2013年2月28日木曜日

若年性・老年性

ヴィオラのFUMIKOさんは売れっ子だから私と違って大忙し。仕事も忙しい上に業界きってのおしゃれさんだから、おしゃれにも時間がかかるに違いない。私のように手で顔洗って(猫か)お終いと言うわけにはいかないようだ。それがこのところ彼女の勘違いで色々アタフタしたので、陰で「あの人若年性の・・になっちゃったのかしら」と悪口を言っていた。本人にも「少しもの思うところがあるんじゃないの?」などと言っていたら・・・今度は私が見事にチョンボをやらかした。4月某日から沖縄に行こうと計画をしていたら、それを聞いた旧友たちが一緒に行くと言い出して、ただいま5人のツアーにふくれあがって、あと一人返事待ちの状態。まだ旅行の申し込みをしていないので、カレンダーにも書いていなかった。それを忘れて、その日にケアハウスの演奏の承諾をしてしまったのだ。なんだかその日は用事があるような気がしていたが、そうか、私の誕生日だからだと勝手に思い込んでOKを出していたことに気が付いた。冷や汗たらり。私の誕生日は一つは母親が早く小学校に入れてしまおうとねつ造した実際より数日早いものと、実際生まれた日と2つある。母も亡くなっているし今ならもう言えることだけど、数日違いで入学が一年遅れるより、早く入れてしまおうと言うので、母が役所に掛け合って日を早めてしまった。お陰でクラスでも一番年下の私はたいそう苦労した。いつもめそめそしていたけれど4年生になると皆に追いついて、その後はクラスのボスになってしまった。話が逸れたが、そんなこんなで間違いをわびて演奏日を変えてもらった。今朝来た人にその話をした。「若年性・・って人をからかっていたら、自分がそれになっちゃったのよね」その返事「こっちは老年性だぞー。本物だーっですよね」そうだー。本物には勝てまい。どうだまいったか。おいおい、頭が高い。人に迷惑かけたくせに。

2013年2月27日水曜日

怠け放題

この2、3日、中々元気になれないでいる。やはりなっちゃんのことが後を引いているらしい。こんなことで参っているようではだめだと思いながら、終日のたりのたり。先日の作業が動画に収められている。いつも新しい作業や器械の操作の説明の時にH氏が撮っておいてくれる。後で私がわからないところがあれば、その説明動画を見ればなんでもわけなく出来るというもので、数十本の動画が送られてきている。ところがその動画があまりにもおもしろくて笑ってしまう。他愛のない会話がユーモラスで、へえー、こんな風に話をしているのだと気がつく。自分で口に出していることは自然に出ているのだから、おかしいことをしゃべろうと思っているわけではない。傍から聞いてみるとずいぶんおかしなことをしゃべっているものだ。私に輪をかけてHさんはおもしろい。巧まざるユーモアの持ち主なのだ。ばりばり理系なのに、常識もあるし、語彙も豊富。総じて私の友人はみなさん話がおもしろい。物事を冷静に客観的に見られることが一番の優れた点ではないかと思っている。女性はとかく客観性に欠けるなどと思っている人も多いけれど、わが友人たちはほとんどそんな人はいない。冷静沈着、論理的、頭脳明晰。なぜそうなのかというと、私のようにぼんやりした猫的人間をかばってあげたいと思う人が、友人になってくれるらしい。なにかと世話を焼いてくれる人が多い。私が世話をやくことは、めったにない。それはそうさ、猫が人間の面倒など見るものか。ひねもすのたりのたりしていて、動画などをぼんやり見ているうちに元気になってきた。そろそろ娑婆にもどろう。やっとヴァイオリンを少しずつこすってみる。どうしても残ってしまったベートーヴェンの10番のソナタ。譜読みに入る。あーあ、ベートーヴェンってどうも私の性には合っていない。仕上がってくるといいと思うけれど、譜読みだとさっぱりおもしろうない。やれやれ。猫にはモーッアルトだなあ。やっぱり。

2013年2月25日月曜日

なっちゃん、又会いましょう。

通称なっちゃんの「夏目」は昨日夜静かに息を引き取りました。若い獣医さんは「点滴すれば元気になったじゃないですか」と言うけれど、動物の飼育歴は私の方がずっと長い。本人が食べるのを拒んだ時点でもう長くはないと悟っていたけれど、どうしてもあきらめきれないのは飼い主のエゴというもの。無駄に引き延ばして苦痛を与えるだけとわかっていても、何回も入退院を繰り返させて悪かったと思っている。それでも治療をしなければ、悔いは残る。どちらにしても猫に先立たれるといつも後悔ばかり。姉に電話すると「毎回悲しい思いをするのだから、もう飼うのはやめなさいよ」ときつく釘を刺された。亡骸はピンクの菊の花に埋まって安らかに眠っているようだった。本当に苦しまずに逝けたようだ。なっちゃん、又会いましょうね。今朝、いつものHさんがうちに見えて、沢山の作業をしている側で手伝っているうちに、少しずつ気分が安らいできた。今日の目的は部屋の浄化。空気清浄器をいただいて、これまた頂き物のテレビの置き場を変えて、無駄なデッキ類、ビデオ類、CDを捨て、ゴミ出しなどですっきりした後でスマホやパソコンの設定(私がいつもめちゃくちゃにしてしまうので)そのほか加湿器の状況を見たり、全て終わったら9時間も経っていた。それだけで今までゴチャゴチャだった居間に空間が出来て、広々してきた。全部頭の中でシミュレーションしてくるらしく、動きに無駄がない。すごいなあ。ここになっちゃんがいたと思える場所を見て、ふと涙ぐむのもしばらく許してもらおう。Hさんがなっちゃんを撮った動画を探して送って下さったのを見ながら、泣き笑い。なっちゃん、本当にもう一度会いたい。

なぜ名前が「夏目」かというと、友人と電話で話していた。「又猫ひろっちゃった」「名前は?」「まだない」だから「夏目」おわかりですね?

