほど転勤で戻ってきていたほんのわずかな時期に、私がヴァイオリンを教えていただけなのに、いつもメールや、時には日本に来ると連絡をくれて、教室に会いに来てくれたりする。日本よりアメリカの方が性格に合っているらしく、日本では働きたくないらしい。少し戻ってきていた時も早くアメリカに戻りたいと言っていた。頑張って半年でユーモレスクを発表会で弾いて、そして、アメリカの会社に戻って行った。引っ越しやメールアドレスの変更も、こまめに知らせてくる。一時期は郊外の家を買って、そこで犬を飼って暮らしていたけれど、またロスに戻ってきている。いつか遊びに行こうと思いながら、もう何年も経ってしまった。私がロスに行ったのは・・・・もう40年くらい前。当時は日本では見られなかったような立体交差の道路や高速道路に車が猛スピードで走っていた。そのラッシュアワーのすごさ。それから何年かして日本もそうなったけれど、目を丸くして眺めたものだった。そうそう、ディズニーランドにも行った。こんなすごい遊園地が日本にもできるとは、その当時は考えられなかった。その後日本も今の中国のように頑張って立派になったけれど、日本はそんなに頑張らなくてもよかったのでは?と今思う。原発の事故を見ると、頑張らないでゆっくり歩いて来れば、こんなことにはならなかったと思うけれど、もう遅い。それが悲しい。

札幌から

電話がかかってきた。聞き覚えのある声だが、はて、どなた?以前の教え子のN君だった。大学を卒業して、某大手電機メーカーで営業の仕事をしている。「今札幌にいます。こちらも暑いです」涼しくていいわねと言おうと思ったら、出鼻をくじかれた。そうか、勤務地は札幌なんだ。非常に落ち着いた頑張り屋さんで、高校時代、学内のオーケストラでラロの「スペイン交響曲」のソロを弾いた。音楽学校ではないのに、コンクール入賞者がゴロゴロいるような非常にレベルの高いオーケストラだったから、普通なら彼はとうていソロが弾けるような立場ではない。でも、たまたまその学年は彼が一番うまいというレベルだったので、抜擢された。それからの頑張りがすごかった。私も今より少し元気だったから夢中で教えて、彼は立派にその任を果たした。真面目、几帳面を絵にかいたような性格で、卒業して就職した時もきちんと挨拶にみえた。今度お盆で実家に帰るのでレッスンお願いしますとのこと、どんな曲を弾きたいの?と聞いたら、曲は弾いていないので基礎練習をしたいという。札幌の市民オーケストラで弾いているそうで、まだヴァイオリンは続けていてくれる。それが一番うれしい。電話がかかってきたときに、もしかしたら結婚の報告?と期待したけれど、そうではなかったので少しがっかり。どんな仕事をやっても全力で努力するような性格だから、仕事も家庭も着実に築き上げていくと思う。私とは正反対なのに、いつまでも忘れずに会いに来てくれるのが、本当にうれしい。

