2015年6月29日月曜日

ルオムの森のコンサート

北軽井沢に「ルオムの森」というレジャー用施設がある。
そこで我が「雪雀連」の北軽井沢在住組が「3人の会」を開催することとなった。
1人は人形作家のノンちゃんこと田畑さん、映画のプロデューサーだった福間さんは絵を出品、もう1人は織物作家の小形さん。
それは絶対見に行かなくては。
ところで、そこで音は出せるの?ピアノはあるの?と、しゃしゃり出る。
聞けば、条件はそろっている。
ピアノの美里さん、ヴァイオリンの今村さんの3人で押しかけ演奏することになった。

以前から、軽井沢でコンサートをしないかという話しはあった。
小形さんの別荘のリビングで座興に弾いたヴィオラ。
その時偶々小形さんに織物を習いにきていたのが、「ルオムの森」のオーナーだった。
泊めてもらったのが八ヶ岳音楽祭の後だったので、ヴィオラを持っていたからヴィオラのミニコンサート。
それがどうやらお気に召したらしく、コンサートが出来ないかしらねえなどと話しをしていた。

次に訪問したときに、そのオーナーもいて挨拶をしてくれたけど、私は人の顔が覚えられない。
あなた、だれ?と顔に出ていたらしく、ちょっと鼻白んでしまったようだ。
それで立ち消えになったかというとそうでもなく、いつもコンサートの話しが出ては消え出ては消え。
あちらの方達は少し遠慮しているようだ。
世界の中でも一番ギャラの高い演奏家に(アハハ、うそだよ~ん)軽々しく演奏しろとは言えないみたいで。
いえいえ、世界でも最底辺の演奏家としては、一宿一飯の恩義にあずかれば、なんでも演奏しますよ。
なんたって、河原乞食ですから。
とにかく、ここの人達の料理の腕前はプロ真っ青なくらい美味しい。

早くしないと私はもうそろそろ弾けなくなるから、今回はこちらから声をかけた。
お祝いにコンサートしましょうかと押しつけがましく言うと、大喜びで乗ってきた。
ヴァイオリン2人、ピアノ1人居れば充分素敵なコンサートが出来る。

プログラムはまだ決めていないけれど、8月25日、軽井沢方面に避暑に来ていらっしゃる方々は、2時からルオムの森集合ですぞ。

福間さんの愉快な絵と、のんちゃんの人形劇、小形さんの織物。
それに華を添えられるかどうか、もしかしたらぶち壊しになるかもしれないけれど、是非ご来場お待ちしております。
チラシが出来たら貼り付けます。

そして私は明日から、軽井沢のKさんの別荘へ向かう。
女性コントラバス奏者のHさんがお休みが取れたというので、それっとばかりに一緒に遊ぶことになった。
ヴィオリストのKさんとHさんは元オーケストラの仲間で、本当に長い間仲良くしてもらっている。
なにかというと声を掛け合って、遊んだりアンサンブルしたり。
この次はこの人達も巻き込んでしまおうと思っている。
大編成で賑やかになにかできるかも。

2、3日、Kさんの家で猫と、まったり・・・いいなあ。
ついでに北軽井沢に足を伸ばして、ルオムの森の会場の下見が出来る。あちらこちらに私の物ではない別荘があるので、来年辺りはもう少し本格的なコンサートが出来そうな気がしてきた。

・・・とここまでは、今朝までのはなし。
その後思いもかけない展開が。

ヴィオラとコントラバスのお二人にそれとなく都合を訊ねたら、なんと二人とも大乗気。
急遽すごいプログラムになった。
計画としては

ヴァイオリン2本で
  トレッリ「2つのヴァイオリンの協奏曲」
ヴィオラ、コントラバスで
  ディッタースドルフ「ヴィオラとコントラバスの協奏曲」
ピアノでなにか小品を1曲弾いてもらう。
モーツァルト  
  ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲もいいかも。(未定)
もしチェロが見付かれば
  シューベルト「ピアノ五重奏曲 鱒」より4楽章

こんな面白い企画になってしまった。
すごいすごい、これは毎年の恒例にしたい。

明日、ヴィオリストのKさんの家で、飲んだくれながら会議を開いて決めようと思っている。
ちょっと声をかけると、一斉に仲間が駆けつけてくれるのが嬉しい。

11月にはモーツァルト「ディヴェルティメント17番」が弾ける。
これ私の十八番。ホルン2人が調達できた。
時間の都合で抜粋ですが。

なんだか弾きたいと思うと必ず実現するのが、怖いくらい幸運だと思っている。

浅間山が爆発しないよう、幸運が続いてくれるといいのだけれど。





















2015年6月28日日曜日

顔が覚えられない

昨日のコンサート会場で出会った人達。
どこの会場へ行っても誰かしら知り合いがいるので、油断も隙もない。
必ず誰かに見られている。
ところが私ときたら、人の顔を覚えられない。
これも一種の障害ではないかと思えるくらい。

近所の猫はちゃんと覚えられる。
人に興味が無いからかも知れないけれど、どうやら色彩に反応できるけれど、形状の記憶が苦手といったところではないかと思う。
猫は三毛や白、トラ、黒など、毛色で分かる。
人間はよほど特徴が無い限りだめで、久しぶりに会った(らしい)人に「わあ、懐かしい、お元気」と言われて「あ、どうも、はい」なんて応えていたら「あなた覚えてないのね、ひどいわ」と言われてしまったことがある。
そう言うときに上手く立ち回れないのは処世術に長けていないからで、昨日もそんなことがあった。

顔が合った時にこちらを見てニコニコしている男性がいた。
はて、この顔知ってる(かな?)
初めて会う人ではなさそう。
でも、時々やらかすのは「こーんにちわー」なんて調子よく挨拶したら全くの人違いなんてのもあるので、まずは警戒。
狭いロビーで何回もすれ違う。
そのたびに目が会ってニッコリ。
軽く会釈。
誰だっけ誰だっけ、うっかり話しをするとボロが出るからと逃げ回っていたら、あちらから「この間はどーも」
ついに「いつおめにかかりましたっけ」訊いてしまった。
「先日お宅で兵士の物語を聴きましたよ」
あら、嫌だ、その時のピアニストのご主人様。
何十年も前からの知人でした。

そして休憩時間がすんで座席に戻ると、隣に座っていた太武郎君のお母さんがその隣の人とお話をしている。
この人も・・・どこか・・・で
あちらから名刺を差し出してきた。
この時は強気で「初対面ではないですよね、どちら方面でお仕事ですか?」と訊いてみる。
「主に横浜で」と答えが。
「よくイギリス館のコンサートに行きました」
あらま、イギリス館でなら何十、いや百回越えるくらいは演奏している。
そうすると、昔の恥ずかしい演奏を聴かれているにちがいない。
ずいぶんヘマしたし。きゃー
忘れてください、よろしく。

来月高校のクラス会があるけれど、少し心配なのは、誰だかさっぱり分からないのではないか。
それは高校卒業以来という人なら仕方がないと思ってもらえるけれど、一昨年クラス会で東北に行って2日間一緒だった人達の顔が分からなかったら、それこそ袋だたき。
それが恐怖!!!













2015年6月27日土曜日

安原太武郎オーボエリサイタル

太武郎くん、カタカナで書くとタブロー、フランス語で絵画のことらしい。
オシャレですね。
ご両親が芸術家なので、こういう名前がつけられたけれど、お母さんの話では「間違えて、ぶたろう君なんていわれるのよ」
お母さんは私の長年の相棒として一緒に室内楽を楽しんできた仲間で、これは息子さんの幼稚園の頃の話し。

お父さんはオーボエ、お母さんはヴァイオリンの音楽一家。
ご両親はかつてドイツのオーケストラで活躍、息子さんもドイツで大学院を卒業して現在セントラル愛知交響楽団メンバー、名古屋芸術大学などで教えている。ロストロポーヴィッチ・コンサートキャラバン、サイトウ・キネン・フェスティバル松本等々のコンサートに出演している。
かながわ音楽コンクール管楽器部門第一位。

すっかり次世代の演奏家の時代になったとの印象が濃い。
友人の息子さんが立派な音楽家として演奏するのは、とても嬉しい。

テレマン   無伴奏オーボエのための12の幻想曲より第3番
ミヨー    オーボエとピアノのたっめのソナチネ 作品337
カリヴォダ  コンチェルティーノ作品110
ブリテン   世俗的変奏曲
プーランク  ピアノ、オーボエ、ファゴットのための三重奏曲

オーボエは東洋的な哀愁を帯びた表情と、鋭角的な現代的な鋭さを持ち合わせた魅力的な音で私たちを魅了する。
管楽器の中でも独特の個性の強さが見られる。
オーケストラのチューニングでオーボエのA音が聞こえると、もうそこからコンサートは始まる。
子供の頃から、あのチューニングのA音を聞くと、わくわくしたものだった。

特にオーボエ用に作られた曲は少なくて、ロマン派の曲は殆ど無いらしい。
今日もバロックと現代物ばかり。
こうやって聴いてみると、バロックは柔らかく現代物は鋭く、けっこうオーボエという楽器の特性に合っているようだ。
お父さんも名手だったけれど、息子さんもさすがの腕前。

最初のテレマンは随分緊張していたようで、しかも無伴奏だったために息継ぎがすごく難しい楽器だというところが見えて、少しはらはらした。
オーボエは息がこれでもかと言うほど長い。
どこまで息を吸わないで居られるのだろうかと、心配する。
まあ、これは余計な心配だけれど、息を沢山使わないので余ってしまって、苦しいのだそうだ。

彼は音そのものも素晴らしいけれど、音楽家の両親から受け継いだ音楽性がごく自然にわき上がってくるので、これ見よがしの所がなく非常に良かった。
私は赤ちゃんの頃の彼に会っている。
あの赤ちゃんがこうして立派な音楽家に育って、こんな良い音を聴かせてくれるとは・・・
少しジーンときた、嬉しいコンサートだった。