2013年2月24日日曜日

おいしいコンサート

お父様のお誕生祝いにコンサートをしてあげたいという殊勝なお嬢様(元?)からの依頼を受けて青山のすてきなマンションの一室でヨロヨロと弾いたモーツアルト。弦楽トリオの編成で、モーツアルトの数あるデイベルテイメントの中でも異彩を放つこの曲が好きで、久しぶりに弾けて幸せだった。願わくばもう一つのダントツ好きなホルンの入ったK563もどこかでもう一度弾きたいと思っているけれど、もう無理かなあ。プログラムは他にピアノソロでショパンが2曲、チェロとピアノでフランク「ソナタ」この曲は普通ヴァイオリンで弾くのでヴァイオリンの曲をチェロが横取りしたのかと思っていたが、大きな誤解で、元はチェロのために書かれたらしいということを、つい先日聞いてびっくり。ヴィオラソロで日本の歌。お客さんも一緒に歌い、その後はモーツアルトの「メヌエット」をヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノの4人で弾き、トリはチェロ独奏でポッパー「ハンガリアンラプソデイ-」聴衆はごく親しい方たちのみ、お父様も終始ニコニコと楽しんで下さっていたようで、本当に和気藹々のコンサートだった。コンサートの後は銀座からお寿司屋さんが出張してきて握ってくれたお寿司をいただく。これはもう至福の時。食い意地の張っている私はこれにつられて演奏を引き受けたようなものだから、にんじんをぶら下げられて走る馬と変りはない。これがなければ誰があんな難しい曲を選ぶものか・・・と言っても自分で選んだことに気がつく。苦労しないと餌はもらえない馬の心境ではあるが、寿司の美味しさは馬にはわかるまい。ウフフ、これは人間の特権。ところがお客様の中に鍼の先生がいて、私の脈を診て言われてしまった。「あなたは食べ過ぎです。お腹がいっぱいでも見ると我慢が出来ない。食べてしまうでしょう」わー、どうしてわかるのかしら。そのとおり。でも今のところ大変元気ですと言われほっとする。だって私の元気の源は食べることですから。

2013年2月22日金曜日

なっちゃんはもうすぐ・・・

今年の初めから食が細くなった、なっちゃん。野良猫の娘で体も他の猫より一回り小さい。けれど、食欲だけは誰よりも旺盛だった。ノラの育ちの悪さから、食器に入っている餌をわざわざとりだして、こそこそ他の場所に持って行くので、その辺が汚くなって大変だった。その元気ななっちゃんが食べなくなった。まだたぶん14歳。猫の寿命の長さからすれば、あと5年くらい生きていてくれてもいいものを。年明け早々獣医さんに点滴をしてもらって、入退院を繰り返し、はじめのうちこそ、元気を取り戻していたけれど、そのうち点滴をしても元気にはならず、治療を拒むようになった。本当のこと言えば、初めからこうなるとはわかっていた。沢山の猫を看取っているから、そろそろ危ないというのはだいたいわかる。それでも一縷の望みをかけてしまうのが、未練というもの。なっちゃんは病気がちで、鼻炎が治らず獣医さんにも見放され、鼻水が喉の奥にたまって毎日注射に通ったり、切開手術を受けたり、病院通いが多かった。それでも生きる力が強くて陽気な性格だから、今までなんとかもってきた。今回はもうだめだというのはわかる。1月初めから食欲が落ちて、今は全く食べない。時々水を飲みにひょろりと隠れ家から出てくる。呼べば反応するし、なでると頭を弱々しくこすりつけてくる。本当はずっと入院させて点滴で持たせようかと考えたこともあった。しかし、友人から「それは苦しまないで死ぬための準備をしているのよ」と言われた。動物はそうやって食を絶って、死の苦しみが少なくなるようにするのだそうだ。むりやり生かしても本人の苦しみを長引かせるだけなら、このまま放っておこう。目の当たりに死に向かって行く者を見ているのはつらい。それでも無駄な治療はするまい。時々堰をを切ったように悲しみがこみ上げる。意地悪なおじさんに捨てられそうになったなっちゃんを、ひったくるようにして家に連れ帰ってから、毎日本当に愛らしい仕草で私を喜ばせてくれた。人を幸せにするために生きてくれたのね。ありがとう、なっちゃん。