2011年8月9日火曜日

夏バテ

もうすぐ本番があるので、今日はピアノ合わせに出かけた。その前にハリー・ポッターを読むための英語のレッスンを済ませ、午後ピアニストの家に到着。そのころにはめまいがしそうなほど暑く、ペットボトルの水を飲んで暑さ対策。練習を始めると、なんだかリズムがとれない。指が鈍くて動かない。昨日の夜はわりと早寝(私にしては)で、夜中も目が覚めず、グッスリ寝たはず。もしかして寝過ぎ?ひどく汗をかいて目が覚めたときには、パジャマもシーツもぐっしょり濡れて、全部洗濯したうえに布団乾燥機まで使うほどだった。それで体が冷えたかもしれない。お腹もこわしてしまったようだ。私は野蛮人だから、多少お腹をこわしても遠慮なく食べることにしている。でも、さすがに食欲がない。こんなことは1年のうち3日あるかないか。何回弾いてもリズムはおろか、音程まではずす。もちろん音質は良い訳がない。相棒のピアニストからも「変ね」と言われる。変だな、ヴァイオリンを弾けば、どんなときでも多少元気になってくるのに・・・。なにか身体の回りに目に見えないゴムマットのようなものが巻きついているようだ。脳梗塞のはじまり?実は数日で治ったけれど、ひと月ほど前、頭痛が続いたことがあった。私はこのん十年、およそ頭痛というものを感じたことがなかったから、人並みに頭が痛むようになったか・・・とその程度の感触。でも、パソコンでゲームをしようと思ったら、マウスでまっすぐな線が引けない。とんでもない動きが起こって、手が自分の手でないような動きをしたことがあった。負けてたまるかと数日間むきになってリハビリした結果、正常に戻った。そのときでもヴァイオリンは普通に弾けたので、それさえ大丈夫ならかまわないと思っていた。でも、今日は少しショックで、これが年をとっていくということなのかと実感した。そのうち、毎日がこんな状態になるのでしょうね。お腹をこわしているのに、アイスクリームを買ってきた。これでどうなるかと思ったが、何事もなくお腹は小康状態。自分を甘やかしてもお腹を甘やかすな・・・そんなことわざはないけど。やはり夏バテですか。

2011年8月8日月曜日

消えたランチ

美容院で座っている椅子の足元を見たら、よくもこんなに切ったものだと思える位の沢山の髪の毛が落ちていた。つい先日ベリーショートにしたばかりなのに。すっかり涼しくなった髪に満足して、友人との待ち合わせ場所に行った。今日は近くに住むヴァイオリンの仕事仲間と一緒に、ランチをとる予定だった。ところが姿が見当たらず、かわりに携帯に何回もの着信履歴が残っていた。必死で連絡しようとしていたみたい。こちらからかけると、すぐ行くと言って現れたのは真っ赤なボルボ。車でどこかのレストランに行くのかと思ったら、必死の面持ちで「主人が今朝倒れて入院しているの。せっかくのときに悪いけど今日は行かれない。ごめんね」おやおや、それは大変、それならわざわざここまで来てくれなくても、電話だけでよかったのに。律儀に来てくれて、せっかくだからお茶でも飲む?と言うから、いかにも人間関係を大事にする彼女らしいなと思った。初めて会ったときはズケズケとした物言いをする人だなあと、あまり好印象はもたなかったが、付き合って見ると気配りのできる姉御肌の人で、長い間業界のリーダーとして活躍していた。サバサバした性格で、まっすぐに向かい合えばいいから、私のように無作為で生きる人間には、ありがたいお付き合いだった。着ているものも乗っている車も、住んでいるところも高級品。ご主人も某テレビ局の名の知れた方。いつもクリーニングから戻ったばかりのように、アイロンがビシッときいた衣類を身に付け、車はピカピカ。暇だから毎週ゴルフにいってるの、と言って、筋肉質の日に焼けた贅肉のない体つき。セレブは違うなあといつも感心している。すべてがヨレヨレの私は、どうしたらあのようになれるのか想像もつかない。ずいぶんこまめに動かないと、いつもあんなに身奇麗にはしていられないだろう。「せめて顔だけでも見に来たのよ」と言う。はいはい、こんな顔でよかったらどうぞご覧ください。私は美人じゃないけれど面白い顔ではあるから、ご期待に沿えるでしょう。でも、ご主人は結構年上だから、なんだか心配。やはり熱中症かな。お気をつけて、お大事に!

