2015年6月23日火曜日

周りが偉い!

機械を疑うより自分を疑う方が早道。
あるブログを読んでいたら、こんなフレーズが出てきて笑った。
はいはい、私はいつも機械を疑うくちです。
パソコンの操作が上手く行かないときは、パソコンが悪い。
ヴァイオリンが上手く弾けないのは楽器が悪い。
楽器さえ良ければ私は名人さ!
というより楽器が無ければ、口三味線名人。

このところ練習に身が入らない。
この季節、湿度が高いのと気温の差が大きいので、楽器も調子が悪い。
そう、練習をしない私が悪いのではなくて、季節が悪い。

全部この調子で人のせいに出来たらどんなにいいかと思う。
でも、やはり自分がダメなことを一番良く知っているのは自分。
生まれつきすごく不真面目で陽気なので、それが元で落ち込むことは全く心配ないけれど、本当に神経質で生真面目な人なら私ごときの腕前では鬱になりかねない。
よくも長い年月、楽しく仕事をしてきたものだと我ながら感心する。
周りの友人知人が良かった。

いつも引き立て褒めて育ててくれた、女流チェリストの故Tさん。
彼女には本当にお世話になって、弦楽アンサンブルのコンミス、ソリストとして育てていただいた。

長年に亘ってコンサートに参加させてくれた、チェロのMさん。
彼のお陰で、弦楽四重奏、三重奏、ピアノ三重奏などの殆どのレパートリーを網羅することが出来た。
多くのソナタも弾かせてもらったし。
大抵の曲のオーダーにすぐに応じられるのも、その頃の貯金があるから。

もう1人の女流チェリスFさん。
ピアノトリオを組んで、何回も彼女のコンサートに参加させてくれた。
彼女と弾くと、何故か本番で必ず失敗してしまう私を、笑って許してくれた。
厳しい人だったので、緊張するのかな?
あるとき、珍しく私がヘマをしなかったことがある。
そうしたら、Fさんが珍しくとちって言うことは。
「nekotamaがいつミスるかと思って気にしていたけど間違えないから、私が間違えちゃったじゃないの」

もう1組、ピアニストのOさん、チェリストのMさんとは10年ほどトリオを組んでいた。
滅多に演奏されることのないメンデルスゾーンの2番、シューベルトの2番まで弾くことが出来た。
ラヴェルのトリオもレパートリーだった。

この2組のトリオは平行して継続していたから、レパートリーが沢山できた。

大学に入ったばかりの初めてのオーケストラの授業。
のんびり教室に入っていったら、すでに他の学生達は席に着いていて、空いているのがトップのイスだけだった。
もじもじしているとこわーい4年生のお姉様が「1年生は初めての時はそこに座るのよ」とおっしゃる。
嘘に決っているとは思っても、新入りは反論できない。
「え、え、でも」グズグズしていると教授が入ってきた。
泣く子も黙る、怖いことで有名なダテヤン。
演奏中に少しでも機嫌をそこねると、指揮棒が飛んでくる。
ニヤニヤしているから油断していると、雷が落ちる。

仕方が無いから、コンサートマスターの席にオドオド座った。
ところがその日の練習の曲は、ハイドンのシンフォニー「時計」
私は中学生1年から青少年オーケストラに入っていたから、この「時計」はレパートリーだった。
何回も弾いている、ラッキー!
ダテヤンは1年坊主をいじくるチャンスとばかり、冒頭部分を1人で弾くようにと私に指示した。
指揮者に合わせるのも馴れて居るし、新入生にしてすでにオケのすれっからしの私は、なんなくクリア。
ダテヤンが名簿に丸を付けるのが見えた。
合格したんだと思った。
その後は怖いと言われたこの先生から可愛がられ、殆どが上級生のオケのメンバーに組み込まれて、ブラームスのシンフォニー1番を弾かせてもらえた。
学内の実技試験の成績は芳しくないのに、4年生の弦楽アンサンブルに、1年生でも入れてもらえることとなった。
ダテヤンこと伊達先生には、彼が亡くなる直前までお世話になった。
何かにつけて引き立てていただいた。

そして今は3人の超まじめなピアニストたちに触発されて、練習する毎日。
この人達がいなければ遊び暮らして、今頃はもう楽器を手にすることもなかったかも。
まさかベートーヴェンのソナタを、殆ど全曲弾かされるとは・・・
苦手で長年避けて通っていたのに。

ラッキーが続いて、今の私がある。
ずっとこんな幸運でホイホイ世の中渡ってきたから、いつでも悪いのは自分ではなくて、楽器になってしまった。
パソコンも至れり尽くせりの設定をしてもらっているから、出来ないときは機械が悪い!とは言えないはずなのに、時々機械のせいにしたくなる。してもいいかなあ。年に免じて・・・だめかしらねえ。

















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