2013年2月21日木曜日

油断大敵

最近数年間、ずいぶん警戒もしていたから、とんと花粉症の症状が出なかったのですっかり治ったものと思っていた。それでも外出時にはマスクを必ずかけて、つば広の帽子をかぶっていた。それに私の花粉症は人よりも遅く出ていたので、杉ではない他の花粉だと思っていた。ところが、今朝、自転車でほんの数分のスーパーまで往復しただけで激しくくしゃみが出た。おなじみの透明な鼻水がツツツーと垂れて、きゃー、しまった。本当に数分の油断で喉の奥に痛みが感じられる。昨日は何ともなかった。午前中恵比寿に出かけた後、午後は青山ですき焼きをごちそうになり、友人とぶらぶら青山通りを歩いて・・・。マスクもしないでそれでも大丈夫だったのに。今朝も野良猫の面倒を見に駐車場に出ても何ともなかった。自転車でスピードを出したのがいけなかったのか。私の鼻はクレオパトラとはほど遠い、お多福サンの鼻。穴が下を向いていないから、まともに花粉を吸ってしまったのかしら。とにかく、それ以後くしゃみと鼻水がとまらない。明日朝、早速病院にいって毎度おなじみの先生から、おなじみの薬をもらってこよう。最近症状が出なかったのは、花粉症対策にレーザー手術を受けたのが効いていたのかもしれない。受けたのはだいぶ前だけど、数年は効果があるというので、思い切って受けてみた。麻酔の沁みたガーゼを次から次に鼻の穴に入れていくのがおかしくて呑気に笑っていたけれど、その後一ヶ月ほど膿のような鼻水が出るので閉口した。しかし、そのおかげでその後数年は花粉症の脅威から逃れられた。最近一番進歩した花粉症対策はなんだろう。手術を受けた頃に比べて格段に進歩していると思う。症状の対策でなく、杉花粉の方をなんとかする技術を早く考えて欲しい。早く早く!

2013年2月18日月曜日

モーツアルト・デイヴェルテイメント

モーツアルトの曲の中でも特に好きなのはK334とK563のデイヴェルテイメント。K334は弦楽5部とホルン2本の編成、K563は弦楽3重奏曲。甲乙つけがたいほどの名曲だが、私は特にK334が好きで、50分ほどかかるこの大曲を何回か弾かせてもらった。ファーストヴァイオリンはほとんど楽器を下ろす暇がないほど弾き詰めで、体力、気力とも大変なエネルギーを必要とする。それとショーソンのヴァイオリンとピアノ、弦楽四重奏のための協奏曲、これも長大な難曲。その二つを並べてオペラシテイーのリサイタルホールで好き放題弾いたので、すっかり満足して、もういつやめてもいいと思ったのが今から9年前。それなのにまだヴァイオリンを手放せないでいる。今週土曜日、あるお宅での小さなコンサートに何を弾こうかと思ったときに、弦楽器はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの3人だから、ベートーヴェンのセレナーデか、このK563が候補にあがった。どちらもすばらしいけれど結局モーツアルトに決まった。この曲はかつてヴァイオリンの外山滋氏と弾いたことがある。ある日知り合いのチェリストから電話がかかってきた。今度外山さんとこの曲を弾くつもりでいたのに、ヴィオラ奏者が突然降りてしまったので、代わりにヴィオラを弾いてくれないかという依頼だった。それで本番はいつなの?と訊くと一週間後だと言う。冗談じゃない。ヴィオラは専門ではないし、外山さんの様な国際的な名人と弾くとなれば、よほどの覚悟がいる。たった1週間で練習が足りるとは思えない。何度も断わっているのに、電話の向こうでは困り果てたチェリストが無言で返事を待っている。うんと言うまでは電話を切らないつもりらしい。とうとう根負けして引き受けて、外山さんのお宅で練習を重ねた。外山さんはステータスが格段に下の私にも少しも偉ぶることなく楽しく練習は進んだ。陽気でタフで話好きの外山さんは、私がレッスンを受けさせていただきたいというと、レッスンではなく、楽器を持って遊びにいらっしゃいと言ってくださった。これがご縁となって、その後もベートーヴェンのトリオも数曲ご一緒させていただいた。その直後に外山さんは残念なことに病気になられて、今は明石でひっそりと暮らしておられる。優れたお弟子さんたちが「明石詣で」と称して時々訪れるそうだ。私も数年前「明石詣で」に行ってきた。最近出した限定版のCDを聴くと、あまりの上手さに感動を新たにした。残念なことに弦楽3重奏は入っていないが、あのときの練習の楽しかったことをいつも思い出す。その上K563はもう一人の恩人、鳩山寛氏にもつながる。鳩山さんは本当にアンサンブルがお好きで、よく私にファーストヴァイオリンを弾かせて、ご自分はセカンドやヴィオラの様な内声部を弾くことも多かった。鳩山さんの内声の上に乗ると、自分がものすごく上手くなったような気がしたものだった。内声部はこうして弾くものだと演奏を通じた教えていただいた。先日沖縄に私の友人たちが鳩山さんを訪問した折、彼女らに託して一冊の楽譜が私に届けられた。K563。署名と年号が入っている。この曲をご一緒したときに使った物だった。今回、この楽譜を使って弾くことにした。古びて黄ばんでいるけれど、私の大切な宝物。