2011年8月7日日曜日

原爆のこと

この時期避けて通れないのが広島、長崎のこと。特に今年は福島の原発事故もあって、日本中がピリピリしているように思える。世界で唯一の被爆国が、自国民を被爆させてどうする。東電や原子力委員会や政府の対応がまったく信頼できないと思ったら、原爆投下当時の日本の政府の対応も、まったく同じようだったと初めて知った。すでに5時間前には原爆投下のための飛行機の飛来はわかっていたのだと言う。それなのに全く避難警報も出さなかった。もし、警告が出ていて物陰や防空壕に入っていれば、沢山の人が助かったかもしれない。私の父は戦時中、帝国発明協会というところで仕事をしていた。うちのアルバムには、高松宮さまが顕微鏡を覗いておられる写真があった。戦時中ならこんな写真をアルバムに貼ることなど許されなかったと思うから、これは戦後になってから撮った写真と思われる。それから、新聞の切抜きには、若くてなかなかハンサムだった父の写真があって、見出しには「発明おじさんはかういいひました」とある。子供の発明コンテストの審査員だったらしく、それについてのコメントが載っていた。旧かな使いだから、戦時中の記事かもしれない。そして、別のページには見るもおぞましい写真。原爆で死んだ人の写真がなぜか混じっていた。一度だけそれを見てから、二度とあけなかったアルバム。今両親も亡くなり、いったいどこにあるのか。たぶん処分されてしまったと思うけれど、ほんの小さな子供だったのに、いまだに目に焼きついている。なぜあんな写真がアルバムに入っていたのか。それを見てしまった時には、学齢前の子供だったにもかかわらず、本当にショックを受けた。発明協会というのは、政府関係の仕事ではなかったのか。それで、あのような写真をいち早く入手したのではないか。それにしても・・・・今でも鳥肌がたつ。父は全く戦時中のことは話さない。兵役は免れて国内での任務だったのか。発明などというのも、なにか胡散臭い気がする。戦後は自宅の廊下で電気洗濯機の実験なんかやって平和だったけれど・・・身の毛のよだつ写真が、福島の原発と重なって見える。

2011年8月6日土曜日

アンサンブル・フォウ・ユウ定期演奏会

トッパンホールにて。
モーツトァルト 「皇帝ティトスの慈悲」
         「ヴァイオリン・ヴィオラの協奏交響曲」
ファッシュ   「コンチェルト」
ベートーヴェン「交響曲第一番」

法曹界で仕事をしている人たちのアンサンブルで、裁判官、弁護士などがメンバー。今日ソロを弾くヴァイオリン、ヴィオラのお二人は去年からせっせとわがやにレッスンを受けにみえていた。ふたりとも大変高水準のレヴェルにいるのだが、なんせ、曲がむずかしいので、苦行の連続。でも、本番はなかなか良く弾いていた。特にヴィオラの女性弁護士は落ち着いていた・・・・・と思ったら、後で聞いたら、失神寸前だったという。失神寸前であれなら上出来。拍手。このコンサートは本来3月12日に行われるはずだった。ところがあの地震!運悪く前日が大揺れだったので、やむなく中止の憂き目にあってしまった。延期して今日の運びとなった。練習時間が増えたせいか、すごくいい音で、非常に好演だった。災い転じて福とはこのこと。大変楽しんできた。一緒に聞いたのは、やはり私がヴィオラを教えていた生徒で、法科大学院1年生のT子さん。これから司法試験を受けるのだから、先輩諸氏に勉強のコツなど教わりなさいと言って誘った。彼女は大学3年生のとき、飛び級で大学院生になってしまった才媛なので、ほんの短い時間教えただけなのにヴィオラの上達もめざましいものがあった。打ち上げ会場で早速最近卒業したばかりのフレッシュマン、ウーマンにいろいろアドバイスを受け始めた。彼女が飛び級をしたと聞くと誰もが顔色を変えるので、そんなに優秀なのかと初めて知った。頭はいいと思っていたけれど、ごく普通の可愛い良いお嬢さんなので、気にとめてもいなかったが、多分私の3倍は頭いいんだろうな。

