2013年2月14日木曜日

白銀は招く

トニー・ザイラー主演の映画の印象は弱かったけれど、批評がおもしろかった。誰の書いたものかは忘れたけれど、たぶん女性で、ザイラーの顔が日焼けしているのに首筋が真っ白でどきりとしたそうだ。これを読んだ頃の私はまだ汚れを知らない乙女だったから、意味不明だったけれど、ふーん、今ならどきりとするかもしれない。しかし、それだけを記憶している私はいったい何を考えていたのだろうか。ずいぶん以前のことだけど。さて明日から志賀高原へ出かけることにした。先日その話を同世代の人にしたら、えー、スキーにいくんですかーとびっくりされたのにはびっくりした。その年で?と言いたかったのかしら。私たちは毎年スキーの先生をお招きして講習を受けている。それが稀代の奇人変人ながら、中高年になっても怪我もせず、楽に滑れる方法を伝授してくれる。要するに力で滑るのではなくて、自分の体重を利用して滑るから、体力がなくなってくる私たち世代にも安全に滑ることが出来る。とある有名なスキークラブがあって、そこでは講習会で毎年沢山のけが人が出ている。私たちも知り合いが多いから情報が入ってくる。講習会で怪我人を出すなんて言語道断だと思うけれど、いっこうに反省の色もないらしい。そこへいくと我が「雪雀連」の講習会は非常に安全重視。年を取って骨折などしたくはない。その代わり繰り返し基礎練習。これは楽器の練習にも通じるからつらくはないけれど、先生の気が済まないと食事にもありつけないことも度々あった。「これが出来なければ飯は食わせねえ」などと江戸っ子弁でまくし立てる。浜っ子なのに。しかし、それも過去の栄光、最近の先生は「雪雀連」の人生の達人たちにすっかり丸め込まれ、グズグズになってきた。けれど相変わらずスキー以外の話は一切受け付けない頑固者。皆でなんとか他の話題に持って行こうとしても、強引にスキーの話に戻ってあきれかえらせる。ご自身がスキーをやめた時どうするのかと半分心配、半分揶揄しながら皆の話題となっている。志賀高原に小さなホテルがあった。理想のホテルを作ろうと志を一つにした人たちが集まって作り上げたそこは、本当に心安まる場所だった。スタッフはたまたま世代がおばあさん、その娘さん、娘さんの息子夫婦という年代だったために、私は長い間一つの家族だと思っていた。ところが全部他人だと知って驚いた。それほど自然に1家族のようだった。そのおばあさんが亡くなって、娘さん世代の人も引退というので、ホテルは廃業するという。今年からは別のホテルに宿泊する。寂しいことだが又すてきな出会いがあるかもしれないことを期待している。

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