2013年2月17日日曜日

志賀高原から帰りました。

2泊3日で短かったけれど、私には十分堪能出来たスキー。初日はレッスンはないはずだった。ところがやる気十分の先生は私たちを見付けるやいなや、否応なしに講習が始まった。寒い寒い吹雪のゲレンデで震えながらスキー理論を拝聴し、基礎練習を淡々とこなしてゆく。何回滑ってもOKは出ない。どこが悪いのか、たまに褒められても、どこがいいのかさっぱりわからないが、だんだんに体がスムーズに動くようになって、やっと去年までのことを思い出す。吐くが息が凍って口元を覆っていたバンダナがカチンカチンになったのには驚いた。とにかく雪山は美しい。寒いのは嫌いではないので、自分の体が寒さとスピードの緊張から、生き生きとしてくるのがわかる。今回はnekotamaがご縁で再会した山田会長と同姓の山田さんをお誘いしてみたら、二つ返事での参加。「わたくしハの字でしか滑れませんのよ」とか何とか言いながら彼女は私たちのどのメンバーよりもきちんとした滑りを披露していた。ハの字どころかぴったっとそろえた板が、ちゃんとした教師について習ったことを物語っている。しかし、今のスキー技術では足が揃い過ぎるのはいけないとされているので、ほんの少し足を開けばもう完璧というわけで、これからは「雪雀連」のメンバーとしてくじけそうになる私を引きずっていってもらいたい。去年までの定宿が閉鎖すると言うので、今回はサンバレーのバス停近くの宿になった。とても感じが良くて食事もおいしいが、畳に布団というのがつらい。年を取ってくるとベッドにいすの生活が楽になる。朝食が和食というのもだめで、私は半分日本人でなくなってきている。ではなに人かというと、それは猫人に決まっているでしょう。私たちの宿だけでなく、外国人が多いのにも驚いた。同じ宿にはフランス人のグループ、山田さんが一人はみ出てしまって泊まった別の宿には、アメリカ人もいて、その宿の泊まり客で日本人は彼女一人だけだったそうだ。こちらのフランス人のグループは嬉しそうに浴衣を着て温泉に入りに来る。夜になればロビーでパソコンやスマホを広げてメールやゲームを楽しんでいるようだ。ところで今回、現地からスマホでnekotamaの投稿をするつもりだったのに、何をどうしたのか自分でもわからないが、全く設定が変わってしまって、私の手に負えなくなってしまった。やれやれ、いつになったらこの手の物がスイスイ使えるようになるのかしら。習い事全てそうだけど、なんでも若いうちにやっておかないと身につかない。スマホも若い世代にはどうってことなく使えるんでしょうね。

2013年2月14日木曜日

白銀は招く

トニー・ザイラー主演の映画の印象は弱かったけれど、批評がおもしろかった。誰の書いたものかは忘れたけれど、たぶん女性で、ザイラーの顔が日焼けしているのに首筋が真っ白でどきりとしたそうだ。これを読んだ頃の私はまだ汚れを知らない乙女だったから、意味不明だったけれど、ふーん、今ならどきりとするかもしれない。しかし、それだけを記憶している私はいったい何を考えていたのだろうか。ずいぶん以前のことだけど。さて明日から志賀高原へ出かけることにした。先日その話を同世代の人にしたら、えー、スキーにいくんですかーとびっくりされたのにはびっくりした。その年で?と言いたかったのかしら。私たちは毎年スキーの先生をお招きして講習を受けている。それが稀代の奇人変人ながら、中高年になっても怪我もせず、楽に滑れる方法を伝授してくれる。要するに力で滑るのではなくて、自分の体重を利用して滑るから、体力がなくなってくる私たち世代にも安全に滑ることが出来る。とある有名なスキークラブがあって、そこでは講習会で毎年沢山のけが人が出ている。私たちも知り合いが多いから情報が入ってくる。講習会で怪我人を出すなんて言語道断だと思うけれど、いっこうに反省の色もないらしい。そこへいくと我が「雪雀連」の講習会は非常に安全重視。年を取って骨折などしたくはない。その代わり繰り返し基礎練習。これは楽器の練習にも通じるからつらくはないけれど、先生の気が済まないと食事にもありつけないことも度々あった。「これが出来なければ飯は食わせねえ」などと江戸っ子弁でまくし立てる。浜っ子なのに。しかし、それも過去の栄光、最近の先生は「雪雀連」の人生の達人たちにすっかり丸め込まれ、グズグズになってきた。けれど相変わらずスキー以外の話は一切受け付けない頑固者。皆でなんとか他の話題に持って行こうとしても、強引にスキーの話に戻ってあきれかえらせる。ご自身がスキーをやめた時どうするのかと半分心配、半分揶揄しながら皆の話題となっている。志賀高原に小さなホテルがあった。理想のホテルを作ろうと志を一つにした人たちが集まって作り上げたそこは、本当に心安まる場所だった。スタッフはたまたま世代がおばあさん、その娘さん、娘さんの息子夫婦という年代だったために、私は長い間一つの家族だと思っていた。ところが全部他人だと知って驚いた。それほど自然に1家族のようだった。そのおばあさんが亡くなって、娘さん世代の人も引退というので、ホテルは廃業するという。今年からは別のホテルに宿泊する。寂しいことだが又すてきな出会いがあるかもしれないことを期待している。