2015年6月26日金曜日

フォーレ 「レクイエム」

今年10月の八ヶ岳音楽祭の演し物は、
        レスピーギ「ローマの謝肉祭」
        フォーレ 「レクイエム」 
        フランク 「交響曲2番」

早々と楽譜が送られてきた。
いそいそと封を切って、早速譜読みを始めた。
まだずっと先の事なのに、私は新しい曲の譜読みが大好きで、読み終わると飽きてしまうのだけれど、どれくらい弾けないかを試す意味もあって、来たらすぐに弾いてみる。
問題の箇所をチェックして、そこを重点的に練習する。
この作業はいつでもわくわくする。

ところで今年は私はヴァイオリン、ヴィオラの両刀遣い。
フォーレのヴィオラパートとフランクはファーストヴァイオリン。
両方弾いてくれと。
私に頼むのは筋違い。
メンバーに両刀遣いの優秀な人は何人もいる。
それでも、気易くおっちょこちょいに引き受けるのは私くらいだから、頼みやすいらしい。
なんで引き受けたかというと、フォーレのヴィオラパートはかねてから私の垂涎の的だった。
いつもヴァイオリンの席からヴィオラの旋律を聴きながら、いいなあ、弾きたいなあと指をくわえていた。
それを弾かせてもらえるならと、二つ返事で引き受けた。

幸い私は楽器が変わると、自然に脳みそのスイッチがパチンと切り替わってしまう。
車の右ハンドル左ハンドルも、車の右側通行も、外国へ行くとなんなく切り替わる。
だから殆ど苦労せず両方の操作ができる。
ものごと全ていい加減に流せるので強い!
生真面目に悩むことは滅多にない。

大喜びで寝ているヴィオラを起し、これこれ出番だよ。

久しぶりで弾くとやけに良い音がする。
うーん、やっぱりヴィオラ大好き。
でも、楽譜を見るとイメージと大分違う。
あれ、なんか変だなあ。
あの旋律はどこ?時々浮上する知ったメロディー、でも続かない。
え、こんなだったっけ。
もう少し滔々とメロディーが流れていたような気がするのに。

そうか、やはり第2ヴィオラもチェロもいて、ヴァイオリンがあって、それでヴィオラが引き立つんだ。
上手く作られているのだ。
ちょっと期待外れだったけれど、それでもやはり嬉しい。
長年弾きたいと望んでいたパートが弾けるのだから。

そう言えば、ベートーヴェン「第九」
3楽章のアダージオに、セカンドヴァイオリンの素敵な旋律がある。
ずっとファーストヴァイオリン弾いていた私は、そこのメロディーが弾きたくてウズウズしていた。
練習の時はその部分を一緒に弾いたりしていたけれど、まさか本番では弾くことは出来ないので、コンサートマスターに頼みに行った。
セカンドヴァイオリンを弾かせてくださいと。
コンマスは渋っていたけれど、何回もお願いしてやっとセカンドヴァイオリンを弾くことになった。
晴れて第九の3楽章のセカンドヴァイオリンを弾けて、本当に嬉しかったことを思い出す。

その後はオケの中の放浪児。
セカンド弾いたりヴィオラ弾いたり、ファーストに戻ったり。
それはそれで面白い経験だった。
他のパートが何をしているのかが良く分かった。
セカンドヴァイオリンやヴィオラは、主に木管楽器と連携プレーをしている。
ヴィオラは特にファゴットなどと関係が深く、すごく楽しい。
その場に行ってみないと、こういうことは分からない。

今はファーストでなければ弾けない。
内声はとても難しくて、気軽には弾けない。
もう考えるのが面倒くさいので、ファーストが一番。
チェロ、ヴィオラ、セカンドが苦労して作った台のうえで、いい気分で歌って居ればいいのだから。
ファーストヴァイオリンが一番気楽なのを、皆さんご存じかしら。
数年前にセカンドのトップをやらされたときのことは、思い出すのも嫌なくらい大変だった。
馴れてしまえばいいのかもしれないけれど。






































2015年6月25日木曜日

きれいなお花

今朝モヤに届いたお花。モヤはこれ鰹節味?なんて言うかも。

彼らも人間だった

1日の大半を笑って過ごしている私は、男性でイギリス人でハンサムであったとしても、絶対なれない職業が近衛兵だと思っていた。
彼らは誰がどんなに笑わせようとしても、絶対に笑わないと聞いていたけれど、この動画を見たら、そんなのは嘘っぱちだった。
ちょっと安心。しかし、こんな所を動画にされて、彼らの職業上の問題がおきなかったかどうか、心配。




2015年6月24日水曜日

モヤは散歩に出てしまいました。

今朝フラッと散歩に出てもう帰らないと言うから、長いことうちに居てくれてありがとうと言って送り出した。

昨日朝、水を飲ませようとしたら、全力で拒否してきた。
ああ、もうこれはダメだと思ったので、静かに寝かせてあげた。
夜になっても、もう起きることはなくて、明け方にはまだ息をしていたけれど、その後すぐに亡くなったらしい。
私は明け方特に眠りが深くなるので、一旦息をしているのを確認した後は安心して眠ってしまった。
その間にひっそりと逝ってしまった。

モヤはいつもそうだった。
ひっそりと、涼やかに、楽しげに生きていた。
夜中に何回か私を呼ぶ声で目が醒めて側に行くと、目を開けてしばらくこちらを見るけれど、たぶんもう見えて居なかったと思う。
モヤは元々酷い眼病を患っていたところを保護したので、若い頃から目は白濁していた。
視力は極端に悪いようで、それでも持ち前の勘の良さで家中を飛び回っていた。

母が入院していた市立病院の庭で、目をピンポン球くらいに腫らして、それでも蝶々を追いかけて遊んでいた。
獣医さんに連れて行くと、治療が終ってから「ここまでしたら飼うっきゃないよね」とヒゲの先生に言われ、うちの子になった。
治療しても目は白く濁ったまま。
わずかに左目が少し見えて居るようだった。
ヒゲ先生が記録したカルテには、保護したのが17年前と書いてあった。
保護したとき何歳かはわからないけれど、17歳は越えている。

少し喘息の気があって、低気圧が来る前にはゼイゼイと息が苦しそうだった。
私の枕で寝るのが好きだったのに、横暴なたまさぶろうが追い出すので、だんだん来なくなった。

一昨日、珍しくしばらく私の枕で寝てくれた。
ペーストを美味しそうになめてくれたり、鰺を食べたがったり、紐で遊んでくれたり、元気になるかなと思っていたけれど、あれは最後の親孝行だったのだ。
私が喜ぶので、そうしてくれたのかな。

この1ヶ月「モヤちゃんお願いだから食べて」と言ってエサを食べるように強要したのは、ひどいことだったかもしれない。
知らん顔して、静かに過ごさせてあげれば良かったかもしれない。
いつでも悔いは残る。
どの猫にも完璧にしてあげたという満足感はない。

自分の死にたいする心構えは、猫たちが教えてくれた。
ムダな治療は拒否して、自然に消えようと思っている。
モヤ、沢山の幸せをありがとう。
モヤがいてくれたから、私はすごく助けられた。
モヤとは猫と飼い主の枠を越えた、強い絆を感じる。

さきほど、たまさぶろうと同じ霊園にお願いしたけれど、モヤはたまが嫌いだったから今頃文句を言っているかもしれない。
たまはモヤが来て喜んで傍によっていって、猫パンチを頂戴したかも。
仲良くやってね、2人とも。























2015年6月23日火曜日

周りが偉い!

機械を疑うより自分を疑う方が早道。
あるブログを読んでいたら、こんなフレーズが出てきて笑った。
はいはい、私はいつも機械を疑うくちです。
パソコンの操作が上手く行かないときは、パソコンが悪い。
ヴァイオリンが上手く弾けないのは楽器が悪い。
楽器さえ良ければ私は名人さ!
というより楽器が無ければ、口三味線名人。

このところ練習に身が入らない。
この季節、湿度が高いのと気温の差が大きいので、楽器も調子が悪い。
そう、練習をしない私が悪いのではなくて、季節が悪い。

全部この調子で人のせいに出来たらどんなにいいかと思う。
でも、やはり自分がダメなことを一番良く知っているのは自分。
生まれつきすごく不真面目で陽気なので、それが元で落ち込むことは全く心配ないけれど、本当に神経質で生真面目な人なら私ごときの腕前では鬱になりかねない。
よくも長い年月、楽しく仕事をしてきたものだと我ながら感心する。
周りの友人知人が良かった。

いつも引き立て褒めて育ててくれた、女流チェリストの故Tさん。
彼女には本当にお世話になって、弦楽アンサンブルのコンミス、ソリストとして育てていただいた。

長年に亘ってコンサートに参加させてくれた、チェロのMさん。
彼のお陰で、弦楽四重奏、三重奏、ピアノ三重奏などの殆どのレパートリーを網羅することが出来た。
多くのソナタも弾かせてもらったし。
大抵の曲のオーダーにすぐに応じられるのも、その頃の貯金があるから。

もう1人の女流チェリスFさん。
ピアノトリオを組んで、何回も彼女のコンサートに参加させてくれた。
彼女と弾くと、何故か本番で必ず失敗してしまう私を、笑って許してくれた。
厳しい人だったので、緊張するのかな?
あるとき、珍しく私がヘマをしなかったことがある。
そうしたら、Fさんが珍しくとちって言うことは。
「nekotamaがいつミスるかと思って気にしていたけど間違えないから、私が間違えちゃったじゃないの」

もう1組、ピアニストのOさん、チェリストのMさんとは10年ほどトリオを組んでいた。
滅多に演奏されることのないメンデルスゾーンの2番、シューベルトの2番まで弾くことが出来た。
ラヴェルのトリオもレパートリーだった。

この2組のトリオは平行して継続していたから、レパートリーが沢山できた。

大学に入ったばかりの初めてのオーケストラの授業。
のんびり教室に入っていったら、すでに他の学生達は席に着いていて、空いているのがトップのイスだけだった。
もじもじしているとこわーい4年生のお姉様が「1年生は初めての時はそこに座るのよ」とおっしゃる。
嘘に決っているとは思っても、新入りは反論できない。
「え、え、でも」グズグズしていると教授が入ってきた。
泣く子も黙る、怖いことで有名なダテヤン。
演奏中に少しでも機嫌をそこねると、指揮棒が飛んでくる。
ニヤニヤしているから油断していると、雷が落ちる。