2011年8月5日金曜日

「弾く会」例会

毎月一度のピアニストたちとの「弾く会」きょうは荻窪の素敵な調度品にかこまれたお部屋で。最近はヴィオラのFUMIKOさんも巻き込んで、弦楽器も存在をアピール。ヴィオラとヘンデル「パッサカリア」ロッラ「デュオ」の2曲。そしてベートーヴェンの「ソナタ8番」を弾かせてもらった。さすがに勉強家のピアニストたちもこの暑さと家族の介護などかさなって、いつもより量は少なくても、ジリジリと腕を上げている。バッハ、フランクなど相変わらず大曲が揃う。すごいなあ。友人ながら尊敬する。弦楽器奏者は二人ともこのところ忙しい。私は昨日長時間スタジオで仕事、Fさんは昨日Jazzピアニストとのジョイントがあって、たいそうお疲れのところ「パッサカリア」みたいに小難しい曲を朝っぱらから弾くとあって大変だったと思うのに、その後先生にレッスンを受けに出かけていった。見上げた根性!私たちより一世代ぶん若いので、体力、気力ともにかなわない。超おしゃれな人が入ってきたので、私たちおばさまはそれについていろいろ聞き出す。「そのまつげはどうなってるの、つけているの?」「伸びる美容液があるの。ほしいわ。」など。そこで皆、いまに睫毛で風が送れるくらい長くなろうなどと、たわごとを言ってきゃあきゃあ騒ぐ。まるで、女子高生みたい。だんだん子供に戻って、今は高校が中学くらいかな。もうすぐ小学生になるでしょう。

スタジオミュージシャン

CDなどのレコーディング、カラオケ、コマーシャルソング、ドラマのバックミュージック、いわゆる劇伴とよばれる。そんなステージでなくスタジオ内での仕事を主にする人たちがいる。勿論劇場や歌手の伴奏などライブもしないことはない。私たちが全盛期には徹夜で録音して、明け方帰ったりしたものだけど、今は仕事も減って、ずいぶん大変な時期にさしかかっているのだなあと思う。今日は久しぶりにスタジオに入った。久しぶりだからカーナビに案内してもらおうとセットしたが、うちのカーナビはほとんど役立たず。なぜか、反対の方に連れて行こうとする。かつては毎週のように通った麹町付近のスタジオなので、知らず知らずのうちに自分で方向を決めている。それに反してカーナビおねえさんは、右を左、左を右と絶叫する。いったいどうやって連れて行くつもりかと思ってよく見ると、なんと遠くからぐるっと一回りさせるつもりらしい。いつの間にか一方通行になったかと思ったけれど、とにかく自分を信じて走っていくと、なんのことなく到着した。まったくもう、こんなところをカーナビ使おうと思う私がばかだった。まだ売れっ子だったころは、スタジオ仕事が嫌いな私はもったいなくも、どんどんお断りしていた。今より沢山仕事があったから、断っても又すぐに電話が入る。時々気が向いたときだけ行くという、贅沢さだった。ところがいつしかシンセサイザーの登場とともに、アコースティック楽器はどんどん数を減らされ、仕事自体も少なくなって、いまや、一握りのグループがスタジオを独占している。めったにないおこぼれを時々やらせてもらえる。貴重な仕事に行くと、懐かしい顔ぶれでうれしい。なぜスタジオの仕事が好きでないかというと、機械に向かって弾くのと、お客さん(人)に向かって弾くのの違い。人からは何らかの反応があるが、機械は欠点を見つけるだけ。コトリとでも雑音が入れば取り直し。お腹がグウとなったり、咳がコホンとでれば、全員から白い目は間違いない。ほんの少しのズレも情け容赦なく暴露される。機材がよくなって、少しの間違いも許されない厳しさがある。スタジオ内の空気の張り詰めた寒々しさ。どうも苦手だった。でも今日はメンバーが和気藹々だったので、楽しい気分の方が大きかった。めったにないことだけど。

2011年8月4日木曜日

強い!