2013年2月13日水曜日

家事の名人

パソコン名人のHさんは家事の名人でもある。私は家事の(も)落ちこぼれ。名人はあまりのうちの汚さについに堪忍袋の緒がきれて、先日パソコンのメンテナンスに来たあと何をしているのかと思ったら、パソコン脇のシンクを磨き始めた。みるみるうちにシンクは新築の時と同じくらいきれいに磨き上げられていた。今日はパソコンの用事もあったけれど、主な目的はうちの猫部屋と称するレッスン室以外の居住区、要するに生活空間の汚れ果てた方の部屋のカーテンの洗濯、エアコンや加湿器のフィルターの掃除など、あまりと言えばあんまりな汚れた部分の掃除を手伝ってくれた。というよりほとんど私の出る幕はなかった。彼がうちで作業をするとき、カーテンの埃や舞い上がるチリに悩まされていたらしい。長い付き合いだから今まで15年、じっと耐えてきたらしい。この期におよんでついにこのままにしてはおけないと思い立ったら百年目。目に付くところを次々ときれいにし始める。それでも礼儀正しい人だから、個人的なところは見て見ぬふりをしてくれるけれど、次々に汚いフィルターやカーテンを見せられると、ぐーの音も出ない。昨日姉にも叱られたのと重なって今日は私もやっとやる気になってきた。それにしても家事はキリがないと言ったら名人曰く、一度にやらないで曜日や日を決めて部分的にやっていけばいいのだから、カレンダーに予定を書き込みましょうと言って、私のGoogleカレンダーにせっせと登録している。それを横目で見ながら、生まれてこのかた、家事を真剣にやったことがないことに気づいた。優先順位をつけると仕事、食事、遊び、家事となる。忙しいというのは口実で、汚い物は見たくないというまったく生活感に欠けた所からこんなによごれてしまったのだ。ひとつでもきれいになると他の場所の汚さがやたら目に付く。毎日パソコンで一日中仕事をしているにも関わらず、名人は実によく体も手も動く。聞けば料理もかなりやるらしい。猫用のドアの穴をスイングドアのようにしてもらったけれど、それもノートにきちんと設計図様の物が書かれていた。仕事も丁寧で、細かく切り込みを入れたり、アイデアが次々とわくらしい。要するに家事も頭脳プレーの一種だから、脳みその出来が違うらしい。こんな「お嫁さん」をもらいたいものだわ。

2013年2月12日火曜日

猫も猫アレルギーになる

通院と入退院を繰り返していたなっちゃん。病院にいるときには食欲旺盛で愛嬌を振りまいている。自宅に帰ってくるとしばらくは調子がいいのに、4,5日経つと鼻水をたらし元気がなくなる。そして病院に逆戻りという日々が続いている。この間退院してからしばらくは食欲もあったのが、このところ食が細くなってしまっている。このままでは又入院しないといけなくなる。獣医師も首をかしげていた。なんで病院にいるときには元気なのに、家に帰るといけなくなるのかなあ、どうしてだろう。そこでもしや?とひらめいたのは猫アレルギー。もう一匹、モヤと言う猫がいて、これがハウスダストのアレルギーで、猫の毛や埃がたまってくると喘息を起こす。それでこのところ私にしてはせっせと掃除機をかけているから、モヤの喘息は発症しない。そのうえ、私の明け方の咳の発作も出ない。一石二鳥だと思っていたら、今度はなっちゃんの鼻炎。これも、もしかしたらアレルギーのせいかも。今朝商店街を歩いていたら、目の前に両手にトイレットペーパーをぶら下げて歩いている人がいた。前に回ってみるとなーんだ、我が姉上。私が留守の時に猫の面倒を見てもらっている。先日も3日間ほど見てもらっていた。人の顔を見るなり「あなたの家はなに」お説教体制になった。「この間行った時、家に入るとむっとしていたから窓を開けようとカーテンを引いたら、すごい埃でいきなりくしゃみが出たわよ。よくあんな家にいられるわね。体に良くないじゃない」まあ、こんなことを延々とまくし立て始めた。せっかく私がトイレットペーパーを持ってあげたのに、お説教はないでしょう。しかし、このごろ反省するのは掃除をおろそかにしてきたことで、自分では全く興味がないから時々目に付いたところをおざなりに掃除機をかけるだけだった。モヤの喘息が掃除で治ったと言うことは、自分の健康も守られるということなのだ。ごめんよ、うちの猫さんたち。ママは掃除嫌いであなたたちを病気にしていたようだわね。猫は猫アレルギーになんかならないと思っていたけれど、そうだよね、人間も猫も一緒なんだよね。私がなる前に猫が教えてくれたに違いない。これで又猫に助けられたようだ。ありがとう、猫さんたち。

2013年2月10日日曜日

池本純子さん

女性だからお年を暴露するのは差し控えるるけれど、私たちの大先輩の池本さんは毎年コンチェルトを演奏なさっている。伴奏は古典音楽協会合奏団で、池本さんの十八番はモーッアルト。作曲家自身がよみがえってきたかと思えるようなすばらしい演奏をなさる。純粋な音、真摯な音楽。いつも本番では涙が溢れてしまう。自分も演奏しているのだから、過度な思い入れや興奮は避けて冷静にと思っても、池本さんの演奏に寄り添っている内に胸が熱くなってしまう。練習の時にはとても気弱な風で、あまりにもオーケストラに気配りしすぎて「ここはどこ?」となることがあるけれど、本番になれば堂々としたもの。もう心配はいらない。しかし、この年齢で(失礼)どこにこんなエネルギーがあるのかと思う。伴奏している私は年のせいで目が見えない、楽譜が頭に入ってこないなどと愚痴をこぼしているのに、はるか年上のこの方が新しい曲も暗譜をしてしまうのには恐れ入る。今からばらしてはいけないので曲名は言わないけれど、アンコールに古今のコンチェルトのなかでも屈指のコンチェルトの2楽章を演奏する。練習が終わると伴奏の団員たちから拍手がわいた。すっかり背中も丸くなってたぶん指も硬くなっているとは思うけれど、音楽って人柄そのものなんだなあと、いつも思う。一つ一つ、どの音もないがしろにせず、丁寧に響かせてゆく。こんな演奏家になりたいといつも思うが、私のちゃらんぽらんな性格ではとうてい無理。