仕方が無いから、コンサートマスターの席にオドオド座った。
ところがその日の練習の曲は、ハイドンのシンフォニー「時計」
私は中学生1年から青少年オーケストラに入っていたから、この「時計」はレパートリーだった。
何回も弾いている、ラッキー!
ダテヤンは1年坊主をいじくるチャンスとばかり、冒頭部分を1人で弾くようにと私に指示した。
指揮者に合わせるのも馴れて居るし、新入生にしてすでにオケのすれっからしの私は、なんなくクリア。
ダテヤンが名簿に丸を付けるのが見えた。
合格したんだと思った。
その後は怖いと言われたこの先生から可愛がられ、殆どが上級生のオケのメンバーに組み込まれて、ブラームスのシンフォニー1番を弾かせてもらえた。
学内の実技試験の成績は芳しくないのに、4年生の弦楽アンサンブルに、1年生でも入れてもらえることとなった。
ダテヤンこと伊達先生には、彼が亡くなる直前までお世話になった。
何かにつけて引き立てていただいた。

そして今は3人の超まじめなピアニストたちに触発されて、練習する毎日。
この人達がいなければ遊び暮らして、今頃はもう楽器を手にすることもなかったかも。
まさかベートーヴェンのソナタを、殆ど全曲弾かされるとは・・・
苦手で長年避けて通っていたのに。

ラッキーが続いて、今の私がある。
ずっとこんな幸運でホイホイ世の中渡ってきたから、いつでも悪いのは自分ではなくて、楽器になってしまった。
パソコンも至れり尽くせりの設定をしてもらっているから、出来ないときは機械が悪い!とは言えないはずなのに、時々機械のせいにしたくなる。してもいいかなあ。年に免じて・・・だめかしらねえ。

















2015年6月22日月曜日

生きる栄養素

私の予想では、この終末はモヤの最後を看取っているはずだったけれど、なんとなんと、モヤはかなり元気になってきた。
先週の土曜日、モヤは点滴の液も入らない状態までやせ細り、せっかく注入した栄養剤もみな吐いてしまった。
身体が皮と骨ばかりになって、液が入っていかないといわれ、口から物を食べる事も水を飲むこともできなくなった。
今までの経験だと、こうなってしまうともう助からない。
自力で食べられなければ、一切手を貸さずに自然に消滅というのが、私の作った規則だった。

たまさぶろうもその規則に従って、天国へ行ってしまった。
しかし、モヤはすごい!
えさ場に張り付いて、なんとか頑張って食べようとしている。
その姿を見ていると、鉄則を破ってしまった。
ちゃおちゅーるというペースト状の猫のおやつ。
長方形の袋の先を切って、そこからペーストを押し出す。
猫がそれをなめるという仕組み。

袋から直接なめることが出来ないので、まず、指先でペーストをモヤの口の周りに塗る。
すると、それを舌で舐める。
ほんの少量から始まって、何回も何回も少しずつ舐めさせる。
始めのうちは舐めても中々飲み込めない。
お水もボールから直接飲めないので、始めはティッシュに含ませて、口元を湿らす。
なんだか末期の水みたいと、涙ながらに与え続けた。
その内、スプーンで少しずつ喉に流し込む。
それも喉を通るとき、苦しげにゴッホゴッホとやっと飲み込む。

それでもヒマさえあればペースト・水・ペースト・水とやっていったら、私もコツがつかめたけれど、モヤはどんどん飲み込むのが上手くなってきた。
元々賢い子だから、自分がなにをされているのか、良くわかっているようだ。
身体は殆ど空気のように軽くなって、抱き上げると骨の感触しかないくらい痩せている。
一昨日まではお風呂場のバスタブのなかに入り込み、出てこないから、散歩や買い物から帰って汗を流したくても、シャワーが使えない。
どかそうとして抱き上げるといっぱし文句を言う。

ところが昨日はしきりにエサをねだるようになってきた。
ペーストをなめる量も前日までの3倍くらい・・・と言ってもやっとチューブ1本完食ていど。
それでも昨日はチューブを3本位は平らげている。
量としては本当に少ないけれど、食欲があきらかに出てきた。

舐める力も強く早くなって、今まではチューブ半分もいくと本当に嫌そうに拒絶したのが、今日は美味しそうに催促するようになった。
そばつゆの入っていたポリ容器に水をいっぱいにして、ちょっと容器のお腹を押すと口から少しこぼれ出る。
それをモヤの口元に何回か持って行くと、そこから少しずつ舐めとるように飲み始めた。
それもお互いに練習の成果が出て、上手くなっていったので、水分も足りてきた。

便秘していたらしく何回もトイレに通ってはいきんでいたのが、昨夜はトイレに便がかなり出ていた。
それですっきりしたのか、おやつのチューブ1本分をぺろりと平らげ、私が食べていた鰺をよこせと大騒ぎ。
まだ固形物は入っていかないらしく、途中で諦めたけれど。

モヤは長い間タマサブロウと他の猫たちの間で、目立たなくひっそりと生きてきた。
それが、タマがいなくなり、その前にナツメという子もいなくなり、
今はコチャという猫と二匹だけ。
しかも具合が悪くなってからは、一気に私の関心が自分に向いたので、有頂天。
いまやすっかり甘えん坊の食いしん坊になってしまった。
老い先短いからこの先も思いっきり甘やかしてあげようと思っているけれど、あまりの甘えっぷりにいささか手を焼いている。
モヤがこんなでは、家を空けて遊びに行くことも出来ない。
飼い主は放浪癖があるから、家の中にジッとしてはいられない。
それでもモヤが生きている内はなるべく家にいて、幸せに天寿を全うさせてあげたいと願っている。

モヤの回復は、たぶん愛情を栄養としたもの。
今まで半分以上タマに持って行かれてしまった愛情を目一杯注がれて、それが生命力につながって居るのではないかと思う。
愛されることが生きる力になるのは、猫も人間も一緒。
さっきバスローブの紐にモヤがじゃれついて、ビックリした。
ほとんど余命数日だったはずなのに。
こんな時にも遊びを忘れない、明るくて幸せなモヤ。

今朝はチューブ半分でエサを拒否。
中々思う様には良くならないけれど、焦っても仕方がない。















2015年6月21日日曜日

原因をさぐる

やめられないゲームがあって、毎日毎日同じゲームを繰り返しやってしまう。
時には数時間も没頭するので、それに呆れた人から、どこが面白いのかと訊ねられたことがある。
自分でも訊かれるまでは理由がはっきりしていなかったけれど、それで考えると、失敗したときにその原因を探る面白さがあるのだと気付かされた。
それは麻雀ゲーム。

単純に同じパイを揃えて捨てていくというだけのゲームなのに、これを作った人はなんて意地が悪いのかと思うほど、最後の詰めで暗礁に乗り上げる。
最後に行詰まって原因がどこにあるか辿っていくと、一番最初に間違った組み合わせだったりすると、全部やり直し。
簡単に出来たときにはつまらないのだから、私の性格がよほどストレスを好むようにできあがっているらしい。
人はストレスで病気になったりもするけれど、ストレスのない生活にも耐えられないのだと思う。

ヴァイオリンなんて弾いて居ることからしても、案外自分からストレスを求めているようだ。
ノラ猫をやたら拾ってくるのも、まあ、そんなところ。

新しい生徒がやってきて、長年ヴァイオリンを弾いているのに上手くいかないと言う。
ちょっと弾いてもらうと、ほとんど、いや悉く原因は、姿勢の悪さと脱力が出来ていないことに尽きる。

ヴァイオリンを弾くことがなにか特別な事と思っているらしいけれど、そんなことはない。
日常の運動の範囲を超えることはない。
だって人間は特別な運動を過激にやったら、こわれてしまう。
それが楽器を手にすると、びっくりするほどおかしなことを始める。
楽器を持ち上げなければいけないと言うので、左肩を上げる。
ポジション移動のために、顎でギュウギュウ挟んで固定する。
長時間首で楽器を支えていたら、首がおかしくなるに決っている。
鎖骨の上にポンと載せ、左手でネックを軽く持ち上げる。
これが基本。
「でも前の先生には楽器を首でしっかり固定しないといけないと言われました」と言うから、それがどれだけいけないことか、懇々と説明する。
真面目な子ほど顎でギュウギュウ楽器を挟むので、顎当てが悲鳴を上げてギシギシ音をたてる。

しばらくすると「あ、楽になりました」と言う。
音も変わってくる。

形はきれいに見えるのに音が悪いときは、たいてい右手の親指が固定されてしまっている。
弓を持つ方の右手は、全部の指がそれぞれ独立した動きをしなければいけない。
それなのに一番大事な支点となるべき親指が固定されていれば、他の指は全部自由を失う。
どうも変だと思ってよく観察すると、たいてい、親指が他の指と触っているか、力が入りすぎてカチカチに固定されているか。

そうやって一つ一つ丁寧に原因を探ると、しばらくすると、音は見違えるように良くなっていく。
これが教える方の醍醐味、やりがい。
「最初に弾いてもらったときに、あなたのヴァイオリンはブリキかなにか金属で出来ているかと思ったわ。今は木の音になってきたね」と、これは最近めきめきと音色が良くなってきた生徒に言った言葉。

弦楽器奏者は右手のボウイングが難しく、そのために長い年月を費やして練習を重ねる。ホンの些細な事が音を悪くする。
先日ピアニストに「ピアノはタッチングの練習はしないの?」と訊いたら、特にしないそうなのだ。
弦楽器はまず弦の上に弓を載せるところから練習をする。
載せたらそこから、いかに上手く雑音を出さずに弓を真っ直ぐに引いていくかの練習。
それだけのために私も、最近まで先生のところへレッスンに通っていた。
1時間開放弦だけ弾いてくる。
歌のボイストレーニングと一緒。
ピアノにも当然タッチのための練習があると思っていたけれど、そういうことはやらないらしい。

