2011年8月7日日曜日

原爆のこと

この時期避けて通れないのが広島、長崎のこと。特に今年は福島の原発事故もあって、日本中がピリピリしているように思える。世界で唯一の被爆国が、自国民を被爆させてどうする。東電や原子力委員会や政府の対応がまったく信頼できないと思ったら、原爆投下当時の日本の政府の対応も、まったく同じようだったと初めて知った。すでに5時間前には原爆投下のための飛行機の飛来はわかっていたのだと言う。それなのに全く避難警報も出さなかった。もし、警告が出ていて物陰や防空壕に入っていれば、沢山の人が助かったかもしれない。私の父は戦時中、帝国発明協会というところで仕事をしていた。うちのアルバムには、高松宮さまが顕微鏡を覗いておられる写真があった。戦時中ならこんな写真をアルバムに貼ることなど許されなかったと思うから、これは戦後になってから撮った写真と思われる。それから、新聞の切抜きには、若くてなかなかハンサムだった父の写真があって、見出しには「発明おじさんはかういいひました」とある。子供の発明コンテストの審査員だったらしく、それについてのコメントが載っていた。旧かな使いだから、戦時中の記事かもしれない。そして、別のページには見るもおぞましい写真。原爆で死んだ人の写真がなぜか混じっていた。一度だけそれを見てから、二度とあけなかったアルバム。今両親も亡くなり、いったいどこにあるのか。たぶん処分されてしまったと思うけれど、ほんの小さな子供だったのに、いまだに目に焼きついている。なぜあんな写真がアルバムに入っていたのか。それを見てしまった時には、学齢前の子供だったにもかかわらず、本当にショックを受けた。発明協会というのは、政府関係の仕事ではなかったのか。それで、あのような写真をいち早く入手したのではないか。それにしても・・・・今でも鳥肌がたつ。父は全く戦時中のことは話さない。兵役は免れて国内での任務だったのか。発明などというのも、なにか胡散臭い気がする。戦後は自宅の廊下で電気洗濯機の実験なんかやって平和だったけれど・・・身の毛のよだつ写真が、福島の原発と重なって見える。

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