2月11日 午後2時 東京文化会館小ホールにて本番です。

2013年2月9日土曜日

遊びをせんとや生まれけむ。

今から9年前、私はもう引退するつもりで記念コンサートもやり、生徒数も減り、のんびりとリタイア生活を送る予定だった。それでも、その頃父が亡くなり諸般の事情が変わって、まだもう少し働かなくてはいけない状態が続いた。不思議なことに事情が変わると、途端にどっと仕事が殺到し、生徒もあれよあれよというまに増えてしまった。文字通り眠る暇もないくらい忙しくなって、このまま仕事を続けると突然死するに違いないと思いながら毎日過ごしていた。そしてその狂乱状態が一段落して、もうそんなに働かなくてもいいとなったら、又も不思議なことにぱたりと仕事が減って、生徒も徐々に減り、平和な日々が続くと思っていたけれど、どっこい、そうはいかなかった。今度は仕事でなく遊びのほうが忙しい。昨日は仕事の前に上野の都美術館でエル・グレコ展を見てお食事。今日は石ころアートのAkieさんの展覧会で早稲田に出かけ、FUMIKOさんとヴァイオリンの美智子さんの3人でカフェに寄ってビールを飲んでおしゃべりをしてきた。明日はコンサートに出かけ、明後日は仕事の後でロンドンの美智子さんとお茶会。その後はスキーに出かけ・・・ああ、こんなに遊んでいいものなのか。もともと享楽的な性格ではあるけれど、意外とまじめなところもあるので、遊びながら後ろめたい気持ちはいつも持っている。とことん遊ぶことの出来ない小心者なのだ。これがめいっぱい遊べるような性格なら、仕事ももっと出来るに違いない。この年齢で(いつも言うけれど35歳?は超えている)これだけ遊べるのは健康で友人が沢山いるということなので、本当に幸せなことだと思っている。とことん遊びにのめり込めるような心境になれば、もっと充実した仕事も出来るようになるだろう。しかし、私の場合人生も仕事も遊びのうちなので、仕事以上におもしろい遊びにはまだ出会ったことはない。

2013年2月8日金曜日

再会

今から15年以上前、音楽教室に一人の女性が入会してきた。名前はH子さん。アメリカの大学を卒業してアメリカの企業に入社したけれど、日本支社に派遣されていた。彼女はアメリカで仕事をしたがっていたので、いずれはどうしてもアメリカに戻りたいという。そして、そのために会社を変わってアメリカに行ってしまった。私が彼女を教えていたのはほんの一年半くらいだけど、ヴァイオリンも仕事も熱心で、何よりも頭がいいから一緒にいてとても楽しかった。日本にいた時もヘッドハンティングされるほどだから、よほど優秀なのだろう。新年の挨拶とか近況のメールや写真が送られてくるだけのお付き合いだったが、今回、市場開発のために日本に来るという連絡を受けた。是非お目にかかりたいから時間をとっていただけないかというので、木曜日の教室のレッスンが終わってから会うことになった。東急エクセルホテルの20階。渋谷の高速道路を見下ろすことが出来る彼女の部屋で再会した。顔も姿も変わりなく美しく、切れ味の良い話しっぷりもそのまま。なぜ、こんなぼんやりしたかつての教師を懐かしがってくれるのかわからないが、いつも気にかけてくれているのが嬉しい。彼女がアメリカに移住した頃、メールは英語で送信しないといけないかと思って、四苦八苦して辞書片手に作文をしていた。あるとき「メールは日本語で送ってくださってかまいませんよ」と言われて、ああ良かった、すごくほっとした。早く言ってくださいな。ひどいメールだっただろうな、と冷や汗をかいた。話は尽きなかったけれど時間も遅くなったので、おいとますることになった。私は東横線だからホテルから一番遠いホームに行かなければならない。途中まで一緒に歩いて、登りの階段があるから大変だからこの辺で帰ってと言うと、名残惜しそうに階段の下から見送ってくれた。H子さんほどの人でも、アメリカで女性一人仕事をして行くのは並大抵のことではないと思う。日本の規格には合わないほどスケールの大きい人だから、しかもアメリカが好きだからやっていけるけれど、何回も転職して確実にグレードアップして、財産も殖やして、本当にH子さんはえらい。彼女が投資を依頼していた証券会社が倒産した時、その会社の社員の機転で大損を免れた話、いずれ又お話したいと思います。今日はこの辺で。