先日生徒から、弓を持った自分の右手の写真が送られてきた。
妙な角度に手がねじれている。
はて?どうやればこんな風に変わった持ち方ができるのだろうか。
ためしに色々やってみたけれど、わからない。
彼女は右手のボウイングに問題があって、弓が浮いてしまうから音が良く出ない。
それが前出の親指の固定。
多分子供の時にギュッと弓を握っていた、その名残が未だにぬけないものと思われる。
それで親指の力を抜いて、他の4本の指もそれぞれ独立させないといけないと話したら、これは推測だけれど、他の指の力を抜かないで親指だけ緩めているような・・・???
写真だからよく分からないので、次回のレッスンまで待っていらっしゃいと返事をしておいたけれど。

ゲームに夢中になるのは、失敗した時に遡ってその原因を探るのが面白いから。
ヴァイオリンを弾いて飽きることがないのは、上手くいかないのはどうしてかと四苦八苦するからだと、やっと気が付いた。
だから人生は、いつまでも面白い。































2015年6月19日金曜日

新人演奏会

東京音楽大学校友会 神奈川県支部の新人コンサートに、私の元生徒が出演するので聴きに行った。
会場は神奈川県立音楽堂。
古く、見てくれも古びて冴えない会場だが、ここの音響の良さは人口に膾炙している。
音楽堂の改築の計画が持ち上がった時、多くの音楽家から反対する声が上がって、私も勿論署名運動に加わった。

この会場の良さは客席では勿論、ステージ上でも実感できる。
客席では、都内の音響の良いホールのどこにも負けないくらい、良い音がする。
そしてステージでは、客席の拍手の音が素晴らしく良く聞こえる。
なんでも古いからと言って改築しないで、こういう物をちゃんと残しておくのも神奈川県の文化度の高さをアピール出来るのではないかと思う。
確かに地震対策とか、楽屋の使い勝手の悪さとかあるかも知れないけれど、目に見えない音を保存するのも、見識のある姿勢と言える。

私は子供の頃からここで沢山の名演奏を聴いた。
レオニード・コーガン、アイザック・スターン、ヴィルトュオージ・ディ・ローマ、フランス・ブリュッヘン、等々
特にコーガンは最初の音を聴いたときに、全身に電流が走った。
プロコフィエフ「ソナタ2番」
そしてローマ合奏団の時には、私はこういう仕事がしたいと心底思った。

今日演奏した元生徒は、彼女が6才から6年間教えた。
まずは音楽の楽しさを知ってもらい、音階を重点的に、そしてプロには不可欠の譜読みの早さ、他人の音を聴く、そして合わせるなどのアンサンブルの基礎を学んでもらった。
この間に、メンデルスゾーンの協奏曲などは、楽に弾きこなせるまでになった。
最初からプロを目指していたので、彼女が12才になったとき次のステップのためにY先生の元へ送り込んだ。
この先生が素晴らしく、テクニックを余すところなく教えられたお陰で、今は技術的にはなんの問題も無いとロンドンアンサンブルのタマーシュにお墨付きをもらった。
あの名手からそう言われて嬉しいけれど、彼はすごく人が良いので、評価の半分くらいの実力と思わなければいけない。

今日の演奏はラヴェル「ツィガーヌ」
様々な音の色彩の変化が楽しいこの曲を、彼女はとても上手く弾いていた。
すらりと手足が長く、髪を艶やかに結い上げて、黒地に金の柄のドレスがとても映える。
最近のヴァイオリンを弾く女性の素敵な事ったらない。
途中で一瞬暗譜が飛んでしまったが、なんなく乗り越えて、曲を知らない人なら気が付かないように上手く処理した。
度胸もついてきた。

それでも口やかましい元教師はブツブツ独り言。
こういう曲ばかり弾いていないで、古典の曲をみっちり弾けばいいのに。
若いうちはとかく華やかなテクニックに憧れる。
それはそれで良いけれど、究極はやはりモーツァルト、ベートーヴェン、バッハ、ブラームス。
とにかく彼女の今後の音楽家人生の、幸多かれと祈っている。

















2015年6月18日木曜日

モヤは私の天使

先月今月半ばまでは絶不調。
激しい咳の出る風邪を背負い込んでしまった。
それにしてはあちらこちら歩き回っているではないかとお叱りを受けそうだけれど、やらなければいけないことも多々あって、しかも多動児だから寝てはいられない。
最近の疲労感は半端でなく、これでもうお終いかと・・・は思わないけれど、ほとほと年齢を感じさせられた。

その上、我が愛する飼い猫のモヤ。
5日ほど前に絶望的な状態となった。
食べない飲まない、腰がふらついて息が苦しいといった末期的症状。
この子もたまさぶろう同様、お星様になってしまうのかと思っていたら、私と一緒に回復し始めて、今は以前と変わらず飄々と生きている。
飼い主にシンクロしなくても良さそうなのに、なんせ不思議猫だから超能力で飼い主の体調の影響を受けてしまうらしい。
私がもっと悪くなったら、命を捨てて守ってくれそうな、そんな猫なのですよ、この子は。

余りにもやせ細り、骨と皮ばかりになって息苦しそうにしているから、動物病院で水分補給の点滴と、鼻炎のための抗生物質を注射したら、あっという間に鼻炎がなおってしまった。
すばらしい生命力!
次の日も点滴にいって帰宅したら、丁度点滴した分くらい大量に吐いたので、かえってそれは負担になったのかと反省。
いつものように自然に任せることにした。

いつも密やかに悪だくみや悪戯をしているような雰囲気の子だけれど、賢く優しく何よりも生命力に溢れている。
何回も言うけれど、私が病気の時は枕元に付き添ってくれ、優しく顔をなでてくれる。
そっと爪を出さないように柔らかい肉球で。
どれほど癒やされることか、猫によって心臓の鼓動まで静まってくるのだから。

動物の癒やし効果は絶大で、猫がいなければ私は随分ストレスがたまったと思う。
先日獣医さんにモヤの年齢を訊かれ、さあ?と言ったら旧いカルテを出してきて「17年前に拾ったから17才以上だね。良く長生きさせてあげたね」とお褒めの言葉。
そのカルテは以前この病院の先生だった人の手で、市立××病院の庭で保護と書かれていた。
書いた先生は、宇崎竜童似のヒゲの先生。
普段私や姉、姪から陰で「ヒゲ」と愛情を籠めて呼ばれていた。
ブッキラボウで口が悪くズケズケと言うけれど、どんな時でもすぐに飛んできてくれた。
優しくて、捨てられた犬猫を保護して、病院はそんな子達でいっぱい。
これでは儲からないじゃないと他人事ながら、私はいつも心配していた。

あるとき台風が来ると予想されていた日の、早朝の出来事。
近所を散歩していて、川の中州に猫がいるのを見つけた。
その川は両岸を高い鉄板で囲ってあり、ねこのジャンプ力をしても到底上がれないと思われた。
私はどこかに抜け道がないかと探したけれど、見当たらない。
新聞配達のお兄さんが私の困った様子を見て協力してくれたけれど、やはり猫は出られない。
これで台風が来て大雨になったら溺れてしまう。

その日の昼頃、もう1度行ってみると、猫はまだそこにいる。
それで助けを求めたのがヒゲ先生。
昼休みは自宅に居ることを知っていたから、電話をしてみた。
おそろしく不機嫌だったけれど、しぶしぶ来てくれた。
「なんで電話するんだよー」とブウたれる。
獣医さんはさすが猫には恐ろしいオーラが出ていたらしく、必死になった猫は鉄板の途中にあった排水口に飛び上がって姿を消した。
ブツブツいうヒゲに私は「そんなに文句言うと、先生が困っても助けてあげないからね」と悪たれた。

そのことを後でどんなに後悔したことか。

その時ヒゲは咽喉ガンの末期症状だったらしい。
私は「どうしたのその声、又飲み過ぎたんでしょう」なんて・・
知らなかったとはいえ、本当にごめんなさい。
ヒゲ先生が逝ってしまってから、姉たちとよく話した。
ヒゲは本当に良い人だったね、と。

今の先生はヒゲの甥にあたる。
しばらくヒゲ先生の思い出話をして、モヤを連れ帰った。

モヤはもう長くは生きられないけれど、悲しまないで送ってやりたい。
思い出しきれないほど沢山の猫を保護してきたけれど、これほど生きることを楽しんでいた猫は他にはいない。
いつも涙目で喉鼻がゼロゼロいって苦しそうだったけれど、陰でニコニコして悪さをしていた。
モヤは私の天使。


































2015年6月17日水曜日

怖い顔のハスキー犬

一見怖そうなわんちゃん。でもね・・・でもね・・・飼い主のせいかも。いえいえ、そんなことはないでしょう。

英国在住のアヌコ君。
記事は「こちら」にリンク。
遊びの時に度々フェイクをかけられ人間不信に陥って、こんな悪人?(犬)面になってしまったというけれど、私が思うに、目の周りの黒い毛並みがつり上がっているからで、良くみればけっこう可愛い。
鼻のまわりなんか、グリグリしてあげたくなる。
艶やかで健康そうな良い鼻面。

2015年6月16日火曜日

フィーガロ・フィガロ・フィガロ、フィガロ・フィガロ・フィーガーロー

これにすぐに旋律が付けられたら、あなたは立派なオペラフリーク。
名誉オペラキチガイの称号をさしあげましょう。

今日は武蔵野文化会館大ホールで、ハンガリー国立歌劇団のオペラ公演、ロッシーニの床屋さん。
そう、「セビリアの理髪師」を観に行った。

ピアニストのSさんとフォーレのソナタを合わせたあと、早めに会場に着いて近所の回転寿司でちょっとお腹をこしらた。
今流行っている蔵寿司。
注文から会計までタッチパネルで全部済むという、ハイテク寿司や。