ピアニストたちの弾く会に参加させてもらっているが、そのうちの一人、私といつもコンビを組んでベートーヴェンのソナタを連続して弾いているSさんのご主人が亡くなった。晴天の霹靂とはこのことで、まだまだ働き盛りなのに、言葉をかけるすべもない。ご葬儀から10日ほどたっているが、まだ悲しみも癒えないと思うけれど、今月の例会が迫っている。前からの約束だったので、もし気持ちが向かなければキャンセルしていいよとメールを送ったが、今日予定どおり練習をした。お花とお線香をあげさせていただいた。元気の良い生き生きとした写真がこちらを見ている。彼女のうちに合わせに行くと、音楽好きな彼は時々覗きに来ては、ちょっと一言言ってくれる。それが的を得ていて、なかなか参考になる。あんなに元気そうだったのに、儚いこと。合わせ始めると意外と力強い演奏に少し安心する。終わってからしみじみと思ったのは、彼女にピアノがあって本当に良かったということ。しっかりと彼女を支えてくれるのは音楽以外の何者でもない。家族や友人などもいつかはお別れすることがあっても、音楽はずっとともにいてくれる。私たちはものすごいエゴイストかもしれない。自分の中にしっかりと根付いたものが、外からの介在を許さないものを持っている。身近な人の死はそれ自体大変に悲しいことで、彼女も顔色悪くやつれていたけれど、しっかりと自分の気持ちを保っている。チェリストの友人は、コンサートの朝奥さんを亡くし、でも一切乱れることなく本番をやりとげた。後で聞いて皆びっくりして、彼の胸中をおもいやって泣いた。もう一人の友人も前日お母様を失くし、本番が終わったときに初めて私たちにそのことを言ったので、本当に驚いたことがあった。自分の義務は何事があろうとやりとげる、強い人たちですね。たまさぶろうに死なれたら、私なら一日中泣きっぱなしかもしれない。

2011年8月2日火曜日

雪雀連会長は傘寿

会長は山田宏氏。調律界の大御所。おん歳80歳になる。飲兵衛集団の雪雀(スキーとマージャン)連を率いて何十年、冬はスキー、春はお花見、夏は軽井沢でバーべキュー、秋は紅葉狩り、その合間に海外・・・カナダ、ニュージーランドなどに出かけ、ここでもスキー三昧、よくもこれだけ遊べるものだと感心する。勿論お仕事の調律の腕は一流だから、都内の大きなホールや有名ピアニストの調律をしている。すべてのスケジュールをつくり、旅行社と交渉し、飛び回っている。その記憶力の素晴らしいこと、皆がとっくに忘れているようなことまで、鮮明に再現してみせる。さて、その山田さんが少し体調を崩された。今年3月、カナダのウイスラーで、山田さんがなんということのない緩やかなゲレンデで、突然転んだ。長い付き合いだが、私は山田さんが転ぶのを初めて見た、と思った。そして疲れたから午前中だけでやめるとか、私のようなことを言い出した。私は生来怠け者だから、カナダのように長いゲレンデなら午前中3本も滑れば、大満足。午後はスキーを脱いで遊ぶ。今まで山田さんはそんなこともなく、おかしいなとは思ったが、まあ年も年だから、そんなものかと思っていたら、どうやら体調が相当悪かったようだ。サービス精神が旺盛なので、おくびにも出さず楽しそうに振舞っていたけれど。検査の結果入院となった。それで、あれだけ生命力の強い人だから、すぐに元気になると思うから、快気祝いと傘寿を兼ねてお祝いしようということになった。私が会場係りをおおせつかったので、二子玉川の「松本記念館」を候補にあげ、今日下見に行ってみた。以前ヴィオリストのFUMIKOさんからパンフレットをもらって、いいなと思っていたホール。パイオニアの創立者の松本氏が元の持ち主だそうで、今は音楽迎賓館として使われている。50人ほど入る二つのホールと、レセプションルーム、あとは和室のホールなど、深い木立にかこまれた丘の上に建っている。チェンバロやオルガン、マニアの垂涎の的となりそうな、レコードプレーヤー、オルゴールなど、ホールはステンドグラスの窓が美しい。もう決まり!ちょっと交通の便は悪いけど、それは車の人が何人かで送迎すればいいのだから、問題ない。初めアマ、プロ入り乱れての音楽会。終わってから、レセプションルームで宴会。とても素敵な会となることでしょう。