2013年2月7日木曜日

ノラの受難

ここ数日ノラに与えた餌があまり減っていなかった。可哀想だからと毎日三食運んでいたので食べ過ぎてお腹でも壊したかと思ったから、二食に減らし様子を見ていた。昨日から又食べるようになってきたから安心していたら、食べなかったのはどうやら怪我をしたかららしい。未だに警戒心が強く、毎日餌を持って行く私にさえも姿を見せないほど。だからいつもどんな様子か見ても、車の陰でよく見えない。やっと今日、左後ろ足を引きずっているのを発見した。どうしたのだろうか。車?猫同士のけんか?人にやられた?心配の種は尽きない。最近ようやくもう少しで手の届く距離にまでは、接近しても大丈夫になった。まだ決して触らせないし、もう一歩近づくと逃げてしまう。治療をしてやりたいのにそれもかなわないから、ノラはノラらしくじっと苦痛に耐えるしかない。うちの猫たちはのうのうと暖かい家に暮らし、缶詰の好き嫌いを言って、夜は布団でぬくぬくと寝る。猫の運命は性格で決まると言える。なっちゃんのように人が大好き、甘え上手は捨てられてもすぐに誰かに拾ってもらえる。ノラみたいに警戒心が強く容易に人に近ずこうとしなければ、誰にも拾ってもらえない。とてもきれいで賢そうだから、たぶん最近までは飼い猫だったに違いない。それがどうしてこんなボロ物置で暮らすはめになったのか。しかも足を痛めて苦痛に耐えている。治療もしてもらえない。もう少し警戒心をゆるめてくれれば家に入れて暖かくお腹もすかせないで暮らせるものを。足も治せるのに。それでも自由でいることが猫の矜持?ずっと以前、母の入院先の病院に住み着いていた野良猫をひろうかどうか迷っていたとき、友人が「それでも猫は自由がいいのよ」と言ったことがあって、それで外で餌をやっていたら、ある日その子が自動車にはねられて死んでしまったことがある。激しく後悔した。その子は私になついて付いてきていたのに。猫との思い出は嬉しいことより苦い思い出の方が多い。死なれるとそのことで自分をせめることがある。ああすれば、こうしてやればよかったのにと。物言わぬ動物のいとおしさはそんな後悔の積み重ねから深くなってゆく。なっちゃんもなかなかよくならない。治療をもっとするか、それともこのまま逝かせてしまうか今心が揺れている。

2013年2月5日火曜日

ブログのご縁で

鳩山寛氏のことを時々話題に取り上げていたら、鳩山さんの情報を探しているSさんという方から突然コメントが入った。その方は鳩山さんに関する古い本を持っていて、その本をご本人の鳩山さんにお渡ししたい、ついては一度鳩山さんにもお目にかかってお話を伺いたいと思って探していたとのこと。偶々私のnekotamaがヒットしたのがご縁で、それからメールのやりとりが始まった。今年1月彼女はついに鳩山さん訪問のために沖縄へ行くというので、私も同行したかったけれど、仕事や体調のこともあって実現しなかった。今日初めてSさんにお目にかかって、鳩山さんの様子を聞いたり、本のコピー、写真などいただいた。鳩山さんはご高齢にもかかわらず、たいそう頭もはっきりしていて、お元気だと聞いて安心した。前にも何回か書いたけれど、鳩山さんは謂わば私の音楽人生の恩人とでもいう方で、音大を出てプロとして第一歩を踏み出した時からつい最近までの長きにわたってお世話になっていた。右も左もわからない私を、オーケストラでも室内楽でも常に傍らで演奏させて無言の教育をしていただいた。あまりにも気取らず偉ぶることのない鳩山さんを軽んずるような人もいたけれど、終始一貫してガクタイ魂を貫いて、一切気にとめる風もなかった。しかし、今日Sさんから本のコピーをいただいて読むと、すごい人だったのだと改めて知ることが出来た。今日はSさんの会社の近く、神楽坂の駅で待ち合わせた。飯田橋から東西線に乗り換えようとしたら、架線点検のため出発が遅れるという。そこで飯田橋から神楽坂まで歩くことにした。足の速さは自信がある。しかし、今日は天気予報で寒いと言うからセーターを着込んで来たので、すっかり汗まみれになってしまった。途中行き違いすれ違いがあって予定より15分ほど遅れてしまったが、無事初対面のご挨拶。はじめてお目にかかったとは思えないほどすぐに打ち解けて、ランチタイムはあっという間に終わってしまった。これもお互いにブログの読者として、コメントを通じてすでに人となりを知っていたからこそ。nekotamaみたいなブログを読んでくださる人がいるとは思ってもいなかったので、最近読者数が増えているのが不思議だけれど、皆さん読んでくださって本当にありがとうございます。         
鳩山さんに関するSさんのブログはこちら。

2013年2月4日月曜日

困ったものみつけた

パソコンの先生H氏が私のパソコンのメンテナンスでせっせと働いているそばでは、なんのお役にも立てないから私は猫になることに決めている。私が昔使っていた古いノートパソコンとスマートフォンをメインのパソコンになにかあったときにサポート出来るように、手を入れていただいた。これで万全の体制で望むことが出来る。と言ってもパソコン歴は案外長いのに、今だ初心者の域を出ていない私には過ぎたるものといえる。こんな下手くそにこんなすごい先生がついていること自体が謎だけど、私は幸運児だから天の助けと思っている。しかもこの先生は専門のパソコン以外にもたいがいのことはなんなくやってのける。せっかく加湿器を買ったのに猫の出入りのために窓をいつもあけてあるので、湿度がなかなか上がらないと言っていたら、そのための工夫として、猫が通れるだけの小さな穴を開けたボードで窓を被ってくれた。その仕事も隅々まであくまでも丁寧にやってのける。なんでも雑な私とは大違い。本当に同じ人類とは思えない仕事ぶりで、私はやはり猫だという結論に達した。ねこだから楽しいことが好き。仕事よりも遊び。仕事人が仕事をしているスキに麻雀ゲームを見つけてしまった私は、その夜、ゲームにのめりこんで寝ることを忘れてしまった。とにかく全部クリア出来ないうちは寝られない。練習や仕事にはすぐ飽きるのに、ゲームの時のこの粘り強さはなんなのだ。これだけの集中力が在るのになぜ仕事や練習に生かせないのか。最近目が悪くて譜面が見えないので集中力が途切れるとか何とか言い訳ばかり言っているくせに、ゲームのときには目がちゃんと見える、その不思議さ。初級から上級まですべてクリアしたので、気持ちはすっきり。しかし、そのためにヴァイオリンの練習時間が極端に短くなった。後悔はするがしばらくは中毒になってしまうと思う。本当に困ったこと。子供じゃあるまいし、もうすこし自己コントロールができないものか。H氏の働きぶりを眺めていると、役に立つ、役に立たない人が必ず居るものだなあと思う。