2人とも馴れていないから、まず、お茶を入れるところから躓いた。
湯飲みが無いわよと騒いで、やっと湯飲みを見つけたと思ったら、粉茶はどのくらいの量入れるの?お湯はどこから出るの?
スッタモンダの末、やっとまずいお茶にありついたら、目の前にお茶の入れ方が書いてあった。
ほらね、マニュアル読まない人はダメねえ。

タッチパネルがかなり高い場所にあって、手を伸ばさないと届かない。
それで食べている間も次の注文を考えるのに、上ばかり見ていたので疲れた。
後ろの席の家族連れも、首がくたびれると騒いでいる。
なぜこんな高い所に有るのかというと、たぶん子供の手が届かないようになっているのではないかと思う。
やたらにさわって間違えた注文をされると困るので。

お寿司の後は近くの美味しいケーキやさんでお茶を飲み、会場へ。

ロッシーニの「床屋」は全編通じて騒がしく陽気で、筋書きはメチャクチャ。
そのかわりとてつもなく面白い。
もっともオペラはどのオペラをとっても、とんでもない話しばかり。
要は筋はどうでもいいのであって、歌さえ良ければ満足。
先日見たプッチーニ「マノン・レスコー」だって、一緒に聴いたコーラスさんと「あんな酷い女のために命捨てるなんて考えられないわよね」と話していたくらいだから。
それでも最後はウルウルして感激して帰って来た。

序曲が終ってアルマヴィーヴァ伯爵のアリア「東の空はバラ色に燃えて」私はこれが大好きでしょっちゅう口ずさんでいるのだけれど、今日のテノールは高音が伸びず、あえなく沈没!残念!
まあ、一番最初だし、緊張や時差ボケもあるだろうし。
フィガロ役のジョルト・ハヤの圧倒的な存在感にやや気圧され気味。
それにしてもイタリア語というのは、なんて早口なんだろう。
それが音楽に乗って滑るように進んでいくのだけれど、歌い手はややもするとスベリッシモ。
それに対し指揮者は平然とテンポを維持している。
ロジーナ役のガブリエラ・バルガが、もどかしげにオケに合わせる。
その辺の駆け引きが面白い。

レシタティーボのバックを弾いているチェンバロ?風の電気ピアノ?見えなくてよく分からなかったけれど、それらしい楽器の演奏者は、遊ぶ遊ぶ。
合いの手にベートーヴェンやら日本の演歌やらを、分からないように入れる。
途中で思わず噴き出してしまった。
室内楽でもオーケストラでも、勿論オペラでも、一番楽しんでいるのが、演奏者たち。
自分たちが楽しんでお客さんからお金を頂いて、こんな不届き者たちはいない。

このロッシーニのオペラ、実は私にとっては危険なのだ。
カーステレオでこれを聞きながら走ると、いつの間にかスピードが出過ぎてしまう。
テンポが良すぎるから。



























2015年6月14日日曜日

朝飯前

昨日はコンサート終演後飲み会に行くので、ステージドレスや靴などの入ったキャリーバッグがじゃま。
化粧品が入るとけっこう重くなってしまう。
足首が腫れて痛いのに、荷物を持って歩くのはあまり喜ばしいことではない。
それで長年の仕事仲間で住まいが近く、同じ仕事に行くときにはアッシー君を務めてくれるチェロのSさんに、荷物を預けてしまった。
身軽になって、いそいそと飲み会会場へまっしぐら。

白地にブルーが入った可愛いスキーブーツ。
今まではまだ筋力もあって上級者向けの靴だったけれど、最近は体力もないし滑るゲレンデも緩斜面が多くなってきた。
それで柔らかめの、着脱が簡単でしなやかなブーツに替えることにした。
内覧会では予約だけして、後は11月頃、インナーブーツを成型してもらう。
素人スキーヤーには少し贅沢ではあるけれど、用具の性能が良いから今まで怪我一つせずにやってこられたのだと思う。

今頃思い当たる節があるのは、足首の痛み。
先シーズンの志賀高原熊ノ湯、夕方1人で一番上までリフトで昇っていった。
企みがあったから誰にも言わずこっそりと。
熊ノ湯の中央にあるリフトは、中間に駅があって初心者はそこでおりる。
もう少しチャレンジなら一番上でおりて左に回ると、中級者用の変化の多いスロープが待っている。
リフトを降りて右に行くと、コブコブの急斜面。
特に入り口付近は圧雪していないと、雪がグズグズに固まっていて私ごときの腕(足?)では中々の難所。
以前は、熊ノ湯の最後はそこで〆て、ホテルへ帰るというコースだった。
そのゲレンデは最近、圧雪することが少なく荒れていたので敬遠していたけれど、久しぶりに血が騒いだ。
ようし、誰もいない。
これなら人にぶつかる心配がないから安心。
随分以前には、凍ってピカピカのアイスバーンだったその斜面を、気持ち良く滑っていたこともあった。
でもその頃はちゃんと圧雪されていて、もっと滑りやすかった記憶がある。

ゲレンデに入ってみると予想以上の雪質の悪さ。
いやいや、これはこれは。
慎重におり始めたけれど、多分怖さが先にたって腰が退けていたのだと思う。
あっという間に雪だまりにスキーの先が突っ込んで、転んでしまった。
その時に左足首が妙な方向に曲がって、板が抜けない。
そのまま抜くとたぶん、ギクリと足首をやられる。
自力ではどうしようもない。
ビンディングを外すことも出来ない。
その時上から人がおりてきた。
すみませーんと声をかけても気が付かず、行ってしまった。
気が付いていたかも知れないけれど、若い女性でないから放置されたかも。

次第に辺りは暗くなって夕飯のことが気にかかる。
このままだと夕飯が食べられない。
するともう1人降りてきた人がいた。
今度は声を限りに叫ぶと、やっと気が付いてもらえた。

その人に板を抜いてもらって、這々の体で降りてきた。
そうか!あの時ひねったのが今頃?
何年も前の身体のダメージが、後から出て来ると聞いた。
私もその時は別に痛みもなく、次の日も普通に滑っていてすっかり忘れていたけれど、昨日そんな話題になって思い出した。

おかしいのは、夕暮れの急斜面で板が抜けない非常事態なのに、夕飯に間に合わない事ばかり心配していたこと。
たぶんお腹が空いていたのかも。

今朝雨がふっていたけれど、昨日預けた荷物をとりに、我が家から10分ほどのチェリストの家に自転車で向かった。
午前6時、朝食前の軽い運動、これを朝飯前というなんてダジャレを言うのはだれじゃ。
緑色の派手なカッパを着て、ビュンビュン自転車をこいでいると爽快で、早く新しい靴でゲレンデを滑りたいと思う。
まだ夏の入り口なのに、もう冬が待ち遠しい。
早起きのSさんは家の前で待ち構えていて、私の格好をみるなり「それゲレンデで着るカッパ?」と言う。
他人から見ても、もうスキーモードに入っているのだ。
夏の遊びが目の前に沢山待ち構えているというのに。













2015年6月13日土曜日

正体は山猫

昨日、コンサートの前にちょっと腹ごしらえと思って、時間も無いので駅の構内の立ち食い蕎麦を食べに入った。
チケットを買って待つ事しばし。
カウンターの高さがちょっと気になる。
普通、駅そばのカウンターはそれほど高くないのに、東急線蒲田駅の駅蕎麦のカウンターはやけに高い。
私はチビだから胸の上の方にカウンターが来る。
お蕎麦を渡されていざ、食べ始めると、顎のすぐ下に丼があって、食べ易いっちゃあ食べ易いけれど、これで年を経てもう少し身長が縮んだら、おでこのあたりに丼がくるのではないだろうか。
後ろから、私の頭越しに食べている人が居た。
厨房の中から見ると、生首がお蕎麦を食べているようで不気味だったのではないかしら。アハハ、考えると可笑しい。

最近日本人も体格が良くなって、外国に行っても向こうの人と同じくらい見劣りがしないけれど、なにが違うかと言うと立ち居振る舞い。
ヨーロッパなどではどんなに無教養な感じの人でも、人にぶつかったりよりかかったりはしない。
日本では平気でぶつかってくる。
時には狙われていると思うくらい、まっしぐらに向かってくる人もいる。
たいてい、ギスギスした一見キャリアウーマン。
ああ、ストレスたまってるんだと、気の毒になる。
チビのおばちゃんにぶつかっても泣くだけだろうと高をくくって突進してくるのだけれど、このおばちゃんが山猫だっていうことを知らないな。フギャー!!!
腕を捕まれてあやまんなさい!と怒鳴られて初めて人は見かけに騙されないようにと、学習するらしい。
ま、私の場合は見かけも凶暴ですが。

昔他人から言われたことがある。
身体の小さい人は大胆ですね、と。
車の運転をするとすっ飛ばす。
今はすっかりおとなしくなってしまったけれど、前はエンジンをかけた瞬間に飛び出すかのような危険運転をしていた。
それでも無事故(電柱に頬ずりなどは除いて)で来られたのは、反射神経の良さと、意外と慎重な性格、良い視力のお陰だった。
その中の反射神経と視力は衰え、今は慎重に運転がモットー。
先日の講習会のテストでは、20~50才までの運転能力とのありがたい結果が出た。
いえ、だからって私が50才を越えているなんて言ってるのではないですよ。
とんでもない、まだ結婚適齢期ですから。
山猫には結婚不適齢期はないんです。
何の講習会かは深く追求しないように。

さて今日は「大公トリオ」もなんとか弾き終えて、終演後飛んで行ったのは国際展示場のそばのビル。
ここでスキー用具の新製品の内覧会が、行われている。
今のうちに注文しておくとシーズンが来てから買うより安いのと、私の様にサイズが小さいとすぐに売り切れてしまうから。
今年はスキーブーツを買う予定でいたから、スキーの先生に選んでもらう。

