2013年2月7日木曜日

ノラの受難

ここ数日ノラに与えた餌があまり減っていなかった。可哀想だからと毎日三食運んでいたので食べ過ぎてお腹でも壊したかと思ったから、二食に減らし様子を見ていた。昨日から又食べるようになってきたから安心していたら、食べなかったのはどうやら怪我をしたかららしい。未だに警戒心が強く、毎日餌を持って行く私にさえも姿を見せないほど。だからいつもどんな様子か見ても、車の陰でよく見えない。やっと今日、左後ろ足を引きずっているのを発見した。どうしたのだろうか。車?猫同士のけんか?人にやられた?心配の種は尽きない。最近ようやくもう少しで手の届く距離にまでは、接近しても大丈夫になった。まだ決して触らせないし、もう一歩近づくと逃げてしまう。治療をしてやりたいのにそれもかなわないから、ノラはノラらしくじっと苦痛に耐えるしかない。うちの猫たちはのうのうと暖かい家に暮らし、缶詰の好き嫌いを言って、夜は布団でぬくぬくと寝る。猫の運命は性格で決まると言える。なっちゃんのように人が大好き、甘え上手は捨てられてもすぐに誰かに拾ってもらえる。ノラみたいに警戒心が強く容易に人に近ずこうとしなければ、誰にも拾ってもらえない。とてもきれいで賢そうだから、たぶん最近までは飼い猫だったに違いない。それがどうしてこんなボロ物置で暮らすはめになったのか。しかも足を痛めて苦痛に耐えている。治療もしてもらえない。もう少し警戒心をゆるめてくれれば家に入れて暖かくお腹もすかせないで暮らせるものを。足も治せるのに。それでも自由でいることが猫の矜持?ずっと以前、母の入院先の病院に住み着いていた野良猫をひろうかどうか迷っていたとき、友人が「それでも猫は自由がいいのよ」と言ったことがあって、それで外で餌をやっていたら、ある日その子が自動車にはねられて死んでしまったことがある。激しく後悔した。その子は私になついて付いてきていたのに。猫との思い出は嬉しいことより苦い思い出の方が多い。死なれるとそのことで自分をせめることがある。ああすれば、こうしてやればよかったのにと。物言わぬ動物のいとおしさはそんな後悔の積み重ねから深くなってゆく。なっちゃんもなかなかよくならない。治療をもっとするか、それともこのまま逝かせてしまうか今心が揺れている。

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