2013年2月3日日曜日

寿司屋にて

ロンドンアンサンブルの美智子さんが間もなくイギリスに帰るので、大好きなお寿司を食べたいというので集まった。東横線の自由が丘の回転寿司屋さん。回転すしだけど、とてもおいしいので美智子さんのお気に入り。しかもやすい。美智子さん、絵美さん、美里さん、FUMIKOさんというお馴染みのメンバー。休日の夜なので家族連れがひしめき合っている。約40分以上待たされてやっと席につくことができた。私一人だったら行列のできない人だから、どんなに美味しくても並ぶことはない。でも、美智子さん初め皆おしゃべりをしながら我慢強く待っている。やっと順番がきて席につくころにはお腹ぺこぺこ。それでも皆悠然としてメニューをじっくり検討している。私はせっかちだから、ポンポンと頼まないと気が済まないけれど、皆さん品が良いからそんなこともなく、のんびりとおしゃべりを楽しんでは好きなものを注文している。それにしても混んでいて待っている人が入り口付近に常時10人以上。子供連れの家族は食べるのもゆっくりでなかなか席はあかない。美味しくて安いと評判のお店なので、みなジッと待っている。ロンドンに帰るとお寿司もあまり食べられなくなるので、美智子さんは度々このお店に着ているようで、店員さんとも顔なじみになっている。ヨーロッパでの生活は夢のようだけど、お寿司がこんなに美味しく安く食べられないとなると、やはり考えてしまうだろうな。美智子さんはリチャードというハンサムで優しい伴侶に恵まれたし、彼女のスケールの大きさからいえばヨーロッパも向いていると思うが、私はやはり日本でぐうたら、時々はおいしいお寿司を食べて、言葉のハンデイもなくのんびりと暮らすほうがいいようだ。さて、お寿司が終わるとその後は本格的におしゃべりタイム。カフェでそれぞれ好きなお茶やケーキを頼んでおしゃべりに花が咲く。美里さんが頼んだケーキがメニューの写真とだいぶ大きさが違う。ヨーロッパ生活の長い美智子さんはウエートレスに向かって「これは写真とはだいぶ違うようだけど、なにかおわすれになったの?」と聞いている。ここの部分が違うけどと疑問を投げかけられたウエートレスはしどろもどろ。美智子さんはやはり日本人離れしている。疑問をそのままにしておかないのはロンドンアンサンブルのメンバーとお付き合いし始めてから感じたことで、彼らはすこしでも変だと思うと本気で疑問を投げかけてくる。
日本人同士だとなあなあ、まあまあ、で終わることも彼らは真剣に納得できるまで討論するという姿勢は、やはりヨーロッパ人だなあと実感した。美智子さんはこれからロンドンに戻っていく。寂しくなるなあ。でもまた今年の12月に彼らと再会するのを楽しみにしている。

動物を飼うということ

なっちゃんが再度入院した。病院では点滴で脱水症状や栄養補給、抗生物質、食欲増進剤などを入れてもらう。だから2日くらい入院すると食欲も出てきて、やれやれひと安心と思っていると、家に帰ってから効果は長続きしない。帰ったその日は餌を食べるが、次の日からは全く受け付けなくなる。大喜びして食べたぶりのあらも、見向きもしない。ついに一日二日ではなく、しばらく入院させることにした。先々代から通っている病院の3代目先生に診てもらっていた。一代目はおじいちゃん先生、2代目はその息子さん2人、1人は交通事故で車いすの生活、その弟の先生はひげを生やしていたのでいつも「ひげ先生」と呼んでいた。3代目が今の若い先生。今日は最近診察室に滅多に下りてこなくなっていた「車いすの先生」が珍しく診てくださって、なっちゃんは肺炎を起こしているようだと言う。若い先生はそれに気が付かなかったようだ。さすが経験者は違う。それなら又別の治療法があるようなので、しばらく預けることにした。なっちゃんが物を食べなくなってから考えたのは、このまま知らん顔して命の火が消えるのにまかせてしまおうかと言うことだった。その方が彼女にとっては楽かもしれない。動物は野生なら絶対治療を受けられずに静かに消えていく。でも、なっちゃんの場合命の輝きがまだまだ垣間見られる。時々名前を呼ぶとしっかりとこちらを見てニャーと鳴く。食べていないのに意識ははっきりしている。治療をいやがって踏ん張る足にも力がある。まだ死なせる訳にはいかない。人間の思い込みで、実は猫には迷惑なのかもしれないが、もう少し治療させてもらおう。だっこすると悲しいほど軽い。でも私のために、治療の効果がある内は病院通いをしてもらおう。今まで何匹もの猫の死に立ち会ってきた。初めて飼った猫が死んだときは一ヶ月も泣いて暮らした。でも最近はあまり泣かない。どうしても避けられないことなのだから。今いる4匹の猫たちも飼いはじめがほとんど一緒だったから、いずれ次々と死んでいく。自分にもいつかは訪れる死を直視出来なければ、動物を飼うのはあきらめた方が良いと思っている。