展示会場に5時までに着かないと、先生毎宴会場の方に行ってしまう。
会場の立川市民ホールから息せき切って駆けつけ、ギリギリセーフ。
立川から国際展示場駅がすごく近いので驚いた。
立川駅で特快で新宿、新宿からりんかい線で国際展示場前。
こんなに簡単にいけるとは思わなかった。
電車はうまくいったものの、最近足首の軟骨がすり減ってしまい、ひどく痛むようになった。
あの広いビッグサイト付近を歩いている内に、足首の痛みは耐えられないようになって、足を引きずりながら歩いた。

最近又スキーブームが来ているのだろうか。
一時期よりもお客さんが多くなってきている。
最近までスキー人工は減衰の一途をたどっていた。
しかし、今日は会場に人が溢れ、押すな押すなの大盛況。
仲間を探し出すのに苦労した。
やっと会えて、ブーツを予約した。
足のサイズを測ってもらったら、21.5㎝。
まるでシンデレラのようでしょう?
シンデレラとの決定的な違いは、私の方が美しいこと。
皆様とはお目にかかれませんが、そう思い込んで下さい。

それぞれ買い物が済むと、同じビル内の居酒屋でいつもと同じ顔ぶれで、先生を交えて楽しく酒盛り。

機嫌良く帰りの電車に乗り込むと、混んでいるのに座席に荷物を置いている若者がいる。
私は座れたけれど、思わず荷物をどけなさいと注意をする。
山猫の本症丸出し。
最近短気になってきているから、電車内で楽器を背負って鋭く目が光っている小柄な女性を見かけたら、ご注意を。
うっかりすると噛みつかれますぞ。
後ろ姿を見ると、尻尾が数本出ているかもしれません。
































2015年6月12日金曜日

梯剛之ピアノリサイタル

数多くのクラシックの名曲の中でも、ベートーヴェンは誰もが認める大作曲家。
作曲家の頂点に未だに君臨している。
ところが、作品を見てみると、別にどうってことない音の序列。
音階を主とした動き。
ハーモニーもそれほど複雑ではないのに、どうしてこんなに胸に迫るのか。
今朝は明日の本番に向けての最後の練習。
ピアノ三重奏曲「大公」ピアノは私の友人のお弟子さん。

本来私はベートーヴェンが苦手で、モーツァルトフリーク。
それでも周りの人達のリクエストが多く、何曲も弾いているうちに次第に良さが分かってきた。
特にピアニストのSさんには、ピアノとヴァイオリンのソナタ全曲とトリオの数曲を付き合ってもらったお陰で、なるほど食わず嫌いだったのかと、妙に感心した。
大公トリオはこれで何回目になるのか、随分沢山弾いたけれど、この年になってようやく分かってきたところが何カ所もあった。
本当に奥が深い。
弦楽四重奏曲の後期の作品などは、もはや人間の世界を遙かに超えている。

そして夕方からは梯 剛之さんのピアノリサイタルを聴きにいく。
  モーツァルト  「キラキラ星変奏曲」
  ドビュッシー  「月の光」
  シューマン   「子供の情景」
  ショパン    「ソナタ第2番」(葬送行進曲付)

このプログラムは名曲揃いの上、私の大好きな曲ばかり。
特に音の深さと美しさを追求する、梯さんの十八番がずらりと並んでいて聞き逃せない。
彼は一時期音一つ一つの美を追究する余り、音楽が先に進まなくなっていた時期があった。
恐ろしいほどの集中力で和音を重ねる姿には、鬼気迫るようなものがあった。
その頃はたぶん、彼が一番悩んでいた時期だったように感じる。
そして今、それを脱却して流れがより軽やかになってきた。
今はキラキラした華やかさも加わって、試行錯誤していた頃の重苦しさはみられない。
1人の音楽家の成長をこうして順を追って見るのも、非常に興味深いものがある。
梯さんは一時期、ベートーヴェンの作品を中心にしたプログラムが多かった。
教会のオルガンの響きのような音を、模索しているようだった。
何回も何回も絵の具を塗り込んで描く絵のように、音を一つずつ丁寧に重ねていく。
たぶん気の遠くなるような膨大な時間を費やして、試行錯誤していたと思う。

今日の演奏は・・・又変わっていた。
前回聞いたのは紀尾井ホールでのコンサート。
あれは今年だったか去年だったか、そのへんがはっきりしない。
すごく軽やかに華麗に弾いていたけれど、今日はなんとシンプルに戻っている。

去年の秋彼と話しをしていて「あなたのピアノは弦楽器の様な響き、それ以上にオーケストラみたいに鳴っている」と言ったら、非常に喜んで「実はそれを目指しているんです」と言う。
お父さんはオーケストラのヴィオラ奏者。
子供の頃から、弦楽器やオーケストラの響きの中で過ごしていたと思う。
その響きが自然に身について、求めるところがそこにあると思ったのだが、今日は素朴なピアノの音になっていた。

なにか原点に戻って、ピアノの良さを前面に出すことにしたような感じを受けた。
プログラムがシューマンやショパンだから、尚更ピアノっぽい。
当たり前だけれど。
会場の音響や客数、そして肝心のピアノの性質もあるから一概には言えないが、彼は段々熟成を重ね、単純に素直になってきたのだと言える。
それにしても毎回これだけ様々な顔を見せてくれるのは、たゆまず努力しているからだと思う。
次回がどのような音になっているかは、すごく楽しみ。


















ミミズクの恩返し

怪我をしたミミズクを保護して助けたら、その後毎日エサを運んでくれる様になったという。記事は「こちら
でもこのお食事、ミミズクにはご馳走でも人間にはね、ちょっと困る。
私だったら絶叫もの。
ねずみ、蛇、きゃあ~!


2015年6月11日木曜日

短気は損気

このところ毎日健診が続いている。
リスクが高いと言われた肺がん検査、今年手術後11年目に入る乳がんの検査。

昨日からレントゲンが続いて沢山放射線を被曝している。
その方が身体に悪いのではと思う。
医療機関のやることだから死ぬことはないと高をくくっているけれど、どこぞの群馬の、あれ、言っちゃった?病院みたいに、手術後の死亡率が異常に高いという話しを聞くと、もはやなにをよりどころにしていいか分からない。
とにかく現在病気ではないのだから、検査でのリスクの方が大きいと思うけれど、絶対になりたくない病気が肺がん。
最後はゆっくりと水に溺れるように死ぬと聞いて、さすがの私もこれだけは嫌だと思う。

そのリスクが高いとなれば、小まめに検査をして初期の段階で食い止めないといけない。
呼吸器系が極端に弱いので、肺炎、肺結核も怖い。
と言うワケで、先日の風邪の後遺症の咳から色々な病気を疑っている。

薬のせいか身体がだるい。
その上最近短気に益々拍車がかかって、怒りっぽくなってきた。
昔から瞬間湯沸かし器の気があるのに、最近はちょっと自分の気に障ると、アッと言う間に口から文句が出る。
いえ、私が悪いのじゃあございません、この口がね、独りでに動くんですよ。

病院の受付け。
カードを入れて予約票を取り出すと、受付けに行ってファイルを受け取る仕組みになっている。
ところが今日は「もう受付は終っていますからこのまま**番の受付けに行って下さい」と言う。
二つ予約があるからどちらから受けるのが良いのか訊くと「予約票の上から順にが普通でしょう」と偉そうに言われたから、まず上の項目の方を受けることにした。
そちらの受付けに行くと「これはまだ受付が終っていないから、もう一度受付をやり直して下さい」と言われた。
もうその辺から私のやかんがボコボコ音を立て始めた。
あちらでは受付はもう終っていると言われましたよと、口が尖る。

初めの受付のミスで、やはり受付は終っていなかった。
先程の受付け嬢?が飛んできてファイルを渡しながら、さっきとは違うことを言う。
上の項目を後にして下さい。
上はX線撮影、いわゆるマンモグラフィー、下は乳腺外来の診察。
マンモは時間が決っていないから、そちらを先に受けて予約時間の決っている診察を後にすれば効率的と思って少し早めに来たのに、結局予約時間まで待つ羽目になったので、大いに文句を言った。
なぜ、そんな非効率的なことをしなければならないのか、納得がいかない。
なぜ前後してはいけないのかと詰め寄ると「私は看護師ではないので」と逃げられた。
さっきは上の方を先にするのが当然でしょう、みたいに言ったくせに。
もめたお陰で時間をロスしたのが腹が立つ。

とまあ、こんなことで目くじらを立てるのは、怒りっぽくなってきたからだと、少し気を静める。
でも本当の原因は、ちょうど時間帯が昼食の頃。
お腹が空いていたからだった。

受付けさんをいじめた罰は、マンモグラフィーでたっぷり受けた。
勢いの良いレントゲン技師にものすごい力で引き延ばされ、ぺっちゃんこにされた可哀相な私の胸は、終ってからもしばらく痛かった。



















2015年6月10日水曜日

トラ刈りにされた可哀相な木

昨日買い物から帰ったら、我が家の駐車場のコーナーでせっせと働く男女3人。
お隣さんの兄弟、弟さんの方の・・たぶん・・お嫁さん?
お兄さんは昨日木を切ってくれると言った人で、あとの2人はお兄さんに駆り出されたらしい。
見ると足元には大量の木の枝が。
しかも30㎝ほどに束ねられて、捨てれば良いようになっている。
お兄さんはニコニコして挨拶してくれたけれど、弟さんともう1人の女性は仏頂面でニコリともしない。

でもね、お隣が新築する前に土地が空き地になっていた頃、草ボウボウで不衛生・不用心だったから、その2軒先のTさんと私が炎天下草刈りをしていたのだから。
お兄さんはここの跡取りで草刈りのことをおぼえているかもしれないけれど、弟さんはそんなこと知ってはいない。
それで無愛想だったのか。
草刈りは再三お隣さんに申し入れていたのに、業者を頼むとお金がかかるからだと思うけれど、ずっと放置されていた。

だからお互い様・・・ふんぞり返って木を切らせているわけでは無いことを、分かっていただけたでしょうか。
向こう三軒両隣と旧いけれど、この町内は亡くなった私の父の息がかかっているので、皆さんまだ親切。
父は町内のボス猿で、困った人がいると手を差し伸べずには居られなかった。
お人好し過ぎて資産を使い果たしてくれたお陰で、私たち兄弟は遺産相続の時も喧嘩もせずにすんだ。
喧嘩をするほどの財産も、残っていなかったのが良かった。
そのうち父のことを知らない人が増えると、子猿は相手にしてもらえなくなるかもしれない。