2011年8月1日月曜日

胃が痛い

武蔵野市民文化会館の近くにあるスパゲッティのお店。仕事の休憩時間にはいった。カウンターだけの小さな構えだけど、ここのシェフの面構えは大きい。でかい面といったら失礼。厳しい面立ちとでも・・・。友人が夏野菜とモッツァレラチーズのスパゲッティーを頼んだ。うーん、おいしそうね、私も。というわけで、同じ物を頼んだ。出来上がって目の前に現れたそれはお皿に山盛り。優に2人前はある。ちょっとおしゃれなお店ならこの半分の量で、倍の値段になりそう。ナスやトマト、ズッキーニ、なぜかゴーヤーが入っていて、それがチーズとすごく合って、とてもおいしいが、なんせ量が多すぎる。しかし、ここのご主人の目がじっと見ているようで、残すわけにはいかないなと、本能的に思う。こんなところで本能もヘッタクレもないが、とにかく残したらしかられそうな気がする。一生懸命口に運ぶ。途中で親子3人が入ってきた。空いた席が飛びとびだったので、3人並んで座れないでうろうろしている。私たちが端に寄ればいいから詰めましょうと言うと、断固としてご主人が、いや、どうぞ、ごゆっくり召し上がってくださいと言う。ピシャリといわれて動けなくなる。ちょうどいいタイミングで立ち上がって、お腹にストンと食べたものを落とそうと思ったのに。その客あしらいの様子から、この人は子供が嫌いだなあと見てとれた。又友人と私は黙々と食べる。量が多すぎるのにおいしいから食べてしまった。本当に味は抜群だった。うー、下向けない、なんて言いながらお店を出て考えた。腕はものすごく良い。でも、食べているひとに楽しいと思わせないと、お店は繁盛しないのでは?大丈夫かなあ。願わくばこの次にあの会場で仕事をするときまで、あそこに残っていてほしい。当日、出演者の何人かはあそこの店でしかられた話をしていた。笑ったら怒られたの、なんて。

腹筋ベルト

3日ほど前、仕事先で出会った女性が10キロの減量に成功したと聞いて、皆色めきたった。どうやって?食べないで?運動したの?・・・いいえ、ちゃんと食べたけど、夜だけご飯をたべないの。それが答え?私なんてもうずっと夜は主食を食べないけれど、相変わらず太ってる。お腹がキューピーさんみたいにポッコリ。ずっと気になっていたから今までずいぶんいろいろやってみた。まず、食事を減らす方法は、週末断食。土曜日の朝から徐々に食事を減らす。日曜日はほとんど食べない。月曜日から金曜日までは普通に食べる。この方法で1年間で7キロ減量、2キロリバウンドで結局5キロ減ってそのまま維持しているけれど、この2キロが曲者。たった、と言うなかれ。この2キロはそっくりお腹についているのですよ。あるときはエステに行って徹底的にセルライトをほぐしてもらって、少しスッキリしたときもあったけれど、これは時間もお金もかかる。なによりも痛い!だから2度とできない。そしてネットで見つけたのは腹筋ベルト。ほんとかうそか知らないけれど、あまりに売れているので、8月の末までは送れません、ということだったのに、すぐに届いた。購買欲をかきたてるためのワナだったか。ちゃんとはまってしまって、今朝から使用中。チャンピオンベルトみたいな幅広ベルトの内側にジェル状のパッドを貼り、お腹にまいて低周波を流す。お腹がヒクヒク勝手に動いてなんだか効き目がありそうだけど、電流を体に通していいのかしら。私はただでさえ電気人間で、手がいつもビリビリしている。電磁気系のものに影響を与えるらしく、私が持つとパスモが改札を通らなくなる。一度レーザーのクレー射撃をやったら、係りの人が何回も調べてくれて故障していないのにもかかわらず、私が銃を持つと発射しなくなってあきらめたことがあったくらい。その私がこんなもので体に電流を通して、ますます電気人間にならないかしら。そのうち、暗くなったら体が光ったりしないだろうか。停電の時は便利かもしれない。さて、本当に効くのか、来月ご報告します。