別に父の威を笠に着て威張っているわけではないのに、道一つ隔てたべつの町内のゴミの捨て方を注意したら、***の娘だからって生意気なこと言うなと威嚇されたので、びっくりした。
ああ、そんな風に見られていたのかと、その時初めて気がついた。

この隣の町内のゴミの捨て方が目を覆うばかりに酷くて、烏が荒らしたゴミの山を踏んづけて自分のゴミを平然とおいていく。
烏対策はしない。
分別もいい加減。
時間を守らない。
散らかったゴミが風であちらこちらに飛んで行く。
それで町内会長にちゃんと管理して欲しいと申し入れたら、驚いたことに話し合う姿勢も見せずにけんか腰。
話し合うということが出来ない人が居るのだと、ビックリした。
今は普通にちゃんとしているけれど、そうなるまでの間、私が1人で闘い続けてきた。
住人を捕まえては掃除をしてもらうという風に。
最近やっと黄色いネットを設置してきちんと捨てるようになったけれど、その間十数年以上に亘って、私の戦いは続いた。
ここの町内会の人達は、私が山猫だということを知らなかったらしい。

日本人は権威ある者の言うことは聞くけれど、その辺のおばさんの言うことには聞く耳を持たない。
公共心がないというか、やれやれ。

遠くの親戚より近くの他人。
持ちつ持たれつ、すっかりトラ刈りになってしまった可哀相な木を眺めて、溜息が出る。
名無しの木さん、こんど生まれてくるときは深い森の中に生まれなさいね。
こんなボサボサにされないで、伸び伸びと枝を広げて空に向かって大あくびが出来るように。




























2015年6月9日火曜日

ロジャーさんの堂々たる画像

この筋骨隆々とした雄カンガルーの名前はロジャーさん。
大好きなウサギのぬいぐるみを抱きしめている。
これを取り上げようとすると、強烈なカンガルーキックをお見舞いされるそうだ。
ロジャーさんは心優しく、群れの雌達をいつも守っているという。
これぞ男の中の男!
ロジャーさん、す・て・きー!




伸びる木

私の家に庭は無いのに、木だけ生えているという怪奇現象。
いや、別に怪奇では無くて、飛んできた種が塀と家の間のほんの10㎝くらいの隙間に根付いてしまって、そこですくすくと育ってしまった。
私は木を植えたつもりは無いから、大きくなってからも自分の家の木だとは思っても居なかった。
あるとき「お宅の木が・・・」とお隣から言われて、初めて私の敷地内に根があることを発見した。
それほど迂闊だったので気が付いたときにはもう手遅れで、今や2階のベランダに達するほどの大木となって、夏の日差しを遮り、今頃は花の蜜を、花の後には実を、小鳥たちに提供している。

私はそれを喜んでいたけれど、近所の人達はきれい好きで、秋になると葉がおちるので苦情が来る。
今頃の緑したたる季節にも、電線に・・・とか外灯に・・・とか、挙って切りたがる。
秋の落ち葉の季節はもっと大変。
毎朝一帯の掃き掃除をすることを日課にしている人がいて、我が家の木が落とす大量の落ち葉を掃く音が、早朝から盛大に聞こえる。
その音が聞こえる間は私は外へ出られない。

今日も夕方涼しくなったので散歩へと外に足を踏み出した途端「***さん」名前を呼ばれた。
3軒先の世話好きのTさん。
以前からこの木が気になって仕方がなく、会う度に切ってしまいなさいと言われ続けてきた。
今日はついにノコギリを持ってこられて、手伝うから切りなさいと言う。
明日やるからと言うと、今日の涼しい内に、ほら、とノコギリを手渡された。
仕方なしにコリコリと見せかけのノコ使い。
そこへお隣のご主人が帰って来た。

お隣は一番の被害者。
枝が伸びると自転車置き場に覆い被さって、自転車を出すのに苦労すると奥さんから言われていたので、お隣との境界の塀からは枝がはみ出さないように切っている。
だからその木は、我が家側はスクスクボサボサ、お隣側はショートカット。
落ち葉の季節は自転車に落ち葉が降り注いで、前籠に落ち葉を載せた風情ある自転車となる。
それなのに奥さんは嬉しくなさそうなので、隣に不法侵入して落ち葉を取り除く。

ノコギリを持った私とTさんを見たご主人は嬉しそうに「その木の枝は私が切るから」と言う。
なんだかそんな事が好きらしい。
「だから良いですよ、こちらでやりますから」と言ってくれた。
以前からそう言ってくれるけれど、やはり黙って見ているワケにはいかないので、時々申し訳程度に枝落としをするけれど、私の長所は忘れっぽい、気がつかないだから、すっかり忘れていることが多い。
それでも、時々見ると割合きれいになっていると思ったら、そのご主人がやっていたらしい。
「いつも切ってますから」と言われてしまった。

いつも思うのは世の中上手くしたもので、無精者と小まめな人と、絶妙な割合で存在している。
気が付かない人の隣に気が付く人がいて、不器用な人には器用な人がサポートする。

Tさんは私がここに引っ越した当時から、トラブルをサポートし続けてくれた。
お隣さんはうちの猫が塗り立てのコンクリートに足跡をつけても笑ってくれたし、いつ蝶になるかと楽しみにして毎日見ていた巨大な青虫を、親切に捨ててきてくれたし・・・おや、なにか恨みっぽい言い方に聞こえた?

夏の暑いさ中、枝おろしに手こずっていたけれど、今年はお隣さんにお任せ。
さっきノコの歯を立てた木に、ごめんね、痛かった?と言ってさすっていたら、Tさんに笑われた。























2015年6月7日日曜日

表裏

音楽教室のイベントの中にクラシックパーティーというのがあって、年1度の発表会の他に、サロンで気軽に勉強の成果を発表しようという試みなのだ。
途中までしか曲ができあがっていなくても、とにかく人前で弾く肝試しのためや、自分の勉強の足りないところを確かめる意味も兼ねている。
教室にはジャズとクラシックの区分けがあって、主にクラシックの生徒はこのパーティーに、ジャズの生徒はジョイフルパーティーに参加する。
両方掛け持ちしたり、何種類の楽器を持ち替える強者もいる。
あまり沢山手を出すのでどの曲も”う~ん”でも、本人は至って幸せなのだから、これも良し。

人には広く浅く手を広げる人もいれば、一つのことに命がけの人もいる。
どちらもそれぞれ存在する意義があるので、良し悪しは言えないけれど、一つの事にのめり込む人は大体偏屈。

ヴァイオリンの職人さんはたいていこの偏屈の最たる者で、私は度々喧嘩をしては工房を替えた。
一番腹が立ったのは、楽器の調子が急に落ちたので診てもらったら、腕が落ちたんだろうと言われたこと。
その頃の私は若くて体力があったから、自分でも調子が上向きになったと感じていた。
そういう時にそんなことをいわれてむっとした。
長年の付き合いだったから、彼も言いたい放題冗談任せにいったのだが、私はプライドが傷ついてそこを放り出した。
それでわざわざ当時評判の良かった大阪の職人さんの所へ行って診てもらったら、楽器の内部が腐って真っ黒になっていたという。
楽器職人は皆、自分の腕に対するプライドは並大抵ではない。
時々弾き手と衝突するのはこのため。

身近で偏屈と言えば、私の兄は子供の頃からひどく変わっていた。
兄弟で一緒に遊んでいると、急に庭の敷石の上にチョークで計算式を書き始める。
それも唐突に。
石蹴りなんかしているのに、なんの前触れもなくしゃがみ込むので、遊びの間中考え事をしていたのが分かる。
やることなすこと変で、おそろしく無口で、こんな変人に嫁さんがくることはないと思ったら、さっさと学生結婚をしてしまった。
しかも嫁さんは可愛くて頭が良くて明るくて、世の中とんでもないことがまかり通るものだと思う。
兄は未だに偏屈そのもの、でも夫婦仲は至って良い。
そして家族は皆、この兄が大好き。

女性は偏屈でも一つ事に夢中になる人を、好むのかも知れない。
私も兄がそんな風だったから、奇人変人を好む。
普通の人はつまらない。
男性に限らず女友達も皆一癖も二癖もあって、勿論そういう人でないと音楽なんてやっていない。

女性が結婚したいという男性のタイプは?という記事があった。
大半の回答が穏やかな包容力のある人だったそうで、毎日一緒にいて平穏に暮らすには良いと思うけれど、なんだか退屈そうだなあと思ってしまう私も相当変なのかもしれない。
私が猫を好きなのも、飼い慣らされていても猛獣の部分を残していて、人の言いなりにはならないところが潔いと思う。
そうかと思うと上手くゴロニャン立ち回ってエサをゲット、そういうチャッカリしたところも面白い。

人でもあまりに模範的な人は、なんだか無理していません?と訊きたくなってしまう。
熱心な教育者が、実は海外で少女買春していたというニュースがあったように、人間なんて一皮剥くと、平均しているものだなあとつくづく思う。
穏やかで包容力のある人というのが、無気力と隣り合わせでないように、世の女性達のために祈りたい。

ところで先日、性格テストで私の頭は淫らな考えで一杯と出たと喜んで報告したけれど、あれから同じテストをもう一回やったら、今度は0%と出た。
私も天使と悪魔のふたつの顔があるのかも知れない。
というか、なんていい加減なテストなのかしら。














2015年6月6日土曜日

新種の鳥?

木の上で寝るのは私だけじゃなかった。


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過眠

長年ショートスリーパーで毎日4時間から5時間の睡眠時間。
3時間でも元気で1日いられる。
健康に関する記事を見ると、7時間睡眠こそ正しい健康睡眠だと書いてある。
それより短い睡眠は徹夜したのと同じという記事を、つい先日見つけた。
そんなこと言ったって、私は自然に4,5時間睡眠になってしまうのだし、それ以上寝ると頭がボーッとして、ただでさえオッチョコチィなのがますますダメになってしまう。
それで毎日5時間も寝ればご機嫌良く生活出来る。
だから、余計な事は書かないで欲しいと思うのだが・・・

それがここ数日なぜか睡眠時間が長くなってきた。
これはいよいよ大いなる眠りに向かう前兆かしら。
それにつれて、頭がぼんやり、一日中眠い。
春先にだってこんな眠い事はなかった。
その上、以前だったら絶対しなかった昼寝までするようになった。
数日前には3時間も昼寝して、その後11時頃就寝、又ぐっすり8時間も寝てしまった。
自然の摂理でこの様に身体が反応しているのだと思うと、なにか身体に変化が起きているのかも知れない。
昼寝をした日は夜眠れなくなるかというと、そうはならない。
夜もいつも以上に眠れる。

元々寝付きが極端に早い。
これも睡眠障害の一種だと聞いたことがあるけれど、ホテルで目が醒めると昨夜読んでいた本が見当たらない。
たしかベッドで寝つくまで読んでいたような気がする。
探していたら同室者が「たぶんベッドの隙間に落ちていると思うわよ」と言い出した。
探したら・・・あった!
ベッドのわずかな隙間に落ちていた。
同室者が笑いながら言うには、私が両手で本を持ち上げて読んでいて、パタリと音がしたので見たら、本が手から落ちていた。
仰向けで万歳をした形で両手を挙げたまま眠りにおちたらしい。
毎度の事で、皆でホテルでしゃべっていると突然私の返事がなくなるから「あ、寝たな」と思うらしい。

そんなパターンでずっとやってきたのに、このところ睡眠が長くなって、起きて居る時間が少なくなるのは大変不本意なのだ。
起きて居る間、何か有意義に過ごしているかといえば、そんなこともない。
ダラダラと遊んだり時々ヴァイオリンを弾いたり、食べたり笑ったり。
とにかく起きて居ることが好きなのだ。
生きていることが好きなのと一緒かも知れない。
なにを好き好んで眠ってなんかいられるのか不思議で、夜中に1人で動物動画を見たりすることでも、幸せな気分になる。
ちゃんと呼吸が出来て、健康にいられるのが最高。
貧乏も才能の無さもちっとも苦にはならない
これも一種の性格障害?

最近の過眠症の原因として考えられるのは、ひどい咳が続いて身体が疲れているからかもしれない。
風邪のせいで1キロ体重が減った。
これは嬉しい効果。
その後、ずっとボンヤリしていて、なにか始める意欲が起きない。
筋トレも英語のレッスンもほったらかし。
整体にも行かない。

すごく活動的な性格とは言いがたいので、こちらの方が私にとってはノーマルな状態なのだけれど。
世間的には私はいつも元気で活動的な人とみられているらしいけれど、本当はそんなことは全くない。
ボンヤリ空想の世界に遊ぶのが一番幸せという子供だった。
一日中雲を眺めていられるし、子供の頃は枇杷の木の枝に座蒲団を載せてその上で昼寝をし、目覚めると枇杷の実をもいで食べるサルみたいな少女だった。
だんだん原点にもどりつつあるのかもしれない。

そのうち樹上生活をしている女性のニュースが流れたら、たぶんそれは私です。
残念なことに枇杷の木はもう無くなってしまったけれど。








































2015年6月2日火曜日

先生の秘蔵っ子

クラス会の幹事をしぶしぶ引き受けて、嫌々業務をこなしているけれど、悪いことばかりではなくて時々良いこともある。
私がいることを思いだした人達から連絡が入る。

返信用ハガキでは欠席になっていた人から、電話があった。
なぜ出られないかというと、ご両親の介護があって、今大変なのと言う。
ヘルパーさんをたのんだらと言ったら、ご両親が他人を家に入れたがらないのだそうで、その気持ちは分かるけど娘の負担が大変だとは思わないのかしら。
とは言え、彼女はお母様からびしびし英才教育を受けて、在校中はずっと特待生。
いつも最高点をとっていた優等生だった。
お母様の厳しいことは有名で、彼女は絶対に皆と一緒に遊んだりせず、遠足も勿論修学旅行にも参加しなかった。
そして今、彼女は母親から言われたことを、そのまま返しているのと笑っていた。
「ほら、早くしなさい。こちらをきちんと片づけてからにしなさい」なんてね。
卒業後は一流オーケストラに入団したけれど、純粋培養の彼女はあまりオーケストラは好きではなかったようだ。
オケはどちらかと言えばやくざな世界だから、お嬢様にはきつかったみたいで、間もなくやめてしまった。
私みたいにオケが好きでたまらない者にとっては、歯ぎしりしたいくらい勿体ない。
私にあれだけの腕があればなあと思うけれど、遊び半分の学生時代だったから、そんなことは勿論高望みに過ぎない。

ご両親の介護は大変なのは分かるけれど、私が彼女に言ったのは、親はどんな状態であっても、生きていてくれるだけで良いということ。
介護が辛いのは良くわかるけど、介護が出来ると言うことが幸せなのだと。

私が母を亡くした時には10年近く悲しかったと言ったら、彼女が「あなたは可愛がられていたからね」と言う。
彼女と私の母は接点があったかしら。
他の人からでも聞いたのかも知れない。

彼女は一人っ子だから、過剰な親の期待に応えるためにせっせと勉強したと思っていたけれど、案外彼女自身が勉強することが好きでやっていたのではないかと今頃気が付いた。
そうでなければ、あれほど内からわき上がってくるような音楽性を身に付けられるワケがない。
彼女は本当に上手かったのに、私の方が生き延びて、いまだにあくせく弾いている。
弾くのをやめてしまうなら、あの腕を私に貸して欲しいと思う。
ピアノもヴァイオリンもいつも満点。
学科の成績も1番。
すごいなあ。

高校の時は彼女と同じK先生で、そのK先生が事情があって私たちが高校2年生の時、学校をやめられた。
その後の消息は全く知らなかったけれど、回り回って彼女Yさんのところに最近K先生から電話があったという。
なんとまもなく90才だそうな。
やはりYさんは先生の秘蔵っ子だから、覚えていたのだと思うけれど、私の事はどうかな?
落ちこぼれの生徒だったから、思い出してもらえるかしら。
とにかく連絡してみてと言って、Yさんが住所と電話番号を教えてくれた。
もう1人同門だった友人と連名で手紙を出そうか。
懐かしいけれど、ちょっと気が重い。

K先生は、当時お幾つぐらいだったか、烏の濡れ羽色の艶やかな髪の毛、エキゾチックな美貌で見とれてしまうほどだった。
その美貌のためにロマンスが絶えなかったようで、私たちが2年生の頃はその辺の事情で退任なさったようだ。
今は静かにキリスト教徒として、信仰の道におられるとか。

あの落ちこぼれがまだヴァイオリンを弾いて居ると聞いて、喜んでくださるかどうか。
私の母などは生涯「他人様の迷惑になるから早くやめなさい」と言い続けていたけれど。
















2015年6月1日月曜日

回復期

酷い咳の出る風邪で寝たり起きたり、一昨日と昨日外出したらえらく疲れた。
それで今日はおとなしくうちで、朝からずっとゲーム三昧。
あまりと言えばあんまりだから、夕方から少しヴァイオリンを弾いてから散歩に出かけた。
家を出て3歩散歩したら、フラッときた。
大きな地震の後だから地面が揺れたのかと思ったら、どうやら自分が揺れたらしい。
筋トレも休んでいるし、足に力が入らない。
それでもそろそろ社会復帰しないといけないから、無理にでも歩いておかないと寝たきりになるぞと、自分を叱咤激励。
10分ほど歩いたら燃料切れになってしまった。

家に居るときは運動を全くしていないから、太らないように昼食は非常に軽め、間食なし。
それでこの1ヶ月で1キロ痩せた。
今日もご飯を茶碗半分ほどと昆布と小さなイカの煮物、ほんの少々。デザートのヨーグルトは糖分なしで。
それでどうも低血糖になってしまったらしい。

前から気になっていた商店街のカフェに入って、糖分を補給することにした。
デニッシュの上に大きなソフトクリームが乗っているメニューがあって、それが食べたくて仕方なかったのを我慢していたので、今日は大手を振って食べられる・・とまあ、言い訳しながら。
運ばれてきたのは看板に偽り無し、それ以上に大盛りのソフトクリームがドンと載ったデニッシュ。
久しぶりに甘いものを目の前にして、思わずニンマリとした。
夕食前なのにこんなに食べて大丈夫かしらと思ったけれど、別腹、別腹と思いながら一気に頬ばる。
ふうん、美味しい!

家に帰って夕飯を食べようとしたら、もうお腹がいっぱいで入らない。
普段はご飯の後に甘いものはいくらでも入るのに、逆の時には食欲が満たされて食べられなくなることを初めて知った。
これはダイエットの奥義を極めたのかな?
すっかり元気になって又遊んでいたら、ロンドンからの電話。

ロンドンアンサンブルの美智子さんが「楽譜早く欲しい?」と訊いてきた。
今年の暮に、ロンドンアンサンブルの小田原でのコンサートに出演する予定。
勿論一日も早く欲しい。
エルガー作曲「エニグマ変奏曲」
日本ではあまり演奏されない曲なので、これからスコアで下調べをしないといけない。
幸い先日の検査ではなんの異常も認められなかったから、脳はまだ正常に動いているらしい。

ちょっと緊張して、この緊張が病気を治す原動力となる。
仕事モードに切り替わるとカラ元気が出て、必要以上に働きすぎるので、その後寝込むことになると分かっているけれど。
やっと今、回復する頃に刺激が与えられて、これで風邪もすっかり消えていくと思う。
「老人性結核じゃないの」と美智子さんは脅かすけれど、怯むような私ではない。
しかも「老人性」はやたらに付けないでほしい。
これから12月のロンドンアンサンブルのコンサートが終るまでは、病気には少しお休みしてもらう事にする。